'''桃太郎'''(ももたろう)
{{出典の明記|date=2015年1月28日 (水) 00:59 (UTC)}}
* [[桃太郎]] - 日本のおとぎ話。およびその[[主人公]]。
{{Infobox former monarchy
* [[桃太郎 (童謡)]]
| royal_title = 皇帝
* [[桃太郎 (落語)]]
| realm = 神聖ローマ帝国
* [[桃太郎 (トマト)]] - [[タキイ種苗]]が販売する[[トマト]]の品種の一つ。
| native_name = ''Imperator Romanorum''
* [[桃太郎 (アダルトビデオ)]] - 日本のビデオ製作会社。
| border = 皇帝
* [[桃太郎 (ミュージシャン)]] - [[横浜銀蝿]]の弟分[[紅麗威甦]]のメンバー。
| coatofarms = Holy Roman Empire Arms-double head.svg
* [[絶対可憐チルドレンの登場人物#構成員|桃太郎 (絶対可憐チルドレン)]] - [[漫画]]・[[テレビアニメ|アニメ]]『[[絶対可憐チルドレン]]』に登場する[[モモンガ]]。
| coatofarmssize = 110
* [[ハドソン]]の[[コンピュータゲーム]]シリーズ『桃太郎シリーズ』の主人公。<br />以下は桃太郎シリーズの一覧
| coatofarmscaption = 神聖ローマ皇帝紋章([[双頭の鷲]])
** [[桃太郎伝説シリーズ]]
| image = Protome Caroli Magni (bkg black).jpg
** [[桃太郎電鉄シリーズ]]
| caption = '''初代皇帝'''<br />'''[[カール大帝]]'''<br />800年12月25日 – 814年1月28日
** [[桃太郎活劇]]
| first_monarch = カール大帝(800年に戴冠)<br>[[オットー1世 (神聖ローマ皇帝)|オットー1世]](962年に戴冠)
** [[桃太郎電劇]]
| last_monarch = [[フランツ2世 (神聖ローマ皇帝)|フランツ2世]]
** [[桃太郎電劇2]]
| style = <!--[[His Imperial Majesty]]{{cn}}-->
** [[桃太郎道中記]]
| residence =
* 漫画・アニメ『[[魁!!男塾]]』の主人公、[[男塾 (架空の学校)#剣桃太郎(つるぎ ももたろう)|剣桃太郎]]のこと。
| appointer =
* [[JR貨物EF210形電気機関車|ECO-POWER 桃太郎]] - [[日本貨物鉄道|JR貨物]]の[[電気機関車]]、[[JR貨物EF210形電気機関車|EF210形]]の愛称。[[岡山機関区]]に所属することにちなんで命名。
| began = 800年12月25日/<br />962年2月2日
* [[もも太郎]] - [[新潟県]]を中心に[[セイヒョー]]と第一食品が販売している[[アイスキャンディー]]の商品名。
| ended = 1806年8月6日
* [[松下桃太郎]] - [[カヌー]]選手。[[2012年ロンドンオリンピックの日本選手団|2012年ロンドンオリンピック日本代表]]
| pretender =
* [[斎藤桃太郎]] - [[明治]]期~[[大正]]期の[[宮内省]]官僚
}}
* [[柳田桃太郎]] - [[参議院議員]]・[[門司市|門司市市長]](第15代・第16代)
[[File:Weltliche Schatzkammer Wien (189)2.JPG|thumb|right|250px|[[神聖ローマ皇帝冠]]]]
* 松原桃太郎 - かつてのアイドルグループ・[[CHA-CHA]]のメンバー。
[[ファイル:Banner of the Holy Roman Emperor with haloes (1400-1806).svg|サムネイル|252x252ピクセル|主に使用されていた神聖ローマ帝国旗]]
* [[剣翔桃太郎]] - 現役[[大相撲]][[力士]]。本名は安彦 剣太郎(あびこ けんたろう)。
