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{{Otheruses| [[リュック・ベッソン]]監督による映画| [[C・S・ルイス]]による『[[ナルニア国物語]]』の一作|さいごの戦い}}
{{工事中|2月6日まで}}
{{Otheruses| [[リュック・ベッソン]]監督による1983年の映画作品| [[C・S・ルイス]]による児童文学『[[ナルニア国物語]]』シリーズの作品|さいごの戦い}}
{{Infobox Film
|作品名 = 最後の戦い
|原題 = Le Dernier Combat<ref name="FM1-IV-3-4"/>
|画像 =
|画像サイズ =
|画像解説 =
|製作 = [[:fr:Constantin Alexandrov|Constantin Alexandrov]]{{refnest|group="注"|「Producteur délégué」。カタカナ表記は「コンスタンタン・アレグザンドロフ<ref name="FM1-IV-3-4"/>」、または「コンスタンチン・アレクサンドルフ<ref name="ぴあ2000-446"/>」。}}<br>ピエール・ジョリベ([[:fr:Pierre Jolivet|Pierre Jolivet]]{{refnest|group="注"|「製作・脚本<ref name="ぴあ2000-446"/>」。『Filmmakers (1) リュック・ベッソン』では「製作」にはクレジットしていない<ref name="FM1-IV-3-4"/>。カタカナ表記は「ピエール・ジョリヴェ<ref name="FM1-IV-3-4"/>」、または「ピエール・ジョリベ<ref name="ぴあ2000-446"/>」。}}
|監督 = [[リュック・ベッソン]]<ref name="ぴあ2000-446"/>{{refnest|group="注"|「監督・脚本<ref name="ぴあ2000-446"/>」。「監督<ref name="FM1-IV-3-4"/>」}}
|脚本 = [[:fr:Pierre Jolivet|Pierre Jolivet]]{{refnest|group="注"|「製作・脚本<ref name="ぴあ2000-446"/>」。カタカナ表記は「ピエール・ジョリヴェ<ref name="FM1-IV-3-4"/>」、「ピエール・ジョリベ<ref name="ぴあ2000-446"/>」。}}<br>リュック・ベッソン<ref name="ぴあ2000-446"/>
|撮影 = カルロ・ヴァリーニ(Carlo Varini)<ref name="ぴあ2000-446"/><ref name="FM1-IV-3-4"/>
|音楽 = [[エリック・セラ]]<ref name="ぴあ2000-446"/><ref name="FM1-IV-3-4"/>
|出演者 =ジャン・ブイーズ([[:fr:Jean Bouise|Jean Bouise]])<ref name="ぴあ2000-446"/><ref name="allcinema-ldc"/><ref name="キネ旬-ldc"/><br>フリッツ・ウェッパー([[:de:Fritz Wepper|Fritz Wepper]])<ref name="ぴあ2000-446"/><ref name="allcinema-ldc"/><ref name="キネ旬-ldc"/><br>ピエール・ジョリベ<ref name="allcinema-ldc"/><ref name="キネ旬-ldc"/><br>[[ジャン・レノ]]<ref name="ぴあ2000-446"/><ref name="キネ旬-ldc"/>
|主題歌 =
|編集 = [[:fr:Sophie Schmit|Sophie Schmit]]{{refnest|group="注"|カタカナ表記は「ソフィー・シュミット<ref name="FM1-IV-3-4"/>」}}
|編集 =
|配給 =
|公開 = {{flagicon|FRA}} 1983年4月6日<ref name="ぴあ2000FM1-446IV-3-4"/><br>{{flagicon|JPN}} 19871985年6月201日<ref name="キネ旬FM1-IV-3-ldc4"/>
|上映時間 = 90分<ref name="ぴあ2000-446"/><br>(米国版:93分<ref name="allcinema-ldc"/>)
|製作国 = {{FRA}}<ref name="ぴあ2000-446"/>
|言語 = フランス語
|製作費 =
|興行収入 =
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}}
 
