ページ「日本統治時代の朝鮮」と「うらみちお兄さん」の間の差分

(ページ間の差分)
削除された内容 追加された内容
 
いまだに去んだ
 
1行目:
{{Infobox animanga/Header
{{基礎情報 過去の国
| タイトル = うらみちお兄さん
|略名 = 日本
| ジャンル = [[ブラックジョーク|ブラック・コメディ]]
|日本語国名 = 大日本帝国(外地・朝鮮)
|公式国名 = 大日本帝国
|建国時期 = 1910年
|亡国時期 = 1945年
|先代1 = 大韓帝国
|先旗1 = Flag of Korea 1882.svg
|次代1 = 連合軍軍政期 (朝鮮史)
|次旗1 = US flag 48 stars.svg
|次代2 = 連合軍軍政期 (朝鮮史)
|次旗2 = Flag of the Soviet Union.svg
|国旗画像 =Merchant flag of Japan (1870).svg
|国章画像 =Seal_of_the_Government-General_of_Korea.svg
|標語 = 内鮮一体、一視同仁
|国歌名 = 君が代
|位置画像 = Locator map of Korea.svg
|公用語 = [[日本語]], [[朝鮮語]]
|首都 = [[京城府]](総督府所在地)
|元首等肩書 = 最後の[[天皇|元首]]
|元首等年代始1 = 1926年
|元首等年代終1 = 1945年
|元首等氏名1 = [[昭和天皇]]
|首相等肩書 = 最後の[[朝鮮総督府|総督]]
|首相等年代始1 = 1944年
|首相等年代終1 = 1945年
|首相等氏名1 = [[阿部信行]]
|面積測定時期1 =
|面積値1 =
|人口測定時期1 =
|人口値1 =
|変遷1 = [[韓国併合ニ関スル条約|日韓併合条約]]が調印
|変遷年月日1 = [[1910年]][[8月22日]]
|変遷2 = [[韓国併合ニ関スル条約|日韓併合条約]]が発効
|変遷年月日2 = [[1910年]][[8月29日]]
|変遷3 = 日本が[[ポツダム宣言]]受諾
|変遷年月日3 = [[1945年]][[8月15日]]
|変遷4 = 日本が[[降伏文書]]調印
|変遷年月日4 = [[1945年]][[9月2日]]
|変遷5 = [[在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁|アメリカ軍]][[軍政]]<ref>{{cite news
|url=http://japanese.yonhapnews.co.kr/society/2009/08/17/0800000000AJP20090817002500882.HTML
| title=今日の歴史(9月7日)
| publisher=聯合ニュース
| date=2009年09月07日
| accessdate=2010年4月09日
}}</ref>
|変遷年月日5 = [[1945年]][[9月7日]]
|変遷6 = [[朝鮮総督府]]降伏<ref>{{cite news
|url=http://japanese.yonhapnews.co.kr/misc/2009/08/17/9000000000AJP20090817002700882.HTML
| title=今日の歴史(9月9日)
| publisher=聯合ニュース
| date=2009年09月09日
| accessdate=2010年4月09日
}}</ref>
|変遷年月日6 = [[1945年]][[9月9日]]
|変遷7 = [[連合軍軍政期 (朝鮮史)|ソビエト軍軍政]]
|変遷年月日7 = [[1945年]]
|通貨 = [[:en:Korean Yen|朝鮮銀行券]]
|時間帯 = +9:00
|夏時間 =
|時間帯追記 = (1910年-1911年はUTC+8:30)
}}
{{Infobox animanga/Manga
'''日本統治時代の朝鮮'''(にほんとうちじだいのちょうせん、[[朝鮮語]]:일본통치시대의 조선, [[英語]]:Korea under Japanese rule, [[1910年]][[8月29日]] - [[1945年]][[8月15日]])では、[[日本]]([[大日本帝国]])による[[韓国併合]]から[[第二次世界大戦]]終戦までの約35年間<ref>統治期間は12770日、すなわち34年11か月17日である。</ref>、日本の主権下にあった[[朝鮮]]について述べる。
| 作者 = 久世岳
| 出版社 = [[一迅社]]
| 掲載誌 = comic POOL
| 開始日 = 2017年5月12日
| 終了日 =
| 巻数 = 既刊7巻(2022年1月現在)
| 話数 =
| インターネット = 1
}}
{{Infobox animanga/TVAnime
| 原作 = 久世岳
| 監督 = 長山延好
| シリーズ構成 = [[待田堂子]]
| キャラクターデザイン = 髙橋瑞紀、柴田裕介
| 音楽 = [[羽岡佳]]
| アニメーション制作 = [[スタジオブラン]]
| 製作 = 「うらみちお兄さん」製作委員会
| 放送局 = [[テレビ東京]]ほか
| 放送開始 = 2021年7月6日
| 放送終了 = 9月28日
| 話数 = 全13話
}}
{{Infobox animanga/Footer
|ウィキプロジェクト=[[プロジェクト:漫画|漫画]]・[[プロジェクト:アニメ|アニメ]]
|ウィキポータル=[[Portal:漫画|漫画]]・[[Portal:アニメ|アニメ]]
}}
『'''うらみちお兄さん'''』(うらみちおにいさん/英:LIFE LESSONS WITH URAMICHI ONIISAN)は、[[久世岳]]による[[日本]]の[[Web漫画]]作品。[[Pixivコミック]]内のWEBコミック配信サイト『comic POOL』にて2017年より連載中。架空の[[子供向け番組|子供向け]][[教育番組]]「ママンとトゥギャザー」に出演する、31歳の体操のお兄さん・表田裏道および番組に関わる人物の世知辛くも生々しい日常を描くブラック系[[ギャグ漫画]]<ref name="oricon">{{Cite news|title=『うらみちお兄さん』アニメ化決定 神谷浩史らキャストも解禁|url=https://www.oricon.co.jp/news/2147293/full/|newspaper=ORICON NEWS|publisher=[[オリコン]]|date=2019-10-25|accessdate=2019-12-13}}</ref>。
 
2017年2月9日に作者の久世のTwitterにて『うらみちお兄さん』の漫画が投稿された。同時期にcomic POOLの担当と新連載についての話が進んでおり、その中で本作の連載が決定。同年5月より連載が開始された<ref>{{Cite interview |author=平松梨沙 |interviewer=平松梨沙 |title=「うらみちお兄さん」特集、久世岳インタビュー |url=https://natalie.mu/comic/pp/uramichi |program=[[ナタリー (ニュースサイト)|コミックナタリー]] |publisher=株式会社ナターシャ |accessdate=2019-12-14 |page=1 }}</ref>。
なお現在の韓国においては、日帝時代、日帝暗黒期、日帝植民統治時代、日本植民地時代、日本統治時代、日政時代、倭政時代、対日本戦争期、対日抗争期、国権被奪期など様々な呼称があるが、[[国立国語院]]が管理する[[大韓民国標準語]]では「強制的に占領されていた時代」という意味で「'''日帝強占期'''」({{lang|ko|일제 강점기}})とされている。
 
第3回「[[次にくるマンガ大賞]]」の『Webマンガ部門』第1位、2017年度の「[[WEBマンガ総選挙]]」の『[[インディーズ]]部門』第1位受賞<ref>{{Cite web|title=一迅社WEB {{!}} うらみちお兄さん|url=http://www.ichijinsha.co.jp/special/uramichi/|website=www.ichijinsha.co.jp|accessdate=2019-12-13}}</ref>。2021年5月時点で電子版を含めたコミックス累計発行部数は150万部を突破している<ref>{{Cite news|url=https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1622450165|title=夏アニメ『うらみちお兄さん』テレビ東京他にて7/5(月)より放送決定! OP「ABC体操」を使用したPVとジャケット写真も公開|work=animate Times|date=2021-05-31|accessdate=2021-06-01}}</ref>。
== 概要 ==
{{朝鮮の歴史}}
[[File:General power of attorney to Lee Wan-Yong signed and sealed by Sunjong.jpg|left|220px|thumb|[[韓国併合ニ関スル条約|日韓併合条約]]調印に際する1910年8月22日付の[[純宗 (朝鮮王)|純宗]]から[[李完用]]への全権委任状]]
[[File:Korean Government-General Office.JPG|left|220px|thumb|[[朝鮮総督府]]]]
[[File:Sui-ho Dam under construction.JPG|left|thumb|大型ダムの建設によって電力を供給した([[水豊ダム]])]]
[[File:Japanese flag down US flag up.png|220px|left|thumb|南朝鮮に駐留していた日本軍が降伏。日章旗が降ろされ星条旗が掲揚される(1945年9月9日・朝鮮総督府)]]
[[1910年]]、[[大韓帝国]]は「[[韓国併合ニ関スル条約]]」(日韓併合条約)によって日本に併合され([[韓国併合]])[[朝鮮総督府]]の統治下に置かれた<ref>韓国併合条約の解釈については、欧米の研究者、日本政府の見解ならびに日本側の研究者の大半の意見では「有効」「合法(不当)」、対して韓国・北朝鮮の多くの研究者ならびに日本の研究者の一部の意見では「無効」「不法不当」となっている。 [[海野福寿]] [https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/1537/1/sundaishigaku_112_91.pdf 韓国併合条約等旧条約無効= 日本の 「不法な」植民地支配論をめぐって], [[駿大]]史学, 112号 (2001年3月), 91-108. [[平野健一郎]] [http://www2.jiia.or.jp/shuppan/kokusaimondai/j-kokusaimondai01.html 「韓国併合再検討」国際会議について], 国際問題, 501号 (2001年12月), p.82-93. 海野福寿 [http://opac.ndl.go.jp/articleid/9534522/jpn 「韓国併合条約等旧条約無効説と国際法―条約の形式と締結手続きについて」], [[日本植民地研究]], 第14号 (2002年6月), p. 21. [[木村幹]] [http://www.lib.kobe-u.ac.jp/repository/90000398.pdf 「第3回日韓併合再検討国際会議―「合法・違法」を超えて」], [[日本植民地研究]], 第14号 (2002年6月), p. 34. [[鄭昌烈]] [http://www.jkcf.or.jp/history/3/01-1k_jcr_j.pdf 乙巳条約・韓国併合条約の有・無効論と歴史認識], [[日韓歴史共同研究]]委員会報告書 (第1期 2002-2005年). [[坂元茂樹]] [http://www.jkcf.or.jp/history/3/01-0j_sakamoto_j.pdf 日韓間の諸条約の問題―国際法学の観点から], [[日韓歴史共同研究]]委員会報告書 (第1期 2002-2005年). [[岡田邦宏]] [http://www.seisaku-center.net/modules/wordpress/index.php?p=43 韓国併合「無効説」の誤謬], [[日本政策研究センター]], 2006年6月14日.</ref>。日本による統治期間は1919年の[[三・一独立運動]]までの武断統治期、それ以降[[日中戦争]]に至るまでの文化統治期、および日中戦争、[[太平洋戦争]]から終戦に至るまでの戦時体制期に大きく分けられる<ref>[[佐野通夫]] 『日本植民地教育の展開と朝鮮民衆の対応』, [[社会評論社]] (2006/02). ISBN 978-4-7845-0288-2</ref>。
 
== あらすじ ==
併合時における朝鮮の国民経済は破綻しており、住民からの徴税も困難な状態にあったため、日本は併合後10年間、所得税を免除した。朝鮮総督府は日本政府の財政支援の下で[[鉄道]]から[[医療]]まで朝鮮半島へ最先端の各種[[インフラストラクチャー|インフラ]]を導入して整備するとともに、教育にも力を入れ、学校を多数建設した。朝鮮人の寿命は伸び、人口は1910年には1313万人であったものが32年後の1942年には2553万人とほぼ倍増し、朝鮮人の識字率は1910年の10%から1936年には65%まで上昇した<ref name=Harvard>カーター・エッカート 『日本帝国の申し子』 ISBN 4794212755 ※この研究著書は「[[ジョン・ホイットニー・ホール・ブック賞]]」(アジア研究協会)、「ジョン・キング・フェアバンク賞」(アメリカ歴史学会)をそれぞれ受賞した。</ref>。
[[NHKテレビ|MHK]]の教育番組「ママンとトゥギャザー」の体操のお兄さん、表田裏道(通称・'''うらみちお兄さん''')は、子どもたちに笑顔を振りまく優しいお兄さんだが、しんどい、辛い、何もしたくないといった大人の社会に対する暗雲とした「裏の顔」が時々垣間見えてしまう。
 
番組自体や番組の出演者、スタッフも揃ってどこかずれていたり濃かったり、達観していたりする者が多い中、裏道は不安定ながらも日常を送っていく。
併合当初は[[憲兵警察制度 (朝鮮総督府)|憲兵警察制度]](併合年で7,712名。その内、[[朝鮮民族|朝鮮人]]は4,440名<ref>水田直昌監修『統監府時代の財政』122頁</ref>)や言論・結社の自由の厳しい制限などに代表される武断統治により、朝鮮王朝末期から続いていた一部の抗日運動を抑えようとした。1919年には三・一独立運動が起こったが、日本の憲兵警察により鎮圧された<ref>三・一運動の取締りについては、たとえば「すさまじい弾圧」(朝鮮史研究会編『朝鮮の歴史』[[三省堂]]、1974、215頁)や「民衆の蜂起と日本の弾圧」(姜徳相『呂運亨評伝1: 朝鮮三・一独立運動』新幹社、2002、165頁)、「激しい弾圧」(吉田光男編著『韓国朝鮮の歴史と社会』[[放送大学]]振興会、2004、140頁)という表現を用いている。対して名越二荒之助『日韓2000年の真実』(国際企画)等では「鎮圧」としている</ref>。[[1920年]]の[[尼港事件]]では朝鮮人パルチザン1,000人程が赤軍に参加して日本軍守備隊を全滅させ在留邦人を虐殺している。
 
== 登場キャラクター ==
三・一独立運動以後、日中戦争に至るまでの期間は三・一運動や[[大正デモクラシー]]の影響などにより朝鮮総督府は従来の統治政策を限定的ながら修正し、言論や結社の自由が与えられたため、比較的自由な雰囲気の中で、朝鮮人による様々な合法的・文化的な民族運動が繰り広げられた。また、[[朝鮮文学]]の発展が見られ、大都市を中心に[[大衆文化]]の発展も見られた。[[満州]]と接する北部国境地帯では朝鮮独立を掲げる民兵組織と朝鮮総督府との散発的な戦闘も発生している。
声は単行本発売記念PV・テレビアニメの声優。
 
=== 「ママンとトゥギャザー」出演者 ===
日本は朝鮮半島の開発に力を入れ、開発工事や運営の主な労働力を朝鮮人に求めることで雇用を創出した。これにより朝鮮人の海外への流失を抑制し日本本土への流入も抑え本土の失業率上昇や治安悪化をも防止しようとした。<ref name=M2006090419432107004&>{{cite web
; 表田裏道(おもた うらみち)
| url = http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/listPhoto?IS_STYLE=default&ID=M2006090419432107004&
: 声 - [[神谷浩史]]<ref name="rs20191102">{{Cite news |title=体操のお兄さんのブラックな笑いを描く『うらみちお兄さん』アニメ化 体操のお兄さんのブラックな笑いを描く『うらみちお兄さん』アニメ化 |url=https://www.excite.co.jp/news/article/Crankin_7043904/ |newspaper=[[リアルサウンド (ニュースサイト)|リアルサウンド]] |publisher=株式会社blueprint |date=2019-11-02 |accessdate=2020-06-03 }}</ref>
| title = 朝鮮人移住対策ノ件
: 本作の主人公。「ママンとトゥギャザー」に出演する「体操のお兄さん」で、通称・うらみちお兄さん。31歳、身長175cm、AB型、独身。元[[体操]]選手、喫煙者で酒好き、寒さにも強い。好きな食べ物は[[へしこ]]、趣味は[[筋トレ]]。
| work = 内閣
: 外見は爽やかな筋肉質のイケメンで、出演の子供たちにも親切に接する(自身曰く、子供たちの信頼で成り立っている仕事)。一方で社会にメンタルをやられた様子で裏表が激しく精神不安定な面があり、暴言を吐いたりネガティブな発言をしたり、子供の前でやんわりと大人の世界の闇を暴いたりする根暗い性格である。一人考え事をしていると自己嫌悪に陥ることもあり、就寝も睡眠導入剤などを用いないとまともに寝付けないほど。描いた絵は子供に気持ち悪いと言われることが多いが、なぜか高尚な人には受けが良い。
| publisher = [[アジア歴史資料センター]]
: 体育大学時代は全国大会の個人種目で1位となるエースだったが、選手になった後に怪我により引退を余儀なくされた。
| date = 1934-10-30
: 幼少期は練習をサボるたびに厳格な父親にマットに投げられて育っており、裏道の妹は16歳の時に父親から逃げるように出て行った<ref>第31話「パパンとトゥギャザー」(コミックス第4巻に収録)より</ref>。良くも悪くも調子乗りな兎原には厳しい態度で接するが、礼儀正しく誰よりも常識人な熊谷には二人で食事に行くなど親しく接する。
| accessdate = 2010-04-02
; 蛇賀池照(だが いけてる)
}}</ref><ref name=txt00103>{{cite web
: 声 - [[宮野真守]]{{R|rs20191102}}
| url = http://www.ndl.go.jp/horei_jp/kakugi/txt/txt00103.htm
: 「ママンとトゥギャザー」に出演する「歌のお兄さん」で、通称・いけてるお兄さん。27歳、身長184cm、O型。タバコを吸えない体質で、酒にも弱い。音大卒で元[[ミュージカル]][[俳優]]。ルックスの良い長身イケメンで美声の持ち主だが、天然で周囲の空気を読めない性格である。他の出演者の控え室に入る時はいつもノックをしない。
| title = 朝鮮人移住対策ノ件
: 役者モードに入ると全力で役に入り込むほどの真面目になるが、普段はなぜかいつもおにぎりのことを考えており、ハサミもうまく使えず、[[アナログ時計]]すら読めない。レベルの低い[[下ネタ]]が好きで、「[[チンダル現象]]」「[[チンアナゴ]]」「[[チンニング]]」「トンチンカン」など「チン」がついた言葉を聞くと制御不能に陥り、笑ってしまう。絵を描くことは上手だが、裏道の描いた絵の方が好きという。
| work = 内閣
: 家では大型犬の小百合(声 - [[定岡小百合]]<ref name="natalie422975">{{Cite web |title=「うらみちお兄さん」に津田健次郎・日笠陽子・定岡小百合・大塚芳忠、EDは宮野真守
| publisher = [[国立国会図書館]]
|url=https://natalie.mu/comic/news/422975 |work=コミックナタリー |publisher=株式会社ナターシャ |accessdate=2021-04-02 }}</ref>、[[矢作紗友里]](子犬))を飼っているが、こちらも池照と同様におにぎりのことをよく考えており、「チン」のついた言葉を聞くたびに笑うように鳴き声を発する。かなりピュアな心根の持ち主でいまだにサンタクロースの存在を信じている。
| date = 1934-10-30
; 多田野詩乃(ただの うたの)
| accessdate = 2010-04-02
: 声 - [[水樹奈々]]{{R|rs20191102}}
}}</ref>[[1931年]]には[[朝鮮排華事件]]が起き日中間の外交問題となった。
: 「ママンとトゥギャザー」に出演する「歌のお姉さん」で、通称・うたのお姉さん。32歳、身長162cm、A型。喫煙経験があるが禁煙中。酒が好きで、打ち上げなど酒の席がある場合は率先して参加する。有名音大の卒業生だが、前は売れない[[アイドル歌手]]、[[ものまね]][[演歌歌手]]、[[ナイトクラブ]]のジャズ歌手などと職を転々した。演歌歌手時代の芸名は追出やす子(おいで やすこ)。
: 売れない[[漫才コンビ]]「門真アミーゴ」でボケ担当の[[お笑い芸人]]の彼氏・須胡井宙太(すごい ちゅうた)と同棲6年目で、結婚願望が強く、それらの話題に対して重い返しをする。裏道と池照の本性をよく知っており、自身も時折キャラを作って悪乗りする場合がある。
; 兎原跳吉(うさはら とびきち)
: 声 - [[杉田智和]]{{R|rs20191102}}
: 「ウサオ君」の着ぐるみを着る人物。また、小鳥さんの[[パペット]]を操り、同番組内の「人生相談」コーナーに裏道の友達として出演することもある。[[京都府]]出身の28歳、身長182cm、O型、独身。タバコが嫌い。実家が酒屋で本人も酒が好きだが下戸。裏道の大学の後輩で、先輩である裏道に余計なちょっかいを掛けることが多いため八つ当たりされるが、押しかけ気味に裏道の自宅に遊びに来るぐらいには人付き合いが良い。大学時代は[[陸上部]]所属で[[走高跳]]をやった。外向的でいい人だが、女子局員の間では評判が芳しくない。パチンコや麻雀が好きで、お金に余裕がない様子である。
: 単行本第1巻収録の書き下ろしエピソードまで顔が伏せられていた<ref group="注釈" name="pixiv">pixivコミック版では第19話「神様信じますか」で明かされた。</ref>。
; 熊谷みつ夫(くまたに みつお)
: 声 - [[中村悠一]]{{R|rs20191102}}
: 「クマオ君」の着ぐるみを着る人物。[[福井県]]出身の28歳、身長176cm、A型。タバコはやめた。酒に強い。実家は料理屋で祖父が漁師、父親が板前という魚に関係する家庭で育ち、自身も[[釣り]]を趣味にしている。裏道の大学の後輩で、大学時代は兎原の寮の同居人でもあり、[[弓道]]部所属。「頑張る事がかっこ悪い」という、世間に対する反発心から不良となり、実家にいた頃は喧嘩に明け暮れてはその度に親が呼び出しを食らっていた。その影響もあって弟以外の家族とは仲が悪く、今でも人との付き合いが苦手で普段は無表情だが、猫が好きなようで猫の前では笑顔を見せる。また、寮にいた野良猫のため雨避けを一人で作るなど器用な一面も持っている。18歳の時に出会った池照のことに詳しく、彼と親しい様子である。裏道のことは最初苦手だったが、現在は映画のDVDを貸す程の仲で、裏道も出演メンバーでは熊谷と最も親しい態度で接している。過去の職場で[[パワハラ]]した上司を殴って解雇された経験が(兎原と裏道曰く二回も)ある<ref>第21話「極寒スパイラル」(コミックス第3巻に収録)より</ref><ref group="注釈">アニメでは飲み会後の帰り道に上司が仔猫の入ったダンボール箱を蹴り続けた事に怒り、殴った描写が加えられている。</ref>。
: 「自分は特別優しくも厳しくもない」と自己分析しているが、良くも悪くも無自覚に行動しているためで、周囲に対して自然と気を遣ったり先回りしてフォローする優しさを持つ一方、苦手な魚の調理を克服したいという弟のため問答無用で魚を捌かせて、無理矢理克服させる厳しさ(本人は無自覚で、泣きながら捌く弟には目もくれず、自分の釣った魚の鮮度に目を輝かせていた)も持っている。
:兎原同様、単行本第1巻収録の書き下ろしエピソードまで顔が伏せられていた<ref group="注釈" name="pixiv" />。
 
