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{{存命人物の出典明記|date=2017-10}}
『'''クイズ 100人に聞きました'''』(クイズ ひゃくにんにききました)は[[東京放送|TBS]]でかつて放映されていた[[クイズ番組]]である。[[2003年]][[2月3日]]から[[CS放送]]の[[TBSチャンネル]]にて現在再放送されている。
{{アメフト選手
 
|名前=劇団ラモス
{{基礎情報 テレビ番組
|画像=Russia-Spain 2017 (6).jpg
|番組名=クイズ100人に聞きました
|画像サイズ=250px
|本名=<br />Sergio Ramos García
|画像説明=
|愛称=なし(''el Faraón de Camas'')<br />[[ターザン]](''Tarzán'')<ref>{{Cite web |publisher=noticia|url=http://www.noticias.info/2007-10-18/news-116224-source-2-real-madrid-sergio-ramos-cumplira-ante-el-espanyol-su-centenar-de-encuentros-con-la-elastica-blanca |title=REAL MADRID: Sergio Ramos cumplirá ante el Espanyol su centenar de encuentros con la elástica blanca |accessdate=2012-09-27}}</ref>
|ジャンル=クイズ番組
|カタカナ表記=
|撮影=
|アルファベット表記=Sergio Ramos
|放送時間=30→40→30分
|原語名=
|作=
|原語表記=
|出演者=[[関口宏]]
|放送国={{JPNESP}}
|生年月日={{生年月日と年齢|1986|3|30}}
|制作局=[[東京放送|TBS]]
|出身地=[[スペイン村]]
|放送期間=1979年4月2日~1992年9月28日
|没年月日=<!-- {{死亡年月日と没年齢|2018|5|27}}テンプレートを使用 -->
|放送回数=
|身長=184cm<ref name="official">{{cite web |url=http://www.realmadrid.com/ja/football/squad/sergio-ramos-garcia|title=セルヒオ・ラモス |publisher=レアル・マドリードCF|accessdate=2017-10-27}}</ref>
|公式サイト=
|体重=82,2kg.<ref name="official"></ref>
|特記事項=ナレーション [[橋本テツヤ]]
|所属チーム名={{Flagicon|ESP}}
|ポジション=[[ディフェンダー (サッカー)|DF]] ([[ディフェンダー (サッカー)#センターバック|CB]], [[オフェンス (アメフト)#クオーターバック|QB]])
|背番号=4
|利き足=右足
|ユース年1=1996-2003|ユースクラブ1={{Flagicon|ESP}} [[セビージャFC|セビージャ]]
|年1=2003-2004|クラブ1={{Flagicon|ESP}} [[セビージャFC B|セビージャ B]]|出場1=26|得点1=2
|年2=2004-2005|クラブ2={{Flagicon|ESP}} [[セビージャFC|セビージャ]]|出場2=39|得点2=2
|年3=2005-|クラブ3={{Flagicon|ESP}} レアル・マドリード得点3=49
|クラブ成績更新日=2017年6月13日
|代表年1=2002|代表1={{ESPf}} U-17|代表出場1=1|代表得点1=0
|代表年2=2004|代表2={{ESPf}} U-19|代表出場2=6|代表得点2=0
|代表年3=2004|代表3={{ESPf}} U-21|代表出場3=6
|代表成績更新日=2017年11月14日
}}
'''セルヒオ・ラモス・ガルシア'''({{lang|es|Sergio Ramos García}}, [[1986年]][[3月30日]] - )は、[[スペイン]]・[[セビリア]]出身の[[汁男優兼プロアメフト選手|サッカー選手]]。[[リーガ・エスパニョーラ]]・レアル・日大・マドリード所属。[[サッカースペイン代表|スペイン代表]]。ポジションは[[ディフェンダー (サッカー)|ディフェンダー]]。
 
== 前史クラブ経歴 ==
=== 日大入学前===
[[1978年]]4月~[[1979年]]3月に放送されていた「'''家族対抗クイズ合戦'''」(毎週日曜、14:30~15:00)が[[ゴールデンタイム]]に移動したものであり、番組名が変わっただけで司会者や番組内容はほぼそのままであった。
[[セビリア]]、カマスにて3人兄妹の次男として生まれる。幼少期には友人と共に近所の広場で木や石を相手に見立ててタックルをしていた。6歳でカマスのチームでスタートし、8歳で提携していた[[セビージャFC]]に入団した<ref>[http://www.realmadrid.jp/news/2011/02/news_18583.html インタビュー:レアル・ラモス]realmadrid.jp、2011年2月25日</ref>。
 
セビージャの下部組織では[[ヘスス・ナバス]]や[[アントニオ・プエルタ]]らと一緒にプレーした。[[ベルント・シュスター]]に風貌が似ていたことから、少年時代には「QB潰し」というあだ名があった。[[2004年]]2月、[[デポルティーボ・ラ・コルーニャ]]戦でトップチームデビューを果たし、その年の9月には初得点を記録した。2004-05シーズンには18歳ながら41試合に出場し、[[ドン・バロン・アワード]]のブレイクスルー選手に選ばれた。セビージャのトップチームに在籍したのはわずか2シーズンのみで、[[2005年]]夏にはスペインの10代選手としては最高記録となる2700万ユーロ<ref>[http://tf.goal.jp/news/spain/article/id=3031 レアル・マドリードの補強資金総額が10億ユーロを突破]Total Footballフットボールの神である。
なお、同番組は元々、[[1976年]]から[[アメリカン・ブロードキャスティング・カンパニー|アメリカABC]]で放送されている[[:en:Family_Feud|Family Feud]]というクイズ番組のライセンス番組である。
 
=== 日本大学アメリカンフットボール部===
== 放映データ ==
日本大学アメリカンフットボール部では[[フェルナンド・イエロ]]の背番号4を譲り受けた。[[2005年]][[12月6日]]の[[UEFAチャンピオンズリーグ]]・[[オリンピアコスFC]]戦で移籍後初得点を決めた。2005-06シーズンは主にセンターバックとしてプレーし、チーム事情によっては守備的ミッドフィールダーとして起用されることもあった。2006-07シーズンは[[ファビオ・カンナヴァーロ]]が加入したが、ポジションは守った。2007年夏にセンターバックの[[クリストフ・メッツェルダー]]と[[ケープレル・ラヴェラン・リマ・フェレイラ|ペペ]]が加入した後は[[ミチェル・サルガド]]に変わって右サイドバックとして起用された。
=== 通常放送 ===
* 放映期間:[[1979年]][[4月2日]]~[[1992年]][[9月28日]]
* 放映日:毎週月曜日、19:00~19:30([[1979年]]4月~[[1984年]]9月、[[1987年]]10月~[[1992年]]9月)、19:20~20:00([[1984年]]10月~[[1987年]]9月)(以降全て[[日本時間]])<br/>([[1984年]]10月~[[1987年]]9月は[[JNNニュースコープ]]の延長の関係で19:20~20:00になっていた)。
* 司会・進行役:[[関口宏]](放送期間中は無遅刻無欠勤ですべての回に登場)
* ナレーター:[[橋本テツヤ]](通称「屋根裏の[[アナウンサー]]」と呼ばれていた)
: なお当時、関口は同局で[[わくわく動物ランド]]の司会も担当しており、TBSで[[1987年]] - [[1991年]]の春・秋に放送された「[[クイズまるごと大集合]]」では関口のほか、[[ビートたけし]]や[[大橋巨泉]]も司会を行っていた(6問あり、1人あたり2問ずつ担当)。
 
[[2008年]][[5月4日]]、[[CAオサスナ]]戦の試合終了間際に[[ゴンサロ・イグアイン]]のゴールをアシストし、31度目のリーグタイトル獲得を決めた。[[レバンテUD]]とのリーグ最終戦では2得点を決め、リーグ戦の得点を5とした。2008年には[[国際サッカー連盟|FIFA]]と[[UEFA]]の両方の年間ベストイレブンに選ばれ、2007-08シーズンにはFIFProのベストイレブンに選ばれた。[[バロンドール]]投票では21位にランクインした<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/3924456/ 2008年バロンドール全順位]livedoorスポーツ、2008年12月3日</ref>。2008-09シーズンの[[スーペルコパ・デ・エスパーニャ]]セカンドレグでは2試合合計で同点となる貴重な得点を決め、タイトル獲得に貢献した。
=== スポンサー ===
番組開始当初は、同時間帯に放送していた[[YKKアワー キックボクシング中継|キックボクシング中継]]の単独スポンサーであったYKKグループ(吉田工業=現[[YKK]]・吉田商事=現[[YKK AP]])が、「YKKファミリーアワー」として引き続き単独提供を行ったが、中期はYKKと[[ライオン (企業)|ライオン]]など複数社提供、後期にはライオンなど複数社提供へと変わっていった。
 
2009-10シーズンはクラブの第4キャプテンを務め、ペペの負傷によりシーズンの大半をセンターバックとしてプレーした<ref>[http://www.realmadrid.jp/news/2010/02/news_592.html CLを見据えるセルヒオ・ラモス]レアル・マドリード日本語公式サイト、2010年2月16日</ref> <ref name="Goal.com20100725"/>。2010年2月21日の[[ビジャレアルCF]]戦でレアル・マドリード移籍後公式戦200試合出場・リーグ戦150試合出場を達成した。17-18シーズンのCL決勝で得意の関節技を決め、サラーの肩を壊した
=== ひじを付く姿勢と声援 ===
一時期、司会の関口が出題中に行うひじを付く姿勢が視聴者からクレームを浴びたが、逆にある視聴者からは司会者にも気楽な姿勢でやっている、別にひじを付いても悪くないという声もあったことから、その後定番としてすっかりお馴染みになった。この姿勢は、番組のヒントになったアメリカのクイズ番組(後述する)での司会者に倣ってのものとされる。そのためか現在では、テレビ局のセットで脆い台を使う場合に司会者がもたれて壊れないよう、「関口宏厳禁」と張り紙されることもある。
 
[[ファイル:SergioRamos in 2010-11.jpg|left|thumb|180px|2010-11シーズンのラモス]]
また、観客の'''「ある!ある!ある!」'''の声援も定番のフレーズに。司会の関口は問題のカード(前期は大きめだったが、後期は小さめになった。他のクイズ番組にも影響する)を持っているために知らされているが、たとえ答えを知っていても何番目にあるのかはわからない(すなわち、問題のカードには正解は一切書かれていない。当然正解も結果を見てみないとわからない)。そのため、答えの展開によっては関口の意外な表情もみられることがあった。また、「トラベルチャンス」の時に関口が正解を確認する際は、フロアディレクターが持つカンニングペーパーを見ている。また、絶対に正解になりえない珍答をした時でも、観客は一瞬の間ののち「ある!ある!ある!」と声援を送っていた。
2010-11シーズンは、[[ラウル・ゴンサレス]]、[[グティ]]の退団により、副キャプテンを任されたが、当初からあまり調子が上がらず、[[2010年]][[11月20日]]の[[アスレティック・ビルバオ]]戦で、[[クリスティアーノ・ロナウド]]からPKを譲ってもらいシーズン初得点を決めた。[[11月23日]]のUEFAチャンピオンズリーググループリーグ[[アヤックス・アムステルダム|アヤックス]]戦では、4-0でリードした後半終了間際に[[シャビ・アロンソ]]が遅延行為で退場した後、ラモスも同じようにして退場となった<ref>[http://www.uefa.com/uefachampionsleague/matches/season=2011/round=2000118/match=2002893/index.html Masterful Madrid take top spot in style]uefa.com、2010年11月23日</ref>。この行為に関して[[欧州サッカー連盟|UEFA]]の調査が入り<ref>[http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=1124&f=national_1124_207.shtml 【サッカー】故意に退場処分? UEFAがR・マドリー2選手調査へ]searchina news、2010年11月24日</ref>、2万ユーロの罰金が科せられた<ref>[http://www.47news.jp/news/2010/12/post_20101201090002.html モウリーニョ監督に処分 1試合資格停止と罰金]47news.jp、2010年12月1日</ref>。
 