'''最後の戦い'''さいごのたたかい、原題:[[:en:''Le Dernier Combat|Le Dernier Combat]]''{{refnest|group="注"|アメリカでの公開名は「The Final Combat<ref name="allcinema-ldc"/>」、「The Last Battle」。}})は、[[リュック・ベッソン]]監督による1983年の[[映画作品]]<ref name="ぴあ2000-446"/>。
 
==概要==
==作品のあらまし==
[[リュック・ベッソン]]監督(1959年 - )のデビュー作品<ref name="ぴあ2000-1335"/>。ベッソン監督はパリとハリウッドで映画の助手を務めながら映画作りを学び、24歳で初めて発表した長編が本作である<ref name="ぴあ2000-1335"/>。
 
白黒作品で、作中には台詞が一切ない<ref name="ぴあ2000-446"/><ref name="キネ旬-ldc"/>{{refnest|group="注"|台詞はないが、呻き声や、効果音BGMはある。}}。これは大気汚染によって、声帯の機能を喪失して発語ができなくなっている、という設定によるもの<ref name="allcinema-ldc"/><ref name="キネ旬-ldc"/>。
 
==あらすじ==
気候変動の結果、文明が荒廃した近未来が舞台<ref name="ぴあ2000-446"/><ref name="キネ旬-ldc"/>。生き残った4人の男が、1人の女をめぐって戦う<ref name="ぴあ2000-446"/>。
 
==製作前夜==
===製作会社の創設===
1959年生まれの[[リュック・ベッソン]]は、15歳の頃から映画に興味をもち<ref name="FM1-II-27"/>、18歳で本気で映画の道を志すことを決めた<ref name="FM1-II-28"/>。まもなく『Le Pétite Siren{{refnest|group="注"|ベッソンは18歳のとき、徴兵により、アルプス山中で1年間の兵役に任に就いた<ref name="世界-14"/>。映画作りを目指すベッソンにとってこの1年間は完全に「無駄」な時間であったという<ref name="世界-14"/>。自分の夢を叶えるためにはまったく無益と思われる軍務に辟易したベッソンは、映画作りをしたいという衝動を抑えきれず、1週間の休暇を利用して『Le Pétite Siren』を撮影したのである<ref name="世界-14"/>。この作品はモノクロの10分の短編<ref name="FM1-II-28"/>。夜の海辺で女性が男を海遊びに誘う<ref name="FM1-II-28"/>。その後、その男は帰ってこない<ref name="FM1-II-28"/>。これが何度か繰り返される<ref name="FM1-II-28"/>。この女に惹かれた男性が、もしも自分の愛が本物であるならば人魚が迎えに来るはずだと信じ、重りを携えて海の底に向かう<ref name="FM1-II-28"/>。本作は後の『[[グラン・ブルー (映画)|グラン・ブルー]]』の原型とされている。ただしこの作品は世に出ず、「幻のデビュー作」となった<ref name="FM1-II-34"/>。なお「Siren」はギリシア神話の[[セイレーン]]のことだが<ref name="世界-14"/>、「Le Petite Siren」は、一般的には「[[人魚姫]]」と和訳される。}}』という短編を8,000[[フランス・フラン|フラン]]で完成させた<ref name="FM1-II-28"/>{{refnest|group="注"|ベッソン本人はこの作品を「どうしようもない駄作」と述懐している<ref name="世界-14"/>。}}。
 
フランスでは、[[文化省 (フランス)|文化省]]の中央映画庁([[:fr:Centre national du cinéma et de l'image animée|CNC]],Centre National du Cinéma)が[[映画産業]]への補助金を管轄していた<ref name="世界-14"/>。同庁に登録するためには法人格が必要で、ベッソンは『Le Pétite Siren』を登録するため一人で映画製作会社「ル・フィルム・デュ・ルー」(Les Film du Loup)をたちあげた<ref name="世界-14"/>。ベッソンは、親戚の遺産を相続した友人から5万フランを借り、これを担保としてUBP銀行([[:en:Union Bancaire Privée|Union Bancaire Privée]])へ映画製作のための融資を申し込んだが、にべもなく断られた<ref name="世界-14"/>{{refnest|group="注"|ベッソンはこのときのことを根にもっており、映画監督して有名になったあとも、当時の窓口の「大まぬけ」あてに、新作映画の「非招待状」を送ったという<ref name="世界-14"/>。}}。
 
