ページ「JR東日本キハ100系・キハ110系気動車」と「デウス堂」の間の差分

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{{Infobox church
{{画像提供依頼|国鉄急行色のキハ110の写真|date=2016年2月|cat=鉄道}}
| name = デウス堂跡
{{鉄道車両|unit=self
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|社色= #008000
| image = Oita deus do ato.jpg
|形式= JR東日本キハ100系・110系気動車
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|画像= JR East DC110.jpg
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|画像説明= 八高線を走行するキハ110系(折原駅 - 寄居駅間にて)
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|最高速度= 100[[キロメートル毎時|km/h]]
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|最大寸法= 17,000×2,928×3,995(キハ100系200番台)<br />20,500×2,928×3,995(キハ110系150番台以降)
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|機関出力=330[[馬力|PS]]/2000[[rpm (単位)|rpm]](キハ100系)<br />420PS/2000rpm(キハ110系)
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|駆動方式=液体式
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|台車形式=ボルスタレス台車
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|ブレーキ方式=[[電気指令式ブレーキ]]
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|保安装置=ATS-P, ATS-Ps, ATS-S<span style="font-size: smaller;">N</span>
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|メーカ=[[富士重工業]]・[[新潟鐵工所]]
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}}
 
'''キハ100系・キハ110系気動車'''(キハ100けい・キハ110けいきどうしゃ)は、[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)の[[一般形車両 (鉄道)|一般形気動車]]。
'''デウス堂'''(デウスどう)は、[[豊後国]][[府内 (豊後国)|府内]](現在の[[大分県]][[大分市]][[顕徳町]])に[[1553年]]([[天文 (元号)|天文]]22年)6月に建てられたとされる[[キリスト教]]の[[教会堂]]である。'''ダイウス堂'''、'''顕徳寺'''、'''府内教会'''とも呼ばれる。
 
== 概要 ==
[[1551年]](天文20年)、[[大友氏]]第21代当主[[大友義鎮]](宗麟)は[[イエズス会]]の[[宣教師]][[フランシスコ・ザビエル]]を府内に招き、[[キリスト教]]布教の許可を与えた。ザビエルはまもなく[[インド]]の[[ゴア州|ゴア]]に戻ったが、[[バルタザール・ガーゴ]]ら一行を布教のために府内に送った。一行は[[1552年]][[9月9日]](旧暦天文21年[[8月11日 (旧暦)|8月11日]])に府内に到着し、許可を得て布教を始める<ref name="tetsugaku">[https://ci.nii.ac.jp/naid/110006199979 西洋哲学伝来考:[[室町時代]]末期から[[明治時代|明治]]期まで] [[宮永孝]]、社会志林 52(1), 126-48, 2005-07、法政大学</ref>。また、彼らは土地を与えられて修院(casa professa)と聖堂(capella)を建設。[[1553年]][[7月22日]](旧暦天文22年[[6月11日 (旧暦)|6月11日]])の[[マグダラのマリア]]の祝日には大きな[[十字架]]が掲げられたと記録されている<ref name="tetsugaku" />。
老朽化した[[国鉄キハ20系気動車|キハ20系]]・[[国鉄キハ45系気動車|キハ45系]]などの取り替えとローカル線における輸送サービスの改善を目的に製造され、[[1990年]]([[平成]]2年)[[3月10日]]に[[北上線]]でキハ100形、[[釜石線]]と[[山田線]]でキハ110形量産先行車がそれぞれ営業運転を開始した。製造メーカーは[[富士重工業]]および[[新潟鐵工所]]である。
 
この教会はポルトガル語ではNossa Senhora da Piedade(ノッサ・セニョーラ・ダ・ピエダデ。「わが慈悲の聖母の教会」という意味。)と呼ばれた。[[江戸時代]]に描かれた『府内古図』には大友氏館の西側にダイウス堂として描かれており<ref>[https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/95170 府内古図 文化遺産オンライン]</ref>、これらの史料から、デウス堂は現在の大分市顕徳町にあったものと推定されている。また、現在の顕徳町という地名も、デウス堂を仏教寺院風に'''天徳寺'''と呼んでいたものが、後に顕徳寺に転訛し、一帯が顕徳寺町と呼ばれるようになったことに由来するとされる<ref>{{PDFlink|[http://www.nan-nan.jp/lib/oita019a1.pdf デジタルブック版『大分今昔』 第十九章 東新町かいわい]}} 渡辺克己、[[大分合同新聞社]]、2007年12月21日</ref>。
気動車であるが、車体と[[鉄道車両の台車|台車]]の軽量化を図り、高出力直噴式[[ディーゼルエンジン|エンジン]]と効率の高い[[トルクコンバータ|液体変速機]]との組み合わせにより[[電車]]並みの性能を有している。ブレーキシステムも電車で実績のある応答性の高い[[電気指令式ブレーキ|電気指令式]]を採用し、連結器も密着連結器であるため、従来車との併結はできない。
 
== デウス堂跡の碑 ==
本系列の導入により、特に急勾配の多い[[山岳路線]]では速度向上による時間短縮が実現した。さらに[[エア・コンディショナー|冷房装置]]を搭載したことにより、夏期における旅客サービスの向上が図られている。
デウス堂があったと推定される大分市顕徳町2丁目には、デウス堂跡の碑が建立されている。
 
敬虔なカトリック信者であった第3代大分市長[[上田保]]は、市長在職中の[[1952年]]4月、この付近を大分市が買い上げて、デウス堂を復元するとともに、[[キリシタン]]関連の資料を展示するキリシタン文化[[博物館]]を建設し、一帯をデウス堂跡記念公園として整備する構想を掲げたが、実現しなかった<ref>{{PDFlink|[http://www.nan-nan.jp/lib/ueda010a1.pdf 『ロマンを追って 元大分市長上田保物語』 第十章「ロマンチスト」]}} 中川郁二、大分合同新聞社、2003年2月15日(デジタル版:2008年5月16日)</ref>。
=== 車両系列・形式の呼称について ===
本系列は短尺のキハ100系のグループと長尺のキハ110系のグループがある。両車は基本設計に共通部が多いこともあり、「キハ100・110系」と呼称される<ref>{{Cite web|url=http://www.jreast.co.jp/train/local/kiha110.html|title=在来線[キハ100/キハ110系]|accessdate=2016-12-03|publisher=東日本旅客鉄道株式会社}}</ref>。ただし、相違点も多いため、本項目では便宜上、短尺車体のグループをキハ100系、長尺車体のグループをキハ110系と呼称する。
 
