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{{カレンダー 4月}}
{{Otheruses|スカイラインのスポーツバージョンであるスカイラインGT-R|後継車種|日産・GT-R}}
'''4月16日'''(しがつじゅうろくにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から106日目([[閏年]]では107日目)にあたり、年末まであと259日ある。
{{pathnav|日産・スカイライン|frame=1}}
{{出典の明記|date=2016年5月2日 (土) 05:55 (UTC)}}
 
== できごと ==
'''スカイラインGT-R'''(''SKYLINE GT-R'' 、スカイライン ジーティーアール)は、[[日産自動車]]が生産・販売する乗用車・スカイラインにかつて存在したグレードの一つである。
[[Image:The Battle of Culloden.jpg|thumb|200x200px|[[スコットランド]]の[[ジャコバイト]]最後の抵抗戦、[[カロデンの戦い]](1746年)]]
[[Image:ClarkBoysBeAmbitious.jpg|thumb|200px|[[ウィリアム・スミス・クラーク]]、「Boys, be ambitious(少年よ、大志を抱け)」の言葉を残して帰国の途につく(1877年)]]
[[Image:Bundesarchiv Bild 183-R14433, Vertrag von Rapallo.jpg|thumb|200px|[[ドイツ]]と[[ソビエト連邦|ソ連]]、[[ラパッロ条約 (1922年)|ラパッロ条約]]を締結し修交(1922年)]]
* [[紀元前12世紀|紀元前1178年]] - [[オデュッセウス]]が[[トロイア戦争]]を終えて自国に帰還。
* [[73年]] - [[マサダ]]要塞に籠城したユダヤ人が[[集団自決]]し、[[ユダヤ戦争]]が終結。
* [[1346年]] - [[セルビア王国 (中世)|セルビア王国]]国王[[ステファン・ウロシュ4世ドゥシャン (セルビア皇帝)|ステファン・ウロシュ4世ドゥシャン]]が皇帝に即位し、[[セルビア帝国]]が成立。
* [[1521年]] - [[マルティン・ルター]]が[[カール5世 (神聖ローマ皇帝)|カール5世]]臨席の[[ヴォルムス帝国議会 (1521年)|帝国会議]]に出席。[[カトリック教会|ローマ・カトリック教会]]の[[贖宥状]]を批判。
* [[1746年]] - [[ジャコバイト]]蜂起: [[カロデンの戦い]]。[[スコットランド]]でジャコバイトが最後の組織的抵抗をするが、ブリテン軍に完敗。[[ウィリアム・オーガスタス (カンバーランド公)|カンバーランド公]]が多数のジャコバイトを虐殺。
* [[1763年]] - [[ジョージ・グレンヴィル]]がイギリスの第8代首相に就任。
* [[1780年]] - [[ヴェストファーレン・ヴィルヘルム大学]]設立。
* [[1797年]] - [[スピットヘッドとノアの反乱|スピットヘッドの反乱]]起こる。
* [[1799年]] - [[フランス革命戦争]]・[[エジプト・シリア戦役]]: [[タボル山の戦い]]
* [[1853年]] - [[インド]]の[[ムンバイ]]と郊外の[[ターネー]]の間の33.6kmを結ぶ、アジア初の[[鉄道]]が開業。
* [[1856年]]([[安政]]3年[[3月12日 (旧暦)|3月12日]]) - 江戸幕府が江戸駒場で初めて洋式の兵士訓練を行う。
* [[1871年]] - ドイツ帝国憲法([[ビスマルク憲法]])公布。
* [[1872年]]([[明治]]5年[[3月9日 (旧暦)|3月9日]]) - 薩摩・長州・土佐の兵1万人による天皇護衛の御親兵を[[近衛兵]]と改称。
* [[1877年]] - [[札幌農学校]]教頭の[[ウィリアム・スミス・クラーク]]が、「Boys, be ambitious(少年よ、大志を抱け)」の言葉を残して帰国の途につく。
* [[1882年]] - [[大隈重信]]らが[[立憲改進党]]を結成。
* [[1889年]] - 官設鉄道・[[静岡駅|静岡]] - [[浜松駅|浜松]](現在の[[東海道本線]])が開業。[[新橋駅|新橋]]から[[長浜駅|長浜]]までが鉄道で結ばれる。
* [[1912年]] - {{仮リンク|ハリエット・キンビー|en|Harriet Quimby}}が女性で初めて[[ドーバー海峡]]を飛行機で横断。
* [[1914年]] - 日本で[[大隈重信]]が第17代[[内閣総理大臣]]に就任し、[[第2次大隈内閣]]が発足。
* 1914年 - [[高知県]][[須崎市|須崎]]沖合で、暴風雨のため漁船84隻が沈没<ref>下川耿史 『環境史年表 明治・大正編(1868-1926)』301頁 河出書房新社刊 2003年11月30日刊 {{全国書誌番号|20522067}}</ref>。乗組員多数が行方不明。
* [[1917年]] - [[ウラジーミル・レーニン|レーニン]]が亡命先のスイスから[[サンクトペテルブルク|ペトログラード]]に帰還。
* [[1922年]] - [[ドイツ]]・[[ソビエト連邦|ソビエト政府]]間に[[ラパッロ条約 (1922年)|ラパッロ条約]]が結ばれ、両国が修交する。
* [[1925年]] - [[聖ネデリャ教会襲撃事件]]。
* [[1927年]] - [[西武鉄道#西武鉄道(旧)|(旧)西武鉄道]]・東村山 - 高田馬場(現在の[[西武新宿線]])が営業開始。
* [[1929年]] - [[四・一六事件]]。[[日本共産党]]が大弾圧により事実上壊滅。
* [[1934年]] - [[ソ連邦英雄]]称号が制定。
* [[1937年]] - [[永井荷風]]「[[濹東綺譚]]」[[連載]]開始([[東京朝日新聞]])。
* [[1941年]] - [[ナチス・ドイツ]]が[[イギリス]]の[[ロンドン]]を爆撃。同月10日にイギリスが[[ベルリン]]、[[ポツダム]]を爆撃した報復攻撃で、16日夕方から翌日朝にかけて開戦以来最大規模のロンドン爆撃となった<ref>開戦以来最大のロンドン爆撃『朝日新聞』昭和14年4月18日(『昭和ニュース事典第7巻 昭和14年-昭和16年』本編p381 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)</ref>。
* 1941年 - [[富山県]][[新湊市|新湊町]]で大火。住宅470戸、納戸180戸が焼失。罹災者約2400人<ref>新湊町で火事、四百七十戸を焼く『東京日日新聞』昭和16年4月17日(『昭和ニュース事典第7巻 昭和14年-昭和16年』本編p554)</ref>。
* [[1943年]] - [[アルバート・ホフマン (化学者)|アルバート・ホフマン]]、[[LSD (薬物)|LSD]]の[[幻覚]]作用を発見<ref>{{Cite web|和書|url=https://gendai.media/articles/-/55257 |title=4月16日 LSDの幻覚作用を発見(1943年) |publisher=[[講談社]] |date=16 Apr 2018 |accessdate=9 May 2023 |website=サイエンス365days}}</ref>。
* [[1945年]] - [[第二次世界大戦]]・[[ベルリンの戦い]]: ソ連軍が[[ベルリン]]の総攻撃を開始。
* 1945年 - 改正兌換券200円 (藤原200円)が使用開始。
* [[1946年]] - [[フランス]]が[[シリア]]の独立を承認。
* [[1947年]] - [[アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所]]初代所長[[ルドルフ・フェルディナント・ヘス|ルドルフ・ヘス]]がアウシュビッツにて絞首刑。
* 1947年 - 日本で[[裁判所法]]・[[検察庁法]]公布。
* 1947年 - [[テキサスシティ大災害]]。
* 1947年 - [[バーナード・バルーク]]が初めて「[[冷戦]] (Cold War)」という言葉を使う。
* [[1948年]] - 西[[ヨーロッパ]]16か国が欧州経済協力条約に調印し、欧州経済協力機構(OEEC)を結成([[経済協力開発機構|OECD]]の前身)。
* [[1951年]] - [[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]総司令官などを解任された[[ダグラス・マッカーサー]]が離日。
* [[1955年]] - 長崎県[[佐世保市]]の佐世保炭鉱で大規模な[[ボタ山]]崩落事故が発生。73人が死亡<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部編 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010 |page=108 |isbn=9784816922749}}</ref>。
* 1955年 - [[富山県]][[大山町 (富山県)|大山町]]にて町の境界変更を問う[[住民投票]]が実施されるも不成立。
* [[1956年]] - [[日本道路公団]]設立。
* 1956年 - 翌17日にかけて各地で高濃度の[[ストロンチウム90]]を含む放射能雨が観測された<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010-09-27 |page=112 |isbn=9784816922749}}</ref>。
* [[1963年]] - [[京阪電気鉄道]][[京阪本線]]・[[淀屋橋駅]]〜[[天満橋駅]]間が延伸開業<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.keihan.co.jp/corporate/release/upload/2018-04-05_yodoyabashi55.pdf |title=淀屋橋地下延長線(天満橋-淀屋橋駅間)開通55周年記念イベントを4月21日(土)・22日(日)に開催します |format=[[PDF]] |publisher=[[京阪電気鉄道|京阪電車]] |date=5 Apr 2018 |accessdate=9 May 2023}}</ref>。
* [[1967年]] - [[東京都]]知事に、[[日本社会党]]と[[日本共産党]]推薦の新人の[[美濃部亮吉]]が初当選。
* [[1969年]] - [[Osaka Metro千日前線|大阪市営地下鉄千日前線]]・[[野田阪神駅]] - [[桜川駅 (大阪府)|桜川駅]]間が開業。
* [[1970年]] - ウィーンで米ソによる[[第一次戦略兵器制限交渉]](SALT I)の本会議が開始。
* [[1971年]] - [[昭和天皇]]・[[香淳皇后|皇后]]が広島の[[原爆死没者慰霊碑]]に初めて参拝。
* 1971年 - [[群馬テレビ]](GTV)開局。
* [[1972年]] - アメリカで5機目の有人月宇宙船「[[アポロ16号]]」が打上げ。
* 1972年 - [[ノーベル賞]]作家の[[川端康成]]が逗子でガス中毒で死去。
* [[1978年]] - [[多摩湖]]畔で第1回女子タートルマラソン全国大会開催。日本初の女子フル[[マラソン]]大会。
* [[1988年]] - 映画『[[となりのトトロ]]』([[宮崎駿]]監督)が劇場公開。
* [[1990年]] - [[ジャック・ケヴォーキアン]]が自身が開発した自殺装置によって初めて[[自殺関与・同意殺人罪|自殺幇助]]を行う。
* [[1991年]] - [[ソビエト連邦|ソ連]]の[[ミハイル・ゴルバチョフ|ゴルバチョフ大統領]]が初来日。
* 1991年 - [[ポーランド]]の[[株式市場]]が再開。「ワルシャワの赤い[[サスペンダー]]の日」と[[CNN]]が報道する。
* [[1994年]] - [[日本テレビ放送網|日本テレビ]]にて、『[[恋のから騒ぎ]]』が放送開始<ref>{{Cite web|和書|url=https://middle-edge.jp/articles/Viaj4 |title=週末の夜に胸がざわめく…覚えてる?「恋のから騒ぎ」 |accessdate=9 May 2023 |publisher=Middle Edge(ミドルエッジ) |date=19 Jan 2017}}</ref>。(2011年3月まで放送。)
* [[1998年]] - 前年の[[ポケモンショック]](TV演出による光過敏性発作の誘発)により放送休止していた『[[ポケットモンスター (1997-2002年のアニメ)|ポケットモンスター]]』の放送が4ヶ月ぶりに再開<ref>{{Cite web|和書|url= https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1809/06/news011.html |title=「ポリゴンを追い出さないで」―― ポケモンショック当時の「ポリゴン」ファンの思い描く漫画に涙 |publisher=[[ITmedia]] |website=ねとらぼ |date=6 Sep 2018 |accessdate=9 May 2023 }}</ref>。
* [[2000年]] - [[京奈和自動車道]]の[[京奈道路]]が全線開通<ref>{{Cite web|和書|url=https://response.jp/article/2000/03/21/1517.html|title=京奈道路が全通、1km当たり工費123億円|publisher=[[Response.]]|date=21 Mar 2000|accessdate=9 May 2023}}</ref>。
* [[2003年]] - [[産業再生機構]]設立。
* [[2006年]] - [[モナコ]]の大公[[アルベール2世 (モナコ大公)|アルベール2世]]がイギリス人やロシア人ら7名とともに[[国家元首]]初の[[北極点]]到達を果たす。
* [[2007年]] - [[バージニア工科大学銃乱射事件]]。
* [[2013年]] - [[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]で[[水俣病]]患者認定緩和判決で遺族側が勝訴<ref>{{Cite web|和書|date=16 Apr 2013 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG16029_W3A410C1000000/ |title=水俣病、初の最高裁認定 患者救済拡大に道 |publisher=[[日本経済新聞社]] |accessdate=9 May 2023}}</ref>。
* [[2014年]] - [[大韓民国|韓国]]・[[珍島]]付近で[[セウォル号沈没事故]]が発生<ref>{{Cite web|和書|date=16 Apr 2019 |url=https://jp.yna.co.kr/view/AJP20190416004700882 |title=セウォル号沈没事故から5年 韓国各地で追悼行事 |publisher=[[聯合ニュース]] |accessdate=9 May 2023}}</ref>。
* [[2016年]] - [[熊本地震 (2016年)|熊本地震]]の本震が発生<ref>{{Cite web|和書|date=16 Dec 2016 |url=https://www.jma.go.jp/jma/kishou/books/saigaiji/saigaiji_2016/saigaiji_201601.pdf |title=災害時地震報告 平成28年(2016年)熊本地震 |format=PDF |publisher=気象庁 |accessdate=9 May 2023 |page=3/332}}</ref>。
* 2016年 - [[エクアドル地震 (2016年)|エクアドル地震]]が発生<ref>{{Cite web|和書|date=25 Apr 2016 |url=http://japanese.cri.cn/2021/2016/04/25/241s248753.htm |title=エクアドル地震、死者654人に |publisher=中国国際放送局 |accessdate=9 May 2023}}</ref>。
* [[2018年]] - 第122回[[ボストンマラソン]]で[[川内優輝]]が優勝<ref>{{Cite web|和書|url=https://hochi.news/articles/20180417-OHT1T50042.html|title=31年ぶり快挙!川内優輝がボストン・マラソン優勝…瀬古利彦以来|publisher=[[スポーツ報知]]|date=17 Apr 2018|accessdate=9 May 2023}}</ref>。
* [[2020年]] - 新型コロナウイルスの感染拡大のために同年4月6日から発令されていた緊急事態宣言の対象が全都道府県に拡大される。
 
== 誕生日 ==
愛称は「アール」「スカG-R」「GT-R」のほか、各代の愛称・型式でも呼ばれる。
[[Image:Meister des Porträts des Jean le Bon 001.jpg|thumb|upright|[[フランス]]国王、善良王[[ジャン2世 (フランス王)|ジャン2世]](1319-1364)誕生]]
[[Image:Mori Motonari.jpg|thumb|upright|戦国大名、[[毛利元就]](1497-1571)誕生]]
[[Image:Versailles Grand Trianon.jpg|thumb|200x200px|[[バロック建築|バロックの建築家]]、[[ジュール・アルドゥアン=マンサール]](1646-1708)誕生。画像は[[ヴェルサイユ宮殿]]の[[大トリアノン宮殿]]]]
[[Image:Black Joseph.jpg|thumb|upright|[[潜熱]]の概念を導入した物理学者・化学者[[ジョゼフ・ブラック]](1728-1799)]]
[[Image:Lebrun%2C_Self-portrait.jpg|thumb|upright|画家[[エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン]](1755-1842)。画像は自画像(1790)]]
[[Image:PereDuchesneIllustre4_1_0.png|thumb|upright|[[フランス第三共和政]]の大統領[[アドルフ・ティエール]](1797-1877)。画像は[[パリ・コミューン]]を鎮圧するティエールの風刺画]]
[[Image:Ford_Madox_Brown_-_Work.jpg|thumb|200x200px|画家[[フォード・マドックス・ブラウン]](1821-1893)。画像は代表作『労働』(1852-1865)]]
[[Image:Anatole_FranceA.jpg|thumb|upright|作家[[アナトール・フランス]](1844-1924)。代表作『神々は渇く』(1912)]]
[[Image:Tzara by Tihanyi.jpg|thumb|255x255px|[[ダダイスム]]の創始者、詩人[[トリスタン・ツァラ]](1896-1963)]]
[[Image:Pope%2C_13_march_2007.jpg|thumb|upright|ローマ教皇[[ベネディクト16世 (ローマ教皇)|ベネディクト16世]](1927-2022)]]
 
