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{{Otheruses|ニッポン放送とフジテレビ系列で放送された萩本欽一の冠番組|読売テレビの深夜番組枠|キン★ドン}}
'''欽ドン!'''('''きんどん''')とは、かつて[[ニッポン放送]]で放送された[[ラジオ番組]]『'''欽ちゃんのドンといってみよう!'''』、[[フジテレビ系列]]で放送された[[萩本欽一]]司会の[[バラエティ番組]]『'''欽ちゃんのドンとやってみよう!'''』の略称およびその続編[[シリーズ (作品)|シリーズ]]の総称である。以下、その両方について記述する。
{{出典の明記|date=2023年7月26日 (水) 02:07 (UTC)}}
{{独自研究|date=2023年7月26日 (水) 02:07 (UTC)}}
'''欽ドン!'''(きんドン!)とは、[[1970年代]]に[[ニッポン放送]]で放送された[[ラジオ番組]]『'''欽ちゃんのドンといってみよう!'''』、1970年代に[[フジテレビジョン|フジテレビ]][[フジネットワーク|系列]]で放送された[[萩本欽一]]司会の[[バラエティ番組]]『'''欽ちゃんのドンとやってみよう!'''』の略称および、[[1980年代]]に放送されたその続編[[シリーズ (作品)|シリーズ]]の総称である。
 
本項では[[2000年代]]にニッポン放送で放送されたラジオ番組『'''欽ちゃんのドンといってみよう!野球盤'''』『'''欽ちゃんのドンといってGO!GO!'''』、[[ニコニコ生放送]]で[[2015年]]に開始した『'''欽ちゃんのドーンとゴールド!'''』についても述べる。
== ラジオ 欽ちゃんのドンといってみよう! ==
 
== ラジオ ==
{{Anchors|ラジオの欽ドン!}}
{{基礎情報 ラジオ番組
|番組名=欽ちゃんのドンといってみよう!
|ジャンル=バラエティ
|放送時間=2010
|企画=[[萩本欽一]]
|パーソナリティ=萩本欽一
|出演=
|放送局=[[ニッポン放送]]
|ネットワーク=[[全国ラジオネットワーク|NRN]]
|放送期間=[[1972年]][[4109日]] - [[1979年]][[346日]]
|放送回数=
|スポンサー=[[集英社]]
}}
{{基礎情報 ラジオ番組
|番組名=欽ちゃんのドンといってみよう!野球盤
|ジャンル=バラエティ、トーク
|放送時間=木曜日20:30 - 20:50(20分)
|パーソナリティ=萩本欽一
|出演=
|放送局=ニッポン放送
|ネットワーク=[[栃木放送]]、[[LuckyFM茨城放送|茨城放送]]、[[西日本放送]]
|放送期間=[[2007年]][[10月4日]] - [[2008年]][[3月20日]]
|放送回数=24
|スポンサー=[[ガリバーインターナショナル]]
}}
{{基礎情報 ラジオ番組
|番組名=欽ちゃんのドンといってGO!GO!
|ジャンル=バラエティ、トーク
|放送時間=土曜日21:00-21:30(30分)
|パーソナリティ=萩本欽一
|出演=
|放送局=ニッポン放送
|ネットワーク=
|放送期間=2008年[[10月4日]] - [[2009年]][[3月21日]]
|放送回数=
|公式サイト=
}}
=== 欽ちゃんのドンといってみよう! ===
[[1972年]]4月~[[1979年]]3月
{{Anchors|欽ちゃんのドンといってみよう}}
『'''欽ちゃんのドンといってみよう!'''』(きんちゃんのドンといってみよう)は、[[1972年]][[10月9日]]から[[1979年]][[4月6日]]までニッポン放送などで放送されたラジオ番組。
 
: 関東地区では[[1974年]][[10月]]以降は『''[[危機一髪!ラジオよひらけ!ハッピッピ]]''』、[[1975年]]4月以降は『[[大入りダイヤルまだ宵の口]]』内の[[フロート番組]]として概ね21:40 - 22:00頃の間に10分間放送で、放送初期には18時台に放送していた。<ref>プロ野球のナイター中継放送のある時期には、放送休止の時期もあった(1972年〜197*年(詳細不明、1975年4月からの、夜のワイド番組「大入りダイヤルまだ宵の口」内のコーナーになった以前)。)</ref>
[[コント55号]]での活動に限界を感じつつあった萩本が、新たな笑いの可能性を探ろうと始めたリスナー参加型のラジオ番組である。専門作家や芸人ではない一般のリスナーからテーマに沿ったコントを投稿させ、それをラジオで流してよいものを選ぶというスタイルだった。元は一年前に同じニッポン放送で開始した「どちら様も欽ちゃんです」の中で聴取者の投稿からコントを募るコーナーとしてスタートし、好評だったことから単独の番組となったものである。
 
: プロ野球のナイター中継が延長の際には放送中止となるが、ネット局により放送時間が異なる、ナイター中継の対戦カードが異なる等の事情により、放送を実施する局と中止となる局が混在するケースも発生した。放送中止となった回の振替放送は行われない。
一般聴取者の投稿によるコントという方式は、後の「天才秀才バカ」シリーズ([[谷村新司]])などや、「[[ビートたけしのオールナイトニッポン]]」における「[[ハガキ職人]]」の誕生など、後世にまで大きな影響を与えており、画期的な番組制作手法として評価されている。
 
[[コント55号]]での活動に限界を感じつつあった萩本が、新たな笑いの可能性を探ろうと始めたリスナー参加型のラジオ番組である。専門作家や芸人ではない一般のリスナーからテーマに沿ったコントを投稿させ、それをラジオで流してよいものを選ぶというスタイルだった。元は、この直前まで同じニッポン放送の土曜日24:00 - 25:00で、1972年4月から同年9月の6か月間放送されていた『どちら様も欽ちゃんです』の中で、聴取者の投稿からコントを募るコーナーとしてスタートし、好評だったことから単独の番組となった。
スポンサーは[[集英社]]である。
 
: 一般聴取者の投稿によるコントという方式は、後の『[[天才・秀才・バカ]]』シリーズ([[谷村新司]])などや『[[ビートたけしのオールナイトニッポン]]』における「[[ハガキ職人]]」の誕生など、後世にまで大きな影響を与えており、画期的な番組制作手法として評価されている。
放送は平日夜の帯枠、[[1975年]]4月以降は「[[大入りダイヤルまだ宵の口]]」内のコーナーとして、概ね21時40分~22時頃の間に10分間放送され、曜日ごとにテーマが決まっていた。代表的なものとしては、
 
スポンサーは[[集英社]]の[[一社提供]]で、萩本により番組の冒頭と終盤に「キミの心をつかむ、集英社がお送りする(した)『欽ドン』」と紹介された。
*レコード大作戦 - 歌謡曲などのレコード音声の一部分を本来とは違うシチュエーションで会話にコラージュ的に組み込む。
*ああカン違い - 会話形式のシチューションコント。バリエーションとして「夫婦の会話」「母と子の会話」
*ヤジ将軍 - スポーツの実況中という想定で、内容のずれたヤジを飛ばす
 
放送は平日夜の帯枠で曜日ごとにテーマが決まっていた。以下は代表的なものである。
毎回オープニングには「キャッチフレーズ」と称するジングル、エンディングには「今日の一言」という教訓のパロディ(五七五のもの)がやはりリスナー投稿から選ばれて読まれていた(エンディングには没ハガキのリスナー名を読み上げるコーナーもあった)。
* レコード大作戦 - 歌謡曲などのレコード音声の一部分を、本来とは違うシチュエーションで会話にコラージュ的に組み込む。
** [[浅井企画|事務所]]の後輩である[[コサキン]]の[[コサキンDEワァオ!|ラジオ番組]]で、これを模した「意味ねぇCD大作戦」というコーナーがあった<ref>なお、番組中で小堺がこのコーナーについて「『欽ドン!』のパクリです」とはっきり認めていた。</ref>。
* ああカン違い - 会話形式のシチュエーションコント。バリエーションとして「夫婦の会話」「母と子の会話」「ワーイシリーズ」「あーらシリーズ」
* 痛烈ヤジ将軍 - スポーツなどの実況中という想定で、内容のずれたヤジを飛ばす。
* 突然の質問 - その名のとおり、ある人に質問するというもの。
* ドジシリーズ- ドジなやつとはどういうやつか。
* 根回し上手 - 上司の取引先への依頼を前に、部下が先走って行動したことを告げる。
* 商売上手 - 商店の店主と客とのおかしな会話など。
* 欽ドンスクープ - 週刊誌・タブロイド紙風のおかしなスクープネタ。
毎回オープニングには「今日のキャッチフレーズ」、エンディングには「今日の一言」という教訓のパロディ(五七五のもの)が、リスナー投稿から選ばれて読まれていた。
: エンディングには、没ハガキのリスナー名を読み上げるコーナーがあり、エンディング終了後、月曜日は「今週もがんばろう」、火曜日から金曜日は「ラジオはハッピーな友達です」の[[ジングル (ラジオ)|ジングル]]が流れる。
投稿作品にはその出来によって、スポンサーである集英社の雑誌名にちなんだ賞が贈られた。
* ノンノ賞([[non-no|ノンノ]])
* プレイボーイ賞([[週刊プレイボーイ]])
* 明星賞([[Myojo|明星]])
* ロード賞([[ロードショー (雑誌)|ロードショー]])
* ジャンプ賞([[週刊少年ジャンプ]])
** ジャンプ賞が最高賞で、番組後期には更に上のランクとして「ジャンプ賞の上(じょう)」が登場した。
** ジャンプ賞の獲得者の中から最優秀作品が選ばれ「今日の五千円」として賞金5000円が贈られた。優秀作品が2本出た場合は「今日の三千円」となり、賞金は3000円ずつに減額となる。
笑いをとったネタには上記の賞が用意されていたが、そこそこ良くできてはいるが面白くないネタや多数送られてきた同一ネタなどのハガキは、萩本が「キレイだね!」と言って「キレイ箱」なる箱に突っ込んでいた時期もあった。
 
パーソナリティは萩本と女性のアシスタント“笑い姫”である。
コントにはおもしろさによって、スポンサーである集英社の雑誌名にちなんだ賞が贈られた。
;【笑い姫】
*プレイボーイ賞([[週刊プレイボーイ]])
* 1972年10月9日~73年9月:[[宮崎文子]]
*明星賞([[明星]])
* 1973年10月~75年1月17日、79年4月2日~6日<ref>『欽ドン! さよなら週間』に2代目笑い姫として出演したが、このときはニッポン放送を結婚退職していた。</ref>:斉藤京子
*ロード賞([[ロードショー]])
* 1975年1月20日~76年3月:木原早苗
*ノンノ賞([[ノンノ]])
* 1976年4月~77年3月:東海林万里子&野中深美子
*ジャンプ賞([[週刊少年ジャンプ]]、最高賞で、賞金5000円が贈られた)
* 1977年3月~79年4月6日:中村礼子
 
: 笑い姫は、ニッポン放送の若手女性アナウンサー(当時)が務めたが、中村のみ一般公募で選ばれた。
パーソナリティは萩本と女性のアシスタントである。ただし、収録に来ていた[[萩本欽一#パジャマ党|パジャマ党]]のメンバーの声が入ることもあった。パジャマ党の存在はリスナーにも知られるようになり、コントのネタとしても(内輪ネタ的に)使われたりした。ラジオやテレビの裏側には制作スタッフがいることを視聴者に隠さず示し、それまで邪道とされていた[[楽屋落ち]]までも積極的に使用したことも、以後の番組制作やタレントの言動に大きな影響を与えており画期的なことだったと評価されている。
: 番組終盤には、クロベエこと[[黒部幸英]]もアシスタントに加わった。
収録に来ていた[[萩本欽一#パジャマ党|パジャマ党]]のメンバーやディレクター等のニッポン放送のスタッフの声が入ることがあった。パジャマ党の存在はリスナーにも知られるようになり、投稿のネタとしても(内輪ネタ的に)使われたりした。ラジオやテレビの裏側には制作スタッフがいることを視聴者に隠さず示し、それまで邪道とされていた[[楽屋落ち]]までも積極的に使用したことも、以後の番組制作やタレントの言動に大きな影響を与えており、画期的なことだったと評価されている。
 