==== キハ100系所在地 ====
* 〒870-0025 大分県大分市顕徳町 2丁目2-5<ref>[http://oita-catholic.jp/publics/index/117/ デウス堂跡 カトリック大分司教区]</ref>
16 - 17m級車体の車両である。いずれも両運転台。
* キハ100形
* キハ101形([[列車便所|トイレ]]なし)
 
* 交通
==== キハ110系 ====
** [[九州旅客鉄道|JR九州]][[大分駅]]から徒歩約20分
20m級車体となっており、片運転台車も設定されている。キハ111形とキハ112形は1両単位で分割することも可能であるが、基本的に同番号の車両とユニットを組んで運用される。
** [[大分バス]]顕徳町停留所下車、徒歩約3分
* キハ110形:両運転台車
* キハ111形:片運転台車
* キハ112形:片運転台車([[列車便所|トイレ]]なし)
 
== 諸元 ==
 
==== 機関 ====
{{Sound|JR east akitarelayNo.19 kiha110-305 ohmagari.ogg|キハ110-305の走行音(3019D 秋田リレー19号、5号車)|(奥羽本線横手駅 - 大曲駅間、1996年9月21日)}}
キハ100系は[[DMF11系エンジン|DMF11HZ]]([[小松製作所|コマツ]]製SA6D125-H)または[[DMF13系エンジン (2代)|DMF13HZ]]([[新潟鐵工所]]製)(ともに連続[[定格]][[出力]]330PS/2000rpm、排気量11.04または12.7[[リットル|l]])、キハ110系は[[DMF13系エンジン (2代)|DMF13HZA]](新潟鐵工所製)または[[DMF14系エンジン|DMF14HZ]]([[カミンズ]]製NTA-855-R4)である(ともに連続定格出力420PS/2000rpm、排気量は13.3または14.0l)。いずれも小型軽量の[[直列6気筒]]、[[燃焼室#直接噴射式|直接噴射式]]エンジンで、[[ターボチャージャー|排気タービン過給器]]・[[インタークーラー|吸気冷却器]]付きであり、これを1台搭載している。小型軽量のエンジンで、[[乾燥重量]]は[[国鉄キハ40系気動車 (2代)|キハ40系]]のDMF15HSAの2,720kgに対して1,365kgとなっている。
 
==== 液体変速機 ====
変速機は試作車・量産車を通じ、全ての形式が[[トルクコンバータ]]を1組内装する[[気動車・ディーゼル機関車の動力伝達方式#液体式(流体式)|液体式]]である。
 
キハ100系はDW14Bを1台、キハ110系についてはDW14A-Bを1台搭載する。湿式多板[[クラッチ]]式の変速1段、直結2段の多段式で、[[トルクコンバータ]]は3段6要素である。コンバータブレーキ機能も搭載している。
 
なおキハ110形量産先行車は充排油式の変速1段、直結(流体継手)1段式の[[フォイト]]製T211rzで、[[リターダ]]ブレーキ機能付きであったが、量産化改造時に他と同様とされた。
 
いずれも[[プログラマブルコントローラ]]により機関と共に制御され、[[力行]]指令は5[[ノッチ]]、変直の切り換えも自動である。
 
==== ブレーキ ====
[[応荷重装置]]付[[電気指令式ブレーキ|電気指令式]][[空気ブレーキ]]装置で、制御装置形式はC-76、常用(8ノッチ)、[[非常ブレーキ|非常]]、直通予備([[保安ブレーキ]]として使用)、耐雪、[[抑速ブレーキ|抑速]](2段指令で押しボタン式)の各ブレーキを装備している。このうち、抑速ブレーキは[[エンジンブレーキ|機関ブレーキ]]+コンバータブレーキ(キハ110形量産先行車はリターダブレーキ)で対応し、空気ブレーキは使用しない。ブレーキシステムも電車で実績のある応答性の高い[[電気指令式ブレーキ|電気指令式]]を使用しており、小型密着自動連結器を装備する在来車とは[[連結器]]の形状が異なっている(密着連結器)ため、併結はできない。なお、後年登場した同じく電気指令式ブレーキの[[JR東日本キハE130系気動車|キハE130系]]・[[JR東日本キハE120形気動車|キハE120形]]とは混結が可能となっている。<gallery>
ファイル:Kiha-E130&kiha-110.jpg|キハE130系と併結するキハ110系100番台<br />(2007年5月19日)
ファイル:KihaE120-1 Kiha110.jpg|キハE120形(手前)と併結するキハ110形200番台(奥)
</gallery>
 
==== 性能 ====
キハ100系・110系とも25‰で、補機負荷100%・乗車100%でも60km/h以上を出すことができる。
 
例えば50 km/h での[[動輪]]周引張力で比較すると、キハ110系は約1,300 kg で、[[国鉄キハ20系気動車|キハ20系]]の約600 kg や、キハ40系の約800 kg と比較して大幅に向上しており、25 [[パーミル|‰]] の上り勾配で、[[補機]][[負荷]]100 %・[[定員|乗車率]]100 % でも60 km/h 以上の[[均衡速度]]となっている。
 
==== 台車 ====
いずれも[[ボルスタレス台車|ボルスタレス式]]の[[空気バネ]][[鉄道車両の台車|台車]]で、動台車は2軸駆動、基礎ブレーキはユニット式である。
 
キハ100系は動台車がDT59・従台車はTR243となっている。
 
キハ110系は動台車がDT58・従台車がTR242であるが、量産車では動台車が減速機の歯数比の変更により動台車はDT58Aに区分されており、200番台の陸羽東線・陸羽西線向け増備車については台車は軸ばねをロールゴムから円すいゴムへ変更した、DT58B形・TR242A形となっている。
 
キハ100系とキハ110系では[[ホイールベース|軸距]]の違い(2,000mmと2,100mm)がある。
 
==== 冷暖房 ====
[[冷房]]は[[圧縮機|コンプレッサ]]を機関で駆動する[[機関直結式冷房装置|機械式]]の[[AU26|AU26J-B]]×1台(キハ100形)・AU26J-A×2台(キハ110・111・112形)で、除湿機能付き、[[暖房]]は機関の廃熱を利用する温水・温風方式であるが、始動性のよい直噴エンジンの採用により機関予熱器を装備しないため、下り勾配での暖房能力低下対策としてコンバータブレーキでの[[オートマチックトランスミッション#ATFまたはATフルード|変速機油]]の廃熱を暖房に利用している<ref>ちなみに、酷寒地用の[[北海道旅客鉄道]](JR北海道)[[JR北海道キハ150形気動車|キハ150形]]では、直噴エンジン搭載車であるにも関わらず、極寒時対策として機関予熱器を装備している。</ref>。
 