=== 概要人物 ===
* [[1319年]] - [[ジャン2世 (フランス王)|ジャン2世]]、[[フランス王]](+ [[1364年]])
“GT-R”の歴史は、ツーリングカーレースで活躍した先代[[プリンス・スカイライン]]2000GT-B(S54B-II型)の後継車として、1968年(昭和43年)10月開催の第15回[[東京モーターショー]]へ「スカイラインGTレーシング仕様」を出品したことに始まる。これはスカイライン2000GT(GC10型)の車体へ、[[プロトタイプ・スポーツカー]]である[[プリンス・R380|日産・R380]]のエンジン・[[プリンス・G型エンジン|GR8型]]をベースに開発された直列6気筒DOHCエンジンを搭載したものである。この「GTレーシング仕様」がほぼそのままの形で、1969年(昭和44年)2月に初代GT-R(PGC10型)として発売された<ref name="GTRWORLDNETPGC10">{{Cite web|和書|url=http://www.gtr-world.com/gt-r/pgc10-skyline-gtr.html |website=GT-Rウェブマガジン |publisher=GTR-WORLD.NET |title=PGC10GT-Rモデル詳説 |accessdate=2011-09-25}}</ref>。以降、2世代5代に渡って開発・生産・発売された。
* [[1497年]]([[明応]]6年[[3月14日 (旧暦)|3月14日]])- [[毛利元就]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://tabi-mag.jp/hm0086/ |title=毛利元就墓所(洞春寺跡) |access-date=9 May 2023 |publisher=一般社団法人プレスマンユニオン |website=ニッポン旅マガジン}}</ref>、[[戦国大名]](+ [[1571年]])
* [[1646年]] - [[ジュール・アルドゥアン=マンサール]]、[[建築家]](+ [[1708年]])
* [[1699年]]([[元禄]]12年[[3月17日 (旧暦)|3月17日]]) - [[鍋島直英]]、第5代[[小城藩|小城藩主]](+ [[1744年]])
* [[1712年]]([[正徳 (日本)|正徳]]2年[[3月11日 (旧暦)|3月11日]]) - [[松浦誠信]]、第8代[[平戸藩|平戸藩主]](+ [[1779年]])
* [[1719年]]([[享保]]4年[[2月27日 (旧暦)|2月27日]]) - [[津軽信著]]、第6代[[弘前藩|弘前藩主]](+ 1744年)
* [[1728年]] - [[ジョゼフ・ブラック]]<ref>{{Cite web |url=https://www.britannica.com/biography/Joseph-Black |title=Joseph Black|British scientist |access-date=9 May 2023 |publisher=Britannica}}</ref>、[[物理学者]]、[[化学者]](+ [[1799年]])
* [[1755年]] - [[エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン]]、[[画家]](+ [[1842年]])
* [[1763年]]([[宝暦]]13年[[3月4日 (旧暦)|3月4日]]) - [[岡部長備]]、第8代[[岸和田藩|岸和田藩主]](+ [[1803年]])
* [[1797年]] - [[アドルフ・ティエール]]、[[政治家]](+ [[1877年]])
* [[1808年]] - [[ケイレブ・ブラッド・スミス]]、第6代[[アメリカ合衆国内務長官]](+ [[1864年]])
* [[1821年]] - [[フォード・マドックス・ブラウン]]、[[画家]](+ [[1893年]])
* [[1823年]] - [[フェルディナント・ゴットホルト・マックス・アイゼンシュタイン|フェルディナント・アイゼンシュタイン]]、[[数学者]](+ [[1852年]])
* [[1829年]]([[文政]]12年[[3月13日 (旧暦)|3月13日]]) - [[高木正坦]]、第12代[[丹南藩|丹南藩主]](+ [[1891年]])
* [[1830年]](文政13年[[3月24日 (旧暦) |3月24日]]) - [[松平直温 (母里藩主) |松平直温]]、第9代[[母里藩|母里藩主]](+ [[1856年]])
* [[1832年]]([[天保]]3年[[3月16日 (旧暦)|3月16日]]) - [[古河市兵衛]]、[[実業家]](+ [[1903年]])
* [[1838年]] - [[エルネスト・ソルベー]]、化学者、実業家(+ [[1922年]])
* [[1844年]] - [[アナトール・フランス]]、[[小説家]](+ [[1924年]])
* [[1863年]] - [[エミール・フリアン]]、[[画家]](+ [[1932年]])
* [[1867年]] - ウィルバー・ライト、[[ライト兄弟]]の兄(+ [[1912年]])
* [[1869年]](明治2年[[3月5日 (旧暦)|3月5日]]) - [[川上眉山]]、[[小説家]](+ [[1908年]])
* [[1871年]] - [[ジョン・ミリントン・シング]]、[[劇作家]]、[[詩人]]、小説家(+ [[1909年]])
* [[1874年]] - [[渡辺錠太郎]]、[[大日本帝国陸軍]]軍人(+ [[1936年]])
* [[1878年]] - [[オーウェン・ジョーンズ]]、[[地質学|地質学者]](+ [[1967年]])
* [[1881年]] - [[永井柳太郎]]、政治家(+ [[1944年]])
* 1881年 - [[朝比奈泰彦]]、[[薬学|薬学者]](+ [[1975年]])
* [[1885年]] - [[富安風生]]、[[俳人]](+ [[1979年]])
* [[1886年]] - [[エルンスト・テールマン]]、政治家(+ [[1944年]])
* [[1887年]] - [[君島一郎 (銀行家)|君島一郎]]、[[銀行家]]、野球関係者(+ [[1975年]])
* [[1889年]] - [[チャールズ・チャップリン]]、[[コメディアン|喜劇俳優]]、映画制作者(+ [[1977年]])
* [[1892年]] - [[佐々木すぐる]]、[[作曲家]](+ [[1966年]])
* [[1893年]] - [[三宅大輔]]、[[プロ野球監督]](+ [[1978年]])
* 1893年 - [[フェデリコ・モンポウ]]、作曲家(+ [[1987年]])
* [[1896年]] - [[トリスタン・ツァラ]]、詩人(+ [[1963年]])
* [[1897年]] - [[岡崎嘉平太]]、実業家(+ [[1989年]])
* [[1898年]] - [[土方与志]]、[[演出家]](+ [[1959年]])
* [[1903年]] - [[ポール・ウェイナー]]、元プロ野球選手(+ [[1965年]])
* [[1904年]] - [[淀野隆三]]、[[作家]]、[[フランス文学者]](+ [[1967年]])
* [[1905年]] - [[フレデリック・フィリップス]]、実業家(+ [[2005年]])
* [[1906年]] - [[ダグラス・マクレガー]]、[[心理学者]]、[[経営学|経営学者]](+ [[1964年]])
* 1906年 - [[ヤコブ・ギンペル]]、[[ピアニスト]](+ [[1989年]])
* [[1907年]] - [[愛新覚羅溥傑]]、[[愛新覚羅溥儀|溥儀]]([[満州国]]皇帝)の弟(+ [[1994年]])
* [[1909年]] - [[森はな]]、[[教育者]]、[[児童文学作家一覧|児童文学作家]](+ [[1989年]])
* [[1914年]] - [[中村八朗]]、小説家(+ [[1999年]])
* 1914年 - [[遊部久蔵]]、[[経済学者]](+ [[1977年]])
* [[1919年]] - [[マース・カニンガム]]、[[ダンサー]]、[[振付家]](+ [[2009年]])
* [[1921年]] - [[ピーター・ユスティノフ]]、[[俳優]]、劇作家(+ [[2004年]])
* [[1920年]] - [[山崎隆三]]、経済学者、[[大阪市立大学]]名誉教授(+[[2011年]])
* [[1922年]] - [[キングズリー・エイミス]]、作家(+ [[1995年]])
* [[1923年]] - [[大屋克己]]、元[[プロ野球選手]]
* [[1924年]] - [[ヘンリー・マンシーニ]]、作曲家(+ [[1994年]])
* [[1927年]] - [[ベネディクト16世 (ローマ教皇)|ベネディクト16世]]、第265代[[ローマ教皇]](+ [[2022年]])
* [[1931年]] - [[団鬼六]]、小説家<ref group="注">戸籍上は[[9月1日]]生まれ</ref>(+ [[2011年]])
* 1931年 - [[富塚陽一]]、政治家(+[[2018年]])
* [[1933年]] - [[渡辺岳夫]]、作曲家(+ [[1989年]])
* 1933年 - [[田中照雄]]、元プロ野球選手(+ [[1972年]])
* [[1934年]] - [[坂上二郎]]、[[タレント]]、[[俳優]](+ [[2011年]])
* [[1935年]] - [[紀田順一郎]]、小説家
* 1935年 - [[坂本新兵]]、[[コメディアン]]、俳優(+ [[1996年]])
* 1935年 - [[ボビー・ヴィントン]]、[[歌手]]
* [[1938年]] - [[岡八朗]]、喜劇俳優(+ [[2005年]])
* [[1939年]] - [[水谷八重子 (2代目)]]、[[俳優|女優]]
* 1939年 - [[ダスティ・スプリングフィールド]]、歌手(+ [[1999年]])
* [[1940年]] - [[マルグレーテ2世 (デンマーク女王)|マルグレーテ2世]]、[[デンマーク]]女王
* [[1941年]] - [[石岡康三]]、元プロ野球選手(+ [[2019年]])
* 1941年 - [[近藤正昭]]、[[弁護士]]、元[[裁判官]](+ [[2020年]])
* [[1942年]] - [[フランク・ウィリアムズ]]、[[ウィリアムズF1|ウイリアムズ]]創設者(+ [[2021年]])
* 1942年 - [[石田二宣]]、元プロ野球選手
* [[1943年]] - [[宮崎昭二]]、元プロ野球選手
* 1943年 - [[若見山幸平]]、元[[大相撲]][[力士]]
* [[1944年]] - [[団しん也]]、[[ヴォードヴィル|ヴォードビリアン]]、歌手、俳優
* 1944年 - [[ウェンディ・グライナー]]、[[フィギュアスケート]]選手
* [[1946年]] - [[ペトリス・ヴァスクス]]、作曲家
* [[1947年]] - [[ヒロノツトム]]、タレント
* 1947年 - [[伊奈かっぺい]]、マルチタレント
* 1947年 - [[カリーム・アブドゥル=ジャバー]]、[[バスケットボール選手一覧|バスケットボール選手]]
* [[1948年]] - [[曽我部和恭]]、[[声優]](+ [[2006年]])
* [[1950年]] - [[飛鳥昭雄]]、[[漫画家]]、作家
* 1950年 - [[福永栄助]]、元プロ野球選手
* [[1951年]] - [[片山敬済]]、バイクレーサー、元WGPチャンピオンン
* [[1952年]] - [[なぎら健壱]]、フォーク[[歌手]]、俳優
* 1952年 - [[永井良和]]、[[サッカー選手]]、指導者
* 1952年 - [[ミシェル・ブラン]]、俳優、[[映画監督]]
* 1952年 - [[クール・ハーク]]、[[ヒップホップ]][[ディスクジョッキー|DJ]]
* [[1953年]] - [[新井正明 (トップシーン)|新井正明]]、テレビプロデューサー
* [[1954年]] - [[小川一夫]]、元プロ野球選手
* [[1955年]] - [[エレン・バーキン]]、女優
* 1955年 - [[アンリ (ルクセンブルク大公)|アンリ大公]]、[[ルクセンブルク大公]]
* 1955年 - [[ブルース・ボウチー]]、元プロ野球選手
* [[1956年]] - [[三村申吾]]、政治家
* [[1957年]] - [[鈴木正幸 (野球)|鈴木正幸]]、元プロ野球選手
* [[1958年]] - [[田中孝彦]]、[[国際政治学|国際政治学者]]
* 1958年 - [[国沢光宏]]、[[自動車評論|自動車評論家]]
* [[1959年]] - [[池野恋]]、漫画家
* [[1960年]] - [[ピエール・リトバルスキー]]、元サッカー選手
* 1960年 - [[ラファエル・ベニテス]]、元サッカー選手、指導者
* [[1961年]] - 村越保春<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/prof/1007880/ |title=村越保春 |access-date=9 May 2023 |publisher=[[ORICON NEWS]]}}</ref>、俳優
* 1961年 - [[ヴォルク・ハン]]、[[軍人]]、[[総合格闘家]]
* [[1962年]] - [[藤本貴久]]、元プロ野球選手
* 1962年 - [[アントニー・ブリンケン]]、[[アメリカ合衆国国務長官]]
* [[1965年]] - [[石塚久美子]]、女優
* 1965年 - [[マーティン・ローレンス]]、俳優、映画監督
* [[1967年]] - [[高信二]]、元プロ野球選手
* 1967年 - [[大西順子 (ミュージシャン)|大西順子]]、[[ジャズ]][[ピアニスト]]
* [[1968年]] - [[佐藤幸彦]]、元プロ野球選手
* 1968年 - [[マルティン・ダーリン]]、サッカー選手
* [[1969年]] - [[高橋建]]、元プロ野球選手
* 1969年 - [[鈴木健 (投手)|鈴木健]]、元プロ野球選手
* 1969年 - [[ヘルマン・ブルゴス]]、サッカー選手
* 1971年 - [[三遊亭丈二]]、落語家
* [[1971年]] - [[セレーナ (歌手)|セレーナ]]、歌手(+ [[1995年]])
* [[1972年]] - [[ユウキロック]]、[[お笑いタレント]](元[[ハリガネロック]])
* 1972年 - [[コンチタ・マルティネス]]、[[テニス選手一覧 (女子)|テニス選手]]
* [[1973年]] - [[廣瀬佳司]]、元ラグビー選手
* 1973年 - [[野島裕史]]、声優
* 1973年 - [[BONNIE PINK]]、[[シンガーソングライター]]
* 1973年 - [[エイコン]]、[[音楽家|ミュージシャン]]
* [[1974年]] - [[石川真紀]]、元アナウンサー
* 1974年 - [[新タ悦男]]、[[TBSテレビ|TBS]]アナウンサー
* [[1975年]] - [[徳井義実]]、お笑いタレント([[チュートリアル (お笑いコンビ)|チュートリアル]])
* 1975年 - [[大原めぐみ]]、声優
* 1975年 - [[小室淑恵]]、実業家
* 1975年 - [[長野恭紘]]、政治家
* 1975年 - [[上村里子]]、ボクサー(+[[2013年]])
* [[1976年]] - [[高橋将市]]、アナウンサー
* 1976年 - [[ルーカス・ハース]]、俳優
* 1976年 - [[スー・チー]](舒淇)、女優
* [[1977年]] - [[武田あかり]]、タレント、リポーター
* 1977年 - [[フレドリック・ユングベリ]]、サッカー選手
* [[1980年]] - [[木村昇吾]]、クリケット選手、元プロ野球選手
* 1980年 - [[藤井健太郎 (TVプロデューサー)|藤井健太郎]]、TVプロデューサー
* [[1981年]] - [[七野智秀]]、元プロ野球選手
* 1981年 - [[豊真将紀行]]、元大相撲力士
* 1981年 - [[トンプソン・ルーク]]、元ラグビー選手
* [[1982年]] - [[ジーナ・カラーノ]]、総合格闘家、女優
* 1982年 - [[ボリス・ディアウ]]、バスケットボール選手
* 1982年 - [[山本淳]]、元プロ野球選手
* 1982年 - [[岡本佐和子]]、気象予報士
* [[1983年]] - [[ダニエル・フブマン]]、[[オリエンテーリング]]選手
* 1983年 - 福岡晃子、ミュージシャン(元[[チャットモンチー]])
* 1983年 - [[藤田佳代]]、[[FM福井]]アナウンサー
* [[1984年]] - [[大原秉秀]]、元プロ野球選手
* 1984年 - 湯浅将平、元ミュージシャン(元[[Base Ball Bear]])
* 1984年 - 大前りょうすけ、お笑いタレント([[プリンセス金魚]])
* [[1985年]] - 伊藤政仁、お笑いタレント([[ニードル (お笑い)|ニードル]])
* 1985年 - [[高田千尋]]、お笑い芸人(元[[ばーん]])
* 1985年 - [[類家明日香]]、元[[グラビアアイドル]]
* [[1986年]] - [[ロリィタ族。]]、お笑いタレント(元[[モラリスト (お笑いコンビ)|モラリスト]])
* 1986年 - [[小出遥]]、[[AV女優]]
* 1986年 - [[三上大樹]]、アナウンサー
* 1986年 - [[八木菜緒]]、アナウンサー
* 1986年 - [[岡崎慎司]]、サッカー選手
* 1986年 - [[ポール・ディ・レスタ]]、レーシングドライバー
* [[1987年]] - [[桝木亜子|あこ]]、女優
* 1987年 - [[リチャード・ブレイアー]]、プロ野球選手
* 1987年 - [[久木野聡]]、元サッカー選手
* 1987年 - [[アーロン・レノン]]、サッカー選手
* [[1988年]] - [[ダーブロウ有紗]]、[[ファッションモデル]]
* 1988年 - [[ペーター・リーベルス]]、[[フィギュアスケート]]選手
* 1988年 - [[秋山翔吾]]、プロ野球選手
* 1988年 - [[松永昂大]]、元プロ野球選手
* 1988年 - [[木下裕貴]]、元サッカー選手
* [[1989年]] - [[一木千洋]]、声優
* 1989年 - [[ダニエル・パレホ]] - サッカー選手
* [[1990年]] - [[本間理紗]]、女優
* 1990年 - [[原大樹]]、[[マジシャン (奇術)|マジシャン]]
* 1990年 - [[トニー・マッケイ]]、陸上競技選手
* 1990年 - [[トラビス・ショウ]]、プロ野球選手
* [[1991年]] - [[宇垣美里]]、アナウンサー
* 1991年 - [[友利恵]]、女優
* 1991年 - [[ノーラン・アレナド]]、プロ野球選手
* 1991年 - [[三竿雄斗]]、サッカー選手
* [[1992年]] - [[西川遥輝]]、プロ野球選手
* 1992年 - [[セバスティアン・ド・リュクサンブール (1992-)|セバスティアン・ド・リュクサンブール]]、[[ルクセンブルク]]大公子
* 1992年 - [[笹崎里菜]]、アナウンサー
* 1992年 - [[蜂谷晏海]]、ファッションモデル、女優
* 1992年 - [[岸田タツヤ]]、俳優
* 1992年 - [[森薗美咲]]、卓球選手
* [[1993年]] - [[長洲未来]]、[[フィギュアスケート]]選手
* 1993年 - [[香川愛生]]、[[女流棋士 (将棋)|女流棋士]]
* 1993年 - [[キーオン・ケラ]]、プロ野球選手
* 1993年 - [[小椋裕介]]、陸上選手
* [[1994年]] - [[堀本昂弥]]、俳優
* 1994年 - [[松岡ちな]]、元AV女優
* 1994年 - [[夏目花実]]、元グラビアアイドル、元タレント
* [[1996年]] - [[池田エライザ]]、女優、歌手、ファッションモデル
* 1996年 - [[佐藤正尭]]、元プロ野球選手
* 1996年 - [[香月一也]]、プロ野球選手
* 1996年 - [[三竿健斗]]、サッカー選手
* [[1997年]] - [[小芝風花]]、女優
* 1997年 - [[谷川原健太]]、プロ野球選手
* [[1998年]] - 郡司奈桜<ref>{{Cite web|和書|url=https://thetv.jp/person/2000039637/ |title=郡司奈桜 |access-date=9 May 2023 |publisher=[[KADOKAWA|KADOKAWA CORPORATION]] |website=[[WEBザテレビジョン]]}}</ref>、アイドル(College Cosmos)
* [[2001年]] - [[奥川恭伸]]、プロ野球選手
* 2001年 - [[玉村昇悟]]、プロ野球選手
* [[2005年]] - [[河内康介]]、プロ野球選手
* 生年不明 - [[椿あす]]、漫画家
* 生年不明 - [[佐々木由香]]、声優、歌手
=== 人物以外(動物など) ===
* [[1957年]] - [[スターロツチ]]、[[競走馬]](+ [[1986年]])
* [[1971年]] - [[アイフル (競走馬)|アイフル]]、競走馬(+ [[1999年]])
* 1971年 - [[コーネルランサー]]、競走馬(+ [[1991年]])
* [[1982年]] - [[タカラスチール]]、競走馬(+ [[1992年]])
* 1982年 - [[ミホシンザン]]、競走馬(+ [[2014年]])
* [[1984年]] - [[ガルチ]]、競走馬(+ [[2016年]])
* 1984年 - [[ゴールドシチー]]、競走馬(+ [[1990年]])
* [[1987年]] - [[イクノディクタス]]、競走馬(+ [[2019年]])
* [[1988年]] - [[ナイスネイチャ]]、競走馬(+ [[2023年]])
* [[1989年]] - [[ローズムーン]]、競走馬
* [[1990年]] - [[スエヒロジョウオー]]、競走馬(+ [[2020年]])
* [[1994年]] - [[シーキングザパール]]、競走馬(+ [[2005年]])
* [[1996年]] - [[グレープ (フンボルトペンギン)|グレープ]]、フンボルトペンギン(+ [[2017年]])
* [[1997年]] - [[ゴールドヘイロー]]、競走馬
* [[2001年]] - [[オペラシチー]]、競走馬(+ [[2021年]])
* 2001年 - [[メイショウボーラー]]、競走馬
* [[2002年]] - [[アドマイヤジャパン]]、競走馬
* 2002年 - [[キングジョイ]]、競走馬
 
