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{{otheruses||その他}}
'''株式会社毎日放送'''('''まいにちほうそう''')は、[[1951年]]に開局した[[日本]]初の[[民間放送]]局'''新日本放送'''として設立された[[近畿地方]]の[[中波]](AMラジオ)・[[テレビジョン]]放送事業者。略称 '''MBS'''('''エムビーエス''')。[[英語|英称]] '''Mainichi Broadcasting System,Inc.'''。[[放送対象地域]]は[[近畿広域圏]]。
{{Pathnav|MBSメディアホールディングス|frame=1}}
{{基礎情報 会社
| 社名 = 株式会社毎日放送<ref name="mbs">[https://www.mbs.jp/mbs/ 会社紹介] - 毎日放送</ref>
| 英文社名 = MAINICHI BROADCASTING SYSTEM, INC.<br /><ref name="mbs" />
| ロゴ = [[ファイル:Mainichi Broadcasting System logo.svg|200px]]
| 画像 = [[File:MBS media holdings headquarters in 201909 001.jpg|250px]]
| 画像説明 = 本館(左・M館)と新館(右・B館)
| 種類 = [[株式会社 (日本)|株式会社]]
| 市場情報 =非上場
| 略称 = MBS(エムビーエス)
| 国籍 = {{JPN}}
| 本社郵便番号 = 530-8304<ref name="mbs" />
| 本社所在地 = [[大阪府]][[大阪市]][[北区 (大阪市)|北区]][[茶屋町 (大阪市)|茶屋町]]17番1号<ref name="mbs" />
| 本社緯度度 = 34|本社緯度分 = 42|本社緯度秒 = 30.5|本社N(北緯)及びS(南緯) = N
| 本社経度度 = 135|本社経度分 = 29|本社経度秒 = 59.5|本社E(東経)及びW(西経) = E
| 座標右上表示 = No
| 本社地図国コード = JP
| 設立 = [[2016年]]([[平成]]28年)[[7月28日]]<ref name="mbs" /><br />(毎日放送分割準備株式会社)
| 業種 = 5250
| 法人番号 = 3120001199924
| 事業内容 = 放送法による近畿広域圏向け基幹放送事業(テレビの放送)放送番組の企画、製作ならびに販売 ほか<ref name="mbs" />
| 代表者 = [[代表取締役]][[社長]] [[虫明洋一]]<ref name="mbs" />
| 資本金 = 1億円<br />(2025年3月31日現在)<ref name="fy">[https://www.mbs.jp/mbs/pdf/20250619.pdf 第9期決算情報(100万円未満切捨て)] - 株式会社毎日放送</ref>
| 発行済株式総数 = 2,634万9,800株<br />(2012年6月21日現在)
| 売上高 = 641億7100万円(2024年度)<ref name="fy" />
| 営業利益 = 45億9600万円(2024年度)<ref name="fy" />
| 経常利益 = 46億7300万円(2024年度)<ref name="fy" />
| 純利益 = 29億1700万円(2024年度)<ref name="fy" />
| 純資産 = 207億4300万円(2024年度)<ref name="fy" />
| 総資産 = 372億2400万円(2024年度)<ref name="fy" />
| 従業員数 = 641人(2022年5月現在)
| 決算期 = 3月31日
| 主要株主 = 株式会社[[MBSメディアホールディングス]]<br />100%<ref name="mbs"/>
| 主要子会社 =
| 関係する人物 =
| 外部リンク = https://www.mbs.jp/
| 特記事項 = [[1950年]][[12月27日]]に新日本放送株式会社として創業(法人としては現在のMBSメディアホールディングス)。現法人の株式会社毎日放送は、2017年4月1日に[[放送持株会社]]移行に伴い、毎日放送分割準備株式会社から商号変更<ref name="mbs" />。
}}
{{日本のテレビ局
| 英項名 = Mainichi Broadcasting System
| 英名 = Mainichi Broadcasting System, lnc.
| 画像 =
| 画像説明 =
| 地域 = [[広域放送|近畿広域圏]]
| 系列 = [[ジャパン・ニュース・ネットワーク|JNN]]
| 番組 = TBSテレビネットワーク
| 略 = MBS
| コールサイン = OY
| 愛称 = MBSテレビ<br />MBS毎日放送
| 呼出名称 = まいにちほうそう<br />デジタルテレビジョン
| 郵便番号 = 530-8304
| 都道府県 = [[大阪府]]
| 本社 = [[大阪市]][[北区 (大阪市)|北区]][[茶屋町 (大阪市)|茶屋町]]<br />17-1<!--|電話番号 = 06-6359-1123(代表)-->
| 年 = 1959年
| 月日 = 3月1日
| id = 4
| 都市名 = 大阪
| dch = 16
| ach = 4
| デジ中継局 = [[奈良県]][[生駒市]]鬼取町662番地(親局)
| リンク = https://www.mbs.jp/
| 特記事項 = [[1975年]][[3月30日]]までは、[[オールニッポン・ニュースネットワーク|ANN]]の[[準キー局]]としてNET(現・[[テレビ朝日]])系列に属していた。
}}
 
'''株式会社毎日放送'''(まいにちほうそう、{{lang-en-short|''MAINICHI BROADCASTING SYSTEM, INC.''}}、略称 : '''MBS''')<ref group="注釈">在阪の広域放送を行うテレビ局で唯一、社名が前株になっている(近畿地方の府県域のテレビ局も含めると、[[サンテレビジョン]]・[[京都放送]]・[[テレビ和歌山]]も該当する)。</ref>は、[[MBSメディアホールディングス]]の[[連結子会社]]で、[[広域放送|近畿広域圏]] ([[関西]]2府4県)を[[放送対象地域]]とする[[テレビジョン放送]]事業を行っている[[特定地上基幹放送事業者]]。[[大阪府]][[大阪市]][[北区 (大阪市)|北区]]に本社を置く[[在阪テレビジョン放送局]]。
==本社・支社・支局所在地==
*大阪本社:〒530-8304 [[大阪府]][[大阪市]][[北区 (大阪市)|北区]]茶屋町17-1
**※一部番組は番組専用の番号を取り入れる場合がある。
**(例)「MBSタイガースナイター」→539-0007
*東京支社:[[東京都]][[千代田区]]一ツ橋1-1-1 パレスサイドビル9階
*名古屋支局:[[名古屋市]][[中区 (名古屋市)|中区]]錦3-23-31 栄町ビル6階
 
通称は'''MBS'''(エムビーエス)。[[TBSテレビ|TBS系列]]([[ジャパン・ニュース・ネットワーク|JNN]])の[[準キー局]]で、[[日本の放送局所の呼出符号|コールサイン]]は'''JOOY-DTV'''(大阪 16ch)<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.mbs.jp/kouhou/news/log/20210401_2286.shtml|title=「株式会社MBSラジオ」、「株式会社毎日放送」ラジオ、テレビが独立した会社で再スタートしました|date=2021-4-1|accessdate=2021-4-3|publisher=毎日放送(MBSちゃやまち広報室)}}</ref>、[[リモコンキーID]]は「'''4'''」。
==局データ==
===テレビ放送===
*[[コールサイン]]:'''JOOR-TV''' 毎日放送テレビジョン
**[[チャンネル]]:'''4ch'''
**[[周波数]]:映像 171.25MHz、音声 175.75MHz
**出力:映像 10kw、音声 2.5kw
**送信所 大阪府[[東大阪市]]山手町2028
====中継局====
;大阪府
*[[柏原市|柏原]] 54CH
*[[枚方市|枚方]]尊延寺 53CH(垂直偏波)
*[[河内長野市|河内長野]]寺元 52CH
*河内長野清見台 35CH(垂直偏波)
*泉南金熊寺 54CH
*岬深日 54CH
;滋賀県
*[[大津市|大津]] 36CH
*大津石山 18CH
*大津比叡平 54CH(垂直偏波)
*甲西 55CH
*信楽 33CH
*[[彦根市|彦根]] 54CH
;京都府
*京都八瀬 53CH
*京都山科 54CH
*[[亀岡市|亀岡]] 33CH
*[[福知山市|福知山]] 54CH
*[[舞鶴市|舞鶴]] 53CH
*[[宮津市|宮津]] 33CH
;兵庫県
*神戸摩耶 31CH
*神戸灘 54CH
*神戸住吉川 53CH
*神戸楠谷 53CH
*神戸高座 53CH
*神戸長田 38CH
*西宮山口 55CH
*[[姫路市|姫路]] 54CH
*[[赤穂市|赤穂]] 54CH
*[[城崎町|城崎]] 54CH
*香住 33CH
*[[篠山市|篠山]] 33CH
*浜坂 53CH
;奈良県
*[[生駒市|生駒]]あすか野 37CH(垂直偏波)
*[[桜井市|桜井]]慈恩寺 42CH(垂直偏波)
*吉野 34CH
;和歌山県
*[[和歌山市|和歌山]] 42CH
*[[海南市|海南]] 54CH
*[[橋本市|橋本]] 54CH(垂直偏波)
*[[有田市|有田]] 35CH
*[[御坊市|御坊]] 53CH
*[[田辺市|田辺]] 54CH
*[[串本町|串本]] 53CH
*[[新宮市|新宮]] 36CH
 
[[2017年]][[4月1日]]、初代法人の株式会社毎日放送が認定[[放送持株会社]]に移行したことにより、商号を「株式会社MBSメディアホールディングス」に変更、放送事業などの現業全般は[[会社分割]]により設立された2代目法人の「株式会社毎日放送」(旧:毎日放送分割準備株式会社)が継承した。商号と営業上、初代法人と2代目法人は連続しているため、以下では特記以外は連続して記述する<ref name="mbs" />。
[[徳島県]]・[[福井県]]([[嶺南]])へも電波が届いており、[[JNN]]系列の無いこれらの地域も視聴者が多い。
 
== 概要 ==
====ケーブルテレビ再送信局====
[[TBSテレビ]]をキー局とする[[ジャパン・ニュース・ネットワーク|ジャパン・ニュース・ネットワーク(JNN)]]の基幹局。JNNでは「五社連盟」に加盟しており、親会社である[[MBSメディアホールディングス]]は[[TBSホールディングス]]の大株主でもある。[[Gガイド]]の番組データの配信を行っており<ref group="注釈">2004年11月30日まで、近畿広域圏では[[オールニッポン・ニュースネットワーク|ANN]]系列局の[[朝日放送テレビ|朝日放送]]も[[電子番組ガイド|EPG]]のホスト局だったが、システム更新時にGガイドの配信を行っている本局に一本化され、現在は本局のみで近畿広域圏内のEPGの番組データの配信を行っている。</ref>、かつては民放テレビ局が[[日本ニュースネットワーク|NNN]]/[[日本テレビネットワーク協議会|NNS]]系列局のみである[[徳島県]]にもアナログGガイドの番組データの配信対応をしていた<ref group="注釈">このようなかつて[[ジャパン・ニュース・ネットワーク|JNN]]系列局が同系列局が存在しない地域へのアナログGガイドの番組データの配信対応をしていた局は[[Gガイド#かつての放送対象エリア|'''こちらの項''']]を参照。</ref>。
以下の[[ケーブルテレビ]]ではテレビが再送信されている。
* [[福井県]]
** [[ケーブルテレビ若狭小浜]](チャンネルO)
** [[嶺南ケーブルネットワーク]]
* [[三重県]]
** [[アドバンスコープ]]
** [[伊賀上野ケーブルテレビ]](ICT)
** [[ZTV]](東紀州地域のみ)
* [[徳島県]]
** [[石井町有線放送農業協同組合]](IHK 石井CATV)
** [[エーアイテレビ]]
** [[ケーブルテレビ徳島]](テレビトクシマ)
** [[国府町CATV]]
** [[テレビ鳴門]]
** [[徳島中央テレビ]](JCTV)
** [[東阿波ケーブルテレビ]](e-あわネット)
** [[ひのき]](北島CATV)
** [[鷲敷町ケーブルテレビ]](WHK)
* [[香川県]]
** [[香川テレビ放送網]](KBN)
** [[さぬき市ケーブルネットワーク]](SCN)
 
また、[[1959年]]にMBSがテレビ放送を開始してから[[ネットチェンジ|腸捻転を解消する]]までの16年1か月の間は、NETテレビ(現在の[[テレビ朝日]])を[[キー局]]とし、[[オールニッポン・ニュースネットワーク|オールニッポン・ニュースネットワーク(ANN)]]にも属していた<ref group="注釈">逆に現在ANNに属する[[朝日放送テレビ|ABCテレビ]]はJNNに属していた。</ref>。これと同時期に、東京12チャンネル(現在の[[テレビ東京]])ともネットを結んでいた(詳細は[[毎日放送#クロスネット局化と腸捻転の解消|後述]])。
*従来、平日(金曜除く)の早朝5:00~5:30に[[サイマル放送]]されていた[[JNNニュースバード]]が2004年8月より[[フィラー]]番組として放送時間を拡大し、通常放送番組の終了後~5:30(金曜日のみ5:00まで)に放送されている。なお1日の基点を4:45(土・日は5:00)に設定しているため、一旦4:44(同4:59)に開始映像(ジャンクションともいう)を挿入する。
===ラジオ放送===
*コールサイン:'''JOOR''' 毎日放送ラジオ
**周波数:'''1179kHz'''
**出力 50kw
**送信所 大阪府[[高石市]]西取石6-6-45(鴨公園南方)
 
[[2011年]][[7月24日]]の[[日本の地上デジタルテレビ放送|地上デジタル放送]]完全移行を機に、同日付の新聞・[[テレビ情報誌]]などの表記が、(テレビ放送)開局以来使われてきた「'''毎日テレビ'''」(または「'''毎日'''」)から「'''MBSテレビ'''」(または「'''MBS'''」)に統一された。[[地上デジタルテレビ放送]]の[[Gガイド]]では「'''MBS毎日放送'''」と表記している。[[2011年]][[7月23日]]までは一般呼称を「'''毎日放送テレビ'''」としていた他、単に'''MBS'''と呼称される場合や、[[アナログ放送]]時代には新聞などのラジオ・テレビ欄では「毎日テレビ」と表記されていたが、[[中日新聞]](伊賀・紀州・滋賀・福井版のみ)と[[日刊県民福井]]ではラジオと同様「'''毎日 MBS'''」と、[[スポーツニッポン]]と[[日刊スポーツ]]、[[神戸新聞]]、[[デイリースポーツ]]では「毎日」と表記されていた。なお、当時は[[MBSラジオ|ラジオ部門]]とは異なり、「MBSテレビ」と呼称されることは稀であった。
*4:00(土曜日4:50、日曜日5:00)を基点に24時間放送(日曜深夜2:25~月曜未明4:00は原則休止。ナイター延長による短縮あり)。
====ラジオのネットワーク====
ラジオは[[TBSラジオ&コミュニケーションズ|TBSラジオ]]をキー局とする[[JRN]]と[[文化放送]]、[[ニッポン放送]]をキー局とする[[全国ラジオネットワーク|NRN]]のネットワークに属する(プロ野球及び競馬中継のネットワークは複雑である。詳しくは「[[MBSタイガースナイター|タイガースナイター]]」、「[[サンデー競馬中継 みんなの競馬|みんなの競馬]]」を参照)。ラジオのニュース番組は、[[毎日新聞|毎日新聞社]]、[[JNN]]から配信のニュースも伝えている(ラジオのニュースタイトルは、開局当初は『毎日新聞ニュース』だったが、その後『毎日ニュース』を経て、現在は『MBSニュース』となっている)。ラジオの[[時報]][[CM]]は[[スジャータ]]。
 
[[2017年]][[4月1日]]に商号を「'''MBSメディアホールディングス'''」へ変更するとともに、テレビ・ラジオ両放送事業を「(新)'''毎日放送'''」が引き継いだ。その後、2021年4月1日にはMBSメディアホールディングスの完全子会社として新たに設立された「'''株式会社MBSラジオ'''」に毎日放送が保有してきたラジオ放送免許とラジオ放送事業を承継し、テレビ単営局へと移行した<ref name="mbs" />。
また日本の民放AMラジオ局では唯一、[[創価学会]]と[[聖教新聞]]のCMを流していない。(FMラジオでは[[J-WAVE]]など)<BR>
このため創価学会提供の[[あなたへモーニングコール]]は[[大阪放送|ラジオ大阪]]、聖教新聞提供の[[日本列島ほっと通信]]は[[朝日放送]]がネットしている。
 
在阪放送局中、同社と[[朝日放送テレビ]](ABCテレビ)、[[関西テレビ放送|関西テレビ]](関テレ)の3社は各々の在京キー局([[TBSテレビ]]、[[テレビ朝日]]、[[フジテレビジョン|フジテレビ]])より開局が早い。これは、この3社とキー局3社とは設立当時それぞれがまったくの無関係だったことによる。ただし、ラジオ放送開始が日本でも最古参なのとは裏腹に、テレビ放送開始は在阪局の中でも4番目と遅く、放送開始日は現キー局のTBSテレビより約4年、旧キー局のテレビ朝日(当時は日本教育テレビ〈NETテレビ〉)と比べてもほぼ同時期だが1か月遅れている。一方、[[読売テレビ放送|読売テレビ]]と[[テレビ大阪]]はそれぞれのキー局の意向で設立されたため、キー局よりも遅い開局となっている。
===デジタルテレビ放送===
*コールサイン:'''JOOR-DTV''' 毎日放送デジタルテレビジョン
**チャンネル:'''16ch''' '''([[リモコンキーID]]4)'''
**周波数 491.142857MHZ
**出力 3kw(2005年末以降)
**2005年末以降の[[放送#放送区域|放送区域]]内世帯数 約580万世帯
===オープニング(放送開始時)・エンディング(放送終了時)===
====テレビ====
*[[1990年]][[9月]]の茶屋町本社移転まで、オープニング・エンディングとも千里丘放送センターの社屋の映像をバックに放送していた。使用されていた曲は、[[池辺晋一郎]]作曲の「毎日放送開始・終了の音楽」であった。
*1990年9月に現在の梅田・茶屋町に本社・放送センターを移転してからは、これまでの音楽の使用をやめて別の音楽を使用し、局舎(スタジオ内部や副調整室などの映像を盛り込んだ)とその周辺の映像が使用された。(音楽は途中で変更された)
*[[2003年]][[12月1日]]から現在は、デジタル放送開始に併せて[[ハイビジョン]]によって製作されたサービスエリアである関西各地の名所を織り込んだ映像と前バージョン放映中に変更された音楽を使用した新バージョンになった。(これまで同様オープニングとエンディングでは内容が異なる。但し[[2004年]][[8月]]から24時間放送=日曜深夜~月曜未明を除く=が始まったため、オープニングを1日の基点(平日4:44、週末4:59)に[[ジャンクション (放送)|ジャンクション]]として放送しており、エンディングの放送は放送休止の時のみに放送されている)
 
[[福岡県]]の[[RKB毎日放送]]とは繋がりが強く、ラジオ番組の共同制作や共同セールスを行ったり、テレビでは[[ネットチェンジ|腸捻転]]時代も[[オールニッポン・ニュースネットワーク|テレビ朝日系列]]の[[九州朝日放送]](KBC)の編成から外れた自社制作番組を販売またはスポンサードネットしていた他、健康保険組合を共同で設立するなど姉妹会社の様相を呈している。なお、アナログ親局やデジタル放送における[[リモコンキーID]]も同じ「'''4'''」となっている。[[三菱UFJ銀行]]や[[りそな銀行]]とも関係が親密である。
====ラジオ====
現在も「毎日放送開始・終了の音楽」が1週間のラジオ放送開始時刻とされる月曜午前3時59分に演奏されている
 
[[FM802]]には、[[ニッポン放送]]とともに主要株主として設立に携わっている。設立時にはニッポン放送から編成、毎日放送から営業の責任者が出向していた。現在でも、イベントを共催することが多い。[[2019年]]7月には、FM802および同社が運営する[[FM COCOLO]]との間で災害情報共有パートナーシップ協定を締結した<ref>[https://www.mbs.jp/kouhou/news/log/190724_2.pdf 社長記者会見を開催](毎日放送[[2019年]][[7月24日]]付プレスリリース)</ref>。
===[[時刻出し]](テレビのみ)===
*2004年8月から[[フィラー]]時間帯は[[JNNニュースバード]]の[[サイマル放送]]となり、この時間中は同チャンネルで使用している時刻表示をそのまま使用している。
**参考までに触れるがJNNニュースバードの時刻出しパターンは、フル画像のバージョンで左上に時刻(但し衛星利用のため1~2秒程度の[[タイムラグ]]=遅れが生じる)を出し、その下に[[ニューヨーク]]株式・為替の市況状況。その隣に全国主要都市の天気と降水確率・気温のテロップを出すもの。もう一つはL字型画面で画面の左に全国各都道府県の県庁所在地の天気と気温、画面下にロールテロップで最新ニュースを流すパターンがある。使い分けは時間や曜日にもよる。
**またJNNニュースバード放送中のCMであるが、4:45(土・日5:00)まではそれで流れるCMをサイマルで放送(但し通常放送終了後からの放送となるため番組の途中から入ることもある)、それ以降はCM部分は毎日放送のイベント情報のスポットに差し替えている。(CM中は時刻出しをしていない)
*毎週月曜日の未明はメンテナンスのため、4:45までサイマルは行わず、フィラー中は[[お天気カメラ]]を使用する。この時は画面の左下に時刻、右下に日付とMBSのロゴ、そして撮影場所を記している。
*早朝の放送開始時(フィラー明け)~9:52、平日5:30~8:30の「[[ウォッチ!]]」、「[[あん!]]」の放送中はカスタム表示で、白地に青の縁取りをし、若干縦に長いフォントを使用している(CM中は白地に黒の縁取りの一般的なフォント)。5:55から8:30までは天気予報テロップ(近畿圏と徳島、東京)を併記。過去には朝7時台のワイド番組(「モーニングジャンボ」「朝のホットライン」などの時代)で時刻を秒単位まで表示したことがあった。
*平日8:30~9:55(『[[はなまるマーケット]]』第一部)と17:50~18:54のニュース枠(『[[JNNニュースの森]]』と『[[VOICE]]』枠内)や土曜・日曜の早朝帯(『[[知っとこ!]]』、『[[サンデーモーニング]]』など)はCM中も含めてカスタム表示を行っているが、平日朝のものとは異なるフォントを使用している。
 
== 企業情報 ==
===試験電波音楽(テレビのみ)===
=== 本社 ===
*[[#時刻出し(テレビのみ)|テレビの時刻出し]]の項でも触れたが2004年8月からMBSテレビでは毎日4:45(土・日は5:00)を起点にした24時間放送(月曜日未明はメンテナンスのため休止する4:45までは[[カラーバー]]や[[お天気カメラ]]を挿入)となったが、毎日4:44(土・日は4:59)から1分間放送される開始映像(ジャンクション)の前にこれまで放送終了時にフルコーラスで演奏された[[押尾コータロー]]の「[[ちいさな輝き]]」という曲の[[ギター]]演奏が一部放送されている。
[[ファイル:Galaxy Hall.JPG|thumb|right|200px|旧ギャラクシーホールエントランス(現在のM館1階:「ちゃやまちプラザ Live Space」に活用)]]
*24時間放送以前(~2004・7)は開始5分ほど前からラジオ番組「[[こども音楽コンクール]]」の西日本地区・Aブロック予選会(近畿地方と徳島県対象)に参加した[[学校]]の演奏が毎日1曲ずつ放送されていた。
* 所在地:〒530-8304 [[大阪府]][[大阪市]][[北区 (大阪市)|北区]][[茶屋町 (大阪市)|茶屋町]]17-1
* 交通 : [[大阪梅田駅 (阪急)]] 茶屋町口から徒歩約5分。[[西日本旅客鉄道|JR西日本]] [[大阪駅]]、[[大阪梅田駅 (阪神)]]、[[大阪市高速電気軌道]] [[梅田駅 (Osaka Metro)|梅田駅]]・[[中津駅 (Osaka Metro)|中津駅]]・[[東梅田駅]]・[[西梅田駅]]から徒歩約10分。
* 一部の番組には「番組専用郵便番号」が存在する<ref group="注釈">『[[MBSベースボールパーク]]』(ラジオ番組)、『[[ちちんぷいぷい (テレビ番組)|ちちんぷいぷい]]』など</ref>。
 
[[在阪テレビジョン放送局]]の中でも人通りが多い場所にあり、本社前は、[[平日]]では[[通勤]]者の通り道にもなっている。近隣には、[[梅田芸術劇場]]が入居する「[[ちゃやまちアプローズ]]」、[[阪急電鉄本社ビル]]、梅田[[ロフト (雑貨店)|ロフト]]、[[NU茶屋町]]などの業務・商業施設が立ち並び、阪急[[阪急神戸本線|神戸]]・[[阪急宝塚本線|宝塚]]・[[阪急京都本線|京都]]各線の大阪梅田駅 - [[中津駅 (阪急)|中津駅]]間および[[JR京都線]]大阪駅 - [[新大阪駅]]間を走行する列車の車内から現社屋ビルを確認可能である。上部部分は「M」の文字を象った形をしている。「毎日」('''M'''ainichi)をイメージした造型だとの文献も散見されているが、当時この空域で[[NTT]]の電波が送信されており、建物の高さ制限があったため、このデザインとなった{{要出典|date=2021年10月}}。
===その他===
*夜間における緊急事態発生に備え、局アナ1人と制作・技術・報道部門のスタッフ数人が局に毎日交替で泊まり込む「[[交代勤務|宿直勤務]]制度」を敷いている。
*代表取締役社長は[[山本雅弘 (毎日放送)|山本雅弘]]。
*[[東京放送|TBS]]、[[テレビ東京]]、[[RKB毎日放送]]の大株主である。
*情報誌「[[MBSドクホン]]」を改編期ごとに(おおよそ2ヶ月に1回のペース)発行している。
*2004年8月からテレビ放送のマスコットキャラクターとして「らいよんちゃん」が登場している。これは[[ライオン]]を擬人化したもので、マスコット名の「らいよん」はそのライオンとテレビ放送のチャンネル「第4チャンネル」を絡ませたものである。テレビのローカル放送枠のID画面などで随時登場している。
 
==沿革== 歴史 ====
{{See2|旧社屋については「[[毎日大阪会館]]」「[[毎日放送千里丘放送センター]]」を}}
*1950年12月27日 「新日本放送株式会社」設立
現在の社屋は、[[1990年]](平成2年)9月1日に大阪市北区茶屋町の[[阪急百貨店]]流通センター跡地に本館(現:M館)が完成。[[毎日大阪会館]]にあった営業・経理などの本社機能と、[[毎日放送千里丘放送センター|千里丘放送センター]]にあった報道局などの部署、千里丘で制作されていたテレビ・ラジオ番組の一部を除いて茶屋町の新社屋に移転して<ref group="注釈">但し暫くは、ラジオ番組の一部を梅田の[[阪急グランドビル]]内にあった[[サテライトスタジオ]]「ラジオポートMBS」で制作して、『[[すてきな出逢い いい朝8時]]』などのテレビ番組制作は千里丘に残った。</ref>、同日からテレビは2日間、ラジオは5日間にわたって、開局40周年・新社屋放送開始記念の特別番組を制作・放送した。
*1951年9月1日 ラジオ本放送開始 ([[中部日本放送]]より半日遅れて本放送開始。民放では日本で2番目)
*1958年6月1日 社名を「株式会社毎日放送」に改称
*1959年3月1日 テレビジョン本放送開始。日本教育テレビ(NET)・フジテレビとネットワークを結ぶ(翌年NETに一本化。)
*1960年 大阪府吹田市の[[千里丘陵]]に「千里丘スタジオ」完成。番組制作機能を移転
*1964年 TBSラジオ、RKB毎日放送と暫定ラジオネットワークを結成(翌年[[JRN]]に発展)
*1967年 テレビのカラー放送開始
*1970年 テレビニュースネットワーク、[[ANN]]に加盟
*1975年3月31日 テレビのMBS‐TBS新ネットワーク体制スタート。[[朝日放送]]に代わって、五社連盟([[北海道放送]]、東京放送、中部日本放送、毎日放送、RKB毎日放送)、[[JNN]]にそれぞれ加盟、[[東芝日曜劇場]]の制作にも参加
*1978年11月23日 ラジオの周波数が1210kHzから1179kHzに変更(午前5時)
*1990年 大阪市北区茶屋町に新本社・放送センター完成。同区[[堂島]](毎日新聞大阪本社ビル内)にあった本社機能と[[吹田市]]千里丘にあった放送センター機能を移転統合
*1992年3月15日 ラジオのAMステレオ放送開始(午前9時)
*2001年 [[ユニバーサル・スタジオ・ジャパン]]内に「MBSスタジオin USJ」完成
*2003年 [[なんばパークス]]内にラジオ局のサテライトスタジオとなるパークスラジオパラダイスをオープン
**12月1日午前11時 [[地上デジタルテレビジョン放送]]開始
*2004年 放送局主体のイベントとしては関西初となる[[大阪城公園#オーサカキング|『オーサカキング』]]を大阪城公園一帯で開催、40万人を超える人出となる
===設立===
[[第二次世界大戦]]終結から間もない[[1947年]]、[[GHQ]]が「放送基本法」と「[[電波三法]]」([[放送法]]・[[電波法]]・[[電波監理委員会設置法]])の立法措置を指令し、[[1950年]][[6月]]に施行された。これを契機に「民間放送」の設立が日本各地で相次ぎ、施行前の1950年[[4月21日]]、民間放送会社16社に予備免許が下りた。そのうちの一つ、'''新日本放送株式会社'''('''しんにっぽんほうそう'''、略称 '''NJB'''、[[英語|英称]] '''New Japan Broadcasting System,Inc.''')は、[[関西]]政・財界の支援の下、[[毎日新聞|毎日新聞社]]と[[京阪神急行電鉄]]を中心に設立された。
 
同日のグランドオープン以来、1階の大半を「アトリウム」(オープンスペース)としてテレビ・ラジオ番組の生中継・収録や各種イベントに利用。「MBSグッズショップ」(旧名称は「エムぞうの店」→「ネビュラ」)や[[タリーズコーヒー]]の支店(1990年のオープン当初は「スターシップ」というレストランだった)も入居していた。2階では、オープン当初、「ギャラクシーホール」という名称でコンサートホールの機能を持たせていた。後に、「ギャラクシースタジオ」へ転用。テレビの生放送番組や公開収録・イベントに用いられていた。
===民放初の試験電波発射===
[[1951年]][[7月8日]]、22時00分~22時30分、日本の民間放送として初めて試験電波を発射。<br>
監理局の指示によりアナウンス「NJB」と「JOOR」、レコード音楽のみ。 7月12日、26日にも実施。<br>
[[1951年]][[8月15日]]、サービス放送開始。12時00分、14時00分、16時00分、18時00分、20時00分から各1時間放送。
 
[[2010年]]7月、本社北側に[[免震]]構造の地上15階地下1階の新館(完成に伴い「'''B館'''」と呼称<ref name="mainichi jp 20130904">[https://web.archive.org/web/20130921054315/http://mainichi.jp/area/news/20130904ddf041020009000c.html MBS:本社北側に新館] - 毎日jp(大阪夕刊、2013年9月4日付、同年12月6日閲覧) ※[[インターネットアーカイブ]]</ref>)を建設することを発表。[[大阪市]]から「企業・大学等立地促進助成制度」を適用され<ref>[https://www.city.osaka.lg.jp/keizaisenryaku/page/0000120596.html (株)毎日放送本社新館を助成対象として決定しました](大阪市経済戦略局企業立地部企業立地課2011年4月11日付プレスリリース){{リンク切れ|date=2017年9月}}</ref>、[[2011年]]4月に着工、[[2013年]]9月4日に竣工した。新館がB館という名称になったことに伴い、本館は「M館」の名称が付けられた。ちなみに、「'''M館'''」「'''B館'''」という呼称は、毎日放送の略称である「'''MBS'''」に由来している。ただし、「'''B館'''」の運用開始時点で、正式に「'''S館'''」という呼称を付けた施設・社屋は実在しない<ref group="注釈">ただし [https://www.facebook.com/MBS.fan/photos/a.139040149584335.30671.129413530546997/225997777555238/ 毎日放送の公式フェイスブック] では「「M館」→「MAIN」の「M」、「B館」→「BASE」(=基地)の「B」、「S館」(千里丘)→「STORAGE」(=倉庫)」とコメントしている(2013年9月4日)</ref>。<!--なお、「S館」と呼称する施設は2014年時点では存在しないが、新館建設室の担当者--><!--(の赤城)--><!--は「S館は将来君たちが作るんだよ(笑)」「(S館ができるまでは)千里丘ミリカセンターをS館と呼んでおこうか」とそれぞれコメントしている。--><!--未来予測はWikipediaには不要および、コメント部分は検証可能性を満たす出典がないためコメントアウト。特筆たりうる内容か否かも一切不明。-->
===ラジオ本放送開始===
[[1951年]][[9月1日]]、[[大阪市]][[北区 (大阪市)|北区]]角田町の[[阪急百貨店]]梅田本店の屋上に建てられたスタジオから[[中波放送]]を開始。同じ日の朝に開局した[[名古屋市]]の[[中部日本放送]]([[CBC]])に続いて昼に放送を開始した。第一声は、坂本登志子アナウンサーの「JOOR、みなさまの新日本放送でございます」だった。開局当初は、「うっかりテスト」、「知らぬが佛(ほとけ)」、「バイバイ・ゲーム」、「おたのしみヒント」といった、一般参加のバラエティー番組が中心の編成だった。
 
「'''B館'''」は、MBSテレビのチャンネル番号('''4''')とMBSラジオの周波数('''1179''')にちなんで、201'''4'''年'''4'''月'''4'''日午前'''11'''時'''7'''分'''9'''秒にグランドオープン<ref>[https://web.archive.org/web/20130921054315/http://mainichi.jp/area/news/20130904ddf041020009000c.html MBS:本社北側に新館]([[インターネットアーカイブ]]) - 毎日新聞・2013年9月4日付掲載記事</ref><ref>[https://www.facebook.com/honane/posts/428956920513142 ほなね君(毎日放送)] - 公式Facebookアカウント(2013年2月12日エントリー)</ref>。[[MBSラジオ]]では、『MBSグランドオープンスペシャル 上泉雄一のええなぁ!公開生放送』(月-金曜にレギュラー放送中の生ワイド番組『[[上泉雄一のええなぁ!]]』がベースの記念特別番組)の中でその瞬間を伝えた<ref group="注釈">MBSテレビでは、TBSテレビからの同時ネットで『[[ひるおび!]]』を放送していた。</ref>。
===テレビ放送開始===
[[画像:Osaka_Mainichi2.jpg|thumb|毎日新聞大阪本社旧社屋(毎日大阪会館) ここにかつて毎日放送の社屋もあった]]
[[1956年]][[12月1日]]に[[朝日放送]]と合弁で'''大阪テレビ放送株式会社'''('''おおさかてれびほうそう''' 略称 '''OTV'''、JOBX-TV 6ch)を設立してテレビ放送に参入した。大阪ではその後、もう一つテレビチャンネルが割り当てられ、ともに独自のテレビ局を持ちたい朝日放送と新日本放送は、別々に免許を申請。競願の結果、朝日放送は大阪テレビ放送と合併する事となり、新日本放送は[[1958年]][[6月1日]]に毎日放送と改称した上で、[[1959年]][[3月1日]]、独自にテレビ局を準教育テレビ局として開局した。開局当初のテレビスタジオは、大阪市北区堂島の毎日大阪会館南館12階にあった。
 
「'''B館'''」には、完成時点で存在していた[[千里丘ミリカセンター]]から機能移転した中継基地(中継車車庫含む)、「[[MBSスタジオ in USJ]]」から機能を移転させたテレビ番組用の2つのスタジオ、オフィス、ヘリポート、高さ約36[[メートル|m]](地上からの高さ約117m)の電波用鉄塔などを設置。従来の社屋(「'''B館'''」の竣工を機に「'''M館'''」と呼称<ref name="mainichi jp 20130904"/>)とは、2・12・13階に設けた渡り廊下で接続する。2015年4月20日には「'''M館'''」で運用していた[[主調整室]](マスター)を更新に伴い移転し運用を開始した<ref group="注釈">放送技術67巻8月号 新マスター稼働後はワンセグ2サービスやHD+SDマルチ編成が可能になる。</ref>。
毎日放送テレビは、当初は'''ラジオ東京テレビ'''('''KRT'''。現在の[[TBS]])とのネットを目論み、1958年[[12月1日]]に開局する予定だったが、KRTの今道潤三常務(当時、のちにTBS社長を歴任)から「KRTは既に大阪テレビ放送とネット協定を結んでおり、毎日放送とネットを組むことはできない。ネット番組はそう簡単に動かせない。」とネット関係を拒まれた。次善策として、高橋信三専務(のち社長)と個人的に親交のあった[[鹿内信隆]]・[[ニッポン放送]]専務(のち社長)が専務を務める'''[[フジテレビ]]'''とのネット関係樹立を目論んでいたが、これも同社社長の水野成夫が[[関西テレビ]]の母体である[[産経新聞社]]の社長に就任し、結果としてフジテレビと関西テレビとの関係強化が図られたため、断念。結局'''日本教育テレビ'''('''NET'''。現在の[[テレビ朝日]])とネットを組まざるを得ないことになり、開局の予定が3カ月遅れてのスタートとなった。それでも開局当初は、NETの他、スポンサーの関係でKRTやフジテレビの番組も一部ネットされていた。
 
「'''B館'''」の運用を開始する2014年4月4日から、特別番組の放送や視聴者も参加できる記念イベント(「1万人のテープカット」「チャリウッド2014」など)を開催。「'''M館'''」(本社屋)の1階でもB館建築により大幅な改修工事が行われ、タリーズコーヒーのスペースを移動させたうえで、跡地に在阪放送局の社屋内では初めての試みとして、「らいよんデイリーストア」([[デイリーヤマザキ]]に「MBSグッズショップ」の機能を統合させた[[コンビニエンスストア]])を開店した。「'''M館'''」では、「ギャラクシースタジオ」の名称を「Cスタジオ」へ変更する一方で、「Cスタジオ」を「ギャラクシーホール」として運用していた時期に活用していた1階のエントランスおよび「アトリウム」を一般にも利用できる「'''ちゃやまちプラザ'''」(放送上の通称は「'''ちゃプラステージ'''」)にリニューアル。旧エントランスを「'''ちゃやまちプラザ Live Space'''」、旧「アトリウム」を「'''ちゃやまちプラザ Lobby Space'''」として、番組の生中継・公開収録やイベントなどで定期的に活用するようになった<ref>[https://www.mbs.jp/plaza/ 2014年4月4日。MBS本社1階に「ちゃやまちプラザ」がオープンします。]</ref>。「'''ちゃやまちプラザ Live Space'''」については、『MBSグランドオープンスペシャル 上泉雄一のええなぁ!公開生放送』から、番組での使用を開始した。M館のほぼ南(「らいよんデイリーストア」西口の隣)に位置している「マーらいよん石像モニュメント」は、木目のベンチと一体になっていて、石像の視野が西側へ向くように設計されている。
毎日大阪会館南館に設けられたスタジオは小さい上に狭く、使い勝手が悪かった。こうしたスタジオ事情を逆手に取り、難波南街会館からの「[[番頭はんと丁稚どん]]」([[七ふく]]提供)や[[うめだ花月|うめだ花月劇場]]からの[[吉本新喜劇]]中継([[大正製薬]]提供)などが生み出され、これら公開番組は大いに好評を得た。
 
当社がテレビ放送事業開始60周年を迎えた2018年からは、生放送への対応や報道・制作両局間の連携を強化する目的で、「'''M館'''」の2階を「ライブセンター」として新装する工事に着手。Cスタジオ(ギャラクシースタジオ)を含むスペースを、生放送の情報番組と連動した「情報フロア」へ改装したうえで、2019年1月28日(月曜日)の『[[ちちんぷいぷい (テレビ番組)|ちちんぷいぷい]]』(テレビの生放送番組)から運用を開始した<ref name="MBS 生放送を一層重視…番組に来年2月に「ライブセンター」完成で">[https://www.daily.co.jp/gossip/2018/01/18/0010908441.shtml MBS 生放送を一層重視…番組に来年2月に「ライブセンター」完成で](『[[デイリースポーツ]]』2018年1月18日付記事)</ref><ref>{{Cite web|和書|date= 2019-01-18|url= https://www.mbs.jp/kouhou/news/log/190118.pdf|title= 社長記者会見を開催しました|format=PDF |publisher= 毎日放送|accessdate=2019-01-20}}</ref>。さらに、M館1階の「'''ちゃプラステージ'''」も、「ライブセンター」へ組み込むことを前提に改装された<ref name="hochi.co.jp">[https://hochi.news/articles/20190118-OHT1T50141.html 毎日放送の新情報発信基地「MBSライブセンター」が28日に「ちちんぷいぷい」生放送で始動](『[[スポーツ報知]]』2019年1月18日付記事)</ref>。
ニュース番組はもっと苦戦し、当初は一日二回(日曜日は無し)の「[[毎日新聞ニュース]]」がKRTから送られてくる以外は、全て自主製作で放送した。1年後、ようやくNETテレビとニュースネットが結ばれたが、そのニュースは「'''NETニュース 朝日新聞製作'''」であり、朝日新聞社旗がはためくオープニングをむりやり「MBSニュース」のタイトルに差し替えて凌いだ。1970年1月よりNET発のタイトルは「'''ANNニュース'''」に替わったが、毎日放送では3か月間「MBSニュース」のタイトルで押し通した。この時毎日放送側は「ANN」(All-nippon News Network)の「A」を「AsahiのA」だと思っていたとの事である。
 
