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{{存命人物の出典明記|date=2014年11月}}
{{画像提供依頼|[[中日ドラゴンズ]]監督時 (2025-)|cat=人物|date=2024年12月|cat1=野球選手}}
{{Infobox baseball player
| 選手名 = 井上 一樹
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| 背番号 = 99
| 画像 = Inoue kazuki.jpg
| 画像説明 = [[中日ドラゴンズ]]一軍打撃コーチ時代<br />(2012年8月28日 [[秋田県立野球場|こまちスタジアム]])
| 国籍 = {{JPN}}
| 出身地 = [[鹿児島県]][[姶良郡]][[溝辺町]](現:[[霧島市]])<ref name="91選手名鑑"/>(現:[[霧島市]])
| 生年月日 = {{生年月日と年齢|1971|7|25}}
| 没年月日 =
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* 中日ドラゴンズ (2024 - )
}}
'''井上 一樹'''(いのうえ かずき、[[1971年]][[7月25日]] - )は、[[鹿児島県]][[姶良郡]][[溝辺町]](現:[[霧島市]])出身の元[[プロ野球選手]]([[外野手]]、左投左打)、[[プロ野球コーチ|コーチ]]、[[プロ野球監督|監督]]。現役時代は{{by|1990年}}から{{by|2009年}}まで20年間にわたり[[中日ドラゴンズ]]一筋でプレーした。{{by|2025年}}からは中日の監督を務める。
 
== 経歴 ==
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{{By|2004年}}には、背番号を'''9'''に変更。[[大西崇之]]や[[英智]]などと正[[左翼手]]の座を争いながら、チームを引っ張った。[[2004年の日本シリーズ|日本シリーズ]]では、チームが制覇を逃しながらも、敢闘賞を受賞している。
 
{{By|2005年}}には、前年に続いてレギュラー争いを展開。セ・リーグの[[規定打席]]に満たなかったものの、2年連続の2桁[[本塁打]]と、自身初の打率3割を達成した。同年オフから[[井端弘和]]に代わり選手会長を任された<ref>{{Cite web ja |url=http://chuspo.chunichi.co.jp/dragons/tp2005/tp1102-2.htm |title=井上、新選手会会長 FA決着が大前提 |website=中日スポーツ |publisher=中日新聞社 |date=2005-11-02 |access-date=2023-02-14 |archive-url=https://web.archive.org/web/20060217162250fw_/http://chuspo.chunichi.co.jp/dragons/tp2005/tp1102-2.htm |archive-date=2006-02-1817}}</ref><ref>{{Cite news ja |title=中日の新選手会長に井上 |newspaper=東京新聞 |date=2005-11-29 |edition=朝刊 朝刊運動2面18頁 |agency=中日新聞東京本社}}</ref>。
 
{{By|2006年}}は、外野手としてはレギュラーの座を英智や[[藤井淳志]]などと争う立場にあったが、8月15日の対広島東洋カープ戦(広島市民球場)では、[[日本野球機構|NPB]]史上411人目の一軍公式戦通算1000試合出場を達成した<ref name="nagoyanikkansports20060815">{{Cite web ja |url=http://nagoya.nikkansports.com/baseball/professional/dragons/f-nd-tp0-20060815-75998.html |title=井上が1000試合出場 |website=日刊スポーツ名古屋版 |publisher=名古屋日刊スポーツ新聞社 |date=2006-08-15 |access-date=2023-02-14 |archive-url=https://web.archive.org/web/20060901005818/http://nagoya.nikkansports.com/baseball/professional/dragons/f-nd-tp0-20060815-75998.html |archive-date=2006-09-01}}</ref>。8月30日の対阪神タイガース戦([[阪神甲子園球場]])では、1点ビハインドの9回表二死から[[代打]]で登場すると、[[藤川球児]]から同点本塁打を放った<ref name="chuspo20060831">{{Cite web ja |url=http://www.chunichi.co.jp/chuspo/hold/dragons/news/2006/200608/CK2007031902102672.html |title=井上、球児粉砕 9回2死代打同点弾 |website=中日スポーツ |publisher=中日新聞社 |date=2006-08-31 |access-date=2023-02-14 |archive-url=https://web.archive.org/web/20080302165702/http://www.chunichi.co.jp/chuspo/hold/dragons/news/2006/200608/CK2007031902102672.html |archive-date=2008-03-0302}}</ref>。試合は結局引き分けに終わった{{R|chuspo20060831}}ものの、当時阪神タイガースと優勝を争っていたチームにとっては、2年ぶりのリーグ優勝を大きくたぐり寄せる一打になった。結局、セ・リーグの規定打席に届かなかったものの、3年連続の2桁本塁打と2年連続の3割を記録。勝負強いバッティングで、優勝に大きく貢献した。オフに、推定年俸9000万円(2000万円増)で契約更改<ref>{{Cite news ja |title=プロ野球 中日更改 井上2000万円増 中田1100万円増 岡本は現状維持 |newspaper=中日新聞 |date=2006-12-10 |edition=朝刊 朝刊運動2面 30頁 |agency=中日新聞社}}</ref>。
 