萩本が企図した「既成の作家や芸人とは違った笑いの発掘」という狙いは当たり、それをもとに萩本はこれをテレビ企画とすることを構想するに至る。
 
テレビの欽ちゃんのドンとやってみよう!がヒットした後もラジオの欽ドンは続いたが、[[1978年]]12月に行われた「最高のコントに10万円を出す」という「欽ドングランプリ」の企画を花道として、1979年346日('''欽'''(金)曜日)に7年間の放送を終了した。なお、これより6か月後の1979年10月からは、ナイターオフ期間限定の番組として、同じくニッポン放送で『[[欽ちゃんのここからトコトン]]』(毎週土曜日18:00 - 19:00、1979年度のみ18:30 - 19:30)がスタート、[[1984年]]3月まで5期間続けて放送されていた。その中で一度「帰ってきた欽ドン」なる企画もあった。また[[1987年]]10月からのナイターオフ期間にも、『[[ニュースワイド 欽ちゃんのもっぱらの評判]]』(毎週金曜日18:00 - 20:00、19:00 - 19:30のコーナー「ニッサン オールニッポン・シリトリグランプリ」のみ全国ネット)が放送された。
 
;==== 放送ネット局(時差ネット含) ====
[[1974年]]10月当時。時差ネット含
{|
<div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
|Valign="Top"|
* [[ニッポン放送]] 21:40 - 21:50
* [[HBCラジオ|北海道放送]] 21:30 - 21:40
* [[東北放送]] 21:35 - 21:45
* [[CBCラジオ|中部日本放送]] 21:45 - 21:55
</div><div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
|Valign="Top"|
* [[朝日放送ラジオ大阪]]<!--[[|朝日放送]]?- 21:20 -> 21:30
* [[中国放送]] 21:40 - 21:50
* [[KBCラジオ|九州朝日放送]] 21:40 - 21:50
</div>{{clear|left}}
|}
 
=== 欽ちゃんのドンといってみよう!野球盤 ===
『'''欽ちゃんのドンといってみよう!野球盤'''』(きんちゃんのドンといってみよう やきゅうばん)は、ニッポン放送で[[2007年]][[10月4日]]から[[2008年]][[3月20日]]まで、[[日本標準時]]木曜 20:30 - 20:50に放送された番組。[[ガリバーインターナショナル]]の[[一社提供]]であるため、提供クレジット上のタイトルは『'''ガリバープレゼンツ 欽ちゃんのドンといってみよう!野球盤'''』となる。萩本にとっては『[[ニュースワイド 欽ちゃんのもっぱらの評判]]』以来、19年ぶりのラジオレギュラー。タイトル通り、[[野球]]関連のネタコーナーに加え、野球選手などをゲストに招いたトーク展開。構成は[[鶴間政行]]が担当。
 
==== 放送ネット局 ====
いずれも同時ネット
* [[ニッポン放送]]
* [[栃木放送]]
* [[LuckyFM茨城放送|茨城放送]]
* [[西日本放送]]
 
=== 欽ちゃんのドンといってGO!GO! ===
『'''欽ちゃんのドンといってGO!GO!'''』(きんちゃんのドンといってゴーゴー)は、[[2008年]][[10月4日]]から[[2009年]][[3月21日]]までニッポン放送で放送された番組。
 
前番組「欽ちゃんのドンといってみよう!野球盤」に引き続き、ニッポン放送ナイターオフシーズンの欽ドン!シリーズとして、土曜 21:00 - 21:30(日本標準時)に放送された。
{{節スタブ}}
 
=== 欽ちゃんのドーンと50年! ===
2022年に放送から50年を迎えたのを記念し、ニッポン放送の年末特番として2022年12月30日11時 - 12時に放送された<ref>[https://news.1242.com/article/405181 伝説のラジオ番組が欽曜日に復活! ニッポン放送『欽ちゃんのドーンと50年!』],ニッポン放送 NEWS ONLINE,2022年12月14日</ref><ref>[https://www.oricon.co.jp/news/2262574/full/ 伝説のラジオ番組が復活!ニッポン放送『欽ちゃんのドーンと50年!』が放送],ORICON NEWS,2022年12月14日</ref>。萩本のほか、進行の[[垣花正]]<ref>元ニッポン放送アナウンサーで現在はフリー、[[欽ちゃん劇団]]の1期生でもあった。</ref>、構成の鶴間政行が出演し、番組の歴史を振り返りつつ、「母と子の会話」の傑作選とリスナーからの新作、鶴間が新たに考えた「レコード大作戦」のネタを紹介、2代目アシスタントの斉藤京子も電話出演した。
 
== テレビ ==
== 欽ちゃんのドンとやってみよう! ==
{{Anchors|テレビの欽ドン!}}
{{基礎情報 テレビ番組
|番組名 = ちゃんのドンとやってみよう!
|ジャンル = [[バラエティ番組]]
|放送国 = {{JPN}}
|放送時間=47分(CMを抜いた正味時間)
|= [[萩本欽一フジテレビジョン]]
|原作 = [[萩本欽一]]
|プロデューサー=[[横澤彪]]
|構成 = [[大岩賞介]]<br />[[詩村博史]]<br />[[永井準 (放送作家)|永井 準]]<br />鈴木しゅんじ<br />[[大倉利晴]]<br />[[鶴間政行]]<br />益子一男<br />加納健男<br />杉村美奈子<br />[[村松利史]]<br />[[高橋秀樹 (放送作家)|
|ディレクター=[[三宅恵介]]
高橋秀樹]]<br />廣岡 豊<br />笠 博勝<br />[[浦沢義雄]]<br />岩城未知男<br /><small>ほか</small>
|出演=萩本欽一
|脚本 = 益子一男<br />村松利史<br />浦沢義雄<br />[[三谷幸喜]]<small>(おまけの子時代)</small>
|放送国={{JPN}}
|演出 =
|放送局=[[フジテレビ系]]
|プロデューサー = [[常田久仁子]]
|放送期間=[[1975年]][[4月]]~[[1977年]][[3月]]<br>1977年[[10月]]~[[1980年]]3月
|出演者 = 萩本欽一ほか
|放送回数=
|音声 = モノラル放送(全番組)
|番組名1=欽ちゃんのドンと行ってみよう!ドバドバ60分
|放送期間1=[[1974年]][[9月21日]]
|放送時間1=土曜日 20:00 - 20:55
|放送分1=55
|放送回数1=1
|放送枠1=
|番組名2=欽ちゃんのドンとやってみよう!
|放送時間2=土曜日 19:30 - 20:55<br />→19:30 - 20:54
|放送分2=85→84
|放送期間2=[[1975年]]4月 - [[1977年]]3月<br />1977年9月 - [[1978年]]3月<br />1978年9月 - [[1979年]]3月<br />1979年9月 - [[1980年]]3月
|番組名3=欽ちゃんのドンとやってみよう!6月(→7月→8月)編
|放送期間3=1978年[[6月17日]]<br />1978年[[7月29日]]<br />1978年[[8月19日]]
|放送時間3=土曜日 19:30 - 20:54
|放送分3=84
|放送回数3=3
|放送枠3=土曜グランドスペシャル
|番組名4=欽ドン!良い子悪い子普通の子
|放送時間4=月曜日 21:00 - 21:54
|放送分4=54
|放送期間4=[[1981年]]4月 - [[1983年]]9月
|放送枠4=
|番組名5=欽ドン!良い子悪い子普通の子おまけの子
|放送時間5=毎週月曜日21:00 - 21:54
|放送分5=54
|放送期間5=1983年9月 - [[1985年]]5月
|放送枠5=
|番組名6=マイルド欽ドン!
|放送時間6=月曜日 21:00 - 21:54
|放送分6=54
|放送期間6=1985年10月 - [[1986年]]4月
|放送枠6=
|番組名7=欽ドン!お友達テレビ
|放送時間7=月曜日 21:00 - 21:54
|放送分7=54
|放送期間7=1986年5月 - 10月
|放送枠7=
|番組名8=欽ドン!ハッケヨーイ笑った!
|放送時間8=月曜日 21:00 - 21:54
|放送分8=54
|放送期間8=1986年11月 - [[1987年]]2月
|放送枠8=
|番組名9=欽ドン!スペシャル
|放送時間9=月曜日 21:00 - 21:54
|放送分9=54
|放送期間9=1987年2月 - 3月
|放送回数9=6
|放送枠9=
|番組名10=新春オールスター 欽ドン! 同窓会スペシャル
|放送時間10=21:00 - 22:54
|放送分10=114
|放送期間10=1994年1月4日
|放送回数10=1
|特記事項=
}}
=== 第1次シリーズ(土曜20時枠・欽ちゃんのドンとやってみよう!時代)===
[[1975年]][[4月5日]]~[[1980年]]3月、毎週土曜19時30分~20時54分に放送
==== 欽ちゃんのドンとやってみよう! ====
『'''欽ちゃんのドンとやってみよう!'''』(きんちゃんのドンとやってみよう)は、[[1975年]][[4月5日]]から[[1980年]]3月まで[[フジテレビジョン|フジテレビ(CX)]]系列で放送された[[萩本欽一]]のバラエティ番組。毎週土曜19:30 - 20:54(1975年9月までは20:55まで)に放送された。当初は『欽ちゃんのドンとやってみよう!』の前に『萩本欽一ショー』とついていた<ref>{{Cite web|和書|title=欽ちゃんこと萩本欽⼀が語る「夢は持たなくていい」「運の使い方」笑いの一時代を築くも“死”を覚悟したコメディアンの成功の秘訣(4ページ目) |url=https://www.jprime.jp/articles/-/29098?page=4 |website=週刊女性PRIME |date=2017-10-17 |access-date=2023-10-24 |language=ja}}</ref>。
 
===== 番組立ち上げから最初の中断まで =====
[[1970年代]]中期、[[視聴率]]で劣勢続きだった[[フジテレビジョン|フジテレビ]]が、高視聴率を誇る[[ザ・ドリフターズ]]のお化け番組「[[8時だョ!全員集合]]」([[東京放送|TBSテレビ]])に対抗し、'''欽ちゃん'''こと萩本欽一を起用した番組で土曜夜8時枠で挑戦。
もともとは上記ラジオ番組のヒットから企画を起こし、[[1974年]][[9月21日]]の20:00 - 20:55(土曜特番第3回。後のレギュラー放送と一部が同じ)にテレビ化トライアル番組『'''欽ちゃんのドンと行ってみよう!ドバドバ60分!'''』を放送。この番組は視聴率が一桁と振るわず、惨憺たる結果を生んだが、意外にも業界内での好評を得たことによって、翌1975年の春よりレギュラー化された。当初、初期の正式タイトルは『萩本欽一ショー・欽ちゃんのドンとやってみよう!』だった。
 
フジテレビ「欽ドン!」のCX土曜夜8時枠は以前(1960元々、[[1968代末)、]]より[[坂上二郎]]とのコンビによる「で主演した『[[コント55号の世界は笑う]]」を』が放送されていた枠である。55号としてはもちろん、同時に芸人(チーム名)を冠にした初の[[ゴールデンタイム]]におけるカラー放送のバラエティ番組であり「[[野球拳]]」など、体力企画も当限りを尽くしって縦横無尽のステージコントは55号人気の絶頂を決定付けることとなり、視聴率30%30%以上の高視聴率を誇るも、った。しかし[[1969年]]にスタートした後発の『[[8時だョ!~」全員集合]]』激しい追い込み上げによって結果的、[[1970年]][[4月]]は視聴率を奪わ『[[コント55号のやるぞみてく!]]』にリニューアルするも失敗、放送期間1年11ヵ月をもって番組終了に追い込してしれることとなったよって以後、ドリフ天下のバラエティ界のなか、同時間帯においての「けるレギュラー版『欽ドン!のスタートは、萩本個人としても初めての企画・主演番組であったこともあり、相当の気合を込めて制作された。アシスタントとして当時新人の[[香坂みゆき]]が出演している
 
