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'''蓮生 郁代'''(はすお いくよ)は、[[日本]]の[[国際政治学者]]。専門は国際機構論。[[大阪大学]]大学院国際公共政策研究科教授。[[パリ政治学院]]客員教授、[[大阪府]]特別[[参与]]、[[大阪市]]特別参与、国立大学法人大阪大学副理事等も務める。
[[File:Joginder & Jaswant Singh 1962 Safari Rally VW Type 1.jpg|thumb|right|300px|ジョギンダ・シンのドライブする[[フォルクスワーゲン・ビートル]]・タイプ1([[1962年]])]]
'''サファリラリー'''([[英語]]:Safari Rally)とは、[[アフリカ]]の[[ケニア]]を中心に行なわれる[[ラリー]]イベント。現在は[[アフリカラリー選手権]] (<small>[[:en:African Rally Championship|英語]]</small>) の一戦だが、2002年までは[[世界ラリー選手権]] (WRC) の一戦に含まれていた。
 
== 概要人物 ==
1986年[[一橋大学]][[法学部]]卒業、[[日本興業銀行]](現[[みずほ銀行]])入行。1988年[[フレッチャー法律外交大学院]][[修士課程]]修了、[[修士]]。1993年[[国際連合教育科学文化機関]]職員、2005年国際連合教育科学文化機関シニア・コンサルタント。2007年[[一橋大学]]大学院[[法学研究科]]博士課程修了、[[博士(法学)]]<ref name ="prof">[http://www2.osipp.osaka-u.ac.jp/~hasuo/profile.html 「プロフィール」]</ref>。
[[1953年]]、[[東アフリカ]]の[[イギリス]][[植民地]]において[[エリザベス2世]]の即位を記念して初開催された、歴史の長いラリーである。アマチュアイベントから国際的なラリーへと発展し、[[ラリー・モンテカルロ]]、[[ウェールズ・ラリーGB|RACラリー]]と共に「'''世界三大ラリー'''」と称されていた。
 
[[コロンビア大学]]国際機構研究所[[客員研究員]]を経て、2007年[[国際連合大学]]コンサルタント兼[[大阪大学]]大学院国際公共政策研究科客員准教授、2008年大阪大学大学院国際公共政策研究科准教授。2011年[[パリ政治学院]][[客員教授]]。2014年[[大阪市]]特別[[参与]]、[[大阪府]]特別参与、グローバル・ガバナンス学会[[理事]]。2015年大阪大学大学院国際公共政策研究科教授。2017年国立大学法人大阪大学副理事、[[文部科学省]][[日本ユネスコ国内委員会]][[委員]]<ref name ="prof"/>。
例年[[復活祭]]にあわせて3月から4月にかけての時期に開催され、現地では[[乾季]]と[[雨季]]の変わり目に当たる。ケニアの首都[[ナイロビ]]をスタート/ゴール地点として、[[ビクトリア湖]]周辺のケニア、[[ウガンダ]]、[[タンザニア]]の3カ国を5日間で5000kmも走破した頃もあった。灼熱の大地では様々なトラブルが降りかかり、「カーブレイカーラリー」との異名をとる世界一過酷なラリーであった。(年によっては、完走率が15%を下回ることもあった。)
 
[[国際連合教育科学文化機関]]で勤務したことがあり、[[国際機構]]論の研究を行う。2007年に論文「国際連合のアカウンタビリティーの強化に向けて」で一橋大学博士(法学)の学位を取得。
かつてはマシンの信頼性が絶対条件とされていたが、時代が進むにつれ日程も距離も短縮され、他のWRCイベントのように秒単位で競い合うスプリントラリーへと変わっていった(2002年は3日間で2,431km<ref>"[http://web1.mitsubishi-motors.co.jp/motorsports/02wrc_j/kenya/release.htm 2002年世界ラリー選手権第8戦 2002年プロダクションカー世界ラリー選手権第5戦 【7月5日(金) 事前レポート】]". 三菱自動車.(2002年7月5日)2014年1月22日閲覧。</ref>)。オーガナイザーの財政難に加えて、イベントの特殊性や開催地の遠さが、コストダウンの名の下に各イベントの画一化を進める[[国際自動車連盟|FIA]]の意図に反することもあり、2002年を最後にWRCイベントから外された。
 
== 著作 ==
その後はアフリカラリー選手権のカレンダーで開催されているが、2007年と2009年は[[インターコンチネンタル・ラリー・チャレンジ]] (IRC) シリーズと併催された。また、1年おきに「イースト・アフリカン・サファリ・クラシック」という、1970年代とほぼ同じルートを使うクラシックラリーも開催されている。
=== 著書 ===
 