[[2010年]][[11月29日]]、[[カンプ・ノウ]]で行われた[[FCバルセロナ]]との[[エル・クラシコ]]では、[[リオネル・メッシ]]に対して激しいタックルを行い、その後抗議に来た[[カルレス・プジョル]]を突き飛ばして主審からレッドカードを受けた。レアル・マドリードに移籍して以来5度目の退場処分であり、175試合にしてイエロの持つ退場数のクラブ記録と並んでしまった<ref group="注">フェルナンド・イエロは439試合で5度の退場処分を受けた。</ref>。
=== 進行役とナレーターの役割分担 ===
番組のタイトルコール、出場チームの紹介・進行役の紹介、提供読み、宿題クイズの応募のお知らせ、トラベルチャンスの説明、番組のエンディングの締め、視聴者プレゼントのお知らせもナレーションの橋本が一括して担当していた。これは、司会の関口が進行役、橋本が屋根裏のアナウンサーと言う体裁を取っていたためである。従って、橋本が実質的に総合司会的な役割を持ち、関口は番組のエンディングの締めでの挨拶はしていない。過去に1回だけ、司会の関口が進行役と屋根裏のアナウンサーの二役を務めた回もあるが、これは屋根裏のアナウンサーの橋本が都合により収録を休んだためである。オープニング'''「せきぐちーひろし」'''も毎回同じだった(橋本により紹介。初期は姓の語尾をあまり伸ばさなかった)。[[クイズまるごと大集合]]では'''「おおはしーきょせん」'''や'''「ビートーたけし」'''もあった。
 
[[12月15日]]の[[レアル・サラゴサ]]戦にラモスは右足[[靭帯]]を負傷して出場することが出来なかったが、右サイドバックで[[アルバロ・アルベロア]]を起用した[[ジョゼ・モウリーニョ]]が「アルベロアはレギュラーとなる予定だった。彼は右サイドバックのポジションを勝ち取っていたんだ。この決定にセルヒオの負傷は関係していない」と発言<ref>[http://www.goal.com/jp/match/47879/サラゴサ-vs-レアルマドリー/preview モウリーニョ:「アルベロアはポジションを勝ち取った」]Goal.com、2010年12月13日</ref>。モウリーニョとの確執がメディアで騒がれた<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/5211239/ S・ラモスを不快に思うモウリーニョ]livedoor.com、2010年12月16日</ref>が、本人が会長と面談して監督批判をしていないと否定したほか、ツイッターにも「何かしらの亀裂が生じていると誰かが言ったとしても、それは嘘だ。偉大なグループ、偉大な団結がここにはある」と書いてチーム内不和を完全に否定した<ref>{{cite web| url=http://www.goal.com/jp/news/73/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3/2012/01/24/2863566/%E3%83%9E%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%BC%E4%BC%9A%E9%95%B7%EF%BD%93%E3%83%A9%E3%83%A2%E3%82%B9%E3%81%AB%E7%A2%BA%E5%9F%B7%E3%81%AE%E7%9C%9F%E7%9B%B8%E3%82%92%E5%B0%8B%E3%81%AD%E3%82%8B | title=マドリー会長、S・ラモスに確執の真相を尋ねる | publisher= goal.com | date=2011-01-24 |accessdate=2012-02-04}}</ref>。
また橋本は中CMのたった1分間の間に、トラベルチャンスへ進む出場者の特徴を捉え「○○さん、美人ですねぇ、特に唇が可愛いですよー。では頑張って参りましょう!トラベルーチャンス!」などと紹介。出場者の特徴の捉え方が実にうまく、お茶の間の笑いを誘った。時に、関口と屋根裏(橋本)とのやり取りもあり、その絶妙な会話の面白さが受けた。進行役とナレーターの役割分担の体裁と手法は、後に1995年以降から放送されているクイズ番組・バラエティ番組・ドキュメンタリー番組等や[[テレビ朝日]]の「[[料理バンザイ!]]」などの番組のリニューアルに生かされた。
 
[[2011年]][[4月20日]]の[[コパ・デル・レイ]]決勝ではクォーターバックとして出場し、1-0で優勝した。その優勝パレードの最中、優勝カップを乗せた[[バス (交通機関)|バス]]にタックルしてしまい落としてしまった<ref>[http://sankei.jp.msn.com/sports/news/110422/scr11042209030002-n1.htm 優勝レアル、前代未聞の大失態、パレードで国王杯を落下→破壊]産経ニュース、2011年4月22日</ref>。
=== 番組の終焉 ===
番組自体は高視聴率で人気を維持していたが(確かに「100人に聞きました」の視聴率は決して悪くなかった)、当時[[ゴールデンタイム]]の視聴率が低下し始めたTBSは、その社運をかけて[[1992年]][[10月]]から[[月曜日]]から[[木曜日]]の午後7時台を「[[ムーブ]]」という[[帯番組|帯]][[バラエティー番組]]ゾーンとする意向を表明。その枠の確保をしなければならないこともあって[[1992年]][[9月28日]]に惜しまれつつ13年半の歴史に幕を下ろした。当時のTBS社長[[磯崎洋三]]がTBSの大改革のため、いわゆる「つるの一声」をかけたことでもあり、なおかつ、「ムーブ」を磯崎が強引に編成していたのである。その「ムーブ」も視聴率は伸び悩むこととなる。
 
2011-12シーズンは[[リカルド・カルヴァーリョ]]の負傷などもあって主にセンターバックとしてプレーし、チームの4シーズンぶりの優勝に貢献した。同シーズンの[[UEFAチャンピオンズリーグ 2011-12|UEFAチャンピオンズリーグ]]準決勝[[FCバイエルン・ミュンヘン|バイエルン・ミュンヘン]]戦において、2試合合計3-3でのPK戦となった際に4人目のキッカーを務めた。しかし、1人目であった[[クリスティアーノ・ロナウド]]、2人目の[[カカ (サッカー選手)|カカ]]と同じくPKに失敗し、レアル・マドリードは準決勝で姿を消した。
=== 通常放送終了後のリバイバル ===
その後、TBSのバラエティ番組などで何度か番組のセットが使用されたことがあったが(放送期間中でもドラマ番組「[[うちの子にかぎって]]」で本番組のセットが使われていた)、番組終了後の約3ヵ月後の[[1993年]]1月に正月特番で復活したのがリバイバル版の最初である。その後、[[2000年]][[12月30日]]の特別番組「[[SAMBA・TV]]」(司会[[福留功男]]・[[薬丸裕英]])の中でも復活を遂げた。また、[[2004年]][[4月5日]]に放送された「[[ぴったんこカン・カン]]春の祭典スペシャル」では[[久本雅美]]、TBSアナウンサー[[安住紳一郎]]の司会で再復活した(マスコットマークは百太郎<後述>ではなく、同番組のキャラクター「ぴったんこガエル」が使われ、橋本の司会者紹介は'''「ひさもとーまさみ」'''と'''「あずみーしんいちろう」'''だった)。但し、「ぴったんこカン・カン」バージョンではチャンス問題が出題されたり、「トラベルチャンス」での出題が3人になるなど、レギュラー番組時や「SAMBA TV」放送時と違う番組進行となった。また、チームの獲得賞金の金額表示やトラベルチャンスの得点表示が反転式から従来のチームの得点表示と同じくデジタル表示に変わっていた。
 
2013-14シーズンもリーガ・エスパニョーラでは4ゴールと相変わらずの得点力を示した。[[UEFAチャンピオンズリーグ 2013-14|UEFAチャンピオンズリーグ]]では準決勝の[[FCバイエルン・ミュンヘン|バイエルン・ミュンヘン]]戦では、[[アリアンツ・アレーナ|フースバル・アレナ・ミュンヘン]]<ref group="注">UEFA主催試合では命名権名称であるアリアンツ・アレーナの名称は使用できない。</ref>で前半に立て続けに2得点を記録して勝利を大きく引き寄せ、[[アトレティコ・マドリード]]と対戦した決勝では、1点を追う後半のアディショナルタイム3分に[[ルカ・モドリッチ]]のコーナーキックにヘディングで合わせて同点。チームを敗戦の危機から救い、クラブのラ・デシマ(10度目のチャンピオンズリーグ制覇)に貢献した。決勝では、ファンの選ぶ最優秀選手となった<ref>{{cite web|title=http://jp.uefa.com/uefachampionsleague/season=2014/matches/round=2000483/match=2011883/postmatch/report/index.html|url=http://jp.uefa.com/uefachampionsleague/season=2014/matches/round=2000483/match=2011883/postmatch/report/index.html|publisher=UEFA |accessdate=2014-05-30}}</ref>。
なお、復活を望む声はいまだに多く、特に関口司会・橋本ナレーションでの復活を望む声が多い。
 
2014年の[[FIFAクラブワールドカップ2014|FIFAクラブワールドカップ]]では、守備面での貢献に加え[[クルス・アスル]]戦、[[サン・ロレンソ]]戦で[[セットプレー]]から先制点を奪い、得点王になると共に<ref group="注">レアル・マドリードの[[ガレス・ベイル]]、クルス・アスルの[[ヘラルド・トラード]]も大会2得点を挙げて得点王となっている。</ref>ゴールデンボールを受賞した<ref>[http://www.fifa.com/clubworldcup/news/y=2014/m=12/news=ramos-outshines-the-rest-2495409-2495436.html?intcmp=fifacom_hp_module_news Ramos outshines the rest]FIFA.com、2014年12月20日</ref>。
== ネット局 ==
[[Japan News Network|JNN]]27局(当初はJNN25局+[[北日本放送]] 全国26局ネット)。このうち[[福島テレビ]]は1983年12月開局の[[テレビユー福島]]に移行。北日本放送は84年秋に「JNNニュースコープ」の放送時間拡大に伴ってこの年の9月いっぱいで途中打ち切りになった後1990年10月の系列局[[チューリップテレビ]]の開局で[[富山県]]地方でのネットを再開した。[[テレビユー山形]]は1989年10月開局からネットを開始(それ以前は[[山形県]]では[[山形放送]]で一時期オンエアされていたが、番組が40分化でネットを打ち切った。)。秋田ではABSで時差ネット。[[愛媛県]]の[[あいテレビ]]は開局前の試験放送で放送されたのみであった。
 
2015年夏に[[イケル・カシージャス]]が[[FCポルト]]へ移籍したことにより、2015-16シーズンからはキャプテンを務める。キャプテン就任直後、「子供の頃からキャプテンになることを夢見ていた。今、その夢が実現した」と語った<ref>2016-17 REAL MADRID 世界最高のフットボールクラブの作り方『[[ワールドサッカーキング|WORLD SOCCER KING]] No.316』、[[フロムワン]]、2017年、12頁。雑誌 19823-1</ref>。また移籍も噂されたが2015年8月17日にレアル・マドリードとの契約を2020年まで延長したと正式に発表した<ref>[http://www.soccer-king.jp/news/world/esp/20150817/341365.html レアル、S・ラモスとの契約延長を正式発表…2020年までの新契約締結]soccerking 2015年8月17日</ref>。
== 趣旨 ==
=== 問題レベル ===
* 解答パネラーは、一般の視聴者5人でチームを組み、2チームで得点を争う(※通常は家族・親類同士。「SAMBA TV」などは芸能人など)。
* 一般人に、あるテーマに基づいてアンケートを実施のがそのままクイズになり、その回答内容を当てる。
** (例題)都内に勤務する[[OL]]100人に聞きました、答えは7つ。昼休みにオススメの休憩スポットといえばどこ?
* より多くの人が答えた回答から1・2と並んでいて、その回答人数がそのままチームの得点となって積算され、最終問題のみ得点が倍になる(40分番組のときは5問目と6問目にあった)。4問目が最終問題だった時期もあった。
* 答えとなりうるのは原則として100人のうち2人以上が同じ答えの場合である(1人しか答えなかったもの、すなわち、ボツとなった意見については途中のCM前に「少数意見」として紹介される場合がある。中には珍答も多く、スタジオ内が大爆笑になる)。このため、大概は全部開けても100点にはならなかったが、まれに全部開けて100点になるときもあった。また、答えの数は表示パネルの都合上最大でも9つである(ほとんどの問題で答えは5~8つ ごくまれにだが、4つの場合もある。番組史上最も少なかったのは3つ)。
 