== 忌日 ==
スカイラインの中でも自動車レースでの使用を主として開発されたスポーツバージョンであり、日本を代表する高性能車のひとつに数えられる。自動車レースにおけるあらゆる規則の範囲内において、最大の性能を発揮する専用エンジンを組み込んでいる点が特徴であり、出場した自動車スポーツレース全般で数多くの勝利を挙げてきた。現在でもR32型、R33型、R34型(いわゆる第2世代)の人気が特に高く、中古車が主に北米へ多数輸出、輸出したR32型を再び日本国内へ逆輸入し再登録といったことも盛んに行われており、中古車価格はPGC10型からR34型まで、ともに数百万~数千万円という非常に高値安定傾向である。
[[Image:Lake_Scenery_with_Lofty_Scholars_by_Nakayama_Koyo.jpg|thumb|150px|[[南画家]]、[[中山高陽]](1717-1780)没。画像は『湖亭清曠図』]]
[[Image:John_Henry_Fuseli_-_The_Nightmare.JPG|thumb|200x200px|画家[[ヨハン・ハインリヒ・フュースリー]](1741-1825)。画像は『[[夢魔 (絵画)|夢魔]]』(1781)]]
[[Image:El_Tres_de_Mayo,_by_Francisco_de_Goya,_from_Prado_in_Google_Earth.jpg|thumb|200x200px|[[スペイン]]の画家[[フランシスコ・デ・ゴヤ]](1746-1828)没。画像は[[半島戦争]]での仏軍による市民虐殺を描いた『マドリード、1808年5月3日』]]
[[Image:Alexis_de_tocqueville.jpg|thumb|160px|政治思想家、[[アレクシ・ド・トクヴィル]](1805-1859)]]
[[Image:Kawabata_yasunari_birth.jpg|thumb|200x200px|[[川端康成]](1899-1972)没]]
* [[1198年]] - [[フリードリヒ1世 (オーストリア公)|フリードリヒ1世]]、[[オーストリア公]](* [[1175年]]頃)
* [[1206年]]([[元久]]3年[[3月7日 (旧暦)|3月7日]]) - [[九条良経]]、[[公卿]](* [[1169年]])
* [[1582年]]([[天正]]10年[[3月24日 (旧暦)|3月24日]]) - [[武田信廉]]、[[武将|戦国武将]](* [[1532年]])
* [[1609年]] - [[フランシスコ・カブラル]]、[[イエズス会]][[宣教師]](* [[1530年]]?)
* [[1645年]] - [[トバイアス・ヒューム]]、[[作曲家]](* [[1569年]])
* [[1689年]] - [[アフラ・ベーン]]、[[小説家]](* [[1640年]])
* [[1780年]]([[安永 (元号)|安永]]9年[[3月12日 (旧暦)|3月12日]]) - [[中山高陽]]、[[南画|南画家]](* [[1717年]])
* [[1783年]] - [[クリスチャン・マイヤー]]、[[天文学者]](* [[1719年]])
* [[1788年]] - [[ジョルジュ=ルイ・ルクレール・ド・ビュフォン]]<ref>{{Cite web |title=Georges-Louis Leclerc, count de Buffon {{!}} French naturalist |url=https://www.britannica.com/biography/Georges-Louis-Leclerc-comte-de-Buffon |access-date=9 May 2023 |publisher=Britannica}}</ref>、[[博物学|博物学者]]、数学者(* [[1707年]])
* [[1825年]] - [[ヨハン・ハインリヒ・フュースリー]]、[[画家]](* [[1741年]])
* [[1828年]] - [[フランシスコ・デ・ゴヤ]]、[[画家]](* [[1746年]])
* [[1846年]] - [[ドメニコ・ドラゴネッティ]]、[[コントラバス]]奏者、作曲家(* [[1763年]])
* [[1850年]] - [[マリー・タッソー]]、人形細工師(* [[1761年]])
* [[1859年]] - [[アレクシ・ド・トクヴィル]]、[[思想家]](* [[1805年]])
* [[1900年]] - [[ダンクマール・アドラー]]、[[建築家]](* [[1844年]])
* [[1901年]] - [[ヘンリー・ローランド]]、[[物理学者]](* [[1848年]])
* [[1904年]] - [[サミュエル・スマイルズ]]、[[作家]](* [[1812年]])
* [[1905年]] - [[小幡篤次郎]]、教育家(* [[1842年]])
* [[1914年]] - [[ジョージ・ウィリアム・ヒル]]、天文学者(* [[1838年]])
* [[1935年]] - [[ステファン・ネレゾフ]]、[[軍人]](* [[1867年]])
* [[1928年]] - [[パーヴェル・アクセリロード]]、思想家(* [[1850年]])
* 1928年 - [[中川謙二郎]]、教育家(* [[1850年]])
* [[1930年]] - 2代目[[桂文之助]]、[[落語家]](* [[1858年]])
* [[1935年]] - [[ヴィクトル・エワルド]]、作曲家(* [[1860年]])
* [[1941年]] - [[ハンス・ドリーシュ]]、[[生物学者]]、[[自然哲学|自然哲学者]](* [[1867年]])
* [[1945年]] - [[田村俊子]]、作家(* [[1884年]])
* [[1947年]] - [[ルドルフ・フェルディナント・ヘス]]、元[[アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所]]所長(* [[1900年]])
* [[1958年]] - [[ロザリンド・フランクリン]]、[[物理化学|物理化学者]](* [[1920年]])
* [[1961年]] - [[カール・ホブランド]]、[[心理学者]](* [[1912年]])
* [[1964年]] - [[小杉放庵]]、[[洋画家]](* [[1881年]])
* [[1968年]] - [[アルバート・ベッツ]]、物理学者(* [[1885年]])
* [[1969年]] - [[嵯峨根遼吉]]、物理学者(* [[1905年]])
* [[1970年]] - [[石原広一郎]]、実業家、南洋鉱業公司(現・[[石原産業]])創業者(* [[1890年]])
* [[1971年]] - [[ウィリアム・エッカート]]、MLB[[コミッショナー]](* [[1909年]])
* [[1972年]] - [[中島清次郎]]、[[寿司]][[職人]](*[[1897年]])
* [[1972年]] - [[川端康成]]、[[作家]](* [[1899年]])
* [[1973年]] - [[イシュトヴァン・ケルテス]]、[[指揮者]](* [[1929年]])
* [[1978年]] - [[黒田長礼]]、[[鳥類学|鳥類学者]](* [[1889年]])
* [[1979年]] - [[西尾実]]、[[国文学者]](* [[1889年]])
* [[1980年]] - [[アルフ・シェーベルイ]]、[[映画監督]](* [[1903年]])
* [[1982年]] - [[アナトーリー・アレクサンドロフ]]、作曲家(* [[1888年]])
* [[1985年]] - [[倉光俊夫]]、[[作家]](* [[1908年]])
* [[1986年]] - [[浅井亨]]<ref>{{Kotobank|浅井 亨}}</ref>、[[政治家]](* [[1902年]])
* [[1986年]] - [[メアリー・ジョゼフィン・カフリン]]、[[アル・カポネ]]の妻(* [[1897年]])
* [[1987年]] - [[佐藤寛子 (首相夫人)|佐藤寛子]]、[[佐藤栄作]]の配偶者(* [[1907年]])
* [[1988年]] - [[中村勘三郎 (17代目)|中村勘三郎]](十七代目)、[[歌舞伎]][[俳優]](* [[1907年]])
* 1988年 - [[鹿内春雄]]、実業家、[[フジサンケイグループ]]コミュニケーション会議議長(* [[1945年]])
* [[1989年]] - [[石川馨]]、[[化学工学|化学工学者]]、武蔵工業大学(現・[[東京都市大学]])学長(* [[1915年]])
* 1989年 - [[ジョッコ・コンラン]]、[[メジャーリーグベースボール|メジャーリーグ]]の[[審判員 (野球)|審判]](* [[1899年]])
* 1989年 - [[ルシル・ボール]]、女優(* [[1911年]])
* [[1991年]] - [[デヴィッド・リーン]]、映画監督(* [[1908年]])
* [[1993年]] - [[藤枝静男]]、[[作家]](* [[1907年]])
* [[1996年]] - [[小林禮子]]、[[女流棋士 (囲碁)|女流囲碁棋士]](* [[1939年]])
* 1996年 - [[スタブロス・ニアルコス]]、実業家(* [[1909年]])
* [[1999年]] - [[別当薫]]、元[[プロ野球選手]]、[[プロ野球監督]](* [[1920年]])
* [[2001年]] - [[河島英五]]、[[シンガーソングライター]](* [[1952年]])
* 2001年 - [[小島三児]]、[[俳優]](* [[1939年]])
* [[2002年]] - [[小西音松]]、[[暴力団]][[小西一家]]初代総長(* [[1915年]])
* 2002年 - [[茂木忠之]]、元プロ野球選手(* [[1938年]])
* [[2005年]] - [[高田渡]]、シンガーソングライター(* [[1949年]])
* [[2006年]] - [[三宅宅三]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shikoku-np.co.jp/national/okuyami/article.aspx?id=20060417000240 |title=三宅宅三氏死去/プロ野球ロッテ元スカウト |access-date=9 May 2023 |publisher=[[四国新聞社]] |date=17 Apr 2006}}</ref>、元プロ野球選手(* [[1921年]])
* [[2008年]] - [[エドワード・ローレンツ]]、[[気象学|気象学者]](* [[1917年]])
* 2008年 - [[廣津久雄]]、[[棋士 (将棋)|将棋棋士]](* [[1923年]])
* 2008年 - [[佐藤晃 (戦史家)|佐藤晃]]、戦史家(* [[1927年]])
* [[2009年]] - [[センサク・ムアンスリン]]、[[プロボクサー]](* [[1951年]])
* [[2010年]] - [[一言多十]]、元プロ野球選手(* [[1921年]])
* [[2013年]] - [[大野俊康]]、[[神職]](* [[1922年]])
* [[2018年]] - 崔銀姫、女優(* [[1926年]])
* [[2019年]] - [[川久保潔]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/news/2134170/full/ |title=声優・川久保潔さん死去 89歳 『サラリーマン金太郎』大和守之助役など |publisher=[[ORICON NEWS]] |date=22 Apr 2019 |accessdate=9 May 2023}}</ref>、俳優、声優(* [[1929年]])
* [[2022年]] - [[柳生博]]、[[俳優]](* [[1937年]])
* 2022年 - [[村生ミオ]]、[[漫画家]](* [[1952年]])
 
== 記念日・年中行事 ==
== 第1世代 S20エンジン系(1969年 - 1973年) ==
* チャップリンデー
=== 初代 前期PGC10型(1969年 - 1970年)・後期KPGC10型(1970年 - 1972年) ===
*: 喜劇俳優・[[チャールズ・チャップリン]]の誕生日。
{{Infobox 自動車のスペック表
* ボーイズビーアンビシャスデー
| 車種=普通自動車
*: [[1877年]](明治10年)のこの日、[[札幌農学校]](現・[[北海道大学]]農学部)教頭の[[ウィリアム・スミス・クラーク]]が、「Boys, be ambitious」の言葉を残して北海道を去ったことにちなむ。
| 車名=日産・スカイライン2000GT-R(初代)
* 女子マラソンの日
| 車名補=PGC10型/KPGC10型
*: [[1978年]](昭和53年)のこの日、[[東京都|東京]]・[[多摩湖]]畔で[[日本]]初の女子フルマラソンの大会「第1回女子タートルマラソン全国大会」が開かれた。参加者は49人だった。
| 1枚目画像の説明=セダン (PGC10)
| 1枚目画像名=1969 Nissan Skyline Sedan 2000GT-R.jpg
| 2枚目画像の説明=ハードトップ (KPGC10)
| 2枚目画像名=C10GT-R.jpg
| 3枚目画像の説明=
| 3枚目画像名=C10GT-Rrear.jpg
| 販売期間=[[1969年]][[2月]] - [[1972年]][[9月]]<ref name="名前なし-20230316122905">デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車 第1号3ページより。</ref>
| 設計統括=[[桜井眞一郎]]
| 乗車定員= 5名
| ボディタイプ=4ドア[[セダン]]<ref name="名前なし-20230316122905-2">デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車 第1号4ページより。</ref><br>2ドア[[クーペ|ハードトップ]]<ref name="名前なし-20230316122905-2"/>
| エンジン=S20型
| 最高出力=160 PS/7,000 rpm
| 最大トルク=176 N·m/5,600 rpm
| エンジン位置=フロント
| トランスミッション=5速[[マニュアルトランスミッション|MT]]<ref name="名前なし-20230316122905-2"/>
| サスペンション=前: [[ストラット式サスペンション|マクファーソン・ストラット]]<br>後: [[セミトレーリングアーム式サスペンション]]
| 駆動方式=後輪駆動
| 全長={{plainlist|*4,395 mm(PGC10型)<ref name="名前なし-20230316122905-2"/>
*4,330 mm(KPGC10型)<ref name="名前なし-20230316122905-2"/>}}
| 全幅={{plainlist|*1,610 mm(PGC10型)<ref name="名前なし-20230316122905-2"/>
*1,665 mm(KPGC10型)<ref name="名前なし-20230316122905-2"/>}}
| 全高={{plainlist|*1,385 mm(PGC10型)<ref name="名前なし-20230316122905-2"/>
*1,370 mm(KPGC10型)<ref name="名前なし-20230316122905-2"/>}}
| ホイールベース={{plainlist|*2,640 mm(PGC10型)<ref name="名前なし-20230316122905-2"/>
*2,570 mm(KPGC10型)<ref name="名前なし-20230316122905-2"/>}}
| 車両重量= {{plainlist|*1,120 kg ([[車両総重量|総]])(PGC10型)<ref name="名前なし-20230316122905-2"/>
*1,100 kg ([[車両総重量|総]])(KPGC10型)<ref name="名前なし-20230316122905-2"/>}}
| 自由項目1(項目名)=生産台数
| 自由項目1(内容)={{plainlist|*1,945台<ref name="名前なし-20230316122905"/>
**PGC10型832台
**KPGC10型1,197台}}
| 自由項目2(項目名)=愛称
| 自由項目2(内容)=ハコスカ
| プラットフォーム=
}}
開発はプリンス自動車工業時代からS74型として着手されており、日産自動車合併後の[[1969年]]2月に発売された。おとなしいセダンボディに獰猛なエンジンという意味の「'''羊の皮を被った狼'''」のキャッチフレーズが、先代プリンス・スカイライン2000GT-Bからそのまま受け継がれた<ref>{{Cite book|和書|author=元村郁朗 |title=スカイラインー羊の皮を被った狼たち |publisher=[[三樹書房]] |isbn=978-4895225076 |accessdate=2011-09-25 |page={{要ページ番号|date=2019-09-18}}}}</ref>。レース用車両として、6気筒エンジンを搭載した2000GTをベースにレース用DOHC4バルブの[[日産・S20型エンジン|S20型エンジン]]を搭載。ステアリングギヤ比をクイックに、サスペンションも固められた。スカイラインの伝統でもあった「サーフィンライン」デザインも、ワイドタイヤを履く邪魔となることから断ち切られて大きくえぐられた。また、レースに不要なヒーターやラジオはオプション扱いだった。
 
* [[聖枝祭]]([[2006年]])([[正教会]])
同年10月にはスカイラインシリーズ全体のマイナーチェンジに伴い、外装・内装に若干の変更が行われる。外装はヘッドランプハウジングが独立したタイプの3分割グリルだったものがワンピースグリルと呼ばれるものに、メッキ仕上げだった[[フェンダーミラー]]はつや消し黒に、内装ではステアリングホイールがウッドから、それまでスポーツオプションだった合成ゴム成型に変更された。
 
[[1970年]](昭和45年)10月、ベースとなるスカイラインのマイナーチェンジに伴って'''ハードトップ'''と称するホイールベースが70 mm短縮された2ドアクーペボディが追加され、GT-RもハードトップのKPGC10型に移行しセダンは廃止された。C10型マイナーチェンジによる変更点を除くPGC10型からKPGC10型への限定した変更点として、リアホイールアーチに[[繊維強化プラスチック|FRP]]製の黒い[[フェンダー (自動車)|オーバーフェンダー]]の装着、フェンダーミラーを砲弾型からタルボ型へ変更、フロントグリルの意匠変更、などである。4ドアセダンをベースに2ドアクーペを設定する場合、ハードトップスタイルを採用する例は同時期の西ドイツで多く見られる<ref group="注釈">[[フォード・カプリ|フォード・コンサルカプリ]]、[[メルセデス・ベンツ・Sクラス#フィンテール W111/W112(1959年-1971年)|メルセデス・ベンツ・300SEクーペ]]とそれ以降のメルセデスベンツ・クーペ、[[BMW・2000C/2000CS]]などが代表例。</ref>が、Bピラーがなくなることで低下するボディ剛性を担保する手法の一つでメルセデス・ベンツが好むホイールベース短縮を採用しており、フレーム剛性を据置きつつ若干軽量化を実現した。より低く流麗となったクーペボディは空気抵抗を低減し、短縮されたホイールベースは運動性能を高めることから、GT-Rの競争力はさらに向上した。
 
外観におけるGT系との相違は、拡大されたトレッドに対応するためリアホイールアーチがサーフィンラインをカットして上方へ拡大されているほか、前後ウインドシールドをはじめとした全てのガラスが青色の熱線吸収タイプではなく4気筒モデルのスタンダードと同じ無色透明タイプになり、リアデフォッガーやモール類、装飾類、ホイールカバーが装備されない点などが挙げられる。これらに加えラジオがオプション装備であるため、選ばなければアンテナもない。また、KPGC10前期型にはオプション装備のリアウイングを備えた車もある。防錆塗装はオプションであった。
 
総生産台数はPGC10型が832台<ref>{{Cite web|和書|title=1969 NISSAN SKYLINE 2000 GT-R(PGC10) |url=https://bhauction.com/result/collection-car-auction-collection-no-3/lots/1969-nissan-skyline-2000-gt-rpgc10 |website=BINGO(株式会社BH AUCTION) |accessdate=2022-01-30 |language=ja}}</ref>、KPGC10型が1,197台。新車販売価格は、セダンが150万円、クーペが154万円だった<ref name="名前なし-20230316122905-2"/>。
 
==== メカニズムなど ====
[[プリンス・R380]]で使用されていた[[プリンス・G型エンジン|GR8型]]エンジンをベースに開発された、[[日産・S20型エンジン|S20型]] 2.0L 直列6気筒DOHCエンジンをフロントに搭載する{{Sfn|家村|1996|pp=10-11}}。これは、前任のスカイライン2000GT(S54型)に搭載されていたG7型エンジンが[[ツーリングカー]]レースにおいて既に競争力を失いつつあったため、新たに開発・搭載されたものである。
 
