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[[File:Bruckner 9..jpg|thumb|right|250px|{{仮リンク|エドヴァルド・トメク|cs|Eduard Tomek}}画『9. symfonie od Antona Brucknera』]]
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{{External media
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| topic = 全曲を試聴する
| audio1 = [https://www.youtube.com/watch?v=Az-kHLRQhsk Bruckner:9.Sinfonie] - [[スタニスワフ・スクロヴァチェフスキ]]指揮[[hr交響楽団]]による演奏。hr交響楽団公式YouTube。
| audio2 = [https://vimeo.com/108919276 BRUCKNER - Symphony No.9] - [[ケント・ナガノ]]指揮[[エーテボリ交響楽団]]による演奏。エーテボリ交響楽団公式Vimeo。
| audio3 = [https://www.youtube.com/watch?v=Hk43Qr_H1Q8 BRUCKNER:Symphony No.9 in D minor] - [[佐渡裕]]指揮[[兵庫芸術文化センター管弦楽団]]による演奏。兵庫芸術文化センター管弦楽団公式YouTube。
| audio4 = [https://www.youtube.com/watch?v=CK6N4zPwvgI Bruckner:Symphony No.9] - [[ユッカ=ペッカ・サラステ]]指揮[[ケルンWDR交響楽団]]による演奏。当該指揮者自身の公式YouTube。
}}
{{Portal クラシック音楽}}
ブルックナーの'''交響曲第9番[[ニ短調]]'''(こうきょうきょくだいきゅうばんにたんちょう)は、[[アントン・ブルックナー]]が取り組んだ最後の[[交響曲]]である。[[1896年]][[10月11日]]に作曲者が他界した際に完成していたのは第3楽章までであり、最後の第4楽章は未完成のまま残された。実際の演奏では、実演・[[録音]]とも、完成している第3楽章までで演奏されることがほとんどである。第4楽章の草稿が少なからず残されているため、それに補筆して完成させる試みも行われており、全4楽章版の録音も少しずつであるが増えてきている。
 
== 作曲の経緯 ==
[[1887年]]夏、ブルックナーは[[交響曲第8番 (ブルックナー)|交響曲第8番]]を完成させた後、この作品の作曲に取り掛かった。彼は[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]の『[[交響曲第9番 (ベートーヴェン)|交響曲第9番]]』と同じ「[[ニ短調]]」という[[調性]]を選んだことについて、人々の反応を気にしたものの断固とした決意を持ち、この作品の献辞として、譜面に[[ドイツ語]]で「愛する神に捧ぐ」(Dem lieben Gott)と書いた。
 
しかしブルックナーは旧作の改訂に取りかかり、第9交響曲に集中しなかった。この改訂で[[交響曲第1番 (ブルックナー)|交響曲第1番]]や[[交響曲第8番 (ブルックナー)|交響曲第8番]]などに労力を費やしている。
 
[[1892年]]12月に交響曲第8番が初演された後、本作の作曲に打ち込み始めたが、彼の病状は悪化し続ける。ようやく[[1894年]][[11月30日]]に第3楽章を完成させたが、そのころブルックナーは[[ウィーン大学]]の講義において、この作品が未完成に終わった場合には自作の[[テ・デウム (ブルックナー)|テ・デウム]]を演奏するように示唆した。第3楽章の完成後、ブルックナーの病状はさらに悪化し、18年間住んだ4階建ての建物の住居で階段の乗降が不可能になったため、皇帝より[[ベルヴェデーレ宮殿]]の住居が提供された。
 
ブルックナーは[[1896年]][[10月11日]]、死去する日の午前まで第4楽章の作曲に携わったが、午後3時過ぎに息を引き取り、結局全曲を完成させることはできなかった。未完成に終わった第4楽章の自筆楽譜は、[[ソナタ形式]]の再現部の第3主題部でペンが止まっている。現在多くの研究者は、ブルックナーがスケッチの段階において楽章全体を作曲し終えていたと主張しているが、相当数の草稿が失われたままである。
 
初演は[[1903年]]、[[2月11日]]に[[フェルディナント・レーヴェ]]の指揮により[[ウィーン]]で行われた。ただし初演で用いられたのは後述のレーヴェによる改訂版である。
 
== 楽器編成 ==
*[[フルート]]3
*[[オーボエ]]3
*[[クラリネット]]3
*[[ファゴット]]3
*[[ホルン]]8(第5 - 8ホルンは[[ワグナーチューバ|ワーグナーチューバ]]と持ち替え)
*[[トランペット]]3
*[[トロンボーン]]3
*[[チューバ|バス・チューバ]]1
*[[ティンパニ]]1
*[[弦楽合奏|弦楽五部]]。
 