=== 「ママンとトゥギャザー」スタッフ ===
[[第二次世界大戦]]中は皇民化教育や創氏改名などが推進され、朝鮮人の日本人への同化がより求められた。韓国併合後、朝鮮語は公教育で必須科目として教授されていたが、朝鮮教育令の改正に伴い1938年には随意科目となり、日本語使用家庭の顕彰、学校で朝鮮語を使用した生徒への罰則などを含む「国語常用」運動が繰り広げられた結果、朝鮮語教育は公立学校からほぼ完全に排除されていった<ref>[http://www.kansai-u.ac.jp/fl/publication/pdf_aids/29/1-5_kumatani.pdf 賞罰表象を用いた朝鮮総督府の「国語常用」運動(PDF文書)]</ref>。戦争激化に伴い物資・情報統制も強まり、1940年には朝鮮語媒体の『[[朝鮮日報]]』『[[東亜日報]]』が総督府の命令により廃刊させられたが、『[[毎日新報]]』と官報は存続した。
; 出木田適人(でれきだ てきと)
: 声 - [[堀内賢雄]]<ref name="mantan210319">{{Cite news|title=うらみちお兄さん:「ママンとトゥギャザー」の番組スタッフに三木眞一郎、堀内賢雄、花江夏樹 OPは宮野真守&水樹奈々|url=https://mantan-web.jp/article/20210319dog00m200054000c.html|newspaper=MANTANWEB|publisher=株式会社MANTAN|date=2021-03-19|accessdate=2021-03-19}}</ref>
:「ママンとトゥギャザー」の[[ディレクター]]。45歳。調子のいい適当な性格であるため、過酷な環境でも出演者に室外ロケをやらせたりと、気分しだいで出演者やスタッフを振りまわす行動が多い。猛暑の中で冬をテーマとした曲のMVを撮影を行い、出演者からの不満も意に介さない態度だったが、激怒した熊谷からクマオの着ぐるみを着せられ、撮影を強制的に中止させられた。以降も適当な仕事ぶりで出演者やスタッフから嫌われているが、熊谷の反乱があってからは彼を恐れるようになった。
; カッペリーニ降漬(カッペリーニ ふりつけ)
: 声 - [[中井和哉]]{{R|mantan210319}}
: 「ママンとトゥギャザー」の[[振付師]]。年齢不詳。体格の整った化粧ばっちりの[[オネエ]]で、女子局員とつるめるほど女子力が高い。兎原に興味があるが、当の本人からは嫌がられている。「ママンとトゥギャザー」のコンサート公演では指導に当たり、リハーサル段階で出演者が疲弊するほどの完璧さを求める。
; 風呂出油佐男(ふろで ゆさお)
: 声 - [[三木眞一郎]]{{R|mantan210319}}
: 「ママンとトゥギャザー」の[[プロデューサー]]。48歳。色黒で顔がテカっている。池照に積極的にアプローチをする。
; 枝泥エディ(えでい エディ)
: 声 - [[花江夏樹]]{{R|mantan210319}}
: 「ママンとトゥギャザー」の[[アシスタントディレクター]]。26歳。
; 縁ノ下カヨ(えんのした カヨ)
: 声 - [[髙橋ミナミ]]{{R|mantan210319}}
: 「ママンとトゥギャザー」のアシスタントディレクター。20歳。
; 辺雨育子(へあめ いくこ)
: 声 - [[佐藤利奈]]{{R|mantan210319}}
: 「ママンとトゥギャザー」のヘアメイク。32歳。
; アモン
: 声 - [[津田健次郎]]{{R|natalie422975}}
: 「ママンとトゥギャザー」の[[演出家]]。身長173cm、42歳、A型。本名は田中トメ三郎。目元は前髪で隠れている。番組の企画案が思いつかない際は出演者に助けを求めたりしている<ref group="注釈">第33話「世界のこんにちは」(コミックス第4巻に収録)では、仕事帰りの裏道の後をつけていた。</ref>。彼の手掛ける番組のコーナーでは、裏道のキャラクターの衣装のみ肌の露出高めの奇抜なものとなっている。
 
=== 「ママンとトゥギャザー」登場キャラクター ===
日本政府は[[李氏朝鮮|李氏朝鮮時代]]から朝鮮人にも日本軍の幹部を養成する[[陸軍幼年学校]]や[[陸軍士官学校]]への入学を許可したので、日本軍の[[将官]]に栄達した者も多かった([[李王垠]]、[[洪思翊]]など)。[[1937年]]に日中戦争が勃発すると、朝鮮人から志願兵の申し出が行われるようになり<ref name=asahi370908>大阪朝日新聞・南鮮版 1937年9月8日付{{quotation|『志願兵申出で百五名に達する沸る半島同胞の熱血』<br>暴戻支那を討つべしと朝鮮同胞の義憤の血はいやが上にも沸ぎり、朝鮮憲兵司令部の調査によれば七日現在志願兵を申出たものヽ数は京畿道の二十五名を筆頭に全鮮で百五名に達してゐる}} </ref>、朝鮮人の[[朴春琴]]衆議院議員から「朝鮮人志願兵制度」の請願が出され、1938年からは朝鮮人にも兵卒の志願を許可する[[朝鮮人日本兵|陸軍特別志願兵令]]が公布され<ref name=ajirekiB20020312847>[[1942年]]に行われた朝鮮出身者に対しての募兵では募集4,077名に対し、25,4173名の朝鮮人志願兵が集まり、倍率は62.4倍に達した(国立公文書館 アジア歴史資料センター 朝鮮及台湾ノ現況(本邦内政関係雑纂/植民地関係)レファレンスコード:B20020312847)</ref>、軍人・軍属として戦地に赴いた者も存在した<ref>当時は陸軍を中心に、「日本内地人の徴兵適齢者は枯渇しつつあり、朝鮮人を始めとする外地人も兵力の給源とせざるを得ない」とする意見が広まっており、朝鮮における徴兵制はその帰結であったする意見もある(宮田節子「朝鮮民衆と『皇民化』政策」、p102~p103)。しかし朝鮮人に徴兵制が施行されたのは1944年4月から、台湾人に対しても同年9月からであり、他の植民地保有国と比較して(イギリスは第二次世界大戦中に300万人を超えるインド人兵士を動員した)、植民地人の軍事利用には消極的であった。</ref>。[[1944年]]9月からは朝鮮人にも徴兵が適用されたが、訓練所への入隊は1945年1月から7月の間に限られた上に、朝鮮半島か日本内地勤務が中心であり、ほとんどが戦場に派遣されなかった<ref name=mizuma2010-188>[[水間政憲]] 『[[朝日新聞が報道した「日韓併合」の真実]] 韓国が主張する「七奪」は日本の「七恩」だった』 [[徳間書店]] 2010/7/31 p188. ISBN 978-4-19-862990-8</ref>。
; ウサオ君(ウサオくん)
: 「ママンとトゥギャザー」に出演する[[ウサギ]]の男の子。好きなものは良い子と[[ニンジン]]。話す時に語尾に「ピョン」と付く。
; クマオ君(クマオくん)
: 「ママンとトゥギャザー」に出演する[[クマ]]の男の子。好きなものは良い子と[[はちみつ]]。話す時に語尾に「クマ」と付く。
; 小鳥さん(ことりさん)
: 裏道の夢の中に出てくる謎の生物。鳥の嘴以外に人間の口もある。何故か[[フランスパン]]を持っていることが多い。後に裏道が「ママンとトゥギャザー」内で描いた絵を参考にして人形が作られ、番組コーナーのマスコットと化した。初出は本作と同じく久世の作品である『[[トリマニア]]』で、本作で立体化された<ref name="3の3">{{Cite interview |author=平松梨沙 |interviewer=平松梨沙 |title=「うらみちお兄さん」特集、久世岳インタビュー |url=https://natalie.mu/comic/pp/uramichi/page/3 |program=コミックナタリー |publisher=株式会社ナターシャ |accessdate=2019-12-14 |page=3 }}</ref>。
; ジョキンダー
: 池照が番組内で扮するキャラクターの1つ。子供たちに手洗いの大切さを教える正義の戦士<ref name="3の3"/>。武器は除菌[[シャボン]]。
; バイキンダー
: 裏道が番組内で扮するキャラクターの1つ。ジョキンダーの敵。
; かみてるくん
: 池照が番組内で扮するキャラクターの1つ。[[カミキリムシ]]に由来するキャラクターで、図工のコーナーでハサミを担当する。
; うらみのくん
: 裏道が番組内で扮するキャラクターの1つ。[[ミノムシ]]に由来するキャラクターで、図工のコーナーで[[短冊]]を担当する。
; もみじ
: 詩乃が番組内のコーナー「しのびのやくみ」で扮するキャラクターの1つ。名前は[[もみじおろし]]に由来する。[[くノ一]]。
; 葱之助(ねぎのすけ)
: 池照が番組内のコーナー「しのびのやくみ」で扮するキャラクターの1つ。名前は[[ネギ]]に由来する。忍者。
; ショガ蔵(ショガぞう)
: クマオ君が番組内のコーナー「しのびのやくみ」で扮するキャラクターの1つ。名前は[[ショウガ]]に由来する。
; ミョガ丸(ミョガまる)
: ウサオ君が番組内のコーナー「しのびのやくみ」で扮するキャラクターの1つ。名前は[[ミョウガ]]に由来する。
; シソの神(シソのかみ)
: 裏道が番組内のコーナー「しのびのやくみ」で扮するキャラクターの1つ。[[台風]]でダメになった[[シソ]]の怨念から生まれた神である。
; 右左マン(みぎひだりマン)
: 裏道が番組内のコーナー「交通☆安全 右左マン」で扮するキャラクターの1つ。[[交通標識]]や[[交通信号機]]などが入る派手な衣装を着る。
; ミス・ニーハオ
: 詩乃が番組内のコーナー「全力あいさつ こんにちは隊」で扮するキャラクターの1つ。[[チャイナドレス]]を着る女の子。
; ミスター・オーラ
: 池照が番組内のコーナー「全力あいさつ こんにちは隊」で扮するキャラクターの1つ。[[闘牛士]]。
; [[ナマステ]]・ベアー
: クマオ君が番組内のコーナー「全力あいさつ こんにちは隊」で扮するキャラクターの1つ。頭に[[ターバン]]を巻く。
; ハロー・ラビット
: ウサオ君が番組内のコーナー「全力あいさつ こんにちは隊」で扮するキャラクターの1つ。[[アメリカ]]風の紳士。
; ボンジュールマン
: 裏道が番組内のコーナー「全力あいさつ こんにちは隊」で扮するキャラクターの1つ。保存袋を付け忘れられたフランスパンの怨念から生まれた神であり、たくさんの[[マカロン]]に飾られる。
 
=== MHK関係者 ===
労働力としての徴用については、適用が控えられていた朝鮮においても[[1944年]]9月から[[1945年]][[8月]]にかけて[[国民徴用令]]が実施された。日本本土への朝鮮人徴用労務者の派遣は1945年3月の下関-釜山間の連絡線の運航が止まるまでの7か月間であり、内地(日本)における、国民徴用令による朝鮮人の徴用労務者はごく少数であった。戦後、日本に残留した在日朝鮮人のうち、徴用で日本に来た者は245人であった(1959年の外務省の調べ)。内地(日本)に渡航して来た朝鮮人の大半は職を求めての個別渡航や、工鉱業、土木事業等の募集に応じてきた者であった<ref>『朝日新聞』 1959年7月13日 2面『大半、自由意思で居住 外務省、在日朝鮮人で発表 戦時徴用は245人』</ref>。2009年1月30日、韓国国務総理室傘下の[[日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会]]はおよそ12万人の朝鮮人が徴用されたと発表し、それを「強制動員の被害者」としている<ref>{{cite news
; 木角半兵衛(きかく はんべえ)
| url = http://english.yonhapnews.co.kr/national/2009/01/30/0302000000AEN20090130005100315.HTML
: 声 - [[木村良平]]<ref name="natalie20200526">{{Cite news |title=TVアニメ「うらみちお兄さん」追加キャストに木村良平、鈴村健一、小野大輔 |url=https://natalie.mu/comic/news/380516 |newspaper=コミックナタリー |publisher=株式会社ナターシャ |date=2020-05-26 |accessdate=2020-06-03}}</ref>
| title = Japan forcibly mobilized 120,000 Koreans as laborers: panel
: 同放送局の販売企画部の社員。24歳。髪の毛が長く、ピアスを多く開けている。常に笑顔を絶やさないが精神は裏道以上に不安定で、癇癪を起こすと怒鳴ったり衝動的になったりする。裏道は彼のことを怖いと思う同時に、分かり合える人かもしれないと心の扉を開こうとするも、直後の木角の怒鳴るなどの言動により心の扉を閉ざしている。
| newspaper = [[聯合ニュース]]
; 上武裁人(うえぶ さいと)
| date = 2009-01-30
: 声 - [[鈴村健一]]{{R|natalie20200526}}
| accessdate = 2010-04-03
: 同放送局のデジタル企画部の社員。24歳。メガネをかけている地味な男性。メガネを外すとイケメンだが、[[オタク]]で2次元にしか興味が無い。木角とは同期。黒髪ストレートが好みらしい。
| language = 英語
}}</ref><ref>{{cite news
| url = http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2009/01/30/0200000000AJP20090130001300882.HTML
| title = 日本による強制動員の被害者、約12万人を確認
| newspaper = 聯合ニュース
| date = 2009-01-30
| accessdate = 2010-04-03
}}</ref>。
日本兵を相手に[[慰安婦]]として働く朝鮮婦人もおり、その慰安婦が在籍する[[慰安所]]営業者の半数は朝鮮人が占めていた。現代韓国では慰安婦を勤労奉仕の[[女子挺身隊]]と混同し、今だ従軍[[慰安婦]]問題として日本に補償を求める動きがある。<ref name=dailyseop20061206>{{ko icon}}{{cite web
| url = http://web.archive.org/web/20080129121328/http://www.dailyseop.com/section/article_view.aspx?at_id=52265
| title = 教科書フォーラムの安秉直、「慰安婦は自発的」妄言で波紋
| publisher = デイリー・サプライズ
| accessdate = 2008-12-09
| date = 2006-12-06
}}</ref><ref>[[ブルース・カミングス]] 『現代朝鮮の歴史 第3章』、(横田安司・小林知子訳、明石書店、2003年)</ref><ref>これらの慰安婦について、日本軍の行った人権侵害であるとする立場と、韓国の学識者、日本の右派・保守派を中心に慰安婦について「単なる売春婦である」とする見解がある。また「日本軍〈慰安婦〉問題は国内外の反日勢力の陰謀」とし、「日本版[[歴史修正主義]]」と反論しているものもいる(高橋哲哉『歴史/修正主義』岩波書店、2001年、ⅲ頁)</ref>。
 
=== その他のキャラクター ===
[[1945年]][[8月15日]]、第二次世界大戦の終結により日本の朝鮮半島統治は終焉を迎えた(8月15日は現在、韓国では「光復節」として祝日となっている)。日本の[[ポツダム宣言]]受諾により、朝鮮半島の統治権は[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]側に移った。1945年[[9月2日]]、アメリカ戦艦[[ミズーリ]]の甲板上で日本政府が公式に連合国との間で[[降伏文書]]に調印した。1945年[[9月9日]]、降伏文書調印に伴い朝鮮総督府は解体され、京城の朝鮮総督府庁舎には[[日章旗]]に代わり[[星条旗]]が掲揚された。まもなく、アメリカ軍は降伏条件には定められていなかったが<ref>{{cite web
; 蛇賀眩衣(だが まぶい)
| author = 田中明彦研究室
: 声 - [[日笠陽子]]{{R|natalie422975}}
| authorlink = 田中明彦
: 池照と同居している姉。美人の[[音楽家]]で[[バイオリン]]講師。32歳。詩乃とは同じ大学に通っており、実際に顔見知り。池照と同様におにぎりのことをよく考えている。姉弟揃って[[絶対音感]]を持っているようで、その事で池照と喧嘩になる事もしばしば<ref>アニメ第7話より。</ref>。
| url = http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/docs/19450726.D1J.html
; 猫田又彦(ねこた またひこ)
| title = ポツダム宣言(米、英、華三国宣言)
: 声 - [[小野大輔]]{{R|natalie20200526}}
| publisher = [[東京大学東洋文化研究所]]
: [[バー (酒場)|バー]]「CAT KICK」の店長。[[高知県]]出身<ref>第42話「俺の地元の遊び」(コミックス第4巻に収録)より</ref>の28歳、身長181cm、O型。裏道の大学の後輩。大学時代は兎原と熊谷の寮の同居人であったが、彼女と同棲するために寮を出た。ちなみにその後、裏道が入れ替わる形で同じ寮に入った。バツ2であり、2人分の養育費を支払っている。
| accessdate = 2010-04-10
: 買い出しに立ち寄ったスーパーで偶然裏道に会い、半ば無理矢理バーに連れて行く。初対面でいきなり合コンに誘ってくる彼に裏道は苦手意識を持っていたが、彼の出身地である高知での遊び「[[可杯|べく杯]]」をしているうちに打ち解け、時々飲みに行く程仲良くなった。
}}</ref><ref>{{cite web
; 熊谷はち太(くまたに はちた)
| author = 田中明彦研究室
: 声 - [[依田菜津]]
| authorlink = 田中明彦
: みつ夫の弟。身長173cm、23歳、O型。福井県から上京したばかり。みつ夫とは対照的に臆病な性格。初対面にもかかわらず、裏道の心がやられたことを見抜いた。料理(特に魚を捌く事)が苦手で、修行先の和食料理店を1度クビにされるが、みつ夫の指導のお陰で克服出来たため再度修行している。
| url = http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/docs/19450902.O1J.html
; 獅子戸たま子(ししど たまこ)
| title = 降伏文書
: 猫田の1人目の妻の子供。子供とは思えない大人びた発言をする。猫田の事は2人目の妻との浮気が原因で離婚したため、ゴミクズ同然と思っている。
| publisher = 東京大学東洋文化研究所
; 虎井又太郎(とらい またたろう)
| accessdate = 2010-04-10
: 猫田の2人目の妻の子供。たま子とは対照的に子供らしい言動をする。
}}</ref>日本政府および日本人の資産を没収した<ref>{{cite news
; 布隅冬作(ぬすみ とうさく)
|url=http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2008/12/06/0200000000AJP20081118003200882.HTML
: 木角の知り合い(上武は友達と言っているが本人は否定している)。24歳、身長190cm、B型。裏道の描いた「鳥さん」を盗作、グッズを作成しインターネットで無断販売していた張本人。額と首にタトゥーを入れている。
| title = 今日の歴史(12月6日)
: その後はち太と遭遇し、[[マリトッツォ]]をご馳走している。
| newspaper = 聯合ニュース
; 門真アミーゴ
| date = 2008-12-06
: 声 - [[天﨑滉平]](須胡井宙太)、[[下鶴直幸]](土井柴雄)
| accessdate = 2010-04-09
: ボケ担当の須胡井宙太(すごいちゅうた)と、ツッコミ担当の土井柴雄(どいしばお)の二人で活動している売れない漫才コンビ。宙太は詩乃と同棲6年目で、尻に敷かれている。
}}</ref>。終戦後、朝鮮人は日本人と同じ敗戦国民だが自分達は戦勝国民だと主張し、日本人[[引揚者]]たちは検問でソ連兵や朝鮮人への女性や金品の供出を強要され、日本上陸後に15歳以上の女性は[[妊娠]]・[[性病]]検査や堕胎手術を受けた<ref>pp165-167 「わが引揚げ体験と昭和の歌 」[[五木寛之]]・[[藤原正彦]] [[文藝春秋]] 2007年5月号</ref>。日本上陸時の引揚者たちの表情は一応に厳しいものであった<ref>{{cite web
: 作者である久世岳が執筆しているマンガ「ニラメッコ」では主要人物となっている。
| url = http://www.nikkei.com/video/?bclid=67379774001&bctid=557890432001
| title = 朝鮮からの引き揚げ者、戦後映像発見
| work = [[アメリカ軍]]
| publisher = [[日本経済新聞社]]
| date = 1945-
| accessdate = 2010-08-15
}}{{リンク切れ|date=2010年12月}}</ref>。
 
