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{{基礎情報 ラジオ番組
{{地震
|番組名=おはようパーソナリティ<br/>古川昌希です
|shindoarea =
|画像=[[画像:Asahi Broadcasting Corporation headquarter.JPG|250px]]
|name = 寛文近江・若狭地震
|画像説明=生放送に使用している[[朝日放送ラジオ]]本社<br />(大阪・[[ほたるまち]])
|image=1662 Kanbun earthquake intensity.png
|愛称=おはパソ
|image name=寛文近江・若狭地震の震度分布<ref name="soran">宇佐美龍夫 『最新版 日本被害地震総覧』 東京大学出版会、2003年</ref>
|ジャンル=ワイド・バラエティ
|date = 1662年6月16日(寛文2年5月1日)
|放送方式=[[生放送]]
|center = {{Coord|35.2|||N|135.95|||E|display=inline, title}}<ref name="zisinjp">[[日本地震学会]]『[https://www.zisin.jp/publications/document05_04.html 日本付近の主な被害地震]』</ref>
|放送時間=金曜日 6:30 - 9:00(150分)
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|企画=
|map2={{Location map | Japan
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|パーソナリティ=[[古川昌希]]
| long = 135.95
|出演=[[去来川奈央]]
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|放送局=[[朝日放送ラジオ]](ABCラジオ)
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|放送期間=[[2022年]][[4月1日]] -
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|公式サイト=https://www.abc1008.com/ohapaso/
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|特記事項=
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}}
『'''おはようパーソナリティ古川昌希です'''』(おはようパーソナリティふるかわまさきです)は、[[朝日放送ラジオ]](ABCラジオ)で[[2022年]]([[令和4年]])[[4月1日]]から毎週[[金曜日]]の6:30 - 9:00([[JST]])に放送中の生ワイド番組。『[[おはようパーソナリティ]]』シリーズの第3代に当たる番組の一つ(『[[おはようパーソナリティ道上洋三です]]』金曜分の後継番組)で、[[古川昌希]]([[朝日放送テレビ]]アナウンサー)の[[冠番組]]でもある。
'''寛文近江・若狭地震'''(かんぶんおうみ・わかさじしん)は[[江戸時代]]前期の[[寛文]]2年[[5月1日 (旧暦)|5月1日]]([[1662年]][[6月16日]])に[[近畿地方]]北部を中心に発生した[[大地震]]で、2つの地震が連続して発生した地震と考えられている<ref group="†">若狭湾沿岸の日向(ひるが)断層の活動で小浜や[[三方五湖]](みかたごこ)周辺地域の被害と琵琶湖西岸の花折(はなおり)断層北部の活動で葛川谷や琵琶湖沿岸地域の被害の二つ地震</ref><ref>知野泰明「近世の災害」/北原糸子編著『日本災害史』吉川弘文館 2006年) ISBN 9784642079686</ref>。
== 概要 ==
{{see also|おはようパーソナリティ小縣裕介です}}
 
1971年に放送を開始した『[[おはようパーソナリティ中村鋭一です]]』、1977年にその後継ぎとして放送を開始した『[[おはようパーソナリティ道上洋三です]]』の後継ぎである。
本地震は[[近江国]]や[[若狭国]]において地震動が特に強く甚大な被害が発生したが、震源域に近く、当時約41万人の人口を有し依然として国内第二の大都市があった[[京都盆地]]北部においても被害が多発した<ref name="Nishiyama2006">{{PDFlink|[http://www.histeq.jp/kaishi_21/P165-171.pdf 西山昭仁, 小松原琢(2006): 寛文二年(1662)近江・若狭地震における京都盆地での被害状況]}} 歴史地震, No.21, pp.165-171.</ref>。京都の被害状況から'''寛文京都地震'''、従来、震源域が琵琶湖西岸付近であるとする考えがあったことから、琵琶湖西岸地震と呼ばれることもある。
 