第7番に使われた編成を基本的に踏襲。
 
== 演奏時間 ==
演奏時間は、演奏により差があるが、いくつかの演奏実例を元に、演奏時間を以下のように紹介する例もある。
 
* 第1楽章=23 - 26分程度
* 第2楽章=9 - 11分程度
* 第3楽章=25 - 28分程度
 
完成している第1~3楽章まで通して約64分と紹介する例もある。第1楽章よりも第3楽章のほうが長い演奏が多いが、逆に短くなっている演奏もある。
また、補筆完成された第4楽章まで全て演奏した場合、使用する版によっては演奏時間が90分前後となり、第8番よりも長い楽曲となる。
 
<!--終楽章の演奏時間については、補作完成された版ごとに論じるべきと考える。ノート参照-->
 
== 楽曲解説 ==
交響曲の定石どおり全部で4楽章の構成で作曲される予定であった。しかし完成されたのは第3楽章までであり、第4楽章は作曲者の死去によって未完成のまま終っている。こうした経緯から、実演や録音には完成された第3楽章までが採り上げられる場合がほとんどで、第4楽章が演奏される場合には補筆完成者の名前を謳って「○○稿に基づく」といった注釈がなされる。
 
なお、[[スケルツォ]]の配置を第2楽章にする点<ref>この手法は交響曲第8番でも用いられている。</ref>、[[調性]]を[[ニ短調]]とする点、第1楽章冒頭を[[空虚五度]]で開始する点などは[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]の『[[交響曲第9番_(ベートーヴェン)|第九]]』と共通している。
 
=== 第1楽章 ===
'''Feierlich, misterioso'''(荘重に、神秘的に)
{{External media
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| topic = 第1楽章<br />Feierlich, misterioso
| audio1 = [https://www.youtube.com/watch?v=V9bY_c3IDWI ユッカ=ペッカ・サラステ指揮]
| audio2 = [https://www.youtube.com/watch?v=epk5wIVkbYc ギルバート・レヴァイン指揮] - 以上、何れも「[[ケルンWDR交響楽団]]の管弦楽。ケルンWDR交響楽団公式YouTube。」
}}
 
[[ニ短調]]、2分の2拍子。再現部の第1主題部と展開部が融合した自由なソナタ形式。[[ソナタ形式]]の展開部と再現部を[[入れ子]]にするブルックナーの傾向は、この楽章において完全に具現化されている。この楽章の形式について作曲家の[[ロバート・シンプソン]]は、「陳述、反対陳述、そして帰結」と言い表している。冒頭のブルックナー開始に於いて空虚5度で始まる方法は、ベートーヴェンの第九と同様の手法を取ったとも考えられる。
 
空虚5度(ニ・イ)のブルックナー開始で始まった後に提示される第1主題は瞑想的な音楽で8つの動機によって形成され、第63小節からの第7動機で頂点を作る。なおこの後全曲に出てくる全ての動機はこれらの変形による。
 
第2主題は97小節から始まり、[[イ長調]]の響きの基、[[ポリフォニー]]の展開を続ける。ここでも旋律は半音階的で2小節で12音全て使い切る部分もあり、調性は不安定である。123、141小節に[[ハ長調]]の動機が突如として現れる。
 
第3主題は[[ニ短調]]、154小節に[[主音]]と[[属音]]だけで構成された動機が[[オーボエ]]に現れ、それを弦楽が転回系で応えるというものである。クライマックスの後穏やかなヘ長調となり提示部を終える。
 
展開部では第1主題の動機が拡大して展開し再び第7動機で頂点を迎える。このときには弦の激しい音階を伴い3回繰り替えされ、続いて355小節から後の[[新ウィーン楽派]]さえ想起させる斬新でポリフォニックな行進曲が続く。休止の後、今度は400小節から第7動機が憐れみを請うかのように提示されるがこれも短い。
 
再現部では展開部のほとんどが第1主題によるためか第2、第3主題のみとなり、これらもかなりの変形を受け、大変不協和なクライマックスの後、ワーグナー風の葬送[[コラール]]が現れる。
 
コーダ付近で[[交響曲第7番_(ブルックナー)|交響曲第7番]]第1楽章からのパッセージが引用され、また、第1主題の動機が執拗に繰り返される。最終ページにおいては i(ニ) で持続する低音声部に重ねて、Ⅱ度の[[ナポリの六度]]の和音(ト-変ロ-変ホ)が使われ、i度に対して軋るような[[不協和音]]を生じさせている。しかしそれも短く、最後には不協和音を振り切った全合奏によって中世の教会音楽の響きを連想させる空虚五度(ニ・イ)によって[[ニ短調]]の要素がなくなり、ニ調により決然と終わる。
 
=== 第2楽章 ===
'''Scherzo. Bewegt, lebhaft - Trio. Schnell'''(スケルツォ。軽く、快活に - トリオ、急速に)
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| topic = 第2楽章<br />Scherzo. Bewegt, lebhaft - Trio. Schnell
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}}
 
