ページ「アレッポ」と「星屑の町 (2020年の映画)」の間の差分

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{{Infobox Film
{{Coor title dm|36|13|N|37|10|E|scale:10000}}
| 作品名 = 星屑の町
{{世界の市
| 原題 = Stardust over the town
|正式名称 =アレッポ <!--必須-->
| 画像 =
|公用語名称 =حلب <br />Aleppo (Halab)<br/>{{flagicon|Syria}}<br/><!--必須-->
| 画像サイズ =
|愛称 =
| 画像解説 =
|標語 =
| 監督 = [[杉山泰一]]
|画像 =Aleppo new mix.jpg
| 脚本 = [[水谷龍二]]
|画像サイズ指定 =
| 原案 =
|画像の見出し =
| 原作 = 水谷龍二
|市旗 =
| 製作 = 髙橋正弥<br />横山勇人<br />佐藤現<br />小金澤剛康<br />小笠原宏之
|市章 =
| 製作総指揮 =
|位置図 =Sy-map.png
| ナレーター =
|位置図サイズ指定 =
| 出演者 = [[大平サブロー]]<br />[[ラサール石井]]<br />[[小宮孝泰]]<br />[[渡辺哲]]<br />[[でんでん]]<br />[[有薗芳記]]<br />[[のん (女優)|のん]]<br />[[菅原大吉]]<br />[[戸田恵子]]<br />[[小日向星一]]<br />[[相築あきこ]]<br />[[柄本明]]
|位置図の見出し =
| 音楽 = [[宮原慶太]]
|位置図2 =
| 主題歌 =
|位置図サイズ指定2 =
| 撮影 = [[佐光朗]]([[日本映画撮影監督協会|J.S.C.]])(撮影監督)<br />的場光生
|位置図の見出し2 =
| 編集 = 栗谷川純
|緯度度 =36 |緯度分 =13 |緯度秒 = |N(北緯)及びS(南緯) =N
| 制作会社 = [[メディアプルポ]]<br />ヒコーキ・フィルムズ インターナショナル
|経度度 =37 |経度分 =10 |経度秒 = |E(東経)及びW(西経) =E
| 製作会社 = 「星屑の町」フィルムパートナーズ
|成立区分 =
| 配給 = [[東映ビデオ]]
|成立日 =
| 公開 = {{Flagicon|岩手県}}{{Flagicon|青森県}}{{Flagicon|秋田県}}{{Flagicon|宮城県}} [[2020年]][[2月21日]](先行上映)<br />{{Flagicon|JPN}} 2020年[[3月6日]](全国公開)
|成立区分1 =
| 上映時間 = 129分
|成立日1 =
| 製作国 = {{JPN}}
|成立区分2 =
| 言語 = [[日本語]]
|成立日2 =
|旧名 製作費 =
| 興行収入 =
|創設者 =
| 配給収入 =
|下位区分名 ={{SYR}} <!--必須-->
| 前作 =
|下位区分種類1 =[[シリアの行政区画|県]]
| 次作 =
|下位区分名1 =[[アレッポ県]]
|下位区分種類2 =郡
|下位区分名2 =ジャバル・サムアーン(Jabal Sam'an)
|下位区分種類3 =
|下位区分名3 =
|下位区分種類4 =
|下位区分名4 =
|規模 =市 <!--必須-->
|最高行政執行者称号 =Governor
|最高行政執行者名 =Tamer Alhajeh
|最高行政執行者所属党派 =
|総面積(平方キロ) =
|総面積(平方マイル) =
|陸上面積(平方キロ) =
|陸上面積(平方マイル) =
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|水面面積比率 =
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|市街地面積(平方マイル) =
|都市圏面積(平方キロ) =
|都市圏面積(平方マイル) =
|標高(メートル) =390
|標高(フィート) =1,280
|人口の時点 =2008年
|人口に関する備考 =
|総人口 =1,671,673
|人口密度(平方キロ当たり) =
|人口密度(平方マイル当たり) =
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|市街地人口密度(平方マイル) =
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|都市圏人口密度(平方キロ) =
|都市圏人口密度(平方マイル) =
|等時帯 =[[東ヨーロッパ時間]]
|協定世界時との時差 =+2
|夏時間の等時帯 =[[東ヨーロッパ夏時間]]
|夏時間の協定世界時との時差 =+3
|郵便番号の区分 =
|郵便番号 =
|市外局番 =21
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|ISOコード =
|公式ウェブサイト =http://www.ealeppo.sy/
|備考 =
}}
『'''星屑の町'''』(ほしくずのまち)は、[[2020年の映画|2020年]][[3月6日]]に公開された[[日本映画]]<ref name="mantan20191217">{{Cite news|url=https://mantan-web.jp/article/20191216dog00m200076000c.html|title=のん:「新宿の女」熱唱 「恋の季節」でダンスも 映画「星屑の町」予告編公開|newspaper=[[MANTANWEB]]|publisher=株式会社MANTAN|date=2019-12-17|accessdate=2020-02-21}}</ref>。なお、全国公開に先がけて同年[[2月21日]]に[[東北地方|東北]]4県([[岩手県]]、[[青森県]]、[[秋田県]]、[[宮城県]])限定で公開された{{R|mantan20191217}}。
'''アレッポ'''(Aleppo (Halab)、{{lang-ar|حلب}} ['ħalab], {{lang-tr|Halep}})は、[[シリア]](シリア・アラブ共和国)北部にある都市である。[[トルコ]]との国境に近い。人口は[[2008年]]現在で約167万人あり、シリア最大の都市である。
 
