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|公式サイト = https://web.archive.org/web/20230929204201/http://www.missionphotos.info/
}}
'''久米 小百合'''(くめ さゆり、旧姓:'''久保田'''(くぼた)、[[1958年]][[5月11日]] - )は、[[日本]]の[[歌手]]、[[シンガーソングライター]]、[[キリスト教音楽|キリスト教音楽家]]、[[日本バプテスト連盟]]加盟教会の教会員である<ref>{{Cite web2|url= https://www.jprime.jp/articles/-/35321 |title= 『異邦人』で大ヒットの元・久保田早紀「全部売り尽くした」結婚を機に引退、布教の道で音楽宣教師として活動する“今” |website=週刊女性PRIME|publisher=主婦と生活社|date=2025-02-08|accessdate=2025-02-08}}</ref>。[[東京バプテスト神学校]]神学科修了<ref name=":0">[https://web.archive.org/web/20180218210303/http://www.caritaskamaishi.com/5%E6%9C%886%E6%97%A5%E6%B0%B4%E4%B9%85%E7%B1%B3%E5%B0%8F%E7%99%BE%E5%90%88%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%AE%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%81%A8%E3%81%8A%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%97%E3%80%80%E3%81%BF%E3%82%93/ 5月6日(水)久米小百合さんの音楽とおはなし みんなで交流会 上中島・中妻の皆さんと(カリタス釜石ホームページ)]</ref>。
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[[1979年]]から[[1984年]]までは'''久保田 早紀'''(くぼた さき)として活動していた。
[[日本文学研究者|国文学者]]の[[久保田淳]]は叔父<ref>{{Cite web |title=Mission photos |url=http://www.missionphotos.info/cgi-bin/posting/posting.cgi?rm=perma&target=others&id=1382674539 |website=www.missionphotos.info |access-date=2022-08-15|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220815222540/http://www.missionphotos.info/cgi-bin/posting/posting.cgi?rm=perma&target=others&id=1382674539|archivedate=2022-08-15}}</ref>。
== 来歴 ==
=== 幼少期 ===
[[1958年]]、[[東京都]][[北多摩郡]]国立町(現在の[[国立市]])で生まれる{{sfn|『週刊女性』2025年2月11日号}}。団地住まいだが、昭和30年代当時としては比較的モダンな生活をしており、幼い頃は外遊びが好きだった{{sfn|『週刊女性』2025年2月11日号}}。母親の意向で、4歳からクラシック[[ピアノ]]を習い始めた{{sfn|『週刊女性』2025年2月11日号}}が、本人はそれほどクラシックに熱中できなかった。小学校高学年になると、当時ブームだった[[ザ・タイガース]]などの[[グループ・サウンズ]]{{sfn|『週刊女性』2025年2月11日号}}、[[フォークソング]]や[[歌謡曲]]、[[ビートルズ]]などを好んで聴き、ピアノで演奏するようになった。遡って幼い頃に楽曲「アヴェ・マリア」が好きになったことで讃美歌などの宗教音楽に惹かれ、小学校低学年の頃に友だちに誘われて日曜学校に通い始めた{{sfn|『週刊女性』2025年2月11日号}}。