[[ニ短調]]、4分の3拍子の[[スケルツォ]]。形式は[[複合三部形式]]。このデーモニッシュなスケルツォの開始和音は[[トリスタン和音]]を移調したもので、主調であるニ短調についても調的に曖昧なところがある。ブルックナーの他のスケルツォ楽章に比べ、民族的な要素はわずかな部分でしかない。
 
開始から42小節間の間は[[トリスタン和音]]の変形と分散により浮遊感を漂わせる。[[表現主義音楽|表現主義]]的な[[管弦楽法|オーケストレーション]]のもと、ニ短調と嬰ハ短調が対比的に扱われる。43小節からトゥッティとなり聴衆を驚かせる。それはさらに線的書法へと変形し、頂点を迎える。そのあと115小節からオーボエの愛らしい主題が登場する。これは民謡風の明るいものだが、せわしなくなり再びトゥッティの主題が現れてコーダに向かう。
 
[[トリオ]]は[[遠隔調]]の[[嬰ヘ長調]]が使われ、トリオとしては異例の速さがとられている(ブルックナー作品にしては珍しい)。ロバート・シンプソンはこの箇所におぞましさを見出し、ブルックナーが偽善的な個々人の振る舞いを書きとめていると標題的に解釈した。舞踊風の主題と、[[エレジー]]が[[ロンド形式]]を織り成す。
 
=== 第3楽章 ===
'''Adagio. Langsam, feierlich'''([[アダージョ]]。遅く、荘重に)
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| topic = 第3楽章<br />Adagio. Langsam, feierlich
| audio1 = [https://www.youtube.com/watch?v=eybIp-vKx20 ユッカ=ペッカ・サラステ指揮]
| audio2 = [https://www.youtube.com/watch?v=wKtSUFtc-gk ギルバート・レヴァイン指揮] - 以上、何れも「[[ケルンWDR交響楽団]]の管弦楽。ケルンWDR交響楽団公式YouTube。」
}}
 
[[ホ長調]]、4分の4拍子。抒情的な静けさと畏怖の念をもつ音楽。形式は[[変奏曲]]とも、再現部を伴わない、または再現部と展開部の融合した[[ソナタ形式]]とも取れる自由なものである。
 
冒頭第1ヴァイオリンが9度上昇しつつ、旋律はブルックナーが交響曲第7番などに用いた上昇音階に変容する。第9小節から第16小節にかけて高揚し、第17小節からはフォルティッシモの超越的な頂点に達する。静まるとすぐに第29小節からは[[ワグナーチューバ|ワーグナーチューバ]]に荘厳なコラール風の主題が挿入される。第1楽章第1主題を暗示したこの主題をブルックナーは「生との訣別」と呼んだ。ここまでが第1主題部と考えられる。
 
続く第2主題は第45小節から変イ長調、弦楽に現れる。木管に受け継がれながらも第57小節からは変ト長調の新たな主題に発展する。やがてホルンの動機を加えつつ、最終的にはワーグナーチューバが不協和音を奏でフルートがコーダに登場する伴奏音形を予告する形で総休止となる。
 
展開部においては幾分自由な主題展開を見せる。まず、第1主題が初めの形のまま再現する。対位法的に少し発展した後に、第1主題の転回形がチェロとコントラバスによって奏せられ、次第に上昇する。次に第2主題が現れる。弦楽器が次第に上昇し、オーボエとホルンの短い動機で一段落する。総休止の後、第2主題が現れるが、ここでは2倍の音価によって拡大された形で奏される。第199小節にくるこの部分最後の音楽はロ短調フォルティッシッシモの大変不協和なクライマックスとなり結尾和音では属13の完全和音となる。
 
コーダは第207小節から始まり調性は穏やかにホ長調へと収束していく。「ニ短調ミサ」と「ヘ短調ミサ」の主題、第2交響曲のアダージョ主題、第5交響曲のフィナーレ主題、第7交響曲の冒頭主題や第8交響曲のアダージョ主題などを回想し静かに楽章を終える。
 
=== 第4楽章(未完成) ===
(ブルックナー自身による速度、発想表記はない。以下に代表的な補筆完成版のものを挙げる)
;Misterioso, nicht schnell(SMPC・コールス版)
;Bewegt, doch nicht zu schnell(サマーレ・マッツーカ版)
;Allegro moderato(キャラガン版)
;Bewegt, doch nicht zu schnell(シャラー版)
 
[[ニ短調]]、2分の2拍子。複雑な[[ソナタ形式]]。現存するスケッチによると、複雑な和音による序奏、副付点音符による激しい第1主題の後に穏やかな第2主題、第1楽章のコラールが明るい形で現れたホルンによる第3主題と続く。テ・デウムの基本音形に導かれて展開部が始まり、再現部は第1主題が複雑な二重[[フーガ]]となって高揚していく。このようなフーガを用いた手法は[[交響曲第5番 (ブルックナー)|第5交響曲]]の終曲に似ている。第2主題を経て上記のように第3主題部(テ・デウムの基本音形と組み合わされる…後記)まで来た所で自筆譜は途切れている。コーダの前には他の交響曲のように第一楽章の第一主題の再現が来るが版によってはないものもある。コーダもいろいろな形があり第一楽章と第四楽章の主要主題を組み合わせたものが一般的である。
 
