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'''クタイシ'''(グルジア語で{{lang-ka|ქუთაისი}}, Kutaisi、[[アブハズ語]]:{{lang-ab|Kәҭesh}}、{{lang-ru|Кутаиси}}<ref>他には、Кутайа, Койтайа, Котиаиони, Квататиси の表記がある。</ref>)は、[[ジョージア (国)|ジョージア]]西部[[イメレティ州]]の中心都市。[[リオニ川]]の河畔に広がる。人口は約13.5万人(2020年推計<ref name="citypop" />)。[[ロシア語]]ではかつて"{{lang|ru|Кутаис}}"('''クタイス''')と表記されていた。[[ソビエト連邦]]時代には、ジョージア(グルジア)第2の工業都市として自動車工場などが有名であった。首都[[トビリシ]]から221km221キロメートル
 
古代[[ギリシア]]の『[[アルゴナウタイ]]』物語で知られる[[コルキス王国]](あるいはコルヒダ王国、[[紀元前6世紀]]-[[紀元前2世紀]])の首都であった。り、[[975年]]から[[1122年]]までは[[グルジア王国|グルジア連合王国]]の首都であった<ref name="mofa">{{Citation|title=グルジア5都市による姉妹都市提携の希望|year=2011|month=09|author=駐日ジョージア大使館|authorlink=駐日ジョージア大使館|page=4|quote=クタイシは、西暦 978~1122 年にはグルジア連合王国の首都|url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/local/pdfs/georgia_1109.pdf}}</ref>。また、[[15世紀]]以降は{{仮リンク|イメレティ王国|en|Kingdom of Imereti}}([[1260年]]–[[1810年]])の首都でもあった。[[1810年]]に[[ロシア帝国]]に併合された。
 
町を見下ろす丘に立つ[[バグラティ大聖堂]]([[11世紀]]に完成)や、近郊の[[ゲラティ修道院]]が有名。後者は[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の[[世界遺産]]に登録されている。
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[[1840年]]に開設されたクタイシのギムナジウムは、[[言語学者]]ニコライ・マルや[[心理学者]]ディミトリ・ウズナゼ、[[詩人]][[ウラジーミル・マヤコフスキー]]、グリゴル・ロバキゼ、政治家[[ニノ・ブルジャナゼ]]らを輩出している。
 
グルジアにおける[[アヴァンギャルド]]運動の中核を担ったグループ「[[青い角]]」が[[1916年]]に結成され、301930年代まで活動を続けていた。
 
[[2012年]]に[[ジョージア議会議事堂]]が[[トビリシ]]より移転してきた。
 
== 気候 ==
ケッペンの気候区分では[[温暖湿潤気候]]であり、年間を通して降水量が多い。平均気温の推移は[[日本]]の暖地とほぼ同程度であるが、冬季の降水量は多く晴れ間は少ないことと、夏季の気温が低く比較的涼しいことが相違点として挙げられる。しかし夏季は比較的気温が上がり、30℃以上まで上がる日も多い。
 
==気候==
ケッペンの気候区分では[[温暖湿潤気候]]であり、年間を通して降水量が多い。平均気温の推移は[[日本]]の暖地とほぼ同程度であるが、冬季の降水量は多く晴れ間は少ないことと、夏季の気温が低く比較的涼しいことが相違点として挙げられる。しかし夏季は比較的気温が上がり、30℃以上まで上がる日も多い。
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== 交通 ==
;* [[ダヴィト・ザ・ビルダー・クタイシ国際空港]]
*: クタイシの西14km14キロメートルにある[[国際空港]]
 
== 姉妹都市 ==