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{{出典の明記|date=2022-09}}
'''岡銚子塚古墳'''(おかちょうしづかこふん)は、[[山梨県]][[笛吹市]][[八代町]]岡(旧[[東八代郡]]八代町岡)にある古墳。[[4世紀]]後半築造の[[前方後円墳]]。[[甲府市]](旧東八代郡[[中道町]])の[[甲斐銚子塚古墳]]と区別するため、「岡」が付けられる。[[山梨県指定史跡]]。
*[[{{日本の古墳一覧]]
|名称 = 岡・銚子塚古墳
|画像 = [[ファイル:Oka Choshizuka Kofun, funkyu.jpg|260px]]
|画像キャプション = 墳丘(右に前方部、左奥に後円部)
|別名 =
|所属 =
|所在地 = [[山梨県]][[笛吹市]]八代町岡2223-1<br />(八代ふるさと公園)
|位置 =
|緯度度 = |緯度分 = |緯度秒 =
|経度度 = |経度分 = |経度秒 =
|ISO =
|形状 = [[前方後円墳]]
|規模 = 墳丘長92[[メートル]]<br />高さ7.5メートル(後円部)
|埋葬施設 =
|出土品 = [[鏡]]、[[刀|鉄刀]]、[[鉄鏃]]、[[斧]]、[[勾玉]]
|陪塚 =
|築造時期 = [[4世紀]]後半
|被葬者 =
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|史跡 = 山梨県指定史跡
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|特記事項 =
|地図 = Japan Yamanashi
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'''岡銚子塚古墳'''(おかちょうしづかこふん)は、[[山梨県]][[笛吹市]][[八代町]](旧[[東八代郡]]ふるさと公園内<ref>{{cite web|和書|url=https://www.city.fuefuki.yamanashi.jp/shisetsu/koen/005.html|title=笛吹市/八代町岡)ふるさと公園|publisher=笛吹市|date=2023-08-17|accessdate=2023-10-01|language=ja}}</ref>にある[[古墳]]。[[4世紀]]後半築造の[[前方後円墳]]である。[[甲府市]](旧東八代郡[[中道下曽根]])の[[甲斐銚子塚古墳]]と区別するため、「岡」が付けられる。[[山梨県指定[[史跡]]。
 
== 概要 ==
[[ファイル:Oka Choshizuka Kofun, funcho.jpg|サムネイル|後円部墳頂。背景に甲府盆地を望む。]]
[[甲府盆地]]南東縁の[[曽根丘陵]]東端に位置する。[[笛吹川]]左岸にあたり、一帯は大型古墳が濃密に分布する[[曾根丘陵]]東端の標高425m地点に位置しは425メートルで、盆地を一望できる。
 
[[1992年]]([[平成]]4年)に公園整備に伴い[[発掘調査]]が実施され、全容が判明した。主軸は東西方面で、全長は92m92メートル。後円部径は48m48メートルで高さ7.5m5メートル。前方部幅は41m41メートルで高さ4m4メートル。斜面を掘削して基盤としている。前方部は二段築成で、正面が突出し剣先状になる。後円部は三段築成で、墳丘南側の縊れと前方部の裾付近には[[葺石]]が施されており、[[粘土郭が槨]]も確認されるが破壊が著し。墳丘の周囲には一重の周[[溝]]がめぐらされている。主体部は主軸と直交する後円部中央にあるが、前方部と含めて[[耕作]]による破壊が著しい。
 
[[江戸時代]]後期の[[地誌]]『[[甲斐国志]]』によれば、[[江戸時代宝暦]]の宝暦年間に発掘が行われ、[[鏡]]や鉄[[刀]]、[[鉄鏃]]のほか[[斧]]、[[勾玉]]などの[[副葬品]]が出土したといわれ、甲斐名勝志』(の文人[[山梨県立図書館萩原元克]]所蔵、現在はによる『[[山梨県立博物館甲斐名勝志]]移管の『甲州文庫には、[[鼉龍鏡|だ龍鏡]]やほう製二神二獣鏡の拓本が残されており、これらは[[三角縁神獣鏡]]である可能性も指摘される。出土品は江戸時代の発掘で散逸しているが、県内最古級の特殊台系譜の初期円筒埴輪片や壺型埴輪、異形埴輪片などの埴輪類が確認されている。
 