{{By|2007年}}は同じく左打ちの外野手である[[李炳圭]]の獲得や、[[中村紀洋]]の獲得で[[森野将彦]]が三塁から外野に回る機会が増えるなどのチーム事情で出場機会が減少し、序盤には[[二軍]]降格も経験した{{Efn2|このとき、[[立浪和義]]から井上へ手紙が送られ、井上自身は後年、この立浪からの手紙が心の支えになったと語っている{{要出典|date=2018年8月}}。}}。しかし、[[タイロン・ウッズ]]が契約切れで帰国したため、同年の[[アジアシリーズ]]での対[[SKワイバーンズ]]戦、対チャイナスターズ(中国プロリーグ選抜)戦、更に決勝の対[[SSGランダース|SKワイバーンズ]]戦にも出場、4試合で3本塁打を放っている。同年限りで選手会長を退任し、[[荒木雅博]]に譲った。
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[[File:CD-Kazuki-Inoue.jpg|right|thumb|200px|現役時代(2009年7月19日、阪神甲子園球場)]]
{{By|2009年}}は開幕戦にスタメンとして名を連ねる<ref>{{Cite web ja |url=https://npb.jp/bis/2009/games/s2009040300169.html |title=2009年4月3日 【公式戦】 試合結果 (中日vs横浜) |website=NPB.jp 日本野球機構 |date= |access-date=2023-02-14 |archive-url=https://web.archive.org/web/20230214055435/https://npb.jp/bis/2009/games/s2009040300169.html |archive-date=2023-02-14}}</ref>も、打撃不振で4月中旬に降格。シーズンの大半を二軍で過ごす。そして、9月25日の試合終了後に現役引退を表明した。会見では「体力の衰えは感じていないが、ドラゴンズ一筋で辞めるのがベストだと思った。選手会長で優勝パレードができたのが思い出」と話した。9月27日の対阪神タイガース戦([[ナゴヤドーム]])が引退試合として行われ、「6番・右翼手」で先発出場した<ref name="nikkan200909281128">{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20090928-548984.html |title=井上竜20年分の男泣き、矢野からも花束 |website=日刊スポーツ |publisher=日刊スポーツ新聞社 |date=2009-09-28 |access-date=2023-02-14 |archive-url=https://web.archive.org/web/20230214053318/https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20090928-548984.html |archive-date=2023-02-14}}</ref>。試合は敗れ、井上自身も4打数無安打であった{{R|nikkan200909281128}}が、試合終了後に引退セレモニーが行われ、立浪和義と[[矢野燿大|矢野輝弘]]から花束が贈られた{{R|nikkan200909281128}}<ref name="中日新聞朝刊20090928-23頁">{{Cite news ja |title=セ・リーグ 27日 3カード連続中日負け越し マサが炎上 阪神8-2中日 |newspaper=中日新聞 |date=2009-09-28 |edition=朝刊 朝刊運動1面23頁 |agency=中日新聞社}}</ref>。その後の胴上げには、チームメイトに混じって矢野と[[高橋光信]](2人ともかつて中日でチームメイト)も加わった{{R|nikkan200909281128|中日新聞朝刊20090928-23頁}}。その後、10月3日に[[富山市民球場アルペンスタジアム]]で行われた[[ファーム日本選手権]](対[[読売ジャイアンツ]]戦)に出場し、8回表に李炳圭の代打で出場した<ref name="sponavi20091003">{{Cite web ja |url=http://sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/npb/live/2009/10/031_npb.htm |title=2009年 プロ野球ファーム日本選手権 巨人 vs. 中日 |website=スポーツナビ |date= |access-date=2023-02-14 |archive-url=https://web.archive.org/web/20091007202800/http://sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/npb/live/2009/10/031_npb.htm |archive-date=2009-10-0807}}</ref>。この回は二塁走者が牽制死で攻撃終了となった{{R|sponavi20091003}}ため、9回表に先頭打者として打席に立ち{{R|sponavi20091003}}、勝利を決定付ける本塁打を放つ<ref>{{Cite web ja |url=http://hochi.yomiuri.co.jp/osaka/baseball/npb/news/20091004-OHO1T00122.htm |title=中日・井上が9回ダメ押し弾で2年ぶりV…ファーム日本選手権 |website=スポーツ報知大阪版 |publisher=報知新聞社 |date=2009-10-04 |access-date=2023-02-14 |archive-url=https://web.archive.org/web/20091008081440/http://hochi.yomiuri.co.jp/osaka/baseball/npb/news/20091004-OHO1T00122.htm |archive-date=2009-10-08}}</ref>。試合終了後には二軍選手達からの胴上げを受け、背番号と同じ9回宙に舞った。10月24日の[[2009年のセントラル・リーグクライマックスシリーズ|クライマックスシリーズ]]第2ステージ第4戦が最後の出場となった。
 
