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{{Otheruses|フジテレビ系列のテレビ局である「株式会社仙台放送」|設立当初「仙台放送株式会社」であったラジオ局|東北放送}}
{{Pathnav|フジサンケイグループ|フジ・メディア・ホールディングス|frame=1}}
{{基礎情報 会社
| 社名 = 株式会社仙台放送
| 英文社名 = Sendai Television Incorporated
| ロゴ = [[File:仙台放送.png|200px]]
| 画像 = [[File:Sendai Television.JPG|300px]]
| 画像説明 = 仙台放送社屋(2010年2月)
| 種類 = [[株式会社 (日本)|株式会社]]
| 市場情報 = <!-- 株式非公開会社において「非上場」などと書く必要はありません -->
| 略称 = OX
| 国籍 = {{JPN}}
| 本社郵便番号 = 980-8433
| 本社所在地 = [[仙台市]][[青葉区 (仙台市)|青葉区]][[上杉]]5丁目8-33
| 本社緯度度 = 38|本社緯度分 = 16|本社緯度秒 = 28.2|本社N(北緯)及びS(南緯) = N
| 本社経度度 = 140|本社経度分 = 52|本社経度秒 = 26.9|本社E(東経)及びW(西経) = E
| 座標右上表示 = Yes
| 本社地図国コード = JP
| 本店郵便番号 =
| 本店所在地 =
| 設立 = [[1961年]][[10月4日]]
| 業種 = 情報・通信業
| 統一金融機関コード =
| SWIFTコード =
| 事業内容 = [[放送法]]に基づくテレビジョン放送事業
| 代表者 = [[稲木甲二]](代表取締役[[社長]])<ref name=company>[http://www.ox-tv.co.jp/company/ 会社案内] - 仙台放送</ref>
| 資本金 = 2億円(2019年3月31日現在)<ref name="fy">{{Cite web|和書|url=https://www.ox-tv.co.jp/company/closing-report_71th-stage.html |title=決算公告(71期) |publisher=株式会社仙台放送 |accessdate=2020-04-28}}</ref>
| 発行済株式総数 =
| 売上高 = 72億972万2854円(2021年度)<ref name="JBA">{{Cite book|和書|author=日本民間放送連盟|authorlink=日本民間放送連盟|date=2022-11-30|title=日本民間放送年鑑2022|publisher=コーケン出版|page=264}}</ref>
| 営業利益 = 4億6129万8736円(2021年度)<ref name="JBA"/>
| 経常利益 = 5億7254万2970円(2021年度)<ref name="JBA"/>
| 純利益 = 4億7707万7087円(2021年度)<br /><ref name="JBA"/>
| 純資産 = 163億7417万8686円(2021年度)<br /><ref name="JBA"/>
| 総資産 = 192億7150万5433円(2021年度)<br /><ref name="JBA"/>
| 従業員数 = 122名(2019年4月1日現在)<ref name=company/>
| 決算期 = 3月31日
| 主要株主 = [[フジ・メディア・ホールディングス]] 72.4%
| 主要子会社 = [[#関連会社]]参照
| 関係する人物 =
| 外部リンク = https://www.ox-tv.co.jp/
| 特記事項 =
}}
 
{{日本のテレビ局
{{ActorActress
|英名=Sendai Television Incorporated
| 芸名 = 石原 裕次郎
|英項名=Sendai Television
| ふりがな = いしはら ゆうじろう
|地域=[[宮城県]]
| 画像ファイル = 吹き込みの様子(1957年).jpg
|キー局=[[フジテレビジョン|フジテレビ]]
| 画像サイズ = 220px
|系列=[[フジニュースネットワーク|FNN]]|番組=[[フジネットワーク|FNS]]|
| 画像コメント = [[1957年]]
|略=OX
 
|愛称=仙台放送、仙放
| 愛称 = ボス、Yujiro、タフガイ、裕ちゃん、裕さん
|コールサイン=OX
| 出生地 = {{JPN}} [[兵庫県]][[神戸市]][[須磨区]]
|呼出名称=せんだいほうそう<br />デジタルテレビジョン
| 死没地 = {{JPN}} [[東京都]][[新宿区]][[信濃町 (新宿区)|信濃町]]([[慶應義塾大学病院]])<ref>{{Cite web|url=https://gendai.ismedia.jp/mwimgs/0/f/-/img_0fd9f8ab813393dc05d2af0945e6b79e847910.jpg|title=史上初の大調査 著名人100人が最後に頼った病院 あなたの病院選びは間違っていませんか|publisher=現代ビジネス|date=2011-08-17|accessdate=2019-12-19}}</ref>
|年=1962年
| 民族 = [[日本人]]
|月日=10月1日
| 身長 = 178cm
|郵便番号=980-8433
| 血液型 = [[ABO式血液型|A型]]
|都道府県=
| 生年 = 1934
|本社=仙台市青葉区上杉5丁目8-33
| 生月 = 12
|演奏所=本社と同じ
| 生日 = 28
|都市名=仙台
| 没年 = 1987
|ch1=12|ch2=12
| 没月 = 7
|id=8|dch=21
| 没日 = 17
|中継局=石巻 57ch<br />
| 職業 = [[俳優]]、[[歌手]]、[[司会者]]、[[モデル (職業)|モデル]]、[[実業家]]、[[ヨットマン]]、[[マルチタレント]]
村田 58ch<br />
| 活動期間 = [[1956年]] - [[1987年]]
白石 8ch<br />
| 活動内容 = [[1956年]]:『[[太陽の季節]]』でデビュー。
柴田船迫 41ch<br />
| 配偶者 = [[石原まき子]](北原三枝)
ほか
| 著名な家族 = 父:石原潔<br />母:石原光子<br />兄:[[石原慎太郎]]<br />甥:[[石原伸晃]]・[[石原良純]]・[[石原宏高]]・[[石原延啓]]
|デジ中継局=涌谷 21ch
| 事務所 =
|リンク=https://www.ox-tv.co.jp/
| 公式サイト =
|特記事項=
| 主な作品 = '''映画'''<br />『[[太陽の季節]]』<br />『[[狂った果実 (小説)|狂った果実]]』<br />『[[嵐を呼ぶ男]]』<br/>『[[銀座の恋の物語]]』<br />'''テレビドラマ'''<br />『[[太陽にほえろ!]]』<br />『[[大都会 (テレビドラマ)|大都会]]』シリーズ<br />『[[西部警察]]』シリーズ
| アカデミー賞 =
| 英国アカデミー賞 =
| エミー賞 =
| ゴールデングローブ賞 =
| ゴールデンラズベリー賞 =
| グラミー賞 =
| トニー賞 =
| 日本アカデミー賞 =
| ブルーリボン賞 = '''新人賞'''<br />[[1957年]]『勝利者』<br />'''企画賞'''<br />[[1964年]]『[[太平洋ひとりぼっち]]』
| キネマ旬報ベスト・テン =
| 毎日映画コンクール = (特別賞:死後)
| エランドール賞 = *[[ゴールデン・アロー賞]](特別功労賞:死後)
*[[映画制作者協会]](新人賞:1957年)
*[[国民映画賞]](新人賞:1957年)
| その他の賞 = [[日刊スポーツ映画大賞・石原裕次郎賞|石原裕次郎賞]](追悼創設)<br />[[映画の殿堂]](1990年)<br />[[毎日映画コンクール]](特別賞:死後)
}}
[[File:Sendai Television Mogasaki transmitting station.JPG|thumb|240px|right|茂ヶ崎送信所 (旧本社跡地)]]
'''石原 裕次郎'''(いしはら ゆうじろう、[[1934年]]([[昭和]]9年)[[12月28日]] - [[1987年]](昭和62年)[[7月17日]])は、[[日本]]の[[俳優]]、[[歌手]]。兄は、[[芥川賞]]を受賞した[[小説家]]で[[政治家]]の[[石原慎太郎]]。
 
'''株式会社仙台放送'''(せんだいほうそう、{{Lang-en-short|''Sendai Television Incorporated''}})は、[[宮城県]]を[[放送対象地域]]とする[[テレビジョン放送]][[事業]]を行っている[[特定地上基幹放送事業者]]である。
[[石原プロモーション]]創立者で、初代代表取締役社長兼会長。[[ヨットマン]]としても活動していた。昭和を代表する俳優・[[タレント]]とされている。[[2000年]]に発表された『[[キネマ旬報]]』の「[[キネマ旬報20世紀の映画スター|20世紀の映画スター]]・男優編」で日本男優の2位、同号の「読者が選んだ20世紀の映画スター男優」では第6位になった。
 
== 生涯概要 ==
略称は、計画段階ではその時点の英文社名「''Sendai Television Broadcasting Corp.''」の頭文字を取ったSBCだったが既に[[信越放送]]が使用していたために、[[仙台市|仙台]]親局のコールサイン「'''[[日本の放送局所の呼出符号#JO*X_2|JOOX-DTV]]'''」の後ろ2文字である'''OX'''(過去にOXTとの略称使用例あり)<ref group="注釈">フジテレビはもとから正式な略称をつけたことがなく、略称「CX」も正式なものではない。フジテレビ系列でコールサインの後ろ2文字を'''正式'''に略称にしているのは仙台放送だけである。ただしFNS加盟局一覧に略称の表記がないのはフジテレビと同じ。なお、公に「OX」が使われるのは、「[[夜のヒットスタジオ]]」でのネット局ロールくらいであった。</ref>になった(ウェブサイトの[[ドメイン名]]も「ox-tv.co.jp」である)。
===生い立ち===
[[1934年]](昭和9年)[[12月28日]]([[金曜日]])に父石原潔([[山下汽船]]社員、[[愛媛県]]出身)、母光子([[広島県]][[宮島町|宮島]]の出身)<ref>{{Cite web |url=http://www.tv-asahi.co.jp/mother/contents/100/backnumber/20224.html |title=石原慎太郎・裕次郎の母 〜時代の寵児を育んで〜 |work=グレートマザー物語 |publisher=テレビ朝日 |date=2002-02-24 |accessdate=2016-10-09 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20021202203720/http://www.tv-asahi.co.jp/mother/contents/100/backnumber/20224.html |archivedate=2002-12-02}}</ref><ref>[[佐野眞一]]『てっぺん野郎─<span style="font-size:90%;">本人も知らなかった石原慎太郎</span>』([[講談社]] 2003年)</ref>のもと、[[兵庫県]][[神戸市]][[須磨区]]で誕生。北海道[[小樽市]]および神奈川県[[逗子市]]で育つ。
 
[[フジテレビ系列]]([[フジニュースネットワーク|FNN]]・[[フジネットワーク|FNS]])フルネット局であり、東北地方に於ける同系列の[[基幹局]]でもある。県内企業では[[七十七銀行]]との関係が深く、会社設立には[[フジテレビジョン|フジテレビ]]や[[産業経済新聞社]]([[産経新聞]])など[[フジサンケイグループ]]が関わったことから、フジテレビ系の[[ローカル局]]では大きな発言力を持つ局の1つである。[[日本のリモコンキーID#地上波系統について|リモコンキーID]]はキー局のフジテレビ・準キー局の[[関西テレビ放送|関西テレビ]]等と同じ「'''8'''」で、フジテレビとは仙台親局の物理チャンネルも'''21ch'''で同じ。
小樽のマリア幼稚園(現在の[[小樽藤幼稚園]])卒園、小樽の[[小樽市立稲穂小学校|稲穂国民学校]]時代に、[[競泳]]や([[天狗山 (小樽市)|天狗山]] で)[[スキー]]に親しむ。[[逗子市立逗子中学校|逗子中学校]]時代からは[[バスケットボール]]に熱中し、五輪出場を目指していたこともあったが<ref name=kine/>、高校2年時の怪我でその夢を諦めた<ref name=kine/>。[[慶應義塾高等学校]]の受験に失敗し、[[慶應義塾志木高等学校|慶應義塾農業高等学校]]に進学したが、[[1951年]]に慶應義塾高校に編入学。卒業後は[[慶應義塾大学大学院法学研究科・法学部|慶應義塾大学法学部]][[政治学|政治学科]]に内部[[進学]]するが、正に『[[太陽の季節]]』そのものという様な[[放蕩]]生活に明け暮れていた<ref name=kine/>。
 
[[2016年]]([[平成]]28年)[[12月20日]]付で、フジテレビの親会社である[[フジ・メディア・ホールディングス]](FMHD)が関連会社2社などから株式を追加取得することで、FMHDの[[連結子会社]]となった。在京キー局を子会社に置く[[放送持株会社]]が地方系列局を連結子会社化するのは、仙台放送が全国で初の事例となる<ref>{{Cite web|和書|format=PDF|url=http://contents.xj-storage.jp/xcontents/46760/ad8026f7/7929/47cc/bb36/9dcd5ef6c73a/20160628152158615s.pdf|title=有価証券報告書-第75期(平成27年4月1日-平成28年3月31日)|publisher=フジ・メディア・ホールディングス|date=2016-06-28|accessdate=2021-08-02}}</ref><ref>{{Cite news|title=<フジHD>仙台放送を子会社化|newspaper=[[河北新報]]オンラインニュース|date=2016-12-1|url=http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201612/20161201_12058.html|accessdate=2016-12-6}}</ref>。
===映画デビュー、映画スター、歌手活動===
大学在学中から俳優を目指し、[[東宝]]と[[大映]]、[[日活]]の[[オーディション]]を受けるも全て不合格であった。デビューについて複数の説があるが<ref name=kine>{{cite web|url=http://www.kinenote.com/main/public/cinema/person.aspx?person_id=89136|title=石原裕次郎略歴|publisher=Kinenote|access-date=2022-7-12}}</ref>、1956年に、慎太郎の[[芥川賞]]受賞作『太陽の季節』の映画化の時に、映画プロデューサー[[水の江瀧子]]と兄・慎太郎の推薦があって、同映画作品の端役で映画デビューした<ref>{{Citation|和書|author=上田正昭ほか監修|editor=三省堂編修所|year=2009|title=コンサイス日本人名事典 第5版|publisher=三省堂|page=105}}</ref>。
 
[[キャッチコピー]]は、[[2017年]](平成29年)の開局55周年を記念して制定された「'''かける。仙台放送'''」。[[2016年]](平成28年)までは「'''8゛まるよ!(はじまるよ) 仙台放送'''」が使われていた。また[[2011年]](平成23年)[[3月11日]]に発生した[[東日本大震災]]以降は「'''ともに 仙台放送'''」の[[キャッチコピー]]が使われている。
日活入社前には兄慎太郎が強く推薦したことにより大映映画の『[[処刑の部屋]]』に主演し、大映入りする可能性があったが、慎太郎が断りを入れ<ref> 完本 市川崑の映画たち 2015年 洋泉社、P.217</ref>、日活と契約した。1956年、『太陽の季節』に続いて製作された、同じく慎太郎原作の映画化作品『[[狂った果実 (小説)|狂った果実]]』では主演、この時歌手デビューを果たした<ref name=kine/>。(具体的な出演作品については、[[#映画]]を参照のこと。歌手としての活動については[[石原裕次郎の作品]]、[[石原裕次郎のシングル一覧]]、[[石原裕次郎のアルバム一覧]]を参照のこと)。同年、[[芦川いづみ]]と共演した『[[乳母車 (映画)|乳母車]]』での好演で評価を高め<ref name=kine/>、製作者協会新人賞を受賞を与えられたが、この年で大学を中退した<ref name=kine/>。
 
[[仙台市]][[青葉区 (仙台市)|青葉区]]に[[本社]]、[[演奏所]]を置く唯一の[[民放]][[テレビ局]]でもある。以前は[[東日本放送]](khb)も同区双葉ケ丘に本社、演奏所を置いていたが[[2021年]]([[令和]]3年)9月に[[太白区]]長町に移転した。青葉区内には、このほか当社とつながりが深い[[エフエム仙台]]([[DATE FM|Date fm]])、[[NHK仙台放送局]]、[[コミュニティFM局]]の[[仙台シティエフエム]]([[仙台シティエフエム|RADIO 3]])がある。
1957年、映画『[[俺は待ってるぜ]]』、『[[嵐を呼ぶ男]]』など軒並みヒットし、この頃人気は絶頂を迎えた<ref name=kine/>。また[[ブルーリボン賞 (映画)|ブルーリボン賞]]新人賞受賞も受賞した<ref name=kine/>。
 
