ページ「全日本プロレス中継」と「日産・マキシマ」の間の差分

(ページ間の差分)
削除された内容 追加された内容
 
編集の要約なし
タグ: ビジュアルエディター モバイル編集 モバイルウェブ編集
 
1行目:
'''マキシマ'''(MAXIMA、{{lang|zh|西玛}})は、[[日産自動車]]が[[製造業|製造]]、[[北米]]、[[メキシコ]]、[[ドバイ]]などで[[販売]]する[[セダン]]および[[ステーションワゴン|ワゴン]]である。
'''全日本プロレス中継'''(ぜんにほんプロレスちゅうけい)は[[1972年]]-[[2000年]]に[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]で放映された[[プロレス]]の実況中継番組。[[全日本プロレス]]の試合を中継していた。[[1992年]]頃までのオープニングは、「(日本テレビ または NTV)全日本プロレス中継」となっていたが、その後は、星マークと一緒に「All JAPAN PRO WRESTLING」に「プロレス」が回転されるデザインになっている。番組が1時間から30分に縮小に伴い、表記が『'''全日本プロレス中継30'''』となった時期もあったが、後に放送時間は30分のままで『全日本プロレス中継』に戻る。
 
== 概要 ==
テーマ曲は『[[スポーツ行進曲|日本テレビスポーツのテーマ]]』。
[[日本]]でもかつて販売されていたが[[1994年]]に同ブランド名の車種は販売終了し、国外専売モデルとなっていたが、2019年10月からは[[インパル]]が販売元となり販売を開始した。日本国内での販売期間は「ブルーバードマキシマ」を名乗っていた時期を含めた1984年から1994年の10年間。生産はA33型までが[[日産自動車追浜工場]]で行われ、それ以降のモデルは北米日産会社[[スマーナ (テネシー州)|スマーナ]]工場で生産されている。
 
[[オーストラリア]]では[[日産・ティアナ|ティアナ]]、[[サウジアラビア]]やUAEでは、[[日産・セフィーロ|セフィーロ]]を同名で販売している。また、かつては[[日産・ローレル|ローレル]]を同名で販売していた国もあった。
== 前史 ==
元々日本テレビでは開局([[1953年]])以来、[[力道山]]、[[ジャイアント馬場]]、[[アントニオ猪木]]らを中心とした[[日本プロレス]]の試合を、『[[三菱電機|三菱]]ダイヤモンドアワー・[[日本プロレス]]中継』などのタイトルで放送していた。しかし、[[1972年]]4月に日本教育テレビ(現・[[テレビ朝日]])が担当していた[[ワールドプロレスリング|中継]]の試合に[[ジャイアント馬場]]を出場させたことに激怒したため、番組を打ち切った(詳細は[[ワールドプロレスリング#日本プロレス時代の中継の取り決め|ワールドプロレスリング]]を参照)。
 
== 放送開始-80年代 ==
[[1972年]]10月、馬場が新たに創設した全日本プロレスと日本テレビが中継権を締結し、新番組『全日本プロレス中継』が毎週土曜日の20:00-20:54に放送されることとなった。第1回(10月7日)は「海外遠征第一戦『G・馬場対[[ザ・シーク]]』」、第2回(10月14日)は「G・馬場アメリカ転戦記」と題し、団体旗揚げ前の馬場が、アメリカ遠征で行った試合の模様(一部、馬場以外の所属選手も含む)を放映し、第3回目となる、10月21日の「ジャイアントシリーズ前夜祭」([[東京]]・[[町田市]]体育館)の生中継から、正式に新団体の中継放送に入った。
 
== 初代 G910型(1981年 - 1984年) ==
創立初期は、馬場の人脈を利して一流外国人を常時招へいする一方、日本陣営に[[サンダー杉山]]や[[ザ・デストロイヤー]]を参加させるなど、選手の拡充を図った。さらに、鶴田友美([[ジャンボ鶴田]])、[[アントン・ヘーシンク]]、[[天龍源一郎]]、80年代には[[輪島大士]]などといった、話題性のある大型新人を、積極的にデビューさせていった。
{{Infobox_自動車のスペック表
| 車種=普通自動車
| 車名=ダットサン・810マキシマ<br />日産・マキシマ(初代)
| 車名補=G910型
| 1枚目画像の説明=
| 1枚目画像名=1st-Nissan-Maxima.jpg
| 2枚目画像の説明=リア
| 2枚目画像名=1983 Datsun Maxima, right rear.jpg
| 3枚目画像の説明=
| 3枚目画像名=
| 販売期間=[[1981年]] - [[1984年]]
| 設計統括=
| デザイナー=
| 乗車定員=
| ボディタイプ=4ドアセダン/ワゴン
| エンジン=直6 2.4L [[日産・L型エンジン|L24E]]<br>直6 2.8L LD28
| トランスミッション=3AT/5MT
| 駆動方式=[[後輪駆動|FR]]
| サスペンション=
| 全長=
| 全幅=
| 全高=
| ホイールベース=
| 車両重量=
| ベース車=[[日産・ブルーバード]]
|別名=[[日産・ブルーバード|ダットサン・ブルーバード]](6代目)}}
[[1981年]]に[[日産・ブルーバード#6代目 910型系(1979年 - 1983年)|910型ブルーバード]]をベースとする「DATSUN 810 MAXIMA」を[[北アメリカ]]([[アメリカ]]および[[カナダ]]市場)で発売。なお、[[1983年]]までは「[[ダットサン]]」の名前が冠されていたが、[[1984年]]モデルからは日産バッジをつけた日産モデルの「NISSAN MAXIMA」となった。
 
当時アメリカで発売されていた日産の最高級車種として発売され、[[トヨタ・クレシーダ]]や[[アウディ・80|アウディ・4000]]などと競合すべく、同市場で人気の6気筒エンジンを搭載するために、前部ドアより以前の部分を中心にブルーバードよりも全長が99mm延長されていた。
70年代から80年代にかけては「プロレスの本場」としてのアメリカや、[[NWA (プロレス)|NWA]]の権威や地位などがまだまだ保たれていた時代であり、それはそのまま、実質的に日本で唯一のNWA加盟団体であった、全日本の強味となっていた。とかく大味になりがちだった試合内容はともかくとして、NWAなど数々のメジャーなタイトル戦の開催や、NWA公認の数多くのタイトルの新設(もしくは復活)、そしてアメリカでも実現不可能といわれた豪華な企画やマッチメークが出来たのは、まさに当時の「馬場・全日本」だからこそ成し得たものだった(そんな馬場も90年代に入ると「プロレスは日本の方がレベルが上」「今さらNWAでもないでしょう」と公言するようになる)。
 