その後、ベッソンはパリで映画関連の職に就きながら{{refnest|group="注"|始めは書類のコピー係や食事の配達をしていたという<ref name="FM1-II-29"/>。最初期に「コピー取り」として参加した作品が、フランスで撮影中の『[[007 ムーンレイカー]]』だった<ref name="FM1-II-29"/><ref name="世界-19"/>。}}、短編や広告、記録映像などの製作にも係わり<ref name="FM1-II-29"/>、はじめは助手として、のちに第2助監督を任されるようになった{{refnest|group="注"|この間、2か月ほどの短期間ではあるが、ベッソンはハリウッドにも渡って映画産業の下働きをしている<ref name="FM1-II-29"/><ref name="世界-18"/>。ここでも主な仕事はコピー取りだったという<ref name="FM1-II-29"/>。}}<ref name="FM1-II-34"/><ref name="世界-19"/>。
 
===主要スタッフとの出会い===
この頃ベッソンは、映画・演劇・音楽活動をしている'''ピエール・ジョリヴェ'''([[:fr:Pierre Jolivet|Pierre Jolivet]])という友人を得た<ref name="世界-19"/>。ジョリヴェは自身のレコードの売り上げが芳しくないことを悩んでおり、ベッソンは[[ミュージック・ビデオ]]製作を提案した<ref name="世界-21"/>。1980年に[[16mmフィルム|16ミリフイルム]]で撮影したこのビデオクリップは、世に出たものとしてはベッソンの初作品となった<ref name="FM1-II-34"/><ref name="世界-21"/>。そして、撮影にギタリストとして参加していた'''[[エリック・セラ]]'''と懇意になった<ref name="FM1-II-34"/>。
 
1981年には、ラファエル・デルパール監督の『Les bidasses aux grandes manoeuvres』で助監督となり、出演していた'''[[ジャン・レノ]]'''と知遇を得た<ref name="FM1-II-35"/>。また同じ年、TV向けの[[フォーミュラ2]]の記録映像の仕事に携わり、撮影の'''カルロ・ヴァリーニ'''や編集の'''ソフィー・シュミット'''と知り合った<ref name="FM1-II-35"/><ref name="世界-25"/>。
 
===『最後から二番目の男』===
この頃までに、ベッソンは自身の長編デビュー作として『[[サブウェイ (映画)|サブウェイ]]』の構想をおおよそかためていた<ref name="FM1-II-35"/>。ベッソンの作成した脚本第一稿をジョリヴェと共同で修正し、さらに別のシナリオライターによる修正を経て脚本の完成にこぎつけていた<ref name="世界-25"/>。しかし予算確保の問題があり{{refnest|group="注"|製作費を提供するという人物がいたのだが、実際に撮影に入る直前になって約束を反故にしたという<ref name="世界-25"/>。ベッソンは、後になって考えれば、「かえってよかった」と語る<ref name="世界-25"/>。当時の自分たちは、まだ『サブウェイ』のような大掛かりな作品をつくるには経験不足だったという<ref name="世界-25"/>。}}、『サブウェイ』を棚上げして、短編を作ることにした<ref name="FM1-II-35"/>。これが『最後の戦い』の原型となる『'''最後から二番目の男'''』(原題:''[[:fr:L'Avant-dernier|L'avant Dernier]]'')である<ref name="FM1-II-35"/>。
 