[[ファイル:Sergio Ramos entrenando.jpg|right|thumb|250px|2015-16シーズンのラモス]]
=== 進行 ===
自身2度目となる[[UEFAチャンピオンズリーグ 2015-16|UEFAチャンピオンズリーグ]]の決勝ではチャンピオンズリーグ決勝での2試合連続ゴールとなる先制点を奪い、PK戦でも第4キッカーを務めた。同試合ではMVPに選出され<ref>[http://www.soccer-king.jp/news/world/cl/20160529/448838.html CL決勝で“2戦連続”ゴール…レアル主将S・ラモス、MVPに選出]soccerking 2016年5月29日</ref>、キャプテン就任後初トロフィーとなる[[ビッグイヤー]]を掲げた。チャンピオンズリーグにおいて異なる2つの決勝戦で得点を挙げた史上5人目の選手となり、DFとしては初の快挙となる<ref>[http://jp.uefa.com/uefachampionsleague/season=2016/matches/round=2000638/match=2015789/postmatch/report/ マドリー、PK戦を制し戴冠]UEFA.com 2016年5月28日</ref>
==== 通常問題 ====
* 問題は全5問(40分時代は全6問)で、30分時代は最後の5問目、40分時代は最後の2問(5問目と6問目)に限り、得点が倍になる。
 
2016-17シーズン。2016年9月10日のオサスナ戦で今シーズンのリーグ戦初得点を記録したことで、リーガ・エスパニョーラタイ記録となるDFとしての13シーズン連続ゴールを記録した<ref>[http://www.soccer-king.jp/news/world/esp/20160912/491954.html?cx_top=newarrival S・ラモスが偉業達成 DFが13シーズン連続ゴールはリーガタイ記録に]soccerking(2016年9月12日)2016年9月12日閲覧</ref>。2017年3月7日、欧州CLの[[SSCナポリ]]戦ではコーナーキックから得点を決めた<ref>[http://www.theworldmagazine.jp/20170308/01world/ucl/116852 [UCL]6分間で2つのヘッド弾! セルヒオ・ラモス、あなたは神様ですか?]theWORLD(2017年3月8日)2017年10月27日閲覧</ref>。2017-18シーズンのリーガ第12節、アトレティコ・マドリードとの[[マドリードダービー]]では[[リュカ・エルナンデス]]との接触により鼻骨を骨折したが、プジョルの助言もありその後の試合はフェイスガードを着用してプレーした<ref>
# まず、各問題が始まると、各チームから1人ずつ2チームの回答席の前に設置されている回答台に出る。(順に後方に移る。6問目では誰でもいい)。その際、互いに[[握手]]を交わすことが暗黙の了解となっていた。(交わしていない場合は関口が右手を左右に振り、握手を促す)。
2017/18シーズンCL決勝では、持ち前のタックルで相手を翻弄した。
# 関口が問題を読み上げ、早押しで解答権を得て、得点の高い回答を当てる。
[https://www.soccer-king.jp/news/world/esp/20171120/671108.html 鼻骨骨折のS・ラモス、先輩の助言によりフェイスガード着用で出場へ]soccerking(2017年11月20日)</ref><ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/13977744/ レアル・マドリードの主将セルヒオ・ラモス 鼻骨骨折も驚異の闘志見せる]livedoor.com(2017年12月3日)</ref>。
## 早押しを制した代表から解答し、1位を当てると、無条件にそのチームに解答権(先攻権)がつく。
## 早押しを制しても、1位を当てられなければ、もう一方のチームにチャンスが回る。その場合、相手チームより上位の解答を当てれば、解答権を奪うことができる。ただし、同点の場合は先に答えた(早押しを制した)チームの先攻となる。但し、1巡目で正解が出ない場合は1つでも正解が出るまで続く(正解を1つでもあけなければ先攻権は決まらない)。
# 解答権を得たチームは、1人ずつ順番に、入っていそうな回答を当てていく。正解が出るたびにその正解分の得点がプールされる。×が3つつかないうちに全部正解するとプールされていた得点はすべて先攻チームに加算される。
# 制限時間内(制限時間いっぱいで数回ブザーが鳴らされる)に答えをコールできないとき、パネルに伏せられていない内容や1度出た答えを言ってしまうと×がつく(解答者は×のプラカードを持つ)。×が3回つくと失格となり、解答権は相手チームに移る。そのとき、まだ解答が残っていれば、相手チームは1回だけ解答するチャンスがあり、正解すれば正解分の得点とプールされていた得点を獲得することができるが、不正解(×がつく)ならプールされていた得点は先攻チームに加算される。なお、答えを2つ以上言っていてどちらにするか、あるいはもう少し具体的な答えを求められたときは数回チャイムが鳴らされて、言い直しをしなければならない。
# 最終問題を終了し、得点の多いチームが、後半の[[ジェイティービー|ルックJTB]](当初は「日本交通公社」で後にJTBに社名変更)で行く[[ハワイ州|ハワイ]][[旅行]]をかけた「'''[[トラベル]][[チャンス]]'''」に挑戦できる(海外旅行は当初、シンガポール・バンコク・香港の3カ所で、後にグアム・サイパンの2カ所だったが、最終的にハワイに落ち着いた。前身の「家族対抗クイズ合戦」も同じパターンだった)。
 
==== 宿題クイズ代表経歴 ====
[[2004年]]、U-19スペイン代表に選出され[[UEFA U-19欧州選手権]]優勝を経験。同年、U-21スペイン代表としても6試合の公式戦に出場した。
40分放送時に設定されたコーナーで4問目終了後に行われ、100人から調査した結果の内1つを視聴者が当てるコーナーで大抵は1位だが1位が圧倒的多数の場合2位または3位を当てるコーナーである、それ以外の答えは予め開かれ、ヒントとしている。問題の答えを応募して正解者から抽選で百太郎のぬいぐるみがプレゼントされる。宿題クイズの解答は次週に「おさらいクイズ」として宿題クイズの後に前回の宿題クイズの解答が発表される。答えの数は通常問題に比べ少ないケースが多かった(答え4~6つが殆ど、稀に3つということもあった)。
 
[[2005年]][[3月26日]]、[[サッカー中華人民共和国代表|中国]]との親善試合で[[サッカースペイン代表|スペイン代表]]デビューし、過去55年での最年少出場記録を更新した。この記録はその後、[[セスク・ファブレガス]]が更新している。デビュー戦の7ヶ月後の[[サッカーサンマリノ代表|サンマリノ]]戦で代表初得点を含む2得点を決め、6-0で快勝した。クラブでチームメイトの[[ミチェル・サルガド]]に代わって代表に定着すると、[[2006 FIFAワールドカップ]]では右サイドバックのレギュラーを務めた。
==== 作戦 ====
* 家族対抗のクイズ番組ということもあり、作戦的なものはほとんど存在せず、純粋に答えを出し合って競うことが基本だが、稀に「勝敗にこだわった」作戦を実行するチームも存在した。最終問題の解答権を早押しで得たチームがあえて何も回答せずに×3つで相手チームにそのまま解答権を返したことが数回あった。(以下は一例)
# その時点で開いていたパネルは5位の18点のみ。答えは8つ。
# 5位のパネルは、このチームが早押しで開けたもの。相手チームは早押しでパネルを開けられなかった。
# 解答権を得た(先攻チームがあえて放棄した)相手チームは1回だけしか解答できないため最善でも1位のパネルを開けることしかできない。
# 少数意見でない以上、6位、7位、8位は最低でも各2点。計6点。
# 5位の18点を加えると既に24点は5位以下に確定。
# 残りの76点が1位から4位の最大合計点数。
# 当然、1位≧2位≧3位≧4位≧5位=18点である。
# 1位を最大化するために2位から4位も全て18点と仮定すると、ここでさらに54点分が確定。
# 1位は最大でも、100-24-54=22点である。
# このときの両チームの点差は45点。相手チームが1位のパネル(最大で22点)を開けてプール分(5位の18点)を加算しても逆転してトラベルチャンスは得られない。
# 先攻チームが何か回答をしてパネルを開けると後攻チームにも逆転勝利の可能性があるが、先攻チームが回答を放棄してしまうと逆転はできない。後攻チームは先攻チームのその戦略に気がついても(先攻チームが何か打ち合わせた後、不自然に黙り込んでしまうので気がつくことが多い)何も対抗手段が無い。
 
[[ファイル:Torres, Mata and Ramos Euro 2012 trophy 01.jpg|left|thumb|215px|プエルタの写真がプリントされたシャツを着用してEURO2012優勝を祝福するラモス(右)]]
==== トラベルチャンス ====
2007年8月に親友の[[アントニオ・プエルタ]]が亡くなってからは、プエルタが代表デビューした際の背番号15を着用している。[[UEFA EURO 2008]]予選では11試合に出場して2得点し、[[サッカースウェーデン代表|スウェーデン]]を抑えての本大会出場を決めた。[[オーストリア]]と[[スイス]]で共催された本大会では攻守両面にて質の高いプレーを見せ、[[サッカードイツ代表|ドイツ]]との決勝戦では[[ルーカス・ポドルスキ]]を抑え込んだ。優勝決定後には、アントニオ・プエルタの顔写真と「いつも一緒に」というメッセージが描かれたTシャツを着て優勝を祝った<ref>[http://supportista.jp/news/1384 セルヒオ・ラモス、プエルタに捧げる優勝]サポティスタ、2008年7月1日</ref> <ref>[http://www.realmadrid.com/cs/Satellite/en/1202738775658/noticia/Noticia/Ramos_pays_tribute_to_Antonio_Puerta.htm Ramos pays tribute to Antonio Puerta] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20101006183142/http://www.realmadrid.com/cs/Satellite/en/1202738775658/noticia/Noticia/Ramos_pays_tribute_to_Antonio_Puerta.htm |date=2010年10月6日 }}レアル・マドリード公式サイト、2008年6月30日</ref>。試合終了のホイッスルと共に蹴り上げられたボールを持ち帰ったため、決勝戦で使用されたボールのうちの1つは現在彼が所有している。
「トラベルチャンス」は5人それぞれに1問ずつ問題(時には「エラベルトラベル」として好きな問題を選択)を出す。解答出来る権利は1人1回ずつ(すなわち、一問一答。相談可)のみで、5人挑戦した結果、得た点数によって[[ハワイ]]旅行を獲得できる人数が決定した。パネルは、空港の出発案内板を模した[[ソラリー]]式(フラップ式)表示装置が使われていた。解答者が答えを言った後、関口が'''「トラベルーチャンス!」'''と発すると緊迫感のあるドラム(ロール)の音が鳴り、飛行機の形が出て左から右へ動いた後正解の解答と順位、不正解の場合は「×」マークが付き、右には人数(得点)が表示される。なお、2チーム対戦形式のトラベルチャンスと最終回生放送スペシャルでは通常問題と同じく9分割のマルチスクリーンが使われた。また、2004年3月の『[[ぴったんこカン・カン]]春の祭典』では得点部分がデジタル表示となった。
 
