ページ「聖ヨハネ騎士団」と「ハッピー・バースデー (the pillowsの曲)」の間の差分

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{{Infobox Single <!-- プロジェクト:楽曲 をご覧ください -->
'''聖ヨハネ騎士団'''( Knights Hospitaller)は、[[11世紀]]に起源をもち、本来は聖地巡礼に訪れた[[キリスト教徒]]の保護を任務とした[[騎士修道会]]だが、聖地防衛の主力として活躍した。'''ホスピタル騎士団'''(Knights Hospitaller)ともいい、本拠地を移すに従って'''ロードス騎士団'''、'''マルタ騎士団'''とも呼ばれる。
| Name = ハッピー・バースデー
| Artist = [[the pillows]]
| Album = [[ムーンダスト (the pillowsのアルバム)|ムーンダスト]]
| A-side = ハッピー・バースデー
| B-side = 都会のアリス<br/>クオーター 莫逆の友
| Released = [[2013年]][[9月16日]]
| Format = [[シングル|マキシシングル]]
| Recorded = 2013年<br/>{{JPN}}
| Genre = ロック
| Length = 12分32秒
| Label = [[avex trax]]
| Producer =
| Writer = [[山中さわお]]
| Reviews =
| Chart position = *週間18位 ([[オリコンチャート|オリコン]])
| Certification =
| Last single = [[エネルギヤ (曲)]]<br/>([[2012年]])
| This single = '''ハッピー・バースデー'''<br/>(2013年)
| Next single = '''[[About A Rock'n'Roll Band]]'''<br/>([[2014年]])
| Misc =
}}
「'''ハッピー・バースデー'''」は、[[the pillows]]の35枚目の[[シングル]]。バンド結成記念日である[[2013年]][[9月16日]]に[[avex trax]]から発売された。
 
== 設立概要 ==
約1年間の活動休止期間を経て、前作「[[エネルギヤ (曲)|エネルギヤ]]」から1年9か月ぶりに発売されたシングル。<br/>
1023年ごろ[[アマルフィ]]の商人が、[[エルサレム]]の[[洗礼者ヨハネ|洗礼者聖ヨハネ]]修道院の跡に、病院を兼ねた巡礼者宿泊所を設立したことに始まる。第1回[[十字軍]]の後、[[プロヴァンス]]のジェラールの努力によって、1113年に[[教皇]][[パスカリス2世]]から、[[騎士修道会]]として正式な承認を得た。当初は、病院・宿泊所としての役割が強かったが、やがて、1119年に設立された[[テンプル騎士団]]と同様に軍事的要素を強めていった。この時代は聖ヨハネ騎士団か病院([[ホスピタル]])騎士団と呼ばれる。
2013年9月16日をもってバンド結成25周年期間に突入する結成25周年記念シングルとして発売された。<br/>
 
表題曲「ハッピー・バースデー」は、“自殺未遂を繰り返す人の心情ってどういうものなんだろう?”という発想が出発点になっており、“死んでもいいと思っても結局死ななかった”という事実に対するある種イヤミの言葉・強烈な皮肉が「ハッピー・バースデー」であるとしている<ref name="cast">笹川清彦「[http://pillows.jp/s/special/special-20130916/ the pillows「ハッピー・バースデー」Special Interview]」 、[[the pillows]]公式HP & [[Interview File Cast]] vol. 48、2013年9月7日。</ref>。<br/>
騎士修道会は十字軍国家の防衛の主力となり、聖ヨハネ騎士団だけで、2つの大要塞と140の砦を守っていた。
また山中は、これまで曲のタイトルにはオリジナリティのある言葉を使うことが多かったが、この曲にはあえて「バイバイ」や「ありがとう」のような日常の言葉を付けたかったとインタビューで答えている<ref name="emtg">EMTG「[https://music.fanplus.co.jp/special/2013090263909a5e2 アニバーサリーシングルは闇から光を求めるthe pillowsらしいバースデー・ソング]」、[[EMTG]]、2013年9月13日。</ref>。<br/>
1187年にエルサレムが陥落した後も、[[トリポリ]]や[[アッコン]]を死守していたが、1291年、遂に最後のキリスト教徒の砦アッコンが陥落した後は、[[キプロス王国|キプロス]]に逃れた。この後は、海軍([[海賊]])勢力となり、イスラム勢力と戦ったが、キプロス王が彼らの存在を恐れたこともあり、1309年に[[ビザンティン]]領であった[[ロードス島]]を奪い、ここに本拠地を移した。これ以降、ロードス騎士団と呼ばれるようになる。
 
カップリング曲「クオーター 莫逆(ばくげき)の友」は、25周年(1世紀の4分の1)というキーワードを元に詞が書かれた。
== ロードス島 ==
加えて、これまでのピロウズはロゴの剣マークやマスコットキャラクター・バスター君のカラーリングなどで「3」で数えることが多かったが、サポートベーシストの[[鈴木淳 (ベーシスト)|鈴木淳]]や、活動休止期間中に発表した山中のソロアルバム『[[山中さわお|破壊的イノベーション]]』のアルバムツアーに参加したコアなファンも含めて「4」「4分の1」とカウントしたいという意味も込められている<ref name="cast" />。<br/>
1312年にテンプル騎士団の資産が没収されたとき、かなりの部分が聖ヨハネ騎士団に与えられた。また、中東のイスラム教徒と戦う唯一の主要な騎士修道会となったため、西欧から多額の寄進を受けることができた。
 