『最後から二番目の男』の撮影は[[35mmフィルム|35ミリフイルム]]・[[シネマスコープ|シネスコサイズ]]で行い、8分の短編に仕上げた<ref name="FM1-II-35"/>。台詞はなく、音楽はエリック・セラがつけた<ref name="FM1-II-35"/>。主演はピエール・ジョリヴェとジャン・レノである<ref name="FM1-II-35"/>{{refnest|group="注"|[[フランソワ・クリュゼ]]にも出演を依頼したが、スケジュールが合わないといって「丁重に」断られたという<ref name="世界-24"/>。}}。その内容は、偏屈な男性医師(ピエール・ジョリヴェ)が、壊滅した世界で唯一生き残った女性を、乱暴者(ジャン・レノ)から守るため、監禁している、というものだった<ref name="FM1-II-35"/><ref name="FM1-IV-3"/>。完成した作品を[[アボリアッツ国際ファンタスティック映画祭]]短編部門に上梓したものの、何の賞も得られなかった<ref name="世界-24"/>。
 
この『最後から二番目の男』を長編化したのが『最後の戦い』である<ref name="FM1-II-36"/><ref name="世界-30"/>。
 
==製作資金確保をめぐる問題==
『最後の戦い』製作には、総額およそ350万フランの予算を見込んだ<ref name="世界-31"/>。
 
フランスの大手映画会社[[ゴーモン]]のドゥニ・シャトーという人物は、『サブウェイ』の企画が頓挫した頃から、ピエール・ジョリヴェを評価していた数少ない人物だった<ref name="世界-30"/>。ベッソンとジョリヴェは『最後の戦い』の構想をシャトーのもとへ持ち込んだ<ref name="世界-30"/>。シャトーは、短期間に新たな映画構想を持ち込んできたことに驚きつつも、ゴーモン社へ『最後の戦い』製作へ出資するよう働きかけたという<ref name="世界-30"/>。しかしゴーモン社はこれを却下した。ゴーモン社としての支援ができなくなった後も、シャトーは個人として、映画完成の暁には上映館を確保するよう約束した<ref name="世界-30"/>。
 
ベッソンとジョリヴェは、ほかの製作会社・配給会社へも手当たり次第に交渉にでかけたが、全て出資を断られた<ref name="世界-30"/>。あるとき、配給業を営むと称する「怪しげな」人物に出会うと、20万フランでフランス国内での『最後の戦い』配給を請け負うと持ちかけられた<ref name="世界-31"/>。ベッソンらはこの人物と契約したが、この人物はまもなくこの契約を無断で第三者へ50万フランで転売してしまい、30万フランの利ざやを稼いで逃げた<ref name="世界-31"/>。そのうえ、この人物は実際にはパリ地区・ボルドー地区の配給権をもっていなかった<ref name="世界-31"/>。ベッソンらはこうした事情を知らないまま、この20万フランの契約金を支払うための銀行融資を受けるべく、中央映画庁へ信用保証の申請を行ったのだが、却下されてしまった<ref name="世界-31"/>。却下の理由は、この人物には実際の配給能力がなく、詐欺師であるというものだった<ref name="世界-31"/>。結局ベッソンらには、20万フランの負債だけが残ることになった<ref name="世界-31"/>。
 
ベッソンらは、映画会社をあきらめ、経済力のある個人を訪ねて出資を頼んで回ることにした<ref name="世界-30"/>。そのうち見つかったのが、旅行代理店経営者のコンスタンタン・アレグザンドロフ([[:fr:Constantin Alexandrov|Constantin Alexandrov]])である<ref name="世界-30"/>。ベッソンらがアレグザンドロフに脚本を読ませ、予告編として『最後から二番目の男』を見せたところ、50万フランの出資を約束してくれた<ref name="世界-30"/>。このまとまった資金のあてがついたことで、『最後の戦い』製作が具体的に進むことになった<ref name="世界-31"/>。
 
