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|名称 = 宮殿(明治宮殿)
|旧名称 =
|画像 = {{画像募集中|cat=千代田区|cat2=歴史}}
|画像 = File:豊明殿前庭.jpg|thumb|豊明殿前庭|200px
|画像説明 = <!-- 明治宮殿中庭。奥に見えるのが豊明殿、左に千種の間 -->
|用途 = [[天皇]]の公務、国家的行事、御所
|旧用途 =
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== 建設の経緯 ==
[[File:Ceremony for the Promulgation of the Constitution by Wada Eisaku.jpg|thumb|left|[[和田英作]]画『憲法発布式』([[聖徳記念絵画館]]所蔵)]]
[[File:明治宮殿御車寄.jpg|thumb|明治宮殿御車寄]]
[[ファイル:明治宮殿空中写真.jpg|サムネイル|1935年頃の明治宮殿空中写真。{{smaller|帰属:国土交通省「国土画像情報(モノクロ空中写真)」 配布元:国土地理院「[https://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do#1 地図・空中写真閲覧サービス]」}}]]
[[1868年]](明治元年)から[[1869年]](明治2年)に行われた[[東京奠都]]によって、旧[[江戸城]]西の丸御殿が皇居となったが、[[1873年]](明治6年)の失火により、西の丸御殿は焼失した{{sfn|山崎|2003|p=160}}。直ちに新宮殿造営が政府により[[上奏]]されたものの、[[西南戦争]]の戦費等の財政負担も大きく、国内整備が先決との[[明治天皇]]の意向により、新宮殿造営は見送られた。このため、旧[[紀州藩]][[江戸藩邸]]であった[[東宮御所|青山御所]]が仮皇居となった。しかし、青山御所では儀式典礼に支障をきたすようになったため、ようやく宮殿造営が[[勅許]]された。
 
新しい宮殿(明治宮殿)は、旧江戸城西の丸に建設されることとなり、[[1888年]](明治21年)[[10月7日]]に落成した。当初は<!--地盤の良い山里丸に-->[[ジョサイア・コンドル]]の設計による石造りの建築として計画されたが、[[宮内省]][[内匠寮]]との軋轢や予算の関係で、[[京都御所]]を模した[[和風]]の外観に、椅子やシャンデリアのある洋風の内装という[[和洋折衷]]の様式の[[木造建築]]となった{{sfn|山崎|2003|p=159}}。床は寄木張、天井は折上塗格天井、牡丹唐草文様の他、多彩な野菜や果物などで装飾された壁や欄干が張られていた。[[高村光雲]]、[[石川光明]]、[[塚田秀鏡]]といった人物が創作及び指揮に関わった<ref>皇室{{Cite book |和書 |editor=京都国立近代美術館 |editor2=宮内庁三名品、丸尚蔵館 |editor3=日本経済新聞社 |title=皇室の名品 |date=2013-11-09 |publisher=号、p.本経済新聞社 |page=23 |id={{国立国会図書館書誌ID|025300038}}}}</ref>。
 
当初の事業予算は総額250万円だったが、建設の過程で事業規模の拡大により、最終的な総事業費は415万3067円6銭4厘に上った{{sfn|山崎|2003|pp=161, 165}}。
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== 戦災による焼失 ==
[[ファイル:焼失後の明治宮殿.jpg|サムネイル|焼失後(1947年)の明治宮殿跡地。{{smaller|帰属:国土交通省「国土画像情報(モノクロ空中写真)」 配布元:国土地理院「[https://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do#1 地図・空中写真閲覧サービス]」}}]]
第二次世界大戦末期の[[1945年]]([[昭和]]20年)[[5月25日]]の[[東京大空襲]](山の手大空襲)で、皇居にも焼夷弾多数が落下。[[皇宮警察 (宮内省)|皇宮警察部]]、[[警視庁]]特別消防隊、[[近衛歩兵第1連隊]]、[[近衛歩兵第2連隊]]将兵が中心となって消火に努めた結果、焼夷弾そのものによる火災は食い止め、空襲警報解除の時点では明治宮殿は無事であった。しかし桜田濠沿い(現在[[憲政記念館]]がある場所)にあった[[参謀本部 (日本)|参謀本部]]が爆撃され炎上した際、する火の粉が[[火災旋風]]とおぼしき折からの強風より明治煽られ宮殿に類焼飛び火、発火全焼した。宮殿の消火作業に当った[[皇宮視庁 (内務省)|察部3名、警視庁]]の特別消防隊1917名、近衛歩兵連隊将兵14名が[[殉職]]したものの、[[昭和天皇]]らは[[吹上御苑]]内の[[御文庫附属庫#御文庫|御文庫]]に避難しており無事だった<ref group="注">御文庫は[[鉄筋コンクリート]]造りの堅固な建物で、東京への空襲が激しくなってからは天皇はここに避難していた。</ref>。宮殿焼失の翌日、その焼け跡をみまわった昭和天皇が、同行の警衛局長兼内匠頭のお詫びに対して「戦争のためだからやむを得ない、それよりも多数の犠牲者を出し、気の毒だった。残念だったなあ」と述べた。
 