== 沿革 ==
1960年1月、交際が噂されていた[[北原三枝]]とアメリカ婚前旅行月、4月には婚約を発表<ref name=kine/>、結婚後も人気を維持し、『[[あじさいの歌]]』、『[[闘牛に賭ける男]]』など出演作の興業成績が好調であった<ref name=kine/>。1962年頃には渡り鳥シリーズの大ヒットで[[小林旭]]人気の高まりとともに、これまでと異なる作品に出演するようになった<ref name=kine/>。
* [[1961年]]([[昭和]]36年)
** [[8月4日]] - 予備免許交付。
** [[10月4日]] - 「株式会社仙台放送」設立。
* [[1962年]](昭和37年)[[10月1日]] - 宮城県内の2番目の民放テレビ局として、[[仙台市]]茂ヶ崎<ref group="注釈">政令指定都市移行後は、仙台市太白区茂ヶ崎。</ref>に開局。(一部日本教育テレビ(NETテレビ。現・[[テレビ朝日]])の番組もネット)。
** 茂ヶ崎の演奏所は、親局送信所と同じ位置に建設。開局当初の本社は、仙台市内の新仙台ビルにあった<ref>仙台放送20年のあゆみ p23</ref>。
* [[1965年]](昭和40年)[[12月24日]] - カラー放送開始。
* [[1970年]](昭和45年)
** [[8月]] 在仙局初のカラー中継車を導入<ref>仙台放送20年のあゆみ p52</ref>。
** [[10月1日]] [[宮城テレビ放送|宮城テレビ]](MTB)<ref group="注釈">1975年9月からは、'''ミヤギテレビ'''の愛称に変更。</ref>の開局で、フジテレビ系列(FNN,FNS)に1本化される。
* [[1972年]](昭和47年)[[4月22日]] - [[泉市]][[南光台]]<ref group="注釈">現在の[[仙台市]][[泉区 (仙台市)|泉区]][[南光台]]。</ref>に「OXハウジングプラザ」をオープン<ref>仙台放送20年のあゆみ p54</ref>。
* [[1977年]](昭和52年)
** [[7月18日]] - 増築棟から放送開始<ref name="仙台放送20年のあゆみ">仙台放送20年のあゆみ p93</ref>。
** [[9月3日]] - 本社を新仙台ビルから茂ヶ崎放送センターに移転<ref name="仙台放送20年のあゆみ"></ref>。
** [[10月15日]] - 増築棟竣工<ref>仙台放送20年のあゆみ p60</ref>。
* [[1980年]](昭和55年)[[3月20日]] - [[音声多重放送]]開始<ref>{{Cite journal|和書|editor=日本民間放送連盟|title=放送日誌(55年3月)|journal=月刊民放|volume=10|issue=6|publisher=日本民間放送連盟|date=1980-06-01|pages=50|id={{NDLJP|3470934/26}}}}</ref><ref group="注釈">[[東北放送|東北放送テレビ]]、[[宮城テレビ放送|ミヤギテレビ]]も同日開始。</ref>。
* [[1992年]]([[平成]]4年)[[10月1日]] - 開局30周年を機に、[[コーポレートアイデンティティ|CI]]導入。社章・ロゴマークを現行のものに変更<ref group="注釈">本記事企業情報テンプレートにあるロゴタイプ。仙台放送の"台"に"O"、"放"に"X"が見え隠れしている。</ref>(別項参照)。
* [[2002年]](平成14年)- 開局40周年を機に、イメージキャラクター、'''[[JUNI]]'''を採用。
* [[2004年]](平成16年)
** [[4月]] - [[青葉区 (仙台市)|青葉区]][[上杉]]5丁目の現社屋が完成し、[[太白区]]茂ヶ崎の旧社屋から移転作業開始。
** [[11月1日]] - 上杉5丁目の現社屋に移転完了。同時に、地上デジタル統合マスター(東芝製)への更新が完了、稼働する<ref group="注釈">また、同日[[宮城テレビ放送|ミヤギテレビ]](MMT)も更新したが、こちらはNEC製を採用。なお2019年(平成31年)2月25日にも更新が行われたが、MMTも東芝製となった。</ref>。
** この頃、英文社名を「Sendai Television Broadcasting Corp.」から「Sendai Television Incorporated」に変更。
* [[2005年]](平成17年)[[12月1日]] - [[地上デジタルテレビジョン放送|地上デジタルテレビ放送]]の本放送を開始([[NHK仙台放送局|NHK仙台]]・[[東北放送|TBC]]・[[宮城テレビ放送|MMT]]と同日)。
* [[2006年]](平成18年)[[4月14日]] - [[ワンセグ]]本放送開始。
* [[2011年]](平成23年)[[3月11日]] - [[東北地方太平洋沖地震]]([[東日本大震災]])発生により、この日午後から[[3月15日]]未明まで[[コマーシャルメッセージ|CM]]抜きの[[報道特別番組]]を編成。
* [[2012年]](平成24年)
** [[3月]] - フジ・メディア・ホールディングス[[持分法]]適用関連会社になる。
** [[3月31日]] - [[NTSC#日本における実装 (NTSC-J)|地上アナログ放送]][[停波]](当初は[[2011年]](平成23年)[[7月24日]]停波予定だったが、[[東日本大震災]]に伴い中止、[[東日本大震災に伴う地上デジタル放送に係る電波法の特例に関する法律|特例法]]により同日に延期)。
* [[2016年]](平成28年)[[12月20日]] - フジ・メディア・ホールディングスの[[連結子会社]]となる<ref name="#2"/><ref>{{cite news |title=フジ・メディアHD、仙台放送を連結子会社に 経営安定を支援|author=|agency=|publisher=日本経済新聞|date=2016-11-30|url=http://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ30HTG_Q6A131C1TI5000/|accessdate=2016-12-2}}</ref>。
* [[2022年]](令和4年)10月1日 - 開局60周年。
 
== ネットワークの移り変わり ==
===石原プロモーション設立、映画製作、テレビドラマ制作===
* [[1962年]](昭和37年)[[10月1日]] - [[日本テレビ放送網|日本テレビ]][[日本テレビネットワーク協議会|系列]]・[[フジテレビジョン|フジテレビ]][[フジネットワーク|系列]]の[[クロスネット局|クロスネット]]局として開局した。NETテレビ(現・[[テレビ朝日]])の番組もこの時点でネットされていた。またフジテレビ、[[関西テレビ放送|関西テレビ]]、[[東海テレビ放送|東海テレビ]]、[[九州朝日放送]]、[[広島テレビ放送|広島テレビ]]、[[札幌テレビ放送|札幌テレビ]]とともに「7都市新幹線ネットワーク」を完成させた。
1963年に[[石原プロモーション]]を設立<ref name=kine/>。第1回石原プロ製作映画に[[市川崑]]監督を迎え、『[[太平洋ひとりぼっち]]』を製作し<ref name=kine/>、この作品での芸術祭賞を授与された<ref name=kotobank/>。1968年、[[三船敏郎]]と共に製作した映画『[[黒部の太陽]]』は大ヒットした<ref name=kine/>。以降『[[栄光への5000キロ]]』『[[富士山頂 (小説)#映画|富士山頂]]』『[[ある兵士の賭け]]』など大金を費やした骨太の映画作品をいくつも世に送り出したが、映画界斜陽の時代で興業成績が悪く、事務所の経営が悪化した<ref>{{cite web|url=https://bunshun.jp/articles/-/39692?page=2|title=追悼・渡哲也 「石原」の看板を背負った男の運命|publisher==文集オンライン|access-date=2022-7-11}}</ref>。1971年には結核を患い療養することになる<ref>{{cite web|url=https://president.jp/articles/-/34629|title=「テレビにはもう出ない」そんな石原裕次郎を翻意させた後輩のひと言 1ページ目|publisher=プレジデント|access-date=2022-7-11}}</ref>。
* [[1966年]](昭和41年)
** [[4月1日]] NNN([[日本ニュースネットワーク]])加盟。
** [[10月3日]] FNN([[フジニュースネットワーク]])加盟。
* [[1969年]](昭和44年)[[10月1日]] - FNS([[フジネットワーク]])加盟。
* [[1970年]](昭和45年)[[10月1日]] - [[宮城テレビ放送|宮城テレビ]](MTB)の開局により、NNNを脱退し、日本テレビ系列の大半とNETテレビ系列の一部の番組が同局に移行される。
* [[1975年]](昭和50年)[[10月1日]] - [[東日本放送]](KHB)の開局によりわずかに残っていたNETテレビ系列の番組が同局に、日本テレビ系列の番組がmm34<ref group="注釈">1975年(昭和50年)9月1日にMTB(宮城テレビ)からmm34(ミヤギテレビ)へ変更され、1985年(昭和60年)10月に現行の略称であるMMTに変更された。</ref>に移行して完全に姿を消し、フジテレビ系列の[[ネットワーク (放送)|フルネット]]局となる。
 
== 事業所一覧 ==
1972年、旧知の[[舛田利雄]]の勧めや<ref name=eigani>映画にかけた夢 石原プロモーション58年の軌跡 石原裕次郎・渡哲也 週刊朝日ムック p.51-53</ref>、 東宝と日本テレビの粘り強い交渉の末、事務所の経済的事情もあり、13話だけでという約束で[[テレビドラマ]]『[[太陽にほえろ!]]』への出演を開始した<ref>{{cite web|url=https://president.jp/articles/-/34629?page=2|title=「テレビにはもう出ない」そんな石原裕次郎を翻意させた後輩のひと言 2ページ目|publisher=プレジデント|access-date=2022-7-11}}</ref>。予定の通り13話で降板するという石原を夫人や[[竜雷太]]らが説得し、出演を継続することとなり<ref>{{cite web|url=https://president.jp/articles/-/34629?page=5|title=「テレビにはもう出ない」そんな石原裕次郎を翻意させた後輩のひと言 5ページ目|publisher=プレジデント|access-date=2022-7-11}}</ref>、日活黄金期の石原を知らない若い世代にも番組においての名称である'''ボス'''として認識されるなど<ref name=kine/><ref name=kotobank/><ref name=eigani/>、人気を獲得<ref name=eigani/>、番組は1986年まで続き、高い視聴率を記録した<ref name=kine/>。
[[ファイル:The 77 Bank, Ltd. (Tokyo branch).jpg|thumb|かつて東京支社が入居していた七十七銀座ビル]]
* 本社・放送センター 〒980-8433 - [[仙台市]][[青葉区 (仙台市)|青葉区]][[上杉]]5丁目8-33<ref name=company/>
* 東京支社 - 〒104-0061[[東京都]][[中央区 (東京都)|中央区]][[銀座]]5丁目14-1 [[銀座クイントビル]]6階<ref name=company/>
** かつては、[[東京都]][[中央区 (東京都)|中央区]][[銀座]]4丁目14-11の七十七銀座ビルにあった。
** 現在同社東京支社があったビルには[[ジャパン・ニュース・ネットワーク|JNN]]系列局の[[青森テレビ]]の東京支社が[[2022年]]([[令和]]4年)3月まで入居しており、かつては同系列局の[[テレビ山口]]、[[テレビ高知]]、[[山陰放送]]、フジテレビ系列局の[[サガテレビ]]の東京支社も入居していた。
* 大阪支社:〒530-0001 [[大阪市]][[北区 (大阪市)|北区]][[梅田]]2丁目4-9 [[ブリーゼタワー]]10階<ref name=company/>
=== かつて存在した施設 ===
* 初代本社 新仙台ビル
* 茂ヶ崎送信所(旧本社・放送センター)- 〒982-0843 [[仙台市]][[太白区]]茂ヶ崎3丁目12-1
** 跡地は、[[介護老人福祉施設|特別養護老人ホーム]]・大年寺山ジェロントピアとなっている。
* [[仙台フォーラス]]スタジオ・サンクサテライトスタジオ - 『[[夕やけTV編集局]]』にて使用。
かつては[[古川市]](現在の[[大崎市]])、[[気仙沼市]]、[[石巻市]]、またFNNの一員として[[ロサンゼルス]]にも支局を開設していた。
 
== 交通アクセス ==
1973年石原プロ製作の映画『[[反逆の報酬]]』に主演、その後『[[凍河]]』に友情出演、また『[[わが青春のアルカディア]]』では声の出演をしたが、この作品が最後の主演にして最後の本格的な映画出演となった。
=== 鉄道 ===
*[[仙台市地下鉄南北線|地下鉄南北線]][[北四番丁駅]]下車 北2番出口より徒歩7分
*[[東日本旅客鉄道|JR東日本]][[仙山線]]・地下鉄南北線[[北仙台駅]]下車 徒歩15分
=== 路線バス ===
*[[宮城交通]]バス([[仙台駅]] - 上杉 - 東勝山 - [[宮城学院女子大学|宮城学院]]・[[宮城大学]]):毎時1-3本
**仙台放送前バス停 徒歩1分
*[[仙台市営バス]](仙台駅 - 県庁市役所前 - 中江・[[仙台市交通局東仙台営業所|東仙台]]・[[鶴ケ谷 (仙台市)|鶴ケ谷]]方面):毎時5-7本
**上杉二丁目バス停 徒歩3分
なお、移転前にあった仙台市営バスの「仙台放送前」バス停は「茂ヶ崎」に変更されている。現在の「仙台放送前」バス停は当初は「東日本放送前」で、KHBが双葉ヶ丘に移転し、仙台放送が現社屋に移転するまでは「農学部前」として運用されていた。当該路線は仙台市営バスが主体の路線(宮城交通は1日数本)であったが、社屋完成と共に仙台市営バスは宮城学院線から撤退した。奇しくも、撤退後にバス停が「仙台放送前」に変更された。
== 関連会社 ==
*仙台放送エンタープライズ
*仙台リビング新聞社([[フリーペーパー]]『リビング仙台』を発行)
*[[エフエム仙台]](Date FM)
== ロゴマーク ==
[[ファイル:Sendai Television logo (1962-1992).png|250px|サムネイル|右|初代ロゴ]]
* 仙台放送の旧ロゴと旧社章の"''12''"(仙台放送のアナログチャンネル番号)マークの[[デザイン]]は、フジテレビ、[[ニッポン放送]]の旧社章・ロゴの作者である[[亀倉雄策]]が手掛けた。亀倉は、同じ宮城県を放送エリアとする[[東北放送]](TBC)の旧社章・ロゴマークも手掛けている。12マークは、ステレオ放送・二ヶ国語放送表記時の字幕スーパーにも手を加えた形で採用。
* [[1992年]]([[平成]]4年)[[10月1日]]、開局30周年を機に社章・ロゴが変更。現在使用している社章・ロゴは、ニッポン放送の関連会社である[[ニッポン放送プロジェクト]]によって製作された。"仙台放送"の"'''台'''"と"'''放'''"の部分がコールサイン"JOOX-(D)TV"とそれに因む略称"OX"の"'''O'''"と"'''X'''"に見えるのが特徴。
 
== イメージキャラクター ==
1976年からは『[[大都会 (テレビドラマ)|大都会シリーズ]]』、1979年からは『[[西部警察]]シリーズ』などの企画・助演など多面的に活躍しつづけた<ref name=kotobank/>。
*現在のキャラクターは「[[JUNI]](ジュニ)」。[[2002年]]([[平成]]14年)10月に開局40周年を先駆けて登場した。イメージは、コールサインJOOXの「ox」が雄牛から、名前は[[ガイドチャンネル|仙台本社(親局)のチャンネル番号]]にあたる"12"から採用されている。頭に牛の角を生やした男の子である。
*[[2003年]](平成15年)から放送開始と終了にはアニメーションで[[ストーリー]]が組まれている。全7話中、1~5話まで使用。1,3話は放送開始時に、2,4,5話は放送終了時にそれぞれ使われた。
*地上波デジタル放送開始にあたっては、追加装甲を付けて「デジJUNI」に変身している。
*「JUNI」の誕生以前は、開局30周年を契機に誕生した「あそ坊」が存在した。
 
== イメージソング ==
1977年に発売された『ブランデーグラス』は発売時にはほとんど売れなかったが、数年後に『西部警察 PARTI』の第48話「別離のブランデーグラス」の中で裕次郎が歌うと、売り上げが伸び始め、152万枚を売り上げるヒット曲となった<ref> KAMZINE カムジン[[産業経済新聞社]] 2005年8月号、p.43</ref>。1986年、病気療養のため[[渡哲也]]に代役を任せ『太陽にほえろ!』を一度降板、同番組の最終回718話で復帰、ワンカット7分間のアドリブで命の大切さを語る圧巻の演技を見せたが<ref>{{cite web|url=https://www.news-postseven.com/archives/20210828_1686852.html/2|title=石原裕次郎さん『太陽にほえろ!』ラストシーンで吸った闘病中のタバコ|publisher=NEWSポストセブン|access-date=2022-7-11}}</ref><ref>{{cite web|url=https://bunshun.jp/articles/-/52179?page=4|title=「5年前にさぁ…心臓を切った大手術をしたんですよ」石原裕次郎のアドリブが光る“あの刑事ドラマ”の最終回|publisher=文集オンライン|access-date=2022-7-11}}</ref>(後述のエピソード欄にアドリブの補足あり)、これが俳優としての最後の演技に、そして渡哲也との最後の共演になった<ref name=eigani2>映画にかけた夢 石原プロモーション58年の軌跡 石原裕次郎・渡哲也 週刊朝日ムック p.84</ref>。
かつて、『仙台放送の歌』というイメージソングがあり、[[1985年]]([[昭和]]60年)[[9月]]までオープニングに使用されていた<ref>仙台放送20年のあゆみ p27</ref>。作詞は[[石郷岡剛]]、作曲は[[いずみたく]]が手掛け、歌は[[北野路子]]が担当していた。[[2007年]]([[平成]]19年)に発売されたCD2枚組セット「懐かしのせんだいCM大百科」に収録されている<ref>[https://www.amazon.co.jp/%E6%87%90%E3%81%8B%E3%81%97%E3%81%AE%E3%81%9B%E3%82%93%E3%81%A0%E3%81%84%EF%BC%A3%EF%BC%AD%E5%A4%A7%E7%99%BE%E7%A7%91-%E3%81%9B%E3%82%93%E3%81%A0%E3%81%84%EF%BC%A3%EF%BC%AD%E7%89%B9%E6%8D%9C%E9%9A%8A/dp/4990386000 懐かしのせんだいCM大百科 CD – ボックスセット, 2007/1/1] - amazon.co.jp</ref>。
 