==== 車体 ====
車体は角を落とした独特の形状、[[炭素鋼|普通鋼]]製ながら板厚の見直しと強度に無関係な箇所への穿孔、プラグドア化および固定窓化による側構体の厚みの低減(50mm、通常の電車は100mm)により軽量化を図っている(その後、各200番台以降は通常の引き戸とされている)。車内温度保持のために、客用ドアは[[自動ドア#半自動|半自動]]式であり、ドアの横に開閉スイッチが設置されている。また、[[ドアチャイム]]も搭載されている。床面高さは1,175mmである。塗装は一部の特別仕様車を除いて共通となっており、わずかに緑がかった白色(「ベリーペールグリーン」)を基本に、車体隅などに「ダークライムグリーン」をアクセントとした。窓は複層ガラスの固定窓で、試作車については吹き寄せおよびトイレ部分にもダミーガラスを使用して連続窓風としている。
 
また、試作車は登場当時先頭車の正面の左右の塗装が黒色だったが、後に量産車に合わせて、べリーペールグリーンに変更された。
 
キハ100・101形(および登場時のキハ110形0番台)については幌枠の形状がキハ110系列とは異なっており、そのままでは幌を直接つなぐことはできない。
 
{{-}}
 
== 形式・番台区分 ==
=== キハ100系 ===
 
==== キハ100形0番台 ====
[[ファイル:JR East KiHa 100-37.JPG|thumb|200px|キハ100形0番台<br />(2006年10月9日 / [[気仙沼駅]])]]
キハ100系グループの初陣として46両が製造された初期車である。うち、1 - 4は量産先行車として落成した。
 
ワンマン運転を前提に運転台は半室構造となっており、側面は左右非対称となっている。車内はセミクロスシートで、クロスシート部は2+2の配列である。
 
大船渡・北上線向けが[[一ノ関運輸区]]、釜石・山田線向けが盛岡客車区(→[[盛岡車両センター]])にそれぞれ投入された。
 
のちに、2010年12月ダイヤ改正での大湊線の編成増強と大湊駅 - 八戸駅間直通列車を増発するためキハ100-21が2010年11月下旬に、2014年3月ダイヤ改正での大湊線の快速「しもきた」増発および多客期増結対応によりキハ100-20がそれぞれ盛岡から[[八戸運輸区]]へ転属し、200番台と混用されている。
 
===== POKÉMON with YOUトレイン =====
[[ファイル:JR-East "Pokemon With You Train" Kiha100.jpg|thumb|200px|ポケモン With You トレイン<br />(気仙沼駅にて)]]
[[大船渡線]]を中心に運転される「[[POKÉMON with YOUトレイン]]」専用車として、[[郡山総合車両センター]]で改造された。車両は、一ノ関運輸区所属のキハ100-1・3を改造している<ref>[http://railf.jp/news/2012/12/13/180000.html キハ100形「POKÈMON With YOU トレイン」が回送される] - railf.jp 鉄道ニュース、2012年12月13日(2012年12月30日閲覧)</ref>。内外装ともに[[ポケットモンスター]]のキャラクターを装飾するなど手が加えられているが、車号の変更はされず、駆動機関や台車などの変更は行われていない<ref>[http://railf.jp/news/2012/12/13/180000.html railf.jp 鉄道ニュース、2012年12月13日(2012年12月30日閲覧)]</ref>。
 
2012年12月22日から(ただし、28日までは事前招待客のみが対象)臨時列車として大船渡線の一ノ関駅 - 気仙沼駅間で運行を開始している<ref>{{PDFlink|[http://www.jreast.co.jp/press/2012/20121004.pdf 東北のこどもたちに笑顔を! 「POKÉMON with YOU トレイン」がデビューします!]}} - 東日本旅客鉄道 プレスリリース 2012年10月12日</ref>。このほか、2014年には[[東日本大震災]]復興支援事業の一環として、同年1月から2月にかけて[[水郡線]]・[[常磐線]]・[[総武本線]]・[[磐越西線]]・[[磐越東線]]・[[只見線]]・[[左沢線]]へ出張運転されている<ref>{{PDFLink|[http://www.jreast.co.jp/chiba/news/pdf/pre_20131115pokemon.pdf POKÈMON With YOU トレインが千葉で運転されます!]}} JR東日本千葉支社公式ニュースリリース</ref>。
 
==== キハ100形200番台 ====
{{Double image aside|right|JR-East-Kiha100-200.jpg|200|JRE DC100-204 inside.jpg|200|キハ100形200番台<br />(2010年12月 / [[野辺地駅]])|キハ100形200番台&nbsp;車内<br />(2008年6月 / [[青森駅]])}}
[[大湊線]]で使用されていたキハ40形を置きかえるために201 - 205の5両が製造された改良型で、後述のキハ110・111・112形200番台同様の設計変更が行われている。
 
客用ドアは0番台の[[プラグドア|プラグ式]]から引き戸式に変更されたほか、[[1992年]]に発生した[[日本の鉄道事故 (1950年から1999年)#成田線大菅踏切事故|成田線大菅踏切事故]]を受けて、運転台部分の強化のため車端部が各250mm延長された。
 
[[八戸運輸区]]に投入され、[[大湊線]]と[[青い森鉄道線]](←東北本線)で運用されている。{{-}}
 
==== キハ101形 ====
[[ファイル:JR East KiHa 101-9.JPG|thumb|200px|キハ101形「フルーツライナー」<br />([[山形駅]])]]
[[左沢線]]用に13両が製造された。車体はキハ100形200番台の仕様に準拠しているが、系列では唯一のオール[[鉄道車両の座席#ロングシート(縦座席)|ロングシート]]・トイレなしとなっている。
 
