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[[File:Yamamura Bocō.jpg|thumb|150px|山村暮鳥]]
{{別人|佐藤淳}}
'''山村 暮鳥'''(やまむらぼちょう、[[1884年]]([[明治]]17年)[[1月10日]] - [[1924年]]([[大正]]13年)[[12月8日]])は、[[明治]]・[[大正]]期の[[日本]]の[[詩人]]、[[児童文学者]]である。本名、土田八九十(つちだ はくじゅう)、旧姓は志村。
{{Infobox 人物
|氏名 = 佐藤 惇
|ふりがな = さとう じゅん
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|別名 = サリー<ref>{{Cite web|和書|title=SENDAI X TRAIN {{!}} 佐藤 惇(さとう じゅん) |url=https://www.sendai-x-train.com/junsato |website=公式|sendai-x-train |access-date=2022-09-23 |language=ja}}</ref>
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|職業 = トレーサー<br/>パルクール指導員
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|著名な実績 = 出場12大会連続2nd STAGE進出(SASUKE記録)<br/>出場9大会連続3rd STAGE進出(SASUKE記録)
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{{Infobox YouTube personality
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'''佐藤 惇'''(さとう じゅん、[[1991年]][[9月26日]] - )は日本のトレーサー、[[パルクール]]指導員、日本パルクール協会会長<ref>{{Cite web|和書|title=日本パルクール協会の新会長に佐藤 惇が就任 {{!}} 日本パルクール協会 {{!}} Japan Parkour Association |url=https://parkour.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%83%91%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%8D%94%E4%BC%9A%E3%81%AE%E6%96%B0%E4%BC%9A%E9%95%B7%E3%81%AB%E4%BD%90%E8%97%A4-%E6%83%87%E3%81%8C%E5%B0%B1%E4%BB%BB/ |access-date=2022-12-28 |language=ja}}</ref>、パルクール専門会社SENDAI X TRAINの共同代表<ref name=":0">{{Cite interview |和書|subject=佐藤惇 |url=https://wpb.shueisha.co.jp/news/entertainment/2018/11/13/107521/ |title=日本初のパルクール指導員が問う社会問題「危ない動きをするのがパルクールではないんです」【SASUKE放浪記 第3回 佐藤 惇】 |date=2018-11-13 |work=[[週プレNEWS]] |accessdate=2020-12-31}}</ref>、[[TBSテレビ|TBS]]『[[SASUKE]]』の有力選手で、[[SASUKE新世代]]より若い世代の実力者を総称する「[[森本世代]]」の1人。
 
自由詩社に入り詩壇に登場。情調的な象徴詩から前衛詩に転じ、晩年は平易な表現の人道主義的作風になった。詩集に『聖三稜玻璃』(1915年)、『風は草木にささやいた』(1918年)、『雲』(1925年)など。
== 来歴 ==
幼少期から身体を動かすことが好きで、集合写真の撮影時にひとりだけ木に登るような少年だった。小学校高学年次に、[[パルクール]]の練習会に参加したことで、学校しかなかった生活から、仲間たち過ごす時間が入り込んだ感じを味わう<ref name=":0" />。
 
== 生涯 ==
中高一貫の私立校に進学も、授業の進行の速さや課題の量に追われ、課題が終わらぬまま徹夜しては体調を崩し、学校を休んでは欠席した分の課題をこなす生活を繰り返していた。部活動は[[水泳]]部に所属していたが、試験の結果が芳しくなかったことで部活に出られない負のスパイラルが続いたことで睡眠障害を患い、さらに中学3年次の夏前には風邪の悪化で1週間入院生活を送り、秋には不登校状態に<ref name=":0" />。この時期に佐藤が覚えている限りでは、2度自ら命を絶つ寸前までいったという。そんな最中、小学生の頃にテレビ『[[世界まる見え!テレビ特捜部]]』で放映されたパルクールのドキュメンタリー『[[ジャンプ・ロンドン]]』を思い出し、その中に登場する人物の身のこなしに感銘を受けパルクールを始める。学校の窮屈さと周囲からの重圧に潰れかけていた佐藤にとって、自由に体を動かすことの出来るパルクールは「自分が自分でいられる」唯一の存在であった。
[[File:Kamitsukenu Haniwano-sato Park Bocho Yamamura monument.jpg|thumb|詩碑(群馬県高崎市、[[上毛野はにわの里公園]]内)]]
[[1884年]][[1月10日]]、[[群馬県]][[西群馬郡]]棟高村(現在の[[高崎市]])に生まれる。父・木暮久七、母・志村シヤウの長男。父は、西群馬郡[[元総社村]]の農家・木暮巳之吉の二男で、暮鳥が生まれた当時まだ志村家に未入籍。母方の祖父・志村庄平の二男「志村八九十」(しむらはくじゅう)として、出生届け。弟妹にアサ、リウ、仁才、雪江、涼、百合子、明石。
 