なお、1977年4月 - 8月と1978年4月 - 8月、1979年4月 - 8月までは、萩本の企画構想期間として同番組は一旦中断。1977年4月 - 8月は、[[伊東四朗]]・[[おりも政夫]]らをメインキャストとした同じくプロデューサー常田久仁子・ディレクター[[三宅恵介]]の『[[がんばれ!ピンチヒッターショー]]』を、1978年4月 - 8月は『[[土曜グランドスペシャル]]』、1979年4月 - 8月は『[[土曜グランドスペシャル|【正式枠名無し単発枠】]]』をそれぞれ[[つなぎ番組|穴埋め番組]]として放送していた。これは、視聴率へのこだわりが強いうえに野球ファンだった萩本が、自身の[[冠番組]]を[[野球道 (フジテレビ系列)|ナイター中継]]の裏では絶対にやらないという強い意向を持っていたからである。そのため、以後の萩本の[[プライムタイム]]での冠番組は、すべて21・22時台に放送されており、19・20時台に放送されたものはいずれもプロ野球シーズンオフのみである(1988年4月 - 6月に放送された「[[欽ちゃんの気楽にリン]]」(日本テレビ、水曜夜20時 - 20時54分)を除く)。なお『土曜グランド』では『欽ドン!』ファンのために、[[1978年]][[6月17日]]・同年[[7月29日]]・同年[[8月19日]]3回に渡って、『欽ちゃんのドンとやってみよう!○月編』(『○』には放送月が入る)が放送されたが、『土曜グランド』でレギュラー的な存在の[[日本女子野球連盟#その後|ニューヤンキース]]は出演しなかった。
もともとは上記ラジオ番組のヒットから企画を起こし、[[1974年]][[秋]]にテレビ化トライアル番組'''「欽ちゃんのドンといってみよう!ドバドバ60分!」'''を放送。この番組は視聴率が一桁と振るわず惨憺たる結果を生んだが、意外にも業界内での好評を得たことによって、翌1975年の春よりレギュラー化された(当初、初期の正式タイトルは『萩本欽一ショー・欽ちゃんのドンとやってみよう!』)。尚、1977年4月~8月と1978年4月~8月までは萩本の企画構想期間として同番組は一旦中断。前者は[[伊東四朗]]らをメインキャストとした、同じく[[三宅恵介]]ディレクターの「[[がんばれ!ピンチヒッターショー]]」を、後者は「[[女子プロ野球#その後|ニューヤンキース]]」をそれぞれ放送していた。
 
===== 番組のスタイル =====
綿密に計算されたコント中心の『8時だョ!』と異なり、「欽ドン!」は視聴者からのハガキ投稿を中心に、萩本が得意とするアドリブを主体に番組を構成。NGでも面白がって放送してしまう手法は、後の土8枠を彩る「[[オレたちひょうきん族]]」への礎となり(欽ドンを担当したプロデューサー・[[横澤彪]]、ディレクター・[[三宅恵介]]をはじめ、スタッフや作家陣も多数「ひょうきん族」に参加)、以降同枠に続く「[[めちゃ×2イケてるッ!]]」をはじめとするフジのバラエティ番組の伝統的手法となる。「欽ドン!」番組中、萩本が[[股旅]]姿で観光地などに現れ、市井の一般人を模造刀で斬るふりをして一般人が「ウワー」などと叫んで倒れる・・・という場面が度々登場する。この手法は「ひょうきん族」の「タケちゃんマン」コーナー冒頭の、一般人が空を指さして「あっ、タケちゃんマンだ!」と叫ぶ場面にそっくり受け継がれている。
綿密に計算されたコント中心の『全員集合』と異なり、『欽ドン!』は視聴者からのハガキ投稿を中心に、萩本が得意とするアドリブを主体にした番組構成である。NGでも面白がって放送してしまう手法は、ディレクターの三宅恵介をはじめ欽ドンを担当したスタッフや作家陣が多数参加し後の土8枠を彩る『[[オレたちひょうきん族]]』への礎となり、以降同枠に続く『[[めちゃ×2イケてるッ!]]』をはじめとするCXのバラエティ番組の伝統的手法となる。番組中、市井の一般人にタイトルコールをさせたり、萩本が[[股旅]]姿で観光地などに現れ、一般人を模造刀で斬るふりをして一般人が「ウワー」などと叫んで倒れるという場面が度々登場する。この手法は後に、『ひょうきん族』の「タケちゃんマン」コーナー冒頭の、一般人が空を指さして「あっ、タケちゃんマンだ!」と叫ぶ場面に受け継がれている。
 
第1期のオープニングはかなりの異色で、萩本では無く、外国の女性が出て来るフィルムが映し出され、「アレッ?」と視聴者が思った所で、女性が「'''キンド〜ン、キンド〜ン…'''」と呟く演出になっていた。
第1回放送後、スタッフの電話によって「17.1%」という初回にしてはいきなり高[[視聴率]]の結果を知った萩本は、受話器を握り締め涙したというエピソードがある。
 
初回の視聴率は17.1%。放送後、スタッフの電話によって初回にしてはいきなりの高[[視聴率]]の結果を知った萩本は、受話器を握り締め涙したというエピソードがある<ref name="nande">『なんでそーなるの!―萩本欽一自伝』([[日本文芸社]])より</ref>。
番組で採用されたハガキには面白かった順に'''バカウケ'''/'''ややウケ'''/'''ドッチラケ'''のランク付けをされていた。これは芸人の[[隠語]]を一般向けに使用したものと言われ、「欽ドン!」の代名詞『良い・普通・悪い』へとつながったと見る者もいる。
 
番組で採用されたハガキには、面白かった順に'''バカウケ'''/'''ややウケ'''/'''ドッチラケ'''のランク付けをされていた。なかでも「バカウケ」は当時の[[流行語]]にもなった。これは芸人の[[隠語]]を一般向けに使用したものと言われ(萩本によれば、最初に使ったのは[[大橋巨泉]]<ref>{{Cite web |title=萩本欽一、テレビ語「バカ受け」は巨泉さんが元祖 - おくやみ : 日刊スポーツ |url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/1681834.html |website=nikkansports.com |access-date=2024-12-29 |language=ja |quote=萩本が「欽ドン!」で使った流行語「バカ受け」は巨泉さんが元祖。「“テレビ語”を作った偉大な人だった。僕がたくさんのバラエティーを生むことが出来たのは巨泉さんのおかげです」。}}</ref>)、『欽ドン!』の代名詞「良い・普通・悪い」へとつながったと見る者もいる。
:本番組の放送期間中の[[1977年]]1月~[[1979年]]1月に同じフジテレビ系で同じ土曜日に放送されていた「[[ヤッターマン]]」に登場するコックピットメカ「ちんちろりんのドッチラケ」は、言うまでもなく本番組に由来している。
 
本番組の放送期間中の[[1977年]]1月 - [[1979年]]1月に同じCX系で同じ土曜日に放送されていた『[[ヤッターマン]]』に登場するコックピットメカ「ちんちろりんのドッチラケ」は、本番組に由来している。
この番組で、萩本欽一は[[前川清]]と'''コント54号'''としてコンビを組んだ。それまでの前川は「お笑い」に縁がないクールな二枚目イメージで売っていたが、萩本にコメディアンとしての才能を引き出され大成功を収めている。
 
この番組で、萩本は[[前川清]]と'''コント54号'''としてコンビを組んだ。それまでの前川は「お笑い」に縁がないクールな二枚目イメージで売っていたが、萩本にお笑いの才能を引き出され、大成功を収めている。また、前川がリードボーカルを務めていた[[内山田洋とクール・ファイブ]]もレギュラー出演。持ち歌を歌うだけでなく、歌の前の萩本とのトークコーナーで萩本から“イジられる”ことにより、前川以外のメンバーのキャラクターも、より広く親しまれることとなった。
開始当時は「8時だョ!全員集合」が[[荒井注]]のドリフターズ脱退などで低迷期にあったため、そこそこの視聴率を稼いでいたが、「8時だョ!全員集合」が人気を盛り返してきたことと、7時半からの30分も「[[クイズダービー]]」が力をつけており、さらに末期には[[あばれはっちゃく]]シリーズも登場したことから視聴率が下がり、[[1980年]]3月に終了。以降、フジテレビの土曜夜7時半は長い冬の時代に入る(後番組の「[[土曜ナナハン学園危機一髪]]」のみ90分番組で、その後夜7時半に[[アニメ]]枠を、夜8時に1時間のドラマ・バラエティ枠【「[[ピーマン白書]]」→「[[小さな追跡者]]」→「[[オレたちひょうきん族]]」】をそれぞれ当てられた)。オレたちひょうきん族は土曜8時戦争を制したが、その前の30分は惨憺たる有様で、[[1985年]]10月に始まった「[[ハイスクール!奇面組]]」までの5年半はどの番組も半年以内で打ち切られている。「クイズダービー」と「あばれはっちゃく」の両番組が高視聴率を出していた谷間で低迷することになった。
 
===== 出演者 =====
== 欽ドン!良い子悪い子普通の子 ==
* 萩本欽一
{{基礎情報 テレビ番組
* [[香坂みゆき]]
|番組名=欽ドン!良い子悪い子普通の子
* [[前川清]]
|ジャンル=バラエティ番組
* [[内山田洋とクール・ファイブ]]
|放送時間=47分(CMを除く正味時間)
* [[気仙沼ちゃん]]
|作=
ほか
|出演=[[萩本欽一]]<br>[[イモ欽トリオ]]
|ナレーション=
|放送国={{JPN}}
|放送局=フジテレビ系
|放送期間=[[1981年]][[4月6日]]~[[1983年]][[9月12日]]
|放送回数=
}}
[[1981年]][[4月6日]]~[[1983年]][[9月12日]]、毎週月曜21時00分~21時54分に放送。
 
==== 元日特別版 ====
よくある家庭をベースにしたセットで、前番組の人気コーナーであった『母ちゃんと子供の会話』と「三段落ち」を組み合わせたような、父親役の欽ちゃんに息子の「フツオ」「ヨシオ」「ワルオ」との会話で笑いをとった。会話は視聴者からの投稿がベースであった。
第1期継続中の1977年[[1月1日]]には、初めて放送が[[元日]]と重なった事、更に裏で『全員集合』(通常放送)が編成された関係上、当時ドリフもレギュラー出演していた正月恒例『[[新春かくし芸大会|第14回新春スターかくし芸大会]]』が翌々日の[[1月3日]]放送となったので、本番組の元日特別版を放送した。
 
番組は2部構成で、19:30 - 20:54の第1部『'''欽ちゃんのドンとやってみよう!元日おたのしみ特集'''』では、萩本とレギュラーの[[内山田洋とクール・ファイブ|クール・ファイブ]]がご挨拶を行い、[[研ナオコ]]・[[和田アキ子]]・[[内藤やす子]]らとカルタ取りを行ったり、同局放送中の『[[相性診断!あなたと私はピッタンコ]]』([[関西テレビ放送|関西テレビ]]制作)を萩本らで行うなどの内容。そして21:00 - 22:48<ref>21:00の『[[土曜劇場]] [[鯛めしの唄]]』は休止、22:00の『[[3分勝負15ラウンド]]』は既に終了。21:54の[[ミニ番組]](関東では『[[くいしん坊!万才]]』)は22:48へ繰下げた。</ref>の第2部『'''お正月!欽ちゃんのまだまだやってみよう!'''』では、「おめでたコント大会」と銘打ったコント集を、[[西城秀樹]]・[[森昌子]]・[[石川さゆり]]らや、[[中村メイコ]]・[[神津善行]]夫婦と共に行った。<!--「朝日新聞」1977年1月1日付のテレビ欄。-->
前身となった「欽ちゃんのドンとやってみよう!」が一応の成果を収めて終了し、次の段階を伺うべく、再びラジオの世界に戻った萩本が、ニッポン放送で開始した「欽ちゃんのここからトコトン!」内で再び聴取者からのハガキ投稿コーナーを開始。ある日の放送で、ラジオのスタッフにいた若手作家によって放送台本の片隅に、その週のテーマとして何気なく書かれた「良い子悪い子普通の子」という文字を見て、萩本は「コレだ!」と次への構想をひらめく。これが人気番組、最初の第一歩であった。
 