<!--ここは楽曲解説なので、以降の記載は場所を移動しました-->
 
== 版問題 ==
ブルックナーはこの曲を改訂するどころか、完成にも至らなかった。そのため(例えば第1番 - 第4番や第8番のような)、作曲者による異稿は存在しない。また完成された楽章に関しては、資料上の混乱も少ないので、原典版(オーレル版、ノヴァーク版、コールス版)の相違も少ない。ただし、原典版出版以前に出版されていた初版(レーヴェ版)は、原典版との相違が非常に極端であった。このほか、未完成の終楽章フラグメント、第2楽章の草稿が出版されているほか、第4楽章を完成させようとする試みもいくつか見られる。
 
=== レーヴェ版 (1906年) ===
[[1906年]]に[[フェルディナント・レーヴェ]]が作成した版で、いわゆる「初版」または「改訂版」。完成された3楽章のみからなる。最初の出版譜であり、死後の初演で使われたのもこの版であり[[1932年]]まで、この版しか出版されていなかった。レーヴェは独断で変更を加え、作品全体を改竄してしまっている。ブルックナーの[[管弦楽法]]やフレージング、[[デュナーミク]]に後知恵を加えただけでなく、ブルックナーの急進的な[[和声法]](たとえばアダージョ楽章の属13の和音など)を旧式に引き戻してもいる。レーヴェ版はこの作曲家の初版スコア群(いわゆる改訂版)の中でも特に改訂内容が極端であり、ブルックナーの意図を不当に捻じ曲げたまがい物とみなされている。今日では実際に上演・録音されることはほとんどなくなっている。レーヴェ版の演奏は、[[ハンス・クナッパーツブッシュ]]や{{仮リンク|フレデリック・チャールズ・アドラー|en|Frederick Charles Adler}}が録音に残した。
 
=== オーレル校訂版 (1932年) ===
[[1932年]]、アルフレート・オーレル(Alfred Orel)による校訂。ブルックナーが本当に書いた部分を再現しようと試みた最初の校訂版(第1次全集版)。このオーレル版は、完成された3つの楽章を[[総譜|スコア]]にまとめ、終楽章のスケッチは別冊の資料にまとめた。第1次全集の他の交響曲とまとめて「[[ローベルト・ハース|ハース]]版」と扱われることもある。また終楽章については、[[1994年]]以降に出版された資料に比べると、情報不足かつ不正確であると言われている。
 
この版による、完成された3楽章の初演は、[[1932年]]にジークムント・フォン・ハウゼッガーの指揮により[[ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団]]が行った(両者は[[1938年]]に[[HMV]]にオーレル版の録音を残している)。初演に際しては、比較のためレーヴェ版に次いでオーレル版が演奏された。
 
=== ノヴァーク校訂版 (1951年) ===
[[1951年]]、[[レオポルト・ノヴァーク]]による校訂。完成された3楽章のみの、第2次全集版として出版されたもの。実質的に1932年のオーレル校訂版と差違がない。
 
=== コールス校訂版 (2000年) ===
[[2000年]]、{{仮リンク|ベンヤミン=グンナー・コールス|en|Benjamin-Gunnar Cohrs|de|Benjamin Gunnar Cohrs}}による、完成された3楽章の新校訂版。[[ニコラウス・アーノンクール]]が録音した。ウィーンで新たに発見された筆写譜を参照としており、ノヴァーク版に比べ30ヶ所程度の修正がある。
 
=== そのほかの出版 ===
第2次全集版の一環で、以下のものが出版されている。
* 終楽章のフラグメント([[1994年]]版、フィリップス(John Philips)校訂)
* 終楽章フラグメントの自筆稿ファクシミリ版([[1996年]]版、フィリップス校訂)
* 第2楽章およびトリオの草稿([[1998年]]版、コールス校訂)
* 終楽章のドキュメンタリー・スコア([[2002年]]版、フィリップス校訂)
 
== フィナーレ、およびその完成版について ==
 
=== 概要 ===
前記「作曲の経緯」にあるとおり、[[1894年]](第3楽章完成の時期)に、ウィーン大学の講義において、この交響曲第9番が未完成に終わった場合には自作のテ・デウムを演奏するように示唆したと伝えられる。
 
その後ブルックナーは終楽章の作曲を続け、最期の日([[1896年]][[10月11日]])までペンを執っていたが、楽章の完成には至らなかった。
 
未完成に終わった第4楽章の自筆楽譜は、ソナタ形式の再現部の第3主題部でペンが止まっている。
 
=== 残された草稿について ===
ブルックナーの死後、回収業者が作曲家の自宅を漁り回った結果、フィナーレの草稿の一部が散逸した。その一部はその後[[アメリカ合衆国]]で発見され、[[オーストリア]]から[[ワシントンD.C.]]へと渡っていたことが判明した。現在でも自筆譜の断片の捜索は続けられている。
なお、[[1999年]]に国際ブルックナー協会より、現時点でのスコアの断片が J.Phillips による校訂報告付きで出版されている。
 