[[1889年]]、父・久七が祖父・庄平との確執に耐えきれず[[千葉県]][[佐原市|佐原町]]に出奔、母もその後を追って志村家を出たので、八九十は叔父・木暮作衛に預けられる。後に父母が元総社村に戻り住むに及び、引き取られ、[[5月1日]]、父・久七の養子として入籍。貧困の中で少年期を過ごす。
中学卒業後は[[定時制]]の高校に進学し、在学中にパルクールの仲間と共にCM出演が決まる。
 
[[1899年]]に堤ヶ岡尋常小学校(現在の高崎市立堤ヶ岡小学校)の[[代用教員]]となる。働きながら[[前橋市|前橋]]の[[前橋聖マッテア教会|聖マッテア教会]]の英語夜学校に通い、受洗。
[[2007年]]、[[イギリス]]のパルクール団体「Parkour Generations」で代表を務める人物と出会い、これが佐藤のパルクール観を変え、我流により派手な動きで時には危険を伴う考えから、安全に身体を動かすために心身を鍛えることを理念に競技を始める。さらにパルクール発祥の[[フランス]]へ赴き、パルクールを創り出した集団『[[ヤマカシ]]』のメンバーらと共に練習を行う。
 
[[1902年]]、同教会の婦人[[宣教師]]ウォールの[[通訳]]兼[[秘書]]として[[青森市|青森]]に転任。
[[2008年]]、TBS『新SASUKE2008秋』第21回大会に予選会を勝ち上がって初出場。同大会は1st STAGEでリタイアを喫したが、翌年の第23回以降10大会続けて1stクリアの歴代最多記録を樹立。
 
[[1903年]]、[[東京府]][[築地]]の聖三一神学校(後の[[聖公会神学院]])に入学。[[神学校]]在学中より詩や短歌の創作をはじめ、[[前田林外]]らの雑誌「白百合」に木暮流星の筆名で短歌を発表。卒業後はキリスト教[[日本聖公会]]の[[伝道師]]として[[秋田市|秋田]]、[[仙台市|仙台]]、[[水戸市|水戸]]などで布教活動に携わる。
高校卒業後は、[[カメラ]]の専門学校に入学したが、イギリスでパルクールの先達の話を聞き、中退してパルクールの指導者となることを決意。パルクールについてより深く学ぶために、パルクールの創始団体「YAMAKISHI」に会いに[[ドイツ]]に赴いたり、パルクールの国際指導資格を取得するために[[イギリス]]に赴いたりした。イギリスで日本人初のパルクールの国際指導員の資格を取得。アジアに3人しか存在しないパルクール国際指導員のうちの1人となり、現在は自らが代表を務めるパフォーマンス団体「SENDAI X JAPAN」で指導員として携わっている。
 
[[1909年]]、[[人見東明]]から「静かな山村の夕暮れの空に飛んでいく鳥」という意味をこめて「山村暮鳥」の筆名をもらう。
[[2017年]]、[[日本テレビ]]『[[24時間テレビ]]』内の企画で、チームで1分間のトランポリンダンク回数44回を記録し[[ギネス世界記録]]に認定される。同企画ではチームメイトとしてトランポリンパフォーマーの[[長崎峻侑]]や俳優の[[森渉]]らが参加した。
 