=== 日本国内の支社・支局 ===
[[1960年]]、[[日本万国博覧会]]([[1970年]]開催)の開催地に内定していた大阪府[[吹田市]]の[[千里丘陵]]に、近代的なテレビとラジオの総合スタジオ「'''千里丘スタジオ'''」を開設、テレビとラジオの部署と報道、制作などの機能が堂島から千里丘に移転した(但し、登記上の本社と営業の部署は堂島に残る)。「[[アップダウンクイズ]]」や「[[がっちり買いまショウ]]」などの名番組がこのスタジオから世に出た。
[[ファイル:Akasaka-Biz-Tower-01.jpg|thumb|200px|毎日放送東京支社が入居する赤坂Bizタワー]]
* 東京支社
** 所在地:〒107-6328 [[東京都]][[港区 (東京都)|港区]][[赤坂 (東京都港区)|赤坂]]5丁目3-1 [[赤坂Bizタワー]]28階
*: [[2008年]](平成20年)[[2月12日]]より、[[パレスサイドビルディング]](東京都[[千代田区]][[一ツ橋]]1丁目1番1号・[[毎日新聞東京本社]]も入居)内から旧・[[赤坂メディアビル]]再開発計画である複合施設『[[赤坂サカス]]』の中核をなす高層ビル「[[赤坂Bizタワー]]」に移転。生放送に対応したラジオ・テレビ兼用の多目的スタジオ「'''MBS Tokyo Biz Studio'''」を設置しており、東京での番組制作などで使われる。本社(茶屋町)と東京支社は常設回線で結ばれており、東京支社内で毎日放送のテレビ・ラジオ放送がリアルタイムに視聴・聴取できる。赤坂Bizタワーはキー局の[[TBSホールディングス|TBS HD]]が所有している土地・建物であり、TBSHDの敷地内に毎日放送東京支社があることになる<ref group="注釈">在京キー局の本社周辺に在阪準キー局が東京支社を構えているのは、毎日放送と[[日本テレビ系列]]の[[読売テレビ放送|読売テレビ]]の2局のみである。読売テレビの東京支社は以前[[汐留シティセンター]]に構えていたが2009年(平成21年)11月に[[汐留]]の日本テレビ本社などが入居する「[[日本テレビタワー]]」に移転し、在阪準キー局の東京支社で唯一読売テレビが、在京キー局の本社ビルに入居する形となった。</ref>。
** 交通:[[東京地下鉄|東京メトロ]][[東京メトロ千代田線|千代田線]] [[赤坂駅 (東京都)|赤坂駅]]の地下2階から直結。同[[東京メトロ銀座線|銀座線]]・[[東京メトロ丸ノ内線|丸ノ内線]] [[赤坂見附駅]]から徒歩5分、同銀座線・[[東京メトロ南北線|南北線]] [[溜池山王駅]]から徒歩6分。
* 京都支局<ref>[http://www.pref.kyoto.jp/asu-fuminkaigi/kouseidantai.html きょうと地域創成府民会議構成団体順不同] - [[京都府]](2012年8月25日閲覧)</ref>
** 所在地:〒604-8186 [[京都府]][[京都市]][[中京区]][[車屋町通]][[御池通|御池]]下ル梅屋町358 アーバネックス御池ビル西館
*: 京都府・[[滋賀県]]全域および[[福井県]]南部の報道取材拠点で、報道局から3名の記者が常駐している<ref>[https://www.mbs.jp/monthly/archive/20201019/ 『MBSマンスリーリポート』2020年11月1日放送分特集「京都支局の記者に密着」]</ref>。
* 神戸支局
** 所在地:〒650-0033<ref>[https://www.post.japanpost.jp/cgi-zip/zipcode.php?pref=28&city=1281100&id=111661 兵庫県 神戸市中央区 江戸町の郵便番号] - [[日本郵便]]</ref>[[兵庫県]][[神戸市]][[中央区 (神戸市)|中央区]][[江戸町 (神戸市)|江戸町]]95 [[井門グループ#主な井門ビル|井門神戸ビル]]13階<ref>[http://zenkoku-office.doorblog.jp/archives/46626307.html 井門神戸ビルの入居テナント情報]</ref>
*: 兵庫県内の報道取材拠点で、報道局から若干名の記者が常駐している。
* 名古屋支局
** 所在地:〒460-0003 [[愛知県]][[名古屋市]][[中区 (名古屋市)|中区]][[錦三丁目|錦3丁目]]6-35 [[ワキタ]]名古屋ビル8階<ref>[https://www.google.co.jp/maps/place/〒460-0003+愛知県名古屋市中区錦3丁目6%E2%88%9235/@35.1725022,136.9067896,21z/data=!4m5!3m4!1s0x600370d5c4788c1f:0x2488dc7392612759!8m2!3d35.1724978!4d136.9069264?hl=ja 〒460-0003 愛知県名古屋市中区錦3丁目6-35] - [[Google マップ]]</ref><ref>[https://itp.ne.jp/info/231814926200000899/ 株式会社毎日放送名古屋支局(名古屋市中区錦/放送業・放送局)] - [[iタウンページ]]</ref>
*: [[2009年]](平成21年)12月に[[丸栄#栄町ビル|栄町ビル]](同市中区錦3丁目23-31)から現在地に移転。栄町ビル以前は[[毎日名古屋会館]](同市[[中村区]][[名駅]]4丁目7-35。現在の[[ミッドランドスクエア]]の建つ場所)に入居していた。
* [[毎日放送徳島支局|徳島支局]]<ref>[https://www.pref.tokushima.lg.jp/FAQ/docs/00001878 徳島県の記者クラブに加盟している報道機関が知りたい。](Q & A) - 徳島県庁コールセンター すだちくんコール(徳島県、2010年3月31日更新、2012年8月25日閲覧)</ref>
** 所在地:〒770-0841<ref>[https://www.post.japanpost.jp/cgi-zip/zipcode.php?pref=36&city=1362010&id=135666 徳島県 徳島市 八百屋町の郵便番号] - 日本郵便</ref>[[徳島県]][[徳島市]][[八百屋町 (徳島市)|八百屋町]]2丁目11 [[日本生命保険|ニッセイ]]徳島ビル6階
 
=== 日本国外の支局 ===
[[1968年]]には'''[[東京12チャンネル]]'''(現:[[テレビ東京]])の経営にも参画し、翌[[1969年]][[10月]]編成から[[1975年]][[3月31日]]にネットチェンジするまでの間は相互に番組をネットし合っていた。
現在は、[[パリ]]([[フランス]])と[[上海市|上海]]([[中華人民共和国|中国]])に設置。いずれも、毎日放送の活動拠点にとどまらず、JNNの国外支局(放送上の名義は「JNN〜支局」)としても機能している。かつては、[[マニラ]]([[フィリピン]])にも支局(放送上の名義は「JNNマニラ支局」)を設置。2017年10月にパリ支局を自社で開設<ref group="注釈">MBSテレビのネットチェンジ以前は朝日放送(現・[[朝日放送グループホールディングス]])、以後はTBSテレビが「JNNパリ支局」を開設していた。</ref> するまでは、[[ベルリン]]([[ドイツ]])に支局(放送上の名義は「JNNベルリン支局」)を設置していた<ref>[https://www.facebook.com/mbsnews/posts/847945778702236/ 毎日放送報道局からベルリン・パリの両支局に派遣されていた大西史浩カメラマンが「MBS NEWS」Facebook公式アカウントに2017年10月19日付で投稿した記事] を参照。</ref>。
 
=== 過去に存在した施設 ===
===テレビのネットチェンジ===
==== 千里丘センター ====
上記の通り、テレビは開局以来NETテレビの系列だったが、当時の[[郵政省]]の方針や[[新聞社]](とりわけ[[朝日新聞社]])の強い意向をもとに「[[腸捻転]]」といわれたネットワークの体裁を改める動きが年々活発となり、[[1974年]][[11月]]これを看過できなくなったTBS諏訪博社長が毎日放送の高橋社長を訪ね、朝日放送がNET系列に移行した際には毎日放送がJNN系列に入るよう懇願し、高橋社長はこれを受諾。直後にTBSから朝日放送に対しテレビネットワークの打ち切りを通告。1975年[[3月31日]]、毎日放送はTBSテレビをキー局とするJNN系列に移行し、JNNの[[準キー局]]となった(関連記事・[[朝日新聞ニュース]])。
[[ファイル:Senrioka Myrica Center.JPG|thumb|right|200px|千里丘ミリカセンター]]
{{see|毎日放送千里丘放送センター|毎日放送千里丘ミリカセンター}}
==== MBSスタジオ in USJ ====
[[ファイル:MBS Studios in USJ.JPG|thumb|right|200px|MBSスタジオ in USJ(現在は閉鎖)]]
{{see|MBSスタジオ in USJ}}
==== シアターBRAVA! ====
[[ファイル:THEATER_BRAVA! (4).JPG|200px|thumb|right|[[大阪ビジネスパーク]]内で営業していた時期のシアターBRAVA!]]
{{see|シアターBRAVA!}}
 
== 沿革 ==
1975年3月6日、東京ヒルトンホテル(のちのキャピタル東急ホテル)で行われた『JNNネットワーク協議会』の総会で、JNN加盟全局の前で朝日放送が退会の挨拶をした後、毎日放送が代わって入場した。毎日放送の齋藤守慶テレビ営業局長(当時、のちに毎日放送社長・会長を歴任)が入会の挨拶をした。
=== 設立 ===
[[第二次世界大戦]]終結から間もない[[1947年]](昭和22年)、[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]が「放送基本法」と「[[電波三法]]」([[放送法]]・[[電波法]]・[[電波監理委員会設置法]])の立法措置を指令し、[[1950年]](昭和25年)6月に施行された。これを契機に「民間放送」の設立が日本各地で相次ぎ、施行前の1950年[[4月21日]]、民間放送会社16社に予備免許が下りた。'''新日本放送株式会社'''(しんにっぽんほうそう、略称:'''NJB'''、[[英語|英称]]:'''New Japan Broadcasting System,Inc.''')は、このうちの一つとして[[近畿地方|関西]][[政治|政]]・[[財界]]の支援の下、[[毎日新聞社]]と[[阪急電鉄|京阪神急行電鉄]](現:[[阪急阪神ホールディングス]])と[[日本電気]](NEC)を中心に設立された。実際に創立の中心となったのは、毎日新聞社を依願退職した[[高橋信三]]であった。{{main|高橋信三#毎日放送の実質創業者}}
高橋は民間放送の将来性と必要性を説き、毎日新聞社時代に培った個人のコネクションをフルに利用して出資者や番組スポンサーを募集。設立途中で出遅れた朝日新聞社の机上案に過ぎなかった朝日放送との合併工作という横槍を頑として撥ね付け、現在でもその録音が残る朝日側との激しい公聴会のやりとりの末、漸く新日本放送の開局に漕ぎ着けた。
京阪神急行電鉄の資本が入っていた関係で、開局当初は系列企業であった[[阪急百貨店]](現・[[阪急百貨店うめだ本店|うめだ本店]])屋上に本社・スタジオを構えており、スタジオで行われる公開録音の観覧者のために、百貨店の休業日に関係なく利用できるエレベーターが設置されていたという<ref group="注釈">澤田隆治「上方芸能笑いの放送史」、『NHK人間大学』1994年10月 - 12月期、日本放送出版協会、1994年、90頁。</ref>。
 
=== 民放初の試験電波発射 ===
「毎日放送は元々、TBSとのネットワークを希望していた。しかし昭和33年(1958年)の時点でそれは許されなかった。(注)それ以降は、ゴルフでいえば隣のコースでプレーしていたようなものだ。今ここにJNNのコースに戻ることが出来て、大変嬉しい。」とネットチェンジの意気込みを語った。
[[ファイル:民間放送誕生の地プレート.jpg|thumb|200px|[[阪急百貨店うめだ本店]]13階屋上広場に設置された「民間放送誕生の地」プレート(2016年9月9日撮影)]]
新日本放送設立翌年の1951年(昭和26年)7月8日、22時00分 - 22時30分。日本の民間放送として初めて試験電波を発射した。電波管理局(「監理局」ではない)の指示により「NJB」と「JOOR」というアナウンス、レコード音楽のみであり、7月12日、26日にも実施された。
 
1951年(昭和26年)8月15日には、日本の[[民間放送]][[ラジオ]]局の第2号としてサービス放送を開始した。当日は12時00分、14時00分、16時00分、18時00分、20時00分から各1時間放送された。なお、試験放送は民間放送で最も早く開始したものの、本放送の開始は1951年(昭和26年)9月1日正午と中部日本放送(現・CBCラジオ)より5時間半遅れているため、単独ではCBCラジオが日本初の民間放送として扱われる。ただし日付上は同日の開局であるために、両者併記されることもある。当時のキャッチフレーズは「'''あなたの民間放送'''」であった。
元々希望していたTBSとのネットワーク関係が実現して、ANNに対し強力だったJNNに参加する事で報道番組が充実し、また、「[[8時だョ!全員集合]]」や「ありがとう」「寺内貫太郎一家」「[[水戸黄門 (テレビドラマ)|水戸黄門]]」等の当時の高視聴率番組が毎日放送テレビの番組に加わり、ネットチェンジで得た物は大きかった。しかし、一方で[[テレビ東京|東京12チャンネル]]とのネットワーク関係は解消を余儀なくされ、同局を足掛かりとして目指していたキー局への夢が絶たれる事となってしまった。また、ゴールデンタイムの全国ネット向け製作時間の縮小や「ベスト30歌謡曲」(NET製作。[[愛川欽也]]司会)などの共同セールス番組が消失し、全国的な営業活動は縮小せざるを得なくなった。更にTBS番組の編成による日曜午後の高視聴率ゾーン(「[[よしもと新喜劇|サモン日曜お笑い劇場]]」→「[[がっちり買いまショウ|グリコがっちり買いまショウ]]」→「[[素人名人会]]」→「[[クイズ・イエス・ノー|5人抜きクイズ・イエス・ノー]]」([[児玉清]]司会))が崩壊し、以降日曜午後は長期にわたり低視聴率にあえぐ事となってしまった。加えて、毎日放送ラジオはこれまで自由に東京地区で報道取材活動を行っていたが、JNNへの加盟で原則として東京地区は[[TBSラジオ]]が報道取材を代行する事となり、毎日放送ラジオは自由に取材が行えなくなった(代わりに、これまでTBSラジオの取材に頼っていたABCラジオはJRNニュースネットから締め出され、東京地区では朝日新聞社の協力の下で独自に取材活動を行わざるを得なくなった。)。結局こうした代償も多く、ネットチェンジは必ずしも良い事ずくめでは無かった。
 
=== テレビ放送の開始 ===
ネットチェンジ前日の1975年3月30日の最終ニュース(『ANNニュースファイナル』のローカルニュース)は、千里丘スタジオ内のニューススタジオが[[ストライキ]]のため使用出来なかったため、隣接する「ミリカホール」に特設スタジオを作って放送された。これが、ANN系列最後のローカル番組となった。
[[ファイル:Osaka Mainichi2.jpg|thumb|毎日新聞大阪本社旧社屋([[毎日大阪会館]])跡地 ここにかつて毎日放送の社屋もあった。現在は跡地に[[エルセラーン化粧品]]が運営するホテルが建っている]]
 
1956年(昭和31年)12月1日、朝日放送(現・[[朝日放送グループホールディングス]])・[[朝日新聞社]]・[[毎日新聞社]](新日本放送の大株主)と合弁で'''[[大阪テレビ放送]][[株式会社 (日本)|株式会社]]'''('''おおさかテレビほうそう''' 略称 '''OTV'''、JOBX-TV 6ch)を設立してテレビ放送に参入した。
なお東京12チャンネルの番組はその後、[[テレビ大阪]]が開局するまでは毎日放送でも『プレイガールQ』など一部の番組が番組販売扱いで放送された他、主として近畿地方の[[独立UHF放送局]]各局で放送。朝日放送、関西テレビ、[[讀賣テレビ放送|よみうりテレビ]]の各局ローカル枠内でも一部放送されていた(番組販売扱い)。
その後、大阪地区ではもう1つテレビチャンネルが割り当てられ、ともに独自のテレビ局を持ちたい朝日放送と新日本放送は、別々に免許を申請。競願の結果、朝日放送は大阪テレビ放送と合併することとなり、新日本放送は[[1958年]](昭和33年)[[6月1日]]に商号を「'''株式会社毎日放送'''」(まいにちほうそう、略称・MBS)に改め、大阪テレビ放送から資本と役員を引き揚げ、テレビ開局のための人員の移籍を行い、[[1959年]](昭和34年)[[3月1日]]に「'''毎日放送'''」としてテレビ放送を開始した。開局当初は[[フジテレビ]]と日本教育テレビ(NET。現在の[[テレビ朝日]])のクロスネットであったが、翌年に日本教育テレビに一本化された。テレビスタジオは、大阪市北区堂島の[[毎日大阪会館]]南館12階にあった。
 
キー局が教育専門局、なおかつ、当時のNET系列の純粋なフルネットはMBSだけ<ref group="注釈">当時は地方の多くは民放局が1局のみ(札幌・名古屋は2局、福岡は3局)であり、ほとんどは民放第1局目の放送局とクロスネットとする局が多かった(名古屋、福岡など例外はある)。このようなクロスネット加盟は、[[1990年代]]以後にANNの純粋フルネットが地方で増加するまでの間、地方局を中心に多くあった。</ref>であり、営業面や報道面など様々なハンデを背負いながらMBSのテレビ部門は発足し、毎日大阪会館南館に設けられたスタジオも小さいうえに狭く、使い勝手が悪かった<ref group="注釈">Aスタジオ175m{{sup|2}}、Bスタジオ100m{{sup|2}}、Cスタジオ170m{{sup|2}}と3つのスタジオがあった。</ref>。しかしMBSはこうしたスタジオ事情を逆手に取り、難波[[南街会館]]からの『[[番頭はんと丁稚どん]]』や[[うめだ花月]]劇場からの[[吉本新喜劇]]中継(現在の『[[よしもと新喜劇]]』)などの外部公開収録番組が生み出された。
(注)齋藤氏は大阪テレビ放送出身。その後毎日放送テレビ開局準備のために移籍し、テレビ営業課長に就任。ラジオ東京や広告代理店、スポンサーと交渉を重ね、毎日放送テレビとKRTテレビのネット関係樹立直前まで漕ぎ着けた。またラジオ東京の今道常務から「毎日放送テレビとはネットしない」と一蹴された時も、その現場にいた。いわば、この一件の当事者である。
 
=== クロスネット局化と腸捻転の解消 ===
※「腸捻転」に関しては、朝日放送の「[[朝日放送#テレビの腸捻転ネット|テレビの腸捻転ネット]]」の項も参照のこと。
[[1960年]]、[[日本万国博覧会]]([[1970年]]開催)の開催地に内定していた大阪府[[吹田市]]の[[千里丘陵]]に、2階建ての近代的なテレビとラジオの総合スタジオ「'''[[毎日放送千里丘放送センター|千里丘放送センター]]'''」を開設、弱小局であるNETとネットを組んだ事を逆手に取って「'''自らキー局となって発展する'''」将来展望を見据えて設計され、在京キー局に勝るとも劣らない規模と設備を誇った。千里丘移転後も登記上の本社と営業の部署は堂島に残り、堂島の[[毎日新聞大阪本社]]内にニュースデスクを開設。
 
[[1968年]]には[[日本科学技術振興財団]]が運営していた東京の民放テレビ局・東京12チャンネルが事実上破綻したため、再建策として設立された同局のテレビ番組制作を行う株式会社東京十二チャンネルプロダクション(現在の株式会社[[テレビ東京]])に資本参加。[[1969年]]10月より東京12チャンネルともネットワーク関係を樹立し、クロスネット局となる。
===茶屋町に移転===
[[1990年]][[9月1日]]、大阪市北区茶屋町に新社屋ビルが完成。堂島にあった本社機能(営業など)と、千里丘スタジオにあった報道局などの部署、千里丘で制作されていたテレビ・ラジオ番組が一部を除いて茶屋町の新社屋に移転した(ラジオ番組の一部は、梅田の阪急グランドビル内にあったサテライトスタジオ『ラジオポートMBS』で制作、『[[すてきな出逢い いい朝8時]]』などのテレビ番組制作は千里丘に残る)。現在の本社ビルは、[[大阪市]]と[[阪急電鉄]]が茶屋町地区の再開発計画の一環として、[[阪急百貨店]]の流通センターの跡地に建てられたもので、上部部分は「M」の文字を象った形をしている。近隣には、[[コマ・スタジアム|梅田コマ劇場]]が入居する「[[ちゃやまちアプローズ]]」、梅田ロフトなどの商業施設が立ち並ぶ。
 
[[1975年]]3月31日、いわゆる「'''腸捻転'''」が[[朝日新聞社]]に問題視されたことでテレビネットワークを整理することとなり、これまでのNETテレビと東京12チャンネルのクロスネットから、TBS系列の準キー局に鞍替えした。ニュース系列も[[オールニッポン・ニュースネットワーク|ANN]]を脱退し、[[ジャパン・ニュース・ネットワーク|JNN]]に加盟。朝日放送に代わって「五社連盟」に参加した。{{Main|ネットチェンジ}}
[[2001年]][[3月31日]]、大阪市[[此花区]]に開業した[[映画]]の[[テーマパーク]]「[[ユニバーサル・スタジオ・ジャパン]]」(USJ)内に「MBSスタジオ in USJ」を開設。「[[痛快!明石家電視台]]」や「[[ドラマ30]]」など千里丘スタジオで収録されていたMBS制作番組の殆どが、USJに移転した。
 
ただし、ネットチェンジ後も毎日放送は東京12チャンネルの経営に継続して参加し、ネットチェンジ前からネットしていた東京12チャンネル制作の番組(『[[大江戸捜査網]]』、『[[プレイガール (テレビドラマ)#プレイガールQ|プレイガールQ]]』、『[[人に歴史あり]]』など)を[[番組販売|番組購入]]の形に切り替え[[遅れネット]]で継続させ、MBSに取って代わる近畿地区の[[TXNネットワーク|TX系列局]](現在の[[テレビ大阪]])開局の支援も行った。
==情報カメラ設置ポイント==
*北浜([[大林組|大林ビル]]、HD)
*[[ユニバーサル・スタジオ・ジャパン]]([[ホテル日航ベイサイド大阪]]、HD)
 
=== 認定放送持株会社の設立からラジオ放送事業の分社化へ ===
==スタジオ概要・所在地一覧==
[[インターネット]]や[[スマートフォン]]などの普及で日本の放送業界をめぐる環境が変化していることを背景に、毎日放送(以下「旧社」と略記)では、2016年(平成28年)7月28日に認定放送持株会社へ移行する計画を発表。持株会社の分割準備会社として、同日付で「'''毎日放送分割準備株式会社'''」を設立した。
===茶屋町本社===
*テレビスタジオ
**ギャラクシースタジオ(旧ギャラクシーホール、155坪)- [[あん!]]、[[ちちんぷいぷい (テレビ番組)|ちちんぷいぷい]]、[[知っとこ!]]〔[[知ってた? (テレビ番組)|知ってた?]]〕、[[MBS新世代漫才アワード]]
**ニューススタジオ(70坪) - MBSニュース、[[Voice]]
*ラジオスタジオ
**α(アルファ)スタジオ- 早起きラジオMBS、[[ありがとう浜村淳です]]ほか
**β(ベータ)スタジオ- おはようSUN SUN原田伸郎、 [[さてはトコトン菊水丸]]ほか
**Γ(ガンマ)スタジオ-ラジオCMの録音、ラジオの録音番組の収録などに使用。
 
2017年(平成29年)4月1日に、毎日放送(旧社)は「'''株式会社MBSメディアホールディングス'''」に商号を変更したうえで、認定放送持株会社に移行。毎日放送分割準備株式会社は、同日付で商号を「(新)株式会社毎日放送」(以下「新社」と略記)へ改めたうえで、旧社から放送免許・放送事業などの現業部門を承継した<ref name="mbs" />。日本の民放局が認定放送持株会社を設立した事例は、全国で8社目、JNNへの加盟局では[[TBSホールディングス|東京放送ホールディングス(現在のTBSホールディングス)]]・[[中部日本放送]](CBC)・[[RKB毎日ホールディングス]]に次いで3社目、在阪の準基幹局では初めてであった。
===MBSスタジオin USJ===
大阪市[[此花区]]桜島2-1-33・[[ユニバーサル・スタジオ・ジャパン]]内
*テレビスタジオ
**U-1スタジオ(150坪) - [[せやねん!]]、[[水野真紀の魔法のレストラン]]
**U-2スタジオ(200坪) - [[ドラマ30]]
*ラジオスタジオ
**[[ありがとう浜村淳です]](土曜日のみ)
**日曜出勤生ラジオ(不定期)
 
認定放送持株会社移行後も「ラジオ(放送事業)とテレビ(放送事業)を兼営するからこそできたことがあるので、(今後も両事業の間で)シナジー(効果)を生み出すことが大事」との姿勢から、新・毎日放送への事業承継後も[[ラテ兼営|ラジオとテレビの兼営体制]]を維持してきた<ref>[https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/news/18/07992/?i_cid=nbpnxt_pgmn_topit 毎日放送が2021年10月にラジオを分社化](『[[日経BP|日経クロステック]]』2020年5月28日付記事)</ref>。しかし、ラジオ放送事業の経営環境は年々厳しさを増していた。
===千里丘スタジオ===
大阪府[[吹田市]]千里丘北1-1
===MBSラジオサテライトスタジオ パークスラジオパラダイス===
通称'''パラパラスタジオ'''・[[なんばパークス]]1F
=== 東京支社 ===
*'''ラジオスタジオ'''
**ゴーゴーモンキーズスペシャル どーだ!ますだおかだ、[[ヤングタウン土曜日|MBSヤングタウン土曜日]]ほか
 
その一方で、事業承継後に日本国内で大規模な自然災害([[大阪府北部地震]]など)が相次いでいることや、2020年(令和2年)の初頭から日本国内で[[新型コロナウイルス感染症の流行 (2019年-)|新型コロナウイルスへの感染が拡大していること]]などを背景に、「詳細な地域情報を(リスナーに)提供する身近なメディア」としてのラジオの価値は見直されつつある。さらに、2010年代以降は、[[radiko]]や[[FM補完放送|FM補完放送(ワイドFM)]]を通じてメディアとしての可能性が拡大の一途をたどっている。
==代表的な番組==
===テレビ===
''詳しいことは[[毎日放送テレビ番組一覧]]を参照の事。''
 
新・毎日放送では、以上の動向を総合的に勘案した結果、「変化に機敏に対応しながら、毎日放送ラジオが将来にわたって発展していくには、独立した会社として迅速な経営判断と機動的な業務執行を実現させることが必要で、自主独立の精神が高まることによって新しいビジネスを生み出すことも可能」「認定放送持株会社体制へ移行してからの3年間にグループ会社との連携を強めるなかで、『会社は別でもグループ内でシナジーを生んでいくことは十分に可能』という手応えをつかめた」と判断<ref>[https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202005280000762.html MBS開局70周年の2021年にラジオとテレビを分社](『[[日刊スポーツ]]』2020年5月28日付記事)</ref>。2020年5月28日に、自社とMBSメディアホールディングスの取締役会で以下の方針を決議した。
*夕方の[[情報番組]]『[[ちちんぷいぷい (テレビ番組)|ちちんぷいぷい]]』の成功を機に、土曜に放送されている『[[せやねん!]]』や、平日朝の『[[あん!]]』などの地域密着型番組の制作に定評がある。また、ニュース番組『[[VOICE (ニュース)|VOICE]]』では数々の事件をスクープし高い評価を得ている。一方で、情報番組などに芸能リポーターらが登場することがほとんど無いことからいわゆる“芸能ネタ”には弱く、他の在阪局や新聞、週刊誌などの“後追い報道”が多い。
*月曜~木曜の23時55分からは、『[[痛快!明石家電視台]]』や『[[たかじんONEMAN]]』などのローカルバラエティ番組が編成されているため、この時間に他のTBS系列局がネットする番組が放送されないことや、遅れ放送となることが多い(詳細はその他『23時ショー打ち切り問題』の項も参照のこと)。
*[[TBS系列]]全国ネット向けには、[[ゴールデンタイム]]では火曜22時枠、水曜19時枠、日曜22・23時枠、[[昼ドラマ]]の[[ドラマ30]]シリーズ(中部日本放送と交代で制作)、[[アニメ]]・[[特撮]]では日曜7時と土曜18時枠などを製作。長年、水曜19時枠は苦戦が続いている([[2005年]][[3月]]末までは単発番組で穴埋め)。一方で、日曜の『[[世界ウルルン滞在記]]』や『[[情熱大陸]]』、土曜のアニメ枠の『[[機動戦士ガンダムSEED]]』シリーズや、2003年~2004年にかけて同枠で放送された『[[鋼の錬金術師]]』などは人気を集めている。また、火曜22時枠には「[[ジャングルTV~タモリの法則~]]」が長年放送され、現在「[[世界バリバリ★バリュー]]」で落ち着く形となっている。
*[[アニメ]]の[[製作]]には熱心で、『[[まんが日本昔ばなし]]』などTBS系列で放送されたアニメの多くは毎日放送の製作である。
*なお、『あん!』に関しては2005年3月に[[東京放送|TBS]]からのネット番組『[[ウォッチ!]]』の終了に伴いわずか1年で打ち切られるが、同年4月11日から14:00~15:00に新情報番組を新設。タイトルは『[[っちゅ~ねん!]]』で、総合司会は「あん!」の司会だった[[上泉雄一]]と[[八木早希]]の両[[アナウンサー]]が務める。15:00からの『ちちんぷいぷい』、夕方のワイドニュース番組『[[VOICE (ニュース)|VOICE]]』と合わせて平日14:00~18:55は5時間の関西ローカルの生情報番組ゾーンとなる(17:50~18:17はTBSからのネットによる『[[JNNイブニングニュース]]』を放送)。
*2005年3月から、[[クレジットタイトル]]で“制作著作・毎日放送”の横に、「''MBS55周年''」のロゴが表示されている。
 
* 新・毎日放送のラジオ放送事業とテレビ放送事業および、[[総務省]]からの認可の下で保有しているラジオ・テレビ放送免許を、吸収分割方式によって2021年(令和3年)10月1日付で別々の会社に承継させる。
===ラジオ===
* テレビ放送事業については、2021年(令和3年)10月1日以降も、新・毎日放送がテレビ放送免許とともに保有する。ただし、テレビ放送専門の事業会社(テレビ単営局)へ移行することに伴って、同日付で商号およびコールサインを変更する。
''詳しいことは[[毎日放送ラジオ番組一覧]]を参照の事。''
* ラジオ放送事業については、'''毎日放送ラジオ分割準備株式会社 '''<ref>[https://www.houjin-bangou.nta.go.jp/henkorireki-johoto.html?selHouzinNo=6120001229406 毎日放送ラジオ分割準備株式会社の情報](国税庁法人番号公表サイト)</ref>(MBSメディアホールディングスが全額を出資する分割準備会社)を2020年5月28日付で設立。吸収分割契約の締結(同年11月)、放送免許の承継などに関する許認可(2021年9月)などを経て、2021年10月1日付でラジオ放送免許と共に分割準備会社へ承継させるとともに、同日付で分割準備会社の商号を変更する<ref>[https://www.mbs.jp/kouhou/news/log/200528_01.pdf ラジオの分社に向けた新会社設立について](毎日放送・MBSメディアホールディングス2020年5月28日付プレスリリース)</ref>。
 
もっとも、新・毎日放送では、この計画を発表後に事業承継の前倒しを改めて検討。「長期的な経済環境の悪化が予測される状況で、今後のラジオ事業の在り方を早急に固めながら(経済環境の悪化に向けて)対策を立てていく必要がある」との認識の下で、「独立した新しい会社で2021年秋の改編に向けて準備するのが相応しい」との判断に至ったため、事業承継の期日を当初の計画より半年早い'''2021年(令和3年)4月1日'''に繰り上げた<ref name="SDGs"/>。また、同日付で分割準備会社の商号を「'''[[MBSラジオ|株式会社MBSラジオ]]'''」に変更することも決定。新・毎日放送については、ラジオ放送事業の分離後も「株式会社毎日放送」という商号を引き続き使用する<ref group="注釈">JNNに加盟するテレビ単営局が「〇〇放送」という商号を使用した先例には、2001年(平成13年)10月1日 - 2009年(平成21年)3月31日の「東京放送」(TBS)や、2013年(平成25年)4月1日 - 2014年(平成26年)3月31日の「中部日本放送」(CBC)がある。いずれも元々はテレビ・ラジオ兼営局で、ラジオ放送事業の分離からテレビ放送事業の分離までの期間に上記の商号を使用。テレビ放送事業の分離(東京放送は2009年(平成21年)4月1日、中部日本放送は2014年(平成26年)4月1日)以降は、この事業を承継した分割準備会社が別の商号(東京放送→TBSテレビ、中部日本放送→CBCテレビ)を使用する一方で、「東京放送」「中部日本放送」という商号を認定放送持株会社が引き継いでいる。ただし「東京放送」を冠した持株会社では「株式会社TBSホールディングス」への改称(2020年(令和2年)10月1日)を機に商号としての使用を終了した。</ref> ほか、アナウンスセンターなどの関連部署を残すことになった<ref>{{Cite press release| 和書| url=https://www.mbs-mhd.jp/pdf/210120.pdf |title=社長記者会見をオンラインで開催しました |publisher=MBSメディアホールディングス |format=PDF |date=2021-01-20 |accessdate=2021-01-20}}</ref>。
*ラジオ・テレビ併営局としては全国でも珍しい'''ラジオ報道部'''(かつてはTBSなどにも存在した部署)があり、独自の取材を行なうと共に、「[[MBSニュースワイドアングル]]」・「[[ネットワーク1・17]]」などの番組を製作している。
 
そして、2021年(令和3年)4月1日、ラジオ放送免許とラジオ放送事業を株式会社MBSラジオに承継。これにより、日本の広域圏(近畿広域圏、[[関東広域圏]]、[[中京広域圏]])でテレビ放送事業を運営する民間放送事業者がすべてテレビ単営局になり<ref group="注釈">中部日本放送は、[[1956年]](昭和31年)[[12月1日]]からテレビの本放送を始めていたが、(ラジオ単営局としての)開局60周年を迎えた[[2011年]](平成23年)[[9月1日]]にテレビ・ラジオ放送事業の分社化を実施。ラジオ放送事業とラジオ放送免許を株式会社テクノビジョン([[1992年]](平成4年)[[1月16日]]設立の子会社)に承継させたうえで、同社の社名を「CBCラジオ」に変更した([[中部日本放送#沿革|当該項で詳述]])。</ref>、近畿地方でテレビ・ラジオ放送事業を兼営する民間放送事業者が[[京都放送|京都放送(KBS京都=本来の放送対象地域はテレビ:京都府、ラジオ:京都府・滋賀県)]]のみになった。
*[[聴取率]]に関しては、開局以来長らく[[ABCラジオ]]の後塵を拝していた。ABCの人気番組に自社制作物が多かったのに対し、MBSの人気番組はほとんどが東京の[[TBSラジオ]]か[[文化放送]]製作の番組であった。とりわけJRN発足前後(1964~66年)は日中ずっとTBSラジオの番組をそのまま放送していた事もあり、在阪局最低の聴取率にまで落ち込んだ。<br>その後、「[[ありがとう浜村淳です]]」などの生ワイド番組をはじめとしたローカル向け編成に徹し聴取率は着実に回復。一時期(1980~90年後半まで)は全日で在阪局トップに躍り出た時期もあったが、近年再び下降気味となる。特に夜~深夜帯にかけては、改変期ごとにリニューアルが繰り返されているのが実情である。<br>なお現在、TBSラジオ(JRNキー局)からのネット番組は「[[mix]]」、「[[生島ヒロシのマネーカレッジ]]」、「[[ドライバーズリクエスト]]」、「[[グッドモーニングジャパン]]」のみであり、関西でのほとんどのJRN系番組はABCラジオで放送されている。
 
なお、新・毎日放送ではテレビ単営局への移行を機に、デジタルテレビ放送のコールサインを'''JOOR-DTV'''から'''JOOY-DTV'''に変更。2021年(令和3年)3月31日23時59分45秒から4月1日0時00分15秒にかけて、『らいよんチャンネル』(本来は兼営局時代から放送している[[番宣番組]])を特別に編成したうえで、[[河田直也]]アナウンサーが『[[よんチャンTV]]』(同月29日からメインパーソナリティを務める平日夕方の報道・情報番組)のスタジオで収録された映像を通じてコールサインの変更を告知した。その一方で、新・毎日放送が主催するイベントや運営事業([[住宅展示場]]など)に関するCMをMBSラジオで放送する場合の主催社の名義が毎日放送から「MBSテレビ」に変更された。
==アナウンサー==
===男性アナ===
*[[青木和雄]]
*[[赤木誠]]
*[[井上雅雄]]
*[[上田たかゆき]]
*[[馬野雅行]]
*[[上泉雄一]]
*[[大月勇]]
*[[大八木友之]]
*[[柏木宏之]]
*[[加藤康裕]]
*[[河田直也]]
*[[亀井希生]]
*[[来栖正之]]
*[[近藤亨]]
*[[仙田和吉]]([[アール・エフ・ラジオ日本]]より移籍)
*[[田丸一男]]
*[[西靖]]
*[[野村啓司]](アナウンサー室長)
*[[蜂谷薫]]
*[[増田一樹]]
*[[松井昭憲]]
*[[美藤啓文]]
*[[森本栄浩]]
*[[山中真]]
*[[結城哲郎]]
===女性アナ===
*[[上田悦子]]
*[[小野陶子]]
*[[関岡香]]
*[[高井美紀]]
*[[中村香奈]](気象予報士)
*[[西村麻子]]
*[[古川圭子]](亀井希生アナの妻)
*[[松井愛]]
*[[松川浩子]]
*[[水野晶子]]([http://www.ttb.co.jp/ 大阪テレビタレントビューロー(TTB)]所属のMBS契約アナから局アナへ)
*[[武川智美]]
*[[八木早希]]
===毎日放送出身アナウンサー(退社、OBも含む・五十音順)===
*[[石田敦子_(アナウンサー)|石田敦子]](現在、東京支社テレビ編成部勤務)
*[[岩城潤子]](現在、人事部勤務)
*[[井上光央]]
*[[小池清]]
*[[子守康範]](現在、[http://www.intelligentv.co.jp/ アンテリジャン]代表取締役社長)
*[[近藤光史]]
*[[斉藤努]](現在、[[羽衣国際大学]]教授)
*[[阪本時彦]]
*[[城野昭]]
*[[角淳一]](現在、MBS専属パーソナリティ)
*[[藤本永治]]
*[[高梨欣也]]
*[[高村昭]]
*[[三上智恵]](現在、[[琉球朝日放送]]アナウンサー)
*[[三沢肇]](現在、報道局所属)
*[[水谷勝海]](現在、[[GAORA]]チーフアナウンサー)
*[[吉田智子 (アナウンサー)|吉田智子]]ほか
 
