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{{Infobox Film
{{Otheruses|米軍捕虜を殺害した事件|中国人苦力が虐殺された事件|石垣島唐人墓事件}}
|作品名=MG-2416
|原題=
|画像=
|画像サイズ=
|画像解説=
|監督=谷口仁則
|脚本=久馬歩<br /> 谷口仁則
|出演者=[[兵動大樹]]<br />[[谷澤恵里香]]<br />大木はんすけ<br />[[武田幸三]]<br />[[川上礼奈]]<br />[[梶剛]]<br />[[西野亮廣]]
|音楽=[[TAKUYA]](OP・ED)<br />ミナカテルラ・ケンタロンギフィラ(劇伴)
|主題歌=TAKUYA and the Cloud Collectors「Uncotrollable」
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|編集=
|製作会社 =
|配給=[[吉本興業|よしもとクリエイティブ・エージェンシー]]
|公開={{flagicon|JPN}} [[2013年]][[3月24日]]
|上映時間=35分
|製作国={{JPN}}
|言語=[[日本語]]
}}
『'''MG-2416'''』(エムジーニイヨンイチロク)は、[[2013年]][[3月24日]][[沖縄国際映画祭]]にて公開の[[日本映画]]。
 
== 概要 ==
'''石垣島事件'''(いしがきじまじけん)は、[[太平洋戦争]]末期の[[1945年]][[4月15日]]、[[沖縄県]]の[[石垣島]]で、[[海軍陸戦隊#警備隊|海軍警備隊]]が同日撃墜し捕虜となった[[アメリカ海軍]]艦載機の搭乗員3人を殺害した事件。1948年に[[横浜軍事法廷|アメリカ軍横浜裁判]]で海軍警備隊の関係者ら46人が起訴され、41人が死刑判決を受け、うち7人の死刑が執行された。<!--概要文全体にかかる注。句点の後に置く。--><ref>この記事の主な出典は、{{Harvtxt|砥板|2011}}、{{Harvtxt|林|2005|p=7}}、{{Harvtxt|岩川|1995|pp=69-70}}、{{Harvtxt|東京裁判ハンドブック|1989|p=112}}および{{Harvtxt|上坂|1981|pp=185-209}}。</ref>
本作は、[[吉本興業|よしもとクリエイティブ・エージェンシー]]と[[丸亀市]]がタッグを組み、第5回沖縄国際映画祭地域発信型映画部門の作品として2013年に制作された短編映画である。監督に谷口仁則、脚本に久馬歩を迎え、撮影はすべて香川県丸亀市で行われた。のべ150人の地域の人々が制作やエキストラ出演で応援した。
 
沖縄国際映画祭では丸亀市の[[ゆるキャラ]]骨付じゅうじゅうもレッドカーペットを歩き、観客を賑わせた。
== 背景 ==
[[石垣島]]は、1944年10月の[[台湾沖航空戦]]後戦場となり、1945年4月の米軍の沖縄上陸後、連日米軍による空襲が行なわれ、米軍の上陸も噂されていた{{Sfn|上坂|1981|p=186}}。[[日本海軍|海軍]]の石垣島[[海軍陸戦隊#警備隊|警備隊]](司令官・[[井上乙彦 (海軍軍人)|井上乙彦]]大佐)は、連日の空襲で死傷者を出しており、[[玉砕]]覚悟で切込訓練を行なうなど、緊張状態に置かれていた{{Sfn|上坂|1981|p=186}}。
 