[[1913年]]7月、[[萩原朔太郎]]、[[室生犀星]]と、詩、宗教、音楽の研究を目的とする「にんぎょ詩社」を設立。
同年、テレビ番組『[[嵐にしやがれ]]』内のコーナー「THIS IS [[松本潤|MJ]]」にパルクールのスペシャリストとして出演した。
 
[[1914年]]3月、同社の機関誌「卓上噴水」創刊。
[[2021年]]4月上旬、パルクールの練習中に右足の[[アキレス腱]]を断裂。年末開催の『SASUKE』に向けて懸命にリハビリも収録日までに間に合わず、第39回大会を欠場した。
 
[[1913年]]12月、教会の信者や知人達を中心に「新詩研究会」を結成。機関誌「風景」には萩原朔太郎、室生犀星の他、[[三木露風]]らが参加。
[[2022年]]3月、[[乃木坂46]]の3期生で第39回大会に出場した[[佐藤楓 (アイドル)|佐藤楓]]が『[[乃木坂46時間TV]]』内のコーナー「乃木坂電視台」でパルクールに挑戦する際に、指導員として登場した<ref group="動画">{{Citation|title=【パルクール】佐藤楓がパルクールに初挑戦!【電視台】【乃木坂46時間TV】|url=https://www.youtube.com/watch?v=nv-JED8UUkQ|language=ja-JP|access-date=2022-09-23}}</ref>。
 
[[1919年]]、[[結核]]のため伝道師を休職。
== 人物 ==
パルクールを始めた当時は競技自体の知名度が低かったため、佐藤はインターネットなどを用いて独学で技能を習得していった。そのうち、ネット上で知り合った仲間と見様見真似で練習を重ねた。映像撮影の現場で共演した創始メンバーからパルクールの心構えと目的を教わり、本格的にパルクールを志すようになる。
第21回(2008秋)から出場しているSASUKEでは、出場大会での連続1st STAGEクリアの個人記録を持つ(11回)。第32回 - 第38回、第40回間では歴代最多記録である8回連続の3rd STAGE進出記録を樹立した。更には、近年ではほぼ全ての大会で最速タイムを叩き出す等、抜群の安定感やスピードクリアを誇る。ステージ競技中やクリア後に見せるパフォーマンスにも定評があり、番組内での存在感や記録面においては事欠かない人物である。
「パルクール自体にはルールは存在しないが、周囲への配慮などのルールや個々人のモラルは重要視されるべきだ」と考えている。また『SASUKE』の放送内で「自分の周囲の状況を把握して、無理のない範囲で動くことを信条としています」と語っている。座右の銘は「あるものは使え、無いものは作れ」。
 
[[1924年]][[12月8日]]、肺結核に悪性腸結核を併発し、[[茨城県]][[東茨城郡]][[大洗町]]の借家「鬼坊裏別荘」で死去<ref>[[工藤寛正|岩井寛]]『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)343頁</ref>、40歳。
== SASUKEでの戦歴 ==
=== 大会での戦歴 ===
 
自然のあらゆるものに神を見いだす彼独特の神学は、しばしば熱狂的な信徒を怒らせ、[[異端]]として追放された事も数多くあったという。
==== 第21回大会~第25回大会 ====
第21回、開催に先駆けて行われた大予選会「SASUKEトライアル2008夏」を第5位で通過し初出場。同じ予選通過者の中では最年少の16歳(高校2年生)だった。1stステージの第2エリア・ロッググリップで最上段の浅い窪みで両手をグリップしてしまい、2段目で落下。予選会組では最も早いリタイアとなった(ダイジェスト、ゼッケン44)。
 
[[萩原朔太郎]]は「彼自身の見たる如き、ちがつた意味での基督教を信じてゐたにちがひない」と、追悼文『山村暮鳥のこと』で述べている。
第22回は欠場。
 
[[File:YamamuraBocho20170503.jpg|thumb|山村暮鳥の墓]]
第23回は予選会を1位で突破。本戦でも全体3位の好タイムで初めて1stをクリアしたが、2ndステージのサーモンラダー1段目でバーが脱線しリタイア(ダイジェスト、ゼッケン50)。
 
