削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
評価: 訂正補記
 
(13人の利用者による、間の21版が非表示)
30行目:
|訳者 =
}}
『'''砂の器'''』(すなのうつわ)は、[[松本清張]]の長編[[推理小説]]。『[[読売新聞]]』夕刊に連載され([[1960年]][[5月17日]]から付 - [[1961年]][[4月20日]]にかけて『[[読売新聞]]』夕刊に連載され(付。全337回。連載時の挿絵は[[朝倉摂]])、1961年7月に[[光文社]]([[カッパ・ノベルス]])から刊行された。
 
[[東京都]]内、[[大田区]][[蒲田駅]]の[[大田運輸区|操車場]]で起きた、ある殺人事件を発端に、[[刑事]]の捜査と犯罪者の動静を描く長編小説。清張作品の中でも特に著名な一つ。[[ハンセン病]]を物語の背景としたことでも知られ、大きな話題を呼んだ。[[ミステリー]]としては、[[方言周圏論]]に基づく設定([[東北方言|東北訛り]]と「カメダ」という言葉が事件の手がかりとなる)が重要な鍵となっている。
65行目:
: 関川の愛人。銀座のバー「クラブ・ボヌール」の女給。今西の妹が経営するアパートへ引っ越してくる。妊娠の判明後に出産を希望する恵美子を疎ましく思った関川は超音波を用いた流産を和賀に依頼するが、その処置中に事故で死亡してしまう。(映画では設定変更され成瀬リエ子と役割が統合されている)
; 宮田 邦郎(みやた くにお)
: 青山の劇団に所属する俳優。30歳。成瀬リエ子に好意を持っていたがそこに付け込まれて、リエ子から依頼され和賀への捜査の攪乱に協力してしまう。その後は今西と接触し、捜査に協力的な姿勢を見せていたが口封じのため和賀の用いた超音波により心臓麻痺を引き起こされて殺害される。(映画には登場しない)
: リエ子から依頼され和賀への捜査の攪乱に協力してしまう。その後は今西と接触し、捜査に協力的な姿勢を見せていたが口封じのため和賀の用いた超音波により心臓麻痺を引き起こされて殺害される。(映画には登場しない)
; 成瀬 リエ子(なるせ リエこ)
: 劇団の事務員。25歳。今西の自宅近所のアパート(今西の妹のものとは異なる)へ引っ越してくる。和賀の愛人であり、その犯行を隠蔽する協力者。和賀への絶望から自殺する。(映画には登場しない)
76 ⟶ 75行目:
: 亀嵩算盤老舗を営む。三木謙一と親しかった。俳句に造詣が深い。
; 本浦 千代吉(もとうら ちよきち)
: 本浦秀夫の父でハンセン病患者。妻に去られた後は秀夫を連れて放浪していた。小説では他界した人物として言及されるが、映画版など幾つかの映像化ではまだ存命で終盤で今西が訪問するシーンがあるが原作では他界している。
 
== 執筆と取材 ==
[[File:亀嵩駅の蕎麦屋「扇屋」さんから駅のホームを望む - panoramio.jpg|thumb|250px|right|亀嵩駅構内で営業する蕎麦屋「扇屋」では、松本清張が亀嵩駅を訪問した時の写真や、俳優など映像化作品関係者のサインが展示されている。]]
[[File:松本清張『砂の器』カッパ・ノベルス版(初版)表紙.jpg|thumb|110px|right|カッパ・ノベルス版(初版)]]
雑誌『[[旅 (雑誌)|旅]]』1955年4月号に掲載されたエッセイ「[[ひとり旅 (松本清張)|ひとり旅]]」で、著者は以下のように記している。「[[備後落合駅|備後落合]]というところに泊った(中略)。朝の一番で木次線で行くという五十歳ばかりの夫婦が寝もやらずに話し合っている。出雲の言葉は東北弁を聞いているようだった。その話声に聞き入っては眠りまた話し声に眼が醒めた。笑い声一つ交えず、めんめんと朝まで語りつづけている」。この経験が、のちに本作の着想に生かされたと推定されている<ref>{{Cite journal |和書 |journal=週刊 松本清張 |issue=2 |year=2009 |publisher=[[デアゴスティーニ・ジャパン]] |pages=26-27 |ref={{SfnRef|デアゴ|2009}} }}</ref>。このエッセイで書かれた旅は、著者が父・峯太郎の故郷・[[鳥取県]][[日南町]]を初めて訪問した[[1948年]]1月に行われたとみられ<ref>{{Cite book|和書|author=足羽隆|title=松本清張と日南町|publisher=非売品|year=2013|pages=54-57}}</ref>、亀嵩の地名を著者が知ったのはこの時期のことと推測されている<ref>{{Cite book|和書|author=村田英治|title=『砂の器』と木次線|publisher=ハーベスト出版|year=2023|pages=154-155}}</ref>。
 