=== 後生の研究者・演奏者の、終楽章に対する見解 ===
終楽章について、以下のような見解もある。ただし、この種の見解には、往々にして、根拠不明の憶測が含まれることに、注意しなければならない。
* ブルックナーは、死期が迫っているのを感じ、考えが熟さないまま終楽章のスコアに手を付け始めた。現在自筆楽譜で残されている部分についても、必ずしも最終形を意図して書いたわけではなく、まだまだ推敲を重ねていくつもりだった(ブルックナー研究家の川崎高伸による)。
* ブルックナーは終楽章を完成できる自信がなく、その逃避のために第1交響曲の改訂に長時間を費やしてしまった(指揮者の[[ギュンター・ヴァント]]による)。
 
=== 「終楽章=テ・デウム」発言に対する、後生の研究者・演奏者の見解 ===
「終楽章が未完であれば代わりに『[[テ・デウム (ブルックナー)|テ・デウム]]』を」の発言は、[[1894年]](第3楽章完成の時期)のものである。この考えをブルックナーが最期まで持っていたのかどうかは定かではない。
 
「交響曲第9番の終楽章=テ・デウム」とするのは、形式上・調性上([[ハ長調]])・曲のスタイル・管弦楽編成など、あらゆる面から無理のある考え方であると、多くの研究者・演奏者が認めている。ブルックナーがその辺りをどう考えていたのかは、定かではない。
 
上記を鑑み「交響曲第9番の終楽章=テ・デウムとするために、経過部分を作曲しようとした」との説もある。残された終楽章の草稿の一部にテ・デウムと類似の音型が使われている部分があることから、終楽章草稿の一部または全てを、前述のような「経過部分」と見なす考え方もある。
 
=== フィナーレ演奏について ===
==== 完成された3楽章のみによる演奏 ====
研究者の間では、ブルックナー自身は、この3楽章で演奏を終わらせることは望んでなかったという判断を与える人が多いが、現実には終楽章は完成していないので、完成している3楽章のみで演奏されることが多く、少なくとも現時点では、一般的に行われている。注釈なしで「交響曲第9番」の演奏と言う場合、通常はこの形(完成された3楽章のみの演奏)を意味する。
 
==== テ・デウムを含めた演奏 ====
ブルックナーによる「終楽章が未完であれば代わりに『テ・デウム』を」の発言を尊重し、同一演奏会で『テ・デウム』を演奏する実例も、決して少なくない。この場合、連続して演奏する場合もあるし、休憩を挟んで演奏する場合もある(『テ・デウム』を先に演奏することもある)。実際、この第9交響曲が初演されたときにも、同じ演奏会で『テ・デウム』が演奏された。
 
ただし、いずれにしても「交響曲第9番の終楽章=テ・デウム」として演奏されるのではなく、同じ演奏会で「交響曲第9番」と「テ・デウム」が演奏されるという形になるのが一般的である。
 
交響曲としての問題点は動機と和声様式が晩年のそれではなくて第7交響曲時代のものであること。調性がニ短調やニ長調ではなくてハ長調であること。なんらかの楽章間の主題関係が全く無いことが挙げられる。
 
==== 終楽章を含む演奏、あるいは終楽章の演奏 ====
終楽章を完成(補作)した上で演奏する例も、近年複数例きかれるようになった。補作完成した終楽章については後述する。通常、先行の3楽章に補作完成された終楽章が続けて演奏される(まれに、終楽章単独で演奏・録音される場合もある)。この形で演奏される場合、通常「終楽章付き」「完成版」などの注釈が付く。
 
一方、ブルックナーの遺した断片を演奏する例もある。[[ヨアフ・タルミ]]がキャラガン完成版(1983年)を録音した際には、完成版とは別に、断片をそのまま演奏・録音し、LP(CD)に同時収録していた。これによって、ブルックナーが実際に作曲したものがどれだけ実用化され、校訂者の想像力がどれだけ含まれているのかを、聴き手が直接確認できるとも評された。
 
[[2002年]]の[[ザルツブルク音楽祭]]では、[[ニコラウス・アーノンクール]]と[[ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団]]がフィリップス校訂の演奏用版を用いてフィナーレの断片を演奏・録音した。この演奏会はアーノンクールによる解説付きの[[ワークショップ]]形式で行われ、休憩をはさんだ後にコールス校訂版の第1 - 第3楽章が演奏された。ただし、コーダのスケッチは和声の指定のみの部分が多いとして取り上げなかった。また、アーノンクールは「ブルックナー以外の音は一切入っていない」と述べたが、実際は校訂者による補筆が数ヶ所含まれている。
 