ほかに出資をした者としては、編集のソフィー・シュミットの伝手でみつけたエリック・プルイエという人物がいる<ref name="世界-30"/>。プルイエは自動車事故に遭って保険金を受け取っており、その一部を『最後の戦い』製作に出資することを約束した<ref name="世界-31"/>。このほか、リュック・ベッソンの義父も少々出資をしたという<ref name="世界-30"/>。
 
総額350万フランのあてはないが、アレグザンドロフの50万フランという当座の資金の目処が立ったことで、ベッソンらはあらためて銀行へ融資を申し込んだ<ref name="世界-31"/>。しかし[[:fr:Crédit lyonnais|クレディ・リヨネ銀行]]は、『サブウェイ』の企画が頓挫した際に200フランを滞納していたせいで謝絶された<ref name="世界-31"/>。[[:en:Union Bancaire Privée|UBP銀行]]は融資を認めたが、その額はわずかに1500フランだったという<ref name="世界-31"/>。ベッソンらが増額を求めて食い下がると、最終的に2500フランまでは融資を承諾した<ref name="世界-31"/>。予算からするとあまりに端金ではあったものの、資金の乏しいベッソンらはこの融資を受けることにした<ref name="世界-31"/>。
 
こうしてベッソンらは総予算350万フランのうち、当座の資金として70万フランほどの目処を立てたことで、映画撮影に踏み切った<ref name="世界-31"/>。だが資金の大半を占めるアレグザンドロフからの50万フランは、アレグザンドロフが海外出張中のために振り込みが遅れ、開始から1週間もすると早速資金難に陥った<ref name="世界-31"/>。このため、ジョリヴェの友人ミシェル・ド・ブロカが、つなぎ資金の貸付を図ってくれたという<ref name="世界-31"/>。
 
総予算が確保できないうちに撮影に入ったため、ベッソンは撮影初日にスタッフ一同に対し、賃金の支払いが滞る旨を説明した<ref name="世界-44"/>。しかもその額は賃金は非常に低いか、もしかすると無報酬である<ref name="世界-43"/>。チーフ助監督として雇った人物は報酬の前払いを求めてきたため、ベッソンはこれに応じた<ref name="世界-43"/>。ところがこの人物は、別作品撮影のため主要スタッフを引き連れていなくなってしまい、先に払った報酬も返さなかった<ref name="世界-43"/>。ベッソンらは、さらに乏しくなった資金で、いなくなったスタッフの穴埋めを急遽探すことになった<ref name="世界-43"/>。ジャン・レノの友人のティエリ・フラマンが美術を引き受けることになった<ref name="世界-43"/>。
 
撮影2日目は、立体駐車場を廃墟に見立てての撮影だった<ref name="世界-48"/>。ところが手違いがあり、ベッソンらは500万フランの損害賠償を請求されることになった<ref name="世界-48"/>。ベッソンらは駐車場の経営者から撮影許可を得て、そこで数台の自動車をひっくり返して配置し、撮影にとりかかった<ref name="世界-48"/>。しかし、撮影許可を得ていたのは5階だったのに、ベッソンらは誤って6階で作業をしてしまった<ref name="世界-48"/>。駐車場経営者は、建物所有者とのあいだで係争があり、敗訴して6階の原状復帰を迫られていた<ref name="世界-48"/>。そのためフロアの清掃を済ませ、コンクリートの塗り直しを行うところだった<ref name="世界-48"/>。その直前にベッソンらが廃車を何台もひっくり返したため、車の油などが流出して汚れてしまった<ref name="世界-48"/>。原状復帰が遅れることで駐車場経営者は建物所有者に対して遅延損害金を支払う義務を負っており、駐車場経営者は、ベッソンらが汚損した6階の証拠写真を撮って調書を作成し、翌日に500万フランの損害賠償を求めてきたのである<ref name="世界-48"/>。
 