== 書誌情報 ==
終戦直後、[[朝鮮総督府#歴代朝鮮総督|朝鮮総督]][[阿部信行]]と[[朝鮮軍 (日本軍)|朝鮮軍]]司令官[[上月良夫]]により朝鮮へは[[自治権]]が与えられ、朝鮮人によって[[朝鮮人民共和国]]が建国されたが、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]はこれを認めず、進駐の翌日[[9月9日]]に[[占領行政|軍政]]を布告。[[ソビエト連邦|ソ連]]と共に朝鮮半島を[[38度線|北緯38度線]]を境に南をアメリカが、北をソ連が[[占領]](分割占領)した。その後、[[連合軍軍政期 (朝鮮史)|連合軍軍政期]]を経て北緯38度線より南側が[[大韓民国]](韓国)、北側が[[朝鮮民主主義人民共和国]](北朝鮮)としてそれぞれ独立を宣言する。アメリカが韓国を、ソ連が北朝鮮を支援し、[[1950年]]に[[朝鮮戦争]]が勃発した。
* 久世岳 『うらみちお兄さん』 一迅社、既刊7巻(2022年1月22日現在)
*# 2017年9月27日発売<ref>{{Cite web|url=https://data.ichijinsha.co.jp/detail/75801575|title=うらみちお兄さん (1)|publisher=一迅社|accessdate=2021-06-21}}</ref>、{{ISBN2|978-4-7580-1575-2}}
*# 2018年4月27日発売<ref>{{Cite web|url=https://data.ichijinsha.co.jp/detail/75801597|title=うらみちお兄さん (2)|publisher=一迅社|accessdate=2021-06-21}}</ref>、{{ISBN2|978-4-7580-1597-4}}
*# 2019年1月29日発売<ref>{{Cite web|url=https://data.ichijinsha.co.jp/detail/75801628|title=うらみちお兄さん (3)|publisher=一迅社|accessdate=2021-06-21}}</ref>、{{ISBN2|978-4-7580-1628-5}}
*# 2019年10月29日発売<ref>{{Cite web|url=https://data.ichijinsha.co.jp/detail/75801666|title=うらみちお兄さん (4)|publisher=一迅社|accessdate=2021-06-21}}</ref>、{{ISBN2|978-4-7580-1666-7}}
*# 2020年5月29日発売<ref>{{Cite web|url=https://data.ichijinsha.co.jp/detail/75801693|title=うらみちお兄さん (5)|publisher=一迅社|accessdate=2021-06-21}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://data.ichijinsha.co.jp/detail/75801694|title=うらみちお兄さん (5)特装版|publisher=一迅社|accessdate=2021-06-21}}</ref>、{{ISBN2|978-4-7580-1693-3}} / {{ISBN2|978-4-7580-1694-0}}(ドラマCD付き特装版<ref>{{Cite news |title=『うらみちお兄さん』最新5巻“ドラマCD付き特装版”発売決定!表田裏道役・神谷浩史さんらが出演 |url=https://www.excite.co.jp/news/article/Nijimen_0000000000064094/ |newspaper=エキサイトニュース |publisher=[[エキサイト]] |date=2020-03-04 |accessdate=2020-06-03 }}</ref>)
*# 2021年6月21日発売<ref>{{Cite web|url=https://data.ichijinsha.co.jp/detail/75801722|title=うらみちお兄さん (6)|publisher=一迅社|accessdate=2021-06-21}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://data.ichijinsha.co.jp/detail/75801723|title=うらみちお兄さん (6)特装版|publisher=一迅社|accessdate=2021-06-21}}</ref>、{{ISBN2|978-4-7580-1722-0}} / {{ISBN2|978-4-7580-1723-7}}(小冊子付き特装版)
*# 2022年1月28日発売<ref>{{Cite web|url=https://data.ichijinsha.co.jp/detail/75801756|title=うらみちお兄さん (7)|publisher=一迅社|accessdate=2022-01-28}}</ref>、{{ISBN2|978-4-7580-1756-5}}
 
== テレビアニメ ==
日本が残した産業資源の多くが北部に集中していたため、北朝鮮は朝鮮戦争からしばらくの期間、工業生産力・軍事力などの点で韓国を圧倒していたが、韓国は[[ベトナム戦争]]への派兵にともなう特需と日本からの莫大な規模の経済・技術援助によって「[[漢江の奇跡]]」と呼ばれる経済発展を達成した。
2021年7月から9月まで[[テレビ東京]]ほかにて放送された<ref name="onair">{{Cite web|title=On Air/Stream|url=http://uramichi-anime.com/onair/|work=TVアニメ「うらみちお兄さん」公式サイト|accessdate=2021-05-31}}</ref>。
 
2019年10月25日に製作が発表され{{R|oricon}}、同年12月28日に[[東京国際展示場]]で開催された同人誌即売会『コミックマーケット 97』の一迅社ブースではウサオ君とクマオ君の着ぐるみが登場するというプロモーションが行われた<ref>{{Cite news|title=うらみちお兄さん:テレビアニメが2020年放送 ウサオくんとクマオくんがコミケに登場|url=https://mantan-web.jp/article/20191213dog00m200052000c.html|newspaper=MANTANWEB|publisher=株式会社MANTAN|date=2019-12-13|accessdate=2019-12-13}}</ref>。発表当初は2020年の放送を予定していたが、制作上の都合で翌年に延期された<ref>{{Cite news|title=うらみちお兄さん:テレビアニメが放送延期 2021年放送へ|url=https://mantan-web.jp/article/20200626dog00m200066000c.html|newspaper=MANTANWEB|publisher=株式会社MANTAN|date=2020-06-26|accessdate=2020-06-26}}</ref>。
== 李王家 ==
[[File:Prince and Princess Euimin.jpg|thumb|150px|[[方子女王]]と[[李王垠]]夫妻]]
[[李王家]]は日本の皇族と同等に扱われ、[[貴族院 (日本)|貴族院]]に議席を持つとともに帝国陸軍軍人として奉職した。[[李王家]]の[[李王垠]]には[[皇族]][[梨本宮家]]から[[方子女王]]が嫁入りしている。東京赤坂には[[グランドプリンスホテル赤坂|李王家の邸宅]]が設けられた。[[李鍝]]は日本陸軍中佐として[[太平洋戦争]]で戦死している。一方、朝鮮人の過激派からは暗殺の対象とされ[[李王世子暗殺未遂事件]]などが起きている。日本の敗戦後には連合国によって華族が廃止されたために爵位を失った。連合国の承認を得て建国された大韓民国は長年にわたり李王家の帰還を許さなかったため[[在日朝鮮人]]となった。
 
=== 社会政策スタッフ ===
* 原作・監修 - 久世岳{{R|natalie20200526}}
[[File:Keijo City Hall.JPG|thumb|主要都市には近代的な府庁舎が建設された(写真は京城府庁舎)]]
* 監督 - 長山延好{{R|natalie20200526}}
朝鮮総督府により教育({{仮リンク|日本統治時代の朝鮮の教育|ko|일제 강점기의 교육}})や戸籍制度などの整備がおこなわれた。[[1937年]]には[[白白教]]を取り締まった[[白白教事件]]など李氏朝鮮時代から続く[[カルト]]の撲滅を行った。一方で公立学校を中心とした同化政策や、独立運動に対する警戒・取締は植民地化の経緯とあいまって朝鮮民族の日本(本国)への反感を強める人々もいた。また、統治者としての在朝日本人の間では朝鮮人への侮蔑意識が本国の日本人以上に広まったとされ、そのことも反感を招いたともされる。朝鮮総督府側も、「朝鮮人に対する侮蔑意識が統治への反感を無意味に掻き立て、円滑な統治を妨害しかねない」と懸念を表明することがあった<ref>宮田節子『朝鮮民衆と『皇民化』政策』</ref>。
* チーフディレクター - 渋谷亮介
* シリーズ構成 - [[待田堂子]]{{R|natalie20200526}}
* キャラクターデザイン - 髙橋瑞紀{{R|natalie20200526}}、柴田裕介
* プロップデザイン - 佐藤玲子
* 美術監督 - 林雅巳
* 色彩設計 - 田中英里那
* 撮影監督 - 德田千明
* 編集 - 岡祐司
* 3Dディレクター - 後藤雅人
* 音響監督 - [[小泉紀介]]{{R|natalie20200526}}
* 音響制作 - [[ビットグルーヴプロモーション]]
* 音楽 - [[羽岡佳]]{{R|natalie20200526}}
* 音楽プロデューサー - 高橋きさら
* 音楽制作 - [[キングレコード]]
* プロデューサー - 高橋きさら、神宮司剛史
* アニメーションプロデューサー - 江里口武志
* アニメーション制作 - [[スタジオブラン]]{{R|natalie20200526}}
* 製作 - 「うらみちお兄さん」製作委員会
 
=== 身分解放主題歌 ===
特記ない限り、作詞は久世岳、作曲・編曲は[[菊谷知樹]]が担当。
[[韓国統監府|統監府]]は[[1909年]]に[[戸籍制度]]を朝鮮に導入し、李氏朝鮮時代を通じて人間とは見なされず、姓を持つことを許されていなかった[[白丁]]などの賤民にも姓を名乗らせて戸籍には身分を記載することなく登録させた<ref name="p95RLeeYoungHoon">p95 大韓民国の物語 [[李榮薫]]著 永島広紀訳 文藝春秋 2009/02 ISBN 4163703101</ref>。これにより、身分開放された白丁の子弟も学校に通えるようになった<ref name="p95RLeeYoungHoon"/>。身分解放に反発する[[両班]]は激しい抗議デモを繰り広げたが、日本政府によって即座に鎮圧された<ref name="p95,96RLeeYoungHoon">p95,96 大韓民国の物語 [[李榮薫]]著 永島広紀訳 文藝春秋 2009/02 ISBN 4163703101</ref>。
==== オープニング・エンディング ====
; 「ABC体操」<ref name="music">{{Cite web|url=http://uramichi-anime.com/music/|title=Music|work=TVアニメ「うらみちお兄さん」公式サイト|accessdate=2021-04-16}}</ref>
: いけてるお兄さん([[宮野真守]])とうたのお姉さん([[水樹奈々]])によるオープニングテーマ。<!--作詞は久世岳、作曲・編曲は菊谷知樹。-->
; 「Dream on」{{R|music}}
: 宮野真守によるエンディングテーマ。作詞・作曲・編曲は[[STY]]。
 
==== 教育制度劇中歌・挿入歌 ====
; 「傘持ってないときに限って雨降るのなんで」
[[File:Keijo Imperial University.JPG|thumb|朝鮮に設立された[[京城帝国大学]]]]
: うたのお姉さん(水樹奈々)による第2話劇中歌。<!--作詞は久世岳、作曲・編曲は菊谷知樹。-->
[[File:Keijo girls Normal School.JPG|thumb|[[京城女子師範学校]]。女性教師の育成が行われた。京城師範学校では男性教師が育成された]]
; 「得手不得手」
[[File:Keijo Dental Professional School.JPG|thumb|[[京城歯科医学専門学校]]。[[歯科医]]の育成が行われた。[[京城帝国大学]]や[[京城医学専門学校]]では医師の育成も行われた]]
: いけてるお兄さん(宮野真守)、うたのお姉さん(水樹奈々)による第5話劇中歌。<!--作詞は久世岳、作曲・編曲は菊谷知樹。-->
; 「猫が何もない空間を見てる」
: うたのお姉さん(水樹奈々)による第5話劇中歌。<!--作詞は久世岳、作曲・編曲は菊谷知樹。-->
; 「どうせそんな人生」
: うらみちお兄さん([[神谷浩史]])による第5話挿入歌。<!--作詞は久世岳、作曲・編曲は菊谷知樹。-->
; 「袖かと思ったら襟ぐり」
: 子どもたちによる第6話劇中歌。作詞・作曲・編曲の表記はなし。
; 「浪花の恋のペアルック」
: 多田野詩乃(水樹奈々)による第6話劇中歌。<!--作詞は久世岳、作曲・編曲は菊谷知樹。-->
: 追出やす子(水樹奈々)による第12話劇中歌。<!--作詞は久世岳、作曲・編曲は菊谷知樹。-->
; 「エンドレス猛暑」
: いけてるお兄さん(宮野真守)、うたのお姉さん(水樹奈々)による第10話劇中歌。
; 「極寒スパイラル」
: いけてるお兄さん(宮野真守)、うたのお姉さん(水樹奈々)による第10話劇中歌。
; 「試食でめっちゃ美味しかったパン買って帰ると普通なのなんで」
: いけてるお兄さん(宮野真守)、うたのお姉さん(水樹奈々)による第11話劇中歌。
 
=== 各話リスト ===
==== 教育制度の整備と識字率向上 ====
{{エピソードリスト/base/header
朝鮮では[[1895年]]の[[甲午改革]]により近代教育制度が始まったが、[[1906年]]の時点でも小学校が全国で40校未満<ref name="kimwansop">{{Cite book|和書|author=キム・ワンソプ|authorlink=金完燮|others=荒木和博・荒木信子|year=2002|title=親日派のための弁明|publisher=草思社|isbn=4-7942-1152-X}}104頁</ref>であり、両班の子弟は[[書堂]]と呼ばれる私塾で[[漢籍]]の教育を受けているような状況だった。
| LineColor = #76C4DF
| Number = 話数
| Title = サブタイトル
| Aux0 = 脚本
| Aux1 = {{nobr|絵コンテ}}
| Aux2 = 演出
| Aux3 = {{nobr|作画監督}}
| Aux4 = {{nobr|総作画監督}}
| Aux5 = {{nobr|初放送日}}
| TableStyle = font-size:small
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第1話
| Title = うらみちお兄さん
| Aux0 = {{nobr|[[待田堂子]]}} | Aux0RowSpan = 2
| Aux1 = 長山延好
| Aux2 = {{nobr|渋谷亮介}}
| Aux3 = {{hlist-comma|中山和子|小山菜穂|櫻井拓郎|Synod}}
| Aux4 = 中山和子 | Aux4RowSpan = 4
| Aux5 = '''2021年'''<br />7月6日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第2話
| Title = 先輩と後輩
| Aux1 = 斎藤昭裕
| Aux2 = 髙橋英俊
| Aux3 = {{hlist-comma|光の園・アニメーション|明光|Synod}}
| Aux5 = 7月13日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第3話
| Title = 手洗いうがいは大切に
| Aux0 = 森江美咲
| Aux1 = 柴田裕介 | Aux1ColSpan = 2
| Aux3 = {{hlist-comma|林可爲|櫻井拓郎|Synod|EverGreeen}}
| Aux5 = 7月20日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第4話
| Title = エンドレス猛暑
| Aux0 = 上原莉恵
| Aux1 = 渋谷亮介
| Aux2 = {{hlist-comma|渋谷亮介|青木香奈枝|渡真利晃喜|石栗和弥}}
| Aux3 = {{hlist-comma|田中有紗|Synod}}
| Aux5 = 7月27日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第5話
| Title = この公演が終わったら
| Aux0 = 待田堂子
| Aux1 = {{hlist-comma|長山延好|石栗和弥|青木香奈枝|渡真利晃喜}}
| Aux2 = {{hlist-comma|柴田裕介|石栗和弥|青木香奈枝|渡真利晃喜}}
| Aux3 = {{hlist-comma|長友望巳|Synod|光の園・アニメーション}}
| Aux4 = {{hlist-comma|中山和子|長友望巳}}
| Aux5 = 8月3日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第6話
| Title = 思い出せない例のあれ
| Aux0 = 上原莉恵
| Aux1 = 斎藤昭裕
| Aux2 = {{hlist-comma|渡真利晃喜|石栗和弥}}
| Aux3 = {{hlist-comma|光の園・アニメーション|神龍|EverGreeen}}
| Aux4 = 中山和子
| Aux5 = 8月10日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第7話
| Title = 一人でできるもん
| Aux0 = 森江美咲 | Aux0RowSpan = 2
| Aux1 = {{hlist-comma|柴田裕介|渡真利晃喜|青木香奈枝|石栗和弥}} | Aux1ColSpan = 2
| Aux3 = {{hlist-comma|Synod|光の園・アニメーション}}
| Aux4 = 柴田裕介
| Aux5 = 8月17日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第8話
| Title = 忖度と良心
| Aux1 = 吉田泰三 | Aux1RowSpan = 2
| Aux2 = {{hlist-comma|渡真利晃喜|青木香奈枝}}
| Aux3 = {{hlist-comma|露木愛里|藤田和行|Synod}}
| Aux4 = {{hlist-comma|中山和子|露木愛里}} | Aux4RowSpan = 4
| Aux5 = 8月24日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第9話
| Title = 最近の若い子
| Aux0 = 上原莉恵 | Aux0RowSpan = 2
| Aux2 = {{hlist-comma|青木香奈枝|石栗和弥|渡真利晃喜|山本隆太}}
| Aux3 = {{hlist-comma|藤田和行|林可爲|Synod}}
| Aux5 = 8月31日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = {{nobr|第10話}}
| Title = 極寒スパイラル
| Aux1 = {{hlist-comma|渋谷亮介|渡真利晃喜|青木香奈枝|石栗和弥}}
| Aux2 = {{hlist-comma|渋谷亮介|青木香奈枝|石栗和弥}}
| Aux3 = {{hlist-comma|光の園・アニメーション|神龍}}
| Aux5 = 9月7日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第11話
| Title = 運命の出会い
| Aux0 = 待田堂子
| Aux1 = 久慈悟郎
| Aux2 = 村上貴之
| Aux3 = {{hlist-comma|藤田和行|Synod|光の園・アニメーション}}
| Aux5 = 9月14日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第12話
| Title = 不器用な笑顔
| Aux0 = 森江美咲
| Aux1 = {{hlist-comma|柴田裕介|渡真利晃喜|青木香奈枝|石栗和弥}} | Aux1RowSpan = 2
| Aux2 = {{hlist-comma|渡真利晃喜|青木香奈枝|石栗和弥}}
| Aux3 = {{hlist-comma|Synod|光の園・アニメーション|神龍|セブンシーズ}}
| Aux4 = {{hlist-comma|柴田裕介|中山和子|露木愛里}}
| Aux5 = 9月21日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第13話
| Title = {{nobr|Forever『ママンとトゥギャザー』}}
| Aux0 = 待田堂子
| Aux2 = {{hlist-comma|柴田裕介|渡真利晃喜|青木香奈枝|石栗和弥}}
| Aux3 = {{hlist-comma|たかはしなぎさ|Synod}}
| Aux4 = {{hlist-comma|中山和子|露木愛里}}
| Aux5 = 9月28日
}}
{{エピソードリスト/base/footer}}
 
