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=== 背景 ===
1986年1月[[アチョリ]]出身の[[ティトー・オケロ]]大統領が南西部を支持基盤とする[[ヨウェリ・ムセベニ]]の[[国民抵抗軍]]([[NRA]])(NRA)により打倒された({{仮リンク|ウガンダ・ブッシュ戦争|en|Ugandan Bush War|label=ウガンダ内戦}}、ルウェロ戦争)。アチョリは彼らによる伝統となっていた国軍の支配を奪われることを恐れ、またNRAが受けた残忍な[[対反乱作戦]]、特に{{仮リンク|ルウェロ・トライアングル|en|Luwero Triangle|label=ルウェロ三角}}地域での虐殺<ref name=Luwerotriangle>Doom, R. and K. Vlassenroot. "Kony's message: a new ''koine''? The Lord's Resistance Army in Northern Uganda," ''African Affairs'' 98 (390), p. 9</ref>に対する報復を受けることを恐れた。8月までに政府軍占領下の北部で民衆反乱が起こった。
 
=== 初期 ===
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|combatant2={{仮リンク|聖霊運動 (ウガンダ)|en|Holy Spirit Movement|label=聖霊運動}}<br />
{{仮リンク|ウガンダ人民民主軍|en|Uganda People's Democratic Army}}<br />
[[ファイル:Alleged Flag of Lord'sred Resistanceyellow Army5x3.svg|20px|LRAの旗]] 神の抵抗軍
|commander1=[[ヨウェリ・ムセベニ|ヨウェリ・ムセヴェニ]]<br />[[ポール・カガメ]]<br />{{仮リンク|ベティ・オイェラ・ビゴンベ|en|Betty Oyella Bigombe}}<br />[[:en:James Kazini|James Kazini]]
|commander2=[[アリス・アウマ]]<br />{{仮リンク|オドン・ラテク|en|Odong Latek}}<br />[[ジョゼフ・コニー]]
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{{main|{{仮リンク|ガランバ攻勢 (2008年 - 2009年)|en|2008–09 Garamba offensive|label=ガランバ攻勢}}|[[:en:2008 Christmas massacres]]|{{仮リンク|マコンボ虐殺|en|Makombo massacre}}}}
 
第二次コンゴ戦争以降、ウガンダとコンゴ民主共和国の政府間関係は険悪化していたが、2008年12月には、コンゴ民主軍、ウガンダ軍、[[スーダン人民解放軍|南スーダン自治政府軍]](SPLA、現・南スーダン軍)共同のLRA掃討作戦「ライトニング・サンダー」([[2008(2008]][[12月14日]] - [[2009年]][[3月15日]])が行われた<ref>[http://www.anzen.mofa.go.jp/info/pcterror_093.html 海外安全ホームページ]、日本国外務省、2009年12月末現在。</ref>。この作戦にはアメリカも支援を行った。アメリカの議会は2009年に[[LRA非武装・北ウガンダ再建法案]]([[:en:Lord's Resistance Army Disarmament and Northern Uganda Recovery Act|Lord's Resistance Army Disarmament and Northern Uganda Recovery Act]])を可決した。
 
[[2009年]]、[[コンゴ民主共和国]][[東部州 (コンゴ)]][[:en:Haut-Uele District]]の{{仮リンク|マコンボ|en|Makombo}}で、LRAによる{{仮リンク|マコンボ虐殺|en|Makombo massacre}}([[12(12月14日]] - [[12月17日]])が起こった。
 
アメリカは、2011年10月には約100名の戦闘部隊をウガンダに派遣した後、南スーダンや中央アフリカ、コンゴ民主共和国の賛同を得ながら各国に展開し、LRAの指導者や幹部の捕捉を支援すると表明している<ref>[{{Cite news
|url=http://www.cnn.co.jp/world/30004280.html |title=ウガンダに米軍兵士を派遣、武装勢力指導者の捕そく支援(CNN|publisher=CNN.co.jp.|date=2011.10.15)2011年-10月閲覧]-15|archiveurl=|archivedate=}}{{リンク切れ|date=2017年11月}}</ref>。
 
2012年5月13日、ウガンダ軍は、LRA掃討作戦の中で、LRAの5人の最高幹部の1人であるアチェラム司令官を拘束した<ref>{{Cite news
|url = https://web.archive.org/web/20120514012442/http://sankei.jp.msn.com/world/news/120513/mds12051323580000-n1.htm
|title = 「神の抵抗軍」幹部を拘束 ウガンダ軍
|newspaper = 産経新聞
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2008年12月30日、キリスト教系国際慈善団体カリタス(本部[[ヴァチカン]])は、LRAがその前週のクリスマス期間中に、コンゴ民主共和国(旧ザイール)北部で住民約480人を殺害したとする声明を出した。この声明によれば、スーダン国境沿いにあるファラジェで25、26の両日、教会などがLRA部隊に襲われ、約150人が死亡したほか、少なくとも4地域でも同様の襲撃があり、計336人が殺害された。また、避難民は6,500人に上り、拉致された子供もいるという。
 
2010年3月27日、国際人権団体の[[ヒューマン・ライツ・ウオッチ]]は、2009年末、LRAが少なくとも民間人321人を殺害、女性ら250人を拉致したとする報告書を発表した<ref>{{Cite web|url=http://www.cnn.co.jp/world/CNN201003280018.html|title= 住民321人を殺害、250人拉致 コンゴの反政府武装組織|date=2010年3月28日|publisher=CNN.co.jp|accessdate=2010-03-29|archiveurl=https://web.archive.org/web/20100401123947/http://www.cnn.co.jp/world/CNN201003280018.html|archivedate=2010-04-01}}</ref>。また、拉致された者には、少なくとも子供80人が含まれるという。この報告書によると、この虐殺が起きたのは2009年12月14日から17日までで、少なくとも10カ所の村落が襲撃され、住民は[[斧]]や[[鉈|なた]]、大型の木製棒などで惨殺されたという。また、被害から逃れた村民によると、拉致された子供は、命令に従わない子供を殺害するよう強制されているという。ヒューマン・ライツ・ウオッチは、LRAによる23年間の武装闘争の中でこの虐殺は最悪の規模だと非難した。また、この虐殺が数か月も表面化しなかったことについて、コンゴ民主共和国とウガンダの両政府の責任にも言及している。
 
同時に、コンゴ民主共和国北東部に展開する国連平和維持軍約1,000人による住民保護は不十分な態勢にあると指摘している。同国政府は「神の抵抗軍は国内の治安維持で重大な脅威でない」と主張していた。