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|営業利益 =
|経常利益 =
|純利益 =
|純利益 = 6,521万2,000円<br>(2024年3月期)<ref name="fy2024">[https://catr.jp/companies/9de66/19972/settlements/2b1f9/374318 鯱バス株式会社 第12期決算公告]{{出典無効|date=2024-08-07|title=「官報決算データベース」の運営者は「会社活動総合研究所」とされていますが、法人等の情報も皆無で個人情報保護法に基づいたプライバシーポリシーなどの情報もなく、信頼できる情報源と言えません。そのため、ウィキペディア出典としては利用できません。}}</ref>
* 2億301万1,000円
(2025年3月期)<ref name="fy2025">[https://catr.jp/companies/9de66/19972/settlements/3c525/426427 鯱バス株式会社 第13期決算公告]</ref>
|純資産 =
|総資産 =
|総資産 = 25億7,505万7,000円<br>(2024年3月期)<ref name="fy2024" />
* 29億9,019万2,000円
(2025年3月期)<ref name="fy2025" />
| 従業員数 = 229人(2023年9月)
| 決算期 = 3月
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| 主要子会社 = エス・ビー・サービス、オルカレストランシステム
| 関係する人物 =
| 外部リンク = httphttps://www.shachi-bus.co.jp/
| 特記事項 = 中部観光自動車として[[1953年]][[11月3日]]に創立、東急鯱バスに[[1965年]][[3月30日]]に改名
}}
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== 歴史 ==
名古屋市内でパチンコ店や[[キャバレー (接待飲食店)|キャバレー]]等を経営していた[[山田泰吉]]により[[1953年]]([[昭和]]28年)[[11月3日]]、観光バスとタクシー事業を運営する中部観光自動車として創業した。しかし、[[1961年]](昭和36年)[[10月]]に泰吉が東京・赤坂に「東洋最大級」と謳われたレビューキャバレー『[[ミカド (キャバレー)|ミカド]]』を開業させたものの、泰吉自身の下手な経営管理が災いし[[1964年東京オリンピック]]開幕を待たずしてミカドは破綻した(施設も閉鎖)。これに連鎖して中部観光グループも経営が行き詰まり、丁度[[高速道路]]の開通([[1969年東名高速道路]](昭和44年))の全通を見据えて名古屋進出を目論んでいた東急に[[1965年]](昭和40年)[[4月]]買収された<ref>東京急行電鉄五十年史 1973年、P808_P809.</ref>(創業者・山田泰吉の生涯はかつて[[朝日放送テレビ]]の番組「[[驚きももの木20世紀]]」で取り上げられたこともある。[[阿川弘之]]の小説「あひる飛びなさい」の主人公「横田大造」のモデルでもある)。
 
なお、タクシー事業(愛称:鯱タク)は昭和40〜50年代にかけては同業他社の合併等買収により勢力を拡大したものの、[[2003年]]([[平成]]15年)に福岡の[[第一交通産業]]に売却され、鯱第一交通に改組されている。
 
2009年(平成21年)[[5月19日]]、不動産事業以外について、投資ファンドのジェイ・ウィル・パートナーズへと売却すると発表した。これにあわせて同年[[5月27日]]に新会社を設立し10月1日に株式を新会社に譲渡して東急グループから離脱。会社名を「鯱バス」に変更し、社章も鯱の東急グループ共通マークから、中部観光時代の鯱マーク(但しTSB(Tokyu Shachi Busの略)」の文字を外したものは省略)変更され回帰したが一部所属車両には当時の名残が残っている車両もある。
 
[[2012年]](平成24年)7月17日より、本社を愛知県名古屋市南区滝春町に移転。従来の本社は名古屋北営業所となり、旅行業の拠点となった。
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ツアーや申し込みに応じて大型貸切バスを運転している。愛称は創業時に[[吉川英治]]の「[[新書太閤記]]」に登場する人物からとったもので、現在にも車両1台1台に命名されている。車体塗装は地元の画伯[[杉本健吉]]、「鯱バス」「Shachi-Bus」のロゴは[[河野鷹思]]がデザインした。1970年代には当時の最新鋭航空機であった[[ボーイング747]]のものと同じシートを採用したバスも走らせていた。また中部観光時代から東急時代初期には乗客へのサービスとして「[[バスガイド]]の人形」がお土産として提供されていた。
 