=== 放送局 ===
初代統監に就任した[[伊藤博文]]は大韓帝国の官僚に対し「あなた方は一体何をしてきたのか」と叱責し、学校建設を改革の最優先事項とした<ref name="kimwansop"/>。伊藤が推進した学校建設事業は併合後も朝鮮総督府によって継続され、朝鮮における各種学校は[[1940年代]]には1000校を超えていた<ref name="kimwansop"/>。小学校も併合直前には100校程度だったものが1943年には4271校まで増加、朝鮮人の[[識字|識字率]]も1910年の10%から1936年には65%に上昇した<ref name=Harvard/>。
{{放送期間
| 放送期間 | 放送時間 | 放送局 | 対象地域 | 備考
| 2021年7月6日 - 9月28日 | 火曜 1:30 - 2:00(月曜深夜)| [[テレビ東京]] | [[広域放送|関東広域圏]] |
| 2021年7月7日 - 9月29日 | 水曜 1:00 - 1:30(火曜深夜)| [[日本BS放送|BS11]] | [[全国放送|日本全域]] | [[日本における衛星放送#BSデジタル放送|BS放送]] / 『[[ANIME+]]』枠
| 2021年7月8日 - 9月30日 | 木曜 0:00 - 0:30(水曜深夜)| [[WOWOW]] | 日本全域 | '''製作参加''' / BS/[[日本における衛星放送#CSデジタル放送|CS放送]] / 『[[アニメプライム]]』枠 / 無料放送
| 2021年7月9日 - 10月1日 | 金曜 1:50 - 2:20(木曜深夜)| [[北海道テレビ放送|北海道テレビ]] | [[北海道]] |
| 2021年7月10日 - 10月2日 | 土曜 22:30 - 23:00 | [[アニマックス]] | 日本全域 | BS/CS放送
| refname=onair
}}
{{放送期間
| media=インターネット
| 配信開始日 | 配信時間 | 配信サイト | |
| 2021年7月6日 | 火曜 0:00(月曜深夜)更新 |{{Flatlist|class=hlist-pipe|
* [[dアニメストア]]
* [[Hulu]]
}}| |
| 2021年7月13日 |{{nobr|火曜 0:00 - 0:30(月曜深夜)}}| [[ニコニコ生放送]] | |
|{{nobr|2021年7月13日以降順次}}| {{nobr|火曜 0:00(月曜深夜)以降順次更新}} |{{Flatlist|class=hlist-pipe|
* [[ABEMA]]
* [[Amazon Prime Video]]
* [[dTV (NTTドコモ)|dTV]]
* [[フジテレビオンデマンド|FOD]]
* [[GYAO!]]
* [[Netflix]]
* [[バンダイチャンネル]]
* [[Paravi]]
* [[U-NEXT]]
* [[アニメ放題]]
* [[TELASA]]
* [[J:COMオンデマンド]]
* milplus
* [[auスマートパスプレミアム]]
* [[ひかりTV]]
* [[ビデオマーケット]]
* ふらっと動画
* [[DMM.com]]
* [[GYAO!ストア]]
* クランクイン!ビデオ
* [[ニコニコチャンネル]]
* ムービーフルPlus
* HAPPY!動画
* [[music.jp]]
* [[TSUTAYA TV]]
* [[YouTube]]
* MIRAIL
* [[Rakuten TV]]
}}| |
| refname=onair
}}
{{前後番組
| 放送局 = [[テレビ東京]]
| 放送枠 = [[テレビ東京の深夜アニメ枠|火曜 1:30 - 2:00(月曜深夜)]]
| 番組名 = うらみちお兄さん
| 前番組 = [[フルーツバスケット (漫画)|フルーツバスケット The Final]]
| 次番組 = [[境界戦機]]
}}
 
=== BD ===
朝鮮総督府は朝鮮人による自主的な教育については警戒、統制を行いつつ<ref>私立学校は1910年の2225校から1918年に775校に減少した。また書堂(朝鮮の[[儒教]]的私塾)に関しては1918年に書堂規則を公布して、書堂開設には道長官の許可が必要なこと、朝鮮語など[[漢文]]以外の科目に総督府編纂教科書を使用しなければならないことを規定した(糟谷憲一『朝鮮史』p.281)。</ref>、教育内容の整備を進め、[[日本語]]、[[朝鮮語]]をはじめ[[算数]]、日本史、朝鮮史(朝鮮史は「[[朝鮮事歴]]」という名前で教育されていた<ref>國分麻里 『植民地期朝鮮の歴史教育―「朝鮮事歴」の教授をめぐって』新幹社 2011/01 ISBN 978-4884000936
{| class="wikitable" style="font-size:small;" border="1"
</ref>)、修身などの教育を公立学校を中心に展開した。
! 巻 !! 発売日<ref>{{Cite web|url=http://uramichi-anime.com/products/|title=Products|work=TVアニメ「うらみちお兄さん」公式サイト|accessdate=2021-07-06}}</ref> !! 収録話 !! 規格品番
 
==== 初等中等教育 ====
併合当初、朝鮮における初等中等教育制度は日本内地人に対するものと朝鮮人に対する者に対するものが別個に存在していた。内地人向けの小学校、中学校と、朝鮮人向けの普通学校、高等普通学校があったが、1938年の朝鮮教育令改正により普通学校、高等普通学校は廃止され、内鮮人の共学制が採用された。
 
日本統治下で初等教育が順次拡充され、初等教育への就学率は日本統治時代の最末期で男子が6割、女子が4割程度であった。初等学校(普通学校・小学校・国民学校)の教員は、朝鮮の師範学校で養成される教員と日本内地から派遣される教員が混在していた<ref>山下達也「植民地朝鮮における「内地人」教員の多様性―招聘教員と朝鮮で養成された教員の特徴とその関係―」、『日本の教育史学』50、p97-109</ref>。1946年度からは日本内地と同様の八年制義務教育制度鞨(国民学校初等科高等科)を導入することが予定されていた。
 
==== 高等教育 ====
高等教育については、官公私立の[[旧制専門学校]]が多数設立されたほか、[[1924年]]に[[京城帝国大学]]が、朝鮮唯一の[[旧制大学]]として、また日本で6番目の[[帝国大学]]として日本内地の[[大阪帝国大学]]や[[名古屋帝国大学]]よりも早く設立された<ref>朝鮮人による民立大学設立運動については、民族精神の再生産を行い、植民地統治への妨害になりかねないとして抑圧する姿勢をとったため、京城帝国大学は日本統治下の朝鮮で唯一の旧制大学となった(阿部洋『日本統治下朝鮮の高等教育-京城帝国大学と民立大学設立運動を巡って』p.77)</ref>。日本統治時代後期において、京城帝国大学における内地人学生の比率は6割程度、朝鮮人学生の比率は4割程度であった。
 
==== 朝鮮語 ====
[[File:MaeilShimpo (August14-1945).jpg|thumb|220px|ハングル表記の『毎日新報』(1945年8月14日)]]
李氏朝鮮では清国との関係もあり[[漢字]]が重視される一方、[[ハングル]]は軽視され教育されることはなかった。また、一般人(特に女子)のための教育機関は皆無で、大多数の朝鮮人は読み書きができない状況だった<ref>姜在彦『日本による朝鮮支配の40年』(朝日文庫)</ref><ref>姜在彦『朝鮮の歴史と文化』明石書店</ref>。日本統治下においては学校教育における科目の一つとしてハングルと漢字の混用による朝鮮語が導入されたため、朝鮮語の識字率は一定の上昇をみた<ref>崔基鎬『韓国 堕落の2000年史』祥伝社</ref>。
 
[[1911年]]に朝鮮総督府は、第一次教育令を公布し、朝鮮語は必修科目としてハングルが教えられることとなった<ref>p150『[[朝日新聞が報道した「日韓併合」の真実]] 韓国が主張する「七奪」は日本の「七恩」だった』 [[水間政憲]] [[徳間書店]] 2010/7/31 ISBN 978-4-19-862990-8</ref>。朝鮮語の時間以外の[[教授言語]]としては日本語が使用された。総督府は1912年に、近代において初めて作成された[[朝鮮語の正書法]]である[[普通学校用諺文綴字法]]を作成し、1930年には児童の学習能率の向上、朝鮮語の綴字法の整理・統一のための新正書法である[[諺文綴字法]]を作成し、それを用いた。
 
[[日中戦争]]以降、総督府は日本軍の兵士として朝鮮人を動員することなども視野に入れ、とくに1938年の[[国家総動員法]]をうけ朝鮮地域では[[内鮮一体]]の名の下で「朝鮮人」の日本人化を急ぐようになった。
 
また、「朝鮮が日本領である以上朝鮮語は日本語の方言であり、内地の方言同様最終的には消滅させるべきである」という朝鮮語方言論<ref>安田敏郎『植民地の中の「国語学」』 p189~192</ref>や、「帝国臣民である以上朝鮮人はその民族性を捨てて、大和民族に同化せねばならない」とする論<ref>安田敏郎『植民地の中の「国語学」』 p133 - 134、p147 - 148</ref>に基づき、朝鮮語を強制的に廃棄して日本語を母語化するよう求める意見が日本人言語学者たちから提出されるようになった。1938年の第三次教育令で朝鮮語が随意科目となったことを皮切りに、1942年には用いる言葉を賞罰の対象にする運動を開始するなど「国語常用」運動が本格化し<ref>[[熊谷明泰]] "[http://www.kansai-u.ac.jp/fl/publication/pdf_aids/29/1-5_kumatani.pdf 賞罰表象を用いた朝鮮総督府の「国語常用」運動]"(PDF文書), [[関西大学]]視聴覚教育, 2006, 29, p. 55-77.</ref>、公教育からは朝鮮語が排除されていった。「第八十六回帝国議会説明資料」(1944年12月、朝鮮総督府)によれば、1938年には「国語を解する朝鮮人」の割合が前年度の8%弱から13%強にまで伸びて(1943年末で22%)いる。また1942年10月には朝鮮語学会の主要メンバーが[[治安維持法]]違反で逮捕されるという事件が起こった([[朝鮮語学会事件]])<ref>「日韓新たな始まりのための20章」p47~49、三ツ井祟執筆</ref><ref>朝鮮語学会事件は学術団体を仮装した独立運動団体であるとみなされ治安維持法1条違反適用で33名を検挙、うち16名が起訴された事件。判決は「民族運動ノ一形態トシテノ所謂語文運動ハ民族固有ノ語ヲ含ム民族独立運動ノ漸進形態」[http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/limedio/dlam/M41/M415222/4.pdf]として5名が62年から6年の実刑判決[http://www.t-komazawa.ac.jp/university/bulletin/pdf/kiyou07.pdf]。咸興(ハムフン)刑務所に収監、崔鉉培、李熙昇、李克魯、鄭寅承らは1945年の解放まで3年の獄中生活を送り、李允宰、韓澄は獄死」[http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/nomahideki/edu_01_01_noma_sel.pdf]。もっともこの時期の朝鮮における治安維持法適用は神社参拝の強要に抗議した基督教徒に対して不敬罪、保安法、治安維持法を適用し、少人数で構成された読書会や研究会の活動も重刑の対象となっていた[http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/15738/1/48(4)_p206-227.pdf]。白楽濬は民族学会や震檀学会を設立した発起人でもあり[http://rose.lib.hosei.ac.jp/dspace/bitstream/10114/147/1/hogs_104(1)_che.pdf]、とりわけ朝鮮古代史や震檀教団とのつながりが独立派(国権回復運動)とみなされる要因となったとの研究もある。なおアジア歴史資料センターに「第84回帝国議会説明資料朝鮮総督府法務局所管1帝国議会関係雑件」資料あり(レファレンスコード B02031404800 )。ここでは上海の大韓民国臨時政府と連絡をとりあっていた義本克魯(李克魯)、月城鉉培(崔鉉培)らが参与する独立運動の仮装組織として検挙、16名に対して予審を申請(予審申請のうち2名は死亡)、14名を起訴猶予、3名を不起訴したとの報告がある。</ref>。これを根拠として日本当局が朝鮮語の抹殺を図ったとする主張もある<ref>朝鮮語学会以外にも基督教系の活動があり、朝鮮語の研究や普及活動そのものが一斉検挙されたものではない。</ref>。1945年の「解放」当時南朝鮮の12歳以上の総人口の78%はハングル文盲であったとされ、これをもって統治末期の日本語普及・強制政策の問題性を指摘する論もある<ref>「日本統治下末期の朝鮮における日本語普及・強制政策」井上薫(北海道大学教育学部紀要1997.6)[http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/29532/1/73_P105-153.pdf]PDF-P.2なおこのデータはG.H.Q. U・S Army Forces, Summation of U・S Army Military Government Activities in Korea Vol.2. No.5-16, 1946, p.32による。</ref><ref>戦後米軍政府により行われた統計(推計?)ではソウル市では68%が、南朝鮮全体で77%が仮名やハングルなどを含めた文盲であったとされる。「米韓関係における政治教育とソフトパワー」尹敬勲(埼玉学園大学紀要2009.12)[http://www.media.saigaku.ac.jp/bulletin/pdf/vol9/human/20_yoon.pdf](P.237)。なお日本側の調査では1934年10月調査で朝鮮全土で『仮名とハングルともに』読み且つ書ける者は朝鮮人で6.79%、日本人で6.21%であった。井上薫1997.06、PDF-P.12。</ref>。普通初等学校への就学率は1910年で1.0%、1923年で2ケタ台にのり11.2%、1935年で21.7%、1943年で49.0%であり、公教育の普及は漸進かつ漸増的なものであった<ref>井上薫1997.06、PDF-P.8</ref>。
 
統治末期でも朝鮮語が日常会話や新聞などから完全に排除されたわけではない<ref>小学校の日常会話から日本語が排除されていたとの証言があり、一般化するさいには注意が必要である。『学校で朝鮮語を使うと「週番」という腕章を着けた上級生が手帳に名前を書いて先生に知らせ、立たされたり掃除をさせるなどの罰を受けた。』[http://qnet.nishinippon.co.jp/travel/busan/news/20090807/20090807_0002.shtml]西日本新聞。なお現在の日本でも英語のみで会話することをルール化する学校が存在している。朝鮮学校は日本語禁止であることが多い。</ref>
ことや、朝鮮総督府においても、1921年から1945年の日本統治終了に至るまで、朝鮮語能力検定に合格した職員を昇進や給与において有利に処遇していた<ref>p152『[[朝日新聞が報道した「日韓併合」の真実]] 韓国が主張する「七奪」は日本の「七恩」だった』 水間政憲 徳間書店 2010/7/31 ISBN 978-4-19-862990-8</ref>ことから、朝鮮語の抹殺が企図されていた形跡はなく。1943年当時に至っても日本語を解する朝鮮人は1,000人当たり221,5人に過ぎないとする資料もあり(「朝鮮事情」1940-1944年版)、8割の朝鮮人は日本語を話すことが出来ず、朝鮮語を奪い日本語を強制するようなことは不可能であった<ref>p154『[[朝日新聞が報道した「日韓併合」の真実]] 韓国が主張する「七奪」は日本の「七恩」だった』 水間政憲 徳間書店 2010/7/31 ISBN 978-4-19-862990-8</ref>。
 
=== 文化保護 ===
[[1934年]]に朝鮮総督府は李氏朝鮮の主な文化財の保護のための総督府令を出している<ref name="JoongAng Ilbo October 20, 2004">[http://joongangdaily.joins.com/article/view.asp?aid=2482710 "FOUNTAIN" Our language could be our top treasure] JoongAng Ilbo([[中央日報]]) October 20, 2004</ref>。国宝に指定されたものには[[崇礼門|南大門]]などが含まれていた<ref name="JoongAng Ilbo October 20, 2004"/>。
また、朝鮮の民族文化は日本の統治の時期を通してより成長し、日本人学者とその朝鮮人の弟子達によって歴史・語学・文学などの[[韓国学]]研究の基礎が作られた<ref name="朝鮮日報 2005/03/04">[http://s03.megalodon.jp/2008-0227-1552-42/www.chosunonline.com/article/20050304000069 「日本の植民支配は不幸中の幸い」 韓国教授の論文が論議に] 朝鮮日報 2005/03/04</ref>。
 
日中戦争の長期化による物資欠乏への対策や情報統制の必要から日本内地では1938年4月に[[国家総動員法]]が制定され、8月からの[[新聞用紙制限令]]による用紙制限や新聞の整理統合を通じ、739紙あった新聞を最終的に54紙にまで削減するなど、[[新聞紙法]]や[[出版法]]を厳しく適用しながら[[新聞統制|新聞・出版・言論統制]]を強めた。朝鮮においても、1940年には「朝鮮日報」「東亜日報」が総督府命令により廃刊となり、朝鮮語新聞は総督府が発行する[[毎日新報]]と官報だけとなったが、[[硫黄島の戦い]]における日本軍の[[玉砕]]は朝鮮語でも報じられた。
 
=== 創氏 ===
[[File:Japanese Name Change Bulletin of Taikyu Court .jpg|thumb|220px|創氏の法院公告「氏を設定すると従来の姓が無くなると云う誤解があるようですが氏設定後に於ても姓及び本貫は其儘戸籍に存置されますから心配ありません」]]
{{see also|創氏改名|夫婦別姓#各国の氏名制度}}
創氏は、朝鮮の[[宗族]]による管理システム([[本貫]]と[[姓]])に新たに[[家族]]名である「氏」を加え、日本及び欧米で一般的な家族単位の管理システム下に組み入れるものである。この過程で中国式の[[夫婦別姓]]を名乗っていた妻も夫と同じ一つの家族名の下で管理されることになった。改名とは姓名を届け出する際に名を日本風に変更することを可能にする制度である。それまでは日本内地に見られる姓名は許可しないこととして厳しく制限されていた。1940年に取られたこれらの措置を「創氏改名」と呼ぶ。
 
前者は制度上必須であり、全ての朝鮮人に適用された。後者は任意であり、当初[[南次郎]]総督自身もそのように言明していた。[[水野直樹]]によれば、1940年2月11日の届出開始以降全戸数の中で姓名を届け出た人々の割合が4%程度と著しく低かったことから、朝鮮総督府は方針を転換し、下部機関を中心に朝鮮人に日本的な名字を名乗るよう推奨するキャンペーンを開始し、この過程で日本的な名字に対して抵抗を示した人々に対しては、さまざまな公的サービスからの排除、および警察からの監視などの圧力が加えられたとし、結果として80%以上の朝鮮人は日本的な氏の届出をしたとしている<ref>水野直樹『日韓新たな始まりのための20章』p50~54</ref>。一方、残りの2割(日本内地では約85%)は法定創氏により朝鮮式姓がそのまま氏として設定された。[[朴春琴]]や[[洪思翊]]など、朝鮮式の氏を(設定創氏して)使い続けた事例もあった。また、朝鮮に居住している朝鮮人では改名者の割合は9.6%だった。
 
創氏改名の第一目標であった朝鮮人の名字を日本式に改めることに関しては、朝鮮に日本風の家制度を導入することが主眼とされていた<ref>当時の創氏改名のイデオローグ団体のひとつであった「緑旗日本文化研究所」は、創氏改名の意義について「従来は一身が宗族(朝鮮社会で男系先祖を共有するという意識によって支えられた集団)に結びつけられたが、今後は『各家庭が直接、天皇に結びつけられて居る』この理念が第一義となるのである」と力説している(「氏創設の新精神とその手続」p18、緑旗日本文化研究所編、1940年)。</ref>。
 
===== 創地改名 =====
[[File:Fusan-Matsushima Beach circa 1930.JPG|thumb|市民でごった返す釜山松島海水浴場]]
植民地支配時、朝鮮固有の地名を日本式に強制的に変更したとして中央日報が2009年10月の記事で指摘した事例<ref>[http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=121409&servcode=400&sectcode=40 日本の“創地改名”の事例 2009.10.09 中央日報]</ref>。例として慶北青松郡盈徳郡(キョンブク・チョンソングン・ヨンドククン)の周王山(チュワンサン)の竜湫(ヨンチュ)滝、中竜湫、竜淵(ヨンヨン)滝(あるいは上竜湫)を3つの滝について、第一の滝を仙女湯に変更した。これは名前に竜が入っており、植民地民の気が強くなる懸念が高いという口実で改名した<ref>[http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=121409&servcode=400&sectcode=40 日本の“創地改名”の事例 2009.10.09 中央日報]</ref>とする。慶尚北道慶山郡竜城面(キョンサンプクト・キョンサングン・ヨンソンミョン)にある争光里(ジェングァンリ)を「日光里」(イルグァンリ)に変更したが、「景色が良くて美しい日本の“日光”とまったく同じだ」として名前を変更<ref>[http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=121409&servcode=400&sectcode=40 日本の“創地改名”の事例 2009.10.09 中央日報]</ref>したとする。大田(テジョン)の鶏足山(ケジョクサン)の地名はもと鳳凰山(ポンファンサン)だったが、鳳凰を鶏(ニワトリ)に「格下げ」し鶏足山にしたとする。
 