本作を担当した読売新聞の編集者・山村亀二郎の回想によれば、本作は[[ズーズー弁]]・[[超音波]]・犯人および刑事の心理を3本の柱として連載が始められた<ref name="山村">{{Cite book |和書 |year=1971 |title=松本清張全集 |volume=第5巻 砂の器 |publisher=[[文藝春秋]] |chapter=山村亀二郎「“砂の器”のころの清張さん」 |id={{全国書誌番号|75011919}} }}</ref>。超音波については[[實吉純一]]の著書『電気音響工学』(1957年)が参考にされ、實吉の当時勤務していた[[東京工業大学]]を取材で訪問した<ref name="山村"/>。カッパ・ノベルス版刊行の約2年後『[[宝石 (雑誌)|宝石]]』に掲載された著者の創作ノートには「いま、超音波で手術ができるわけです。メスの代りに超音波によって切るんですが、メスでは届かないところでも、超音波だと届く。[[順天堂大学医学部附属順天堂医院|順天堂]]でやっていますが、そういうことから考えれば、殺人だってできるんじゃないか、というのが一つの発想。それから「ヌーボー・グループ」と書いてあるけれども、いわゆる「[[ヌーヴェルヴァーグ]]」の波に乗って、いろいろと景気の良い若い人たちが出てきたでしょう、今までの芸術を一切否定するとか...そういう人たちをちょっとカリカチュアライズして書いた」<ref>「ある作家の周囲 その23 松本清張篇」『[[宝石 (雑誌)|宝石]]』1963年6月号、宝石社。または『松本清張推理評論集 1957-1988』[[中央公論新社]]、2022年、98頁</ref>と記されている{{Efn2|「ヌーボー・グループ」のモデルに関して、音楽評論家の[[小沼純一]]は、1951年に結成された[[実験工房]](作曲家の[[武満徹]]などが参加)と推定している<ref>{{Cite book |和書 |author=小沼純一|authorlink=小沼純一 |year=2005 |title=武満徹 その音楽地図 |publisher=[[PHP研究所]] |series=[[PHP新書]] |chapter=第六章「併行する時代」 |isbn=4-569-64213-6}}</ref>。また、文芸評論家の[[郷原宏]]は、1958年頃から運動の始まった[[若い日本の会]](作曲家の[[黛敏郎]]などが参加。正式な創立集会は1960年5月)がモデルと推定している<ref>{{Harvnb|デアゴ|2009|p=7}}</ref>。}}。<!--海野十三「振動魔」との人物設定および殺人手段の類似については「誰それが指摘している」の形で、出典付きで記述して下さい-->
 