明治宮殿が焼失してから、戦後になって吹上御所および新宮殿が新たに造営されるまで、天皇は御文庫を仮の[[御所]]とし[[宮内庁]]庁舎3階を仮の[[宮殿]]とした。戦後暫くの間、焼失した宮殿の再建は行われなかった。この理由について、昭和天皇の侍従長を務めた[[入江相政]]は、自らの著書で『お上(昭和天皇)は戦争終了後、「国民が戦災の為に住む家も無く、暮らしもままならぬ時に、新しい宮殿を造ることは出来ぬ」と、戦災からの復興とそれに伴う国民生活の向上を最優先とすべしという考えから、空襲で焼失した宮殿などの再建に待ったをかけていた』旨のことを記している。
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[[2019年]]([[令和]]元年)10月18日発売の天皇陛下御即位記念切手は、失われた明治宮殿の正殿の天井の絵柄と、正面玉座上部の緞帳の絵柄がレイアウトされている。
 
また、現在皇居にて有志が行う清掃や除草などの[[皇居勤労奉仕]]は、1945年12月に[[宮城県]][[栗原郡]]の青年団が明治宮殿の焼け跡を整理したのが最初とされている<ref>{{Cite news |和書 |title=(ニュースQ3)陛下にお会いできるかも…期待を胸に勤労奉仕団 |publishernewspaper=[[朝日新聞]] |date=2012-11-29}}</ref><ref>{{Cite news |和書|title=終戦直後に始まった皇居清掃奉仕団、延べ100万人突破 |publishernewspaper=[[読売新聞]] |date=1990-04-04}}</ref>。
<!--
 
== 明治宮殿の写真 ==
<gallery widths="250px" heights="220px">
File:明治宮殿正殿.jpg|正殿
File:明治宮殿豊明殿.jpg|豊明殿
File:明治宮殿千種の間.jpg|千種の間
file:千種の間、右側は豊明殿.jpg|千種の間、右側は豊明殿
File:表御座所外観.jpg|表御座所
</gallery>
-->
 
== 脚注 ==
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== 参考文献 ==
* {{Cite book |和書 |author=小沢朝江 |title=明治の皇室建築  国家が求めた〈和風〉像』  |date=2008-11 |publisher=[[吉川弘文館]] |series=[[歴史文化ライブラリー]]〉、 263 |isbn=978-4-642-05663-2 |ref={{SfnRef|小沢|2008年11月}}}}
** {{Cite book |和書 |author=小沢朝江 |title=明治の皇室建築 国家が求めた〈和風〉像 |edition=オンデマンド版 |date=2021-10 |publisher=吉川弘文館 |series=歴史文化ライブラリー 263 |isbn=978-4-642-75663-1 |url=https://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b594441.html |ref={{SfnRef|小沢|2021}}}}
* [[宮内庁]][[三の丸尚蔵館]]編 『幻の室内装飾―明治宮殿の再現を試みる 三の丸尚蔵館展覧会図録No.56』 宮内庁、2011年9月23日
* {{Cite book |和書 |editor=宮内庁三の丸尚蔵館 |editor-link=三の丸尚蔵館 |title=幻の室内装飾 明治宮殿の再現を試みる |date=2011-09-23 |publisher=宮内庁 |series=三の丸尚蔵館展覧会図録 No.56 |id={{国立国会図書館書誌ID|000011286403}} |ref=harv}}
* {{Cite journal |和書 |author=山崎鯛介 |year=2003 |title=明治宮殿の建設経緯に見る表宮殿の設計経緯 |journal=日本建築学会計画系論文集 |year=2003 |volume=68 |issue=572 |pages=159-166 |doi=10.3130/aija.68.159_3 |ref={{SfnRef|山崎|2003}}}}
* [[米窪明美]] 『明治宮殿のさんざめき』 [[文藝春秋]]、2011年3月/[[文春文庫]]、2013年9月
* {{Cite book |和書 |author=米窪明美 |author-link=米窪明美 |title=明治宮殿のさんざめき |date=2011-03 |publisher=[[文藝春秋]] |isbn=978-4-16-373900-7 |ref={{SfnRef|米窪|2011}}}}
** {{Cite book |和書 |author=米窪明美 |title=明治宮殿のさんざめき |date=2013-09 |publisher=文藝春秋 |series=[[文春文庫]] |isbn=978-4-16-783878-2 |ref={{SfnRef|米窪|2013}}}}
 
== 関連項目 ==
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== 外部リンク ==
{{Commonscat}}
* [https://shoryobu.kunaicho.go.jp/Kobunsho/Viewer/4000813570000/859e8c9546464aad953ce1bd7f457e6f 表宮殿地之間之図]
* [https://shoryobu.kunaicho.go.jp/Kobunsho/Viewer/4000813530000/628e4a070a0a45a398ab95b38922c4cc 奥宮殿地之間之図]