== 情報カメラ設置場所 ==
===闘病===
* 上杉本社 - 本社前の[[愛宕上杉通り]](上杉1丁目・上杉6丁目交差点)を映し出す。
1978年、舌下[[潰瘍]]のため入院、手術。その後、[[悪性腫瘍]]([[舌癌]])との診断を受けたが、本人には告知されなかった(1983年再発)。1979年には舌下[[白板症]]と診断され、術後部に潰瘍が出来たため再手術する。
** 移転前、旧・茂ヶ崎本社にも設置されていた。
* [[仙台駅]]東口 - NTTドコモ仙台ビル鉄塔に設置。地上120m相当の位置から仙台駅前を一望する。[[ハイビジョン]]対応。放送終了後の[[放送休止#放送休止時間帯に送出される内容|フィラー]]映像に用いられている。
* [[仙台空港]] - 旅客ターミナルに設置
* [[気仙沼市]] - 気仙沼プラザホテルから[[気仙沼漁港|気仙沼港]]を望む。[[NHK仙台放送局]]を含む、県域の4テレビ放送が同一場所に設置。
* [[東北自動車道]][[仙台南インターチェンジ|仙台南インタージェンジ]]付近
* [[大河原町]]
 
== 黄色い手帳 ==
1981年4月、『[[西部警察]]』のロケ撮影中に背中と胸に激痛が走り、[[慶應義塾大学病院]]に緊急入院。当初[[椎間板ヘルニア]]が疑われたが、その後、[[大動脈解離|解離性大動脈瘤]]と診断され大手術を決行。生還率3%と言われたが、奇跡的な回復を遂げ無事退院した<ref group="注釈">見舞い客は1万2,000人、手紙5,000通、花束2,000束、千羽鶴1,000束、さらには石原の車のボディーにも励ましのメッセージを書く人もあった。</ref>。退院後も首、腰の痛み、[[発熱]]が続き、右耳が[[難聴]]となった。
* 1970年代より小学校新1年生の交通安全として「[[黄色い手帳運動|黄色い手帳]]」を配布するキャンペーンを実施している。(現在は市内各小学校から配布されている)なお「黄色い手帳」は[[秋田県]]の[[秋田テレビ]]、[[新潟県]]の[[NST新潟総合テレビ]](現在は行っていない)、[[静岡県]]の[[テレビ静岡]]、[[島根県]]と[[鳥取県]]の[[山陰中央新報]]や[[山陰中央テレビジョン放送|山陰中央テレビ]]、[[石川県]]の[[北陸放送]]([[ジャパン・ニュース・ネットワーク|TBS系列]])などでも配布キャンペーンをしている。また、黄色い手帳とは異なるが、[[福島県]]の[[福島放送]]([[オールニッポン・ニュースネットワーク|テレビ朝日系列]])でも交通安全として『[[クレヨンしんちゃん (アニメ)|クレヨンしんちゃん]]』のキャラクターを起用した「黄色い下敷き」というものも存在した。
 
== 資本構成 ==
1984年、[[肝癌|肝臓癌]]が発覚した。前の定期健診で[[肝細胞癌]]と診断されるが、裕次郎本人には最期までガン告知をされなかった。
企業・団体の名称、個人の肩書は当時のもの。出典:<ref>{{Cite book|和書|author=日本民間放送連盟|authorlink=日本民間放送連盟|date=2021-12-10|title=日本民間放送年鑑2021|publisher=コーケン出版|page=256}}</ref><ref name="#2">[http://contents.xj-storage.jp/xcontents/46760/ee1f1463/36f7/413b/aa51/4b1ae50b8113/140120161130449053.pdf 株式会社仙台放送の株式の取得(子会社化)に関するお知らせ],株式会社フジ・メディア・ホールディングス,2016年11月30日</ref><ref>{{Cite book|和書|author=日本民間放送連盟|authorlink=日本民間放送連盟|date=2015-11-20|title=日本民間放送年鑑2015|publisher=コーケン出版|page=235}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=日本民間放送連盟|authorlink=日本民間放送連盟|date=2003-11|title=日本民間放送年鑑2003|publisher=コーケン出版|page=194}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=日本民間放送連盟|authorlink=日本民間放送連盟|date=1992-11|title=日本民間放送年鑑'92|publisher=コーケン出版|page=189}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=日本民間放送連盟|authorlink=日本民間放送連盟|date=1978-12|title=日本放送年鑑'78|publisher=洋文社|page=126}}</ref>
 
=== 2021年12月10日 ===
1986年5月、高熱が続くため慶應義塾大学病院に入院。[[高血圧治療薬|血圧降下剤]]の副作用による肝内[[胆管炎]]と診断され、7月の退院後は[[ハワイ州|ハワイ]]で静養した。
{| class="wikitable" style="text-align:right"
!資本金!!発行済株式総数!!株主数
|-
|200,000,000円||400,000株||7
|}
{| class="wikitable"
!株主!!株式数!!比率
|-
|[[フジ・メディア・ホールディングス]]||289,400株||72.35%
|}
 
===の資本構成 ===
<div class="NavFrame">
1987年4月20日、体調不良を受けてハワイから急遽帰国し、慶應義塾大学病院へ検査入院<ref group="注釈">この時裕次郎を治療したチームの中に、後に[[オウム真理教]]にて[[地下鉄サリン事件]]などを引き起こした[[林郁夫 (オウム真理教)|林郁夫]]がいた。</ref>。5月2日に一旦退院したものの、3日後に再入院し、容態が悪化。[[幻覚]]症状([[肝性脳症]])を発する。その後、意識不明の状態が続き、7月17日15時43分、医師が臨終を告げ7分後心停止するも、酸素吸入により一度は心拍が再開するが、16時26分再度心停止し、死去。52歳没(享年53)。[[青山葬儀所]]での葬儀には約3万3500人が参列した。
<div class="NavHead" style="text-align: left;">1978年3月31日</div>
<div class="NavContent" style="text-align: left;">
{| class="wikitable" style="text-align:right"
|-
! 資本金 !! 授権資本 !! 1株 !! 発行済株式総数 !! 株主数
|-
| 2億円 || 4億円 || 500円 || 400,000株 || 8
|}
{| class="wikitable"
|-
! 株主 !! 株式数 !! 比率
|-
| 福田英雄 || 37,000株 || 9.25%
|-
| 志村義久<ref group="注釈" name="社長"/> || 31,000株 || 7.75%
|-
| 愛澤尚太郎 <ref group="注釈" name="副社"/> || 31,000株 || 7.75%
|-
| 阿部清五郎<ref group="注釈">仙台放送 顧問</ref> || 30,000株 || 7.50%
|-
| 青山昇司<ref group="注釈" name="常務">仙台放送 常務取締役</ref> || 29,000株 || 7.25%
|-
| 小島宣夫<ref group="注釈" name="常務"/> || 26,000株 || 6.50%
|-
| [[早川種三]]<ref group="注釈">仙台放送 代表取締役会長</ref> || 21,600株 || 5.40%
|-
| [[宮城県]] || 20,000株 || 5.00%
|-
| [[七十七銀行]] || 20,000株 || 5.00%
|-
| [[仙台銀行|振興相互銀行]] || 20,000株 || 5.00%
|-
| 鈴木地所 || 20,000株 || 5.00%
|-
| [[東洋刃物]] || 20,000株 || 5.00%
|-
| [[電力ビル|東日本興業]] || 20,000株 || 5.00%
|-
| [[槇田久生]] || 20,000株 || 5.00%
|}
</div></div>
<div class="NavFrame">
<div class="NavHead" style="text-align: left;">1992年3月31日</div>
<div class="NavContent" style="text-align: left;">
{| class="wikitable" style="text-align:right"
|-
! 資本金 !! 授権資本 !! 1株 !! 発行済株式総数 !! 株主数
|-
| 2億円 || 4億円 || 500円 || 400,000株 || 19
|}
{| class="wikitable"
|-
! 株主 !! 株式数 !! 比率
|-
| 植村泰久<ref group="注釈">仙台放送 取締役会長</ref> || 43,000株 || 10.75%
|-
| 早川二郎<ref group="注釈" name="社長">仙台放送 代表取締役社長</ref> || 43,000株 || 10.75%
|-
| 大崎昭三<ref group="注釈" name="副社">仙台放送 代表取締役副社長</ref> || 43,000株 || 10.75%
|}
</div></div>
<div class="NavFrame">
<div class="NavHead" style="text-align: left;">2003年3月31日</div>
<div class="NavContent" style="text-align: left;">
{| class="wikitable" style="text-align:right"
! 資本金 !! 発行済株式総数 !! 株主数
|-
| 2億円 || 400,000株 || 13
|}
{| class="wikitable"
! 株主 !! 株式数 !! 比率
|-
| [[フジテレビジョン]] || 79,800株 || 19.95%
|-
| [[産業経済新聞社]] || 76,000株 || 19.00%
|}
</div></div>
<div class="NavFrame">
<div class="NavHead" style="text-align: left;">2015年3月31日</div>
<div class="NavContent" style="text-align: left;">
{| class="wikitable" style="text-align:right"
! 資本金 !! 発行済株式総数 !! 株主数
|-
| 2億円 || 400,000株 || 10
|}
{| class="wikitable"
! 株主 !! 株式数 !! 比率
|-
| [[フジ・メディア・ホールディングス]] || 133,300株 || 33.32%
|-
| [[フジランド]] || {{0}}79,900株 || 19.97%
|-
| [[産業経済新聞社]] || {{0}}76,000株 || 19.00%
|}
</div></div>
 
== 主なテレビ番組 ==
[[戒名]]は陽光院天真寛裕大居士。墓は[[万成石]][[五輪塔]]で神奈川県[[横浜市]][[鶴見区 (横浜市)|鶴見区]]にある[[總持寺]]に立てられている。墓碑には妻まき子の直筆で次のような言葉で綴られている。
2023年7月現在。
{{quotation|''美しき者に微笑を、淋しき者に優しさを、逞しき者に更に力を、全ての友に思い出を、愛する者に永遠を。心の夢醒める事無く。''}}
=== 自社制作 ===
''' 一部地域ネット'''
* [[川島隆太教授のテレビいきいき脳体操]](月曜 - 金曜 5:20 - 5:25) ※[[石川テレビ放送|石川テレビ]]・[[サンテレビジョン|サンテレビ]]([[全国独立放送協議会|独立局]])にもネット。
''' 県域放送'''
* [[仙台放送 Live News イット!]](月曜 - 金曜 15:45 - 19:00、土曜・日曜 17:30 - 18:00)
* [[MiMiよりマーケット]](月曜 - 金曜 11:20 - 11:25、当日深夜[[局名告知|クロージング]]前に再放送)
** MiMiよりマーケットサタデー(土曜 17:25 - 17:30)
* [[FNN仙台放送NEWS|仙台放送NEWS]](月曜 - 金曜 20:54 - 21:00、日曜 6:00 - 6:15<ref group="注釈">全国ニュースとして放送。</ref>)
* [[相田幸二|こうちゃんのHappy!家族ごはん]](木曜 21:54 - 22:00)
* 仙臺いろは(火曜 21:54 - 22:00)
* CINEMA PACKET(水曜 25:55 - 26:00)
* 月刊チャンネル寸評(第1土曜 4:55 - 5:00)
* [[あらあらかしこ]](土曜 10:25 - 11:25)
* とろサーモン村田とソラシド本坊のアウトドア日和(土曜 11:25 - 11:50)
* [[スポルたん!LIVE|スポルたん!NEO]](土曜 18:30 - 19:00、スペシャル番組などにより休止の場合あり)
* [[野球道 (フジテレビ系列)#仙台放送|BASEBALL LIVE!(西暦)]]([[東北楽天ゴールデンイーグルス]]戦中継)<ref group="注釈">火曜ナイターは[[岩手めんこいテレビ]]・[[秋田テレビ]]・[[さくらんぼテレビジョン|さくらんぼテレビ]]・[[福島テレビ]]でも同時ネットで放送する場合がある。また、[[ビジターゲーム (日本プロ野球)|ビジターゲーム]]は[[埼玉西武ライオンズ|西武]]・[[千葉ロッテマリーンズ|ロッテ]]・[[オリックス・バファローズ|オリックス]]戦は自社制作。[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハム]]戦は[[北海道文化放送]]からのネット受けで放送。[[福岡ソフトバンクホークス|ソフトバンク]]戦は[[テレビ西日本]]からのネット受けまたは別制作のどちらかで放送。</ref>
* [[全日本バレーボール高等学校選手権大会#テレビ中継|春の高校バレー]]県大会決勝(毎年1月に放送)
* [[かのおが便利軒]](日曜 12:55 - 13:25)※[[テレビ神奈川|tvk]]([[全国独立放送協議会|独立局]])にもネット。
* [[あらあらかしこ|日曜のあらかし]](日曜 13:25 - 13:55)
* [[いべなび!!]](日曜 14:55 - 15:00)
''' 特別番組'''
* [http://www.ox-tv.co.jp/tomoni/ 東日本大震災特別企画 ともに](2011年4月 -、毎月1回)※[[関西テレビ放送|関西テレビ]]・[[岡山放送]]などへ時差ネットしていた時期あり。
 
===没後 再放送枠 ===
* イッキ見!!テレビ!(月曜 - 金曜 13:50 - 15:45)
死後に生前録音していた『北の旅人』、『我が人生に悔いはなし』が発売され、北の旅人は125万枚を売りげるヒット曲となった。
=== フジテレビ系列遅れネット番組 ===
制作局の表記のない番組は[[フジテレビジョン|フジテレビ]]制作。
* [[KinKi Kidsのブンブブーン]](水曜 0:25 - 1:10(火曜深夜))
* [[いただきハイジャンプ]](水曜 1:10 - 1:50(火曜深夜))
* [[ゴリパラ見聞録]](木曜 1:25 - 1:55(水曜深夜)、[[テレビ西日本]]制作)
* [[おかべろ]](金曜 0:55 - 1:25(木曜深夜)、[[関西テレビ放送|関西テレビ]]制作)
* [[ノイタミナ]](金曜 1:30 - 2:00(木曜深夜))
* [[テレビ寺子屋]](日曜 5:30 - 6:00、[[テレビ静岡]]制作)
* [[有吉くんの正直さんぽ]](日曜 16:00 - 17:25)
* [[なりゆき街道旅]](土曜午後に不定期放送)
 
=== テレビ東京系列番組 ===
没後、毎年7月17日には總持寺で法要が行われ、裕次郎が生前あじさいの花が好きだったということにちなんで「あじさい忌」と呼ばれていた。まき子夫人や[[舘ひろし]]・[[神田正輝]]ら石原プロモーションの俳優・スタッフが集結し、記者会見を行うのが定例となっていた。また多くの一般客ファンも参列し、年忌法要では一般参列者に記念品がプレゼントされるといった、身内だけの法要に留まらない大規模イベントとなっていた。[[1993年]]の七回忌は3万8000人、[[1999年]]の十三回忌は20万人以上が参列した<ref>[https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201908130000737.html 裕次郎さん十三回忌には20万人/大規模葬儀や法要]日刊スポーツ2019年8月13日記事</ref>。十三回忌で20万人以上の参列者の人出で總持寺周辺が大混乱したことから、[[2009年]]の二十三回忌は[[国立霞ヶ丘競技場陸上競技場|国立競技場]]に総持寺の本殿を再現した拝殿を建てて行われ、約12万人が参列した<ref name=kotobank>{{cite web|url=https://kotobank.jp/word/%E7%9F%B3%E5%8E%9F%20%E8%A3%95%E6%AC%A1%E9%83%8E-1638267|title=新撰 芸能人物事典 明治~平成「石原 裕次郎」の解説|publisher=KOTOBANK|access-date=2022-7-13}}</ref>。
制作局の表記のない番組は[[テレビ東京]]制作。
* [[家、ついて行ってイイですか?]](土曜 12:00 - 13:25)
* [[タクシー運転手さん一番うまい店に連れてって!]](日曜 12:00 - 12:55)
* [[有吉の世界同時中継 〜今、そっちってどうなってますか?〜]](日曜 14:00 - 14:55)
* [[日曜ビッグバラエティ (テレビ東京)|日曜ビッグバラエティ]](土曜午後に不定期放送)
* [[緊急SOS!池の水ぜんぶ抜く大作戦]](土曜午後に不定期放送)
 
=== その他 ===
[[1991年]]7月22日、裕次郎ゆかりの品々を展示する[[石原裕次郎記念館]]が、裕次郎が幼少時に過ごした小樽、しかもヨットマンだった裕次郎にふさわしい場所である[[小樽港マリーナ]]の隣に開設された。多数のファンが訪れ裕次郎をしのぶ場となっていたが、[[2017年]]8月31日、入場者減少や施設の老朽化もあり、閉館。その代替として、[[2018年]]7月17日に行われた32回忌法要では、法要終了後、同年8月22日より2年間、全国8箇所を巡り石原裕次郎ゆかりの品々を展示する「石原裕次郎の軌跡」展を開催することを発表した<ref>{{Cite news|title=石原まき子さん 裕次郎さん32回忌法要で「いまだに裕次郎の女房という誇りを持っております」「石原裕次郎の軌跡」展の開催を発表|date=2018-07-17|url=https://www.hochi.co.jp/entertainment/20180717-OHT1T50105.html|accessdate=2018-07-20|language=ja-JP|work=スポーツ報知}}</ref>。
* [[アルコ&ピースのほんの気持ちですが!]](火曜 0:55 - 1:25(月曜深夜)、[[テレビ神奈川|tvk]]制作)
 
