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{{サッカー選手
| 名前 = 中村 直志
| 画像 =
| 本名 =
| 愛称 = ナオシ
| カタカナ表記 = ナカムラ ナオシ
| アルファベット表記 = NAKAMURA Naoshi
| 原語名 =
| 原語表記 =
| = {{JPN}}
| 年月 =[[1979 {{生]][[127]]と年齢|1979|1|27}}
| 出身地 = [[千葉県]][[船橋市]]
| 身長 =175cm 176cm
| 体重 =70kg 72kg
| 所属チーム名 =
|血液型=A型
| ポジション = [[ミッドフィールダー|MF]]
|所属チーム名=[[名古屋グランパスエイト]]
| 背番号 =
|ポジション=[[ミッドフィールダー|MF]]
| 利き足 = 右足
|背番号=7
|ユース年1=1994-1996|ユースクラブ1={{flagicon|JPN}} [[船橋市立船橋高等学校|市立船橋高校]]
|利き足=右
|ユース年2=1997-2000|ユースクラブ2={{flagicon|JPN}} [[日本大学]]
|CAP数=1
| クラブ1 = {{flagicon|JPN}} [[名古屋グランパスエイト|名古屋グランパス]]| 年1 = 2001-2014| 出場1 = 342 | 得点1 = 30
|代表ゴール数=0<br>[[2006年]][[8月10日]]現在
|通算出場=342|通算得点=30
}}
| クラブ成績更新日 = 2014年12月7日
| 代表国1 = {{JPNf}}
| 代表年1 = 2006
| 代表出場1 = 1 | 代表得点1 = 0
| 代表成績更新日 = 2006年8月9日
|代表1={{JPNf}}}}
'''中村 直志'''(なかむら なおし、[[1979年]][[1月27日]] - )は、[[日本]]の元[[サッカー選手]]、サッカー指導者。[[サッカーのポジション|ポジション]]は[[ミッドフィールダー|MF]]。[[船橋市立船橋高等学校]]、[[日本大学]][[卒業]]。
 
== 選手経歴 ==
'''中村 直志'''('''なかむら なおし'''、[[1979年]][[1月27日]] - )は、[[名古屋グランパスエイト]]所属の[[サッカー選手]]。ポジションはMF([[ミッドフィールダー]])。[[船橋市立船橋高等学校]]、[[日本大学]]卒業。
=== プロ入り前 ===
小学校3年生のとき、地元[[船橋市立芝山東小学校]]のサッカー部に入部する<ref name="JPFA">{{Cite web|和書| url=http://j-leaguers.net/special/history/file035.html | title=PLAYER'S HISTORY FILE035 名古屋グランパスエイト 中村直志 | author=JPFA | date= | accessdate=2009-07-02 | archiveurl=https://web.archive.org/web/20090218234832/http://www.j-leaguers.net/special/history/file035.html | archivedate=2009-02-18 | url-status=dead|url-status-date=2017-09 }}</ref>。5年生から船橋市の選抜チーム([[船橋FC]])に選ばれ、6年生で全国少年サッカー大会に出場した<ref name="JPFA" />。中学校進学にあたり、[[ジェフユナイテッド市原・千葉|ジェフユナイテッド市原]]ジュニアユースのセレクションに合格<ref name="JPFA" />。1つ下の世代に[[酒井友之]]や[[村井慎二]]らがいた<ref name="JPFA" />。
 