== 著書 ==
第24回は1stのロッググリップで肩を脱臼するも、直後に肩を戻しその後のエリアをハイペースで突破し1stをクリア。しかし、肩の怪我が影響し、2ndではまたしてもサーモンラダーでリタイア(ゼッケン78)。
=== 詩集 ===
*「三人の処女」[[1913年]]刊行
*「聖三稜玻璃」[[1915年]]刊行 [https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/907860 NDL]
*「風は草木にささやいた」[[1918年]]刊行
*「梢の巣にて」[[1922年]]刊行
*「雲」[[1925年]]刊行(生前に入稿し、死後に出版)
 
=== 童謡・童話 ===
第25回では競技順を抽選で決定するシステムの中、早い競技順となるもリニューアル後初の1stクリア者となった。2ndではサーモンラダーがダブルサーモンラダーへと進化するも、徹底したサーモンラダー対策を講じてきたことにより突破したが、続くアンステーブルブリッジでリタイア(ゼッケン18)。
*童話集「ちるちる・みちる」[[1920年]]刊行
*「鉄の靴」1922年刊行
*「萬物の世界」1922年刊行
*「よしきり」1925年刊行
*「聖フランシス」
 
=== 随筆 ===
==== 第26回大会~第31回大会 ====
*「小さな穀倉より」[[1917年]]刊行
第26回から第31回は出場していない(このうち第29回は予選落ち)。
 
=== 小説 ===
==== 第32回大会〜第34回大会 ====
*「十字架」1922年刊行
6年ぶりの出場となった第32回は大リニューアルが施され、クリアも少ない状況にあった1stをブランクを感じさせずに15.1秒残しと余裕の攻略。その勢いのまま自身初となる2ndクリアを達成。同大会では日本人選手最優秀成績となる3rdステージでは、ウルトラクレイジークリフハンガーでリタイア(ダイジェスト、ゼッケン76)。敗因は一つ前の新エリアサイドワインダーR・改で時間を使いすぎたことだと佐藤は分析している。
 
=== 翻訳 ===
第33回は自身初となる81番以降のゼッケンとなり、1stを32.06秒残しの最速タイムで通過。1stタイファイターの着地では前転を決め、クリア後にもパフォーマンスを見せて会場は大いに沸いた。続く2ndも余裕で突破するも、前回クリアした3rdフライングバーでリタイア(ゼッケン97)。
*「ドストイヱーフスキイ翻訳集」1918年刊行
 
== 教科書 ==
第34回は1stのフィッシュボーンで迷いを見せ、20秒程のタイムロスを喫してしまうが、後半の追い上げにより、26.58秒の好タイムを残して1stを通過<ref group="動画">第32回~34回大会の1stステージ完全版は公式YouTubeで配信された。https://www.youtube.com/watch?v=gGio4ODLBo0</ref>。また、そり立つ壁を突破した直後の段差でパフォーマンスを見せ、会場を盛り上げる場面もあった。2ndではどの種目も悠々とこなし、20.52残しの最速タイムで通過。夜遅くまで収録が及んだため観客は少なかったが会場は大いに沸いた。3rdでは前回落下したフライングバーも余裕でこなしウルトラクレイジークリフハンガーまで行くも、1→2本目で落下してしまい自己最高記録を更新することはできなかった。放送時は全てダイジェストで放送された(ゼッケン96)。
山村暮鳥の書いた、「春の河」は、2023年(令和5年)度光村国語教科書に掲載された。<ref>{{Cite book|和書 |title=光村国語教科書(令和5年度) |date=2023年2月15日 |year=2023年 |publisher=光村教科書 |page=14}}</ref><ref>{{Cite book|和書 |title=雲 |year=1925年 |publisher=山村暮鳥}}</ref>
 
==== 第35回大会脚注 ====
<references/>
第35回では、多くの実力者が苦戦する新エリアの1stドラゴングライダーで、1本目のバーを両手順手で掴むミスを犯すも難なく攻略し、圧巻のパフォーマンスを見せつけ20.39秒残しの最速タイムで突破。オールスターズの山本進悟は「こんな簡単なんですね」、新世代の長崎峻侑は「あんな余るの?」、そして実況のTBSアナウンサー・[[駒田健吾]]までもが「まさに異次元だ!」と驚いていた。2ndも無難に突破し、4大会連続の3rd進出を決める。3rdに新設されたプラネットブリッジ初の攻略者となるも、前回同様ウルトラクレイジークリフハンガーの1本目→2本目の飛び移りで左手が外れ落下(ゼッケン97)。
 