放送開始まで至る流れは上記を参照。[[小縣裕介]]がスポーツアナウンサーを兼務することを鑑みてか、当番組では月~木と金曜で分割することとなり<ref name="sanspo_20220225">{{Cite web |url=https://www.sanspo.com/article/20220225-FEXRSPRT2NMCJMGJD3Y5ICHK2Q/ |title=道上洋三アナの後任は小縣裕介、古川昌希両アナ ABCラジオ「おはようパーソナリティ」 |publisher=サンケイスポーツ |date=2022-02-25 |accessdate=2022-03-01}}</ref>、金曜日は[[古川昌希]]がメインを担当。アシスタントもそれぞれで分割することとなり、これまで5曜日通しで担当していた[[オフィスキイワード]]所属のフリーアナウンサー・いがらしあみは小縣の担当曜日に出演。金曜日は[[松竹芸能]]所属タレントの[[去来川奈央]]とのコンビで伝統の『おはようパーソナリティ』のタイトルを引き継いで『'''おはようパーソナリティ古川昌希です'''』を始めることとなった<ref name="sanspo_20220225" />。また、この編成開始により、『[[朝も早よから 中原秀一郎です|朝も早よから 桂紗綾です]]』から『[[岩本・西森の金曜日のパパたち]]』まで、デイタイムの番組すべてが月~木と金曜日で分割される構成となる。
地震被害を記録した文献資料を分析した西山は<ref name="京都歴史災害研究">西山昭仁、「[http://r-dmuch.jp/jp/results/disaster/dl_files/5go/5_4.pdf 寛文2年(1662)近江・若狭地震における京都での被害と震災対応]」 [http://r-dmuch.jp/jp/results/disaster/vol05.html 京都歴史災害研究] 2006年 第5号 p.39-</ref>、近江国や若狭国は「倒壊」「崩壊」の文言が多くある。一方、京都盆地北部の被害状況を記録した文献には「損壊」「大破」の記述が多い事から京都の被害は近江国や若狭国よりも軽微であったとしている<ref name="京都歴史災害研究" />。
 
ちなみに、古川・小縣とも第3代の「[[おはようパーソナリティ]]」に当たるが、シリーズ史上初めて月 - 木曜日と金曜日でパーソナリティを分担<ref name="sanspo_20220225" />。小縣が50歳で担当を始めるのに対して、古川は道上と同じく、34歳で「おはようパーソナリティ」の座を継承する。さらに、『 - 道上洋三です』までのシリーズ番組から一転して、「リスナーから寄せられた疑問を放送中に解決する『問題解決型ラジオ』」というコンセプトを『 - 小縣裕介です』と共に打ち出している<ref>{{Cite web |url= https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000212.000040629.html|title= ABCラジオ春の新番組のお知らせ|publisher= 朝日放送ラジオ|date= 2022-03-23|accessdate=2022-03-24}}</ref>。
== 地震の記録 ==
寛文二年五月一日[[巳]]下刻から[[午]]上刻(1662年6月16日10 - 12時ごろ)、近江・若狭を中心に2回の激しい揺れに襲われた。この日は大雨で、京都の地震動も強く『基煕公記』の宝永地震の記録において「昔卅六年己前([[数え年]])五月一日、有大地震、有大地震事、其時之地震ノ五分ノ一也」とあり、宝永地震の京都における揺れは振動が長くとも破損を生じる程で建物が倒壊する程では無かったものの、京都では宝永地震でさえ寛文地震の揺れの{{分数|1|5}}程度の強さであったことになる。
 
==出演者==
『殿中日記』には京都において[[二条城]]の御番衆小屋などが悉く破損、町屋が千軒余潰れ、死人200人余、[[伏見城]]も各所で破損したとある。
*[[古川昌希]](パーソナリティ、[[朝日放送テレビ]]アナウンサー)<ref name="sanspo_20220225"/>
**愛称は(苗字の古川にちなんで)「ふるぽん」で、「おはようパーソナリティ」には、前任者の道上と同じく34歳で就任。[[2019年]]には、朝日放送テレビを含む[[オールニッポン・ニュース・ネットワーク|ANN]]加盟局の優秀なアナウンサーを表彰する[[ANNアナウンサー賞]]で、第18回の大賞を受賞している。
***朝日放送テレビでは、『[[キャスト (テレビ番組)|キャスト]]』(平日夕方の関西ローカル向け報道・情報番組)で[[2013年]][[10月28日]]([[月曜日]])からサブキャスター([[キャスト (テレビ番組)#浦川の降板に伴う暫定措置(2018年1 - 3月)|2018年1月から3ヶ月間のみメインキャスター]])を最終回(当番組開始2日前の[[2022年]][[3月30日]])まで担当。後継番組の『[[news おかえり]]』でも、当番組への出演と並行しながら、初回([[4月4日]])から平日の全曜日(金曜日は当番組の本番後)にサブキャスター(スタジオ進行)やフィールドキャスターを務める。
***朝日放送ラジオの生放送番組でも、当番組の放送開始前週([[2022年]][[3月26日]])まで半年間にわたって『[[古川音座衛門]]』([[土曜日]]17時台の[[音楽番組]])のパーソナリティを担当。『おはようパーソナリティ道上洋三です』では、[[2016年]]・[[2017年]](いずれも道上の夏季休暇中)と[[2022年]][[3月1日]]([[火曜日]])放送分でパーソナリティ代理を経験していた。
*[[去来川奈央]](アシスタント、[[松竹芸能]]に所属する[[フリーアナウンサー]])<ref name="sanspo_20220225"/>
**[[同志社大学]]からの卒業後に、[[NHK岐阜放送局]]と[[NHK京都放送局]]の契約キャスターを経てフリーアナウンサーへ転身。氏名を「いさがわ なお」と読ませる。
**朝日放送テレビでは[[2017年]][[4月6日]]([[木曜日]])から、『[[おはようコールABC]]』(生放送による平日早朝の関西ローカル向け情報番組)のニュースキャスターを([[産前産後休暇]]をはさんで)[[2020年]][[10月2日]](金曜日)の最終回まで週に2日(休暇からの復帰後は1日)担当。朝日放送テレビ総務局員(元・アナウンサー)の[[八塚彩美]]は、同志社大学および、学内の放送局(同志社学生放送局)での同期生に当たる。
*[[桂紗綾]](ニュースキャスター、朝日放送テレビアナウンサー)
**『おはようパーソナリティ道上洋三です』が放送されていた[[2019年]][[1月]]から、金曜日の前枠で『[[朝も早よから 桂紗綾です]]』(朝日放送ラジオが自社で制作する生ワイド番組)のパーソナリティを務めながら、本番後に『おはようパーソナリティ』枠内の定時ニュース(7時台・8時台の「[[ABCニュース (朝日放送ラジオ)|ABCニュース]]」を担当。
*[[清水とおる]](7時台後半の「ABC天気予報」にのみ出演)
**朝日放送グループと契約している[[気象予報士]]で、『おはようパーソナリティ道上洋三です』時代の[[2006年]]から出演しているほか、『おはようパーソナリティ小縣裕介です』でも7時台後半の「ABC天気予報」を担当。[[俳句]]や[[歳時記]]の鑑賞が趣味で、『キャスト』では(古川のキャスター就任前から)一貫して気象キャスターを務めていた。
 