'''神聖ローマ皇帝'''(しんせいローマこうてい、{{lang-de|Römisch-deutscher Kaiser}}, {{lang-la|Imperator Romanus Sacer}})は、[[神聖ローマ帝国]]の[[皇帝]]。より広い意味では中近世の西ヨーロッパにおける世俗の国を超えた最高権威である。[[カール大帝]]以降を指す場合と[[オットー1世 (神聖ローマ皇帝)|オットー1世]]以降に限る場合がある。
* [[湘南乃海桃太郎]] - 現役[[大相撲]]力士。本名は谷松 将人(たにまつ しょうと)。
* [[玄海桃太郎]] - 元[[大相撲]]力士。一時期は「桃太郎研二」を名乗っていた。本名は田中 研二(たなか けんじ)。
* [[昔々亭桃太郎]] - [[昭和]]前期の[[落語家]]。本人は「二十四代目」を称する。本名は山下 喜久雄(やました きくお)。
* [[昔昔亭桃太郎]] - [[昭和]]後期以降の現役[[落語家]]。本人は「三代目」を称し、1987年まで「昔々亭桃太郎」を称していた。本名は柳澤 尚心(やなぎさわ たかみ)。
* 中瀬桃太郎 - YouTuber[[桃太郎オフィス]]の本名。
== 概要関連項目 ==
派生語は[[桃太郎#派生用語]]も参照。
{{main2|帝国そのものについては[[神聖ローマ帝国]]を、歴代の皇帝については[[神聖ローマ皇帝一覧]]}}
* 桃太郎シリーズ - 上記おとぎ話をモデルにした[[ハドソン]]のゲームシリーズ。
** [[桃太郎伝説]]([[桃太郎伝説シリーズ]]) - [[コンピュータRPG]]。
*** [[桃太郎伝説 (アニメ)]] - 上記ゲームを原作にしたテレビアニメ。
** [[桃太郎電鉄]]([[桃太郎電鉄シリーズ]]) - コンピュータ[[ボードゲーム]]。
** [[桃太郎活劇]] - [[PCエンジン]]用[[アクションゲーム]]。
** [[桃太郎電劇]] - [[ゲームボーイ]]用にアクションゲーム。
*** [[桃太郎電劇2]]
** [[桃太郎道中記]] - 桃太郎電鉄シリーズと同一内容の[[セガサターン]]用ゲームソフト。
* [[桃太郎侍]] - [[山手樹一郎]]の時代小説。またそれを原作にした時代劇映画やテレビドラマ。
* [[岡山空港|岡山桃太郎空港]] - [[岡山空港]]の愛称。
* [[おかやま桃太郎まつり]] - [[岡山市]]で行われる祭り。
* [[桃太郎スタジアム]] - [[岡山県総合グラウンド陸上競技場]]の愛称。
* [[桃太郎アリーナ]] - [[岡山県総合グラウンド体育館]]の愛称。
* モモタロー。 - [[ものまねタレント]]・[[女性声優]]。本名・[[桜井ちひろ]]。
{{Aimai}}
「神聖ローマ皇帝」とは古代[[ローマ皇帝]]や[[東ローマ皇帝]]と区別するための[[歴史学]]的用語で、実際には同一の称号として単に'''皇帝'''、あるいは'''ローマ人の皇帝'''({{lang-la|Romanorum Imperator}}、{{lang-de|Kaiser der Römer}})と称していた。たとえば初代[[カール大帝]]の称号は「至尊なる[[アウグストゥス (称号)|尊厳者]]、神により戴冠されし、偉大にして平和的な、ローマ帝国を統治する[[皇帝]]」である。近世以降定着した公式称号は「神の恩寵によるローマ皇帝、永遠なる尊厳者」となり、いずれも「神聖」という言葉が付いていない。
{{デフォルトソート:ももたろう}}
[[カール大帝]]の時代は[[イタリア]]、[[ドイツ]]、[[フランス]]を統合した[[フランク王国]]を統治していたが、一度消えた帝位を復興した[[オットー1世 (神聖ローマ皇帝)|オットー1世]]以降の実効支配は[[フランス]]の大部分を欠いていた。近世に入るとさらに[[ドイツ]]周辺に限定されたことで'''ドイツ皇帝'''と通称される。ローマを領有せずローマ皇帝を称するのは奇妙に見えるが、3世紀末の[[テトラルキア]]以来の皇帝は自らを承認する元老院にローマを任せて離れていたので、元老院に成り代わったカトリック教会に承認されていればローマ皇帝を名乗るに足りた。そして古代帝国の伝統を受け継ぐ「ローマ」の権威は、古代にローマ帝国領だった[[スペイン]]や[[イギリス]]にまでもある程度及んでいた。
[[Category:同名の作品]]
[[Category:日本語の男性名]]
