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{{Infobox 自転車競技選手
| 選手名 = 山田 裕仁<br />Yūji Yamada
| 画像 =
| 画像説明 =
| 本名 = 山田 裕仁<br />やまだ ゆうじ
| 愛称 =
| 生年月日 = {{生年月日と年齢|1968|6|18}}
| 国籍 = {{JPN}}
| 身長 = 183cm
| 体重 = 88kg
| 所属 = 日本競輪選手会岐阜支部
|
| 分野 = 競輪
| 役割 = 選手
| 特徴 = 自在
| アマ年代 =
| アマ所属チーム =
| プロ年代 = 1988-
| プロ所属チーム = 日本競輪選手会岐阜支部
| 監督年代 =
| 監督所属チーム =
| 主要レース勝利 = KEIRINグランプリ 1997、2002-2003<br />日本選手権競輪 2002-2003<br />競輪祭 2002-2003<br />全日本選抜競輪 1998<br />SSカップみのり 2009<br />ふるさとダービー 1回<br />S級S班 2010
| medaltemplates =
|
}}
'''山田 裕仁'''(やまだ ゆうじ、[[1968年]][[6月18日]]-)は[[日本]]の[[競輪]]選手である。[[岐阜県]][[大垣市]]出身。[[日本競輪学校]]第61期卒業。[[競輪選手#日本競輪選手会|日本競輪選手会]]岐阜支部所属。師匠は[[中嶋直人]]。初出走は[[1988年]][[5月3日]]、[[京都向日町競輪場]]。初勝利は[[1988年]][[9月8日]]、[[奈良競輪場]]。血液型はA型。[[SKE48]]チームEの[[SKE48#チームE|山田澪花]]は娘<ref>[http://wpb.shueisha.co.jp/2011/10/27/7686/ プロ野球選手、Jリーガー、競輪選手、プロレスラー? AKB48ファミリーに増えるスポーツ選手の娘たち] - 週プレNEWS(集英社) 2011年10月27日(2011年10月29日閲覧)</ref>。
==戦績==
[[岐阜県立大垣商業高等学校]]在学中は陸上競技を行っており、競輪学校には適性試験で合格している。卒業成績も85位だったが、選手になって以後メキメキと頭角をあらわし成長していった。そして中部地区を代表する先行選手として、[[競輪の競走格付け#GIII (G3)|記念競輪]]でも多く優勝するなどの活躍を見せた。
当時横綱と呼ばれた[[吉岡稔真]](福岡・65期)、[[神山雄一郎]](栃木・61期)と並ぶほどの逸材と言われたが、なぜか長い間[[競輪の競走格付け#GI (G1)|特別競輪]]のタイトルには恵まれず、「[[無冠の帝王]]」とも呼ばれた。
; KEIRINグランプリ'97制覇、2002-2003年の大活躍
しかし、獲得賞金額上位で出場した[[1997年]]の[[KEIRINグランプリ]]'97で見事優勝した。この勝利で「無冠の帝王」を返上すると共に、特別競輪よりも上のランクの[[競輪の競走格付け#GP|GP]]を一足早く取ってしまったことも話題となった。
その後は翌[[1998年]]の[[読売新聞社杯全日本選抜競輪|全日本選抜競輪]]で遅れ馳せながら特別競輪優勝を果たし、名実ともに中部地区だけでなく、競輪界を代表する選手となった。
出場はならなかったが、2000年のシドニー五輪を目指し、最終選考会に出場。ナショナルチームのメンバーとして<ref>[http://jcf.or.jp/files/200302.pdf p.2 「ナショナルチーム」および「強化指定選手」の選考について] - シクリスムエコーNo.95 2003年2月号</ref>2001年の「ワールドカップ第3戦」(イタリア)で銀メダルを獲得するなどの結果を出した<ref>[http://hochi.yomiuri.co.jp/gamble/keirin/news/20140317-OHT1T00178.htm ダービー、競輪祭、GP連覇の山田裕仁が引退へ] - スポーツ報知、2014年3月18日</ref>。
特に[[2002年]]から翌[[2003年]]にかけての活躍はまさに神がかり的で、日本の競輪史上に「山田時代」を築いたといえる。
; その後、引退
その後は再びタイトルに恵まれない時期が続いたが、[[2007年]]4月、[[観音寺競輪場]]での[[ふるさとダービー]]を制し、3年4ヶ月ぶりのビッグレース制覇を果たした。[[2009年]]は[[東西王座戦]]の西王座決定戦で2着となったほか特別競輪の決勝に2度進出するなどで年間の獲得賞金が上位になったことから、[[2010年]]は自身初のS級S班格付となった。さらにはS級S班格付となった初レース[[SSカップみのり]]09を[[小嶋敬二]]の番手から抜け出して優勝し、2003年以来約6年半ぶりのGI勝利で史上3人目の40代(41歳6ヶ月)GI優勝を果たした。
だが、近年は思うような成績を残せていないことや、ホームバンクである大垣競輪場での[[2012年]]GIIIにあっ旋されなかったことが引き金となり、引退の機会を計っていたという
(この年の12月に同県の盟友・[[山口幸二]]が引退したが「(大垣から)ダブルでやめるのはまずい」ということから)<ref>日刊スポーツ、2014年3月22日10面 山田裕「すっきり」ラストラン</ref>。
地元・中部地区の[[名古屋競輪場]]で行われる[[2014年]]のGI・[[第67回日本選手権競輪]]を以って引退する意向という情報が、開催直前のスポーツ紙で取り上げられた<ref>[http://www.nikkansports.com/race/public_race/news/p-rc-tp1-20140317-1271474.html 山田裕仁ダービーで引退 GP3勝の名手] - [[日刊スポーツ]]、2014年3月17日付。</ref><ref>[http://www.nikkansports.com/race/public_race/news/f-rc-tp1-20140321-1273429.html 山田裕仁、ラストランは5着/名古屋] - 日刊スポーツ、2014年3月22日付。</ref>。