== タイムテーブル ==
また同日記には、近江では、佐和山(現・[[彦根市]])で[[佐和山城|城]]がゆがみ石垣が5、6百間崩れ、家千軒余潰れ、死人30人あまり、[[大溝藩|大溝]](現・[[高島市]])では家1,022軒潰れ、死人38人、牛馬も多く死に、[[朽木藩|朽木谷]](現・高島市)は特に激しい地震動に見舞われ家が潰れ出火により辺りが残らず焼失したと記されている。膳所や大津(現・[[大津市]])も被害が多く、[[水口城]]でも門、塀、御殿が破損した。
コーナーについては、特記しない限り、『[[おはようパーソナリティ道上洋三です]]』(『 - 道上洋三です』)の金曜分からスポンサーごと継承。生放送番組のため、コーナーの放送時間を変更したり、コーナーを休止したりすることがある。また、古川/去来川が休演する日の放送では、以下に記す「古川」「去来川」の役割をパーソナリティ/アシスタントの代理者が担当。
=== 6時台 ===
*6:30 オープニング
:『[[おはようパーソナリティ中村鋭一です]]』(『 - 中村鋭一です』)の時代から、パーソナリティ(○○)による「おはようパーソナリティ、○○です」という番組タイトルの読み上げが挨拶を兼ねている。ちなみに、古川が『 - 道上洋三です』で道上の代役を務めた期間中は、「『おはようパーソナリティ、道上洋三です』。ピンチヒッターの古川昌希です」と名乗っていた。
:古川は『 - 道上洋三です』のパーソナリティ代理時代から、アシスタントとの間でトークをひとしきり展開した後に、リスナーから募集するメッセージのテーマを決めている。
*6:40 今日の朝刊
:放送日に大阪で発行された一般紙朝刊(最終版)の1面([[新聞休刊日]]にはスポーツ紙の即売版と[[共同通信社]]の配信記事)から、古川が私見を交えながら注目の記事を取り上げる。当コーナーで伝え切れなかった場合には、7時台のフリーゾーンにまで持ち越す。
*6:50 「ABC天気予報」
:基本として、札幌・東京・福岡・大阪の当日の空模様を去来川が紹介。
*6:53 「おでかけインフォメーション」
:交通情報全般を扱うコーナー。最初に、朝日放送ラジオの平日生ワイド番組で最も早く、[[日本道路交通情報センター]]から担当者が最新の道路情報を伝える。その後で、去来川が当番組のスタジオから関西圏の航空便・鉄道の発着情報を入れる。
*6:55 「おはよう朝一番」
:放送開始までにハガキ・電子メール・FAXで届いたリスナーからのメッセージを紹介。
=== 7時台 ===
*7:00 「おはようメッセージ」
:オープニングで決めたメッセージテーマを改めて告知するとともに、「おはよう朝一番」に続いて、リスナーから寄せられたメッセージから一部を紹介。
*7:05 「[[ABCニュース (朝日放送ラジオ)|ABCニュース]]」
:2019年1月以降の『 - 道上洋三です』に続いて、『朝も早よから 桂紗綾です』パーソナリティの桂が8時台を含めて担当。
*7:10 「ABC天気予報」
:6時台と同様に、去来川が天気予報の原稿を読む。
:この時間の天気予報のみ、「今週のお天気ミュージック」として、ヒット曲などの[[インストゥルメンタル]]1曲を1週間(『 - 小縣裕介です』と)共通のBGMとして流す。
*7:13 「[[ABC交通情報]]」
*7:15 フリーゾーン
:放送日に発行された一般紙朝刊の記事(新聞休刊日にはスポーツ紙の即売版と共同通信社の配信記事)から、気になる話題を1つ取り上げる。
*7:25 「スポーツの話題」
:『 - 中村鋭一です』の時代から、[[日本プロ野球|日本プロ野球(NPB)]]のシーズン中で[[阪神タイガース]]が前日に組まれていた試合に勝利した場合に、パーソナリティとアシスタントが(代演者を含めて)球団歌の『[[阪神タイガースの歌|六甲おろし]]』を熱唱することで知られるコーナー。「阪神ファン見習い」を自称している古川も、この伝統を引き継ぐ<ref group="注釈">実際には[[劇団四季]]などの[[ミュージカル]]作品を鑑賞することが趣味で、「[[美女と野獣 (ミュージカル)|美女と野獣]]」に使われている『ひとりぼっちの晩餐会』を台詞付きで歌うことを特技に挙げている。もっとも、『おはようパーソナリティ道上洋三です』のパーソナリティ代理を始めるまで、『六甲おろし』を日常生活で歌うことはなかったという。本人によれば、「小学生時代に実家で同居していた祖父が[[読売ジャイアンツ|読売ジャイアンツ(巨人)]]ファン・祖母が阪神ファンで、『阪神と巨人が戦う試合のテレビ中継を祖父と祖母が別々の部屋で見る』という有様だったので、実家で野球について話すこと自体がタブーになっていた」とのことである(当番組放送初日の『[[日刊スポーツ]]』[[日刊スポーツ西日本|大阪本社]]発行版18ページに掲載された全面特集でのインタビューより)。</ref>。『 - 道上洋三です』時代に続いて、[[淀川製鋼所]]がこのコーナーを提供。
:
*7:40 リスナーからのメッセージ紹介
:放送日によっては、「スポーツの話題」の続きに充てる。
*7:50 「ABC交通情報」
*7:53 「ABC天気予報」
:『 - 道上洋三です』時代の2009年10月4日(月曜日)放送分から、清水がこの時間にのみ出演。主な放送対象地域である関西地方が異常気象(台風や豪雨など)に見舞われている場合や、放送の時点で異常気象の発生が予想される場合を除いて、放送時点での季節・天気に関する俳句や歳時記の一節を織り交ぜながら当日の気象概況を伝える。
を担当。
*7:55 「こどもの詩(うた)」
:『 - 道上洋三です』時代の1982年から放送されているコーナーで、当番組では、小学生から寄せられた作文から毎日1編を去来川が代読。作文を読まれた小学生には、5, 000円分の図書カードと、代読の模様を録音したCDを進呈している。
 