カッパ・ノベルス版刊行の約2年後『[[宝石 (雑誌)|宝石]]』に掲載された著者の創作ノートには「いま、超音波で手術ができるわけです。メスの代りに超音波によって切るんですが、メスでは届かないところでも、超音波だと届く。[[順天堂大学医学部附属順天堂医院|順天堂]]でやっていますが、そういうことから考えれば、殺人だってできるんじゃないか、というのが一つの発想。それから「ヌーボー・グループ」と書いてあるけれども、いわゆる「[[ヌーヴェルヴァーグ]]」の波に乗って、いろいろと景気の良い若い人たちが出てきたでしょう、今までの芸術を一切否定するとか...そういう人たちをちょっと[[カリカチュア|カリカチュアライズ]]して書いた」<ref>「ある作家の周囲 その23 松本清張篇」『[[宝石 (雑誌)|宝石]]』1963年6月号、宝石社。または『松本清張推理評論集 1957-1988』[[中央公論新社]]、2022年、98頁</ref>と記されている。
小説中の登場人物の出雲地方の方言の記述に関しては、正確を期すため、読売新聞松江支局の依頼を通じて、亀嵩地域の方言の話者による校正が行われた。その際、[[亀嵩算盤]]合名会社の代表社員・若槻健吉も協力した<ref name="deago">{{Harvnb|デアゴ|2009|loc=pp. 11, 20-21}}</ref>{{Efn2|この縁から著者と若槻家の交流が始まり、後述する記念碑への著者による[[揮毫]]は若槻家の客間で行われ、健吉の息子が上京した際には著者がひいきの店を案内するなどした<ref name="deago"/>。1992年に著者が死去した際には、亀嵩で慰霊祭が行われた<ref>{{Harvnb|デアゴ|2009|pp=20-21}}</ref>。}}。作中では捜査員による方言の確認先として[[国立国語研究所]](本作連載当時は東京・千代田区に所在)が登場する。その場面に出てくる桑原文部技官のモデルを、当時同研究所に勤務していた言語学者の[[柴田武]]に比定する推測もあるが、本作の速記を担当していた[[福岡隆]]によれば、本作内の方言論の記述は柴田に取材したものではないとされている<ref>{{Cite book |和書 |author=[[福岡隆]] |year=1968 |title=人間・松本清張 専属速記者九年間の記録 |publisher=大光社 |page=84 |id={{全国書誌番号|68008509}} }}</ref>。小西いずみ「松本清張『砂の器』における「方言」と「方言学」」(『都大論究』第42号掲載)では、小説第六章に記述されている「中国地方の方言のことを書いた本」『出雲国奥地における方言の研究』などに関して、著者が実在の研究文献の記述を再構成し記述していることを論証している。
 
「ヌーボー・グループ」のモデルに関して、音楽評論家の[[小沼純一]]は、1951年に結成された[[実験工房]](作曲家の[[武満徹]]などが参加)と推定している<ref>{{Cite book |和書 |author=小沼純一|authorlink=小沼純一 |year=2005 |title=武満徹 その音楽地図 |publisher=[[PHP研究所]] |series=[[PHP新書]] |chapter=第六章「併行する時代」 |isbn=4-569-64213-6}}</ref>。また、文芸評論家の[[郷原宏]]は、1958年頃から運動の始まった[[若い日本の会]](作曲家の[[黛敏郎]]などが参加。正式な創立集会は1960年5月)がモデルと推定している<ref>{{Harvnb|デアゴ|2009|p=7}}</ref><!--海野十三「振動魔」との人物設定および殺人手段の類似については「誰それが指摘している」の形で、出典付きで記述して下さい-->。日本近代文学研究者の[[藤井淑禎]]は、作曲家・和賀英良のモデルとしてミュジーク・コンクレートに関与していた武満徹あるいは黛敏郎を想定しつつ、第十四章の途中まで有力な容疑者として描かれる評論家・関川重雄のモデルを[[江藤淳]]と推測している<ref>{{Cite book |和書 |author=藤井淑禎|authorlink=藤井淑禎|year=2025|title=松本清張と水上勉|publisher=[[筑摩書房]]|series=[[筑摩選書]] |chapter=第5章「清張の江藤淳批判」 |isbn=978-4-480-01831-1}}</ref>。
小説ラストの[[東京国際空港|羽田空港]]の場面に関しては、場所の設定のため、編集者の山村と挿絵の朝倉摂が、3日にわたって空港を訪れ、取材を行った<ref name="山村" /><ref>{{Harvnb|デアゴ|2009|p=11}}</ref>。
 
小説中の登場人物の出雲地方の方言の記述に関しては、正確を期すため、読売新聞松江支局の依頼を通じて、亀嵩地域の方言の話者による校正が行われた。その際、[[亀嵩算盤]]合名会社の代表社員・若槻健吉も協力した<ref name="deago">{{Harvnb|デアゴ|2009|loc=pp. 11, 20-21}}</ref>{{Efn2|この縁から著者と若槻家の交流が始まり、後述する記念碑への著者による[[揮毫]]は若槻家の客間で行われ、健吉の息子が上京した際には著者がひいきの店を案内するなどした<ref name="deago"/>。1992年に著者が死去した際には、亀嵩で慰霊祭が行われた<ref>{{Harvnb|デアゴ|2009|pp=20-21}}</ref>。}}。
 