*『国連行政とアカウンタビリティーの概念』[[東信堂]] 2012年
== イベントの特殊性 ==
*『グローバル・ガバナンス学Ⅱ 主体・地域・新領域』(共著)[[法律文化社]] 2018年
=== コース ===
=== 論文 ===
コースとなる道路を完全閉鎖・管理することが不可能であるため、通常のラリーのような移動区間(リエゾン)や閉鎖区間([[スペシャルステージ]])が存在しない<ref>年によってはスーパースペシャルステージ (SSS) 的に設定されたことがある。</ref>。全行程がタイムコントロール (TC) 区間に区切られ、各TCごとに設定された目標時間に対して遅れた分のタイムが累積される。また、TCの中でもSSに相当する'''コンペティティヴ・セクション''' (CS) ではタイムアタックを行ない、これらの合計タイムで最終順位を決める<ref>"[http://www.mitsubishi-motors.com/motorsports/j/97wrc/97safari/release.html 1997世界ラリー選手権(WRC)第3戦 555サファリラリー ]". 三菱自動車.(1998年)2013年1月22日閲覧。</ref>。
*「国連とトランスペアレンシー・インターナショナル」日本国際連合学会『市民社会と国連.(国連研究 ; 第6号)』[[国際書院]],2005.51.
 
*「国際連合における行政監査機能の現状と課題--国連イラク石油食料交換計画にみる制度的課題」『一橋法学』 4(3) [2005.11]
灼熱の[[サバンナ]]を行く未舗装路は乾燥して砂埃がひどく、固く乾いた路面のせいでサスペンションやタイヤにかかる負担は大きい。しかし、雨が降ればたちまち泥濘と化し、スタックする車両が続出する。
*「書評論文 国際連合とアメリカ--アメリカの単独行動主義の挑戦を受けた多国間主義の未来 最上敏樹著『国連とアメリカ』 エドワード・ラック著『混在する言説と政策--アメリカ政治と国際組織、1919-1999年』 フィリス・ベニス著、南雲和夫/中村雄二訳『国連を支配するアメリカ--超大国がつくる世界秩序』」『国際政治』 (通号 144) [2006.2]
 
*「国際連合とグローバル・ガバナンス--国際連合における管理型アカウンタビリティーの概念の次元」『一橋法学』. 5(2) [2006.7]
70km以上も直線が延々と続く名物セクションがあり、WRC各イベント中でもっとも最高速が必要とされるのはこのイベントであった。最高速は1986年の[[トヨタ・セリカ]]TCT (TA64) のマークした250km/h以上とされる。サファリがWRCから外された2003年以降、200km/h以上で走り続ける必要がなくなった各ワークスは、ダウンフォース増強などによるコーナリングスピード向上に走った。通称「本棚ウィング」の始まりである。
*「国連の行政改革の行方--新公共経営論導入上の課題 (特集 国連加盟50周年 日本が描く国連新時代) 」『外交フォーラム』 20(1) (通号 222) [2007.1]
 
*「書評 Edward C. Luck, UN Security Council: Practice and Promise」『国際安全保障』35(4) (通号 139) [2008.3]
=== 装備 ===
*“A Ladder of Accountability – Analysis of Subconcepts of Managerial Accountability in the United Nations,”in Sumihiro Kuyama and Michael Fowler, eds., ''Envisioning Reform: Enhancing UN Accountability in the Twenty-first Century'', (United Nations University Press, 2009), pp.174-190.
[[File:Toyota Celica rally.jpg|thumb|250px|right|サファリラリー仕様の[[トヨタ・セリカ]]。シュノーケルや補助灯、アニマルバーが装着されている。]]
*「アカウンタビリティーの意味--アカウンタビリティーの概念の基本的構造」『国際公共政策研究』14(2) (通号 26) [2010.3]
「サファリ仕様」と言われる大幅な改造が許された。野生動物との接触時にラジエーターを壊さないためのアニマルバー<ref>ラジエーターは通常車両前部に置かれ、壊れることは水冷エンジンにとってはリタイアを意味する。</ref>、雨季の開催では泥の川と化すコースで、エンジンに水を吸い込まないためのシュノーケル(吸排気口を屋根まで伸ばせる)、スペアタイヤを通常より多く積むことができる、など多岐にわたる。他のグラベルイベントでは有効であるパンクレスタイヤの一種ムースタイヤは、高温になり内圧が上がりすぎるため、サファリでは使用できなかった。
*「アカウンタビリティーと責任の概念の関係―責任概念の生成工場としてのアカウンタビリティーの概念」『国際公共政策研究』15巻2号、2011年、1-17頁
 