=== 8時台 ===
『落穂雑談一言集』には伏見で町屋320軒余倒壊、死人4人、近江志賀、辛崎(現・大津市)では田畑85[[町 (単位)|町]]余がゆり込み、並家1,570軒が倒壊したとある。
*8:00 「話のダイジェスト」
:『[[話題のアンテナ 日本全国8時です]]』(朝日放送ラジオが加盟する[[ジャパン・ラジオ・ネットワーク|JRN]]のネットワークセールス番組)の[[企画ネット]]による日替わりの特集コーナーで、同番組のCMのみ放送。
*8:20 「健康道場」
:健康に関する話題や情報を取り上げる[[サンスター]]単独提供のコーナーで、『 - 道上洋三です』の時代から放送されている。
:朝日放送ラジオで2014年10月から毎週土曜日の7:00 - 7:30に放送されている『[[道上洋三の健康道場]]』は、このコーナーから派生したサンスター単独提供の事前収録番組で、道上の氏名を番組のタイトルに冠したまま2022年4月から[[伊藤史隆]](アナウンサーとしての古川の先輩)をメインパーソナリティ代理に迎えている。
*8:20 古川・去来川がスタジオから伝える[[インフォマーシャル]] 
*8:30 「ABCニュース」
*8:35 「ABC天気予報」
:『 - 道上洋三です』時代の2021年4月1日から[[牛乳石鹸共進社]]が単独で提供している関係で、沼光絵理佳(ピアニスト)のアレンジ・ピアノ演奏による「[[牛乳石鹸共進社#CMソング「牛乳石鹸のうた」|牛乳石鹸のうた]]」を「お天気ミュージック」に使用。6時台・7時台の前半に続いて、いがらしが天気予報を伝える。
*8:40 「ABC交通情報」(6時台の「おでかけインフォメーション」と同じ構成)
*8:45 「話のマーケット」
:『 - 道上洋三です』で長らく放送されていたものの、最終盤(2021年頃)に休止していたコーナーを復活。実際には、リスナーからのメッセージ紹介やインフォマーシャルに充てる。
*8:50 「[[ジャパネットたかた]]ラジオショッピング」
:『 - 道上洋三です』時代の2011年4月から放送。他のラジオ番組と同様に、ジャパネットたかた本社([[長崎県]][[佐世保市]])のラジオスタジオから、同社の「MC社員」が中継で出演している。『 - 道上洋三です』の放送末期からは、[[鹿児島放送]](朝日放送テレビと同じ[[テレビ朝日系列]]のテレビ単営局)のアナウンサーからジャパネットたかたの「MC社員」に転身した[[馬場雄二]]が、ラジオ専任のMCとして主に商品の紹介を担当。
*8:57 エンディング
:翌週の月曜日に『 - 小縣裕介です』内の「話のダイジェスト」で取り上げる予定のテーマを紹介したうえで、後続番組のパーソナリティ(『[[横山太一のピカイチ☆ブランチ!]]』の[[横山太一]])に向けて古川がコメントを残す。
::横山は古川の先輩アナウンサーで、『おはようコールABC』の最終メインキャスター時代に去来川と毎週金曜日に共演していたほか、2022年4月から『news おかえり』のメインキャスターへ就任。金曜日には、『ピカイチ☆ブランチ!』への本番後に、『news おかえり』で古川と共演する。
*8:59 番組終了
 