さらに、撮影フイルムをめぐるトラブルが発端で、ベッソンらはフイルム製造会社の[[アグフア・ゲバルト|アグフア社]]から10万フランの損害賠償を要求されることになった<ref name="世界-50"/>。アグファ社から購入した在庫品のフイルムを使用して撮影を始めると、撮影中のフイルム切断が多発するうえ、現像してみると画面上にノイズ{{refnest|group="注"|感光層の不良で、専門的には「スタチックマーク」と呼ばれる。}}が写り込んでいた<ref name="世界-50"/>。ベッソンらはアグフア社と交渉したが決裂、フイルム代の支払いを拒絶したところ、10万フランの支払いを求めて提訴されたのだった<ref name="世界-50"/>。
 
当初見込んでいた350万フランの予算に対し、実際に要した費用は税抜で3,289,949フランだった<ref name="世界-31"/>。当初確保した70万フランの資金は当座の撮影費で使い果たしてしまった<ref name="世界-151"/>。その後の現像や編集などは負債となった<ref name="世界-151"/>。費用面では、人件費とその社会保障費が大きく、負債総額は300万フランにのぼった<ref name="世界-151"/>。
 
==脚本==
ストーリーは『最後から二番目の男』を基にして、リュック・ベッソンとピエール・ジョリヴェが共同で長編に脚本化した<ref name="世界-30"/>。この脚本はわずか20ページほどのもので、10日で完成したという<ref name="世界-30"/>。大異変によって荒廃した世界を舞台や、故郷への帰還をめざす主人公、生き残った貴重な女性を監禁しつつ保護している「少々おかしい」医師というキャラクター像は『最後から二番目の男』を発展させたものである<ref name="世界-30"/>。
 
==評価==
登場人物の台詞を完全に排除し、映像だけで語る作品である<ref name="ぴあ2000-446"/>。1983年に[[アボリアッツ国際ファンタスティック映画祭]]で審査員特別賞と批評家賞のダブル受賞するなど<ref name="allcinema-1983"/>、高い評価を受けた<ref name="ぴあ2000-1335"/>。
 
まだ若いリュック・ベッソン監督の初作品であり、「才気がうかがえる野心の込もった力作」(『[[ぴあ]]』<ref name="ぴあ2000-446"/>)、「奇をてらったというよりはひねくれてるとしか思えない造りにも覇気が感じられる<ref name="allcinema-ldc"/>」([[allcinema]])と評されている。
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{{Reflist|colwidth=30em
|refs=
 
<!--ソニーマガジン -->
<!--「ある自伝の草稿」-->
*<ref name="世界-14">『最後の戦い リュック・ベッソンの世界』p14</ref>
*<ref name="世界-18">『最後の戦い リュック・ベッソンの世界』p18</ref>
*<ref name="世界-19">『最後の戦い リュック・ベッソンの世界』p19</ref>
*<ref name="世界-21">『最後の戦い リュック・ベッソンの世界』p21</ref>
*<ref name="世界-24">『最後の戦い リュック・ベッソンの世界』p24</ref>
*<ref name="世界-25">『最後の戦い リュック・ベッソンの世界』p25</ref>
 
<!--「執筆と準備」-->
*<ref name="世界-30">『最後の戦い リュック・ベッソンの世界』p30</ref>
*<ref name="世界-31">『最後の戦い リュック・ベッソンの世界』p31</ref>
 
<!--「撮影」-->
*<ref name="世界-43">『最後の戦い リュック・ベッソンの世界』p43</ref>
*<ref name="世界-44">『最後の戦い リュック・ベッソンの世界』p44</ref>
*<ref name="世界-48">『最後の戦い リュック・ベッソンの世界』p48</ref>
*<ref name="世界-50">『最後の戦い リュック・ベッソンの世界』p50</ref>
 
<!--「最後の手段だった映画祭」-->
*<ref name="世界-151">『最後の戦い リュック・ベッソンの世界』p151</ref>
 
 
 