==その他= 年表 ===
===中継車= 1950年代 ====
* [[1950年]]([[昭和]]25年)[[12月27日]] - 「'''新日本放送株式会社'''」設立<ref name=mbs-enkaku>[https://www.mbs.jp/mbs/ 株式会社毎日放送 会社紹介 沿革(毎日放送公式ページ)](2024年3月29日閲覧)</ref><ref name=mbs50th-470>{{Cite book|和書|author=毎日放送50年史編纂委員会事務局|date=2001-9-1|title=毎日放送50年史|publisher=株式会社 毎日放送|page=470}}</ref>。初代社長に[[杉道助]]が就任。[[大阪市]][[北区 (大阪市)|北区]][[天神橋 (大阪市)#天神橋(町名)|天神橋]]七丁目に仮スタジオと研修センターを置いた。その後、大阪市北区[[角田町 (大阪市)|角田町]]にある[[梅田阪急ビル]](阪急百貨店本店、現・阪急百貨店うめだ本店)屋上に本社及び演奏所を建設。[[試験放送]]開始と同時に業務機能を完全に移転。
*多数の中継車を保有。そのほとんどは千里丘スタジオに保管してある。(そのため千里丘所属の中継車や取材車の[[ナンバープレート]]の地名表示は北摂・東大阪地域で登録される'''大阪ナンバー'''となっている。)
* [[1951年]](昭和26年)
[[画像:中継車.JPG|thumb|SNG車]]
** [[4月21日]] - [[中部日本放送|中部日本放送(CBC)]](現・[[CBCラジオ]])、[[TBSラジオ|ラジオ東京(KRT,現・TBSラジオ)]]他14局と共にラジオ放送の[[予備免許]]が交付される。'''[[日本の放送局所の呼出符号#JO*R|コールサイン:JOOR]]、周波数:1210[[キロヘルツ|kc]]、出力10[[キロ|k]][[ワット|W]]'''<ref name=mbs50th-470/>。この日は[[1993年]]、[[記念日]]「民放の日」となった。
===23時ショー打ち切り問題===
** [[6月22日]] - 苅田ラジオ送信所の10kW用ラジオ放送(送信)設備(NEC製)が完成<ref name=mbs50th-470/>。
:NETテレビとネットを組んでいた時代の[[1971年]][[12月]]、NET制作の深夜の帯番組「[[23時ショー]]」のネット受けを突然打ち切ることを発表した。打ち切りの理由は、性風俗の話題(お色気)を興味本位でとらえていたこの番組の姿勢をMBS社長の高橋信三(当時)が否定したためといわれた。「23時ショー」は、政治問題などの硬派な話題も扱っていたが、高橋社長は、「23時ショー」の内容に不適切な表現や未成年者に見せてはいけない過激すぎる、不快を与える卑猥な映像をMBSにネットするのを嫌い、NETにネット受けを打ち切る通告をした。この一件は「地方局のキー局に対する反乱」ととらえられ大いに話題となったが、そもそも打ち切りが可能だったのはこの番組が番販扱いだったため、ネットスポンサーが付いていなかった事による。なお、「23時ショー」の金曜日はMBS制作で、主に演芸を主題に取り扱っていた。
** [[7月8日]] - '''日本初の[[民間放送]]'''としてのラジオの[[試験電波]]を、この日の22時から30分間発射<ref name=mbs50th-470/>。
** [[7月31日]] - ラジオ放送の[[無線局免許状#無線局免許状|本免許]]交付(第3091号)<ref name=mbs50th-470/>。
** [[8月15日]] - ラジオ放送の[[サービス放送]]開始([[8月31日]]まで実施)<ref name=mbs50th-470/>。
** [[8月29日]] - ラジオ開局前夜祭を、[[阪急西宮スタジアム|西宮球場]]で開催<ref name=mbs50th-470/>。
** [[9月1日]] - '''新日本放送、ラジオ本放送開始(JOOR)・開局'''<ref name=mbs-enkaku/>。中部日本放送より5時間30分遅れて正午に本放送開始。民放では日本で2番目。キャッチフレーズは「'''あなたの民間放送'''」。記念番組を開局のこの日(22時まで10時間)と翌日に放送<ref>{{Cite book|和書|author=毎日放送50年史編纂委員会事務局|date=2001-9-1|title=毎日放送50年史|publisher=株式会社 毎日放送|page=470〜1}}</ref>。
** [[9月2日]] - 初のラジオ野球中継『日米親善野球』(於:[[阪神甲子園球場]])を放送。同試合の解説に、当時元野球選手だった[[中澤不二雄]]を起用し、解説付きの野球中継を生む<ref name=mbs50th-471>{{Cite book|和書|author=毎日放送50年史編纂委員会事務局|date=2001-9-1|title=毎日放送50年史|publisher=株式会社 毎日放送|page=471}}</ref>。
** [[9月3日]] - 朝6時から23時までの1日17時間のラジオ通常編成放送を開始<ref name=mbs50th-471/>。
*** 民放初の[[株式市況]]の中継放送を、[[大阪証券取引所]]から開始<ref name=mbs50th-471/>。
*** 民放ラジオ最[[長寿番組の一覧|長寿番組]]『[[歌のない歌謡曲]]』が、同局での放送を開始<ref name=mbs50th-471/>(2023年9月29日終了)。
** [[10月2日]]〜[[10月10日|10日]] - 民放初のラジオ聴取状況調査を実施<ref name=mbs50th-471/>。
** [[10月12日]]
*** CBCと共同で民放初の国会中継を実施([[臨時国会|第12臨時国会]])<ref name=mbs50th-471/>。
*** 漫才コンビの[[東五九童・松葉蝶子]]と放送専属契約を締結(自社の芸能人契約第1号)<ref name=mbs50th-471/>。
** [[10月22日]] - 米の親善大使として日本を訪れていた、ヴァイオリン奏者の[[ユーディ・メニューイン]]の演奏を、当時東京築地にあった[[日本ビクター]]のスタジオから、民放ラジオ初の長距離中継線を使用して生中継・独占放送<ref name=mbs50th-471/>。
** [[11月20日]] - [[朝日放送ラジオ|朝日放送]]、[[電通|大阪電通(現:電通関西オフィス)]]と共に、「三社放送調査委員会」を設置<ref name=mbs50th-471/>。
** [[12月1日]] - [[東京交響楽団]]と放送専属契約を締結(1959年5月まで)<ref name=mbs50th-471/>。
* [[1952年]](昭和27年)
** [[1月12日]]〜[[1月26日|26日]] - KRT,CBC,[[RKB毎日放送|ラジオ九州(RKB)]]([[RKBラジオ|現・RKBラジオ]])と共同で、民放初の大相撲本場所のラジオ中継放送を実施<ref name=mbs50th-471/>。
** [[1月21日]]〜[[1月27日|27日]] - 前述の「三社放送調査委員会」による、第1回三社共同聴取状況調査を実施<ref name=mbs50th-471/>。
** [[1月30日]] - 自社初の海外取材として、[[硫黄島 (東京都)|硫黄島]](当時米領)の遺骨収集調査団の日帰り取材に社員1名が参加<ref name=mbs50th-471/>。
** [[3月10日]] - 1日のラジオ放送時間を30分延長し、17時間30分となる<ref name=mbs50th-471/>。
** [[5月1日]] - 米から来日中の[[ジーン・クルーパ]]・ジャズ・トリオの独占ラジオ放送を、梅田劇場から中継<ref name=mbs50th-471/>。
** [[5月19日]] - プロボクシング 世界フライ級タイトルマッチ「[[白井義男]] 対 [[ダド・マリノ]]」を、[[後楽園ホール|後楽園特設スタジアム]]から、KRTと共同制作でラジオ全国中継<ref name=mbs50th-471/>。
** [[5月25日]] - 民放初の共同企画制作番組として、RKB,[[文化放送]]と共同で制作したラジオ番組『アンジェラスの鐘』放送開始<ref name=mbs50th-471/>。
** [[6月1日]] - 考査委員会を設置<ref name=mbs50th-471/>。
** [[6月9日]] - [[毎日新聞大阪本社]]内の編集局内特設ブースからのニュース放送を開始<ref name=mbs50th-471/>。
** [[8月29日]]
*** 開局1周年バラエティショー『日劇大放送』を、東京の[[日本劇場|日劇]]で同年[[9月2日]]まで5日間開催<ref>{{Cite book|和書|author=毎日放送50年史編纂委員会事務局|date=2001-9-1|title=毎日放送50年史|publisher=株式会社 毎日放送|page=471〜2}}</ref>。
*** 開局1周年記念音楽祭を、[[北野劇場]]で開催<ref name=mbs50th-472>{{Cite book|和書|author=毎日放送50年史編纂委員会事務局|date=2001-9-1|title=毎日放送50年史|publisher=株式会社 毎日放送|page=472}}</ref>。
*** 東京⇔大阪間に4線式放送用直通回線が開通。朝日放送と2時間交代で利用する<ref name=mbs50th-472/><ref name=abc50th-3-270>{{Cite|和書|author=朝日放送社史編修室|title=朝日放送の50年 Ⅲ 資料集|date=2000-3-31|publisher=朝日放送株式会社|pages=270}}</ref>。
** [[8月30日]]
*** 開局1周年記念音楽祭を、西宮球場で開催<ref name=mbs50th-472/>。
*** 朝日放送と共同で、テレビ局開設の免許申請を行う(後の[[大阪テレビ放送|大阪テレビ放送(OTV)]]。後に会社設立には、[[朝日新聞社]]、[[毎日新聞社]]も関わる。同テレビ局の詳細については、同項目を参照。)<ref name=mbs50th-472/><ref name=abc50th-3-270/>。
** [[8月31日]] - 開局1周年記念特番『東西歌合戦』を、梅田劇場と日劇から2元中継で放送<ref name=mbs50th-472/>。
** [[9月8日]] - 1日の最後の番組として、クラシックのアナログ盤による音楽番組『[[夜の名曲]]』が放送開始(1959年6月29日まで)。これにより放送終了時刻が、この番組で放送される音楽が全曲終了した後となる(この時点では原則的には23時30分終了)<ref>{{Cite book|和書|editor=毎日放送|title=毎日放送十年史|publisher=毎日放送|date=1961-12-15|pages=69〜70|id={{NDLJP|2496354/95}},{{NDLJP|2496354/96}}}}</ref>。
** [[12月18日]] - 音楽童話『イーハトーヴォ物語』が民放として文化庁芸術祭に初参加(この年は第7回)、この年の放送部門の芸術祭賞を受賞<ref name=mbs50th-472/><ref name=bunka2-10>[https://www.bunka.go.jp/seisaku/geijutsubunka/jutenshien/geijutsusai/pdf/94049001_01.pdf 文化庁芸術祭賞受賞一覧 昭和22年(第2回)〜昭和30年(第10回)](PDF形式)(文化庁のサイト)(2024年8月11日閲覧)</ref> 。
* [[1953年]](昭和28年)
** 2月 - 新日本放送労働組合を結成<ref name=mbs50th-472/>。
** [[3月23日]] - [[第二次世界大戦|第2次世界大戦の敗戦]]に伴う[[引揚者#中国国民党政権による送還|中国からの引揚再開]]に伴う第1陣帰国で、引揚船が到着する[[京都府]][[舞鶴市]]から上陸の模様を実況放送<ref name=mbs50th-472/>。
** [[6月5日]] - 自社と[[アルゼンチン]]の[[ブエノスアイレス]]にあるベルグラーノ局との交換放送を、この日から翌月(7月)10日まで5回に渡って実施<ref name=mbs50th-472/>。
** [[6月17日]] - 番組中継用として使用する、当時としては高音質のFM超短波帯無線局の陸上移動局と基地局に本免許が交付される<ref name=mbs50th-472/>。
** 7月31日 - 東京支社スタジオが完成<ref name=mbs50th-472/>。
* [[1954年]](昭和29年)
** [[4月1日]]
*** 放送開始時間を午前5時半に繰り上げる(1日の放送時間は原則18時間30分となる)<ref name=mbs50th-473>{{Cite book|和書|author=毎日放送50年史編纂委員会事務局|date=2001-9-1|title=毎日放送50年史|publisher=株式会社 毎日放送|page=473}}</ref>。
*** [[阪神甲子園球場]]で毎年春に行われる[[選抜高等学校野球大会]](通称:春のセンバツ)を、この年の[[第26回選抜高等学校野球大会|第26回大会]]の初日から初めて期間中、ラジオにて全中継で放送(完全中継は1963年から)<ref name=mbs50th-473/>。
** [[7月1日]] - 苅田ラジオ送信所の非常用自家発電機装置の工事完了<ref name=mbs50th-473/>。
** [[9月20日]] - 番組の考査委員会を設置<ref name=mbs50th-473/>。
** [[11月11日]] - 『NJBこども音楽会』(現在の『[[こども音楽コンクール]]』の前身)放送開始<ref name=mbs50th-473/>。
** [[11月15日]] - 第1回ラジオスポットコンクールを実施(以後、1970年まで毎年続く)<ref name=mbs50th-473/>。
** [[12月9日]] - 第9回文化庁芸術祭放送部門に参加した「ラジオ・バレエ『カルメンシータ』」で、演出の[[和田精]]が芸術祭賞を受賞<ref name=bunka2-10/><ref name=mbs50th-473/>。
* [[1955年]](昭和30年)
** 4月1日 - 社外モニター制度を採用する<ref name=mbs50th-473/>。
** [[7月1日]] - [[大阪管区気象台]]から天気予報の放送を、同内の仮設スタジオから開始する<ref name=mbs50th-473/>。
** [[10月5日]] - [[視聴者参加型番組|一般参加型]]の[[公開放送]]による[[演芸]]番組『[[素人名人会]]』のラジオでの放送を開始(1958年11月26日終了。1960年5月8日には、テレビにて再開)<ref>{{Cite|和書|author=毎日放送40年史編纂室(編集)|title=毎日放送の40年 資料編|date=1991|publisher=毎日放送|pages=173}}</ref>。
** [[12月1日]] - NJBクラブが発足する<ref name=mbs50th-473/>。
** [[12月24日]] - 大阪管区気象台から天気予報を放送する為の特設スタジオが完成、稼働開始<ref name=mbs50th-473/>。
* [[1956年]](昭和31年)
** [[2月1日]] - 企画委員会を設置する<ref name=mbs50th-474>{{Cite book|和書|author=毎日放送50年史編纂委員会事務局|date=2001-9-1|title=毎日放送50年史|publisher=株式会社 毎日放送|page=474}}</ref>。
** [[4月7日]] - 前述の大阪テレビ放送とは別に、自社単独で、テレビジョン放送局の免許を申請する<ref name=mbs50th-474/>。
** [[5月11日]] - 社内に厚生会を発足する<ref name=mbs50th-474/>。
** 7月1日 - 番組研究委員会を設置する<ref name=mbs50th-474/>。
** [[7月2日]] - 本社事務所の一部を、毎日大阪会館9階へ移転する<ref name=mbs50th-474/>。
** [[7月7日]] - 本店所在地を、大阪市北区堂島船大工町53番地へ移転の登記を完了する<ref name=mbs50th-474/>。
** [[8月4日]] - 第1回財界名人会を、NJBホール会館記念として開催する<ref name=mbs50th-474/>。
** [[12月1日]] - 朝日放送、毎日新聞社、朝日新聞社と共に設立した[[大阪テレビ放送]]が開局(1ヵ月前の[[10月30日]]に本免許を取得)<ref name=mbs50th-474/>。
** [[12月5日]]
*** 職制改正で、初めて局制を採用。総務、業務、編成、技術の各局を新設する<ref name=mbs50th-474/>。
*** 国際室を設置する。民放では初の海外番組交換部門となる<ref name=mbs50th-474/>。
** 12月24日 - ラジオクリスマス特別番組で、初のオールナイト放送を実施する<ref name=mbs50th-474/>。
* [[1957年]](昭和32年)
** [[6月1日]] - [[ブラジル]]・[[サンパウロ|サンパウロ市(当時)]]のラジオ・クルツーラ局と番組販売契約を締結する<ref name=mbs50th-474/>。
** [[7月11日]] - 自社で改めて教育テレビジョン放送局の免許を申請する<ref name=mbs50th-474/>。
** [[8月1日]] - 3カ月前に創立したばかりの[[関西芸術座]]と、放送優先出演契約を締結する<ref name=mbs50th-474/>。
** [[9月2日]] - (株)大阪ムービーセンターを設立([[放送映画製作所|毎日放送映画社]]の前身)<ref name=mbs50th-474/>。
** [[9月18日]] - 教育テレビジョンから改めて、準教育テレビジョン放送局の免許を申請する(翌月(10月)14日には一部訂正して再度申請を行う)<ref name=mbs50th-474/>。
** [[9月28日]]〜[[9月30日|30日]] - 開局7周年記念として、第1回「大阪まつり」を、[[梅田芸術劇場|梅田コマスタジアム]]にて開催<ref name=mbs50th-474/>。
** [[10月1日]] - CM研究会発足<ref name=mbs50th-474/>。
** [[10月22日]] - 準教育として、テレビジョン放送局の予備免許を取得する('''[[日本の放送局所の呼出符号#JO*R|呼出符号:JOOR-TV]]、[[テレビ周波数チャンネル#関東広域圏|チャンネル]]4、映像[[空中線電力|出力]]10[[キロ|k]][[ワット|W]]、[[音声]]出力5kW''')。これに伴い、テレビ開局準備委員会を新設する(翌月(11月)1日には、テレビ開局準備会議に改称)<ref name=mbs50th-474/>。
* [[1958年]](昭和33年)
** [[4月1日]] - 名古屋支局を、CBC別館内に開設する<ref name=mbs50th-475>{{Cite book|和書|author=毎日放送50年史編纂委員会事務局|date=2001-9-1|title=毎日放送50年史|publisher=株式会社 毎日放送|page=475}}</ref>。
** [[5月5日]] - 関西教育文化放送会議(後の毎日放送テレビ教育会議)が発足する<ref name=mbs50th-475/>。
** [[6月1日]]
*** 新日本放送の'''商号(社名)を、「株式会社毎日放送」に変更'''<ref name=mbs-enkaku/><ref name=mbs50th-475/>(同時に、'''略称もMBSへ変更''')。
*** RKBと共同で、毎放健康保険組合を結成する<ref name=mbs50th-475/>。
** [[8月1日]]
*** 事務所の一部を、毎日大阪会館南館6,7階に移転<ref name=mbs50th-475/>。
*** テレビ新規開局準備に伴い、大阪テレビ放送からの社員の移籍が始まる(翌月(9月)16日まで。計88名)<ref name=mbs50th-475/>。
** [[8月4日]] - [[阪急阪神ホールディングス|京阪神急行]]系列(当時)の職員が、自社から引き揚げる<ref name=mbs50th-475/>(同系列の[[関西テレビ放送]]の開局準備及び、毎日放送がテレビを開局する為)。
** [[8月5日]] - 毎日大阪会館南館8,9階に、テレビのA,B両スタジオが完成<ref name=mbs50th-475/>。
** [[9月6日]] - テレビ中継車第1号稼働開始<ref name=mbs50th-475/>。
** [[9月16日]]
*** テレビの生駒送信所局舎が完成<ref name=mbs50th-475/>。
*** 毎日ホールからテレビカメラの初テストを実施する<ref name=mbs50th-475/>。
** 10月1日 - 「毎日放送放送基準」を制定する<ref name=mbs50th-475/>。
** [[10月22日]] - テレビの試験電波を発射する<ref name=mbs50th-475/>。
** [[10月28日]] - 番組審議会を設置する<ref name=mbs50th-475/>。
** [[11月12日]] - テレビ中継車第2号稼働開始<ref name=mbs50th-475/>。
** [[11月25日]] - テレビ開局日を、当初の翌月(12月)の1日から、翌年(1959年)の3月1日に延期することを発表する<ref name=mbs50th-475/>。
** [[12月1日]] - 名古屋支局が、毎日名古屋会館へ移転する。
* [[1959年]](昭和34年)
** [[1月24日]] - 朝日放送と共同で、モノラルAM2波を使ったステレオ放送を開始するに当り、同試験電波を発射<ref>{{Wayback|url=http://weddson.my.coocan.jp/minpou.html |title=民放ステレオ事始め |date=20200109131052}}([[上田博章]]公式サイト 2007年2月)</ref>。
** [[1月26日]] - 大阪テレビ放送(OTV)が朝日放送(ABC)と合併するのを受け、毎日放送が出資したOTVへの出資金を、ABCへ肩代わりさせる<ref name=mbs50th-476>{{Cite book|和書|author=毎日放送50年史編纂委員会事務局|date=2001-9-1|title=毎日放送50年史|publisher=株式会社 毎日放送|page=476}}</ref>。
** [[1月31日]] - アナログ・テレビ放送の本免許を取得する<ref name=mbs50th-476/>。
** [[2月2日]] - テレビの試験放送を実施する<ref name=mbs50th-476/>。
** [[2月8日]] - 台湾の正声放送と、週1回1時間のラジオ番組供給契約を締結する<ref name=mbs50th-476/>。
** [[2月16日]] - 朝日放送と共同で、モノラルAM2波を使ったレギュラーステレオ放送番組『ナショナルステレオアワー』を開始(同年7月27日に、『[[ナショナルステレオホール]]』に番組名を変更、1961年4月3日終了)<ref name=mbs50th-476/><ref>{{Cite book|和書|editor=毎日放送|title=毎日放送十年史|publisher=毎日放送|date=1961-12-15|pages=155|id={{NDLJP|2496354/193}}}}</ref><ref>{{Cite|和書|author=朝日放送社史編修室|title=朝日放送の50年 Ⅲ 資料集|date=2000-3-31|publisher=朝日放送株式会社|pages=89}}</ref>。
** [[2月27日]] - [[福岡ソフトバンクホークス|南海ホークス(南海野球(株))]]と、[[大阪スタヂアム|大阪スタヂアム(大阪球場)]]での公式試合のテレビ中継に於ける放送独占契約を締結する<ref name=mbs50th-476/>。
** [[3月1日]]
*** 準教育局([[準キー局|ANN系列の準キー局]])として、午前10時から'''テレビ[[NTSC#日本における実装 (NTSC-J)|地上アナログ]]本放送開始(JOOR-TV)'''<ref name=mbs-enkaku/><ref name=mbs50th-476/>。東京・[[フジテレビジョン|フジテレビ]]、福岡・[[九州朝日放送]]と同日開局。[[TBSホールディングス|ラジオ東京]](KRT、現在の[[TBSテレビ]])のフルネット局として開局を目指していたが、KRT側に拒否され、その後[[フジテレビジョン|フジテレビ]](CX)とのネットワーク関係樹立を目指すも断念。結果、日本教育テレビ(NET。現在の[[テレビ朝日]](EX))主体でのネットワーク形成を余儀なくされる<ref group="注釈">当時のNET系列の地方局で唯一のフルネットであった。</ref><ref group="注釈">しかし、この時点ではスポンサードネットとしてCX・KRTの一部番組をネット受けしていた。また制作番組の一部は、CXにもネットされ、ニュース番組も『[[毎日新聞ニュース]]』はKRTからネット受けしていた。ただし、それ以外のテレビニュースについては、自主制作となっていた。</ref>。
*** [[吉本興業]]と、[[うめだ花月|梅田花月劇場]]の舞台中継に於いての放送独占契約を締結する<ref name=mbs50th-476/>。
** [[3月6日]] - テレビ、『[[真珠の小箱]]』放送開始<ref name=mbs50th-476/>。
** [[3月8日]]〜[[3月22日|22日]] - テレビ、『大相撲実況中継』を、大阪府立体育館から放送する<ref name=mbs50th-476/>。これに伴い、NETのテレビ番組『[[大相撲ダイジェスト]]』が放送開始<ref name=mbs50th-476/>。MBSはTBS系列にネットチェンジする迄、大阪開催時のみ制作協力を行う。
** [[3月9日]] - テレビ、『[[番頭はんと丁稚どん]]』放送開始(1961年4月終了)<ref name=mbs50th-476/>。
** 4月1日 - テレビ、この日から阪神甲子園球場で行われる[[第31回選抜高等学校野球大会]]の全試合をテレビ中継する。この年、当初決勝は4月8日開催の予定だったが、翌9日まで雨天で順延となり、10日に行われたものの、この時は後述の皇太子御成婚慶祝特番の為、放送を行うことができなかった<ref name=mbs50th-476/>。
** [[4月10日]] - [[明仁|皇太子]][[結婚|御成婚]]慶祝番組(ご成婚祝賀パレード生中継を含む)をこの日、在京のKRT,NETや地方の各局と協力して、テレビ・ラジオで実況中継する<ref name=mbs50th-476/>。
** [[5月7日]] - カラーテレビ実験局の開設免許申請を行う<ref name=mbs50th-476/>。
** [[5月28日]] - テレビ送信所の音声出力を、2.5kWに減力する<ref name=mbs50th-476/>。
** [[6月16日]] - 第9回番組審議会で、改正放送法第51条に基づき「毎日放送放送基準」を改正、「放送番組の編集に関する基本計画」を制定する<ref name=mbs50th-476/>。
** [[10月1日]] - ラジオの出力を20kWに増力<ref name=mbs-enkaku/><ref name=mbs50th-476/>。
** [[10月5日]] - テレビ、『[[皇室アルバム]]』放送開始<ref name=mbs50th-476/>。
** [[12月17日]] - ラジオ、第14回文化庁芸術祭音楽部門に参加した『邦楽小曲集「しづかな流」』で、作曲者の[[今藤長十郎]]と[[清元梅吉 (4代目)|松原奏風(4代目 清元梅吉)]]が同部門の芸術祭賞を受賞<ref name=mbs50th-476/><ref>[https://www.bunka.go.jp/seisaku/geijutsubunka/jutenshien/geijutsusai/pdf/s31_s40.pdf 文化庁芸術祭賞受賞一覧 昭和31年(第11回)〜昭和40年(第20回)](PDF形式)(文化庁のサイト)(2024年8月12日閲覧)</ref> 。
 
==== 1960年代 ====
:TBS系列になってからも深夜の帯番組「[[ワンダフル]]」をネットしなかったのは、局が「23時ショー」のような事態を恐れて敬遠していたのと、この時間の自社制作番組が好調だったからと言われている。
* [[1960年]](昭和35年)
** [[1月15日]] - 南海ホークス(南海野球(株))・大阪スタヂアム(大阪球場)と年間35試合のテレビ独占放送の契約を締結<ref name=mbs50th-477>{{Cite book|和書|author=毎日放送50年史編纂委員会事務局|date=2001-9-1|title=毎日放送50年史|publisher=株式会社 毎日放送|page=477}}</ref>。
** [[2月1日]] - 朝日放送(ABC)が[[ジャパン・ニュース・ネットワーク|四社連盟(1ヵ月後には五社連盟)]]に加入したためKRTの番組を手放す。しかし、『毎日新聞ニュース』のネット受けという形でKRTとの関係は残る。また、CXの番組が[[関西テレビ放送|関西テレビ]](KTV)に移行したため、キー局をNET(現在の[[テレビ朝日]](EX))に統一<ref group="注釈">同年4月1日よりNETのニュース番組をネット受けして共同制作する事になるが、その番組は[[テレビ朝日映像|朝日テレビニュース社]]制作による『[[朝日新聞ニュース|NETニュース]]』であり、「朝日新聞 制作」のクレジットが付き、朝日新聞社旗がはためくオープニングタイトルであった。しかし、毎日放送はそのタイトルを差し替えて『[[MBSニュース]]』として放送していた。「朝日」放送があるにも拘わらず「朝日」新聞制作のニュースが、近畿地区では「毎日」新聞系の局に流れ、また近畿地区のニュースは「毎日」放送が取材した物が「朝日」新聞ニュースとして全国に放送された。これがいわゆる「[[腸捻転]]ネット」である(本来朝日との資本関係にある朝日放送は[[ジャパン・ニュース・ネットワーク#JNN協定の排他性|ラジオ東京系列の排他協定]]の都合上『NETニュース』の全面ネットを行わなかったが、NETから裏送りされた[[読売・朝日・毎日3社ニュース|3社ニュース]]での「[[朝日新聞ニュース]]」は放送されていた)。</ref>。
** [[5月8日]] - 1955〜8年に3年間ラジオで放送していた『素人名人会』をテレビにて再開、放送開始<ref name=mbs50th-477/>。2002年3月17日の番組終了まで約42年間続いた。
** [[9月1日]] - 大阪府[[吹田市]]の[[千里丘陵]]に新たに建設する、2階建ての「[[毎日放送千里丘放送センター|千里丘スタジオ]]」の地鎮祭を挙行、建設開始<ref name=mbs50th-477/>。
** [[12月16日]] - テレビ、「第1回歳末助け合い市」を、毎日国際サロンにて開催<ref name=mbs50th-477/>。
* [[1961年]](昭和36年)
** [[1月29日]] - サンパウロ市に現地法人・「ブラジル毎日放送」を設立。翌月(2月)15日放送開始<ref name=mbs50th-478>{{Cite book|和書|author=毎日放送50年史編纂委員会事務局|date=2001-9-1|title=毎日放送50年史|publisher=株式会社 毎日放送|page=478}}</ref>。
** [[4月3日]] - テレビ早朝放送を開始。月 - 土の放送開始時間が6時35分となる<ref name=mbs50th-478/>。
** [[6月1日]] - ラジオ送信所を新たに建設した高石送信所に移転、送信開始<ref name=mbs-enkaku/><ref name=mbs50th-478/>。
** [[8月15日]]
*** 千里丘スタジオにテレビマスターを移動、稼働開始<ref name=mbs50th-478/>。
*** 米ABC-1との業務協定を締結する<ref name=mbs50th-478/>。
** [[8月29日]] - 千里丘スタジオにラジオマスターを移動、稼働開始<ref name=mbs50th-478/>。
** [[9月1日]] - 千里丘スタジオが完成、番組制作機能を移転<ref name=mbs-enkaku/>。
 
* [[1962年]](昭和37年)
:ちなみにMBSは「[[筑紫哲也NEWS23]]」でかつて放送していた第2部(23:50~)のネットにも加わらず、最後に残っていた[[テレビ山口]](TYS)がネットに加わる際に[[筑紫哲也]]が「'''これで第2部をネットしないのは1局のみとなりました'''」と明らかにMBSをからかう発言をしている。とにかく[[筑紫哲也]]に嘲笑されるほどMBSのこの姿勢は頑なである<!--「ワンダフル」の件とは異なり、筑紫が阪神大震災のときに被災地を「温泉場」に準えた発言が遠因とされる。-->。
** [[2月27日]] - NETからネット放送している米テレビ西部劇映画『[[ローハイド]]』の出演者一行が千里丘スタジオに来訪、自社のテレビ番組『あなたに善意を』に出演する<ref name=mbs50th-478/>。
** [[3月26日]] - 自社の労働組合がこの日の13時から3日後の29日14時まで、連続73時間の全面ストに突入<ref name=mbs50th-478/>。
** 4月1日 - アメリカ特派員の駐在所を、ワシントンからニューヨークへ移転する<ref name=mbs50th-478/>。
** 8月1日 - 放送用語委員会を設置する<ref name=mbs50th-478/>。
** 10月1日 - 千里丘スタジオ内に集会所が完成<ref name=mbs50th-478/>。
* [[1963年]](昭和38年)
** [[3月1日]] - 京都・神戸各支局を、毎日新聞社の各支局内に開設する<ref name=mbs-enkaku/><ref name=mbs50th-479>{{Cite book|和書|author=毎日放送50年史編纂委員会事務局|date=2001-9-1|title=毎日放送50年史|publisher=株式会社 毎日放送|page=479}}</ref>。
** [[3月27日]]〜[[4月5日]] - 『[[第35回選抜高等学校野球大会]]』のテレビ中継を、毎日新聞社との関係上、特例でTBSにスポンサードネットする。この前後の時期には、当時TBS系列だったABCの『[[全国高校野球選手権大会中継|夏の高校野球]]』の開会式や決勝戦等、一部の試合がNETや東京12チャンネルにネットしている。
** [[10月1日]] - 東京支社が、[[日本生命]]日比谷ビル6階に移転する<ref name=mbs50th-479/>。
** [[10月6日]] - 全国ネットのテレビ[[クイズ番組]]『[[アップダウンクイズ]]』放送開始(後にTBS系列へのネットチェンジを経て、1985年10月6日終了)。
** [[11月23日]] - 日米間の初の宇宙(衛星)中継実験放送で、ニューヨーク駐在員の前田治郎が、[[ジョン・F・ケネディ|ケネディ大統領]][[ケネディ大統領暗殺事件|暗殺]]のニュースを日本へ報道する<ref group="注釈">この模様は後に、NHK総合テレビ『[[プロジェクトX〜挑戦者たち〜]]』の2004年11月30日放送の第160回「衝撃のケネディ暗殺 日米衛星中継」にて放送された。</ref><ref name=mbs50th-479/>。
** [[12月1日]] - 全国ネットの買い物[[ゲーム番組]]『[[がっちり買いまショウ]]』放送開始(後にTBS系列へのネットチェンジを経て、1975年11月30日終了)。
* [[1964年]](昭和39年)
** [[2月3日]]〜[[2月15日|15日]] - [[1964年インスブルックオリンピック|インスブルック冬季オリンピック大会]]のテレビでの実況放送を、米ABCと提携し、VTR録画で独占放送を行う<ref name=mbs50th-479/>。
** [[2月17日]] - テレビ番組『[[大阪株式市況]]』が放送開始。[[大阪証券取引所]](現・[[大阪取引所]]、大証。北浜)からの中継で、取引所にMBSの専用放送席を設けて放送<ref>{{Cite|和書|author=毎日放送40年史編纂室(編集)|title=毎日放送の40年|date=1991|publisher=毎日放送|pages=214}}</ref>(その後、[[1985年]][[1月7日]]より『証券レーダー 北浜ホットライン』と改題し<ref>{{Cite|和書|author=毎日放送40年史編纂室(編集)|title=毎日放送の40年 資料編|date=1991|publisher=毎日放送|pages=201}}</ref>、1995年3月24日に終了<ref name=mbs50th-505>{{Cite book|和書|author=毎日放送50年史編纂委員会事務局|date=2001-9-1|title=毎日放送50年史|publisher=株式会社 毎日放送|page=505}}</ref>)。
** 3月1日 - 高石ラジオ送信所の無人化運用を開始する<ref name=mbs50th-479/>。
** 4月1日 - NETからのテレビネット番組『[[モーニングショー|木島則夫モーニングショー]]』放送開始(TBS系にネットチェンジする直前の1975年3月28日まで放送)<ref name=mbs50th-479/>。
** [[4月8日]] - 全国ネットのテレビクイズ番組『[[ダイビングクイズ]]』放送開始(1974年3月31日終了)。
** [[7月8日]] - TBSラジオ、RKBラジオと暫定ラジオネットワーク契約を締結<ref>{{Cite book|和書|author=株式会社東京放送|date=2002-1|title=TBS50年史 資料編|publisher=株式会社東京放送|page=336}}</ref>。翌年のJRN(Japan Radio Network)発足へと繋がる。
** [[7月13日]] - TBSラジオからのネットで、昼のラジオ生ワイド番組『[[オーナー (ラジオ番組)|オーナー]]』放送開始(1966年10月1日終了)<ref name=mbs50th-480>{{Cite book|和書|author=毎日放送50年史編纂委員会事務局|date=2001-9-1|title=毎日放送50年史|publisher=株式会社 毎日放送|page=480}}</ref>。
* [[1965年]](昭和40年)
** [[3月25日]]〜[[5月20日]] - この期間中67回に渡り、春闘長期ストライキが行われる<ref name=mbs50th-480/>。期間中、放送業務にも支障をきたす事態が起こる(後述)(通称「(昭和)40年争議」)。
** [[5月2日]] - TBSラジオをキーステーションとしたラジオネットワーク、JRNに加盟<ref name=mbs50th-480/>。
** [[5月3日]] - [[文化放送]]と[[ニッポン放送]]をキーステーションとしたラジオネットワーク、NRN(National Radio Network)に加盟<ref name=mbs50th-480/>。
** [[5月6日]] - 13時から放送のテレビ番組『ママの育児日記』の生放送中に、ストライキ中の組合員の労働歌や声が混入する事態が発生。通称「ママ育」事件が発生する<ref name=mbs50th-480/><ref>[https://www.mhlw.go.jp/churoi/meirei_db/mei/pdf/m03835.pdf 中央労働委員会 命令書(中央労働委員会 昭和44年7月2日付)](厚生労働省のサイト)(2024年8月13日閲覧)</ref>。
** [[5月9日]] - ラジオ番組『[[びわ湖毎日マラソン|第20回毎日マラソン]]実況中継』の放送に使うラジオ中継車が組合員の[[ピケッティング|ピケッティング(ピケ)]]で出発できず、CBCのラジオ中継車を借りて放送する<ref name=mbs50th-480/>。
** [[5月20日]] - 春闘長期ストライキの影響から、この日の13時から5日後(25日)の午前10時まで、会社側が千里丘放送センターを[[ロックアウト]]する<ref name=mbs50th-480/>。
** [[7月23日]] - 春闘に対する賞罰委員会を設置する<ref name=mbs50th-480/>。
** [[8月1日]] - ラジオCM一本化の為の自動編集機(DENON製 型番:DN-100RCM)を導入<ref name=mbs50th-480/>。
** 9月1日 - 不況対策の為、業務改善委員会を設置する<ref name=mbs50th-481>{{Cite book|和書|author=毎日放送50年史編纂委員会事務局|date=2001-9-1|title=毎日放送50年史|publisher=株式会社 毎日放送|page=481}}</ref>。
** 10月1日 - NETと相互ネットワークに関する業務協定を締結<ref name=mbs50th-481/>。
** [[11月18日]] - テレビ時代劇『源氏物語』放送開始(1966年5月12日終了)<ref name=mbs50th-481/><ref name=bpcj000453>[https://www.bpcj.or.jp/search/show_detail.php?program=180633 「源氏物語 夕顔」](放送番組センター 放送ライブラリー)(2024年8月13日閲覧)</ref>。
* [[1966年]](昭和41年)
** [[2月10日]] - 「毎日放送映画」社が、破産を申請(1972年6月28日に破産宣告を受ける)<ref name=mbs50th-481/>。
** [[2月24日]] - 「毎日放送映画」社の破産を受け、それを継承した新会社「[[放送映画製作所]]」を設立<ref group="注釈">「毎日放送50年史」では、設立の月日が2月23日と記されているが、ここでは、放送映画製作所のWEBサイト内の「沿革」の項目の記述を記す。</ref><ref name=mbs50th-481/><ref>[https://www.hosoeiga.co.jp/about/#historyl 沿革 - 放送映画製作所]</ref>。
** [[2月27日]] - 時事問題研究会開始(月1回開催)<ref name=mbs50th-481/>。
** [[5月15日]] - テレビ時代劇『源氏物語』が、[[エミー賞|エミー賞国際賞]]のフィクション部門に入賞する<ref name=mbs50th-481/><ref name=bpcj000453/>。
** [[7月4日]] - ラジオ送出自動化を開始<ref name=mbs50th-481/>。
** [[9月7日]] - ラジオ放送開始15周年記念公開放送『ティーチイン「現代と青年」』第1回を、大阪毎日国際会館で開催(以後同月21日まで、4回開催される)<ref name=mbs50th-481/>。
** [[9月25日]] - 東京支社が、千代田区竹平町1番地にあるパレスサイドビル4階に移転する<ref name=mbs50th-481/>。
** [[10月2日]] - テレビ番組『怒涛日本史』放送開始(同年12月25日終了)<ref name=mbs50th-481/>。
** [[11月28日]] - テレビ番組『[[こちらアメリカです]]』にて、通信衛星ランバードを使って、東京・ニューヨーク・サンフランシスコを3元中継を行う<ref name=mbs50th-482>{{Cite book|和書|author=毎日放送50年史編纂委員会事務局|date=2001-9-1|title=毎日放送50年史|publisher=株式会社 毎日放送|page=482}}</ref>。
* [[1967年]](昭和42年)
** [[2月18日]] - カラーテレビ放送本免許を取得<ref name=mbs50th-482/>。
** [[3月15日]] - テレビスポットの送出自動化を開始する<ref name=mbs50th-482/>。
** [[3月23日]] - NETとの共同制作で、プロボクシング 世界ヘビー級タイトルマッチ「[[モハメド・アリ|カシアス・クレイ]] 対 {{仮リンク|ゾラ・フォーリー|en|Zora Folley}}」の対戦を、テレビ宇宙(衛星)中継でニューヨークから放送する<ref name=mbs50th-482/>。
** [[4月1日]] - '''テレビのカラー本放送開始'''{{Refnest|group="注釈"|ちなみに初のカラー番組は、この日午前7時45分から45分間に渡って放送された『開幕迫る[[モントリオール万国博覧会|モントリオール博]]』だった<ref>1967年4月1日 朝日新聞大阪版 朝刊P.9 テレビ・ラジオ欄 (朝日新聞クロスサーチにて閲覧)</ref>。}}<ref name=mbs-enkaku/><ref name=mbs50th-482/>。大阪地区では4番目。
** [[4月10日]] - ラジオで「こどもを交通事故から守ろう」キャンペーンを開始<ref name=mbs50th-482/>。
** [[4月14日]] - コンピューター制御によるテレビ送出全自動化を開始<ref name=mbs50th-482/>。
** [[5月1日]] - 北米支局をニューヨークに開設する<ref name=mbs50th-482/>。
** [[6月10日]] - [[民間放送教育協会]](民教協)発足と同時に加盟。
** [[6月15日]] - ラジオ送出全自動化を開始<ref name=mbs50th-482/>。
** [[6月16日]] - テレビ番組『日本の名作』の番組フィルム30本を、[[日本近代文学館]]へ寄贈する<ref name=mbs50th-482/>。
** [[7月27日]] - モノクロ録画中継車が稼働開始<ref name=mbs50th-482/>。
** [[10月2日]] - ラジオ深夜番組『歌え!MBSヤングタウン』(現在の『[[MBSヤングタウン]]』)放送開始(2024年8月現在も継続中)<ref name=mbs50th-482/>。
** [[10月14日]] - [[大阪港]]開港百年祭記念のラジオ番組『大阪の百人』放送開始(1968年2月8日終了)<ref name=mbs50th-482/>。
** [[10月15日]] - テレビAスタジオのカラー化工事が完成<ref name=mbs50th-482/>。
** [[10月16日]] - テレビのローカル・ワイドショー『ファミリースタジオ』放送開始(後に『ファミリースタジオ230』、『[[奥さん!2時です]]』へと改題され、ネットチェンジ直前の1975年3月28日に終了。)<ref name=mbs50th-482/>。
** [[11月1日]] - テレビ放送、郵政省から総合局として再免許<ref name=mbs50th-482/>。
* [[1968年]](昭和43年)
** [[1月31日]] - ラジオの特設サテライトスタジオを、堂島地下センターのスバル・ショールームに開設、翌月(2月)3日から同スタジオからの放送を開始<ref name=mbs50th-483>{{Cite book|和書|author=毎日放送50年史編纂委員会事務局|date=2001-9-1|title=毎日放送50年史|publisher=株式会社 毎日放送|page=483}}</ref>。
** [[2月6日]] - [[1968年グルノーブルオリンピック|1968年グルノーブル冬季オリンピック]]の開会式の模様を、カラーではオリンピック初の宇宙(衛星)生中継として放送(NHK総合も同時に放送)。その前後に於いて、自社(千里丘スタジオ)のAスタジオにて『オリンピック座談会』として、大会の展望や日本選手の活躍ぶりの予想を放送。これが、自社初のスタジオカラーカメラによる放送番組となった<ref name=mbs50th-483/><ref>朝日新聞 1968年2月6日 大阪版朝刊 P.8 テレビ・ラジオ欄 番組表 及び きょうのテレビ「冬季五輪の開会式」(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)</ref>。
** [[2月9日]]〜[[2月20日|20日]] - 1968年グルノーブル冬季オリンピックの競技の模様を、民放では独占で録画中継で放送{{Refnest|group="注釈"|この冬季オリンピックでは開会式・閉会式を含め、ほとんどの種目の実況テレビ放送がカラーとなっており、又、それとは別に、各テレビ局のカラーでのフィルム取材も行われ、ニュースや番組『オリンピックダイジェスト』の番組等で放送された。}}<ref name=mbs50th-483/>。
** [[2月19日]] - アンペックス社製ハイバンドカラーVTR(VR-2000B型)を導入<ref name=mbs50th-483/>。
** [[2月20日]] - 終了したラジオ番組『大阪の百人』の番組録音テープ101巻を、大阪市に寄贈する<ref name=mbs50th-483/>。
** 3月1日 - 放送用語委員会を、放送用語連絡会議に改称する<ref name=mbs50th-483/>。
** [[3月8日]] - カラー中継車が稼働開始<ref name=mbs50th-483/>。
** [[3月28日]] - この日から開催された『[[第40回選抜高等学校野球大会]]』の開会式から、同大会のカラー放送を開始する<ref>1968年3月28日 朝日新聞大阪版 朝刊P.9 テレビ・ラジオ欄 (朝日新聞クロスサーチにて閲覧)</ref>。同時ネットの[[テレビ東京|東京12チャンネル(現・テレビ東京)]]はこの日にカラー放送を開始<ref>{{Cite book|和書|title=テレビ東京20年史|publisher=テレビ東京|date=1984-04-12|pages=99|id={{NDLJP|12275747/54}}}}</ref><ref>{{Cite book|和書 |title=テレビ東京30年史 |date=1994-04 |publisher=テレビ東京 |page=143}}</ref>、同局初のカラー番組となった<ref>1968年3月28日 朝日新聞東京版 朝刊P.9 テレビ・ラジオ欄 (朝日新聞クロスサーチにて閲覧)</ref>。
** [[3月31日]] - 生駒テレビ送信所の無人運用を開始<ref name=mbs50th-483/>。
** [[4月2日]] - テレビ番組『テレビ文学館〜名作に見る日本人〜』放送開始(同年9月24日放送終了)<ref name=mbs50th-483/>。
** [[4月29日]] - 音声自動編集機(MAV)を1台導入<ref name=mbs50th-483/>。
** [[5月19日]] - 第4回カンヌ報道番組国際コンクールの生中継部門にて、自社参加の30分番組『全学連とエンタープライズ{{Refnest|group="注釈"|同年[[1月19日]]に、[[アメリカ海軍]]の[[原子力空母]][[エンタープライズ (CVN-65)|エンタープライズ]]の[[佐世保基地 (アメリカ海軍)|米軍佐世保基地]]への寄港(入港)する事に対して発生した、[[革新政党]]・団体・住民を中心とした反対運動騒動([[佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争]])に於いての、寄港2日前(1月17日)のデモ隊と機動隊の激しい衝突を、2000mmの超望遠レンズを使いながらMBSのカメラが撮え、それを自社の中継車を使いNETの『木島則夫モーニングショー』内で生中継した模様のビデオテープから編集して30分の番組にしたもの。}}』がグランプリを受賞<ref>{{Cite book|和書|author=毎日放送50年史編纂委員会事務局|date=2001-9-1|title=毎日放送50年史|publisher=株式会社 毎日放送|page=182,483}}</ref>。
** [[6月17日]] - 神戸支局が、神戸市生田区江戸町の江戸川ビルに移転する<ref name=mbs50th-483/>。
** [[7月1日]] - [[三井物産]]や[[三菱商事]]などの支援を受けて、東京12チャンネル(現・[[テレビ東京]])の番組制作を請け負う株式会社東京十二チャンネルプロダクション(現在の株式会社テレビ東京)を設立。
** [[7月6日]] - 初のテレビ中継局・栃原中継局が開局<ref name=mbs50th-483/>。
** [[7月31日]] - (株)ミリカ音楽出版を設立する<ref name=mbs50th-483/>。
** [[8月4日]] - テレビ政治討論番組『70年への対話』放送開始(1970年12月27日終了)<ref>{{Cite book|和書|author=毎日放送50年史編纂委員会事務局|date=2001-9-1|title=毎日放送50年史|publisher=株式会社 毎日放送|page=182〜3,483}}</ref>。
** [[11月23日]] - 第23回文化庁芸術祭テレビジョン部門参加のカラードキュメンタリー番組『[[日本音楽の生と死]]』(構成・脚本・解説:[[黛敏郎]])を放送、同部門の奨励賞を受賞。後に英語版も制作され、翌年(1969年)の3月20日に、エミー賞国際賞のドキュメンタリー部門で入賞する{{Refnest|group="注釈"|毎日放送が2001年に発刊した書籍「毎日放送50年史」の120ページには、この番組の立ち上げの背景等の文章や、1969年に国際エミー賞を受賞した際の賞状の写真が掲載されている。}}<ref>{{Cite book|和書|author=毎日放送50年史編纂委員会事務局|date=2001-9-1|title=毎日放送50年史|publisher=株式会社 毎日放送|page=120,484}}</ref><ref>1968年11月23日、朝日新聞大阪版 朝刊P.9 テレビ・ラジオ欄 (朝日新聞クロスサーチにて閲覧)</ref><ref name=bunka21-30>[https://www.bunka.go.jp/seisaku/geijutsubunka/jutenshien/geijutsusai/pdf/s41_s50_ver2.pdf 文化庁芸術祭賞受賞一覧 昭和41年(第21回)〜昭和50年(第30回)](PDF形式)(文化庁のサイト)(2024年8月13日閲覧)</ref>。
** [[12月20日]] - PR専門委員会を設置<ref name=mbs50th-483/>。
* [[1969年]](昭和44年)
** [[3月10日]] - 「毎日放送非常災害対策要項」を制定<ref name=mbs50th-484>{{Cite book|和書|author=毎日放送50年史編纂委員会事務局|date=2001-9-1|title=毎日放送50年史|publisher=株式会社 毎日放送|page=484}}</ref>。
** [[7月1日]] - [[欧州放送連合|欧州放送連合(EBU)]]に準会員として加入する<ref name=mbs50th-484/>。
** [[7月3日]] - 桂三枝(現・[[桂文枝 (6代目)|6代桂文枝]])が司会のテレビ全国ネットのバラエティ番組『[[ヤングおー!おー!]]』放送開始(モノクロ。1970年10月にカラー化。後にTBS系列へのネットチェンジを経て、1982年9月19日終了)<ref name=mbs50th-484/>。
** [[8月23日]] - 千里丘スタジオ内に[[ミリカホール]]が完成、竣工修祓式を挙行する<ref name=mbs50th-484/>。
** [[8月24日]] - 全国ネットのテレビ番組『がっちり買いまショウ』がカラー化<ref>1969年8月24日 朝日新聞大阪版 朝刊P.9 テレビ・ラジオ欄 (朝日新聞クロスサーチにて閲覧)</ref>。これを機に、スタジオ・カラー・カメラを使ったスタジオ収録番組のカラー化が進んで行く。
** [[9月1日]] - ミリカホール完成記念式典を挙行。これを機に同日、'''千里丘スタジオを含む同地区社屋の呼称を、「千里丘放送センター」に決定する'''<ref name=mbs50th-484/>。
** [[10月1日]]
*** '''東京12チャンネル(現在の[[テレビ東京]](TX))ともネットを結び、NETテレビとのクロスネット局となる'''(1975年3月30日まで)。NETのみだった全国ネット番組を、一部東京12チャンネルへ切り替えて関西唯一の[[キー局]]宣言をする<ref group="注釈">それ以前の1967年から、『科学テレビ協力委員会』による東京12チャンネル再建支援の一環を兼ね、編成上の都合でNETにネットできなかった一部のMBS制作番組が東京12チャンネルへのネットとなっていた。</ref>。このためNETとの関係が悪化し始める。ただ、MBSは、NET(現在のテレビ朝日)と東京12チャンネルとの[[クロスネット局]]時代もNETが優位で、東京12チャンネルとは、人気のある番組を中心とした非報道関係の番組の一部ネットにとどまった<ref group="注釈">これ以後、MBSの編成から外れたNETとTXの番組は、[[全国独立放送協議会|独立県域局]]として開局した[[サンテレビジョン]]・[[京都放送|近畿放送]](以上1969年開局)・[[テレビ和歌山]](1974年開局)を中心に譲渡された。特にサンテレビと近畿放送はNET系列向けの番組を制作したことがある。</ref><ref name=mbs50th-484/>。
*** 北米支局がマジソン街に移転する<ref name=mbs50th-484/>。
** [[10月5日]] - 全国ネットのテレビクイズ番組『アップダウンクイズ』がカラー化<ref>1969年10月5日 朝日新聞大阪版 朝刊P.9 テレビ・ラジオ欄 (朝日新聞クロスサーチにて閲覧)</ref>。
** [[11月2日]] - 全国ネットのテレビクイズ番組『ダイビングクイズ』がカラー化<ref>1969年11月2日 朝日新聞大阪版 朝刊P.9 テレビ・ラジオ欄 (朝日新聞クロスサーチにて閲覧)</ref>。
** [[11月15日]] - 毎日放送懇話会が発足する<ref name=mbs50th-484/>。
** [[12月1日]] - ミニFMカー「MBSパトロール」が活動開始<ref name=mbs50th-484/>。
 
