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| 人名 = 杉浦 正健
| 各国語表記 = すぎうら せいけん
| 画像 = Seiken Sugiura, Minister of Justice.jpg
| 画像サイズ = 220px
| 画像説明 = [[
| 国略称 = {{JPN}}
| 生年月日 = {{生年月日と年齢|1934|7|26}}
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| 退任日3 = [[2009年]][[7月21日]]
}}
'''杉浦 正健'''(すぎうら せいけん、[[1934年]]〈[[昭和]]9年〉[[7月26日]] - )は、
1990年2月の[[第39回衆議院議員総選挙|総選挙]]で大規模な買収を行い、[[岡崎市議会]]議員13人が逮捕され、同7人が書類送検された([[#再選、選挙違反事件|杉浦事件]])<ref name="tokaiaichi19900320"/>。17人もの市議を入れ替える補欠選挙を引き起こし、市政を混乱に陥れるが<ref name="okazakishigikai-no-ayumi-p209"/><ref>『東海愛知新聞』1990年3月20日、1面、「保守反対で決議不能 岡崎市議会 買収関係議員の辞職勧告」。</ref>、自身の立件は免れ<ref name="asahi19900316"/>、2005年には法務大臣として初入閣した。
== 来歴・人物 ==
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[[1982年]]、[[第一東京弁護士会]]副会長に就任。
[[
[[1985年]]、[[日本の国会議員|国会議員]]への転身を考え始め、福田赳夫と[[第一高等学校 (旧制)|第一高等学校]]時代の親友だった[[弁理士]]の谷山輝雄が福田に杉浦を推薦{{sfn|『和して同ぜず』|pp=47-48}}。されども、[[愛知県第4区_(中選挙区)|旧愛知4区]]には[[清和政策研究会|福田派]]の重鎮、[[中野四郎]]元[[国土庁|国土庁長官]]がいた。義父の浅沼澄次が第一高等学校・東大で同期として親しかったこともあり{{sfn|杉浦正健|2014|p=135}}、福田とは浅からぬ縁があったが、中野の存在はいかんともしがたかった。
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同年9月2日、金のかからない政治、選挙の実現を目指し、[[武村正義]]、[[鳩山由紀夫]]らと共に政策勉強会「[[ユートピア政治研究会]]」を結成<ref>『朝日新聞』1988年9月3日付朝刊、2総、2面、「『政治家とカネ』の勉強会 自民若手で発足」。</ref><ref name="CHUNICHI19890129" />{{Refnest|group="注"|1989年3月2日、[[ユートピア政治研究会]]は政治活動費の収支を公開した<ref>{{Cite web|和書|url= http://www.secj.jp/s_library/seiji_chronology_1.html | title= 政治改革の軌跡 1988年~1992年 |website=21世紀臨調オフィシャルホームページ |publisher= [[新しい日本をつくる国民会議]] | date= | accessdate = 2021-12-21 }}</ref>。杉浦の1987年分政治資金の総額は9,550万円、1988年分の総額は1億640万円であった。1988年分のうち冠婚葬祭費の総額は981万円。1989年秋の取材に対し杉浦はこう述べた。「これだけ金がかかると、やはりマトモな人は選挙に出られない。今度の臨時国会で公選法改正案をぜひ成立させ、冠婚葬祭への寄付制限を強化したい。冠婚葬祭費がなくなるだけでも、金のかからない選挙に向け第一歩を踏み出せる」<ref>『中日新聞』1989年9月22日付朝刊、2面、「カネと政治家」。</ref>。しかしその願いも虚しく、数ヶ月後に行われた総選挙で杉浦陣営は現金買収事件を起こし、多数の逮捕者を出した。}}。
=== 再選
杉浦の実弟の杉浦矩康は1986年の総選挙後、兄の公設第一秘書となった。その年の清和会の忘年会で先輩秘書から裏金づくりを教えられる。自身の給料やボーナス、就職斡旋の謝礼金などを3年がかりでこつこつと貯め、[[議員会館]]の机の引き出しに1,300万円を蓄えた<ref>『中日新聞』1990年4月16日付夕刊、13面、「岡崎6市議被買収認める 汚れた集票生々しく 名地裁初公判 杉浦氏派違反」。</ref><ref>『中日新聞』1990年4月27日付夕刊、17面、「買収の趣旨は否認 選挙違反 杉浦氏実弟の初公判 名地裁」。</ref>。
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[[1993年]]7月の[[第40回衆議院議員総選挙|総選挙]]は、社会党現職の川島に4,100票差で敗れ落選。
=== 小選挙区導入
[[ファイル:Seiken Sugiura 20051031.jpg|
1994年8月11日、[[衆議院議員選挙区画定審議会]]は、[[政治改革四法]]における「小選挙区300・比例代表200」の具体的な区割り案を[[村山富市]]首相に勧告<ref>{{Cite web|和書|url= http://www.secj.jp/s_library/seiji_chronology_2.html | title= 政治改革の軌跡 1993年~1994年 |website=21世紀臨調オフィシャルホームページ |publisher= [[新しい日本をつくる国民会議]] | date= | accessdate = 2021-12-21 }}</ref>。[[愛知県第4区 (中選挙区)|旧愛知4区]]のうち、岡崎市は[[西尾市]]、旧[[幡豆郡]]、[[額田郡]]とともに[[愛知県第12区|愛知12区]]を構成することとなった。翌8月12日には選挙区ごとの候補予定者の動向が愛知県の地元紙によって報じられた<ref>『中日新聞』1994年8月12日付朝刊、県内版、16面、「小選挙区区割り案 名古屋市内一-五区 票数は野党側が優勢」。</ref>。