==== 第36回大会関連項目 ====
{{Commonscat}}
第36回は、佐藤の挑戦順までに10人のクリア者が出ている中で、それまでの最速タイム(ゼッケン93 山本桂太朗の12.01秒残し)を大幅に更新する23.39秒残しでの1stクリアを達成し、実況のTBSアナウンサー・[[杉山真也]]も「半端ないって!」<ref group="注">2018年に流行語となった「(大迫)半端ないって」になぞらえた名実況として、SASUKE公式YouTubeでも取り上げられている。</ref>と感嘆を述べるパフォーマンスを見せた。2ndも圧巻のスピードで、19.55秒を残し最速タイムを記録(ダイジェスト)。5大会連続の挑戦となった3rdでは、フライングバーでスタート地点に敷かれていたタオルが皿にかかってしまうアクシデントが起きるも、その場の判断でタオルを蹴り飛ばし難なく突破。前回苦戦したプラネットブリッジも素早い攻略を見せ、ウルトラクレイジークリフハンガーまで到達。過去3度のリタイア経験のある、1回目の飛び移りを初攻略するも、2回目の飛び移りでタイミングがずれ、そのまま掴み切れずに落下。挑戦後のインタビューでは「すごく楽しかったです。今までSASUKEをやってきた中で、(ウルトラクレイジークリフハンガーの)1本目を掴んだ時のその達成感は、他の何にも代えられないような、今そんな経験でした」と、自らにとっての高い壁を越えた喜びを語った(ゼッケン96)。
*[[吉野せい]]
*[[詩人一覧]]
 
==== 第37回大会外部リンク ====
* {{青空文庫著作者|136|山村 暮鳥}}
第37回は佐藤の挑戦前に7人がクリアを果たしている状況で、それまでの最速記録(ゼッケン47 山本良幸の9.44秒残し)を10秒以上更新する20.21秒残し唯一警告音聞くことなく圧倒的な最速タイムで1stを攻略。2ndも全体2位の好タイムで突破(ダイジェスト)し、竹田敏浩、奥山義行、ドリュー・ドレッシェル以来4人目となる6大会連続の3rdステージ進出を成し遂げる。前回同様前半の3エリアを手早くクリアし、クリフハンガーディメンションに到達。2本目への飛び移りは突破したが、前回リタイアした3本目への飛び移りに僅かに耐え切れず再び落下。クリフハンガー系列エリアでの5回目のリタイアとなった(ゼッケン94)。また、今回の1stステージ突破により、歴代最多記録となる出場した大会での9回連続1st STAGEクリアを達成した。
* [http://www.jliterature.com Takemoto Hiroaki Page] - 関係文献リストと「三人の処女」「聖三稜玻璃」のテキストを掲載
 
* [http://www.amazon.co.jp/dp/B00BFZMG2O 『La Bonne Chanson』] - 「三人の処女」以前に自費出版した詩集
==== 第38回大会 ====
* {{Wayback|url=http://www.geocities.jp/scaffale00410/bocholist.htm |title=山村暮鳥 詩一覧 |date=20190330043556}}
第38回は佐藤の1st挑戦直前時点での暫定最速記録が、19.32秒残し(ゼッケン50の伊佐嘉矩が記録)であった中で、VTRで語っていた「正確にやる事で動きの無駄が省けスピードが上がります」の言葉通り、30.66秒残しの圧倒的な最速タイムを叩き出し1stを突破。1stで'''2大会連続'''でクリアタイム2位の選手と'''10秒以上の差をつけての最速タイム'''<ref group="注">2ndでは高橋賢次が第24・25回大会で達成している</ref>は初。2ndではステージの難化により、佐藤の挑戦前の選手が6人連続でリタイアの状況で、各所を慎重に攻め制限時間を多く使う形で手堅くクリアし、竹田敏浩と並んで歴代最多記録タイとなる7大会連続3rd STAGE進出となった。3rdでは、前回新設されたクリフハンガーディメンションが初稼働を果たした中での挑戦となった。上下動している2本目への跳び移りは難なく突破するも、前後動している3本目への移行タイミングが合わず、ぶら下がったまま立ち往生。タイミングを合わせ跳び移った際に指は掛かるも、立ち往生の際に力を使い果たした影響で、前回同様身体を残し切る事が出来ず落下(ゼッケン94)。これにより、7大会連続の3rd STAGEリタイア。また、クリフハンガー系列エリアに6回目となるリタイアを喫す形となった。
* {{Wayback|url=http://homepage3.nifty.com/yamabuki-h/index.html |title=橋本山吹の聖ぷりずむ堂 |date=20041030192815}} - 山村暮鳥の項に「風は草木にささやいた」「ちるちる・みちる」「夏の歌」、萩原朔太郎著「山村暮鳥のこと」のテキストを掲載
 