初回限定版の特典DVDとして「ハッピー・バースデー」「都会のアリス」のMVが収録されているが、後に「クオーター 莫逆の友」のMVも制作され、2014年発売のMV集『REVIVAL OF MOTION PICTURES』に3曲とも収録された。<br/>
ロードス島を本拠地として、イスラム海賊と戦ったとされるが、実際は、その近辺を通るイスラム船をさかんに襲撃した。当時の船は商船も武装するか護衛船を付けるのが普通だったため、これをイスラムに対する聖戦、船の漕ぎ手に使役されるキリスト教徒奴隷の解放と大義名分を掲げることができたが、イスラム教徒から見れば海賊行為で、双方同じようなことをやっていたと言って良い。
 
== 収録曲 ==
騎士団の構成員は[[騎士]]が500人程度で、母国語によって8つ(フランス、イタリア、イングランド、ドイツ、アラゴン、カスティーリャ、オーベルニュ、プロバンス)の騎士館グループに分かれていた。各グループ毎に騎士館長(戦闘の際には部隊長となる)がおり、全体を騎士団総長が統率した。
(作詞・作曲:[[山中さわお]])
# ハッピー・バースデー (4:36)
# 都会のアリス (3:26)
# クオーター 莫逆の友 (4:30)
 
== 現在DVD ==
1444年にエジプトのスルタン、1480年に[[オスマン帝国]]の[[メフメト2世]]の襲撃を受け、これを撃退した。西欧では久しぶりのオスマン・イスラム勢力に対する勝利として、騎士団の評判は高まったが、1522年、オスマン帝国の[[スレイマン1世|スレイマン大帝]]が400隻の船団と20万人の兵で来襲した。騎士団側は雑兵まで含めて7千人ばかりで必死の防戦を繰り広げたが、衆寡敵せず、遂にロードス島を明け渡しシチリア島に撤退した。
# ハッピー・バースデー (MV)
# 都会のアリス (MV)
 
== マルタ島参考文献・出典 ==
{{脚注ヘルプ}}
再び、本拠地をなくした[[騎士団]]だが、[[ローマ教皇]][[クレメンス8世 (ローマ教皇)|クレメンス8世]]と[[皇帝]][[カール5世 (神聖ローマ皇帝)|カール5世]]の斡旋により[[シチリア王国|シチリア]]王から[[マルタ島]]を借りることになった。賃貸料は毎年「マルタの鷹」1羽である。[[1565年]]に再びオスマン帝国の大船団に襲われることになるが、[[スペイン]]の救援と[[スルタン]]・[[スレイマン1世]]の[[死]]([[1566年]])によって、辛うじて撤退させることができた。続く[[1571年]]の[[レパントの海戦]]でもマルタ騎士団の船が参加している。
{{Reflist}}
マルタ島でも同じように(対)[[海賊]]行為を行い、マルタ島はイスラム奴隷売買の中心地となった。
 
{{the pillows}}
[[16世紀]]に[[プロテスタント]]運動が盛んになると、[[西欧]]各地の騎士団領は没収されるようになり、その力と存在意義は次第に失われていき、[[17世紀]]になると、[[ロシア海軍]]や[[フランス海軍]]の一部として組み込まれるようになった。
 
{{Normdaten}}
[[1798年]]、[[ナポレオン・ボナパルト]]が[[エジプト遠征]]の際にマルタ島を奪ったため、根拠地を失った騎士団は[[東方正教会|東方正教]]国家である[[ロシア帝国]]を頼り、[[1801年]]に[[ロシア皇帝]][[パーヴェル1世]]を騎士団総長に選んだ。[[1803年]]には再び[[カトリック教会|カトリック]]の総長に戻るが、以降、求心力を失い、各地の支部が独自に活動するようになる。[[1834年]]に本部は[[ローマ]]に移った。
{{DEFAULTSORT:はつひいはあすてえ}}
 
[[Category:楽曲 は|つひいはあすてえ]]
== 現在 ==
[[Category:The pillowsの楽曲]]
現在、その系譜を継ぐ主要な組織は[[マルタ騎士団国]]を参照のこと。
[[Category:2013年のシングル]]
 
[[Category:avex traxのシングル]]
==聖ヨハネ騎士団を扱った作品==
[[Category:誕生日を題材とした楽曲]]
*[[塩野七生]]『ロードス島攻防記』(1985年 新潮社)
 
== 外部サイト ==
* [http://www.orderofmalta.org/ ロードスおよびマルタにおけるエルサレムの聖ヨハネ病院独立騎士修道会]
 
[[Category:騎士修道会|せいよはねきしたん]]
 
[[bg:Малтийски орден]]
[[ca:Orde de Sant Joan de Jerusalem]]
[[cs:Maltézský řád]]
[[da:Johannitterordenen]]
[[de:Malteserorden]]
[[en:Knights Hospitaller]]
[[eo:Malta Ordeno]]
[[es:Orden de Malta]]
[[et:Malta ordu]]
[[fi:Johanniittain ritarikunta]]
[[fr:Ordre de Malte]]
[[gl:Orde de Malta]]
[[he:הוספיטלרים]]
[[it:Sovrano Militare Ordine di Malta]]
[[mt:Ordni Militari Sovran ta' Malta]]
[[nl:Maltezer Orde]]
[[no:Malteserordenen]]
[[pl:Joannici]]
[[pt:Ordem dos Hospitalários]]
[[ru:Мальтийский орден]]
[[sk:Rád maltézskych rytierov]]
[[sr:Малтешки ред]]
[[sv:Malteserorden]]
[[zh:医院骑士团]]