== テーマ曲 ==
『元延実録』には[[愛宕神社]]や[[岩清水八幡宮]]が大いに破損、[[知恩院]]や[[祇園]]も大方破損したとある。『厳有院実紀』によれば二条城は各所が破損したが禁裡院は無事である旨、また丹波[[亀山城 (丹波国)|亀山城]]、[[篠山城]]、摂津[[尼崎城]]、近江[[膳所城]]、若狭[[小浜城 (若狭国)|小浜城]]は崩れ、[[近江国]][[朽木谷]]では[[朽木陣屋]]が倒壊し、多くの家臣らと共に隠居していた先代領主の[[朽木宣綱]]が圧死したとある<ref name="Dainippon1940">文部省震災予防評議会 『大日本地震史料 増訂』 1940年</ref>。
*「[[クラリネット・ポルカ]]」
**『おはようパーソナリティ中村鋭一です』の初回から、『おはようパーソナリティ』シリーズの共通テーマ曲としてオープニングとエンディングに放送。
 
== 時刻の告知方法 ==
当時の被害の様子や余震を恐れる人々など当時の状況を詳しく記録した読み物として売り出された[[浅井了意]]の『かなめいし』(寛文2年8月から同年末までに成立)が、災害の社会像を伝える最初の資料地震誌である。上巻は京都での実況見分的に描写、中巻は京都以外の地震の災害の概要、下巻は日本地震の先例をあげる。<ref>知野泰明「近世の災害」/ 北原糸子編著 『日本災害史』 吉川弘文館 2006年 232-238ページ</ref>。
当番組を含む『おはようパーソナリティ』シリーズは平日早朝の生放送番組であるため、[[朝日放送ラジオ#時報|正時(0分)の時報]]とは別に、7時台に5分単位・8時台に10分単位で時刻を告知している。正時以外の時刻の告知には、[[サウンドエフェクト|サウンドエフェクト(効果音)]]と合成音声を使用。時刻が7:05の場合には、効果音に続いて、合成音声で「7時、5分。」とだけ伝えている。
 
効果音は流す季節に応じた素材(カッコウの鳴き声や蒸気機関車の警笛音など)を用いていて、番組の進行にかかかわらず、上記の時刻に差し掛かると強制的に流れるようになっている。そのため、当該時刻でCMを放送していても、CMの音源に効果音と合成音声を重ねる格好で時刻を伝えている。
京の[[方広寺]]の[[京の大仏|大仏]]は1596年の[[慶長伏見地震]]でも倒壊するなど度々災難に見舞われていたが、本地震でも1612年に再建された銅製の大仏が破損した。大仏は木造で再建されることとなり、破損した旧大仏は解体された。大仏躯体の銅材は、大仏再建費用捻出のため[[江戸幕府]]に売却され、[[寛永通宝]](文銭)の鋳造に用いられたという風説が流布した。([[寛永通宝#新寛永(文銭)|新寛永(文銭)]]項目も参照)。大仏躯体の銅材は現存していないので、何らかの形で再利用されたとも思われるが、真相は不明である。ただ風説のように貨幣鋳造の原料に再利用されたとしても、寛文期の鋳銭の材料すべてを賄う量ではなかった。
 