[[1972年]]に親が八王子に新居を建て始めたため国立から八王子の中学に通い、1年生の2学期(13歳のとき)に[[八王子市]]に引っ越す<ref>[http://www.works-i.com/pdf/w104-career.pdf 音楽伝道者 「異邦人」を生んで芸能界を引退 神のために歌う「音楽伝道者」へ] - リクルートワークス研究所 WORKS 2011 FEB - MAR</ref>{{sfn|『週刊女性』2025年2月11日号}}。本人は以後、「八王子は第二の故郷」と位置づけている{{sfn|『週刊女性』2025年2月11日号}}。中学生になると、母の許可を得てレッスンに通うのをやめたが、以後もギター譜をアレンジするなど趣味としてピアノを弾いた{{sfn|『週刊女性』2025年2月11日号}}。八王子市立第四中学校の3年生の頃に同級生男子3人組が、当時人気だった「[[ガロ (フォークグループ)|ガロ]]」の[[コピーバンド]]を始めると、[[キーボード (楽器)|キーボード]]担当として誘われ、文化祭などで演奏を披露した。また、この前後に女友だちが書いた「地平線」という詞に、曲をつけて自身初のオリジナル曲を作った{{sfn|『週刊女性』2025年2月11日号}}。中学時代は、風紀委員を務めるなど模範的な生徒だった{{sfn|『週刊女性』2025年2月11日号}}。八王子に引っ越してからは、教会の日曜学校には通っておらず、以後数年間は賛美歌や教会音楽に触れる機会もなかった{{sfn|『週刊女性』2025年2月11日号}}。
[[松任谷由実]]や[[矢野顕子]]に憧れ、自作の曲を書き溜めていた<ref name="showa40">『昭和40年男』2015年6月号(クレタパブリッシング)118-121ページ より。</ref>。同時期に[[ブラック・コンテンポラリー]]や[[ソウルミュージック]]にも興味を持ち始めた{{sfn|『週刊女性』2025年2月11日号}}。当時、父親が仕事で[[イラン]]に赴いており、現地で人気の女性アーティストの[[コンパクトカセット|カセットテープ]]をよく買って来てくれていた。[[中近東]]独特のそれらの音楽を聴いていたことが、異国情緒をともなう音楽性を養うことにつながったという声もあるが、実際は関係がなく、代表曲「異邦人」についても音楽プロデューサーの萩田光男
▲[[松任谷由実]]や[[矢野顕子]]に憧れ、自作の曲を書き溜めていた<ref name="showa40">『昭和40年男』2015年6月号(クレタパブリッシング)118-121ページ より。</ref>。当時、父親が仕事で[[イラン]]に赴いており、現地で人気の女性アーティストの[[コンパクトカセット|カセットテープ]]をよく買って来てくれていた。[[中近東]]独特のそれらの音楽を聴いていたことが、異国情緒をともなう音楽性を養うことにつながったという声もあるが、実際は関係がなく、代表曲「異邦人」についても音楽プロデューサーの萩田光男氏によってテレビCMに合うように異国情緒をともなうように改変されたものであり、異邦人の原曲となる「白い朝」は異国とは関係なく日常の風景をうたうものだった。
=== デビューまで ===
[[共立女子第二中学校・高等学校|共立女子第二高等学校]]を経て、1977年に[[共立女子短期大学]]文学科に入学。それまでは文章を書くのが苦手で、曲を作っても詞がかけないためなかなか歌う機会がなかったが、「言葉を紡ぐ人になりたい」との思いから短大では文芸部に入部した{{sfn|『週刊女性』2025年2月11日号}}。在学中の[[1978年]]、「[[ミス・セブンティーンコンテスト]]」に応募する条件として、CBSソニー(現在の[[ソニー・ミュージックレコーズ]])に自分の歌を録音した[[カセットテープ]]を送り、一次審査に合格する(同大会には[[松田聖子]]も参加していた)。本人は「ミス・セブンティーンコンテスト」は主にアイドル対象のオーディションとは知らず、人前で歌う勇気が無かったことから、レコード会社の人に聴いてもらえればという目的で応募したという。二次の水着審査は固辞したが、その代わりとして東京・[[六本木]]の[[ソニー・ミュージックスタジオ|CBSソニースタジオ]]で弾き語りを披露することになり、そこで[[ディレクター]]の金子文枝に出会う<ref name="showa40" />。