車内の床材はピンクの色の物とブルーの色の物がある。ロングシートに座ると床材の足元部に黒い線が敷いてあるが、これは足を線の内側に置くようにするためである。[[優先席]]近くにはオレンジ色の[[つり革]]が設置されている。車体塗色は同線独自のものを使用するとともに、側面に「<span style="font-size: smaller">FRUITS</span> LINER(フルーツライナー)」のアルファベット文字が施されている。[[運賃表示器]]は設置車と未設置車があったが、現在は全車両に液晶ディスプレイ([[LCD]])の運賃表示器が設置されている。かつての運賃表示器未設置車については運賃表示器の代わりに運賃表のステッカーを貼付してある。なお、LCDの運賃表示器が設置された現在もステッカーは貼付されたままである。運転台はキハ100形同様に半室運転台を採用しており、助士側で車掌がドア扱いを実施している時に乗客が立ち入らないように柵が設置されている。
 
当初は[[新庄運転区]]配置であったが、[[山形新幹線]]の[[新庄駅|新庄]]延伸に伴い山形電車区(現・[[山形車両センター]])に転配された。導入以来[[左沢線営業所]]を拠点として運用されている<ref>山形車両センター内はすべて標準軌のため、狭軌の本車は入線できない。</ref>。キハ101-12とキハ101-13には左沢寄りに[[メガホン]]が設置されている。
{{-}}
 
=== キハ110系 ===
==== 0番台 ====
{{Double image aside|right|Kiha 112-1 Hamayuri Morioka 20070310.jpg|200|Kiha111-1 inside.jpg|200|キハ110形0番台<br />(2007年3月10日 / 盛岡駅)|キハ111形0番台(キハ111-1) 車内<br />(2009年8月28日 / [[上有住駅]] - [[陸中大橋駅]]間)}}
[[急行列車]]用として投入された番台である。キハ110形5両、キハ111・112形2両編成3本の計11両が製造された。うちキハ110-1 - 3は量産先行車である。
 
室内は他の番台と異なり940mmピッチの回転[[リクライニングシート]]を装備し、照明にはグローブがつけられている。デッキは省略されているが、ガラス製の仕切りが設けられている。この番台のみキハ111・112形の後位側の貫通扉は前面と同じ狭幅となっており、通常ユニットで運用されるキハ111・112形も1両単位で運用されることが多い。また、前面のスカートがパイプ式となっていることも特徴である。
 
[[2011年|2016年]]現在、JRグループにおいて急行列車で使用されることを前提として新製された最後の車両である。なお、2013年にキハ111-2およびキハ112-2は、700番台に改造されている。
 
当初は全車が盛岡客車区(→[[盛岡車両センター]])に配属され、東北・釜石・山田線[[急行列車|急行]]「[[はまゆり (列車)|陸中]]」で使用を開始した。2002年の「陸中」廃止後は、後継の[[快速列車|快速]]「はまゆり」をはじめ、釜石線および東北本線[[日詰駅]] - 盛岡駅間の普通列車に使用されている。快速「はまゆり」では、[[座席指定席|指定席]]となる3号車に優先的に使用される。また、東日本大震災以前の2007年7月から2011年3月までは一部が[[小牛田運輸区]]に所属し、[[石巻線|石巻]]・[[気仙沼線]]快速「[[南三陸 (列車)|南三陸]]」の指定席車両でも使用されていた。2016年現在は全車が盛岡所属となっている。
 
{{-}}
 
==== 100番台 ====
[[ファイル:JR-East-Kiha110-108.jpg|thumb|200px|キハ110形100番台<br />(2013年12月26日 / [[石巻駅]])]]
[[ファイル:JRE DC110 100.jpg|thumb|200px|キハ111形100番台<br />(2008年7月26日 / [[仙台駅]])]]
普通列車用として設計され、キハ110形39両、キハ111・112形2両編成21本の計81両が製造された。
 
車内はセミクロスシートであるが、クロスシートはキハ100形と異なり、ワンマン運転時の旅客の[[動線]]や混雑時を考慮して横2+1列配置となっている。また、この番台以降、キハ111・112形の後位側貫通引き戸は[[JR東日本701系電車|701系]]に見られるような両開きのものが採用されているため、ユニットを分割する場合、貫通扉にアダプターの装着が必要となっている。
 
[[磐越東線営業所]](→[[郡山総合車両センター郡山派出所]])を皮切りに[[新津運輸区]]・[[小海線営業所]]や[[水郡線営業所]]に投入された。うち、新津運輸区投入車は後述の200番台投入でいったん全車が水郡線営業所に転属している。のちに水郡線営業所所属車についても[[JR東日本キハE130系気動車|キハE130系]]投入による後述の転用により[[盛岡車両センター]]や[[小牛田運輸区]]、[[新津運輸区]]へ転属している。
 
==== 150番台 ====
[[ファイル:JR-East-Kiha112-152.jpg|thumb|200px|キハ112形150番台<br />(2010年11月22日 / [[大館駅]])]]
キハ111・112形2両編成2本が製造された。キハ110形は存在しない。水郡線営業所に投入された。
 
100番台が運用されていた水郡線の増備車という位置づけであるが、製造が200番台へ移行していた後の製造であるため、後述の200番台と同様、運転台強化に伴う車体延長や、引き戸化が行われている一方、床面高さは100番台の仕様である。
 
水郡線からの撤退後は盛岡車両センターに転属し、その後151は小牛田運輸区へ再転属している。
{{-}}
 
==== 200番台 ====
キハ110形50両、キハ111・112形2両編成21本の計92両が製造された。そのうち、キハ110形14両(223 - 236)とキハ111・112形2両編成3本(210-212)の計20両は、後述の300番台からの改造車である。
 
この番台は100番台と同様普通列車用となっているが、マイナーチェンジが行われており、ドアが引き戸式となりステップ高さも下げられたほか、運転台強化に伴う車体延長が行われている。
 
300番台改造車はロングシート部にもテーブルを兼ねていた窓枠がそのまま残ったほか、蛍光灯にはカバーがあるなどの差異が見られる。
 
[[新津運輸区]]、[[長野総合車両センター|長野総合車両所]](→長野総合車両センター)、高崎運転所(→[[高崎車両センター|高崎車両センター高崎支所]])、[[小牛田運輸区]]に投入された。特に、長野所属車は全て300番台からの改造車である。
 