強震は近江、若狭に加えて、[[山城国|山城]]、[[大和国|大和]]、[[河内国|河内]]、[[和泉国|和泉]]、[[摂津国|摂津]]、[[丹波国|丹波]]、[[美濃国|美濃]]、[[伊勢国|伊勢]]、[[駿河国|駿河]]、[[三河国|三河]]、[[信濃国|信濃]]と広範囲におよび、[[比良山地|比良岳]]付近で顕著であった。『慶延略紀』によれば二条城や[[大坂城]]も破損するほどの揺れであり、[[江戸]]でも小震であったとされ<ref name="Dainippon1940" />、[[福山 (城下町)|福山]]でも有感、『殿中日記』には「[[長崎市|長崎]]表も地震之由」とある。被害の全体では死者880あまり、潰家約4,500とされる<ref name="soran" />。
 
{| class="wikitable"
! style="background-color:#669999" | 地域 !! style="background-color:#aad" | 推定震度<ref name="soran" />
|-
| style="white-space:nowrap"| [[畿内]] || [[京都]] (5 - 6), [[伏見]] (6), [[宇治]] (5 - 6), [[八幡市|八幡]] (5 - 6), [[高槻藩|高槻]] (5 - 6), [[大坂]] (5 - 6), [[布施 (東大阪市)|布施]] (5), [[八尾]] (5), [[岸和田藩|岸和田]] (5 - 6), [[尼崎藩|尼崎]] (5 - 6), 加茂 (5), [[奈良]] (5), [[郡山藩|大和郡山]] (5), 天理 (E), 桜井 (5)
|-
| style="white-space:nowrap"| [[東海道]] || 豊橋 (S), [[岡崎宿|岡崎]] (4), 豊田 (5), [[犬山藩|犬山]] (4), [[尾張藩|名古屋]] (5), [[桑名宿|桑名]] (5 - 6), [[亀山宿|亀山]] (5-6), [[鈴鹿]] (E), [[津藩|津]] (5), [[伊勢神宮|伊勢]] (4), 上野 (5)
|-
| style="white-space:nowrap"| [[東山道]] || 美麻 (E), 白鳥 (4), 海津 (5), 今津 (5 - 6), [[朽木藩|朽木]] (7), [[高島郡 (滋賀県)|高島]] (7), 葛川 (6), [[坂本 (大津市)|坂本]] (6), [[比叡山]] (5), [[彦根藩|彦根]] (7), [[近江八幡]] (5), 野洲 (5 - 6), [[水口宿|水口]] (5 - 6), 富川 (6), 膳所 (6), [[大津宿|大津]] (6)
|-
| style="white-space:nowrap"| [[北陸道]] || [[富山藩|富山]] (5), 福野 (5), 門前 (E), [[福井藩|福井]] (5), [[敦賀藩|敦賀]] (6), 美浜 (6), 三方 (5), 上中 (5 - 6), [[小浜藩|小浜]] (5 - 6)
|-
| style="white-space:nowrap"| [[山陰道]] || [[丹波亀山藩|亀岡]] (5 - 6), [[篠山藩|篠山]] (5), [[福知山藩|福知山]] (5), [[丹後田辺藩|舞鶴]] (E), 国府 (4), [[伯耆国|伯耆]] (E)
|-
| style="white-space:nowrap"| [[山陽道]] || [[岡山藩|岡山]] (E)
|-
| style="white-space:nowrap"| [[南海道]] || [[紀州藩|和歌山]] (5)
|-
| colspan="2" | S: 強地震 (≧4), &nbsp; E: 大地震 (≧4), &nbsp; M: 中地震 (2 - 3), &nbsp; e: 地震 (≦3)
|}
 
[[マグニチュード]]は[[河角廣]]により''M''<sub>K</sub> = 5.5として ''M'' = 7.6 (''M'' = 4.85 + 0.5 ''M''<sub>K</sub>)と推定され<ref>河角廣(1951)、「[https://hdl.handle.net/2261/11692 有史以來の地震活動より見たる我國各地の地震危險度及び最高震度の期待値]」 東京大學地震研究所彙報 第29冊 第3号, 1951.10.5, pp.469-482, {{hdl|2261/11692}}</ref>、7 1/4 - 7.6<ref name="soran" />、あるいは7.4<ref>宇佐美(2003)の値の中間値を四捨五入。(『地震の事典』)</ref>、''M'' 7.5あるいはそれより上<ref name="jiten">[[宇津徳治]]、嶋悦三、吉井敏尅、山科健一郎 『地震の事典』 朝倉書店、2001年</ref>とも推定されているが、[[地震計]]の記録のない[[歴史地震]]であるためその数値は不確定性を含む。
 