山梨県では曽根丘陵において前期古墳が展開し、4世紀中頃の[[小平沢古墳]]から4世紀後半の[[ヤマト王権]]の影響を受けた県内最大級の前方後円墳である甲斐銚子塚古墳が出現するが、岡・銚子塚古墳は甲斐銚子塚古墳よりも若干新しい築造であると推定されている。甲斐銚子塚古墳とは墳形や副葬品や埴輪の形式からも類似性が指摘されており、両者が中道地域と八代地域を代表する勢力で、両者が盟友関係にあったとも考えられている。
出土品は江戸時代の発掘で拡散しているが、県内最古級の特殊台系譜の初期円筒[[埴輪]]片や壺型埴輪、異形埴輪片が確認されている。旧中道町地域以外で最古の前方後円墳であり、築造期は[[4世紀]]後半築造の甲斐銚子塚古墳よりは若干新しいと推定される。墳形や副葬品や埴輪の形式からも類似性が指摘され、両者が盟友関係にあったとも考えられている。八代地域では米倉に県内でも類例の少ない[[方墳]]である[[竜塚古墳]]があり、従来は中道地域における[[前方後方墳]]の[[小平沢古墳]]から甲斐銚子塚古墳へと移行する時期に相当すると考えられて入たが、近年の発掘調査では築造期は5世紀中頃と降るため、現在では中道地域における[[円墳]]の[[丸山塚古墳]]へと移行する衰退期に相当すると考えられており、方墳が採用された理由が問題点となっている。その後、中道地域において甲斐銚子塚古墳以後は勢力の衰退がみられるが、八代地域においても造墓地が丘陵地から浅川[[扇状地]]に移り、小規模な古墳の築造が続く。
 
5世紀代には東山地域の勢力が衰退し、古墳の築造は甲府盆地各地へ拡散する。これに伴い笛吹市八代町地域においても、丘陵地から浅川[[扇状地]]に古墳の分布が移行し、中小規模の古墳が築造されるようになる。
 
笛吹市八代町米倉に所在する[[竜塚古墳]]は山梨県内では類例の少ない[[方墳]]であり、築造年代は東山地域において小平沢古墳の築造された4世紀中頃から4世紀後半の甲斐銚子塚古墳の間に相当すると考えられた。一方、『[[山梨県史]]』編纂事業に伴う測量調査において、竜塚古墳の築造年代は東山地域において甲斐銚子塚古墳から[[丸山塚古墳]]([[円墳]])にかけての衰退期に相当すると推定されている。
 
この場合、八代地域では岡・銚子塚古墳以降に伝統的な墳丘形態である方墳が復活していることになり、甲府盆地では[[市川三郷町]]に所在する5世紀末の[[鳥居原狐塚古墳]]も伝統的な円墳であり、甲府盆地において伝統的な墳丘形態が採用された理由が検討課題となっている。
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Oka Choshizuka Kofun, kouenbu.jpg|前方部から後円部を望む
Oka Choshizuka Kofun, zenpoubu.jpg|後円部から前方部を望む
Sakazukizuka Kofun.jpg|付近に所在する盃塚古墳
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== 文化財 ==
=== 山梨県指定文化財 ===
* 史跡 - [[1988年]]([[昭和]]63年)5月12日指定。
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{reflist}}
 
== 関連項目 ==
{{commonscat}}
*[[日本の古墳一覧]]
* [[日本の古墳一覧]]
* [[山梨県指定文化財一覧]]
 
{{coord|35|36|4.8|N|138|38|40.0|E|region:JP-19|display=title}}
[[Category:笛吹市|おかちようしつかこふん]]
[[Category{{デフォルトソート:山梨県の史跡|おかちようしつかこふん]]}}
[[Category:山梨県の歴史|おかちようしつかこふん古墳]]
[[Category:笛吹市の歴史]]
[[Category:前方後円墳]]
[[Category:山梨県指定史跡]]