*「国連安保理改革とアカウンタビリティーの概念の歴史的変容―プラグマティックな多元的統制メカニズムの構築へ―」『国際政治』185号、2016年、126-140頁
スペシャルステージがないため、ドライバーには[[レーシングスーツ|耐火スーツ]]や[[手袋|グローブ]]、[[ヘルメット]]の装着義務がない。車内温度はときに50℃を超えるこのイベントで、ドライバー達はTシャツ・短パンに[[ヘッドセット]]をしただけの姿で競技していた。
**他多数
 
{{Normdaten}}
1970年代のサファリでは車体の改造だけでなくチームによっては河川超えのリード用に滑車とロープを積み込んだり、河川水量やマディ路面のグリップ加減によっては現地人の協力で車のトランクにそのまま乗って浮力で浮かんでしまうリアのトラクションを稼ぐ等と言った行為や、元からオーバーヒート気味になり易いマシンでは数日間炎天下を走り、ラジエータが空になった時はレインコートで水を汲んで補充する事<ref>三栄ムック ラリーカーズ Vol.1 Lanchia Stratos HF「ピエロ・ソダーノ」より抜粋参考。</ref>もチームによっては珍しくはなく、当時はドライバーサイドも現地対応で苦労させられていたようである。
 
{{DEFAULTSORT:はすお いくよ}}
=== サポート体制 ===
[[Category:日本の政治学者]]
サービスパーク制導入以前の、ほぼどこででもサービスができた時代、ワークスチームではイベントごとにサポートカーなど含めて数十台の車両を用意しなければならなかった。このイベントは開催地が遠いのみならず交通の便が悪いため、輸送の負担を少しでも軽減するため競技車両と同じ車両で[[レッキ]](事前の下見走行)ができた<ref>これは、過酷な道路事情より通常の[[グループN]]相当のレッキ車では、レッキの完了が危うい為でもある</ref>。他イベントではレッキに競技車両と同一仕様の車両を使う事は現在では許されていない。
[[Category:国際関係研究者]]
 
[[Category:国際連合の職員]]
コースの閉鎖が成されていないため、コースには対向車のみならず、歩行者も現れる。それらとの事故を避けるため、上空に軽飛行機やヘリコプターと飛ばし、競技者にコース状況を伝える事も認められている。また、地上付近を飛行して、コース上にいる動物を排除するという仕事も請け負う。
[[Category:パリ政治学院の教員]]
 
[[Category:大阪大学の教員]]
== 日本勢の参戦 ==
[[Category:存命人物]]
このラリーには、自社製品の耐久性の高さをアピールするため、日本の自動車メーカーの海外輸出が本格した[[1960年代]]以降に日本メーカーはこぞって参戦した。[[日産自動車|日産]]や[[トヨタ自動車|トヨタ]]、[[ダイハツ工業|ダイハツ]]が好成績を修め、WRCで活躍した[[富士重工業|スバル]]や[[三菱自動車|三菱]]も参戦しており、[[ダカール・ラリー]]と並び(WRCというシリーズ以上に)日本での知名度は高く、映画の題材などにもなった。
[[Category:みずほフィナンシャルグループの人物]]
 