『続史愚抄』には「此後連々昼夜揺動、至七月云」とあり、また[[余震]]と思われる地震は12月まで記録されているという<ref name="jiten" />。
 
== 地殻変動 ==
[[三方五湖]]の久々子湖では約3[[メートル]] (m)、水月湖東部では3 - 4.5 m隆起した<ref name="soran" /><ref>小松原琢, 水野清秀, 金田平太郎, 須藤宗孝, 山根博(1999): 史料による1662年寛文地震時の三方五湖周辺における地殻変動の復元,歴史地震, No.15, pp.81-100.</ref>。若狭三方で記された『地頭之覚』には「当国は気山川口一[[丈]]余りゆりあげ」とあり、日向湖、水月湖、菅湖のそれぞれ東側の隆起が大きかったため、菅湖から東側の久々子湖へ流入していた気山川が塞がり、三方湖、水月湖、菅湖の湖水が行き場を失い溢れ、湖岸の海山、伊良積、田井、鳥浜など11か村が浸水した。[[小浜藩]]主[[酒井忠直]]は運河開削を命じ、2年に渡る工事で水月湖東側の浦見坂を掘り抜いて運河(浦見川)を通し久々子湖へ水を流すこととなった<ref name="Sangawa">寒川旭 『地震の日本史』 中公新書、2007年</ref>。
 
このような[[地殻変動]]は海側まで伸び、[[津波]]が発生した可能性があるとされ、701年の[[大宝地震]]などと共に[[若狭湾]]を襲った歴史[[津波]]の検討候補ともされている<ref name="Hatori">{{PDFlink|[http://www.histeq.jp/kaishi_25/HE25_075_080_Hatori.pdf [[羽鳥徳太郎]](2010): 歴史津波からみた若狭湾岸の津波の挙動]}} 歴史地震, No.25, pp.75-80.</ref>。
 
[[安曇川]]上流の朽木谷では、「町居崩れ」とよばれる大規模崩壊が発生し、崩壊土砂の直撃により死者約560人。また、[[河道閉塞]](天然ダム)が形成さ
れ、堰止めと決壊による被害が生じた<ref>{{PDFlink|[http://www.histeq.jp/kaishi_18/11-Imamura.pdf 琵琶湖西岸地震(1662 年)と町居崩れによる天然ダムの形成と決壊] 歴史地震 第18号(2002)52-58 頁}}</ref>。
 
== 地震像 ==
[[小浜藩|小浜]]では古文書から五ツ時(7 - 9時ごろ)にいきなり強震動が襲ってきたように読み取れるが、京都では巳刻頃(9 - 11時ごろ)、鳴動とともに弱い震動が続いた後に強い振動が襲ってきたと解釈できることから、小浜では京都より[[初期微動]]の時間が短く、[[断層]]破壊開始点すなわち[[震源]]に近く、断層破壊は北から始まり南側へ伝播して行った可能性が高いと推定される。
 
また若狭の記録では発震時刻が巳上刻から巳刻(9 - 10時ごろ)のものが多く、あるいは巳刻から午刻(12時ごろ)まで地震が続いて記録があり、一方で近江では午上刻から午刻、京都、大坂、[[尾張藩|名古屋]]では巳刻から午刻、[[紀州藩|和歌山]]、[[岡山藩|岡山]]、江戸など遠方では午刻の記録となっていることから、まず、巳刻頃に北部の日向断層などが逆断層(西側が沈降)として活動し、午刻頃に南部の花折断層北部が右横ずれ断層として活動したと推定される<ref name=京都歴史災害研究 />。遠地では午刻のみ記録されていることから、後者の花折断層の活動の方が規模が大きかったものと推定されている<ref name="Nishiyama2005">{{PDFlink|[http://www.histeq.jp/kaishi_20/35-Nishiyama1.pdf 西山昭仁, 小松原琢, 東幸代, 水野章二, 北原糸子, 武村雅之, 寒川旭(2005): 活断層調査と文献史料から推定した寛文二年(1662)若狭・近江地震の起震断層と震源過程]}} 歴史地震, No.20, pp.257-266.</ref>。
 
一方で1185年の[[文治地震]]で活動したと推定されている琵琶湖西岸断層帯については、[[堅田藩|堅田]](現・大津市)において本地震による地盤変動はなかったものと推定され、中世以降活動していないものと推定されている<ref name="Komatsubara">{{PDFlink|[http://r-dmuch.jp/jp/results/disaster/dl_files/5go/5_3.pdf 小松原琢(2006): 寛文二年(1662)近江・若狭地震の地震像と被災地区の歴史地理的考察]}} 京都歴史災害研究, 2006年 第5号 p.21-38.</ref>。
 