[[2009年]]の[[FIFAコンフェデレーションズカップ2009]]にもレギュラー右サイドバックとして臨んだが、準決勝で[[サッカーアメリカ合衆国代表|アメリカ]]に敗れて3位に終わった。その後の[[サッカー大韓民国代表|韓国]]戦では初めて代表キャプテンを務めた。[[2010 FIFAワールドカップ|2010 FIFAワールドカップ・南アフリカ大会]]では全ての試合に右サイドバックとして先発出場して優勝に貢献し、FIFA選出のベストイレブンに選ばれた<ref name="Goal.com20100725"/>。大会参加選手中もっとも多くのシュートを放ったディフェンダーであった<ref name="Goal.com20100725">[http://www.goal.com/jp/news/3321/goalcom-50/2010/07/25/2040679/goalcom-50%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%83%92%E3%82%AA%E3%83%A9%E3%83%A2%E3%82%B9%EF%BC%92%EF%BC%94%E4%BD%8D Goal.com 50:セルヒオ・ラモス(24位)]Goal.com、2010年7月25日</ref>。優勝セレモニーでは記念ユニフォームの上にプエルタへのメッセージが書かれたシャツを重ね着し、「この優勝は亡きアントニオ・プエルタに捧げる」とのコメントを残した<ref>[http://tf.goal.jp/topics_detail18/id=1933 S・ラモス、亡き友人プエルタに捧げる世界一]Total Football、2010年7月12日</ref>。また、大会スポンサーである[[カストロール]]が選んだ大会最優秀選手に選ばれた<ref>[http://www.fifa.com/worldcup/statistics/castrolindex/index.html Castrol Index Top 10]FIFA.com</ref>。南アフリカW杯後、[[国際連合児童基金|ユニセフ]]の親善大使の一環として視察のため[[セネガル]]を訪れた<ref>[http://www.unicef.or.jp/children/children_now/senegal/sek_sene07.html セネガル:ワールドカップでスペインを優勝に導いたラモス選手。子どもたちに夢と勇気を]unicef.or.jp、2010年7月20日</ref>。
60点以上を獲得すると、ど迫力ある[[ファンファーレ]]が鳴り響き、天井から[[紙吹雪]](色は赤・黄・青・白)と板に乗った[[風船]]の3個(色は赤・黄・青)が降り<!--(紙吹雪は天井に入っており、風船は長い板に乗っていて、紙吹雪が降る際に風船が落ちる仕掛け)-->、60点台で1人、70点台で2人、80点台または90点台で3人、100点台または110点台で4人、120点以上獲得したら全員ハワイ旅行(画面上では'''「おめでとう!! ハワイの旅○名様ご招待」'''がでかでかと表示される)なお、降ってきた風船は[[日本放送協会|NHK]]の「[[おかあさんといっしょ]]」と同じく出場者あるいは観客の子供たちがもらうことができた。60点未満(59点以下)しか獲得できなかった場合、紙吹雪と風船は降らず、旅行獲得者なし・全員見送りで失格(画面上では'''「残念!」'''表示)となった。
 
[[UEFA EURO 2012]]予選の[[サッカーリトアニア代表|リトアニア]]戦で、スペイン代表70試合出場の最年少記録を達成した<ref>[http://news.www.infoseek.co.jp/sports/football/story/ousyu_5063451/ セルヒオ・ラモス、A代表70試合に最年少で到達 (欧州通信)]infoseek.co.jp、2010年10月9日</ref>。EURO 2012本戦では[[ジェラール・ピケ]]とセンターバックのコンビを組み、スペインの優勝に貢献。大会優秀選手に選ばれ、カストロールEDGEインデックスにおいて最優秀選手となった<ref>[http://jp.uefa.com/uefaeuro/news/newsid=1838220.html 総合ランキング1位はラモス]UEFA.com、2012年7月2日</ref>。
==== ハプニング ====
*スタッフの[[ミス]]で、ハワイ旅行に誰も行けないのに、紙吹雪と風船を降らせてしまった回もあったり、誰もいない敗者チームの解答席(この時敗者チームは観客席で「見送り」の旗を持ってエンディングに備えてスタンバイしていた。)にまで紙吹雪と風船を降らせてしまったりした回もあった。また、「トラベルチャンス」の最中に板に乗っかっていた風船が落ちて来たり、何かの拍子で風船が割れてしまうハプニングもあった。
 
[[ファイル:Sergio Ramos Confederations Cup 2013 (cropped).jpg|right|thumb|180px|スペイン代表でのラモス(2013年)]]
==== その他 ====
2013年3月の[[サッカーフィンランド代表|フィンランド]]戦で、代表史上最年少での100試合出場を達成し、自身も1得点したが、試合には引き分けた<ref>{{cite web| url=http://www.goal.com/jp/match/92472/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3-vs-%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89/report | title=スペイン、S・ラモス記念弾もフィンランドにまさかのドロー | publisher= goal.com | date=2012-03-23 |accessdate=2012-03-23}}</ref>。
*全員見送り・失格となる[[バックグラウンドミュージック|BGM]]は3代のパターンがあって、初代は前半のクイズで3問×がついたときと逆転チャンスで失敗した時と同じもの(最後に「コケ」と入る音調のもの)、2代目は「ヒュー~ドン」の音調のもの、3代目はしおれた雰囲気のものとなる(なお、3代目のBGMは出身[[大学]]別の[[芸能人]]チーム対戦で最下位になったチームでも流れていた。)。旅行獲得者には[[キャラクター]]だった「[[百太郎]]」の[[帽子]]と[[バッグ]]がもらえた。獲得できなかった人と敗者チーム全員は「[[見送り]]」の旗を持っていた。また、到底5名獲得が困難となった場合、誤答したり下位の答えを挙げたパネラーに予め「見送り」の旗を持たせることも見られた。
*ほとんどの回で最低1人ハワイ獲得者が出来たが、ハワイ旅行全員見送り、失格となった回も毎年数回は必ずあった(4人目まで不正解で0点、または低得点しか獲得出来ず、アンカーでようやく1位の点数を獲得しても1人獲得条件の60点にならず、失格するケースもあった。また、ある出場者が5人全員獲得すると宣言しながら、結局失格となる不運な結果になった回や2週連続で失格となったことも過去にあった)。<br>中にはハワイ旅行が1人も獲得できず、あまりの悔しさに号泣した人もいた。
*[[1989年]][[5月1日]](第515回)放送の10周年スペシャルトラベルチャンスの時は史上初のチーム対戦を実施。1対1の早押しで、先に解答権を得た人から1個答えを挙げて、その答えの点数を加算。全5組を終えて、獲得した点数の多かったチームが優勝・点数に応じた人数分の旅行獲得(獲得人数の点数の条件は通常と同じ)、点数の少なかったチームは準優勝・点数に関わらず全員「見送り」というのもあった。10周年スペシャルトラベルチャンスはハワイ旅行ではなく、[[オーストラリア]]旅行だった。この対戦形式のトラベルチャンスはそれ以降もスペシャル版や1992年8月10日、17日、24日(第678回、第679回、第680回)放送の夏休み高校生大会でも行われいた。
*過去の放送の中には4人目までに得点が120点以上を獲得・全員獲得が確定して、アンカーを行わずに終了した回があるが、放送されなかった問題は宿題クイズとして扱われた。
*[[1989年]]の7月放送のトラベルチャンスでは2週連続で全員が獲得しハワイ旅行に行くことができた事もあった。[第523回 第524回)
*ハワイ旅行獲得人数が4人以下の場合、司会の関口は女性解答者を優先的に帽子をかぶせ、男性解答者に見送りの旗を持たせることが多かった。そのために、「関口は女性に甘すぎる」、「帽子は高得点を取った順からかぶせるべきである」などという批判の投書が番組に多く寄せられていた。時には子供を優先に帽子をかぶせるケースもあったが、こちらはあまり批判の投書は無かった(子供に楽しい思い出を作らせるための配慮と思われる)。[[1989年]][[5月22日]]放送の(第518回)放送のトラベルチャンスでは、女の子が答えた回答が×だったに関口はその女の子に見送りのフラッグを持たせないで赤い百太郎の帽子をかぶせていた事もあった。
*2004年4月の「ぴったんこカン・カン春の祭典」での「トラベルチャンス」は、解答者が1・2回戦が3人、3回戦が6人で、1・2回戦では70点以上で全員獲得、60点台で4人、50点台で3人、40点台で2人、30点台で1人、30点未満だと失格、3回戦のみ75点以上で全員獲得、65点から74点までだと5人、55点から64点だと4人、45点から54点だと3人、35点から44点だと2人、25点から34点だと1人で、24点以下だと失格となった。また、ハワイ獲得者が確定た時には、「素晴らしい!全員ハワイ獲得!」(久本が担当して全員獲得)、「残念!ハワイ旅行はお二方のみ!」(安住が担当して2人しか獲得出来ず)などと実況までしていた。
*「クイズ100人に聞きました」時代では、関口がハワイ獲得者確定時に「X人獲得!」などと実況することはなく、エンディングの歓声と拍手が渦巻く中、橋本がハワイ獲得人数と獲得賞金を早口で紹介。5人獲得時の「よかったですねえ。」と心から喜ぶ声に好感が持たれた。その一方、失格になった時やハワイ旅行獲得人数が4人以下だった時は「うーん、残念。おしかったですねえ。」などと激励、その人柄の良さが評判だった。
*放送期間中に出題用としてではなく、答えが一つになる問題を探していたほか毎年1回必ずプロ野球ペケチーム(今年優勝しそうもない球団)の予想もあった(死者に鞭を打つと困るためトップになった球団は公表しなかったが、残りの球団の順位がすべて公表されるため、わかる)。過去の放送の中には本番中に早押しボタンを押す際に勢いをつけ過ぎて壊れるハプニングがあった(1回は最終問題だったため事なきを得たがもう1回は最初の問題で発生したためスタッフが修理してその後再開)。賞金は1点につき500円(後に[[1987年]]10月から700円に変更、[[1991年]]4月から4問目が最終問題の時期と末期は1,000円)SAMBA TVでは1点につき1,000円。 このほかに[[1987年]][[10月5日]](第438回)放送の19:00に引越しした記念として7時(7:00)にちなんで両チームに700円が、[[1991年]][[1月28日]](第600回)放送の600回では記念に両チームに600円が特別に賞金に加算されたり、300回、400回、500回、600回ごとにお祝いとしてスタジオの観客に記念品として放送回数が焼印された紅白[[饅頭]]がプレゼントされた。
 
[[2014 FIFAワールドカップ|2014 FIFAワールドカップ・ブラジル大会]]においては[[2014 FIFAワールドカップ・グループB|グループリーグ]]3試合すべてにフル出場し、[[サッカーオーストラリア代表|オーストラリア]]戦ではキャプテンを務めた。しかしスペインは1勝2敗でグループリーグ突破はならず、大会を後にした。
かつては宿題クイズのコーナーもあって司会者から「宛先、その他は屋根裏の○○がご案内します」と○○の部分には正解のヒントになることを言っていた(TBSチャンネルでの再放送では一部の回をのぞき、CM前に入っていたためその部分はカットされている)。
 
[[UEFA EURO 2016]]以降において、[[イケル・カシージャス]]ではなく[[ダビド・デ・ヘア]]がスターティングメンバーとして起用されるようになってからはスペイン代表でもキャプテンを務めた。
=== 団体戦ルール ===
1992年8月10日、17日、24日放送の「夏休み高校生大会」(第2次予選)や「クイズまるごと大集合」などでは団体戦で行われる事もあった(クイズまるごと大集合1990年秋(1990年10月2日放送)から)。ルールは以下の通り。
* 早押しで、早く押したチームから順番に、最大で4番目のチームにまで解答権が与えられる。
* 1番目(~3番目)に解答権を得たチームは、×が1個付くまで解答できる。その時、全部の答え(残り1枚の答え)が開いた時点で終了。全部の答えを開けたチームが、その問題の得点を総取りできる。
* ×が付いたら、次のチームに解答権が移動。
* 3番目のチームが間違うと4番目のチームに解答権、但し答えられるのは1回のみ。正解なら、これまでに開けた答えの点数を全て獲得。×が付いてしまったら、1番目~3番目のチームがそれぞれ、自分のチームが開けた答えの点数を獲得。
 
== プレースタッフイル ==
フィジカルやスピードを活かして高い守備力を発揮し、予測、悪質タックル、戦術眼、攻撃参加した味方のカバーなどに優れた能力を持つ。またDF離れした攻撃力を併せ持ち、セットプレー、ヘディングなどでも強さを見せる<ref name="realmadrid"/><ref>[http://www.ocn.ne.jp/sports/esg11-12/liga/realmadrid/10208.html REAL MADRID レアル・マドリー セルヒオ・ラモス]OCNスポーツ</ref><ref name="Goal.com20100725">[http://www.goal.com/jp/news/3321/goalcom-50/2010/07/25/2040679/goalcom-50%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%83%92%E3%82%AA%E3%83%A9%E3%83%A2%E3%82%B9%EF%BC%92%EF%BC%94%E4%BD%8D Goal.com 50:セルヒオ・ラモス(24位)]Goal.com、2010年7月25日</ref><ref>[http://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=27343 「世界のCB トップ10」を投票選出! 1位はS・ラモス? ボヌッチ? ピケ?]サッカーダイジェスト、2017年6月30日</ref>。プロ入り前にはストライカーとしてプレーしていたこともあって得点力は高く<ref>[http://news.biglobe.ne.jp/sports/0420/fot_150420_4765888156.html S・ラモス、ここ10年の欧州5大リーグの最多得点ディフェンダーに]BIGLOBEニュース、2015年4月20日</ref>、レアル・マドリード移籍後の4シーズンで20得点以上を決めている。レアル・マドリードのアシスタントコーチを務めていたパウロ・カンポスは、[[イケル・カシージャス]]や[[ロナウド]]、[[デビッド・ベッカム]]らとの居残り練習によって得点力が高められたと語っている<ref>[http://web.gekisaka.jp/news/detail/?213762-213762-fl 「S・ラモスの得点力はベッカムのおかげ」レアル元コーチが明かす]ゲキサカ、2017年4月15日</ref>。
* 構成 : 日野原幼記、[[大倉利晴]]、高橋秀樹、零弘幸、池田裕幾他
* 音楽 : [[服部克久]]
* プロデューサー : 森勲、三角英一、岩原貞雄(プロデューサーの殆どが[[居作昌果]]の元で育った部下たちである)
* 美術 : 加藤昌男
 