愛称は主に「[[太閤記]]」に登場する人物からネーミングされている。代替の際、新車が引き継ぐのが普通であるが、かつてはその時代の最新鋭車に合わせて改名が行われたことがあった。“[[太閤]]”“[[淀殿|淀君]]”を歴代の最上級車が名乗ってきたが、現在“太閤”は欠車となっている。現状の最上級車は“[[関白]]”である。なお静岡さくら営業所の車両については静岡県にゆかりのある武将(“[[今川義元|義元]]”“[[太原雪斎|雪斎]]”)などの愛称がつけられている。
 
[[2005年日本国際博覧会]](愛・地球博)の際は、[[名古屋飛行場|名古屋空港]]駐車場から万博会場までの駐車場シャトルバスとして車両、乗務員の提供を行っていた。主に、[[三菱ふそうトラック・バス|三菱ふそう]]の[[三菱ふそう・エアロエース|エアロクィーン]]のスーパーハイデッカーが使用されており、他社の運行便よりもグレードの高い車両が使用されていた。
 
=== 車両 ===
主に[[三菱ふそうトラック・バス|三菱ふそう]]の車両が用いられて来たが、[[2010年]](平成22年)に初の[[日野自動車|日野車]]{{refnest|name="jbus"|製造は[[ジェイ・バス]]。}}である、[[日野・セレガ]]が投入された。1960年代に[[いすゞ・BU|いすゞBU10P]]を導入していた。[[2019年]](令和元年)に久しぶりに[[いすゞ自動車|いすゞ車]]{{refnest|name="jbus"}}([[いすゞ・ガーラ#2代目 (RU(RU)|2代目ガーラ]])が導入された。
 
=== 現在所属している車両 ===
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* [[三菱ふそうトラック・バス|三菱ふそう]][[三菱ふそう・エアロエース#エアロエース(3代目)|エアロバス]]
**[[QTG-MS96VP]]
* [[いすゞ自動車|いすゞ車]]{{refnest|name="jbus"}}([[いすゞ・ガーラ#2代目 (RU(RU)|2代目ガーラ]])
**[[2RG-RU1E]]
* [[日野自動車|日野車]]{{refnest|name="jbus"}}([[日野・セレガ#2代目 (RU系)|2代目セレガ]])
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* [[日野自動車|日野]][[日野・レインボー#2KG-KR290J3|3代目レインボー]]
** [[2017年]](平成29年)導入。[[日野・レインボー|日野レインボーⅡ]]の代替として2017年(平成29年)に導入された。鯱バス初の[[ノンステップバス]]である。
* [[日野自動車|日野]][[日野・ブルーリボン|日野ブルーリボンⅡ]]
** [[2022年]](令和4年)導入。元スクール関係の送迎バスを移籍車で導入。大同特殊鋼知多工場の送迎をメインとして使用
* [[三菱ふそうトラック・バス|三菱ふそう]][[三菱ふそう・エアロスター#エアロスター(2代目)|エアロスター]]
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* [[中部国際空港]]JAL関連企業の社員送迎バス。
* [[三菱航空機]]・[[三菱重工業|三菱重工]]の社員送迎バス(飛島工場・小牧南工場)。
* 日清オイリオ名古屋工場~名鉄柴田駅の社員送迎バス
* 名古屋市中央卸売市場南部市場
* 東海市の「東海秋祭り」会場シャトルバス運行(観光バス・特定バス車両も使用)。
* [[椙山女学園大学]]日進キャンパスへの学生輸送
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== 営業所 ==
* 本社営業所(愛知県名古屋市南区)
* 東海営業所(愛知県東海市)
* 岐阜東濃営業所([[岐阜県]][[土岐市]])
* 静岡さくら営業所([[静岡県]][[袋井市]])
 
== 脚注 ==