== 製作 ==
[[アラブ語]]では「新鮮な乳」の意味の「'''ハラブ'''」と呼ぶ。アレッポは[[歴史的シリア|シリア地方]]でも最古の都市の内の一つで、古代にはハルペ (Khalpe) の名で知られた。[[古代ギリシア]]人は、[[ユーフラテス川]]流域([[メソポタミア]])と[[地中海]]の中間に当たる戦略上の要地であるこの町を占領してベロエア (Beroea) と呼んだこともある。もともとは、クウェイク川両岸の広くて肥沃な谷にある、幾つかの丘の集まりの上に建てられた都市だった。
原作と脚本を手がけた[[水谷龍二]]、[[ラサール石井]]、[[小宮孝泰]]が結成した「星屑の会」によって1994年の初演から2019年のアンコール公演まで上演された舞台『星屑の町』シリーズが本作のベースとなっており、地方回りの売れない昭和歌謡グループ「山田修とハローナイツ」の悲哀を描いた作品<ref name="eigacom20190430">{{Cite news|url=https://eiga.com/news/20190430/1/|title=のん、第2の故郷・東北で実写映画復帰! 昭和歌謡の名曲響く「星屑の町」のヒロインに|newspaper=[[映画.com]]|publisher=株式会社エイガ・ドット・コム|date=2019-04-30|accessdate=2020-02-21}}</ref>。なお、本作には舞台に出演した演者がすべて出演するほか{{R|eigacom20190430}}、女優の[[のん (女優)|のん]]が2014年公開の『[[海月姫]]』以来6年ぶりに映画に出演し、本作のヒロインを務める{{R|eigacom20190430}}。
 
=== ハローナイツ結成の経緯 ===
[[ハラブ県]]の領域は市の周辺16,000 km²に及び[[アル=バーブ]]、サフィラ、[[マンビジ]]、[[アイン・アル=アラブ]]などの近郊農村都市を抱え、住民は370万人にのぼる。2007年の推計では4,393,000人とシリア最大の県である。
[[コント赤信号]]の[[ラサール石井]]と[[小宮孝泰]]が、「(当時流行の若者たちが跳ね回る芝居ではなく)おじさんが中心の芝居がやりたい」と思っていたころに、[[クールファイブ]]のファンであった劇作家の[[水谷龍二]]と共同して芝居をやろうとした。コーラスグループのメンバー役として、赤信号側は[[有薗芳記]]を、水谷側は[[渡辺哲]]と[[でんでん]]を紹介した。ボーカル役が決まっておらず、オーディションであることを隠してカラオケ大会として[[大平サブロー]]を招き、歌がうまかったので歌唱力を見込んでボーカル役に起用した。<ref>映画『星屑の町』パンフレット8 - 9頁。石井、小宮、水谷の鼎談</ref>
 
なお、ハローナイツは現実の歌手グループとして「MISS YOU」(1996年、舞台『星屑の町』挿入歌)、「こちら亀座の女」(1999年、アニメ『[[こちら葛飾区亀有公園前派出所 (アニメ)|こちら葛飾区亀有公園前派出所]]』オープニングテーマ)の2枚のシングルを発売している。
[[アレッポ国際空港]]で中東や欧州各国と結ばれている。
 