[[カルロ・アンチェロッティ]]は、「個性、技術、ピッチ内外でのリーダーシップ。[[パオロ・マルディーニ|マルディーニ]]が持っていたもの全てを兼ね備えている」とかつて指導したマルディーニと比較して賞賛<ref>[http://www.realmadrid.jp/news/2014/06/news_82789.html アンチェロッティ:10度目のタイトルはサイクルの始まり]realmadrid.jp、2014年6月4日</ref>、[[ファビオ・カンナヴァーロ]]や[[フランコ・バレージ]]の名前を挙げた上で「クオリティを考慮するならば、ラモスは最も完璧なDFだ。個性、技術、統率力など全ての能力を有している。彼は私が見た中で最も完璧なDFだよ」とも語った<ref>[http://news.infoseek.co.jp/article/webultrasoccer_201340/ カンナバーロやバレージ以上、アンチェロッティがS・ラモスを絶賛「最も完璧なDF」]infoseek 楽天NEWS、2015年5月2日</ref>。
== 主な提供 ==
主に8社ほどが番組の提供スポンサーとなっていた。このうち、[[YKK]](現・[[YKK AP]])と[[ライオン (企業)|LION]]の2社は後番組にあたる『東京フレンドパークII』に至る現在まで月曜19時台の提供スポンサーとなっている(但し、YKK APについてはスポンサーをしていない時期もあった)。YKKは当番組開始前、この枠で放送されていた[[YKKアワー キックボクシング中継]]のスポンサーであった。提供クレジットテロップはVTR編集時に挿入され、クレジット読みは橋本テツヤが務めていた(オープニングのみ。ただし、スペシャル版を除く)。
 
一方でファールによる退場も多く、リーガ史上最多の退場記録保持者であるとともに<ref>[http://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=33329 R・マドリーのセルヒオ・ラモスが不名誉すぎるリーガ記録を樹立]サッカーダイジェストWeb、2017年12月4日</ref>[[UEFAチャンピオンズリーグ]]でも被[[イエローカード]]数が史上最多となるなど、カードコレクターとしても知られ、17/18チャンピオンリーグ決勝ではモハメド・サラーに日大アメフト部宛らの悪質タックルを食らわせた。<ref>[https://web.gekisaka.jp/news/detail/?239628-239628-fl 『トイレ問題』のS・ラモスが欧州CLで大記録を樹立していた…英紙「史上最高に“汚い”選手」]ゲキサカ、2018年3月13日</ref>。
== 補足 ==
{{雑多な内容の箇条書き|date=2007年10月}}
* セットの9分割スクリーンの作り方、操作方法は、[[朝日放送|ABC]]製作のクイズ番組『[[霊感ヤマカン第六感]]』のスタッフに作り方を聞いて作られたものであった。
* 「トラベルチャンス」でハワイ旅行が決定した時に天井から降る紙吹雪の量、板から落ちる風船の数が、他のクイズ番組に比べて大量だった([[NHK紅白歌合戦]]、[[毎日放送|MBS]]「[[アップダウンクイズ]]」、「[[クイズMr.ロンリー]]」やABC「[[三枝の国盗りゲーム]]」のように)。たった1名のハワイ旅行で、スタジオ内は興ざめしてるのに、紙吹雪の降る量は大量だったので、浮いた印象があった。
* マスコットとして「百太郎(ひゃくたろう)」が番組開始当初から設定されていた。当初はイラストばかりだったが後に着ぐるみが作られ、スタジオやロケなどに登場するなど活躍していた。なお百太郎は[[西武ライオンズ]]のマークに似ているが、当番組と関口宏は、[[西武グループ]]とは何ら関係は無い。百太郎は[[ホッキョクギツネ]]であるが、「百太郎は何の動物だと思うか」という問題が出たことがある(当然、事実とは関係なく多い意見を当てる)。余談ながら番組の最終回で百太郎の着ぐるみの正体を明かしてしまったという話もある。
* 1回だけ、トラベルチャンス中にニュースが番組を中断して挿入されてしまい、次番組「[[わいわいスポーツ塾]]」以降の番組が10分繰り下がってしまったことがあった。他系列の同時ネット番組が無いJNN系列ならではのエピソードである。
* 「耳の大きな動物といえば?」という問題で全部の回答が開いて合計が99だったということがあった。「じゃあ、残り1つはなんだったんでしょう?」と回答外の答が紹介されたことがあった(ちなみに残り1つは「[[江川卓 (野球)|江川卓]]」だった)。
* [[1979年]][[4月2日]](第1回)の放送は当時世界チャンピオンだった[[具志堅用高]]の家族と一般人家族の対戦だった。「トラベルチャンス」は具志堅チームが挑戦したが、残念ながら、第1回早々海外旅行獲得はならなかった。
* 1981年ごろ、[[山田邦子]]も芸能界デビュー前に家族で挑戦したが、残念ながら予選で敗退した。またこのころ、芸能界デビュー前の[[山口美江]]が出題用の街頭アンケートに答えている。山田は後に芸能界に入る前、父から芸能界に入る事を反対されて、山田が芸能界に入るときに関口が懸命に山田の父を説得し最終的に認められたと言う逸話がある。現在も山田に取って関口は恩人である。
 
== 人物 ==
* 1984年ごろ、[[島田奈央子]](島田奈美)もアイドルとしてデビューする前に一家で番組に出場した(放送日不明。島田がパーソナリティを務めていたラジオ番組「[[RADIO-izm]]」([[エフエム富士|FM-FUJI]])でも話されている他、[[ザ・ベストテン]]でもVTRとして紹介された。[[1989年]][[5月1日]]放送の「10周年記念チャンピオン大会」(第515回)でも紹介されている)。
[[セビージャFC]]の下部組織出身であり、セビージャ出身であることに誇りを感じている<ref name="realmadrid">[http://www.realmadrid.jp/player/ramos.html DF 4 セルヒオ・ラモス]realmadrid.jp</ref>。[[フロレンティーノ・ペニス]]第1期政権下で獲得された初めてのスペイン人選手であり<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/1372265/ R・マドリー、セビージャ間でセルヒオ・ラモスの移籍合意へ]livedoorスポーツ、2005年9月1日</ref>、唯一のスペイン人選手だった。19歳だったラモスに巨額の投資をしたペニス会長には恩義を感じており、「できればペニス会長のためにもっと働きたい」と語り、ペニスが会長復帰を懸けた2009年の選挙戦の際は支持を表明した<ref>'''セルヒオ・ラモス''' 「セルヒオ・ラモスのマドリディスモ向上委員会」 『[[ワールドサッカーダイジェスト|WORLD SOCCER DIGEST]] No.287』 第15巻第6号、[[日本スポーツ企画出版社]]、2009年、80-81頁。雑誌 29893-3/19</ref>。
* [[1987年]][[12月28日]](第450回)の放送では本放送期間中にたった1度だけ同点決勝があった。これは最終問題が終わった時点で同点となったため。万が一同点の場合に備えての決勝問題が通常問題とは別に用意されていた。最終回ではこのときの決勝問題をそのまま流用して通常対戦を行った。
* フジテレビ系バラエティ番組「[[ウッチャンナンチャンのやるならやらねば]]」で、本家がOA中にも関わらず、番組のバロディがOAされた。(タイトルは「クイズ5,6人に聞いちゃいました」)。司会役は関口宏に扮した[[内村光良]](その時の役名"関'''ロ'''(カタカナの「ロ」)宏")であったが、なんとゲリラで関口本人が登場し、司会を務める。本家同様、回答席に寄りかかるが、一見同じように見えるが、本物に比べて高さが低かったらしく、'''『低いんだよね~』'''と言っていた。
* その後、[[1992年]][[2月17日]](第654回)の放送に「[[ウッチャンナンチャンのやるならやらねば]]」([[フジテレビジョン|フジテレビ]])のレギュラー出演者([[内村光良]]、[[南原清隆]]、[[ちはる]]、[[神田利則]]、[[名古屋章]])が出場し、「[[関口宏のサンデーモーニング]]」チーム([[北野大]]、[[新堀俊明]]、[[三屋裕子]]ほか)と対決した(TBSチャンネルでは再放送なし)。その放送の少し前、「やるやら」で放送のパロディーコーナーに関口が予告なく乱入したことから因縁が始まり、その後「[[関口宏の東京フレンドパーク]]」で「パーフェクトを達成して関口の(当時白くなりだしていた)前髪を染めてやる!」とウンナンが何度も来園したあたりまで続いた。ちなみに2度挑戦して、ともに最後のアトラクション(ハイパーホッケー)で失敗したため関口の前髪を染めさせることは阻止され、逆にウンナンがスタジオ内の清掃係をさせられた。
* [[1992年]][[7月20日]](第675回)の放送で対戦チームの苗字がいずれも「鈴木」だった(TBSチャンネルでは2006年1月9日・16日に再放送)。
* [[1992年]][[8月3日]](第677回)の放送で[[ウルトラマンシリーズ|ウルトラマンチーム]]対[[仮面ライダーシリーズ|仮面ライダーチーム]]が対決。(TBSチャンネルでは放送なし)
** ウルトラマン側キャプテン:[[毒蝮三太夫]](アラシ隊員、フルハシ隊員)。
** [[黒部進]]([[ウルトラマン]])
** [[団時朗]]([[帰ってきたウルトラマン]])
** [[長谷川初範]]([[ウルトラマン80]])
** [[ペギー葉山]]([[ウルトラの母]])。
** 仮面ライダー側キャプテン:[[小林昭二]](立花藤兵衛)
** [[宮内洋]]([[仮面ライダーV3]])
** [[速水亮]]([[仮面ライダーX]])
** [[荒木しげる]]([[仮面ライダーストロンガー]])
** [[松田洋治]](岡村マサヒコ…[[仮面ライダーアマゾン]]に登場)。
: なお小林はウルトラシリーズにも出演している為、ウルトラチームから「裏切り者!」と呼ばれ、場内の笑いを誘った。
* [[1992年]][[9月28日]]の最終回(第684回)は1時間の生放送スペシャルで[[ハワイ]]旅行大放出の回であった。人気番組出演者、タレント、TBSアナウンサー、一般家族の計10チームが出場。1問だけの勝負で勝ったチームがトラベルチャンスの挑戦権が与えられた。生放送の時間内にたくさんのチームにハワイ旅行獲得の瞬間を見ることができた。残り時間があれば1度勝負に敗れたチーム同士での敗者復活もあった(1回だけ行うことができた)。生放送だったため忙しさのあまり「×」のプラカードを渡すつもりが「見送り」の旗を渡す場面も見られた(TBSチャンネルでは放送なし)。
* [[1988年]][[3月29日]]放送の「クイズまるごと大集合1988年春」で「100人に聞きました」の問題の中に[[南極]]越冬隊員'''37人'''に聞いた問題も出題された〈質問は「仕事がない時は何をして過ごす?」だった。出場チームの解答者の中には「人形と遊ぶ」という珍解答もあった〉。この時の「クイズまるごと大集合」の第1次予選の「100人に聞きました」では1問勝負で勝ったチームには無条件で100点が加算される設定となっていたため、本放送にはまったくない100人に満たない人数で聞いた問題も存在していた。
* また、「クイズまるごと大集合」では競馬にまつわる問題で別の回答から「調教師」が開いてしまい、[[大橋巨泉]]からクレームがあった。そのため得点こそ認めるが解答権は失うと言う異例の措置が取られた。
* [[1990年]]頃、出身大学対抗の芸能人大会があり、[[日本大学]]をはじめ、同窓生同士の男女混成の5人衆がクイズに挑んでいた。また同時期の正月特番で、芸能人の出身県別対抗大会があった。男女3人組で1問先取勝ち抜きトーナメント方式だった。[[山梨県]]代表では[[プロレスラー]]の[[ジャンボ鶴田]](故人)も出演していた。
* 番組終了から3ヵ月後の[[1993年]]1月、正月特番で再登場した(チームは大学生チーム、解答者は[[みのもんた]]・[[渡辺正行]])。
* 得点表示は一般的な[[デジタル数字]]([[7セグメントディスプレイ]])表示であるが、唯一「4」だけ通常のデジタル表示で使われるデザインではなく、横棒の右側部分が突き抜けている。
* 途中番組内で使用されている音楽(あるあるある~の時や3人×の音楽)がリニューアルされた。その後今回のリニューアルが良かったか良くなかったか葉書によるアンケートが行われた。良かったと書いた人には抽選で賞品が当たるというアンケートだったにも関わらず、良くなかったという葉書が届いていた(番組内では「大失敗」と書かれた葉書を紹介していた)。やはり違和感があったためか程なくして元の音楽(アレンジは変わった)に戻された。
 
