削除された内容 追加された内容
ゴンボ (会話 | 投稿記録)
m lkなど
、を消した
 
(100人を超える利用者による、間の403版が非表示)
1行目:
{{Otheruses}}{{Redirect|モアイ像|新島村の名物の石像|モヤイ像}}
[[Image:Moai Rano raraku.jpg|250px|thumb|'''モアイ像''' ラノ・ララクと呼ばれるモアイの製作所]]
{{出典の明記|date=2013年5月24日 (金) 21:52 (UTC)}}
[[画像:Easter-Island.jpg|250px|thumb|モアイ像(遠景)]]
[[ファイル:Moai Rano raraku.jpg|250px|thumb|'''モアイ像''' ラノ・ララクと呼ばれるモアイの製作所]]
[[File:AhuTongariki.JPG|250px|thumb|1990年代に復元されたアフ・トンガリキの15体のモアイ像]]
[[File:Ahu Tahai.jpg|thumb|upright|一部は目と思しき造作もされている。]]
'''モアイ'''(Moai)は、[[チリ]]領[[イースター島]]にある人面を模したとされる石像。島の海に面した'''アフ'''と呼ばれる高台に、多くの場合海に背を向けて、正確にはかつての住居跡を取り囲むように多数建てられている。大きさは4〜5[[メートル]]、重量20[[トン]]程度のものが多いが最大級のものは20メートル、重量は90トンに達する。島で産出される[[凝灰岩]]でできており、建造中に放置されたものも含め約900体ある<ref name="Jared">ジャレド・ダイヤモンド『文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの』2005年 159-242頁 第2章 イースター島に黄昏が訪れるとき</ref>。現在アフに立っている約30体は、すべて近代以降に復元されたものである。
 
造られた時代によって様式は変化し、初期の物とされるものの多くは、高さ3メートル程度と小型だが、時代が下るにつれ大型化していった。アフに建てられたことのあるものには頭と胴体があり、後期の、とくに大きなものには'''[[プカオ]]'''と呼ばれる赤い石が頭上に乗せられ一部は目と思しき造作もされている。
'''モアイ'''は[[チリ]]領[[イースター島]]にある人面を模した石造彫刻のこと。大きさは3.5m、重量20トン程度のものが多いが最大級のものは20m、重量は90トンに達する。
 
これらの像の設置目的・用途については「[[祭祀]]目的で立てられた」と推測されているが、実際の祭祀形態については諸説あり、定説は未だにない。「[[イースター島]]」の項目も参照のこと。
== 概要 ==
[[伊豆大島]]くらいの小さな島の海に面した高台に、人面を模したモアイ像が多数建てられている。
島で産出される[[凝灰石]]でできており、建造中に放置されたものも含め約1000体ある。顔だけのものが多いが、中には胴や手足がついているもの、[[ふんどし]]のようなものを着けて日本の正座と同じ[[座法]]をしているものもある。モアイは、島の内側を向いて立てられていたことが多い。
 
== 建設方法 ==
東端と西南端の狭い切り立ったがけを除きほぼ島の全周にまんべんなく配置されている。おそらく[[祭祀]]目的で立てられたと推測されるが、実際の祭祀形態については諸説あり、定説はいまだない。モアイが作られた目的が不明なのは、島民が奴隷として島外に連行され、さらに解放後、[[天然痘]]により島民の大半が死亡し記憶も途絶え、島固有の文化である、文字板コハウロンゴロンゴを読めるものもいなくなり、さらにキリスト教布教の際、コハウロンゴロンゴが多数焼かれてしまい、これらのごく一部しか残っていないためである。
材料となった石材は凝灰岩であり、採石の中心は「[[ラノ・ララク]]」と呼ばれる直径約550メートルの噴火口跡で、現在でも完成前のあらゆる段階の石像が散乱する彫る道具とともに残されている。この噴火口から火口縁の低い部分に切り込まれた溝を通過して下降するようになっており、そこから北と南と西の三方向へ放射状に道が伸び、最も長いものは島の岸まで約15[[キロメートル]]続いている<ref name="Jared"/>。
 