== 概要あらすじ ==
東北の田舎町である山根村。この村の青年団がムード歌謡グループ「山田修とハローナイツ」を呼んでコンサートを開催することになった。山田修はこの村出身で、村のカラオケスナック「エアポート」の女主人、浩美がチケットを20枚以上売ったり、青年団が接待のために前日からメンバーをもてなす宴会を開いたりするなど、村はそれなりに盛り上がっていた。浩美の一人娘、愛は、店の客から以前「自分の本当の父親はハローナイツの中にいるかもしれない」との噂を聞いており、ハローナイツに興味を持っていた。浩美はかつて札幌・すすきので働いていたことがあり、その時にハローナイツの誰かとの交流の可能性があったのだ。
[[ファイル:Aleppo citadel001.jpg|thumb|left|アレッポ城]]
 
翌日のコンサート本番、楽屋の世話係と称し、愛が楽屋となっている学校の教室にやって来る。エアポートで行われた宴会の2次会で、ハローナイツのメンバーの一人、市村が吹いた「最初は付き人として、ゆくゆくはメンバーの一員としていられるようリーダーにかけあってやる」とのほら話を真に受けてやってきたのだ。芸能界が厳しく、うまくいかなくても一度入るとダラダラと抜けられなくなってしまうことを、実際にそういう状態になっていたハローナイツのメンバーは代わる代わる説くが、過去に芸能界を目指して上京し、挫折していた愛の決心は変わらない。前座としてキティ岩城が舞台で歌う裏で、愛はオーディションとして楽屋でギターをかきならし、歌を歌う。その歌は決して下手ではないものの、抜きん出て優れているとも言いがたいものだった。
アレッポ市街は、新市街と旧市街にはっきり分かれている。旧市街は5km弱の長さの[[城壁]]に囲まれ、7つの城門がある。旧市街の真ん中に中世に建てられた'''アレッポ城'''は、市街地から50mも高い巨大な丘(部分的に、人工的に盛り土されてできた[[土塁]])の上に立つ。土塁は上から見ると楕円形で、周りを深い堀に囲まれており城には大きな石造りの橋を渡って入る。今見ることのできる姿は[[13世紀]]にさかのぼり、以来何度かの[[地震]](特に[[1822年]]の地震)で破損している。
 
ハローナイツ一同は、愛を審査のためとして楽屋から追い出して相談する。そして、実力が抜きん出てはいなくても、話題性を求めて愛をグループに入れようかとハローナイツ一同が考え出した時、修の弟、英二が修を止めにかかる。愛には粗暴な伝説の残る祖父、六造が生きており、愛をこの村から連れ出そうとすればメンバーが殺されてもおかしくないと説く。その言葉におののいたハローナイツ一同は愛をメンバーにすることをすっかり諦めてしまう。そのうえ、センターボーカルの真吾がソロ活動のためグループを抜けることを宣言し、ここが潮時と考えた修はこのコンサートを最後にハローナイツを解散させることを決意する。
アラブ語の都市名「ハラブ」は乳の意味で、[[アブラハム]]が旅してきた旅人たちに乳を振舞ったとの伝承から来ている。古代から(伝説によれば[[ダビデ]]王の頃から)の大きな[[ユダヤ人]]コミュニティがあり、[[9世紀]]に建てられた大きな[[シナゴーグ]]がある。このシナゴーグが、[[930年]]ごろにベン・アシェル家が書き写した[[旧約聖書]]の最古級の[[コデックス|写本]]「{{仮リンク|アレッポ写本|en|Aleppo codex}}」があった場所で、[[1947年]]に起こったユダヤ人に対する暴動を経て、現在写本はエルサレムにある。ユダヤ人コミュニティは政治的・経済的な理由からアレッポを去っている。
{{Clearleft}}
==歴史==
{{see also|古代都市アレッポ}}
===古代===
現代のアレッポが古代アレッポの場所に立っているため、[[考古学]]者が発掘に当たる機会は少ない。一帯は[[紀元前1800年]]ごろから居住が始まり、[[ヒッタイト]]の記録にも記されている。[[ヤムハド王国]]の首都として栄え、その繁栄はヤムハドの支配者であった[[アムル人]]の王朝が[[紀元前1600年]]ごろ倒れるまで続いた。アレッポは[[紀元前800年]]ごろまでヒッタイトの支配下におかれ、[[アッシリア|アッシリア帝国]]、[[アケメネス朝|ペルシア帝国]]に支配された後、[[紀元前333年]]、[[セレウコス朝]]によって古代ギリシア人の支配するところとなった。[[セレウコス1世]]はこの都市をベロエアと改称した。セレウコス朝の支配は、[[紀元前64年]]にシリア地方が[[ローマ帝国]]に征服されるまで続いた。
 