<gallery perrow="4" widths="160" style="font-size:90%;">
ファイル:JRE-DC111.jpg|キハ111形200番台<br />(2005年8月12日 / [[高麗川駅]])
ファイル:Kiha110-206 Yonesaka Line.jpg||キハ110形200番台<br />(2016年10月6日 / 米沢駅)
ファイル:Hachiko Line KiHa 110-209 interior 200612.jpg|キハ110形200番台 車内(八高線)<br />(2006年12月 / [[高崎駅]])</span>
ファイル:Jre kiha110 cab.jpg|キハ110形200番台 運転席<br />(2007年2月24日 / 酒田駅)
</gallery>
 
==== 飯山線眺望車ふるさと→おいこっと ====
キハ110-235(←313), 236 (←314) は、後述する300番台からの改造時、[[飯山線]]向けに「眺望車"ふるさと"」として座席のすべてがレール方向([[信濃川|千曲川・信濃川]])に向いたオールロングシートに改造され、飯山線沿線の景色が楽しめるようになっていた。
 
その後他車と同一の仕様に改造されていたが、[[2015年]]の[[北陸新幹線]]の[[金沢駅|金沢]]延伸にあわせ、飯山線の観光列車「[[おいこっと]]」の専用車として、[[長野総合車両センター]]で改造が行われている。駆動機関や台車などの変更、改番は行われていない<ref>[http://rail.hobidas.com/blog/natori/archives/2014/12/25_14.html 飯山線の観光列車"おいこっと"登場。]</ref>。
 
外装は[[アイボリー]]と[[えんじ色|えんじ]]を基調に五線譜をイメージした格子様の塗装がなされ、沿線出身の[[高野辰之]]が作詞した唱歌「[[故郷 (唱歌)|故郷]]」をイメージするアイコンがつけられている。ただし、前頭部のみ、235と236で色が反転している。
 
内装は「田舎のおばあちゃんち」を意識した古民家風とし、ロングシート部がソファタイプになり、ボックス部には着脱式のテーブルの設置が可能となっている。カーテンについても[[障子]]風の柄のブラインドへ変更されている。また、トイレが和式から、車いす対応の洋式へ変更されている。なお後述のように観光列車だけでなく、定期列車にも投入されるため、つり革や優先席は存置された。
 
2014年[[12月23日]]に先行して落成したキハ110-235が[[飯山駅]]で展示され、[[2015年]][[1月2日]]から定期列車の運用に投入された。236の改造が終了した2015年4月4日より臨時快速「おいこっと」として運用が開始された<ref>{{PDFlink|[http://www.jreast.co.jp/nagano/pdf/140718-2.pdf 飯山線に新しいコンセプトの列車が誕生します。]}}</ref><ref>[http://www.jreast.co.jp/nagano/oykot/qa.html 飯山線観光列車 おいこっと おいこっとQ&A]</ref><ref>[http://response.jp/article/2015/04/05/248359.html 飯山線の観光列車『おいこっと』運行開始…「古民家」風の車両] - レスポンス、2015年4月5日</ref>。「おいこっと」のほか、定期列車として[[飯山線]]全線、[[しなの鉄道北しなの線]]([[長野駅]] - [[豊野駅]]間)、[[上越線]]([[越後川口駅]] - [[長岡駅]]間)で運用される。
 
<gallery perrow="4" widths="160" style="font-size:90%;">
ファイル:JREast Kiha110-235 oykot 20150510 02.jpg|キハ110形200番台 おいこっと <br /> (2015年5月 / [[十日町駅]])
ファイル:Kiha110-236 OYKOT inside.jpg|キハ110-236「おいこっと」車内
</gallery>
 
===== 陸羽東線・陸羽東線向け車両 =====
[[1999年]]12月の[[山形新幹線]][[新庄駅|新庄]]延伸に合わせ、陸羽西線(キハ110-237 - 245)と陸羽東線に投入された車両(キハ111・112-213 - 221)は本系列の最終増備車となり、設計変更がなされている。いずれも小牛田運輸区に配置された。
 
外観は専用塗装とし、「雪景色」の白をベースに「豊かな自然」の緑を用いている。窓下にはアクセントカラーとして、陸羽西線向けのキハ110形は「最上川のもたらす豊かな恵み」の黄色、陸羽東線向けのキハ111・112形は「鳴子渓谷の紅葉をイメージした」赤色を配している。先頭車前面左下に両線の愛称にちなみ「[[奥の細道]]」の文字が表記されている<ref>このほか、ドア横にキハ110は「Mogami-gawa Line」キハ111・112は「Yukemuri Line」のロゴが入っていたが、後に消去されている。</ref>。なお、塗装については[[1998年]]度導入分のキハ111・112-213 - 217については従来のもので登場したのち、1999年度増備車に合わせ変更されている。また、現在では明確な線区の区分は消滅し、両線の共通車となっている。
 
客室については基本的に従来通りであるが、熱戦吸収ガラスを採用し、カーテンを省略している。また便所はいずれも車いす対応の洋式となり、キハ111形については300番台同様車端部に移設されている。また、側面の[[行先表示器]]はキハ111形については省略、キハ112形は車端部に移設されている。
 
キハ110-243 - 244の3両については「眺望車」とされ、1列側のクロスシートが窓側に45[[度 (角度)|°]]回転あるいは通路側に180°回転可能となっている。そのためこの3両は定員が112名に減少している。
 
機器面でも、ワンマン機器がバス用の改良品から鉄道車両用のものとなり、自動放送装置もROM方式からICカード方式となっている。台車は軸ばねをロールゴムから円すいゴムへ変更した、DT58B形・TR242A形に変更されている。
 
<gallery perrow="4" widths="160" style="font-size:90%;">
ファイル:JRE-DC111-221.jpg|キハ111形200番台<br />(2009年7月25日 / [[鳴子温泉駅]])
ファイル:KiHa 110-237 Naruko-Onsen 20070816.jpg|キハ110形200番台<br />(2007年8月16日 / 鳴子温泉駅)
ファイル:KiHa 110-243 interior 20070224.jpg|キハ110形200番台<br />回転式クロスシート(陸羽東線・陸羽西線)<br />(2007年2月24日 / 酒田駅)
</gallery>
 
===== 300番台 =====
[[ファイル:Akita-relay.jpg|thumb|200px|特急「秋田リレー号」として運転されるキハ110形300番台<br />(1997年2月 / 北上駅)]]
[[秋田新幹線]]工事に伴い、[[田沢湖線]]が改軌などのため[[1996年]](平成8年)[[3月30日]]から翌[[1997年]](平成9年)[[3月21日]]までの約1年間全線運休になったため、同線を走る[[特別急行列車|特急]]「[[こまち (列車)#田沢湖線優等列車「南八幡平」・「たざわ」|たざわ]]」の代替として北上線経由で運転された特急「[[こまち (列車)#新幹線接続特急「秋田リレー」|秋田リレー号]]」に使用された。
 
