「澪標住吉神社」の版間の差分
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|画像 = [[File:Miotukusi-sumitosi1.jpg|300px]]
|所在地 = 大阪府大阪市此花区伝法3-1-6
{{ウィキ座標2段度分秒|34|41|22.6|N|135|27|15.3|E|region:JP-27_type:landmark|display=inline,title}}
|祭神 = [[住吉三神|住吉大神]]
|社格 = 旧[[村社]]
|創建 = [[延暦]]23年([[804年]])
|本殿 =
|別名 =
|札所等 =
|例祭 = 8月1日(夏祭)
|神事 =
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'''澪標住吉神社'''(みおつくしすみよしじんじゃ)は、[[大阪府]][[大阪市]][[此花区]][[伝法 (大阪市)|伝法]]に鎮座する[[神社]]。
[[伝法川 (大阪府)|伝法川]]跡の北岸(右岸)に鎮座する。[[伝法町|伝法]]の集落は伝法川を境に北組と南組に分かれていたが、当社は北組の[[鎮守]]にあたる。
== 祭神 ==
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社名は、浪速津の川口に建てられた[[澪標]]に因る。
浪華八十島の1つで、[[延暦]]23年([[804年]])[[遣唐使]]の一行がこの島の景勝に感じて、航海の安泰を祈願するために島の一角に住吉四柱神を奉祀。島民が祭壇跡に祠を建立して帰路の印に澪標を建てたという。
中世には京へは大物の浦より[[神崎川 (大阪府・兵庫県)|神崎川]]を遡行して寂れたが、[[豊臣秀吉]]の[[大坂城]]築城では伝法口として湾内随一の要津となり、また、水質にも恵まれ、[[灘五郷]]に先駆して酒造の本場となり、[[江戸時代]]には[[樽廻船]]で販路は江戸・東北・北海道に及び、航海の守護神として崇敬された。
*[[明治]]5年([[1872年]])村社に列す。
* 明治42年([[1909年]])12月18日伝法5丁目の村社住吉神社(住吉四神)を合祀。
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* 榎稲荷神社 榎大神・稻荷大神
* 大阪えびす社・光石社
== 周辺 ==
* [[鴉宮]]
* [[旧鴻池本店]]
* [[大阪市立伝法小学校]]
* [[大阪市立此花中学校]]
* [[正蓮寺川]]
* [[淀川]]
== 交通アクセス ==
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* 井上正雄 『大阪府全志』 (1922){{全国書誌番号|73012615}}
* 大阪府神道青年会 『大阪府神社名鑑』 (1971)[http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I002040239-00 国立国会図書館サーチ]
{{神道 横}}
{{DEFAULTSORT:みおつくしすみよししんしや}}
[[Category:大阪市の神社]]
[[Category:住吉神社]]
[[Category:此花区の歴史]]
{{Shinto-stub}}
[[Category:此花区の建築物]]
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