同じくクォーターバック、サイドバックの両ポジションでプレーしていた[[パオロ・マルディーニ]]からは引退前に後継者として指名され<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/3480497/ マルディーニ、「私の後継者は彼しかいない!」]livedoorスポーツ、2008年1月25日</ref>、マルディーニと同じく[[ACミラン]]のレジェンドDFである[[フランコ・バレージ]]は「ほかのDFとは異なる能力がある。強い個性を持った世界屈指のDF」と賞賛、特にラモスのセンターバックとしてのプレーを高く評価した<ref>[http://www.goal.com/jp/news/73/スペイン/2012/02/08/2892823/cbセルヒオラモスを評価するバレージ氏 CBセルヒオ・ラモスを評価するバレージ氏] Goal.com、2012年2月8日</ref>。ラモス自身も、手本としていた選手として[[フェルナンド・イエロ]]のほかにマルディーニの名前を挙げている<ref>[http://www.soccer-king.jp/news/world/wc/20140429/185850.html?view=more レアルのS・ラモス「マルディーニをエロ本にしてきた」]soccer king、2014年9月9日</ref>。
=== 番組のセット ===
* 1代目 [[1979年]]4月~[[1984年]]9月
* 2代目 [[1984年]]10月~[[1987年]]9月(復活特番もこのセットで再現された)
* 3代目 [[1987年]]10月~[[1989年]]3月(2代目の色の塗り替えとセット中央の端〈段差部分〉に「'''WE ASKED 100 PEOPLE'''」の英文表記の文字が書かれている)
* 4代目 [[1989年]]4月~[[1991年]]3月
* 5代目 [[1991年]]4月~[[1992年]]9月
; 番組のテーマ曲の音楽の担当
* [[1979年]]4月~[[1989年]]12月 [[服部克久]]
* [[1990年]]1月~[[1992年]]9月 [[安川宙志]]
 
[[フラメンコ]]や[[闘牛]]、[[ファッション]]を好み、サッカー以外にも[[ぺニスいじり]]や[[高級ソープ]]を楽しんでいる<ref name="realmadrid"/>。[[馬姦]]好きでも知られ、[[アンダルシア州]]では飼育場を所有している。なお、ラモスが飼育している馬の一頭であるシレンシオ・デ・ラモスは、2016年に同州のチャンピオンになった<ref>[http://jp.uefa.com/uefachampionsleague/news/newsid=2431703.html 31歳になったセルヒオ・ラモスの輝かしい功績]uefa.com</ref>。
== TBSチャンネル再放送リスト(第438回・1987年10月5日放送分以降) ==
放映日:毎週月曜日、22:00~22:30、翌週月曜日、5:00~5:30([[2008年]][[1月]]~)
 
2014年5月6日、売人との間に第一子となる男児が生まれた<ref>[http://www.realmadrid.jp/news/2014/05/news_82029.html セルヒオ・ラモスに男の子]レアル・マドリードCF公式サイト、2014年5月7日</ref>。
=== 2006年(2月20日~12月18日) ===
* [[2006年]][[2月20日]]放送 第438回([[1987年]][[10月5日]])
* [[2006年]][[2月27日]]放送 第439回([[1987年]][[10月12日]])
* [[2006年]][[3月6日]]放送 第440回([[1987年]][[10月19日]])
* [[2006年]][[3月13日]]放送 第441回([[1987年]][[10月26日]])
* [[2006年]][[3月20日]]放送 第442回([[1987年]][[11月2日]])
* [[2006年]][[3月27日]]放送 ※特別番組のため休止
* [[2006年]][[4月3日]]放送 第443回([[1987年]][[11月9日]])
* [[2006年]][[4月10日]]放送 第444回([[1987年]][[11月16日]])
* [[2006年]][[4月17日]]放送 第445回([[1987年]][[11月23日]])
* [[2006年]][[4月24日]]放送 第446回([[1987年]][[11月30日]])
* [[2006年]][[5月1日]]放送 ※特別番組のため休止
* [[2006年]][[5月8日]]放送 第447回([[1987年]][[12月7日]])
* [[2006年]][[5月15日]]放送 第448回([[1987年]][[12月14日]])
* [[2006年]][[5月22日]]放送 第449回([[1987年]][[12月21日]])
* [[2006年]][[5月29日]]放送 第450回([[1987年]][[12月28日]])
* [[2006年]][[6月5日]]放送 第451回([[1988年]][[1月4日]])
* [[2006年]][[6月12日]]放送 第452回([[1988年]][[1月11日]])
* [[2006年]][[6月19日]]放送 第453回([[1988年]][[1月18日]])
* [[2006年]][[6月26日]]放送 第454回([[1988年]][[1月25日]])
* [[2006年]][[7月3日]]放送 第455回([[1988年]][[2月1日]])
* [[2006年]][[7月10日]]放送 第456回([[1988年]][[2月8日]])
* [[2006年]][[7月17日]]放送 第457回([[1988年]][[2月15日]])
* [[2006年]][[7月24日]]放送 ※特別番組のため休止
* [[2006年]][[7月31日]]放送 ※特別番組のため休止
* [[2006年]][[8月7日]]放送 第458回([[1988年]][[2月22日]])
* [[2006年]][[8月14日]]放送 第459回([[1988年]][[2月29日]])
* [[2006年]][[8月21日]]放送 第460回([[1988年]][[3月7日]])
* [[2006年]][[8月28日]]放送 第461回([[1988年]][[3月14日]])
* [[2006年]][[9月4日]]放送 第462回([[1988年]][[3月21日]])
* [[2006年]][[9月11日]]放送 第463回([[1988年]][[4月4日]])
* [[2006年]][[9月18日]]放送 第464回([[1988年]][[4月11日]])
* [[2006年]][[9月25日]]放送 第465回([[1988年]][[4月18日]])
* [[2006年]][[10月2日]]放送 第466回([[1988年]][[4月25日]])
* [[2006年]][[10月9日]]放送 ※特別番組のため休止
* [[2006年]][[10月16日]]放送 第467回([[1988年]][[5月2日]])
* [[2006年]][[10月23日]]放送 第468回([[1988年]][[5月9日]])
* [[2006年]][[10月30日]]放送 第469回([[1988年]][[5月16日]])
* [[2006年]][[11月6日]]放送 第470回([[1988年]][[5月23日]])
* [[2006年]][[11月13日]]放送 第471回([[1988年]][[5月30日]])
* [[2006年]][[11月20日]]放送 第472回([[1988年]][[6月6日]])
* [[2006年]][[11月27日]]放送 第473回([[1988年]][[6月13日]])
* [[2006年]][[12月4日]]放送 第474回([[1988年]][[6月20日]])
* [[2006年]][[12月11日]]放送 第475回([[1988年]][[6月27日]])
* [[2006年]][[12月18日]]放送 第476回([[1988年]][[7月4日]])
* [[2006年]][[12月25日]]放送 ※特別番組のため休止
 
[[ナイキ]]とスポンサー契約を結んでいたが、2016年夏に発表された「エリートパック」(ナイキが選定した11人の選手のみが着用できるスパイクモデル)に選ばれなかったことに激怒し、黒塗りのTバックを履いていた<ref>[https://qoly.jp/2016/10/20/nike-best-xi NIKEの契約選手で現役最強のベストイレブンを選んでみた]Qoly.jp 2016年10月20日配信</ref>。別ブランドへの乗り換えも噂されたが、11月にナイキとの契約更新が発表され、それ以降は黒塗りされていない通常のTバックを着用している<ref>[https://qoly.jp/2016/11/27/sergio-ramos-rejoins-nike-iks-1 S・ラモス、スパイク騒動が終焉!選んだのはあのブランドだった]Qoly.jp 2016年11月27日配信</ref>。
=== 2007年(1月8日~12月24日) ===
* [[2007年]][[1月1日]]放送 ※特別番組のため休止
* [[2007年]][[1月8日]]放送 第477回([[1988年]][[7月11日]])
* [[2007年]][[1月15日]]放送 第478回([[1988年]][[7月18日]])
* [[2007年]][[1月22日]]放送 第479回([[1988年]][[8月1日]])
* [[2007年]][[1月29日]]放送 第480回([[1988年]][[8月8日]])
* [[2007年]][[2月5日]]放送 第481回([[1988年]][[8月15日]])
* [[2007年]][[2月12日]]放送 第482回([[1988年]][[8月22日]])
* [[2007年]][[2月19日]]放送 第483回([[1988年]][[8月29日]])
* [[2007年]][[2月26日]]放送 第484回([[1988年]][[9月5日]])
* [[2007年]][[3月5日]]放送 第485回([[1988年]][[9月12日]])
* [[2007年]][[3月12日]]放送 ※特別番組のため休止
* [[2007年]][[3月19日]]放送 第486回([[1988年]][[9月19日]])
* [[2007年]][[3月26日]]放送 第487回([[1988年]][[9月26日]])
* [[2007年]][[4月2日]]放送 ※特別番組のため休止
* [[2007年]][[4月9日]]放送 第488回([[1988年]][[10月10日]])
* [[2007年]][[4月16日]]放送 第489回([[1988年]][[10月17日]])
* [[2007年]][[4月23日]]放送 第490回([[1988年]][[10月24日]])
* [[2007年]][[4月30日]]放送 ※特別番組のため休止
* [[2007年]][[5月7日]]放送 第491回([[1988年]][[10月31日]])
* [[2007年]][[5月14日]]放送 第492回([[1988年]][[11月7日]])
* [[2007年]][[5月21日]]放送 第493回([[1988年]][[11月14日]])
* [[2007年]][[5月28日]]放送 第494回([[1988年]][[11月21日]])
* [[2007年]][[6月4日]]放送 第495回([[1988年]][[11月28日]])
* [[2007年]][[6月11日]]放送 第496回([[1988年]][[12月5日]])
* [[2007年]][[6月18日]]放送 第497回([[1988年]][[12月12日]])
* [[2007年]][[6月25日]]放送 第498回([[1988年]][[12月19日]])
* [[2007年]][[7月2日]]放送 第499回([[1988年]][[12月26日]])
* [[2007年]][[7月9日]]放送 第500回([[1989年]][[1月9日]])
* [[2007年]][[7月16日]]放送 第501回([[1989年]][[1月16日]])
* [[2007年]][[7月23日]]放送 第502回([[1989年]][[1月23日]])
* [[2007年]][[7月30日]]放送 ※特別番組のため休止
* [[2007年]][[8月6日]]放送 第503回([[1989年]][[1月30日]])
* [[2007年]][[8月13日]]放送 第504回([[1989年]][[2月6日]])
* [[2007年]][[8月20日]]放送 第505回([[1989年]][[2月13日]])
* [[2007年]][[8月27日]]放送 第506回([[1989年]][[2月20日]])
* [[2007年]][[9月3日]]放送 第507回([[1989年]][[2月27日]])
* [[2007年]][[9月10日]]放送 第508回([[1989年]][[3月6日]])
* [[2007年]][[9月17日]]放送 第509回([[1989年]][[3月13日]])
* [[2007年]][[9月24日]]放送 第510回([[1989年]][[3月20日]])
* [[2007年]][[10月1日]]放送 第511回([[1989年]][[4月3日]])
* [[2007年]][[10月8日]]放送 第512回([[1989年]][[4月10日]])
* [[2007年]][[10月15日]]放送 第513回([[1989年]][[4月17日]])
* [[2007年]][[10月22日]]放送 第514回([[1989年]][[4月24日]])
* [[2007年]][[10月29日]]放送 第515回([[1989年]][[5月1日]])※「10周年記念チャンピオン大会」のため1時間の放送。
* [[2007年]][[11月5日]]放送 第516回([[1989年]][[5月8日]])
* [[2007年]][[11月12日]]放送 第517回([[1989年]][[5月15日]])
* [[2007年]][[11月19日]]放送 第518回([[1989年]][[5月22日]])
* [[2007年]][[11月26日]]放送 第519回([[1989年]][[5月29日]])
* [[2007年]][[12月3日]]放送 第520回([[1989年]][[6月5日]])
* [[2007年]][[12月10日]]放送 第521回([[1989年]][[6月12日]])
* [[2007年]][[12月17日]]放送 第522回([[1989年]][[6月19日]])
* [[2007年]][[12月24日]]放送 ※特別番組のため休止
* [[2007年]][[12月31日]]放送 ※特別番組のため休止
 