考古学者の[[トール・ヘイエルダール|ヘイエルダール]]が現地住人の協力を得て行った実験では、横倒しにした像を木の「ころ」に乗せ、大勢が縄で引っ張り設置場所まで移送させ、木の棒と大小の石を積むことで立たせるという方法で、当時の人口・技術力でも運搬が可能であったことを証明している。詳細には、像を立たせる試みと、運ぶ試みは別々に行われた。
[[香川県]][[高松市]]に本社を置く株式会社[[タダノ]]が[[1992年]]から[[クレーン]]などをイースター島に持ち込んでモアイ像を起こしたり修復などを行い、使用後のクレーンなどをイースター島に寄贈している。
このきっかけとなったのが、[[TBS]]の[[日立 世界・ふしぎ発見!]]でイースター島を特集した際、
「クレーンがあれば、モアイを元通りにできるのに」という知事の声を放送したところ、回答者である[[黒柳徹子]]が「日本の企業が助けてあげればいいのに」という内容の発言をし、それをタダノの社員が見ていたためだと言われている。
 
最初に像を立てる試みが行われた。これは実験ではなく、現地に伝承されていた技術に基づいたもので、設置には12人で18日掛かったとされ、同島アナケナ・ビーチ近くの丘に残されており、倒れた像を、木の棒と、地面と像の隙間に入れていく大小の石を使って近くのアフに立たせた<ref>ヘイエルダール「アク・アク」</ref>。過去、島に巨大な像を作って動かす技術や知識がなく、南米からやって来た人々の力で建てられたという説があったが、実際に島民の遺骨の[[デオキシリボ核酸|DNA]]などを調べた結果、南米を起源とする遺伝物質が見つかっていない。最近の研究により島民が自力で建設し、移動させたことがわかっている<ref name="forbes18628">{{Cite news|url=https://forbesjapan.com/articles/detail/18628|title=謎の巨石文化、イースター島のモアイ像を作った人々のルーツ |newspaper=[[フォーブス (雑誌)|Forbes]]|date=2017-11-25 |accessdate=2019-10-12 | author=Trevor Nace}}</ref>。当時の人口や環境に関する考古学的な部分は[[イースター島#歴史|イースター島の歴史]]を参照。
== 建設方法 ==
モアイの材料となった石材は凝灰岩と判明しているが、凝灰岩は海岸周辺には存在せず、島内の山から切り出され、運ばれた可能性が指摘されている。考古学者が現地住人の協力を得て行った実験では、木製のソリに横倒しにして乗せ、大勢が縄で引っ張り、目的地についたら[[てこ]]を使って立たせるという方法で、当時の人口・技術力でもモアイの運搬が可能であったことを証明している。現在イースター島には大規模な森は存在せず、1000体分もの石材を運搬するのは、木材が足りず不可能のように思われるが、地質学的調査によると、モアイが作られた当時は[[椰子]]の木が生い茂っていたとされる。むしろ島民たちの乱伐によって森が消失した可能性が高い。
 人口1万人の島に1000体ものモアイが乱立し、森が消滅したことから、モアイを現在の世界各地のビルにたとえ、地球全体をラパヌイにたとえて、地球温暖化や森林伐採を警鐘する人々もいる。
 
運ぶ方法について、直接ではないが伝承では石垣にする大きな石を運ぶ時に使ったミロ・マンガ・エルアというY字形の分かれた木の幹でつくった石づちがあったという。またハウ・ハウの木の皮で太い綱を作ったという。
== 日本のモアイ ==
[[Image:MOAI image.JPG|thumb|right|250px|[[札幌市]]滝野霊園の実物大モアイ像]]
現代になってから、日本でモアイ像を真似て作られた[[モヤイ像]]という像がある。東京都[[渋谷駅]]のものが有名。
 