== 終了した番組 ==
そして[[2019年]]7月17日に行われた33回忌法要の終了後の会見にて、まき子夫人が、今回をもって「弔い上げ」とし今後は石原プロとしての墓前供養を行わない旨を発表した。まき子夫人のほか一般参列者が高齢化し、裕次郎の墓がある高台まで昇るのが困難になっていることへの配慮を理由とした。
 
=== 自社制作 ===
2020年7月には「株式会社石原プロモーションの商号を石原裕次郎の仏前に返還する」との名目で、[[2021年]][[1月16日]]を以て芸能事務所としての業務を終了することが発表された<ref>{{Citeweb|title=石原プロモーションよりご報告|url=https://ishihara-pro.co.jp/whatsnew/temp_txt.info.html|work=株式会社石原プロモーション|date=2020-07-17|accessdate=2020-07-19}}</ref>。そして発表通り、2021年1月16日に「解散式」が執り行われ、3月31日に全業務を終了。2021年4月30日、株主総会にて解散が決議
''' [[全国ネット]]'''
された。
* [[JCBクラシック#中継|JCBクラシック]](毎年6月初旬ごろ開催、3日目後半と最終日は仙台放送制作の全国ネット。例年1日目、2日目は宮城県ローカル放送で3日目前半は宮城・東海ローカルだったが、2006年は1日目、2日目は放送なし、3日目前半は宮城のみローカルとなった、大会自体2007年をもって終了。)※HD
* [[脳テレ〜あたまの取扱説明書(トリセツ)〜]](2008年-2011年、毎年6月)※FNS全国ネット(2007年で終了した「[[JCBクラシック]]」最終日中継の枠が充てられていた。2011年は[[東日本大震災]]の影響で10月に放送が延期された)
** すっきり!脳トラベル (2012年6月3日)※FNS全国ネット
* [[mashup!音王MUSIO]] → mashup!音王MUSIO neo ※HD
** 東京のスタジオで収録。[[テレビ静岡]]および[[さくらんぼテレビジョン|さくらんぼテレビ]](ともにFNS系列)でもレギュラー放送開始。2007年10月に、[[高知さんさんテレビ]](FNS系列)で3回分の放送があった。2009年3月終了。
 
''' [[ローカルニュース]]'''
==ヨットマン(ヨット乗り、セイラー)としての活動==
* [[FNN仙台放送イブニングニュース]]
{{出典の明記|date=2022年7月|section=1}}
* [[FNN仙台放送スーパータイム]]
裕次郎は日本の[[セーリング]]界でもその歴史に名を残している人物<ref name="jya_history">[http://www12024uc.sakura.ne.jp/info/history.htm 日本セーリング連盟の歴史(日本ヨット界の歴史)]</ref>である。
* [[FNN仙台放送ザ・ヒューマン]]
* FNN[[仙台放送スーパーニュース]]
* FNN[[仙台放送みんなのニュース]]
; バラエテイ・[[情報番組]]
* サタマガ→[[サタデーマガジンα]]
* [[スーパーSAT]]→スーパーSATマイルド
* ルック!202
* [[2時ですOXです]]
* [[夕やけTV編集局]]
* [[ほっとチャンネル]]
* [[CATCH (報道番組)|CATCH]]
* VEGALCIO!
* OXあさ一番
* かみすぎトーク
* みやぎ土曜スタジオ(宮城県広報番組、1970年4月 - 1983年3月)
* 朝のメッセージ(宮城県広報番組、1983年4月 - 1995年3月)
* みやぎあるものさがし(宮城県広報番組、1995年4月 - 1999年3月)
* キラキラふくし探検隊(宮城県広報番組、月2回放送、1995年4月 - 1999年3月)
* りん!(宮城県広報番組、1999年4月 - 2001年3月)
* 情報マガジンみやぎ(宮城県広報番組、月2回放送、2001年4月 - 2003年3月)
* たきたて!みやぎDON(宮城県広報番組、月2回放送、2003年4月 - 2005年3月)
* 私のレポート(仙台市広報番組、開始時期不明 - 1975年3月)
* 60万人の広場(仙台市広報番組、1975年4月 - 1981年3月)
* 70万人の広場(仙台市広報番組、1981年4月 - 1986年6月)
* さわやかレーダー仙台(仙台市広報番組、1986年7月 - 1995年3月)
* [[定禅寺家の人々]](仙台市広報番組、1999年4月 - 2006年9月)
* [[仙台まち劇場]](仙台市広報番組)
* [[ライブ!]]
** [[ヨジテレビ!]](2000年7月 - 2006年12月)
* [[速報スポルたん!]](2006年4月 - 2007年1月)
* [[輝け★アプリの星]](2007年11月10日 - 2008年2月9日)
* [[情報ライブ (仙台放送)|情報ライブ]]
** [[情報ライブMovin']](2007年4月 - 2008年6月)※HD
* [[Life+]] ※HD
* とうほく食文化応援団
* しゃれおつ部(2012年7月7日 - 7月28日)
* テレビで学べる スマート・エイジング教室
* 仙台放送開局45周年記念特別番組 リサーチャーズ・地震予知の探究者たち(2007年10月19日)
*: 当番組放送に合わせて地震防災情報に関するポータルサイト、大地震に備える[http://jishin-info.jp]を開設。
* [[AKB48の牛舌GIRLS]]
* [[杜の都どっきり協会]]
* [[春夏旬鮭 みやぎ銀ざけproject]]
* [[こどものじかん JUNIチャンネル]]
* [[ともに、希望を!]]
* 永野のわっしゃ!
 
''' [[ゴールデンタイム]]の番組'''
もともと父親が郵船会社の社員、つまり[[船]]と[[海]]の世界に生きていた人物で、父親の[[転勤]]の折、父親の判断で海の近くの逗子、逗子湾近くに住居を構え、その地で裕次郎がヨットに興味を持ち、裕次郎の熱烈な希望に応える形で父親が木製の[[ディンギー]]ヨットを買い与えたのが、裕次郎にとってのヨットとの本格的な付き合いの始まりとなった<ref name="ishihara_otouto" group="注釈">このあたりのいきさつは、石原慎太郎の小説『弟』にも(断片的に)出てくる。</ref>。兄・慎太郎も一発でこのディンギーヨットの操作方法を会得し<ref name="ishihara_otouto" group="注釈" />、兄弟でヨットを楽しむようになり、主に逗子湾や[[葉山]]などをフィールドに経験を深めていった。当時の日本ではそもそもセーリング・ボートを所有している人が大人を含めてほとんどおらず、ましてや学生の身分ですでに自分のセーリング・ボートを所有している人は(ほぼ)いなかったので、二人は日本のセーリング界では稀有な存在となってゆくことになった。
* [[東北新幹線クイズ プラザQ]](1973年4月 - 1974年3月、ちなみにこの時点で[[東北新幹線]]は建設工事中だった)
* [[マル金ギャハハ倶楽部]]
* [[はいっチーズ!]]
* [[スポルたん!]](2005年4月 - 2006年3月)
* 仙臺いろは増刊号(新型コロナの影響で2020年3月打ち切り)
 
''' [[深夜番組]]'''
その後、裕次郎が俳優として映画界で活躍するようになると、石原兄弟のセーリングへの情熱、その経験や技術は、映画作品のシーン構築や撮影でも活用されるようになった。結果として日本の映画のシーンにセーリング・ボートが何度も登場するようになり、それを見た映画観客がセーリングに興味を持ち、結果として日本のセーリング人口を増やすのにも貢献した。石原兄弟は有名人となり裕福になるにつれ、艇をディンギーからセーリング・クルーザーへと、そして徐々に高級な艇へとグレードアップしていった。艇には、兄・慎太郎の趣味で「コンテッサ」という名(フランス語で「[[伯爵]]夫人」の意)をつけ、その名は艇を買い替えても「コンテッサII」「コンテッサIII」...と継承されてゆくことになる。この名は他には無い独特のものなので、日本のセーリング界では、ヨット・レースなどの出場艇のリストに「コンテッサ」とあれば、誰でも即「石原兄弟の艇だ!」と分かる存在となっていった。コンテッサには、主に石原兄弟の地元の逗子や葉山在住の古くからの仲間などが、[[クルー]]として乗り込んだ。
* 好きやねん→空飛ぶ○月のペンギン
* 幸せのキットショー
* 夜は変ホ短調
* [[TOPCAT]]
* M☆KIDS
* マンデースポーツ(月1回)
* ドラマニア倶楽部
* [[オガッタ!?]]
** サンデーオガッタ!?
* モンスターライフ
''' [[ブロックネット|ブロックネット番組]]'''
* [[FNNとうほくニュース一番星]](FNN東北ブロック5局('''OX'''-[[岩手めんこいテレビ|mit]]-[[秋田テレビ|AKT]]-[[山形テレビ|YTS]]-[[福島テレビ|FTV]]〔後に[[山形テレビ|YTS]]が離脱して4局に〕から東北の話題を伝えた報道番組)
以下[[東北電力]]提供
* [[新・サンデートーク]] - [[草柳大蔵]]が20年に亘ってホストを務めた対談番組。東北各県にネットしていた。
* [[今、きらめいて]] - 草柳が監修を務めたドキュメンタリー番組。東北各県およびBSN[[新潟放送]](JNN系列局)にネットしていた。
* [[ぼくらの時代 (ドキュメンタリー番組)|ぼくらの時代]]([[地井武男]]をナビゲーターに、毎回1人の人に密着したドキュメンタリー。月1回、東北および新潟のFNS系列局6局および青森テレビ(JNN系列局)で放送されていた。
* [[情熱エンジン]](東日本大震災の影響で打ち切り)
''' [[スカパー!プレミアムサービス|スカパー!]]向け制作番組'''
* [[Jリーグ中継#スカパー!によるJリーグ中継|Jリーグ中継]]・[[モンテディオ山形]]主管試合([[2007年]]分)
*: [[山形県]]では[[1997年]][[4月1日]]に[[山形テレビ]]([[1993年]][[4月1日]]に[[オールニッポン・ニュースネットワーク|ANN]]系列へ移行)以来4年ぶりのFNS系列となる新局、さくらんぼテレビが開局したが、さくらんぼテレビは当時スポーツ中継を全国放送するだけの放送設備を充分備えていなかったこともあり、OXに制作を依頼した。[[2008年]]以降は山形テレビに制作を委託し今日に至る。
'''一部地域ネット'''
*[[10神スパイ大作戦 -コード・バリカタ-]]([[北海道テレビ放送|北海道テレビ]]・[[テレビ埼玉|テレ玉]]・[[千葉テレビ放送|チバテレビ]]・[[テレビ神奈川|tvk]]・[[名古屋テレビ放送|メ〜テレ]]・[[京都放送|KBS京都]]・[[サンテレビジョン|サンテレビ]]・[[広島ホームテレビ]]・[[福岡放送]]との共同制作)
 
=== フジテレビ系列遅れネット番組 ===
コンテッサ号は、いくつもの国内ヨット・レースに参加し日本のセーリング界を盛り上げる一翼を担いつづけたが、中でも特筆すべきことは、1963年、裕次郎が'''トランスパシフィック・ヨット・レース'''に兄弟の'''愛艇「コンテッサⅢ」で参加'''したことである<ref name="jya_history" />。[[:en:Transpacific Yacht Race|Transpacific Yacht Race]](トランスパシフィック・ヨット・レース、略称「Transpac(トランスパック)」)とは、米国[[アメリカ合衆国西海岸|西海岸]]から出発し、太平洋を渡るようにして進み、ハワイでゴールするセーリング・クルーザーのためのレース。当時、日本から国際的なヨットレースに参加できる人はほぼ皆無であり、裕次郎は日本のセーリング界の歴史に名を残す人物にもなった。
* [[クボタ民謡お国めぐり]]([[秋田テレビ]]制作、最終回まで制作局以外で唯一フジテレビ系列での放送だった(フジテレビ系列のない青森を含め、フジテレビ系列のある岩手、山形、福島でも最終回までフジテレビ系列局に移行せず他系列で放送された)
* [[バナナマンのブログ刑事]](東海テレビ制作)
* [[ギルガメッシュ (漫画)#テレビアニメ|ギルガメッシュ]](関西テレビ制作。OX初の[[深夜アニメ]]。在仙局としてはTBCに続いて2局目)
* [[プレイボール (漫画)#テレビアニメ|プレイボール]]シリーズ(KTV幹事局。関東地区では[[全国独立放送協議会]]加盟局放映のため、[[UHFアニメ]]にも分類される。そのため、OX初のUHFアニメと言える)
* [[南パラZ!]](関西テレビ制作。『南海パラダイス』時代からネットしていたが2008年3月で打ち切り)
* [[チュートリアルのチューして!]](関西テレビ制作)
* [[冒険チュートリアル]](関西テレビ制作、2009年9月で打ち切り、ただし打ち切り後に仙台を舞台にした収録があり、その回は放送された)
* [[ブラっと嫉妬]](関西テレビ制作)
* [[カキューン!!]](関西テレビ制作)
* [[SHINPUU2 ジャルジャル×銀シャリ ヤバイブル〜キセキの危機回避マニュアル〜|ジャルジャル×銀シャリのヤバイブル]](関西テレビ制作)
* [[くるねこ#テレビアニメ|くるねこ]](関西テレビ制作)
* [[ウラマヨ!]](関西テレビ制作、途中打ち切り)
* [[桃色つるべ〜お次の方どうぞ〜]] (関西テレビ制作、途中打ち切り)
* [[グータンヌーボ|グータンヌーボ<sup>2</sup>]](関西テレビ制作)
* [[めんたいぴりり]](テレビ西日本制作)
* [[TOKYO コントロール]]([[フジテレビNEXT]]制作)
* [[ひまわりっ 〜健一レジェンド〜]]([[テレビ宮崎]]制作)
* [[武士が、マックで店員になった件。]](関西テレビ制作)
このほか、[[テレビ静岡]]制作の[[プロダクション人力舎]]のタレントが出演する一連の番組(『[[トバ子シリーズ]]』など)はかなり時期が遅れたものの一通り放送された。
 