* {{Wayback|url=http://www.geocities.jp/scaffale00410/bochotop.htm |title=山村暮鳥(日本詩人愛唱歌集) |date=20190101000000}} - 暮鳥の詩による音楽作品のリスト
==== 第39回大会 ====
* {{Wayback|url=http://www.geocities.jp/shiori19991109/index.html |title=山村暮鳥研究 |date=20181105201750}} - 長編童話『鉄の靴』を中心に
大会開催年の[[4月]]、パルクールの練習中に右足の[[アキレス腱断裂|アキレス腱]]を断裂<ref group="動画">{{Citation|title=【第3弾】パルクール佐藤惇が嫌いなSASUKEのエリアとは!?【ケガについての話も】現代版NINJA|url=https://www.youtube.com/watch?v=JJueghnJ5Fc|language=ja-JP|access-date=2022-08-02}}</ref>。出場に向けて懸命なリハビリに打ち込むも間に合わず、今大会は出場を辞退したが、緑山には駆け付けていた。
 
==== 第40回大会 ====
佐藤初の記念大会。1回分のブランクがあったが、1stは35.91秒残しでクリア。最速タイムは[[梶原颯]]に譲る形となったが、自身の持つ歴代最多記録を更新する形となる11回連続1st STAGEクリアとなった。 2ndも10.95秒残しで難なく突破、8回連続3rd STAGE進出<ref group="注">放送のダイジェストにおいて、ナレーターが「7大会連続3rdSTAGE進出の佐藤」と言っているが、正しくは8大会連続である。</ref>を果たす。3rdで初挑戦の回転するサイドワインダーやスイングエッジは攻略するが、クリフディメンションの1回目の飛び移りに指がかかったが右手が外れ落下しリタイア(ゼッケン3972、全ステージダイジェスト及びParaviオリジナル版)。今大会のリタイアについては、近年の中では、比較的早い競技順であった事が災いし、自身の競技順までにウォーミングアップを充分に行えなかった結果、早い段階で筋肉に疲労が溜まった事がリタイアの要因としている。これにより6回連続、通算7回目のクリフハンガー系列エリアでのリタイアとなった。全ステージダイジェストにはなったが、公式動画で完全版が公開された。
 
==== 第41回大会 ====
1stでは、クワッドステップスで回転しながら1枚ずつ板を渡り、フィッシュボーンでは、4本目の足場から両足着地でクリア、最後のそり立つ壁では1回転して片手で頂上に手を掛けるなど唯一無二のパフォーマンスを随所で挟み込んで、31.73秒残しでクリア('''出場12大会連続'''、歴代最多記録)。そのパフォーマンスはTBSアナウンサー・杉山真也に「一人だけ別班の動き」<ref group="注">2023年にTBSで放送されたドラマ『[[VIVANT]]』になぞらえたもの。</ref>と実況されるほどであった。2ndではスパイダードロップのアクリルに一切触れずに飛び移るという荒業を見せて12.17秒残しでクリア('''出場9大会連続'''、歴代最多記録)。3rdでは再びクリフディメンションで落下した(ゼッケン76)。
 