だが、その後の研究では、完成後すぐに立てられ、立った状態で縄で目的地まで運搬された、という方法も示されており、この方法では横倒しにして運搬するよりも人数が少なくてもすむ上、効率も良い事が確認されている。また、「モアイは自分で歩いた」という現地の伝説の根拠にもなっている。
また、同じく日本に、倒されたモアイ像を起こすテストのために作られたモアイ像がある。[[香川県]]の[[女木島]]に存在する。
 
イースター島の火口湖でボーリングを行い堆積物に含まれている花粉を調査した結果、5世紀ごろの土の中からヤシの[[花粉]]が大量に発見されており、当時は[[ヤシ]]の森に覆われ木材は豊富であったと考えられる。また、1722年の西洋人として最初に到着した[[ヤーコプ・ロッヘフェーン|ヤコブ・ロッヘフェーン]]は、3メートルに満たない低木が少ないながら存在していることを記録している。現在見るような低木すらまばらな状態になったのは1888年にチリが併合した後、島全体が牧羊場とされて牧草を食べさせたことが要因となって土壌浸食が起こり、残っていた自生植物の殆どが1934年頃までに姿を消したためである<ref name="Jared"/>。
この他に、チリから日本に贈呈されたモアイ(レプリカ)がある。1960年に発生した[[チリ地震]]津波で甚大な被害を受けた[[宮城県]]志津川町(現在の[[南三陸町]])に対して、チリ地震津波災害30周年の折、同じ被災国であるチリからモアイが贈られた。このモアイは現在、志津川湾に面した公園に設置されている。他に、宮崎県日南市「サンメッセ日南」にもモアイ像がある。海沿いにある7体のモアイ像は、チリの方を向いているとされている。
 
== 復元・修復 ==
また、[[札幌市]]南区に所在する滝野霊園にも多数のモアイ像を模した石像が群立している。一種の観光名所化しており、中心部から離れているので自家用車で向うのが一般的である。2006年12月現在33体のモアイ像が存在し、周辺の休憩用ベンチの一部もモアイ像を模している。
1722年に西洋人として最初に[[ヤーコプ・ロッヘフェーン|ヤコブ・ロッヘフェーン]]がイースター島にたどり着いた時には、すでに部族間抗争によって多くが倒されていた。1774年に島を訪れた[[ジェームズ・クック]]は、まだ無事に立っていた像と同じくらい打ち倒された像を目にしたと記録している。西洋人により立っている像が最後に記録されたのは1838年で、1868年の記録には立っている像はなくなっていた。口承では1840年頃にすべての像が倒されてしまったという<ref name="Jared"/>。この倒された像の一部は、20世紀以降に考古学者や地元の人の手によって起こされた。現在はおよそ40体の像が復元されている。
 
[[香川県]][[高松市]]に本社を置く株式会社[[タダノ]]が、[[1992年]]から[[クレーン]]などをイースター島に持ち込んで、島南部の[[アフ・トンガリキ]]にある15体の像の復元・修復などを行い、使用後のクレーンなどをイースター島に寄贈している。これは[[TBSテレビ|TBS]]の『[[日立 世界・ふしぎ発見!]]』で1988年の秋にイースター島を特集した際、「クレーンがあれば、モアイを元通りにできるのに」という知事の声を放送したところ、解答者である[[黒柳徹子]]が「日本の企業が助けてあげればいいのに」という内容の発言をし、それをタダノの社員が見ており、社長が話に乗ったのがきっかけである<ref>[http://www.tadano.co.jp/tadanocafe/moai/project/index.html 株式会社タダノ モアイ修復プロジェクト]、[https://www.asahi.com/jinmyakuki/TKY201004160258.html ニッポン人脈記 世界遺産に生きる(1) モアイ救出 イチかバチか] 朝日新聞2010年4月16日付夕刊。</ref>。クレーンの運搬にはチリ海軍の協力を得ている。費用も全額タダノが出費している。
==その他==
{{Seealso|タダノ#メセナ活動}}
[[2003年]]、日本人観光客がモアイ像に彫りこみ行為をして[[チリ]][[警察]]に[[逮捕]]される騒ぎがあり、日本人観光客のモラルが問題になった。<!--(その社員は[[懲戒解雇]]処分を受けた)--><!--逮捕された方がどこかの社員だったんですか?-->
 