金子の指導の下、デビューを目指し、当時八王子市にあった実家から[[東京都区部|23区]]内の短大とCBSソニーに通う日々を送る。[[中央線快速|中央線]]に乗車中、曲や詞を考えることが多く<ref>[http://www.asahi.com/articles/DA3S12788816.html (もういちど流行歌)「異邦人」久保田早紀 中央線の景色がシルクロードに] 朝日新聞デジタル、2017年2月11日</ref>、のちのデビュー曲「[[異邦人 -シルクロードのテーマ-|異邦人]]」は八王子付近<ref name="showa40" />や国立付近<ref>{{Cite news|title=異邦人 今は教会がステージ |newspaper=朝日新聞(夕刊) |publisher=朝日新聞社 |page=7 |date=2003-12-08}}</ref><ref>[https://agora-web.jp/archives/2021601.html 久保田早紀のヒット曲『異邦人』のルーツを中央線沿線に発見した] – アゴラ(メディカツ 9月15日放送)、2016年9月27日</ref>で作ったとコメントしている<ref name=":1">{{Cite web |title=「母を看取った賛美歌」 音楽伝道者 久米小百合(元・久保田早紀)さん【インタビュー前編】~日々摘花 第16回~ |url=https://www.famille-kazokusou.com/magazine/column/361 |website=家族葬のファミーユ【Coeurlien】 |date=2023-07-20 |access-date=2024-04-26}}</ref>。
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[[1979年]]に短大を卒業すると、その年のうちに[[三洋電機]]が[[タイアップ]]に付いてデビューが決まる。
デビュー曲の候補には「白い朝」、「夢飛行」<ref>「異邦人」のB面曲として収録。</ref>、「25時」<ref>2枚目のシングルとして発売。</ref>の3曲があり、「白い朝」はゆったりとした感じの曲だった。三洋電機の意向により「白い朝」に決定した後、[[コマーシャルメッセージ|CM]]映像が[[アフガニスタン]]で撮影されたことや、当時流行していた[[エーゲ海]]・[[地中海]]などの異国情緒などが意識されて、萩田光男
タイアップされたカラーテレビのCMが放送されるにつれ、そのオリエンタルで神秘的な曲調や歌声に注目が集まり、じわじわと売り上げを伸ばしてブレイクする。[[12月13日]]、『[[ザ・ベストテン]]』に5位で初登場した際にはその美貌にも注目が集まる。[[12月27日]]には1位を獲得、[[1980年]][[1月17日]]まで3週間連続(正月休みを挟み実質4週)で1位の座に留まり、その後[[3月6日]]まで12週の長きにわたり連続ベストテン入り
=== デビュー後 ===
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=== 久米小百合として活動〜現在 ===
その後ほぼ間を置かず、[[キリスト教徒|クリスチャン]]の[[ミュージック・ミッショナリー]]<ref name=":0" />([[キリスト教音楽|教会音楽]]家、音楽[[伝道者]]、音楽[[宣教師]])として、本名の久米小百合(あるいは、ひらがなの「くめさゆり」名義)で音楽活動などを行うようになった<ref>[https://www.famille-kazokusou.com/magazine/column/361 久米小百合さんインタビュー前編(日々摘花・第16回)] ファミーユ 2021年10月22日</ref><ref>[https://www.famille-kazokusou.com/magazine/column/362 久米小百合さんインタビュー後編(日々摘花・第16回] ファミーユ 2021年10月29日</ref>。各地のキリスト教会などで教会音楽と[[芸術|アート]]を融合させたコンサートや、講演会、交流会を行うなど、活動を続けている。また、聖書に出てくる“油”にちなんでオリーブオイルの資格を取得し、以後聖書に書かれている食べ物についての講座も行っている{{sfn|『週刊女性』2025年2月11日号}}。
デビュー曲の「異邦人」は、その後もたびたび[[コマーシャルソング|CMソング]]に起用され、[[2003年]]には三洋電機のCMに再起用された。また、数多くのミュージシャンに[[カバー]]されるなど、長く歌い継がれる曲となっている。
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2007年から[[2010年]]まで[[日本聖書協会]]の親善大使を務めており、[[2008年]]・[[2009年]]版の[[日本聖書協会]]カタログ(隔年間隔で刊行)の表紙や本文に、写真が掲載されている。