排気系には3気筒ずつそれぞれ1本に纏められた[[ステンレス鋼|ステンレス]]製等長[[エキゾーストマニホールド]]を採用し、[[マフラー (原動機)|消音器]]の外殻を共用する以外は大気開放されるテールパイプまで2本が完全に独立している<ref group="注釈">[[日産・L型エンジン|L型]][[直列6気筒]]エンジンのチューニングにおいて「給排気の[[三種の神器]]」と言われる「[[ソレックス|ソレ]]・[[タコ足|タコ]]・デュアル」の構成は、GT-Rに倣ったものである。</ref>。
 
[[ギアボックス]]は日産自動車内製のFS5C71A/B型5速[[シフトレバーの配置|フロアシフト]]である。全段[[シンクロメッシュ#サーボ型|ポルシェ式サーボシンクロメッシュ]]の常時噛合い[[マニュアルトランスミッション]]で、競技用に用意されている3種の[[歯車比|ギアレシオ]]中、1速が最もローギアードで2速以上を[[クロスレシオトランスミッション|クロスレシオ]]としたものが標準装備として採用されており、他の2種類はスポーツオプションとされた。PGC10型からKPGC10型前期までが、[[クラッチ]]ハウジング、ギアケーシング、エクステンションに三分割されたA型、KPGC10型後期はクラッチ・ギアケーシング、エクステンションに二分割されたB型である。ディファレンシャルギアには多板クラッチ式[[差動装置#リミテッド・スリップ・デフ|LSD]]を装備していた。
 
[[サスペンション]]は2000GTと同一の前[[ストラット式サスペンション|ストラット]]、後[[セミトレーリングアーム式サスペンション]]であるが、スプリング、[[ショックアブソーバー|ダンパー]]およびフロントのみに装着されている[[スタビライザー (自動車部品)|スタビライザー]]がそれぞれ強化されている。[[ブレーキ]]も2000GTと同一の前[[ディスクブレーキ|ディスク]]、後リーディング・トレーリング式[[ドラムブレーキ|ドラム]]であるが、ブレーキコントロールを容易にするため標準では[[ブレーキブースター|マスターバック]]は装備されていない。
 
[[ステアリング]]機構は2000GTと同一の[[ボール・ナット|リサーキュレーティングボール式]]であるが、ギア比は高め(速め)に変更されている。
 
1970年(昭和45年)10月から、S20型エンジンに[[ブローバイガス]]還元装置が取り付けられた。同時に[[無鉛化|無鉛]]レギュラーガソリン仕様が設定されている。[[圧縮比]]を0.5下げ、[[点火時期]]の進角を穏やかにしたため、ハイオク仕様より5 PS低い155 PSとなっている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.gtr-world.com/gt-r/kpgc10-skyline-gtr.html |website=GT-Rウェブマガジン |publisher=GTR-WORLD.NET |title=KPGC10モデル詳説 |accessdate=2011-09-25}}</ref>。
 
内装関係で特筆すべきは、ドライバーが運転する上で必要な装備が充実しているのに対し、不要なものはほとんどなにもない点である。ドライバーおよびナビゲーターシートは[[リクライニングシート|リクライニング]]機構を持たない[[合成皮革|合皮]]張りの[[バケットシート|バケット]]型であり、2ドアのKPGC10型では、前端下の[[蝶番|ヒンジ]]を支点にして座席全体を前に投げ出すようにして後席の乗降通路を確保する。運転席側には3点式[[シートベルト]]と[[ヘッドレスト]]、[[サンバイザー]]が標準で備わるが、助手席側のそれらはオプション装備である。また、[[カーヒーター|ヒーター]]、[[カーラジオ|ラジオ]]、時計はもとより、ドアポケット、助手席および後席の2点式シートベルト、およびアシストグリップすらオプション装備である。イグニッションキーシリンダーは、アクセサリー (ACC) ポジションのみオフから反時計回り側の、本来[[ステアリングロック]]があるべき位置へ隔離され、オフから時計回りで、オン、スタートと並んでおり、競技使用時の利便が図られている。ステアリングロックは装備されない。
 
GT-Rの特徴であるエキゾーストマニホールドにより、コンプレッサーを取り付ける空間が確保できず、純正クーラーはオプション設定もされていない<ref>{{Cite book|和書|author=鈴木弘孝 |editor=上田哲也 |others= |title=クルマは愛だ。TURBO & DOHCスカイライン (カービート特別編集) |date=1982-01-01 |publisher=辰巳出版 |___location=新宿区 |series=タツミムック |volume=28 |language=日本語 |page=144 |chapter=History of Skyline, 伝説の中に生き続けるスカイラインその25年の歴史の中に脈々と流れるものは「愛」だった }}</ref>。
 
競技用のスポーツオプションが非常に充実しているのも特徴で、[[アルミニウム合金|アルミ]][[鍛造]]高圧縮[[ピストン]]や大径[[キャブレター|気化器]]、[[オイルクーラー]]、バッフルプレート付きアルミ[[オイルパン]]などのエンジン関連部品から、サスペンション、ブレーキの強化部品、幅広[[スチールホイール]]など一通り準備されており、中にはワイド型[[バックミラー|ルームミラー]]やレースレギュレーションで義務化されていた[[合わせガラス]]の[[風防|ウィンドシールド]]など、公道走行時においても極めて有用な部品もある。
{{-}}
 
== フィクションのできごと ==
=== 2代目 KPGC110型(1973年) ===
{{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0416|date=2023年5月}}
{{Infobox 自動車のスペック表
* 1983年 - 土曜日、[[芳山和子]]は理科教室で掃除後に一人でいた際、[[ラベンダー]]の香りを嗅いで倒れてしまう。(映画『[[時をかける少女 (1983年の映画)|時をかける少女]]』)
| 車種=普通自動車
* 1994年 - 土曜日、芳山和子は廊下で青年とすれ違うが、深町一夫であることに気づかない。(映画『時をかける少女』)
| 車名=日産・スカイライン2000GT-R(2代目)
| 車名補=KPGC110型<ref name="名前なし-20230316122905-3">デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車 第1号7ページより。</ref>
| 1枚目画像の説明=GT-RC110の前方を撮影。
| 1枚目画像名=GT-RC110.jpg
| 2枚目画像の説明=GT-RC110の後方を撮影。
| 2枚目画像名=GT-RC110rear.jpg
| 販売期間=[[1973年]][[1月]] - [[4月]]<ref name="名前なし-20230316122905-3"/>
| 設計統括=[[桜井眞一郎]]
| 乗車定員=5名
| ボディタイプ=2ドアクーペ<ref name="名前なし-20230316122905-4">デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車 第1号8ページより。</ref>
| エンジン=S20型<ref name="名前なし-20230316122905-4"/>
| エンジン位置=フロント
| トランスミッション=5速[[マニュアルトランスミッション|MT]]<ref name="名前なし-20230316122905-4"/>
| 駆動方式=後輪駆動
| サスペンション=前: ストラット<br>後: セミトレーリングアーム式サスペンション
| 全長=4,460 mm<ref name="名前なし-20230316122905-4"/>
| 全幅=1,695 mm<ref name="名前なし-20230316122905-4"/>
| 全高=1,380 mm<ref name="名前なし-20230316122905-4"/>
| ホイールベース=2,610 mm<ref name="名前なし-20230316122905-4"/>
| 車両重量= 1,145 kg<ref name="名前なし-20230316122905-4"/>
| 最大積載量=
| 自由項目1(項目名)=生産台数
| 自由項目1(内容)=197台<ref name="名前なし-20230316122905-3"/>
| 自由項目2(項目名)=愛称
| 自由項目2(内容)=ケンメリ
| プラットフォーム=
}}
4代目スカイライン(C110型)のハードトップ2000GTをベースに[[1973年]]1月から4月の3か月のみ「2000GT-R」として販売されていた<ref name="GTRWORLDNETKPGC110">{{Cite web|和書|url=http://www.gtr-world.com/gt-r/kpgc110-skyline-gtr.html |website=GT-Rウェブマガジン |publisher=GTR-WORLD.NET |title=KPGC110GT-Rモデル詳説 |accessdate=2011-09-25}}</ref>。
 
GT系と比較して、専用ラジエータグリル、前後オーバーフェンダー、リアスポイラーを装備するほか、先代では標準でなかったラジオが標準装備とされている<ref name="GTRWORLDNETKPGC110" />。
 
エンジンは先代同様S20型エンジンが採用されている。ただし、使用されていたS20型エンジンが昭和48年[[自動車排出ガス規制|排出ガス規制]]に適合しなくなったため、レースカーもコンセプトカーが発表されたのみで実際のレースへ参加することはなしに3か月後の4月末をもってわずか197台だけで生産・販売が終了した。この少ない生産台数についてはS20型エンジンの在庫処理のためという説もある。
 
レースで活躍した先代と違い<ref group="注釈" name="KPGC1002">この当時は[[マツダ・サバンナ]]が台頭し、KPGC10型が苦戦していた時期である。またKPGC10型に比べ100 kg以上車重が増加している。</ref>、そしてKPGC110型以降、BNR32型が発売される16年後の1989年までGT-Rの名称は途絶えることとなる<ref name="GTRWORLDNETKPGC110" />。総生産台数は197台、うち195台が市販された。新車販売価格は、162万円<ref name="名前なし-20230316122905-4"/>。
 
==== メカニズムなど ====
エンジンは先代と変更されていないが、燃料タンクが100 Lから55 Lとほぼ半減している。足回りに関しては、リアにスタビライザーが装備され、マスターバック付き4輪ディスクブレーキが付与されている。車体は全長で130 mm、全幅で30 mm、ホイールベースで40 mm拡大されており、GT系と違いオーバーフェンダーが付与されている。これらの装備を足されたことでトータル45 kgの重量増となった<ref name="GTRWORLDNETKPGC110" />。なお、後に現行型の日産・GT-Rまで踏襲されている丸型4灯のテールランプはこの代から採用されている<ref name="GTRWORLDNETKPGC110" />。
 
<gallery>
C110GT-RTMS.jpg|GT-R([[東京モーターショー]]出品車)
</gallery>
{{-}}
 
== 第2世代 RB26エンジン系(1989年 - 2002年) ==
=== 3代目 BNR32型(1989年 - 1994年) ===
{{Infobox 自動車のスペック表
| 車種=普通自動車
| 車名=日産・スカイラインGT-R(3代目)
| 車名補=BNR32型
| 1枚目画像の説明=
| 1枚目画像名=Nissan Skyline R32 GT-R 001.jpg
| 2枚目画像の説明=
| 2枚目画像名=Nissan Skyline R32 GT-R 002.jpg
| 販売期間=[[1989年]][[8月]] - [[1994年]][[12月]]
| 設計統括=[[伊藤修令]]
| ボディタイプ=2ドア[[クーペ]]
| エンジン=[[日産・RB26DETT|RB26DETT]]
| エンジン位置=フロント
| 最高出力=280 PS/6,800 rpm
| 最大トルク=36.00 kgf·m/4,400 rpm
| トランスミッション=5速MT
| 駆動方式=[[四輪駆動]]
| サスペンション={{Ubl|前:[[マルチリンク式サスペンション|マルチリンク]]|後:マルチリンク}}
| 全長=4,545 mm
| 全幅=1,755 mm
| 全高=1,340 mm
| ホイールベース=2,615 mm
| 車両重量={{plainlist|*標準 1,430 kg - 1,480 kg
*Vスペック 1,500 kg
*NISMO 1,400 kg}}
| 乗車定員= 4名
| 自由項目1(項目名)=総販売台数
| 自由項目1(内容)= 4万3661台{{Sfn|高橋|村山|2006|p=77}}
| 自由項目2(項目名)=
| 自由項目2(内容)=
}}
[[1989年]][[5月22日]]、8代目スカイライン(R32型)を発表{{Sfn|高橋|村山|2006|p=71}}。GT-Rを含む4WD車は8月発売とアナウンスされ、同年[[8月21日]]に発売された{{Sfn|高橋|村山|2006|p=71}}<ref name="GTRWORLDNETR32">{{Cite web|和書|url=http://www.gtr-world.com/gt-r/bnr32-skyline-gtr.html |website=GT-Rウェブマガジン |publisher=GTR-WORLD.NET |title=R32GT-R 詳解 |accessdate=2011-09-25}}</ref>。先代KPGC110型の生産終了より16年ぶりとなるGT-Rの復活である。型式はBNR32<ref group="注釈">BはRB26DETT、NはアテーサE-TS+ハイキャス、Rはスカイラインを表す。</ref>。
 
当時日産で行われていた[[901運動]]の集大成として開発されたR32型GT-Rは、専用に設計された[[日産・RB26DETT|RB26DETT]]型ターボエンジンを搭載し、[[ATTESA E-TS]]、[[HICAS|Super HICAS]]といった当時の最新デバイスが多数組み込まれた<ref name="shashin">{{Cite magazine|和書|magazine=昭和55年 写真生活 |year=2017 |publisher=ダイアプレス |page=82 |isbn=978-4802302524 |accessdate=2017-04-17}}</ref>。[[日産・フェアレディZ]](Z32型)、[[日産・インフィニティQ45]]とともに、[[日本車]]初の300 PSトリオとして発売される予定であったが、当時の諸事情により実施された[[自動車馬力規制]]により、いずれも日本向けは280 PSとされた。なお、フェアレディZとQ45の海外輸出仕様は300 PSであった。
 
日産社内では7代目スカイライン(R31型)の時点で2ドアクーペに「GT-R」を復活させる計画があったが、エンジンが4ドアセダンと同じ[[日産・RBエンジン#RB20DET|RB20DET型]]であったことや、そのRB20DETが当時ジャーナリストから酷評を受けていたことなどから、開発主管の[[伊藤修令]]の判断でその計画は撤回<ref name=carview220725>[https://carview.yahoo.co.jp/news/detail/24e9e58d307b202c87499833778dc75a329e3f35/ 「GT-R」の称号が16年ぶりに復活! R31での悔しさを晴らしたかったR32商品主管・伊藤修令氏の想いとは] - CarView・2022年7月25日</ref>。その後R32型では、[[プラザ合意]]後の日産の業績悪化の影響などから「今ここで「GT-Rを復活させる」と言っても通らないだろう」として「GT-X」の仮名称で開発が進められた<ref name=carview220725 />。
 
海外へは、オーストラリア向けのみ100台ほどが豪州日産のクレイトン工場でノックダウン生産された<ref>{{Cite web |title=https://twitter.com/nek_enruoblem/status/1325334913462104064 |url=https://twitter.com/nek_enruoblem/status/1325334913462104064 |website=X (formerly Twitter) |access-date=2023-12-11 |language=ja}}</ref>{{出典無効|date=2023-12-11|title=[[Wikipedia:検証可能性#自主公表された情報源]], [[Wikipedia:信頼できる情報源#オンラインや自己公表された情報源の利用]]}}。出力は日本と同等だが、スピードメーターは260 kmスケール仕様、アンテナはルーフ中央前側への設置、ハイマウントストップランプの追加等、細かい変更や追加が行われた上で販売された。現在海外で「ゴジラ」と呼ばれているGT-Rの愛称は、オーストラリアでのツーリングカー選手権への参加で、他メーカー勢を周回遅れで制した衝撃がきっかけで名付けられた。
 
搭載されるRB26DETT型エンジンの排気量は、2,568 ccという当時としては中途半端な数値である<ref name="shashin"/><ref group="注釈">当時は排気量2.0 L以下と2.0 L超の自動車税の金額の差が著しいため、あえて2.0 L超とした場合は、かなり排気量を大きくしていた。</ref>が、これは当時の[[グループA]]レギュレーションに対応させたことが理由である{{Sfn|家村|1996|p=31}}{{Sfn|高橋|村山|2006|p=27}}。
 
GT系標準モデルとの外見上の違いは、専用16インチアルミ鍛造ホイール、前後フェンダーの拡幅化、アルミ製フロントフェンダーおよびアルミボンネット採用、フロントグリルの追加、専用フロントバンパー、専用リアウィングが挙げられる。
 
開発に携わった永嶋勉の証言では、当初の試作車はスカイラインとフロアパンを共有しており車種の性格上秘匿性が高いとの理由から、R31型スカイラインではなくあえて[[日産・ローレル|C32型ローレル]]をベースにワイドフェンダー化された個体が用いられていた。
 
1990年には[[グループA]]参戦マシンの[[ホモロゲーション]]用モデルとして500台限定でGT-R NISMOが発売され<ref name="GTRWORLDNETR32NISMO">{{Cite web|url=http://www.gtr-world.com/gt-r/bnr32-gtr-nismo.html |website=GT-Rウェブマガジン |publisher=GTR-WORLD.NET |title=R32GT-R NISMO |accessdate=2011-09-25}}</ref>、同年よりR31型スカイラインGTS-Rに代わり参戦した全日本ツーリングカー選手権においてデビューウィンを果たす。参戦初年度でありながら、年間を通して[[ホシノインパル|カルソニックスカイライン]]を代表とするGT-Rの強さを印象付け、世界中で最強を誇っていた[[フォード・シエラRSコスワース|フォード・シエラRS500]]を全日本選手権から駆逐し、日本国内外の自動車レースを席巻した。その後、全日本ツーリングカー選手権がFIAのクラス2規格(排気量2.0 Lまでの4ドアセダン車両をベースにした[[全日本ツーリングカー選手権 (1994年-1998年)|JTCC]])で行われることが決定したため、[[1993年]]以降は[[全日本GT選手権]]に戦いの場を移すこととなる。ほかにグループAより改造範囲の狭い[[グループN]]を基にしたN1規定に対応するため、主にブレーキ系の性能を向上させたVスペック・VスペックIIが発売されている。
 
車体色のバリエーションはイメージカラーとなるガングレーメタリック (KH2) の他に、クリスタルホワイト、ジェットシルバーメタリック、レッドパールメタリック、グレイッシュブルーパール、ダークブルーパールなど、計8色が販売された。なお当初はダークグリーンメタリック (DH0) の販売も予定されており、発売前の販促カタログにも掲載され試作車も制作されたが<ref group="注釈" name="sisakueve">この試作車は当時の開発メンバーである渡邊衝三が保有しており、イベント会場などで時折その姿を確認できる。またいくつかのメーカーより渡邊保有の実車を取材したミニカーが製品化されている。</ref>、このカラーのGT-Rが販売されることはなかった。なおこの車体色は中期以降のGTSグレードにて採用されている。
 
==== メカニズムなど ====
BNR32型最大の特徴は、上述の通り当時の最新装備が多数採用されたことである。それまでのGT-Rは自然吸気エンジンかつ後輪駆動であったが、このBNR32型では専用に開発されたRB26DETT型[[ツインターボ]]エンジンが搭載され、足回りも「ATTESA E-TS」、「Super HICAS」を組み合わせ、[[四輪駆動]]となった{{Efn|ATTESA E-TSは、基本的には後輪を駆動させ、前後4輪の車輪速度センサにより、トルクを前輪に0:100 - 50:50の範囲で配分する{{Sfn|高橋|村山|2006|pp=54-55}}。}}。その中でもRB26DETT型エンジンは、S20型同様モータースポーツ参戦を前提に開発されていたものであったため、市販車の平均的な水準をはるかに上回るエンジン強度を誇り、出力も280 PS/36 kgf·mを達成するなど非常に強力なエンジンとなっている。
 
