「ノート:戦災孤児」の版間の差分
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:*なお、①KappaPapaさんのご意見の中にある「『戦災孤児=戦争孤児』と『戦争孤児⊃戦災孤児』との両論併記」については、仮に本記事を改名をした後であっても、本文内で、冒頭文や新たに設ける節等によりそれぞれ適切に言及することは十分に可能であると考える立場です。
:*また、②KappaPapaさんの謂う「90年代以降の言い換えの動き」については、もし信頼できる情報源(出典)をご提示いただけるのであれば、これも本改名提案の議論とは別に、記事内容を充実させる情報として本文への追記を検討できるであろうと思われます。
:*したがって①②については、'''既に本節においてそれらを合理的に議論の主軸に据えるべき経過を辿ってはいない'''ことをご留意ください(([[WP:DR#2|レベル6「要点集中」]]))。
=== 【議論の継続】 ===
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=== 【{{問}}】 ===
つきましては、何よりもまず、この「'''定量的な根拠に基づく『戦争孤児』が『戦災孤児』よりも一般的であるという客観的事実'''」について、KappaPapaさんはどのようにお考えになりますか? <br>[[WP:DR#2|レベル6「要点集中」・レベル5「論点明瞭」・レベル4「反論」(出典、根拠の明示)]]にご留意のうえ、端的にこの点について、KappaPapaさんのご見解をご回答ください。--[[利用者:尋牛|尋牛]]([[利用者‐会話:尋牛|会話]]) 2025年10月16日 (木) 04:10 (UTC)
:国会図書館デジタルコレクションでは電子化した書籍の使用単語の検索ができますが、
:「戦災孤児」を使用している資料20,147件
:「戦争孤児」を使用している資料6,740 件であり、3倍の差で逆転しますね。
:「戦災孤児」「戦争孤児」がイコールの概念でないのであれば、単純な数の比較は意味がないとも思うのですが、一応あなたの言葉の逆で言う「定量的な根拠に基づく『戦災孤児』が『戦争孤児』よりも一般的であるという客観的事実」かなあと思います。
:またCiNii検索で年度ごとに見たところ、やはり90年代以降増えており、特定の「戦争孤児」派の人が多く書いているという事がある。11は本庄豊、15が浅井春夫.
:ここからは私の印象。まず「戦災孤児」という言葉は知っているが、「戦争孤児」という言葉には全くなじみがなく違和感がある。先に述べましたが、私は人生でこのノート欄で使用したのが初めてと思います。一般に膾炙しているとはとても思えない。
:社会活動家など、特定の思想の方で何故か「戦災孤児」という言葉を使いたくない人たちがいると理解しました。理由は見たが正直全然分らない。「"戦災"では災害のようで戦争責任が曖昧」?いや「人災」という言葉もあるでしょう。何を言っているのかわからないというのが正直な所。これは著書など確認したいと思います。「戦争孤児」と改名したところでそこに戦争責任の意味は見当たらない。むしろさらに曖昧で被害者性が減ると思うし、単純に「War orphan」の訳語になってしまう。彼らの改名運動には何か他の理由があるのでしょうか?