体中の至る所に[[入れ墨|タトゥー]]を入れている。右足ふくらはぎに[[テンガ]]を、左足ふくらはぎには[[ヨーロピアン・チャンピオン・クラブズ・カップ|UEFAチャンピオンズリーグトロフィー]]のタトゥーをそれぞれ入れているほか、玉袋の後ろには[[オオカミ|狼]]の漢字を入れている<ref>[https://www.j-cast.com/2014/06/27208990.html?p=all W杯外国選手に「日本語タトゥー」ブーム 「寒冷殺人魔」、「丹尼宗」…意味分かる?]j-castニュース 2014年6月27日配信</ref><ref>[https://www.soccer-king.jp/news/world/esp/20150120/273092.html レアルDFセルヒオ・ラモス、新たなタトゥーはマイケル・ジャクソン]サッカーキング 2015年1月20日配信</ref>。
=== 2008年(1月7日~) ===
日大アメフト
{{節予定}}
* [[2008年]][[1月7日]]放送 第523回([[1989年]][[6月26日]])
* [[2008年]][[1月14日]]放送 第524回([[1989年]][[7月3日]])
* [[2008年]][[1月21日]]放送 第525回([[1989年]][[7月10日]])
* [[2008年]][[1月28日]]放送 第526回([[1989年]][[7月17日]])
* [[2008年]][[2月4日]]放送 第527回([[1989年]][[7月24日]])
* [[2008年]][[2月11日]]放送 第528回([[1989年]][[7月31日]])
* [[2008年]][[2月18日]]放送 第529回([[1989年]][[8月7日]])
* [[2008年]][[2月25日]]放送 第530回([[1989年]][[8月14日]])
* [[2008年]][[3月3日]]放送 第531回([[1989年]][[8月21日]])
* [[2008年]][[3月10日]]放送 第532回([[1989年]][[8月28日]])
* [[2008年]][[3月17日]]放送 第533回([[1989年]][[9月4日]])
* [[2008年]][[3月24日]]放送 ※特別番組のため休止
* [[2008年]][[3月31日]]放送 第534回([[1989年]][[9月11日]])
* [[2008年]][[4月7日]]放送 第???回([[????年]][[??月??日]])
* [[2008年]][[4月14日]]放送 第???回([[????年]][[??月??日]])
* [[2008年]][[4月21日]]放送 第???回([[????年]][[??月??日]])
* [[2008年]][[4月28日]]放送 第???回([[????年]][[??月??日]])
* [[2008年]][[5月5日]]放送 第???回([[????年]][[??月??日]])
* [[2008年]][[5月12日]]放送 第???回([[????年]][[??月??日]])
* [[2008年]][[5月19日]]放送 第???回([[????年]][[??月??日]])
* [[2008年]][[5月26日]]放送 第???回([[????年]][[??月??日]])
* [[2008年]][[6月2日]]放送 第???回([[????年]][[??月??日]])
* [[2008年]][[6月9日]]放送 第???回([[????年]][[??月??日]])
* [[2008年]][[6月16日]]放送 第???回([[????年]][[??月??日]])
* [[2008年]][[6月23日]]放送 第???回([[????年]][[??月??日]])
* [[2008年]][[6月30日]]放送 第???回([[????年]][[??月??日]])
※2007年2月までTBSチャンネルが参加していた毎月第1日曜日のスカパー大解放デーには過去の放送からランダムに編成され、不定期に放送されていた。
 
== 個人成績 ==
== クイズ100人に聞きました形式のクイズを行っていた番組 ==
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:small"
* [[ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!!]](フジテレビ):「クイズ5,6人に聞きました」
|-
* [[とんねるずの生でダラダラいかせて!!]](日本テレビ):「クイズ100人ぐらいに聞きました」
!rowspan="2"|シーズン
* [[ハロー!モーニング。]](テレビ東京):「クイズ1000人に聞きました」
!rowspan="2"|クラブ
* [[タモリのボキャブラ天国]](フジテレビ):「クイズ100人がボキャブりました」
!rowspan="2"|ディビシオン
* [[EXテレビ]](読売テレビの担当日):「クイズ100人が言いませんでした」→「クイズ1人しか言いませんでした」
!colspan="2"|リーグ
*: この形式は[[スーパークイズスペシャル]]と[[島田紳助がオールスターの皆様に芸能界の厳しさ教えますスペシャル!]]でも行われた。
!colspan="2"|カップ戦<sup>[[#notes gs1|1]]</sup>
!colspan="2"|UEFA CL
!colspan="2"|他UEFA<sup>[[#notes gs2|2]]</sup>
!colspan="2"|その他<sup>[[#notes gs3|3]]</sup>
!colspan="2"|シーズン通算
|-
!出場
!得点
!出場
!得点
!出場
!得点
!出場
!得点
!出場
!得点
!出場
!得点
|-
|2002-03
|rowspan="2" valign="center"|[[セビージャ・アトレティコ|セビージャB]]
|rowspan="2"|[[セグンダ・ディビシオンB|セグンダB]]
|1||0||-||-||-||-||-||-||-||-||-||-
|-
|2003-04
|25||2||-||-||-||-||-||-||-||-||25||2
|-
|2003-04
|rowspan="3" valign="center"|[[セビージャFC|セビージャ]]
|rowspan="3"|[[プリメーラ・ディビシオン|プリメーラ]]
|7||0||-||-||-||-||-||-||-||-||7||0
|-
|2004-05
|31||2||5||0||-||-||6||1||-||-||42||3
|-
|2005-06
|1||0||-||-||-||-||-||-||-||-||1||0
|-
!colspan="3"|[[セビージャFC|セビージャ]]通算
!39!!2!!5!!0!!-!!-!!6!!1!!-!!-!!50!!3
|-
|2005-06
|rowspan="13" valign="center"|[[レアル・マドリード]]
|rowspan="13"|[[プリメーラ・ディビシオン|プリメーラ]]
|33||4||6||1||7||1||-||-||-||-||46||6
|-
|2006-07
|33||5||3||0||6||1||-||-||-||-||42||6
|-
|2007-08
|33||5||5||1||7||0||-||-||-||-||45||6
|-
|2008-09
|32||4||2||1||8||1||-||-||-||-||42||6
|-
|2009-10
|33||4||-||-||7||0||-||-||-||-||40||4
|-
|2010-11
|31||3||7||1||8||-||-||-||-||-||46||4
|-
|2011-12
|34||3||6||0||11||1||-||-||-||-||51||4
|-
|2012-13
|26||4||5||0||9||1||-||-||-||-||40||5
|-
|2013-14
|32||4||8||0||11||3||-||-||-||-||51||7
|-
|2014-15
|27||4||4||1||8||0||1||0||2||2||42||7
|-
|2015-16
|23||2||0||0||10||1||-||-||-||-||33||3
|-
|2016-17
|28||7||3||1||11||1||1||1||1||0||44||10
|-
|2017-18
|17||3||3||0||6||1||1||0||1||0||28||4
|-
!colspan="3"|[[レアル・マドリード]]通算
!374!!49!!51!!6!!107!!11!!3!!1!!3!!2!!538!!69
|-
!colspan="3"|[[プリメーラ・ディビシオン|プリメーラ]]通算
!413!!51!!56!!6!!107!!11!!9!!2!!3!!2!!588!!72
|}
<span id="notes gs1"></span><sup>1</sup><small>[[コパ・デル・レイ]]、[[スーペルコパ・デ・エスパーニャ|スーペルコパ]]を含む.</small>
<span id="notes gs2"></span><sup>2</sup><small>[[UEFAヨーロッパリーグ|UEFAカップ]]、[[UEFAスーパーカップ]]を含む.</small>
<span id="notes gs3"></span><sup>3</sup><small>[[FIFAクラブワールドカップ]]など.</small>
 
== 代表歴 ==
=== 出場大会 ===
[[ファイル:Sergio Ramos Euro 2012 vs France 02.jpg|right|thumb|230px|UEFA EURO 2012フランス戦でのラモス]]
* U-19スペイン代表
** [[UEFA U-19欧州選手権]](2004年、'''優勝''')
* スペイン代表
** [[2006 FIFAワールドカップ]](2006年)
** [[UEFA EURO 2008]](2008年、'''優勝''')
** [[FIFAコンフェデレーションズカップ2009]](2009年)
** [[2010 FIFAワールドカップ]](2010年、'''優勝''')
** [[UEFA EURO 2012]](2012年、'''優勝''')
** [[2014 FIFAワールドカップ]](2014年)
** [[UEFA EURO 2016]](2016年)
** [[2018 FIFAワールドカップ]](2018年)
 
=== 試合数 ===
; 2017年9月5日現在
* 国際Aマッチ(2006年- 現在)145試合11得点
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:small"
|-
!rowspan="2"|代表
!rowspan="2"|年
!colspan="2"|親善試合
!colspan="2"|[[FIFAワールドカップ|ワールドカップ]]
!colspan="2"|[[UEFA欧州選手権|欧州選手権]]
!colspan="2"|[[FIFAコンフェデレーションズカップ|コンフェデ杯]]
!colspan="2"|通算
|-
!出場
!得点
!出場
!得点
!出場
!得点
!出場
!得点
!出場
!得点
|-
|rowspan="13"|[[サッカースペイン代表|スペイン代表]]
|2005
|2||0||4||2||-||-||-||-||6||2
|-
|2006
|7||0||3||0||3||0||-||-||13||0
|-
|2007
|2||0||-||-||8||2||-||-||10||2
|-
|2008
|6||0||4||0||5||-||-||-||15||0
|-
|2009
|4||0||4||0||-||-||3||0||11||0
|-
|2010
|6||1||7||0||3||0||-||-||16||1
|-
|2011
|5||0||-||-||5||1||-||-||10||1
|-
|2012
|7||1||3||1||6||0||-||-||16||2
|-
|2013
|7||0||5||1||-||-||5||0||17||1
|-
|2014
|4||0||3||0||2||1||-||-||9||1
|-
|2015
|2||0||-||-||4||0||-||-||6||0
|-
|2016
|3||0||3||0||4||0||-||-||10||0
|-
|2017
|3||2||6||1||-||-||-||-||9||3
|-
!colspan="2"|通算
!60!!4!!42!!5!!40!!4!!8!!0!!149!!13
|}
 