4ドアセダンと同ワゴンの2つのボディが用意された。車格感を出すために、メッキを多用したグリルデザインへの変更やオーナメントが追加されたほか、大型バンパーが標準装備とされた。
無論、こうした豪華でグローバルなイメージは、テレビマッチのラインナップにも強く反映された。その流れで、海外の試合(主に所属選手の海外遠征時の試合。NWAエリアが多かった)も数多く放映された。
 
エンジンには、[[日産・L型エンジン|L24型]]を基に、燃焼室形状の変更による有害排出物の低減と、[[コンロッド]]の薄肉化や[[すべり軸受|メタル]]幅の縮小などの低[[摩擦|フリクション]]対策を施し、[[燃料]]供給を[[燃料噴射装置|EGI]]とした直6 2.4L L24E型が採用され、また、1981年から1983年まで、アメリカ市場では直6 2.8L OHC LD28型ディーゼルエンジンも採用された。なお駆動方式は[[後輪駆動]]であった。
[[新日本プロレス]]が台頭した80年代初期、定期中継は既にゴールデンタイムを外れていたが、正月や『[[土曜トップスペシャル]]』の枠において、ゴールデンタイムの特番が数回組まれたことがあった。その一方、80年代中期には全日本と[[ジャパンプロレス]]との業務提携によって、日本人同士の抗争という新機軸も盛り込んだ。番組のゴールデンタイムへの復帰が決定した際、その発表記者会見には、全日本勢だけでなく[[長州力]]を始めとしたジャパン勢も共に出席。日本人抗争をゴールデン復帰の切り札や売り物にしようとした思惑が窺えた(後述及び「前後番組の移り変わり」参照)。
 
トランスミッションは3速[[オートマチックトランスミッション]]および5速[[マニュアルトランスミッション]]が採用された。また、[[パワーステアリング]]ポンプは厚木工場製であったが、一部のパワーステアリングポンプはアメリカの[[ゼネラルモーターズ]]製であった。
== 90年代-番組の終焉 ==
その後は土曜夕方(17:30-18:24)→土曜19:00-19:54→日曜22:30-23:24(以降はローカルセールス扱い)→日曜深夜→土曜深夜→日曜深夜→水曜深夜と放送日が流動的に変化された。しかしながら馬場をはじめ、[[三沢光晴]]、[[川田利明]]、[[田上明]]、[[小橋建太|小橋健太]]の[[四天王 (プロレス)|プロレス四天王]]や[[秋山準]]、[[高山善廣]]といった、後年団体を牽引する選手たちをこの番組から育て上げた。
 
[[カセット]]と[[ラジオ]]を備えた[[カーステレオ]]や[[エアコン]]、[[アルミホイール]]もしくはワイヤ調ホイールを標準装備するほか、導入当時アメリカ市場で人気があったツートーン塗装やホワイトリボンタイヤ、暗証番号式のキーレスドアや[[サンルーフ]]などもオプション設定されるなど、上級車種として豊富な装備を備えていた。さらにワゴンにはウッド調パネルやルーフキャリアも用意されていた。{{-}}
馬場自身は、第一線を退くとともに、解説者として放送席に座ることが多くなった。時折歯に衣着せぬ意見をはさむこともあったが、その的確な「16文解説」は、ファンから好評を得た。その馬場も[[1999年]][[1月]]に[[上行]][[結腸]][[癌]]のため永眠。
 
== 2代目 PU11型(1984年 - 1988年) ==
放送時間は長らく1時間枠だったが、1994年4月をもってついに30分枠に短縮された。馬場が亡くなる直前の'98世界最強タッグ決定リーグ戦の優勝戦から、日本武道館等でのビッグマッチは通常の30分枠を15分拡大し、45分枠での放送形態をとった(馬場追悼特集や東京ドーム大会は60分枠)。また番組内容も、タイトルマッチへの流れ・闘いの状況等をまとめたVTRを多用したり、画面右上にテロップが表示されたりと工夫が見られてきた。[[若林健治]]や[[竹内宏介]]等、かつての実況・解説者も復帰し始め、レギュラー45分枠の噂も飛び始めたが、2000年[[6月]]、全日本プロレスの大量退団騒動を端に放送打ち切り。日本テレビはその後退団選手達が設立した[[プロレスリング・ノア]]側に付き、ノアが軌道に乗るまでの約9ヶ月間は[[コロッセオ (テレビ番組)|コロッセオ]]で繋いで[[プロレスリング・ノア中継]]に移行した。
{{Infobox_自動車のスペック表
| 車種=普通自動車
| 車名=日産・ブルーバードマキシマ(初代)<br />日産・マキシマ(2代目)
| 車名補=PU11型
| 1枚目画像の説明=ブルーバードマキシマ4ドアハードトップ
| 1枚目画像名=U11 Bluebird Maxima HT.jpg
| 2枚目画像の説明=セダン(北米仕様、1985年型)
| 2枚目画像名=85-86 Nissan Maxima.jpg
| 3枚目画像の説明=ワゴン(北米仕様、1988年型)
| 3枚目画像名=1988 Nissan Maxima GXE Wagon, front left.jpg
| 販売期間=[[1984年]][[10月]] - [[1988年]]
| 設計統括=
| デザイナー=
| 乗車定員=5人
| ボディタイプ=4ドアセダン<br>5ドアワゴン<br>4ドアハードトップ
| エンジン=V6 2L [[日産・VGエンジン|VG20E/VG20ET]]<br>V6 3L VG30E
| トランスミッション=4AT/5MT
| 駆動方式=[[前輪駆動|FF]]
| サスペンション=
| 全長=4,610 - 4,694mm
| 全幅=1,689mm
| 全高=1,389 - 1,415mm
| ホイールベース=2,548 - 2,550mm
| 車両重量=
|別名=[[日産・ブルーバード]](7代目)}}
[[1984年]]10月に日本では「'''ブルーバードマキシマ'''」として、アメリカ市場では引き続き「マキシマ」として同時発売。初代とは異なり日本仕様にも810型以来となる6気筒エンジンを搭載、日米同時発売された事も話題となった。(日本国内で放送されたブルーバードマキシマのCM内でこの事を発表していた)
 