=== テレビ東京系列番組(東京12チャンネル時代も含む)===
なお裕次郎の歴代の愛艇のうちひとつは、1991年開館の[[石原裕次郎記念館]]の入り口付近に展示された<ref group="注釈">2017年の閉館とともに[[小樽港マリーナ]]に寄贈されている。</ref>。
制作局の表記のない番組はテレビ東京制作。
==== アニメ ====
* [[合身戦隊メカンダーロボ]]
* [[恐竜大戦争アイゼンボーグ]]
* [[科学冒険隊タンサー5]]
* [[闘士ゴーディアン]]
* [[伝説巨神イデオン]]
* [[まんがことわざ事典]]
* [[ゴールドライタン|黄金戦士ゴールドライタン]]
* [[J9シリーズ]]
** [[銀河旋風ブライガー]]
** [[銀河烈風バクシンガー]]
** [[銀河疾風サスライガー]]
* [[まいっちんぐマチコ先生#テレビアニメ|まいっちんぐマチコ先生]]
* [[アニメ親子劇場]]
* [[太陽の牙ダグラム]]
* [[魔法のプリンセス ミンキーモモ#第1作|魔法のプリンセス ミンキーモモ]]
* [[トンデラハウスの大冒険]]
* [[装甲騎兵ボトムズ]]
* [[パソコントラベル探偵団]]
* [[ふしぎの国のアリス (テレビアニメ)|ふしぎの国のアリス]]
* [[キャプテン翼 (アニメ)#『キャプテン翼』(昭和版)|キャプテン翼]]
* [[巨神ゴーグ]]
* [[六三四の剣#テレビアニメ|六三四の剣]]
* [[ミスター味っ子#テレビアニメ|ミスター味っ子]]
* [[アイドル伝説えり子]]
* [[天空戦記シュラト]]
* [[ダッシュ!四駆郎#テレビアニメ|ダッシュ!四駆郎]]
* [[キャッ党忍伝てやんでえ]]
* [[アイドル天使ようこそようこ]]
* [[楽しいムーミン一家#第1期|楽しいムーミン一家]]
* [[RPG伝説ヘポイ]]
* [[ゲンジ通信あげだま]]
* [[姫ちゃんのリボン#テレビアニメ|姫ちゃんのリボン]]
* [[カリメロ#テレビアニメ2作目|カリメロ(2作目)]]
* [[赤ずきんチャチャ#テレビアニメ|赤ずきんチャチャ]]
* [[愛天使伝説ウェディングピーチ#テレビアニメ版|愛天使伝説ウェディングピーチ]]
* [[スレイヤーズ (アニメ)#スレイヤーズNEXT|スレイヤーズNEXT]](14話から放送、第1期は未放送)
** [[スレイヤーズ (アニメ)#スレイヤーズTRY|スレイヤーズTRY]]
* [[ナースエンジェルりりかSOS#テレビアニメ|ナースエンジェルりりかSOS]]
* [[新世紀エヴァンゲリオン#映像ソフト一覧|新世紀エヴァンゲリオン]]
* [[こどものおもちゃ#テレビアニメ|こどものおもちゃ]]
* [[機動戦艦ナデシコ]]
* [[はれときどきぶた (テレビアニメ)|はれときどきぶた]](途中でネット打ち切り)
* [[トランスフォーマー]]シリーズ(「[[超ロボット生命体トランスフォーマー マイクロン伝説|マイクロン伝説]]」から「[[トランスフォーマー アニメイテッド|アニメイテッド]]」までの各作品は[[東日本放送]]で放送)
** [[ビーストウォーズII 超生命体トランスフォーマー]]
** [[ビーストウォーズネオ 超生命体トランスフォーマー]]
** [[ビーストウォーズメタルス 超生命体トランスフォーマー]]
** [[トランスフォーマー カーロボット]]
** [[超ロボット生命体 トランスフォーマー プライム]]
* [[カウボーイビバップ]]
* [[発明BOYカニパン]]
** [[超発明BOYカニパン]]
* [[ビックリマン2000]](途中打ち切り、『[[ビックリマン (アニメ)|ビックリマン]]』及び『[[新ビックリマン]]』(いずれも[[朝日放送テレビ]]制作)は東日本放送で放送)
* [[東京ミュウミュウ#テレビアニメ|東京ミュウミュウ(2002年版)]]([[テレビ愛知]]制作、『[[東京ミュウミュウ#東京ミュウミュウ にゅ~♡|にゅ~♡]]』は県内未放送)
* [[出撃!マシンロボレスキュー]]
* [[ソニックX]]
* [[SDガンダムフォース]]
* [[Get Ride! アムドライバー]]
* [[アイシールド21#テレビアニメ|アイシールド21]]
* [[甲虫王者ムシキング#テレビアニメ|甲虫王者ムシキング 森の民の伝説]]
* [[銀魂 (アニメ)|銀魂]](第150話まで放送後打ち切り、第151話から第265話は県内未放送<ref group="注釈">なお、この期間のシーズンの内訳として、第201話までが第1期、第202話から第252話までが第2期、第253話から第265話までが第2期延長戦。</ref>、第266話(第3期)以降は[[宮城テレビ放送|ミヤギテレビ]]で放送)
* [[ギャラクシーエンジェる〜ん]](『[[ギャラクシーエンジェル (アニメ)|ギャラクシーエンジェル]]』([[テレビ大阪]]制作)の第3期は東日本放送での放送、他のシリーズは県内未放送)
* [[イナズマイレブン]]シリーズ(『[[イナズマイレブンGO]]』は県内未放送)
** [[イナズマイレブン (アニメ)|イナズマイレブン]]
** [[イナズマイレブン アレスの天秤]]
** [[イナズマイレブン オリオンの刻印]](第23話で打ち切り)
* [[爆丸バトルブローラーズ|爆丸バトルブローラーズ ニューヴェストロイア]](第1期は東日本放送での放送、第3期及び「[[爆丸バトルプラネット|バトルプラネット]]」は県内未放送)
* ダンボール戦機シリーズ
** [[ダンボール戦機#アニメ|ダンボール戦機]]
** [[ダンボール戦機#アニメ|ダンボール戦機W]]
** [[ダンボール戦機#アニメ|ダンボール戦機ウォーズ]]
* たまごっち!シリーズ(第1期は未放送)
** [[たまごっち!|たまごっち! ゆめキラドリーム]]
** [[たまごっち!|たまごっち!みらくるフレンズ]]
** [[たまごっち!|GO-GOたまごっち!]]
** [[たまごっち!|たまごっち! たまともだいしゅーGO]]
* [[フューチャーカード バディファイト#テレビアニメ|フューチャーカード バディファイト]](テレビ愛知制作)
** [[フューチャーカード バディファイト|フューチャーカード バディファイト100]]
** [[フューチャーカード バディファイト|フューチャーカード バディファイトDDD]]
** [[フューチャーカード バディファイト|フューチャーカード バディファイトX]]
** [[フューチャーカード バディファイト|フューチャーカード バディファイトX オールスターファイト]]
** [[フューチャーカード 神バディファイト]]
* [[妖怪ウォッチ (アニメ)|妖怪ウォッチ]](第205話で打ち切り、『[[妖怪ウォッチ シャドウサイド]]』以降は県内未放送)
* [[Wake Up, Girls!#第1期|Wake Up, Girls!]]
** [[Wake Up, Girls!#Wake Up, Girls! 新章|Wake Up, Girls! 新章]]
* [[プリティーシリーズ]]([[プリティーリズム]]シリーズは県内未放送)
** [[プリパラ (アニメ)|プリパラ]](第2話から第13話は未放送)
** [[アイドルタイムプリパラ]]
** [[キラッとプリ☆チャン]](第1期は未放送)
** [[プリティーオールフレンズセレクション]]
** [[ワッチャプリマジ!]]
* [[ここたま|ここたまシリーズ]]
** [[かみさまみならい ヒミツのここたま]]
** [[キラキラハッピー★ ひらけ!ここたま]]
* [[おそ松さん]](第1期のみ放送)
* [[けものフレンズ (アニメ)|けものフレンズ]](「2」は未放送)
* [[パウ・パトロール]](途中打ち切り、番組自体は継続中)
* [[ゾイドワイルド ZERO]](第1期(毎日放送制作)は東北放送で放送)
* [[トロールズ: シング・ダンス・ハグ!]](本放送終了後に放送)
* [[アイカツプラネット!]](以前のシリーズは県内未放送)
* [[新幹線変形ロボ シンカリオンZ]](第1期(TBS制作)は東北放送で放送)
* [[BLEACH (アニメ)|BLEACH 千年血戦篇]](前作(途中打ち切り)は東北放送で放送)
** BLEACH 千年血戦篇-訣別譚-
* [[テレビ東京系列土曜朝のアニメ・子供向け番組ゾーン|イニミニマニモ]](途中打ち切り、番組自体は継続中)
 
==== エピソードその他 ====
* [[小松原三夫のゴルフ道場]]
=== 映画デビューについて ===
* [[三波伸介の凸凹大学校]]
* [[1956年]]3月28日(水曜日)、日活撮影所内の理容室で『太陽の季節』の撮影に際し、太陽族に扮する連中の「慎太郎刈り」のモデルを引き受けたのが、日活での初仕事であった<ref>近代映画 近代映画社 1970年2月号 146頁。</ref>。
* [[ドバドバ大爆弾]]
* 『太陽の季節』のカメラマンを務めた[[伊佐山三郎]]は水の江瀧子を呼び、エキストラとしてファインダーに映っていた裕次郎を「[[阪東妻三郎|阪妻]]がいる」と絶賛。急遽端役が与えられ映画デビューとなった<ref>石原慎太郎「弟」1996年幻冬舎刊</ref>。
* [[もんもんドラエティ]]
<!--
* [[激突スターボウリング]]
<ref>
* [[タミヤRCカーグランプリ]](途中打ち切り)
{{出典の明記|date=2016年10月|section=1}}
* [[日米対抗ローラーゲーム]]
* 父が亡くなった頃にショックから自暴自棄になった裕次郎は、家から金目の物を持ち出しては換金し、その金で銀座などへ繰り出す遊行三昧の日々を送り、兄の慎太郎から心配された。兄は水の江瀧子より『太陽の季節』の映画化を促されたため、「裕次郎って弟がいるんだけど、遊び人でどうしょうもない奴で…弟を出してくれるんなら」という条件を提示した。水の江はその条件を呑み、裕次郎は同作品で俳優デビューし、脇役ではあったが主演格に匹敵するダイナミックな存在感で注目されることとなる。裕次郎本人は「太陽の季節」への出演は至って遊び感覚で、迎えの車に乗り初めて[[日活撮影所]]へ降り立った時は素肌に[[ヨット・パーカー]]を羽織り、[[水着|海水パンツ]]に[[ビーチサンダル|ゴム草履]]履きといったいでたちに、その場に居合わせた[[宍戸錠]]と[[小林旭]]は「何だ!ありゃあ?!?」と仰天したという(テレビでの小林旭談{{出典無効|date=2016年10月}})。
* [[世界ビックリアワー]]
</ref>
* [[教えて!ウルトラ実験隊]] ※HD
-->
* [[月10万円で豊かに暮らせる町&村]] ※HD
=== 仕事に対する姿勢 ===
* [[BiKiNi]]
* ロケ先などで女学生に囲まれサインをねだられても断ることが多かった。理由は「真っ白な紙に名前だけ書いて渡すなんて試験の答案のようなもの」であることかららしい<ref>以上の2件は近代映画 近代映画社 1970年3月号 141-142頁。</ref>。
* [[ザ・ヤングベストテン]]
*「[[銀座の恋の物語]]」、「[[二人の世界 (1966年の映画)|二人の世界]]」、「[[夜霧よ今夜も有難う]]」などの数々のヒット曲がある裕次郎だが、『[[NHK紅白歌合戦|紅白歌合戦]]』には[[1957年]]・[[第8回NHK紅白歌合戦|第8回]]に[[雪村いづみ]]の応援ゲストとして出演したことはあるものの、歌手としては生涯出場しなかった。
* [[レッツGOアイドル]]
* 裕次郎の若手時代はヒット曲を多数持つスター歌手が他人の持ち歌を[[カバー]]することに消極的だったが、裕次郎自身はそうした中で積極的に他人の持ち歌<ref group="注釈">当時のヒット曲や古い流行歌など。</ref>をレコードに吹き込んだ。その中には裕次郎がカバーしたことで有名になった曲も存在する。ただ、[[梶芽衣子]]の「怨み節」のカバーについては断ったという<ref>高柳六郎『石原裕次郎 歌伝説―音づくりの現場から』社会思想社(現代教養文庫)、2000年、101-104頁。ISBN 4-390-11637-1</ref>。
* [[クイズ地球まるかじり]]
* [[ミエと良子のおしゃべり泥棒]]
* [[大江戸捜査網]]
* [[ぐるぐるメダマン]]
* [[恐竜戦隊コセイドン]]
* [[ソロモン流]]
* [[田舎に泊まろう!]]
* [[おしかけスピリチュアル]]
* [[1974年の日本シリーズ]][[千葉ロッテマリーンズ|ロッテ]]対[[中日ドラゴンズ|中日]]第5戦([[後楽園球場]])<ref group="注釈">ロッテ主管であったが、当時の事実上の本拠である[[宮城球場]]が施設の諸問題の関係で使用できず、後楽園で振り替え開催された。なお、第2戦は[[東海テレビ放送]]製作のものを中継している。</ref>
* [[逃亡者 おりん#逃亡者 おりん2|逃亡者 おりん2]]
* [[ちょこっとイイコト 〜岡村ほんこん♥しあわせプロジェクト〜]]
* [[家族になろう(よ)]]
* [[孤独のグルメ#日本版テレビドラマ|孤独のグルメ]]シリーズ(Season4を除く)
* [[終電ごはん]]
* [[お金がなくても幸せライフ がんばれプアーズ!]]
* [[ドラマ24]]([[東日本放送]]から移行、枠自体は継続中)
** [[勇者ヨシヒコと魔王の城]]
*** [[勇者ヨシヒコと悪霊の鍵]]
** [[まほろ駅前多田便利軒#テレビドラマ まほろ駅前番外地|まほろ駅前番外地]]
** [[なぞの転校生#テレビ東京『ドラマ24』版|なぞの転校生]]
** [[みんな!エスパーだよ!#テレビドラマ|みんな!エスパーだよ!]]
** [[玉川区役所 OF THE DEAD]]
** [[怪奇恋愛作戦]]
** [[不便な便利屋]]
** [[初森ベマーズ]]
** [[フルーツ宅配便#テレビドラマ|フルーツ宅配便]]
* [[釣り・ロマンを求めて]](途中打ち切り)
* [[三匹のおっさん#テレビドラマ|三匹のおっさん]]シリーズ
* [[チマタの噺]](途中打ち切り)
* [[ざっくりハイタッチ]]
* [[旅ヌード]]
* [[企業未来!チャレンジ21]]
* [[手紙バラエティ 三丁目のポスト|三丁目のポスト]](テレビ大阪制作)
* [[和風総本家|和風総本家→二代目 和風総本家]]([[テレビ大阪]]制作)
* [[東京放置食堂]]
* [[鉄オタ道子、2万キロ]]
* [[ウルトラシリーズ]](シリーズ自体は継続中)<ref group="注釈">「[[ウルトラマン列伝]]」及び「[[ウルトラマンオーブ]]」は[[東北放送]]で放送。「[[ウルトラマンゼロ THE CHRONICLE]]」から「[[ウルトラマン クロニクルZ ヒーローズオデッセイ]]」は県内未放送。</ref>
** [[ウルトラマントリガー NEW GENERATION TIGA|ウルトラマントリガー]]
** [[ウルトラマン クロニクルD]]
** [[ウルトラマンデッカー]]
** [[ウルトラマン ニュージェネレーション スターズ]]
 
=== 性格その他の番組 ===
; [[日本テレビ系列]]番組
* 性格として今で言う[[体育会系]]の気質があり、車の中や外、店の隅(外)・店内で運転手を待たせることや、自分の車の中に1人でも人が残ることを嫌っていたという<ref>村西とおるの閻魔帳 「人生は喜ばせごっこ」でございます。(コスモの本、2010年)にも収録の[https://web.archive.org/web/20100104052832if_/http://muranishi-ch.com/new/news/blog.cgi?mode=main&no=86 ◆ 石原裕次郎と語られることのなかった「男の物語」] [[村西とおる]]日記 2009年10月9日より。</ref>。
* [[実戦!ゲートボール]]
* 困っていることがあると自ら率先して動くタイプであった。また、「人の悪口は絶対に口にするな、人にしてあげたことはすぐ忘れろ、人にして貰ったことは生涯(一生)忘れるな」という信念を持っていた<ref>{{cite web|url=http://healthpress.jp/2017/10/post-3266_2.html|title=石原裕次郎の死因とは?大ケガ、大事故、大手術が続いた「嵐を呼ぶ男」の生涯|publisher=HEALTH PRESS|access-date=2022-7-12}}</ref>。
*石原プロの名物である[[炊き出し]]は、俳優やスタッフ皆が同じ釜の飯を食べようと、元々は裕次郎が考案したものである<ref>{{cite web|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2020/08/16/kiji/20200815s00041000481000c.html|title=渡哲也さん終活 炊き出し鍋処分していた 裕次郎さんが始めた“思い出の道具類”3年かけて|publisher=スポニチ|access-date=2022-7-12}}</ref>。
 
; [[全国独立放送協議会]]の番組
=== 趣味・嗜好 ===
* [[BLACK LAGOON#テレビアニメ|BLACK LAGOON]]、BLACK LAGOON The Second Barrage([[UHFアニメ]] 幹事:[[名古屋テレビ放送|メ〜テレ]])
* デビューの頃からオーダーメイドで衣装を仕立てていたのは遠藤千寿で、私服が3,000着ほど、トータルで5,000着ほど作ったという<ref>さよなら石原裕次郎 文藝春秋8月緊急増刊、1987年</ref><ref>[http://www5.nikkansports.com/entertainment/yujiro/archives/20090617_80137.html (11)松方「初対面でいい思い出」(裕次郎とともに)] - nikkansports.com 2009年6月17日</ref>。ジャケットの裏地からポケットなどまで、裕次郎がデザインして指定。ワイシャツの襟の高さは5.5cm程度のハイカラー(一般的なものは4cm)を好んだという<ref> {{Wayback |url=https://jcc.jp/news/13706605/|title=TV初公開!石原裕次郎の遺品・遺した時計に衝撃の価値! フジテレビ【バイキング】|JCCテレビすべて|date=20180721055938}}</ref>。
* [[ホレゆけ!スタア☆大作戦]]
* 日本では[[力道山]]、[[夏木陽介]]と裕次郎の3人だけと言われる[[メルセデス・ベンツ・300SL]](〈W198〉[[ガルウィングドア|ガルウィング]]クーペのオーナーだった。シートは[[深紅]]。車体は[[銀色|シルバー]](ただし、ヘッドランプを含むフロントフェンダー部分は所有当初から300SLロードスター用のものに交換されている)。他に[[ロールス・ロイス・シルヴァースピリット]]や[[キャデラック]]など複数の高級車を所有するカーマニアであった。
* [[涼宮ハルヒの憂鬱 (アニメ)|涼宮ハルヒの憂鬱]](UHFアニメ 幹事:[[テレビ埼玉]])
* [[キディ・ガーランド]](UHFアニメ 幹事:テレビ埼玉)
* [[幼獣マメシバ#幼獣マメシバ|幼獣マメシバ]]・[[幼獣マメシバ#マメシバ一郎|マメシバ一郎]]・[[幼獣マメシバ#マメシバ一郎 フーテンの芝二郎|マメシバ一郎 フーテンの芝二郎]]([[東名阪ネット6]]、幹事:[[テレビ神奈川|tvk]])
* [[ツインエンジェルシリーズ#テレビアニメ第1作|快盗天使ツインエンジェル〜キュンキュン☆ときめきパラダイス!!〜]](UHFアニメ)
* [[ウルトラゾーン (テレビ番組)|ウルトラゾーン]]
* [[今夜野宿になりまして]]
* [[方言彼女。]]0(東名阪ネット6制作)
* [[押忍!!ふんどし部!#テレビドラマ|押忍!!ふんどし部!]]
* [[洋楽天国#洋楽天国EXXTRA|洋楽天国EXXTRA]]
* [[リアル鬼ごっこ#テレビドラマ|リアル鬼ごっこ THE ORIGIN]]
* [[猫侍#テレビドラマ版|猫侍]]
** [[猫侍#猫侍 SEASON2|猫侍 SEASON2]]
* [[白黒アンジャッシュ]]([[千葉テレビ放送|チバテレビ]]制作)
* [[趣味バカ]]([[サンテレビジョン|サンテレビ]]制作)
* [[いたくろここなのオンとオフ|いたくろむろせのオンとオフ→いたくろここなのオンとオフ]](テレ玉制作)
* [[どすこい すしずもう]]
 