== 文明崩壊の原因説 ==
日本のゲームメーカー「[[コナミ]]」の作品中に、しばしばモアイが登場する。
[[ジャレド・ダイアモンド]]『文明崩壊』など、イースター島民はモアイの作り過ぎで文明が崩壊し自滅したとする説がある。かつて島民は木材を燃料やカヌーや家屋といったインフラに使い、耕地を広げるためにも森を切り開いていった。さらに部族の権威を高めるために祭祀に使うモアイを盛んに立てたことも森林の減少に拍車をかけることになった。森林の減少は土地の浸食などの環境悪化を招いたため、食糧や耕地などの資源を巡って部族間の緊張・対立が激化することになった結果、ますます競って像を立て、森林も狭まるという悪循環に陥っていったことが推測されている。周囲から孤立した人口1万人の小さな島に1,000体もの像が乱立した結果、最終的に森林が消滅し、人口も激減し、像が作られることもなくなり、当初は立っていた像は部族間の抗争で倒されてしまったとする<ref name="Jared"/>。このことから、地球全体をラパ・ヌイに、現在の世界各地のビルを同像にたとえ、地球温暖化や森林伐採に警鐘を鳴らす人々もいる。現在イースター島(ラパ・ヌイ)には大規模な森は存在せず、前述のように地質学的調査によると、作られた当時は[[椰子|ヤシ]]の木が生い茂っていたとされる。
 
しかし、実際に部族同士の争いがあったかどうかについては論争がある。というのも、部族の争いがあったにしては、[[殺人|人を殺す]]ことを目的としたような殺傷能力のある「[[武器]]」が島内からほとんど発掘されていないためである。島で使われていた「マタア」と呼ばれる[[石器]]は、人を刺し殺すような作業には適しておらず、島内から発掘された469個の[[頭蓋骨|頭骨]]を調べたところ、マタアによるものと思われる切り傷の痕が見つかったのは、そのうちわずか2個だけだった。西洋人による侵略時にも、現地人は[[投石]]で戦ったとされる。この事から、口伝にあるような激しい戦闘があったのかどうか疑問視する専門家もいる<ref name="natgeo022400064">{{cite news |title=イースター島、人殺しの武器を作らなかったと新説|newspaper=[[ナショナルジオグラフィック (雑誌)|ナショナルジオグラフィック]] |date=2016-2-25 |url=https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/022400064/ |accessdate=2017-3-11}}</ref>。
== 関連項目 ==
*[[ラパ・ヌイ国立公園]]
 
従来説では木の[[そり|橇]]と[[軌条]]を作り、その上を滑らせるという大量の木材を必要とする方法であったが、2012年に、モアイを立てた状態で、縄で左右に揺らしながら、歩かせるように前に進める方法でも可能である事が、実験で確かめられている。この様子は、島に伝わる「モアイは自分で歩いた」との伝説にも合致する<ref>{{cite news |title=モアイ像、ロープで揺らして移動?|newspaper=[[ナショナルジオグラフィック (雑誌)|ナショナルジオグラフィック]] |date=2012-6-25 |url=https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/6283/|accessdate=2020-11-21}}</ref>。
{{commons|Easter Island}}
 
争いが起こったとされる時から数百年も後になってから、収集された口承だけを頼りにすることは、研究者の間で論争となっている<ref name="natgeo022400064"/>。部族間抗争の存在については、研究が進むにつれて否定されつつある。イースター島民の人口が減ったのは、ヨーロッパ人による奴隷狩りが原因である可能性が高まっている。苛烈な奴隷狩りにより、島民の人口は100人前後まで減り、やがて疫病の流行が原因で絶滅したとされる<ref name="forbes18628" />。
{{main|イースター島#文明の崩壊}}
 