:「戦災孤児」は歴史のある用語ですし、法律にも使われ、文学作品の題材になり、国の調査でも使用されている。改名の必要はないと思います。むしろ改名に違和感を感じる方が多いのではないかと思う。
:==== 【{{問}}】 ====
:こういった社会活動家による改名の動きを知っていましたか? あなたは、その思想に基づいて改名提案をしていませんか?--[[利用者:KappaPapa|KappaPapa]]([[利用者‐会話:KappaPapa|会話]]) 2025年10月16日 (木) 14:08 (UTC)
まず個人的には「戦争孤児」という文言はこれまで見聞きした覚えがなく、図書館で辞書を引いてきたところ、広辞苑第7版、大辞林第4版では「戦災」に付随する形で「戦災孤児」の見出し語があり、日本国語大辞典(おそらく初版)では「戦災」とは独立して「戦災孤児」の見出し語がある一方、「戦争孤児」の記載は見つかりませんでした。他の辞書も2,3引いてみましたが、戦災孤児についても単に戦災の語を用いる例としてのみ記載があり、意味の解説がなされていないものも見られましたが、「戦争孤児」の記載がないのは同様です。
また、単にGoogleの検索結果をみると、件数は「"戦災孤児"」が約 230,000 件なのに対し、「"戦争孤児"」が約 76,600 件となっています。現状、記事を改名するほど「戦争孤児」の語が一般的であるとは解し難いです。--[[利用者:回廊洞穴|回廊洞穴]]([[利用者‐会話:回廊洞穴|会話]]) 2025年10月16日 (木) 11:16 (UTC)
*{{コメント}} 1991年(平成3年)発行の『大衆文化事典』(弘文堂、{{ISBN2|4-335-55046-4}})では、「戦災孤児」は見出し項目となっています(435頁)が、「戦争孤児」はありませんでした。[https://www.kansai-u.ac.jp/hrs/a266df1f866192b4f94d3a995437b1b489d94486.pdf こちらの資料]を眺めた限りでは、個人的には1990年に創価学会婦人平和委員会編の『孤児たちの長い時間 (シリーズ平和への願いをこめて 19 戦争孤児(東京)編)』が出版されているのが目にとまります。調べると、このシリーズからは1983年に『女ひとりの戦後 (平和への願いをこめて 9 戦争未亡人(埼玉)編)』も出ており、「戦争未亡人」に対比する形で「戦争孤児」にしたのかなと、なんとなく想像します(参考:[https://www.daily.co.jp/gossip/2025/10/13/0019584110.shtml 2025年10月13日付「デイリー」])。あとキーパーソンとなるのが、2023年に亡くなられた([https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE1630N0W3A710C2000000/ 2023年7月17日付「日本経済新聞」])、「戦争孤児の会」元代表の[[金田茉莉]]氏かなと思います(引用:“天災でなく人災。「戦災孤児」でなく「戦争孤児」の表記にこだわった”。出典:[https://www.tokyo-np.co.jp/article/269626 2023年8月12日付「東京新聞」])。--[[利用者:ねこざめ|ねこざめ]]([[利用者‐会話:ねこざめ|会話]]) 2025年10月16日 (木) 20:57 (UTC)
== 記事の編集について ==
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*{{コメント}} 改名提案とコメント依頼をみて来ました。まず尋牛さんの[https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%88%A6%E7%81%BD%E5%AD%A4%E5%85%90&diff=106790896&oldid=106790046 2025年10月11日 (土) 06:39]の編集ですが、[http://www16.plala.or.jp/senso-koji/ 「戦争孤児の会」のホームページ]からかなりの量の文章を引用されていますが、ホームページはすでに閉鎖されているように思うのですが、尋牛さんの環境ではアクセスできているのでしょうか。あと2015年3月23日に放送されたNNNドキュメント「戦争孤児たちの遺言 地獄を生きた70年」を出典に使用されていますが、これは[[Wikipedia:TVWATCH]]に該当するのではないでしょうか。