小説中の登場人物の出雲地方の方言の記述に関しては、正確を期すため、読売新聞松江支局の依頼を通じて、亀嵩地域の方言の話者による校正が行われた。その際、[[亀嵩算盤]]合名会社の代表社員・若槻健吉も協力した<ref name="deago">{{Harvnb|デアゴ|2009|loc=pp. 11, 20-21}}</ref>{{Efn2|この縁から著者と若槻家の交流が始まり、後述する記念碑への著者による[[揮毫]]は若槻家の客間で行われ、健吉の息子が上京した際には著者がひいきの店を案内するなどした<ref name="deago"/>。1992年に著者が死去した際には、亀嵩で慰霊祭が行われた<ref>{{Harvnb|デアゴ|2009|pp=20-21}}</ref>。}}。作中では捜査員による方言の確認先として[[国立国語研究所]](本作連載当時は東京・千代田区に所在)が登場する。その場面に出てくる桑原文部技官のモデルを、当時同研究所に勤務していた言語学者の[[柴田武]]に比定する推測もあるが、本作の速記を担当していた[[福岡隆]]によれば、本作内の方言論の記述は柴田に取材したものではないとされている<ref>{{Cite book |和書 |author=[[福岡隆]] |year=1968 |title=人間・松本清張 専属速記者九年間の記録 |publisher=大光社 |page=84 |id={{全国書誌番号|68008509}} }}</ref>。小西いずみ「松本清張『砂の器』における「方言」と「方言学」」(『都大論究』第42号掲載)では、小説第六章に記述されている「中国地方の方言のことを書いた本」『出雲国奥地における方言の研究』などに関して、著者が実在の研究文献の記述を再構成し記述していることを論証している。
 
小説ラストの[[東京国際空港|羽田空港]]の場面に関しては、場所の設定のため、編集者の山村と挿絵の[[朝倉摂]]が、3日にわたって空港を訪れ、取材を行った<ref name="山村" /><ref>{{Harvnb|デアゴ|2009|p=11}}</ref>。
 
== 評価 ==
* カッパ・ノベルス版の刊行後、[[大井廣介]]は「社会悪に持って行かず、あえて推理小説を世に問おうとした気組みに、好意を持った」<ref>[[大井廣介]]「紙上殺人現場」『[[エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン|エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン]]』1961年10月号110‐111頁、早川書房</ref>、[[中島河太郎]]は「最後の殺人のメカニズムというのは、具合が悪い(中略)果して使用していいトリックかどうか疑問ですね」<ref>[[中島河太郎]]・大内茂男による座談会「今月の創作評」『宝石』1961年10月号232頁、宝石社</ref>と評している。
* [[2023年]]刊行の『[[点と線]]』新英訳が[[イギリス]]でベストセラーになったことを受け、[[2025年]]に[[ペンギン・ブックス]]から英訳「''Inspector Imanishi Investigates''」新装版が発行されると、推理作家の[[リー・チャイルド]]は"{{lang|en|An absolute classic, and a whole new world to explore...irresistible}}"、[[ポーラ・ホーキンズ]]は"{{lang|en|Beautiful and melancholic, ​Inspector Imanishi Investigates is not just an ingenious and elegant mystery, but a fascinating window into 1960s Japan}}"、[[アン・クリーヴス]]は"{{lang|en|Seicho Matsumoto’s Inspector Imanshi Investigates explores post-war Japan, its anxieties and struggles for a new identity. With an engaging older detective and an enthusiastic younger sidekick, this is a book lovers of traditional crime fiction will understand and enjoy}}"とコメントした<ref>{{Cite web|url=https://www.telegraph.co.uk/books/crime-fiction/seicho-matsumoto-crime-writer-lee-child/|title=Why you should read this Japanese crime writer adored by Lee Child|website=デイリーテレグラフ|language=英語|date=2025-08-19|accessdate=2025-09-21}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://mrbsemporium.com/shop/books/inspector-imanishi-investigates-2/|title=Inspector Imanishi Investigates - Mr B's Emporium|website=Mr B's Emporium Ltd|language=英語|accessdate=2025-09-21}}</ref>。
 