==== 1970年代 ====
:「23時ショー」は一部の[[ANN]]系列では[[1979年]][[9月]]まで放送され、「[[トゥナイト]]」に引き継がれた(ネットチェンジ後も[[朝日放送|ABC]]にはネットされなかった)。
* [[1970年]](昭和45年)
** [[1月1日]] - NETテレビをキーステーションとしたテレビニュースネットワーク、[[オールニッポン・ニュースネットワーク|ANN]]が発足し加盟<ref name=anb25th-406>{{Cite book|和書|editor=全国朝日放送株式会社総務局社史編纂部|title=テレビ朝日社史 : ファミリー視聴の25年|publisher=全国朝日放送|date=1984-02-01|pages=406|id={{NDLJP|12276014/488}}}}</ref>。全国ニュースタイトルは、他の系列局に遅れて、4月より『[[ANNニュース]]』(スポットニュースは『[[MBSニュース#テレビ|MBSニュース]] ANN』)となる(それまでは従来通り『MBSニュース』だった)<ref group="注釈">MBSはANNのAを「オールニッポン('''A'''ll-nippon)のA」ではなく「アサヒ('''A'''sahi)のA」と誤解したため、発足後もタイトル差し替えを継続していた。3か月後の[[4月1日]]より差し替えなしで放送するが、ANN発足から4年間「協力・朝日新聞」とクレジットされている事に難色を示していた。</ref>。
** [[1月3日]] - [[八木治郎]]司会によるカラー全国ネットの土曜朝の生ワイド番組『[[八木治郎ショー]]』放送開始<ref>1970年1月3日 朝日新聞大阪版 朝刊P.9 テレビ・ラジオ欄 (朝日新聞クロスサーチにて閲覧)</ref>(1980年10月4日に『[[八木治郎ショー・いい朝8時]]』に改題し、1983年4月18日に八木が急逝したことを受け、同年4月23日・30日に追悼特番が組まれ終了)。
** [[7月1日]] - ラジオのオールナイト放送を開始(日曜深夜を除く)<ref name=mbs50th-485>{{Cite book|和書|author=毎日放送50年史編纂委員会事務局|date=2001-9-1|title=毎日放送50年史|publisher=株式会社 毎日放送|page=485}}</ref>。
** [[10月1日]] - テレビキー局のNETがこの日、ゴールデンアワーの番組が全面カラー化<ref name=anb25th-406/>。
** [[11月13日]] - 第25回文化庁芸術祭テレビジョン部門に参加のカラーテレビドラマ『わが父北斎』放送<ref>{{Cite web|url=http://www.tvdrama-db.com/drama_info/p/id-12399|title=わが父北斎 - ドラマ詳細データ - ◇[[テレビドラマデータベース]] ◇|accessdate=2024-8-13|publisher=キューズ・クリエイティブ}}</ref>、同部門の優秀賞を受賞<ref name=bunka21-30/>。翌々年(1972年)[[9月25日]]には、第14回[[イタリア賞]]のテレビドラマ部門を受賞<ref name=mbs50th-486>{{Cite book|和書|author=毎日放送50年史編纂委員会事務局|date=2001-9-1|title=毎日放送50年史|publisher=株式会社 毎日放送|page=486}}</ref>。
* [[1971年]](昭和46年)
** [[2月24日]] - 京都支局が、京都市中京区御池通り鳥丸東入るの京ビルへ移転する<ref name=mbs50th-485/>。
** [[3月24日]] - 生駒テレビ送信所に、双ループ1段の予備アンテナを設置する<ref name=mbs50th-485/>。
** [[4月3日]] - [[石ノ森章太郎]]原作のテレビ特撮ヒーロードラマ番組『[[仮面ライダー]]』放送開始(1973年2月10日終了)<ref name=mbs50th-485/>。
** [[4月14日]] - 千里丘放送センターのフィルム・テープ・ライブラリー室が完成、修祓式を挙行する<ref name=mbs50th-485/>。
** [[5月26日]] - [[日本民間放送連盟|民放連]]記録保存所毎日放送支所を、千里丘放送センター内に開設する<ref>{{Cite book|和書|author=毎日放送50年史編纂委員会事務局|date=2001-9-1|title=毎日放送50年史|publisher=株式会社 毎日放送|page=485〜6}}</ref>。
** [[6月2日]] - [[ソビエト連邦]]テレビ・ラジオ委員会と番組交換に関する基本協定を締結する<ref name=mbs50th-486/>。
** 7月13日 - 米シカゴのWGNコンチネンタル放送と業務提携契約を締結する<ref name=mbs50th-486/>。
** 9月1日 - (ラジオ)放送開始20周年。その記念として、大阪市に植樹資金100万円を寄贈する<ref name=mbs50th-486/>。
** [[9月4日]] - 放送開始20周年記念番組として、ラジオでは『ラジオでいこう30時間50分』が、テレビでは『ミリカの丘』をそれぞれ放送する<ref name=mbs50th-486/>。
** [[9月24日]] - 放送開始20周年記念番組として、[[東大阪市花園ラグビー場|花園ラグビー場]]から「全イングランド 対 全日本」戦を、ラジオ・テレビ共に独占中継する<ref name=mbs50th-486/>。
** 11月1日 - 高石ラジオ送信所の出力を50kWへ増力する<ref name=mbs-enkaku/><ref name=mbs50th-486/><ref>{{Cite|和書|author=日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修室|title=NHK年鑑'72|date=1972|publisher=日本放送出版協会|pages=41}}</ref>。
** [[12月31日]] - この日を最後にNETテレビ(現在の[[テレビ朝日]])の『[[23時ショー]]』のネットを打ち切り<ref name=mbs50th-486/>、金曜日分の制作からも撤退。地方からの問題提起として話題を撒く。
* [[1972年]](昭和47年)
** [[2月25日]] - うめだ花月劇場のカラー放送設備が完成。翌々日の27日から使用開始<ref name=mbs50th-486/>。
** [[3月5日]] - 高石ラジオ送信所の非常用予備アンテナ設備が完成する<ref name=mbs50th-486/>。
** [[3月24日]] - 生駒テレビ送信所の非常用予備アンテナ設備が完成する<ref name=mbs50th-486/>。
** [[4月10日]] - 梅田・阪急ファイブ4階にサテライト・スタジオを開設、使用を開始<ref name=mbs50th-486/>。
** [[5月9日]] - ラジオ・アイデア懇談会が発足する<ref name=mbs50th-486/>。
** [[6月16日]] - [[チェコスロバキア]]国営テレビジョン放送と業務協定を締結する<ref name=mbs50th-486/>。
** [[9月14日]] - テレビ番組保存会議が発足する<ref name=mbs50th-486/>。
** [[9月30日]] - ラジオのオールナイト放送を中止する<ref name=mbs50th-486/>。
** [[10月9日]] - ラジオ平日朝の生ワイド番組『[[ごめんやす馬場章夫です]]』放送開始<ref name=mbs50th-486/>。2003年9月26日終了まで、31年間も続いた。
** [[10月14日]] - ラジオ土曜朝の生ワイド番組『[[ごめんやす浜村淳です]]』放送開始<ref name=mbs50th-486/>。
** [[11月23日]] - 『[[ダンロップフェニックストーナメント|第1回フェニックスゴルフトーナメント(後の「ダンロップフェニックストーナメント」)]]』のテレビ実況中継を、[[フェニックスカントリークラブ|宮崎フェニックスカントリークラブ]]から、[[宮崎放送]]との共同制作で放送。以後同トーナメントは毎年開催され、テレビ中継も行われている(2023年時点も継続中)<ref name=mbs50th-486/><ref>{{Cite|和書|author=毎日放送40年史編纂室(編集)|title=毎日放送の40年|date=1991|publisher=毎日放送|pages=254}}</ref><ref name="MRT30th">{{Cite book|和書|editor=宮崎放送開局三十周年記念事業委員会|title=宮崎放送三十年史|publisher=宮崎放送|date=1984-12-20|pages=142 - 143|id={{NDLJP|12275337/95}}}}</ref>。
** [[12月4日]] - [[ポーランド]]・ラジオ・テレビジョン放送委員会と友好業務協定を締結する<ref name=mbs50th-486/>。
** [[12月15日]] - 千里丘放送センターに、ラジオの予備送信所(出力:1kW)が完成、郵政省(近畿電波管理局)から使用許可を取得<ref name=mbs50th-487>{{Cite book|和書|author=毎日放送50年史編纂委員会事務局|date=2001-9-1|title=毎日放送50年史|publisher=株式会社 毎日放送|page=487}}</ref>。
* [[1973年]](昭和48年)
** [[1月28日]] - ラジオ・テレビの『毎日新聞ニュース』の編集・リライト業務が、毎日新聞社から自社の報道局へ全面移行する<ref name=mbs50th-487/>。これに伴い、ニュースタイトルを『毎日ニュース』に変更。
** [[6月4日]] - [[西ドイツ]]の第2ドイツテレビジョン協会と友好業務協定を締結する<ref name=mbs50th-487/>。
** [[6月7日]] - 高石ラジオ送信所のフェーダー線の故障で、23時26分から翌日0時22分までの56分間、ラジオが停波する事故が起こる<ref name=mbs50th-487/>。
** [[6月13日]] - ラジオ放送の千里丘放送センターから高石ラジオ送信所への(STLプログラム)中継回線の経路を、千里丘→生駒→高石に切り替える<ref name=mbs50th-487/>。
** 10月 - テレビ、当時キー局だったNETと後にキー局となるTBSがこの月、全放送時間が100%完全カラー化(過去の再放送や故意の演出の場合等を除く)<ref>{{Cite book|和書|author=日本テレビ放送網株式会社 社史編纂室|date=1978-8|title=大衆とともに25年 沿革史|publisher=日本テレビ放送網|page=211|id={{NDLJP|11954641/118}}}}</ref>。
** [[10月7日]] - テレビ番組『アップダウンクイズ』10周年記念番組を放送<ref name=mbs50th-487/>。
** [[11月22日]] - 2号カラーテレビ中継車が稼働開始<ref name=mbs50th-487/>。
** [[11月25日]] - テレビ番組『がっちり買いまショウ』10周年記念番組を放送<ref name=mbs50th-487/>。
** [[11月27日]] - 生駒テレビ送信所の代替2号放送機(型番:PCN-10BAH)の火入れ式を挙行<ref name=mbs50th-487/>。
** [[12月2日]] - テレビ番組『素人名人会』700回記念番組を放送<ref name=mbs50th-487/>。
* [[1974年]](昭和49年)
** [[1月14日]] - 「[[オイルショック#第1次|第1次オイルショック]]」に伴い、内閣が前年(1973年)11月16日に「石油緊急対策要綱」を閣議決定したのを受け、それに沿った在阪民放テレビ4社の申し合わせで、24時以降のテレビ深夜放送を打ち切る処置を開始(同年5月19日まで)<ref name=mbs50th-487/>。
** [[4月1日]] - ANN正式発足。ニュース協定締結<ref name=mbs50th-487/>。
** [[4月8日]] - ラジオの生ワイド番組『[[ありがとう浜村淳です]]』放送開始<ref name=mbs50th-487/>。
** [[6月20日]] - 高石ラジオ送信所の1号放送機を代替(型番:MB-136,100kW対応型)、火入れ式を挙行<ref name=mbs50th-488>{{Cite book|和書|author=毎日放送50年史編纂委員会事務局|date=2001-9-1|title=毎日放送50年史|publisher=株式会社 毎日放送|page=488}}</ref>。
** [[8月20日]] - 高石ラジオ送信所の送信アンテナに落雷事故発生、17時26分から33分間停波する<ref name=mbs50th-488/>。
** [[9月20日]] - ラジオのオールナイト放送が、月〜金の深夜に於いて復活する<ref name=mbs50th-488/>。
** [[11月18日]] - TBSから、'''「[[1975年]](昭和50年)[[3月31日]]から、テレビ放送を朝日放送(ABC)に代わりネットを開始する。」'''との通告を受ける。翌19日に社長記者会見で、TBS系列の"5社連盟"及び"JNNネットワーク"の加盟と共に発表する<ref name=mbs50th-488/>。
* [[1975年]](昭和50年)
** [[1月7日]] - テレビアニメ番組『[[まんが日本昔ばなし]]』放送開始。NET系を離脱する直前の同年3月25日の放送を以って一旦中断するも、翌年(1976年)1月3日からTBS系列で新たに放送を再開<ref name=mbs50th-488/>、レギュラー放送は1994年9月24日終了。その後も、TBS系列でデジタル・リマスター版を含めての再放送が行われた。尚、同番組は同年5月12日に、昭和50年度の[[児童福祉文化財|児童福祉文化賞]]を受賞している<ref name=mbs50th-488/>。
** [[3月6日]] - JNN加盟が、JNN協議会第9回総会にて承認される<ref name=mbs50th-488/>。
** [[3月31日]] - それまでの'''NET系列局から、開局以来からの念願であったTBS系列局へネットチェンジ。テレビネットワークの“[[腸捻転]]”が解消される'''<ref name=mbs-enkaku/><ref name=mbs50th-488/>。
*** これに伴い、朝日放送に代わって、'''[[ジャパン・ニュース・ネットワーク|ジャパン・ニュース・ネットワーク及び同5社連盟]]に加盟'''。また、『アップダウンクイズ』、『[[真珠の小箱]]』、『[[皇室アルバム]]』、『[[八木治郎ショー]]』、『[[野生の王国]]』、『ヤングおー!おー!』、『[[仮面ライダーシリーズ]]<ref group="注釈">TBS系移行時は『[[仮面ライダーストロンガー]]』から。『平成・令和仮面ライダーシリーズ』は毎日放送のかつてのキー局であるテレビ朝日が制作・放送。</ref>』、『[[生きものばんざい]]』等の'''自社制作番組がTBS・JNN系列を通じて全国放送される様になる'''。更に、「[[日曜劇場|東芝日曜劇場]]」の制作にも参加する。
*** 同時にANNを脱退し、東京12チャンネルとのネットワーク関係を解消(※[[京都放送|近畿放送テレビ→KBS京都]]・[[サンテレビジョン]]を経て[[テレビ大阪]]。但し、テレビ大阪開局までは[[番組販売]]扱いでの放送を継続)。
*** これを機にラジオでも、'''近畿広域圏のJRNのニュースネットワーク担当局が、朝日放送ラジオからMBSラジオに移管した'''。
** [[9月29日]] - MBSスカイサテライト(お天気カメラ)を大阪市東区・大阪大林ビル塔屋へ移設、使用開始<ref name=mbs50th-488/>。
** [[10月15日]] - 生駒テレビ送信所のアンテナの故障で、テレビが21時から約90分間停波する<ref name=mbs50th-488/>。
* [[1976年]](昭和51年)
** [[1月5日]] - 近畿広域圏では初のローカルワイドニュース『[[MBSナウ]]』放送開始<ref name=mbs50th-489>{{Cite book|和書|author=毎日放送50年史編纂委員会事務局|date=2001-9-1|title=毎日放送50年史|publisher=株式会社 毎日放送|page=489}}</ref>。
** [[8月24日]] - 1965年に起きた春闘長期ストライキによる争議(通称「(昭和)40年争議」)が発生から11年して解決し、労資双方が協定書に調印(翌月(9月)1日には和解協定書を交換)<ref name=mbs50th-489/>。
** 9月1日 - ラジオ開局25周年記念特番『人間バンザイ・ふれあいの1日』を、この日の正午から24時間連続放送<ref name=mbs50th-489/>。
** [[9月25日]] - テレビ番組『生きものばんざい』が、第1回優秀動物愛護映画コンクールの最優秀賞(内閣総理大臣賞)を受賞<ref name=mbs50th-489/>。
** [[11月15日]] - [[自動番組制御装置]](APM)に、新型(ゲンロックレス方式)を導入<ref name=mbs50th-489/>。
** [[12月29日]] - JNN関西ブロック初の共同制作のテレビ番組『[[おしつまりました]]』を同系列6局リレーで放送。以後、毎年5・12月の恒例番組となる<ref name=mbs50th-489/>。
* [[1977年]](昭和52年)
** [[4月2日]] - 全国ネットのテレビドラマ『[[古谷一行の金田一耕助シリーズ#横溝正史シリーズI・II(概要)|横溝正史シリーズ]]』放送開始(全2シリーズ。第1シリーズはこの日から同年10月1日まで、第2シリーズは1978年4月8日から同年10月28日まで放送。)<ref name=mbs50th-489/>。
** [[5月11日]] - テレビ、VTR-CMの専用再生機(型番:ACR-25)の運用を開始<ref name=mbs50th-489/>。
** [[5月15日]] - ラジオ、周波数を1210[[キロヘルツ|kHz]]から1180kHzに変更。記念として、この日の放送開始の朝5時から24時まで19時間に渡り、記念特別番組を編成する<ref group="注釈">この日は日曜日で、当時、土曜日のオールナイト放送は行っていない。</ref><ref name=mbs50th-489/>。
** [[8月8日]] - 阪急グランドビル31階に、ラジオ・サテライト・スタジオ「ラジオポートMBS」を開設、同所からの放送を開始<ref name=mbs50th-489/>。
** [[9月1日]] - 『まちがいやすい放送のことば』刊行<ref name=mbs50th-489/>。
** [[11月21日]] - フランス第1テレビジョン(TF-1)と業務協定を締結する<ref name=mbs50th-489/>。
* [[1978年]](昭和53年)
** [[1月1日]] - 『[[全国高等学校ラグビーフットボール大会|全国高等ラグビー大会]]』のテレビ放送を、この年の第57回から毎年放送(この年は、同月9日まで隔日毎に放送、決勝戦は全国33局ネットで放送。放送は2023年現在も継続中)<ref name=mbs50th-490>{{Cite book|和書|author=毎日放送50年史編纂委員会事務局|date=2001-9-1|title=毎日放送50年史|publisher=株式会社 毎日放送|page=490}}</ref>。
** [[1月2日]] - ラジオ、『1日子供放送局』を放送。そこでの利益金800万円を、毎日新聞社社会事業団を通じて、施設に寄贈(1987年まで毎年行われた)<ref name=mbs50th-490/>。
** [[5月15日]] - 「[[CMバンクシステム|テレビCMのビデオ一本化システム(CMバンクシステム)]]」稼働開始<ref name=mbs50th-490/>。
** [[5月23日]] - 生駒テレビ送信所の故障で、テレビが19時40分から27分間停波する<ref name=mbs50th-490/>。
** [[6月1日]] - 皇太子ご夫妻が、千里丘放送センターへ行啓<ref name=mbs50th-490/>。
** [[7月1日]] - 番組相談室を設置(2か月後の9月1日より業務開始)<ref name=mbs50th-490/>。
** [[7月11日]] - テレビ中型中継車(1号)稼働開始<ref name=mbs50th-490/>。
** [[8月15日]] - 西ドイツに、ボン支局を開局。JNN海外支局として11局目としての役割も果たす<ref name=mbs50th-490/>。
** [[10月25日]] - 毎放クラブを発足する<ref name=mbs50th-490/>。
** [[11月1日]] - [[オーストラリア]]の民放テレビ局「チャンネル・テン」と業務協力協定を締結する<ref name=mbs50th-490/>。
** [[11月15日]] - 緊急報道中継用の4号中継車が稼働開始<ref name=mbs50th-490/>。
** [[11月23日]] - [[国際電気通信連合]](ITU)の取り決めにより、中波のラジオ周波数が9kHzステップへ移行。それに伴い、'''午前5時をもってラジオの周波数を1180kHzから1179kHzに変更'''<ref name=mbs-enkaku/><ref name=mbs50th-490/>。
** [[12月10日]] - '''テレビの[[音声多重放送]]を開始'''(実用化試験放送)<ref name=mbs-enkaku/><ref name=mbs50th-490/>。
* [[1979年]](昭和54年)
** [[5月11日]] - 千里丘放送センタ内に、放送文化館竣工、4日後の15日から一般公開を行う(2003年4月閉館)<ref name=mbs50th-490/>。
** [[6月20日]] - テレビ、新APM(電算室からオンライン方式)への切り替えを完了<ref name=mbs50th-490/>。
** [[7月16日]] - ラジオ、新APMへの切り替えを完了<ref name=mbs50th-490/>。
** [[8月10日]] - [[ルーマニア]]・ラジオテレビジョンと業務協定を締結する<ref>{{Cite book|和書|author=毎日放送50年史編纂委員会事務局|date=2001-9-1|title=毎日放送50年史|publisher=株式会社 毎日放送|page=490〜1}}</ref>。
** 10月1日 - MBSスカイサテライト神戸(お天気カメラ)を、神戸商工貿易センター屋上に設置、使用開始<ref name=mbs50th-491>{{Cite book|和書|author=毎日放送50年史編纂委員会事務局|date=2001-9-1|title=毎日放送50年史|publisher=株式会社 毎日放送|page=491}}</ref>。
** [[11月22日]] - 毎年テレビ放送している『ダンロップフェニックストーナメント』に於いて、この年(同月25日まで開催)からMBSが主催社に加わる(2023年現在も継続中)<ref name=mbs50th-491/>。
** [[12月9日]] - テレビ番組『素人名人会』1000回記念番組を放送<ref name=mbs50th-491/>。
 
===敷地内に温泉= 1980年代 ====
* [[1980年]](昭和55年)
:[[1990年]]、千里丘スタジオ敷地内でボーリング調査をしていた最中に温泉が湧き出た。それを『ミリカ天然温泉 千里の湯』として営業している。ちなみにミリカとは、千里丘スタジオにあったホールの名称である。
** [[1月17日]] - 生駒テレビ送信所が落雷事故で17時23分から約55分間停波<ref name=mbs50th-491/>。
** [[2月20日]] - 高石ラジオ送信所の電力設備代替工事が竣工<ref name=mbs50th-491/>。
** [[4月11日]] - 近畿広域圏初のローカル・ドキュメンタリー番組『[[映像 (テレビ番組)|映像]]'80』放送開始(2020年現在、番組タイトルは『映像'20』)<ref name=mbs50th-491/>。
** [[4月23日]] - 報道専用のBスタジオ更新工事が竣工、使用開始<ref name=mbs50th-491/>。
** [[5月5日]] - 30周年記念のテレビ番組『まんが日本昔ばなしスペシャル-火の国物語-』を放送<ref name=mbs50th-491/>。
** [[8月11日]] - 高石ラジオ送信所の送信アンテナ支線更新工事が完了<ref name=mbs50th-491/>。
** 9月1日 - 開局30周年記念のラジオ番組『ビバ!ラジオ 世界のヒット曲』を放送<ref name=mbs50th-491/>。
** [[9月23日]] - 30周年記念のラジオ番組『ラジオジョギング・地球の資源を考える』を放送<ref name=mbs50th-491/>。
** [[10月4日]] - 30周年記念のテレビ番組『上方お笑いまつり』を、2部構成で5時間に渡り放送<ref name=mbs50th-491/>。
** [[10月6日]] - 30周年記念の全2シリーズに渡るラジオ番組『ニューミュージックフィエスタ1179kHz』放送開始(第1シリーズ:同月6〜10日、第2シリーズ:11月3〜7日)<ref name=mbs50th-491/>。
* [[1981年]](昭和56年)
** [[1月15日]]・[[2月11日]] - 開局30周年記念テレビ番組『萬里長城』を、2回(2部構成)に渡って放送<ref name=mbs50th-492>{{Cite book|和書|author=毎日放送50年史編纂委員会事務局|date=2001-9-1|title=毎日放送50年史|publisher=株式会社 毎日放送|page=492}}</ref>。
** [[2月22日]] - 30周年記念のテレビ番組『遥かなり厳冬のエベレスト・[[植村直己]] 壮絶の58日』を放送<ref name=mbs50th-492/>。
** [[3月24日]] - VTR車が完成、使用開始<ref name=mbs50th-492/>。
** [[4月1日]] - 大阪腎臓バンク、大阪府医師会と共同で、ラジオによる腎臓提供登録キャンペーンを開始する<ref name=mbs50th-492/>。
** [[6月1日]] - テレビ・トータル・オンライン・システムの運用を開始<ref name=mbs50th-492/>。
** [[7月23日]] - Dスタジオの照明装置を、一点吊りのクロスバトン昇降装置に代替する<ref name=mbs50th-492/>。
** [[8月31日]] - 30周年記念ラジオ番組『ありがとう ラジオとともに30年』を、この日の正午から翌日(9月1日)の18時まで、30時間連続生放送<ref name=mbs50th-492/>。
** [[9月1日]] - 30周年記念テレビ番組『君はメニューインを聴いたか〜民放30年の問いかけ〜』を放送(年表内の1951年10月22日の項目も参照)<ref name=mbs50th-492/>。
** [[9月5日]] - 30周年記念テレビ番組『上方芸能まつり〜上方爆笑伝〜』を放送<ref name=mbs50th-492/>。
** [[9月20日]] - 30周年記念テレビ番組『さらば適塾』を放送<ref name=mbs50th-492/>。
** [[9月23日]] - 30周年記念テレビ番組『イスタンブールの宝石たち』を放送<ref name=mbs50th-492/>。
** [[10月5日]]〜[[10月9日|9日]] - 30周年記念ラジオドラマ番組『炎のごとく〜日蓮の生涯〜』を、1日(1回)30分単位で5日間連続で放送、JRN30局へネットする<ref>{{Cite book|和書|author=毎日放送50年史編纂委員会事務局|date=2001-9-1|title=毎日放送50年史|publisher=株式会社 毎日放送|page=492〜3}}</ref>。
** [[10月30日]] - 30周年記念公演「[[小澤征爾]]指揮 [[ボストン交響楽団]]演奏会」を、[[フェスティバルホール|大阪フェスティバルホール]]にて開催<ref name=mbs50th-493>{{Cite book|和書|author=毎日放送50年史編纂委員会事務局|date=2001-9-1|title=毎日放送50年史|publisher=株式会社 毎日放送|page=493}}</ref>。同時に公演のテレビ収録と音声では当時最先端の[[パルス符号変調|PCMデジタル]]録音も行う。その公演後半の演目「[[イーゴリ・ストラヴィンスキー|ストラビンスキー]]作曲 [[バレエ音楽]]『[[春の祭典]]』」が、翌年(1982年)の1月16日に、テレビ制作としては当時最先端のPCMデジタル録音を行った番組『小澤征爾と春の祭典・迫真のPCMライブ<ref group="注釈">番組内では、MBSの高村昭アナ(当時)による小澤のインタビューも入っている。</ref>』(ステレオ放送)として全国放送<ref name=netout group="注釈">TBS系列の一部の局は非ネット</ref><ref>1982年1月16日、朝日新聞 東京版朝刊 P.24 テレビ欄 番組表 及び 同日朝日新聞西部版朝刊 P.16 テレビ欄 番組表及び番組紹介記事(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)</ref>。
* [[1982年]](昭和57年)
** [[1月7日]] - 『第61回全国高校ラグビー大会』の決勝戦を、民放テレビ完全独占で全国ネット放送する(以後、民放独占放送となる)<ref name=mbs50th-493/>。
** [[2月11日]] - 第1回『[[毎日カルチャースペシャル ラジオウォーク]]』を実施<ref name=mbs50th-493/>。毎年初春の風物詩として毎年2月に開催。年2回の開催を経て、[[2012年]](平成14年)の第31回から、開催日を[[3月20日]]([[春分の日]])に固定している([[新型コロナウイルス感染症の世界的流行 (2019年-)|新型コロナウイルス感染が拡大している]]2020年(令和2年)は中止)。
** [[4月8日]] - ラジオ送信機能に[[プリエンファシス]]方式を導入、放送開始<ref name=mbs50th-493/>。
** [[6月20日]] - 三笠宮ご夫妻が千里丘放送センターを見学<ref name=mbs50th-493/>。
** [[7月1日]] - 30周年記念公演として招聘した、[[スペイン]]の[[:es:Escolanía de Montserrat|モンセラート少年聖歌隊]]一行44名が来日。同月13日の離日まで各地で8回公演を行う。その際、神戸での演奏会の模様を中心にして、翌月(8月)1日に30周年記念のテレビ番組『カタロニアの風の歌「モンセラート少年聖歌隊演奏会」』(ステレオ放送)として全国放送<ref name=netout group="注釈"/><ref name=mbs50th-493/><ref>1982年8月1日、朝日新聞 東京版及び大阪版 共に朝刊P.12 8月1日のテレビ欄 番組表 及び 番組紹介記事(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)</ref>。
** [[9月1日]] - 神戸支局と千里丘放送センター間のENG伝送ラインが開通する<ref name=mbs50th-493/>。
** [[10月4日]] - 第7スタジオをラジオ生ワイド番組放送用に改装、使用開始<ref name=mbs50th-493/>。
** [[10月5日]] - テレビ公開バラエティ番組『[[突然ガバチョ!]]』放送開始(1985年9月24日終了)<ref name=mbs50th-493/>。
** [[12月8日]] - テレビ音声多重本放送の免許を、第1号として取得する{{Refnest|group="注釈"|同放送の実用化試験局の期限切れとして再免許を申請した後、同月1日に音声多重放送実用化の為の改正放送法とこれに伴う政令・省令・免許方針が施行され、テレビ音声多重放送が本放送として免許されるのを受け、同免許第1号となった。詳細は、「[[音声多重放送#開発から本放送に至るまでの経緯|音声多重放送#日本のテレビ放送#開発から本放送に至るまでの経緯#本放送開始へ]]」の項を参照。}}<ref name=mbs50th-493/>。
* [[1983年]](昭和58年)
** [[1月7日]] - テレビ紀行バラエティ番組『[[夜はクネクネ]]』放送開始(1986年12月23日)<ref name=mbs50th-493/>。
** [[3月17日]] - 生駒テレビ送信所にて、全固体化方式による新テレビ送信機が使用開始<ref name=mbs50th-493/>。
** [[4月7日]] - 東京支社制作・東京での収録による全国ネットのクイズ番組『[[世界まるごとHOWマッチ]]』放送開始([[大橋巨泉]]、[[石坂浩二]]、[[ビートたけし]]他出演。1990年4月5日終了)<ref name=mbs50th-493/>。
** [[5月2日]] - ラジオ番組『MBSヤングタウン』放送15周年記念イベント「ヤンタン野球大会」(第1回)を、西宮球場にて開催<ref name=mbs50th-493/>(以後、1986年〜1988年に毎年開催)。開催日の深夜には、テレビで特別番組の生放送を実施。
** [[5月7日]] - 全国ネットの土曜朝の生ワイド番組『八木治郎ショー・いい朝8時』の司会の八木治郎が急逝により同番組が前月終了したのを受け、その後継番組『[[すてきな出逢い いい朝8時]]』がこの日から放送開始(2001年9月29日終了)。
** [[5月10日]] - テレビAスタ改修工事完了、運用開始<ref name=mbs50th-493/>。
** [[7月1日]] - 京都支局と千里丘放送センター間のENG伝送ラインが開通する<ref name=mbs50th-493/>。
** [[8月30日]] - [[ファクシミリ|ファクシミリ(FAX)]]放送実験局の免許を取得。翌月(9月)7日から、随時実験放送を行う<ref name=mbs50th-494>{{Cite book|和書|author=毎日放送50年史編纂委員会事務局|date=2001-9-1|title=毎日放送50年史|publisher=株式会社 毎日放送|page=494}}</ref>。
** [[9月16日]] - 新型テレビ中継車(ふくらむ中継車)導入<ref name=mbs50th-494/>。
** [[10月9日]] - [[大阪築城400年まつり]]のオープニングパレード(第1回[[御堂筋パレード]])を、大阪の民放テレビ5社(毎日放送・朝日放送・[[関西テレビ放送|関西テレビ]]・[[読売テレビ放送|読売テレビ]]・[[テレビ大阪]])の共同制作による特別テレビ番組として、5社リレー形式で5時間に渡り生放送。5局によるリレー放送の初の試みとなる<ref name=mbs50th-494/><ref>{{Cite|和書|author=日本放送協会放送文化調査研究所放送情報調査部|title=NHK年鑑'84|date=1984|publisher=日本放送出版協会|pages=31}}</ref>。
** [[10月10日]] - [[川村龍一]]{{Refnest|group="注釈"|これ以前にも、「川村ひさし」等の名義で、テレビ番組『ヤングおー!おー!』を始め、数多くのラジオ・テレビ番組等で活躍していた。}}がパーソナリティーのラジオ平日早朝の生番組『おはようMBSです』放送開始(後に1986年10月からは『おはようMBS 川村龍一です』に、更に後には『[[おはよう川村龍一です]]』に改題し、2001年10月1日からは放送時間も拡大、2002年10月4日終了)<ref name=mbs50th-494/>。
** [[10月14日]] - ラジオ番組『[[それゆけ!]]』放送開始(1994年9月30日終了)<ref name=mbs50th-494/>。
** [[12月4日]] - [[交響曲第9番 (ベートーヴェン)]]の第4楽章を1万人前後で合唱する『[[サントリー1万人の第九]]』の第1回公演を、主催([[サントリー]]の協賛→特別協賛)事業として[[大阪城ホール]]で開催<ref name=mbs50th-494/>、テレビ(ステレオ放送)での全国放送も行う。翌[[1984年]](昭和59年)以降も、毎年12月の第1日曜日に催されている。
** [[12月16日]] - "光ファイバーケーブル・映像電送回線"が、千里丘放送センターと堂島本社間に開通する<ref name=mbs50th-494/>。
* [[1984年]](昭和59年)
** [[1月25日]] - 毎日放送アナウンサーが総出演のテレビバラエティ番組『[[あどりぶランド]]』放送開始<ref name=mbs50th-494/>。放送局のアナウンサー総出演のバラエティ番組の先駈けとなった。
** [[4月9日]] - ラジオ平日昼の生ワイド番組『[[すみからすみまで角淳一です]]』放送開始(途中、3年間の中断を挟み、1999年9月30日放送終了)<ref name=mbs50th-494/>。
** [[6月3日]] - テレビ『[[全米女子プロゴルフ選手権|'84全米女子プロゴルフ選手権]]』の模様を、米現地にスタッフを送り、衛星中継による全国ネットで2日間放送(以後、毎年中継を行う)<ref name=mbs50th-494/>。
** [[6月9日]] - 奈良支局と千里丘放送センター間のENG伝送ラインが開通する<ref name=mbs50th-494/>。
** [[7月7日]] - 自社が企画・制作の一社として携わった劇場用映画第1号『[[超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか]]』([[サイエンスフィクション|SF]][[アニメーション映画]]、[[東宝]]配給)が、関西地区で封切り(以後、全国各地で劇場公開)<ref name=mbs50th-494/>。
** [[9月1日]] - 「新・まちがいやすい放送のことば」刊行<ref name=mbs50th-495>{{Cite book|和書|author=毎日放送50年史編纂委員会事務局|date=2001-9-1|title=毎日放送50年史|publisher=株式会社 毎日放送|page=495}}</ref>。
** [[9月4日]] - ラジオスポット・オンラインシステム稼働開始<ref name=mbs50th-495/>。
** 10月1日 - [[阪急航空]]とAS-350ヘリコプターを報道取材用に契約する<ref name=mbs50th-495/>。
** [[10月4日]] - 東京支社制作の全国ネットのテレビドキュメンタリー番組『[[中村敦夫の地球発22時]]』放送開始(後に放送時間移動、[[中村敦夫]]の番組降板を経て、1991年9月18日放送終了)<ref name=mbs50th-495/>。
** [[10月8日]] - [[諸口あきら]]がパーソナリティーのラジオ平日夕方のニュースワイド番組『MBSイブニングレーダー』放送開始(後に1986年10月6日から『[[諸口あきらのイブニングレーダー]]』に改題し、2002年3月21日終了)<ref name=mbs50th-495/>。
** [[10月30日]] - [[アメリカン・ブロードキャスティング・カンパニー|米ABC放送]]との業務協定を締結する<ref name=mbs50th-495/>。
* [[1985年]](昭和60年)
** [[3月1日]]
*** テレビ録音編集室「Fサブ」完成<ref name=mbs50th-495/>。
*** MBSスカイサテライト(大阪のお天気カメラ)のカメラを2号機に代替する<ref name=mbs50th-495/>。
*** テレビCMバンクのデーターオンライン化を開始する<ref name=mbs50th-495/>。
** [[3月20日]]
*** テレビ新CM編集システムの運用を開始<ref name=mbs50th-495/>。
*** Cスタジオの副調整室(サブ)に新MA{{Refnest|group="注釈"|Multi (track) Audioの略称。映像編集の後、効果音やナレーションを加え、整音を施して音声部分を仕上げる作業。 MA処理作業を行うため、映像編集後のエディットマスターテープからマルチトラックオーディオテープに音声とタイムコード信号を記録すること。 MAコピーともいう。}}装置を導入、使用開始<ref name=mbs50th-495/>。
** [[3月25日]] - テレビ大型中継車を更新<ref name=mbs50th-495/>。
** 4月1日 - [[コンピュータグラフィックス|コンピューターグラフィック(CG)]]室(Gサブ)稼働開始<ref name=mbs50th-495/>。
** [[4月11日]] - 米ABC放送と、相互協力に関する同意書を交換する<ref name=mbs50th-495/>。
** [[8月29日]]・[[9月5日]] - 35周年記念テレビ番組『仏法東漸』を、2回に渡って放送<ref name=mbs50th-496>{{Cite book|和書|author=毎日放送50年史編纂委員会事務局|date=2001-9-1|title=毎日放送50年史|publisher=株式会社 毎日放送|page=496}}</ref>。
** [[8月31日]] - 35周年記念テレビ番組『MBS祭り 関西芸能人全員集合!祭りだ!!笑いと歌の大競演』を放送<ref name=mbs50th-496/>。
** 9月1日
*** 35周年記念テレビ番組『御堂筋ライブパフォーマンス・はじめまして あした』を放送<ref name=mbs50th-496/>。
*** 35周年記念ラジオ番組『昭和26年生まれ こうしてぼくらはラジオに出会った』を放送<ref name=mbs50th-496/>。
** [[12月8日]] - 『[[甲子園ボウル|毎日甲子園ボウル]]』のテレビ独占放送権を取得、全国中継する(1999年まではTBS系列で全国ネット、以後の放送形態については「[[甲子園ボウル#テレビ放送]]」の項を参照)<ref name=mbs50th-496/>。
** [[12月27日]] - テレビ年末年始編成にて、初の連日オールナイト放送を、翌年(1986年)の1月4日まで9日間実施<ref name=mbs50th-496/>。
* [[1986年]](昭和61年)
** [[1月2日]] - 35周年記念ラジオ番組『100万人のメッセージ』を放送<ref name=mbs50th-496/>。
** [[1月6日]] - 労使間で「正常な労使関係の維持・形成」の覚書を調印する<ref name=mbs50th-496/>。
** [[2月1日]] - ラジオ放送のタイム契約設定のオンライン化稼働開始<ref name=mbs50th-496/>。
** [[3月28日]] - テレビ文字多重放送局の免許を取得('''呼出符号:JOOR-TCM''')<ref name=mbs50th-496/>。
** [[4月1日]]
*** '''アナログ・テレビの[[文字多重放送]]を開始'''(TBSと同日)<ref name=mbs-enkaku/><ref name=mbs50th-496/>。
*** JNN報道ライブラリー運用開始<ref name=mbs50th-496/><ref>{{Cite book|和書|author=株式会社東京放送|date=2002-1|title=TBS50年史 資料編|publisher=株式会社東京放送|page=353}}</ref>。
*** マニラ支局(JNN海外支局の13局目)を開設<ref name=mbs50th-496/>。
** [[5月1日]] - 徳島支局と千里丘放送センター間のENG伝送ラインが開通する<ref name=mbs50th-496/>。
** [[5月12日]] - テレビ放送のタイム契約設定のオンライン化が稼働する<ref name=mbs50th-496/>。
** [[5月19日]] - ファクシミリ放送の実験調査を、テレビ放送終了後に実施する<ref name=mbs50th-496/>。
** [[6月7日]] - [[電通]]と共同製作した35周年記念劇場映画『[[植村直己物語]]』(東宝配給)が全国で封切られる。<ref name=mbs50th-496/>。
** [[7月12日]] - 35周年記念テレビ番組『小澤征爾・ボストン交響楽団演奏会』{{Refnest|group="注釈"|演奏曲目は、[[リヒャルト・シュトラウス]]作曲の[[交響詩]]『[[ツァラトゥストラはこう語った (交響詩)|ツァラトゥストラはかく語りき]]』だった。<ref>1986年7月12日 朝日新聞大阪版 朝刊P.24 テレビ・ラジオ欄 (朝日新聞クロスサーチにて閲覧)</ref>}}(PCMデジタル録音・ステレオ放送)を、世界初の[[1インチVTR|1インチ]]のデジタル音声VTR(映像はアナログ)で送出、全国放送<ref name=netout group="注釈"/><ref name=mbs50th-497>{{Cite book|和書|author=毎日放送50年史編纂委員会事務局|date=2001-9-1|title=毎日放送50年史|publisher=株式会社 毎日放送|page=497}}</ref>。
** [[8月30日]] - 35周年記念テレビ番組『ランドらんどランド』を放送<ref name=mbs50th-497/>。
** [[9月1日]] - 35周年記念ラジオ番組『ラジオヒューマンアンケート〜100万人が創る明日〜』を放送<ref name=mbs50th-497/>。
** [[10月20日]] - 自動指向装置搭載の新ヘリコプター(AS-355)の運用を開始<ref name=mbs50th-497/>。
** [[12月25日]] - 生駒テレビ送信所に付設するマイクロ受信基地の、ヘリコプター自動追尾付の第2回転マイクロ受信施設の運用を開始<ref name=mbs50th-497/>。
* [[1987年]](昭和62年)
** [[1月7日]] - 『第66回全国高校ラグビー大会』の決勝戦を、ハイビジョンで実験収録する<ref name=mbs50th-497/>。
** [[2月19日]]〜[[2月21日|21日]] - [[全米女子プロゴルフ協会|LPGA]]公式戦・第1回『ツムラハワイアンレディースオープン』を、ハワイ・オアフ島で主催し、衛星中継でテレビ放送する<ref name=mbs50th-497/>。
** [[3月26日]] - 『[[第59回選抜高等学校野球大会]]』のこの日の開会式からのテレビ中継にて、国内テレビ初のサラウンド・ステレオ放送を実施する<ref name=mbs50th-497/>。
** [[6月3日]] - 高石ラジオ送信所の第2号送信機を、全固体化50kW送信機に更新<ref name=mbs50th-497/>。
** [[6月7日]] - ENGマイクロ伝送車の運用を開始<ref name=mbs50th-497/>。
** [[8月18日]] - 堂島本社、京都・神戸両支局からの顔出し放送設備が運用可能となる<ref name=mbs50th-497/>。
** [[9月1日]] - 関連事業6社に、"MBSグループ"の呼称使用を表明<ref name=mbs50th-497/>。
* [[1988年]](昭和63年)
** [[3月1日]] - MBS製作ビデオ第1作、オリジナルアニメ『[[ドラゴンスレイヤーシリーズ|ザナドゥ XANADU ドラゴンスレイヤー伝説]]』のビデオソフトを発売<ref name=mbs50th-498>{{Cite book|和書|author=毎日放送50年史編纂委員会事務局|date=2001-9-1|title=毎日放送50年史|publisher=株式会社 毎日放送|page=498}}</ref>。
** [[3月2日]]〜[[3月3日|3日]] - デジタル方式によるテレビファクシミリ試験電波を、テレビ放送終了後に発射する<ref name=mbs50th-498/>。
** [[6月21日]] - ラジオCM放送装置 "オーディオファイル" 運用開始<ref name=mbs50th-498/>。
** [[9月1日]] - テレビ文字多重放送で、4H(TVの走査線525本の内の4本)使用の番組放送を開始<ref name=mbs50th-498/>。
** [[10月10日]] - ラジオの新電話中継車が稼働<ref name=mbs50th-498/>。
** [[10月15日]] - プロ野球パ・リーグの南海ホークスの大阪球場での最終戦と "さよならセレモニー" を、テレビで独占中継<ref name=mbs50th-498/>。
** [[12月6日]] - 生駒テレビ送信所に、付設のVHF連絡無線基地局が開局する<ref name=mbs50th-498/>。
* [[1989年]](昭和64年/[[平成]]元年)
** [[1月7日]] - この日午前6時33分に[[昭和天皇]]の[[崩御]]に伴い、ラジオ・テレビ共に、(平成元年)[[1月8日]]放送終了時(翌日早朝)まで特別編成となる<ref name=mbs50th-499>{{Cite book|和書|author=毎日放送50年史編纂委員会事務局|date=2001-9-1|title=毎日放送50年史|publisher=株式会社 毎日放送|page=499}}</ref>。
** [[2月24日]] - テレビ・ラジオで、[[大喪の礼]]の中継を中心とした特別番組を放送<ref name=mbs50th-499/>。
** [[3月31日]] - 高石・生駒両送信所に送信所監視システムを設置し、保管監視装置も導入<ref name=mbs50th-499/>。
** 4月1日 - アナログ・テレビの文字多重放送の放送時間を、朝6時開始の18時間放送に拡大し、その中で「MNNニュース」(日テレ系の[[日本ニュースネットワーク|NNN]]とは完全に別)を開始する<ref name=mbs50th-499/>。
** [[4月22日]] - 人工衛星を使った中継システム "[[SNG (放送)|サテライト・ニュース・ギャザリング(SNG)]]"の千里仮設基地局を設置する<ref name=mbs50th-499/>。
** [[6月2日]] - 日本初のファクシミリ公開実験放送を、[[あべのハルカス近鉄本店|近鉄百貨店阿倍野店(現:あべのハルカス近鉄本店)]]で展示する<ref name=mbs50th-499/>。
** [[6月9日]] - VHF・UHF連絡無線システムの六甲基地局を開設する<ref name=mbs50th-499/>。
** [[7月3日]] - SNG完成式を、ミリカホール前広場で挙行<ref name=mbs50th-499/>。
** [[7月8日]] - 自社でのJNN系SNG初運用を、自社の土曜朝の全国ネットのテレビ番組『すてきな出逢い いい朝8時』にて行う<ref name=mbs50th-499/>。
** [[7月12日]] - "ミリカ音楽出版" が、"(株)MBS企画" に社名を変更、総合ソフト会社として再発足する<ref name=mbs50th-499/>。
** [[9月1日]] - テレビ・クリアビジョン(EDTV)の放送を開始<ref name=mbs50th-499/>。
** [[12月1日]] - 住友商事と共同で、スペースビジョンネットワーク(SVN)(現在の "[[GAORA]]" )を設立<ref>[https://www.gaora.co.jp/company/ 株式会社GAORA 会社概要](2024年8月17日閲覧)</ref>。
 