因みに翌年([[1978年]])の元日は、前日(1977年[[12月31日]]。土曜日)に『[[第19回日本レコード大賞]]』放送のために休止になった『全員集合』の差し替え版が編成される関係上、『かくし芸』は[[1月2日]]放送となったため、CXは21:00の『[[アッ!はぷにんぐ・ニューイヤー]]』を除き、18:00以降は全て通常番組が編成、そのため萩本司会の『[[オールスター家族対抗歌合戦]]』も放送されたので、萩本は2年連続して元日に持ち番組を放送できた。また、前述の『レコ大』が放送された12月31日のフジテレビでは、19:30 - 20:54に子供向け年末特別番組『[[わんぱくチビッコ大集合!|'77わんぱくチビッコ大集合!]]』が編成されたが、この番組にも本番組から萩本と前川が出演した。
早速企画書にまとめあげた萩本は、フジテレビ以外の各局を駆け巡った。しかし「放送枠がない」「次の改編に間に合わない」という理由で却下されてしまい、最後にかけあったのがフジテレビであった。
 
=== 第2次シリーズ(月曜21時枠・欽ドン!良い子悪い子普通の子時代)===
当時、萩本はフジで「欽ちゃんの9時テレビ」([[1980年]][[10月13日]]~1981年 月曜夜9時放送)というバラエティ番組の司会を担当し、「どか~ん!のど自慢」のコーナーに多少の人気が集まっていたものの、視聴率的には不振であったことから番組の降板を申し出ていたところであった。しかし局の編成担当者は「元々、フジの月曜夜9時は、開局以来20年間不振の枠なので数字のことは気にせずに。それよりも月9枠は、向こう10年は欽ちゃんに任せたから」と、萩本にとっては何物にも変え難い信頼の言葉を得ていたこともあって、一瞬のひらめきから「スグにでも番組化できる」と自信を持った萩本と、1981年の春改編にも間に合うかというフジの具体的思惑が一致したことから番組は開始された。
==== 欽ドン!良い子悪い子普通の子 ====
『'''欽ドン!良い子悪い子普通の子'''』(きんドン よいこわるいこふつうのこ)は、[[1981年]][[4月6日]]から[[1983年]][[9月12日]]まで、CX系列にて毎週月曜21:00 - 21:54に放送されたバラエティ番組。
 
よくある家庭をベースにしたセットで前番組の人気コーナーの「母ちゃんと子供の会話」と「[[落ち|三段落ち]]」を組み合わせたような内容。父親役の欽ちゃんに息子の「フツオ」「ヨシオ」「ワルオ」との会話で笑いをとった。会話は視聴者からの投稿がベース。
後に最高視聴率30%以上を誇る人気番組に成長した「欽ドン!」を見て、以前に企画書を提出されていたフジ以外の放送局は、そのチャンスを逸した意味で苦虫を噛み潰しながらその人気ぶりを注目したといわれている。
 
バラエティ番組であるため地上波での再放送は行われなかったが、CSでは開局間もない[[フジテレビワンツーネクスト|フジテレビ721]]で一部再放送が行われていた。2015年11月12日より[[ファミリー劇場]]にて再放送が行われ、6週に渡り2回分放送される<ref>第1回から第10回、第15回と第16回放送分が放送される。</ref>。また事前番組として、お笑い好きの喫茶店のマスターとして大谷ノブ彦([[ダイノジ]])、喫茶店の客として、萩本の番組を始め多くのバラエティー番組のディレクターを務めた[[三宅恵介]]、萩本の全盛期を知らない[[壇蜜]]が出演し、萩本やそれ以外の芸人、昔のバラエティー番組の事を語る「燃えよ欽ちゃん」が10分番組として6週に渡って放送される。
* '''フツオ'''(普通の子) … [[長江健次]]。キャラクターは、どこにでもいる普通の高校生。
* '''ヨシオ'''(良い子) … [[山口良一]]。キャラクターは、メガネに青の学ラン。
* '''ワルオ'''(悪い子) … [[西山浩司]]。キャラクターは、リーゼント頭の[[不良少年]]。
 
===== 番組の歴史 =====
<!-- オーディションのエピソードは「欽ドン!」が放送されている時代に買った学習雑誌の付録に載っていたものを読んだ記憶を頼りに記述しております。誤り等があれば訂正願います。 -->
前身となった『欽ちゃんのドンとやってみよう!』が一応の成果を収めて終了し、次の段階を伺うべく、再びラジオの世界に戻った萩本がニッポン放送で開始した『欽ちゃんのここからトコトン!』内で、再び聴取者からのハガキ投稿コーナーを開始。ある日の放送で、ラジオのスタッフにいた若手作家によって放送台本の片隅に、その週のテーマとして何気なく書かれた「良い子悪い子普通の子」という文字を見て、萩本は「コレだ!」と次への構想をひらめく。これが人気番組、最初の第一歩となった<ref name="nande"/><ref name="showa40">『昭和40年男』Vol.26 2014年6月号(クレタパブリシング)32-33ページ</ref>。
三人の息子役は一般オーディションで選出された。オーディションが終了した時点では、普通の子に山口良一、良い子に西山浩司が選ばれており、悪い子は該当者無しで、長江健次はオーディションに落選していた。悪い子の配役が決まらず困っていたスタッフがオーディション会場に居残っている長江を見つけて、配役を変えて試したところしっくりきたため、上記の配役に決定した、というエピソードがある。
 
早速企画書にまとめあげた萩本は、CX以外の各局を駆け巡った。しかし「放送枠がない」「次の改編に間に合わない」という理由で却下されてしまい、CXに最後にかけあった<ref name="nande"/><ref name="showa40"/>。
フツオ、ヨシオ、ワルオの3人が[[イモ欽トリオ]]を結成、『ハイスクールララバイ』([[フォーライフ・レコード]])でレコードデビュー、大ヒットする。当時、レコードの歌詞カードに記載されていたプロフィールで、山口良一の生年月日が、他の二人より年上だったことから『不明』とされていた。
 
当時、萩本はCXで『[[欽ちゃんの9時テレビ]]』([[1980年]][[10月13日]] - [[1981年]][[3月23日]]、月曜夜9時放送)というバラエティ番組の司会を担当していた。「どか〜ん!のど自慢」のコーナーに多少の人気が集まっていたものの、視聴率的には振るわなかったことから、番組の降板を申し出ていた。しかし、局の編成担当者は「元々、フジの月曜夜9時は、開局以来20年間不振の枠なので数字のことは気にせずに。それよりも月9枠は、向こう10年は欽ちゃんに任せたから」と、萩本にとっては何物にも変え難い信頼の言葉を得ていたこともあって、一瞬のひらめきから「スグにでも番組化できる」と自信を持った萩本と、1981年の春改編にも間に合うかというCXの具体的思惑が一致したことから、番組は開始された<ref name="nande"/>。
フツオ役は途中から、[[後藤正]]に交代、のちに、フッくん(沢村雅彦)、ツッくん(大野豊)、オッくん(境田晃一)の3人になった(後にオッくんのみになる)。
 
この当時の萩本は、『欽ドン!』と[[テレビ朝日]]『[[欽ちゃんのどこまでやるの!?]]』、[[TBSテレビ|TBS]]『[[欽ちゃんの週刊欽曜日]]』『[[ぴったし カン・カン]]』、さらにはCX『[[オールスター家族対抗歌合戦]]』とヒット番組を抱え、その合計数字から「'''視聴率100%男'''」の異名を取る程の勢いだった。
良い妻、悪い妻、普通の妻では、「よしこ」「わるこ」「ふつこ」の三役を[[中原理恵]]が演じた。だが、当時中原が不倫騒動を起こし、萩本欽一が激怒したため途中降板した。
 
===== 良い子・悪い子・普通の子 =====
後に新キャラクターとして、[[OL]]3人組が登場、『よせなべトリオ』としてデビュー。歌番組に出演することもあったが、松居抜きのときが多かった(松居はデビュー当時中学生で、18歳未満の者の21時以降の就業を禁じた、[[労働基準法]]の従来規定に抵触していたため)。
* '''フツオ'''(普通の子) … [[長江健次]] キャラクターは、どこにでもいる普通の高校生。
* '''ヨシオ'''(良い子) … [[山口良一]] キャラクターは、メガネに青の学ラン。
* '''ワルオ'''(悪い子) … [[西山浩司]] キャラクターは、リーゼント頭の[[不良行為少年|不良少年]]。但し、[[変形学生服]]は着ていなかった。
 
<!-- オーディションのエピソードは『欽ドン!』が放送されている時代に買った学習雑誌の付録に載っていたものを読んだ記憶を頼りに記述しております。誤り等があれば訂正願います。 -->
西山はすでに初代『欽ドン!』(「欽ドン劇団」)に出演していたが、長江、山口にとっては「出世作」となった。
 
当初3人の息子役はワルオのみ[[中原理恵]]の起用が決まっていた。残るフツオとヨシオを一般オーディションで選出することとし、一旦はフツオに山口、ヨシオに西山が選ばれ長江はオーディションに落選していた。<br>しかし中原は『良い妻・悪い妻・普通の妻』も兼務することが決まっていたため、中原の負担のみが大きくなることを危惧したスタッフが萩本に配役の再考を提案、萩本も同意したもののオーディションが終了した後だったため具体的な配役を決めるにも候補がおらずスタッフは途方に暮れることになる。<br>しかし長江は一泊前提で大阪から上京していた関係でたまたまオーディション会場に居残っていたため彼を見つけたスタッフが急遽呼び戻し、さらに西山がもともとワルオ役を希望していたことから中原に代わるワルオ役は西山に任せることになり、さらに山口もヨシオ役にスライドして空いたフツオ役に長江を当てはめたところしっくりきたため、上記の配役に決定したというエピソードがある。
 
フツオ・ヨシオ・ワルオの3人が[[イモ欽トリオ]]を結成、『[[ハイスクールララバイ]]』([[フォーライフ・レコード]])でレコードデビューし、大ヒットする。当時、レコードの歌詞カードに記載されていたプロフィールで山口の生年月日が、他の2人より年上だったことから『不明』とされていた。後に萩本欽一はこの曲は「欽ドン!良い子悪い子普通の子」開始時点で既に出来上がっていたと証言している<ref name="showa40"/>。
 
フツオ役は、長江が翌年に大学受験を控えていたために1982年9月27日で降板。その後、2代目フツオとして[[後藤正]]に交代される。しかし、1983年1月にシングル『ティーンエイジ・イーグルス』がリリースされたのを最後に、イモ欽トリオとしての活動は自然消滅となり、後藤も1983年5月2日に降板、そのまま芸能界を引退。1983年5月9日からは、一般公募により最終選考まで残った[[沢村雅彦]]、[[大野哲也 (俳優)|大野哲也]]、[[境田晃一]]の3人がそれぞれフッくん(沢村)、ツッくん(大野)、オッくん(境田)として3代目フツオを演じた。3人のフツオ役を競わせ、最終的に境田が次番組の『欽ドン!良い子悪い子普通の子おまけの子』でフツオ役を演じることになった。
 
===== 良い妻・悪い妻・普通の妻 =====
'''良い妻'''・'''悪い妻'''・'''普通の妻'''では「よし子」「わる子」「ふつ子」の三役を[[中原理恵]]が演じ分けた。
* '''よし子'''(良い妻)髪を後ろでおだんごにまとめ、黒ぶちメガネをかけた、お金持ちの奥さま風キャラ。
* '''わる子'''(悪い妻)チリチリパーマの爆発アフロヘアで、凶悪スケバン風キャラ。
* '''ふつ子'''(普通の妻) 素の中原理恵。
中原は、ニッポン放送『欽ちゃんのここからトコトン』やテレビ朝日『[[欽ちゃんのどこまでやるの]]』などにゲスト出演した際、そのトークの面白さを萩本に買われ、レギュラーに起用されることとなった。
 
前述のとおり、当初は『良い子・悪い子・普通の子』のコーナーにもワルオ役で出演する予定だったが、スタッフの提案でこちらのコーナーに専念することとなった(その結果、当初オーディション落選だった長江が復活してフツオ役を手にすることになる)。
 