=== 宗教政策 ===
{{See also|韓国のキリスト教}}
<ref>この項目「植民地朝鮮における総督府の宗教政策 : 抑圧と懐柔による統治」徐鍾珍(2006)[http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/28511/3/Honbun-4316.pdf][http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/handle/2065/28511]から起筆した。</ref>[[李氏朝鮮|李朝]]では[[崇儒抑仏]]政策により仏教が抑圧され、民衆は風水、巫覡、祭祀などの民間宗教や、儒教・仏教・道教の流れを汲む新興宗教に傾斜していた<ref>徐鍾珍2006 P.21</ref>。その代表的な教義に「後天開闢」があり、天が直接光臨する時代が到来し、理想郷の地上天国が実現されるとする思想である。[[東学]]は後天思想に基づく新しい宗教の代表格であった<ref>徐鍾珍2006 P.21</ref>。[[江華島事件]]から19世紀末頃の情勢はこのようなものであり、キリスト教はすでに朝鮮半島に渡来していたが[[李氏朝鮮|李朝]]は[[アヘン|あへん]]と同じようなもの<ref>徐鍾珍2006 P.34</ref>と警戒しており<ref>1866年には[[大院君]]によるキリスト教禁止令([[丙寅教獄]]・丙寅迫害・丙寅邪獄)が起き、フランスによる軍事介入([[丙寅洋擾]])が発生している。</ref>本格的な宣教が始まるのは1884年に長老派の医師Allenの朝鮮入国以降とされる<ref>徐鍾珍2006 P.35</ref>。朝鮮におけるキリスト信者の成長率は世界のキリスト教宣教史上類まれなものであり、1895年に公称1590人の信徒が1910年には22万6791名に達した<ref>徐鍾珍2006 P.35</ref>。神道は日本人居留民によりわずかに保持されているのみであり、明治初期に朝鮮宣教に乗り出したのは真宗大谷派などの仏教会である<ref>徐鍾珍2006 P.13</ref><ref>「海外布教において積極的な活動を展開した宗教は神道ではなかった。明治初期には全国約19万の神社を基礎とした神道界は民衆生活に根をおろすには教義の整理が必要であり、教化運動においての組織力は仏教に及ばない状況であった。明治維新後勢力を伸ばした神道界は(明治初期の)宗教政策が変化する過程で内部対立が露呈していた」徐鍾珍2006 P.17</ref>。朝鮮神社が設置されたのは併合から遅れること15年後の1925年であり、それ以前には朝鮮半島に社格をもつ神社はなかった。朝鮮総督府が神社・神祠制度を確立するために法令を整備したのは1938年8月であり、神社参拝を公然と求めはじめたのは1937年以降である。総督府による「宗教への介入」は直接的には合理的な利害を目的とした、朝鮮統治の[[警察国家|警察権]]にもとづいた介入と懐柔融和策であった。
 
宗教団体は抗日活動における特異な位置を占めた。キリスト教や仏教は[[朝鮮軍 (日本軍)|朝鮮軍]]内の同調者により保護され、しばしば治外法権的地位を占め抗日活動家を保護した。キリスト教教会はアメリカなど海外の所有施設であるとみなされ東学党の乱や日清戦争のさいに民衆の保護所となった。日本軍の中にも篤実なキリスト教信者がおり教会員や財産の保護を約束した<ref>「初期韓国教会の民族教会的性格1/3」李徳周(翻訳常石希望)(愛知大学言語と文化No.16 2007年)[http://leo.aichi-u.ac.jp/~goken/bulletin/pdfs/No16/09TsuneishiN.pdf]P.154</ref>。仏教寺院は李朝の政策により抑圧されていた影響から人里離れた山奥に点在していたが、真宗大谷派など布教の成果もあって朝鮮の仏教寺院の多くは日本の仏教教団の末寺となっており保護を受けていた。これらの末寺は1907年の大韓帝国国軍の解体以降の義兵運動の根拠地として格好の隠れ家となった<ref>徐鍾珍2006 P.28</ref>。朝鮮総督府は抗日活動を取り締まるためキリスト教や仏教などを統制する必要があり、一方で[[大日本帝国憲法|帝国憲法]]に規定された[[大日本帝国憲法第28条|信教の自由]]の制約から介入と懐柔を繰り返さざるを得ない状況にあった。
 
1911年に起きた[[105人事件]]を口実とした宗教弾圧においてはアメリカ人宣教師により世界に報道され国際世論が日本の司法制度を厳しく批判した<ref>徐鍾珍2006 P.55</ref>。キリスト教教会は朝鮮人知識層を大量に受け入れ、民衆を動員した大規模な抗日・独立運動を展開した(→[[三・一独立運動]])。当時の朝鮮総督の[[斎藤実]]は、当初は[[三・一独立運動]]を鎮めるべく騒擾中に宣教師たちと会合を持ち、彼らを懐柔しようとしていた<ref>(『朝鮮の統治と基督教』青柳 綱太郎・朝鮮総督府[一九二一]、P.39-40)</ref>が、1920年に入って方針を転換し<ref>この運動が宣教師によって扇動されたものであったとの認識を1920年に示した。姜徳相[一九六七]『現代史資料二六・朝鮮二』みすず書房 P.647</ref>、キリスト教会が[[三・一独立運動]]の主要な組織者であったとして、キリスト教会への苛烈な弾圧を加えるようになった。この弾圧によって、47の教会が破壊された。朝鮮京畿道水原(Keiki-do Suigen)の提岩里(Teiganri)教会では、閉じ込められた村人が教会ごと焼き殺された([[提岩里教会事件]])。当時、朝鮮のクリスチャンは人口比で1.3%であったが、[[三・一独立運動]]で検挙された者のうちクリスチャンは17.3%であった<ref>(『韓国キリスト教の受難と抵抗─韓国キリスト教史一九一九─四五』新教出版社。[一九九五]、四一ページ)</ref>。総督府による苛烈な弾圧の模様は、中国に逃れた宣教師たちによって世界に報じられた。
[[File:Makoto Saito 2.jpg|thumb|130px|朝鮮総督の斉藤実]]
 
神道の朝鮮半島への普及は進まず、1925年にようやく朝鮮神社が設置された。この時、朝鮮神社にいかなる祭神を祭るかで論争(朝鮮神宮御祭神論争)が発生し、小笠原省三は「朝鮮神宮と内鮮融和」を取り上げて檀君の合祀を主唱した。しかし総督府としては非公認宗教団体の中には檀君信仰をもつ教団もあり、民族運動勢力と結び付いたものと理解していた檀君信仰を認めることは不可能であり、鎮座祭直前の9月28日に京城本町警察署長から「一部学生」が「不逞計画」を立てているとの風説ありとの報告を上げ、総督府は神社界の主張を抑えて祭神論争に終止符を打った<ref>徐鍾珍2006 P.110-111</ref>。1937年[[盧溝橋事件]]を期に[[日中戦争]]は全面化し、朝鮮における[[皇民化教育]]の一環として[[皇国臣民ノ誓詞]]が発布され、日韓合邦の実を挙げ帝国臣民化を図る目的として国家神道が利用され、[[国家神道#非宗教説・宗教説と教義|神道非宗教説]]をもとにキリスト教会や仏教会は神社参拝が強要された<ref>神社参拝とキリスト教会や仏教会との関係は日本内地においても同様の問題を抱えており、教皇庁布教聖省から「[[祖国に対する信者のつとめ]]」が出されたものの信仰を守り弾圧、投獄されるものが出た(→[[美濃ミッション]]、[[ホーリネス弾圧事件]])(→[[日本キリスト教史#昭和から平成へ]])</ref><ref>朝鮮の教会は約70名の牧師が投獄、拷問にあい50名が殉教し、二千名の信徒が投獄され、約200の教会が閉鎖された。『教会の戦争責任・戦後責任』いのちのことば社</ref>。1938年前後から朝鮮各地に官幣神社が増設されてゆき「皇国臣民化」「内鮮一体」の重要な役割を担うようになる<ref>徐鍾珍2006 P.125</ref>。キリスト教は一神教であり、キリスト教者にとっては他の神のために祈ることは、今まで築いた神との信頼関係を失うことであり受け入れがたいことであった<ref>なお、現代の韓国は反日、台湾は親日とよく言われるが、違いが目立つのはキリスト教信者の比率である。現代の韓国ではキリスト教信者が約30%を占め宗教的には最大勢力である。その内プロテスタントが約18%、カソリックが11%である。カソリックはフランス系、プロテスタントはアメリカ系が多い。約20%は仏教徒である。古来中国の影響から仏教が重要な宗教であり、日本同様伝統信仰と仏教の融合もなされている。韓国のキリスト信者の比率は絶対信者数、人口に占める割合ともに、東ティモール地域を除けばフィリピンに続きアジアでは第2のキリスト教国家である。韓国の宗教人口はほぼ半数で、残りのほぼ半数は無宗教者である。ただし彼らも祖先崇拝や法事は熱心に行う。台湾はプロテスタントは3%以下であり、韓国のプロテスタントが終始反日であったことを考えれば台湾に反日が少ない理由の1つのように思われる。(自由主義史観研究会理事 杉本幹夫「日韓関係の近現代史」[http://www5b.biglobe.ne.jp/~korea-su/korea-su/jkorea/nikkan/crist.html])。</ref>。
 
=== 造林事業 ===
[[File:Forests and fields distribution map in The Korean Peninsura.jpg|thumb|180px|right|1910年頃の朝鮮半島の林野分布図(朝鮮総督府農商工部作成)。緑色:成林地、立木の密度完全なる物を1としその0.1以上を有するもの。桃色:稚樹発生地、鎌にて刈りうる程度の稚樹発生地にして密度0.1以上のもの。黄色:無立木地、密度0.1未満の疎林地及稚樹疎生地又は草生地岩石地等。]]
1910年当時の朝鮮全体の山林面積は1585万[[ヘクタール]]で、全面積の71%に達していたが、木材資源を示す林木蓄積量は1ヘクタールあたり17立方メートルであり、2009年の韓国の16.5%水準に過ぎず、特に南部の海抜の低い低地帯では若い木と禿げ山が大部だった<ref>{{ko icon}} [http://www.yonhapnews.co.kr/culture/2009/09/08/0906000000AKR20090908123300063.HTML 100{{lang|ko|년전 우리 산림..민둥산에 어린소나무만}}], [[連合ニュース]], 2009/09/08. 参考日本語訳:[http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1252538836/l50 100年前の我が国の山林、「禿げ山と若い松だけ」]</ref><ref>山林の荒廃は明治前期の日本でも同様の問題を抱えており、記紀時代からの森林保全や江戸時代の御用林、あるいは各藩における造林事業は明治期に一旦途絶し、各地で里山の乱伐がおこなわれ荒廃が進んだ。こういった背景から山林の権利関係や造林事業の法整備がおもにフランス・ドイツ法をもとに導入され1897年の森林法(日本)となった。「森林管理の歴史と法」北杜市産業観光部林政課(h20.3.28)[http://www.city.hokuto.yamanashi.jp/hokuto_wdm/html/forest-sec/images/77495165114.pdf]</ref>。
<!--植林事業とは、初代朝鮮総督府総督・[[寺内正毅]]の方針で、当時荒廃していた朝鮮半島の森林地帯を改善する目的で発令された「山林令」である。--><!--裏づけとれませんので一旦コメントアウト。1908年の「森林法」(朝鮮)の間違いではないのか?-->
朝鮮半島の造林事業は当初は河川保持などの砂防目的が主眼であり、地形調査の結果、朝鮮半島は[[花崗岩]]台地の山岳地帯で、緑が育ちにくいことが判明したことが始まりとされている。森林が無ければ、降雨で土砂が流れ込み、農林業に影響を及ぼす。<!--朝鮮総督府は「山林令」により、1911年から30年間で朝鮮半島全人口の一人当たり最低25本という植林事業を行い、換算すれば5億9千万本という植林を行ったとされている{{要出典}}。-->1924年の[[京城日報]]によれば、造林事業は1911年には約4千町、1152万本だったが1922年までの累計は個人の造林事業などを含めると約36万町、10億本に至ったと報告されている<ref>[http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00473938&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1 造林成績逐年良好に向う], 京城日報 1924.5.15(大正13)</ref>。造林方法は植林・接木や普通播種などもおこなわれたが、国有林制の導入などによる自然復元によるところが多い。朝鮮半島北部では軍部が木材伐採事業を直接経営しており、ここでは当時の山林経営の常識として自然収奪(伐出)的側面のつよいものであった。一方で保安林の確保や林道整備など評価される点も多いが戦争末期には朝鮮半島の造林事業は放置される傾向が強くなった。
 
{| class="wikitable" style="font-size:95%; line-height:1.4em; margin-left:1.5em; text-align:right"
|+ 大正13年(1924年)時点での朝鮮半島造林事業統計<br />(単位:面積は[[町 (単位)|町]]=9917平方メートル、本数は千本)
|-style="line-height:1.25em; white-space:nowrap;"
! colspan="2" | !! 大正8年<br />(1919年) !! 大正9年<br />(1920年) !! 大正10年<br />(1921年) !! 大正11年<br />(1922年) !! 明治44年以降累計<br />(1911年〜)
|-
| 1 || 2021年9月1日 || 第1話 - 第3話 || KIZX-481/2
! rowspan="2" | 国費
| 面積 || 684 || 414 || 1046 || 655 || 5,012
|-style="background-color:#efefef;"
| 本数 || 346 || 504 || 1,680 || 1,694 || 14,815
|-
| 2 || 2021年10月6日 || 第4話 - 第6話 || KIZX-483/4
! rowspan="2" style="white-space:nowrap;" | 地方費
| style="white-space:nowrap;" | 面積 || 223 || 203 || 300 || 520 || 3,155
|-style="background-color:#efefef;"
| 本数 || 1,051 || 729 || 1,612 || 2,940 || 14,267
|-
| 3 || 2021年11月3日 || 第7話 - 第9話 || KIZX-485/6
! rowspan="2" | 民営
| 面積 || 41,560 || 58,386 || 52,221 || 50,176 || 356,676
|-style="background-color:#efefef;"
| 本数 || 117,807 || 156,720 || 143,949 || 145,564 || 1,029,622
|-
| 4 || 2021年12月1日 || 第10話 - 第13話 || KIZX-487/8
! rowspan="2" | 計
| 面積 || 42,467 || 59,003 || 53,567 || 51,351 || 364,843
|-style="background-color:#efefef;"
| 本数 || 119,200 || 157,953 || 147,241 || 150,198 || 1,058,704
|}
 
== 経済ゲーム ==
; [[三国志大戦]]
[[File:Namdaemun in the Joseon Period.JPG|thumb|180px|right|[[崇礼門|南大門]](李氏朝鮮時代)]]
: [[セガ]]の[[アーケードゲーム]]。2020年10月28日より、本作の裏道をモデルにした[[諸葛恪]]が登場する。声はアニメ版と同じく神谷浩史が担当。
[[File:Nandaimon in the Japanese Period.JPG|thumb|180px|right|南大門(日本統治時代)]]
; REALIVE!〜帝都神楽舞隊〜
[[File:Chojiya Department Store.JPG|thumb|180px|right|丁字屋百貨店]]
: GMOライブゲームスのスマートフォンゲーム。2021年9月13日より9月20日まで、コラボイベントが行われた。
[[File:Chosen Commercial Bank Head Office.JPG|thumb|180px|right|多くの銀行が設立され貨幣経済が導入された]]
日本は朝鮮を日本本土防衛のための重要な防波堤と考え、また日本の中でも最も遅れている地域の一つと認識し、朝鮮の近代化が日本の防衛力を高めるうえで不可欠と考え多額の[[予算|国家予算]]を朝鮮半島に投じた。鉄道、道路、上水道、下水道、電気インフラ、病院、学校、工場など、最新鋭のインフラの整備を行い、近代教育制度や近代医療制度の整備を進め、朝鮮半島の近代化に役立っていった。
 
鉄道路線の敷設や[[三菱製鉄]]([[日本製鐵兼二浦製鉄所|兼二浦製鉄所]])や[[日本製鐵]]([[日本製鐵清津製鉄所|清津製鉄所]])による[[製鉄所]]の建設、[[日本窒素肥料]](現:[[チッソ]])の進出による[[水力発電所]]建設などが行われ、朝鮮総督府からの[[補助金]]による1,527件の農業用[[ダム]]と410件の[[水路]]の建設、5億9千万本以上の[[植林活動|植林]]や[[砂防ダム]]建設などの水利事業も行われた。これは、それまでの欧米諸国による植民地政策には見られないものであったとする見方もある<ref>Cumings Bruce (1984), "The Legacy of Japanese Colonialism in Korea" in Myers, Ramon H. and Mark R. Peattie (Editors) ''The Japanese Colonial Empire, 1895-1945'', [[プリンストン大学|Princeton University]] Press, [[プリンストン (ニュージャージー州)|Princeton]]. ISBN 978-0691102221{{要ページ番号|date=2010年3月}}</ref>。1920から30年代の朝鮮半島の経済成長率は年間約4%で、同じ期間の欧州(1%台)や日本・アメリカ(3%)に比べて、より高い成長をしており、朝鮮半島1人当りの生産成長率も約2.4%と高い成長率を記録していた結果が出ている<ref>[http://www.chosunonline.com/article/20040303000075 「1920〜30年代の成長率4.1%」], [[朝鮮日報]], 2004年3月3日.</ref>。他方、これらの開発工事において、主な労働力は当然ながら朝鮮人の中に求められた。統治の前期においては賦役(無償労働)による工事なども行われており、過酷な負担であるとして3・1独立運動の原因のひとつともなった<ref>[[中野正剛]], [http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?tpl_wid=WBPD120&tpl_wish_page_no=1&tpl_select_row_no=1&tpl_hit_num=1&tpl_toc_word=&tpl_jp_num=43022064&tpl_vol_num=00000&JP_NUM=43022064&VOL_NUM=00000&KOMA= 『我が観たる満鮮』], [[政教社]], [[1915年]], p. 52-55.</ref>。賦役の廃止後も、労働者の人権という概念の未発達と植民地人であるという要因などが重なり、朝鮮人労働者は多くの場合劣悪な環境におかれた<ref>この例の一つとして、日本窒素肥料の朝鮮における朝鮮人労働者への劣悪な取り扱いなどがあげられている({{Cite book|和書|author = [[岡本達明]]編|year= 2000|month=09|title= 聞書水俣民衆史 第5巻 植民地は天国だった|publisher = 草風館|isbn = 978-4883230341}} pp83-132</ref>。
 
朝鮮王朝末期時点では大部分で道路の舗装などが行われていなかった京城(朝鮮時代の漢陽、現在のソウル)は、[[土地区画整理事業|区画整理]]が行われ[[路面電車]]([[ソウル市電]])が走る都市となった。衛生面では、朝鮮半島で流行していた[[コレラ]]、[[天然痘]]、[[ペスト]]などの[[伝染病]]の予防政策も行われて乳児死亡率は減少し、また農地の開発により食糧生産量も激増したことで、人口は、併合時([[1910年]])の調査では13,128,780人<ref>併合の4年前[[1906年]]に行われた警務顧問部の日本人の調査によるものと思われる統計では9,781,671人であるが、朝鮮末期の人口統計には漏れがあるとし、[[水野直樹]], [[駒込武]], [[藤永壮]]編 『日本の植民地支配-肯定・賛美論を検証する』, [[岩波書店]] (2001/11), P. 30. ISBN 978-4000092524では当時の人口を1600万人程と推定している。</ref>、[[1944年]]の調査では25,120,174人となり、平均寿命も併合時(1910年)24歳だったものが、1942年には45歳まで伸びた<ref>朝鮮総督府 『統計年報』{{要ページ番号|title=要年、巻、ページ情報|date=2010年3月}}</ref><ref>[[黄文雄 (評論家)|黄文雄]] 『歪められた朝鮮総督府』, [[光文社]] (1998/08), ISBN 978-4334006341{{要ページ番号|date=2010年3月}}</ref>。
 
総督府は土地所有者の調査を実施し、所有者のいない土地は接収して[[東洋拓殖]]に買い取らせ、日本人移住者や朝鮮人有力者に分配した。総督府が接収した農地は全耕作地の3.26%ほどである<ref>{{Cite book|和書|author= 山本有造|year= 1992|month=01|title = 日本植民地経済史研究|publisher = [[名古屋大学]]出版会|isbn= 4-403-61051-X}}pp 212-214</ref>。李朝末期の朝鮮は道路、農地、山、河川、港湾などが荒廃しており、民衆は官吏・地主・両班に高利貸(トンノリ)による収奪を受けていた。そのため日本が朝鮮の農地にて、水防工事や水利工事をし、金融組合もつくったことで、農民は安い金利で融資を受けることができるようになり、朝鮮人農民に多大な利益をもたらすようになった。また、水利組合の設立により安心して農耕ができるようになった<ref>{{Cite book|和書|author = 朴泰赫|year = 1993|month=03|title = 醜い韓国人|publisher = 光文社|isbn = 4334005322}} p24</ref>。大地主である朝鮮人は、生産性が上がり日本へ米を輸出できるようになったことで多額の利益を得ていた。その代表的な人物が[[サムスングループ]]の創始者である[[李秉喆]]である。彼は慶尚南道の大地主の次男として生まれ、米の輸出で得た多額の資金を元手に[[1938年]]に[[大邱広域市|大邱]]にて[[三星商事]]を設立し、これがのちの[[サムスングループ]]に発展していった<ref>[http://s04.megalodon.jp/2008-0411-0954-00/world.kbs.co.kr/japanese/korea/korea_aboutkorea_detail.htm?no=333 もっと知りたい韓国 三星], KBS WORLD, 2007年12月7日.</ref>。
 