いつもの決まったやり取りながらコンサートは大いに盛り上がり、「青年団のアイドルの愛ちゃんやんか」「愛ちゃん一緒に歌おか」と☆真ちゃん☆ステージに愛ちゃんを上げ一緒に歌う♪MISS YOU~でコンサートは大成功に終わる。コンサートの後、修は六造を引き合いに出して愛の採用を断ろうとするが、愛は六造が3年前に他界していることを明らかにする。英二は自分の息子、啓太が愛に惚れていることを知っており、引き離すまいとして嘘をついていたのだ。怒る修に、勝手に上京して戻ってこず、華やかな芸能界で活躍する兄を恨む英二は反論して兄弟げんかになるが、他のハローナイツメンバーは、修が決して恵まれた環境での活動などしていなかったことを明かし、兄弟は和解する。真吾こそ脱退したものの、ハローナイツの解散はなくなり、愛はハローナイツと共に再び上京した。
===中世===
[[ファイル:Bab Qinnasrin2010.jpg|thumb|240px|旧市街のQinnasrin門。今日の姿は[[アイユーブ朝]]の時代に再建されたものである。]]
ベロエアはビザンティン帝国([[東ローマ帝国]])の一部であったが、[[アラブ人]]によって[[637年]]に征服された。[[10世紀]]、[[944年]]に[[モースル]]の[[ハムダーン朝]]に征服されその後モースルから独立するが、ビザンティン帝国を再興させた[[ヨハネス1世ツィミスケス]]が遠征し、[[974年]]から[[987年]]の短期間、支配権を取り戻した。以後ふたたびハムダーン朝の支配下となったが、[[1004年]]王家断絶により[[エジプト]]の[[ファーティマ朝]]に併合された。
 
新生「愛&ハローナイツ」はドサ回りから一転、テレビ出演を果たすなど話題になり、愛はコンサートで一緒になった斬波のメンバーに褒められたりもしていた。山根村の一同もスナックで愛のテレビ出演を応援するなど盛り上がる。そんな中、楽屋でのキティ岩城との会話を通じ、愛は有名になっても本当の父親がいっこうに現れないことに疑問をもつ。浩美は英二と再婚することを決意し、愛もまた盛岡でのコンサートのあと、啓太と二人きりで会い、前に進むことを決意したことを話す。英二は浩美との結婚の話を修に報告し、すすきのでの修の思い出が「浩美と再会して飲んだだけ」であることも明らかになった。
[[1094年]]、[[テュルク]]系の[[セルジューク朝]]がアレッポを征服した。そこから分かれた[[シリア・セルジューク朝]]がアレッポを支配していた頃に2度、[[1098年]]と[[1124年]]に[[十字軍]]に包囲されたが、陥落はしなかった。[[テュルク]]系の諸[[アタベク]]政権である[[アルトゥク朝]]、[[ザンギー朝]]の支配を経て[[1183年]]、街はエジプトに[[アイユーブ朝]]を開いた[[クルド]]人将軍[[サラディン]]の手により開城され、アイユーブ朝の支配が始まる。
 
愛の「前に進む」とは、具体的にはハローナイツからの脱退だった。愛が抜けたハローナイツはまた一転、仕事が減り、ドサ回りの生活に戻る。キティ岩城との汽車での移動中、ソロ活動に限界を感じた真吾が再合流し、もとの仲間でのハローナイツとなった。愛は斬波とともに、別のステージで歌っていた。
[[モンゴル帝国]]の[[フレグ]]が[[1260年]]にアレッポを征服し破壊したが({{仮リンク|アレッポ攻囲戦 (1260年)|en|Siege of Aleppo (1260)|label=アレッポ攻囲戦}})、フレグの創設した[[イルハン朝]]の後継争いの中、[[1317年]]に地元の領主が独立し、エジプトの[[マムルーク朝]]の影響下に入った。[[1517年]]、テュルク系の[[オスマン帝国]]の[[セリム1世]]によりアレッポを含むシリア地方は征服されマムルーク朝も滅亡し、以後オスマン帝国の長い統治が始まった。1517年時点での人口は約5万人だった。
 