同大会の4日目(3月21日)終了後、引退記者会見を開いた。選手生活を振り返り2003年に優勝した平塚[[日本選手権競輪|ダービー]]を挙げ、「一番の完成作品」と評した。<ref>[http://www.e-shinbun.net/keirin/grade/2014/031842#yamada 引退記者会見] - イー新聞競輪</ref>。準決勝3個レースは吉岡の先行逃げ切りに始まり、神山も先行で辛くも3着で突破、山田も先行し1着<ref>[http://keirin.jp/pc/dfw/dataplaza/guest/raceresult?KCD=35&KBI=20030322&RNO=11 レース競走結果 2003/03/22(5日目)第11レース] - KEIRIN.JP</ref>。結果的に、決勝戦でこの3人が乗り合わせるものとしては、最後のレースだった<ref>[http://keirin.jp/pc/dfw/dataplaza/guest/FindKako?KCD=73&1=011812&2=011778&3=012250&KBI=20140329 過去同時出走検索結果] - KEIRIN.JP</ref>。
なお、選手手帳の返上はしない模様<ref>[http://www.daily.co.jp/newsflash/horse/2014/03/21/0006796280.shtml 【競輪】SKE山田澪花の父ラストラン p.1] - [[デイリースポーツ]]、2014年3月22日付。</ref>。6月に予定の[[日本競輪選手会]]岐阜支部長選挙への立候補(選手登録したままであることが必要)も示唆した<ref>[http://hochi.yomiuri.co.jp/gamble/keirin/news/20140321-OHT1T00192.htm 【名古屋ダービー】山田裕がラストラン、支部長選立候補へ] - [[スポーツ報知]]、2014年3月22日付。</ref>。
==主な獲得タイトルと記録==
*[[1997年]] - KEIRINグランプリ'97([[立川競輪場]])
*[[1998年]] - 全日本選抜競輪([[青森競輪場]])
*[[2002年]] - [[競輪祭朝日新聞社杯争奪競輪王決定戦]]([[小倉競輪場]])、[[日本選手権競輪]](立川競輪場)、KEIRINグランプリ02(立川競輪場)
*[[2003年]] - 競輪祭朝日新聞社杯争奪競輪王決定戦(小倉競輪場)、日本選手権競輪([[平塚競輪場]])、KEIRINグランプリ03([[京王閣競輪場]])
*[[2009年]] - [[SSカップみのり]]09(京王閣競輪場)
*年間賞金王2回 - 2002年、2003年
*年間獲得賞金2億円突破 - 2002年、2003年
*年間史上最高賞金獲得 - 2億4,434万8,500円(2002年)
*生涯獲得賞金([[2012年]][[4月17日]]時点) - 18億7,691万3,999円
==競走スタイル==
全盛期の捲りの強さは、横綱といわれた吉岡稔真、神山雄一郎にも匹敵するものがあった。「中部の指令塔」としての自負から、状況によっては仲間のために逃げることも厭わず、本命であっても過度に仲間を監護するあまりに自分を捨てて非難されたこともある。最近は中部地区の若手が成長したことから、追走主体の戦法をとることが多い。
== エピソード ==
*[[神山雄一郎]]とは競輪学校の同期生(61期)であったが、学校時の成績は神山のほうが圧倒し、選手としての成長も神山のほうが早かったためか、山田は常日頃より神山をライバル視し、「神山君だけには負けたくない」と口ぐせのように言っている。
*趣味の一つに[[競馬]]があり、[[地方競馬]]を中心として、[[馬主]]としても有名である。元[[騎手]]の[[安藤勝己]]とは中学校の先輩・後輩で、現在でも親交がある。また、[[プロレス]]観戦も趣味で、親友の[[山口幸二]]と頻繁に通う。さらに[[新日本プロレス]]の[[蝶野正洋]]らとも親交があり、[[nWoジャパン]]に属していた時期もある。
*大垣市内で「わのわ」という和食店を経営している。
==脚注==
{{reflist}}
==関連項目==
*[[競輪選手一覧]]
== 外部リンク ==
* {{cycling archives|30140|山田裕仁}}
* [http://keirin.jp/pc/dfw/dataplaza/guest/membprofile?SNO=011812 プロフィール] - KEIRIN.JP
{{Navboxes|title= 業績
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</span>
{{KEIRINグランプリ優勝者}}
{{日本選手権競輪優勝者}}
{{競輪祭優勝者}}
{{全日本選抜競輪優勝者}}
{{先代次代|[[SSカップみのり]]優勝者|2009年|[[手島慶介]]| [[新田祐大]] }}
}}
{{DEFAULTSORT:やまた ゆうし}}
[[Category:競輪選手]]
[[Category:馬主]]
[[Category:
[[Category:
[[Category:存命人物]]
[[Category:岐阜県出身の人物]]
[[Category:KEIRINグランプリ優勝者]]
[[Category:S級S班在籍経験者]]
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