中学卒業間近にコーチからユース昇格は厳しいと宣告され一時はサッカー自体を諦めかけたが、船橋FC時代の恩師の計らいにより[[船橋市立船橋高等学校]]へ進学、サッカー部へ入部した<ref name="JPFA" />。高校3年時には[[全国高等学校サッカー選手権大会|高校選手権]]で優勝。決勝戦の相手は[[中村俊輔]]率いる[[学校法人桐光学園|桐光学園]]であった<ref name="pia">{{Cite web|和書| url=http://www.pia.co.jp/hot_sports/hone/0615.html | title=21世紀の骨のあるヤツ 第223回 中村直志 | author=@ぴあ | date= | accessdate=2009-07-02 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20160304112827/http://www.pia.co.jp/hot_sports/hone/0615.html |archivedate=2016-03-04 |url-status=dead|url-status-date=2021-05-11}}</ref>。なお、この試合で対戦した両校イレブンからは中村直志と中村俊輔を含め、中村直志の同級生であった[[北嶋秀朗]]・[[吉川京輔]]・[[佐藤陽彦]]など多数の選手がプロ入りしている<ref name="JPFA" />。2学年上には[[森崎嘉之]]、[[鈴木和裕]]、[[茶野隆行]]、1学年上には[[式田高義]]がいた。
==プレイスタイル==
*鋭いドリブル突破を武器にチャンスを演出し、時には強烈なミドルシュートでゴールを奪うチャンスメーカー、セカンドストライカータイプの選手。デビュー当時は[[ドラガン・ストイコビッチ|ピクシー]]の後継者といわれた。また決定力の高さを買われてFWで出場したこともある。
*早くから名古屋のサポーターの間では「代表に直志を」の声が上がっていたが、[[中田英寿]]をはじめとする中盤にはタレント揃いであったためにジーコジャパンでは代表に呼ばれることはなかった。[[ジーコ]]曰く「名古屋の7番がいい選手であるのは知っている。しかし代表の中盤には外せない選手が揃っている」しかし[[イビチャ・オシム|オシム]]ジャパン船出の試合となった[[サッカートリニダード・トバゴ代表|トリニダード・トバゴ]]戦で日本代表に追加召集。続いての[[AFCアジアカップ|アジア杯]][[サッカーイエメン代表|イエメン]]戦でも代表入りを果たす。
*元チームメイトの[[マルケス・バチスタ・デ・アブレウ|マルケス]]を尊敬していると、様々なインタビュー等で公言している。
 
セレクションで合格した[[日本大学]]へ進学したが、当初は環境の酷さに戸惑ったという<ref name="JPFA" />。関東選抜や大学選抜に選ばれ、大学選抜の日韓戦を見た当時グランパスでコーチを務めていた[[三浦哲郎 (サッカー)|三浦哲郎]]から練習参加の誘いを受ける<ref name="JPFA" />。同時に地元の[[柏レイソル]]からも誘いを受けていたが、設備や雰囲気、[[ドラガン・ストイコビッチ|ストイコビッチ]]が在籍していたこと<ref>{{Cite web|和書| url=http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00023759.html | title=【スペシャルインタビュー Vol.16】名古屋グランパスエイト:中村直志選手「憧れていたピクシーと一緒にプレーできたのは良かった」 | author=J's GOAL | date=2005年9月14日 | accessdate=2009年7月2日}}</ref> などから[[名古屋グランパスエイト]]への入団を決める<ref name="JPFA" />。
== 経歴 ==
*[[ジェフユナイテッド市原・千葉|ジェフ市原]]ジュニアユース
*[[船橋市立船橋高等学校]]
*[[日本大学]]
*[[名古屋グランパスエイト]] 2001年1月-
 
=== 名古屋グランパスエイト ===
==戦歴==
[[2001年のJリーグ|2001年]]の1stステージ第2節ジェフユナイテッド市原戦で初出場すると、主に[[ミッドフィールダー#サイド・ミッドフィールダー|サイドハーフ]]で11試合に出場し、2ndステージ第1節[[ガンバ大阪]]戦で初得点を挙げた<ref name="pia" /><ref name="official">{{Cite web|和書| url=http://nagoya-grampus.jp/clubteam/players/naoshi_nakamura.html | title=選手データ 中村直志 | author=名古屋グランパス | date= | accessdate=2009年7月2日}}</ref>。そのプレーにより「[[ドラガン・ストイコビッチ|ピクシー]]の後継者」の1人として名前が挙げられた<ref name="chu-spo090603" />。
=== Jリーグ通算成績 ===
 