== キャスト ==
アレッポ周囲では[[地震]]が頻発しているが、[[1138年]][[8月9日]]の大地震はとりわけアレッポとその周囲に壊滅的な被害を与えた。当時の記録による被害者数には全幅の信頼は置けないが、23万人以上の犠牲者が出たとみられ、世界地震史上でも4番目に犠牲者数の多い地震となっている。
* 天野真吾:[[大平サブロー]]
* 市村敏樹:[[ラサール石井]]
* 山田修:[[小宮孝泰]]
* 込山晃:[[渡辺哲]]
* 西一夫:[[でんでん]]
* 青木五郎:[[有薗芳記]]
* 久間部愛:[[のん (女優)|のん]]
* 山田英二:[[菅原大吉]]
* キティ岩城:[[戸田恵子]]
* 山田啓太:[[小日向星一]]
* 久間部浩美:[[相築あきこ]]
* 久間部六造:[[柄本明]]
 
===近代= スタッフ ==
* 原作・脚本:[[水谷龍二]]
[[ファイル:MapAleppo 1912.jpg|thumb|left|280px|1912年のアレッポの地図。城の土塁が街の真中にある]]
* 監督:[[杉山泰一]]
* 音楽:[[宮原慶太]]
* 製作:鍋島壽夫、植村泰之、[[與田尚志]]、有馬一昭、星野晴美、永森裕二
* 企画:林哲次、[[嶋田豪]]
* プロデューサー:髙橋正弥、横山勇人、佐藤現、小金澤剛康、小笠原宏之
* 音楽プロデューサー:佐々木次彦
* 宣伝プロデューサー:鈴木江里子
* 撮影監督:[[佐光朗]]([[日本映画撮影監督協会|J.S.C.]])
* 撮影:的場光生
* 照明:加瀬弘行、木村伸
* 美術:湯澤幸夫
* 録音:高野泰雄
* 編集:栗谷川純
* 音響効果:齋藤昌利
* 衣裳デザイン:高橋正史
* スタイリスト:清藤美香
* ヘアメイク:渡辺順子
* ヘアメイク(のん):菅野史絵、根本佳枝
* 殺陣:[[二家本辰己]]
* 助監督:佐藤匡太郎
* 制作担当:望月政雄、鈴木勇
* 制作応援:樫崎秀明、三浦由貴
* 企画協力プロデューサー:石井久美子
* 企画協力:[[石井光三オフィス]]
* 特別協力:ロケーションジャパン編集部 / [[久慈市]]、北三陸「[[あまちゃん]]」観光推進協議会
* 宣伝・配給:[[東映ビデオ]]
* 配給協力:[[イオンエンターテイメント]]
* 制作プロダクション:[[メディアプルポ]]、ヒコーキ・フィルムズ インターナショナル
* 制作協力:[[アイエス・フィールド]]
* 製作:「星屑の町」フィルムパートナーズ(ヒコーキ・フィルムズ インターナショナル、東映ビデオ、メディアプルポ、イオンエンターテイメント、アイエス・フィールド、[[アミューズメントメディア総合学院]])
 
== 脚注 ==
アレッポはオスマン帝国の滅亡する[[第一次世界大戦]]直後までその支配下にあったが、それまでの間、都市内部の反乱が何度か起こったほか、[[伝染病]]の流行や[[1823年]]の[[コレラ]]流行などで支配は不安定になった。[[1901年]]には都市人口は約12万5千人になった。オスマン帝国滅亡後、オスマン領のシリア・パレスチナ地方は[[イギリス]]と[[フランス]]で分割され、アレッポは[[フランス委任統治領シリア]]の一部となった。アレッポは植民地支配によって近代化したが、[[1938年]]から[[1939年]]に掛けて[[アンティオキア]](現在の[[アンタキヤ]])で[[トルコ共和国]]編入を求める運動が活発化しフランスも許可すると、内陸のアレッポは経済的に打撃を受けた。
{{脚注ヘルプ}}
 
