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亀山はしばらく在位のまま政務を執り、文永11年([[1274年]])には皇太子世仁(8歳、[[後宇多天皇]])に譲位した。
 
一方、[[治天]]の地位を逃した後深草は不満を募らせ、後宇多が即位すると抗議のため上皇の待遇を辞退して[[出家]]しようとした。後嵯峨は、膨大な帝の王家領荘園群のうち、全国100ヶ所以上の荘園から構成される大荘園群[[長講堂領]]を後深草が相続できるようとりはからっていたが、皇室伝来の[[坂上田村麻呂]]の御佩刀([[坂家宝剣]]{{Refnest|group=注|『[[増鏡]]』では「朝の御まぼりとて田村の将軍より伝はりまいりける御はかし」とあり、朝廷守護の宝剣や皇位継承の印と考えられていた}})が後嵯峨の意向により亀山に伝えられ、大宮院も関与していたことに後深草の不満は収まらなかったのである{{Sfn|荒木|2007|pages=123-128}}。のちに長講堂領は持明院統の重要な財政基盤となる。亀山も対抗措置としてやはり200ヶ所にのぼる大荘園群[[八条院領]]をのちに手に入れ、こちらは大覚寺統の主要な財政基盤となった。2つの皇統は、こののち、[[治天の君|治天]]・[[天皇]]・[[皇太子]]の地位だけでなく、[[女院]]などの[[皇族]]たちが分散して管理する王家領荘園群の熾烈な争奪戦も演じることになり、王家は政治的にだけではなく経済的にも分裂状況に陥ることになる。後深草の不満を受けて、[[承久の乱]]以来の慣行に従って幕府が皇位継承に介入し、[[建治]]元年([[1275年]])に煕仁(11歳)を皇太子に指名、将来、後深草が治天となることを保証した。この介入は、[[執権]][[北条時宗]]が後深草の立場に同情したためという説明が当時からなされている(「[[増鏡]]」)ほか、[[得宗]]と治天の交渉を仲介する立場にある[[関東申次]][[西園寺実兼]]が亀山父子よりも後深草父子と親しかったため、後深草にとって有利な解決をはかったことも指摘されている。この時点ですでに幕府は[[摂家|摂関家]]が分裂したのと同様に皇統をも分裂させる意図を持っていたとも言われる([[本郷和人]])が、幕府の意図は[[元寇]]の最中にあって内憂を取り除くべく後深草の不満を和らげ、皇族・廷臣融和を図るというものであり、そのことが後に皇統の分裂につながるとは思い及んでいなかったとの指摘もあり([[近藤成一]])、この点は史料がなく真相は不明である。[[鎌倉時代]]には、[[公家]]社会一般で分家を次々に創出させる傾向が見られたことにも留意する必要がある。いずれにしても、建治元年の幕府の介入によって、後深草と亀山の両者が等しく皇位を子孫に伝え自らは治天となる資格を有することが確定し、これが以後200年に及ぶ皇統分裂の端緒となった。
 
==== 定着 ====
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==== 後日談 ====
冷泉流皇統から天皇が即位することはなくなったが、その血統は女系を通じて後年に影響を残した。三条と妍子の間に生まれた[[陽明門院|禎子内親王]]が皇太子敦良の妻となり、第2王子尊仁親王を産んでいる。尊仁は父[[後朱雀天皇|後朱雀]]の死後、遺詔により異母兄の[[後冷泉天皇]]の皇太子に立てられ、後冷泉が皇子を遺さずに死亡すると、跡を継いで天皇([[後三条天皇]])となった。彼の追号「後三条」は、彼が外祖父三条の後継者であることを意味しており、生前自ら定めたものだという説もある(『[[栄花物語]]』)。また、後三条の妻のひとりに小一条院の息子[[源基平]]の娘[[源基子|基子]]がおり、第2皇子[[実仁親王 (平安時代)|実仁親王]]と第3皇子[[輔仁親王]]を産んでいる。実仁は、異母兄[[白河天皇]]の即位にあたり皇太子に立てられたが即位の機会を得ずに早世した。同母弟として実仁の身代わりとみなされた輔仁は、皇太子にはなれなかったものの、長寿を保った祖母禎子(陽明門院)の庇護の下、白河とその子[[堀河天皇]]の皇位継承上のライバルとして一時は政界に大きな勢力を有した。
 
なお、後一条→後朱雀、後冷泉→後三条と、その後も2度にわたって兄弟間の皇位継承が行われていることは、両統迭立による不安定な政局を再現する可能性を含むものであり不可解である。ただ、2度とも兄に皇子が生まれなかったことによってその可能性は結果的に回避されている。後朱雀の立太子は、小一条に代わる皇太子を即座に擁立する必要があったためと推測されるが、後三条の立太子は、そのような緊急性がなく、しかも当時の関白[[藤原頼通]]の反対を押し切ってのものであった。後三条の立太子を強く望んだ後朱雀の真意は不明であるが、異母兄頼通と反りの合わない[[藤原能信]]の強い後押しがあったのは確実だろう
 
==日本以外の国の両統迭立の例==