PU11系ブルーバードマキシマは、U11系ブルーバードのフロントノーズ部分を90mm延長し、[[日産・セドリック|セドリック]]などのFR車に搭載されるV型6気筒 [[日産・VGエンジン|VG20ET型エンジン]]、専用グリル、大型パンパーなどが与えられ、駆動方式が[[前輪駆動|FF]]に変更された。ちなみにV6エンジンとFFの組み合わせは日本初であった。また、輸出仕様車にはV6 3L [[日産・VGエンジン|VG30E]]が搭載され、トランスミッションは4速オートマチックおよび5速マニュアルが組み合わせられた。
なお最終回では、番組名は当然『全日本プロレス中継』でありながらも、放送内容は三沢をはじめとする退団選手達の新団体旗揚げ記者会見がメインという前代未聞の放送であった。ノアには元日本テレビの大八木賢一も専務取締役として在籍しており、この事からもノアと日本テレビが当時から密接な関係だった事が窺い知れる。
 
[[1986年]]1月にマイナーチェンジが行われ、フロントノーズがややスラント化されるのと同時にテールランプのデザイン変更。VG20Eエンジン(自然吸気)車を追加。なお同年末にはアメリカ仕様も内外装の変更が行われた。
== その他エピソード ==
*番組の制作は一貫してバラエティ部署ではなく、原章運動部長(後に日本テレビ取締役、現・[[福岡放送|FBS福岡放送]]社長)率いる日本テレビ運動部(スポーツ部)が担当した。
*番組開始当初から十数年程度、CM入り前に'''「日本テレビの全日本プロレス中継。この放送は(会場名)より全国のプロレスファンの皆さんにお送りしております」'''というコメントが必ず放送されていた。
*90年代前半の番組内では[[SWS]]に移籍した選手やジャパンプロレス絡みの映像を封印していた。そのため長州力や[[天龍源一郎]]の映像はオンエアはおろかソフト化もされなかった。しかし特例として[[タイガーマスク]]がマスクを脱いだ試合での[[谷津嘉章]]と[[冬木弘道]]の映像は何度となく流れている。また、第1回あすなろ杯の冬木や[[高野俊二]]の映像は顔隠しで放送された。[[1998年]]、番組内コーナー「王道リスペクト」(過去の名勝負紹介)で鶴田vs長州の映像を解禁した事を皮切りに、天龍、[[ザ・グレート・カブキ]]、[[小林邦昭]]等の映像を次々と解禁した。
*現在は、かつて全日本プロレス中継で放送されたNWA戦などのビッグマッチを、CS放送の[[日テレG+]]にて'''プロレスクラシック'''として放送している(1ヶ月1回更新)。
 
[[1987年]]2月、北米仕様にワゴンを追加。北米における安全法規変更対応の為、同月にオートマチックショルダーベルトが新たに装備された。
== プロレスニュース ==
[[福澤朗]]が実況を担当した1990年代前半には、中継を行わなかった試合の結果や関連情報を伝える「プロレスニュース」というコーナーがあった。[[NNNニュースプラス1|ニュースプラス1]]、[[NNN昼のニュース]]、[[NNNきょうの出来事]]などで使われていた報道スタジオから伝えていたが、後に「プロレスニュースプラス1」とコーナー名を変更し、主に試合会場周辺の屋外でのロケに変更されている。福澤アナが事情で担当できない場合は、臨時で若林健治や[[金子茂]]など、他のプロレス実況担当アナウンサーが代わりに担当した。
 
1987年5月に一部改良。車名をそれまでの「ブルーバードマキシマ」から「マキシマ」として独立(トランクのエンブレムは「NISSAN MAXIMA」に)。販売上ブルーバードシリーズからの離脱を図る。ただし正式名はブルーバードマキシマであり、型式はPU11型のままである。
「プロレスニュース」は「プ・プ・プロレスにゅ~す」という福澤アナのタイトルコールで始まり、くだけた感じのナレーションによる進行だったため、[[馳浩]](当時[[新日本プロレス]])が「プロレスを馬鹿にしている。許せない。」「ぶん殴ってやる。あのアナウンサーあまりにもふざけすぎだよ。」と息巻いていた(後に和解したもよう。馳が後年全日本に入団した際、その入団後第1戦を実況したのは、他でもない福澤である)ほか、ファンの間でも特にコーナー発足時には賛否両論分かれており、狂信的なプロレスファンから「ふざけるな福澤、今度の××大会がお前の最期だ」という脅迫状が届き、警備員を付ける羽目になったこともあったという。
 
1987年9月に4気筒エンジンのブルーバード(4ドアセダンと4ドアハードトップ)がフルモデルチェンジされたが、ブルーバードバン/ワゴン([[1990年]]の[[日産・アベニール|アベニール]]登場まで)、6気筒エンジンのマキシマ([[1988年]]まで)はU11型で引き続き生産。
「プロレスニュースプラス1」は、1994年の放送時間短縮時に終了するが、その最終回は'''福澤アナが「プロレスニュースに否定的な熱烈的プロレスファン」に刺され、「福澤死すとも、プロレスニュースは死なず~」と言うシーンで終了'''という、前述のような状況を茶化した(当然スタッフとの寸劇で、演技もわざと下手に行っていた)、いかにもプロレスニュース的な幕引きであった。
 
1988年、生産終了。ワゴンモデルはこの代で廃止された。
== 主な実況アナウンサー ==
{{-}}
*[[清水一郎 (アナウンサー)|清水一郎]]
*[[徳光和夫]]
*[[倉持隆夫]]
*[[松永二三男]]
*[[竹山祐一]](よみうりテレビ)
*[[若林健治|若林"恩知らず"健治]]
*[[福澤朗|福澤ジャストミート朗]]
*[[後藤俊哉]]
*[[金子茂|若造金子茂]]
*[[野口敦史]]
*[[平川健太郎]]
*[[矢島学]]
*[[舟津宜史]]
*[[菅谷大介]]
*[[町田浩徳]]
*[[佐藤啓]]([[中京テレビ放送|中京テレビ]])
*[[山本純也]]([[讀賣テレビ放送|よみうりテレビ]])
*[[益子なお美|川尻直美]]([[テレビ新潟]])
*[[須山司]](テレビ新潟)
*[[水本豊]]([[宮城テレビ放送|ミヤギテレビ]])
*[[高橋裕 (アナウンサー)|高橋裕]]([[山口放送]])
*[[大神いずみ]](プロレスニュース、選手インタビュー担当)
 