それまでお笑いとは程遠い「都会的でクールな美女」というシリアスイメージだった中原が、そのイメージを打ち破る見事なコメディエンヌぶりで三役を演じ分け、「おーみーごーとー」(よし子)などのギャグとともに人気大爆発。 歌手として[[1978年]]にデビュー、「[[東京ららばい]]」「[[ディスコ・レディー]]」などが大ヒットとなり『[[NHK紅白歌合戦]]』にも出場したが、[[1979年]]以降はヒット曲には恵まれずやや地味な存在になっていた中原が、この番組で人気が再ブレイク。以後、映画・ドラマ・バラエティ・CM等、各方面で大活躍することとなる。中原が中途降板したのは不倫騒動を起こし、萩本が激怒したためとの噂が流れたが、実際は歌手活動を続けたい中原の意志もあり、コメディエンヌとして飽きられぬよう萩本が充電の必要性を認めたためといわれる<ref>[https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/141503/2 プレイバック芸能スキャンダル史 中原理恵 人気の「欽ドン」をわずか1年で降板]</ref><ref>実際、制裁降板ではないことを裏付けるかのように、後述の『新春オールスター 欽ドン! 同窓会スペシャル』には元レギュラーとして出演している。</ref>。
 
中原降板後、コーナーが終了するまでの間、[[島倉千代子]]や[[森光子]]などの著名な歌手や女優が毎回ゲストとして登場し、'''良い妻'''・'''悪い妻'''・'''普通の妻'''を演じている。
 
===== 良いOL・悪いOL・普通のOL =====
更に新キャラクターとして'''良いOL'''、'''悪いOL'''、'''普通のOL'''が登場。この[[OL]]3人組は、[[よせなべトリオ]]として1982年8月5日に「大きな恋の物語」でレコードデビューも果たし、[[オリコンチャート|オリコン]]最高位8位、売上16.8万枚を記録するヒットを飛ばす。歌番組に出演することもあったが松居直美を抜きでの出演が多かった。これは松居直美は1982年デビュー当時中学生であり、[[個人事業主]]としての活動ではあるもののみなし労働者と扱われた場合18歳未満の者の22時以降の就業を禁じた[[労働基準法]]の従来規定に抵触する恐れがあったため。松居直美にとってはこのコーナーが「出世作」となった。
* '''フツ山'''(普通のOL) … [[松居直美 (タレント)|松居直美]]
* '''ヨシ山'''(良いOL) … [[生田悦子]]
* '''ワル山'''(悪いOL) … 小柳みゆき(現・[[小柳友貴美]])。トレードマークは、黒縁のメガネにパーマ。フツ山・ヨシ山と違って態度がガサツ
 
===== 番組後半のコーナー =====
番組の後半は萩本が白衣姿の博士、レギュラーメンバーが門下生に扮して、テーマ自由の「良い、悪い、普通」を発表する「萩本博士の研究レポート発表会」のコーナー、「日記」のコーナーが放送された。また、萩本と[[車だん吉]]が名作映画の一場面を再現して笑いをとるコントが随時挿入された。
番組の後半は萩本が白衣姿の博士、レギュラーメンバーが門下生に扮して、テーマ自由の「良い、悪い、普通」を発表する「萩本博士の研究レポート発表会」のコーナー、「日記」のコーナーが放送された。また、萩本と[[車だん吉]]が名作映画の一場面を再現して笑いをとるコントが、随時挿入された。
 
===== 投稿の募集について =====
番組での各コーナーで披露されるネタは一般からハガキで募集し、採用された人には番組からオリジナルトレーナーがプレゼントされた。オリジナルトレーナーは基本的に改変期ごとにデザインが変わり、また、欽ドン賞獲得者には2枚贈られるというルールの存在もあり、最多採用数を誇った視聴者がそれらをツギハギしてクッションカバーを作ったとのエピソードが番組で紹介されたこともある。
番組での各コーナーで披露されるネタは一般からハガキで募集し、採用された人には番組からオリジナルトレーナーがプレゼントされた。この投稿採用者の氏名については、番組の最後のところでまとめて字幕で表示され、さらにその中から選ばれた「欽ドン賞」(原則として、各コーナーごとに1作品ずつ選ばれる)の作品については、もう一度それを再放送(アンコール)をするというサービスも行われ「以上の皆様、おめでとうございます。」の字幕を出して受賞者を称えるという演出があった。<ref>[https://www.youtube.com/watch?v=myfTVc7_sFc 1981年の放送例]</ref>
 
オリジナルトレーナーは基本的に改編期ごとにデザインが変わり、また、欽ドン賞獲得者には2枚贈られるというルールの存在もあり、採用数最多の投稿者がそれらをツギハギしてクッションカバーを作ったとのエピソードが番組で紹介されたこともある。
この時期「欽ドン!」と「[[欽ちゃんのどこまでやるの!?]]」([[テレビ朝日]]系)、さらに「[[欽ちゃんの週刊欽曜日]]」([[東京放送|TBSテレビ]]系)とヒット番組をかかえ、その合計数字から欽ちゃんは「視聴率100%男」の異名を取った。
 
一度だけ良い子・悪い子・普通の子のコーナーで、萩本が客いじりの流れから、一般観覧者が持参したハガキをもとにコントを行った事があり、ネタ的には通常なら採用されないレベルの内容だったが、放送されたという理由から、その場で萩本がオリジナルトレーナーを手渡している。ただし、真似する観覧者が出ないよう、今回だけの特別である事を番組内で萩本が明言している。
== 欽ドン!良い子悪い子普通の子おまけの子 ==
{{基礎情報 テレビ番組
|番組名=欽ドン!良い子悪い子普通の子おまけの子
|ジャンル=バラエティ番組
|放送時間=47分(CMを除く正味時間)
|作=
|出演=萩本欽一、ほか
|ナレーション=
|放送国={{JPN}}
|放送局=フジテレビ系
|放送期間=[[1983年]][[9月19日]]~[[1985年]][[5月6日]]
|放送回数=
}}
[[1983年]][[9月19日]]~[[1985年]][[5月6日]]、毎週月曜21時00分~21時54分に放送。
 
===== その他 =====
これまでのメンバーに『おまけの子』ゆみこ([[遠藤由美子]]演ずる)が加わる。
[[1982年]][[10月18日]]、この日は19:00から「[[横浜DeNAベイスターズ|横浜大洋]]×[[中日ドラゴンズ|中日]]」([[横浜スタジアム]])の中継が行われ、中日は勝つか引き分けで[[セントラル・リーグ|リーグ]]優勝、負ければ[[読売ジャイアンツ|巨人]]がリーグ優勝という状態だったが、本番組開始の21:00になっても決着が着かなかったため、急遽本番組を生放送に切り替え、OP抜きで萩本と息子たちが登場し、萩本が息子たちに「お前たち、どうするんだ?」と問い掛けると、息子たちはそれぞれ「野球が見たいですねえ」と返事したため、映像を横浜スタジアムに変えて中継を続行し、「中日の勝利→中日優勝」のシーンが放送された。これは、たまたま当日朝にフジテレビにいた萩本にスタッフが提案して実現したという。
* '''フツオ'''(普通の子) …[[境田晃一]]
 
なお、後に番組末期に放送された「欽ドン!クイズ」(「欽ドン!スペシャル」の一企画)では当時中日に在籍していた[[牛島和彦]](放送時点では[[千葉ロッテマリーンズ|ロッテオリオンズ]]に移籍)が出題者として登場した<ref>「自分と『欽ドン!』にどのような関わりがあったか」という問題で、答は「『欽ドン!』を録画するつもりでビデオ予約をセットしたら(前述の)5年前の優勝決定戦の放送になってしまい、楽しみにしていた『欽ドン!』を潰してしまった」というものだった。</ref>。
 
==== 欽ドン!良い子悪い子普通の子おまけの子 ====
『'''欽ドン!良い子悪い子普通の子おまけの子'''』(きんドン よいこわるいこふつうのこおまけのこ)は、[[1983年]][[9月19日]]から[[1985年]][[5月6日]]まで、CX系列にて放送された番組で、『-良い子悪い子普通の子』のリニューアル版。
 
===== 新キャラクターを投入 =====
『−良い子悪い子普通の子』の放送末期に3人いたフツオは、オッくん役だった境田晃一が演じる。また、これまでのメンバーに[[遠藤由美子]]演じる『おまけの子』ゆみこが新たに加わる。『欽ドン!』シリーズで一番長い文字数のタイトルとなった。
* '''フツオ'''(普通の子) …境田晃一
* '''ヨシオ'''(良い子) … 山口良一
* '''ワルオ'''(悪い子) … 西山浩司
* '''ゆみこ'''(おまけの子) … [[遠藤由美子]]
 
余談であるが、:なお「おまけの子」役となった遠藤には「おまけの子」のオーディション当日にトイレを我慢しながらオーディション会場へ駆け込んだ際、こともあろうに審査委員長であった萩本に向かっていきなり「トイレはどこですか?」と尋ね、その度胸を萩本が気に入ったため採用されたというエピソードがある。
 
新キャラクターとして、先生3人組が登場。後に『おまけの教頭』も登場。(~1984( - [[1984]][[12月10日]]
* 普川先生(普通の先生) … [[宮田恭男]]
* 良川先生(良い先生) … [[柳葉敏郎]]。トレンディ俳優として活躍する彼の初期の代表作。
: 俳優として活躍する以前の時期の代表作。当時は秋田出身というキャラクターをフルに活かしてセリフを秋田弁で喋ったり、「生徒が実家(農家)の仕事を手伝っている」ことを説明する際には自ら田植えのシーンを演じて、校長役の萩本から感心されるなどしていた。
* 悪川先生(悪い先生) … [[武野功雄]]
* ジェームス山口(おまけの教頭)… 山口良一
 
後に先生に代わり刑事となる。(1984年12月17日~) - )
* ふつた(普通の刑事) … 柳葉敏郎
* よした(良い刑事) … [[関根勤]]
: 当初関根はリハーサル時の萩本のダミーを担当していた(萩本本人は客席からリハーサルの様子を見ていたため)。当然オンエアには一切使われないが、その真面目な仕事ぶりがスタッフにも認められ萩本への口添えとなり、結果「良い刑事」役を獲得することとなった。
* わるた(悪い刑事) … 武野功雄
* チャーリー・チャン(おまけの刑事) … 山口良一
 
悦子の妻と 良いお婆ちゃん 悪いお婆ちゃん 普通のお婆ちゃんでは、山口良一がお婆ちゃん三役を演じ、萩本の妻を[[志穂美悦子]]、おまけのお爺ちゃんを西山浩司が演じた。
 
下宿人(~1984( - 1984年12月10日)
* 普通の下宿人 … [[黒田アーサー]]
* 良い下宿人 … [[金原亭駒平]](現・[[金原亭世之介]])
* 悪い下宿人 … [[小原正也]](現・[[柳家喬太郎]])
 
娘(1984年[[12月17日]]
* ふつえ … [[坂上とし恵(現・[[野々村俊恵]]
* よしえ … [[梶三和子]]
* わるえ … [[四季穂]]
 
===== その他 =====
*1984年5月21日、通常の放送内容を変更して、[[プロ野球中継|ナイター中継]]『[[横浜ベイスターズ|大洋]]×[[読売ジャイアンツ|巨人]]』戦を中継し、36.7%という高視聴率を獲得している。
番組後半では[[クラブ活動|部活動]]をモチーフにしたコントが演じられた。このコーナーには萩本はコントのアドバイスにまわり出演せず、すべて若手たちが演じていた。また、山口が[[花形満]]をもじった“花柄満”なるキャラクターに扮して、野球をモチーフにしたコントが演じられるのが定番となっていた。
(→''[[BASEBALL L!VE#番組を利用して中継されたケース|BASEBALL L!VE]]''の項を参照)
*1985年に萩本の休養により1985年3月25日で本編が打ち切られ、残りの回はコントの内容などを一部ダイジェスト用に編集した総集編を埋めた。
*また、萩本の休養の間の月曜夜9時枠は[[宇崎竜童]]、[[所ジョージ]]出演のバラエティ番組「[[夜はタマたま男だけ!!]]」(1985年[[5月13日]]~同年[[9月23日]])を埋めた。
 
番組エンディングとして「翼よ!」(作詞:[[石原信一]]、作曲:[[あかのたちお]]、歌:松本新吾)をバックに、山口と西山が出演する青春ドラマ風の映像が流れていた。
== マイルド欽ドン! ==
1985年[[10月7日]]~[[1986年]][[4月28日]]、毎週月曜21時00分~21時54分に放送。
 