[[Category:一橋大学出身の人物]]
=== 日産 ===
[[Category:タフツ大学出身の人物]]
[[File:Nissan BlueBird P510.JPG|thumb|right|250px|510型ブルーバード]]
[[Category:パリ大学出身の人物]]
[[File:Nissan FairladyZ S30 rallycar.JPG|thumb|right|250px|S30型フェアレディZ]]
*[[1963年]] [[日産自動車|日産]]は、市販車の性能を海外の車種レベルに引き上げることを目的とし、WRCの誕生するより前からサファリラリーへの参戦を開始した。当時日本車はまだ国際的な認知も低く一流ドライバーとは契約は出来なかった。その為、監督は実験部部長の[[笠原剛三]]、ドライバーは実験部所属の[[難波靖治]](後のラリーチーム監督、[[ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル|ニスモ]]初代社長)をはじめとした社員ドライバーいう体制で挑んだ。
*[[1966年]] 日産は[[日産・ブルーバード|ブルーバード]]410でクラス優勝を果たす。監督の笠原はこの時の記録を「栄光への5000キロ―東アフリカ・サファリ・ラリー優勝記録」という書籍にまとめた。ベストセラーとなり、[[石原裕次郎]]主演で「[[栄光への5000キロ]]」の題名で映画化もされた。
*[[1969年]] 日産ブルーバード510で総合3位、Dクラス優勝とチーム優勝を獲得した。(1位はフォード 2位はボルボ)
*[[1970年]] 日産ブルーバード510は 総合優勝の1位のほか2位4位7位に入り、クラス優勝、チーム優勝とサファリラリー史上初の完全制覇を成し遂げた。
*[[1971年]] 510つぶしの意図から、ルート変更により高速ルートが増えた為、意表を突いて1.6Lのブルーバードから[[日産・フェアレディZ|フェアレディ]]240Zに変更し、総合で1位2位7位となる。3位のプジョーは2位のフェアレディZから5時間以上の遅れとなる日産の圧勝となった。
*[[1972年]] 日産フェアレディ240Zは5位6位に終わる。1位フォード2位ポルシェ3位フォード。
*[[1973年]] 日産はフェアレディ240Zとブルーバード610で挑み1位2位4位を獲得し総合優勝。3位はプジョー。この年に起きたオイルショックと国内排気ガス規制対応の為、日産のラリー活動は一旦停止される。
 
=== 三菱 ===
日産と激しく覇権を争ったのは、パリ・ダカールラリー同様三菱であった。前年にサザンクロスラリーで1~4位を独占する圧勝を示したランサー1600GRSは、サファリラリーにスポット参戦する形で1974年にWRC初登場。わずか1600ccでありながら2600ccのポルシェ911などを相手に見事なデビューウィンを飾った。このランサーは1977年までスポット参戦し、1976年に再びサファリを制した<ref>[http://www.mitsubishi-motors.co.jp/motorsports/history_j/70s_j/lancer_1600gsr.htm 三菱自動車 モータースポーツヒストリー ランサー 1600GSR]</ref>。
 
その後三菱がサファリで勝利を得るのは1996年の[[トミ・マキネン]]の[[ランサーエボリューション]]によるもので、実に20年ぶりとなるものだった。1998年に[[リチャード・バーンズ]]、そして2001年のトミ・マキネンの勝利が三菱の最後のサファリ勝利となった。
 
=== トヨタ ===
WRC誕生時からWRCに参戦し、数々のラリーで優勝をしてきたトヨタだが、サファリで優勝したのは1984年の[[ビョルン・ワルデガルド]]のドライブする[[セリカ]]ツインカムターボが初である。このとき①初参加チームによる総合優勝②ターボエンジン搭載マシンの優勝③第1セクションをリードした車による優勝④ヨーロッパ人のサファリ複数制覇という四つの新記録を同時に樹立している<ref>[https://www.toyota.co.jp/jpn/company/history/75years/data/automotive_business/products_technology/motor_sports/index.html トヨタ自動車75年史 モータースポーツ活動の変遷]</ref>。以降トヨタは1986年までセリカでサファリを3連覇した。またサファリにおけるワルデガルドとトヨタは相性が良く、この組み合わせで1984、1986、1990年と通算3勝を記録している。
 
1992年から1995年もやはりセリカで、日産(ダットサンを含む)以来の4連覇を達成した。
 
なお1995年の優勝者は日本人初かつ唯一のサファリ優勝となる[[藤本吉郎]]だが、このときはWRCではなくFIA2リッターワールドカップ(<small>[[:en:FIA 2-Litre World Rally Cup|英語]]</small>)としての開催だった。
 
=== スバル ===
WRCの主要マニュファクチャラーであったスバルだが、その形成にはサファリラリーへの挑戦が大きく関わっている。
 
挑戦初年度の[[1980年]]は、4WD、1600ccの「スイングバック」を平林武/カーン組が総合18位、グループ1優勝に導き、[[レオーネ4WDRX]]のデビューとなった1983年には、[[高岡祥郎]]/[[砂原茂男]]組が、当時の日本人WRC入賞最上位となる、総合5位でフィニッシュした。
 