凱旋上映会は2013年5月4日丸亀お城祭りにて、丸亀市民会館で盛大に行われた。その後六本木、横浜ブリリアシアターにて上映、2013年10月、第2回氷見絆国際映画祭にて最優秀短編作品賞を受賞。[[2014年]]2月22日には、[[さぬき映画祭]]2014での上映も決定している。
== 事件 ==
1945年4月15日朝、沖縄県・石垣島の宮良飛行場を空襲した米海軍第97編成航空隊(Squadron VC-97、護衛空母「[[マカッサル・ストレイト (護衛空母)|マカッサル・ストレイト]]」所属)の[[TBF (航空機)|TBF]]が[[高射砲]]で撃墜され、3人の搭乗員(V・L・ティボ中尉、W・H・ロイド兵曹およびR・タグル兵曹<ref>バーノン・ローレンス・ティボ(Vernon Lawrence Tebo)、ウォーレン・エイチ・ロイド(Warren H. Loyd)およびロバート・タグル・ジュニア(Robert Tuggle Jr.)({{Harvnb|砥板|2011}})。</ref>)が[[落下傘]]により石垣島大浜海岸<ref>{{Google maps | url = https://www.google.co.jp/maps/place/大浜海岸/@24.344402,124.1985875,17z/ |title= 石垣島大浜海岸 | accessdate = 2016-09-03}}</ref>から200メートルほどの浅い海中に降りたところを、海軍警備隊により捕獲された{{Sfn|上坂|1981|pp=185-186}}。
 
第5回沖縄国際映画祭出品作品。第二回氷見絆国際映画祭最優秀短編作品賞。さぬき映画祭2014招待作品。
海軍警備隊は、3人をバンナ岳<ref>{{Google maps | url = https://www.google.co.jp/maps/place/バンナ岳/@24.4205249,124.1639183,17z |title= バンナ岳 |accessdate = 2016-09-03}}</ref>麓の海軍警備隊本部防空壕のある空地へ連行し、米軍に関する情報収集のため取調べ・訊問を行なった{{Sfn|東京裁判ハンドブック|1989|p=112}}{{Sfn|上坂|1981|p=186}}。
 
== あらすじ ==
同日夜10時頃、海軍警備隊は、3人を警備隊本部建物から150メートルほど離れた[[照空隊]]附近の荒れ地へ連行し、殺害して遺体を同地で穴に埋めた{{Sfn|上坂|1981|pp=186-188}}。海軍警備隊の井上司令官らが3名の殺害を決定し<ref>海軍警備隊の将校たち4人が殺害を決め、上層部には相談しなかったとされた({{Harvnb|上坂|1981|pp=187,199}})</ref>、[[震洋]]特攻隊員の幕田大尉がティボ中尉を、田口海軍少尉がタグル兵曹を日本刀で斬首・殺害、ロイド兵曹は榎本大尉の指示により、柱に縛りつけられ、20分ほどの間、50人ほどの兵士から殴打されたのち、藤中1等兵、成迫上等兵、榎本大尉ら、約40人に順番に[[銃剣]]で刺突され、死亡した{{Sfn|林|2005|p=7}}{{Sfn|上坂|1981|pp=186-188}}。
 
== キャスト ==
敗戦後、警備隊員は米兵の遺体を掘り返して火葬にし、遺灰を[[西表島]]の北方3キロの海中に捨てた{{Sfn|林|2005|p=7}}{{Sfn|上坂|1981|p=188}}。
*土居乾吉:[[兵動大樹]](矢野・兵動)
*コンスタンティン・ブランシーク:[[谷澤恵里香]]
*ロドリゲス・マクティアナン:大木はんすけ
*田中幸三:[[武田幸三]]
*かや:[[川上礼奈]](NMB48)
*南条:[[梶剛]]
*土居俊輔:[[西野亮廣]](キングコング)
*子供ヒットマン:[[あきと]]
 
== スタッフ ==
しかしその後、軍関係者が[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]に密告したことにより事件が発覚した{{Sfn|林|2005|p=7}}<ref>{{Harvtxt|上坂|1981|p=189}}。[[鹿児島県]][[指宿]]局の消印のある匿名の投書があったとされ、公判記録によると検察側が「敗戦から数ヶ月経ってから、1人の水兵が良心の呵責に耐えかねて事件のことを洩らした、とされていた(同)。</ref>。
*脚本:久馬歩、谷口仁則
*監督:谷口仁則
*音楽:[[TAKUYA]](OP・ED)、ミナカテルラ・ケンタロンギフィラ(劇伴)
*撮影:蒲田実
*照明:本村毅
*アシスタントプロデューサー:松永梨恵子
*制作プロデューサー:やたにゆき
*プロデューサー:原知行、坂本直彦、覚野公一
*製作:「MG-2416」製作委員会
*配給:よしもとクリエイティブ・エージェンシー
*後援:丸亀市
 