しかし欠点として、RB26型エンジンは強度を重視したためエンジンブロックが[[鋳鉄]]製であり、これにより車重が増加した。そしてフロントヘビーな配分と、高度なATTESA E-TSなどのデバイスが災いし、標準装備のブレーキではハードな走行に耐え切れず、N1レース参戦初期には強いアンダーステアに悩まされ、[[フェード現象|ブレーキフェード]]によるリタイアもあった。その後の対策として、Vスペックではより大型の[[ブレンボ]]製[[ブレーキキャリパー]]が採用されている。
 
==== グレード ====
;標準車
:発売初期からラインナップされていた標準グレード。車両重量は、前期型は1,430 kg、中・後期型は1,480 kg{{Sfn|高橋|村山|2006|pp=73, 75}}<ref name="GTRWORLDNETR32FIRST">{{Cite web|和書|url=http://www.gtr-world.com/gt-r/bnr32-gtr-zenki.html |website=GT-Rウェブマガジン |publisher=GTR-WORLD.NET |title=R32GT-R 初期型 |accessdate=2011-09-25}}</ref>。
;GT-R NISMO
:1990年の全日本ツーリングカー選手権初戦に合わせて500台限定で生産、レースベースを含めて560台製造されたグループA参戦マシン用ホモロゲーション用モデル。モデルコードはKBNR32RXFSL-RA。セラミックタービンからメタルタービンへ変更され{{Sfn|高橋|村山|2006|p=76}}、それに合わせてエキゾーストマニホールドも専用品を使用しているほか、エアコン・オーディオ・リアワイパー・ABS・インタークーラーグリルが外され{{Sfn|高橋|村山|2006|p=76}}、1,400 kgまで軽量化が図られている{{Sfn|高橋|村山|2006|p=76}}。また、外装では冷却効率の改善を図るためボンネット先端のグリル上部に吸気流入量増加を狙ったフードトップモールおよびフロントバンパーに開口箇所を追加(通称「ニスモダクト」)、空力特性の改善のためサイドシル後部にはリアタイヤ周りの整流を目的としたプロテクターが装着され、リアには小型のリアスポイラーが付与されている。
;Vスペック
:1993年2月のマイナーチェンジで登場{{Sfn|高橋|村山|2006|p=71}}。標準車のフロントブレーキローター径296 mmに対して324 mm、リアブレーキローター径297 mmに対して300 mmにそれぞれ大径化し、ブレンボ製ベンチレーテッドディスク(フロント4POT、リア2POT)と225/50R17インチBBS製ホイールを装備した上位モデル。これに合わせてサスペンションの再セッティングと、ATTESA E-TSのロジックパターンが変更されている。車重は1,500 kg{{Sfn|高橋|村山|2006|p=77}}。
;N1
:1991年7月19日発売{{Sfn|高橋|村山|2006|p=71}}。N1耐久レース(現在の[[スーパー耐久]])での使用を見越し設計されたモデル。基本的には快適装備の除去やABSレスなどGT-R NISMOと同様のものであるが、エンジンブロックの肉圧を増加させ、出力アップによる耐久性を持たせたN1仕様のRB26エンジン、NISMO純正ホイール、NISMO製ステアリング、マフラー、ストラット・タワーバー、大型化されたブレーキローター(これによるピンホールの廃止、ブレーキ導風板の追加)、角型2灯式ハロゲンヘッドランプへの換装が行われている。また、車体色はクリスタルホワイトのみである。後にVスペックが発売されると同時に、ブレンボ製ブレーキが追加されたVスペック準拠のVスペックN1となった。さらにVスペックがVスペックIIに置き換わるとVスペックII準拠のVスペックII N1になった。
;VスペックII
:1994年2月に発売{{Sfn|高橋|村山|2006|p=71}}。コーナリングスピードの向上を図るため、Vスペックのタイヤを245/45R17にしたもの(Vスペック発売当時45Rの認可が下りず、発売翌年に解禁となった)。
 
==== 年表 ====
*[[1989年]][[5月22日]] - 8代目スカイライン発表{{Sfn|高橋|村山|2006|p=71}}。GT-RとGTS-4は8月発売のアナウンス。
*[[1989年]][[8月21日]] - スカイラインGTS-4と共に販売開始。
*[[1990年]][[3月11日]] - 500台限定で全日本ツーリングカー選手権(グループA)ホモロゲーションモデルのGT-R NISMOを発売。
*[[1991年]][[8月20日]] - 初のマイナーチェンジが行われ、中期型へ移行{{Sfn|高橋|村山|2006|p=71}}<ref name="GTRWORLDNETR32SECOND">{{Cite web|和書|url=http://www.gtr-world.com/gt-r/bnr32-gtr-chuki.html |website=GT-Rウェブマガジン |publisher=GTR-WORLD.NET |title=R32GT-R 中期型 |accessdate=2011-09-25}}</ref>。衝突安全装備の補強材(サイドインパクトビーム)を追加した{{Sfn|高橋|村山|2006|p=74}}ことから、重量が50 kg増の1,480 kgとなった。また、ヘッドランプがH3CからH1に大型化され、クランクシャフト形状、シリンダーブロックの補強が行われている{{Sfn|高橋|村山|2006|p=74}}。細かなところでは、シートベルト警告灯、エアバッグ設定の追加、ボディ色としてクリスタルホワイト、スパークシルバーメタリック、グレイッシュブルーパールが追加されている(これに伴い、ジェットシルバーメタリックが廃止された)。
*[[1993年]][[2月3日]] - 2回目のマイナーチェンジにより、後期型へ移行{{Sfn|高橋|村山|2006|p=71}}。クラッチがプッシュ式からプル式になり、トランスミッションのシンクロメッシュ改良が行われた{{Sfn|高橋|村山|2006|p=75}}。1994年モデルではリアデフカバーがローレルと同じタイプへ変更されている<ref name"=GTRWORLDNETR32FINAL">{{Cite web|和書|url=http://www.gtr-world.com/gt-r/bnr32-gtr-kouki.html |website=GT-Rウェブマガジン |publisher=GTR-WORLD.NET |title=R32GT-R 後期型 |accessdate=2011-09-25}}</ref>。また、同時にVスペックおよびVスペックN1を追加。
*[[1994年]][[2月14日]] - VスペックII販売開始{{Sfn|高橋|村山|2006|p=71}}。
*[[1994年]][[11月7日]] - 最後の1台の標準車がラインオフして生産終了。以降は在庫分のみの対応となる。総生産台数は4万3934台{{Sfn|高橋|村山|2006|p=77}}。
*[[1994年]][[12月]] - 販売終了。
{{-}}
 
=== 4代目 BCNR33型(1995年 - 1998年) ===
{{Infobox 自動車のスペック表
| 車種=普通自動車
| 車名=日産・スカイラインGT-R(4代目)
| 車名補=BCNR33型
| 1枚目画像の説明=1997年改良型
| 1枚目画像名=Nissan Skyline R33 GT-R 001.jpg
| 2枚目画像の説明=
| 2枚目画像名=Nissan Skyline R33 GT-R 002.jpg
| 販売期間=[[1995年]][[1月]] - [[1998年]][[12月]]
| 設計統括=[[渡邉衡三]]
| ボディタイプ=2ドアクーペ・4ドアセダン
| エンジン=RB26DETT
| エンジン位置=フロント
| 最高出力=280 PS/6,800 rpm
| 最大トルク=37.50 kgf·m/4,400 rpm
| トランスミッション=5速MT
| 駆動方式=四輪駆動
| サスペンション=マルチリンク
| 全長=4,670 mm
| 全幅=1,780 mm
| 全高=1,360 mm
| ホイールベース=2,720 mm
| 車両重量=1,530 kg
| 乗車定員=4名
| 自由項目1(項目名)=総販売台数
| 自由項目1(内容)=1万6422台{{Sfn|高橋|村山|2006|p=77}}
| 自由項目2(項目名)=共通のプラットフォームを採用する車
| 自由項目2(内容)=[[日産・ローレル]]
}}
[[1995年]][[1月6日]]発売。型式はBCNR33<ref group="注釈" name="ex02">Cが付く理由は、GTS25であるER33にはHICASが付いていないので、差別化のためにHICASのCが付与されていることが理由。</ref>。
 
[[1993年]][[8月]]にR33型スカイラインが発表された直後の第30回[[東京モーターショー]]でプロトタイプが発表された(市販モデルでは主にフロント周りが改修される)後、標準車の販売開始から遅れて1年5か月後に発表された。このR33型GT-Rは、通常はモーターショーなどで新車発表するところを、改造車の祭典である第13回[[東京オートサロン]]で発表するという形式がとられた。これは当時の市販車としては初めてのことである<ref name="GTRWORLDNETR33">{{Cite web|和書|url=http://www.gtr-world.com/gt-r/bcnr33-skyline-gtr.html |website=GT-Rウェブマガジン |publisher=GTR-WORLD.NET |title=R33GT-R 詳解 |accessdate=2011-09-25}}</ref>。
 
この型式より、以前にも増して本格的にニュルブルクリンクでのテストドライブが重視された。このことよりBCNR33のプロトタイプモデルが7分59秒のタイムを記録したことで、BNR32型に対してのタイム差から「'''マイナス21秒ロマン'''」と銘打ったキャッチコピーを掲げ、GT-Rとしては初の単体でのテレビCMを展開している。またBNR32型と違い、発売時よりVスペックおよびVスペックN1が設定されている。また、1997年には、日産関連企業の[[オーテックジャパン]]より、特別仕様ながらPGC10型以来の4ドアセダンGT-Rとなる「スカイラインGT-Rオーテックバージョン 40th ANNIVERSARY」が発売された。
 
モータースポーツでは、BNR32に引き続いて全日本GT選手権に参戦しているほか、[[ル・マン24時間レース]]にも参戦していた。
 
またこの代からイギリスへの正規輸出が100台限定で行われ、開発主管を務めた[[渡邉衡三]]によれば北米への輸出も検討されていたが、RBエンジンは左ハンドルへの対応が難しく、排気構造の問題からエンジンを開発し直さなければならないとの理由でアメリカ向けのR33は見送られた。
 
==== メカニズムなど ====
先代BNR32に引き続きRB26DETTを搭載しているが、旧型より増加した車両重量に対応させるための高出力化が必要となった。そのために従来8ビットであった[[エンジンコントロールユニット|ECU]]の16ビット化、過給圧の上昇、バルブタイミングや吸排気系、圧縮比、フリクションロスの見直しなどの改良により、出力は280 PS/37.5 kgf·mとなる<ref group="注釈">この改良には同社で長年モータースポーツ活動を行っていた林義正率いるワークス部門が関与している。</ref>。また、BNR32ではVスペック系統のみ設定されていたブレンボ製ブレーキキャリパーを全車標準装備とし{{Sfn|家村|1996|p=249}}、Vスペック系統にはアクティブLSDを採用{{Sfn|家村|1996|p=247}}。このアクティブLSDとシンクロして動作するATTESA E-TS PROが搭載されている{{Sfn|家村|1996|p=247}}。車体の特徴として、R32型から全長が130 mm、ホイールベースで105 mm拡大され、全体的にワイドボディ化された。加えてボディも補強され、剛性が高まっている{{Sfn|家村|1996|p=251}}。また新たに角度調整機構付リアスポイラーを採用した<ref name="GTRWORLDNETR33" /><ref name="GTRWORLDNETR33FIRST">{{Cite web|和書|url=http://www.gtr-world.com/gt-r/bcnr33-skyline-gtr-zenki.html |website=GT-Rウェブマガジン |publisher=GTR-WORLD.NET |title=R33GT-R 前期型 |accessdate=2011-09-25}}</ref>{{Sfn|家村|1996|p=243}}。
 
内装の基本的なレイアウトは、センターコンソールの3連メーターなどはBNR32型と同様であるものの、タコメーターにGT-Rのロゴが付いたこと{{Sfn|家村|1996|p=244}}、ハイビームサインが下部から上部へ移設されたことが特徴である。なお前期型のステアリングは、[[日産・マーチ#2代目|K11型マーチ]]など日産のエアバッグ装着車共通のステアリングセンターパッド(握りの部分は専用)が採用されていたが、不評を買ったため、中期型よりスポーティな形状のセンターパッドに変更されている<ref name="GTRWORLDNETR33" />。
 
その他、BCNR33型になり、[[バッテリー]]がトランクルーム奥に設置されるようになった{{Sfn|家村|1996|p=251}}。前期では青基調の内装だったが、後期型では内装内張り・シートが赤色基調に変更されている。
 
==== グレード ====
;標準車
:標準仕様車。
;Vスペック
:アクティブLSD、ATTESA E-TS PROに換装し、専用セッティングの足回りを装着し車高を下げた上位モデル。[[ベストモータリング]]1995年4月号でR33広報車と[[土屋圭市]]のマイカーである市販車Vスペックがレースをしたところ、市販車Vスペックが広報車の標準車よりも遅く、[[広報チューン]]が発覚したこともある<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.youtube.com/watch?v=x_vvXZ-7mgw |title=R33GT-Rデビュー!! 土屋圭市マイカー事件 筑波&鈴鹿バトル!!【Best MOTORing】1995 |publisher=[[ベストモータリング]]公式チャンネル |website=YouTube |accessdate=2018-11-03}}</ref>。
;Vスペック N1
:従来同様N1耐久レース参戦用ベースモデル。カーボンセンターリヤスポイラー、カーボン製アンダーカバー、メタルタービン、空冷式エンジンオイルクーラーなどの専用装備を持ち、軽量化として助手席エアバッグ、エアコン、オーディオ、集中ドアロック、リヤワイパーなどが省かれている。なおボディカラーの設定はホワイトのみ。
;LMリミテッド
:1996年5月にル・マン24時間レース参戦記念として、期間限定で販売されていた特別仕様車。専用色「チャンピオンブルー」が設定されており、角度調整機能付きセンターカーボンウィング、フードトップモールが装備されている。標準車・Vスペック共に設定。
;スカイラインGT-Rオーテックバージョン 40th ANNIVERSARY<ref name="GTRWORLDNETR33AUTHEC">{{Cite web|和書|url=http://www.gtr-world.com/gt-r/bcnr33-skyline-gtr-4door-autech.html |website=GT-Rウェブマガジン |publisher=GTR-WORLD.NET |title=R33GT-R オーテックバージョン |accessdate=2011-09-25}}</ref>
:スカイライン生誕40周年を記念して、1997年10月開催の第32回東京モーターショーで出展、後に注文生産車として市販された。2ドアGT-Rのブリスターフェンダーを再現するため、あえてリアドアとリアフェンダーのプレス型を作り直すなど、一見4ドアGTSのボディをベースにGT-R仕様に改造したような外見をしている(ただしリアは4ドアのテールランプのまま)。1998年1月に正式発売、当時498万5,000円。型式は「BCNR33改」となり、2ドアボディに後部2枚のドアを追加した2ドア改4ドアGT-Rとなる。生産は村山工場で組み立てされた後、座間事業所にて仕上げを施され、出荷された。この型を[[神奈川県警察]]高速道路交通警察隊が白黒[[パトカー]]として、[[埼玉県警察]]が[[覆面パトカー]]としてそれぞれ2台ずつ導入している。生産台数は422台。
;NISMO 400R<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.motormagazine.co.jp/_ct/17286815|title=【あの限定車は凄かった①】N1マシンの心臓を移植したニスモ400R(99台限定/1995年2月1日受注開始/販売価格:1200万円・当時)|publisher=Webモーターマガジン|date=2019-7-11|accessdate=2023-1-14}}</ref>
:NISMOが開発した市販コンプリートカー。[[ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル#チューニングカー]]を参照。このモデルは、RB26DETTエンジンではなく、RB-Xと呼ばれる400馬力を発生するエンジンに換装している。
:余談として「400R」の名称は後に2019年7月にマイナーチェンジが発表された[[日産・スカイラインセダン V37|V37型スカイライン]]の特別仕様車のグレード名として再度用いられている。
;NISMO GT-R LM
:ル・マン24時間レース参戦用ホモロゲーションモデル。1台のみの製作で、イギリスにて登録された。[[ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル#チューニングカー]]を参照。
 
==== 年表 ====
*[[1995年]][[1月6日]] - R33型GT-R発売。ラインアップは標準車とVスペックおよびVスペックN1。
*[[1996年]][[1月22日]] - マイナーチェンジにより中期型へ移行<ref name="GTRWORLDNETR33SECOND">{{Cite web|和書|url=http://www.gtr-world.com/gt-r/bcnr33-skyline-gtr-chuki.html |website=GT-Rウェブマガジン |publisher=GTR-WORLD.NET |title=R33GT-R 中期型 |accessdate=2011-09-25}}</ref>、デュアルSRSエアバッグを標準装備とし、ステアリングデザイン、リアフィニッシャーのデザイン変更、車体色スーパークリアレッドII、ソニックシルバーメタリックの追加など。
*[[1996年]][[5月21日]] - LMリミテッドを2か月限定で販売。
*[[1997年]][[2月3日]] - マイナーチェンジで後期型へ移行<ref name="GTRWORLDNETR33FINAL">{{Cite web|和書|url=http://www.gtr-world.com/gt-r/bcnr33-skyline-gtr-kouki.html |website=GT-Rウェブマガジン |publisher=GTR-WORLD.NET |title=R33GT-R 後期型 |accessdate=2011-09-25}}</ref>、ヘッドランプがプロジェクターキセノンヘッドランプに変更され、リアの右側後退灯がリアフォグランプに変更されたほか、ドア内張りおよびシートを赤基調のものに変更、バンパーが全車N1仕様(通称ブタ鼻タイプ)に変更された。
*[[1998年]][[1月]] - スカイラインGT-Rオーテックバージョン 40th ANNIVERSARY発売。
*[[1998年]][[11月9日]] - 生産終了。以降は在庫分のみの対応となる。総生産台数は1万6422台{{Sfn|高橋|村山|2006|p=71}}。
*[[1998年]][[12月]] - 販売終了。
 
<gallery>
GT-R LM.JPG|GT-R LM
Skyline GT-R Autechversion 40thanniversary.jpg|GT-R オーテックバージョン 40thアニバーサリー。パトカー仕様(フロント)
Image-Skyline GT-R Autechversion 40thanniversary rear.jpg|GT-R オーテックバージョン 40thアニバーサリー。パトカー仕様(リア)
Skyline GT-R Autechversion 40thanniversary interior.jpg|オーテックバージョン 40thアニバーサリー。パトカー仕様
</gallery>
{{-}}
 