1985年に萩本の休養により、その年の3月25日で通常の構成の番組は打ち切られ<ref>当該回では、前述の“欽ドン賞”が全ての作品の投稿者に贈られた。</ref>、残りの回はコントの内容などを一部ダイジェスト用に編集した総集編で埋めた。
基本コンセプトは同じで、旅館編([[宮川大助・花子]]が出演)などが放送された。
 
また、萩本の休養の間の月曜夜9時枠は[[宇崎竜童]]、[[所ジョージ]]出演のバラエティ番組『[[夜はタマたマ男だけ!!]]』(1985年[[5月13日]] - [[9月23日]])を埋めた。
== 欽ドン!お友達テレビ ==
 
1986年[[5月5日]]~[[10月27日]]、毎週月曜21時00分~21時54分に放送。
『〜おまけの子』終了から23年半後の[[2008年]][[10月15日]]に、CX開局50周年記念[[DVD]]として、『欽ドン!良い子悪い子普通の子』の[[DVD-BOX]]が発売された。
 
=== 第3次シリーズ(月曜21時枠・マイルド欽ドン!〜シリーズの終焉)===
==== マイルド欽ドン! ====
『'''マイルド欽ドン!'''』(マイルドきんドン)は、1985年[[10月7日]]から[[1986年]][[4月28日]]まで、CX系列にて毎週月曜21:00 - 21:54に放送された。前シリーズ『-良い子悪い子普通の子おまけの子』から半年のブランクを得て、シリーズが再開された。
 
基本コンセプトは同じで、旅館編([[宮川大助・花子]]、[[角野卓造]]が出演)などが放送された。角野の他にもレギュラー出演者に[[黒沢年男]]、[[水野久美]]など俳優が名を連ねコントを繰り広げた。番組の後半は「わかんない奴」のコーナーで「○○する奴」という風に視聴者からの投稿で発表するものだった。投稿ハガキの宛名の間違いを紹介するコーナーが1回だけ紹介され、「マイルド鉄ドン!」や「マイルド鈴ドン!」など「欽」の文字の間違いがあったが、極めつけは「ソフト欽ドン!」「マイルドドンドン!」などの大掛かりな間違いのはがきも紹介された<ref name="shashi">開局からの歩み:フジテレビ社史(フジテレビ総務部編)</ref>。
{{節スタブ}}
 
==== 欽ドン!お友達テレビ ====
『'''欽ドン!お友達テレビ'''』(きんドン おともだちテレビ)は、1986年[[5月5日]]から[[10月27日]]まで、CX系列にて放送された番組。
 
[[シブがき隊]]がレギュラーに参加。ステージ上でのコントに加え、観客を入れずに収録する形式のコント(教師編など)が加えられた。
{{節スタブ}}
 
==== 欽ドン!ハッケヨーイ笑った! ====
『'''欽ドン!ハッケヨーイ笑った!'''』(きんドン ハッケヨーイわらった)は、1986年[[11月3日]]から[[1987年]][[2月9日]]まで毎週月曜21時00分~21時54分CX系列放送。
 
前半は電話による視聴者参加ネタコーナー、後半は視聴者からの投稿ハガキやゲストが[[紙相撲]]を持参し、それを元にデザインした着ぐるみを関根勤、[[ジミー大西]]、当時まだ大阪でも大ブレイクする前の[[ダウンタウン (お笑いコンビ)|ダウンタウン]]が等身大の紙相撲となって対戦する、という構成で放送された。審判部長をジミーの師匠の[[ぼんちおさむ]]が務めた。またしかし放送開始2カ月前の[[全国高等学校クイズ選手権]]萩本はジミーを扱いかねて3週間降板させた<ref>{{Cite web |title=お笑い用語『天然ボケ解答』の由来とは? {{!}} 株式会社3PEACE |url=https://www.3peace-inc.com/toranomaki/tennen/ |website=株式会社3PEACE {{!}} 3PEACEは『笑いの力で社会に活力連発!!!』をモットーにするお笑い芸能事務所。お笑いの力で社会を豊かにて一躍有名たいという熱意のもと、大阪を中心なっ日々活動に力を入れています。 |date=2021-04-05 |access-date=2023-12-31}}</ref>。ま[[福島県立相馬高等学校|相馬高校]]の生徒がレギュラー出演者となったが、ほとんど発言の機会はなかった。欽ドン!史上最も大幅なリニューアルとなったが、視聴率は不振を極め(後に[[島田紳助]]がダウンタウンに向かって「ハッケヨーイ終わった」と揶揄する発言があったほどである)、わずか3ヶ月で終了した。
 
『欽ドン!』史上最も大幅なリニューアルとなったが、視聴率は不振を極め、わずか3カ月で終了した。後に吉本興業の先輩芸人がダウンタウンに向かって「'''ハッケヨーイ終わった'''」と揶揄する発言があったほどである。
なお、エンディングで[[スタッフ]]紹介の[[クレジットタイトル]]が流れる時は、[[縦書き]]で画面下を左から右へ流れ、スタッフの名前も本名に「 - 山」や「 - 富士」などが付け加えられるなど[[四股名]]風のものになっており、オープニングとエンディングでの[[スポンサー]]紹介の時には、そのスポンサーの名称が入った[[大相撲]]の[[懸賞 (相撲) |懸賞]]幕のような幕を掲げて[[土俵]]のセットの周りを回る(テレビ画面ではそのスポンサー名のアップになる)というようになっていた。
 
この番組は、当初は生放送だったが、数週経過後から、後半の相撲コーナーのみ前週に事前収録したものを放送する部分収録スタイルへ変更した。さらに前半パートがテコ入れのために相撲コーナーに変更されると、前半部分も収録となり、最終的には完全収録となった。
== 欽ドン!スペシャル ==
1987年[[2月16日]]~[[3月23日]]、毎週月曜21時00分~21時54分に放送。
 
「マイルド欽ドン!」と同様、投稿ハガキの宛名の間違いを紹介するコーナーが1回だけあり、「黄ドン!ハッケヨーイ怒った」という大掛かりな宛名の間違いも紹介された。
後枠が現在も続く[[フジテレビ月曜9時枠の連続ドラマ|ドラマ枠]]に決まった為、「欽ドン!シリーズ」最末期に放送された。
 
なお、EDで[[スタッフ]]紹介の[[クレジットタイトル]]が流れる時は、[[縦書き]]で画面下に、左から右へ流れ、スタッフの名前も本名に「 - 山」や「 - 富士」などが付け加えられるなど、[[四股名]]風のものになっている。OPとEDでの[[スポンサー]]紹介の時には、そのスポンサーの名称が入った[[大相撲]]の[[懸賞 (相撲) |懸賞]]幕のような幕を掲げて、[[土俵]]のセットの周りを回り、テレビ画面ではそのスポンサー名のアップになる、というものになっていた<ref name="shashi"/>。
== その他 ==
欽ドン!、[[欽ちゃんのどこまでやるの!?]]、[[欽ちゃんの週刊欽曜日]]が放送されていた[[1983年]]には、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]、[[テレビ朝日]]、[[東京放送|TBS]]各局が垣根を越えて、春・秋・年末の改変期に持ち回りで、3番組が合体した欽ちゃんファミリー総出演の特番を放送された。なお春を担当したフジテレビは「春の欽ちゃん祭り・欽ドン!欽どこ!欽曜日!3つまとめてドン!」。
 
1994年に「新春オールスター==== 欽ドン! 同窓会スペシャル」が放送された。 ====
『'''欽ドン!スペシャル'''』(きんドン スペシャル)は、1987年[[2月16日]]から[[3月23日]]までの間、CX系列にて放送。シリーズ最末期に放送された。
 
前述の「ハッケヨーイ笑った!」が早々に[[打ち切り]]となり、この年の春の改編の時間帯で[[フジテレビ月曜9時枠の連続ドラマ|連続ドラマ枠]]が6年半ぶりに放送再開することが決まり、その残り期間に『欽ドン!』スペシャルとして放送された。
== 書籍化 ==
最初のテレビ「欽ちゃんのドンとやってみよう!」のヒットを受け、ラジオの「欽ちゃんのドンといってみよう!」のものも合わせたコント集が集英社から刊行され、これもベストセラーとなった(続編がNo.3まで出版された)。
 
初回と第2回は「良い子悪い子普通の子」の復刻スペシャルとして長江、山口、西山、境田が当時の役柄で出演(長江と境田はこれが初対面だった)。初回では萩本と当時のコントを再現した。また、ゲストの[[明石家さんま]](当時31歳)が学生服姿で萩本とコントで初共演し、散々ダメ出しを喰らった。萩本は「収録が終わって裏で『いやー、負けたわ!』って初めて叫んじゃったよ。さんまちゃんがずーっとしゃべりつづけて、自分が全然しゃべれない」と圧倒されたことを認めている<ref>{{Cite web |title=萩本欽一が「負けたわ!」と叫んだ、明石家さんまとの伝説の対決(てれびのスキマ) |url=https://qjweb.jp/regular/78655/ |website=QJWeb クイック・ジャパン ウェブ |access-date=2023-12-07 |language=ja |last=菅原史稀}}</ref>(後年、このエピソードが『[[誰も知らない明石家さんま#第8回|誰も知らない明石家さんま 第8弾]]』でドラマ化された<ref>{{Cite web |title=お笑い史を変えた“1987年の直接対決”ドラマ化 さんま役は杉野遥亮、萩本欽一役は東京03角田【コメントあり】 |url=https://www.oricon.co.jp/news/2256016/full/ |website=ORICON NEWS |date=2022-11-07 |access-date=2023-12-07}}</ref>)。
== スタッフ ==
*構成 : [[大岩賞介]]、[[詩村博史]]、[[永井準]]、[[鈴木しゅんじ]]、岩城未知男、[[大倉利晴]]、[[鶴間政行]]、益子一男、[[村松利史]]、高橋等、[[高橋秀樹]]、石崎収、[[笠博勝]]、佐藤宗示、[[浦沢義雄]]
*音楽 : あかのたちお
*演奏 : 新音楽協会
*コーラス : EVE
*ディレクター : [[竹島達修]]、[[三宅恵介]]
*プロデューサー : [[常田久仁子]]
*技術協力 : [[ニユーテレス]]
 
第2回では[[イモ欽トリオ]]が復活して「[[ティアドロップ探偵団]]」「[[ハイスクールララバイ]]」の2曲を熱唱。当時参加していなかった境田も長江とのパート交換で初めて唄った。ただし、境田だけテンポなどが全然バラバラで付いていけないため山口や西山から散々にツッコまれてしまい、唄として成立しない、というもの。コーナー自体が、長江の時は「良いイモ欽トリオ(普通のイモ欽トリオ)」、境田が参加すると「悪いイモ欽トリオ」になるという一連のギャグだった。
== 放映ネット局(時差ネット局含) ==
 
{|
第3回と第4回は、「欽ドン!クイズ」と称して過去の番組映像を題材にクイズを繰り広げた。
|valign=top|
 
* [[フジテレビ]]
第5回と最終回は、萩本が番組ゆかりの元出演者を訪ね歩く旅番組。境田の実家や[[気仙沼ちゃん]]一家が営む民宿を訪ねて旧交を温めるという内容で、これをもって約12年にわたって続いたTV版『欽ドン!』シリーズにピリオドが打たれた。そして2週間後の4月6日より開始した『[[アナウンサーぷっつん物語]]』を最初に、『欽ドン!』から今日まで続く『月9ドラマ』にバトンタッチした。
* [[北海道文化放送]]
 
* [[青森テレビ]]
=== 復活特番 ===
* [[岩手放送]](現:IBC岩手放送)→[[テレビ岩手]]
==== 新春オールスター 欽ドン! 同窓会スペシャル ====
* [[秋田テレビ]]
『'''新春オールスター 欽ドン! 同窓会スペシャル'''』(しんしゅんオールスター きんドン どうそうかいスペシャル)は、[[1994年]][[1月4日]](火曜日)21:00 - 22:54にCX系列にて放送された[[特別番組]]。
* [[仙台放送]]
 