== 裁判主題歌 ==
*TAKUYA and the Cloud Collectorsの「Uncontrollable」。レコーディングプロデューサーに[[佐久間正英]]を迎えたため、エンドロールにもクレジットされている。
[[横浜軍事法廷|アメリカ軍横浜裁判]]([[第8軍 (アメリカ軍)|米陸軍第8軍]]管轄)で海軍警備隊の司令官・井上大佐以下、将校11名、下士官8名、水兵27名の計46名が起訴された{{Sfn|林|2005|pp=7-8}}。
調査の初期段階で、井上司令官は自身が命令を下したことを認めず、副長・井上勝太郎大尉、榎本中尉らが互いに責任を回避・転嫁しようとしたため、命令者や責任の所在が不明確なまま、関係者多数が起訴されることになったとされている<ref>{{Harvtxt|林|2005|p=8}}。同書では、井上司令官は最終的には自らの責任を認め、部下に責任はないと主張した、としている。</ref>{{Sfn|岩川|1995|p=69}}<ref>{{Harvtxt|東京裁判ハンドブック|1989|p=112}}。炭床静男「横浜地区石垣島事件の概要及び裁判の経過」『戦犯裁判の実相』からの引用として。</ref>。
 
=== 判決備考 ===
すべて香川県丸亀市で撮影されている。丸亀市猪熊弦一郎現代美術館、クリントピア丸亀、中津万象園、JR丸亀駅など。
1948年3月16日に判決が宣告された{{Sfn|上坂|1981|pp=189,198}}。1名が途中で免訴となり、判決は死刑41人、懲役20年1人、同5年1人、無罪2人だった{{Sfn|林|2005|p=8}}{{Sfn|上坂|1981|p=189}}。
ロイド兵曹を大勢の刺突により殺害したことについて、全員が虐待致死・死体冒涜をしたと判示され{{Sfn|上坂|1981|p=199}}、3人の殺害について41人が絞首刑を宣告される判決となり、宣告時には法廷が騒然となった{{Sfn|上坂|1981|p=198}}。
=== 確認・再審査 ===
絞首刑判決を受けた41人のうち、1949年1月28日に第8軍法務部による判決の確認(裁判記録の検討)手続きにより、命令に従って刺突を行ったものの、主体的に殴打や暴行を行わなかったとされた水兵31人が減刑となり{{Sfn|林|2005|p=8}}<ref>{{Harvtxt|上坂|1981|p=189}}。同書では、28人が減刑となった、としている。</ref>、更に1950年3月18日に[[連合軍総司令部]]による死刑判決の再審査により3人が減刑となった{{Sfn|林|2005|p=8}}<ref>{{Harvtxt|上坂|1981|p=189}}。同書では、6人が減刑となった、としている。</ref>。
 
井上司令と、4人の将校(井上大尉、幕田大尉、榎本大尉、田口少尉)および下士官2人(成迫上等兵曹、藤中1等兵曹)の7人については死刑が確定{{Sfn|林|2005|p=9}}<ref>{{Harvtxt|上坂|1981|p=189}}。{{Harvtxt|上坂|1981|p=205}}によると、井上司令官は処刑の前日に[[ダグラス・マッカーサー|マッカーサー]]元帥あてに自分以外の6人の助命嘆願書を提出した。</ref>、最終的には絞首刑7人、終身刑8人、有期刑24人、無罪6人となった{{Sfn|岩川|1995|p=70}}。
 
=== 処刑 ===
1950年4月7日に[[東京]]の[[巣鴨プリズン]]で7人の死刑が執行された{{Sfn|林|2005|p=9}}<ref>{{Harvtxt|上坂|1981|p=195}}。死刑確定の報に接した藤中は、獄中で「騙されて戦争に行くんではないぞォ。2度と戦争に行ってばかを見るなよォ。畜生ッ」と叫んだとされる({{Harvnb|上坂|1981|pp=201-204}})。また、榎本大尉は「子供を軍人にするな」と遺言した({{Harvnb|上坂|1981|p=204}})。</ref>。
 