=== 5代目 BNR34型(1999年 - 2002年) ===
{{Infobox 自動車のスペック表
| 車種=普通自動車
| 車名=日産・スカイラインGT-R (5代目)
| 車名補=BNR34型
| 1枚目画像の説明=M−Spec Nür
| 1枚目画像名=Nissan Skyline R34 GT-R Nür 001.jpg
| 2枚目画像の説明=
| 2枚目画像名=Nissan Skyline R34 GT-R Nür 002.jpg
| 販売期間=[[1999年]][[1月]] - [[2002年]][[12月]]
| 設計統括=[[渡邉衡三]]
| ボディタイプ=2ドアクーペ
| エンジン=RB26DETT
| エンジン位置=フロント
| 最高出力=280 PS/6,800 rpm
| 最大トルク=40.00 kgf·m/4,400 rpm
| トランスミッション=6速MT
| 駆動方式=四輪駆動
| サスペンション=前後マルチリンク
| 全長=4,600 mm
| 全幅=1,785 mm
| 全高=1,360 mm
| ホイールベース=2,665 mm
| 車両重量= 1,560 kg
| 乗車定員= 4名
| 自由項目1(項目名)=総販売台数
| 自由項目1(内容)=1万1345台{{Sfn|高橋|村山|2006|p=77}}
| 自由項目2(項目名)=共通のプラットフォームを採用する車
| 自由項目2(内容)=[[日産・ローレル]]
| 後継= [[日産・GT-R]]
}}
 
[[1999年]](平成11年)[[1月8日]]販売開始。第2世代最後にしてスカイラインGT-R名義として最後の型である。キャッチコピーは「'''人に翼を'''」。
 
先代同様、第17回東京オートサロンで新車発表。この際、ニスモからはコンプリートカーの状態で展示が行われていただけでなく、いくつかチューニングメーカー、ショップ<ref group="注釈" name="ex04">出展していたのは、[[BLITZ]]、[[MINE's]]、JUNオートの3社。</ref>にも事前に納車され、若干のチューニングが施された車も展示された。生産は2001年(平成13年)まで[[日産自動車村山工場]]、それ以降は[[日産自動車栃木工場]]で行われていた<ref group="注釈" name="ex05">このGT-Rの村山最終生産車両の中の1台を同車開発主管の[[渡邉衡三]]が保有している。</ref>。
 
このBNR34型では、先代BCNR33型で不評であった車体寸法の、縮減を命題としている<ref name="Web Cartop">{{Cite web|和書|author=藤田竜太 |date=2017-02-25 |url= https://www.webcartop.jp/2017/02/83697/ |title=【ニッポンの名車】これぞ究極の1台! 日産スカイラインR34GT-R |website=[[CARトップ|Web CARTOP]] |publisher=[[交通タイムス社]] |accessdate=2020-08-08}}</ref>。ホイールベースで55 mm、全長で75 mmサイズダウンさせ、車軸位置の調整で前後重量配分を約55:45まで改善、車体剛性の算出にはMRS(マルチロードシミュレーター)と呼ぶ動剛性解析システムを導入、前型比で動的ねじれ剛性を56 %、動的曲げ剛性を100 %向上した。空力では、車体全後端の下面を覆う大型[[ディフューザー (自動車)|ディフューザー]]を装備した量産車初のアドバンスドエアロシステムを採用<ref name="R34GT-RHPMECANICAL">{{Cite web|和書|url=http://www.nissan.co.jp/GT-R/R34/0105/DATA/MECHANICAL/index.html |publisher=日産自動車 |title=メカニカル |accessdate=2011-09-25 |deadlinkdate=2019-09-18 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20111113120326/http://www.nissan.co.jp/GT-R/R34/0105/DATA/MECHANICAL/index.html |archivedate=2011-11-13}}</ref>、スタイルは全体を直線基調とし、[[前照灯|ヘッドランプ]]を吊り目タイプに、丸形4灯テールランプはそれまでの均一サイズから、内側ランプを小さくし、中心に[[方向指示器]]を配置、制動灯は外側の赤部分のみが点灯する。また、リアナンバープレートスペース左横に後退灯、右横にリアフォグランプ(赤色)が装備されている。
 
安全面ではサイドエアバッグをオプション設定し、セキュリティ対策としてイモビライザーも採用された。なおBCNR33型に引き続きイギリスへの正規輸出が行われている<ref group="注釈" name="ex06">日本仕様とは特に大きな差異はないが、R34型は現地の法規に合わせた対応(セキュリティの強化やヘッドランプのハロゲンバルブ化(保安基準に適合しなかったための変更)、スピードリミッターを欧州の自主規制値である250 km/hへ引き上げ、および200マイル/hスケールスピードメーターの採用など)や、後に日本仕様のMスペックにも採用された本革シートが装備されている(英国仕様の本皮は[[コノリーレザー|コノリー社]]により手作業で張られたもので、日本のラインナップにはなかった赤色表皮も選択できた)。</ref>。
 
なお、BNR34型では従来の走行面を重視したVスペック系の他、2001年(平成13年)には乗り心地と上質感を重視したMスペックが設定されている<ref name="R34GT-RHPLINEUP">{{Cite web|和書|url=http://www.nissan.co.jp/GT-R/R34/0105/DATA/LINE_UP/index.html |title=ラインアップ |publisher=日産自動車 |accessdate=2011-09-25 |deadlinkdate=2019-09-18 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20111213141334/http://www.nissan.co.jp/GT-R/R34/0105/DATA/LINE_UP/index.html |archivedate=201-11-21}}</ref>。しかしKPGC110型同様排出ガス規制の強化により、平成12年規制への適合はなされず[[2002年]](平成14年)8月に生産終了。生産終了直前の2月26日には最終記念車「Vスペック II Nür(ニュル)」および「Mスペック Nür」が、合計1,000台販売され、2002年(平成14年)1月24日の発表日に即日完売となった。2007年(平成19年)発表となった後継車の[[日産・GT-R]]が「スカイライン」の名称を引き継がなかったため、スカイラインGT-Rとしては2020年(令和2年)現在、このBNR34型が最後となっている。
 
モータースポーツでもR33に引き続いて全日本GT選手権に参戦していたほか、[[ニュルブルクリンク24時間レース]]や[[スーパー耐久]]に「ファルケンGT-R」が参戦していた。
 
==== メカニズムなど ====
第二世代最後のGT-Rとあり、この代でも先進的な技術が採用されている。
 
Vスペックの前方下部に樹脂製、後方下部に量産車初の[[オートクレーブ]]を用いて焼成されたカーボン[[ディフューザー (自動車)|ディフューザー]]や、可変2段リアウイングスポイラーのアドバンスドエアロシステムを採用<ref name="Web Cartop" /><ref name="R34GT-RHPMECANICAL" />。このディフューザーは車体下部前後を覆っており、走行風を取り込んで圧縮・整流させボディ下面を通り、リヤで拡散させることでダウンフォースを発生させる仕組みとなっている(標準車と比べバンパー下部が大きい<ref name="R34GT-RHPLINEUP" />)。さらにフロントバンパーの幅をタイヤハウジングより大きくしているが、これは空気をタイヤハウジングへ溜めさせ、負圧でブレーキを冷却させるためである。
 
タイヤ、ホイールは18インチ化された(サイズは245/40ZR18、18×9Jの[[BBS (自動車部品メーカー)|BBS]]製[[鍛造]]アルミホイール)<ref name="R34GT-RHPMAINEQUIP">{{Cite web|和書|url=http://www.nissan.co.jp/GT-R/R34/0105/DATA/SOUBI/index.html |publisher=日産自動車 |title=主要装備 |accessdate=2011-09-25 |deadlinkdate=2019-09-18 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20090904173359/http://www.nissan.co.jp/GT-R/R34/0105/DATA/SOUBI/index.html |archivedate=2009-09-04}}</ref>ものの、1セットあたり1 kg軽量化<ref name="Web Cartop" />、ブレーキは先代同様引き続き[[ブレンボ]]製を標準装備しているが、本体色の変更(黒から金)の他に取り付けボルトを太いもの(12 mmから14 mm)に変更し、支持剛性を向上させている。トランスミッションはドイツ[[ゲトラグ]]社と共同開発した6速ミッションで、リバースギアにも[[シンクロメッシュ|シンクロ機構]]が装備されている。サスペンションもテンションロッドが一体型のアルミ鍛造のものに変更され、耐久性向上と軽量化を行っている<ref name="R34GT-RHPMECANICAL" />。
LSDは、R33型同様Vスペック系統にアクティブLSDを採用し、アクティブLSD準拠のATTESA E-TS PROを搭載している<ref name="R34GT-RHPMECANICAL" />。
 
エンジンは第2世代最後となるRB26DETT型を搭載。カタログスペックの最大出力280 PSはそのままだが、ギャレット社製C100-GT25型ツインボールベアリングのセラミックタービンの採用と最大過給圧のアップで、最大トルク40.0 kgf·mを達成し<ref name="Web Cartop" />、低回転域トルクの増加で常用速度域における運転性(ドライバビリティー)が向上している。またエンジンのヘッドカバーは赤メタリックで塗装され「SKYLINE GT-R NISSAN」の文字が印刷されたプレートものが使われていた(BNR32、BCNR33までは黒で「NISSAN TWINCAM 24VALVE」)<ref name="R34GT-RHPMECANICAL" />。またNürにおいては金色のカバーが採用されている。
 
車内においては、従来センターコンソール上部に置かれていた3連メーターに代わり、マルチファンクションディスプレイ (MFD) と呼ばれる車両の状態を確認する5.8インチのモニターが搭載され、水温、過給圧などを表示することが出来るようになった(Vスペックとノーマルでは多少表示項目が異なる。また、このMFDは[[道路交通情報通信システム|VICS]]、[[カーウイングス|コンパスリンク]]を搭載した[[カーナビゲーション|カーナビ]]が使用できた<ref name="R34GT-RHPEQUIP">{{Cite web|和書|url=http://www.nissan.co.jp/GT-R/R34/0105/DATA/EQUIPMENT/index.html |title=機能・装備 |publisher=日産自動車 |accessdate=2011-09-25 |deadlinkdate=2019-09-18 o|archiveurl=https://web.archive.org/web/20081103035701/http://www.nissan.co.jp/GT-R/R34/0105/DATA/EQUIPMENT/index.html |archivedate=2008-11-03}}</ref>)。レブランプも搭載され設定値になると赤く光るようになっている。スピードメーターは当時の日産車では例外的に左にタコメーター、右にスピードメーターの配置となっており、Vスペック系統ではタコメーターの3,000 rpm以下の目盛りが圧縮された2段スケール仕様となっている<ref name="R34GT-RHPINTERIOR">{{Cite web|和書|url=http://www.nissan.co.jp/GT-R/R34/0105/DATA/INTERIOR/index.html |title=インテリア |publisher=日産自動車 |accessdate=2011-09-25 |deadlinkdate=2019-09-18 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20081104041233/http://www.nissan.co.jp/GT-R/R34/0105/DATA/INTERIOR/index.html |archivedate=2008-11-04}}</ref>。
 
2000年(平成12年)10月30日のマイナーチェンジでは、リアのブレーキローターを大型化(300 mmからN1仕様同等の322 mmへ)したほか、各種フットペダルをRの文字が入った樹脂製からアルミ製のものへ変更、シフトノブもGT-Rロゴが入ったアルミ製ものに変更されている(細かい所では、[[方向指示器|ターンシグナルランプ]]がオレンジからクリアレンズになった点、センターコンソールのイリジウム調化など)。同時にVスペックはVスペック IIとなり、量産車初となるカーボンボンネット([[東レ]]製の「トレカ」を使用<ref name="TORAYCA">[https://www.torayca.com/lineup/composites/com_011.html 東レ「トレカ」製品ラインアップ 自動車部品]</ref>。なおカーボン地ではなく塗装済)を採用、4kgの軽量化を図ると共に[[NACAダクト]]の追加でタービン付近の温度低減が図られている<ref name="R34GT-RHPMECANICAL" />。
 
==== グレード ====
; 標準車
: 標準仕様車。
; Vスペック
: 上位グレード。アドバンスドエアロシステム、圧縮タコメータ、アクティブLSDおよびATTESA E-TS PRO
; N1
: 従来同様N1耐久レース参戦用ベースモデル。従来同様のN1仕様のエンジン、オイルクーラー、メタルタービンのほか、センターコンソールおよびハンドブレーキが樹脂製となっており、エアコン、オーディオ、リアワイパー、リモコンミラーレスとなっている。なお、このN1で搭載されているφ322 mmブレーキローターは、のちのマイナーチェンジで全車標準装備されている。2000年8月のマイナーチェンジ時にVスペックII準拠のVスペックIIN1に変更される。
; ミッドナイトパープルII
: R34GT-R発売記念として、1999年1月末まで販売されていた。R33型で採用されていたミッドナイトパープル色に[[構造色]](モルフォテックス)を採用したもの。Vスペックと合わせて300台限定。
; ミッドナイトパープルIII
: 1999年10月23日 - 11月3日まで行われていた第33回東京モーターショーに参考出品されていたもので、2000年3月末まで販売されていた特別仕様車。M.N.P.IIと比べ、より光沢感を持たせたものになっている。
; VスペックII
: 2000年8月にマイナーチェンジされた際にVスペックに代わり登場した。主な装備はNACAダクト付きカーボンボンネットの装備など<ref name="R34GT-RHPLINEUP" />。グレードのIIの文字が赤色となっている。
; Mスペック
: 乗り心地と上質感を重視した仕様で、足回りのセッティングの変更がなされ、ハンドメイド縫製の本革ヒーター付きシート、専用ステアリングが付与されている。ボンネットは従来車同様アルミ製で、専用色にシリカブレスが設定されている<ref name="R34GT-RHPLINEUP" />。グレードのMの文字が黒色となっている。
; VスペックII Nür・Mスペック Nür
: [[2002年]][[1月24日]]にR34型GT-Rの生産終了を記念して発表された両グレード合計1,000台限定モデル。Nür(ニュル)とは、GT-Rがテストコースとして使用していた[[ドイツ]]の[[サーキット]]・[[ニュルブルクリンク]] (Nürburgring) の意味である。エンジン、ウォーターポンプ、エキゾーストマニホールドなど、全てがN1仕様となっており、ヘッドカバーを従来の赤メタリックから金色としたN1エンジンにはバランス取りを行っている他、タービンもN1仕様のメタル製タービンである。そのほか、スピードメーターが300 km/hスケールにまで拡大され<ref name="Web Cartop" />、[[銘板|メーカーズプレート]]も金色となっており、従来ステッカー式だったグレードネームもクローム仕上げの立体エンブレムとなった。車体色は新たに限定色としてミレニアムジェイド〈JW0〉が追加されている(ミレニアムジェイドはVスペック II Nür、Mスペック Nürどちらも選べる。ちなみにVスペック II Nür専用色はベイサイドブルー〈TV2〉、Mスペック Nür専用色はシリカブレス〈EY0〉である)。
; NISMO R34GT-R Z-tune
: Vスペック系統の良質中古車から作成したNISMOの市販コンプリートカー<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nismo.co.jp/news_list/news2004/n040075.html|title=ニスモの技術を結集した"世界最強のロードゴーイングカー"「NISMO R34GT-R Z-tune」20台限定発売|publisher=[[ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル|NISMO]]|date=2004-12-20|accessdate=2022-07-04}}</ref>。ニスモ創立20周年アニバーサリーモデルである。内容は[[ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル#チューニングカー]]を参照。20台製作予定の内、実際にユーザーに渡った台数は19台。殆どがNISMOのZ-tuneシルバーだが、日本人のユーザーの希望で大森ファクトリーに何度も断られたが、やっと手に入れることのできたミレニアムジェイド1台とミッドナイトパープル Ⅲ(シャシナンバー10番目)1台がNISMOの大森ファクトリーによって製作された。
 
==== 年表 ====
* [[1999年]][[1月8日]] - 発売。ラインアップは標準車とVスペック、同月末まで発売していたミッドナイトパープルII。
* [[2000年]][[1月7日]] - ミッドナイトパープルIII発売。2000年3月までの期間限定。
* [[2000年]][[10月30日]] - マイナーチェンジにより後期型へ移行。ターンシグナルランプレンズがオレンジからクリア色に、ペダルが樹脂製からメタル製へ変更された外、N1仕様の大型リヤブレーキローターを全車に採用、バンパー意匠の変更などが行われた。同時にVスペックに代わりVスペックIIが登場。同時にアクティブレッド、ライトニングイエローが廃止された。
* [[2001年]][[5月8日]] - Mスペック発売。同時にアスリートシルバー色が廃止された。
* [[2002年]][[1月24日]] - 最終限定車としてVスペックIIニュルおよびMスペックニュルがあわせて1,000台限定で発表し、即日完売。翌月2月26日発売、納車が開始された。
* [[2002年]][[11月]] - 生産終了。以降は在庫分のみの対応となる。生産台数は1万1345台{{Sfn|高橋|村山|2006|p=77}}。
* [[2002年]][[12月]] - 販売終了。
 
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Japanese NISSAN SkylineR34 GTR police car.jpg|alt=GT-R V・SpecII(埼玉県警パトカー)BNR34型GT-Rのパトカーは埼玉県警へ6台(白黒5台、覆面1台)が導入されたのみ。|GT-R V−SpecII(埼玉県警パトカー)<br />BNR34型GT-Rのパトカーは埼玉県警へ6台(白黒5台、覆面1台)が導入されたのみ<ref name="乗りものニュース">{{Cite web |author=柘植優介 |date=2020-08-06 |url= https://trafficnews.jp/post/98933/ |title=まだ現役!? 「スカイラインGT-R」パトカー 伝説の直6エンジンを積む希少車のいま |publisher=[[乗りものニュース]] |accessdate=2020-08-08}}</ref>。
Nissan Skyline - 2 Fast 2 Furious.JPG|GT-R (『[[ワイルド・スピードX2]]』劇中使用車両)
Nissan Skyline GT-R Nismo Z-Tune.jpg|GT-R NISMO Z-Tune
RB26DETT R34.jpg|RB26DETT R34
</gallery>
{{-}}
 
== スカイラインGT-Rのモータースポーツ活動 ==
スカイラインは、初代の時代からモータースポーツに参戦しているが、先述の通りGT-Rは特にモータースポーツ活動に主眼を置いており、初代前期PGC10型/後期KPGC10型GT-Rは、日本国内のレースで後に100勝を達成した[[マツダ]]の[[ロータリーエンジン|ロータリー]]勢としのぎを削りながら、クラス優勝を含む50勝を越す勝ち星を獲得している。
 
その後、R30型スカイライン2000RSやR31型スカイラインGTS-Rの後任としてグループAの頂点を目指すべくGT-R(BNR32型)が復活。BNR32型はデビューからレース活動終了時まで勝ち続け、グループA 29連勝の記録を作った。
 