その後、[[1988年]]にスバルのモータースポーツ部門、[[スバルテクニカインターナショナル|STI]]が設立され、[[1990年]]から[[スバル・レガシィ|レガシィRS]]によるWRC本格参戦がスタートした。ラリーカーの開発・チーム運営は、[[アリ・バタネン]]と組み[[コ・ドライバー]]として世界タイトルを獲た経験もある[[デビッド・リチャーズ]]率いる[[プロドライブ]]が担当しているが、サファリへの参戦は、従来通り日本のSMSG(スバル・モーター・スポーツ・グループ)から行われていた(96年からはプロドライブも参戦)。
レガシィによる参戦初年は、アフリカ人ドライバーの[[パトリック・ジル]]が同ラリー初となるGr.Nでの完走を果たし、スバルとしては、その後7年に渡りクラス制覇を成す。
 
1993年にはレガシィではなく、[[グループA]]仕様の[[スバル・ヴィヴィオ|ヴィヴィオ4WD]]を走らせた。チームは[[コリン・マクレー]]には「とにかく他チームの前を走れ」、しばしば各社ワークスの助っ人としてサファリを走った地元ドライバー、[[パトリック・ジル]]には「なにがなんでも完走しろ」とオーダーを出した。マクレーは車を壊してリタイアとなったものの眼を見張るスピードを見せ、ジルは見事完走し総合12位、グループAクラス5優勝を遂げた(他に同一クラス車両は出走していないため、完走すなわちクラス優勝である)。
 
=== ダイハツ ===
[[ダイハツ]]のWRC挑戦はサファリラリーに[[シャレード]]を投入することが主であった。1984年から地元勢を中心にドライバーを起用して参戦、多くのクラス優勝を獲得した。
 
特に1993年のサファリでは、グループAクラス7の1リッター3気筒ディーゼルエンジンを搭載したシャレードGTXXが、排気量で1リッター以上上回る最高クラスのマシンを相手に奮闘、セリカの1~4位に次ぐ総合5-6-7位という記録を残した。
 
== 地元勢の活躍 ==
[[File:The Singh brothers & Volvo PV 544 Safari Rally 1965 003.jpg|thumb|150px|1965年、ボルボ・PV544で優勝したジョギンダ・シン]]
サファリで活躍する地元勢として[[ジョギンダ・シン]]、[[シェカー・メッタ]]らがおり、世界の強豪メーカーへ対向するもまだ熟成の進んでいないスポット参戦の日本メーカー勢は起用しつづけ、地の利を活かす様になる。
また、メッタは5回優勝([[1973年]]、[[1979年]]-[[1982年]])と言う金字塔を打ち立てている。
 
[[1965年]]、ジョギンダ・シンが[[ボルボ・PV444/544|ボルボ・PV544]]を駆り初優勝するが、この時にシンが駆っていたPV544は前年、ボルボ・ワークスが駆って大破させたマシンを[[ケニア]]に残して行ったものであり、シンによって修復されたマシンを駆っての優勝であった。<ref>[[三栄書房]]「ラリー&クラシックス Vol.4 ラリーモンテカルロ 100年の記憶」内「ラリーモンテカルロ・ヒストリック マシン総覧」より抜粋、参考。</ref>
 
== ヨーロッパ勢、スペシャリストの活躍 ==
[[File:Porsche 911 SC 3.0 Martini (213).jpg|thumb|right|200px|1978年ポルシェ911SC3.0(ビヨン・ワルデガルド車)]]
その他、70年代より[[ランチア]]や[[ポルシェ]]等のワークスで活躍していたスペシャリストが1990年代初めごろまで存在しており中でも[[ビョルン・ワルデガルド|ビヨン・ワルデガルド]]は1974、77、84、86、90年に優勝。そこから2002年のWRC戦内では続いて[[コリン・マクレー]]、[[ユハ・カンクネン]]が3勝している。
 
チームのサポート体制は70年代を見てみると、ランチアチームのサポートカー(ベータ・クーペ等)に現地民から投石され、ウインドウを割られる事<ref>ラリー・モンテカルロの「[[%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%AD#.E6.A6.82.E8.A6.81|雪塊]]」のような贔屓。</ref>もしばしばあり、[[ランチア・ストラトス]]で長丁場であるサファリを攻略する事から、他チームよりステージ内サービス(当時は路上でのサービスが許されていた)、ヘリコプター・セスナの数をチームの独断で増やしたことから他チームよりクレームがつくほどであった。
 