==== 1990年代 ====
===日本初の海外衛星中継===
* [[1990年]](平成2年)
:1963年11月の[[ジョン・F・ケネディ]][[大統領]]暗殺事件の模様を、[[アメリカ合衆国]]・[[ニューヨーク]]に当時駐在していた毎日放送社員で元同局アナウンンサーの前田治郎(まえだ じろう)氏が克明に情報を伝えていた。当初、日本初の海外衛星中継(宇宙中継)実験として、ケネディ大統領のスピーチを放送することになっていたが、その最中に遊説していた[[テキサス州]]・[[ダラス]]でのパレード中に暗殺されたことを受けて急遽前田氏がその状況を克明に解説する放送を行った。(この件に関しては[[日本放送協会|NHK]]の番組[[プロジェクトX~挑戦者たち~]]で取り上げられた。[http://www.nhk.or.jp/projectx/160/index.htm 概要])
** [[2月5日]] - 神戸に、簡易FPU受信装置を設置する<ref name=mbs50th-500>{{Cite book|和書|author=毎日放送50年史編纂委員会事務局|date=2001-9-1|title=毎日放送50年史|publisher=株式会社 毎日放送|page=500}}</ref>。
** [[4月16日]] - お笑いタレント[[明石家さんま]]によるテレビ番組『[[痛快!明石家電視台]]』放送開始(2024年8月現在も継続中){{Refnest|group="注釈"|放送はTBS系列を中心に、各局の判断で番組放映権を購入して放送している。CS放送のGAORAでもリピートを含め放送している。}}。
** [[5月4日]] - ボン支局にベルリン分室を開設する<ref name=mbs50th-500/>。
** [[5月27日]] - 『第1回北京国際トライアスロン選手権』をテレビで衛星中継録画にて放送<ref name=mbs50th-500/>。
** [[5月31日]] - 大阪市北区茶屋町に建設した15階建ての新本社・放送センターの竣工式を挙行<ref name=mbs50th-500/>。
** [[6月6日]] - 茶屋町の新社屋と千里丘放送センター間に新たにマイクロ回線を2回線新設、翌々月(8月)1日には更に1回線増設し、3回線となる。又、これとは別に、7月1日には同区間に新たに光ファイバーも開通する<ref name=mbs50th-500/>。
** [[7月]] - 毎日放送の社名ロゴタイプを変更。前代ロゴを少し細く・丸帯びたようなものであった。但し、MBSのロゴは従来通り。新しいデザインによる社旗(三色旗)、社章(バッジ)<ref group="注釈">それまでの社章は、同心円を3つ重ねて縦に電波を、横に“MBS(NJB)”をレイアウトしたものが使われていた。</ref> 制定。
** [[7月28日]] - 新社屋への移転を開始する(9月末まで)<ref name=mbs50th-500/>。
** [[8月20日]] - ラジオのマスターを新社屋に移動、同所からの放送を開始<ref name=mbs50th-500/>。
** [[8月21日]] - 新社屋SNG基地局の運用を開始<ref name=mbs50th-500/>。
** [[8月27日]]
*** テレビのマスターを新社屋に移動、同所からの放送を開始<ref name=mbs50th-500/>。
*** 開局40周年記念スペシャルウィークとして、翌月(9月)2日までテレビで特別番組を編成<ref name=mbs50th-500/>。
** [[9月1日]] - この日、(ラジオ)開局40周年。
*** '''大阪市北区茶屋町に新本社・放送センターが完成'''。同区[[堂島]]([[毎日大阪会館]]内)にあった登記上本店機能と[[吹田市]]の千里丘放送センターの機能の一部を移転・統合<ref name=mbs-enkaku/><ref name=mbs50th-500/>。
*** 併せて、本社ビルの放送機器の火入れ式を挙行<ref name=mbs50th-500/>。
*** 『[[毎日放送開局40周年記念特別番組|開局40周年・新社屋放送開始記念の特別番組]]』を、同日からテレビは2日間、ラジオは5日間にわたってを制作・放送(詳細は同項を参照)<ref name=mbs50th-500/>。
** [[10月12日]] - [[西岸良平]]原作の全国ネットのテレビアニメ番組『[[三丁目の夕日#アニメ版|三丁目の夕日]]』放送開始(1991年3月22日終了)。1992年3月9日には、当番組が[[中央児童福祉審議会]]の[[中央児童福祉審議会#文化財推薦|推薦文化財]]に決定する<ref name=mbs50th-502>{{Cite book|和書|author=毎日放送50年史編纂委員会事務局|date=2001-9-1|title=毎日放送50年史|publisher=株式会社 毎日放送|page=502}}</ref>。
** [[10月29日]] - 東京支社が、パレスサイドビル9階へ移転する<ref name=mbs50th-500/>。
* [[1991年]](平成3年)
** [[1月17日]] - ラジオ、この日未明、「[[湾岸戦争]]」に於いて「[[湾岸戦争#多国籍軍の攻勢作戦|多国籍軍による攻勢作戦]]」が開始されたのを受け、この日の午前9時から翌月(2月)28日まで、合計90番組・延べ188時間の同関連番組を編成<ref name=mbs50th-501>{{Cite book|和書|author=毎日放送50年史編纂委員会事務局|date=2001-9-1|title=毎日放送50年史|publisher=株式会社 毎日放送|page=501}}</ref>。
** [[1月21日]] - 前述の湾岸戦争の動きを受け、『湾岸プロジェクトチーム』を発足する<ref name=mbs50th-501/>。
** [[1月26日]] - 前述の湾岸戦争の動きを受け、テレビ番組『MBS特集 どうなる戦争、どうする日本』を放送<ref name=mbs50th-501/>。
** [[3月26日]]〜[[4月5日]] - 『[[第63回選抜高等学校野球大会]]』の模様を、大会期間中[[日本放送協会|NHK]]の協力を得て、ハイビジョンによる中継を、[[NHK衛星第2テレビジョン|NHK衛星第2テレビジョン(BS2)]]の『[[ハイビジョン試験放送|ハイビジョン実験放送]]』枠内で連日行う{{Refnest|group="注釈"|同実験放送は、当時のNHK-BS2に於いて、1989年6月3日から1991年11月24日まで毎日14:00 - 15:00(大相撲開催中は17:00 - 18:00)と毎週月曜の1:00(原則) - 5:00の時間帯に行われた。}}<ref name=mbs50th-501/>。
** [[4月13日]] - 40周年記念テレビ番組『不東(ひがしせず)〜薬師寺・三蔵院建立の記録〜』を放送<ref name=mbs50th-501/>。
** [[4月20日]] - 自社が「[[1979年の日本シリーズ#第7戦|1979年プロ野球日本シリーズ第7戦]]」の放送の際に、9回裏に[[広島東洋カープ]]のピッチャーとして登板していた[[江夏豊]]が、自らピンチを招くも後続の打者を打ち取って日本一を決めた際の模様を収録したビデオソフト『Numberビデオ「ドキュメント [[江夏の21球]]」』を、文藝春秋社と共同で出版発売する<ref name=mbs50th-501/>。
** [[5月13日]] - MBS(JNN)ベルリン支局を発足。これに伴い、ボン支局はベルリン支局ボン分室となる<ref name=mbs50th-501/>。
** [[7月6日]] - キャンペーン "近畿は美しく" のイメージテレビ番組『きんきに拍手』放送開始(同年10月から『近畿は美しく』に改題)<ref name=mbs50th-501/>。
** [[8月6日]] - 本社と甲子園球場間に光ファイバー伝送回線が開通<ref name=mbs50th-501/>。
** [[9月27日]] - 40周年記念テレビドラマスペシャル『[[藤山寛美物語〜笑いはいつも涙と夫婦である〜]]』を放送<ref>{{Cite book|和書|author=毎日放送50年史編纂委員会事務局|date=2001-9-1|title=毎日放送50年史|publisher=株式会社 毎日放送|page=501〜2}}</ref><ref name=bpcj002063>[https://www.bpcj.or.jp/search/show_detail.php?program=139463 「ドラマスペシャル 藤山寛美物語 笑いはいつも涙と夫婦である」](放送番組センター 放送ライブラリー)(2024年8月18日閲覧)</ref>。
** [[10月9日]] - 全国ネットのテレビドキュメンタリー教養番組『[[新ビーグル号探検記|地球ふしぎ体験紀行 新ビーグル号探検記]]』放送開始(同年12月25日終了)。同年12月24日には、当番組が中央児童福祉審議会の推薦文化財に決定する<ref name=mbs50th-502/>。
** [[10月10日]] - ラジオ番組『ごめんやす馬場章夫です』放送20周年記念の公開生放送を、本社内の「ギャラクシーホール」にて行う<ref name=mbs50th-502/>。
** [[10月20日]] - 「第11回 大阪まちなみ賞([[大阪都市景観建築賞]])」に於いて、「毎日放送本社ビル、クラレ・ニッセイビル(梅田ロフト)とちゃやまちプロムナード」が、大阪市長賞を受賞<ref name=mbs50th-502/><ref>[http://osaka-machinami.jp/past_work/detail/3747/ 第11回 大阪まちなみ賞 受賞作品 -1991- (平成3年)「毎日放送本社ビル、クラレ・ニッセイビル(梅田ロフト)とちゃやまちプロムナード/第11回大阪市長賞」](大阪都市景観建築賞運営委員会のサイト)(2024年8月18日閲覧)</ref>。
* [[1992年]](平成4年)
** [[3月12日]] - AMステレオ放送の本免許を取得<ref name=mbs50th-502/>。
** [[3月15日]] - 午前9時、'''ラジオの[[AMステレオ放送]]開始'''(TBSラジオ、文化放送、ニッポン放送、朝日放送と同時)<ref name=mbs-enkaku/><ref name=mbs50th-502/>。
** [[3月31日]] - 民間放送教育協会を脱退<ref name=mbs50th-502/>。(その後、近畿地方においての民教協番組は[[京都放送|KBS京都]]・[[サンテレビジョン]]・[[テレビ和歌山]]・[[ラジオ関西]]・[[和歌山放送]]がクッション期間としての形で1年間放送した後、[[1993年]](平成5年)から朝日放送に移行。)
** [[10月6日]] - (10月5日深夜)平日深夜に、大阪うめだ花月シアター(後の[[うめだ花月]])から生放送の情報バラエティーテレビ番組『[[テレビのツボ]]』放送開始(1995年9月30日(29日深夜)終了)<ref>{{Cite book|和書|author=毎日放送50年史編纂委員会事務局|date=2001-9-1|title=毎日放送50年史|publisher=株式会社 毎日放送|page=502〜3}}</ref>。
** [[10月10日]] - ラジオ番組『おはようMBS 川村龍一です』の10周年記念公開生放送を、本社ギャラクシーホールにて行う<ref name=mbs50th-503>{{Cite book|和書|author=毎日放送50年史編纂委員会事務局|date=2001-9-1|title=毎日放送50年史|publisher=株式会社 毎日放送|page=503}}</ref>。
* [[1993年]](平成5年)
** [[1月6日]] - 「[[骨髄移植]]キャンペーン」のテレビスポット放送を開始<ref name=mbs50th-503/>。同年5月27日には、このキャンペーンに対し、厚生大臣から感謝状が贈られる<ref name=mbs50th-504>{{Cite book|和書|author=毎日放送50年史編纂委員会事務局|date=2001-9-1|title=毎日放送50年史|publisher=株式会社 毎日放送|page=504}}</ref>。
** [[1月8日]] - "近畿は美しく" キャンペーン企画「私の好きな近畿の道50選」を発表(毎週土曜日に、報道テレビ番組『MBSナウ』内で紹介)<ref name=mbs50th-503/>。
** [[3月8日]] - ラジオの新しいロゴ「?!」(ハテナ、ビックリ)を発表<ref name=mbs50th-503/>。
** [[10月1日]] - (1989年12月に共同設立した)スペースビジョンネットワーク(SVN)が、CSテレビ放送を、チャンネル名「GAORA」で放送開始<ref name=mbs50th-504/>。
** 年内 - 在阪AM4局([[NHK大阪放送局|NHK大阪]]、MBS、ABC、[[ラジオ大阪|ラジオ大阪(OBC)]])で、"在阪AMラジオ災害問題協議会"(翌々年の1995年に、現在の "[[AMラジオ災害問題協議会]]" に名称を変更)を発足する<ref name=amdisaster1993>[http://www.am-saigai.com/index.html AMラジオ災害問題協議会とは](AMラジオ災害問題協議会)(2024年8月20日閲覧)</ref>。
* [[1994年]](平成6年)
** [[3月28日]] - 平成5年度のテレビ年間視聴率が、14年ぶりに全日で首位を記録<ref name=mbs50th-504/>。
** [[6月15日]] - この年の9月4日に開港する[[関西国際空港]]内に、MBS記者室を開設する<ref name=mbs50th-504/>。
** [[7月1日]] - [[大阪府教育委員会]]から、千里丘放送センター内の放送文化館の開設から15年間の放送教育振興への寄与に対し、感謝状が授与される<ref name=mbs50th-504/>。
** [[8月2日]] - MBSグループマルチメディア連絡会が発足する<ref name=mbs50th-505/>。
** [[8月20日]] - ラジオ番組『それゆけ!』の中で、自社の[[子守康範|某アナウンサー]]が行った"[[カンボジア]]の国内旅客機操縦" というリポートが問題化する(詳細は「[[子守康範#毎日放送アナウンサー時代|該当項目]]」を参照)<ref name=mbs50th-505/>。
** [[9月1日]] - "在阪AMラジオ災害問題協議会" の第1回放送として、加盟局4局で、"地下で聴けるAMラジオ"を、[[なんばCITY]]から公開リレー放送を行う<ref name=mbs50th-505/><ref name=amactfrom1994>[http://www.am-saigai.com/activity.html AMラジオ災害問題協議会 これまでの取り組み](AMラジオ災害問題協議会)(2024年8月20日閲覧)</ref>。
** [[10月1日]] - MBSライブラリー検索システムのデータ入力作業を開始する<ref name=mbs50th-505/>。
* [[1995年]](平成7年)
** [[1月15日]] - 45周年記念の月1回のテレビ番組『心の残像 関西・戦後50年の風景』放送開始<ref name=mbs50th-505/>。
** [[1月17日]] - 午前5時46分、'''[[兵庫県南部地震]]([[阪神・淡路大震災]])が発生'''。
*** これにより、自社の本社社屋内も、ニューススタジオにあったセットが倒壊する等の被害を受ける。
*** 発生後、テレビ・ラジオ共に緊急の震災特別編成に変更。当日午前からすべてのCMをおよそ2日間中止し、その放送枠に安否情報や生活情報を挿入。CM再開後もミニ番組などを休止し同様の情報を1月28日まで連日放送{{Refnest|group="注釈"|その時の模様は同年6月1日に、震災当時のラジオ放送を活字にまとめて、『阪神大震災の被災者にラジオ放送は何ができたか 「被災していない人への情報はいらない!」と言い続けた報道者たち』({{ISBN2|4-8104-2225-9}})という本として、[[図書印刷同朋舎|同朋舎出版]]から出版した<ref name=mbs50th-506>{{Cite book|和書|author=毎日放送50年史編纂委員会事務局|date=2001-9-1|title=毎日放送50年史|publisher=株式会社 毎日放送|page=506}}</ref>。}}。尚特別編成は、テレビでは同月19日まで、ラジオでは同月28日まで続いた<ref name=mbs50th-505/>。
** [[3月24日]] - テレビ番組『証券レーダー 北浜ホットライン』が放送終了。31年余の大阪証券取引所からの中継を終了する<ref name=mbs50th-505/>。
** [[4月1日]]
*** インターネットにMBSホームページを開設する(同年8月1日に、本格運用を開始)<ref name=mbs50th-505/>。
*** テレビ『まんが日本昔ばなし』20周年記念特別編を放送(同月21には記念ビデオソフトも発売する)<ref name=mbs50th-505/>。
** [[4月6日]] - 45周年記念テレビ番組『自然と人間スペシャル [[椎名誠]]のモンゴル紀行』を放送<ref name=mbs50th-505/>。
** [[4月15日]] - 震災関連ラジオ番組『[[ネットワーク1・17]]』放送開始(2023年8月現在も随時放送中)<ref name=mbs50th-505/>。
** [[5月1日]] - NTTの[[テレドーム]]に加入。MBSラジオが同サービスを通じて、関東地区での聴取が可能となる(料金は聴取者負担)<ref name=mbs50th-506/>。
** [[5月7日]] - ラジオ番組『[[GOGO競馬サンデー!|蜂谷薫のサンデー競馬]]』がこの日スペシャルとして、米クラシック三冠の第1戦「[[ケンタッキーダービー]]」を現地から中継する<ref name=mbs50th-506/>。
** [[5月28日]] - 45周年記念ラジオドラマ番組『深い河』を放送<ref name=mbs50th-506/>。
** [[6月4日]] - テレビ番組『素人名人会35周年記念スペシャル』を放送<ref name=mbs50th-506/>。
** [[7月1日]] - 書籍『阪神淡路大震災・MBS報道の記録』(毎日放送報道局:編)を刊行する<ref name=mbs50th-506/>。翌月(8月)10日には、ビデオソフト『映像記録 阪神淡路大震災』を発売する<ref name=mbs50th-506/>。
** [[7月30日]]〜[[8月3日]] - 45周年記念テレビ番組として、5日間にわたり、[[大阪フィルハーモニー交響楽団]]の創設者で当時音楽監督・常任指揮者でもあった[[朝比奈隆]]の特集番組を、5日間に渡って放送<ref name=mbs50th-506/>。
** [[9月1日]]
*** 従来の"在版AMラジオ災害問題協議会" に[[ラジオ関西]]が加盟し、 名称を"AMラジオ災害問題協議会" に変更<ref name=amdisaster1993/>、加盟AMラジオ5局によるラジオ番組『神戸発・命のラジオ』を、共同制作で放送<ref name=mbs50th-506/><ref name=amactfrom1994/>。
*** 45周年記念事業として、写真集『近畿は美しく』を、毎日新聞社から発刊する<ref name=mbs50th-506/>。
** [[9月10日]] - ラジオ番組『蜂谷薫のサンデー競馬』がこの日スペシャルとして、[[フランス]]のG1レースを現地から生中継する<ref name=mbs50th-506/>。
** [[11月26日]] - 千里丘放送センターの敷地内に、ミリカ天然温泉 "千里の湯" が開業する(2006年12月31日で閉鎖)<ref name=mbs50th-506/>。
** [[12月17日]] - 45周年記念テレビ番組『第50回記念毎日甲子園ボウル』を放送<ref name=mbs50th-506/>。
** [[12月24日]]
*** 45周年記念テレビ番組『桜散る日に〜出陣学徒の交響楽「第九」歓喜の歌〜』を放送<ref name=mbs50th-506/>。
*** 甲山マイクロ中継基地が完成する<ref name=mbs50th-506/>。
*** [[和歌山放送]]社屋内に、和歌山ENG伝送基地が運用開始<ref name=mbs50th-506/>。
* [[1996年]](平成8年)
** [[2月3日]] - 京都支局が移転。同支局内に報道スタジオを設置する<ref name=mbs50th-507>{{Cite book|和書|author=毎日放送50年史編纂委員会事務局|date=2001-9-1|title=毎日放送50年史|publisher=株式会社 毎日放送|page=507}}</ref>。
** [[5月1日]] - 番組アドバイザーを、ラジオ・報道・テレビ制作の各局に設置する<ref name=mbs50th-507/>。
** [[5月23日]] - 同社のイメージキャラクター「エムぞう」のスポット放送を開始する<ref name=mbs50th-507/>。
** [[8月31日]]
*** ラジオ開局45周年記念番組『21世紀への大航海〜ラジオdeマルチコミュニケーション』にて、インターネット上のホームページでのサイマル放送等を展開する<ref name=mbs50th-507/>。
*** 45周年記念テレビ番組『MBS超ワイド祭クイズマラソン!』、『8.31カラオケ決戦』を放送<ref name=mbs50th-507/>。
** [[9月1日]] - 45周年記念テレビ番組『大阪上海・爆笑電視台』を放送<ref name=mbs50th-507/>。
** [[10月6日]] - 45周年記念テレビ番組『藤山寛美7回忌追善「届け!天国の父へ」』を放送<ref name=mbs50th-507/>。
** [[10月24日]] - テレビ『[[1996年の日本シリーズ#第5戦|日本シリーズ第5戦]] [[オリックス・バファローズ|オリックス・ブルーウェーブ]] 対 [[読売ジャイアンツ]]』の試合を、[[神戸総合運動公園野球場|グリーンスタジアム神戸]]から全国生中継。関西地区で、40.2%の視聴率を記録する<ref name=mbs50th-507/>。
** [[12月17日]] - 淀川6番館の8階に、"MBS分室プラネット" を開設する<ref name=mbs50th-507/>。
* [[1997年]](平成9年)
** [[1月23日]] - 自社のラジオ局が、「タクシー防災リポーター」制度を発足する<ref name=mbs50th-507/>。
** [[3月6日]] - テレビ・ラジオのネット回線用に使う、MBSとNTT大阪端局間の伝送を、光ケーブル化する<ref name=mbs50th-507/>。
** [[3月17日]] - 45周年記念テレビドラマ番組『古都の恋歌』を放送<ref name=mbs50th-507/>。
** [[3月31日]] - [[Local area network|LAN]]による視聴率閲覧システム "MIRACLE" 運用開始<ref name=mbs50th-508>{{Cite book|和書|author=毎日放送50年史編纂委員会事務局|date=2001-9-1|title=毎日放送50年史|publisher=株式会社 毎日放送|page=508}}</ref>。
** [[4月1日]] - [[在阪民放ラジオ局京都中継局|京都AMラジオ中継局]]が開局する(周波数:1179kHz、出力:300W)<ref name=mbs50th-508/>。
** [[7月1日]] - ベルリン支局が移転する<ref name=mbs50th-508/>。
** [[10月10日]] - ラジオ番組『おはよう河村龍一です』の記念イベント "15回目の10月10日" を、本社ギャラクシーホールにて開催<ref name=mbs50th-508/>。
** [[11月10日]] - MBS自動アナウンス装置 "MAAS" が完成<ref name=mbs50th-508/>。
** [[11月23日]] - ラジオ番組『ごめんやす馬場章夫です』の25周年記念イベント「ひと足早いバンちゃんの還暦イベント」を、本社ギャラクシーホールにて開催<ref name=mbs50th-508/>。
* [[1998年]](平成10年)
** [[1月11日]] - テレビ番組『真珠の小箱』2千回目を放送<ref name=mbs50th-508/>。
** [[2月3日]] - 報道局奈良支局を開設する<ref name=mbs50th-508/>。
** [[3月16日]] - 「テレビ番組ライブラリー検索システム」のLANでの運用を開始<ref name=mbs50th-508/>。
** [[3月18日]] - テレビ番組『あどりぶランド』放送終了(全放送回数:690回)<ref name=mbs50th-508/>。
** [[3月25日]] - アナログ・テレビのデータ多重放送「MBS DATA PARADE」「EPG」を開始<ref name=mbs-enkaku/><ref name=mbs50th-508/>。
** [[4月5日]] - 全国ネットのテレビドキュメンタリー番組『[[情熱大陸]]』が放送開始(2024年8月現在も継続中)。
** [[4月26日]] - 自己検証のテレビ番組『MBSマンスリーリポート』放送開始<ref name=mbs50th-508/>。
** [[9月1日]] - JNNジャカルタ支局が開設、自社のカメラマンが同支局へ赴任する<ref name=mbs50th-509>{{Cite book|和書|author=毎日放送50年史編纂委員会事務局|date=2001-9-1|title=毎日放送50年史|publisher=株式会社 毎日放送|page=509}}</ref>。
** [[11月29日]] - 平成10年度(第53回)文化庁芸術祭ラジオ部門参加ドラマ『ハート オブ ゴールド』放送。翌年(1999年)1月8日に、同部門の大賞を受賞する<ref name=mbs50th-509/><ref>[https://www.bunka.go.jp/seisaku/geijutsubunka/jutenshien/geijutsusai/pdf/h8_h17.pdf 文化庁芸術祭賞受賞一覧 平成8年(第51回)〜平成17年(第60回)](PDF形式)(文化庁のサイト)(2024年8月20日閲覧)</ref>。
* [[1999年]](平成11年)
** [[3月18日]] - ラジオ、自社の3番組に於いて、インターネットでの配信を開始する<ref name=mbs50th-509/>。
** [[4月4日]] - 20年3カ月続いたラジオ番組『[[末次攝子の日曜サロン]]』放送終了<ref name=mbs50th-509/>。
** [[5月6日]] - 名古屋支局を移転する<ref name=mbs50th-509/>。
** [[5月8日]] - ラジオ番組『ありがとう浜村淳です』25周年記念イベントを、フェスティバルホールにて開催。その後、同記念イベントを年内計5回開催する<ref name=mbs50th-509/>。
** [[5月12日]] - 「コンピューター西暦2000年問題対応(Y2K対策)連絡会」が発足する<ref name=mbs50th-509/>。
** [[7月9日]] - ラジオキャンペーン「1179ラジオの日」(キャッチコピーは "耳のごちそう" )を実施<ref name=mbs50th-509/>。
** [[10月1日]] - ラジオ番組『MBSヤングタウン』月 - 金曜分の放送を終了<ref name=mbs50th-509/>(土・日曜分は放送を継続。後に、[[2018年]](平成30年)[[4月6日]]から[[ヤングタウン金曜日|金曜分]]、MBSラジオへのラジオ放送事業移管後の[[2021年]](令和3年)[[10月4日]]から月 - 木曜分の放送を再開)。
** [[10月11日]] - テレビ情報生番組『[[ちちんぷいぷい (テレビ番組)|ちちんぷいぷい]]』放送開始(2021年3月12日終了)<ref name=mbs50th-509/>。
** [[11月1日]] - ビデオソフト『皇室の二十世紀』を発売<ref name=mbs50th-509/>。
** [[11月22日]] - テレビ[[ドキュメンタリー]]番組『[[映像 (テレビ番組)|映像'90]]「ふつうのままで」』が、第29回[[国際エミー賞]]の最優秀賞を受賞する<ref>{{Cite book|和書|author=毎日放送50年史編纂委員会事務局|date=2001-9-1|title=毎日放送50年史|publisher=株式会社 毎日放送|page=509〜510}}</ref>。
** [[12月13日]] - 放送情報管理システムが、Y2K対策として、旧ACOSから「MEISTER」へ交代、稼働開始<ref name=mbs50th-510>{{Cite book|和書|author=毎日放送50年史編纂委員会事務局|date=2001-9-1|title=毎日放送50年史|publisher=株式会社 毎日放送|page=510}}</ref>。
** [[12月29日]] - 年末年始のY2K対応で、翌年(2000年)1月3日までにのべ357人が出勤する<ref name=mbs50th-510/>。
 
===劇場= 2000年代 ====
* [[2000年]](平成12年)
*MBSは[[劇団四季]]との結びつきが強く、これまでにも「CATS」などの代表作を大阪市内の主要ターミナルに特設テント劇場を建設して公演してきたが、近年は[[大阪ビジネスパーク]]に常設劇場の「[http://mbs.jp/theater/ 大阪MBS劇場]」で公演を続けた。そして2004年12月に[[梅田|西梅田]]ハービスエント内に「[http://www.shiki.gr.jp/theatres/osakashiki/ 大阪四季劇場]」が完成したのに伴い、大阪での常設劇場をそこに移動。大阪MBS劇場は大阪市内東部のコンサート・演劇ホールの拠点「[http://theaterbrava.com/ シアター・BRAVA!]」として2005年5月から再オープンする予定。
** [[1月16日]] - 50周年記念テレビ番組『京都・尼門跡』を放送<ref name=mbs50th-510/>。
** [[2月28日]] - Y2K問題第2次対応を実施、影響なし<ref name=mbs50th-510/>。
** [[2月29日]] - ベルリン支局が、[[第2ドイツテレビ|ZDF]]ベルリン支社内へ移転する<ref name=mbs50th-510/>。
** [[3月6日]] - 「毎日放送テレビ教育会議」が、42年間の活動を終了する<ref name=mbs50th-510/>。
** [[3月24日]] - 同社のホームページにおいて、1954年(昭和29年)12月から1960年(昭和35年)9月まで日活系映画館で上映されたニュースフィルム『日活世界ニュース』をデジタル化して一般公開するサイト "MBSモノクローム" を一般公開する(2024年8月現在閉鎖。閉鎖時期は未定)<ref name=mbs50th-510/><ref>[https://ascii.jp/elem/000/000/308/308531/ ascii.jp×デジタル「毎日放送、昭和30年代のニュースをインターネット上で公開」(2000年3月24日付)](角川アスキー総合研究所)(2024年8月20日閲覧)</ref>。
** [[7月28日]] - プロ野球 [[阪神タイガース]]のゲームを、インターネット生中継開始(翌月(8月)1日から、有料配信となる)<ref name=mbs50th-510/>。
** [[8月26日]] - 50周年記念テレビ番組『MAKE-A-WISH 夢叶え人』を放送<ref name=mbs50th-510/>。
** [[8月28日]] - 社屋内の分煙がスタートする(オフィス内が原則禁煙となる)<ref name=mbs50th-510/>。
** [[9月1日]] - 開局50周年記念ロゴマークを制定する<ref name=mbs50th-510/>。
** [[9月29日]] - 平日夕方のテレビ報道番組『MBSナウ』放送終了。同年10月2日より『[[VOICE (ニュース番組)|VOICE]]』へとリニューアル、放送開始(2019年3月29日終了)<ref>{{Cite book|和書|author=毎日放送50年史編纂委員会事務局|date=2001-9-1|title=毎日放送50年史|publisher=株式会社 毎日放送|page=510〜1}}</ref>。
** [[12月18日]] - [[NTTドコモ]]の「[[iモード]]公式サイト」に参画する<ref name=mbs50th-511>{{Cite book|和書|author=毎日放送50年史編纂委員会事務局|date=2001-9-1|title=毎日放送50年史|publisher=株式会社 毎日放送|page=511}}</ref>。
** [[12月21日]] - テレビ番組『[[乾杯!トークそんぐ]]』放送終了(計554回)<ref name=mbs50th-511/>。
* [[2001年]](平成13年)
** [[3月31日]] - [[ユニバーサル・スタジオ・ジャパン]]内に「MBSスタジオ in USJ」完成<ref name=mbs-enkaku/>。
** [[4月14日]] - 土曜デイタイムの情報生番組『[[せやねん!]]』放送開始。
* [[2003年]](平成15年)
** [[10月7日]] - [[なんばパークス]]内にラジオ局のサテライトスタジオとなるパークスラジオパラダイスをオープン。
** [[6月2日]] - テレビ放送部門における番組宣伝のメインキャラクターとして、「'''[[らいよんチャン]]'''」がデビュー。後に同局を代表するキャラクターに成長する<ref>[https://www.mbs.jp/monthly/archive/20201124/ MBSテレビ『MBSマンスリーリポート』2020年12月6日放送分特集「進化するらいよんチャン~18年の歩み」](毎日放送『MBSマンスリーリポート』番組公式サイト)(2024年9月9日閲覧)</ref>。
** [[12月1日]] - 午前11時に'''[[日本の地上デジタルテレビ放送|地上デジタルテレビジョン放送]](JOOR-DTV)を開始'''([[ISDB|ISDB-T]]方式)<ref name=mbs-enkaku/>。
*** この際、社長・[[山本雅弘 (毎日放送)|山本雅弘]](当時、後に会長を歴任)の提案で、地域に根ざした放送局を目指す「'''スーパーリージョナルステーション'''」にすることを宣言。
* [[2004年]](平成16年)
** [[3月1日]] - アナログ・デジタル統合マスター([[日本電気|NEC]]製)運用開始。
*** この頃発行していた[[ベリカード]](テレビ・ラジオ共通)は、前述のアナログ・デジタル統合テレビマスターの全景写真([[パノラマ]]撮影)がデザインされていた。{{Refnest|group="注釈"|ちなみに、2021年の開局70周年記念のそれでは、高石AM送信所と生駒山テレビ・FM送信所の写真が掲載されている<ref>[https://blog.goo.ne.jp/koaarr/e/f0183b3997e893e354776bb6a302b849 BCLとベリカードの楽しみ「MBSラジオ ベリカード」](2024年9月9日閲覧)</ref>。尚、受信報告書はテレビ・ラジオとも、視聴者センターで受け付けている。}}
** 7月 - 在阪放送局主体のイベントとしては初となる「[[オーサカキング]]」を大阪城公園一帯で開催、40万人を超える人出となる。好評につき、2008年(平成20年)まで開催された。
* [[2006年]](平成18年)4月1日 - '''地上デジタルテレビのワンセグ放送を開始'''<ref name=mbs-enkaku/>。
* [[2007年]](平成19年)
** [[4月26日]] - ソニー製の大型ハイビジョン中継車システムを納入(車体には、自社のキャラクター「らいよんチャン」のイラストが描かれている)。ソニーとしてはこれが国内製造100台目のHD中継車システムとなる。<ref>[https://www.sony.jp/professional/News/info/pb20070508.html お知らせ「製造100台目のHD中継車システムを株式会社 毎日放送様へ納入 ~スポーツやコンサートなど大規模なハイビジョン中継にも対応~」](ソニー株式会社 2007年5月8日付)(2024年9月14日閲覧)</ref>
** [[8月25日]]~[[9月2日]] - 『[[2007年世界陸上競技選手権大会#放送局|世界陸上選手権大阪大会]]』をJNN・JRN系列で独占中継。その際の制作協力として参加。
* [[2008年]](平成20年)
** [[2月6日]] - [[毎日放送千里丘ミリカセンター|千里丘ミリカセンター]]がオープン<ref name=mbs-enkaku/>。
** [[2月12日]] - 東京支社が[[赤坂Bizタワー]]に移転<ref name=mbs-enkaku/>。
 