=== 終楽章の補作完成について ===
ブルックナーの草稿を基に終楽章を補作完成(ひいてはこの交響曲第9番を完成)させようとする試みは、たびたび繰り返されてきた。この楽章の大部分がほとんど完全にオーケストレーションされていることに加え、ブルックナー独特の作曲スタイルを考慮すると、あといくつかの草稿があれば概ね終楽章全体を構成できるはずだとの考え方もある。とはいえ、草稿が存在しない部分は作曲者の手によらない創作になるのはやむを得ない。特に[[ソナタ形式|再現部]]の後半から[[コーダ]]において各校訂者により大きな違いが見られる。そのたび重なる批判版の連続が今日のブルックナーの版の違いを今日まで至らしめている一つの原因ともなっている。
 
==== キャラガン完成版 (1983年) ====
[[:en:William Carragan|ウィリアム・キャラガン(William Carragan)(英語版)]]は[[交響曲第2番_(ブルックナー)|交響曲第2番]]の校訂者でもある。この第9番終楽章の補作は、[[1979年]]から[[1983年]]にかけて行われた。
 
脱稿の翌[[1984年]]、[[モーシェ・アツモン]]指揮[[アメリカ交響楽団]]によって[[カーネギー・ホール]]で初演された。[[ヨアフ・タルミ]]指揮[[オスロ・フィルハーモニー管弦楽団]]で、[[イギリス]]・[[シャンドス]]社に録音されており、その演奏時間は約22分である。なお、上記「'''終楽章を含む演奏、あるいは終楽章の演奏'''」の項で言及されたオリジナル断片の演奏は約16分である。
 
次項で述べるサマーレ=マッツーカ版やそれ以前の補筆完成版と同様、1934年出版のオーレル校訂の資料不足かつ不正確なフィナーレ草稿を基にしているので、ブルックナー的でないとも評される。
 
その後新しく発見された資料を基に、キャラガンはその後終楽章の補作を改めて行った(これについては後述)。
 
==== サマーレ=マッツーカ完成版 (1986年) ====
キャラガンの労作とは別個に、{{仮リンク|ニコラ・サマーレ|en|Nicola Samale}}とジュゼッペ・マッツーカ(Giuseppe Mazzuca)が協力して[[1986年]]にまとめ上げた。後述のいわゆるSMPC版(サマーレ=マッツーカ=フィリップス=コールス完成版)に比べると、前述の通り資料不足のためか先行3楽章とはやや異なった書法となった。[[エリアフ・インバル]]と[[ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー]]によって録音されている。
 
==== ノース S. ヨゼフソン版 (1992年) ====
[[シュトゥットガルト]]のカールス出版社から出ている[[1992年]]に完成した版。[[1997年]]にクラウス・アルプ指揮の[[カイザースラウテルンSWR放送管弦楽団]]によって初演されている。演奏時間約15分。楽器編成は原典版に同じ。ジョン・ギボンズ(John Gibbons)指揮でdana cord・レーベルに録音がある。演奏時間は20分22秒。
 
==== SMPC完成版 (1992年/1996年) ====
この企画のために、サマーレとマッツーカのチームにジョン・A・フィリップスと{{仮リンク|ベンヤミン=グンナー・コールス|en|Benjamin-Gunnar Cohrs|de|Benjamin Gunnar Cohrs}}が加わった。なおSMPCとは「サマーレ、マッツーカ、フィリップス、コールス」の4人の頭文字である。
 
第1に1986年のサマーレとマッツーカの2人は[[1983年]]から[[1984年|84年]]の調査によって、それまで知られていなかった相当数のフィナーレ新資料を発見するに至った。ただし前述のサマーレ=マッツーカ版ではそれが反映されているとは言いがたく、学会でも珍音楽扱いされていた。この状況を打開するためジョン・A・フィリップスとベンヤミン=グンナー・コールスが加わった(ただしマッツーカは多忙のため87年から離れることになった)。
 
そしてようやく[[1990年]]に徹底的な分析が試みられ、SMPC版が誕生した。これは[[クルト・アイヒホルン]]指揮[[リンツ・ブルックナー管弦楽団]]によりカメラータ・トウキョウに録音され、脚光を浴びた。このアイヒホルン盤では演奏時間は約30分。[[1996年]]にはフィリップスが単独で改訂を行った。[[ヨハネス・ヴィルトナー]]指揮の{{仮リンク|ヴェストファーレン・ノイエ・フィルハーモニー管弦楽団|de|Neue Philharmonie Westfalen}}により[[ナクソス (レコードレーベル)|ナクソス・レーベル]]に録音されている。
 