キハ110形14両(301 - 314)、キハ111・112形2両編成3本(301 - 303)の計20両が製造され、[[秋田車両センター|南秋田運転所]]に配属された。JR東日本の定期運転の列車で初めて<!--「唯一」と言い切るのは尚早-->の気動車特急でもあった。仕様面では当時増備が進んでいた200番台を基本としている。
 
外観はホワイト系の地色にタークピンクと灰色、ライトパープルで塗装され、前面と側面に先頭車の前面に[[竿燈|竿灯]]をデザインした[[イラストレーション|イラスト]]と「AKITA」の文字が施されていた。
 
車内は[[JR東日本E217系電車|E217系電車]]のグリーン車と同様の回転リクライニングシート(950mmピッチ)を採用したが、キハ111形を除き、灰皿をひじ掛けに追加している。デッキ部には自動扉つきの仕切りが設けられており、客室後位側には各車とも荷物置き場を設置している。なお、キハ112形は後位側車端部にも座席を1列設置しているがここについては仕切り扉を設置せず大形のガラス製の仕切りのみとなっている。キハ111と112形後位の貫通引き戸についてはドアクローザーを設置している。室内灯についても蛍光管を2本としてカバーで覆っている。
 
便所はキハ111形については車端部となり洋式のものが設置されているが、キハ110形については引き続き和式となっている。
 
秋田新幹線開業後は「信州循環列車」([[長野駅|長野]]→[[小諸駅|小諸]]→[[小淵沢駅|小淵沢]]→[[松本駅|松本]]→長野間に運転された[[臨時列車]])などで運用された後、塗色と内装を他の番台と同様のものに変更し、200番台(キハ110-223 - 236、キハ111・112-210-212)に編入した。改造後はキハ110-223・224が新津運輸区、その他は長野総合車両所に投入されている。また、リクライニングシートは当時増備が進んでいたE217系電車のグリーン車に流用された。
{{-}}
 
==== 700番台 ====
[[File:TOHOKU EMOTION ─東北エモーション─.JPG|thumb|キハ110形700番台 TOHOKU EMOTION<br />(2014年10月12日 / 陸奥白浜駅 - 鮫駅間にて)]]{{Main|TOHOKU EMOTION}}
[[八戸線]]で運転される[[ジョイフルトレイン]]「[[TOHOKU EMOTION]]」専用車として、0番台と100番台から2013年9月26日に[[郡山総合車両センター]]で改造された。番号の新旧対照は次のとおり<ref>「JR電車編成表2014冬」ISBN 9784330424132 p.360。</ref>。
* キハ111-2→キハ111-701
* キハ112-2→キクシ112-701<rEF>キクシ112-701はディーゼルエンジンを搭載してはいるもののサービス電源用となっており走行用には使用されないためキクシとなっている</rEF>
* キハ110-105→キハ110-701
 
 
{{-}}
 
=== 特別塗装車 ===
* 小海線開業80周年記念事業の一環としてキハ110形キハ110-121が首都圏色に塗装変更された<ref>[http://railf.jp/news/2015/03/07/170000.html キハ110-121が首都圏色に] railf.jp 鉄道ニュース、2015年3月7日</ref>。その後キハ111・112-111も国鉄急行色に塗装変更された<ref>{{PDFlink|[http://www.jreast.co.jp/nagano/pdf/150227-2.pdf 小海線全線開通80周年を記念し、キハ110系車両の塗色を変更します。]}}</ref> 。
*八高線全線開通80周年記念事業の一環としてキハ110形キハ111・112-204が、八高線をかつて走ったキハ38系の塗色に2014年10月から変更された<ref>{{PDFlink|[https://www.jreast.co.jp/takasaki/news/docs/20140822_7_1.pdf 「八高線全線開通80周年記念」イベントの実施について]}}</ref><ref>[http://railf.jp/news/2014/10/08/120000.html 八高線80周年記念カラーのキハ111・112が甲種回送される]</ref>。
 
<gallery perrow="4" widths="160" style="font-size:90%;" styles="font-size:90%;">
ファイル:JR East KiHa 110-121 tarako calor.jpg|首都圏色に変更されたキハ110-121
ファイル:Kiha111.jpg|国鉄急行色に変更されたキハ111-111
ファイル:八高線.JPG|八高線色のキハ111-204
</gallery>
 
== 車両配置と運用路線 ==
=== 盛岡支社管内 ===
* [[盛岡車両センター]] - [[花輪線]]全線、[[釜石線]]全線、[[山田線]]([[盛岡駅]] - [[宮古駅]]間)、[[東北本線]]([[花巻駅]] - 盛岡駅間)、[[いわて銀河鉄道線]](盛岡駅 - [[好摩駅]]間・花輪線直通)で運用される。
* [[一ノ関運輸区]] - [[北上線]]全線、[[大船渡線]]([[一ノ関駅]] - [[気仙沼駅]]間)、[[東北本線]](一ノ関駅 - [[北上駅]]間)で運用される。
** かつては間合い運用で[[三陸鉄道南リアス線]]、[[三陸鉄道北リアス線]]、[[奥羽本線]][[横手駅]] - [[湯沢駅]]間にも入線していた時期があった。
* [[八戸運輸区]] - 一般車は[[大湊線]]全線、[[青い森鉄道線]]([[八戸駅]] - [[青森駅]]間)での運用。観光列車「TOHOKU EMOTION」は[[八戸線]]全線で運用される。
 