 
<!--Filmmakers -->
*<ref name="FM1-IV-3">『Filmmakers (1) リュック・ベッソン』第4部(巻末)p3「最後から2番めの男」</ref>
*<ref name="FM1-IV-3-4">『Filmmakers (1) リュック・ベッソン』第4部(巻末)p3-4「最後の戦い」</ref>
 
*<ref name="FM1-II-27">『Filmmakers (1) リュック・ベッソン』小林雅明「リュック・ベッソン・ワールド 2 リュック・ベッソン・ストーリー」p27</ref>
*<ref name="FM1-II-28">『Filmmakers (1) リュック・ベッソン』小林雅明「リュック・ベッソン・ワールド 2 リュック・ベッソン・ストーリー」p28</ref>
*<ref name="FM1-II-29">『Filmmakers (1) リュック・ベッソン』小林雅明「リュック・ベッソン・ワールド 2 リュック・ベッソン・ストーリー」p29</ref>
*<ref name="FM1-II-34">『Filmmakers (1) リュック・ベッソン』小林雅明「リュック・ベッソン・ワールド 2 リュック・ベッソン・ストーリー」「ベッソン、映画を撮る」p34</ref>
*<ref name="FM1-II-35">『Filmmakers (1) リュック・ベッソン』小林雅明「リュック・ベッソン・ワールド 2 リュック・ベッソン・ストーリー」「ベッソン、映画を撮る」p35</ref>
*<ref name="FM1-II-36">『Filmmakers (1) リュック・ベッソン』小林雅明「リュック・ベッソン・ワールド 2 リュック・ベッソン・ストーリー」「ベッソン、映画を撮る」p36</ref>
<!--
*<ref name="FM1-II-37">『Filmmakers (1) リュック・ベッソン』小林雅明「リュック・ベッソン・ワールド 2 リュック・ベッソン・ストーリー」「ベッソン、映画を撮る」p37</ref>
-->
 
 
 
<!-- -->
*<ref name="ぴあ2000-446">『ぴあシネマクラブ2 外国映画編 2000-2001』、p446「最後の戦い」</ref>
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*<ref name="allcinema-ldc">[[スティングレイ (企業)|株式会社スティングレイ]]、[[allcinema]]、[https://www.allcinema.net/cinema/8392 最後の戦い]。2020年1月29日閲覧。</ref>
 
*<ref name="allcinema-1983">[[スティングレイ (企業)|株式会社スティングレイ]]、[[allcinema]]、[https://www.allcinema.net/award/724 1983年 第11回 アボリアッツ・ファンタスティック映画祭]。2020年2月1日閲覧。</ref>
 
}}
 
===書誌情報===
*『最後の戦い リュック・ベッソンの世界』、[[リュック・ベッソン]]/著、檜垣嗣子/訳、[[ソニー・マガジンズ]]/刊、1997年。ISBN 4-7897-1195-1
*『Filmmakers (1) リュック・ベッソン』([[キネマ旬報]]第1237号・増刊10月30日号)、大林千茱萸/責任編集、植草信和/編集、オムロピクチャーズ・[[西田宣善]]・吉岡淳哉/企画・編集、[[キネマ旬報社]]、1997年。ISBN 978-4873765280
*『ぴあシネマクラブ2 外国映画編 2000-2001』、増渕幹男(編集長)、藤波和哉(編集人)、[[ぴあ|ぴあ株式会社]]刊、2000年。ISBN 4-89215-979-4
==外部リンク==
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{{リュック・ベッソン}}
 
{{DEFAULTSORT:さいこのたたかい}}
[[Category:1983年の映画]]
[[Category:フランスのアクション・スリラー映画]]
[[Category:フランスのスリラー映画]]
[[Category:リュック・ベッソンの監督映画]]
[[Category:エリック・セラの作曲映画]]
[[Category:フランスの白黒映画]]
[[Category:文明崩壊後の世界が描かれた映画作品]]
[[Category:パリで製作された映画作品]]
[[Category:チュニジアで製作された映画作品]]