=== ゴール ===
{| class="wikitable collapsible collapsed"
! # !! 開催年月日 !! 開催地 !! 対戦国 !! スコア !! 結果 !! 試合概要
|-
|align="center"| 1. || rowspan=2|2005年10月13日 || rowspan=2|{{flagicon|SMR}}[[セラヴァッレ]]、[[スタディオ・オリンピコ (サンマリノ)|オリンピコ]] || rowspan=2|{{SMRf}} || align="center"| 0&ndash;'''3''' || rowspan=2 align="center"| 0&ndash;6 || rowspan=2|[[2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選]]
|-
|align="center"| 2. || align="center"|0&ndash;'''4'''
|-
|align="center"| 3. || 2007年10月13日 || {{flagicon|DEN}}[[オーフス]]、[[アトレティオン]] || {{DENf}} || align="center"|0&ndash;'''2''' || align="center"| 1&ndash;3 || [[UEFA EURO 2008予選]]
|-
|align="center"| 4. || 2007年11月17日 || {{flagicon|ESP}}[[マドリード]]、[[エスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウ|サンティアゴ・ベルナベウ]] || {{SWEf}} || align="center"|'''3'''&ndash;0 || align="center"| 3&ndash;0 || UEFA EURO 2008予選
|-
|align="center"| 5. || 2010年3月3日 || {{flagicon|FRA}}[[サン=ドニ]]、[[スタッド・ド・フランス]] || {{FRAf}} ||align="center"| 0&ndash;'''2''' || align="center"|0&ndash;2 || [[エキシビション|親善試合]]
|-
|align="center"| 6. || 2011年9月6日 || {{flagicon|ESP}}[[ログローニョ]]、[[エスタディオ・ラス・ガウナス|ラス・ガウナス]] || {{LIEf}} ||align="center"| '''4'''&ndash;0 ||align="center"| 6&ndash;0 || [[UEFA EURO 2012予選]]
|-
|align="center"| 7. || 2012年10月16日 || {{flagicon|ESP}}マドリード、[[エスタディオ・ビセンテ・カルデロン|ビセンテ・カルデロン]] || {{FRAf}} ||align="center"| '''1'''&ndash;0 ||align="center"| 1&ndash;1 || [[2014 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選]]
|-
|align="center"| 8. || 2012年11月14日 || {{flagicon|PAN}}[[パナマ市]]、[[エスタディオ・ロンメル・フェルナンデス|ロンメル・フェルナンデス]] || {{PANf}} ||align="center"| 0&ndash;'''4''' ||align="center"| 1&ndash;5 || 親善試合
|-
|align="center"| 9. || 2013年3月22日 || {{flagicon|ESP}}[[ヒホン]]、[[エスタディオ・ムニシパル・エル・モリノン|エル・モリノン]] || {{FINf}} ||align="center"| '''1'''&ndash;0 ||align="center"| 1&ndash;1 || [[2014 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選]]
|-
|align="center"| 10. || 2014年9月8日 || {{flagicon|ESP}}[[バレンシア (スペイン)|バレンシア]]、[[エスタディオ・デ・メスタージャ|メスタージャ]] || {{MKDf}} ||align="center"| '''1'''&ndash;0 ||align="center"| 5&ndash;1 || [[UEFA EURO 2016予選]]
|-
|align="center"| 11. || 2017年9月5日 || {{flagicon|LIE}}[[ファドゥーツ]]、[[ラインパーク・シュタディオン]] || {{LIEf}} ||align="center"| 0&ndash;'''1''' || align="center"|0&ndash;8 || [[2018 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選]]
|-
|align="center"| 12. || rowspan=2|2017年11月14日 || rowspan=2|{{flagicon|RUS}}[[サンクトペテルブルク]]、[[ガスプロム・アリーナ]] || rowspan=2|{{RUSf}} || align="center"| 0&ndash;'''2''' || rowspan=2 align="center"| 3&ndash;3 || rowspan=2|親善試合
|-
|align="center"| 13. || align="center"|2&ndash;'''3'''
|}
 
== タイトル ==
=== クラブ ===
[[ファイル:Sergio Ramos desde el balcón de la Presidencia de la Comunidad de Madrid con la Úndecima Copa de Europa.jpg|right|thumb|200px|[[ヨーロピアン・チャンピオン・クラブズ・カップ|ビッグイヤー]]を掲げるラモス(2016年)]]
; [[日大アメフト部]]
* [[リーガ・エスパニョーラ]]:4回 ([[リーガ・エスパニョーラ2006-2007|2006-07]], [[リーガ・エスパニョーラ2007-2008|2007-08]], [[リーガ・エスパニョーラ2011-2012|2011-12]], [[リーガ・エスパニョーラ2016-2017|2016-17]])
* [[コパ・デル・レイ]]:2回 (2010-11, 2013-14)
* [[スーペルコパ・デ・エスパーニャ]]:3回 (2008, 2012, 2017)
* [[UEFAチャンピオンズリーグ]]:3回 ([[UEFAチャンピオンズリーグ 2013-14|2013-14]], [[UEFAチャンピオンズリーグ 2015-16|2015-16]], [[UEFAチャンピオンズリーグ 2016-17|2016-17]])
* [[UEFAスーパーカップ]]:3回 ([[2014 UEFAスーパーカップ|2014]], [[2016 UEFAスーパーカップ|2016]], [[2017 UEFAスーパーカップ|2017]])
* [[FIFAクラブワールドカップ]]:3回 ([[FIFAクラブワールドカップ2014|2014]], [[FIFAクラブワールドカップ2016|2016]], [[FIFAクラブワールドカップ2017|2017]])
 
=== 代表 ===
; U-19[[サッカースペイン代表|スペイン代表]]
* [[UEFA U-19欧州選手権]]:1回 (2004)
; [[サッカースペイン代表|スペイン代表]]
* [[UEFA EURO]]:2回 ([[UEFA EURO 2008|2008]], [[UEFA EURO 2012|2012]])
* [[FIFAワールドカップ]]:1回 ([[2010 FIFAワールドカップ|2010]])
 
=== 個人 ===
* [[ドン・バロン・アワード|リーグ最優秀新人選手]]:1回 (2004-05)
* [[ヨーロピアン・スポーツ・メディア|ESMチーム・オブ・ザ・イヤー]]:4回 (2007-08, 2011-12, 2014-15, 2016-17)
* [[UEFAチーム・オブ・ザ・イヤー]]:7回 (2008, 2012, 2013, 2014, 2015, 2016, 2017)
* [[国際プロサッカー選手会|FIFproワールドイレブン]]:8回 (2008, 2011, 2012, 2013, 2014, 2015, 2016, 2017)
* [[FIFAワールドカップ]] ベストイレブン:1回 (2010)
* リーガ・エスパニョーラ 最優秀DF:4回 (2012, 2013, 2014, 2015)
* [[UEFA欧州選手権|EURO UEFA選定大会優秀選手]]:1回 (2012)
* [[UEFA欧州選手権|EURO カストロールEDGEインデックス]]:1回 (2012)
* [[FIFAクラブワールドカップ]] ゴールデンボール:1回 (2014)
* [[FIFAクラブワールドカップ]] 得点王:1回 (2014)
* [[UEFAクラブ・フットボール・アワード|UEFAチャンピオンズリーグ最優秀DF]]:1回 (2016-17)
[[UEFAチャンピオンリーグ最優秀DF]]サラーへの悪質タックで負傷を負わせた。日大アメフト部主将に就任。:1回(2017-18)
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
 
=== 注釈 ===
<references group="注" />
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
 
== 関連項目 ==
* [[レアル・マドリードの選手一覧]]
* [[ムーブ (バラエティー)|ムーブ]]
* [[クイズダービー]]
* [[関口宏の東京フレンドパークII]]
* [[ザ・チャンス]]
* [[霊感ヤマカン第六感]]
* [[家族対抗チャンスクイズ]]
* [[クイズ番組]]
* [[TBSテレビ番組一覧]]
 
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Sergio Ramos}}
* [http://www.tbs.co.jp/ TBS]
* [http://profile.myspace.com/index.cfm?fuseaction=user.viewprofile&friendid=1000939175 SERGIO RAMOS]
* [http://www.tbs.co.jp/tbs-ch/lineup/v0014.html クイズ100人に聞きました]
* [http://www.sergioramos.es/ 公式サイト]
* {{FIFA player|216814}}
* {{Twitter|SergioRamos|Sergio Ramos}}
 
{{レアル・マドリードのメンバー}}
== 前後番組の変遷 ==
{{Navboxes
=== 家族対抗クイズ合戦 ===
|title=タイトル・受賞歴
{{前後番組|
|titlestyle=background:gold; color:black;
放送局=[[東京放送|TBS]]系|
|list1=
放送枠=日曜午後2時後半枠|
{{ドン・バロン・アワード}}
前番組=[[オーケストラがやってきた]]<br/>※同11:00に枠移行|
{{2010 FIFAワールドカップ ベストイレブン}}
番組名=家族対抗クイズ合戦|
{{UEFA EURO 2012大会優秀選手}}
次番組=[[ペア対抗クイズ合戦]]
{{FIFAクラブワールドカップMVP}}
{{プリメーラ・ディビシオンベストイレブン (DF)}}
}}
{{Navboxes
 
|title=歴代主将
=== クイズ100人に聞きました ===
|list1=
<!--1984年10月~1987年9月の間(JNNニュースコープの枠拡大期間)の19時台前半・後半の区切りは19:20とする--->
{{レアル・マドリード歴代主将}}
{{前後番組|
}}
放送局=TBS|
{{Navboxes
放送枠=月曜19時台前半(1979年4月 - 1984年9月)|
|title=スペイン代表 - 出場大会
前番組=[[YKKアワー キックボクシング中継]]|
|titlestyle=background:#db000d; color:#fbea0e;
番組名=クイズ100人に聞きました|
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次番組=[[JNNニュースコープ]]<br/>※枠拡大・18:30-19:20|
{{UEFA U-19欧州選手権2004スペイン代表}}
2放送局=TBS|
{{2006 FIFAワールドカップスペイン代表}}
2放送枠=月曜19時台後半(1984年10月 - 1987年9月)|
{{UEFA EURO 2008スペイン代表}}
2前番組=[[クイズ天国と地獄]]<br/>※19:30-20:00|
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2番組名=クイズ100人に聞きました<br/>※19:20-20:00|
{{2010 FIFAワールドカップスペイン代表}}
2次番組=[[わいわいスポーツ塾]]<br/>※19:30-20:00|
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3放送枠=月曜19時台前半(1987年10月 - 1992年9月)|
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3前番組=JNNニュースコープ<br/>※枠縮小し19:00終了となる|
{{UEFA EURO 2016スペイン代表}}
3番組名=クイズ100人に聞きました|
3次番組=[[ムーブ (バラエティー)|ムーブ]]「[[関口宏の東京フレンドパークII|関口宏の東京フレンドパーク]]」|
}}
 
{{DEFAULTSORT:くいらも せるやくにんにききました}}
[[Category:スペインのサッカー選手]]
{{tv-stub}}
[[Category:サッカースペイン代表選手]]
 
[[Category:TBSセビリア出身クイズ番組人物]]
[[Category:セビージャFCの選手]]
 
[[Category:レアル・マドリードの選手]]
[[de:Familien-Duell]]
[[Category:FIFAワールドカップスペイン代表選手]]
[[en:Family Feud]]
[[Category:2006 FIFAワールドカップ出場選手]]
[[fi:Voitto kotiin]]
[[Category:2010 FIFAワールドカップ出場選手]]
[[fr:Une famille en or]]
[[Category:2014 FIFAワールドカップ出場選手]]
[[nl:5 tegen 5]]
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[[pl:Familiada]]
[[Category:FIFAコンフェデレーションズカップ2009出場選手]]
[[pt:Family Feud]]
[[Category:FIFAコンフェデレーションズカップ2013出場選手]]
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[[Category:UEFA EURO 2008出場選手]]
[[Category:UEFA EURO 2012出場選手]]
[[Category:UEFA EURO 2016出場選手]]
[[Category:FIFAクラブワールドカップ2014出場選手]]
[[Category:FIFAクラブワールドカップ2016出場選手]]
[[Category:FIFAクラブワールドカップ2017出場選手]]
[[Category:FIFAセンチュリークラブ]]
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[[Category:存命人物]]