== 影響 ==
111 ⟶ 118行目:
 
== 翻訳 ==
* 『{{lang|en|Inspector Imanishi Investigates}}』({{lang-en|Soho Crime}}、[[ペンギン・ブックス]]
* 『{{lang|fr|Le vase de sable}}』({{lang-fr|Philippe Picquier}})
* 『{{lang|it|Come sabbia tra le dita}}』({{lang-it|Il Giallo Mondadori}})
127 ⟶ 134行目:
| 監督 = [[野村芳太郎]]
| 製作総指揮 =
| 製作 = [[橋本忍]]<br />佐藤正之<br />[[三嶋与四治]]<br />川鍋兼男(企画)
| 脚本 = [[橋本忍]]<br />[[山田洋次]]
| 出演者 = [[丹波哲郎]]<br />[[加藤剛]]<br />[[森田健作]]<br>[[島田陽子]]<br>[[山口果林]]<br>[[加藤嘉]]<br>[[春田和秀]]<br>[[佐分利信]]<br>[[緒形拳]]<br>[[渥美清]]<br>[[笠智衆]]
| 音楽 = [[芥川也寸志]]<br />[[菅野光亮]]
| 主題歌 =
| 撮影 = [[川又]]
| 編集 = [[太田和夫]]
| 配給 = [[松竹]]
154 ⟶ 161行目:
* ゴールデングロス賞特別賞
* [[モスクワ国際映画祭]]審査員特別賞および作曲家同盟賞
* 1974年度日本映画テレビ技術協会・映画技術賞/富士フィルム賞(川又昻)
 
=== あらすじ(映画) ===
警視庁捜査一課の今西栄太郎と、西蒲田警察署の吉村弘は、昭和46年6月24日の早朝に発生した[[国電]][[大田運輸区|蒲田操車場]]内の撲殺事件捜査のため、秋田県の[[羽後亀田駅|羽後亀田]]を訪れていた。遺体発見現場には[[蒲田駅]]近くの[[トリスバー]]の広告マッチが落ちており、そこから事件の前夜に被害者と「白いシャツを着た若い男」がその店を訪れ、被害者が東北訛りの[[ズーズー弁]]と「カメダ」という単語を出していたことがわかったためである。しかし、不審な人物が村内をうろついていたという報告はあったものの、事件の手掛かりは掴めない。帰途に就く両刑事は新幹線の食堂車で、新鋭気鋭の音楽家・和賀英良の姿を目撃する。
 
被害者の身元も判らず、返り血を浴びているであろう犯人のシャツを初めとする証拠品も見つからず、捜査本部は解散して警視庁の継続捜査に切り替わる。捜査担当から外れた吉村は、新聞の紀行欄で「[[山梨県]][[塩山市]]付近を走る[[中央本線]]の車窓から、紙吹雪を撒いている女を見た」というコラムを見つけ、その「紙吹雪」は細切れにされたシャツではないかという疑念を抱く。新聞記者から「紙吹雪の女」は高級クラブのホステス・高木理恵子であることを聞き出した吉村は事情聴取に向かうが、理恵子はしらを切った挙句、いつの間にか店内から姿を消した。
 
8月9日。[[岡山県]]の雑貨商・三木彰吉の届け出により、被害者が彰吉の養父・謙一と判明する。三木謙一は6月10日に四国~近畿旅行を兼ねた[[お伊勢参り]]に出て、伊勢から葉書を出した後に行方不明となっていた。しかし三木は東北地方に縁はなく、東京に向かう予定もなかったという。国立国語研究所を訪れた今西は、三木が20年前まで警官として赴任していた[[島根県]][[出雲]]地方と東北地方の方言の共通点を知り、奥出雲の[[亀嵩駅|亀嵩(カメダケ)]]へ向かって三木の過去を調査する。だがわかったのは、当時の三木は極めて善良な模範的巡査で、怨恨を向けられる可能性は皆無であることのみだった。
 