== 1970年から2002年の優勝者 ==
[[File:Peugeot 504 02.jpg|thumb|right|200px|1978年優勝J-P・ニコラが駆ったプジョー504V6クーペ]]
[[File:IAA2007 2007-09-17 16-40-15 - Flickr - Axel Schwenke.jpg|thumb|right|200px|1983年優勝アリ・バタネンが駆ったオペル・アスコナ400]]
[[File:Toyota Celica 1984 Group B.jpg|thumb|right|200px|1984年優勝ビヨン・ワルデガルドが駆ったトヨタ・セリカTCT]]
[[File:Lancia_Delta_Integrale_-_Flickr_-_andrewbasterfield.jpg|thumb|right|200px|1991年優勝ユハ・カンクネンが駆ったランチア・デルタHFインテグラーレ16v]]
 
<ref>全体的に[http://www.rallybase.nl/index.php?type=rally&rallytype=Ken rallybase.nl Safari Rally Roll of Honour]参考。2012年9月1日参照。</ref>
:{|class="wikitable" style="font-size:80%;"
! 年
! ドライバー/コ・ドライバー
! 搭乗車
! チーム
|-
| [[1970年]]
| {{flagicon|KEN}} [[エドガー・ヘルマン]]/<br />{{flagicon|GER}} [[ハンス・シューラー]]
| [[%E6%97%A5%E7%94%A3%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%89#3.E4.BB.A3.E7.9B.AE_510.E5.9E.8B.E7.B3.BB.EF.BC.881967.E5.B9.B4_-_1972.E5.B9.B4.EF.BC.89|ダットサン・510SSS]]
| [[ダットサン]]
|-
| [[1971年]]
| {{flagicon|KEN}} エドガー・ヘルマン/<br />{{flagicon|GER}} ハンス・シューラー
| [[%E6%97%A5%E7%94%A3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%83%87%E3%82%A3Z#.E5.88.9D.E4.BB.A3_S30.E5.9E.8B.E7.B3.BB.EF.BC.881969.E5.B9.B4_-_1978.E5.B9.B4.EF.BC.89|日産・240Z]]
| ダットサン
|-
| [[1972年]]
| {{flagicon|FIN}} [[ハンヌ・ミッコラ]]/<br />{{flagicon|SWE}} [[グンナー・パウム]]
| [[%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%88#.E3.83.9E.E3.83.BC.E3.82.AF1_.281968.E2.80.931974.29|フォード・エスコートRS1600]]
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|-
| {{WRC|1973}}
| {{flagicon|KEN}} [[シェカー・メッタ]]/<br />{{flagicon|KEN}} [[ロフティ・デレウス]]
| 日産・240Z
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| {{WRC|1974}}
| {{flagicon|KEN}} [[ジョギンダ・シン]]/<br />{{flagicon|KEN}} [[デビット・ドイグ]]
| [[%E4%B8%89%E8%8F%B1%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%BC#.E5.88.9D.E4.BB.A3.EF.BC.881973.E5.B9.B4-1979.E5.B9.B4.5B1.5D.EF.BC.89|三菱・ランサー]]
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| {{WRC|1975}}
| {{flagicon|SWE}} [[オヴェ・アンダーソン]]/<br />{{flagicon|SWE}} [[アーネ・ハーツ]]
| [[%E3%83%97%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%83%BB504|プジョー・504]]
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| {{WRC|1976}}
| {{flagicon|KEN}} ジョギンダ・シン/<br />{{flagicon|KEN}} デビット・ドイグ
| [[%E4%B8%89%E8%8F%B1%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%BC#.E5.88.9D.E4.BB.A3.EF.BC.881973.E5.B9.B4-1979.E5.B9.B4.5B1.5D.EF.BC.89|三菱・ランサー]]
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| {{WRC|1977}}
| {{flagicon|SWE}} [[ビョルン・ワルデガルド|ビヨン・ワルデガルド]]/<br />{{flagicon|SWE}} [[ハンス・ソルセリウス]]
| [[%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%88#.E3.83.9E.E3.83.BC.E3.82.AF1_.281968.E2.80.931974.29|フォード・エスコートRS1800]]