== 3代目 J30型(1988年 - 1994年) ==
ローカル局アナウンサーは主としてその地域で行われた大会の実況を担当するが、山本純也・佐藤啓は、関東地区や札幌など、他地区の試合でも実況を担当した。川尻(現・益子なお美)は、[[日本武道館]]大会で同番組初めての女性実況アナウンサーとして参加した。
{{Infobox_自動車のスペック表
| 車種=普通自動車
| 車名=日産・マキシマ(3代目)
| 車名補=J30型
| 1枚目画像の説明=前期型
| 1枚目画像名='89-'90 Nissan Maxima.jpg
| 2枚目画像の説明=後期型
| 2枚目画像名=92-94 Nissan Maxima.jpg
| 3枚目画像の説明=
| 3枚目画像名=
| 販売期間=[[1988年]][[10月]] - [[1994年]][[8月]]
| 設計統括=
| デザイン=[[前澤義雄]]
| 乗車定員=5/6人
| ボディタイプ=4ドアセダン
| エンジン=V6 3L VG30E<br>V6 3L [[日産・VEエンジン|VE30DE]]
| トランスミッション=4AT/5MT
| 駆動方式=FF
| サスペンション=
| 全長=4,765mm
| 全幅=1,760mm
| 全高=1,346 - 1,400mm
| ホイールベース=2,649mm
| 車両重量=1,400kg
| 自由項目1(項目名)=後継車
| 自由項目1(内容)=[[日産・セフィーロ|セフィーロA32系]]に統合(日本)
|別名=[[日産・アルティマ]](初代)}}
[[1988年]]10月、J30型にモデルチェンジ。日産はこれを「4ドアスポーツカー」と称した。
 
このモデルは日本の5ナンバー枠の全幅(1700mm)を上回る最初のモデルであり、3ナンバー専用の大柄なボディによる広い室内、[[アンチロック・ブレーキ・システム|4輪・アンチスキッド・ブレーキ・システム]](4WAS)<ref>当時の日産では、「ABS([[アンチロック・ブレーキ・システム]])」の独自の名称として「4WAS(4輪・アンチスキッド・ブレーキ・システム)」と称していたが、後に自動車メーカー全社の統一名称として'''ABS'''に統一されている。なお「4WAS」の名称は、[[2006年]]11月20日に発売のV36型[[日産・スカイライン|スカイライン]]でオプション採用されている4輪アクティブステアの名称として再び使用されている。</ref>が搭載され、3.0LのV6エンジン(VG30E型)による太いトルクと静粛性により、快適性を追求したファミリーカーを標榜した。'''日産車の中ではいち早くABSを搭載したモデルでもある'''。ただし、車両重量は先代モデルよりも減少しており、V6・3.0Lエンジン搭載車種の中では一番軽量である。
== 主な解説者 ==
*[[山田隆]]([[東京スポーツ新聞社|東京スポーツ]])
*[[田鶴浜弘]]([[作家]])
*ジャイアント馬場
*[[竹内宏介]]([[週刊ゴング|ゴング誌]])
*[[佐藤昭雄]]
*[[ザ・グレート・カブキ]]
*[[百田光雄]]
 
前モデルで採用された前輪駆動を踏襲し、トランスミッションは4速オートマチックおよび5速マニュアル(アメリカ仕様のみ)を採用。
== 登場ゲスト ==
*[[松山千春]]
*[[ウッチャンナンチャン]](後に[[南原清隆]]一人でも出演あり)
*[[川合俊一]]
*[[早坂好恵]]
*[[常盤貴子]]
*[[大河内奈々子]]
*[[岡村隆史]]([[ナインティナイン]])
 
上記にあるように初めて日本国内の5ナンバー枠を超え、かつ世界市場で共通のボディーを持つことを強調するため、日本市場においては、ティザーキャンペーンでは[[陣内孝則]]、[[大橋巨泉]]、[[倍賞美津子]]がCM出演。デビュー以降後期型の登場までCM出演者は、4人のアメリカ人タレント([[ケント・デリカット]]、[[ケント・ギルバート]]、[[チャック・ウィルソン]]、[[デーブ・スペクター]])とされた。
== スタッフ ==
*プロデューサー:石尾栄二、安藤正臣、今泉富夫ほか
*制作:原章
*制作協力:[[NTV映像センター]]([[札幌テレビ放送|札幌テレビ]]、中京テレビ、よみうりテレビ、テレビ新潟、福岡放送)
*製作著作:日本テレビ
 
[[1989年]]8月にスポーティ仕様のSE (SPORTS EDITION) を追加。その後[[1991年]]1月にはSV (SPECIAL VERSION) が追加されSEが廃止される。
==ネット局==
* [[NNS_(日本テレビ系列)|日本テレビ系列]]局各局
* [[大分放送|OBS]]([[大分県]]、1980年代中期、時差ネット)<!-- 水曜23:30 -->
* [[宮崎放送|MRT]]([[宮崎県]]、時差ネット、1998年3月打ち切り)
* [[琉球放送|RBC]]([[沖縄県]]、1970年代初期-1990年代中期にかけての一時期のみ、時差ネット)
 
[[1990年]]に、アメリカの「[[カー・アンド・ドライバー]]」誌の「10ベストカー」にマキシマSEが選ばれる。
この他にも、90年代の30分短縮以後に、[[テレビ埼玉]]、[[千葉テレビ放送|千葉テレビ]]といった、関東の独立UHF局が時差ネットをしていたこともある。
 