アレッポは[[第二次世界大戦]]後近代的[[都市計画]]により計画都市へと変貌した。[[1952年]]、[[フランス人]][[建築家]]・[[都市計画家]]で[[ボザール]]および[[パリ大学]]都市計画研究所の教授だった[[アンドレ・ギュトン]](Andre Gutton)は、近代的な自動車交通に対応するよう、町並みを貫くように何本かの広い車道を計画した。[[1970年代]]には、古い町の大部分が近代的なアパート街区建設のため破壊された。一方で再開発に反対する住民運動により、[[1977年]]には旧市街を分断する道路計画に変更が加えられた。残った市街地の保全が公私の資金で進み、[[1986年]]にはアレッポ市街は[[世界遺産]]に登録された<ref>「シリア 世襲政治の行方」, ナショナルジオグラフィック日本版 2009年11月号 p113</ref>。
{{Clearleft}}
===シリア騒乱===
{{main|{{仮リンク|アレッポの戦い (2012年 - 2013年)|en|Battle of Aleppo (2012–13)|label=アレッポの戦い}}}}
 
2011年から続く[[シリア騒乱|内戦]]に端を発した政府軍と反政府軍([[自由シリア軍]])との対立は、2012年7月下旬にアレッポ市内にも拡大。一部では[[市街戦]]の様相を呈したため、市民の多くが市街地から避難を余儀なくされた<ref>[http://www.afpbb.com/article/politics/2892460/9311931 20万人避難も依然多くが脱出できず、シリア・アレッポ]AFPBB.News(2012年7月30日)]</ref>。2012年9月28日に政府軍と反体制派の戦闘によりスークにて火災が発生し、歴史的な店舗の大半は消失した<ref name=yomiuri20120930>{{Cite news
|url=http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20120930-OYT1T00559.htm
|title=世界遺産「古代都市アレッポ」大半焼失…戦闘で
|work=YOMIURI ONLINE
|newspaper=[[読売新聞]]
|date=2012-09-30
|accessdate=2012-09-30
}}</ref>。
 
2013年には市内において[[アルカーイダ]]系組織の[[アル=ヌスラ戦線]]の活動が活発化。同年4月、同組織と政府側が大モスク(ウマイヤド・モスク)をめぐり攻防を行う中で[[ミナレット]]が爆破された。また、モスクの宝物が盗まれる被害が出ている<ref>{{Cite news
|url=http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2940572/10639319
|title=ウマイヤド・モスクの光塔、戦闘で崩壊 シリア北部アレッポ
|work=AFPBB News
|publisher=フランス通信社
|date=2013-04-25
|accessdate=2013-04-28
}}</ref>。
 
2014年以降も空爆などにより市街地が破壊され、多数の犠牲者が発生している<ref>{{Cite news
|url=http://gramnews.blog.jp/archives/1059202038.html
|title=シリア内戦により破壊されたアレッポの町並み
|work=
|publisher=
|date=2016-07-19
|accessdate=2016-08-17
}}</ref>。
 
== 経済 ==
[[ファイル:InsideTheSoukInAleppo.JPG|left|thumb|240px|スーク(市場)の中]]
[[File:Savons d'Alep traditionnels.jpg|thumb|240px|特産品の石鹸]]([[:en:Aleppo soap|en]])
 
古代からの交易都市として、アレッポにも印象的な「[[スーク (市)]]」と「ハーン([[キャラバンサライ]]、隊商宿)」があり、その規模と豪華さは中東でも随一のものである。
 
街の主要な役割は交易であった。東西と南北の2本の重要な交易路の交差点に当たり、[[東南アジア]]、[[中国]]、[[インド]]、メソポタミアの物資を中継して[[アンタキヤ]]や[[ラタキア]]など地中海沿岸の諸港に送り、[[イタリア]]海洋都市に売るという[[レバント]]貿易で大きな収益を上げた。またアレッポは南300kmにあるダマスカスとも街道(険しい地中海沿いでなく、内陸の[[アンチレバノン山脈]]のふもとを通ることが多かった)でつながっていた。この道は、[[エルサレム]]や[[マッカ]](メッカ)などへの巡礼路となり、[[エジプト]]、[[アフリカ]]方面の産物もこの道を経てアレッポへ届いていた。この交易はしばしば政治的な理由で中断されたが、[[ヨーロッパ]]人が[[喜望峰]]回りでインドへ向かう海路やエジプトから[[紅海]]を通る海路を開発するまでは繁栄し続けた。海路が主流となり陸路を使う東西交易が少なくなって以来、物資の中継は激減しアレッポは衰退を始め、主な輸出品は周囲の農村の作物を加工した農産品、小麦・綿・ピスタチオ・オリーブ、羊、オリーブオイルで作られた[[石鹸]]などに変わっていった。
 