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[[2017年]][[4月29日]]の春の[[叙勲]]で、[[旭日大綬章]]を受章<ref>[http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170429/k10010965881000.html 春の叙勲 4080人が受章] - NHKニュース 2017年4月29日<!--暫定。ソース出次第、新聞記事に差し替え-->{{リンク切れ|date=2017年10月}}</ref>{{Refnest|group="注"|2017年の秋、[[旭日大綬章]]受章を祝う会が開かれる予定であったが、衆院選の時期と重なり延期。翌2018年11月15日に[[幸田町民会館]]で改めて開催された。この会に、[[小池百合子]]都知事から「今の私があるのも正健さんのおかげだ。これからも元気でいていただき、一緒に頑張らせていただきたい」と述べるビデオレターが届いた<ref>『中日新聞』2018年11月16日付朝刊、西三河版、16面、「杉浦正健元衆院議員の旭日大綬章受章祝う会 岡崎、西尾市議ら800人」。</ref>。}}。
同年6月30日、小池百合子都知事は政治団体「フォーラム・ユーリカ」を解散<ref>{{Cite web|url=http://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/seijishikin/contents/SD20171222/78.pdf |title=政治資金収支報告書 フォーラム・ユーリカ(平成29年分 解散分) |format=PDF |publisher=総務省 |date=2017-12-22 |accessdate=2019-12-04 | archivedate=2018-12-2 | archiveurl=https://web.archive.org/web/20181202142405/http://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/seijishikin/contents/SD20171222/78.pdf}}</ref>。7月2日に行われた[[2017年東京都議会議員選挙|東京都議会議員選挙]]で小池率いる[[都民ファーストの会]]は大勝し、小池は翌8月に政治団体「百乃会(ひゃくのかい)」を新たに設立した。小池と旧知の仲である杉浦は同団体の代表および会計責任者に就いた<ref name="tokyo20191121">{{cite news |author=原昌志、岡本太、石原真樹 |url=https://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201911/CK2019112102000142.html |title=【東京】都18年 政治資金収支報告 収支は平成で最低 パーティー収入、最高13.7億円 |newspaper=[[東京新聞]] |date=2019-11-21 |accessdate=2022-2-9 |archivedate=2019-11-21 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20191121044638/https://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201911/CK2019112102000142.html }}</ref>{{Sfn|【政治資金収支報告書】 百乃会(平成29年分 定期公表)}}{{Sfn|【政治資金収支報告書】 百乃会(令和4年分 定期公表)}}。2023年に同代表および会計責任者を退いた{{Sfn|【政治資金収支報告書】 百乃会(令和5年分 定期公表)}}。
== 選挙の記録 ==
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|}
==
=== 機密費流用事件 ===
外務副大臣に就任した[[2001年]]、[[パラオ]][[大使館]]の会計担当職員が公金を不正流用し、1年間の停職処分を受けていたことを外務省が隠蔽していた問題について、記者会見で「職員の将来を思い、武士の情け、人情で了解した」と発言し、公表しないよう要請した事務当局の意向を受け入れたことを認めた。さらに「隠蔽という言葉は不適当だ。公表しないことをもって、隠蔽とは言えない」と語るとともに、今後、同様の不祥事が発覚した場合も「(公表は)ケース・バイ・ケースだと思う」と発言した{{要出典|date=2020年5月}}。
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=== 死刑執行問題 ===
[[弁護士]]出身で、また死刑制度
杉浦は[[日本における死刑#執行命令|死刑執行命令書]]に署名しなかったことついて、「[[死刑存廃問題|死刑反対論者]]
なお、[[刑事訴訟法]]第475条は、法務大臣は判決確定から6ヶ月以内に死刑執行命令を発令するよう規定しているが、事実上死文化している。{{Main|日本における死刑}}