* [[山形テレビ]]
欽ドン!のテレビシリーズ放送終了から7年後の[[1994年]][[1月4日]]、新春特番として欽ドン!のスペシャル番組を放送。ちなみにこの回は『欽ドン!』の歴史上唯一の[[ステレオ放送]]を実施。
* [[福島テレビ]]
 
|valign=top|
萩本の進行により、当時のメンバーとゲストが過去の傑作VTRを見ながらトークを展開した。ゲストは小堺一機や[[風見しんご]]、萩本が司会だった『[[TVプレイバック]]』のレギュラーだった石田純一、[[向井亜紀]]が出演した。
* [[新潟総合テレビ]]
 
* [[長野放送]]
なお、萩本以外の席は上段より「良い席」(貴賓用[[ソファー]])、「普通の席」(普通の[[椅子]])、「悪い席」([[茣蓙]]と[[座布団]])というように分けられていた。
* [[テレビ山梨]]
 
* [[富山テレビ]]
=== その他 ===
* [[石川テレビ]]
*『欽ドン!』、『[[欽ちゃんのどこまでやるの!?]]』、『[[欽ちゃんの週刊欽曜日]]』が放送されていた[[1983年]]にはCX、[[テレビ朝日]]、[[TBSテレビ|TBS]]各局が垣根を越えて、春・秋・年末の改編期に持ち回りで、3番組が合体した欽ちゃんファミリー総出演の特番が放送された。なお春を担当したCXは『'''春の欽ちゃん祭り・欽ドン!欽どこ!欽曜日!3つまとめてドン!'''』のタイトルで[[1983年]][[4月7日]]20:00~21:48に放送した<ref>[[長崎新聞]][[1983年]][[4月7日]]付朝刊ラ・テ欄で確認。 </ref>。(当時一部の地方局では21時からのネット、21時までは他局ネットのため)
* [[福井テレビ]]
*[[1997年]][[4月5日]]放送の特番『[[ザッツお台場エンターテイメント!#第6夜・お笑いの38年|ザッツお台場エンターテイメント! 第6夜・お笑いの38年]]』にて『欽ドン!』を再現した企画が行われた。
* [[テレビ静岡]]
*[[2010年]][[4月2日]]、[[NHKデジタル衛星ハイビジョン|NHKBSハイビジョン]]の「[[ザ☆スター]]」第1回・萩本欽一編にて、[[真矢みき]]と[[三谷幸喜]]による『欽ドン!』の再現が放送された。
* [[東海テレビ]]
*[[2017年]][[10月18日]]放送の『[[おじゃMAP!!]]2時間スペシャル』(19:00 - 20:54)に萩本がゲスト出演し、ザキヤマディレクター([[山崎弘也]]<ref name="Ojamap">『おじゃMAP!!』レギュラー。</ref>)演出のもと、[[香取慎吾]](元[[SMAP]])<ref name="Ojamap"/><ref>萩本とは『[[欽ちゃん&香取慎吾の全日本仮装大賞]]』([[日本テレビ系列]])で共同司会を務めているほか、フジテレビでは『[[よ!大将みっけ]]』(1994年 - 1995年)で共演した。</ref>とともに[[駒澤大学]]や萩本の自宅などを巡るロケ企画のほか、ザキヤマの要請により、萩本と香取による『欽ドン!良い子悪い子普通の子』の再現が放送された<ref>{{Cite press release|和書|url=https://web.archive.org/web/20171016174514/http://www.fujitv.co.jp/fujitv/news/pub_2017/171016-i389.html|title=萩本欽一・香取慎吾で『欽ドン!』復活!|work=とれたてフジテレビ|agency=フジテレビ|date=2017-10-16|accessdate=2017-10-16}}</ref>。
|valign=top|
*[[#第3次シリーズ(月曜21時枠・マイルド欽ドン!〜シリーズの終焉)|第3次シリーズ(月曜21時枠時代)]]の提供スポンサーのうち、[[日本メナード化粧品|メナード化粧品]]は、現在の[[フジテレビ月曜9時枠の連続ドラマ|月9]]に変更された後も提供スポンサーを継続し、現在に至る。
* [[関西テレビ]]
*CXの開局に携わり、『欽ドン!』のプロデューサーを長く務めた[[常田久仁子]]は2010年[[11月3日]]、82歳で逝去。萩本は常田を母のように慕っており、同年[[11月26日]]に行われたお別れ会において萩本は「浅草から出てきた小汚いタレントを、萩本欽一という別の人間にしてくれた」と、号泣しながら感謝の言葉を述べた<ref>[https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2010/11/27/kiji/K20101127Z00002820.html 萩本欽一“母”に感謝の涙「別の人間にしてくれた」] - スポーツニッポン、2010年11月27日</ref>。
* [[山陰中央テレビ]]
*日本テレビ系列で、地上デジタル化直前を記念して[[土屋敏男]](当時・部長)が萩本と組んで制作した特別番組「欽ちゃん!30%番組をもう一度作りましょう!(仮)」では、萩本とほかのタレントによるロケがコーナーの中心であったが、萩本が下宿屋の女主人役に扮して子供たち([[河本準一]]ほか)と留学生によるコントが『欽ドン!』のコーナーの再現のような形で行われた。
* [[岡山放送]]
 
* [[広島テレビ]]→[[テレビ新広島]]
=== スタッフ ===
* [[テレビ山口]]
* 構成:[[大岩賞介]]、[[詩村博史]]、[[永井準 (放送作家)|永井準]]、鈴木しゅんじ、[[大倉利晴]]、[[鶴間政行]]、益子一男、加納健男、杉村美奈子、[[村松利史]]、高橋等、[[高橋秀樹 (放送作家)|高橋秀樹]]、廣岡豊、石崎収、笠博勝、佐藤宗示、[[浦沢義雄]]、岩城未知男、[[三谷幸喜]](おまけの子時代)
* [[四国放送]]
* 音楽:[[あかのたちお]]
* [[テレビ愛媛]]
* 演奏:[[新音楽協会]]
* [[テレビ高知]]
* コーラス:[[バズ (バンド)|BUZZ]]、[[EVE (歌手グループ)|EVE]]
|valign=top|
* 振付け:[[土居甫]]
* [[テレビ西日本]]
* イラスト:かすやたかひろ
* [[サガテレビ]]
* タイトル画:西村宏
* [[テレビ長崎]]
* スタイリスト:松田みはる
* [[テレビ熊本]]
* 協力:[[浅井企画]]
* [[大分放送]]→[[テレビ大分]]
* タイトル:川崎利治
* [[テレビ宮崎]]
* 編集:[[IMAGICA Lab.|東洋現像所ビデオセンター→IMAGICA]]
* [[鹿児島テレビ]]
* 技術協力:[[沖縄ニユーテレ]]
* ディレクター:竹島{{ruby|達修|さとのぶ}}、[[三宅恵介]]、[[小林豊 (実業家)|小林豊]]
** 竹島と三宅は、1994年放送の『欽ドン!』特番ではプロデューサーを担当した。
* プロデューサー:[[常田久仁子]]
* 制作著作:フジテレビ
 
=== 放映ネット局(時差ネット局含む) ===
系列は現在の系列。放送当時フジテレビ系列局や他系列とのクロスネット局には○を付加してある。
{| class="wikitable" style="text-align:center;font-size:smaller"
|-
!放送対象地域
!放送局
!系列
!備考
|-
|[[関東地方|関東広域圏]]
|[[フジテレビジョン|フジテレビ]]
|rowspan=2|[[フジネットワーク|フジテレビ系列]]
|'''制作局'''
|-
|[[北海道]]
|[[北海道文化放送]]
|
|-
|[[青森県]]
|[[青森テレビ]]
|rowspan=2|[[ジャパン・ニュース・ネットワーク|TBS系列]]
|
|-
|rowspan="3"|[[岩手県]]
|[[IBC岩手放送|岩手放送]]
|現・IBC岩手放送<br />『欽ちゃんのドンとやってみよう!』のみ
|-
|[[テレビ岩手]]
|[[日本テレビネットワーク協議会|日本テレビ系列]]
|『良い子悪い子普通の子』から
|-
|[[岩手めんこいテレビ]]
|rowspan=3|フジテレビ系列
|『新春オールスター 欽ドン! 同窓会スペシャル』のみ
|-
|[[宮城県]]
|[[仙台放送]]
|
|-
|[[秋田県]]
|[[秋田テレビ]]
|○1987年3月まではテレビ朝日系列とのクロスネット局
|-
|[[山形県]]
|[[山形テレビ]]
|[[オールニッポン・ニュースネットワーク|テレビ朝日系列]]
|○『欽ドン!スペシャル』まで<br />1975年3月まで及び1980年4月~1993年3月まではフジテレビ系列フルネット局<br />1975年4月~1980年3月まではフジテレビ系列・テレビ朝日系列のクロスネット局
|-
|[[福島県]]
|[[福島テレビ]]
|フジテレビ系列
|○1983年9月まではTBS系列とのクロスネット局
|-
|-
|[[山梨県]]
|[[テレビ山梨]]
|TBS系列
|
|-
|[[新潟県]]
|[[NST新潟総合テレビ|新潟総合テレビ]]
|rowspan=10|フジテレビ系列
|○現:NST新潟総合テレビ<br />1983年9月まではテレビ朝日系列とのクロスネット局<br />1981年3月までは日本テレビ系列・テレビ朝日系列とのトリプルクロスネット局
|-
|-
|[[長野県]]
|[[長野放送]]
|
|-
|[[静岡県]]
|[[テレビ静岡]]
|
|-
|[[富山県]]
|[[富山テレビ放送|富山テレビ]]
|
|-
|[[石川県]]
|[[石川テレビ放送|石川テレビ]]
|
|-
|[[福井県]]
|[[福井テレビジョン放送|福井テレビ]]
|
|-
|[[東海3県|中京広域圏]]
|[[東海テレビ放送|東海テレビ]]
|
|-
|[[近畿地方|近畿広域圏]]
|[[関西テレビ放送|関西テレビ]]
|
|-
|[[島根県]]・[[鳥取県]]
|[[山陰中央テレビジョン放送|山陰中央テレビ]]
|
|-
|[[岡山県]]<br />→[[岡山県・香川県の放送|岡山県・香川県]]
|[[岡山放送]]
|○1979年3月までの放送エリアは岡山県のみで、テレビ朝日系列とのクロスネット局<br />1979年4月の電波相互乗り入れに伴い放送エリアを香川県にも拡大、フジテレビ系列フルネット局に移行
|-
|rowspan=2|[[広島県]]
|[[広島テレビ放送|広島テレビ]]
|日本テレビ系列
|○1975年9月まで<br />1975年9月まではフジテレビ系列とのクロスネット局
|-
|[[テレビ新広島]]
|フジテレビ系列
|1975年10月開局から
|-
|[[山口県]]
|[[テレビ山口]]
|TBS系列
|○1987年9月まではフジテレビ系列とのクロスネット局<br />1978年9月まではフジテレビ系列・テレビ朝日系列とのトリプルクロスネット局
|-
|[[徳島県]]
|[[四国放送]]
|日本テレビ系列
|
|-
|[[愛媛県]]
|[[テレビ愛媛|愛媛放送]]
|フジテレビ系列
|現:テレビ愛媛
|-
|[[高知県]]
|[[テレビ高知]]
|TBS系列
|
|-
|[[福岡県]]
|[[テレビ西日本]]
|rowspan=4|フジテレビ系列
|
|-
|[[佐賀県]]
|[[サガテレビ]]
|
|-
|[[長崎県]]
|[[テレビ長崎]]
|○1990年9月までは日本テレビ系列とのクロスネット局
|-
|[[熊本県]]
|[[テレビ熊本]]
|○1989年9月まではテレビ朝日系列とのクロスネット局<br />1982年3月までは日本テレビ系列・テレビ朝日系列とのトリプルクロスネット局
|-
|[[大分県]]
|[[テレビ大分]]
|日本テレビ系列<br />フジテレビ系列
|
|-
|[[宮崎県]]
|[[テレビ宮崎]]
|フジテレビ系列<br />日本テレビ系列<br />テレビ朝日系列
|『マイルド』から『スペシャル』までは1週遅れで月曜19:00から放送
|-
|[[鹿児島県]]
|[[鹿児島テレビ放送|鹿児島テレビ]]
|rowspan=2|フジテレビ系列
|○1994年3月までは日本テレビ系列とのクロスネット局<br />1982年9月までは日本テレビ系列・テレビ朝日系列とのトリプルクロスネット局
|-
|[[沖縄県]]
|[[沖縄テレビ放送|沖縄テレビ]]
|
|}
 