=== 大会別成績 ===
{| class="wikitable" border="1"
! 大会 !! ゼッケン !!STAGE !! 記録 !! 備考
|-
| 第21回大会 || 44 || 1st || ロッググリップ ||2段目
|-
| 第23回大会 || 50 || rowspan="3" | 2nd || rowspan="2" | サーモンラダー||1→2段目、バー脱線
|-
| 第24回大会 || 78 ||3→4段目
|-
| 第25回大会 || 18 || アンステーブルブリッジ ||1→2枚目、移り失敗
|-
| 第32回大会 || 76 || rowspan="9" | 3rd || ウルトラクレイジークリフハンガー || 1→2本目
|-
| 第33回大会 || 97 || フライングバー || 1→2皿目
|-
|第34回大会||96|| rowspan="3" |ウルトラクレイジークリフハンガー|| rowspan="2" |1→2本目
|-
|第35回大会||97
|-
|第36回大会||96|| rowspan="3" |2→3本目
|-
|第37回大会|| rowspan="2" |94|| rowspan="2" |クリフハンガーディメンション
|-
|第38回大会
|-
|第40回大会
|3972
| rowspan="2" |クリフディメンション
|1→2本目
|-
|第41回大会
|76
|2→3本目
|}
 
===通算成績===
{| class="wikitable" border="1"
! 出場数 !! 2nd進出 !! 3rd進出 !! FINAL進出 !! 最優秀成績
|-
| 13回 || 12回 || 9回 || 0回 || 0回
|}
* 2023年 第41回大会終了時点
 
===最速タイム===
{| class="wikitable" border="1"
! 大会 !! STAGE !! 制限時間 !! 残りタイム !! クリア人数 !! 備考
|-
|第33回大会||1st||128秒||32.06秒||13人||平均クリアタイム 14.57秒
|-
|第34回大会||2nd||110秒||20.52秒||9人||平均クリアタイム 11.83秒(男性8人で算出)
|-
|第35回大会||1st||85秒||20.39秒||8人||平均クリアタイム 8.10秒
|-
 
|第36回大会||2nd||110秒||19.55秒||10人||平均クリアタイム 9.91秒
|-
|第37回大会||1st||88秒||20.21秒||10人||平均クリアタイム 7.02秒(男性9人で算出)
|-
|第38回大会||1st||90秒||30.66秒||14人||平均クリアタイム 10.74秒
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== 出演 ==
 
=== テレビ ===
 
* SASUKE(TBS)
* [[24時間テレビ]]([[日本テレビ]])
* [[嵐にしやがれ]](日本テレビ)
* [[めざましテレビ]]([[フジテレビジョン|フジテレビ]])
 
=== インターネットテレビ ===
 
* [[乃木坂46時間TV|NOGIZAKA46 10th Anniversary 乃木坂46時間TV]](2022年2月22日)
 
== 脚注 ==
===注釈===
{{Reflist|group="注"|2}}
 
{{Normdaten}}
=== 動画 ===
{{Writer-stub}}
<references group="動画" />
=== 出典 ===
{{Reflist}}
 
{{DEFAULTSORT:やまむら ほちよう}}
==外部リンク==
[[Category:20世紀日本の詩人]]
* {{Twitter|xtr_junsato}}
[[Category:20世紀日本の児童文学作家]]
* {{Instagram|otonakodomosully}}
[[Category:日本の聖公会の信者]]
* {{YouTube|channel = UCpvcxi6VW2q2Nu9ePxOmDAg|パル.tuuube}}
[[Category:日本の神学校出身の人物]]
{{SASUKE}}
[[Category:群馬県出身の人物]]
{{デフォルトソート:さとう しゆん}}
[[Category:1884年生]]
<!--[[Category:日本の男優]]--><!--役者活動がみられない-->
[[Category:パルクール1924年没]]
[[Category:結核で死亡した日本の男子スポーツ選手人物]]<!--トレーサーとして-->
[[Category:20世紀に結核で死亡した人物]]
[[Category:日本のスポーツ指導者]]<!--パルクール指導者として-->
[[Category:SASUKE]]
[[Category:東京都出身の人物]]
[[Category:1991年生]]
[[Category:存命人物]]