== 地震痕跡 ==
寛文近江・若狭地震の揺れによると見られる[[液状化現象]]跡や砂脈が[[滋賀県]]の各地で発見されている<ref name="Sangawa" />。
* 大津市の穴太遺跡では[[扇状地]]堆積物で[[平安時代]]の地層を引裂く液状化跡が発見される。
* 大津市の蛍谷遺跡では砂脈が平安時代の地層を引裂いていた。
* [[草津市]]の烏丸崎遺跡では、粘土層が水平に滑り13 - 14世紀の地層に乗り上げた痕跡が発見された。
* [[蒲生郡]][[安土町]](現・[[近江八幡市]])の湖南遺跡では、6 - 8世紀の波止場状の遺構において、江戸時代前期の地層と共に液状化により板材が押上げられた痕跡が発見された。
* [[高島市]]に水没した集落の[[三ツ矢千軒遺跡]]([[琵琶湖湖底遺跡]])がある。
 
== その後の歴史地震との関連 ==
[[南海トラフ]]や[[日本海溝]]等を震源とする[[海溝]]型の巨大[[地震]]が起きる数十年前から、海溝の内側の日本列島内部のあちこちで、比較的大きな内陸地殻内地震が頻発する地震の活動期に入るとする考え方がある。この考え方によれば、既にこの年(1662年)の秋には、海溝型の[[外所地震|寛文日向灘地震]]が発生しているほか、17世紀後半には、[[越後国]]、[[陸奥国]]、[[日光市|日光]]、[[三河国]]、[[安芸国]]など、日本全国各地で比較的大きな地震が発生し、やがて、[[相模トラフ巨大地震]]である[[元禄地震]](1703年)、[[南海トラフ巨大地震]]である[[宝永地震]](1707年)へとつながっていくと理解されることとなる<ref>[http://www.eri.u-tokyo.ac.jp/KOHO/PANKO2005/openlecture/tsuji.html 都司嘉宣] [[都司嘉宣]]: 2004年インドネシア・スマトラ島西方沖地震津波の教訓 東京大学地震研究所</ref>。
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
<references group="†" />
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{reflistReflist|2}}
=== 参考文献 ===
* {{Cite book|和書|editor=震災予防調査会編 |title=大日本地震史料 上巻|publisher=[[丸善]] |date=1904 |isbn= |ref=Shinsaiyobo}} pp.246-255 [https://iss.ndl.go.jp/api/openurl?ndl_jpno=59001580 国立国会図書館サーチ]
* {{Cite book|和書|editor=武者金吉 |title=大日本地震史料 増訂 第一巻 自懿徳天皇御宇至元祿七年|publisher=文部省震災予防評議会 |date=1941 |isbn= |ref=Shinsaiyobo (1941)}} pp.815-833 [https://iss.ndl.go.jp/api/openurl?ndl_jpno=46040070 国立国会図書館サーチ]
* {{Cite book|和書|editor=東京大学地震研究所 |title=新収 日本地震史料 第二巻 自慶長元年至元禄十六年 |publisher=日本電気協会 |date=1982 |isbn= |ref=Earthquake Research Institute (1982)}} pp.208-292
* {{Cite book|和書|editor=東京大学地震研究所 |title=新収 日本地震史料 補遺 |publisher=日本電気協会 |date=1989 |isbn= |ref=Earthquake Research Institute (1989)}} pp.147-182
* {{Cite book|和書|editor=東京大学地震研究所 |title=新収 日本地震史料 続補遺 |publisher=日本電気協会 |date=1994 |isbn= |ref=Earthquake Research Institute (1994)}} p.70-90
* {{Cite book|和書|author=宇佐美龍夫 |title=日本の歴史地震史料 拾遺 |publisher=東京大学地震研究所 |date=1999-03 |isbn= |ref=Usami (1999)}} pp.49-51
* {{Cite book|和書|author=宇佐美龍夫 |title=日本の歴史地震史料 拾遺二 |publisher=東京大学地震研究所 |date=2002-03 |isbn= |ref=Usami (2002)}} pp.58-67
* {{Cite book|和書|author=宇佐美龍夫 |title=日本の歴史地震史料 拾遺三 |publisher=東京大学地震研究所 |date=2005-03 |isbn= |ref=Usami (2005)}} pp.83-84
* {{Cite book|和書|author=宇佐美龍夫 |title=日本の歴史地震史料 拾遺四ノ上 |publisher=東京大学地震研究所 |date=2008-06 |isbn= |ref=Usami (2008)}} pp.36-42
 
== 外部リンク ==
* [https://www.abc1008.com/ohapaso/ 公式サイト]
* [http://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1662_kanbun_omiwakasa_jishin/index.html 災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 1662 寛文近江・若狭地震] 中央防災会議
* {{PDFlink|[http://www.histeq.jp/kaishi_18/11-Imamura.pdf 琵琶湖西岸地震(1662 年)と町居崩れによる天然ダムの形成と決壊] 歴史地震 第18号(2002)52-58 頁}}
 
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{{日本の歴史地震}}
|放送局=[[朝日放送ラジオ]]
 
|放送枠=金曜日6:30 - 9:00([[おはようパーソナリティ]]枠)
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