1991年1月、3000SV追加。
=== ネット局に変更などがあった地域 ===
* [[新潟県]]:[[新潟総合テレビ|NST]](1981年3月まで)→[[テレビ新潟放送網|TNN]](現:TeNY)(1981年4月から)
* [[長野県]]:[[信越放送|SBC]](1986年3月まで)→[[テレビ信州|TSB]](1986年4月から)
* [[石川県]]:[[北陸放送|MRO]](1990年3月まで)→[[テレビ金沢|KTK]](1990年4月から)
* [[静岡県]]:[[テレビ静岡|SUT]](1978年6月まで)→[[静岡朝日テレビ|SKT]](現:SATV)(1978年7月-1979年6月)→[[静岡第一テレビ|SDT]](1979年7月から)
* [[長崎県]]:[[長崎放送|NBC]](1991年3月まで)→[[長崎国際テレビ|NIB]](1991年4月から)
* [[熊本県]]:[[熊本放送|RKK]](1982年3月まで)→[[熊本県民テレビ|KKT]](1982年4月から)
* [[鹿児島県]]:[[南日本放送|MBC]]→[[鹿児島テレビ放送|KTS]]→[[南日本放送|MBC]](1994年3月まで)→[[鹿児島讀賣テレビ|KYT]](1994年4月から)<!-- 番組開始当初はMBCでの放映だったが、80年代の全日本プロレスの公式パンフレットでは、ネット局をKTSとしている。また、KTSの社史によれば、75年4月より土曜20時台に「全日本プロレス中継」のネットを開始した、とある <ただし同時ネットかは不明> 。90年代の30分縮小の頃に、再びMBCに戻っている。-->
 
1991年8月に行われたマイナーチェンジで、専用の[[日産・VEエンジン|VE30]]系[[DOHC]]エンジンが搭載され、外観、装備ともやや豪華さと高級感を意識したものに変更される。同年年頭の3000SV追加時に一旦カタログ落ちしたスポーティ仕様のSEが復活。
<!-- * [[中京広域圏]]:[[名古屋テレビ放送|NBN]](~1973年3月)→[[中京テレビ放送|CTV]](1973年4月~)⇔「* 中京広域圏の項目全て削除」の理由:当初から中京テレビにて放映していた為。1972年10月の改編で、名古屋テレビの土曜20時台は、NETのネット枠になっていた。 ≪名古屋テレビではこの1972年10月の改編に際し、かねてからNETより、日本テレビとのネット比率を五分五分にしてほしいと要請があった為、当初は土曜の20時から22時にかけての2時間をNETの番組に切り替えるべく、調整に入った。これを日本テレビは業務協定違反として裁判に持ち込んだが、結局は当初の希望のうち、土曜20時台の1時間のみを、NETとの同時ネット枠にすることで和解が成立した。≫ よって、中京テレビの土曜20時台は日本テレビとの同時ネットが可能となり、ちょうど1972年10月の改編で新しく始まった「全日本プロレス中継」をネットすることになった(因みに、それ以前の中京テレビの土曜20時台は、12chの「大江戸捜査網」を放映)。但し、第1回のみ10月9日(月)19:00からの時差ネットで、翌週10月14日の第2回より同時ネットを開始している。同年10月14日付け中日新聞でも、中京テレビによる同番組の、新番組告知広告を確認できる。 ≪裁判については「名古屋放送(名古屋テレビ放送)」の「沿革」(1972年)の項を参照のこと。≫  -->
 
[[1992年]]にアメリカ市場のSEモデルに、V6 3.0L VE30DEエンジンを搭載。なお、もう1つのグレードであるGXEには生産終了時までVG30E型エンジンが搭載された。また、同年、アメリカ仕様の外観が変更され、全高が1,400mmから1,346mmに縮小された。同年に、[[日産・ローレル|ローレル]]の後継車として、[[ヨーロッパ]]での販売を開始。エンジンはVG30Eのみを搭載した。
== 関連項目 ==
* [[プロレス]]
* [[力道山]]
* [[ジャイアント馬場]]
* [[全日本プロレス]]
* [[プロレスリング・ノア]]
* [[プロレスリング・ノア中継]]
* [[日本テレビ放送網]]
 
[[1993年]]12月<ref>{{cite web|url=https://www.carsensor.net/catalog/nissan/maxima/|title=マキシマ(日産)のカタログ|中古車なら【カーセンサーnet】|publisher=リクルート株式会社|date=2020-1-19|accessdate=2020-1-19}}</ref>に生産終了。在庫対応分のみの販売となる。
== 番組スポンサーに関する特筆事項 ==
日本プロレス時代のプロレス中継(定期番組)は「三菱ダイヤモンドアワー」の放送枠で放送されており、長らく[[三菱電機]]の単独提供だった。テレビマッチのメインイベントの前に、三菱電機製の掃除機(「風神」など)でリング上を掃き清めるというスタイルの[[生コマーシャル]]が見られたり、実況の合間に「この放送は、皆様ご覧のテレビジョンを始め、数々の電化(家電)製品でおなじみの三菱電機が、全国の皆様にお送りしています」といった旨のアナウンスが入ったのは、この頃の事である。しかし番組の末期には、三菱電機をメインスポンサーとしながらも、[[スズキ (自動車メーカー)|鈴木自動車]]、さらに[[クボタ|久保田鉄工]]が提供スポンサーに加わっていた。
 
[[1994年]]8月に販売終了。新車登録台数の累計は2万7214台<ref>デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第57号11ページより。</ref>。その後日本向けは[[日産・セフィーロ|セフィーロA32系]]と統合され、セフィーロA33系を経て[[日産・ティアナ|ティアナ]]として販売していたが現在は廃止。マキシマは再び輸出車専用ネーミングに戻った。なお、「J3*」の型式はティアナに受け継がれており、前述の通り、オーストラリアでは日本でいうところの「ティアナ」が「マキシマ」として発売されている。
馬場は日本プロレスからの独立にあたり、日本テレビだけでなく、中継の提供スポンサーだった三菱電機との縁も強く主張したが、新たに始まった『全日本プロレス中継』では、三菱電機が提供に付くことはなかった。ただし馬場との個人的な縁は継続され、リング上で渡される花束の提供元が三菱電機だったことも多かった(なお、同じ[[三菱グループ]]に属する[[三菱自動車]]は、後年、番組提供スポンサーに付いている) 。その代わりに番組は、[[新日本製鐵|日鐵サッシ]]を始めとする複数社による提供となり、それも時代の推移と共に目まぐるしく入れ替わった。
{{-}}
 