7人が処刑されたのは[[朝鮮戦争]]勃発の2ヵ月前のことであり{{Sfn|上坂|1981|p=202}}、巣鴨プリズンでの最後の死刑執行となった{{Sfn|東京裁判ハンドブック|1989|p=112}}{{Sfn|上坂|1981|p=32}}。
<!-- == 評価 ==
*{{Harvtxt|林|2005|pp=8,9}}は、1人を銃剣で刺突し殺害した数十人の水兵に対して大量の死刑判決が下された特異な事例で、捕虜の虐待に対する米軍の厳格な姿勢が示された事例あったが、最終的に水兵は全員死刑を免れ、下級兵士への配慮が示された例でもあった、としている。 -->
 
== 慰霊 ==
2001年に[[石垣市]]と米国の有志により[[唐人墓]]公園の敷地内に慰霊碑が建立され、2011年現在、米軍兵士が処刑された4月15日に追悼式が行なわれている{{Sfn|砥板|2011}}。
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 出典 ===
{{Reflist|30em}}
 
== 参考文献 ==
* {{Cite web|和書|author= 砥板芳行 |year= 2011 |url= http://blog.goyah.net/toita/237747-msg.html |title= 身土不二‐石垣市議会議員 砥板芳行のブログです。>米兵慰霊碑にて |publisher= |accessdate= 2016-07-31 |ref=harv}} {{出典無効|title=自己公表された情報源(ブログ)|date=2020年4月4日 (土) 16:51 (UTC)}}
* {{Cite book|和書|author= 林博史 |year = 2005|authorlink = 林博史|title = BC級戦犯裁判|publisher = 岩波書店|series = 岩波新書|isbn = 4-00-430952-2 |ref= harv}}
* {{Cite book|和書|author= 岩川隆 |year = 1995 |authorlink = 岩川隆 |title = 孤島の土となるとも-BC級戦犯裁判 |publisher = 講談社 |isbn= 4062074915 |ref= harv}}
* {{Cite book|和書|year = 1989|editor = 東京裁判ハンドブック編集委員会|title = 東京裁判ハンドブック|publisher = 青木書店 |isbn= 4250890139 |ref= harv}}
* {{Cite book|和書|author= 上坂冬子 |year= 1981 |authorlink= 上坂冬子 |title = 巣鴨プリズン13号鉄扉 |publisher = 新潮社 |ref= harv}}
 
== 関連書籍 ==
* [[森口豁]]『最後の学徒兵 : BC級死刑囚・田口泰正の悲劇』講談社、1993年(文庫1996年):石垣島事件で死刑を執行された田口少尉に関するノンフィクション
*{{Cite book|和書|author= 太田静男 |year = 1996 |authorlink = |title = 八重山の戦争 |publisher = 南山舎 |chapter= 石垣島事件 |series = |isbn = |ref= harv}}
* {{Cite book|和書|author= 作田啓一 |year = 1976 |authorlink = 作田啓一|title = 恥の文化再考 |publisher = 筑摩書房 |chapter= われらの内なる戦争 |pages= 75-107 |series = |isbn = |ref= harv}}
<!-- *{{Cite news |author = 琉球新報 |year= 2005-04-16 |date= |title= 石垣島事件慰霊祭 |newspaper= 琉球新報 |url= |page= |agency= |accessdate= |ref=harv}} -->
 
== 外部リンク ==
*[https://www.youtube.com/watch?v=F2itFOVsWTo 【予告】映画「MG‐2416」 ] - Youtube吉本興業チャンネル
* {{Cite web|author= ShipleyBay.com |year= 2009-2015 |url= http://www.shipleybay.com/ishigaki.htm |title= USS Shipley Bay Home > The Bilingual Memorial Monument |publisher= |accessdate= 2016-07-31 |ref=harv}}
*{{Twitter|mg2416|【映画】『MG-2416』}}
<!--リンク切れ。: * [http://www.news.janjan.jp/area/0702/0702069589/1.php 地域・われらの「内」なる戦争犯罪(4)探訪・石垣島事件] -->
 
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[[Category:第二次世界大戦中の戦争犯罪]]
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[[Category:1945年の日本の事件香川県を舞台とした映画作品]]
[[Category:石垣市の歴史香川県で製作された映画作品]]
[[Category:1945年4月吉本興業製作の映画作品]]