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|所在地郵便番号=250-0014
|所在地=神奈川県小田原市城内7-8
| 緯度度 = 35 | 緯度分 = 14 | 緯度秒 = 58.9 | N(北緯)及びS(南緯) = N
|電話=0465-23-1377
| 経度度 = 139 |経度分 = 9 | 経度秒 = 17.7 | E(東経)及びW(西経) = E
}}
| 地図国コード = JP
 
}}<span style="display:none">{{ウィキ座標2段度分秒|35|14|58.9|N|139|9|17.7|E|region:JP}}</span>
小田原市郷土文化館(おだわらしきょうどぶんかかん)は、[[神奈川県]][[小田原市]]城内の[[小田原城|史跡小田原城跡]]([[小田原城址公園]])内にある、[[郷土]]の[[自然]]・[[歴史]]・[[文化]]に関する[[博物館]]相当施設である。
 
[[File:小田原市郷土文化館.jpg|thumb|小田原市郷土文化館]]
==概要==
小田原市の歴史・[[考古学|考古]]・文化・[[民俗]]および自然に関する資料を、収集、保管、展示し、郷土の文化の向上に資するために、[[1955年]](昭和30年)に旧小田原市立図書館(現:観光課事務所)を利用して設置された施設である。
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==施設==
*敷地面積 1,298m&sup2;298[[平方メートル|m<sup>2</sup>]]
*延床面積 1,111.58m&sup2;<sup>2</sup>
*構造 木造トタン葺 2階建一部平屋建
 
現在の施設は、[[1945年]](昭和20年)に[[神奈川県]]が小田原職業紹介所として、のちに女性の社会進出を支援する婦人専修職業訓練校として建設、改修された木造2階建ての施設であり、そもそも博物館を設置する目的で建てられたものではない。よって展示や収蔵スペースには制約も多い。<!--建設されてから実に60年以上を経過した古い建物を使っているため、-->建物の老朽化を指摘されることが多いが、国の[[史跡]]指定地内の建築物であるため、現地に新たに施設を建築することも、大規模な改修を行うこともほぼ不可能であると考えられる<ref>「史跡小田原城跡本丸・二の丸整備基本構想」により、現在地から移転すべき施設として指摘されている</ref>。
収集・保管・展示については、同じ[[小田原城址公園]]内にある小田原城天守閣や歴史見聞館では[[後北条氏]]や[[小田原藩]]の資料を、小田原市栢山にある尊徳記念館には[[二宮尊徳]]関係の資料を、小田原市南町にある[[小田原文学館]]及び白秋童謡館には[[北原白秋]]をはじめとする小田原出身、居住の作家・文学者の資料を、それぞれ別に収集・保管・展示していることもあり、小田原市を語る上では重要と思われるこれらの展示については、手薄であるか展示自体がないこともある。
 
===展示室===
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*[[歴史資料]]室 施設1階の正面入口から続く通路の突き当たり奥の位置にある資料室。入室して左に曲がれば奥の文化人資料室へ連続する。[[奈良時代]]の千代寺院跡出土瓦から後北条氏、小田原藩に至る古代から近世の小田原の歴史を知る資料が展示されている。
 
*[[文化人]]資料室 歴史資料室から連続する位置にある資料室。入室して左に曲がり、奥にあるやや狭く短い通路を通じて考古資料室へと連続する。明治大正昭和期の小田原を紹介する資料が展示されている。[[小田原文学館]]及び白秋童謡館が設置されるまでは、北原白秋以下小田原ゆかりの作家・文化人に関する展示は、主にこの資料室を使って展示されていたが、その設置に伴い資料を移してしまい、文化人の資料がほとんど無くなったため、現在では近代の庶民の生活などに焦点を合わせた展示に内容が変わっている。
 
*[[考古資料]]室 文化人資料室から連続する位置にある資料室。入室して左に曲がると奥に二階に上がる階段と正面入口から続く通路に出ることが出来る。市内各所から出土した[[縄文時代|縄文]]・[[弥生時代]]の[[土器]]や[[石器]]、久野古墳群等の[[古墳時代]]の副葬品などの考古資料が展示されている。
 
*[[民俗資料]]室 施設2階、階段を昇って右側にある資料室。[[農具]]・[[民具]]等を中心とした市内の民俗資料が展示されている。室内奥には[[近世]]から[[近代]]を想定したと思われる[[住宅|民家]]が実物大で再現されている。なお、小田原はかつて[[漁業]]が盛んであったため、[[漁具]]等の民俗資料が多く収蔵されており、資料室に展示しきれずに2階通路部に展示されている。
 
*[[自然科学]]資料室 施設2階、階段を昇って左側にある資料室。小田原・[[箱根]]に生息する動植物や[[相模湾]]、市内河川の[[魚介類]]の[[剥製]]・[[標本]]を中心に展示がされている。
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*北条氏文書天正9年(虎ノ朱印文書)(1件・1枚(昭和44年)小田原市指定(古文書))
*千代南原遺跡第IV地点1号土坑出土土器(1件・15点、(平成18年)小田原市指定(考古資料))
*千代南原遺跡第IV地点1号土坑出土鍛冶関係遺物(1件・16点、(平成18年)小田原市指定(考古資料))
*千代寺院跡出土瓦(1件・16点、(平成18年)小田原市指定(考古資料))
*紙本着彩小田原城絵図豊田図(1件・1枚(昭和56年)小田原市指定(歴史資料))
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*[[2000年]](平成12年)[[9月26日]] 老欅荘、葉雨庵が国の[[登録有形文化財]]に登録される。
*[[2001年]](平成13年)4月 老欅荘の整備が終わり、公開する。
*[[2006年]](平成18年)[[12月27日]] 千代南原遺跡第IV地点1号土坑出土土器及び鍛冶関係遺物、千代寺院跡出土瓦、田島人形が市指定文化財になる。
*[[2009年]](平成21年)[[1月18日]] 開館以来の入館者数が250万人を数える。
 
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*神奈川県小田原市城内7-8
 
== 交通 ==
* [[JR線]]・[[小田急電鉄]][[小田急小田原線|小田原線]]他[[小田原駅]]から徒歩10分
 
==脚注==
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*小田原市教育委員会発行『小田原の文化財』 
 
== 外部リンク ==
*[httphttps://www.city.odawara.kanagawa.jp/public-i/e_ffacilities/kyodo/kyodo-top.html 小田原市郷土文化館]
*[{{Wayback|url=http://www.city.odawara.kanagawa.jp/public-i/e_ffacilities/kyodo/matumatunagakinenkan.html |title=小田原市郷土文化館別館松永記念館] |date=20110406171624}}
 
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:おたわらしきようとふんかかん}}
[[Category:神奈川県小田原市の博物館]]
[[Category:日本の郷土博物館]]
[[Category:民具展示施設]]
[[Category:小田原市1955年開設の博物館]]