==== 関連項目2010年代 ====
* [[2010年]](平成22年)
*[[竹田菁滋]](東京支社所属プロデューサー、元報道部所属)
**[[3月1日]] - 未明の放送終了を以って'''ラジオのAMステレオ放送を終了'''。早朝4:30の放送開始よりモノラル放送に移行。
** 3月15日、ほかの在阪ラジオ5局と共同で'''インターネットでのサイマル放送「[[radiko]]」を試験的に開始'''(大阪府・京都府・兵庫県・奈良県。2010年(平成22年)12月1日からは滋賀県・和歌山県にも拡大)。「radiko」ではステレオ配信を実施している。
* [[2011年]](平成23年)
** 7月24日 - '''この日正午をもって地上アナログテレビ放送を終了'''(TBSテレビ制作『[[アッコにおまかせ!]]』の放送中に終了)。23時58分からは[[アナログ]]完全終了の為の特別のクロージングが流され、'''23時59分にアナログ放送が完全に[[停波]]'''。新聞・テレビ情報誌の表記が「毎日テレビ」「毎日ラジオ」から「MBSテレビ」「MBSラジオ」に変更される。アナログ放送停波前に特別な[[局名告知]]が放送され、こちらの映像は同局の公式Youtubeチャンネルにアップロードされている。
** 9月1日 - 開局60周年を迎えることを記念として、'''[[コーポレートアイデンティティ|CI]]を刷新。"MBS"及び"毎日放送"ロゴマークの現行のものに変更、[[コーポレートカラー]]に黄緑色を制定する'''。(テレビ中継車の一部を黄緑色を基調としたデザインに変更。同時に4マーク及び1179マークも変更。社旗は黄緑地に白抜きで「MBS」の新ロゴ、その下に黒字で「Mainichi Broadcasting System,Inc.」と表記された物に変更<ref group="注釈">本社社屋(M館)の壁面にある旧ロゴはその後もしばらく残っていたが、2013年(平成25年)9月の新館(B館)の完成と同時に取り外された。新館には、毎日放送の現行ロゴが取り付けられている。会見等で使われるマイクも変更されている。また、生駒ワイドFM送信所(旧アナログテレビ送信所)の局舎にも現行ロゴが取り付けられている。旧ロゴについては、放送中のテレビ映像の上部で気象警報・地震速報を表示する際の字幕にも組み込まれていた。ロゴの変更後は、新ロゴを字幕へ組み込まない代わりに、タイトル(「MBS気象警報」「MBS地震速報」)と本文の字体を丸ゴシック体で統一している。
</ref>。また社章(バッジ)は2011年(平成23年)度入社分までは従来の物を使用しているが、2012(平成24年)度分から新デザインにて使用される。)テレビでの製作・著作クレジット表示を'''毎日放送'''から'''MBS'''に統一。
* [[2013年]](平成25年)10月1日 - [[毎日放送高石ラジオ送信所|高石ラジオ送信所]](大阪府[[高石市]])の敷地内で「毎日放送高石太陽光発電所」の運営を開始。これを機に、在阪の放送局では初めて太陽光発電事業に乗り出した。なお、同発電所で生み出された電力は、20年間の予定で全量を[[関西電力]]に販売する。
[[ファイル:Mainichi broadcasting system old logo.svg|thumb|right|200px|2011年8月まで使用されたロゴ。現在もごく一部に限り継続使用デジタル放送のSTLパラボラ、一部中継局のプレートなどは現在も使用。]]
* [[2014年]](平成26年)4月4日 - 午前'''11'''時'''7'''分'''9'''<ref group="注釈">ラジオの周波数'''1179kHz'''から。</ref> 秒に、本社「'''B館'''」がグランドオープン。このオープンを機に、「'''あらためまして、MBS'''」というキャッチフレーズを使用。
* [[2015年]](平成27年)
** [[4月20日]] - 本社B館に災害時でも確実に放送を継続できるように対応した新しい主調整室(マスター)に移転更新され、運用を開始(NEC製)。
** [[7月27日]] - [[FM補完中継局]](ワイドFM)の予備免許を取得(ABC,OBCと同日)。
* [[2016年]](平成28年)
** [[2月29日]] - FM補完中継局の本免許を取得(ABC,OBCと同日)。
** [[3月19日]] - この日の正午放送の在阪3局共同制作特別番組『[[ほんまもんのワイドFMをハッキリ愛して]]』より、朝日放送ラジオ・[[ラジオ大阪]]と共に、奈良県生駒市の生駒山にある[[生駒山テレビ・FM送信所|生駒]][[FM補完中継局]]から'''FM補完放送(ワイドFM、90.6[[メガヘルツ|MHz]])を開始(ステレオ放送)'''<ref name=mbs-enkaku/><ref>[https://news.yahoo.co.jp/articles/1c098b2b49ca1e7fa04f6228e19445dece4f3993 MBS・ABC・OBC3局にワイドFM免許交付 3月19日放送開始へ]、[[THE PAGE]]、2016年2月29日、2022年8月7日閲覧。</ref>。
**7月28日 - 認定放送持株会社に移行する計画であると発表、同日付で分割準備会社である「'''毎日放送分割準備株式会社'''」を設立<ref name=mbs-enkaku/><ref name="itpro20160728">
[https://xtech.nikkei.com/it/atcl/news/16/072802267/ ニュース - 毎日放送が認定放送持株会社に移行を計画、社名は「MBSメディアホールディングス」],ITpro,2016年7月28日</ref>。
** 9月 - 在阪の放送事業者では初めて、[[気象庁]]から[[予報業務許可事業者]]としての実施許可を受けた(許可第202号)<ref>[https://www.jma.go.jp/jma/kishou/minkan/minkan.html#202 予報業務許可事業者(気象・波浪)の連絡先] 気象庁</ref>。この許可によって、近畿地方などを対象に、毎日放送が独自に調査した天気予報(ピンポイント予報など)をテレビ・ラジオ番組で放送できるようになった<ref>[https://mainichi.jp/articles/20161210/ddf/012/200/010000c オンエアの裏側 MBS「お天気部」広瀬駿キャスター 生活情報交え幅広く] 毎日新聞 2016年12月20日</ref>。
** 9月6日 - 同月1日にラジオの本放送開始65周年を迎えたことから、ワイドFMの周波数 (90.6&nbsp;MHz) にちなんで、'''9月6日を「MBSラジオの日」'''にすることを発表。[[日本記念日協会]]に申請したところ、記念日として正式に認定されたため、この日に放送された『ありがとう浜村淳です』内で登録証の授与式が催された。放送局によるワイドFM用周波数にちなんだ記念日の登録・認定は日本初の事例で、AM用周波数にちなんだ記念日を含めても、文化放送・ニッポン放送に次ぐものである<ref>[https://hochi.news/articles/20160906-OHT1T50056.html 9月6日は「MBSラジオの日」…FM周波数にちなみ] スポーツ報知 2016年9月6日</ref>。また、当時と同じ阪急百貨店うめだ本店屋上に、「民間放送誕生の地」記念プレートを設置。
** 10月 - 開局65周年を記念した特別企画として、[[10月13日|13日]]から[[10月16日|16日]]までの期間に、[[クルーズ客船]]「[[ぱしふぃっくびいなす]]」のチャーターによる有料のスペシャルツアー「[http://www.mbs.jp/dcc/ MBSプロデュース 豪華客船 神戸発着3泊4日の旅『ドリームズ・カム・クルーズ』]」を開催。船上では、テレビ番組(『ちちんぷいぷい』『せやねん!』)・ラジオ番組(『[[こんちわコンちゃんお昼ですょ!]]』『[[ヤマヒロのぴかいちラジオ]]』)向けの生中継や、テレビ・ラジオのレギュラー番組(『[[プレバト!!]]』『こんちわコンちゃんお昼ですょ!』)からの派生企画などのイベントを連日実施した。最終目的地の[[屋久島]]に到着した[[10月15日|15日]]には、『あっぱれ!屋久島ツアー 神秘の島でパワーをもらっちゃおうスペシャル』(系列局・[[南日本放送]]との[[コラボレーション]]による開局65周年特別番組)を同局と同時に生放送(11:58 - 12:54)<ref group="注釈">MBSテレビでは、通常編成の『せやねん!』第2部を、当番組の放送枠に充てた。ちなみに、南日本放送(MBCテレビ)では、2016年(平成28年)10月3日(月曜日)から『ちちんぷいぷい』前半(13:55 - 15:50)の同時ネットを実施している。</ref>。また、[[近藤光史]](元・アナウンサーで『こんちわコンちゃんお昼ですょ!』パーソナリティ)や[[山中真]]アナウンサーの案内によるオプショナルツアーを開催した。
* [[2017年]](平成29年)
** 1月6日 - 前年9月に気象庁から気象予報業務の実施許可を受けたことを背景に、この日放送の『ちちんぷいぷい』から、毎日放送の独自調査による「ピンポイント天気予報」(特定の地点に向けた天気予報)の放送を開始。同年9月29日まで、毎週金曜日の第2部(関西ローカルパート)エンディングで放送していた。
** 4月1日 - 放送法などの手続や総務大臣の認可などを経て、同日付で(旧)毎日放送の商号を「'''[[MBSメディアホールディングス]]'''」に変更<ref name=mbs-enkaku/>。全国で8社目、在阪準キー局では初めて放送持株会社体制へ移行した。また、分割準備会社である毎日放送分割準備に放送事業などを承継させたうえで、「(新)'''毎日放送'''」(以下「新社」と略記)を発足。新社ではテレビ放送事業とラジオ放送事業を分割せず、従来のラ・テ兼営体制を維持する<ref name="mbs" /><ref name="itpro20160728" /> ほか、旧社に所属していたアナウンサーや番組スタッフも新社に自動転籍したうえで引き続き勤務している。
** 4月3日 - テレビの『ちちんぷいぷい』に続いて、ラジオの平日生ワイド番組『[[松井愛のすこ〜し愛して★|松井愛のすこ〜し愛して♥]]』『こんちわコンちゃんお昼ですょ!』や、ラジオのプロ野球中継『[[MBSベースボールパーク]]』([[阪神甲子園球場]]から[[阪神タイガース]]の主催試合を中継する場合)でも毎日放送の独自観測に基づく天気予報のレギュラー放送を開始。
* 2018年(平成30年)7月29日 -(28日深夜)午前3時半頃〜午前6時10分まで、台風12号の影響で高石ラジオ送信所に落雷があり、約2時間半中波での放送が停止した。落雷による放送停止は同社が1951年にラジオ放送を開始して以来初めて。茶屋町の本社にある予備送信所を使用して代替放送したが、出力が1kWなため電波は大阪市内と北摂地域周辺にしか届かなかったと見られる<ref>[https://www.kobe-np.co.jp/news/jiken/201807/sp/0011491622.shtml MBSラジオが落雷で放送停止 放送開始後初トラブル、約2時間半 神戸新聞]</ref>。なおFM補完中継局やradikoでの放送に異常は無かった。
* [[2019年]](平成31年/[[令和]]元年)
** 1月8日(7日深夜) - [[Sota (ロボット)|対話型ヒューマノイドロボット「CommU(コミュー)」]]3体(せんた・れふた・らいた)が人間の悩みに答えるテレビ番組『[[ロボロボ]]』を、この日からレギュラーで放送。[[石黒浩]]([[大阪大学]]特別教授)を初めとする[[ロボット工学]]の研究者と毎日放送による産学連携プロジェクトに沿った共同研究実験(番組表上の略称は「阪大MBS」)の一環で、人間が一切登場しない代わりに、[[ロボット]]だけで進行するテレビのレギュラー番組は日本の放送局で初めてとされる<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXMZO38844740S8A211C1LKA000/ 出演者はロボットだけ 毎日放送が大阪大と組んで新番組](『[[日本経済新聞]]』2018年12月12日付記事)</ref>。
** 1月28日 - 本社M館の2階に新装された「ライブセンター」の運用を、この日の『ちちんぷいぷい』の生放送から開始。
** 4月1日 - 『ちちんぷいぷい』のレギュラー放送枠を番組史上最短の1時間54分(13:55 - 15:49)まで短縮したうえで、同日から全編を同時ネット番組として放送。また、同番組の関西ローカルパートと『VOICE』の放送枠を統合したうえで、平日の15:49 - 19:00で総合情報番組『[[ミント!]]』の放送を開始。
** [[7月16日]] - 千里丘ミリカセンターが閉鎖<ref name=mbs-enkaku/>。
** 11月1日 - 「日本一早い[[2025年日本国際博覧会|2025大阪万博]]応援番組」と銘打ったラジオ番組『[[ばんぱく宣言 われら21世紀少年団]]』を、この日から2025年(令和7年)までの6年間にわたってレギュラーで放送。
 
===関連会社= 2020年代 ====
* [[2020年]](令和2年)4月 - 年頭から日本国内で[[新型コロナウイルス感染症の世界的流行 (2019年-)|新型コロナウイルスへの感染が拡大していること]]への対応策として、テレビ・ラジオ番組の制作・放送体制を平時から大幅に変更。その一方で、テレビ制作局のプロデューサー時代に『ちちんぷいぷい』などの番組を立ち上げた[[岡田公伸]]取締役が、感染に伴う心筋症のため9日に60歳で急逝した。以上の事態を受けて、20日(月曜日)からは、同番組と『ミント!』の放送枠を暫定的に統合。『[[ちちんぷいぷいの特別番組一覧#『おうちにいようよ ちちんぷいぷい&ミント!』(2020年)|おうちにいようよ ちちんぷいぷい&ミント!]]』(5月最終週のみ『あしたのために ちちんぷいぷい&ミント!』)というタイトルで、5月29日(金曜日)まで放送している。
*[[GAORA]](スペースビジョン・ネットワーク)
* [[2021年]](令和3年)
*[[MBS企画]]
** 1月14日 - 『ありがとう浜村淳です』に第1回から(放送休止期間や休暇期間を除いて)出演を続けてきたパーソナリティの[[浜村淳]](当時86歳)が、検査入院を理由に、同番組を初めて完全に休演。前日(13日:水曜日)の出演後に受けた定期検診で脳内の血管にごく小さな梗塞が見付かったことに伴う入院で、15日(金曜日)放送分にも出演を見合わせたが、16日放送分の土曜版(『[[ありがとう浜村淳です土曜日です]]』)に電話で出演。18日(月曜日)放送分からスタジオに復帰した。
*[[放送映画製作所]]
** 3月5日 - 新型コロナウイルス感染拡大の影響で毎日放送グループ全体の収益が急速に悪化していることなどを背景に、「Newsミント!」を除く『ミント!』の関西ローカルパートの放送をこの日で終了<ref name="tomorrow">[https://www.mbs.jp/kouhou/log/132a56d9fad95ce6b773ca9845c71c34f5e97cc3.pdf 社長記者会見をオンラインで開催しました](毎日放送2021年1月20日プレスリリース)</ref>。「Newsミント!」については、『VOICE』と同様の単独番組として、8日(月曜日)以降も26日(金曜日)まで放送した。
*MBSハウジング(住宅展示場)
** 3月10日 - 株式会社毎日放送が保有するラジオの中波(AM)放送と超短波(FM)補完放送の免許を、4月1日付で「'''毎日放送ラジオ分割準備株式会社'''」が承継することについて、総務省が[[武田良太]]総務大臣(当時)の名で許可<ref>[https://www.mbs.jp/kouhou/log/ee1c8fc327c408a7996a2b1ee077aeea99358651.pdf ラジオ放送免許の承継について](毎日放送2021年3月10日付プレスリリース)</ref>。
*ミリカスポーツ振興 株式会社(ミリカ天然温泉 千里の湯)
** 3月12日 - 『ミント!』と同様の事情で、『ちちんぷいぷい』の放送をこの日で終了。関西地方における放送期間はおよそ21年半、放送回数は5,115回であった。
** 3月29日 - 平日夕方のテレビ報道・情報バラエティ番組『[[よんチャンTV]]』放送開始。
** 4月1日 - 毎日放送(新社)が保有するラジオ放送事業とラジオ放送免許を、吸収分割方式で毎日放送ラジオ分割準備株式会社<ref>[https://www.houjin-bangou.nta.go.jp/henkorireki-johoto.html?selHouzinNo=6120001229406 毎日放送ラジオ分割準備株式会社の情報] 国税庁法人番号公表サイト</ref>(MBSメディアホールディングスの全額出資で2020年5月28日に設立)へ承継<ref name="SDGs">[https://www.mbs.jp/kouhou/log/1688b3977c6f2476091d45eb7e9f1cf9483c639f.pdf 社長記者会見を書面で開催しました](毎日放送2020年8月26日付プレスリリース)</ref><ref>[https://www.mbs.jp/kouhou/log/65b6d0409a1d050835eaa0a21c5400232db666a8.pdf ラジオの分社に向けた新会社設立について](毎日放送2020年5月28日付プレスリリース)</ref>。毎日放送ラジオ分割準備会社は、商号を「'''株式会社MBSラジオ'''」に変更した<ref name=mbs-enkaku/>。毎日放送(新社)については、テレビ放送事業とテレビ放送免許を保有するテレビ単営局として、「株式会社毎日放送」という商号を引き続き使用<ref name="tomorrow" />。その一方で、デジタルテレビ放送のコールサインを、JOOR-DTVから'''JOOY-DTV'''に変更した<ref name="pr20210401">[https://www.mbs.jp/kouhou/news/log/20210401_2286.shtml 「株式会社MBSラジオ」、「株式会社毎日放送」 ラジオ、テレビが独立した会社で再スタートしました](株式会社毎日放送・株式会社MBSラジオ2021年4月1日広報)</ref>。このため、毎日放送(新社)では、変更時刻の前後(0:00)に『らいよんチャンネル』(番宣番組)を編成。『よんチャンTV』のスタジオセットで収録された映像を通じて、同番組MCの[[河田直也]]アナウンサーが変更を告知した。
** 7月23日 - 新日本放送の設立へ尽力した後に、毎日放送で社長などを歴任した[[高橋信三]]の遺志に沿って1993年(平成5年)5月に設立された[[公益信託]]高橋信三記念放送文化振興基金が、放送関連の活動に対する助成金の2021年(令和3年)度交付式を大阪市内で開催。この基金では助成の公募・選考と助成金の給付を1993年(平成5年)度から29年間続けてきたが、2021年(令和3年)度で終了した。
** 10月 - 毎日放送と株式会社MBSラジオが、「TEAM EXPO 2025」(公益社団法人2025年日本国際博覧会協会が[[SDGs]]の達成と同年の[[大阪・関西万博]]開催に向けて展開しているプログラム)の「共創パートナー」として登録<ref name="2025EXPO">[https://www.mbs.jp/kouhou/news/log/20211006_3147.shtml 大阪・関西万博の「共創パートナー」テレビ、ラジオ揃ってMBSが登録されました](毎日放送2021年10月6日付ニュースリリース)</ref>。
* [[2022年]](令和4年)
** 4月11日 - [[TVer]]で[[TBS系リアルタイム配信|TBS系列全国ネット番組のリアルタイム配信]]がこの日の19:00から始まることに伴って、当時22:00から放送されていた『[[100%!アピールちゃん]]』(8月22日で終了)を皮切りに、『[[プレバト!!]]』『[[日曜日の初耳学]]』(いずれも東京支社の制作で[[ゴールデンタイム]]に放送している全国ネット番組)のリアルタイム配信を順次開始<ref>[https://www.mbs.jp/kouhou/news/log/20220408_3846.shtml 民放テレビの地上波リアルタイム配信がTVerに勢ぞろい!2022年4月11日(月)夜からスタート!](毎日放送2022年4月8日付ニュースリリース)</ref>。
** 10月 - 土曜日の7:30 - 17:30を対象に、「在阪の民放テレビ局では初めて」とされる自社制作番組の10時間連続レギュラー編成を関西ローカルで開始。『[[所さんお届けモノです!]]』『[[サタデープラス]]』(いずれも全国ネット向け)『[[せやねん!]]』『[[よしもと新喜劇]]』『[[あどりぶランド#『三度の飯よりアレが好き!』|三度の飯よりアレが好き!]]』『[[住人十色]]』(いずれも関西ローカル向け)といった番組のレギュラー放送を続けながら、前月まで長らく平日の深夜に編成されてきた自社制作のバラエティ番組から、『[[ごぶごぶ]]』の放送枠を14時台・『痛快!明石家電視台』の放送枠を15時台に移動させた。月曜日の深夜(火曜日の未明)に放送されてきた『明石家電視台』がレギュラー放送の曜日・時間帯を変更することは、上記の放送開始から32年半にして初めて<ref>[https://mantan-web.jp/article/20220920dog00m200035000c.html MBS:土曜に「ごぶごぶ」「明石家電視台」を移動「目立ってなんぼ」 在阪局でかつてない10時間連続自社制作に](『[[MANTANWEB]]』2022年9月20日付記事)</ref> だが、「[[MBSウイークエンドスペシャル]]」としてスポーツ中継やJNN加盟局制作・全国ネット向けの特別番組を編成する週には『ごぶごぶ』『明石家電視台』『三度の飯よりアレが好き!』から少なくとも1番組を休止することで対応。
* [[2023年]](令和5年)
** [[池上通信機]]から、FPU集中制御システム、情報カメラ集中制御システム、SNG中継車を納入。<ref>[https://www.ikegami.co.jp/news/detail/5/ ニュース「株式会社毎日放送様へ FPU集中制御システム、情報カメラ集中制御システム、SNG中継車を連続納入 ワンストップソリューションを高く評価」](池上通信機 2023年4月3日付)(2024年9月14日閲覧)</ref>
* [[2024年]](令和6年)
** [[10月5日]] - 自社と[[読売テレビ放送]]との取材ヘリコプターの映像を互いに共有し、南海トラフ地震及びそれに伴う津波等を想定しての非常災害放送の訓練を実施。テレビ局の同放送訓練に於いて他局との連携は大阪では初。{{Refnest|group="注釈"|この時点で、同放送訓練に於いての他局との連携は、既に愛知で実施済。}}<ref>[https://www.mbs.jp/monthly/archive/20241128/ MBSマンスリーリポート 2024年12月1日放送「MBSの災害報道への取り組み~命と放送を守るために~」(毎日放送番組公式サイト)](2025年5月5日閲覧)</ref><ref>[https://www.oricon.co.jp/news/2356836/full/ ORICON NEWS 2024年11月30日17:00発信「『プレバト!!』『サタプラ』清水麻椰アナら迫真 津波想定で異例の大規模訓練 あす12・1放送」](2025年5月5日閲覧)</ref>
 
=== 社史・記念誌 ===
== 他の在阪テレビ局 ==
新日本放送時代に発行した1冊も入れて、以下の7冊を発行している(2021年11月時点)。
*[[朝日放送]](ABC)
* {{Cite book|和書|title=NJBの四年|publisher=新日本放送|date=1954-12-27|id={{NDLJP|2475116}}}}
*[[関西テレビ放送|関西テレビ]]
* {{Cite book|和書|title=毎日放送十年史|publisher=毎日放送|date=1961-12-15|id={{NDLJP|2496354}}}}<ref>[https://www.google.com/books/edition/_/5mM_AQAAIAAJ 每日放送十年史 - Google Books]</ref>
*[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]
* {{Cite book|和書|editor=毎日放送40年史編纂室|title=毎日放送の40年|publisher=毎日放送|date=1991-09-01}}<ref>[https://www.google.com/books/edition/_/J9iZAAAAIAAJ 每日放送の 40年 - Google Books]</ref>
*[[テレビ大阪]]
* {{Cite book|和書|editor=毎日放送40年史編纂室|title=毎日放送の40年 資料編|publisher=毎日放送|date=1991-09-01}}<ref>[https://www.google.com/books/edition/_/U9iZAAAAIAAJ 每日放送の 40年 - Google Books]</ref>
* {{Cite book|和書|editor=毎日放送50年史編纂委員会事務局|title=毎日放送50年史|publisher=毎日放送|date=2001-09-01}}
* {{Cite book|和書|editor=毎日放送総務局60周年記念誌編集室|title=社報で綴るMBSのあゆみ : 開局60周年記念誌|publisher=毎日放送|date=2011-09-01}}
* {{Cite book|和書|editor=毎日放送総務局70周年記念誌編集室|title=社報で綴るMBSのあゆみ : 開局70周年記念誌|publisher=毎日放送|date=2021-09-01}}
 
== 在京局との関係 ==
==外部リンク==
=== 腸捻転時代のNETテレビ(現:テレビ朝日)との関係 ===
*[http://mbs.jp/ 毎日放送ホームページ]
腸捻転時代にキー局だったNETテレビ(現:[[テレビ朝日]])とは、しばしば番組編成や内容を巡る衝突が起きていたという。その典型的な例が『[[23時ショー]]』打ち切り事件で、他にも『[[ヤングおー!おー!]]』打ち切り、『[[大正テレビ寄席]]・[[よしもと新喜劇|サモン日曜お笑い劇場]]』相互打ち切りなど実際の番組編成にまで響いたケースがある。
*[http://mbs1179.com/ 毎日放送ラジオホームページ]
*[http://www.mbs-myrica.co.jp/ ミリカ天然温泉 千里の湯]
 
ただ、NETテレビが主導した教育・教養番組専門のネットワーク[[民間放送教育協会]](民教協)を通じた両局の関係は、[[ネットチェンジ]]後も続いた。[[1992年]](平成4年)3月末にTBS系列の団結などを理由に民教協を脱退したが<ref>『毎日放送50年史』307頁より。なお、ローカルの教育番組『[[わたしたちの近畿]]』は2000年3月まで放送していた。</ref>、それまでは『[[親の目・子の目]]』などの民教協制作番組について引き続きテレビ朝日からの送り出しを受け、『親の目』では持ち回りの発局となることもあった。{{main|民間放送教育協会#概要}}
[[Category:日本のテレビ局|まいにちほうそう]]
 
[[Category:日本のAMラジオ局|まいにちほうそう]]
=== 腸捻転時代の東京12チャンネル(現・テレビ東京)との関係 ===
[[en:Mainichi Broadcasting System]]
[[テレビ東京]]は同社設立以来<ref group="注釈">1968年7月1日に「東京十二チャンネルプロダクション」として設立。</ref>、毎日放送が大株主の一角に加わっており、1969年10月1日より1975年3月30日まで相互ネットを行っていた。そのため、毎日放送は東京12チャンネルを買収して、局名も「東京毎日放送」に変更、新[[ネットワーク (放送)|テレビネットワーク]]を構築する計画もあったが<ref group="注釈">NETテレビは毎日放送が系列を脱退し、かつ腸捻転解消が実現しなかった場合には[[サンテレビジョン]]と近畿放送(現:[[京都放送]])の系列局化も考えるようになり、京都と神戸に支局を開設し、このころ東京12-MBSの同時ネット番組の編成の関係で放送ができなかったNETの番組は、実際にSUNとKBS、さらに[[1974年]][[4月]]に開局した[[テレビ和歌山]]にネットを譲って放送した番組もあり、またプロ野球中継など一部ではSUN・KBSからNET向けに放送した番組も行われるなど、相互供給へ向けた動きも活発になっていた。</ref>、腸捻転解消に向けて奔走していた毎日新聞社やTBSを始め、[[郵政省]]や[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]といった政界からも猛反発を受けたため、この計画は頓挫した<ref group="注釈">その後、東京12チャンネルは政財界からの強い要望を受ける形で[[日本経済新聞社]]からの経営支援を受ける事になった。</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nhk.or.jp/bunken/research/title/year/2010/pdf/001.pdf|title=民放ネットワークをめぐる議論の変遷―発足の経緯、地域放送との関係、多メディア化の中での将来―|accessdate=2020-11-17|author=村上聖一|work=NHK放送文化研究所 年報2010 第54集|publisher=|pages=25,30}}</ref>。東阪間のネットチェンジに伴い、東京12チャンネルとの相互ネットも解消されたが、それ以降も番組販売の関係は1982年3月1日の[[テレビ大阪]]開局まで続いた<ref group="注釈">なお、毎日放送はテレビ大阪開局も支援した。</ref>。
 
これらの経緯から、現在もMBSはテレビ東京の大株主であり<ref group="注釈">[[2010年]]にテレビ東京が[[放送持株会社]]体制に移行したため、現在は[[テレビ東京ホールディングス]]の大株主である。</ref>、[[アニメ (日本のアニメーション作品)|アニメ]]や[[ドキュメンタリー|ドキュメンタリー番組]]の制作を得意とし、コーポレートカラーが青と赤でロゴのカラーに緑色を採用するなど<ref group="注釈">テレビ東京に社名変更した[[1981年]]から3年間、「緑さわやか」をキャッチフレーズにして新しく制定したロゴも緑色であった。MBSも[[2011年]]から緑色の新しいロゴを採用している。</ref>、系列外となった現在でも両局には共通点が多く残っている。なお、毎日放送の現在のキー局であるTBSテレビはテレビ東京と共同で有料動画配信サービス「[[Paravi]]」を運営しており、同サービスでは毎日放送制作番組も一部配信が行われているほか、運営会社にはMBSメディアホールディングスも出資している。
 
=== ネットチェンジ後のTBSテレビとの関係 ===
腸捻転時代、毎日放送は[[朝日放送テレビ|朝日放送]]よりも多くの全国ネット番組を抱えていたことから、ネットチェンジを前にした事前協議では、それらの製作・放送枠確保をめぐりTBSテレビとの調整が難航した末に、一部の番組や主催スポーツイベントを打ち切らざるを得なくなった。このような背景もあり、NET系時代にキー局志向を持ち、在京局と対等に亘り合っていた毎日放送と、「民放の雄」という意識が強く、毎日放送との関係を主従関係と捉えたTBSテレビとの間には次第に齟齬が生じるようになった。
 
両社の不仲を象徴する出来事として、例えば、元アナウンサーで記者でもあった[[鎌田正明]]は『[[週刊現代]]』にて全国ネットレベルの特ダネが[[TBSホールディングス|TBS]]に横取りされてしまったことを証言している。鎌田は[[地球温暖化]]の原因とされる[[フロン類|フロンガス]][[オゾンホール|の問題]]にいち早く着目したものの、JNNの全国ニュース取材に対する仕組み<ref group="注釈">系列局取材のニュースが全国級になった場合、JNNの基金から補助金が支払われる代わりに、系列局単独ではなく「JNNの取材」と表記される。</ref> を理由にTBSが事実上「召し上げ」てしまったと述べた。鎌田らMBS報道局のスタッフはTBSに抗議したものの、TBS報道局のデスクは「お前らは素材を上げていればいいんだよ!!」と言い放ったという<ref>{{Cite journal|和書|author=鎌田正明|year=2009|month=9|title=テレビよ、誇りはあるか|journal=週刊現代|volume=51|issue=35|pages=pp. 152-153|publisher=[[講談社]]|accessdate=2009-09-18}}</ref>。また、TBS・MBSの双方の番組に多数出演している[[明石家さんま]]は、関西テレビ『[[さんまのまんま]]<ref group="注釈">2016年7月に放送。この時のゲストは前述の朝日放送に在籍していた[[赤江珠緒]]であった。</ref> にて『(他の在阪局におけるキー局との不仲ぶりを挙げながら)TBSとMBSの関係が特に酷い』と漏らしている<ref>[https://news.livedoor.com/article/detail/11834573/ 明石家さんま 同局系列の不仲を暴露「TBSと毎日放送は特にひどい」] [[ライブドア]]ニュース 2016年8月1日、同16日閲覧。</ref>。
 
このような関係性が影響してか、TBSテレビでネットされる毎日放送製作のローカル番組は、腸捻転解消時に東京12チャンネルから移行した『[[仁鶴・たか子の夫婦往来]]』、2000年代以降の『[[よゐこ部]]』や『[[ロケみつ〜ロケ×ロケ×ロケ〜]]』のレギュラー放送など一部に限られる。2009年4月からは、関西ローカルで平日の午後に放送されていた『[[ちちんぷいぷい (テレビ番組)|ちちんぷいぷい]]』を、金曜日のみTBSテレビが逆ネット方式で放送開始したが、「関西ローカル時代の内容を変えずに放送する」というポリシーが貫かれたため、TBSテレビでのネットはたったの4ヶ月間にとどまった。また、TBSテレビ製作の深夜番組が毎日放送で同時・遅れネットされることも比較的少なく、深夜アニメに関しては[[サンテレビジョン|サンテレビ]]など関西圏の独立放送局に回す場合もある。
 
こうした不仲説が囁かれる一方で、TBSグループ・MBSグループの経営陣は当初から互いに企業間の連携を重視していたため、編成・報道などの現場と異なり対立が少なかった。また、それぞれに関連する制作・技術会社は相互協力をしばしば行っていた。
 
TBSも『TBS50年史』で、「TBSは、ABCと信頼関係を築きスムーズに連携してきただけに、異なる道を切り開いてきたMBSとの連携は、双方にとって勝手が違い、短期間に折り合うのは困難だった」「実務者の協議では、TBS側はできるだけこれまでの枠や編成表を守りたい、MBS側はそれまでNETに対して送り出していた番組枠を確保したいと、正面からぶつかることとなった。時に激しい言葉が飛び交い、つかみかからんばかりの議論があったという」とネットチェンジの際に、短期間で関係を築くことが困難だったことを記述している。またMBSとの関係についても、「新しく組んだTBSとMBSは、ネットワーク運営のルールや用語、仕事の進め方、さらには社員の気風まで違っていた。そこには、JNNのリーダーとしてヒット番組を数多く持ったTBSの自負と、NETとのネットワークにおいて準キー局として発言力も強く、ネット番組制作の実績も持つMBSの自負との微妙な衝突があったといえよう。両者はその後率直な議論と協調の努力を積み重ね、相違点を1つ1つ克服し、手を携えてJNNの発展を目指している」と記述しており、互いの組織の成り立ちの違いによる対立・衝突があったことと、その中でJNNの発展のために相互に協力・努力していることを認めている。
 
近年はTBSテレビ制作の番組や主催イベントを積極的に宣伝し、TBSテレビと共同で制作する番組が増加している。本社のある大阪市内で2007年8月に開催された[[2007年世界陸上競技選手権大会|世界陸上大阪大会]]では、競技などの中継や関連番組をTBSテレビと共同で制作。毎日放送からも、実況などで3名のアナウンサーが登場した。さらに、2010年10月から2012年9月までは音楽トークバラエティ番組『[[EXILE魂]]』を日曜22時台で、[[2011年]](平成23年)10月から2021年3月まではトーク番組『[[サワコの朝]]』を土曜朝7時台後半で、いずれもTBSテレビと共同制作の形で放送しており<ref group="注釈">『EXILE魂』『サワコの朝』とも、制作をTBSテレビ、番組送出とスポンサーセールスを毎日放送で分担しながら、番組の[[著作権]]を両社で共有していた。『サワコの朝』が2021年3月限りで終了してからは、全国ネットの放送体制を維持しつつ、同番組の放送枠を後枠番組の『[[サタデープラス]]』([[毎日放送制作土曜朝のワイドショー|毎日放送の単独制作による生放送の情報番組]])に組み込んでいる。</ref>、東京支社が制作する『[[プレバト!!]]』では、2017年8月から「TBS系人気番組対抗戦」(TBSテレビ制作の新番組・レギュラー番組出演者が登場する「才能査定ランキング」の番組対抗戦)を改編期に実施している。
 
もっとも、TBSテレビが制作する番組の同時ネットに充てる時間帯は年々拡大している。2008年10月6日から2009年3月までは『[[2時っチャオ!]]』(本来はTBSテレビと一部系列局でしか放送していなかった)の14時台のみの同時ネットを実施し、2021年3月15日からは『[[ゴゴスマ -GO GO!Smile!-]]』<ref group="注釈">2013年と2014年は中京ローカルで放送していたが、2015年4月からはTBSテレビでもネットを開始し、半年後の10月改編での番組リニューアルを機に制作協力に参加している。こちらは『ちちんぷいぷい』と異なり、当初は東海3県ローカルに特化した情報番組だったのが、ネット局の増加につれ全国向けの報道・情報系ワイドショーにリニューアルしていった。</ref><ref group="注釈">『ちちんぷいぷい』も他の系列局で全編(または一部)ネットを実施していたが、『ゴゴスマ』へ乗り換える局が相次いだ結果、2020年4月から2021年3月の終了までは関西ローカル番組で放送していた。</ref>(CBCテレビ制作)の同時ネットに踏み切った<ref group="注釈">ただし、『ちちんぷいぷい』終了後も引き続き「ローカルセールス枠」となるため『[[春一番!笑売繁盛]]』(毎年1月4日)・『[[全国高等学校ラグビーフットボール大会|全国高校ラグビー大会 準決勝戦]]』(毎年1月5日)・『[[選抜高等学校野球大会|選抜高校野球大会 決勝戦]]』(毎年3月下旬あるいは4月上旬に開催)・『[[S☆1 BASEBALL#毎日放送(阪神タイガース/オリックス・バファローズ戦)|with Tigers MBSベースボールパーク]] 』・『よんチャンTV』の拡大編成を各々放送する日には臨時非ネットとする場合がある。</ref> 他、『よんチャンTV』が特別編成による短縮版放送または年末編成で全編休止とする日には『[[Nスタ]]』16・17時台の臨時ネットも不定期で行っている。しかし、その一方で『[[王様のブランチ]]』などの一部未ネットの番組も存在している。
 
=== その他在京局との関係 ===
[[フジテレビジョン|フジテレビ]]とは、[[高橋信三]]と[[鹿内信隆]]との親交関係や、ラジオでの[[ニッポン放送]]・[[文化放送]]との結びつきから、開局当初ネットワークを組むことを考慮していたという。実際、本放送開始当初はフジテレビからの番組が毎日放送へも流れ(『チエミのかわら版太平記』などのフィルム番組が12本)、また逆に毎日放送制作の番組をフジにネットすることもあった([[鉄腕アトム (実写版)]]など)。{{main|斎藤守慶#MBSテレビ開局と腸捻転}}
最近では、フジテレビが製作局となった[[深夜アニメ]]『[[刀語]]』に毎日放送が企画協力で参加し、他系列ながら[[2010年]](平成22年)1月期に放送している<ref group="注釈">再放送は本来の系列局である関西テレビで放送された。</ref>。
 
[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]との関係は、[[1959年の日本シリーズ#テレビ中継|1959年のプロ野球日本シリーズ中継]]を共同制作・放送した実績があるなど、{{要検証|=一部には親密といわれており、[[1996年]](平成8年)に発覚したTBSビデオ問題を巡る報道で日本テレビとTBSテレビの関係が険悪になった時も、毎日放送と日本テレビの関係は維持された。|date=2014年5月}}また、[[日本テレビホールディングス]]が株式の大半を保有するラジオ局の[[アール・エフ・ラジオ日本]]も、開局時に毎日新聞社が関与していたことを理由に、[[日本のプロ野球|プロ野球]]・[[中央競馬]]中継で交流関係を有している。
 
また、近年はアニメの放送においては他系列の局でありながらも同局のBSチャンネルである[[BS日本]](BS日テレ/BS4)と組むケースが多い<ref>{{Cite web |title=Season2 Part.1が10月よりTOKYOMX、MBS、BS日テレにて放送開始! |url=https://kengan.net/news/index00270000.html#:~:text=Season2%20Part.,%E3%82%B1%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%82%A2%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%A9%E3%80%8D%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%88- |website=アニメ「ケンガンアシュラ」公式サイト |access-date=2024-10-20 |language=ja}}</ref>。
 