吉村は中央線沿線をしらみつぶしに探し、遂に三木の血痕が付着したシャツの断片を発見する。捜査員全員が再招集され、高木理恵子の捜索が開始されるが、理恵子は愛人の和賀の指示に従って住所を変え、潜伏していた。一方、今西は休暇を利用して自費で伊勢を訪れ、三木の上京理由を調査する。[[二見浦]]の旅館に投宿した三木は映画を観た後、翌日の出発を遅らせて再度映画館を訪ね、その夜に宿を発っていた。
 
警視庁に戻った今西は、亀嵩村赴任中の三木が助けた乞食が、[[石川県]]出身の本浦千代吉とその息子・秀夫の父子だったことを知り、三木との繋がりを求めて石川県上沼郡大畑村に向かう。その頃、東京の和賀は、恋人の田所佐知子の父である前大蔵大臣・田所重喜の後援を受けながら新曲「宿命」の制作に没頭する一方、自らの子を身ごもった理恵子に[[中絶]]を求めていた。深夜に[[高円寺]]で密会した和賀と理恵子は喧嘩別れするが、その後に理恵子は流産し、大量出血で死亡してしまう。理恵子の所持品に身元を表す品は無く、行き倒れ人として処理されることになる。
 
二見浦と大畑村で得た情報を基に、今西は[[大阪府]][[浪花町 (大阪市)|浪花町]]へ向かう。本浦秀夫と和賀英良の年齢が一致していること。元々の和賀家の[[戸籍]]は[[大阪大空襲]]で焼失し、現戸籍は英良の自己申告によって再生されたものであること。当時自転車屋を営んでいた和賀家を知る人曰く、空襲で死亡した和賀夫妻に実子はなく、代わりに[[奉公]]の子供をかわいがっていたこと。今西はこれらの情報から、秀夫が英良と同一人物だと断定する。
 
10月2日。「宿命」の初公演日、今西は三木謙一殺害の容疑者として、和賀英良こと本浦秀夫の[[逮捕状]]を請求する。今西の指示で和賀を尾行していた吉村により、理恵子の死を知らず彼女のアパートを訪れた和賀の指紋が採取され、凶器となった岩に付着した指紋との照合が完了したのである。以後、和賀が指揮する「宿命」の演奏に合わせ、和賀の回想と今西の推理が並行して展開される。
 
昭和17年夏。当時不治の病と言われた[[ライ病]]に侵された本浦千代吉は、男手ひとつで育てていた6歳の秀夫を連れて、故郷を去ることを余儀なくされた。2年の放浪を経て亀嵩村に流れ着いた父子は三木巡査に保護され、千代吉は[[国立ハンセン病療養所|国立療養所]]送りとなり、秀夫は紆余曲折を経て三木家で育てられる。しかし秀夫はまもなく失踪し、大阪で奉公人となり、戸籍を捏造して進学した大学で音楽の才を認められた。長い時が経ち、伊勢参り中の三木は、映画館に飾られていた映画会社社長夫妻と選挙遊説中の田所一家、そして和賀が並んで写る写真を目撃した。和賀が秀夫だと確信した三木はその足で東京へ向かい、和賀に連絡を取ったのだった。
 
今西は現在も存命している千代吉の元を訪れ、和賀の写真を見せるが、千代吉は何かを悟ったかのように慟哭した後、今西の質問に「そんな人知らねぇ」と答え続けた。だが、千代吉と三木の文通には、千代吉が秀夫との再会を願い続け、三木はその願いに応えようとしていることのみが記されていた。父と再会すれば現在の仕事が崩壊することを知っていた和賀は、強引にでも自分を連れ出しかねない三木を、遂に殺害してしまったのである。
 
今西と吉村は逮捕状を持って「宿命」公演会場を訪れる。最早、音楽を通してしか父と再会できない和賀と、彼を複雑な表情で見つめる両刑事の後に、各地を放浪する在りし日の本浦父子の回想を映し、物語は幕を閉じる。
 