=== 現役引退後 ===
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=== 阪神コーチからの退任後 ===
{{By|2023年}}から、野球評論家としての活動を[[中日スポーツ]]で再開している<ref>{{Cite web ja |url=https://www.chunichi.co.jp/article/635455 |title=【中日】井上一樹さんの直撃に立浪監督が激白!「新人二遊間の起用法」「外国人枠」「涌井加入の効果」「伸びる選手とは」 |website=中日スポーツ・東京中日スポーツ |publisher=中日新聞社 |date=2023-02-14 |access-date=2023-02-14 |archive-url=https://web.archive.org/web/20230214034458/https://www.chunichi.co.jp/article/635455 |archive-date=2023-02-14}}</ref>。新たに中京テレビ野球解説者として復帰する一方、[[CBCラジオ]]の[[ドラ魂キング]]などに出演をしており、CBCラジオだけでなくCBCテレビの方でもゲスト扱いの野球解説者として数回ほど登場する。
 
=== 中日二軍監督時代(二期目) ===
2023年10月4日、[[片岡篤史]]の一軍ヘッドコーチ昇格に伴う後任となる二軍監督として11年ぶりに中日に復帰<ref>{{Cite web ja |url=https://dragons.jp/news/2023/23103101.php |title=二軍監督に井上一樹氏が就任 |website=中日ドラゴンズ オフィシャルウェブサイト |date=2023-10-31 |accessdate=2024-10-17}}</ref>。背番号は'''89'''。2011年以来、2回目の二軍監督の就任である。前年最下位であった二軍を24年はリーグ2位に導いた
 