[[東日本大震災]]直後の2011年4月に東北応援団「LOVE EAST」を立ち上げ(後にNPO法人となった)<ref>[https://love-east.com/]「LOVE EAST」のサイトより。</ref>、2024年現在は地震の被害に遭った能登などの支援活動に携わっている{{sfn|『週刊女性』2025年2月11日号}}。
[[2013年]][[8月31日]]、[[NHK BSプレミアム]]で『うたものがたり』が放送(22:00 - 22:59)。ヒット曲の裏側を検証する番組で、[[フィンガー5]]の「[[個人授業 (曲)|個人授業]]」と「異邦人」の2曲が取り上げられ、アーカイブ映像のほか、2013年当時の本人や関係者へのインタビュー・取材映像等も放映された。
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|-
!3rd
|1980年[[9月1日]]||'''[[
|EP
|07SH 839
|-
!4th
|[[1981年]][[4月21日]]||'''[[
|EP
|07SH 971
118行目:
|-
!6th
|[[1982年]][[5月21日]]||'''[[
|EP
|07SH 1161
|-
!7th
|[[1983年]][[2月1日]]||'''[[
|EP
|07SH 1256
|-
!8th
|[[1984年]][[3月23日]]||'''[[
|EP
|07SH 1473
284行目:
|[[2002年]][[11月20日]]||'''[[GOLDEN☆BEST 久保田早紀]]'''
|CD
|MHCL-189〜190
|-
!12th
303行目:
|Blu-spec CD
|MHCL-20049
|-
!15th
|[[2025年]][[6月4日]]||'''久保田早紀 エッセンシャル'''||
|LP
|MHJL-424
|}
346 ⟶ 352行目:
! colspan="6" |久保田早紀 名義
|-
! rowspan="3" |1st
|
|[[VHS]]
|96ZM-3018
|-
|[[ベータマックス|Beta]]
|96QM-3018
|-
|[[2006年]][[3月30日]]
|[[ソニー・ミュージックダイレクト|Sony Music Direct]]
|DVD
|DYBL-24
|}
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== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* {{Cite journal|和書|title=人間ドキュメント「久保田早紀という商店で売るものは売りつくした~久米小百合」 |date=2025-01-28 |publisher=主婦と生活社 |journal=週刊女性 |issue=2025年2月11日号 |id={{JAN|4910203620256}} |pages=36-42 |ref={{sfnref|『週刊女性』2025年2月11日号}} }}
== 外部リンク ==
*
* [
* [https://web.archive.org/web/20100918160307/http://www.bible.or.jp/soc/kume.html 日本聖書協会内の紹介ページ]
* [https://www.sonymusicshop.jp/m/arti/artiItm.php?site=S&cd=83112178&ima=5522 久保田早紀|SonyMusic]
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{{DEFAULTSORT:くめ さゆり}}
[[Category:日本の女性シンガーソングライター]]
[[Category:日本の女性作詞家]]
[[Category:日本の女性作曲家]]
[[Category:バプテスト派の信者]]
▲[[Category:ソニー・ミュージックレコーズのアーティスト]]
[[Category:アリオラジャパンのアーティスト]]▼
[[Category:福音歌手]]
[[Category:教会音楽家]]
[[Category:ソニー・ミュージックレコーズのアーティスト]]
[[Category:ソニー・ミュージックダイレクトのアーティスト]]
▲[[Category:アリオラジャパンのアーティスト]]
[[Category:日本のプロテスタントの信者]]
[[Category:日本のバプテスト]]
[[Category:共立女子短期大学出身の人物]]
[[Category:
[[Category:1958年生]]
[[Category:存命人物]]
|