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| {{WRC|1978}}
| {{flagicon|FRA}} [[ジャン=ピエール・ニコラ]]/<br />{{flagicon|FRA}} [[ジャン=クロード・レフェブル]]
| [[%E3%83%97%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%83%BB504|プジョー・504 V6クーペ]]
|
|-
| {{WRC|1979}}
| {{flagicon|KEN}} シェカー・メッタ/<br />{{flagicon|KEN}} [[マイク・ドゥーティー]]
| [[%E6%97%A5%E7%94%A3%E3%83%BB%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88#2.E4.BB.A3.E7.9B.AE_A10.E5.9E.8B.E7.B3.BB.EF.BC.881977.E5.B9.B4_-_1981.E5.B9.B4.EF.BC.89|ダットサン・160J]]
| ダットサン
|-
| {{WRC|1980}}
| {{flagicon|KEN}} シェカー・メッタ/<br />{{flagicon|KEN}} マイク・ドゥーティー
| ダットサン・160J
| ダットサン
|-
| {{WRC|1981}}
| {{flagicon|KEN}} シェカー・メッタ/<br />{{flagicon|KEN}} マイク・ドゥーティー
| [[%E6%97%A5%E7%94%A3%E3%83%BB%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88#2.E4.BB.A3.E7.9B.AE_A10.E5.9E.8B.E7.B3.BB.EF.BC.881977.E5.B9.B4_-_1981.E5.B9.B4.EF.BC.89|ダットサン・バイオレットGT]]
| ダットサン
|-
| {{WRC|1982}}
| {{flagicon|KEN}} シェカー・メッタ/<br />{{flagicon|KEN}} マイク・ドゥーティー
| [[%E6%97%A5%E7%94%A3%E3%83%BB%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88#2.E4.BB.A3.E7.9B.AE_A10.E5.9E.8B.E7.B3.BB.EF.BC.881977.E5.B9.B4_-_1981.E5.B9.B4.EF.BC.89|日産・バイオレットGT]]
| [[日産自動車|日産]]
|-
| {{WRC|1983}}
| {{flagicon|FIN}} [[アリ・バタネン]]/<br />{{flagicon|GBR}} [[テリー・ハリマン]]
| [[%E3%82%AA%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%8A#.E3.82.A2.E3.82.B9.E3.82.B3.E3.83.8A400|オペル・アスコナ400]]
| [[オペル|ロスマンズ・オペル ラリーチーム]]
|-
| {{WRC|1984}}
| {{flagicon|SWE}} ビヨン・ワルデガルド/<br />{{flagicon|SWE}} [[ハンス・ソルセリウス]]
| [[%E3%83%88%E3%83%A8%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%83%AA%E3%82%AB#.E3.82.B0.E3.83.AB.E3.83.BC.E3.83.97B|トヨタ・セリカTCT]]
| [[ウエストランド・モータース]]
|-
| {{WRC|1985}}
| {{flagicon|FIN}} [[ユハ・カンクネン]]/<br />{{flagicon|GBR}} [[フレッド・ギャラガー]]
| トヨタ・セリカTCT
| ウエストランド・モータース
|-
| {{WRC|1986}}
| {{flagicon|SWE}} ビヨン・ワルデガルド/<br />{{flagicon|GBR}} フレッド・ギャラガー
| トヨタ・セリカTCT
| [[トヨタ・モータースポーツ|トヨタ・チーム・ヨーロッパ]]
|-
| {{WRC|1987}}
| {{flagicon|FIN}} ハンヌ・ミッコラ/<br />{{flagicon|SWE}} [[アーネ・ハーツ]]
| [[アウディ・200|アウディ・200クワトロ]]
| [[アウディ|アウディ・スポーツ]]
|-
| {{WRC|1988}}
| {{flagicon|ITA}} [[ミキ・ビアシオン]]/<br />{{flagicon|ITA}} [[ティツィアーノ・シビエロ]]
| [[%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%81%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%AB%E3%82%BF#HF_Integrale|ランチア・デルタHFインテグラーレ]]
| [[ランチア|マルティーニ・ランチア]]
|-
| {{WRC|1989}}
| {{flagicon|ITA}} ミキ・ビアシオン/<br />{{flagicon|ITA}} ティツィアーノ・シビエロ
| ランチア・デルタHFインテグラーレ
| マルティーニ・ランチア
|-
| {{WRC|1990}}
| {{flagicon|SWE}} ビヨン・ワルデガルド/<br />{{flagicon|GBR}} [[フレッド・ギャラガー]]
| [[%E3%83%88%E3%83%A8%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%83%AA%E3%82%AB#4.E4.BB.A3.E7.9B.AE_T160.E5.9E.8B.EF.BC.881985.E5.B9.B4-1989.E5.B9.B4.EF.BC.89|トヨタ・セリカGT-FOUR]]