== 4代目 A32型(1994年 - 1999年) ==
主に70年代の全日本プロレスでは、「[[オロナミンC]]」([[大塚製薬]])、「[[黄桜酒造]]」など番組スポンサーをあしらった横幕がリングに張られていた。
{{Infobox_自動車のスペック表
| 車種=普通自動車
| 車名=日産・マキシマ(4代目)
| 車名補=A32型
| 1枚目画像の説明=前期型
| 1枚目画像名=1995-96 Nissan Maxima.JPG
| 2枚目画像の説明=後期型
| 2枚目画像名=97-99 Nissan Maxima.jpg
| 3枚目画像の説明=
| 3枚目画像名=
| 販売期間=[[1994年]][[5月]] - [[1999年]]
| 設計統括=
| デザイナー=
| 乗車定員=5人
| ボディタイプ=4ドアセダン
| エンジン=V6 3L [[日産・VQエンジン|VQ30DE]]
| トランスミッション=4AT/5MT
| 駆動方式=FF
| サスペンション=
| 全長=4,768 - 4,811mm
| 全幅=1,770 mm
| 全高=1,415 mm
| ホイールベース=2,700mm
| 車両重量=
|別名=[[日産・セフィーロ]](2代目)<br />[[日産・アルティマ]](2代目)<br />[[インフィニティ・I30]](初代)}}
[[1994年]]5月に[[日産・セフィーロ|セフィーロ(日本仕様では'''Sツーリング'''グレードに相当)]]の北米市場専用モデルの「マキシマ」として登場。のちに兄弟車種として3.0Lモデルが[[インフィニティ・I|インフィニティ・I30]](セフィーロの日本仕様では'''エクシモ'''グレードに相当)として北米市場に投入される。なお「I30」はボディ自体はA32型セフィーロそのものであるが、フロント周りとテールランプ周り、ホイールのデザインが独自のものとされ、内装もセンターパネルのデザイン変更やレザーシートを採用するなどして高級化が図られている。
 
エンジンはV6 3.0L [[日産・VQエンジン|VQ30DE型]]のみを搭載され、4速オートマチックトランスミッションと5速マニュアルトランスミッションが組み合わせられる。
余談だが、三菱電機・鈴木・久保田(金8)・三菱自工・大塚(土8)ともプロレス撤退以後の後継枠番組でも協賛を続けてきた。
 
[[1995年]]1月にモータートレンドの「[[インポート・カー・オブ・ザ・イヤー]]1995」を受賞。
== 前後番組の移り変わり ==
{{前後番組|
放送局=[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系|
放送枠=金曜20時枠(1958.8-1972.7)|
番組名=日本プロレス中継<br>※1968.3までは<br>「ディズニーランド」と隔週で放映|
前番組=20:00 - [[女流作家シリーズ]]<br>20:30 - [[歌のパレード]]|
次番組=[[太陽にほえろ!]]|
2放送局=[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系|
2放送枠=土曜20時枠(1972.10-1979.3)|
2番組名=全日本プロレス中継|
2前番組=[[黒帯風雲録 柔]]|
2次番組=[[土曜トップスペシャル|土曜スペシャル]]<br>※19:30から|
3放送局=[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系|
3放送枠=土曜17:30-18:30枠(1979.4-1985.9)|
3番組名=全日本プロレス中継|
3前番組=17:30 - [[時間だョ!アイドル登場]]<br>18:00 - [[ヒット’76~79|ヒット’79]]|
3次番組=[[お笑いスター誕生!!]]|
4放送局=[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系|
4放送枠=土曜19時枠(1985.10.19-1988.3)|
4番組名=全日本プロレス中継|
4前番組=19:00 - [[ルパン三世 PartIII]]<br>19:30 - [[土曜トップスペシャル]]<br>※20:54まで|
4次番組=[[土曜スーパースペシャル]]<br>(第1期)|
5放送局=[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]|
5放送枠=日曜22:30~23:26枠(1988.4-1990.3)|
5番組名=全日本プロレス中継|
5前番組=[[パトカーアダム30]]|
5次番組=[[V・宇宙からの侵略者]]|
}}
 
同年、ヨーロッパ向け「マキシマQX」としてA32型セフィーロが投入される。さらに、1995-1996年の[[カー・アンド・ドライバー]]10ベストカーにマキシマSEが再度選ばれた。
 
[[1997年]]にはマイナーチェンジが行われ、クリアレンズヘッドライトの採用、テールランプやフォグランプ、フロントグリル、リアデザインの変更など、外装の変更が行われる。また、それに伴い、全長が4,768mmから4,811mmに延長された。さらに、同時にステアリングやCDプレーヤーなど、内装の変更も行われた。
 
[[1998年]]、サイドエアバッグをオプションとして追加。
 
[[1999年]]、小変更。エンジン[[イモビライザー]]の標準装備化、[[トラクションコントロールシステム]]のオプションとしての追加などが行われた。
{{-}}
 
== 5代目 A33型(2000年 - 2003年) ==
{{Infobox_自動車のスペック表
| 車種=普通自動車
| 車名= 日産・マキシマ(5代目)
| 車名補=A33型
| 1枚目画像の説明=前期型
| 1枚目画像名=00-01 Nissan Maxima.jpg
| 2枚目画像の説明=後期型
| 2枚目画像名=2002-2003 Nissan Maxima.jpg
| 3枚目画像の説明=
| 3枚目画像名=
| 販売期間=[[2000年]] - [[2003年]]
| 乗車定員=5人
| ボディタイプ=4ドアセダン
| エンジン=V6 3L VQ30DE<br>V6 3.5L VQ35DE
| モーター=
| トランスミッション=4AT/5MT/6MT
| 駆動方式=FF
| サスペンション=
| 全長=4,839 - 4,864mm
| 全幅=1,786mm
| 全高=1430 - 1,450mm
| ホイールベース=2,751mm
| 車両重量=
|別名=[[日産・セフィーロ]](3代目)<br />[[日産・アルティマ]](3代目)<br />[[インフィニティ・I|インフィニティ・I30/I35]](2代目)}}
[[2000年]]3月にヨーロッパ向け「マキシマQX(日本名: A33型セフィーロ)」を第70回[[ジュネーブモーターショー]]に出品。
 
2000年にはアメリカでマキシマ販売開始。カリフォルニアの[[ラ・ホーヤデザインスタジオ]]でデザインされる。日本仕様のセフィーロとはフロント、リア共にデザインの差別化が図られた。
 
