「藤原東子 (藤原南家)」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
{{出典の明記}}が貼られていることにより当記事が分類されている「Category:出典を必要とする記事/2016年1月」の整理。タグが貼られた日時は履歴で再確認 |
Meine Libe (会話 | 投稿記録) m Category:藤原仲麻呂の子女を追加 (HotCat使用) |
||
(5人の利用者による、間の5版が非表示) | |||
1行目:
{{出典の明記|date=2016年1月29日 (金) 23:17 (UTC)|ソートキー=人0816年没}}
'''藤原 東子'''(ふじわら の とうし(ひがしこ/あずまこ)、生年不詳 - [[816年]]([[弘仁]]7年)[[4月28日 (旧暦)|4月28日]]?)は、[[奈良時代]]の[[貴族]]、[[女官]]。[[藤原仲麻呂]]の娘。
== 略歴 ==
[[天平宝字]]5年(761年)1月2日、妹の額とともに叙位され、無位から従五位上となる<ref>『続日本紀』天平宝字五年正月戊子条「…無位藤原恵美朝臣東子従五位上。無位藤原恵美朝臣額。橘宿禰真都我並従五位下。…」</ref>。
[[天平宝字]]8年([[764年]])9月の[[藤原仲麻呂の乱]]において、父・仲麻呂は
『日本紀略』には、弘仁7年(816年)4月28日、藤原朝臣東子が散事従四位下で卒したことが記されるが<ref>『日本紀略』弘仁七年四月癸亥条「散事従四位下藤原朝臣東子卒。」</ref>、同時代に同名の女性([[藤原種継]]の娘)がいるため同一人かどうかは不詳。
== 水鏡における伝承 ==
『[[水鏡]]』によると、仲麻呂の娘の一人は美女として有名であったが、[[鑑真]]に「このお方は千人の男と[[
200年以上後世に書かれた『水鏡』のみに記載されているため、事実かどうかは疑問視されている。
20行目:
[[category:藤原南家|ひかしこ]]
[[Category:奈良時代の女官]]
[[Category:藤原仲麻呂の子女|とうし]]
|