それと[[ジョン・ダワー]]の引用文、「一匹、二匹」の部分が強調表示になっていますが、出典のPDFの18ページをみる限りでは強調されていませんし、「(John Dower(1999= 2004 : 63-4)」としか書いていないのに引用元が『敗北を抱きしめて――第二次大戦後の日本人』となっています。もし尋牛さんが『敗北を抱きしめて――第二次大戦後の日本人』を参照した上でそう書いているのでしたら、出典を変更したほうがよいのではないでしょうか。たとえば[https://www.cao.go.jp/kodoku_koritsu/torikumi/platform/gaiyou/setsuritsusoukai4/pdf/siryou1.pdf 野澤和弘「孤独・孤立について」]という資料の2ページにも同じ箇所の引用がありますが、双方の文章が違っています。このように孫引きは往々にして不正確な文章を拡散させることにつながります。--[[利用者:ねこざめ|ねこざめ]]([[利用者‐会話:ねこざめ|会話]]) 2025年10月15日 (水) 20:08 (UTC)
*:コメントありがとうございます。各ご指摘について、精査のうえ後に、改めてご返答申し上げます。(改名提案とは別議題のため、整理上、トピックを分割いたしました([[WP:TALKNEW]])。)--[[利用者:尋牛|尋牛]]([[利用者‐会話:尋牛|会話]]) 2025年10月16日 (木) 00:48 (UTC)
== 【参考】「戦災孤児」を「戦争孤児」と言い換える動きについて。 ==
近年、一部の社会活動家・研究者により、'''思想的な理由で'''戦災孤児を戦争孤児と言い換える動きがある件、大体の流れが判りましたのでご報告します。閲覧できた資料に制限があり、短時間で調べたので重要な抜けがあると思います。ご了承ください。
===1.西村滋 (※前史)===
作家の[[西村滋]]氏は、孤児院職員だった経験から終戦後に孤児と接していた人です。以前から[[戦災孤児]]という語を嫌い'''戦争孤児'''を使うと発言しています。1955年『笑わない青春の記』で既に用語を使い分けて使用しており、1980年『おとうさんのひとつの歌』で「十三万の戦争孤児(戦災孤児とは書きません)」p.67 などと記述があり。
===2.創価学会『孤児たちの長い時間』(1990年)===
全体的に「'''戦争孤児'''」が使われる書籍。多くの人が説明無く「'''戦争孤児'''」を使って証言している。ただし、当時の創価学会内において共通認識だったわけでは無いようで、[[西村滋]]氏の発言を受けての編集ではないか。座談会で西村氏が[[戦災孤児]]という用語を批判し'''戦争孤児'''を使うという発言があります。
{{Quotation|(西村滋)ぼくが「戦災孤児」と言わず「戦争孤児」というのは、それが人為的なものだからなのです。戦争は人為的な悪意以外の何物でもありません。<br>
(編纂委員S)私たちも初めは「戦災孤児」と言っていたのですが、先日、西村先生にそのことをうかがって、私たちも「戦争孤児」ということにしました。たしかに、そのほうが意味がより鮮明になるんですね。戦争は国が起こしてしているんです」<br> <small>創価学会婦人平和委員会 編『孤児たちの長い時間 (平和への願いをこめて ; 19 戦争孤児(東京)編)』p.284</small>}}
この本は後述の逸見論文、「焼跡の子どもたち」などにも関係文献リストに載る。
===3.総称としての戦争孤児(1994年)===
1994年
北海道大学逸見勝亮氏が「[[戦災孤児]]」「引揚げ孤児」などを含めた総称として「'''戦争孤児'''」を論文の註釈に書いています。但し引用文献無し。逸見氏の発案か別からの引用かが分からない。論文を確認するに、思想的な理由は無いように見えます。(逸見勝亮『第二次世界大戦後の日本における浮浪児・戦争孤児の歴史』[https://www.jstage.jst.go.jp/article/kyouikushigaku/37/0/37_KJ00009272634/_article/-char/ja])
これ以前の定義づけがある場合は情報提供をお願いします。
===4.金田茉莉氏「戦争孤児の会」(1995年)===
1995年3月、自身が東京大空襲による戦災孤児である金田氏により「'''戦争孤児'''の集い」が初めて開かれ、その後「戦争孤児の会」となった。アーカイブされたHP、著書では「戦争孤児」とした理由は確認できませんでした。
===5.『焼け跡の子どもたち』戦争孤児の会 (1997年)===
1997年、会により証言集『焼け跡の子どもたち』が出版されました。
巻末の解説で立教大学前田一男氏が、孤児にまつわるそれぞれの呼称について説明、厳密な定義は難しいとしながらも、逸見論文の「'''戦争孤児'''」を「戦災孤児」「引揚孤児」などの総称として紹介しています。また、創価学会『孤児たちの長い時間』が関係文献リストの筆頭にあります。<br>
