削除された内容 追加された内容
Mochitea (会話 | 投稿記録)
m 文字の装飾を解除。必要性がないため。
m 曖昧さ回避ページ松葉町へのリンクを解消、リンク先を松葉町 (豊橋市)に変更(DisamAssist使用)
 
(4人の利用者による、間の4版が非表示)
1行目:
{{出典の明記|date=2020年10月}}
{{神社|
| 名称=二川伏見稲荷|
| 画像=[[画像:Le Temple Shintô Futagawa-Fushimi-Inari - Le haiden (La construction du culte).jpg|270px]]<br />拝殿|
| 所在地=[[愛知県]][[豊橋市]]大岩町西郷内160|
| 位置={{ウィキ座標2段度分秒|34|43|39.7|N|137|26|38.9|E|region:JP-23_type:landmark|display=inline,title|name=二川伏見稲荷}}|
| 祭神=[[稲荷大神]]|
| 社格=|
| 創建=[[1910年(明治]]43年|
| 札所等=|
| 例祭=[[4月]]第1[[日曜日|日曜]]<br />[[11月3日]]}}
{{mapplot|137.444139|34.727694|二川伏見稲荷}}
}}
 
{{Location map|Japan Mapplot|coordinates={{Coord|34.727694|137.444139}}|caption=二川伏見稲荷|width=256}}
 
'''二川伏見稲荷'''(ふたがわふしみいなり)は、[[愛知県]][[豊橋市]]にある[[神社]]。
 
春には、境内の御衣黄桜(ぎょいこうざくら)が、淡緑色から淡紅色へと変化していく花をつけるので知られている。
 
== 由緒 ==
当社は[[1910年(明治]]43年[[11)11]]に初代教長・浦野勝雍が[[京都]]の[[伏見稲荷大社]]から[[分霊]]を頂いた年を創祀としている。
当初は[[豊橋市]][[松葉町]]で[[宣教|布教]]に努めたが、信者数が多くなり手狭になったので、環境の良い現在の地を選び、[[昭和]]2年[[2月]]に[[教会|教会所]]が完成した。
 
当初は[[豊橋市]][[松葉町 (豊橋市)|松葉町]]で[[宣教|布教]]に努めたが、信者数が多くなり手狭になったので、環境の良い現在の地を選び、[[1927年(昭和]]2年[[2)2]]に[[教会|教会所]]が完成した。
その後、昭和10年[[教務]]が2代教長・浦野喜雍に引継がれ、戦争、敗戦と激しく変わる時代にあっても[[神灯]]を点し続けた。昭和44年[[境内]]を横切る[[バイパス道路|バイパス]]の建設を機会に、創祀60年記念事業として昭和44年春[[社殿]]を、昭和46年春「伏見会館」と「大鳥居」を建設した。
 
[[平成]]17年には社殿の[[屋根]]葺替工事を完工し、平成22年には創祀100年事業として参籠所改修工事を行った。
その後、1935年(昭和10年)には[[教務]]が2代教長・浦野喜雍に引継がれ、戦争、敗戦と激しく変わる時代にあっても[[神灯]]を点し続けた。1969年(昭和44年)には[[境内]]を横切る[[バイパス道路|バイパス]]建設されたのを機に、創祀60年記念事業として1969年(昭和44年[[社殿]]を、1971年(昭和46年伏見会館大鳥居を建設した。
 
[[2005年(平成]]17年には社殿の[[屋根]]葺替工事を完工し、2010年(平成22年には創祀100年事業として参籠所改修工事を行った。
 
== 年間行事 ==
31 ⟶ 38行目:
* 秋季大祭 - [[11月3日]]
* 大祓式 - [[12月31日]]
 
== 交通アクセス ==
[[東海旅客鉄道|JR]][[東海道本線]][[二川駅]]より徒歩8分
 
== 境内 ==
44 ⟶ 48行目:
ファイル:二川伏見稲荷 御山巡拝 入口.jpg|alt=御山巡拝の入口|御山巡拝の入口
</gallery>
 
== 交通アクセス ==
* [[東海旅客鉄道|JR]][[東海道本線]][[二川駅]]より徒歩8分
 
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Futagawa-fushimi-inari}}
* [{{Official|http://futagawainari.net/ 二川伏見稲荷 ウェブサイト]}}
 
{{神道 横}}