=== 仙台支社管内 ===
* [[郡山総合車両センター]]郡山派出 - [[磐越東線]]全線で運用される。
* [[山形車両センター]] - [[左沢線]]全線で運用される。
* [[小牛田運輸区]] - [[陸羽東線]]全線、[[陸羽西線]]全線、[[石巻線]]全線、[[羽越本線]]([[余目駅]] - [[酒田駅]]間・陸羽西線直通)、[[気仙沼線]]([[前谷地駅]] - [[柳津駅 (宮城県)|柳津駅]]間)で運用される。
** 2011年からは震災後に運行再開した[[仙石線]][[陸前小野駅]] - [[石巻駅]]間でも、[[津波]]による[[直流電化|電化]]設備損傷のため同線の[[国鉄205系電車|205系]]に代わって運用されたが<ref name="senseki">仙石線ではホームの高さの関係から、[[ステップ]]が閉塞されている。</ref>、2015年5月30日の同線全線運行再開および[[仙石東北ライン]]開業に伴うダイヤ改正により、仙石線での運用は終了し、代わりに石巻線全線での運用を開始した<ref name="jrsendai150226">{{PDFlink|[http://www.jr-sendai.com/wp-content/uploads/2015/02/201505daiyakaisei.pdf 「2015年5月ダイヤ改正について」]}}(JR東日本仙台支社 2015年2月26日)</ref>。
 
=== 新潟支社管内 ===
* [[新津運輸区]] - [[米坂線]]全線、[[磐越西線]]([[会津若松駅]] - [[新津駅]]間)、[[信越本線]](新津駅 - [[新潟駅]]間)、[[羽越本線]](新津駅 - [[酒田駅]]間)、[[白新線]](新潟駅 - [[新発田駅]]間)で運用される。
 
=== 長野支社管内 ===
* [[長野総合車両センター]] - 「おいこっと」を含め[[飯山線]]全線、[[しなの鉄道北しなの線]]([[長野駅]] - [[豊野駅]]間)、[[上越線]]([[越後川口駅]] - [[長岡駅]]間)で運用される。
* [[小海線営業所]] - [[小海線]]全線で運用される。
 
=== 高崎支社管内 ===
* [[高崎車両センター]]高崎支所 - [[八高線]]([[高崎駅]] - [[高麗川駅]]間)で運用される。
 
== 水郡線からの撤退と他線への転用 ==
[[水郡線]]では、キハ110系が2扉であることが混雑の激しい[[水戸駅|水戸]]口での列車遅延の要因となっていた。そのため、[[2006年]](平成18年)から[[2007年]](平成19年)度にかけて3扉の新型車両[[JR東日本キハE130系気動車|キハE130系]]を投入し、同線に在籍するキハ110系全車を他線へ転出させることとした。水郡線でのキハ110系の営業運転は2007年9月12日をもって終了した。
 
=== 2006年度 ===
*キハE130系を24両投入、キハ110系24両を捻出。
**19両は[[盛岡車両センター]]に転配し、[[小海線]]での[[波動輸送|波動]]車見直しで余剰となる2両と合わせて[[花輪線]]の[[国鉄キハ58系気動車|キハ58系]]16両と[[国鉄キハ20系気動車#キハ52形|キハ52形]]3両を置き換え(キハ52形の残り2両は予備車として2007年度末まで在籍)。
**5両は[[小牛田運輸区]]に転配し、[[国鉄キハ58系気動車|キハ28形]]2両を[[廃車 (鉄道)|廃車]]して[[国鉄キハ40系気動車 (2代)|キハ40系]]3両を[[只見線]]用として[[郡山総合車両センター#会津若松派出所|郡山総合車両センター会津若松派出所]]に転配。
 
=== 2007年度 ===
*キハE130系を15両投入し、キハ110系17両を捻出。
**14両は盛岡車両センターに転配し、[[山田線]]・[[岩泉線]]用のキハ58系4両とキハ52形12両を廃車し、[[ミャンマーの鉄道|ミャンマー国鉄]]へ譲渡。また、キハ110系0番台の4両を快速「南三陸」用([[座席指定席|指定席]]車両充当分)として[[小牛田運輸区]]に転用。
**2両は小牛田運輸区に転配し、捻出されるキハ40系2両を[[只見線]]用として[[会津若松運輸区|会津若松派出所]]に転配。
**残り1両は[[新津運輸区]]に転配。[[2008年]]11月1日から[[JR東日本キハE120形気動車|キハE120形]]や、同区の200番台と共通運用で[[磐越西線]]・[[羽越本線]]・[[米坂線]]で運用開始。[[2009年]]3月15日改正で米坂線の旧型車両の運用を全て置き換えた。
 
水郡線のキハ110には、[[2007年]][[8月18日]]から9月12日の同線撤退までの間、先頭車の前面に「ありがとうキハ110系」の特製[[方向幕#ヘッドマーク|ヘッドマーク]]が装着された。
 
この転配と同時期に[[小海線]]に[[JR東日本キハE200形気動車|キハE200形]]が導入されたことを受け、2013年2月中旬に小海線営業所所属であったキハ110形のうち3両が小牛田運輸区に転属した。
 
== 事故・廃車 ==
[[岩泉線]]の[[押角駅|押角]] - [[岩手大川駅|岩手大川]]間を走行中の[[茂市駅|茂市]]発[[岩泉駅|岩泉]]行きの普通列車に充当されていたキハ110-133が[[土砂崩れ]]に突っ込み脱線した([[日本の鉄道事故 (2000年以降)#岩泉線列車脱線事故|岩泉線列車脱線事故]])。当該車両は、前面ガラス窓が破損し、11月18日に撤去されるまで4か月間にわたり現場に残されたが、後に復帰している。
 
2011年3月11日の[[東北地方太平洋沖地震]]([[東日本大震災]])に伴う[[津波]]では、キハ100-9・12(山田線[[津軽石駅]]・1647D・津波により脱線)<ref name="map_41">『日本鉄道旅行地図帳 東日本大震災の記録』41ページ</ref>、キハ100-30・38(大船渡線[[下船渡駅]] - [[大船渡駅]]間・338D・床下浸水で機器損傷)<ref name="map_41" />、キハ100-31・41(大船渡線盛駅・333D・床下浸水)<ref name="map_41" />が被災した。キハ100-31・41は郡山総合車両センターにて復旧されたが、床上まで浸水した9・12と、被災箇所からの搬出が困難だった30・38は現地で解体となり、本系列初の廃車となっている。
 
2015年2月11日には[[山田線]]の[[松草駅]] - [[平津戸駅]]間で、[[盛岡駅]]行きの上り最終普通列車に充当されていたキハ110-132が線路上に崩れていた土砂に乗り上げ脱線した([[日本の鉄道事故 (2000年以降)#山田線列車脱線事故|山田線列車脱線事故]])。2016年現在、本車は現地に放置されたままである。
 
