「鈴木章治」の版間の差分
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これを機にピアノの秋満義孝・ヴァイブの南部三郎らにより鈴木章治とリズム・エースが結成された。年少の鈴木がリーダーとなったのは、最年長で人格者でもあった南部三郎の勧めによるものとされている。
※以上、「アニヴァーサリー・アルバム」のライナー(油井正一氏寄稿)より抜粋。
結成時期は1952年・1953年の両説あるが、初ステージは1953年4月、立川市富士見町の「モナコ」とされている。
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== 鈴木章治とリズム・エースの活躍 ==
1954年にビクターからグループ名義のSP盤が発売され、音楽雑誌(スイングジャーナル)の表紙を飾ったりクラリネット奏者部門の人気投票で第1位になるなど、人気・実力ともにトップバンドしての地位が確立していた。
そんな中、[[1957年]][[1月]]、[[スウィング・ジャズ|スウィング]]の王様といわれる[[ベニー・グッドマン]]楽団が来日し、彼の楽団でリード・アルト・サックスを担当していた[[ピーナッツ・ハッコー]]が、銀座のクラブで鈴木章治とリズム・エースが演奏していたのを聴いた。その中の「鈴懸の径」を非常に気に入り、その後の米欧巡演でも「プラタナス・ロード」として演奏、吹き込みも行っている。
同[[1月17日]]の深夜から翌18日の早朝にかけて、TBSのスタジオである[[TBSホール]]でのリズム・エースの放送用録音にピーナッツ・ハッコーがクラリネット奏者としてゲスト参加し、「[[鈴懸の径]]」(''Platanus Road'')、「[[アイ・サレンダー・ディア (曲)|アイ・サレンダー・ディア]]」(''I Surrender Dear'')、「君去りし後」(''After You've Gone'')、「タイム・オン・マイ・ハンズ」(''Time On My Hands'')、「ロゼッタ」(''Rosetta'')等を収録した(この5曲は同年発売されたビクターのLPに収録)。
この「鈴懸の径」は放送後にリクエストが殺到し、ジャズ・レコードの記録を破る大ヒットとなった。
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なお、[[灰田有紀彦|灰田有紀彦(晴彦)]]作曲、[[灰田勝彦]]が歌ってヒットした原曲の「鈴懸の径」は、歌謡曲には少ない3拍子で、これを鈴木章治が4拍子にジャズアレンジしてさらに大ヒットさせたものである。
自身の作曲に、「春のリフ」「野菊のように」「祭りと子供」「真珠の指輪」「キングス・ホリデイ」「今宵また」「ふるさとの子守唄」(以上リリース済)などがある。
※1959年10月11日の産経ホールにて、鈴木の作曲による「初めての恋を(作詞:永六輔)」をゲスト参加のペギー葉山が歌っているが、LPには未収録。
また、クラシック作品の演奏記録としては1959年10月に東京交響楽団(指揮:上田 仁)との『クラリネット小協奏曲』(Carl Maria von Weber)、1960年にアカデミー弦楽四重奏団との『クラリネット五重奏曲』(Wolfgang Amadeus Mozart)などがある。
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・バラ色の人生/枯葉 (EP テイチク NS-277 1960年)
・ジングル・ベル/赤鼻の馴鹿ルドルフ (SP 東芝 NP-5005 時期不詳)
・ジングル・ベル/赤鼻の馴鹿ルドルフ (EP 東芝 JP-5005 時期不詳)
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