== 建築物 ==
[[ファイル:Omayad Mosque of Aleppo Syria.jpg|right|thumb|250px|アレッポの大モスク(ジャーミー・ハラブ・アル=カビール Jāmi‘ Halab al-Kabīr)。[[ウマイヤ朝]]の頃に建てられたのでアレッポのウマイヤド・モスクとも呼ばれる]]
 
アレッポには「マドラサ・ハラウィヤ」を含む数多くの[[モスク]]がある。マドラサ・ハラウィヤはもと[[6世紀]]に建てられた[[ビザンティン建築]]の「聖ヘレナ大聖堂」の建物であり、もとはローマ皇帝[[コンスタンティヌス1世]]の母で熱心なキリスト教徒であった[[コンスタンティノポリスのヘレナ|聖ヘレナ]]が[[洗礼者ヨハネ]]の父、祭司[[ザカリア]]のものとされる墓の上に建てた教会である。[[十字軍]]の戦争の頃、西洋人たちがアレッポ周辺の農村を略奪した際、アレッポの領主は聖ヘレナ大聖堂をモスクに変えてしまった。[[12世紀]]半ばにアレッポに本拠を置いた[[ザンギー朝]]の王、[[ザンギー]]の息子である[[ヌールッディーン]]は熱心なイスラム教徒で、大聖堂の建物を取り巻くように[[マドラサ]](宗教大学)を創建した。
 
「ジャーミー・ハラブ・アル=カビール」(グレート・モスク)はもともと[[ウマイヤ朝]]が建設したものだが、現在の建築物はやはりヌールッディーンが[[1158年]]に建てたもので、[[1260年]]の[[モンゴル]]軍([[フレグ]]の軍)の侵入によって破壊されたが、その後再建された。
 
== 姉妹都市 ==
*{{Flagicon|France}}[[リヨン]]、[[フランス]]
*{{Flagicon|Turkey}}[[イズミール]]、[[トルコ]]
*{{Flagicon|Turkey}}[[ガズィアンテプ]]、[[トルコ]]
*{{Flagicon|Belarus}}[[ブレスト (ベラルーシ)|ブレスト]]、[[ベラルーシ]]
 
== 出典・参考文献 ==
* [[イブン・ジュバイル]] 『イブン・ジュバイルの旅行記』 [[藤本勝次]]・[[池田修]]監訳、[[講談社学術文庫]]、2009年。
* [[黒田美代子]] 『商人たちの共和国』 [[藤原書店]]、1995年。 - アレッポのスークと歴史を研究した書
 
=== 脚注 ===
{{Reflist}}
 
== 外部リンク ==
==関連項目==
* [https://hoshikuzu-movie.jp/ 映画『星屑の町』公式サイト]
{{Commonscat|Aleppo}}
* {{Twitter|hoshikuzu_movie|映画『星屑の町』公開中‼️}}
*[[古代都市アレッポ]](アレッポは[[世界遺産]]となっている。)
* {{Facebook|hoshikuzu.movie|映画『星屑の町』}}
*[[アル=マリク・アル=ザーヒル]](アイユーブ朝時代の領主)
 
{{movie-stub}}
==外部リンク==
{{デフォルトソート:ほしくすのまち}}
*[http://almashriq.hiof.no/syria/900/the_lure_of_aleppo/ Al Mashriq - アレッポの歴史] {{Ref-en}}
*[http://page.freett.com/almohandes/alp_Old.htm Al Mohandes Al Madany - アレッポの旧市街] {{Ref-ja}}
 
[[Category:2020年の映画]]
{{DEFAULTSORT:あれつほ}}
[[Category:アレッポ|*舞台劇の映画化作品]]
[[Category:シリア日本都市ドラマ映画]]
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[[Category:アレッポ県東北地方を舞台とした映画作品]]
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[[Category:アミューズメントメディア総合学院の映画作品]]