== 焼失 ==
2022年10月にはイースター島で日照りによる大規模な火災が発生し、複数のモアイが焼ける被害が出た<ref>[https://web.archive.org/web/20221008052650/https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221008/k10013852881000.html 南米チリ イースター島で山火事 モアイ像にも被害か]。[[日本放送協会|NHK]]、2022年10月8日 14時25分付。2022年10月21日閲覧。</ref>。この被災によって、島に点在する約1000体のモアイのうち数百体が修復不能のダメージを受けたとされている<ref name="natgeo">[https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/22/102100484/ モアイ数百体が火事で被災、「修復不可能なダメージ」]。[[ナショナル ジオグラフィック (雑誌)|ナショナルジオグラフィック]]、2022年10月21日付。2022年10月21日閲覧。</ref>。
 
== 犯罪 ==
他の世界的観光資源同様、[[観光客]]による落書きや破壊行為が絶えない。損壊した者には最高5年の[[禁錮|禁錮刑]]または最高1万9,000[[アメリカ合衆国ドル|米ドル]]の[[罰金]]が課せられる。地元[[警察署]]は同島の岩であっても傷付けることは犯罪であるとしている。
 
[[2003年]]1月に日本人観光客が、倒れているモアイ像をただの岩と思い込んで[[落書き]]を彫り、地元のチリ警察に逮捕される事態となった。これに関して同月、日本の[[外務省]]は「海外安全ホームページ」内などで旅行者に対し、海外の文化財を含む旅行先の物品に落書きをしないよう呼びかけると共に、像を傷つけた場合は前述の刑罰が課せられる可能性があると警告している<ref>[http://www.anzen.mofa.go.jp/jikenbo/jikenbo06.html 海外邦人事件簿|Vol.06]外務省</ref>。
 
== レプリカ等 ==
{{雑多|date=2021年10月|section=1}}
以下にあげるものは正確には同像ではなく、すべて「レプリカ」もしくは「同像の意匠を採用した像」、などと呼ぶべきものである。
{{File clip | Moai Nichinan Miyazaki.jpg | width = 255 | 10 | 0 | 20 | 10 | w = 800 | h = 408 | [[サンメッセ日南]]のモアイ}}
[[ファイル:MOAI image.JPG|thumb|right|250px|[[札幌市]][[真駒内滝野霊園]]の実物大モアイ像]]
[[ファイル:MOAI megi bay.jpg|180px|thumb|高松市女木町モアイの広場のモアイ像]]
[[ファイル:太陽公園イースター島のモアイ像P7110188.jpg|thumbnail|180px|[[太陽公園]]イースター島のモアイ像]]
;チリで作られた像
:* 1960年に発生した[[チリ地震 (1960年)|チリ地震]]の[[津波]]で甚大な被害を受けた[[宮城県]][[志津川町]](現・[[南三陸町]])では、チリ地震津波災害30周年の折、同じ被災国であるチリとの友好のシンボルとしてレプリカを輸入した(設置は1991年7月)。これは、チリで産出した黒色輝緑岩([[凝灰岩]])を用いて現地の[[技術者]]が制作し、[[船]]で46日かけて運ばれたもので、[[志津川湾]]に面した[[公園]](チリプラザ)に設置されていたが、2011年に[[東北地方太平洋沖地震]]([[東日本大震災]])の津波で被災し損壊した。そのため2013年、チリから新たにイースター島の石で制作された像が寄贈された<ref>[http://www.kahoku.co.jp/news/2013/05/20130526t15012.htm 災害に負けぬモアイの誓い 宮城・南三陸で贈呈式] - 『[[河北新報]]』(2013年05月26日)</ref>。
:* [[ラ・セレナ]]市と交流のある[[奈良県]][[天理市]]では、市役所北側の入り口付近に設置されている。
;日本で作られた像
:* [[宮崎県]][[日南市]]の[[サンメッセ日南]]にある像は[[アフ・アキビ]]7体がモデルで、大きさも形も全く同じ(石材は福島県白川村の凝灰岩)である。本物と同じ方角を向いて設置されているが、本物のアフ・アキビは海に向かい立っているが、こちらは海を背にする形になっている。
:* [[香川県]]の[[女木島]]にあるものは、倒れた像を立ち上げるテストのために作られたものである。
:* [[福岡県]][[中間市]]の[[香月線#廃線跡の現状|屋根のない博物館]](モヤイ公園)に数体存在している。同公園は世界各地の石像や石の遺物(もちろんコピー)が多数展示されている。
:* [[札幌市]][[南区 (札幌市)|南区]]の[[真駒内滝野霊園]]にも多数(2012年4月現在33体)存在(同園は「モアイ地蔵」と呼称)し、一種の観光名所化している。周辺の休憩用ベンチの一部にも同像を模した意匠のものが存在する。
:* [[姫路市]]の遺跡テーマパーク「[[太陽公園]]」。
:* [[和歌山市]]の和歌山大学周辺の住宅地[[ふじと台]]。同像が多数点在しているが、大きさは小さい(2メートルほど)。ほかにも、入口には超巨大な「[[考える人 (ロダン)|考える人]]」があったり、[[自由の女神像]]や古代ギリシャの[[ミュロン|円盤投げ像]]などのオブジェもある。
;その他
:* [[モヤイ像]]は同像にヒントを得て作られた一連の彫刻作品の通称である。
:* イースター島の海底にも同像が存在するが、これは遺跡ではなく『[[モアイの謎]]』という映画のセットを沈めたもの<ref>[https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20120621/313415/?P=2&img=ph5.jpg ナショナル ジオグラフィック日本版より]</ref>で、ダイビングポイントとして人気となっている。
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
 