== 歴史 ==
帝位は北イタリアを征服したフランク王[[カール大帝|カール1世]]が西暦[[800年]]にローマ皇帝として戴冠したことにより西ヨーロッパにおける覇権的君主として成立した。カールが自ら望んだものではなくローマ元老院の代行者たるローマ総主教、すなわち[[カトリック]]の[[教皇]]から任命されたものだった。当時の西ヨーロッパは[[東ローマ帝国|ギリシャ]]のローマ皇帝([[東ローマ皇帝]])を宗主として仰いでいたが、ローマとギリシャの間には宗教的対立が起きていた。折しもギリシャでは皇帝[[コンスタンティノス6世]]が母[[エイレーネー (東ローマ女帝)|エイレーネー]]によって廃位させられ、エイレーネーが自ら史上初のローマ女帝として君臨していた。[[ローマ教皇]]はこれを認めず独自の皇帝として[[カール大帝]]を擁立したのである。
新たな帝位の確立は西ヨーロッパが[[東ローマ帝国|ギリシャ]]から完全に独立したことを示していた。帝位はカトリックと密接に結びついており、またローマ皇帝であるからには[[イタリア王]]権を前提とした。カール大帝の帝国は後に分裂したが[[962年]]に東フランク、すなわちドイツの王である[[オットー1世 (神聖ローマ皇帝)|オットー大帝]]がイタリア王を兼ねて皇帝として戴冠し、それから帝権はドイツ王権も前提とした。皇帝は[[ドイツ]]と[[イタリア]]で国法上最も重要な位置を占め、指導的役割を担った。[[ローマ王|ドイツの王]]は帝位を独占した上でさらに[[ブルグント王]]を兼ね、三つの王権が帝権に集約されたことにより皇帝は中世を通じてヨーロッパの世俗権威の頂点だった。
なお中世を通してローマで教皇に戴冠されるまで王は皇帝を名乗ることができず、戴冠前の事実上のドイツ王は「[[ローマ王]]」を称した。帝位自体には権能が無く、教皇に認められた実力者に与えられる名誉称号だった。しかしそれだけにかえって威光は絶大で、特にオットー大帝以後[[13世紀]]の[[ホーエンシュタウフェン朝|シュタウフェン朝]]断絶にいたるまでの、いわゆる「三王朝時代」の皇帝は教皇と西ヨーロッパ的キリスト教世界の権威と権力を二分していた。無論、この権威は西ヨーロッパでしか通用せず[[東ローマ帝国|ギリシャ]]の皇帝は西の皇帝をあくまでフランク人(西ヨーロッパ人)の皇帝と見ていた。
シュタウフェン朝の断絶以後、帝位は100年近く途絶えた。既に帝位の前提となって久しい[[ローマ王]](ドイツ王)の権力でさえ[[ハプスブルク家]]の[[ルドルフ1世 (神聖ローマ皇帝)|ルドルフ1世]]の即位まで空白となる「[[大空位時代]]」となり王権・帝権は著しく衰退した。王位は世襲もままならず、皇帝になるためのローマ遠征ができない王も多く出た。その間にドイツ諸侯には様々な特権が付され、[[イタリア王国 (神聖ローマ帝国)|イタリア]]は都市国家が乱立し、[[アルル王国|ブルグント]]は[[フランス王国|フランス]]に併合されていった。この時代から普遍的皇帝理念と現実の皇帝の政治権力の間にかなりの乖離が見られるようになった。
したがって中世後期以降は帝権の及ぶ範囲は現在のドイツとその周辺に限られるようになり、さらに皇帝の政策を見ても帝国や帝権の利害よりは自分の[[家門]]を強化することを重視するようになった。皮肉にも神聖ローマ帝国という国号が定着するのはこの頃である。帝位の前提となるローマ王(ドイツ王)選挙にも教皇や外部の王権が介入したが、[[1356年]]に[[カール4世 (神聖ローマ皇帝)|カール4世]]は[[金印勅書]]を発して、国王選挙に参与する[[選帝侯]]の地位を固定し、その世襲を明確化した上で選挙によって選ばれた国王がただちに皇帝としての権力を得ると定め帝権の自律性を高めた。