[[全日本GT選手権]](JGTC)では、[[1993年]]の開幕から2003年シーズンまで、R32からR34までの3世代のモデルが参戦し、すべてのモデルでドライバー若しくはチームのタイトルを獲得している。なおJGTC参戦用の車両は、レギュレーションや車両重量の都合もあり、基本的に市販車の4WDではなくFRを採用している(ただし一部プライベーターが4WDを用いたこともある)。
 
2代目KPGC110型GT-Rは、すでにS20型エンジンが競技力を失い始めているのに加え、大きく重くなったベースシャーシーではマツダ・ロータリー勢に対抗するのは不可能と考えられたため、モータースポーツ活動は行っていない。ただし、C110型としては4気筒セダンの1800GLにラリー用スポーツオプションが用意され、メーカーがプライベーターをサポートしていた。
 
=== 初代(前期PGC10型・後期KPGC10型) ===
[[ファイル:JapanGrandprixGT-R.jpg|thumb|220px|right|スカイライン2000GT-R '71日本グランプリレース大会出場車両のレプリカ]]
*1969年5月 デビュー戦である1969年[[JAFグランプリレース大会]]のクラブマンレース特殊ツーリングカーの部は、[[JAFグランプリ#歴史|大会規定]]により日産の全ワークス選手が参加資格を失ったため、やむなく[[ニッサン・スポーツ・カー・クラブ]] (SCCN) や[[プリンスモータリストクラブ・スポーツ]] (PMC-S) のアマチュア選手5名でワークスチームを編成した。これに対し、ライバルとなるトヨタは[[高橋晴邦]]がワークス選手ではあるが参加資格があった<ref>{{Cite book|和書|author=青地康雄 (ファクトリーチーム監督) |title=初代スカイラインGTR戦闘力向上の軌跡 |date=2014-11-29 |publisher=グランプリ出版 |___location=千代田区 |language=日本語 |isbn=978-4-87687-336-4 |page= |pages=41-44 }}</ref>。予選では[[藤田皓二]]が2分13秒42で1位、以下[[ロバートL.レイガン]]、[[長村瑞臣]]の順でGT-R勢が上位を占め、[[トヨタ・1600GT]]の高橋は藤田に約1.5秒遅れの4位、5位に高橋と同タイムの[[萩原裕]]、1600GTを2台挟んで8位に[[篠原孝道]]という結果であった。決勝で、1速を低速カーブに設定している日産勢は、1速がスタート専用ギアのトヨタ勢にスタートで一斉に遅れた。その後、順調に順位を上げた篠原が先頭の高橋に追いつき一騎打ちとなるが、高橋の巧みなブロックにより順位は変わらないままフィニッシュとなった。しかし高橋は速度で勝る篠原を直線でもブロックしており、これにコース監察の競技役員が走路妨害の疑いを報告し、競技委員会もこれを確認したため、高橋は罰則で1周減算され、総合成績は1位篠原、2位萩原、3位高橋 (クラス1位) となった<ref>{{Cite book|和書|author=青地康雄 (ファクトリーチーム監督) |title=初代スカイラインGTR戦闘力向上の軌跡 |date=2014-11-29 |publisher=グランプリ出版 |___location=千代田区 |language=日本語 |isbn=978-4-87687-336-4 |page= |pages=50-54 }}</ref>。
*1969年10月 「'69日本グランプリレース大会」ツーリングカーレースにてGT-Rが1 - 3位を独占。
*1970年5月 「'70JAFグランプリレース大会」特殊ツーリングカーレースにてGT-Rが1位、2位、4位を獲得する。
*1970年6月 、「全日本富士300マイル」100マイルBレースにて、[[長谷見昌弘]]のドライブするGT-Rが優勝。長谷見はスペアカーで決勝に臨み、最後尾スタートであった。
*[[1971年]]5月 「'71日本グランプリレース大会」ツーリングカーbレースにてGT-Rが1 - 3位、5位を獲得する。
*[[1972年]]3月 「'72富士GCシリーズNo1 富士300キロスピードレース」スーパーツーリングレースにて、GT-Rが豪雨の中、[[高橋国光]]が全車を周回遅れにして1位、通算50勝を達成する。
*1972年9月 「'72GCシリーズ 富士インター200マイルレース大会」スーパーツーリングTS-bcレースにて[[北野元]]が駆ったGT-Rが1位、[[久保田洋史]]が3位、[[正谷栄邦]]が6位を獲得し、通算52勝目を飾る。そして最終的に通算57勝の成績を残した。
 
C10型の強さを語る上の代名詞として「49連勝」というフレーズが昨今において雑誌、広告、DVDなどのメディアにおいて広く使用され認知されている。ただし、この連勝数については諸説があり、例えば[[プリンスの丘公園]]におけるC10型の功績を称える碑には50連勝と書かれていることに対して、モータースポーツ専門誌の『[[Racing On]]』444号では、うち18がクラス優勝<ref group="注釈" name="ex07">37勝目のレースは総合優勝がダットサン240Z、GT-Rはクラス優勝(総合5位)など。</ref>、また1971年7月25日に行われた富士1000kmレースにおいて総合6位(クラス2位)となっているため、連勝記録は46で止まっていると指摘している<ref group="注釈" name="ex08">また43・45勝目はPMCS(プリンス・モータリスト・クラブ・スポーツ)が主催した日産車のみのレース優勝と指摘している。</ref>。なお、日産のモータースポーツ部門であるNISMOはHPにおいて「49勝し更に50勝目も挙げた」という表記を取っている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.nismo.co.jp/M_SPORTS/entertainment/DIRECTORY/vol_5.html |title=日産レースカー名鑑Vol5 SKYLINE GT-R「羊の皮を着た狼」最強グランツーリスモ |publisher=日産自動車 |accessdate=2010-10-04}}</ref>。
 
=== 3代目(BNR32型) ===
[[ファイル:R32 Calsonic Skyline 001.jpg|220px|right|thumb|1990 [[カルソニックカンセイ|カルソニック]] スカイライン<br/>[[ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル|ニスモ]]のエキシビションにて]]
[[1990年]][[全日本ツーリングカー選手権 (1985年-1993年)|全日本ツーリングカー選手権]] (JTC) 第1戦西日本サーキットにてGT-R(グループA仕様)はレースデビュー。レースでは、[[星野一義]]/[[鈴木利男]]組のカルソニックスカイラインがポール・トゥ・ウィンを飾るだけでなく、予選ではコースレコードを2秒近く短縮、決勝ではレースの4分の1を消化した時点ですでに全てのマシンを周回遅れとするなど、(2位でゴールした僚友・[[リーボック]] スカイラインGT-R以外の3番手以降は2周以上の周回遅れ)圧倒的な力の差を見せつけた。その後もシリーズ全戦で[[ポールポジション]]獲得・優勝。翌年度からは徐々に参戦車数が増え、最終シーズン[[1993年]]には7台のGT-Rが参戦、グループA(クラス1)は事実上のワンメイク状態とまで化した。結局、1990年の初戦からJTCというカテゴリーが終了する1993年まで無敗を誇り、最終的に29連勝という偉業を成し遂げる。なおJTCと並行してN1耐久シリーズ(現・[[スーパー耐久]])にもGT-Rで参戦した。グループA終了後は[[全日本ツーリングカー選手権 (1994年-1998年)|JTCC]]と同時に始まった[[全日本GT選手権]](JGTC)に転用される車両もあった。
 
また日本国内だけでなく、国外のレースにも積極的に参戦している。特に[[:en:Australian Touring Car Championship|オーストラリアツーリングカーチャンピオンシップ]]では、[[ジム・リチャーズ (レーサー)|ジム・リチャーズ]]と[[マーク・スカイフ]]のコンビが[[1990年]]・[[1991年]]・[[1992年]]とタイトルを分け合う形で3連覇を果たしており、バサースト1000kmでもこのコンビで連覇を果たしている。あまりにも圧倒的な成績だった事から、1993年のレギュレーションよりクラス2([[スーパーツーリング]])規定の導入でターボとAWD車が禁止となり、最上位のクラスはオーストラリア車(事実上[[フォード・オーストラリア]]と[[ホールデン (自動車)|ホールデン]]の2社)の5.0Lの[[V型8気筒]]エンジン車によるレギュレーションに変更された<ref>{{Cite web |title=オーストラリアを強襲! 伝説のドライバーが語るGT-R「ゴジラ伝説」とは |url=https://www.automesseweb.jp/2021/05/29/672799 |website=AUTO MESSE WEB(オートメッセウェブ) |date=2021-05-29JST11:40:08+9:00 |access-date=2024-01-02 |language=ja |last=交通タイムス社}}</ref><ref name="AUSTRALLIAGT-RREG">{{Cite web|url=https://drivetribe.com/p/godzilla-from-down-under-O0zadl3DRLKnHsNR-Yw9lQ?iid=EUISs-P7QH2vBEmcbmKEVw |website=drivetribute |publisher=drivetribute |title=GODZILLA FROM DOWN UNDER |accessdate=2021-07-14}}</ref>。
 
1993年には元F1ドライバーの[[ルイス・ペレス=サラ]]が[[スペインツーリングカー選手権]]のタイトルを獲得する<ref>{{Cite web |title=Año 1993 circuito Guadalope R32 GTR Luis Perez Salas |url=https://skylinespain.com/wordpress/ano-1993-circuito-guadalope-r32-gtr-luis-perez-salas/ |website=Club Nissan Skyline |date=2019-05-23 |access-date=2023-03-20 |language=es |last=miliocom}}</ref>。またワークスだけでなく、プライベートチームもヨーロッパや北米のレースに数多く参戦していた。
 
ベルギーで開催される世界3大耐久レースの一つ、[[スパ・フランコルシャン24時間レース]]には1990年 - 1992年に出場。1990年はグループNクラスの表彰台を独占した。そして1991年には前年に続き[[キース・オドール]]/[[木下隆之]]/[[ディアク・ショイスマン]]組が総合6位に入ってグループNクラス優勝、さらにグループAクラスで日産ワークスから送り込まれた[[ロバート・ボッシュ (企業)|ZEXEL]]スカイラインが2位以下を20周以上も引き離して総合優勝する快挙を成し遂げている<ref group="注釈" name="BNR32GrAWINNEER">優勝した25号車のドライバーは[[服部尚貴]]/[[アンデルス・オロフソン]]/[[デビッド・ブラバム]]。</ref>。1992年にも引き続きZEXELスカイラインが参戦。前年の圧倒的な成績から、90kgのウェイトハンデを課せられながら<ref name="SPANISMO1">{{Cite web|url=https://www.nismo.co.jp/motorsports/entertainment/GT-R_HISTORY2017/vol7.html |website=NISMO |publisher=NISMO |title=Racing GT-R History Vol.7|accessdate=2021-07-14}}</ref>も、昨年[[旧ドイツツーリングカー選手権|DTM]]参戦の都合上不参加だった[[BMW・M3]]勢を相手に奮戦し、当初はトップを走るものの、エンジン不調からやがて失速。さらにピットイン時にガソリンが引火するアクシデントに遭いリタイヤとなった。
 
1990年11月にはグループAマシンによる[[マカオグランプリ]]・ギアレースに[[長谷見昌弘]]のカストロールスカイラインが参戦。圧倒的な速さで予選トップを獲得、決勝でもその力を見せつけ、1度もトップを譲らずに優勝した。
 
なお余談として、サーキット以外では、1990年に一度だけ[[世界ラリー選手権]] (WRC) の一戦である[[ツール・ド・コルス]]に参戦したことがある。ただし畑違いのこの分野では結果を挙げることはできなかった。
 
<div class="NavFrame" style="clear: both; border:0; width: 80%">
<div class="NavHead" style="text-align: center">JTCおよびN1耐久の戦績</div>
<div class="NavContent" style="text-align: left">
;[[1990年]]
: 全日本ツーリングカー選手権 (JTC) に2台(星野一義/鈴木利男=カルソニック、長谷見昌弘/[[アンデルス・オロフソン]]=リーボック)参戦。6戦全勝。シリーズチャンピオンは星野一義(5勝)が獲得。
: N1耐久「富士6時間」に参戦、優勝
;[[1991年]]
: JTCに4台参戦。6戦全勝。 シリーズチャンピオンは長谷見昌弘(3勝)が獲得。
: N1耐久ラウンドシリーズ参戦、6戦5勝。シリーズチャンピオンは[[清水和夫]]が獲得。
;[[1992年]]
: JTCに7台参戦。8戦全勝。シリーズチャンピオンは長谷見昌弘(2勝)が獲得。
: N1耐久ラウンドシリーズ参戦、7戦全勝。シリーズチャンピオンは[[桂伸一]]/[[原貴彦]]が獲得。
;[[1993年]]
: JTCに7台参戦。9戦全勝。シリーズチャンピオンは[[影山正彦]](4勝)が獲得。
: [[全日本GT選手権]](JGTC)参戦、3戦全勝。影山正彦がドライバーズタイトル獲得。
: N1耐久ラウンドシリーズ参戦、8戦全勝。シリーズチャンピオンは桂伸一/原貴彦が獲得。
;[[1994年]]
: JGTCに参戦。5戦2勝。 ドライバーズ(影山正彦)、チーム(インパル)の二冠タイトル獲得。
: N1耐久ラウンドシリーズ参戦、8戦全勝。シリーズチャンピオンは[[都平健二]]/[[河合博之 (ドライバー)|河合博之]]が獲得。
</div></div>
 
=== 4代目(BCNR33型) ===
[[ファイル:GT-RLMKeepTheDream.jpg|thumb|220px|right|ル・マン24時間レース参戦車両]]
; [[1995年]]
: [[1995年の全日本GT選手権|全日本GT選手権]]で[[マレリ (企業)|カルソニック]]・[[ホシノインパル|ホシノレーシング]]の[[影山正彦]]がドライバーズタイトル獲得<ref>{{Cite web|和書|url=http://supergt.net/archive/classic/supergt.net/jgtc/race/1995/95ranking.htm |title=1995 シリーズポイントランキング |accessdate=2011-09-25}}</ref>。
 
[[1995年のル・マン24時間レース|ル・マン24時間レース]]に投入したGT-Rは、車両レギュレーションで定められた、「同一車種に4ドア車が存在する車種はエントリーから除外する」という規定をクリアするため、「'''日産NISMO GT-R LM'''」という独立した車種を製作。[[イギリス]]でナンバーを取得し車両公認を得た上で規定に合致させるという手法を取った。「公認を得た“ロードカー”を最低1台製作すること。ただし販売の義務はない」という、中小規模のメーカーに対して門戸を開放するために設けられた規定条項を利用したものだった。このため、'''BCNR33型でありながら「スカイラインを名乗らないGT-R」'''となっている<ref>[https://car-me.jp/articles/7300 スカイラインを名乗れなかったGT-R…世界に1台しか存在しないモデル「GT-R LM」とは] 自動車ニュースCarMe 2020年1月6日</ref>。競技車両同様、前後トレッドを拡大したほか、BCNR33型GT-Rに採用されている4WDを廃してFR二輪駆動に改められるなどの改良が施された。また前部バンパーにコーナリングランプが設けられている他、テールランプが丸形四灯ではなく角形ランプを円形の[[ケーシング]]に収めたものとなっているなどの外観上の差異がある。日産自動車が[[座間市]]の日産ヘリテージコレクションにて動態保管しており、ニスモフェスティバルなどのイベントで走行することがある<ref>[https://www.nissan.co.jp/HERITAGE/DETAIL/152.html NISMO GT-R LM 1995年ル・マン24h出場車] NISSAN HERITAGE記念車一覧</ref>。
; [[1998年]]
: [[1998年の全日本GT選手権|全日本GT選手権]]で[[ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル|NISMO]]から参戦した[[エリック・コマス]]/[[影山正美]]組がシリーズタイトル獲得。
 
=== 5代目(BNR34型) ===
[[ファイル:R34 Xanavi Skyline 001.JPG|220px|right|thumb|2003 [[ザナヴィ]]・ニスモGT-R]]
;[[1999年]]
:JGTCに参戦。GT500クラスに1月に発売されたBNR34型が3台、前年度モデルであるBCNR33型が2台。「ペンズオイル・ニスモGTR」(エリック・コマス)が2年連続のシリーズチャンピオンを獲得したが、チームタイトルはTOYOTA Castrol TEAM [[トムス|TOM'S]]のスープラだった<ref>{{Cite web|url=http://supergt.net/archive/classic/supergt.net/jgtc/ex/gtc_cham/1999/srank99.htm |title=AUTOBACS CUP GT Championship 1999 - Series Ranking |accessdate=2011-09-25}}</ref>。
: スーパー耐久シリーズに参戦。JGTC同様BNR34型が参戦し、「日産プリンス千葉GT-R★FALKEN」がシリーズチャンピオンを獲得した。
<div class="NavFrame" style="clear: both; border:0; width: 80%">
<div class="NavHead" style="text-align: center">JGTCの戦績</div>
<div class="NavContent" style="text-align: left">
7月 第4戦(セントラルパークMINEサーキット)
: 優勝「ペンズオイル・ニスモGT-R」(E.コマス/本山)
</div></div>
<div class="NavFrame" style="clear: both; border:0; width: 80%">
<div class="NavHead" style="text-align: center">スーパー耐久シリーズの戦績</div>
<div class="NavContent" style="text-align: left">
4月 第1戦 「MINEスーパー500kmレース」(セントラルパークMINEサーキット)
: 優勝「プリンス東京フジツボGT-R」([[砂子塾長|砂子智彦]]/[[山田英二]])
4月 第2戦 「ハイランド・スーパー耐久レース」(仙台ハイランドレースウェイ)
: 優勝「日産プリンス千葉GT-R★FALKEN」(竹内/田中)
5月 第3戦 「Super耐久 SUZUKA 200miles」(鈴鹿サーキット)
: 優勝「日産プリンス千葉GT-R★FALKEN」(竹内/田中)
6月 第4戦 「TI 400km耐久レース」(TIサーキット英田)
: 優勝「プリンス東京フジツボGT-R」(砂子/山田)
7月 第5戦 「第6回十勝24時間耐久レース」(十勝インターナショナルスピードウェイ)
: 優勝「日産プリンス千葉GT-R★FALKEN」(竹内浩典/田中哲也/近藤真彦)
9月 第6戦 「もてぎスーパー耐久レース」(ツインリンクもてぎ)
: 優勝「ダイシンアドバンGT-R」(福山/大八木)
10月 第7戦 「Super TEC」(富士スピードウェイ)
: 優勝「日産プリンス千葉GT-R★FALKEN」(竹内/田中)
11月 第8戦 「SUGOスーパー耐久レース」(スポーツランド菅生)
: 優勝「プリンス東京フジツボGT-R」(砂子/山田)
</div></div>
 