当初、エンジンは先代同様、V6 3L VQ30DEのみを搭載していた。また、トランスミッションは4速オートマチックと、5速マニュアル、および6速マニュアルが用意された。
 
[[2001年]]、特別仕様車「20th Anniversary edition」を発売。エンジン出力は166kWから170kWに増加した。
 
[[2002年]]には、マイナーチェンジが行われ、CIを現行のものに変更し、エンジンを3L VQ30DEからV6 3.5L VQ35DEに変更、[[ディスチャージヘッドランプ|HIDロービームヘッドライト]]も採用された。また、全長も4,839mmから4,864mmに増加した。
 
[[2003年]]、特別仕様車「Titanium Edition」を発売。内装などが標準車と差別化された。
{{-}}
 
== 6代目 A34型(2003年 - 2008年) ==
{{Infobox_自動車のスペック表
| 車種=普通自動車
| 車名= 日産・マキシマ(6代目)
| 車名補=A34型
| 1枚目画像の説明=前期型
| 1枚目画像名=2004-2006 Nissan Maxima .jpg
| 2枚目画像の説明=後期型
| 2枚目画像名=07 Nissan Maxima.jpg
| 3枚目画像の説明=
| 3枚目画像名=
| 販売期間=[[2003年]] - [[2008年]]
| 乗車定員=5人
| ボディタイプ=4ドアセダン
| エンジン=V6 3.5L VQ35DE
| 最高出力=
| 最大トルク=
| トランスミッション=[[無段変速機|CVT]]/4AT/5AT/6MT
| 駆動方式=FF
| サスペンション=
| 全長=4,915 - 4,938mm
| 全幅=1,821mm
| 全高=1,481mm
| ホイールベース=2,824mm
| 車両重量=
|別名=[[日産・ティアナ]](初代)|エンジン位置=フロント|プラットフォーム=[[日産・FF-Lプラットフォーム|FF-Lプラットフォーム]]}}
[[2003年]]1月に[[北米国際自動車ショー]]に北米専用車両としてA34型マキシマを出展。[[プラットフォーム (自動車)|プラットフォーム]]は、[[日産・ティアナ|ティアナ(J31型)]] と同じ、[[日産・FF-Lプラットフォーム|FF-Lプラットフォーム]]を利用する。搭載するエンジンはV型6気筒 DOHC VQ35DE型のみで、4速オートマチック、5速オートマチックおよび6速マニュアルが組み合わせる事で北米地域におけるティアナのスポーツバージョンとしての位置付けとなっている(後にCVTも追加)。生産拠点は北米日産の[[テネシー州]][[スマーナ工場]]。
 
2003年には日本でセフィーロと[[日産・ローレル|ローレル]]が廃止され、統一後継車としてティアナに統合された。[[オーストラリア]]と[[ニュージーランド]]へはティアナの現地販売ブランドとして、マキシマの名称が用いられている。
 
2007年にはマイナーチェンジが行われ、フェイスリフトを行い、フロントグリルやヘッドライトのデザインの変更を行ったほか、[[エクストロニックCVT]]を新たに装備。また、全長が4,915mmから4,938mmに増加した。また、マニュアルトランスミッションは廃止された。
 
2008年、特別仕様車「Platinum Edition」を発売。同年生産終了。
 
<gallery>
ファイル:Washauto06 nissan maxima2.jpg|リア(前期型)
</gallery>
{{-}}
 
== 7代目 A35型(2008年 - 2015年) ==
{{Infobox_自動車のスペック表
| 車種=普通自動車
| 車名= 日産・マキシマ(7代目)
| 車名補=A35型
| 1枚目画像の説明= フロント
| 1枚目画像名=2009 Nissan Maxima.jpg
| 2枚目画像の説明= リア
| 2枚目画像名=2009 Nissan Maxima, rear 8.22.19.jpg
| 3枚目画像の説明=
| 3枚目画像名=
| 販売期間=[[2008年]][[6月]] - [[2015年]]
| 乗車定員=5人
| ボディタイプ=4ドアセダン
| エンジン=[[日産・VQエンジン|VQ35DE]]
| 最高出力=
| 最大トルク=
| トランスミッション= エクストロニックCVT
| 駆動方式=FF
| サスペンション=
| 全長=4,841 mm
| 全幅=1,859 mm
| 全高=1,468 mm
| ホイールベース=2,776 mm
| 車両重量=
| 後継=
|別名=[[日産・ティアナ]](2代目)<br />[[日産・アルティマ]](4代目)|エンジン位置=フロント|プラットフォーム=[[日産・Dプラットフォーム|Dプラットフォーム]]}}
2008年に[[ニューヨーク国際オートショー]]にて発表。ティアナ(J32)と同様に新たに[[日産・Dプラットフォーム|Dプラットフォーム]]を採用した。[[日産・アルティマ|アルティマ]]にも2001年モデルから3.5 LのV6エンジンが設定され、2006年モデルからはプラットフォームもマキシマと共通となっているが、北米日産ではマキシマを以って[[フラッグシップ機|フラッグシップモデル]]としている。
 
[[自動車産業|自動車業界]]全体が軒並み車体拡大を繰り返す中、全高は低く、全幅は広く、全長は短くなる。全長はアルティマ比約+20 mmという短さとなったが、これらの数値はハンドリング性能向上のためである。デザインは[[ポルシェ・911|ポルシェ・ターボ]]や[[アストンマーティン・V12ヴァンキッシュ]]を意識したとのこと<ref>[http://response.jp/issue/2008/0417/article108325_1.html 【ニューヨークモーターショー08】日産 マキシマ 新型…ターニングポイント] Response.</ref>。開発は[[日産・フェアレディZ Z34]]と同時期に行われており、北米市場においては、Zは3ドアスポーツカー、マキシマは4ドアスポーツカーというポジションであるため、ブーメラン形前後ランプなど、共通のデザインを取っている部分もある<ref>[[三栄書房]]『新型フェアレディZのすべて』ISBN 978-4-7796-0526-0 デザイン・インタビュー</ref>。また、19インチスポーツタイヤや、ウインカーミラーなども装備された。
 