このように[[農地]]が新たに[[開発|開墾]]され、水利事業によって生産能率が向上したことにより、食糧生産は増加したが、[[コメ|米]]の多くが日本([[内地]])に輸出されたため朝鮮人1人当たりの米の消費量は1919年~1921年の平均0.68[[石 (単位)|石]](米1石は約150kg)に対して、1932年から1936年にかけては0.40石まで減少した<ref>[http://opac.ndl.go.jp/recordid/000003545801/jpn 『米穀關係法規・朝鮮米穀要覧』] 朝鮮総督府農林局 (1935/02).{{要ページ番号|date=2010年3月}}</ref>。この状況を指して、「飢餓輸出」と呼ぶ研究者もいる<ref>[[姜在彦]] 『日本による朝鮮支配の40年』 [[朝日新聞]] (1992/08), P. 111. ISBN 978-4022607249</ref>。逆に[[全相仁]]らの研究によると日本時代の米の消費量は平均0.58石の水準を保ち、後半期にはむしろ消費量が若干増加しているとする研究者も存在している。また朝鮮経済全体で見た場合、米以外の雑穀が大量に輸入されており、高価な米を売った代金で安い雑穀をより多く購入することで増加する人口を養っていたと考えられる。[[ソウル大学校|ソウル大学]]の[[李栄薫]]教授は韓国の「[[日本帝国主義|日帝]]による土地収奪論」は[[神話]]であるとし「私たちが植民地時代について知っている韓国人の[[集団的記憶]]は多くの場合、作られたもので、教育されたものだ」としており「食糧を日本に搬出したのも市場を通じた商行為に基づくもの」と述べている<ref>[http://s01.megalodon.jp/2008-0406-0541-51/www.chosunonline.com/article/20041120000000 ソウル大教授、日本による土地収奪論は神話], 朝鮮日報, 2004/11/20.</ref><ref name=lee>[http://s04.megalodon.jp/2008-0406-0548-21/www.chosunonline.com/article/20070603000016 李栄薫教授「厳格なジャッジなき学界が歴史を歪曲」李栄薫ソウル大教授インタビュー(3/4)], 朝鮮日報, 2007/06/03, ”食糧を日本に搬出したのも市場を通じた商行為に基づくものであり、強奪したわけではない”.</ref>。加えて、朝鮮人の身長が伸びていることから、少なくとも1920年代中頃までは「朝鮮人の生活水準が着実に向上していたのは明らか」とする見解も存在している<ref>[http://www.chosunonline.com/article/200602180***** 日本統治時代の韓国人の平均身長], 朝鮮日報, 2006年2月18日.</ref>。
 
一方で増え続ける人口を農村では吸収出来ず、京城などの大都市で[[プロレタリアート]]として生活の糧を求める人が出たが、都市でも産業が未発達で人口を十分に吸収することが出来ず、火田民となるもの、職を求めて日本や[[満州]]に渡航した者が数多く出た。京城等における農村出身のプロレタリアート層の中には都市周辺部に粗末な小屋を建てた[[スラム]]街を形成し、「[[土幕民]]」と呼ばれるものも存在した<ref>[[松本武祝]] 「4 植民地支配は朝鮮を豊かにしたか」 in 『日韓 新たな始まりのための20章』 [[田中宏 (経済学者)]], [[板垣竜太]]編集, 岩波書店 (2007/02), p.36-37. ISBN 978-4000242448</ref>。
 
植民地近代化という性質上、この時期の朝鮮における経済発展の成果は多くが資本を出した在朝日本人や日本企業に分配され、朝鮮人(とりわけ農村部)への分配度は低く、日本人と現地人たる朝鮮人の間の所得格差も非常に大きなものがあったとされるが<ref>[[許粹烈]], [http://www.historyfoundation.or.kr/data/report/1gi/03/37.pdf 『日帝下朝鮮経済の発展と朝鮮人経済』], [[日韓歴史共同研究委員会]]報告書[http://www.jkcf.or.jp/history/report3.html (第1期 2002-2005年)]第3分科(近現代).</ref>、李栄薫によれば、それも市場を通じた商行為にすぎず<ref name="lee" />、利益を得ていた朝鮮人も存在し統治時代後期には多くの朝鮮人資本家が存在した。朝鮮総督府は1910年に[[朝鮮会社令|会社令]]を公布し株式会社を届出制でなく許可制としたが、1910年従業員5人以上の工場は朝鮮人経営39に対して日本人経営は112であったが1939年には朝鮮人経営4,185に対して日本人経営2,768と工場数が増加する一方で比率は逆転していた。ただし、1939年においても規模が大きくなるほど日本人による経営が多かった<ref>桜井書店 中村哲「近代東アジア史像の再構築」p.55</ref>。
 
2004年、ソウル大学は、1911年から1937年にかけての朝鮮における産業構造の変化が、第1次産業で75%から45%、第2次産業で7%から22%、第3次産業で18%から33%にそれぞれ上昇し、資本経済化が急速に進んだこと、1912年から1937年にかけての年平均実質[[GDP]]が4.10%、実質[[GDE]]が4.24%の成長(同時代の日本本土やアメリカは3%台、欧州は1%台)をなしており、[[世界恐慌|世界恐慌下]]においても飛躍的な成長を遂げていたとの調査結果を発表した<ref>[http://www.chosunonline.com/article/20040303000075 「1920~30年代の成長率4.1%」], 朝鮮日報, 2004/03/03.</ref>。
 
韓国や北朝鮮では、現在も朝鮮の資本主義の萌芽を李氏朝鮮時代に求め、「芽生えた朝鮮の資本主義は成長する前に日韓併合による植民地化によって1945年まで大きく抑制されていた」という説が通説として流布されている。これに対し、[[ハーバード大学]]教授で朝鮮史が専門のカーター・J・エッカートは、研究の結果、資本主義の萌芽が李氏朝鮮時代には全く存在せず、日韓併合による日本の政策によって生まれ、特に戦後の韓国の資本主義や工業化は、上記のような日本の朝鮮半島での近代化政策を模したものであると発表している<ref name="Harvard" />。
 
=== 通貨 ===
[[円 (通貨)|日本円]]と等価の[[朝鮮円|朝鮮圓]](円)が[[朝鮮銀行]]より発行されていた。この[[通貨]]は[[内地]](日本本土)では使用できなかったが[[日本銀行]]の円との等価交換が保証されていた。
{{節スタブ}}
 
== 交通 ==
=== 鉄道 ===
[[File:Keijo Station.JPG|thumb|right|180px|[[京城駅]]]]
[[File:Celebration of opening railway line from Seoul to Busan.jpg|thumb|180px|京城-釜山間の鉄道起工を祝う朝鮮人]]
[[朝鮮半島]]での鉄道は、李氏朝鮮から日本が「日韓暫定合同条款」に基き鉄道敷設権を[[1894年]][[8月20日]]に得て、[[鷺梁津駅|鷺梁津]]([[漢江]]西岸)~[[済物浦駅|済物浦]]間の鉄道を[[1899年]]に開通させたことに始まる。これは後に[[京仁線]]となった。
 
[[1905年]]には[[京釜線]]が全通、翌[[1906年]]には[[日露戦争]]の軍事輸送を目的として[[京義線]]を日本が全通させた。京釜線・京義線は日露戦争後に日本が得た[[南満州鉄道]](満鉄)への接続を図り、大陸進出の足がかりとしての役目を担うようになっていき、[[1910年]]の韓国併合で日本が[[朝鮮]]の統治権を得ると、[[京元線]]や[[中央線 (韓国)|中央線]]・[[湖南線]]などを敷設した。路線数が少なかった[[1925年]](大正14年)までは、朝鮮での鉄道経営を一体化する目的で[[南満州鉄道]]に[[委託]]したこともあり、その後は朝鮮総督府の直轄の[[朝鮮総督府鉄道]]となった。
 
朝鮮総督府鉄道は朝鮮への観光客の誘致にも力を入れ、[[ウェスティン朝鮮ホテル|朝鮮ホテル]]などの西洋風[[ホテル]]の建築も行った。また、朝鮮王朝末期には大部分で道路の舗装などが行われていなかった京城は区画整理が行われ、[[路面電車]]が敷設された。
 
=== 船 ===
[[File:Port of Jinsen.JPG|thumb|180px|大型船舶が寄港出来るよう整備された仁川港]]
日本内地と朝鮮の間には、[[関釜連絡船]]([[釜山広域市|釜山]]・[[下関市|下関]]間)を始めとする多くの航路が運航されていた。
 
=== 航空 ===
日本の[[フラッグ・キャリア]]の[[日本航空輸送]](とそれを引き継いだ[[大日本航空]])が日本内地から釜山、[[蔚山広域市|蔚山]]、京城などの間を結んだほか、満州国の[[満州航空]]が乗り入れていた。朝鮮独自の[[航空会社]]は存在しなかった。 
 
== 日本内地との関係 ==
=== 朝鮮人の日本内地への移入 ===
[[李氏朝鮮]]時代から貧しかった南朝鮮から多くの朝鮮人が日本に移入した<ref name=M2006090419432107004&/><ref name=txt00103/>。日本への渡航には渡航証明書が必要だったが<ref name=asahi19391121>大阪朝日新聞・南鮮版 1939年11月21日付『渡航證明書を偽造し 不敵、巨利を博す 惡運つきて遂に捕へらる』</ref>、多くの朝鮮人が日本内地へ密航した<ref name=mikko>{{cite web
| author = [[水野直樹]]
| url = http://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~mizna/cgi-bin/shinbun/shinbuns.cgi?midashi=%CC%A9%B9%D2&shinbun=&local1=&local2=&bunrui=&_ymd=no&year1=&month1=&beforeyear=&beforemonth=&afteryear=&aftermonth=&karayear=&karamonth=&madeyear=&mademonth=&perpage=100&page=1
| title = 戦前日本在住朝鮮人関係新聞記事検索1868-1945
| publisher = 朝鮮近代史研究のページ (水野直樹のホームページ)
| date = 2008-06-25
| accessdate = 2010-08-06
}}</ref>。多くの密航業者が密航を斡旋し、巨万の富を築いた<ref name=asahi19391121/><ref name="mainichi19360926"/>。2,000人を密航させた密航業者は一万数千円を荒稼ぎして妾を10人抱えるほどであった<ref name="mainichi19360926">『数年間に二千人世話し一万数千円を捲あぐ/十人の妾をもち住所を転々/密航ブローカーの巨頭、犯行自白』 [[大阪毎日新聞]] 1936年9月26日</ref>。密航は1930年代に入ると激増し、毎日のように摘発されるようになった<ref name=mikko/>。このため、[[1934年]]には[[岡田内閣]]は朝鮮人の密航の取り締まりを強化するために「朝鮮人移住対策ノ件」を閣議決定したがその後も密航は増加していった<ref name=M2006090419432107004&/><ref name=txt00103/><ref name=mikko/><ref>大阪朝日新聞・南鮮版 1939年1月31日付{{quotation|密航朝鮮人送還<br>三十日朝釜山入航の關釜聯絡船で福岡縣から密航朝鮮人四十六名が送還されて来たが、厳重な警戒を潜つて内地へ密航をなし送還されて来たもので新年に入つてから僅か一か月間に三百名に上つてゐる}} </ref>。余りの密航の多さに日本政府は渡航制限を緩和したが<ref>大阪朝日新聞・南鮮版 1940年4月5日付『朝鮮人労働書の 内地渡航漸次緩和 林総督府社会課長談』</ref><ref name=asahi19390622/>、渡航条件を満たさないものたちによる密航は止まらなかった<ref name=asahi19390622>大阪朝日新聞・北鮮版 1939年6月22日付{{quotation|『論旨の渡航者一萬九千餘人』<br>半島人の内地渡航に対する取締は本春以来著しく緩和されて来たが、漫然渡航者に対しては依然として厳重取締を実施してゐる 本年一月以降五月末までに内地渡航証明下付を出願した半島人は全鮮で四萬四百八十五人、漫然渡航せんとして釜山桟橋の監視所で論旨された者一萬九千百十人に達してゐる、このほか密航ブローカーの魔手にかゝり南鮮沿岸から密航せんとして発見された者約二千名に達してゐる}} </ref>。第二次世界大戦中にも密航が行われており、密航朝鮮人が検挙されている<ref>『内地密航増加/釜山水上署で厳罰』 大阪毎日新聞 1943年6月15日</ref>。
 
[[朝日新聞]]の取材によって遠賀工業所で雇われていた朝鮮人鉱夫が高待遇で雇用されていたことが明らかにされている<ref>大阪朝日新聞・南鮮版 1940年5月28日付『朝鮮人鉱夫の物凄い稼高 遠賀工業所で推賞の的』</ref><ref>大阪朝日新聞・中鮮版 1940年4月21日付『朝鮮人鉱夫に特別の優遇設備 まるで旅館住まひ同様』</ref>。一方で旅費負担や高賃金などを謳った甘言募集に乗せられ、低賃金の中で宿代や食費など様々な名目で天引きされ、実際に自由に使える金額はほとんど無かったとする主張もある。<ref>金賛汀「証言朝鮮人強制連行」(1975年、新人物往来社)p41~42 </ref><ref>「強制連行はなかった」論と戦時下の朝鮮/樋口雄一[http://sengosekinin.peacefully.jp/data/data2/data2-2.html]</ref> 。
 
[[1944年]]9月から[[1945年]][[3月]]にかけては[[国民徴用令]]により[[徴用]]された朝鮮人が渡航した<ref name=asahi19590713>『朝日新聞』 1959年7月13日 2面{{quotation|『大半、自由意思で居住 外務省、在日朝鮮人で発表 戦時徴用は245人』<br>在日朝鮮人の北朝鮮帰還をめぐって韓国側などで「在日朝鮮人の大半は戦時中に日本政府が強制労働をさせるためにつれてきたもので、いまでは不要になったため送還するのだ」との趣旨の中傷を行っているのに対し、外務省はこのほど「在日朝鮮人の引揚に関するいきさつ」について発表した。これによれば在日朝鮮人の総数は約六十一万人だが、このうち戦時中に徴用労務者として日本に来た者は二百四十五人にすぎないとされている。主な内容は次の通り。一、戦前(昭和十四年)に日本内地に住んでいた朝鮮人は約百万人で、終戦直前(昭和二十年)には約二百万人となった。増加した百万人のうち、七十万人は自分から進んで内地に職を求めてきた個別渡航者と、その間の出生によるものである。残りの三十万人は大部分、工鉱業、土木事業の募集に応じてきた者で、戦時中の国民徴用令による徴用労務者はごく少数である。また、国民徴用令は日本内地では昭和十四年七月に実施されたが、朝鮮への適用はさしひかえ昭和十九年九月に実施されており、朝鮮人徴用労務者が導入されたのは、翌年三月の下関-釜山間の運航が止まるまでのわずか七か月間であった。一、終戦後、昭和二十年八月から翌年三月まで、希望者が政府の配船、個別引揚げで合計百四十万人が帰還したほか、北朝鮮へは昭和二十一年三月、連合国の指令に基く北朝鮮引揚計画で三百五十人が帰還するなど、終戦時までに在日していた者のうち七五%が帰還している。戦時中に来日した労務者、復員軍人、軍属などは日本内地になじみが薄いため終戦後、残留した者はごく少数である。現在、登録されている在日朝鮮人は総計六十一万人で、関係各省で来日の事情を調査した結果、戦時中に徴用労務者としてきた者は二百四十五人にすぎず、現在、日本に居住している者は犯罪者を除き、自由意思によって残留したものである}}</ref>。
 
[[1951年]]に講和条約が締結され連合軍による占領が終了すると日本に在留していた朝鮮人は[[朝鮮籍]]となり、1948年に建国された[[韓国]]の国籍を取得する者もいた。朝鮮から渡航した人々の多くが九州、中国、近畿地方に在留していたため、戦後に韓国から密航した朝鮮人もこれらの地方に住む場合が多かった。これらの朝鮮人は[[在日韓国・朝鮮人]]となった。
 
在日1世2世の中には朝鮮総督府による土地調査事業や日本軍などによる食料の収奪(徴用・供出)などにより生活に困窮し、日本に来たのだと主張する者もいる<ref>在日本大韓民国民団民団公式サイト[http://www.mindan.org/front/newsDetail.php?category=0&newsid=11532][http://www.mindan.org/front/newsDetail.php?category=0&newsid=9838]</ref>。
 
== 朝鮮人の政治参加 ==
[[ファイル:Park Choon-Geum shouts Banzai with his supporters.JPG|thumb|200px|衆議院議員当選を祝う[[朴春琴]]]]
<ref>この項目、当サイト[http://d.hatena.ne.jp/furukotobumi/20090831/p1]を参考に各種文献から起筆した</ref>1910年の[[韓国併合|大韓帝国の併合]]により[[大韓帝国]]の統治権は日本国皇帝に譲与され、大韓帝国により編纂されていた戸籍は日本国政府が担任することとなった。朝鮮は併合の経緯から大韓帝国を日本国皇帝が譲与され統治することとなったため、「併合」([[韓国併合ニ関スル条約|併合条約]]2条)とはしたものの、一つの帝国のもとに二つの国家が存在するかのような状態であり、なおかつ連邦的なものではなく保護国・被保護国を前提とした従属的国家結合にとどまり、選挙法など統治関連法は内地のものは直接適用されなかった。併合条約締結の直後である1910年8月29日には[[s:韓國ノ國號ヲ改メ朝鮮ト稱スルノ件|韓国ノ国号ヲ改メ朝鮮ト称スルノ件]](明治43年勅令第318号)が発せられ即日施行されている。
 
朝鮮人は「帝国臣民」に編入され、またすでに朝鮮の植民過程が進むにおいて日本人の朝鮮移住も進んでおり1910年12月末時点で朝鮮在留日本人は50,992戸(171,543人)に上っていた。ところで併合後の朝鮮統治は朝鮮総督府が直裁しており、朝鮮在住の「協力的朝鮮人」はむろん、在朝日本人さえ朝鮮半島における政治への参政権をもっていない状況にあった。1913には日本人社会の居留民団が解体され、事実的な自治権は剥奪された。1920年代以降の協力的朝鮮人を含む植民地朝鮮での参政権問題は政治的課題となり、ひとつの方法として日本国内の縁故地で衆議院議員として選出をめざし「植民地政策決定過程」に介入する手段を目指すことになる<ref>「植民地朝鮮と多木久米次郎」金玄(神戸大学文化学研究科 港湾都市研究2009.03)[http://www.lib.kobe-u.ac.jp/repository/81000953.pdf][http://www.lib.kobe-u.ac.jp/infolib/meta_pub/G0000003kernel_81000953]</ref>。朝鮮半島では1931年に制限選挙であったが地方議会が開設された<ref>「日本統治下末期の朝鮮における日本語普及・強制政策」井上薫(北海道大学教育学部紀要1997.6)[http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/29532/1/73_P105-153.pdf]PDF-P.13</ref>が、議会選挙などの政治参加は戦争体制のため事実上凍結された<ref>「植民地統治と朝鮮人の対応」森山茂徳(ソウル・韓日歴史共同研究委員会2005.1.29)[http://www.jkcf.or.jp/history/first/3/04-0j_moriyama_j.pdf]PDF-P.3,4[http://www.jkcf.or.jp/history/first/3/004_activities_j.pdf]</ref>。
 
朝鮮人も帝国臣民の地位が付与されたため、内地に居住してさえおれば参政権・被参政権とも認められており(→1925年[[普通選挙法]])衆議院選挙に参加することは可能であった。唯一朝鮮人として[[朴春琴]]が衆議院議員に選出されている。貴族院議員には通算10人の朝鮮人議員が任命されている。そのほか地方議会の議員を務めたり、中央官庁や地方公共団体に勤務する者もいた<ref>[[杉本幹夫]]『「植民地朝鮮」の研究』</ref>。その外にも多数のロビイストが「朝鮮通」として朝鮮統治に関するあらゆる法案や議案について提言をおこなっていた<ref>金玄2009.03</ref>。
 