この版においては、再現部でフーガとなる第1主題、ホルンによる新動機、第2主題を経て[[交響曲第6番 (ブルックナー)|交響曲第6番]]、テ・デウムなどの動機を引用した後、コラールの再現、ホルンの動機と第1楽章第1主題の引用(ここからが補作となる)を経て全休止。コーダでは、[[:de:Max Auer (Musikwissenschaftler)|マックス・アウアー]]のブルックナー伝の記述などに基づき、全4楽章とテ・デウムの動機、そしてテ・デウムの動機とコラールが対位法的に同時進行するところでクライマックスとなり、全休止。そして[[ニ長調]]に転じ、最弱音で始まるテ・デウムの動機、息の長い「賛歌」でフォルテにより締めくくられる。
 
フィナーレの最後については、死の1年前の[[1895年]]にブルックナー自身が、『'''第二楽章のアレルヤ'''』を力強く持ってきて、'''愛する神を褒め称える賛歌'''として終わらせるつもりだ、と語っていた(医師のリヒャルト・ヘラーの証言による)。フィリップスはこの『アレルヤ』を第8番第二楽章トリオの25小節以降の一節(D-E-F#-A-D)だと推定し、これを基にコーダを補作した(後述のLetocart版では、本曲の第二楽章冒頭の動機を用いている)。アイヒホルン盤に、フィリップス自身による譜例付きの解説が載せられている。
 
==== コールス完成版 (2004年改訂版/2008年改訂版/2011年改訂版)====
[[2004年]]、コールスの最新の調査によって略記されたスケッチから完全に消えてしまったフーガ部の8ページ相当の内容を復元することが可能となった。ただしこの時点でフィリップスと他の2人は対立し結果としてフィリップスはこのプロジェクトから離脱した。結局サマーレとコールスの2人で新版が出された。[[1996年]]からSMPC版を底本にしたサマーレと共に現在Breman&Rom2004(ミュンヘン)から出版されている唯一の公開批判版。グッテンベルク財団が寄付的に浄書した校訂報告が英語版も含めて200ページ近くにもなる。全665小節。{{仮リンク|マルクス・ボッシュ|de|Marcus R. Bosch}}の指揮により録音されている。第1 - 3楽章までのテンポがかなり速いボッシュ盤での演奏時間は約20分である。
 
その後、サマーレとコールスは[[2008年]]に更なる改訂を行い、同年[[9月28日]]に[[湯浅卓雄]]指揮・[[芦屋交響楽団]]により日本初演された<ref>{{Cite web |url = https://web.archive.org/web/20191024172636/http://we-love-music.ashikyo.info/concert/concert50_lt.html|title = 定期演奏会(第51回以降) |publisher = we-love-music.ashikyo.info |date = |accessdate = 2019-10-25}}</ref>。
 
[[2011年]]の改訂版ではコーダが改訂され、同年[[10月15日]]に[[フリーデマン・レイヤー]]指揮のオランダ[[ブラバント管弦楽団]]により[[ブレダ (オランダ)|ブレダ]]で初演された。[[サイモン・ラトル]]指揮[[ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団]]による録音が[[2012年]]に[[EMI]]から発売されている。全647小節中でブルックナーが完全に総譜として書き上げたのは207小節にのぼり、校訂者による完全な補筆部分は37小節に留まる。SMPC版との最大の違いは、コーダのクライマックスの後の総休止が無くなり、切れ目なしにニ長調の「賛歌」へ続いて短く終結することである。なお、このラトル盤では演奏時間は23分弱である。
 
==== キャラガン完成版 (2006年改訂版/2010年改訂版)====
前記キャラガンは、[[1983年]]に一旦終楽章の完成版を完成させたものの、その後新たに発見された資料を元に内容改訂を行った。この版は、[[2006年]][[9月28日]]に[[内藤彰]]指揮の[[東京ニューシティ管弦楽団]]の演奏で世界初演および録音された。なお、この演奏会では同時にトリオ第2稿の世界初演も行われた。フィナーレの演奏時間は23分弱。本演奏のCDに、キャラガン自身による解説がある。
 
その後キャラガンは[[2010年]]にさらなる改訂を加え、[[:en:Gerd Schaller|ゲルト・シャラー(英語版)]]指揮の[[:en:Philharmonie Festiva|フィルハーモニー・フェスティヴァ(英語版)]]([[ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団]]、[[バイエルン放送交響楽団]]、[[バイエルン国立歌劇場管弦楽団]]のメンバーと首席奏者たちによるオーケストラ)による録音が[[2011年]]に発売された。演奏時間は22分。
 
==== シャラー完成版 (2016年/2018年改訂版) ====
上記[[:en:Gerd Schaller|ゲルト・シャラー(英語版)]]は、2016年この交響曲の最終楽章を自身によって補作完成させた。この版は、ブルックナーが遺した注釈に密接に基づき、ブルックナーのオリジナルの[[草稿]]を用い、最も初期のスケッチからなど利用可能なすべての下書き素材を考慮に入れ、できうる限り残されたギャップを埋めようとしたものであり、最終的に全体で736小節にわたるものとなっている。
 