このほか、『[[イヌゴエ#テレビ放送|イヌゴエ]]』、『[[ネコナデ#テレビドラマ|ネコナデ]]』など[[東名阪ネット6]]などが制作している一連の動物ドラマが放送されていた。
=== 交友関係 ===
* [[勝新太郎]]とは家族ぐるみの付き合いで<ref>{{Wayback |url=https://tvtopic.goo.ne.jp/program/cx/83074/1181082/ |title=[直撃!シンソウ坂上 【石原裕次郎32回忌でまき子夫人&舘ひろしが坂上に秘話告白】 ]の番組概要ページ - gooテレビ番組(関東版)|date=20180805112744}}</ref>、互いを「兄弟」と呼び合った仲。勝は裕次郎の葬儀で友人代表の弔辞も読んだ<ref>[http://www5.nikkansports.com/entertainment/yujiro/archives/20090603_79677.html (2)「兄弟」勝新、最後の晩餐(裕次郎とともに)] - nikkansports.com 2009年6月3日</ref><ref>[http://www5.nikkansports.com/entertainment/yujiro/archives/20090606_79680.html (5)勝新と玉緒のケンカ仲裁(裕次郎とともに)] - nikkansports.com 2009年6月6日</ref>。
* 1学年下の[[長嶋茂雄]]とは、巨人入団前に対談の企画で出会った。対面を重ねるうち、親交を深め、1959年には裕次郎が応援歌「男の友情 背番号3」の制作を考え、歌唱した。1962年1月には雑誌の企画で、前年結婚したまき子夫人を含めて米国を旅行した<ref>[http://www5.nikkansports.com/entertainment/yujiro/archives/20090602_79676.html (1)昭和に風、長嶋さん語った(裕次郎とともに)] - nikkansports.com 2009年6月02日</ref>。
* 裕次郎と同じ12月28日生まれの[[渡哲也]]は日活所属だった際、1970年の映画『[[ある兵士の賭け]]』による石原プロの倒産危機を知ると、180万円を差し出した(貯金全額と書かれている資料もあるが、映画にかけた夢 石原プロモーション58年の軌跡 石原裕次郎・渡哲也 週刊朝日ムックには『さらば掟』出演時の渡のギャラ全額相当とある<ref> 映画にかけた夢 石原プロモーション58年の軌跡 石原裕次郎・渡哲也 週刊朝日ムック p.51-53 </ref>。)裕次郎が気持ちだけは頂くというと、石原プロ入りを志願した<ref>[<!-- https://www.fnn.jp/posts/00337930HDK -->https://sp.fnn.jp/posts/00337930HDK 「彼は闘えないと思った…」妻が語る“昭和の大スター”石原裕次郎の素顔] - FNN.jpプライムオンライン 2018年7月19日</ref><ref>[http://www5.nikkansports.com/entertainment/yujiro/archives/20090704_80997.html (24)石原軍団、今でも映画製作の夢(裕次郎とともに)] - nikkansports.com 2009年7月4日</ref>。
* 関町進は、石原プロの車両部として作品に携わり、裕次郎の逝去前まで付き人兼運転手を務めた<ref>太平洋の果実 第2部 石原裕次郎の贈りもの([[PHP研究所]]) [[増田久雄]]</ref>。
 
; [[海外ドラマ]]
=== その他 ===
* [[CSI:科学捜査班]] シーズン4
* 前述の通り公式上の生年月日は1934年12月28日だが、運転免許証によると戸籍上の生年月日は6日後の[[1935年]](昭和10年)[[1月3日]]とされている<ref>[https://ameblo.jp/kuniroku3/entry-11358261746.html 2012/9/3 石原裕次郎記念館 | 国立ロクの撮影日記]</ref>。
* [[グレイズ・アナトミー 恋の解剖学]] シーズン2
* 同じ1961年、[[伊豆急行線]]の開業式典(開業前日の[[12月9日]])にヘリコプターで[[伊豆急下田駅]]へ駆けつけた<ref>{{cite book | 和書 | title=昭和の終着駅 中部・東海篇 | author=安田就視・松本典久・清水武 | page=112 | publisher=[[交通新聞社]] | date=2017年8月 | ISBN=978-4-330-81717-0}}</ref>。
* [[コールドケース 迷宮事件簿]] シーズン2〜6
* 主演した『[[赤い波止場]]』は[[ジャン・ギャバン]]主演の、日本で特に人気が高いフランス映画の名作『[[望郷 (1937年の映画)|望郷]]』が元ネタである<ref> 映画にかけた夢 石原プロモーション58年の軌跡 石原裕次郎・渡哲也 週刊朝日ムック p.105-110 </ref>。『[[赤い波止場]]』のリメイクである[[渡哲也]]主演の『[[紅の流れ星]]』も『望郷』を手本にしている作品であるが、主人公像はギャバンではなくてゴダール『[[勝手にしやがれ (映画)|勝手にしやがれ]]』の[[ジャン・ポール・ベルモンド]]がモデルである。これは国民的ヒーローのギャバン=裕次郎と、アウトローなベルモンド=渡という主演スターのイメージや個性・持ち味の違いからきている<ref>[[洋泉社]] 2016年11月『[[映画秘宝]]コレクション 完全版アナーキー日本映画史1959-2016』75p</ref><ref>「[[キネマ旬報]]オールタイムベスト 映画遺産200」。2009。同書160pの『紅の流れ星』の解説より</ref>。
* [[ターミネーター サラ・コナー・クロニクルズ]] シーズン2
* 1964年の日活映画『[[太陽西から昇る (映画)|太陽西から昇る]]』において、石原の旧自宅(現在は存在しない、東宝撮影所近くの)がロケーションで使用された<ref>{{cite web|url=https://www.nikkatsu.com/movie/20802.html|title=太陽西から昇る|publisher=日活|access-date=2022-8-18}}</ref>。
* [[ライ・トゥ・ミー 嘘は真実を語る|ライ・トゥ・ミー 嘘の瞬間]]シリーズ
* 1980年1月に[[成城]]の自宅(上神明遺跡内)において、[[古墳時代]]の遺跡、[[土器]]が発見されたこともある。それが歴史的大発見で話題になった。石原プロの俳優だった[[苅谷俊介]]は、裕次郎邸の遺跡発見がきっかけとなって考古学に目覚め、同社を退社して考古学研究の道に踏み出すこととなった<ref>{{Wayback |url=http://naraamt.or.jp/50kinki/kinenkouen.html|title=第50回近畿医学検査学会 |date=20160702011903}}</ref>。
* [[リベンジ (テレビドラマ)|リベンジ]]
*『太陽にほえろ!』で共演した[[渡辺徹 (俳優)|渡辺徹]]は、石原からどんな所に住んでいるかを聞かれ、「アパートの三階」と答えたところ、石原の成城の旧自宅をあげると言われ喜んだが、光熱費などだけでも数百万を要することから、当時新人で給料も安い渡辺は、貰うことを諦めたという<ref>{{cite web|url=https://www.daily.co.jp/gossip/2018/07/11/0011435565.shtml|title=渡辺徹、石原裕次郎さんの仰天エピ明かす 豪邸を「やるから住め!」|publisher=デイリー|access-date=2022-9-22}}</ref>。
* 亡くなった1987年7月17日、テレビ朝日では急遽、19:30から1時間半近い特番が組まれた<ref group="注釈">19時からの「[[ドラえもん (1979年のテレビアニメ)|ドラえもん]]」は予定通り放送。</ref>。これにより、10月2日で放送終了が決まっていた19:30からの「[[宇宙船サジタリウス]]」が1話分放送できなくなり、急遽翌10月3日19:30から放送されることになった。関西地区では「[[部長刑事]]」により、この枠の他番組と同じく、17:55から繰り上げ放送された。
*『[[大都会 PARTIII]]』の終了後、日本テレビからパートⅣ製作の打診を受け、一方ではテレビ朝日から、大都会の流れを踏襲した様な、新たな刑事ドラマの製作を持ちかけられた、これを聞いた石原は、日本テレビのおかげで石原プロの経営が良好になったこともあり、その義理からテレビ朝日の打診を一蹴した<ref name=eigajin3>映画にかけた夢 石原プロモーション58年の軌跡 石原裕次郎・渡哲也 週刊朝日ムック p.52-58</ref>。しかし、義理よりも金銭的に有利なテレビ朝日のオファーを[[小林正彦]]専務が強引に押し進める形で、日本テレビからテレビ朝日に鞍替えし、『[[西部警察]]シリーズ』が製作されることとなった<ref name=eigajin3/>。
*同じ日活出身で、当時『[[太陽にほえろ!]]』レギュラー出演した俳優の中で唯一故人となっていた、[[沖雅也]]の自殺に相当なショックを受けていた石原は、『[[太陽にほえろ!]]』最終回において、沖が演じたスコッチ刑事に言及し、アドリブで命の大切さを説く演技を見せた<ref name=eigani2/>。
 
; その他
== 家族・親族 ==
* [[トゥルルさまぁ〜ず]]([[BeeTV]]制作、配信)
[[file:Ishihara Family.jpg|thumb|300px|right|<center>[[小樽市|小樽]]にて家族写真<br />(左から父・潔、裕次郎、母・光子、兄・[[石原慎太郎|慎太郎]])</center>]]
* [[秋山莉奈&芳賀優里亜のJヴァカンス]]
[[File:Shintaro Ishihara 2009828.JPG|thumb|150px|兄・石原慎太郎<br>[[2009年]][[8月28日]]<br>[[東京都庁舎|東京都庁第一本庁舎]]<br>[[東京都知事|都知事]]執務室]]
* [[秋山莉奈の素敵にトラベり〜な!|ココがイチオシ!たびたび秋山さん]]
=== 石原家 ===
* [[秋山莉奈のゆめぐり旅じかん!!]]
; ([[愛媛県]][[松山市]]・[[八幡浜市]]・[[大洲市]]、[[兵庫県]][[神戸市]][[須磨区]]、[[北海道]][[小樽市]]、[[神奈川県]][[逗子市]]、[[東京都]])
* [[シニカレ]]
* 父・'''潔'''([[山下汽船]]社員)
* [[7days back packer]]
: [[1899年]]([[明治]]32年)12月生 - [[1951年]]([[昭和]]26年)10月没
* [[旅の達人がいく!阿藤快のにっぽん漫遊記]]
* 母・'''光子'''
* [[SNOW SWEET LIFE]]([[northfeel]]制作)
: [[1909年]]([[明治]]42年)9月生 - [[1992年]]([[平成]]4年)6月没
* [[銀河機攻隊 マジェスティックプリンス]](UHFアニメ)
* 兄・'''[[石原慎太郎|慎太郎]]'''(作家、政治家)
* [[攻殻機動隊 ARISE#殻機動隊ARISE ALTERNATIVE ARCHITECTURE|攻殻機動隊ARISE ALTERNATIVE ARCHITECTURE]](UHFアニメ)
: [[1932年]]([[昭和]]7年)9月生 - [[2022年]] ([[令和]]4年) 2月没
* ドライブインらーめん探訪
* 妻・'''[[石原まき子|まき子]]'''(元女優)
* [[的場浩司]]のスイーツ男子塾!
: [[1933年]](昭和8年)7月生 -
* 子・'''なし'''
* 甥・'''[[石原伸晃|伸晃]]'''、'''[[石原良純|良純]]'''、'''[[石原宏高|宏高]]'''、'''[[石原延啓|延啓]]'''
 
=== ミヤギテレビ開局前に放送されていた日本テレビ系の番組 ===
裕次郎は良家の子弟というイメージがあるが、父・潔は山下汽船のサラリーマンであり、旧制中学も出ていない身から叩き上げて[[関連会社]][[役員]]にまで出世した人物である。[[戦後]]の新興[[中流階級]]に属する。
○はミヤギテレビ開局後移行された番組。
* [[日本テレニュース]]
* [[NNNワイドニュース]]○
* [[11PM]]○
* [[NNNきょうの出来事]]○
* [[キユーピー3分クッキング#日本テレビ版|キユーピー3分クッキング]] - 1975年6月28日まで放送<ref group="注釈">ミヤギテレビは当時間帯に『[[ANNニュース]]』→『[[ANNニュースライナー]]』(NET系列)を同時ネット。</ref>、同年6月30日からTBCへ移行し自主制作([[企画ネット番組]])を経て[[CBCテレビ|CBC]]版に切り替わった。
* [[健康増進時代]] - TBCから移行、1971年4月から○
* [[日立ドキュメンタリー すばらしい世界旅行]]○
* [[ミユキ野球教室]]○
* [[シャボン玉ホリデー]]○
* [[青春とはなんだ]]→[[これが青春だ]]→[[でっかい青春]]→[[進め!青春]]
* [[日産スター劇場]]
* [[東京バイパス指令]]→[[ゴールドアイ]]
* [[そっくりショー]]○
* [[光速エスパー#テレビドラマ版|光速エスパー]]
* [[味の素ホイホイ・ミュージック・スクール]]
* [[三菱ダイヤモンド・アワー]]○
* [[婦人ニュース (日本テレビ)|婦人ニュース]]
* [[ママちょっと来て]]
* [[パパは何でも知っている]]
* [[怪傑ゾロ (テレビドラマ)|怪傑ゾロ]]
* [[ハリスミュージックプレゼント]]
* [[土曜ドラマ (日本テレビ)|土曜グランド劇場]]○
* [[NNNドキュメント]]○
* [[木馬座アワー]]
* [[おはよう!こどもショー]]○
* [[ロンパールーム]]○
* [[Myojo|明星]][[スターパレード]]
* [[タイガーマスク#アニメ|タイガーマスク]] :月曜 18:00 - 18:30(1970年10月以降もミヤギテレビに移行せずネット継続)<ref>河北新報1970年10月分のテレビ欄で確認。</ref>。
* [[赤き血のイレブン#テレビアニメ|赤き血のイレブン]](1970年10月以降も継続放送):日曜 10:00 - 10:30(1970年9月まで)→ 火曜 18:00 - 18:30(1970年10月から)<ref>『福島民報』1970年4月19日 - 1971年4月13日付朝刊、テレビ欄。</ref>
 
=== 東日本放送開局前に放送されていたテレビ朝日系の番組 ===
=== 略系図 ===
* [[モーニングショー]]
{{main|石原慎太郎#家族・親族}}
:仙台放送でネット開始後、1965年4月から[[東北放送|TBC]]へ移行(仙台放送は『[[小川宏ショー]]』に切り替え)、1970年10月から[[宮城テレビ放送|ミヤギテレビ]]への移行を経て、1975年10月から[[東日本放送]]へ移行(3か月は2局で並行放送)と在仙民放局全てで放送された。
<pre>
* [[素浪人 月影兵庫]]([[近衛十四郎]]主演)→[[素浪人 花山大吉]](末期の3か月間はミヤギテレビで放送)
         石原潔━光子
* [[クイズタイムショック]]
           ┣━━━━━━━━━━━━━┓
* [[アフタヌーンショー]]
       石原慎太郎━典子         石原裕次郎━まき子
:仙台放送でネット開始後、1968年4月から東北放送へ移行、1970年10月からミヤギテレビへの移行を経て、1975年10月から東日本放送へ移行と『モーニングショー』同様在仙民放局全てで放送。
           ┃
* [[明色お笑いゲーム合戦|明色(新・)お笑いゲーム合戦]]→[[明色スターゲーム合戦]]([[毎日放送|MBS]]制作・腸捻転時代)
           ┣━━━━━┳━━━━━┳━━━━━┓
* [[皇室アルバム]](MBS制作、腸捻転解消に伴いTBCへ移行)
        石原伸晃  石原良純  石原宏高   石原延啓
* [[もってのほか#もってのほか (ドラマ)|もってのほか→もってのほか・姉妹菊の章]](MBS制作・腸捻転時代)
* [[暗闇五段#テレビドラマ|くらやみ五段]]
* [[スパイキャッチャーJ3]]
* [[忍者ハットリくん#実写版|忍者ハットリくん (実写版)]]
** [[忍者ハットリくん#+忍者怪獣ジッポウ|忍者ハットリくん+忍者怪獣ジッポウ]]
* [[悪魔くん#テレビドラマ|悪魔くん]]
* [[河童の三平 妖怪大作戦]]
 
== アナウンサー ==
</pre>
{{要出典範囲|date=2019年3月6日 (水) 05:43 (UTC)|通常、民放の局では、地元出身者に採用を限定したり、全国を対象にしても最低1名は地元出身者を採用する例が多い中、}}仙台放送のアナウンサーには長らく宮城県出身者がいない時期が続いたが、2022年に宮城県出身者が30年ぶりに採用された。
 