=== 中日監督時代 ===
{{By|2024年}}10月3日、同年限りで辞任する[[立浪和義]]の後任として一軍監督に要請されたことが報道されると<ref>{{Cite web ja |url=https://www.chunichi.co.jp/article/966475 |title=中日・新監督、井上一樹2軍監督に要請へ 今シーズン2軍で優勝争い、元・阪神ヘッドコーチなど指導経験も追い風 |website=中日スポーツ・東京中日スポーツ |date=2024-10-03 |accessdate=2024-10-06}}</ref>、10日に正式に就任が発表され、就任会見が行われた<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202410100000325.html |title=【中日】井上一樹新監督が就任会見「自分の長所を出しながらいいチームを作りたい」と抱負 |website=日刊スポーツ |author=伊東大介 |date=2024-10-10 |access-date=2024-10-10}}</ref>。背番号は'''99'''となった<ref>{{Cite web ja |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2024/12/16/kiji/20241216s00001173115000c.html |title=中日が背番号変更を発表 根尾が「7」から「30」に 井上新監督は現役時代から愛着ある「99」に決定 |website=スポーツニッポン |date= 2024-12-16 |accessdate=2024-12-25}}</ref>。[[松中信彦]]を打撃総括コーチ、同郷で井上が指導力を高く評価していた[[飯山裕志]]を野手総合コーチに招聘し、[[落合英二]]は立浪と共に退任したが、井上の「英二さんしかいない」という度重なるラブコールを受け、二軍監督に就任した<ref>2025プロ野球カラー選手名鑑号 [[週刊ベースボール]] 2025年 2/21号増刊、74-75頁、[[ベースボール・マガジン社]]</ref>。[[ライデル・マルティネス]]が巨人へ移籍したが3年連続最下位のチームを4位に浮上させた。優勝した阪神には13勝12敗とセ・リーグ唯一勝ち越したが、DeNAには8勝17敗と大きく負け越した
 
== 選手としての特徴 ==
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* [[SKE48]]の[[須田亜香里]]は好きな選手を井上と挙げている。
* 東海ラジオ野球解説者時代の2014年7月14日に、『[[ABCフレッシュアップベースボール]]』([[朝日放送ラジオ]])の中日ドラゴンズ対阪神タイガース戦(ナゴヤドーム)中継(東海ラジオ制作分)で、中日OBにもかかわらず[[阪神ファン]]であることを公言した。その一方で、2008年から活躍の場を[[メジャーリーグベースボール|MLB]]に移していた福留が、2013年に阪神でNPB復帰を果たした際には、『ドラヂカラ‼』で復帰の理由に言及。膝の痛みを理由に、外野が天然芝である甲子園球場を[[本拠地]]に用いる阪神へ入団したことについて、「だから阪神に行ったんかい!」というツッコミを入れていた。なお、2020年シーズンには、阪神タイガースの一軍打撃コーチとして福留を指導。コーチへの就任が発表される直前には、中日ファンに向けて、中日スポーツや中京ローカル向けの出演番組で就任への経緯を自ら明かしていた<ref>{{Cite web ja |url=https://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/npb/news/CK2019101302100043.html |title=中日OB井上一樹さん阪神1軍打撃コーチに 苦悩の決断独白「ドラゴンズファンにはしっかりと話しておきたい」 |website=中日スポーツ |date=2019-10-13 |accessdate=2019-10-22 |publisher=中日新聞社 |archive-url=https://web.archive.org/web/20191022034113/https://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/npb/news/CK2019101302100043.html |archive-date=2019-10-22}}</ref>。
* 中日監督就任直後の2024年10月24日に出席した[[2024年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|2024年度プロ野球ドラフト会議]]では、4球団競合指名だった[[金丸夢斗]]の交渉権確定のくじを引き当てた。その際、当たりくじを振りかぶって投げつけるような派手な[[ガッツポーズ]]をすると、左肩を[[脱臼]]してしまうアクシデントに見舞われた<ref>{{Cite web ja|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202410240001577.html|title=【ドラフト】中日井上新監督、まさかの「脱臼しました」4球団競合で関大・金丸引き当てたのに…|website=日刊スポーツ|date=2024-10-24|accessdate=2025-05-23}}</ref>。
* 2025年5月に[[東山動植物園]]で生まれたチンパンジーが来園者の投票によって「カズキ」に決定された。その際、「みんなをウキィーウキィーさせてくれる、明るく元気な人気者になってくださいね!東山のNo.1に」というコメントを残している。<ref>{{Cite web|title=井上一樹監督からカズキへ「皆んなをウキィーウキィー」 東山動植物園で命名式:中日新聞Web|url=https://www.chunichi.co.jp/article/1115947|website=中日新聞Web|access-date=2025-08-20|language=ja}}</ref>
 
== 詳細情報 ==
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[[Category:阪神タイガース関連人物]]
[[Category:野球解説者]]
[[Category:福薗家]]
[[Category:鹿児島県出身のスポーツ選手]]
[[Category:霧島市出身の人物]]
[[Category:1971年生]]
[[Category:存命人物]]