== 朝鮮人の独立運動 ==
{{See also|朝鮮独立運動}}
[[ファイル:Provisional Government of the Republic of Korea.jpg|thumb|160px|大韓民国臨時政府の記念写真(1919年10月11日)]]
[[File:Yfj.jpg|thumb|160px|[[上海天長節爆弾事件]]の実行犯[[尹奉吉]]]]
[[File:Soldier of Anti-Japanese Volunteer Armies.JPG|thumb|160px|left|独立軍兵士]]
[[ファイル:March 1st movement.jpg|thumb|160px|left|3.1独立運動レリーフ、ソウル・タプコル公園]]
[[ファイル:Nikolayevsk Incident-1.jpg|thumb|160px|[[尼港事件]]で焼け落ちた日本領事館]]
義兵闘争<ref>この過程において、日本側の戦死者は1907年8月から1910年までの3年半の間に133人、義兵側の死者は17,688人である(「朝鮮暴徒討伐誌」、1913年)。</ref>などに見られるように、併合以前から日本の朝鮮支配計画に反抗する朝鮮人の運動は存在していたが、[[第一次世界大戦]]終結後には[[アメリカ合衆国|アメリカ]]系キリスト教会の宣教師により[[アメリカ合衆国大統領|アメリカ大統領]][[ウッドロウ・ウィルソン|ウィルソン]]の提唱する[[民族自決]]理念が伝わり、更に高宗の死によって朝鮮人の独立要求は高まった。1919年には[[三・一独立運動]]が起こって大規模な暴動にまで発展し、朝鮮中を巻き込んだ。この独立運動は約一年間続き、暴動と総督府側による取締りによって多くの死傷者がでた(運動家に殺害された者も多い)。事件直後に行われた調査結果を記した資料によれば、8,437人が逮捕された。逮捕者への刑罰は主犯でも最高で懲役3年以下という軽いものであった。死者数は553人(運動家に殺されたものも含む)、負傷数は1,409人である。当時[[上海市|上海]]に[[亡命]]中の[[朴殷植]]は『韓国独立運動之血史』に46,948人が逮捕され、7,509人が死亡し、15,961人が負傷したと記している<ref>死傷者数は伝聞によるものであると『韓国独立運動之血史』の本書中で朴殷植は断っているが、韓国の教科書や研究者の一部はこの犠牲者数を参照としている。「[[エンサイクロペディア・ブリタニカ]]」では『韓国独立運動之血史』を参考にしており、デモの続いた一年間の間に7000人が日本の警察と軍隊により殺されたとある。</ref><ref>{{cite book | last = Lee | first = Ki-Baik | coauthors = Translated by Edward W. Wagner with Edwar J. Shultz | title = A New History of Korea (韓国史新論) | publisher = Ilchorak/Harvard University Press | date = 1999 | pages = p. 1080 | doi = | isbn = 0-674-61575-1}}</ref><ref>{{cite web | title=March First Movement | work=Encyclopedia Britannica Premium Service | url=http://www.britannica.com/eb/article-9050797?query=march%20first%20movement&ct=|accessdate=2006-03-01}}</ref>。女学生・[[柳寛順]](ユ・ガンスン)は三・一独立運動を扇動した罪で投獄・拷問され16才で殺された<ref>[http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2004/06/0406j0412-00001.htm 「朝鮮近代史の中の苦闘する女性たち 烈士・柳寛順(下)朝鮮新報 2004.4.12]</ref>とされ、しばしば日本の蛮行についての象徴的物語として扱われることがある。なお[[柳寛順]]の物語には誇張が多く史実の裏づけに乏しいとの批判がある<ref>中央日報「柳寛順への日本の蛮行、誇張多い」2002.2.26[http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=24426&servcode=400&sectcode=400]</ref>。
 
三・一独立運動時、暴徒と化した民衆によって警察署・村役場・小学校などが襲撃され、放火・投石・破壊・暴行・殺人が多数行われている。こうした暴動を鎮圧し治安を維持する為に武力を使うことはどこの国でも普通に行われることであるとする意見も存在する<ref>名越二荒之助『日韓2000年の真実』国際企画</ref>。
 
こうした中、いくつかの悲劇が発生した。最も有名な[[堤岩里事件]]は[[4月15日]]に小学校焼き討ちと警察官2名の殺害の容疑で堤岩里の成人男性住民30余名を教会堂に集めたところ、取調べ中に容疑者1名が逃げようとし憲兵に斬殺され、それを見た他の容疑者が暴徒化した為に全員が射殺され、放火などにより15村落317戸が延焼し、39人が死亡した事件である。その違法性については日本側も認識していたらしく「検挙官憲ノ放火ノ為類焼セルモノモ尠カラザルコトヲ確メタリ。…之が処分ニ就テハ殺生ハ止ムヲ得ザルモノニシテ放火ハ公然之ヲ認ムルハ情勢上適当ナラザルヲ以テ火災ヲ表面上全部失火ト認定スルコトトセリ」(憲兵司令官より大臣宛電報4/21付け)と上部に報告している。
 
三・一独立運動は[[大韓民国臨時政府]]樹立のきっかけとなり、また満州や[[沿海州]]を拠点とし、中朝国境では抗日ゲリラ組織の活性化にもつながり[[1920年]]の[[尼港事件]]のように日本軍を[[全滅]]させることもあった。一方総督府も、過酷な統治だけでは植民地体制を持続させることはできないとして、文治政治と呼ばれる一連の懐柔策を打ち出した。朝鮮における憲兵警察制度は廃止され、限定的ながら言論や結社の自由が与えられた。
 
三・一独立運動後に活発となった満州や沿海州における朝鮮独立を掲げた抗日ゲリラは国境地帯で、良民や官公吏への襲撃・殺害といったゲリラ行為を繰り返すようになり、ついには[[1920年]]10月に[[満州]]の[[琿春市|琿春]]で、[[馬賊]]の襲撃により、領事館警察署長を含む日本人13人が殺害される事件([[間島事件]])が発生した。これにより総督府は中国側と折衝して吉林省都督から作戦の許可を取り付け、ゲリラ掃討を開始した([[青山里戦闘]])。彼らが潜んでいるとされた村に対する焼き討ちや村民処刑なども含む態度で臨み、キリスト教の宣教師などからの抗議を受けたこともあるが、徹底的な討伐戦の結果、抗日ゲリラのほとんどはソ連領内へと逃げ込み中朝国境からは一時姿を消した<ref>「現代史資料(28) 朝鮮(四) 独立運 動(二)」姜徳相著、みすず書房出版</ref>。朝鮮人武装勢力は1921年6月28日には[[スヴォボードヌイ]]にいたが、ロシアの[[赤軍]]と衝突しほとんどが壊滅した([[自由市惨変]])。その後、1937年に[[普天堡の戦い|普天堡]]が襲撃される事件も起きている。
 
大韓民国臨時政府の主張では第二次世界大戦において、1941年12月9日に連合国側に立ち[[ナチス・ドイツ|ドイツ]]と日本に対して[[宣戦布告]]を行い、軍事部門である朝鮮解放軍は東南アジアの一部や中国等で[[中国共産党]]や[[中国国民党|国民党]]の軍隊に加わり、日本軍との戦闘に参加したという{{要出典|date=2010年12月}}。しかし具体的にどのようにして宣戦布告を行ったかも不明であり、宣戦布告も戦争相手国には伝わっておらず、大韓民国臨時政府が組織的に日本軍と戦闘した記録は見つかっていない。そのため戦後に韓国が「戦勝国」として国際的には認められることはなかった
<ref>{{cite news
| url = http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=0415&f=politics_0415_007.shtml
| title = 「竹島は日本領」…中国、“独島”の名称なしで日本の主張を報道
| newspaper = [[サーチナ]]
| date = 2010-04-15
| accessdate = 2010-04-15
}}</ref>。
 
== 行政 ==
{{Main|朝鮮総督府}}
[[File:Keisho-Nan Provincial Office.JPG|thumb|[[慶尚南道 (日本統治時代)|慶尚南道]]庁]]
[[File:Kankyo-Hoku Provincial Office.JPG|thumb|[[咸鏡北道 (日本統治時代)|咸鏡北道]]庁]]
[[File:Heian-Hoku Provincial Office.JPG|thumb|[[平安北道 (日本統治時代)|平安北道]]庁]]
総督府は朝鮮半島の行政・司法・立法をすべて総覧し、[[朝鮮軍 (日本軍)|朝鮮半島駐留の日本軍]]の統率・防備権限を付与されていた([[朝鮮総督府官制]]3条)。総督府は鉄道や通信事業を経営し[[朝鮮銀行]]の監督権を有した(1924年まで)。また林野事業(営林廠)や専売事業(タバコ・塩・朝鮮人参)などを経営していた。[[日本統治時代の朝鮮の行政区画|朝鮮十三道]]には道長官(1919年から知事)が任命されそれぞれの支所で行政任務に従事した。総督府令により1年以下の懲役もしくは禁錮、拘留、200円以下の罰金または科料の罰を課すことが認められていた(4条)が、それ以上の罪過あるいは総督府令によらない法令については日本内地の制定法による必要があった。政務のすべては内閣総理大臣を経て天皇に直接上奏すれば良い(3条)とされたが、実際の実務は[[拓務省]]や[[内務省 (日本)|内務省]]など内地行政機関の依命通牒<ref>直接の権限はないが、上位職の指示命令により通知(アドバイス)する文書</ref>に従うことが多かった。
[[李氏朝鮮]]時代の[[朝鮮八道]]は[[高宗 (朝鮮王)|高宗]]32年([[1895年]])に[[二十三府制|二十三府]]となり、続く高宗33年([[1896年]])に制定された[[十三道制]]を引き続き行政区画とした。
 
* [[京畿道 (日本統治時代)|京畿道]]
* [[江原道 (日本統治時代)|江原道]]
* [[忠清北道 (日本統治時代)|忠清北道]]
* [[忠清南道 (日本統治時代)|忠清南道]]
* [[全羅北道 (日本統治時代)|全羅北道]]
* [[全羅南道 (日本統治時代)|全羅南道]]
* [[慶尚北道 (日本統治時代)|慶尚北道]]
* [[慶尚南道 (日本統治時代)|慶尚南道]]
* [[平安南道 (日本統治時代)|平安南道]]
* [[平安北道 (日本統治時代)|平安北道]]
* [[黄海道 (日本統治時代)|黄海道]]
* [[咸鏡南道 (日本統治時代)|咸鏡南道]]
* [[咸鏡北道 (日本統治時代)|咸鏡北道]]
 
また、これら13道の下には'''{{仮リンク|label=府|府 (朝鮮)|ja|日本統治時代の朝鮮の行政区画}}'''・[[郡#朝鮮の郡|'''郡''']]が置かれ、郡の下に'''[[邑]]'''・'''[[面 (朝鮮)|面]]'''が置かれた。なお、13道は[[内地]]の[[都道府県#戦前の都庁府県|都庁府県]]に、府・邑・面は内地の市町村にそれぞれ相当する。
 
* 戦後、韓国では[[京畿道]]の一部がソウル特別市に、[[全羅南道]]の一部が済州道(後に[[済州特別自治道]]へ改組)に分離し、北朝鮮では[[咸鏡南道]]の一部が[[両江道]]に、[[平安北道]]の一部が[[慈江道]]に分離した。
 
==警察==
{{main|朝鮮総督府警察}}
[[1905年]](明治38年)11月、韓国統監府に警察を設置。[[1910年]](明治43年)7月、[[大韓帝国]]より警察権の全面委託を受け、中央に[[朝鮮総督府警務局|警務総監部]]、地方に警務部を置いた。このときに[[憲兵警察制度 (朝鮮総督府)|憲兵警察制度]]も採用した。一般警察と憲兵が同一の地域に混在していたわけではなく、[[フランス]]の[[フランス国家憲兵隊]](ジャンダルムリ)のように担当の地域が決まっていた。軍警の地域分担は、おおむね以下の通りであった。
* 一般警察 - 鉄道沿線、港、都市部
* 憲兵 - 軍事上枢要の地、国境、一般警察が整備されていない地域
 
[[1910年]](明治43年)8月韓国併合。この年、「憲兵警察」と「一般警察」を合わせた人数は、7712名(その内、朝鮮人は4440名)。うち「憲兵警察」は2019名(その内、憲兵補助員としての朝鮮人が1012名)であった<ref>水田直昌監修『統監府時代の財政』122頁</ref>。[[1915年]](大正4年)3月、中央の警務総監部直轄だった[[京城府]]の警察事務を京畿道警務部に移譲。[[1919年]](大正8年)3月、[[三・一運動]]が起こる。同年8月には警務総監部を廃止し、[[朝鮮総督府警務局|警務局]]を置く。地方の道に警察権を移譲し、道庁に警察部を置き、また、三・一運動後、朝鮮総督府の「武断統治」に批判が高まったこと、日本の警察制度としては異例の形態であったことから憲兵警察制度を廃止した。
 
[[1945年]](昭和20年)8月の終戦により、朝鮮総督府は解体され、朝鮮総督府警察は南北朝鮮の国家の警察に引き継がれた。
 
==軍事==
{| class="wikitable" align=right style="margin:5px;"
|+'''朝鮮人志願兵'''<ref>p182『[[朝日新聞が報道した「日韓併合」の真実]] 韓国が主張する「七奪」は日本の「七恩」だった』 [[水間政憲]] [[徳間書店]] 2010/7/31 ISBN 978-4-19-862990-8</ref>
|-
| 年次
| 志願者
| 合格者
| 志願倍率
|-
| 1938
| 2,946
| 406
| 7.3
|-
| 1939
| 12,348
| 613
| 20.1
|-
| 1940
| 84,443
| 3,060
| 27.6
|-
| 1941
| 144,743
| 3,208
| 45.1
|-
| 1942
| 254,273
| 4,077
| 62.4
|-
| 1943
| 303,394
| 6,300
| 48.2
|-
| 合計
| 799,201
| 17,664
| 45.2
|}
[[File:Park Chung-hee, Manchu Shinmun.jpg|thumb|200px|left|[[朴正煕]]小学校[[訓導]](後[[韓国大統領]])は年齢により採用条件不適合者であったが血書による志願書などを三度に渡り提出するなどして満州国士官学校に入校した。満洲新聞1933年3月31日付<ref>{{cite web
| url = http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/386107.html
| title = 일 육사 졸업 뒤 항일연합군 공격“임정 입장서 박정희는 적군 장교”민족문제연구소 ‘박정희 친일 행적’ 신문 공개
| publisher = [[ハンギョレ]]
| date = 2009-11-05
| accessdate = 2010-12-17
}}</ref>]]
{{see also|朝鮮人日本兵|朝鮮軍 (日本軍)|間島特設隊|満州国軍}}
 
[[日露戦争]]を機に[[大韓帝国]]に駐留した韓国駐剳軍(ちゅうさつぐん)を前身とし、[[明治]]43年([[1910年]])の[[韓国併合]]に伴い朝鮮駐剳軍に名称変更、[[大正]]7年([[1918年]])に朝鮮軍となった。[[司令部]]は当初漢城の城内に置かれたが、後に郊外の[[京城府]]龍山(現・[[ソウル特別市]][[龍山区 (ソウル特別市)|龍山区]])に移転した。
 
[[1937年]]に日中戦争が勃発すると、朝鮮人からも志願兵を募集<ref name=asahi370908/>、[[1942年]]に行われた朝鮮出身者に対しての募兵では募集4,077名に対し、254,273名の朝鮮人志願兵が集まり、倍率は62.4倍に達した<ref name=ajirekiB20020312847/>。軍人・軍属として戦地に赴いた者も存在した。1944年4月からは朝鮮でも徴兵制が施行され、[[1944年]]9月からは朝鮮人にも徴兵が適用されたが、訓練所への入隊は1945年1月から7月の間に限られた上に、朝鮮半島か日本内地勤務が中心であり、ほとんどが戦場に派遣されなかった<ref name=mizuma2010-188/>。
 
[[昭和]]20年([[1945年]])2月、戦況逼迫に伴い[[第17方面軍 (日本軍)|第17方面軍]]が設けられ朝鮮軍は廃止されたため、管轄区域の朝鮮軍管区は第17方面軍司令部が兼ねた朝鮮軍管区司令部が管轄した。
 
{{節stub|統治時代に朝鮮に存在した軍事・警察組織についてまとめるための節}}
 
== 文化 ==
=== 文学 ===
{{see|朝鮮文学#開化期・日本統治時代}}
 
=== 映画 ===
{{see|日本映画#朝鮮|日本統治時代の朝鮮の映画作品の一覧}}
 
=== 演劇 ===
日本の影響で[[新派|新派劇]]や[[新劇]]が興った。
 
=== 舞踊 ===
[[崔承喜]]が世界的に活躍した。
 
=== 音楽 ===
日本の演歌と酷似した[[トロット]]が流行した<ref>[http://www.kovaent.jp/141260#17 "MBCスペシャル"終わっていない、終わらない私たちの人生の"トロット"]</ref><ref>[http://www.hani.co.kr/arti/culture/book/388885.html 민중 어르고 달랜 ‘뽕짝 80년사’]</ref>。
 
=== 美術 ===
[[高羲東]]({{lang|ko|[[:ko:고희동]]}})や[[金観鎬]]({{lang|ko|김관호}})が日本に留学して洋画を学び、朝鮮に洋画をもたらした。
 
朝鮮総督府が[[朝鮮美術展覧会]](鮮展)({{lang|ko|[[:ko:조선미술전람회]]}})を開催した。
 
=== スポーツ ===
{{See|朝鮮のスポーツ}}
[[孫基禎]]が、ベルリンオリンピックのマラソンに日本代表として出場し、金メダルを獲得した。
 
=== 放送 ===
[[社団法人]][[朝鮮放送協会]]が日本語と朝鮮語の両方で[[ラジオ|ラジオ放送]]をしていた。
 
== 年表 ==
=== 日本統治前 ===
* 1905年5月28日 - [[京釜線|京釜鉄道]]開通式
* 1905年11月17日 - [[第二次日韓協約]](乙巳保護条約)締結
* 1906年2月1日 - [[韓国統監府]]設置
* 1907年6月25日 - [[ハーグ密使事件]]
* 1907年7月20日 - [[高宗 (朝鮮王)|高宗]]退位、[[純宗 (朝鮮王)|純宗]]即位。翌年にかけて[[日本軍]]は[[反日義勇軍]]1万4千人との1,774回の戦闘を行った<!--<ref>『国史大辞典』第3巻、吉川弘文館1984年P.813臼井勝美「韓国併合」の項。</ref>-->。
* 1907年8月1日 - 韓国軍解散
* 1908年4月1日 - [[韓国標準時]]制定
* 1908年12月18日 - [[東洋拓殖|東洋拓殖会社]]設立
* 1909年7月6日 - 日本、[[韓国併合]]方針を閣議決定
* 1909年10月26日 - [[ハルビン]]で[[伊藤博文]]が[[暗殺]]される
* 1909年12月4日 - 韓国の[[一進会]]より「[[韓日合邦を要求する声明書]]」の上奏文が提出される
* 1910年3月14日 - 土地調査事業開始
* 1910年6月30日 - 憲兵警察制度発足
 