=== 出演男性 ===
*1993年 [[佐藤拓雄]](アナウンス部長)
<!-- 単発のゲスト出演は不要。レギュラー番組のみ記述をお願いします。「プロジェクト:芸能人」参照 -->
*1996年 [[金澤聡]](スポーツ部部長兼任)
=== 映画 ===
*2017年 [[下山由城]]([[秋田朝日放送]]から移籍)
==== 実写映画 ====
*2019年 [[堤勇高]]
* 『[[太陽の季節]]』([[古川卓巳]]監督、1956年5月17日公開、日活、伊豆役)
* 『[[狂った果実 (小説)|狂った果実]]』([[中平康]]監督、1956年7月12日公開、日活、滝島夏久役)
* 『[[乳母車 (映画)|乳母車]]』([[田坂具隆]]監督、1956年11月13日公開、日活、相沢宗雄役)
* 『[[地底の歌]]』([[野口晴康|野口博志]]監督、1956年12月12日公開、日活、ダイヤモンド冬役)
* 『[[月蝕 (映画)|月蝕]]』([[井上梅次]]監督、1956年12月19日公開、日活、松木役)
* 『若ノ花物語』([[森永健次郎]]監督、1956年12月26日公開、日活)
* 『人間魚雷出撃す』(古川卓巳監督、1956年12月26日公開、日活、黒崎中尉役)
* 『[[お転婆三人姉妹 踊る太陽]]』(井上梅次監督、1957年1月1日公開、日活、大助君役)
* 『[[ジャズ娘誕生]]』([[春原政久]]監督、1957年4月3日公開、日活、南条春夫役)
* 『勝利者』(井上梅次監督、1957年5月1日公開、日活、夫馬俊太郎役)
* 『今日のいのち』([[田坂具隆]]監督、1957年6月26日公開、日活、岩本岩次郎役)
* 『[[幕末太陽傳]]』([[川島雄三]]監督、1957年7月14日公開、日活、[[高杉晋作]]役)
* 『[[海の野郎ども]]』([[新藤兼人]]監督、1957年8月20日公開、日活、千鳥松役)
* 『[[鷲と鷹]]』(井上梅次監督、1957年9月29日公開、日活、千吉役)
* 『[[俺は待ってるぜ]]』([[蔵原惟繕]]監督、1957年10月20日公開、日活、島木譲次役)
* 『[[嵐を呼ぶ男]]』(井上梅次監督、1957年12月28日公開、日活、国分正一役)
* 『心と肉体の旅』([[舛田利雄]]監督、1958年1月9日公開、日活)
* 『[[夜の牙]]』(井上梅次監督、1958年1月15日公開、日活、杉浦健吉役)
* 『[[錆びたナイフ]]』(舛田利雄監督、1958年3月11日公開、日活、橘役)
* 『[[陽のあたる坂道]]』(田坂具隆監督、1958年4月15日公開、日活、田代信次役)
* 『[[明日は明日の風が吹く]]』(井上梅次監督、1958年4月29日公開、日活、松山健次役)
* 『素晴しき男性』(井上海次監督、1958年7月6日公開、日活、団武男役)
* 『[[風速40米]]』(蔵原惟繕監督、1958年8月12日公開、日活、滝颯夫役)
* 『[[赤い波止場]]』(舛田利雄監督、1958年9月23日公開、日活、富永二郎役)
* 『嵐の中を突っ走れ』(蔵原惟繕監督、1958年10月29日公開、日活、吉良千吉役)
* 『[[紅の翼]]』(中平康監督、1958年12月28日公開、日活、石田康二役)
* 『[[若い川の流れ]]』(田坂具隆監督、1959年1月15日公開、日活、曽根健助役)
* 『今日に生きる』(舛田利雄監督、1959年3月10日公開、日活、城俊次役)
* 『男が爆発する』(舛田利雄監督、1959年4月29日公開、日活、室戸謙作役)
* 『山と谷と雲』([[牛原陽一]]監督、1959年5月31日公開、日活、牧戸次郎役)
* 『[[愛と死#1959年版|世界を賭ける恋]]』([[滝沢英輔]]監督、1959年7月12日公開、日活、村岡雄二役)
* 『男なら夢を見ろ』(牛原陽一監督、1959年8月9日公開、日活、木島夏雄役)
* 『欧州駈けある記』(1959年8月30日公開、日活)
* 『[[清水の暴れん坊]]』(松尾昭典監督、1959年9月27日公開、日活、石松俊雄役)
* 『天と地を駈ける男』(舛田利雄監督、1959年11月1日公開、日活、稲葉鉄男役)
* 『[[男が命を賭ける時]]』(松尾昭典監督、1959年12月27日公開、日活、小室丈太郎役)
* 『[[鉄火場の風]]』(牛原陽一監督、1960年1月15日公開、日活、畑中英次役)
* 『白銀城の対決』(齋藤武市監督、1960年3月6日公開、日活、伊庭俊介役)
* 『[[あじさいの歌]]』(滝沢英輔監督、1960年4月2日公開、日活、河田藤助役)
* 『[[青年の樹 (1960年の映画)|青年の樹]]』(舛田利雄監督、1960年4月29日公開、日活、和久武馬役)
* 『天下を取る』(牛原陽一監督、1960年7月13日公開、日活、大門大太役)
* 『[[喧嘩太郎]]』(舛田利雄監督、1960年8月10日公開、日活、宇野太郎役)
* 『やくざ先生』(松尾昭典監督、1960年9月21日公開、日活、新田悠三役)
* 『[[あした晴れるか (映画)|あした晴れるか]]』(中平康監督、1960年10月26日公開、日活、三杉耕平役)
* 『[[闘牛に賭ける男]]』(舛田利雄監督、1960年12月27日公開、日活、北見徹役)
* 『[[街から街へつむじ風]]』(松尾昭典監督、1961年1月14日公開、日活、正木晋一役)
* 『[[あいつと私]]』(中平康監督、1961年9月10日公開、日活、黒川三郎役)
* 『[[堂堂たる人生]]』(牛原陽一監督、1961年10月22日公開、日活、中部周平役)
* 『[[アラブの嵐]]』(中平康監督、1961年12月24日公開、日活、宗方真太郎役)
* 『[[男と男の生きる街]]』(舛田利雄監督、1962年1月14日公開、日活、岩崎捷夫役)
* 『[[銀座の恋の物語]]』(蔵原惟繕監督、1962年3月4日公開、日活、伴次郎役)
* 『[[青年の椅子]]』([[西河克己]]監督、1962年4月8日公開、日活、高坂虎彦役)
* 『雲に向かって起つ』(滝沢英輔監督、1962年5月1日公開、日活、坂木武馬役)
* 『[[憎いあンちくしょう]]』(蔵原惟繕監督、1962年7月8日公開、日活、北大作役)
* 『零戦黒雲一家』(舛田利雄監督、1962年8月12日公開、日活、谷村雁役)
* 『[[若い人]]』(西河克己監督、1962年10月6日公開、日活、間崎慎太郎役)
* 『[[金門島にかける橋]]』(松尾昭典監督、1962年11月3日公開、日活、武井一郎役)
* 『[[花と竜#1962年|花と竜]]』(舛田利雄監督、1962年12月26日公開、日活、玉井金五郎役)
* 『何か面白いことないか』(蔵原惟繕監督、1963年3月3日公開、日活、早坂次郎役)
* 『[[太陽への脱出]]』(舛田利雄監督、1963年4月28日公開、日活、速水志郎役)
* 『[[夜霧のブルース]]』(野村孝監督、1963年6月30日公開、日活、西脇順三役)
* 『[[太平洋ひとりぼっち]]』([[市川崑]]監督、1963年10月27日公開、日活、青年役)
* 『[[赤いハンカチ]]』(舛田利雄監督、1964年1月3日公開、日活、三上次郎役)
* 『[[夕陽の丘]]』(松尾昭典監督、1964年4月29日公開、日活、篠原健次役)
* 『[[鉄火場破り]]』(齋藤武市監督、1964年7月12日公開、日活、関東政役)
* 『殺人者を消せ』(舛田利雄監督、1964年9月19日公開、日活、早川次郎/泉信夫役)
* 『[[敗れざるもの]]』(松尾昭典監督、1964年10月30日公開、日活、橋本鉄哉役)
* 『[[黒い海峡]]』([[江崎実生]]監督、1964年12月31日公開、日活、槙明夫役)
* 『[[城取り]]』(舛田利雄監督、1965年3月6日公開、日活、車藤三役)
* 『[[青春とはなんだ]]』(舛田利雄監督、1965年7月14日公開、日活、野々村健介役)
* 『[[泣かせるぜ]]』(松尾昭典監督、1965年10月1日公開、日活、響伸作役)
* 『[[素晴らしきヒコーキ野郎]]』([[ケン・アナキン]]監督、1965年10月9日公開、[[20世紀フォックス]]、Yamamoto役)
* 『[[赤い谷間の決斗]]』舛田利雄監督、1965年12月29日公開、日活、風間信吾役)
* 『[[二人の世界 (1966年の映画)|二人の世界]]』(松尾昭典監督、1966年2月25日公開、日活、北条修一役)
* 『青春大統領』(江崎実生監督、1966年4月27日公開、日活、峰岡鷹志役)
* 『[[夜霧の慕情]]』(松尾昭典監督、1966年6月1日公開、日活、堀部良郎役)
* 『[[夜のバラを消せ]]』(舛田利雄監督、1966年7月9日公開、日活、徳川新六役)
* 『[[帰らざる波止場]]』(舛田利雄監督、1966年8月13日公開、日活、津田史郎役)
* 『[[栄光への挑戦]]』(舛田利雄監督、1966年10月8日公開、日活、宗吾郎役)
* 『逃亡列車』(江崎実生監督、1966年12月24日公開、日活、有坂大作役)
* 『[[夜霧よ今夜も有難う]]』(江崎実生監督、1967年3月11日公開、日活、相良徹役)
* 『嵐来たり去る』(舛田利雄監督、1967年5月3日公開、日活、富坂の英五郎役)
* 『[[波止場の鷹]]』([[西村昭五郎]]監督、1967年8月12日公開、日活、久須見健一役)
* 『東京の田舎っぺ』([[千野皓司]]監督、1967年8月12日公開、日活、声のみ)
* 『[[君は恋人]]』(齋藤武市監督、1967年11月3日公開、日活、石崎監督役)
* 『[[黄金の野郎ども]]』(江崎実生監督、1967年12月23日公開、日活、立原英次役)
* 『[[遊侠三国志 鉄火の花道]]』(松尾昭典監督、1968年1月13日公開、日活、小村伸次郎役)
* 『[[黒部の太陽#映画|黒部の太陽]]』([[熊井啓]]監督、1968年2月17日公開、日活、岩岡剛役)
* 『[[昭和のいのち]]』(舛田利雄監督、1968年6月22日公開、日活、日下真介役)
* 『[[忘れるものか]]』(松尾昭典監督、1968年12月28日公開、日活、岡部司郎役)
* 『[[風林火山 (映画)|風林火山]]』([[稲垣浩]]監督、1969年3月1日公開、東宝、[[上杉謙信]]役)
* 『[[栄光への5000キロ]]』(蔵原惟繕監督、1969年7月15日公開、松竹、五代高之役)
* 『[[人斬り (映画)|人斬り]]』([[五社英雄]]監督、1969年8月9日公開、大映、[[坂本龍馬|坂本竜馬]]役)
* 『[[嵐の勇者たち]]』(舛田利雄監督、1969年12月31日公開、日活、島地陶介役)
* 『[[富士山頂 (小説)|富士山頂]]』([[村野鐵太郎]]監督、1970年2月28日公開、日活、梅原悟郎役)
* 『[[待ち伏せ (映画)|待ち伏せ]]』(稲垣浩監督、1970年3月21日公開、東宝、弥太郎役)
* 『[[ある兵士の賭け]]』(キース・ラーセン/千野皓司/白井伸明監督、1970年6月6日公開、松竹、北林宏役)
* 『[[スパルタ教育くたばれ親父]]』(舛田利雄監督、1970年8月12日公開、ダイニチ、田上悠三役)
* 『[[戦争と人間 (映画)|戦争と人間]](1部)』 ([[山本薩夫]]監督、1970年8月1日公開、ダイニチ、篠崎書記官役)
* 『[[男の世界 (1971年の映画)|男の世界]]』([[長谷部安春]]監督、1971年1月13日公開、ダイニチ、紺野忠夫役)
* 『[[甦える大地]]』([[中村登]]監督、1971年2月26日公開、松竹、植松一也役)
* 『[[影狩り (映画)|影狩り]]』(舛田利雄監督、1972年6月10日公開、東宝、十兵衛役)
* 『[[影狩り ほえろ大砲]]』(舛田利雄監督、1972年10月10日公開、東宝、室戸十兵衛役)
* 『[[反逆の報酬]]』([[澤田幸弘]]監督、1973年2月17日公開、東宝、沖田徹男役)
* 『[[凍河]]』([[斎藤耕一]]監督、1976年4月24日公開、松竹、竜野一郎役) (友情出演)
* 『アゲイン』(1984年、過去の日活作品の映像が使用されたのみで、新撮部分への出演なし)
 
==== その他の映画女性 ====
*2004年 [[寺田早輪子]]([[青森テレビ]]から移籍)
* 『[[わが青春のアルカディア]]』([[勝間田具治]]監督、1982年7月28日公開、東映、(声の出演)[[ハーロック|ファントム・F・ハーロックI世]]役)
*2006年 [[梅島三環子]]
* 『[[零戦燃ゆ]]』(舛田利雄監督、1984年8月11日公開、東宝、 主題歌のみ)
*2009年 [[飯田菜奈]]
*2017年 [[高橋咲良]]
*2018年 [[西ノ入菜月]]
*2020年 [[伊藤瞳 (アナウンサー)|伊藤瞳]]
*2022年 [[千坂紗雪]]
 
=== テレビドラマ元アナウンサー ===
==== 男性 ====
* 『[[ダイヤル110番]]』(1958年、日本テレビ)
* [[柴山光由]](旧姓:伊藤。1966年-2004年、現:[[仙台市教育委員会|仙台市教育委員]])
* 『小さき闘い』(1964年、フジテレビ)
* [[山崎正]](1966年-1969年、[[中京テレビ放送|中京テレビ]]→NETテレビ/[[テレビ朝日]]へ移籍。のちフリーアナウンサー、相撲ジャーナリストとして活動。2023年6月に死去<ref>[https://www.asahi.com/articles/DA3S15675802.html 山崎正さん死去] 朝日新聞デジタル 2023年7月1日</ref>)
* 『結婚について・祝婚』(1965年、[[TBSテレビ]])
* 三浦晴道(1972年-2008年頃、2005年他部署へ異動)
* 『[[黒部の太陽 (テレビドラマ)|黒部の太陽]]』(1969年、日本テレビ)
* [[浅見博幸]](1975年‐2015年11月、フリーアナウンサーへ転身)
* 『[[太陽にほえろ!]]』(1972年7月-1981年5月、1981年12月-1986年6月、1986年11月、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]])- 藤堂俊介・捜査第一係長(通称・ボス)
* [[柳沢剛]](1987年-2007年に制作部に異動後2010年に現場復帰-2017年2月、 2017年3月広報部に再異動)
* 『[[座頭市|座頭市物語]]』(1974年11月14日、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]、CX / 勝プロ)第7話「市に小鳥がとまった」
* [[下田恒幸]](1990年-2005年、フリーアナウンサーへ転身)
* 『[[痛快!河内山宗俊]]』(1975年、フジテレビ)
* [[小塚歩]](2002年-2005年、[[日経ラジオ社|ラジオNIKKEI]]へ移籍)
* 『[[座頭市|新・座頭市]]』(1976年、フジテレビ)
* [[山内亨]]([[さくらんぼテレビジョン]]出向を経てその後仙台放送へ復帰し報道局長を歴任後、2008年定年退職。現:[[仙台大学]]教授)
* 『[[大都会 (テレビドラマ)|大都会]]』シリーズ(日本テレビ)
*麦島隆(ロサンゼルス支局の初代支局長)
** 『[[大都会 闘いの日々]]』(1976年1月-9月)- 滝川竜太
* [[板垣龍佑]](2006年-2009年、[[テレビ東京]]へ移籍)
** 『[[大都会 PARTII]]』(1977年4月-1978年3月)- 宗方悟郎
** [[大都会 PARTIII広瀬修一]]』(1978(20089月-1979201593月)- 宗方悟郎
* [[稲垣龍太郎]](2011年-2018年3月 2018年報道部へ異動、2019年3月退社)
* 『[[浮浪雲]]』第二十回(1978年9月、[[テレビ朝日]])- は組の頭岩吉
*[[牧広大]](2015年-2023年9月)<ref>{{Cite web |author= 牧広大|url= https://www.ox-tv.jp/anabrog/p/ana.aspx?anno=30|title= 秋に楽しみなこと|website= アナ・ログ ~アナウンサーリレーエッセイ~|publisher=[[仙台放送]] |language= 日本語|date= 2023-09-29|accessdate=2023-10-15}}</ref>
* 『[[西部警察]]』シリーズ(テレビ朝日)- 木暮謙三
** 『[[西部警察 (PART1)|西部警察 PART-I]]』(1979年10月-1982年4月)
** 『[[西部警察 PART-II]]』(1982年5月 - 1983年3月)
** 『[[西部警察 PART-III]]』(1983年4月 - 1984年10月)
* 『[[木曜ゴールデンドラマ]] 俺たちの明日〜坂本竜馬、中岡慎太郎!!幕末に散った壮絶な青春〜』(1980年、日本テレビ)
* 『[[ゴリラ・警視庁捜査第8班]]』(1989年、テレビ朝日)- 小暮警視(第1話にて遺影で登場)
 