| [[トヨタ|トヨタ・チームケニア]]
|-
| {{WRC|1991}}
| {{flagicon|FIN}} ユハ・カンクネン/<br />{{flagicon|FIN}} [[ユハ・ピロネン]]
| [[%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%81%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%AB%E3%82%BF#HF_Integrale_16v|ランチア・デルタHFインテグラーレ16v]]
| マルティーニ・ランチア
|-
| {{WRC|1992}}
| {{flagicon|SPA}} [[カルロス・サインツ]]/<br />{{flagicon|SPA}} [[ルイス・モヤ]]
| [[%E3%83%88%E3%83%A8%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%83%AA%E3%82%AB#5.E4.BB.A3.E7.9B.AE_T180.E5.9E.8B.EF.BC.881989.E5.B9.B4-1993.E5.B9.B4.EF.BC.89|トヨタ・セリカターボ4WD]]
| トヨタ・チームケニア
|-
| {{WRC|1993}}
| {{flagicon|FIN}} ユハ・カンクネン/<br />{{flagicon|FIN}} ユハ・ピロネン
| トヨタ・セリカターボ4WD
| トヨタ・カストロールチーム
|-
| {{WRC|1994}}
| {{flagicon|KEN}} [[イアン・ダンカン]]/<br />{{flagicon|KEN}} [[デイビッド・ウイリアムソン]]
| トヨタ・セリカターボ4WD
| トヨタ・カストロールチーム
|-
| [[1995年|1995]]
| {{flagicon|JPN}} [[藤本吉郎]]/<br />{{flagicon|SWE}} アーネ・ハーツ
| トヨタ・セリカターボ4WD
| トヨタ・カストロールチーム
|-
| {{WRC|1996}}
| {{flagicon|FIN}} [[トミ・マキネン]]/<br />{{flagicon|FIN}} [[セッポ・ハルヤンヌ]]
| [[%E4%B8%89%E8%8F%B1%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%82%A8%E3%83%9C%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3#.E3.83.A9.E3.83.B3.E3.82.B5.E3.83.BC.E3.82.A8.E3.83.9C.E3.83.AA.E3.83.A5.E3.83.BC.E3.82.B7.E3.83.A7.E3.83.B3III|三菱・ランサーエボリューションⅢ]]
| [[ラリーアート|チーム三菱・ラリーアート]]
|-
| {{WRC|1997}}
| {{flagicon|GBR}} [[コリン・マクレー]]/<br />{{flagicon|GBR}} [[ニッキー・グリスト]]
| [[%E3%82%B9%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%B5#.E5.88.9D.E4.BB.A34.E3.83.89.E3.82.A2.E3.83.BB.E3.82.B0.E3.83.AB.E3.83.BC.E3.83.97A.EF.BC.881993.E5.B9.B4_-_1996.E5.B9.B4.EF.BC.89|スバル・インプレッサWRC]]
| 555スバル・ワールドラリーチーム
|-
| {{WRC|1998}}
| {{flagicon|GBR}} [[リチャード・バーンズ]]/<br />{{flagicon|GBR}} [[ロバート・レイド]]
| [[三菱・ランサーエボリューション|三菱・カリスマGT エボリューションIV]]
| チーム三菱・ラリーアート
|-
| {{WRC|1999}}
| {{flagicon|GBR}} コリン・マクレー/<br />{{flagicon|GBR}} ニッキー・グリスト
| [[フォード・フォーカスWRC]]
| フォード
|-
| {{WRC|2000}}
| {{flagicon|GBR}} リチャード・バーンズ/<br />{{flagicon|GBR}} ロバート・レイド
| スバル・インプレッサWRC
| スバル・ワールド・ラリーチーム
|-
| {{WRC|2001}}
| {{flagicon|FIN}} トミ・マキネン/<br />{{flagicon|FIN}} [[リスト・マニセンマキ]]
| 三菱・ランサーエボリューション6.5
| マールボロ・三菱・ラリーアート
|-
| {{WRC|2002}}
| {{flagicon|GBR}} コリン・マクレー/<br />{{flagicon|GBR}} ニッキー・グリスト
| フォード・フォーカスWRC
| フォード
|-
|}
※1973年以降WRCイベントとして開催。1995年はFIA 2リッターワールドカップのみ。
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
 
== 関連項目 ==
{{commonscat|Safari Rally}}
*[[モータースポーツ]]
*[[栄光への5000キロ]] -[[石原裕次郎]]主演の[[映画]]。
*[[大都技研 | エーアイ]] -サファリラリーをテーマにした[[パチスロ]]を製作。
 
{{世界ラリー選手権のイベント}}
{{モータースポーツ}}
{{Motorsport-stub}}
 
{{DEFAULTSORT:さふありらりい}}
[[Category:ラリー競技会]]
[[Category:世界ラリー選手権]]
[[Category:ケニアのモータースポーツ]]