{| border="1" cellspacing="0"
[[2002年のJリーグ|2002年]]は基本システムが[[サッカーのフォーメーション#ドイスボランチ型(3-4-1-2)|ダブルボランチ型の3-5-2]]に変更されて[[ミッドフィールダー#攻撃的ミッドフィールダー|トップ下]]、2003年は[[ミッドフィールダー#守備的ミッドフィールダー|ボランチ]]、2004年には再びトップ下とポジションを点々とする<ref name="pia" /><ref name="chu-spo090603">{{Cite web|和書| url=http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/grampus/news/200906/CK2009060302000039.html | title=<2年目のPIXY> 7 MF中村直志、戻りつつある攻撃力 | author=中日スポーツ | date=2009-06-03 | accessdate=2009-07-02 | archiveurl=https://web.archive.org/web/20090607080826/http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/grampus/news/200906/CK2009060302000039.html | archivedate=2009-06-07 | url-status=dead|url-status-date=2017-09}}</ref>。2005年には基本システムが[[サッカーのフォーメーション#4-4-2|4-4-2]]に戻されて主に右サイドハーフでの起用となったが<ref>{{Cite web|和書| url=http://www.jsgoal.jp/special/2005preview/nagoya.html | title=「赤鯱魂」のスローガンの下、よりアグレッシブなサッカーでリーグ上位を目指す | author=J's GOAL | date=2005年2月27日 | accessdate=2009年7月2日}}</ref>、この年は[[ウェズレイ・ハイムンド・ペレイラ・ダ・シルヴァ|ウェズレイ]]や[[マルケス・バチスタ・デ・アブレウ|マルケス]]が相次いで退団するなど[[フォワード (サッカー)|フォワード]]の外国選手の入退団が多く、中村がフォワードとして出場することもあった。[[2006年のJリーグ|2006年]]からは[[サッカーのフォーメーション#ワンボランチ型(3-3-2-2)|ワンボランチ型の3-5-2]]で右サイドハーフ([[ミッドフィールダー#ウイングバック|ウイングバック]])として出場するが<ref name="chu-spo090603" />、守備陣に怪我に多かった[[2007年のJリーグ|2007年]]は守備に比重を置く場面も多くプロ入り後初めて無得点でシーズンを終わった<ref>{{Cite web|和書| url=http://www.chunichi.co.jp/chuspo/hold/grampus/news/2007/200712/CK2007121802072990.html | title=中村、納得の初ダウン ピクシー新体制で「一から出直し」 | author=中日スポーツ | date=2007年12月18日 | accessdate=2009年7月2日}}</ref>。
|- style="background-color:#DDDDDD"
 
! rowspan="3" |年度!! rowspan="3" |チーム!!rowspan="3" |リーグ!! rowspan="3" |背番号!! colspan="4" |リーグ戦!! colspan="2" rowspan="2"|カップ戦!! colspan="2" rowspan="2"|天皇杯
そんな中、2006年には日本代表候補に選出され、4月21日から23日の強化合宿に参加<ref>{{Cite web|和書| url=https://www.nikkansports.com/soccer/news/p-sc-tp0-20080418-349647.html | title=名古屋MF中村ら3人が日本代表候補選出 | author=日刊スポーツ | date=2008年4月18日 | accessdate=2009年7月2日}}</ref>。8月9日の[[サッカー日本代表の国際親善試合|キリンチャレンジカップ]]の[[サッカートリニダード・トバゴ代表|トリニダード・トバゴ]]戦に向け、追加メンバーとして[[サッカー日本代表|日本代表]]に初招集される<ref>{{Cite web|和書| url=http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/wcup/06germany/headlines/20060806/20060806-00000007-spnavi_ot-spo.html | title=オシム日本 ドタバタ5人追加招集 | author=Yahoo!スポーツ | date=2006年8月6日 | accessdate=2009年7月2日}}</ref>。続いての[[AFCアジアカップ|アジア杯]][[サッカーイエメン代表|イエメン]]戦でも代表入りを果たす。
|- style="background-color:#dddddd"
 