=== スタッフ(映画) ===
* [[製作]]:[[橋本忍]]、[[佐藤正之]]、[[与四治]]
* 製作協力:[[シナノ企画]]、[[劇団俳優座|俳優座映画放送]]
* 製作補:杉崎重美
187 ⟶ 216行目:
* 和賀 英良/本浦 秀夫:[[加藤剛]]
*: 天才ピアニスト兼作曲家 
* 本浦 秀夫(少年期):[[春田和秀]]
* 本浦 千代吉:[[加藤嘉]]
*: 秀夫の父。ハンセン病に侵されている
* 高木 理恵子:[[島田陽子]]
*: 高級クラブ「ボヌール」のホステス(和賀の愛人)
199 ⟶ 231行目:
* 三木 謙一の妻:[[今井和子]]
* 三木の元同僚・安本:[[花沢徳衛]]
 
* 本浦 千代吉:[[加藤嘉]]
*: 秀夫の父。ハンセン病に侵されている
* 本浦 秀夫(少年期):[[春田和秀]]
* 警視庁捜査一課長:[[内藤武敏]]
* 警視庁捜査一課捜査三係長・黒崎警部:[[稲葉義男]]
250 ⟶ 280行目:
 
=== 映画版の特徴 ===
『砂の器』のテーマ曲であるピアノと管弦楽のための組曲「宿命」を劇的に使っていることが最大の特徴といえる。テーマ曲のみならず、邦画の音楽費が相場100万円の時代に、本作は300万円がかけられ、映画『[[犬神家の一族]]』が公開されるまでは、邦画で最も音楽にお金をかけた作品であった<ref>『最後の角川春樹』、2021年11月発行、伊藤彰彦、毎日新聞出版、P117</ref>。
 
==== クライマックス ====
劇中での和賀は、過去に背負った暗くあまりに悲しい運命を音楽で乗り越えるべく、ピアノ協奏曲「宿命」を作曲・初演する。
 
物語のクライマックスとなる捜査会議(事件の犯人を和賀と断定し、逮捕状を請求する)のシーン、和賀の指揮によるコンサート会場(撮影は埼玉会館が使用されている)での演奏シーン、和賀の脳裏をよぎる過去の回想シーンにほぼ全曲が使われ、劇的高揚とカタルシスをもたらしている。回想シーンでは、和賀英良が父と長距離を放浪していた際、施しを受けられず自炊しながら生活する様子、子供のいじめにあい小学校を恨めしそうに見下ろす様子、命がけで父を助け和賀少年がケガを負う様子などが描写されている。原作者の松本清張も「小説では絶対に表現できない」とこの構成を高く評価した<ref name="白井・橋本">{{Cite journal |和書 |author=[[白井佳夫]] |author2=[[橋本忍]] |title=橋本忍が語る清張映画の魅力 |year=1996 |journal=松本清張研究 |issue=5 |publisher=砂書房}}</ref>。
 
==== 原作と異なる点 ====
270 ⟶ 300行目:
「宿命」は音楽監督の[[芥川也寸志]]の協力を得ながら、[[菅野光亮]]によって作曲された。なお、サウンドトラックとは別に、クライマックスの部分を中心に二部構成の曲となるように再構成したものが、『ピアノと管弦楽のための組曲「宿命」』としてリリースされた。
 
[[2014年]]には『砂の器』公開40周年として、[[ビルボードジャパン]]にて[[西本智実]]指揮による組曲「宿命」が演奏された<ref>{{Cite web|和書|date=2014-06-30 |url=https://tower.jp/article/feature_item/2014/06/30/1101 |title=西本智実指揮 組曲《宿命》〜映画「砂の器」公開40周年記念 |publisher=[[タワーレコード#タワーレコード株式会社(日本フランチャイジー)FC|タワーレコード]] |accessdate=2018-10-25}}</ref>。
 
=== 製作 ===
529 ⟶ 559行目:
|脚本 = [[龍居由佳里]]
|プロデューサー = 伊佐野英樹<br />[[瀬戸口克陽]]
|出演者 = [[中居正広]]<br />[[松雪泰子]]<br/>[[武田真治]]<br/>[[京野ことみ]]<br/>[[永井大]]<br/>[[松岡俊介]]<br/>[[岡田義徳]]<br/>[[佐藤仁美]]<br />[[夏八木勲]]<br />[[市村正親]]<br />[[赤井英和]]<br/>[[原田芳雄]]<br/>[[渡辺謙]]
|音声 =
|字幕 =
605 ⟶ 635行目:
 