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注"}}
 
=== 出典 ===
{{Reflist}}
 
== 参考文献 ==
* [[ジャレド・ダイアモンド]]、『文明崩壊-滅亡と存続の命運を分けるもの(上巻)』、[[楡井浩一]]訳、[[草思社]]、[[2005年]]。 ISBN 4-7942-1464-2
 
== 関連項目 ==
{{Commonscat}}
* [[ラパ・ヌイ国立公園]]
* [[モアイ (グラディウス)]] - [[グラディウスシリーズ]]においてのステージのトレードマークとして登場。(グラディウスVでは未登場)
 
== 外部リンク ==
[[Category:チリ|もあい]]
* [http://www.eisp.org/ Easter Island Statue Project] {{es icon}}
[[Category:考古遺跡|もあい]]
[[Category:世界遺産 ま行|もあい]]
 
{{Normdaten}}
[[bn:মোয়াই]]
{{デフォルトソート:もあい}}
[[ca:Moai]]
[[Category:世界遺産 ま行]]
[[cs:Moai]]
[[Category:チリの考古遺跡]]
[[da:Moai]]
[[Category:チリの歴史]]
[[de:Moai]]
[[Category:配石遺跡]]
[[en:Moai]]
[[Category:巨石記念物]]
[[eo:Moao]]
[[Category:イースター島]]
[[es:Moai]]
[[Category:オセアニアの文化]]
[[fi:Moai]]
[[Category:オセアニアの考古遺跡]]
[[fr:Moaï]]
[[glCategory:Moai石像]]
[[Category:太平洋の歴史]]
[[he:מואי]]
[[hu:Moai]]
[[ia:Moai]]
[[id:Moai]]
[[it:Moai]]
[[ko:모아이]]
[[lt:Moajus]]
[[nl:Moai]]
[[nn:Moai]]
[[no:Moai]]
[[pl:Moai]]
[[pt:Moai]]
[[ru:Моаи]]
[[scn:Moai]]
[[simple:Moai]]
[[sv:Moai]]
[[th:โมอาย]]
[[vi:Moai]]
[[zh:摩艾石像]]