== 送信所・中継局 ==
=== 親局 ===
[[ファイル:JNNID.png|thumb|right|200px|JNN系列のリモコンキーID地図<br/ >地図上で青が塗られている地域ではID'''4'''である。]]
* [[識別信号|コールサイン]]:'''[[日本の放送局所の呼出符号#JO.EF.BC.8AY 2|JOOY-DTV]]'''
* コールネーム:毎日放送デジタルテレビジョン
* [[リモコンキーID]]:'''[[4]]'''
* 3桁(フルセグ):041、042、043、048(臨時用)、248(Gガイド)。
* 3桁(ワンセグ):641、642(ワンセグ臨時<ref group="注釈">[[マルチ編成]]時に042chの[[サイマル放送]]として使用される。</ref>)。
* [[テレビ周波数チャンネル|物理チャンネル]]:'''16ch'''<ref name="soumumbstv">[https://www.tele.soumu.go.jp/musen/SearchServlet?pageID=4&IT=E&DFCD=0001246725&DD=1&styleNumber=01 無線局免許状等情報(毎日放送(総務省)]</ref>
* 周波数 491.142857&nbsp;MHz<ref name="soumumbstv"/>
* 空中線電力(出力) 3&nbsp;kW<ref name="soumumbstv"/>
* 実効輻射電力 24&nbsp;kW<ref name="soumumbstv"/>
* 現在の[[放送区域]]内世帯数 約580万世帯
* [[送信所]]は[[奈良県]][[生駒市]]の[[生駒山]]上にあり([[生駒山テレビ・FM送信所]]を参照)、[[読売テレビ放送]](ytv)の施設(旧アナログ兼デジタル)と共同使用している。在阪局の生駒山親局では唯一自局の旧アナログ送信設備を継続使用せず、他局の施設に相乗りしている。使われなくなったアナログ送信所は後に[[MBSラジオ]]と[[ラジオ大阪]]の[[FM補完中継局]]送信所に流用された<ref>{{Cite news|date=2015-07-28|url=https://xtech.nikkei.com/it/atcl/news/15/072802492/ |title=関西AMラジオ3社が「まいど!ワイドFM」|newspaper=日経ニューメディア IT Pro|publisher=[[日経BP]]|accessdate=2017-04-25}} 本記事ではMBSとOBCはMBS旧アナログテレビ送信所に設置すると記載。</ref> ことで、ラジオで逆にMBSが相乗りされる側になった。
* TBS系列局がない[[福井県]]と[[徳島県]]ではそのまま「'''4'''」で視聴となる。
* [[愛知県]]・[[岐阜県]]・[[三重県]]では[[中京テレビ放送]]([[日本テレビ系列]])、[[岡山県]]・[[香川県]]では[[西日本放送]](同)、[[高知県]]では[[高知放送]](同)がリモコンキーID「'''4'''」なため041-1等となる。
* [[鳥取県]]・[[島根県]]は日本テレビ系列の[[日本海テレビジョン放送]]がアナログ親局'''1ch'''を踏襲した関係で「'''4'''」がなく、本局を越境受信してもそのまま「'''4'''」となる。
 
=== 中継局 ===
<div style="float: left; vertical-align: top; margin-right: 1em;">
* 大阪府
** [[柏原テレビ中継局|柏原]] 16ch
** [[枚方尊延寺中継局|枚方尊延寺]] 45ch(垂直偏波)
** [[河内長野市|河内長野]]寺元 38ch
** 河内長野清見台 38ch(垂直偏波)
** 天見 16ch(垂直偏波)
** [[岬深日中継局|岬深日]] 16ch
** 中[[能勢町|能勢]] 16ch
** 西能勢 16ch
* 奈良県
** [[生駒あすか野テレビ中継局|生駒あすか野]] 33ch(垂直偏波)
** [[桜井慈恩寺テレビ中継局|桜井慈恩寺]] 16ch(垂直偏波)
** [[栃原テレビ中継局|栃原]] 39ch
** [[五條市|五條]]丹原 16ch(垂直偏波)
** [[三郷立野テレビ中継局|三郷立野]] 42ch(垂直偏波)
** [[三郷南畑テレビ中継局|三郷南畑]] 42ch
* 滋賀県
** [[大津テレビ送信所・中継局|大津]] 16ch
** 大津石山 44ch
** 葛川貫井 16ch
** 葛川細川上 16ch
** 葛川細川下 16ch
** [[甲賀中継局|甲賀]] 16ch
** 甲賀大原 28ch
** 甲西岩根 44ch
** 土山鮎河 16ch
** 土山大河原 16ch(垂直偏波)
** [[日野町 (滋賀県)|日野]][[鎌掛]] 16ch(垂直偏波)
** [[信楽中継局|信楽]] 44ch
** [[彦根テレビ中継局・荒神山FM送信所|彦根]] 16ch
** 高月高野 40ch(垂直偏波)
** マキノ海津 40ch(垂直偏波)
* 京都府
** [[比叡山#テレビ放送所|京都]] 33ch
** [[京都山科テレビ中継局|京都山科]] 39ch
** 京都八瀬 16ch
** [[宇治市|宇治]]志津川 16ch
** [[京田辺市|田辺]]大住 16ch(垂直偏波)
** [[亀岡テレビ中継局|亀岡]] 16ch
** [[福知山中継局|福知山]] 16ch
** [[舞鶴中継局|舞鶴]] 16ch
** 中舞鶴 27ch(垂直偏波)
** 舞鶴寿 16ch(垂直偏波)
** [[宮津中継局|宮津]] 16ch
** 野田川 27ch(垂直偏波)
** [[京丹後市内テレビ・FM中継局|峰山]] 16ch
* 兵庫県
** [[摩耶山送信所|神戸]] 16ch
** [[神戸市内テレビ中継局|神戸灘山手]] 48ch
** [[神戸市内テレビ中継局|神戸住吉川]] 16ch
** 神戸楠谷 16ch
** [[神戸市内テレビ中継局|神戸高座]] 16ch
** [[神戸市内テレビ中継局|神戸長田]] 37ch
** [[神戸市内テレビ中継局|神戸明泉寺]] 37ch
** [[神戸市内テレビ中継局|神戸妙法寺]] 37ch
** [[神戸市内テレビ中継局|神戸兵庫]] 16ch
** [[明石市|明石]]朝霧 16ch
** [[北淡垂水中継局|北淡垂水]] 16ch(垂直偏波)
** [[西宮山口中継局|西宮山口]] 16ch
** [[宝塚市|宝塚]]玉瀬 38ch(垂直偏波)
** 宝塚中山台 49ch(垂直偏波)
** [[川西市|猪名川]] 38ch
** 川西けやき坂 16ch
** 川西一ノ鳥居 16ch
** 川西湯山台 38ch
** [[三木中継局|三木]] 16ch(垂直偏波)
** 三木志染 16ch
** [[たつの市|龍野]] 16ch
** 揖保川ひばりケ丘 16ch(垂直偏波)
** [[姫路中継局|姫路]] 16ch
** 姫路西 16ch(垂直偏波)
** 姫路西脇 16ch
** 姫路石倉 16ch(垂直偏波)
** [[姫路出屋敷テレビ中継局|姫路出屋敷]] 16ch(垂直偏波)
** [[赤穂市|赤穂]] 16ch(垂直偏波)
** 赤穂高雄 42ch
** [[西脇市|西脇]] 16ch
** 西脇合山 46ch
** [[朝来市|和田山]] 16ch(垂直偏波)
** [[来日岳#城崎テレビ・FM中継局|城崎]] 16ch
** [[豊岡市|日高]] 27ch
** 竹野 27ch
** 豊岡戸牧 16ch(垂直偏波)
** 豊岡西戸牧 40ch(垂直偏波)
** 豊岡江野 40ch(垂直偏波)
** 豊岡栄 16ch(垂直偏波)
** 豊岡高屋 16ch(垂直偏波)
** 出石町分 16ch
** [[香住中継局|香住]] 16ch
** 村岡高津 16ch
** [[新温泉町|浜坂]] 40ch
** [[丹波篠山市|篠山]] 16ch
** 篠山浜谷 16ch(垂直偏波)
** 篠山福井 16ch
** 丹南当野 16ch
** 丹南古市 16ch(垂直偏波)
** 今田新田 16ch(垂直偏波)
** [[丹波市|氷上]] 16ch
** 青垣 32ch
** 市島 32ch
** 柏原東奥 27ch
** [[相生市|相生]] 16ch
** 相生若狭野 16ch
** 相生佐方 16ch
** 相生大谷 42ch
** 相生鰯浜 16ch
** [[宍粟市|山崎]] 21ch
** 一宮安積 42ch
** [[福崎町|福崎]] 16ch
** [[神河町|神河]] 42ch
** [[市川町|市川]]東川辺 16ch(垂直偏波)
** [[佐用町|佐用]] 42ch
** [[養父市|八鹿]] 27ch(垂直偏波)
** [[南淡中継局|南淡]] 16ch(垂直偏波)
* 和歌山県
** [[和歌山テレビ送信所・中継局|和歌山]] 16ch
** [[海南テレビ中継局・和歌山FM送信所|海南]] 16ch
** [[下津テレビ中継局|下津]] 16ch
** [[海南小野田テレビ中継局|海南小野田]] 16ch(垂直偏波)
** [[海南小野田南テレビ中継局|海南小野田南]] 39ch
** [[海南木津テレビ中継局|海南木津]] 39ch(垂直偏波)
** [[海南大谷テレビ中継局|海南大谷]] 16ch(垂直偏波)
** [[下津大崎テレビ中継局|下津大崎]] 16ch(垂直偏波)
** [[下津西ノ浦テレビ中継局|下津西ノ浦]] 29ch(垂直偏波)
** [[紀ノ川テレビ中継局|紀ノ川]] 16ch(垂直偏波)
** [[貴志川丸栖テレビ中継局|貴志川丸栖]] 25ch(垂直偏波)
** [[粉河秋葉下テレビ中継局|粉河秋葉下]] 25ch(垂直偏波)
** [[野上緑ヶ丘中継局|野上緑ヶ丘]] 16ch
** [[橋本テレビ中継局|橋本]] 42ch(垂直偏波)
** [[橋本柱本テレビ中継局|橋本柱本]] 42ch(垂直偏波)
** [[高野山中継局|高野山]] 39ch
** [[高野山東テレビ中継局|高野山東]] 42ch
** [[有田箕島テレビ中継局・有田テレビ中継局|有田]] 16ch
** [[有田吉備テレビ中継局・吉備テレビ中継局|吉備]] 16ch
** [[印南テレビ中継局|印南]] 39ch
** [[印南切目テレビ中継局|印南切目]] 39ch
** [[美浜三尾テレビ中継局|美浜三尾]] 16ch
** [[由良テレビ中継局|由良]] 39ch
** [[御坊テレビ中継局|御坊]] 47ch
** [[御坊富安テレビ中継局|御坊富安]] 16ch(垂直偏波)
** [[田辺中継局|田辺]] 47ch
** [[白浜庄川テレビ中継局|白浜庄川]] 47ch(垂直偏波)
** [[槇山中継局|田辺北]] 47ch
** [[南部川テレビ中継局|南部川]] 40ch
** [[上富田生馬テレビ中継局|上富田生馬]] 47ch(垂直偏波)
** [[串本中継局|串本]] 16ch
** [[新宮中継局|新宮]] 16ch
</div>{{clear|left}}
 
=== 廃局 ===
<div style="float: left; vertical-align: top; margin-right: 1em;">
* 大阪府
** 泉南金熊寺
* 奈良県
** 室生無山
** 吉野
** 大淀佐名伝
* 滋賀県
** [[大津比叡平テレビ中継局|大津比叡平]]
** 甲西妙感寺
** 八日市鳴谷
** 永源寺甲津畑
** 多賀四手
** 朽木葛川
* 京都府
** 丹波豊田
** 網野浜詰
* 兵庫県
** 神戸鉢伏([[センチメートル波|SHF]]チャンネル)
** 神戸舞子(SHFチャンネル)
** 川西黒川
** 川西湯山台
** 吉川上荒川
** 篠山後川上
** 篠山後川中
** 今田市原
** 多可中町
** 姫路広畑
** 姫路八重畑
** 姫路塩崎
** 洲本宇山
** 淡路三原
* 和歌山県
** 田辺下万呂
** 田辺中万呂
** 新宮佐野
</div>{{clear|left}}
 
=== チャンネル番号について ===
{{See also|読売テレビ放送#チャンネル番号について}}
[[大阪府|大阪地区]]のアナログテレビ放送の第4chは元々[[NHK大阪放送局]]が[[NHK総合テレビジョン|総合テレビ]]で使用していた。既に開局していた[[大阪テレビ放送]](OTV)(現・[[朝日放送テレビ]]。6ch)、既に設立されていた大関西テレビ放送(現・[[関西テレビ放送]]。8ch)に続く大阪地区に割り当てられた民放3・4波目のチャンネルを巡り、[[読売新聞大阪本社|大阪讀賣新聞]]系の新大阪テレビ放送(NOTV)(開局直前に[[読売テレビ放送|
讀賣テレビ放送]](YTV)に改称)、近畿教育文化テレビ及び関西教育文化放送と競願になり事態が硬直した際、NOTV側は[[兵庫県]][[姫路市|姫路]]地区のNHK向けに割り当てられていた第2chを大阪地区へ持ってくることを提案。これが通って第2chは[[NHK大阪放送局|NHK大阪]](アナログ総合)に割り当てられることになり、更に大阪地区には民放へ2波、第4chと第10chが準教育局として免許を与えられることになった。
 
しかし教育専門局2社の処遇を巡り、当時郵政大臣であった[[田中角栄]]がMBS・NOTVにそれぞれ合併するよう示唆したのに対し、NOTVが断固拒否した。次いで教育2社が合併してMBS・NOTVのいずれかと合併することとなり、押し付けあった挙句MBSは第4chの獲得を条件に教育局と合併することを呑み、NOTVはキー局の[[日本テレビ放送網|日本テレビ]](NTV)([[東京23区|東京地区]]を含む関東広域圏)と同じ第4chを断念する代わりに単独開局の道を選んだ。このことが腸捻転解消までの東京地区と大阪地区で[[日本テレビ|NTV]][[日本テレビ系列|系]]と[[テレビ朝日|NET]][[オールニッポン・ニュースネットワーク|系]]でチャンネル番号が系列ベースで逆転することとなった<ref group="注釈">NTV:4-YTV:10,NET:10-MBS:4</ref>。腸捻転解消後はさらにTBS系もチャンネル番号が異なることとなり、東京地区と大阪地区でチャンネル番号が一致するのはフジテレビ系のみとなった。
 
MBSが第4chを選択した理由は、当時テレビ受像器の多くのチューナーが6chまでしかないのが多く、端の番号に当たる第10chは営業政策上不利といわれたことと、従来NHKテレビが使用していたために視聴者になじみがあったことによるもの。
 
開局以降、MBSは「4マーク」<ref group="注釈">ブラウン管のなかに4をデザインしたもの。また、日本テレビも「4マーク」を採用していたこともあるが、デザインが異なる。</ref> を導入する等で4を強調していた。腸捻転ネットワークが解消された1975年4月改編では[[ザ・ドリフターズ]]を起用した「4月から4チャンネルだヨ!全員集合!!(以下、全員集合という)」のキャッチコピーを用いていた。こうして、「4チャンネル」が定着していたこともあり、デジタルテレビ放送のリモコンキーIDも「'''4'''」になった(他の[[在阪テレビジョン放送局|在阪広域局]]も揃ってアナログと同じリモコンキーIDを使用)。
 
リモコンキーIDの「'''4'''」はほかに、[[福岡県]]の[[RKB毎日放送]]が同様の理由で「'''4'''」が使われる。またMBS・RKB以外のJNN系列局のリモコンキーIDは[[北海道放送|HBC]]・[[東北放送|TBC]]・[[南日本放送|MBC]]が「'''1'''」、[[中国放送|RCC]]・[[テレビ山口|tys]]・[[長崎放送|NBC]]・[[熊本放送|RKK]]・[[大分放送|OBS]]・[[琉球放送|RBC]]が「'''3'''」、[[CBCテレビ|CBC]]が「'''5'''」、その他16局は[[TBSテレビ|TBS]]([[キー局]])・[[IBC岩手放送|IBC]]・[[北陸放送|MRO]]のアナログ放送チャンネルと同じ「'''6'''」が使用される。
 
なおリモコンキーIDの「'''4'''」は原則として多くの[[日本テレビネットワーク協議会|日本テレビ系列]]が使用しているが、同じ在阪広域局及び日本テレビ系列の準キー局の読売テレビ放送のリモコンキーIDはアナログ放送チャンネルの親局と同じ「'''10'''」を使用される。
 
{{also|8時だョ!全員集合#ネット局}}
 
== 区域外再放送 ==
以下の[[ケーブルテレビ]](CATV)局では、MBSテレビが再放送されている。なお、徳島県では[[区域外再放送]]がすべてのケーブルテレビ局<ref group="注釈">[[RSKテレビ|RSK山陽放送]]の再放送となる一部ケーブルテレビを除く。</ref> で開始された(MBS側が同意したため。在阪広域民放局での地上デジタル放送による区域外再放送同意はMBSが初である)。徳島県は地上波系列局が1局(NNN/NNS系列の[[四国放送]])しかないので、いわゆる区域外再放送の特例が認められている。
 
'''太字'''で記したCATV局は、リモコンキーID'''4'''で再放送されている局である。
<div style="float: left; vertical-align: top; margin-right: 1em;">
* [[徳島県]]<ref group="注釈">広域4局の再放送に加え、[[テレビ大阪]]、[[サンテレビジョン|サンテレビ]]、[[テレビ和歌山]]の再放送をしている局もある。</ref>
** '''[[阿波市ケーブルネットワーク]]'''
** '''[[石井町有線放送農業協同組合]](IHK 石井CATV)'''
** '''[[エーアイテレビ]]'''
** '''[[上板町有線テレビ]](KCI)'''
** '''[[ケーブルテレビあなん]]'''
** '''[[ケーブルネットおえ]]'''
** '''[[ケーブルテレビ徳島]](テレビトクシマ)'''
** '''[[国府町CATV]](KBC)'''
** '''[[テレビ阿波]]'''
** '''[[テレビ鳴門]]'''
** '''[[徳島県南メディアネットワーク]](MTC)'''
** '''[[徳島中央テレビ]](JCTV)'''
** '''[[那賀町ケーブルテレビ]](KHK)'''
** '''[[東阿波ケーブルテレビ]](e-あわネット)'''
** '''[[ひのき (ケーブルテレビ)|ひのき]](CUEtv)'''
** '''牟岐中村テレビ共同受信組合'''
* [[三重県]]<ref group="注釈">広域4局の再放送を行っている。</ref>
** '''[[アドバンスコープ]]'''
** '''[[伊賀上野ケーブルテレビ]](ICT)'''
** '''[[ZTV]]''' - 東紀州(紀南)地域のみ。
* [[福井県]]<ref group="注釈">朝日放送も再放送している。関西テレビと読売テレビは地元系列局(福井放送、福井テレビ)があるため再放送していないが、独立局は[[京都放送|KBS京都]]と[[びわ湖放送]]の片方か両方を再放送している。</ref>
** '''[[嶺南ケーブルネットワーク]]'''<ref group="注釈">2008年12月1日より、デジタル波再放送を朝日放送と同時に行う。</ref>
** '''[[ケーブルテレビ若狭小浜]](チャンネルO)'''
** '''[[eo光テレビ]]'''([[大飯郡]][[高浜町]]の区域のみ、旧[[高浜町ケーブルテレビ]]からサービス移行)
** '''[[南越前町ケーブルテレビ|福井ケーブルテレビ南えちぜん支局]]'''(他の[[福井ケーブルテレビ]]のエリアは[[北陸放送]]を区域外再放送)
</div>{{clear|left}}
 
== アナログ放送概要 ==
(2011年7月24日停波時点)
=== 親局 ===
* コールサイン:'''JOOR-TV'''
* コールネーム:毎日放送テレビジョン
** チャンネル:'''4ch'''
*: 日本の民放で他には[[日本テレビ放送網]](日本テレビ系列)、[[中国放送]](RCC。TBS系列)、[[RKB毎日放送]](TBS系列)のアナログ親局にも4chが割り当てられていた。
** 周波数:映像 171.25&nbsp;MHz、音声 175.75&nbsp;MHz
** 出力:映像 10&nbsp;kW、音声 2.5&nbsp;kW
** 送信所 [[大阪府]][[東大阪市]]山手町2028([[生駒山テレビ・FM送信所]])
 
=== 中継局 ===
2府4県約200か所の中継局が設置され中継局経由で視聴する場合でも4にプリセットされ視聴されていた。
ここでは5万人以上市の中心部を放送エリアに含む中継局または出力50W以上の中継局を抜粋する。
* 31ch 神戸
* 33ch 亀岡 宮津 五條 香住
* 34ch 三木
* 36ch 大津 新宮
* 42ch 和歌山
* 53ch 舞鶴 北淡垂水 御坊
* 54ch 彦根 山科 福知山 神戸灘 姫路 城崎 田辺
* 55ch 西宮山口
 
== 情報カメラ設置ポイント ==
* [[大阪府]]
** [[北浜 NEXU BUILD]]([[高麗橋]])、[[大阪駅]]、[[天保山]]([[大阪府咲洲庁舎]])、[[関西国際空港]]。
* [[兵庫県]]
** [[東遊園地]]付近、[[大阪国際空港]]、[[明石海峡]][[舞子ビラ]]、[[王子動物園]](臨時)、[[姫路城]](臨時)、[[豊岡市|豊岡市内]]・[[城崎温泉]](春季・夏季限定)、[[竹田城跡]](秋季・冬季限定)。
* [[京都府]]
** [[三条京阪駅]]付近、[[舞鶴市|舞鶴市内]]。
* [[滋賀県]]
** [[彦根インターチェンジ]]付近、[[グランスノー奥伊吹]](冬季限定)。
* [[和歌山県]]
** [[和歌山城]]([[和歌山県庁]]付近)、[[白浜町|白浜海岸]]、[[潮岬]]、[[新宮市|新宮市内]]。
* [[奈良県]]
** [[興福寺]]([[近鉄奈良駅]])、[[吉野山]](春季限定)。
厳密には毎日放送の放送対象外地域だが、県内の民放テレビ局がJNNに加盟していない[[福井県|福井]]・[[徳島県|徳島]]両県でも、毎日放送の番組を地上波や[[ケーブルテレビ]]などで視聴できるエリア(徳島県の[[徳島空港]]や福井県[[嶺南]])にカメラを常設している。
 
== マスコットキャラクター ==
在阪テレビ局各局はそれぞれ独自の名物[[マスコットキャラクター]]を輩出しているが([[大阪市]]内の土産店でこれらのキャラクターグッズ類も売られているほど)、毎日放送も例外ではない。
 
=== エムぞう ===
茶屋町への本社屋移転を機に設定された初代のマスコットキャラクター。本社(現在のM館)の形を模していて、設定期間中は、本社1階のオフィシャルグッズ(MBSグッズ)ショップを「エムぞうの店」と称していた。
 
第2代キャラクターに'''ぷいぷいさん'''(後述)が起用されてからも、本社の玄関に「エムぞうの店」の看板を掲げていたが、第3代キャラクターに'''らいよんチャン'''(後述)が起用された頃に自然消滅。「エムぞうの店」も、「ネビュラ・エムぞうの店」→「ネビュラ」への改称を経て、「らいよんデイリーストア」内のMBSグッズ売場に集約された。
 
=== ぷいぷいさん ===
『ちちんぷいぷい』のイメージキャラクター。番組の開始(1999年10月)から一時ステーションキャラクターも兼ねていたため、「'''ちちんぷいぷいMBS'''」というステーションフレーズを使用していた。このフレーズを使用しなくなってからも、本社M館の玄関上に(異常気象時を除いて)大型のバルーンを設置。「'''ちちんぷいぷいMBS'''」というロゴ付きのアニメーション映像を、テレビCM枠の[[フィラー映像]]として流していた(主に深夜)。
 
仲間には'''ひーさん'''、'''わんわん'''、'''くもくもとりさん'''、'''げじー'''<ref group="注釈">「くもくもとりさん」は2006年4月から、「げじー」は2015年7月から登場。</ref> と、『[[せやねん!]]』のイメージキャラクターの'''せやねんちゃん'''と'''ちゃうやろちゃん'''がいる。『ちちんぷいぷい』が2021年3月12日で放送を終了してからも、『せやねん!』は放送を続けているが、'''ぷいぷいさん'''、'''ひーさん'''、'''わんわん'''、'''くもくもとりさん'''、'''げじー'''は姿を消している。
 
=== らいよんチャン ===
2003年(平成15年)6月2日に、MBSテレビにおける番組宣伝のメインキャラクターとしてデビュー。2004年から2007年まで「らいよんキング」としてオーサカキング宣伝隊長、2009年頃から毎日放送全体のマスコットキャラクター(ステーションキャラクター)としての役割を担っている。2021年3月からは、『[[よんチャンTV]]』のマスコットキャラクターにも起用。
 
本社M館1階の「ちゃやまちプラザ」には、「らいよんチャンハウス」が設置されているほか、「プルタブ・プラキャップ集積コーナー」の[[書割]]パネルなどに「らいよんチャン」の絵やイラストを採用。冬期には、「らいよんチャン」を[[LED照明]]で浮かび上がらせるオブジェが、夜間のフォトスポットとしてM館のエントランス前に設けられている。{{main|らいよんチャン}}
 
=== バルーン ===
本社M館1階エントランスの真上には、「らいよんチャン」のバルーンが掲げられている。『ちちんぷいぷい』の放送期間中は「ぷいぷいさん」、『あん!』の放送期間中には「'''あん!ちゃん'''」(同番組のマスコットキャラクター)のバルーンも並べられていた。いずれのバルーンも、台風の接近・上陸によって風速が一定以上のレベルに達した場合には、防災上の観点から空気を抜いたうえで屋内に「避難」させている。
 
「ぷいぷいさん」の後期に使われていたバルーンは、前期に比べて小ぶりで、空気を抜いてから折り畳むと[[軽トラック]]の荷台へ積めるようになっていた。
 
「らいよんチャン」のバルーンには当初、裸の姿が描かれていた。後に、Tシャツを着た姿のバルーンに変更。『ちちんぷいぷい』の放送終了2日後(2021年3月14日)から「ぷいぷいさん」のバルーンと共に撤去されていたが、『よんチャンTV』の放送開始3日前(26日)から、「らいよんチャン」のみ掲示を再開。再開後は、『よんチャンTV』のタイトルロゴを入れたTシャツ姿のバルーンに変わっている。
 
=== じゃがポテ仮面 ===
『[[お天気のお知らせ#はれときどきうた|はれときどきうた]]』(2010年7月15日からMBSテレビで放送されていた天気予報シリーズ)向けのキャラクターとして誕生。放送期間中に、[[レトルトカレー]]や[[DVD]]が発売されている。同番組が終了してからも、毎日放送が自社で編成する[[テレビショッピング|テレビショッピングゾーン]]のオープニング・エンディング映像に登場。
 
== スタジオ ==
=== 茶屋町本社(M館・B館) ===
全てハイビジョン対応
* Aスタジオ[HD](B館3階:150坪)<ref group="studio">[[2014年]][[4月4日]]のB館グランドオープンを前に、同年[[2月3日]]放送分の『ちちんぷいぷい』から運用を開始。同番組では、2019年1月25日(金曜日)放送分まで使用していた。</ref>‐『[[サタデープラス]]』『[[せやねん!]]』『[[痛快!明石家電視台]]』<!--など-->
* Bスタジオ[HD](B館6階:150坪) - 『[[水野真紀の魔法のレストラン]]』『[[住人十色]]』など
* Cスタジオ(ライブセンター)[HD](M館2階:155坪)<ref group="studio">当初「ギャラクシーホール」という名で千里丘放送センターの「ミリカホール」の機能を継承したホール兼用スタジオとして運用していたが、スタジオ需要の変化に伴い、ホール機能を封印しテレビスタジオに切り替えた。その際に名称も「ギャラクシースタジオ」と改めた。その後2014年4月の本社グランドオープンに伴い、対外的な名称として「Cスタジオ」を使用(2014年4月7日放送分の『[[痛快!明石家電視台]]』冒頭でその旨の紹介あり)。ただし、「ギャラクシースタジオ」という名称も廃止しておらず(MBS社内の案内板などは「ギャラクシースタジオ」のまま)、2つの名称が併存していた。一方「ちゃぷらステージ」(アトリウム)にあるCスタジオの入口にはホール機能を封印した「ギャラクシースタジオ」、現在の「ライブセンター」となった後も「GALAXY HALL」の看板が掲げられている。 2019年1月に「ライブセンター」へと改装された(後述)。</ref>- 『[[よんチャンTV]]』
* ニューススタジオ[HD](M館6階:70坪) - 『[[MBSニュース]]』『[[ひるおび!]]』(関西ローカル)『[[NEWS23|news23]]』(同)『[[まるっと!サタデー]]』(同)『[[報道特集 (TBS)|報道特集]]』(同)『[[S☆1]]』(同)『[[せやねん!]]』(ニュースパート)『[[Nスタ]]』日曜版(関西ローカルパートの気象情報)『よんチャンTV』(ローカルニュースパート内のリモート中継)
* BFS [SD](M館地下1階:55坪)<ref group="studio">かつては、『[[ダウンタウンの素]]』や『[[宵待5]]』といった番組の生放送や、『[[ロケみつ フライデー|ロケみつ ザ・ワールド]]』の収録に使われた。</ref> - ミニスタジオ兼機材倉庫
**『[[GOGO競馬サタデー!]]』(ラジオ関西、MBSラジオと共同制作)実況アナウンサー以外の一部および全ての出演者が競馬場に派遣できない(しない)<ref group="注釈">新型コロナウイルス感染拡大による体制変更の場合と西日本(中京競馬場以西)で競馬開催がなく、東日本の競馬場のレース実況を行う場合(実況アナウンサーのみ派遣)。</ref> 場合に使用、ラジオ関西の番組のため、MBSラジオのスタジオが使用できない事情から当スタジオを使用、番組内では「大阪のスタジオ」と表現している。
* ミニスタジオ(M館7階:10坪)- [[プロ野球]]・[[Jリーグ]]などスポーツ中継用サブ、ミニ番組制作、SNG分配等を行う。<references group="studio" />
 
2014年4月、現本社が手狭になってきたことにより、近隣のオフィスビルなどに分散しつつある各部門・USJのスタジオ・千里丘ミリカセンターの中継車車庫など、放送に関連する部門すべてを本社至近地に集約することを目的に、既存の本社社屋に隣接した土地に新たな社屋となる「B館」が建設・竣工された。[[新御堂筋]]に面する「B館」東側の窓には、A・B両スタジオのフロアを示す看板状の大型プレート(「A STUDIO」「STUDIO B」)が掲げられている。既存の本社社屋にはこれを機に「M館」という名称がつけられた。
 
Cスタジオ(ギャラクシースタジオ)を含むM館2階のスペースについては、当社のテレビ放送事業60周年記念事業の一環として、生放送への対応や報道・制作両局間の連携を強化する目的で「ライブセンター」として新装。[[2019年]][[1月28日]]の『[[ちちんぷいぷい (テレビ番組)|ちちんぷいぷい]]』(生放送)から運用を開始した<ref name="MBS 生放送を一層重視…番組に来年2月に「ライブセンター」完成で"/><ref>{{Cite web|和書|date= 2019-01-18|url= https://www.mbs.jp/kouhou/news/log/1708.pdf|title= 社長記者会見を開催しました|format=PDF |publisher= 毎日放送|accessdate=2019-01-20}}</ref>。同年[[4月1日]](いずれも[[月曜日]])から[[2021年]][[3月5日]]([[金曜日]])までは、当時後枠で編成されていた『[[ミント!]]』(関西ローカルニュースの「Newsミント!」を除く関西ローカルパート)と共用。『ちちんぷいぷい』が[[2021年]][[3月12日]](金曜日)で終了してからは、両番組のセットを撤収したうえで、[[3月29日|29日]](月曜日)から『よんチャンTV』の関西ローカルパートで使用している。「Newsミント!」はニューススタジオから放送していたが、『よんチャンTV』では、関西ローカルニュース(「4chanニュース」)も「ライブセンター」内のスタジオセットから伝えている。
 
「ライブセンター」では、Cスタジオのスペースを、生放送の情報番組と連動した「情報フロア」(報道局は完成後も6階にあるため、同フロアは生情報番組の制作ルームとして機能している)へ改装。ラジオ放送向けのブースも順次設置する。当初は視聴者の見学に対応したオープンスペースの設置も計画していた<ref>[http://www.mbs.jp/kouhou/news/log/1708.pdf 三村景一・毎日放送社長定例記者会見](毎日放送[[2017年]][[8月30日]]付プレスリリース)</ref><ref>[https://hochi.news/articles/20170830-OHT1T50171.html 「ちちんぷいぷい」見学可能に!? 毎日放送が2019年春「ライブセンター」設置へ](『[[スポーツ報知]]』[[2017年]][[8月30日]]付記事)</ref> が、「ちゃぷらステージ」([[2014年]][[4月4日]]からM館の1階で運用しているオープンスペース、かつてのアトリウム)を改修したうえで、「ライブセンター」へ組み込む方針に変更。このため、『ちちんぷいぷい』をはじめ、「ライブセンター」から放送される番組を常時見学できるようにはなっていない<ref name="hochi.co.jp"/>。
 
=== MBS Tokyo Biz Studio(東京支社) ===
東京を本拠に活動する政治家・有識者や東京支社報道部所属の記者・解説委員が本社制作の報道・情報番組(『よんチャンTV』内の「4chanニュース」など)へ出演する場合を中心に、茶屋町本社スタジオとの二元生中継で使用。2020年からは、新型コロナウイルスへの感染拡大防止策の一環として、上記番組のレギュラー出演者(東京を本拠に活動するタレントなど)による「リモート出演」にも使われている。ただし、リモート出演者の多い番組(本社制作の全国ネット向け生放送番組『[[サタデープラス]]』など)では、スタジオよりスペースの広い会議室から放送している。
 
東京支社のスタジオはラジオ収録が主体でテレビ収録や生中継も可能な多目的スタジオとなっており、スタジオ設備のうちラジオ対応としては、茶屋町本社で別途、[[副調整室|受けサブ]]を必要とせずに生放送を送り出せる<ref group="注釈">遠隔地や外部管理のスタジオでは、録音での使用を念頭に設計・運用されることが多く、生放送のラジオ番組をそこだけで制作する事ができない(任意のCM送出や報道スタジオ、交通情報センターとの切り替えができない)ため、本社内などで主調整室と接続された副調整室(中継を受けるサブ=受けサブ)を別に開き、そこからの送出となるが、このスタジオでは適宜生放送に対応できるよう、ラジオ主調整室と接続されており、このスタジオだけでラジオの生放送が可能となっている。<br/>ただし、テレビ向けにはそのような機能はなく(あくまでもラジオでの使用をメインに設置されているため)、テレビの生番組で使用する場合は、本社側に受けサブを開く必要がある。</ref>。
 
また茶屋町本社から制御可能な遠隔操作(リモコン)HDカメラが1台常設されているほか、スタジオサブに隣接してテレビ用のVTR機材などが配置されている<ref>雑誌「放送技術」2008年5月号より</ref>。
 
== その他設備 ==
=== 中継車 ===
[[ファイル:MBS毎日放送テレビ中継車.jpg|right|thumb|250px|従来のデザインのMBSのハイビジョン中継車([[三菱ふそう・キャンター]])]]
* 多数の[[中継車]]を保有。そのほとんどは千里丘ミリカセンターに常駐していたが、2014年4月4日からは、本社「'''B館'''」に常駐している。そのため[[日本のナンバープレート|ナンバープレート]]の地名表示は[[北摂]]・[[東大阪]]地域で登録される'''大阪ナンバー'''から'''なにわナンバー'''へと移行が順次進んでいる。
* 近年はハイビジョン対応の小型中継車を導入。[[三菱ふそう・キャンター]](2004年式)と、[[日野・デュトロ]]ハイブリッド(2005年式)を保有している。
 
=== ヘリコプター ===
[[ファイル:AAK-MBS AS365N3 JA04CH RJOY 20101001-001.jpg|thumb|200px|取材用ヘリコプター (JA04CH)]]
* 報道取材用の[[ヘリコプター]]([[ユーロコプター]] [[AS 365 (航空機)|AS365N3]] / JA04CH)を[[八尾空港]]に配備し、[[朝日航洋]]に運航を委託している。2009年(平成21年)3月までは[[阪急航空]]が運航していた<ref>[https://www.aeroasahi.co.jp/cgi-bin/news/detail.cgi?id=30 阪急航空株式会社からの報道取材部門の譲受について] 朝日航洋 2009年4月1日</ref>。全面黄色の塗装にMBSのロゴが特徴。2012年4月更新され、ロゴも新ロゴに変更された。
 
== 番組 ==
{{Main|MBSテレビ番組一覧}}
{| class="wikitable"
|+毎日放送制作番組
!
!日曜
!月曜
!火曜
!水曜
!木曜
!金曜
! colspan="2" |土曜
|-
!4
|
|
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|
|
|
| colspan="2" |
|-
!5
|5:30 - 6:00(第2日曜のみ)
らくごのお時間
|
|
|
|
|
| rowspan="18" |ス
|5:45 - 6:00
MBS NEWS DIG
|-
! rowspan="2" |6
|
|
|
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|
|
|6:00 - 6:30
TOKIOテラス
|-
|
|
|
|
|
|
|6:30 - 7:30
土曜のあさはほめるちゃん
|-
!7
|
|
|
|
|
|
| rowspan="3" |7:59 - 9:25
サタデープラス
|-
!8
|
|
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|
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|-
! rowspan="2" |9
|
|
|
|
|
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|-
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|
| rowspan="3" |9:25 - 11:45
せやねん!(第1部)
|-
!10
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|-
! rowspan="2" |11
|
|
|
|
|
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|-
|
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|
| rowspan="2" |11:59 - 12:54
せやねん!(第2部)
|-
! rowspan="2" |12
|
|
|
|
|
|
|-
|
|
|
|
|
|
| rowspan="2" |12:54 - 13:54
よしもと新喜劇
|-
! rowspan="2" |13
|
|
|
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|
|-
|
|
|
|
|
|
| rowspan="2" |13:54 - 15:00
ごぶごぶ
|-
!14
|
|
|
|
|
|
|-
!15
|
| colspan="5" rowspan="3" |15:40 - 17:40
よんチャンTV(第1部)
|15:00 - 16:00
痛快!明石家電視台
|-
!16
|
|16:00 - 17:00
(再放送枠)
|-
!17
|17:00 - 17:30
「日5」ウィッチウオッチ
|17:00 - 17:30
住人十色
|-
!18
|
| colspan="5" |18:15 - 19:00
よんチャンTV(第2部)
| colspan="2" |
|-
!19
|
|
|
|19:00 - 20:00
水野真紀の魔法のレストラン
|19:00 - 20:00
プレバト!!
|
| colspan="2" |
|-
!20
|
|
|
|20:00 - 21:58
ゼニガメ
|
|
| colspan="2" |
|-
!21
|
|
|
|
|
|
| colspan="2" |
|-
!22
|22:00 - 22:54
日曜日の初耳学
|
|
|
|
|
| colspan="2" |
|-
!23
|
|
|
|
|
|
| colspan="2" |
|-
!0
|
|0:59 - 1:29
西乃風ブラン堂
|
|
|
|
| rowspan="2" |ス
|0:28 - 1:28
かまいたちの知らんけど
|-
! rowspan="2" |1
|
|
|1:29 - 1:59
よしもと新喜劇NEXT〜小籔千豊には怒られたくない〜
|1:29 - 1:59
岩井 狩野 えびちゅうの推しかるちゃー
|
|
|1:28 - 2:01
Aぇ!!!!!!ゐこ
|-
|
|
|1:59 - 2:30
アキナのギャルしか勝たん〜ギャルの力で世界を変えよう
|
|
|
|
|
|-
!2
|
|
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|
|
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|-
!3
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|-
!4
|
|
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|
|
|
|
|}
 
=== 報道・ドキュメンタリー・情報番組 ===
* 在阪民放局の中でも古くから報道・ドキュメンタリー・地域情報番組・気象情報に力を入れている。『[[MBSナウ]]』から続くローカルワイドニュースなど近畿広域圏初のものも数多い。
** ニュース番組『[[VOICE (ニュース番組)|VOICE]]』では数々の事件や、本社のお膝元である[[大阪市]]の'''[[大阪市の不祥事|カラ残業問題]]'''をスクープしていた。
** 1980年4月に関西初のローカル・ドキュメンタリー番組『[[映像 (テレビ番組)|映像80]]』をスタートさせている(「映像’○○」の○○にはその年の年号下2ケタが入る)。[[芸術祭 (文化庁)|文化庁芸術祭賞]]、[[日本民間放送連盟賞]]、[[日本ジャーナリスト会議]]賞、[[ギャラクシー賞|ギャラクシー特別賞]]、[[国際エミー賞]]の最優秀賞など、国内外のコンクールで高い評価を受けている。
** [[冒険家]]の[[植村直己]]([[兵庫県]]出身)の活躍を無名時代から密着したことでも知られる。[[1998年]]にそのノウハウを生かした人物密着ドキュメンタリー番組『[[情熱大陸]]』をスタートさせた。同番組はスポーツ・学術・文化人などの、あらゆる分野で活躍する人物像に迫るのを売りにしたもので、国内外で数多くの賞を受賞し、世界中に評価されている。
** 平日午後 - 夕方の[[情報番組]](『ちちんぷいぷい』『ミント!』→『よんチャンTV』)や、土曜午前から正午過ぎまで放送されている『[[せやねん!]]』など、地域密着型番組の制作にも定評がある。1999年10月から21年半にわたって放送された『ちちんぷいぷい』は、2003年度の上半期から15年半にわたって、関西地区での放送時間帯における平均視聴率トップの座を維持。『せやねん!』については、歴代のレギュラー出演者から賞レースの優勝者や、レギュラー卒業(東京進出)を機に知名度や人気が全国規模になった芸人が多く、関西を拠点に活動する[[吉本興業]]所属の若手芸人にとっては「出世番組」とされている。
 