==== テレビ・ラジオ女性 ====
* [[出射由佳]](2002年-2009年、[[圭三プロダクション]]→[[テレビ静岡]]→引退)
==== レギュラー番組 ====
* [[中村友美 (アナウンサー)|中村友美]](1980年-1983年、フリーアナウンサーへ転身した後、[[朝日放送テレビ|朝日放送]]の番組「[[世界一周双六ゲーム]]」の出題ナレーターなどで出演。なお、本名は異なる<ref>週刊テレビ番組(東京ポスト)1989年12月22日 32頁「中村友美プロフィール」</ref>)
* 『石原裕次郎アワー』(1957年-1959年、[[文化放送]])
* [[秋山美紀|加藤美紀]](1991年-1998年)
* 『裕次郎アワー 今晩は裕次郎です』(1963年-1964年[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]、)
* [[佐藤明子|岡田明子]](1992年-1998年、佐藤拓雄アナ夫人)
* 『すてきな仲間』(1966年[[テレビ朝日|NET]])
* [[菅原美千子]](1992年-1999年)
* 『ラジオ広場 やあ!裕次郎です』(1982年、ニッポン放送)
* [[柳生聡子]](1994年-2002年、現:フリーアナウンサー、さとう音楽事務所所属)
* 『THE YUJIRO』(2003年-[[ミュージックバード]])
* [[岡田友香]](1996年-2006年、現:フリーアナウンサー)
* 『石原裕次郎チャンネル』([[有線ラジオ放送]])
* [[長田麻衣子]](1998年-2001年、[[サガテレビ]][[村岡格]]アナ夫人)
* 大野綾子(1999年-2002年)
* [[佐藤亜樹]](1999年-2004年、[[テレビ神奈川]]へ移籍)
* [[水上明子]](2003年-2008年)
* [[小林ベイカー央子|小林央子]] (現:フリーアナウンサー、[[十和田市現代美術館]]顧問)
* [[杉山奈美枝]](フリーアナウンサー、[[シグマ・セブン]]所属)
* 曽宮一恵([[ブルームバーグテレビジョン]]記者)
* 中谷政美(1991年 - 、『[[めざましテレビ]]』宮城中継担当初代リポーター)
* 尾形道子<ref>NHKウィークリーステラ1994年10月28日号 全国アナウンサー名鑑</ref>
* [[長谷部真理子]](旧姓:塚原)
* [[早坂まき子|早坂牧子]](現:まき子。2005年-2011年)
* [[林佳緒里]](1998年-、現:広報室)
* [[原英里奈]](2005年-2011年)
* [[小口ひとみ]](2012年-2015年)
* [[木下瑠音]](2013年-2017年)
* [[高谷恵倫]](2013年-2017年)
 
==== ラジオドラマ関連人物 ====
* [[小林穂波]](元[[常務取締役]]→[[専務取締役]]、フジテレビから移籍)
* 『[[海峡を越えてきた男]]』(1957年、[[ニッポン放送]])
* [[東ふき]](1999年 - 2010年。退職後は[[テレビ朝日]]を経て、フリーリポーターとして活動)
 
=== CM送信所 ===
[[大年寺山#テレビ塔|大年寺山・茂ヶ崎送信所]](旧本社・放送センター)
* [[エーザイ]](ユベロン)
* [[宝酒造]](松竹梅、※宝正宗、[[宇野重吉]]と共演)
* [[資生堂]](ビコーズ)
※放映されなかったCMであり、死去直後に『幻のCM』として放送されたほかDVD「生誕80周年記念 石原裕次郎 松竹梅CM集」に収録。
 
=== 大会出場デジタル ===
[[ファイル:FNNID.png|thumb|right|200px|フジテレビ系列のリモコンキーID地図<br />地図上で赤く塗られている地域の局がID8である。]]
* 大島ヨットレース(1959年・1963年)
* [[日本の放送局所の呼出符号#JO*X_2|コールサイン]] - '''JOOX-DTV'''
* トランス・パシフィック・レース(1965年・1973年・1975年)
* [[識別信号#民間放送|コールネーム]] - せんだいほうそうデジタルテレビジョン
* アドミラルズ・カップ・レース(1977年)
* [[日本のリモコンキーID#地上波系統について|リモコンキーID]] - '''8'''
* パンナム・クリッパーカップ・ヨットレース(1982年)
* [[大年寺山#テレビ塔|仙台]] 21ch 3[[キロ|k]][[ワット|W]]([[実効輻射電力]] 30kW)
* インビテーショナル・ゴルフ大会-途中[[ホールアウト]](1986年)
** 送信機 - TDUシリーズ([[東芝]])3kW1台方式
* 石原裕次郎メモリアルヨットレース(死後)
*: 200Wユニット並列×18で余裕がある。そのため電力増幅器が1台故障しても[[自動利得制御]]により定格出力で運用可。冷却は空冷式。前面に作動情報を表示させるカラーディスプレイがつく。[[グッドデザイン賞]]受賞。
** 送信アンテナ - 125m四角鉄塔
*: 取り付けたい場所に[[エフエム仙台]](愛称Date FM)の送信アンテナ(双ループ4段)があることから同場所に張り出すようなスキューアンテナ4D7段を採用(同じフジテレビ系列局の[[関西テレビ放送]]の[[生駒山]]親局もデジタル放送ではスキューアンテナを採用している)。
** STL(送受信機)は[[日本電気|NEC]]製を採用。パラボラアンテナはアナログ波と共用するが、将来的には災害時のことを考え光回線の使用も視野に入れる。
 
*中継局
=== パチンコ ===
**[[加護坊山#涌谷デジタルテレビ中継局|涌谷]] 21ch 100W(ERP270W) 垂直偏波
* CR石原裕次郎(2009年・[[オリンピア (企業)|オリンピア]]・[[平和 (パチンコ)|平和]])
**[[長の森山|気仙沼]] 25ch
**[[白石中継局|白石]] 23ch
**[[栗駒テレビ中継局|栗駒]] 16ch
**[[志津川テレビ中継局|志津川]] 20ch
**[[蔵王遠刈田テレビ中継局|蔵王遠刈田]] 46ch
**[[鳴子テレビ・FM中継局|鳴子]] 29ch
**[[仙台市内テレビ中継局|秋保]] 46ch
**[[村田テレビ中継局|村田]] 47ch
**[[石巻テレビ中継局|石巻]] 43ch
**[[小野田宮崎テレビ中継局|小野田宮崎]] 46ch
**[[登米テレビ中継局|登米]] 42ch
**[[白石越河テレビ中継局|白石越河]] 46ch
**[[気仙沼鹿折テレビ中継局|気仙沼鹿折]] 19ch
**[[小原七ヶ宿テレビ中継局|小原七ヶ宿]] 46ch
**[[唐桑早馬テレビ中継局|唐桑早馬]] 34ch
**[[鳴子鬼首テレビ中継局|鳴子鬼首]] 44ch
**[[牡鹿テレビ中継局|牡鹿]] 46ch
**[[花山テレビ中継局|花山]] 46ch
**[[女川テレビ中継局|女川]] 33ch
**[[東和米川テレビ中継局|東和米川]] 16ch
**[[唐桑大沢テレビ中継局|唐桑大沢]] 25ch
**[[岩沼市内テレビ中継局|岩沼志賀]] 46ch
**[[岩沼市内テレビ中継局|岩沼上志賀]] 46ch
**[[歌津港テレビ中継局|歌津港]] 40ch(垂直偏波)
**[[歌津田の浦テレビ中継局|歌津田の浦]] 36ch
**[[女川清水テレビ中継局|女川清水]] 23ch
**[[石巻祝田テレビ中継局|石巻祝田]] 46ch
**[[丸森五反田テレビ中継局|丸森五反田]] 44ch
**[[丸森石神テレビ中継局|丸森石神]] 43ch
**[[大張テレビ中継局|大張]] 23ch
**[[気仙沼八瀬テレビ中継局|気仙沼八瀬]] 44ch
**[[羽出庭テレビ中継局|羽出庭]] 23ch
**[[東鳴子テレビ中継局|東鳴子]] 56ch
**[[嵯峨立南テレビ中継局|嵯峨立南]] 16ch
**[[津山地区テレビ中継局|津山横山]] 46ch
**[[津山石貝テレビ中継局|津山石貝]] 46ch(垂直偏波)
**[[津山地区テレビ中継局|津山入沢]] 46ch
**[[気仙沼前木テレビ中継局|気仙沼前木]] 39ch
**[[小野田青野テレビ中継局|小野田青野]] 34ch
**[[柴田船迫テレビ中継局|柴田船迫]] 23ch
**[[篦岳東テレビ中継局|篦岳東]] 42ch
**[[東和嵯峨立テレビ中継局|東和嵯峨立]] 46ch(垂直偏波)
**[[松島高城デジタルテレビ中継局|松島高城]] 42ch
 
=== 歌手活動アナログ ===
; 2012年3月31日運用終了時点のもの。
{{main|石原裕次郎の作品|石原裕次郎のアルバム一覧|石原裕次郎のシングル一覧}}
*[[大年寺山#テレビ塔|仙台]] 12ch
*[[長の森山|気仙沼]] 6ch([[垂直偏波]])
*[[白石中継局|白石]] 8ch
*[[鳴子テレビ・FM中継局|鳴子]] 11ch
*[[栗駒テレビ中継局|栗駒]] 8ch
*[[志津川テレビ中継局|志津川]] 57ch
*[[仙台市内テレビ中継局|秋保]] 41ch
*[[石巻テレビ中継局|石巻]] 57ch
*[[石巻祝田テレビ中継局|石巻祝田]] 56ch
*[[仙台市内テレビ中継局|泉七北田]] 56ch
*[[岩沼市内テレビ中継局|岩沼上志賀]] 39ch
*[[岩沼市内テレビ中継局|岩沼志賀]] 58ch
*[[歌津田の浦テレビ中継局|歌津田の浦]] 33ch
*[[歌津港テレビ中継局|歌津港]] 50ch(垂直偏波)
*[[大張テレビ中継局|大張]] 40ch
*[[雄勝大須テレビ中継局|雄勝大須]] 55ch
*[[牡鹿テレビ中継局|牡鹿]] 41ch
*[[女川テレビ中継局|女川]] 55ch
*[[女川清水テレビ中継局|女川清水]] 39ch
*[[女川鷺神テレビ中継局|女川鷲神]] 42ch
*[[小野田青野テレビ中継局|小野田青野]] 57ch
*[[小野田宮崎テレビ中継局|小野田宮崎]] 60ch
*[[小原七ヶ宿テレビ中継局|小原七ヶ宿]] 53ch
*[[唐桑大沢テレビ中継局|唐桑大沢]] 55ch
*[[唐桑早馬テレビ中継局|唐桑早馬]] 44ch
*[[給分浜テレビ中継局|給分浜]] 61ch
*[[安波山|気仙沼安波]] 58ch
*[[気仙沼鹿折テレビ中継局|気仙沼鹿折]] 42ch
*[[気仙沼前木テレビ中継局|気仙沼前木]] 42ch
*[[気仙沼八瀬テレビ中継局|気仙沼八瀬]] 55ch
*[[蔵王遠刈田テレビ中継局|蔵王遠刈田]] 39ch
*[[塩釜藤倉テレビ中継局|塩釜藤倉]] 57ch(垂直偏波)
*[[志津川新井田テレビ中継局|志津川新井田]] 42ch
*[[柴田船迫テレビ中継局|柴田船迫]] 41ch
*[[白石越河テレビ中継局|白石越河]] 58ch
*[[津山石貝テレビ中継局|津山石貝]] 58ch(垂直偏波)
*[[津山地区テレビ中継局|津山入沢]] 57ch
*[[津山地区テレビ中継局|津山横山]] 43ch
*[[東和嵯峨立テレビ中継局|東和嵯峨立]] 58ch(垂直偏波)
*[[東和米川テレビ中継局|東和米川]] 57ch
*[[登米テレビ中継局|登米]] 54ch
*[[豊里テレビ中継局|豊里]] 45ch
*[[鳴子鬼首テレビ中継局|鳴子鬼首]] 55ch
*[[西塩釜テレビ中継局|西塩釜]] 38ch
*[[花山テレビ中継局|花山]] 53ch
*[[羽出庭テレビ中継局|羽出庭]] 55ch
*[[東塩釜テレビ中継局|東塩釜]] 60ch
*[[東鳴子テレビ中継局|東鳴子]] 56ch※
*[[丸森石神テレビ中継局|丸森石神]] 56ch
*[[丸森五反田テレビ中継局|丸森五反田]] 55ch
*[[仙台市内テレビ中継局|宮城吉成]] 42ch(垂直偏波)
*[[村田テレビ中継局|村田]] 58ch
:※東鳴子局は開局当初は鳴子局と同じ11chで送信していた。(他の在仙VHF局も鳴子局と同一chだった。 1987年12月23日移設に伴い、UHF帯に変更。)
 
=== 廃止されたテレビ中継局(地上アナログ放送) ===
== 書籍 ==
*女川浦宿 43ch(2001年3月31日廃局)
=== 写真集 ===
* 『海とトランペット』(1958年[[斎藤耕一]]・[[三笠書房]])
 
== 東日本大震災による番組編成 ==
=== 出版 ===
{{Main|東北地方太平洋沖地震|東日本大震災}}
* 『わが青春物語』(1958年東西文明社)
{{節スタブ}}
 
=== 連載 ===
* 『裕次郎のつづり方』(1958年[[サンデー毎日]])
 
== 演じた俳優 ==
* [[フジテレビ]]『人間ドキュメント・石原裕次郎物語』(1993年7月23日放送)での配役
** [[榊原利彦]]
* [[テレビ朝日]]『[[弟 (テレビドラマ)|弟]]』(2004年11月17日 - 21日放送)での配役
** [[萩原竜之介]](幼年期)
** [[富岡涼]](少年期)
** [[武田航平]](思春期)
** [[徳重聡]](青年期)
** [[三浦友和]](壮年期・晩年期)
* [[NHK BSプレミアム]]『裕次郎は死なない〜心に刻まれた5つの物語〜』(2017年6月17日放送)での配役
** [[横田栄司]](壮年期・晩年期)
** [[細田善彦]](青年期)
* [[NHK BS4K]]『[[裕さんの女房 もうひとりの石原裕次郎|裕さんの女房]]』(2021年3月20日放送)での配役
** 徳重聡
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflistreflist|group="注釈"}}
=== 出典 ===
{{Reflistreflist}}
 
== 関連項目 ==
* [[石原裕次郎記念館]](北海道小樽市)
* [[1956年の音楽#デビュー]] - 同じ年にデビューした歌手
* [[ブロマイド#1956年|年代別プロマイド(ブロマイド)売上ベスト10]] - 1956年 - 1960年、1967年、1988年。特に、1956年 - 1960年は男女総合1位。
 
== 関連人物 ==
* [[小林正彦]] - 所属する事務所で長年に亘り役員を務めた。
* [[勝新太郎]] - 弔辞を読む(文藝春秋編『弔辞 劇的な人生を送る言葉』[[文春新書]]2011年所収)
* [[浅丘ルリ子]] - 多くの出演作でヒロインを演じた
* [[芦川いづみ]] - 多くの出演作でヒロインを演じた
* [[ゆうたろう (ものまねタレント)]] - 石原裕次郎のモノマネタレント。
* 日活ダイヤモンドライン:[[小林旭]]、[[赤木圭一郎]]、[[和田浩治]]、宍戸錠(新メンバー)、[[二谷英明]](新メンバー)
 
== 外部リンク ==
* [https://www.ox-tv.co.jp/ 仙台放送]
{{Commonscat|Yujiro Ishihara}}
* {{Twitter|SENDAI8ch}}
* {{imdb name |id=0410987 |name=石原裕次郎 }}
* {{Instagram|sendai_tv_8ch}}
* {{Movie Walker name|id=84132|name=石原裕次郎}}
* {{Instagram|sendai_tv_announce|仙台放送アナウンサー【公式】}}
* {{URL |www.tvdrama-db.com/name/p/key-%E7%9F%B3%E5%8E%9F%E8%A3%95%E6%AC%A1%E9%83%8E |石原裕次郎 - テレビドラマ人名録 - ◇テレビドラマデータベース◇}}
* {{YouTube|user=SendaiTelevision|仙台放送公式チャンネル}}
*{{NHK人物録|D0009250223_00000}}
* {{Commonscat-inline}}
 
{{フジテレビジョン}}
{{石原裕次郎}}
{{石原慎太郎FNN・FNS}}
{{Tv-tohoku}}
{{石原プロモーション}}
'''過去'''
{{ブルーリボン賞新人賞}}
{{NNN・NNS}}
{{エランドール賞新人賞}}
{{Normdaten}}
 
{{デフォルトソート:せんたしはら ゆしろう}}
[[Category:石原裕次郎仙台放送|!*]]
[[Category:石原家日本民間放送連盟会員|04せんたいほじろう]]
[[Category:日本東北地方男優テレビ局]]
[[Category:宮城県のマスメディクション俳優]]
[[Category:ヤクザ映画仙台市青葉区俳優企業]]
[[Category:日本1960年代設立男性ポップ歌手テレビ局]]
[[Category:演歌歌手1961年設立の企業]]
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[[Category:日本の司会者]]
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[[Category:石原軍団|*]]
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[[Category:日活の俳優]]
[[Category:日本の男子セーリング選手]]
[[Category:西部警察]]
[[Category:小樽市の歴史]]
[[Category:慶應義塾高等学校出身の人物]]
[[Category:慶應義塾志木高等学校出身の人物]]
[[Category:神戸市出身の人物]]
[[Category:石原慎太郎|+]]
[[Category:1934年生]]
[[Category:1987年没]]
[[Category:肝癌で亡くなった人物]]