その後、ハプスブルク家の皇帝[[フリードリヒ3世 (神聖ローマ皇帝)|フリードリヒ3世]]は治世が長きに及んで王位世襲に成功し<ref group="注">フリードリヒ3世の統治は53年間に及んだ。この間に彼の統治は何度も危機を迎えるが、結局彼を脅かした政敵たちは次々と先立っていった。さらに[[シャルル (ブルゴーニュ公)|シャルル突進公]]の死によって、息子マクシミリアンが[[ブルゴーニュ公国]]を獲得した。</ref>、息子[[マクシミリアン1世 (神聖ローマ皇帝)|マクシミリアン1世]]は諸侯の要請で帝国を改造し、今でいう国家連合に近い体制を整えた<ref group="注">マクシミリアン1世は家門政策でも積極的な婚姻政策を展開し、孫の時代には、[[ボヘミア]]、[[ハンガリー王国|ハンガリー]]、[[スペイン]]などがハプスブルク家の家領となった。</ref>。マクシミリアン1世もまたローマ遠征を成し遂げられなかったローマ王だったが、教皇からは「選ばれしローマ皇帝」の称号を贈られた。以後、ローマ王(ドイツ王)は無条件で名実共に皇帝と認められるようになり、代わりにローマとの関りを失って実質ドイツ皇帝という状態が定着した。
一方で初代カール大帝の頃には帝国の一部だったフランスも帝位(厳密にはローマ王位)獲得に挑戦する資格を有し続けており、[[フィリップ3世 (フランス王)|フィリップ3世]]、[[フランソワ1世 (フランス王)|フランソワ1世]]、[[ルイ14世 (フランス王)|ルイ14世]]の三人が実際に帝位を狙った。特に[[フランソワ1世 (フランス王)|フランソワ1世]]と[[カール5世 (神聖ローマ皇帝)|カール5世]](マクシミリアン1世の孫)による選挙戦は熾烈を極めた。皇帝に選ばれたカール5世はさらに[[イタリア戦争]]でフランソワ1世と戦い、これを勝ち抜く頃には帝位がハプスブルク家によって事実上世襲されることが明確となった。以後[[1806年]]に帝国が法的に消滅するまで、帝位はハプスブルク家によってほぼ独占された。
==帝権の変遷==
===カール大帝の戴冠とオットー大帝による帝権の復活===
{{main|カロリング朝|カール大帝|フランク・ローマ皇帝|オットー1世 (神聖ローマ皇帝)}}
800年のカール大帝の戴冠により、[[フランク人]]の王権がカトリック教会と結びついた皇帝が出現した([[フランク・ローマ皇帝]])。しかしこの皇帝権は帝国(フランク王国)の分裂とともに実質的にはイタリア王権にまで縮小し、10世紀初頭には早くも消滅した。962年に東フランク(現在のドイツ)の王オットー1世が[[イタリア王]]を兼ねた上でローマ皇帝に戴冠し、東フランク(現在のドイツ)・[[イタリア王国 (中世)|イタリア]]に支配権を及ぼす皇帝権が復活した。皇帝は後に[[ブルグント王国|ブルグント王]]をも兼ねた。この皇帝権はフランス王権に対して支配を及ぼすことはできなかったが、優位を保つことはできた。
===三王朝時代===
{{main|リウドルフィング家|ザーリアー朝|ホーエンシュタウフェン朝}}
リウドルフィング朝こと[[リウドルフィング家|ザクセン朝]](あるいは「オットー朝」)・ザーリアー朝・ホーエンシュタウフェン朝の時代に皇帝権は絶頂を迎え、この時代は「三王朝時代」と呼ばれ特筆されている。ザクセン朝では帝国イタリア([[イタリア王国]])に対する皇帝の支配権が確立され、[[東ローマ帝国]]に対して現在のドイツに君臨する西方のローマ皇帝権が制度として定着することが明確となった。
===大空位時代===
{{main|大空位時代}}
ホーエンシュタウフェン朝の断絶後、「大空位時代」の時期に帝国の直轄領および諸権利は著しく減少し、「大空位時代」直後のルドルフ1世も国王位の世襲に失敗したために、以後歴代の国王は主として自身の家門所領に頼ることとなる。したがってルドルフ1世以降の国王および皇帝は、王権あるいは帝権の強化より自身の家門勢力の拡大を政策目標とするようになり、「家門王権({{lang|de|Hausmachtkönigtum}})」の時代が始まった。また大空位時代後には、フランス王権に対して優位を維持することはもはやできなくなっていた。
==帝権と王権==
中世においては、「皇帝({{lang|la|imperator, caesar, monarcha}})」と「国王({{lang|la|rex}})」の間には明確な区別が存在し、したがって「帝権({{lang|la|imperium}})」と「王権({{lang|la|regnum}})」の間にも基本的な相違が存在した。国王は1部族や複数部族単位の支配者に留まるが、皇帝は世界全体を治める者と考えられていた。行政文書の上でも国王統治年と皇帝統治年は、[[13世紀]]までは明確に使い分けられていた。また初期には立法権が皇帝の特権と考えられており、[[カロリング朝]]以前ゲルマン人の国王は基本的に立法行為をおこなっていない。カール大帝の「司法改革」も皇帝権を獲得することによって初めて可能であったと考えられる。