また、シャラーは指揮者としての経験や、ブルックナーの作曲技法をブルックナーの11の交響曲全サイクルのレコーディングに適用してきたという経験に基づいて、アーカイブからの素材を楽譜内の欠損部分に補なっており、その結果、オリジナルの草稿では不連続な楽節でさえブルックナーのスタイルで書かれたものとして聴くことができるとされる<ref name="ward-completion">{{cite news|last=Ward|first=Ken|title=EBRACH, BAVARIA ABBEY 24 JUNE 2016; Bruckner - Symphony No. 9 (with finale supplemented from original sources and completed by Gerd Schaller), Philharmonie Festiva / Gerd Schaller|work=The Bruckner Journal|date=October 25, 2016|url=http://www.gerd-schaller.de/images/aktuell/Ebrach_B9_review.pdf}}</ref>。
 
フィナーレの[[フーガ]]部分は、シャラー補筆の中心部分だといえる。このフーガに込められた高揚された対位法的緊張は、交響曲開始時のテーマ素材を長調に移されたクライマックスへの導入として使われ、また第8交響曲同様、交響曲全楽章の主題の複合的な引用として使われている。フィナーレの[[コーダ]]部分を完成させるにあたり、シャラーは、過去の交響曲や交響的合唱曲、本交響曲の他楽章のテーマ参照などの曲素材を回想させるという形で、これまでのブルックナー作品を通じたテーマやモチーフを利用している。
 
フィナーレのシャラー版は、2016年7月24日、[[:en:Ebrach Summer Music Festival|エーブラハの夏の音楽祭(英語版)]]の折、[[:en:Ebrach Abbey|エーブラハ寺院(英語版)]]において[[:en:Philharmonie Festiva|フィルハーモニー・フェスティヴァ(英語版)]]により初演され、[[:de:Hänssler Classic|プロフィル(独語版)]]・レーベルにより録音されている。演奏時間は約25分。この稿はさらに改訂の上、2018年3月に出版されている。(Ries & Erler, Berlin, Score No 51487, ISMN M-013-51487-8)
 
====その他の補筆版====
オーストリアの指揮者[[エルンスト・メルツェンドルファー]](1969年)、オランダの作曲家Goverdus Henricus Hein 's-Gravesande(1969年)、Marshall Fine(1979年)、ベルギーのオルガニスト及び作曲家Sébastien Letocart(2008年)などによる終楽章の補筆版が発表されている。また、遺されたスケッチに基づいて、補筆ではなく自由な作曲を行なったケースとして、[[ゴットフリート・フォン・アイネム]](1918年-1996年)の「ブルックナー・ディアローグ Op.39」(1971年作曲)と、オランダの指揮者兼作曲家、Peter Jan Marthe (2006年)によるものが挙げられる。
 
== 関連項目 ==
* [[ローベルト・ハース]]
* [[レオポルト・ノヴァーク]]
* [[第九の呪い]]
 
== 脚注 ==
<references />
 
== 外部リンク ==
*[http://www.kanzaki.com/music/perf/brc?o=WAB.109 曲の概要(譜例付き)]
*{{IMSLP2|work=Symphony No.9 in D minor, WAB 109 (Bruckner, Anton)|cname=交響曲第9番ニ短調}}
*[http://www.dlib.indiana.edu/variations/scores/acg4636/large/ ブルックナーの交響曲第9番の総譜 (HTML)] - IUDLP: The Indiana University Digital Library Program
*[https://musopen.org/ja/music/4202-symphony-no9-in-d-minor-wab-109/ Symphony No.9 in D minor, WAB.109] - 『[[Musopen]]』より
*[http://www.free-scores.com/download-sheet-music.php?pdf=40078 Symphony No.9 in D minor WAB.109] - 『Free-scores.com』より
*『ABRUCKNER.COM』より
**[https://www.abruckner.com/discography/symphonyno9indmino/ Discography「Symphony No.9」]
**[https://www.abruckner.com/downloads/scoresorchestraltr/orchestralscores/symphonyno9/ Orchestral Scores「Symphony No.9(Eulenburg Edition)」] - 「Downloads」コーナーより
*[http://www.bruckner-online.at/miradorAGA.php?AGA=AGA09 IX. Symphonie d-Moll] - 『Bruckner Online』より
*[https://archives.nyphil.org/index.php/artifact/7c263f27-f67e-4480-94d2-0a4bd1a8455b-0.1 Bruckner, Anton/SYMPHONY NO.9, D MINOR - Score and Parts] - [[ニューヨーク・フィルハーモニック]]公式『Digital Archives』より《[[レナード・バーンスタイン|バーンスタイン]]が実際に使っていた当楽曲スコア(書込入り)を公開中》
*[https://www.opusklassiek.nl/componisten/bruckner_symphony_9_finale.htm Anton Bruckner's Symphony No.9 in D minor WAB.109 - The unfinished finale]{{en icon}} - 『OpusKlassiek』より《当楽曲に関する論文。終末部に自筆譜からの譜例を掲載》
 
 
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