!colspan="2"|J・J1!!colspan="2"|J2
2008年に[[ドラガン・ストイコビッチ|ストイコビッチ]]が監督に就任すると、中村にボランチの適性を見出しレギュラーとして固定され<ref name="JG0805">{{Cite web|和書| url=http://www.jsgoal.jp/mip/mip_0805.html | title=J1 5月度 J'sGOAL月間MIP | author=J's GOAL | date=2008年6月12日 | accessdate=2009年7月2日}}</ref>、中心選手としてリーグ3位に貢献。2009年も引き続き30試合に出場し、[[AFCチャンピオンズリーグエリート|ACL]]や[[天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]では4年ぶりとなる公式戦での得点を挙げた。その後も怪我により出場試合が激減した2012年を除いて主力として多くの試合に出場したが、2014年11月16日にシーズン限りでの引退を表明した<ref>{{Cite web|和書| url=http://nagoya-grampus.jp/information/pressrelease/2014/1116post-296.php | title=中村 直志選手、現役引退のお知らせ | author=名古屋グランパス | date=2014年11月16日 | accessdate=2014年11月17日}}</ref>。
|- align=center
 
|- style="background-color:#dddddd"
中村が10年以上背負い続けた背番号7は、中村本人の希望で[[田口泰士]]へと引き継がれた<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jleague.jp/column/article/266/ |title=次世代へ継承される伝統の背番号(♯3) |website=Jリーグ.jp |author=青山知雄 |date=2015-03-19 |accessdate=2021-05-11}}</ref>。
!出場!!得点!!出場!!得点!!出場!!得点!!出場!!得点
 
|- align=center
== 引退後 ==
|[[2001年]]||名古屋||J1||25||11||1||colspan="2"|-||||||||
2015年2月1日付で株式会社名古屋グランパスエイト・ホームタウン推進部の正社員となり、現役時代の知名度を生かしたプロモーション活動を展開。
|- align=center
その後、名古屋グランパスの事業部門・スカウト部門を経て、2021年度から名古屋グランパスのスクールコーチに就任した<ref>『[[月刊グラン]]』([[中日新聞社]]) 2021年5月号 P20</ref>。
|[[2002年]]||名古屋||J1||14||29||4||colspan="2"|-||||||||
 
|- align=center
== 選手としての特徴 ==
|[[2003年]]||名古屋||J1||7||22||3||colspan="2"|-||5||0||||
高い適応力と戦術理解力を持ち、中盤の幅広いポジションをこなす[[ユーティリティープレイヤー]]<ref name="pia" />。2001年のプロ入り時は攻撃的なポジションが本職で、初年度はドリブルやミドルシュートを武器に主にサイドハーフとして出場<ref name="pia" /><ref name="chu-spo090603" />。2003年にボランチを経験すると課題の守備にも自信を深め<ref name="pia" />、その後様々なポジションを経験するが<ref name="pia" />、2008年以降はボランチを定位置として活躍<ref name="JG0805" />。高いパス成功率(2008年5月実績で80%台<ref name="JG0805" />)と献身的な守備<ref name="JG0805" /> を武器にチームの攻守を繋ぐ重要な役割を果たした。
|- align=center
 
|[[2004年]]||名古屋||J1||7||29||5||colspan="2"|-||8||1||||
== エピソード ==
|- align=center
{{未検証|section=1|date=2009年7月}}
|[[2005年]]||名古屋||J1||7||34||7||colspan="2"|-||6||0||||
* 好きな言葉は「謙虚」。
|- align=center
* 元チームメイトの[[マルケス・バチスタ・デ・アブレウ|マルケス]]を尊敬していると、様々なインタビューなどで公言している。
|[[2006年]]||名古屋||J1||7||33||5||colspan="2"|-||||||||
 
|- align=center
== 所属クラブ ==
|[[2007年]]||名古屋||J1||7||||||colspan="2"|-||||||||
; ユース経歴
|- align=center
* [[ジェフユナイテッド市原・千葉|ジェフユナイテッド市原]]ジュニアユース
|colspan="4"|通算||158||25||colspan="2"|-||||||||
* [[船橋市立船橋高等学校]]
* [[日本大学]]
; プロ経歴
* 2001年 - 2014年 [[名古屋グランパスエイト|名古屋グランパスエイト/名古屋グランパス]]
 