==帝国宝物==
[[File:Ludwig Streitenfeld 001.jpg|thumb|right|200px|{{仮リンク|帝国宝物|de|Reichskleinodien}}に身を包んだ最後の神聖ローマ皇帝[[フランツ2世 (神聖ローマ皇帝)|フランツ2世]]]]
{{see also|{{仮リンク|帝国宝物|de|Reichskleinodien}}}}
帝国宝物({{lang-de|Reichskleinodien}})とは、ローマ王(ドイツ王)の帝国支配を正当化する一群の宝物である。宝物は帝国権標([[神聖ローマ皇帝冠]]<ref group="注">オットー大帝が被ったものであったと考えられている。皇帝と帝国の象徴であった。帝冠が八角形に作られているのは、ローマ帝国の領域と古都[[エルサレム]]が八角形であると考えられていたことに由来する。さらに『[[旧約聖書]]』に登場する諸王、[[預言者]][[イザヤ]]・[[ヒゼキヤ|エゼキア王]]・[[ダビデ|ダビデ王]]・[[ソロモン|ソロモン王]]が描かれ、神聖ローマ皇帝の帝権がこれらのユダヤ祭司王権を継承していることを示していた。この冠は帝冠であると同時にローマ王の王冠としても用いられた。</ref>、{{仮リンク|帝国宝珠 (神聖ローマ帝国)|label=帝国宝珠|de|Reichsapfel (Reichskleinodien)}}、帝国剣、祝典剣、帝国十字架など)、戴冠式装束(鷲の[[ダルマティカ]]などのダルマティカ、[[アルバ (衣服)|アルバ]]、[[ストラ]]など)、帝国聖遺物([[聖槍]]、聖十字架の欠片、[[洗礼者ヨハネ|聖ヨハネ]]の歯など)の三つに大別される。帝国宝物の所有が正統な国王の有力な根拠となるのは[[10世紀]]ごろであると考えられ、14世紀頃までにはいくつか追加も行われた。のちには帝国宝物は帝国と一体の物と考えられるようになり、単に「帝国」とも呼ばれた。[[アーヘン]](のちには[[フランクフルト・アム・マイン]])でおこなわれる[[戴冠式]]でこれらの宝物が新しい国王に譲渡された。[[カール4世 (神聖ローマ皇帝)|カール4世]]は帝国宝物保存のため[[プラハ]]郊外に[[カールシュタイン城]]を建設したが、1423年になって[[ジギスムント (神聖ローマ皇帝)|ジギスムント]]は帝国宝物の管理を[[ニュルンベルク]]市に委ねた。以降帝国宝物の大半はニュルンベルク市で保管され、アーヘンには聖ステファンのブルサ、カール大帝の剣などが保管されていた。[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]がドイツに侵攻すると、帝国宝物はレーゲンスブルクを経てウィーンに移された。[[ナチス・ドイツ]]時代の[[アンシュルス]](1938年)後には再びニュルンベルクに戻されたが、戦後になってウィーンに戻された。
==脚注==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist2}}
==関連項目==
*[[神聖ローマ帝国]]
*[[神聖ローマ皇帝一覧]]
*{{仮リンク|神聖ローマ皇帝の戴冠式|en|Coronation of the Holy Roman emperor}}
*[[ドイツ君主系図]]
==外部リンク==
*[http://www.nttdata-getronics.co.jp/profile/spazio/spazio65/akiyama.htm >文化広報誌:SPAZIO no.65-デューラーの《二皇帝像》と聖なる見世物]
* {{Kotobank}}
{{デフォルトソート:しんせいろおまこうてい}}
[[Category:神聖ローマ皇帝|*]]
[[Category:神聖ローマ帝国]]
[[Category:君主号]]
[[eo:Imperiestroj de la Sankta Romia Imperio]]
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