;[[2000年]]
: 全日本GT選手権に参戦。GT500クラスにBNR34型が4台参戦。
: スーパー耐久シリーズに参戦。「5 ZIGEN☆ファルケンGTR」がシリーズチャンピオンを獲得。
<div class="NavFrame" style="clear: both; border:0; width: 80%">
<div class="NavHead" style="text-align: center">JGTCの戦績</div>
<div class="NavContent" style="text-align: left">
4月 第1戦 「もてぎGTチャンピオンレース」(ツインリンクもてぎ)
: 優勝「LOCTITE ゼクセルGT-R」(E.コマス/影山正美)
6月 スペシャルステージ「ジャパンGTフェスティバルinマレーシア」(SEPANG CIRCUIT)
: 優勝「Castrol NISMO GT-R」(片山/M.クルム)
9月 第6戦 「CP MINE GTレース」(セントラルパークMINEサーキット)
: 優勝「カルソニック・スカイライン」(星野/本山)
</div></div>
 
<div class="NavFrame" style="clear: both; border:0; width: 80%">
<div class="NavHead" style="text-align: center">スーパー耐久シリーズの戦績</div>
<div class="NavContent" style="text-align: left">
3月 第1戦 「CP MINEスーパー耐久500kmレース」(セントラルパークMINEサーキット)
: 優勝「ダイシン・アドバンGTR」(大八木信行/青木孝行)
4月 第2戦 「ハイランド・スーパー耐久レース」(仙台ハイランドレースウェイ)
: 優勝「5 ZIGEN☆ファルケンGTR」(竹内浩典/田中哲也)
5月 第3戦 「スーパー耐久 鈴鹿200マイル」(鈴鹿サーキット)
: 優勝「5 ZIGEN☆ファルケンGTR」(竹内/田中)
6月 第4戦 「TIスーパー耐久」(TIサーキット英田)
: 優勝「5 ZIGEN☆ファルケンGTR」(竹内/田中)
9月 第6戦 「もてぎスーパー耐久レース」(ツインリンクもてぎ)
: 優勝「5 ZIGEN☆ファルケンGTR」(竹内/田中)
10月 第7戦 「Super TEC」(富士スピードウェイ)
: 優勝「エンドレスアドバンGTR」(木下/高木)
10月 第8戦 「SUGOスーパー耐久レース」(スポーツランド菅生)
: 優勝「ダイシン・アドバンGTR」(大八木/青木)
8月 「インターテックinコリア」(チャンワォンストリートサーキット)にS耐シリーズ出場車が参戦
: 優勝「5 ZIGEN☆ファルケンGTR」(竹内浩典/田中哲也)
</div></div>
 
;[[2001年]]
: JGTC参戦。GT500クラスにBNR34型が3台参戦し、ドライバーズチャンピオンはスープラの竹内浩典・立川祐路に奪われるが、「ニスモ」が2001年JGTCチームチャンピオンを獲得<ref>{{Cite web|url=http://supergt.net/archive/classic/supergt.net/jgtc/ex/gtc_cham/2000/srank00.htm |title=2000 AUTOBACS CUP ALL JAPAN GT CHAMPIONSHIP - Point Ranking |accessdate=2011-09-25}}</ref>。
: スーパー耐久シリーズに参戦。「FALKEN GT-R」が5年連続となるシリーズチャンピオンを獲得。
<div class="NavFrame" style="clear: both; border:0; width: 80%">
<div class="NavHead" style="text-align: center">JGTCの戦績</div>
<div class="NavContent" style="text-align: left">
8月 第4戦 「ジャパンスペシャルGTカップ」(富士スピードウェイ)
: 優勝「ザナヴィ ヒロト GT-R」(M.クルム/田中)
</div></div>
 
<div class="NavFrame" style="clear: both; border:0; width: 80%">
<div class="NavHead" style="text-align: center">スーパー耐久シリーズの戦績</div>
<div class="NavContent" style="text-align: left">
3月 第1戦 「CP MINE スーパー耐久500kmレース」(セントラルパークMINEサーキット)
: 優勝「トトムFUJITSUBO GTR」(砂子塾長/山田英二)
4月 第2戦 「Hi-landスーパー耐久レース」(仙台ハイランドレースウェイ)
: 優勝「FALKEN GT-R」(竹内浩典/田中哲也)
5月 第3戦 「鈴鹿300マイル」(鈴鹿サーキット)
: 優勝「トトムFUJITSUBO GTR」(砂子/山田)
6月 第4戦 「もてぎスーパー耐久レース」(ツインリンクもてぎ)
: 優勝「FALKEN GT-R」(竹内/田中)
7月 第5戦 「第8回十勝24時間耐久レース」(十勝インターナショナルスピードウェイ)
: 優勝「ダイシンアドバンGT-R」(大八木信行/青木孝行/横島 久)
9月 第6戦 「TIスーパー耐久&F3レース」(TIサーキット英田)
: 優勝「FALKEN GT-R」(竹内/田中)
10月 第7戦 「SUGOスーパー耐久レース」(スポーツランド菅生)
: 優勝「FALKEN GT-R」(竹内/田中)
11月 第8戦 「Super TEC」(富士スピードウェイ)
: 優勝「トトムFUJITSUBO GTR」(砂子/山田)
</div></div>
 
;[[2002年]]
: 全日本GT選手権に参戦。GT500クラスにBNR34型が3台参戦した。第3戦にはRB26DETT型に替わり、本来スカイラインGT-Rに用いられていないV型6気筒のVQ30DETT型を搭載するGT-Rが登場。第5戦以降は全てVQエンジン搭載となる。
: スーパー耐久シリーズに参戦。「エンドレスアドバンGT-R」がシリーズチャンピオンを獲得。
<!-- <div class="NavFrame" style="clear: both; border:0; width: 80%">
<div class="NavHead" style="text-align: center">JGTCの戦績</div>
<div class="NavContent" style="text-align: left">
</div></div> -->
 
<div class="NavFrame" style="clear: both; border:0; width: 80%">
<div class="NavHead" style="text-align: center">スーパー耐久シリーズの戦績</div>
<div class="NavContent" style="text-align: left">
3月 第1戦 「CP MINE スーパー耐久500kmレース」(セントラルパークMINEサーキット)
: 優勝「FALKEN☆GT-R」(竹内浩典/田中哲也)
4月 第2戦 「Hi-landスーパー耐久レース」(仙台ハイランドレースウェイ)
: 優勝「エンドレスアドバンGT-R」(木下/青木)
5月 第3戦 「スーパー耐久鈴鹿300マイル」(鈴鹿サーキット)
: 優勝「エンドレスアドバンGT-R」(木下/青木)
6月 第4戦 「もてぎスーパー耐久500」(ツインリンクもてぎ)
: 優勝「エンドレスアドバンGT-R」(木下/青木)
9月 第6戦 「TIスーパー耐久」(TIサーキット英田)
: 優勝「FALKEN☆GT-R」(竹内/田中)
10月 第7戦 「SUGOスーパー耐久レース」(スポーツランド菅生)
: 優勝「エンドレスアドバンGT-R」(木下/青木)
11月 第8戦 「Super TEC」(富士スピードウェイ)
: 優勝「FALKEN☆GT-R」(竹内/田中)
</div></div>
 
;[[2003年]]
[[ファイル:R34 Motul Skyline 001.JPG|thumb|220px|right|2003 [[:en:Motul|モチュール]]・ピットワークGT-R]]
: JGTC GT500クラスに参戦。GT500クラスドライバーズチャンピオンおよびチームチャンピオンを獲得した。
: スーパー耐久シリーズに参戦。
: この年を最後にスカイラインGT-RによるJGTC参戦は終了し、[[日産・フェアレディZ Z33|フェアレディZ]]に移行した。
: 2003年5月 [[ニュルブルクリンク24時間レース]]に「ファルケンGT-R」が参戦。総合53位 A8クラス3位。ドライバーは木下隆之/田中哲也/[[ローランド・アッシュ]]/ダーク・ショイスマン。
 
<div class="NavFrame" style="clear: both; border:0; width: 80%">
<div class="NavHead" style="text-align: center">JGTCの戦績</div>
<div class="NavContent" style="text-align: left">
: 5月 第2戦 富士スピードウェイ 1 - 2フィニッシュ。2001年8月のJGTC第4戦以来、約2年ぶりの優勝。
: 11月 最終戦 鈴鹿サーキット 総合優勝、総合3位、4位入賞
</div></div>
 
<div class="NavFrame" style="clear: both; border:0; width: 80%">
<div class="NavHead" style="text-align: center">スーパー耐久シリーズの戦績</div>
<div class="NavContent" style="text-align: left">
: 6月 第3戦 「スーパーテック」(富士スピードウェイ) 総合優勝 「エンドレスアドバンGT-R」(木下みつひろ/青木孝行)
: 6月 第4戦 「CP-MINE500kmレース」 総合優勝 スーパー耐久90連勝達成
</div></div>
 
=== 誕生日(フィクション) ===
* [[1985年]] - ジョルノ・ジョバァーナ(汐華初留乃)、漫画『[[ジョジョの奇妙な冒険]][[黄金の風|Part5 黄金の風]]』の主人公<ref>{{Twitter status|jumputi_heroes|1515208369014988800}}</ref>
* [[2002年]] - 緑仙、[[にじさんじ]]に所属している[[バーチャルYouTuber]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.youtube.com/watch?v=UE_aaBoiimw |title=【新衣装お披露目】18歳の誕生日です、わ~い!【にじさんじ {{!}} 緑仙】 |work=[[YouTube]] |accessdate=9 May 2023}}</ref>
* [[2018年]]<ref group="注">作中の時間設定である2034年時点で16歳であることから逆算。</ref> - 春日部ハル、ゲーム『[[Tokyo 7th シスターズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://t7s.jp/character/chara/01.html |title=春日部ハル |accessdate=9 May 2023 |work=『Tokyo 7th シスターズ』 |publisher=[[DONUTS (企業)|DONUTS]]}}</ref>
* 生年不明 - [[ハイスクールD×Dの登場人物#兵藤一誠|兵藤一誠]]、小説・アニメ『[[ハイスクールD×D]]』の主人公<ref>{{Twitter status|ishibumi_ddd|582431415259660289}}</ref>
* 生年不明 - 桜市子、漫画・アニメ『[[貧乏神が!]]』の主人公
* 生年不明 - 桜ノ宮心菜、漫画『[[ピンク♥♥イノセント|ピンク💕イノセント]]』の主人公
* 生年不明 - 宿海仁太、アニメ・漫画『[[あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。]]』の主人公
* 生年不明 - 化野紅緒、漫画・アニメ『[[双星の陰陽師]]』のヒロイン
* 生年不明 - [[ポムポムプリン]]、[[サンリオ]]のキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.puroland.jp/character/pompompurin/ |title=ポムポムプリン |publisher=サンリオピューロランド |accessdate= 9 May 2023}}</ref>
* 生年不明 - 有栖川ひまり(キュアカスタード) 、アニメ『[[キラキラ☆プリキュアアラモード]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.asahi.co.jp/precure/kirakira/character/curecustard.html#category |title=キュアカスタード(有栖川ひまり) |work=キラキラ☆プリキュアアラモード |publisher=[[朝日放送テレビ|ABC-A]]・[[東映アニメーション]] |accessdate= 9 May 2023}}</ref>
* 生年不明 - ルル、漫画・アニメ『[[シャーマンキング]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 若松孝輔、漫画・アニメ『[[黒子のバスケ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|kurobasanime|588356402000699392}}</ref>
* 生年不明 - 花山一雅、漫画・アニメ『[[ハイキュー!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=古舘春一|authorlink=古舘春一|year=2014|title=ハイキュー!!|publisher=集英社〈ジャンプ・コミックス〉|___location=|isbn=978-4-08-880275-6|quote=|date=|volume=14巻|page=86}}</ref>
* 生年不明 - 星海光来、漫画・アニメ『ハイキュー!!』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=古舘春一|authorlink=古舘春一|year=2017|title=ハイキュー!!|publisher=集英社〈ジャンプ・コミックス〉|isbn=978-4-08-881213-7|volume=28巻|page=66}}</ref>
* 生年不明 - 若村麓郎、漫画・アニメ『[[ワールドトリガー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|w_trigger_off|1117804962099204096}}</ref>
* 生年不明 - 石鏡悠斗、漫画・アニメ『[[双星の陰陽師]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 君下敦、漫画・アニメ『[[DAYS (漫画)|DAYS]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|days_anime|739381408179884032}}</ref>
* 生年不明 - 仲村柚葉、漫画『[[國崎出雲の事情]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 雀堂京一、漫画『[[翼くんはあかぬけたいのに]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - パトリシア・マーティン、漫画・ゲーム・アニメ『[[らき☆すた]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite journal|和書|date=2007-09|title=ら・ら・ら らき☆すた ファンブック|journal=[[月刊コンプエース]](付録)|page=9|publisher=[[角川書店]]}}</ref>
* 生年不明 - 白水哩、漫画・アニメ『[[咲-Saki-|咲-Saki-阿知賀編 episode of side-A]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://sciasta.com/characters.html |title=白水 哩(しろうず まいる) |publisher=[[小林立]] |accessdate=9 May 2023 |work=『咲-Saki-』}}</ref>
* 生年不明 - 桐奈々美、漫画・アニメ『[[まりあ†ほりっく]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 福家亮平、漫画『[[共鳴せよ!私立轟高校図書委員会]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 奥平あきら、漫画・アニメ『[[青い花 (漫画)|青い花]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - ライラック、漫画・アニメ『[[ネト充のススメ]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 闇口崩子、小説『[[戯言シリーズ]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 一色いろは 、小説・アニメ『[[やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tbs.co.jp/anime/oregairu/news/news20200416_01.html |title=ハッピーバースデーいろは! |access-date=9 May 2023 |publisher=[[TBS]] [[渡航]]、[[小学館]]/やはりこの製作委員会はまちがっている。完 |date=16 Apr 2020}}</ref>
* 生年不明 - 伊集院薫、アニメ『[[多田くんは恋をしない]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://tadakoi.tv/chara03.html |title=伊集院薫 |accessdate= 9 May 2023 |work=『多田くんは恋をしない』 |publisher=TADAKOI PARTNERS}}</ref>
* 生年不明 - 西原恵子、ゲーム『[[アイドル雀士スーチーパイ]]』シリーズに登場するキャラクター
* 生年不明 - 洪潤星、ゲーム『[[ソウルシリーズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://bandainamco-am.co.jp/am/vg/soulcalibur2/special/chara/03.php |title=洪 潤星(ホン ユンスン) |work=『SOUL CALIBUR Ⅱ』 |accessdate= 9 May 2023 |publisher=[[バンダイナムコアミューズメント]]}}</ref>
* 生年不明 - 三上冴子、ゲーム『[[トゥルー・ラブストーリー]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 秋穂みのり、ゲーム『[[ときめきメモリアルドラマシリーズ]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 二村英樹、ゲーム『[[ダブルキャスト (ゲーム)|ダブルキャスト]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author1=ザ・プレイステーション編集部 |author2=アミューズメント書籍編集部 |title=「やるドラ」攻略シリーズ ダブルキャスト 公式ガイド |series=The PlayStation BOOKS |publisher=[[SBクリエイティブ|ソフトバンク 出版事業部]] |date=1998-07-15 |page=26 |isbn=4-7973-0678-5}}</ref>
* 生年不明 - メリヤス、ゲーム『[[どうぶつの森シリーズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nintendo.co.jp/character/mori/namelist/m04.html |title=住民名簿 4月 メリヤス |access-date= 9 May 2023 |publisher=[[任天堂]] |work=『どうぶつの森』}}</ref>
* 生年不明 - 芹沢香穂、ゲーム『[[夏色の砂時計]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - マリー・ルーデル、ゲーム『[[さくらシュトラッセ]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 桜街紗那、ゲーム・漫画・アニメ『[[Z/X]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|zxtcg|1250438746001920000}}</ref>
* 生年不明 - 巽レン、ゲーム『[[ステーションメモリーズ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|ekimemo|1250582176355233792}}</ref>
* 生年不明 - 鳶沢みさき、ゲーム・漫画・アニメ『[[蒼の彼方のフォーリズム]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - エルフェン、ゲーム・アニメ・小説・漫画『[[夢王国と眠れる100人の王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=30&cate=name&cont=Elfen |title=エルフェン |access-date=9 May 2023 |publisher=[[ジークレスト|G CREST]] |work=『夢王国と眠れる100人の王子様』}}</ref>
* 生年不明 - ゴールドシチー、ゲーム・アニメ『[[ウマ娘 プリティーダービー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://umamusume.jp/character/detail/?name=goldcity |title=ゴールドシチー |publisher=[[Cygames]] |accessdate= 9 May 2023 |work=『ウマ娘 プリティーダービー』}}</ref>
* 生年不明 - 馬飼つつじ、メディアミックス『[[魔法少女大戦]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 小板橋瑠璃、メディアミックス『魔法少女大戦』に登場するキャラクター
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注"}}
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
 
== 参考文献 ==
*{{Cite book|和書|title=最速GT‐R物語ーR33GTR 史上最強のハコを創った男たち |last=家村 |first=浩明 |publisher=双葉社 |year=1996 |isbn=9784575286601 |ref=harv}}
*{{Cite book|和書|title=オーナーズバイブル スカイライン32GT-R |volume=3 |series=ニューズムック |publisher=ニューズ出版 |year=2006 |editor1-last=高橋 |editor1-first=明 |editor2-last=村山 |editor2-first=佐知子 |isbn=978-4891074333 |asin=B07RPY7NPJ |ref=harv}}
 
== 関連項目 ==
{{commons&cat|April 16|16 April}}
* [[日産自動車]]
{{新暦365日|4|15|4|17|[[3月16日]]|[[5月16日]]|[[4月16日 (旧暦)|4月16日]]|0416|4|16}}
* [[プリンス自動車工業]]
{{1年の月と日}}
* [[日産・スカイライン]] - ベース車両。
* [[日産・ローレル]] - 4代目、5代目のプラットフォーム共用車種
* [[日産・GT-R]] - [[2007年]]に登場した後継車種。
* [[日産・S20型エンジン]] - KPGC10まで搭載していたエンジン。
* [[日産・RB26DETT]] - R32型からR34型まで搭載していたエンジン。
* [[ATTESA E-TS]]
* [[HICAS]]
* [[モータースポーツ]]
* [[全日本ツーリングカー選手権]] (JTC)
* [[全日本GT選手権]] (JGTC)
* [[ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル]] (nismo)
* [[桜井眞一郎]]
* [[海老原勝]]
* [[伊藤修令]]
* [[渡邉衡三]]
* [[SKYLINE 50th ANNIVERSARY CD]]
* [[永井真里子]]
* [[ミッドナイトパープル]]
 
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Nissan Skyline GT-R}}
=== 博物館 ===
* [http://www.prince-skyline.com/ プリンス&スカイラインミュウジアム]
 
{{NISSAN Timeline(初期)}}
{{1980-1999 NISSAN Timeline}}
{{NISSAN Timeline}}
{{自動車}}
 
{{デフォルトソート:につさんすかいらいんGTR}}
[[Category:日産の車種|すかいらいんGTR]]
[[Category:セダン]]
[[Category:クーペ]]
[[Category:四輪駆動車]]
[[Category:スポーツカー]]
[[Category:レーシングカー]]
[[Category:グッドデザイン賞受賞車 (自動車)]]<!--4代目-->