== ネット番組遍歴 ==
=== 欽ちゃんのドーンとゴールド! ===
{{前後番組|
2015年に萩本がウェブ放送局「欽ちゃんネル」を立ち上げ、その第1弾として「欽ドン!」シリーズをベースにした[[ニコニコ生放送]]「欽ちゃんのドーンとゴールド!」を2015年8月7日から2016年7月29日まで毎週金曜21時より原則1時間放送<ref>{{Cite news |title=萩本欽一、「欽ドン!」シリーズをベースにウェブ放送局たちあげ |url=https://web.archive.org/web/20150807054336/http://www.hochi.co.jp/entertainment/20150806-OHT1T50182.html |newspaper=スポーツ報知 |date=2015-08-07 }}</ref>。全51回。
放送局=[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系|
放送枠=土曜19:30~20:54|
番組名=欽ちゃんのドンとやってみよう!<br />(第1期)|
前番組=[[オールスター90分]]|
次番組=[[がんばれ!ピンチヒッターショー]]|
2放送局=[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系|
2放送枠=土曜19:30~20:54|
2番組名=欽ちゃんのドンとやってみよう!<br />(第2期)|
2前番組=がんばれ!ピンチヒッターショー|
2次番組=[[女子プロ野球#その後|ニューヤンキース]]|
3放送局=フジテレビ系|
3放送枠=土曜19:30~20:54|
3番組名=欽ちゃんのドンとやってみよう!<br />(第3期)|
3前番組=ニューヤンキース|
3次番組=[[土曜ナナハン学園危機一髪]]|
4放送局=フジテレビ系|
4放送枠=月曜21:00~21:54|
4番組名=欽ドン!良い子悪い子普通の子<br />↓<br />欽ドン!良い子悪い子普通の子おまけの子|
4前番組=[[欽ちゃんの9時テレビ]]|
4次番組=[[夜はタマたま男だけ!!]]|
5放送局=フジテレビ系|
5放送枠=月曜21:00~21:54|
5番組名=マイルド欽ドン!<br />↓<br />欽ドン!お友達テレビ<br />↓<br />欽ドン!ハッケヨーイ笑った!<br />↓<br />欽ドン!スペシャル|
5前番組=夜はタマたま男だけ!!|
5次番組=[[アナウンサーぷっつん物語]]|
}}
 
=== 欽ちゃんのドーンとプラチナ! ===
[[Category:フジテレビのバラエティ番組|きんとん]]
2016年8月5日から2017年4月28日まで[[FRESH!]]で配信された後続番組。
[[Category:萩本欽一のバラエティ番組|きんとん]]
 
[[Category:ニッポン放送のラジオ番組|きんとん]]
== 関連商品 ==
[[Category:ラジオのバラエティ番組|きんとん]]
=== 書籍 ===
[[Category:集英社|きんとん]]
ラジオ放送時代の1974年、番組本『欽ちゃんのドンといってみよう』(番組リスナーの希望者に全員プレゼント(送料分の切手代の同封が必要))が、非売品として発行された。([[集英社]]発行)
 
最初のテレビ『欽ちゃんのドンとやってみよう!』のヒットを受け、ラジオの『欽ちゃんのドンといってみよう!』のものも合わせたコント集『欽ドン! いってみようやってみよう』が、集英社から刊行され、これもベストセラーとなった。続編がNo.6まで出版された。1975年12月時点で、発行部数はNo.1とNo.2だけで100万部を突破している<ref>{{Cite journal|和書|title=メディアはメディアを触発する アクセス運動時代のメディア変容 / 志賀信夫|journal=月刊アドバタイジング|volume=21|issue=1|publisher=[[電通]]|date=1975-12-25|pages=67|id={{NDLJP|2262237/35}}}}</ref>。2010年現在は絶版。
 
=== ゲーム ===
[[1982年]]、[[エポック社]]から[[ボードゲーム]]「欽ドン!良い子悪い子普通の子ゲーム<ref>{{Cite web|和書|title=まんだらけ通信販売 |url=https://order.mandarake.co.jp/order/detailPage/item?itemCode=1057599724 |website=order.mandarake.co.jp |access-date=2023-07-21}}</ref>」が発売された。プレーヤー全員が投稿者となって葉書をたくさん出し、どのくらい採用されるか、そして採用されたらどのくらいウケるのかを争っていき、最後に欽ドン賞を取った人が勝ち、というルールだった。
 
=== DVD ===
* フジテレビ開局50周年記念DVD 欽ドン!良い子悪い子普通の子DVD-BOX(2枚組) - [[2008年]][[10月15日]]発売、フジテレビ映像企画部/[[ポニーキャニオン]]
 
== その他 ==
* 『コント54号のギャグ大行進 花の五年生』 - コント54号を主人公にした読み切りのギャグ漫画。[[小学館]][[小学館の学年別学習雑誌|小学五年生]]1976年4月号掲載<ref>{{Cite book|title=小学五年生|url=https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000039-I1740833|publisher=小学館|date=1976-04|___location=東京|last=小学館}}</ref>。
* 『欽ドンはこうしてつくられる』 - 『欽ドン!』(テレビ版)の制作過程をレポートした漫画。小学館小学五年生1976年5月号掲載<ref>{{Cite book|title=小学五年生|url=https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000039-I1740834|publisher=小学館|date=1976-05|___location=東京|last=小学館}}</ref>。
* 『ブラパン専科』 - [[風間宏子]]の漫画<ref>{{Cite web|和書|url=https://mediaarts-db.artmuseums.go.jp/id/C274406 |title=ブラパン専科 |access-date=2023年7月11日 |publisher=文化庁}}</ref>。『欽ドン!』(テレビ版)の収録に来た萩本が作中キャラクターと掛け合いをするシーンがある。小学館[[少女コミック]]掲載。
 
== 脚注・出典 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
 
== 関連項目 ==
* [[ニッポン放送番組一覧]]
* [[フジテレビ番組一覧]]
* [[テレビグランドスペシャル]]
* [[土曜グランドスペシャル]]
* [[がんばれ!ピンチヒッターショー]]
* [[欽ちゃんの9時テレビ]]
* [[千代田企画]]
* [[野球道 (フジテレビ系列)]]
* [[コニカカラー|サクラカラー]] - 萩本が出演した24枚入り「サクラカラー24」のCMで「ドーンと撮ってみよう!!」と叫んでいた。
* [[アクサ生命保険]] - 2006年に萩本が出演したCMにおいて「ドンといってみよう」という台詞が存在した。
* [[チコちゃんに叱られる!]] - 2023年7月21日の放送で『甘いものの誘惑』について放送した際、『菌ドン~良い菌 悪い菌 普通の菌~』(パロディ)を放送し、イモ欽トリオ(番組内では『イモ欽トリオ改め腸菌トリオ』と表示)の3人が登場した。イモ欽トリオが、学生服姿でかつ、和室でコントを行うのは約40年ぶりとのこと。
 
== 外部リンク ==
* [https://ch.nicovideo.jp/kinchannel 欽ちゃんネル]
 
 
{{前後番組
|放送局=[[フジネットワーク|フジテレビ系列]]
|放送枠=土曜19:30 - 20時枠
|番組名=欽ちゃんのドンとやってみよう!<br />(第1期)
|前番組=[[オールスター90分]]
|次番組=[[がんばれ!ピンチヒッターショー]]
|2放送局=フジテレビ系列
|2放送枠=土曜20:54 - 20:55
|2番組名=欽ちゃんのドンとやってみよう<br />(第1期)<br />【1分縮小して継続】
|2前番組=オールスター90分<br />※19:30 - 20:55
|2次番組=[[FNNニュース・明日の天気|FNNニュース]]<br />※20:54 - 21:00<br />【1分拡大して継続】
|3放送局=フジテレビ系列
|3放送枠=土曜19:30 - 20:54枠
|3番組名=欽ちゃんのドンとやってみよう!<br />(第2期)
|3前番組=がんばれ!ピンチヒッターショー
|3次番組=[[土曜グランドスペシャル]]
|4番組名=欽ちゃんのドンとやってみよう!<br />(第3期)
|4前番組=土曜グランドスペシャル
|4次番組=[[土曜グランドスペシャル|【正式枠名無し単発枠】]]
|5番組名=欽ちゃんのドンとやってみよう!<br />(第4期)
|5前番組=【正式枠名無し単発枠】
|5次番組=[[土曜ナナハン学園危機一髪]]|}}
 
{{前後番組
|放送局=フジテレビ系列
|放送枠=月曜21時枠
|番組名=欽ドン!良い子悪い子普通の子<br />↓<br />欽ドン!良い子悪い子普通の子おまけの子
|前番組=[[欽ちゃんの9時テレビ]]
|次番組=[[夜はタマたマ男だけ!!]]
|2番組名=マイルド欽ドン!<br />↓<br />欽ドン!お友達テレビ<br />↓<br />欽ドン!ハッケヨーイ笑った!<br />↓<br />欽ドン!スペシャル
|2前番組=夜はタマたマ男だけ!!
|2次番組=[[アナウンサーぷっつん物語]]<br />【本作以降、通称“[[フジテレビ月曜9時枠の連続ドラマ|月9]]”】|}}
 
{{前後番組
|放送局=フジテレビ系列
|放送枠=土曜特番
|番組名=欽ちゃんのドンと行ってみよう!<br />ドバドバ60分!<br />(1974.9.21)
|前番組=[[日本ものまね大賞|爆笑!秋のものまね大賞]]
|次番組=花形力士対抗歌合戦
|2放送局=フジテレビ系列
|2放送枠=[[元日]]19:30 - 20:54枠
|2番組名=欽ちゃんのドンとやってみよう!<br />元日おたのしみ特集<br />(1977.1.1)
|2前番組=[[新春かくし芸大会|第13回<br />新春スターかくし芸大会]]<br />※19:00 - 21:54
|2次番組=19:30-[[ペリーヌ物語]]<br />20:00-[[オールスター家族対抗歌合戦]]
|3放送局=フジテレビ系列
|3放送枠=元日21:00 - 22:48枠
|3番組名=お正月!<br />欽ちゃんのまだまだやってみよう!<br />(1977.1.1)
|3前番組=19:00-新春スターかくし芸大会<br />21:54-[[くいしん坊!万才]]<br />22:00-[[凡児の娘をよろしく]]<br />【[[関西テレビ放送|KTV]]制作】<br />22:30-突撃スター爆笑年賀状
|3次番組=21:00-[[アッ!はぷにんぐ・ニューイヤー]]<br />21:54-くいしん坊!万才<br />22:00-[[ラブラブショー]]<br />22:30-[[パンチDEデート]]<br />【KTV制作】
|4放送局=フジテレビ系列
|4放送枠=[[土曜グランドスペシャル]](第1期)
|4番組名=欽ちゃんのドンとやってみよう!<br />6月編<br />(1978.6.17)
|4前番組=[[オールスター対抗!女子野球大会]]<br />([[日本女子野球連盟#その後|ニューヤンキース]]×オールジャパン)
|4次番組=オールスター対抗!女子野球大会<br />(ニューヤンキース×[[昭和九年会|オールナインズ]])
|5番組名=欽ちゃんのドンとやってみよう!<br />7月編<br />(1978.7.29)
|5前番組=オールスター対抗!女子野球大会<br />(ニューヤンキース×<br />オール[[日活]]フレンドリー)
|5次番組=[[オールスター紅白バレーボール大会|激突!!女子スター選抜<br />バレーボール大会]]
|6番組名=欽ちゃんのドンとやってみよう!<br />8月編<br />(1978.8.19)
|6前番組=[[オールスター紅白水泳大会|真夏の水中フェスティバル・<br />女の子で一杯満員御礼!!]]
|6次番組=[[野球道 (フジテレビ系列)|プロ野球中継]]<br />([[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルト]]×[[読売ジャイアンツ|巨人]])
|}}
 
{{萩本欽一}}
{{松居直美}}
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