== 個人成績 ==
{{サッカー選手国内成績表 top|yy}}
{{サッカー選手国内成績表 th|日本|all}}
|-
|[[2001年のJリーグ|2001]]||rowspan="14"|[[名古屋グランパスエイト|名古屋]]||25||rowspan="14"|[[J1リーグ|J1]]||11||1||4||2||0||0||15||3
|-
|[[2002年のJリーグ|2002]]||14||29||4||5||0||3||0||37||4
|-
|[[2003年のJリーグ|2003]]||rowspan="12"|7||22||3||5||0||2||0||29||3
|-
|[[2004年のJリーグ|2004]]||29||5||8||1||2||1||39||7
|-
|[[2005年のJリーグ|2005]]||34||7||6||0||2||1||42||8
|-
|[[2006年のJリーグ|2006]]||33||5||4||0||2||0||39||5
|-
|[[2007年のJリーグ|2007]]||26||0||4||0||2||0||32||0
|-
|[[2008年のJリーグ|2008]]||31||0||6||0||3||0||40||0
|-
|[[2009年のJリーグ|2009]]||30||0||1||0||5||1||36||1
|-
|[[2010年のJリーグ|2010]]||27||1||4||0||3||1||34||2
|-
|[[2011年のJリーグ|2011]]||27||3||2||0||2||0||31||3
|-
|[[2012年のJリーグ|2012]]||5||0||0||0||0||0||5||0
|-
|[[2013年のJリーグ|2013]]||20||1||3||0||0||0||23||1
|-
|[[2014年のJリーグ|2014]]||18||0||2||0||2||0||22||0
{{サッカー選手国内成績表 通算始|1|日本|J1}}342||30||54||3||28||4||424||37
{{サッカー選手国内成績表 通算終}}342||30||54||3||28||4||424||37
|}
 
その他の公式戦
== 備考 ==
* 2011 [[スーパーカップ (日本サッカー)|XEROX SUPER CUP]] 1試合0得点
*愛称はそのまま「直志」
 
*好きな言葉は「謙虚」
{{サッカー選手国際成績表 top|1|}}
{{サッカー選手国際成績表 th|AFC|1|Y|}}
|[[AFCチャンピオンズリーグ2009|2009]]||rowspan=3|[[名古屋グランパスエイト|名古屋]]||rowspan=3|7||9||1
|-
|[[AFCチャンピオンズリーグ2011|2011]]||5||0
|-
|[[AFCチャンピオンズリーグ2012|2012]]||3||0
|-
!通算!!colspan="2"|AFC
|17||1
|}
 
== 代表歴 ==
=== 試合数 ===
* 国際Aマッチ 1試合 0得点 (2006年)
 
{{サッカー代表個人成績|日本|1}}
|-
|[[2006年のサッカー日本代表|2006]]||1||0
|-
!通算
|1||0
|}
 
===出場===
{| class="wikitable"
!No.||開催日||開催都市||スタジアム||対戦相手||結果||監督||大会
|-
|1.||2006年08月09日||{{Flagicon|JPN}}[[東京都]]||[[国立霞ヶ丘競技場陸上競技場]]||{{fb|BRA}}||○2-0||[[イビチャ・オシム]]||キリンチャレンジカップ
|}
 
== 脚注 ==
{{Reflist}}
 
== 関連項目 ==
* [[名古屋グランパスエジェフユナテッド市原・千葉の選手一覧#アカデミー出身者]]
* [[Jリー名古屋ランパスエイトクラブに所属するサッカー選手のクラブ別一覧]]
* [[リスト・オブ・ワン・クラブ・マン]]
 
== 外部リンク ==
*{{Sports links}}
*[http://www.so-net.ne.jp/grampus/ 名古屋グランパスエイト公式サイト]
* {{Official website|http://nagoya-grampus.jp/clubteam/players/naoshi_nakamura.html|name=名古屋グランパスによる公式プロフィール}}
 
 
{{デフォルトソート:なかむら なおし}}
{{名古屋グランパスエイトのメンバー}}
[[Category:日本のサッカー選手|なかむら なおし]]
[[Category:名古屋グランパスエイトのサッカー日本代表選手|なかむら なおし]]
[[Category:1979年生|なかむら なおし名古屋グランパスエイトの選手]]
[[Category:船橋市立船橋高等学校出身の人物]]
[[Category:日本大学サッカー部の選手]]
[[Category:千葉県出身のスポーツ選手]]
[[Category:船橋市出身の人物]]
[[Category:1979年生]]
[[Category:存命人物]]