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'''青柳 文蔵'''(あおやぎ ぶんぞう、[[宝暦]]11年([[1761年]]) - [[天保]]10年[[3月14日 (旧暦)|3月14日]]([[1839年]][[4月27日]]))は、[[仙台藩]]領磐井郡東山町(現在の[[岩手県]][[一関市]]東山町松川)出身の[[江戸時代]]後期の商人。医師小野寺三達の三男として生まれる。名は茂明、号は東里、近水楼主人。[[青柳文庫]]の名前の由来となった人物である。
 
==概要==
彼は[[清和源氏]][[佐竹氏]]あるいは[[武田氏]]の後裔と称し{{Sfn|丹羽|1970|p=44}}、兄2人、姉3人の末子であった。父は私塾もやっていたので幼いころから和漢の書物に触れる機会を持っていた。18歳で江戸に出て、苦労しながら学問を続け、[[井上金峨]]に儒学を学んだ。その後、[[公事師]]として財をなすに至った。
 
==青柳文庫==
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==青柳倉==
[[File:Tomb of Aoyagi Bunzo 2021-11-14.jpg|thumb|金乗院にある墓]]
また彼は郷里、松川に籾4,000石を収納できる蔵を建設、これは青柳倉と呼ばれ、その後まもなくの[[天保の大飢饉]]に際しては、人々を飢餓から救ったという。その場所に「青柳倉記」という碑が立てられている。彼の墓所は、東京都豊島区高田の[[金乗院 (豊島区)|金乗院]]にある。
 
==脚注==
{{Reflist}}
 
==参照文献==
* {{Citation|和書|last=丹羽|first=基二|author-link=丹羽基二|others=[[樋口清之]]監修|date=1970-7|title=姓氏 : 姓氏研究の決定版|publisher=[[秋田書店]]|isbn=4253002099|ref=harv}}
 
{{Normdaten}}
{{Japanese-history-stub}}
 
{{DEFAULTSORT:あおやき ふんそう}}
[[Category:江戸時代の商人]]
[[Category:日本の図書館の歴に関する人物]]
[[Category:1761年生]]
[[Category:1839年没]]