=== 日本統治時代 ===
* 1910年8月22日 - [[韓国併合ニ関スル条約]](日韓併合条約)調印
* 1910年8月29日 - 朝鮮総督府設置
* 1911年8月23日 - 第一次朝鮮教育令。国語を日本語にする。
* 1912年1月1日 - [[標準時]]を韓国標準時から[[日本標準時]]に変更
* 1912年4月 - [[普通学校用諺文綴字法]]が確定
* 1914年3月1日 - 地方行政区画改正(府・郡・面制)
* 1919年1月21日 - 高宗死去
* 1919年3月1日 - [[三・一独立運動]]始まる
* 1919年8月12日 - 斎藤実、第3代総督に就任
* 1919年8月20日 - 憲兵警察制度廃止
* 1919年10月5日 - [[金性洙]]、[[京紡|京城紡織株式会社]]設立
* 1920年3月5日 - [[朝鮮日報]]創刊
* 1920年4月1日 - [[東亜日報]]創刊
* 1920年12月27日 - 総督府、産米増産計画立案
* 1926年4月1日 - [[京城帝国大学]]開設
* 1927年2月16日 - [[社団法人]][[朝鮮放送協会|京城放送局]]、[[ラジオ|ラジオ放送]]開始
* 1927年5月2日 - 朝鮮窒素株式会社設立
* 1929年11月3日 - [[光州学生事件]]( - 1930年3月)
* 1930年5月30日 - [[間島]]5・30事件
* 1930年 - [[諺文綴字法]]制定
* 1931年7月2日 - [[万宝山事件]]
* 1931年9月18日 - [[満州事変]]勃発
* 1931年1月8日 - [[韓人愛国団|愛国団]]員・[[李奉昌]]、[[東京市|東京]]で[[昭和天皇|天皇]]暗殺未遂事件([[桜田門事件]])
* 1931年4月29日 - 愛国団員・[[尹奉吉]]、上海爆弾テロ事件([[上海天長節爆弾事件]])
* 1932年4月7日 - 社団法人京城放送局、社団法人朝鮮放送協会に改組
* 1936年8月9日 - [[孫基禎]]、[[ベルリンオリンピック]][[マラソン]]で優勝
* 1937年6月1日 - [[金日成]]、[[普天堡の戦い|普天堡襲撃事件]]を起こす
* 1937年7月7日 - [[日中戦争]]勃発
* 1937年10月2日 - 「皇国臣民の誓詞」制定。
* 1938年2月26日 - [[志願兵|陸軍特別志願令]]公布
* 1938年3月4日 - 朝鮮教育令改正、[[朝鮮語]]の授業必須から外れる
* 1940年2月11日 - [[創氏改名]]実施
* 1941年3月31日 - [[国民学校]]規定改正、朝鮮語の授業廃止
* 1941年12月8日 - [[太平洋戦争]]勃発
* 1942年10月1日 - 朝鮮語学会事件
* 1944年4月1日 - 第1回徴兵検査開始
* 1944年8月23日 - [[女子挺身隊]]勤労令公布
* 1945年8月9日 - [[ソビエト連邦|ソ連]]対日参戦、[[豆満江]]を越える。
* 1945年8月13日 - [[ソビエト連邦軍|ソ連軍]]、[[清津市|清津府]]を[[占領]]。(実質的に日本の統治から外れた最初の街)
* 1945年8月15日 - 日本政府、[[ポツダム宣言]]受諾。[[呂運亨]]、[[朝鮮建国準備委員会]](建準)結成
* 1945年8月21日 - ソ連軍、[[平壌|平壌府]]進駐
* 1945年8月25日 - [[アメリカ軍]]、[[仁川広域市|仁川府]]上陸
* 1945年9月2日 - 日本政府、[[降伏文書]](休戦協定)に調印
* 1945年9月6日 - 呂運亨らは[[朝鮮人民共和国]]の樹立を宣言
* 1945年9月7日 - アメリカ極東軍司令部、朝鮮における[[占領行政|軍政]]を宣言(即時独立否認)
* 1945年9月9日 - 総督府、降伏文書に調印<ref>[http://japanese.yonhapnews.co.kr/misc/2009/08/17/9000000000AJP20090817002700882.HTML 今日の歴史(9月9日)] 聯合ニュース 2009/09/09 </ref>。
 
== 朝鮮への首都機能移転計画 ==
韓国国土開発研究院長・キョンウォン大学総長を歴任した[[金儀遠]]は、日本政府が朝鮮人を満洲に追放して[[ソウル]]を日本の首都することが決められており、そのために朝鮮半島を開発したのであると、自身が発見したとする古文書を根拠に韓国[[中央日報]]で発表している<ref>[http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=116468&servcode=A00&sectcode=A10 「日本は朝鮮人を満州に追い出して韓半島に住もうとした」] 中央日報 2009.06.10</ref>。しかし、当時の日本政府は、朝鮮人が日本内地に密航して治安を悪化させている状況を打開するために、朝鮮半島の開発に力を入れていたことが閣議決定文書で明らかにされている<ref name=M2006090419432107004&/><ref name=txt00103/>。
 
== 日本統治時代の朝鮮を舞台にした作品 ==
;映画
* [[将軍の息子]] 三部作(1990~1992年)
* [[愛の黙示録]](1997年)
* [[ロスト・メモリーズ]](2002年) - 21世紀の現代も日本統治が続いている設定の作品。
* [[マイウェイ 12,000キロの真実]](2011年)
;テレビドラマ
* [[野人時代]](2002年)
* [[砂漠の泉]](2003年)
* [[虹を架ける王妃]](2006年)
* [[京城スキャンダル]](2007年)
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
 
== 参考文献 ==
* {{Citebook|和書|author=李榮薫|authorlink=李榮薫|others=[[永島広紀]]訳|year=2009|month=3|title=大韓民国の物語 韓国の「国史」教科書を書き換えよ|publisher=文藝春秋|isbn=978-4-16-370310-7}}
* {{Citebook|和書|author=カーター・J・エッカート|authorlink=カーター・J・エッカート|others=[[小谷まさ代]]訳|year=2004|month=1|title=日本帝国の申し子 高敞の金一族と韓国資本主義の植民地起源1876-1945|publisher=草思社|isbn=978-4-7942-1275-7}}
* {{Citebook|和書|editor=[[岡本達明]]・[[松崎次夫]]編|year=1990|month=7|title=植民地は天国だった|series=聞書水俣民衆史|volume=第5巻|publisher=草風館|isbn=}}
** {{Citebook|和書|editor=岡本達明・松崎次夫編|year=1997|month=2|title=植民地は天国だった|edition=2版|series=聞書水俣民衆史|volume=第5巻|publisher=草風館|isbn=4-88323-034-1}}
* {{Citebook|和書|author=糟谷憲一|authorlink=糟谷憲一|year=1996|month=12|title=朝鮮の近代|series=世界史リブレット 43|publisher=山川出版社|isbn=4-634-34430-0}}
* {{Citebook|和書|author=ブルース・カミングス|authorlink=ブルース・カミングス|others=[[横田安司]]・[[小林知子]]訳|year=2003|month=10|title=現代朝鮮の歴史 世界のなかの朝鮮|publisher=明石書店|isbn=4-7503-1794-2}}
* {{Citebook|和書|author=姜在彦|authorlink=姜在彦|year=1983|month=2|title=日本による朝鮮支配の40年|series=朝日カルチャーブックス 17|publisher=大阪書籍|isbn=4-7548-1017-1}}
** {{Citebook|和書|author=姜在彦|authorlink=姜在彦|year=1992|month=9|title=日本による朝鮮支配の40年|series=朝日文庫|publisher=朝日新聞社|isbn=4-02-260724-6}}
* {{Citebook|和書|author=姜在彦|authorlink=姜在彦|year=1987|month=2|title=朝鮮の歴史と文化|series=朝日カルチャーブックス 72|publisher=大阪書籍|isbn=4-7548-1072-4}}
** {{Citebook|和書|author=姜在彦|authorlink=姜在彦|year=1993|month=3|title=朝鮮の歴史と文化|edition=新版|publisher=明石書店|isbn=4-7503-0490-5}}
* {{Citebook|和書|author=姜徳相|authorlink=姜徳相|year=2002|month=6|title=朝鮮三・一独立運動|series=呂運亨評伝 1|publisher=新幹社|isbn=4-88400-024-2}}
* {{Citebook|和書|editor=[[姜徳相]]編|year=1972|title=朝鮮 4 独立運動 2|series=現代史資料 28|publisher=みすず書房|isbn=}}
** {{Citebook|和書|editor=姜徳相編|year=2004|month=8|title=朝鮮 4 独立運動 2|series=現代史資料 28|publisher=みすず書房|isbn=4-622-06128-7}} - 1989年刊(第5刷)を原本とした[[POD|オンデマンド版]]。
*{{Citebook|和書|author=金完燮|authorlink=金完燮|others=[[荒木和博]]・[[荒木信子]]訳|year=2002|month=7|title=親日派のための弁明|publisher=草思社|isbn=4-7942-1152-X}}
** {{Citebook|和書|author=金完燮|authorlink=金完燮|others=荒木和博・荒木信子監修・訳、[[星野知美]]訳|year=2004|month=11|title=親日派のための弁明|series=扶桑社文庫|publisher=扶桑社|isbn=4-594-04833-1}}
* {{Citebook|和書|author=黄文雄|authorlink=黄文雄 (評論家)|year=1998|month=8|title=歪められた朝鮮総督府 だれが「近代化」を教えたか|series=カッパ・ブックス|publisher=光文社|isbn=4-334-00634-5}}
** {{Citebook|和書|author=黄文雄|authorlink=黄文雄 (評論家)|year=2006|month=9|title=朝鮮半島を救った日韓併合 いつまで彼らは"被害者"を続けるのか|series=徳間文庫|publisher=徳間書店|isbn=4-334-00634-5}} - 「歪められた朝鮮総督府」(光文社1998年刊)の改題。
* {{Citebook|和書|author=佐野通夫|authorlink=佐野通夫|year=2006|month=2|title=日本植民地教育の展開と朝鮮民衆の対応|publisher=社会評論社|isbn=978-4-7845-0288-2}}
* {{Citebook|和書|author=杉本幹夫|authorlink=杉本幹夫|year=2002|month=6|title=「植民地朝鮮」の研究 日本支配36年 謝罪するいわれは何もない|publisher=展転社|isbn=4-88656-214-0}}
* {{Citebook|和書|author=高橋哲哉|authorlink=高橋哲哉|year=2001|month=1|title=歴史/修正主義|series=思考のフロンティア|publisher=岩波書店|isbn=4-00-026434-6}}
* {{Citebook|和書|others=[[田中宏]]・[[板垣竜太]]編|year=2007|month=1|title=日韓新たな始まりのための20章|publisher=岩波書店|isbn=978-4-00-024244-8}}
* {{Citebook|和書|author=崔基鎬|authorlink=崔基鎬|year=2001|month=11|title=韓国堕落の2000年史 日本に大差をつけられた理由|publisher=祥伝社|isbn=4-396-61135-8}}
** {{Citebook|和書|author=崔基鎬|authorlink=崔基鎬|year=2006|month=6|title=韓国堕落の2000年史 日本に大差をつけられた理由|series=祥伝社黄金文庫|publisher=祥伝社|isbn=4-396-31407-8}}
* {{Citebook|和書|editor=朝鮮史研究会編|year=1995|month=2|title=朝鮮の歴史|edition=新版|publisher=三省堂|isbn=4-385-35469-3}}
* {{Citebook|和書|editor=[[朝鮮総督府]]編|year=1944|month=3|title=朝鮮総督府統計年報|volume=昭和17年|publisher=朝鮮総督府|isbn=}}
* {{Citebook|和書|author=朝鮮總督府農林局|authorlink=朝鮮總督府|year=1935|month=2|title=米穀關係法規・朝鮮米穀要覧|publisher=朝鮮總督府農林局|url=http://opac.ndl.go.jp/recordid/000003545801/jpn}}
* {{Citebook|和書|editor=朝鮮駐箚軍司令部編|year=|month=|title=朝鮮暴徒討伐誌|publisher=山本栄一|url=http://opac.ndl.go.jp/recordid/000001082979/jpn}}
* {{Citebook|和書|author=中野正剛|authorlink=中野正剛|year=1915|title=我が観たる満鮮|publisher=政教社|url={{近代デジタルライブラリーURL|43022064}}}}
** [[中野正剛]]「我が観たる満鮮」、{{Citebook|和書|others=[[小島晋治]]監修|year=1999|month=4|title=大正中国見聞録集成|volume=第1巻|publisher=ゆまに書房|isbn=4-89714-665-8|url=http://opac.ndl.go.jp/recordid/000002786684/jpn}}
* {{Citebook|和書|editor=[[名越二荒之助]]編著|year=1997|month=7|title=日韓2000年の真実 写真400枚が語る両国民へのメッセージ |publisher=国際企画|isbn=4-916029-12-7}}
** {{Citebook|和書|editor=名越二荒之助編著|year=2002|month=5|title=日韓共鳴二千年史 これを読めば韓国も日本も好きになる|publisher=明成社|isbn=4-944219-11-3}} - 「日韓2000年の真実」(国際企画1997年刊)の改題。
* {{Citebook|和書|author=朴泰赫|authorlink=朴泰赫|year=1993|month=3|title=醜い韓国人 われわれは「日帝支配」を叫びすぎる|series=カッパ・ブックス|publisher=光文社|isbn=4-334-00532-2}}
* {{Citebook|和書|author=朴泰赫|authorlink=朴泰赫|coauthors=[[加瀬英明]]|year=1995|month=3|title=醜い韓国人 歴史検証編 これは本当のことではないのか|series=カッパ・ブックス|publisher=光文社|isbn=4-334-01296-5}}
* [[水田直昌]]「統監府時代の財政」監修、{{Citebook|和書|editor=友邦協会編|year=2000|month=12|title=朝鮮近代史料研究|series=友邦シリーズ|volume=第2巻(財政)|publisher=クレス出版|isbn=4-87733-121-2}}
* {{Citebook|和書|editor=[[水野直樹]]・[[藤永壯]]・[[駒込武]]編|year=2001|month=11|title=日本の植民地支配 肯定・賛美論を検証する|series=岩波ブックレット no.552|publisher=岩波書店|isbn=4-00-009252-9}}
* {{Citebook|和書|author=朴贊雄|authorlink=|coauthors=|year=2010|month=8|title=日本統治時代を肯定的に理解する 韓国の一知識人の回想|series=|publisher=[[草思社]]|isbn=978-4794217752}}
* {{Citebook|和書|author=水間政憲|authorlink=水間政憲|year=2010|month=7|title=朝日新聞が報道した「日韓併合」の真実 韓国が主張する「七奪」は日本の「七恩」だった|publisher=徳間書店 |isbn=978-4-19-862990-8}}
* {{Citebook|和書|author=宮田節子 |authorlink=宮田節子 |year=1985|month=7|title=朝鮮民衆と「皇民化」政策|series=朝鮮近代史研究双書 2|publisher=未来社|isbn=978-4-624-42017-8}}
* {{Citebook|和書|author=安田敏朗|authorlink=安田敏朗|year=1998|month=8|title=植民地のなかの「国語学」|edition=新装版|publisher=三元社|isbn=4-88303-040-7}}
* [[山下達也 (教育学者)|山下達也]]「植民地朝鮮における「内地人」教員の多様性――招聘教員と朝鮮で養成された教員の特徴とその関係―」、{{Citebook|和書|year=2007|month=10|title=日本の教育史学|series=教育史学会紀要 50|publisher=教育史学会|isbn=978-4-906194-24-7}}
* {{Citebook|和書|author=山本有造|authorlink=山本有造|year=1992|month=2|title=日本植民地経済史研究|publisher=名古屋大学出版会|isbn=4-8158-0174-}}
* {{Citebook|和書|editor=[[吉田光男]]編著|year=2004|month=3|title=韓国朝鮮の歴史と社会|series=放送大学教材 2004|publisher=放送大学教育振興会|isbn=4-595-23759-6}}
*「初期韓国教会の民族教会的性格」李徳周(翻訳常石希望)(愛知大学言語と文化No.16 2007年)[http://leo.aichi-u.ac.jp/~goken/bulletin/pdfs/No16/09TsuneishiN.pdf][http://leo.aichi-u.ac.jp/~goken/bulletin/pdfs/NO17/TsuneishiN.pdf][http://leo.aichi-u.ac.jp/~goken/bulletin/pdfs/NO18/08TsuneishiN.pdf]
*「日本統治下末期の朝鮮における日本語普及・強制政策」井上薫(北海道大学教育学部紀要1997.6)[http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/29532/1/73_P105-153.pdf]
*「植民地朝鮮における朝鮮総督府の観光政策」李良姫(北東アジア研究第13号2007年3月 島根県立大学北東アジア地域研究センター)[http://www.u-shimane.ac.jp/36near/41kenkyu/file/13_09_lee.pdf][http://ci.nii.ac.jp/naid/40015705574/]
 
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Korea under Japanese rule}}
* [[朝鮮の歴史観]]
* [[朝鮮総督府]]
* [[京城府]]
* [[武断統治]]
* [[朝鮮総督府警察]]
* [[憲兵警察制度 (朝鮮総督府)]]
* [[朝鮮人日本兵]]
* [[朝鮮銀行]]
* [[朝鮮放送協会]]
* [[韓国併合]]
* [[国家神道]]-[[朝鮮神宮]]
* [[慰安婦]]
* [[3・1独立運動]]-[[提岩里事件]]
* [[光復節 (韓国)|光復節]]
* [[皇民化政策]]
* [[植民地]]
* [[日本統治時代]]
* [[日本統治時代 (台湾)|日本統治時代の台湾]]
* [[親日派のための弁明]]
* [[チンイルパ]]
* [[反日]]
* [[嫌韓]]
* [[李栄薫]]
 
== 外部リンク ==
* [http://www.ichijinsha.co.jp/special/uramichi/ 一迅社WEB | うらみちお兄さん]
* 西日本新聞 連載「あの時代 韓国発 日本統治と私」(2009年8月7日、8日、11日、12日、13日、14日、15日)[http://qnet.nishinippon.co.jp/travel/busan/news/20090807/20090807_0001.shtml][http://qnet.nishinippon.co.jp/travel/busan/news/20090807/20090807_0002.shtml][http://qnet.nishinippon.co.jp/travel/busan/news/20090808/20090808_0003.shtml][http://qnet.nishinippon.co.jp/travel/busan/news/20090811/20090811_0001.shtml][http://qnet.nishinippon.co.jp/travel/busan/news/20090812/20090812_0001.shtml][http://qnet.nishinippon.co.jp/travel/busan/news/20090813/20090813_0001.shtml][http://qnet.nishinippon.co.jp/travel/busan/news/20090814/20090814_0001.shtml][http://qnet.nishinippon.co.jp/travel/busan/news/20090815/20090815_0002.shtml]
* [https://comic.pixiv.net/works/3421 うらみちお兄さん - pixivコミック]
*「韓国国有林における伐出・育林事業の展開過程に関する史的研究」白乙善(北海道大学農学部演習林研究報告1990-02)[http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/21313/1/47(1)_P1-70.pdf]
* [http://uramichi-anime.com アニメ「うらみちお兄さん」公式サイト]
 
* [https://www.tv-tokyo.co.jp/anime/uramichi/ うらみちお兄さん テレビ東京アニメ公式]
{{Link GA|ru}}
* {{Twitter|uramichi_anime|アニメ「うらみちお兄さん」公式}}
{{朝鮮}}
{{先代次代|[[朝鮮の歴史]]|1910年 - 1945年|[[大韓帝国]]|[[連合軍軍政期 (朝鮮史)|連合軍軍政期]]}}
 
{{WOWOWアニメ}}
{{DEFAULTSORT:にほんとうちしたいのちようせん}}
{{DEFAULTSORT:うらみちおにいさん}}
[[Category:日本統治時代の朝鮮|*]]
[[Category:朝鮮の歴史]]
[[Category:日朝関係史]]
[[Category:植民地]]
[[Category:外地]]
 
[[Category:漫画作品 う|らみちおにいさん]]
[[ar:الاحتلال الياباني لشبه الجزيرة الكورية]]
[[Category:2017年の漫画]]
[[da:Korea under japansk overherredømme]]
[[Category:Pixivコミック]]
[[de:Korea unter japanischer Herrschaft]]
[[Category:一迅社の漫画]]
[[en:Korea under Japanese rule]]
[[Category:ギャグ漫画]]
[[eo:Japana imperialismo en Koreio]]
[[Category:ブラック・コメディ]]
[[es:Ocupación japonesa de Corea]]
[[Category:社会問題を題材とした漫画作品]]
[[fi:Korea Japanin miehityskaudella]]
[[Category:芸能界を舞台とした漫画作品]]
[[fr:Histoire de la Corée durant la colonisation japonaise]]
[[Category:テレビ局を舞台とした作品]]
[[he:הכיבוש היפני בקוריאה]]
[[Category:アニメ作品 う|らみちおにいさん]]
[[id:Penjajahan Jepang di Korea]]
[[Category:2021年のテレビアニメ]]
[[it:Corea sotto il dominio giapponese]]
[[Category:テレビ東京の深夜アニメ]]
[[ko:일제 강점기]]
[[Category:WOWOWの深夜アニメ]]
[[lt:Japonijos okupacija Korėjoje]]
[[Category:キングレコードのアニメ作品]]
[[ms:Pemerintahan Jepun di Korea]]
[[Category:一迅社の漫画を原作とするアニメ作品]]
[[nl:Japanse bezetting van Korea]]
[[Category:ムービックのアニメ作品]]
[[no:Japans kolonisering av Korea]]
[[Category:丸井グループのアニメ作品]]
[[pl:Generalne Gubernatorstwo Korei]]
[[Category:クロックワークスのアニメ作品]]
[[pt:Ocupação japonesa da Coreia]]
[[Category:ギャグアニメ]]
[[ro:Coreea în perioada ocupației japoneze]]
[[Category:社会問題を題材としたアニメ作品]]
[[ru:Корея под властью Японии]]
[[Category:芸能界を舞台としたアニメ作品]]
[[simple:Korea under Japanese rule]]
[[Category:継続中の作品]]
[[sv:Japans kolonisering av Korea]]
[[th:เกาหลีภายใต้การปกครองของญี่ปุ่น]]
[[zh:朝鮮日治時期]]
[[zh-yue:朝鮮日治時期]]