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== エピソード ==
* [[穂積五一]]を「最大の人生の恩師」と呼ぶ{{sfn|杉浦正健|2014|p=215}}。穂積の影響を受け、東大アジア学生友好会、アジア文化会館、[[経済産業省|通産省]]所管の海外技術者研修協会(AOTS)などの設立に関わった<ref name="mofa" /><ref name="abk" />。
* 1956年初夏、杉浦はアジア人留学生への資金援助を請うため、当時自民党幹事長だった[[岸信介]]の事務所を訪れた。このとき事務所で応対したのが岸の[[安倍洋子|長女]]の夫の[[安倍晋太郎]]であった。同年12月23日、[[石橋内閣|石橋湛山内閣]]の[[外務大臣 (日本)|外務大臣]]として岸が入閣すると、安倍は[[毎日新聞社]]を退職し、外務大臣秘書官となって岸に仕えた。杉浦は以後もたびたび岸のもとを訪れるが、それに伴い[[秘書官]]の安倍との交流も始まった。1958年、安倍は衆議院議員に初当選。杉浦は[[海外産業人材育成協会|海外技術者研修協会]]の補助金獲得のため、毎年予算時期になると安倍の世話になったという{{sfn|『和して同ぜず』|pp=382-383}}{{sfn|『和して同ぜず』|pp=21-22}}。1985年10月に中野四郎が死去した際、安倍が領袖の[[福田赳夫]]とともに杉浦を後継に推したのはこうした経緯があったからであった<ref>『朝日新聞』1987年4月17日、東海総合面。</ref>。
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* {{Cite web |url=http://www.senkyo.metro.tokyo.jp/uploads/29teiki-hi_026.pdf |title=【政治資金収支報告書】 百乃会(平成29年分 定期公表) |publisher=東京都選挙管理委員会 |date=2018-11-21 |accessdate=2023-12-05 | archivedate=2019-12-04 | archiveurl=https://web.archive.org/web/20191204052914/http://www.senkyo.metro.tokyo.jp/uploads/29teiki-hi_026.pdf |ref= {{Sfnref|【政治資金収支報告書】 百乃会(平成29年分 定期公表)}} }}
* {{Cite web|url=https://www.senkyo.metro.tokyo.lg.jp/uploads/30teiki-hi_032.pdf |title=【政治資金収支報告書】 百乃会(平成30年分 定期公表) |publisher=東京都選挙管理委員会 |date=2019-11-20 |accessdate=2023-12-5 | archivedate=2021-9-19 | archiveurl=https://web.archive.org/web/20210919235630/https://www.senkyo.metro.tokyo.lg.jp/uploads/30teiki-hi_032.pdf |ref= {{Sfnref|【政治資金収支報告書】 百乃会(平成30年分 定期公表)}} }}
* {{Cite web| url=https://www.senkyo.metro.tokyo.lg.jp/
* {{Cite web| url=https://www.senkyo.metro.tokyo.lg.jp/
* {{Cite web| url=https://www.senkyo.metro.tokyo.lg.jp/
* {{Cite web| url=https://www.senkyo.metro.tokyo.lg.jp/documents/d/senkyo/05teiki-hi_034 | title=【政治資金収支報告書】 百乃会(令和5年分 定期公表) | publisher=東京都選挙管理委員会 | date=2024-11-21 | accessdate=2024-11-21 |ref= {{Sfnref|【政治資金収支報告書】 百乃会(令和5年分 定期公表)}} }}
</div>
;選挙記録
<div style="font-size:90%;">
* {{Cite web|url=https://www.city.okazaki.lg.jp/1300/1670/p015602_d/fil/
* {{Cite web|url=https://www.city.okazaki.lg.jp/1300/1670/p015602_d/fil/
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* {{Cite web|url=https://www.city.okazaki.lg.jp/1300/1670/p015602_d/fil/
</div>
371行目:
[[Category:平成時代の衆議院議員]]
[[Category:日本の弁護士]]
[[Category:日本の死刑廃止論者]]
[[Category:JFEグループの人物]]
[[Category:愛知県立岡崎高等学校出身の人物]]
[[Category:東京大学出身の人物]]
[[Category:
[[Category:旭日大綬章受章者]]
[[Category:日本の仏教徒]]
[[Category:自由民主党の都道府県支部連合会会長]]
[[Category:岡崎市出身の人物]]
[[Category:1934年生]]
[[Category:存命人物]]
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