<small>(※金田氏による『焼け跡の子どもたち』『東京大空襲と戦争孤児』非常に良い本でした。感動しました。※Kappa)</small>
===6.思想的な意味付け(2010代半ば?)===
言い出しが誰かは確認できていません。
立教大学・[[浅井春夫]]教授の発言。https://www.min-iren.gr.jp/news-press/shinbun/20150602_23637.html?utm_source=chatgpt.com
{{Quotation|'''戦争孤児のこと''' これまで広く使われてきた「戦災孤児」という用語には、どこか自然災害のように原因と責任が曖昧にされている問題があります。一方、「戦争孤児」は戦争政策の犠牲者であるという本質を表現する言葉です。<br> <small>民医連新聞 2015.06.02 「戦争反対 いのち守る現場から 立教大学 浅井春夫教授 孤児12万人生んだ先の大戦 二度とくり返さないために」</small> }}
『孤児たちの長い時間』の西村滋に近い。ここでは、戦争孤児は戦争による孤児の総称としてではなく、戦災孤児に代わる用語として説明される。
===7.「戦争孤児たちの戦後史研究会」結成(2016年)===
参考資料にある[[浅井春夫]]氏、[[本庄豊]]氏が代表運営委員です。この方々は同じ研究会でした。他に[[川満彰]]氏・[[平井美津子]]氏、[[水野喜代志]]氏が代表運営委員。
2020年に成果として『戦争孤児たちの戦後史1~3』を出版。執筆者には[[金田茉莉]]氏も加わる。
{{Quotation|'''「戦争孤児たちの戦後史研究会」について'''
…一般に使われる「戦災孤児」ではなく、「戦争孤児」にしました。各種の辞典によれば、戦災は「戦争による災害」の略語です。その点では戦争と被害の関係を明確に意識することを避け、戦争人為性をあいまいにしている用語です。それに対して「戦争孤児」は、戦争政策による犠牲者であるという本質を表す用語として使っています。<br> <small>『戦争孤児たちの戦後史1』浅井春夫・川満彰編 吉川弘文館 2020年 p.3-4</small> }}
個人的には非常に疑問があるところで、「戦災孤児」を「戦争孤児」と言い換えたところで「戦争政策による犠牲者であるという本質が表」せるだろうか?そもそも「戦争孤児」では単に「War Orphan」の訳語になっていないか?などなど。ともかく理由は明確に述べられていました。この動きは今後重要になるかもしれないと思いますので整理して本文に一章を追加しようかと思います。追加情報があればお願いします。
参考資料
*創価学会婦人平和委員会 編『孤児たちの長い時間 (平和への願いをこめて ; 19 戦争孤児(東京)編)』1990年
*逸見勝亮「第二次世界大戦後の日本における浮浪児・戦争孤児の歴史」『日本の教育史学』37巻 1994年[https://www.jstage.jst.go.jp/article/kyouikushigaku/37/0/37_KJ00009272634/_article/-char/ja])
*戦争孤児の会(金田茉莉)『焼け跡の子どもたち』1997年
*戦争孤児の会(金田茉莉)『東京大空襲と戦争孤児』2002年
*戦争孤児たちの戦後史研究会(浅井春夫・川満彰 編)『戦争孤児たちの戦後史1』2020年
--[[利用者:KappaPapa|KappaPapa]]([[利用者‐会話:KappaPapa|会話]]) 2025年10月17日 (金) 20:25 (UTC)
:これは改名提案に関連しますが、用語として「戦災孤児」に代わり「戦争孤児」の使用をされる方も、
▲(正常にトピック分割を遂行するため、既存の投稿をこちらに移します)--[[利用者:尋牛|尋牛]]([[利用者‐会話:尋牛|会話]]) 2025年10月16日 (木) 05:06 (UTC)
:{{Quotation|一般に使われる「戦災孤児」ではなく、「戦争孤児」}}
:と述べており、現時点では「戦災孤児」が一般的というのは認めてらっしゃると思う。考えはそれぞれですから、「戦争孤児」の使用自体については全く批判するものではありません。ただこの動きが言葉狩りのように発展すると不健全と思う。--[[利用者:KappaPapa|KappaPapa]]([[利用者‐会話:KappaPapa|会話]]) 2025年10月17日 (金) 20:54 (UTC)
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