==== 受賞歴 ====
* [[ザテレビジョンドラマアカデミー賞#2004年|第40回ザテレビジョンドラマアカデミー賞]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20061230094811/http://www.television.co.jp:80/drama/drama_academy/happyo40.html|title=第40回ドラマアカデミー賞発表(2006年12月31日時点のアーカイブ)|publisher=KADOKAWA|accessdate=2025-03-29}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://thetv.jp/feature/drama-academy/40/awards/|title=第40回ザテレビジョンドラマアカデミー賞 総評|publisher=KADOKAWA|accessdate=2025-03-29}}</ref>
* 第40回[[ザテレビジョンドラマアカデミー賞]]
** '''主演男優賞'''(中居正広)
** '''助演男優賞'''(渡辺謙)
** '''主題歌賞'''(DREAMS COME TRUE)
** '''劇中音楽賞'''(千住明)
* 第14回[[TV LIFE]]年間ドラマ大賞<ref>{{Cite web|和書|archiveurl=https://web.archive.org/web/20250321101652/https://www.tvlife.jp/dramaaward|url=https://www.tvlife.jp/dramaaward|archivedate=2025-03-21|title=TV LIFE年間ドラマ大賞 受賞リスト|website=TV LIFE web
|publisher=[[ワン・パブリッシング]]
|accessdate=2025-05-08}}</ref>
** '''作品賞'''
** '''主演男優賞'''(中居正広)
** '''主題歌賞'''(DREAMS COME TRUE『やさしいキスをして』)
 
==== サブタイトル ====
646 ⟶ 682行目:
スタッフロールで「潤色:橋本忍・山田洋次」と表示されるなど、映画版での「潤色」と同様の設定がされ、ピアノ協奏曲『宿命』(演奏会では和賀自らがピアノを演奏する)が印象的に用いられた。『宿命』の作曲は[[千住明]]による書き下ろしで、ピアノ演奏は[[羽田健太郎]]がつとめた。
 
親子の放浪の理由が「和賀英良(本浦秀夫)の父・本浦千代吉が、集落の中で唯一ダム工事の住民投票に賛成票を投じたといういわれなき理由で[[村八分]]にされた結果、妻が急病になった際集落の医師から診療を拒否され、誰にも助けてもらえないまま病死するに至ったことに憤怒し、村中の家に放火して26人を殺害したため」という設定にされている。村中に放火するという設定は、原作者が[[津山事件三十人殺し]]について記したドキュメント「闇に駆ける猟銃」から引用されたものである。その後千代吉は三木の秀夫への配慮により、亀嵩から離れた大阪で逮捕されたものの、公判中に不治の病に倒れ、秋川[[医療刑務所]]に収監されている設定となっている。
 
この変更については、時代の変化という理由もさることながら、[[川辺川ダム]]をめぐる一連の騒動や、放送前年の[[2003年]]11月に[[黒川温泉]]([[熊本県]])のホテルで起きた[[ハンセン病元患者宿泊拒否事件]]も大きく影響している。
697 ⟶ 733行目:
|OPテーマ =
|EDテーマ =
|外部リンク= https://web.archive.org/web/20110309083418/http://www.tv-asahi.co.jp/suna/index.html
|外部リンク名 = 公式サイト
|番組名1 = 第一夜
719 ⟶ 755行目:
本ドラマでは、原作の時代設定に沿った形で映像化されているが、上記のように、物語が吉村の視点で描かれている他、一部オリジナルキャストの登場や、2004年版同様、親子の放浪理由が変更されており、本浦千代吉が殺人容疑で逮捕され、証拠不十分で釈放されたものの、村人達からの疑惑の目に耐え切れず息子・秀夫を連れ放浪の旅に出たとされている。
 
2012年10月に発表された[[国際ドラマフェスティバル in TOKYO#2012年|東京ドラマアウォード2012]]で、作品賞優秀賞(単発ドラマ)を受賞した。<ref>{{Cite web|和書|author=島村幸恵 |date=2012-10-22 |url=https://www.cinematoday.jp/news/N0047023 |title=「家政婦のミタ」がグランプリで5冠! 東京ドラマアウォード2012発表 |publisher=シネマトゥデイ |accessdate=2012-10-23}}</ref>
 
==== キャスト(2011年版) ====