== 沿革 ==
* [[1990年]][[3月10日]] キハ100形量産先行車4両が[[北上線]]に、キハ110形量産先行車3両が[[釜石線]][[急行列車|急行]][[はまゆり (列車)|陸中]]に投入され、営業運転開始。
* [[1991年]][[3月16日]] キハ100形量産車を北上線に、キハ110系0番台量産車を急行陸中に、100番台を[[磐越東線]]に投入。
* 1991年7月 キハ100形を釜石線・[[山田線]](宮古駅 - 釜石駅間)に、キハ110系100番台を[[小海線]]に投入。
* 1991年10月 キハ100形を[[大船渡線]]に投入。
* 1991年11月 キハ110系100番台を[[磐越西線]]に投入。
* [[1992年]][[3月14日]] キハ110系100番台[[水郡線]]に投入。
* [[1993年]][[3月18日]] キハ110系200番台を磐越西線・[[羽越本線]]・[[八高線]]に投入。
* 1993年[[12月1日]] キハ100形200番台を[[大湊線]]に、キハ101形を[[左沢線]]に、キハ110系200番台を磐越西線・羽越本線に投入。これに伴い、磐越西線に投入された100番台6両が水郡線に転属し水郡線全列車がキハ110系に統一。
* [[1994年]]9月 キハ111・112形150番台を水郡線に投入。
* 1994年[[12月3日]] キハ101形を左沢線に投入。左沢線全列車がキハ101形に統一。
* [[1996年]]3月16日 キハ111・112形200番台を八高線に投入。八高線のうち、非電化区間の全列車をキハ110系に統一。
* 1996年[[3月30日]] [[秋田新幹線]]工事に伴い、[[特別急行列車|特急]][[こまち (列車)#新幹線接続特急「秋田リレー」|秋田リレー号]]用キハ110系300番台を投入。
* [[1997年]][[3月22日]] 左沢線増発のため、キハ101形を投入。また、特急秋田リレー運行終了。
* 1997年[[10月1日]] 秋田リレー用に使われたキハ110系300番台合計20両を200番台に改造し、磐越西線・羽越本線・[[飯山線]]に投入。
* [[1998年]][[12月8日]] キハ110系200番台を[[陸羽東線]]に投入。
* [[1999年]][[12月4日]] キハ110系200番台を陸羽東線・[[陸羽西線]]に投入。
* [[2007年]][[3月18日]] 小海線・水郡線のキハ110系が新型車両投入および予備車見直しに伴い、[[花輪線]]・快速[[南三陸 (列車)|南三陸]]・[[気仙沼線]]に転属。
* 2007年[[7月1日]] 快速南三陸全列車がキハ110系に統一。これに伴い、快速はまゆり用キハ110系の一部を快速南三陸用に転用。
* 2007年[[9月12日]] 水郡線での使用終了。
* 2007年[[10月21日]] 水郡線新型車両投入により、山田線(盛岡駅 - 宮古駅間)・[[岩泉線]]に転属。
* 2007年[[11月25日]] 山田線(盛岡駅 - 宮古駅間)・岩泉線全列車がキハ110系に統一。
* [[2008年]][[11月1日]] [[米坂線]]で使用開始。
* 2008年12月 [[小牛田運輸区]]所属のキハ110系の方向幕がLEDに改造される。
* [[2009年]]11月 [[一ノ関運輸区]]所属のキハ100形の方向幕がLEDに改造される。
* [[2010年]]4月 [[高崎車両センター]]所属のキハ110系の方向幕が全車、LEDに改造される。
* [[2011年]][[7月16日]] 運転を再開した[[仙石線]]矢本駅 - 石巻駅間で小牛田運輸区所属のキハ110系が使用される<ref name="senseki"/>。
* [[2012年]][[3月17日]] [[仙石線]][[陸前小野駅]] - 矢本駅間運転再開に伴い、同区間でも小牛田運輸区所属のキハ110系が使用される。
* [[2012年]]12月 一ノ関運輸区所属のキハ100形のうち2両が「POKÉMON with YOUトレイン」に改造される。
* [[2014年]][[4月1日]] [[岩泉線]]の廃止に伴い、岩泉線での使用終了。
* [[2015年]][[4月4日]] 長野総合車両センター所属のキハ110形のうち2両が「おいこっと」として運用を開始する。
* [[2015年]][[5月30日]] 仙石線陸前小野駅 - 石巻駅間での小牛田運輸区所属のキハ110系の運用が終了。石巻線[[石巻駅]] - [[女川駅]]間で運用開始し、石巻線・陸羽東線の全列車がキハ110系での運用となる<ref name="jrsendai150226"/>。
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプreflist}}
{{Reflist}}
 
== 参考文献 ==
* 東日本旅客鉄道(株)運輸車両部車両課「キハ110系300番台」 [[交友社]]『[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]]』1996年4月号 No.420 p.76 - 79
* 三浦昭司「陸羽東線・陸羽西線用キハ110系」 [[交友社]]『[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]]』2000年2月号 No.466 p.56 - 57
* 白土裕之「JR東日本平成18年度車両運用プロジェクト」 交友社『鉄道ファン』2007年4月号 No.552 p.91 - 106(キハ110系に関する項目はp.104 - 106)
* 『日本鉄道旅行地図帳 東日本大震災の記録』([[今尾恵介]]監修、[[新潮社]]) ISBN 978-4-10-790047-0
 
== 関連項目 ==
* [[大友氏遺跡]]
*[[JR北海道キハ150系気動車]]
* [[南蛮寺]]
* キハ110系300番代と同様に格下げを前提として製造された車両
* [[大道寺]]
** [[京成3150形電車]]・[[京成3200形電車]]
** [[小田急2300形電車]]
** [[近鉄6431系電車]]
 
== 外部リンク ==
* [http://www.oishiimati-oita.jp/dic/detail.php?ID=74396 デウス堂跡] - 一般社団法人大分市観光協会
* [http://www.jreast.co.jp/train/local/kiha110.html JR東日本:車両図鑑>在来線 キハ100/110系]
 
* [http://www.niigata-transys.com/rolling_stock_hp/dc/dc_jr/JReast/kiha110/kiha110.htm 新潟トランシスによる製品紹介のページ]
{{christ-stub}}
 
{{DEFAULTSORT:てうすとう}}
{{Commonscat|JR East KiHa 100 series}}
[[Category:室町時代の建築]]
{{JR東日本の車両リスト}}
[[Category:室町・安土桃山時代のキリスト教]]
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