エンジンはV6 3.5 L VQ35DEが搭載され、トランスミッションはパドルシフト付きのエクストロニックCVTのみが組み合わせられる。
 
2008年6月には2009年モデルとしてアメリカでの販売を開始。
 
また、2010年モデルからはディーゼルモデルが追加される予定である。
 
<gallery>
NISSAN MAXIMA A35 interior.jpg|室内
</gallery>
{{-}}
 
== 8代目 A36型(2015年 - ) ==
{{Infobox_自動車のスペック表
| 車種=普通自動車
| 車名= 日産・マキシマ(8代目)
| 車名補=A36型
| 1枚目画像の説明=前期型(フロント)
| 1枚目画像名=2016 Nissan Maxima SR, Forged Bronze, front right.jpg
| 2枚目画像の説明=前期型(リア)
| 2枚目画像名=2017 Nissan Maxima 3.5 Platinum rear 3.28.18.jpg
| 3枚目画像の説明=後期型(フロント)
| 3枚目画像名=2019 Nissan Maxima (facelift) 3.5L, front 8.23.19.jpg
| 販売期間=[[2015年]][[6月]] -
| 乗車定員=5人
| ボディタイプ=4ドアセダン
| エンジン=[[日産・VQエンジン|VQ35DE]] 3.5L V6<br />[[日産・QRエンジン|QR25DE]] 2.5L 直4
| 最高出力=
| 最大トルク=
| トランスミッション= [[エクストロニックCVT]]
| 駆動方式=FF
| サスペンション=
| 全長=4,897mm
| 全幅=1,859mm
| 全高=1,435mm
| ホイールベース=2,776mm
| 車両重量=
| 後継=
| 製造国={{USA}}<br/>{{CHN}}
| 自由項目1(項目名)= 製造事業者
| 自由項目1(内容)= [[北米日産]]<br>東風日産乗用車公司
| 自由項目2(項目名)=
| 自由項目2(内容)=
|別名=[[日産・アルティマ]](6代目)|エンジン位置=フロント|プラットフォーム=[[日産・Dプラットフォーム|Dプラットフォーム]]}}
 
2015年のニューヨーク国際オートショーで披露され、同年6月3日に北米市場で発表・発売を開始した。日産の最先端技術を搭載した8代目となる同車は、優れた走行性能、最新のデザインを誇り、中型セダンセグメントに新基準を打ち立てる「4ドア スポーツカー」として革新的なモデルとなっている。
 
新型「マキシマ」は、2014年の北米国際自動車ショーで披露した斬新な「スポーツセダンコンセプト」をコンセプトモデルとしている。
 
同車に搭載する新型3.5L・V6エンジン「VQ35DE」は、型式と基本設計こそキャリーオーバーではあるが、約6割の部品を新規に採用したことで、従来型比15%の燃費向上を実現。6400rpmで300馬力の出力が得られる。また、プラットフォームも先代の「Dプラットフォーム」のキャリーオーバーだが、新たに[[日産・CMF|CMF]]の技術要素を盛り込んでいる。
 
エクステリアは、「スポーツセダンコンセプト」で提示した新しい基本設計概念に基づき、同セグメントとしては画期的なワイドアンドローによりスポーティーなプロポーションを実現した。更に、Vモーショングリル、ブーメランシェイプのランプ、フローティングルーフ等、最新のニッサンデザインランゲージを余すことなく表現している。
 
インテリアにおいては、ダッシュボードおよびコンソールのレイアウト、ドライバー側に振ったコンソール上の「ディスプレーコマンダー」が、スポーティーさを感じさせる一方で、素材や仕上げにこだわった作り込みが同セグメントに相応しいプレミアム感を表現しており、これらが絶妙にブレンドされた空間を実現している。
 
新型「マキシマ」のハンドリングと乗り心地は、日産ブランドのセダン初となる1.2GPa級高成形性超ハイテン材([[新日鉄住金]]、[[神戸製鋼]]との共同開発)の採用により向上した。また、これにより、現行モデルに対して、ねじれ剛性を25%改善し、82ポンド(約37kg)の軽量化に成功した。
 
2015年8月には、[[韓国日産]]を通じて[[韓国]]市場でも販売することを発表、同日に予約開始を行った。
 
2015年11月には、中国仕様車は(中国名: {{lang|zh|西玛}})広州モーターショーに発表。2016年4月25日から同市場での販売を開始した。
 
2019年10月には、[[インパル]]を通して日本国内での販売を開始。ベースは北米仕様車で灯火類などを国内の法規に改良しての販売となる。
 
2022年9月17日-北米日産が2023年モデルを発表<ref>{{Cite web |title=日産『マキシマ』2023年型、セダンの形のスポーツカー(レスポンス) |url=https://news.line.me/detail/oa-responsejp/mfdg86pw4mxd |website=LINE NEWS |access-date=2022-09-28 |language=ja}}</ref>。ベース価格は3万8140ドル。すべてのグレードの内外装に、日産の新ブランドロゴを採用。プラチナグレードには、セミアニリンレザーシートと照明付きキックプレートを追加装備する。
 
== 車名の由来 ==
英語の[[Maximum]]の複数形で"[[Maxima]]"より。「[[最大限]]」「[[最大数]]」などをさす言葉。もともとは[[日産・ブルーバード|ブルーバード]]の北米輸出向け6気筒エンジン搭載車のシリーズ名であった。また、さらに遡ればA10[[日産・スタンザ|スタンザ]]の最上級グレード名でもあった。
 
== 脚注 ==
{{reflist}}
 
== 関連項目 ==
{{commonscat|Nissan Maxima}}
*[[日産・ティアナ]]
*[[日産・セフィーロ]]
*[[日産・ブルーバード]]
*[[日産・アルティマ]]
 
== 外部リンク ==
[[Category:プロレス番組|せんにほんふろれすちゆうけい]]
*[https://www.nissanusa.com/vehicles/cars/maxima.html Nissan Maxima(英語)]
[[Category:日本テレビのスポーツ番組|せんにほんふろれすちゆうけい]]
{{NISSAN}}
[[category:全日本プロレス|せんにほんふろれすちゆうけい]]
{{1980-1999 NISSAN Timeline}}
{{自動車}}
{{Normdaten}}
{{デフォルトソート:につさんまきしま}}
[[Category:日産の車種|まきしま]]
[[Category:セダン]]
[[Category:グッドデザイン賞受賞車 (自動車)]]<!--3代目-->