=== スポーツ ===
* [[NPB|日本プロ野球(NPB)]]公式戦の中継については、TBS系列で[[横浜DeNAベイスターズ|DeNA]](TBSテレビ制作)・[[中日ドラゴンズ|中日]]([[CBCテレビ]]制作)・[[広島東洋カープ|広島]]([[中国放送]]・TBSテレビ共同制作。毎日放送制作協力の場合あり<ref group="注釈">阪神戦差し替えの有無を問わず、2002年途中から基本的に地上波全国中継時は毎日放送がスコアテロップの機材を貸し出している(ただし、2016年の広島対巨人戦はTBSテレビから借り受け。日本シリーズはTBSテレビ主導の制作)。</ref>)対[[読売ジャイアンツ|巨人]]戦を放送する時でも、毎日放送では自社制作による[[阪神タイガース]]戦(ホーム・ビジターを問わず)を中継する(この場合はタイトルもラジオ中継と同じ『MBSベースボールパーク』に変わる<ref group="注釈">なお、2021年シーズン途中からの番組表では『MBSプロ野球』と表記されている。</ref>)。{{main|S☆1 BASEBALL#毎日放送(阪神タイガース/オリックス・バファローズ戦)}}
* その場合、TBS系列がDeNA・中日・広島対巨人戦を放送しない(雨天中止の予備番組を含む)場合、その番組は系列内での取り決め(排他協定とは直接関係なし)により放送されず、以前は事実上「番組返上」となることがあったり、ある程度の期間が過ぎてからも「再放送扱い」で放送される可能性も低かった。現在は視聴者保護の観点から数日後(早くて翌日、主に日曜日の昼間の時間帯)に後日放送されるようになっており、選抜高校野球準決勝・決勝([[2002年]]までは準々決勝も該当)で放送できない昼のドラマ番組も特例として放送されていた(話数調整のため。なお、昼の[[帯ドラマ]]枠は[[2008年]]度を以て廃止されている)。
* 実際に対巨人戦の放送がないとき(他局が行われる時)に差し替え放送を実施するのは年2試合前後に限られており、殆どの放送権を持つ試合は深夜に1時間程度の録画中継を行っているため、番組返上されることは皆無である(2006年までと、2011年からの金曜日、2007年からの土曜日、火曜日は[[2007年]][[4月10日]]・[[9月18日]]と[[2021年]][[6月1日]]に実施。2007年9月18日火曜日は当初の全国放送からローカル放送となった対巨人戦となっており、前述の2回ともに被差し替え番組の後日放送は行われている。2008年シーズンは9月13・23・29日のペナントレースと10月19日のクライマックスシリーズに実施し、いずれも翌日から翌週の日曜昼間の時間帯に被差し替え番組の後日放送を実施)。その場合でも、対巨人戦は隣県の系列局またはBS-TBS、[[TBSチャンネル|TBSチャンネル1・2]]で視聴可能である。また、TBS系列の水曜19時 - 21時台はローカルセールス枠が設定されており、毎日放送・TBSテレビ以外の系列局がビジターゲームの対阪神戦を放送する場合、毎日放送では『[[水野真紀の魔法のレストラン]]』(19時台)等のレギュラー番組を優先する編成方針から、一部年度において、中国放送と共同で対広島戦の放送権を購入して各々が別制作する場合を除き、基本的にはネットしない。この場合は[[サンテレビジョン|サンテレビ]]([[全国独立放送協議会|独立局]])・[[関西テレビ放送|関西テレビ]]([[フジネットワーク|フジテレビ系列]])のどちらが対阪神戦のビジターゲームを放送する。{{main|放映権 (日本プロ野球)#阪神タイガース}}
* [[オリックス・バファローズ]]戦については、2023年にクライマックスシリーズを、2024年に対阪神戦を放送するまで自社での中継から撤退していたが、ビジター側地元局の技術協力を実施している他、[[BS-TBS]]がTBSテレビ制作で年数試合を放送している。
{{main|放映権 (日本プロ野球)#オリックス・バファローズ}}
* 阪神対巨人戦の土曜デーゲームと[[日本選手権シリーズ|日本シリーズ]](阪神進出時のみ)を全国ネットで放送する際に前者は毎日放送主導制作(技術面・リアルタイム字幕放送・連動データ放送付加・番組送出も全て担当)で放送し、TBSテレビからも解説者と巨人ベンチリポート担当のアナウンサーを派遣する。後者については毎日放送主導制作(TBSテレビは制作協力団体扱い)で放送されたのは[[2005年の日本シリーズ|2005年]]以前で、[[2014年の日本シリーズ|2014年]]は毎日放送主導でTBSテレビとの共同製作著作を採ったが、オリックスが進出した[[2021年の日本シリーズ|2021年]]はTBSテレビ主導制作(技術面・リアルタイム字幕放送・連動データ放送付加・番組送出も全て担当)となり、実況・解説もTBSテレビ側で全て動員したため、毎日放送は[[TBSスパークル]]とともに制作協力扱いとなった。なお、在阪球団主管の日本シリーズをTBSテレビが実制作したのは、朝日放送が系列局だった[[1974年の日本シリーズ|1974年]]以前を含めても初めてである(関西で開催の[[日米野球]]や[[野球日本代表|侍ジャパン]]の試合は以前からTBSテレビ主導制作で放送している)。
** 日本シリーズが阪神とオリックスの対戦となった[[2023年の日本シリーズ|2023年]]は、阪神主管分は2014年同様毎日放送主導(全国ネットCM送出とネットワーク配信はTBSテレビ経由)で、オリックス主管分はTBSテレビ主導で制作した。
* [[南海電気鉄道]]が株主の一角を占めていることから、かつては[[福岡ソフトバンクホークス|南海ホークス]]戦に優先的な放送権を持っていた。プロ野球中継のメインは徐々に阪神タイガース戦に移っていったが、南海との関係は1988年11月の[[ダイエー]]へのホークス売却・福岡移転まで続いた。
* NET系列時代の[[1974年]](昭和49年)までは、金曜日の甲子園球場阪神ホームゲームについては優先放送権を持っていた。ネットチェンジにより朝日放送テレビが現在でも保有し続けている水曜日と日曜日の独占放送権を受け側のTBSテレビが野球中継の定番枠として引き継いだため、毎日放送は金曜日の枠を持ち込む形でTBS系列の野球放送実施を原則として水曜・金曜・日曜の週3回に固定した(他曜日の中継も全国中継を含めて皆無ではなかったが、散発的だった)。{{main|S☆1 BASEBALL#概要}}{{see also|CBCテレビ#ドラゴンズ戦中継}}
* ちなみに南海電鉄はホークス売却後の[[1994年]]当時でも毎日放送第10位の大株主に名を連ねていた(コーケン出版発行「'''日本民間放送年間94'''」より{{要ページ番号|date=2018年8月}}。)
* 2009年度は、平日はローカル報道番組『VOICE』を繰り上げ放送の上、18時05分より中継開始となる場合があったが、この場合でも[[ジャパン・ニュース・ネットワーク#JNN協定の排他性|JNN協定]]の絡みから19時台の『[[総力報道!THE NEWS]]』第2部(18時45分 - 19時50分)は野球中継を中断した上でネットしなければならず、編成上のネックとなっていた。
* 2000年代以降の阪神主催試合では、ビジター側地元局(主に中国放送<ref group="注釈">中国放送が放送するマツダスタジアムでの広島戦では、水曜ナイター・週末・祝日デーゲームで散発的に自社乗り込みによる別制作を実施する。逆に甲子園球場での試合を中国放送が放送する際(主に週末・祝日デーゲーム)は原則として広島からのオフチューブ実況とする例が多いが、在籍選手の2000本安打または200勝が懸った試合、リーグ優勝決定試合など重要な試合では現地乗り込みに変更する例がある。</ref>・CBCテレビ・[[北海道放送]]<ref group="注釈">2012年5月17日の交流戦が該当。この試合は現地からではなく、札幌からのオフチューブによる中継となった。</ref>)が毎日放送の映像をメインに、一部映像を差し替えて現地乗り込みまたはオフチューブ実況のどちらかで中継する場合がある。
* [[J1リーグ]]については、[[たむらけんじ]]がMCを務める『[[GAMBA TV〜青と黒〜]]』(大阪府吹田市に本拠地を置く[[ガンバ大阪]]の情報・応援番組)を、[[2009年]]のシーズン途中から(主にシーズン中で毎週または毎月1回)編成。[[2014年]]・[[2015年]]には、『VVヴィッセル』(神戸市に本拠地を置く[[ヴィッセル神戸]]の情報・応援番組)も、月に1回のペースで放送していた。公式戦では、ガンバ主管試合の一部を対象に、年に1 - 2回のペースで『GAMBA TVスペシャル』(録画ダイジェスト方式の中継番組)を試合開催日の深夜(翌日の未明)に編成。毎日放送のアナウンサーが実況やピッチリポートを担当するほか、たむらやガンバOBをゲストに迎えている。
** 衛星放送では、TBSテレビの関連会社が運営するBS・CS放送局([[2001年]]から[[2006年]]までは[[TBSニュースバード]]、[[2007年]]以降は[[TBSチャンネル|TBSチャンネル→TBSチャンネル1]]・[[BS-TBS]])が(ガンバ・ヴィッセルを含む)関西のJ1クラブの関与する試合を中継する場合に、技術スタッフやアナウンサーを派遣。2014年以降は、[[スカパー!]]([[スカチャン]]、[[BSスカパー!]]、[[スカイ・エー]]向け)制作のガンバ主管試合の一部の中継制作業務を、[[朝日放送テレビ]]と分担しながら受託している。関連会社の[[放送映画製作所]]でも、2007年からヴィッセル主管試合の一部で中継の制作業務を受託しているが、関西圏で活動するフリーアナウンサーを実況要員として中継に派遣させることが多い。
*[[ラグビーフットボール|ラグビー]]については、[[全国高校ラグビーフットボール大会]]のうち、大阪第1・第2・第3代表の決定戦を録画ダイジェスト方式で関西ローカル向けに放送。放送対象地域内の[[花園ラグビー場]](大阪府東大阪市)で開催される本大会では、決勝の生中継をTBS系列全国ネット向け、準決勝の生中継を主に関西ローカル([[第100回全国高等学校ラグビーフットボール大会|2020年度の第100回記念大会]]ではTBSテレビ・RKB毎日放送との3局ネット)向けに制作している。[[2020年]]には、当時[[ジャパンラグビートップリーグ]]所属の[[神戸製鋼コベルコスティーラーズ]]主催試合の一部も、関西ローカル向けに自社制作で生中継した。
 
=== ドラマ ===
* 2009年4月に『[[金曜ナイト劇場]]』を新設以降、枠や時間帯を変更しながら深夜ドラマを放送しており、2016年以降は『[[ドラマイズム]]』『[[ドラマ特区]]』『[[ドラマシャワー|ドラマフィル(旧:ドラマシャワー)]]』のレーベルで展開。一部の作品はキー局のTBSテレビや系列局・関東地方の[[全国独立放送協議会|独立局]]でも放送されている。
** 主に漫画原作作品を映像化しており、『[[深夜食堂]]』や『[[闇金ウシジマくん]]』など、ヒットしてシリーズ化された作品も多い。
* 2009年3月までは全国ネットで昼帯ドラマ([[妻そして女シリーズ]]→[[ドラマ30|ドラマ30→ひるドラ]])を手がけており、後2者は[[CBCテレビ|中部日本放送]]と交互制作を行っていた。
* プライムタイムではかつて『[[華麗なる一族 (1974年のテレビドラマ)|華麗なる一族]]』『[[影同心]]』『[[古谷一行の金田一耕助シリーズ|横溝正史シリーズ]]』等の作品を手がけ、腸捻転解消後は『[[日曜劇場|東芝日曜劇場]]』にも幹事局として参加していたが、1990年代以降は制作から離れており、21世紀以降は近畿圏の広域局で唯一、プライムタイムでの連続ドラマ制作実績がない。
 
=== バラエティ ===
* 1990年代から長らく月 - 木曜24時台は関西ローカルバラエティ番組が編成されていたが、2020年秋の「[[戦え!スポーツ内閣]]」終了で水曜枠が遅れネット枠に転換され、残っていた月・火・木曜枠の番組(「[[痛快!明石家電視台]]」、「[[ごぶごぶ]]」、「[[かまいたちの知らんけど]]」)も2022年秋にすべて別時間帯に枠移動・遅れネットないし再放送枠となり、MBSはこの時間帯の自社制作番組の編成を一旦終了した。それから半年後の2023年4月から、MBSとしては「[[やかせて!ソーセージ]]」以来12年ぶりとなる深夜の帯バラエティ番組「[[あれみた?]]」(月 - 水曜 23:56 - 0:26)が放送を開始。木曜を除き、かつ30分枠ながら、この時間帯での自社制作が復活した。しかし翌年の2024年4月より「あれみた?」は週1回・57分のみの放送(月曜 23:56 - 翌0:53)に集約となり、火・水曜は再度遅れネット枠に転換された。
** この時間に他のTBS系列局がネットする番組が放送されないことや、遅れ放送となることが多かった。{{Main|23時ショー#ネット打ち切り問題|高橋信三#エログロ排除路線}}
**『明石家電視台』が2022年9月まで32年半に渡り月曜深夜に放送されていたのに対し、それ以外の曜日の番組は2010年代以降編成が流動的となっており、クールによっては自社制作を行わず、TBSテレビ制作の遅れネットや再放送として放送する場合もある(2025年6月現在は火曜深夜、水曜深夜、金曜深夜が該当)。なお、番組は全国のTBS系列局やCSの[[GAORA]]で放送されているほか、[[TVer]]での配信も実施している。全国のTBS系列局では、2020年代以降は『[[news23]]』の直後枠である月 -水曜24時台をTBSテレビ制作の同時ネットからMBS制作のバラエティ番組の遅れネットに切り替える動きが相次いでおり、当該枠においてMBS制作のバラエティ番組を1~2番組放送している系列局も少なくない。
* 1990年から年末の生放送特番として『[[オールザッツ漫才]]』を開始しており、番組出演をきっかけに全国区へブレイクしたタレントも多い。番組は原則関西ローカルであるが、年によっては一部のTBS系列局で同時ネットされることもある。
* MBSテレビが開局した1959年から吉本興業とのタイアップで[[吉本新喜劇]]の中継を開始。現在も『[[よしもと新喜劇]]』の名称で中継を続けており、日本のバラエティ番組では歴代最長寿を誇る。関西地区では長らく土曜昼時間帯に放送されており、一時は[[テレビ大阪]]を除く在阪民放各局が同ジャンルの劇場中継を放送していた。
 
=== 全国ネット番組 ===
* 2023年10月現在、毎日放送が制作を担当している全国ネット枠は1週間につき約5時間30分で、木曜19時枠、日曜17・22・23時枠、土曜1時25分枠・7時30分枠・8時の情報番組『[[サタデープラス]]』枠。基本的には『サタデープラス』以外は[[字幕放送]]を実施しているが、アニメ番組と一部年度のプロ野球阪神対巨人戦以外は[[データ放送]]を実施していない。[[解説放送]]については、土曜7時30分枠の『[[所さんお届けモノです!]]』で実施している。
* 現在[[テレビ大阪]]を除く在阪局は土曜の朝に全国ネットの生ワイド番組を編成しているが、最初に始めたのは毎日放送である。(1965年4月に関西ローカルで開始し、11月よりNET系全国ネットとなった。関西テレビは1966年10月、朝日放送テレビはNET系列となった1975年4月、読売テレビは1990年4月)
* 2024年5月現在、在阪広域4局で唯一全国ネットのドラマ枠が存在しない。
* かつては日曜17時30分からの『[[ヤングおー!おー!]]』→日曜13時枠、火曜20時枠、木曜20時枠、金曜19時枠、土曜19時枠、月曜22時枠なども手がけていた。
 
{| class="wikitable"
|+ 2024年5月現在放送中の毎日放送制作全国ネット枠<br />(☆印の枠では2022年4月第3週から[[TVer]]で[[TBS系リアルタイム配信|リアルタイム配信]]を常時実施)
! 曜日 !! 時間枠<br/><small>(放送時間帯)</small> !! 概要
|-
! [[木曜日]]
| 19時枠☆<br/><small>(19:00 - 20:00)</small> || 2012年10月に『使える芸能人は誰だ!?プレッシャーバトル!!』(現在の『[[プレバト!!]]』)の開始と同時に始まった枠である。<br/>2012年4月に水曜21・22時枠のうち、1枠をTBSテレビに返上したが(自社制作の1枠は現在の月曜22時枠に相当)、同年10月に木曜19時枠を毎日放送制作に変更。<br/>元々は木曜22時枠( - 1984年9月)→木曜20時枠(1984年10月 - 1999年3月)→水曜19時枠(1999年4月 - 2006年9月)→金曜19時枠(2006年10月 - 2009年3月)→火曜23時台後半枠(2009年4月 - 2010年3月)→水曜21時枠(2010年10月 - 2011年9月)と変遷していた。
|-
! [[金曜日]]
| 0時26分枠<br><small>(0:26 - 0:56)</small>||『[[アニメイズム|スーパーアニメイズムTURBO]]』([[女神のカフェテラス]])。全国ネット深夜アニメ枠。2024年4月に土曜 1:23 - 1:53から枠移動し、『スーパーアニメイズム』から改称。
|-
! rowspan="2" |[[土曜日]]
| 7時30分枠<br><small>(7:30 - 7:58)</small>||2006年4月に、CBC(当時の社名は中部日本放送)の全国ネット番組枠と日曜7時の毎日放送全国枠との交換によって新設。<br />新設当初は『[[知っとこ!]]』(2006年3月まで8時から開始していた毎日放送本社発の生放送番組)をこの時間から放送していたが、2011年10月から2021年3月までは8:00まで『[[サワコの朝]]』(TBSテレビとの共同制作による事前収録番組)の放送枠に充てていた。<br/>2021年度には、『[[サタデープラス]]』をこの時間帯から9:25まで生放送。2022年の4月改編で、『サタデープラス』の放送枠を分割させるとともに、前半の時間帯(7:30 - 7:58)に『[[所さんお届けモノです!]]』(2017年度から日曜17時枠で放送されていた事前収録番組)の放送枠を移動させた(『サタデープラス』は7:58からの放送に変更)。<br/>元は、日曜10時半枠(1975年4月 - 1987年9月)→10時枠(1987年10月 - 1989年9月)→11時枠(1989年10月 - 2000年3月)→7時半枠(2000年4月 - 2004年3月)→7時枠(2004年4月 - 2006年4月2日)と変遷していた。<br/>2022年10月以降は、この時間帯の番組(同月の時点では『所さんお届けモノです!』)から「自社制作番組の10時間連続レギュラー編成」を関西ローカル向けに実施する。
|-
| 8 - 9時枠<br><small>(7:58 - 9:25)</small>||詳細は[[毎日放送制作土曜朝のワイドショー]]を参照。毎日放送がNET(現在のテレビ朝日)系列に加盟していた時期から、現在(2022年4月改編時点)の『サタデープラス』に至るまで、毎日放送本社スタジオ発の生放送による全国ネット番組が代々編成されている。かつては、『[[八木治郎ショー]]』『知っとこ!』や『[[すてきな出逢い いい朝8時|いい朝8時]]』シリーズを10年以上にわたって放送していた。<br/>NETがネットワークを整備する前の1965年11月に、『[[ウィークエンドショー|MBSウィークエンドショー]]』(同年4月から関西ローカルで8:30 - 9:30に生放送)を、(NETを含む)4局ネット番組の『[[ウィークエンドショー]]』に転換。『八木治郎ショー』までの番組は、NET系列の発足やTBS系列へのネットチェンジなどをはさみながら、この時間帯に編成されていた。<br />『[[八木治郎ショー・いい朝8時]]』から2006年4月8日までの『知っとこ!』および、2011年9月30日の『知っとこ!』から2021年3月の『サタデープラス』までは、放送枠を8:00 - 9:25に設定。『サタデープラス』は2021年度に放送枠を7:30 - 9:25へ拡大していたが、『所さんお届けモノです!』の枠移動に伴って、2022年4月から放送時間を7:58 - 9:25に変更している。
|-
! rowspan="3"|[[日曜日]]
| 17時枠<br/><small>(17:00 - 17:30)</small>||2008年4月に土曜18時枠から移動。<br/>元は、日曜19時枠(1962年1月 - 1992年3月)→木曜19時半枠(1992年4月 - 9月)→土曜18時枠(1992年10月 - 2008年3月)と変遷していた枠で、長年クイズ番組が放送されていたが、1993年7月から2017年4月2日まではアニメ・特撮番組の放送枠(アニメ枠)に一時転換(アニメ枠としては土曜6時30分枠に移動、詳細は後述)、<br/>2017年4月9日から『所さんお届けモノです!』を放送し、アニメ枠としては『アニメサタデー630』前半→『スーパーアニメイズム』へと移動となった。2022年4月改編に再びアニメ枠となり、『スーパーアニメイズム』も継続するため本局発の全国ネットのアニメ枠は2本体制となった。
|-
| 22時枠☆<br/><small>(22:00 - 22:54)</small>||毎日放送がネットチェンジの半年後(1975年10月)から、『[[20世紀の映像]]』を皮切りに全国ネット向けの番組を制作。1992年3月までは22時30分からの30分枠であったが、同年の4月改編で22時台前半のCBC全国ネット番組枠と金曜19時の毎日放送枠を交換したことに伴って、1時間枠に拡大した。<br/>2015年4月からは『[[日曜日の初耳学|初耳学]]』シリーズを単独で制作しているが、2010年10月から2012年9月までは『[[EXILE魂]]』(TBSテレビとの共同制作番組)を編成していた。
|-
| 23時枠☆<br/><small>(23:00 - 23:30)</small>||1988年3月まで『[[テレビ見たとこ勝負!]]』を放送していた金曜19時枠を、翌4月から移動させたうえで設定。<br/>1998年4月以降は『[[情熱大陸]]』を放送している。<br/>日曜日には、2012年度上半期のみ、20時台の全国ネット向け番組も毎日放送で制作。2012年4月8日には、(TBSテレビとの共同制作分を含めた)毎日放送制作の全国ネット番組(特別番組2本とレギュラー番組1本)が、ミニ番組をはさみながら19時から4時間半にわたって編成されていた。
|}
* 近年の在阪局制作の全国ネット番組は毎日放送他各局とも土曜朝の生ワイド番組(テレビ大阪を除く)以外はほとんどが東京支社の企画、東京の制作会社の共同制作によって[[東京都]]内のスタジオで収録されている物が多いが、ひるドラシリーズの作品は大阪と東京で交互に制作されていた(CBCテレビのひるドラは1999年以降、全作品[[名古屋市|名古屋]]で制作されていた)。
* 2009年春改編では、新設された帯バラエティゾーン『[[吉崎金門海峡]]』の火曜枠を担当。午後の帯ドラマ枠も『[[ひるおび!]]』の開始に伴い終了することになり、後継として金曜14時台に『[[バンバンバン]]』を開始した。なお、2010年3月に『吉崎金門海峡』と『バンバンバン』の両番組は終了。同時に、両番組の枠がTBSテレビに返上されることになり、毎日放送制作の全国ネット枠が2枠減る事になった。奇しくも、これにより2009年春改編から1年半毎日放送が制作するゴールデンタイムでの全国ネットのレギュラー番組がなくなっていた(この時期を含めて関西テレビでも同様の事例が2007年2月から2015年3月までの8年2か月続いていたことがある)。
* 2010年秋改編では、水曜21時枠が毎日放送制作となり、22時枠と合わせ毎日放送枠が連続するようになったこともあり、毎日放送制作の2時間特番が同枠で放送されることも多くなっていた。
* 2011年秋改編では、22時枠の『[[ジャパーン47ch]]』を『ジャパーン47chスーパー』に改題・枠拡大により、21・22時で1番組の毎日放送枠となった。後番組の『[[水曜エンタ!]]』でも同様だったが、TBSテレビ制作の『[[水曜プレミアシネマ]]』の開始に伴い、2012年3月をもってこの編成は解消された。
* 2012年春改編で、毎日放送が制作する平日全国ネットでのレギュラー番組が在阪民放テレビ5局では唯一なくなり、特にプライムタイムでは日曜20時・22時の2本だけとなったが、うち22時枠はTBSとの共同制作であったため、毎日放送単独制作は20時台の1本だけであった。
* 2012年秋改編では、日曜20時の毎日放送枠が火曜20時に変更。また、木曜19時枠でも毎日放送制作となり、半年ぶりに毎日放送制作のプライムタイムが3枠に戻している。
* 2017年春改編では、アニメ枠の移動に伴い土曜6時半枠も毎日放送の担当枠へ転換。日曜17時枠では、毎日放送の制作ながら、アニメに代わってバラエティ番組(『所さんお届けモノです!』)を放送していた。
* ゴールデンタイム(19時 - 22時)では、NET系列からTBS系列へのネットチェンジ以降、月曜日に全国ネット番組をレギュラーで制作・放送した実績がない。ただし、2021年春改編では、月曜日に放送されている『[[COUNT DOWN TV|CDTVライブ!ライブ!]]』(TBSテレビ制作)のレギュラー放送枠を22時台から21時台へ繰り上げたことに伴って、月曜日の22時枠を毎日放送制作の全国ネット番組枠へ転換。この転換によって、ネットチェンジ以降では初めて、月曜日のプライムタイム(19時 - 23時)に自社制作の全国ネットのレギュラー番組が放送されるようになった。この改編で火曜日の20時枠がTBS制作へ移行したため、20時台には他曜日を含めて毎日放送制作の全国ネット番組がレギュラーで放送されていない。
* 2022年春改編では、『所さんお届けモノです!』の放送枠を、日曜日の17時台前半から土曜日の7時台後半へ移動。移動に際しては、は2021年度における『サタデープラス』の放送枠から序盤の30分間を『所さんお届けモノです!』に充てたものの、土曜日の7時台後半 - 9時台前半には毎日放送の単独制作による全国ネット番組が引き続き放送されている。その一方で、日曜日の17時台前半枠では、毎日放送が担当したまま4年ぶりにアニメの放送を開始した。
* 2024年春改編の時点では、近畿広域圏の準基幹局で唯一、19時台に全国ネットのレギュラー番組を制作。その一方で、21時台ではこの種の番組を制作していない。
* 2023年秋改編で月曜22時台の『[[推しといつまでも]]』が終了したことに伴って、この時間帯における全国ネット向け番組の制作業務から撤退。撤退に伴う放送枠の移動・新設も為されていないため、2023年秋以降は、ゴールデン・プライム帯での制作担当枠が2枠に限られている。
 
==== 特別番組について ====
* スポーツ関連の特別番組として、毎年1月に「[[全国高等学校ラグビーフットボール大会|全国高校ラグビー大会]]」(1977年 - 2001年までは年末から放送したが、2002年以降は2回に集約)、4月に「[[つるやオープンゴルフトーナメント]]」(1994年から 決勝ラウンド2日間)、11月は「[[TOTOジャパンクラシック]]」(1973年から 決勝ラウンド2日間)、「[[ダンロップフェニックストーナメント]]」(1974年から 決勝ラウンド2日間)<ref group="注釈">こちらは、青森テレビ・テレビ山梨・テレビ山口・テレビ高知では放送なし。</ref>、12月は「フェニックスチャレンジ」<ref group="注釈">こちらは、毎日放送のほか、TBSテレビ・CBCテレビ・北海道放送・RKB毎日放送・宮崎放送が同時ネット。他の局はテープネット。</ref> を放送している。
* 年末には、1時間の特別番組(過去には[[ノースリーブス]]・[[内村光良]]などが出演した。稀に「情熱大陸」の特別版にあたる年もある)を年内の最終週に放送。2022年からは、JNN基幹局を中心に放送していた「[[サントリー1万人の第九]]」(1983年から毎年12月の第1日曜日に[[大阪城ホール]]を使用する毎日放送主催の音楽イベント)のダイジェスト番組を、12月の下旬(クリスマス前後の土曜日夕方)に「JNN加盟全局の同時ネット番組」として編成している。
* 年始には、1月2日の午後に90分の特別番組(一時期は2時間の特番を放送した年あり)、1月3日の朝に1時間の特別番組(年によっては「知っとこ!」の特番を放送した年もある)を放送している。
* 上記以外にも、60分や90分の単発特別番組を毎年2月・5月<ref group="注釈">2020年の分は編成の都合上12月27日に振替。</ref>・7月<ref group="注釈">2020年の分は都合上2021年の1月9日に振替。</ref>・8月・9月の年5回の土曜昼間に、2時間特番は日曜・月曜21-23時と木曜19-21時に放送している。場合によっては水曜・木曜19-22時で放送する時もある。過去に2月には「ハワイアンレディースオープン」(決勝ラウンド2日間)、4月に「ソウル国際女子駅伝」(現在は7月・8月・9月の特番に分割して集約)、5月のゴールデンウィークに「[[黒鷲旗全日本男女選抜バレーボール大会]]」(2001年まで 準決勝・決勝のみ)、12月には「[[甲子園ボウル|毎日甲子園ボウル]]」(1985年 - 2007年)を全国ネットで放送した。
 
=== アニメ ===
* [[1966年]]のNET(現:[[テレビ朝日]])系列時代に在阪局初参入作である『[[おそ松くん]]』を製作して以来、[[テレビアニメ]]に力を入れており、[[2002年]]の『[[機動戦士ガンダムSEED]]』以降、[[ガンダムシリーズ]]の制作・放映権を[[テレビ朝日]]系列から引き継いだ(一部作品を除く)。
* 主な代表作に1982年に放送された大ヒット作『[[超時空要塞マクロス]]』をはじめとする『[[超時空シリーズ]]』、『[[銀河漂流バイファム]]』や、大阪の下町を舞台とした人情漫画が原作の『[[じゃりン子チエ]]』などがある。
* 1993年より開始の[[毎日放送制作土曜夕方6時枠のアニメ|土曜18時00分 - 18時30分枠]]のアニメ・[[特撮]]番組は、『[[3丁目のタマ うちのタマ知りませんか?]]』から始まり、[[日本アニメーション]]制作作品、『[[ウルトラシリーズ]]』4作品、『[[ゾイド -ZOIDS-|ゾイド]]』シリーズなどがある。2000年代からは『[[機動戦士ガンダムSEED]]』シリーズ、『[[鋼の錬金術師 (アニメ)|鋼の錬金術師]]』などの人気作品が放送され、また、これらの番組の主題歌からヒット曲が量産されたこともあり、業界などでは「'''土6'''(どろく)」と呼ばれ注目を集めた。しかし次第に[[NHK教育テレビ土曜夕方6時台枠のアニメ|裏のNHK教育アニメ枠]]に押され始めた事もあり、2008年4月からは[[毎日放送制作日曜夕方5時枠のアニメ|日曜17時00分 - 17時30分枠]]へ移動<ref group="注釈">2008年4月よりTBSテレビが『[[JNN報道特集]]』を日曜17時30分 - 18時24分枠から土曜17時30分 - 18時50分枠へ移動・放送時間拡大の上、『[[報道特集 (TBS)|報道特集NEXT(現・報道特集)]]』としてリニューアルする事も伴った。</ref>(通称「'''日5'''(にちご)」)となった。
** [[2016年]][[12月20日]]、[[TBSテレビ]]と毎日放送は日5アニメ枠を廃止、土曜日の早朝に1時間のアニメ枠『'''[[アニメサタデー630]]'''』を編成することを明らかにした。これは土曜6時30分枠を毎日放送製作アニメ枠にした上で、従前の土曜7時からのTBSテレビ製作アニメ枠を一体化するものである<ref>{{cite news|url=https://mantan-web.jp/article/20161220dog00m200003000c.html|title=日5:「ハガレン」「ガンダム」アニメ枠が終了へ MBS、早朝に34年ぶりの1時間アニメ枠|accessdate=2016-12-20|date=2016-12-20|newspaper=[[MANTANWEB]]|publisher=[[MANTAN]]}}</ref>。なお従前の日5枠は[[2017年]][[4月9日]]から自社制作の全国ネットバラエティ番組『[[所さんお届けモノです!]]』を放送している。
* [[2019年]][[3月8日]]、毎日放送は金曜日の深夜に『'''[[アニメイズム|スーパーアニメイズム]]'''』を編成することを明らかにした。これはアニサタ630枠のうち毎日放送制作枠を土曜1時25分 - 1時55分枠へ移動するものである(『アニメイズム』枠も継続)。なお、従前の土曜6時30分枠はTBSテレビ制作の情報番組『[[まるっと!サタデー]]』(5:30 - 7:00)を放送する。その後、2024年4月改編で木曜深夜へ移動し、『スーパーアニメイズムTURBO』(第1作は[[WIND BREAKER (漫画)|WIND BREAKER]])となった。
* [[2022年]]4月改編で日5アニメ枠が復活。『所さんお届けモノです‼』は土曜朝に移動の上で継続。
* 製作した作品のコピーライト表記には「MBS」もしくは「毎日放送」とほぼ表記されている(他局との共同製作作品を除く)<ref group="注釈">例として、2003年に放送された『[[鋼の錬金術師]]』では「©[[荒川弘]]/[[スクウェアエニックス]]・毎日放送・[[アニプレックス]]・[[ボンズ (アニメ制作会社)|ボンズ]]・[[電通]]2003」。また2024年放送の『[[夜桜さんちの大作戦]]』では「©[[権平ひつじ]]/[[集英社]]・夜桜さんちの大作戦[[製作委員会]]・MBS」。</ref>。当初は放送局が未定の作品であっても、毎日放送・TBS系列での放送が発表されると表記に追加される。
*「[[キリンものしりシリーズ|ものしり館]]」など、[[放送番組センター]]の配給番組になった作品もある。
* 1989年に放送した短編アニメ『[[小松左京アニメ劇場]]』が毎日放送としては初めて手掛けた[[深夜アニメ]]である(同時期に読売テレビが『[[11PM]]』番組内で『[[セイシュンの食卓]]』を製作していた)。
** 2020年4月現在は、水曜未明(火曜深夜)・金曜未明(木曜深夜)・土曜未明(金曜深夜)・日曜未明(土曜深夜)に深夜アニメ枠を設けている([[全国独立放送協議会|独立局]]系アニメ(通称[[UHFアニメ]])も多数ネット。毎日放送で放送される深夜アニメの半数にのぼる)。また、他局放送作品を含む[[再放送]]枠も過去に存在した(『[[ヒーローは眠らない]]』という枠名が設定されていた時期もあった)。
** 現在では、木曜深夜枠以外のいずれの枠にも「[[アニメ特区]]」など独自のレーベルが設けられている。
** 他番組との兼ね合いなどにより枠が不足し、TBSテレビやCBCテレビのアニメの一部を毎日放送が放送しない事態となり、独立局(サンテレビ・KBS京都)での放送や関西圏での放送自体が無い作品もある<ref group="注釈">2004年10月に[[TBSテレビの深夜アニメ枠]]が開設されて以降、毎日放送は2本全部もしくは1本のみをネットしているが、2014年7月クールと2015年10月クール、2016年10月クール、2017年1月クールは2本ともサンテレビでネットされる事態となった。また、2017年7月期以降は近畿広域圏での放送がないクールもある。</ref><ref group="注釈">2006年4月-9月に放送されたCBC製作のアニメ『[[ウィッチブレイド (アニメ)|ウィッチブレイド]]』は関東圏ではTBSテレビにネットされたが、関西圏の地上波では毎日放送にも独立局にもネットされず未放送に終わった一例である。</ref>。
** 2020年1月クールから、『アニメイズム』枠の放送時間変更以来となる木曜深夜枠が復活した。この枠では、TBS制作の『[[TBSテレビの深夜アニメ枠|アニメリコ]]』枠の作品(字幕放送あり)やUHFアニメが放送される。
{{Main|アニメイズム|アニメシャワー|アニメ特区}}
* 近年では漫画・ライトノベル原作の作品を多用する傾向にあるキー局のTBSテレビと比較するとアニメオリジナル作品の比率が高い。アニメ担当プロデューサーである[[丸山博雄]]は、オリジナル作品へのこだわりを打ち出した発言も行なっている<ref>[https://ascii.jp/elem/000/000/681/681875/index-4.html 「まどマギ」「タイバニ」テレビ局から見たヒットの背景【後編】その4 ]</ref>。
* 全日・深夜問わず、アニメの[[表現規制]]に対してTBSテレビとは対照的に緩い傾向が観られ、過激な表現が描かれる事が少なくない。以前は、放送時間帯を問わずにほぼ無修正で描写される事が大半であったが、近年はアニメ全体の表現規制の厳格化に歩調を合わせている傾向もあり、2011年の『[[BLOOD-C]]』を境に、作品によってはテレビ放送時に一部の残虐描写を修正して放送する事もある。また、『[[Aチャンネル]]』や『[[機動戦士ガンダムAGE]]』、『[[ハイキュー!!]]』のようにそのような表現が比較的少ない作品も放送している。
* また、アニメ番組のインターネット配信に関しても早くから積極的であり、『[[TIGER & BUNNY]]』においてはテレビアニメ史上初の『テレビ放送との[[Ustream]]同時配信』を実施した。
* [[アニメ コンテンツ エキスポ]](2013年)や[[AnimeJapan]](2014年以降)、[[京都国際マンガ・アニメフェア]](京まふ)に毎日放送(アニメ)ブースを出展している。
* 深夜アニメの[[文字多重放送|字幕放送]]にも積極的で、2014年1月期の『[[ニセコイ]]』(第1期のみ)以降、無料放送では毎日放送のみ字幕放送を実施することもある。2017年4月期からは1クールにつき1 - 2作品は独自に字幕放送付きで放送している<ref group="注釈">独自での字幕放送を行わない時期あり。</ref><ref group="注釈">同時期放送であっても、有料の衛星放送である[[TBSチャンネル]]や[[WOWOW]]では字幕放送を行わず、毎日放送のみ字幕放送実施となることもある。クール後に放送の場合では[[アニマックス]]では字幕放送を実施することが多い(字幕の素材は別)。[[キッズステーション]]での対応は作品により異なる。</ref>。
* 2014年にTBSテレビが開設したアニメ専門の[[ECサイト]]「[[アニまるっ!]]」では毎日放送製作作品および毎日放送で放送した一部のUHFアニメも、関東地区では独立局(主に[[東京メトロポリタンテレビジョン|TOKYO MX]])で放送されたアニメを含めて取り扱っており、トップページにも「TBSやMBSの公式アニメグッズが満載!」と明記されている。
* 近年では時間帯問わずに自社製作分では[[提供クレジット|提供バック]]を放送しない代わりに、本編パート中に下部もしくは右下に提供クレジットを数秒表示するケースが多い。また、同様に改編期が迫ると次回作の宣伝のために、次回予告を一部もしくは全てカットするケースも目立つ。
* 2016年4月よりKBS京都から移籍する形で、[[アニメソング]]専門[[音楽番組]]『[[リスアニ!#リスアニ!TV|リスアニ!TV]]』を水曜未明(火曜深夜)にて1年間放送した。
* 1966年以来多数のアニメを制作・放送してきたが、社内にはアニメ専門の部署やアニメに関する事業を行う関連会社(キー局であるTBSテレビに2023年10月に新設された「アニメ映画イベント事業局アニメ事業部」をはじめとする在京キー局のアニメ専門部署<ref group="注釈">日本テレビの「グローバルビジネス局アニメ事業部」(2020年新設)、テレビ朝日の「コンテンツ編成局アニメ・IP推進部」、テレビ東京の「アニメ局」、フジテレビの「アニメ事業局」(2024年新設)。</ref>ならびに、在阪他局のうち読売テレビで『[[名探偵コナン (アニメ)|名探偵コナン]]』の制作などを担う「アニメーションセンター」や朝日放送グループ内で[[プリキュアシリーズ]]や[[ANiMAZiNG!!!]]などのアニメに関する事業を担う「[[ABCアニメーション]]」に相当する組織)は存在せず、東京支社のコンテンツビジネス部が主として担当している。
 
=== 特撮 ===
* 代表作としては『[[仮面ライダーシリーズ]]』(昭和版)がある<ref group="注釈">『[[仮面ライダーアマゾン]]』まではNETテレビ(現:テレビ朝日)系列で、『[[仮面ライダーストロンガー]]』以降『[[仮面ライダーBLACK RX]]』まではTBS系列で放送。</ref><ref group="注釈">『[[仮面ライダークウガ]]』以降は[[テレビ朝日]]制作、近畿広域圏では[[朝日放送テレビ]]で放送。</ref>。同シリーズは1990年代後半まで休日の早朝や夏休みの午前中、深夜枠で放送された『特撮ヒーロー列伝』にて再放送がたびたび行われた他、原作者の[[石ノ森章太郎]]が亡くなった直後には石ノ森が監督・脚本・出演を務めた『[[仮面ライダー]]』第84話が夕方に追悼放送された。また、2023年2月7日から4月11日にかけて『[[シン・仮面ライダー]]』公開に合わせて「[[庵野秀明]]セレクション」と題して毎日放送では先述の『特撮ヒーロー列伝』以来、およそ25年ぶりに『仮面ライダー』の再放送が10話分<ref group="注釈">第1話、第2話、第4話、第5話、第17話、第24話、第40話、第52話、第84話、第93話。このうち、第52話は急遽『シン・仮面ライダー』序盤のクモオーグ戦放送に差し替えられ、放送予定だった第52話はYouTubeにて5月8日まで配信される形になった。</ref> 行われた。
* 他にも[[松竹]]の『[[はやと (テレビドラマ)|はやと]]』、『[[魔女はホットなお年頃]]』や[[東映]]の『[[変身忍者 嵐]]』、『[[宇宙鉄人キョーダイン]]』、『[[大鉄人17]]』や[[円谷プロダクション|円谷プロ]]の『[[ウルトラシリーズ|平成ウルトラマンシリーズ]]<ref group="注釈">『[[ウルトラマンティガ]]』から『[[ウルトラマンコスモス]]』まで毎日放送が制作。『[[ウルトラマンネクサス]]』から『[[ウルトラマンメビウス]]』までは[[CBCテレビ]]が制作。「[[ウルトラマンボーイのウルころ]]」と「[[ウルトラマン列伝]]」以降は[[テレビ東京]]制作、在阪準キー局では[[テレビ大阪]]で放送。</ref>』<ref group="注釈">『ウルトラマンシリーズ』も1980年代までは昭和期の作品(腸捻転時代に朝日放送テレビにネットされた『[[ウルトラマンレオ]]』までを含む)の再放送を行っていた。</ref> が知られる。
* 1959年に制作された『[[鉄腕アトム (実写版)|鉄腕アトム]]』(関東地区は[[フジテレビジョン|フジテレビ]]にネット)以来、在阪局で、特撮番組を最も多く制作したことで知られる<ref group="注釈">ABCは腸捻転時代に制作した『[[好き! すき!! 魔女先生]]』、腸捻転解消後に制作した『[[レッドビッキーズ|それゆけ!レッドビッキーズ]]』(第53話 - 第77話まで)。[[関西テレビ放送|関西テレビ]]は『[[仮面の忍者 赤影]]』。[[読売テレビ放送|読売テレビ]]は『[[超人バロム・1]]』、『[[スターウルフ]]』(第14話より『宇宙の勇者 スターウルフ』に改題)と、他の在阪局は朝日放送テレビ、読売テレビは2作品。関西テレビは1作品しか制作していない。</ref>。
* 1996年から1998年初頭まで、深夜枠にて過去に放送した特撮番組をピックアップした『特撮ヒーロー列伝』が放送されていた<ref>『[[悪魔くん]]』『仮面ライダー』『[[河童の三平 妖怪大作戦]]』『[[ジャイアントロボ]]』の4作品。</ref>。
 
=== ネット配信 ===
* 見逃し配信や放送済の自社制作番組の配信サービスについては[[MBS動画イズム]]を参照。
* 「ドラマイズム」など自社制作のテレビドラマについては、[[U-NEXT]]、[[TELASA]]など他社動画配信サービスにも番組配給している。[[フジテレビオンデマンド]]には長らく配給されなかったが、2020年9月に映画連動で『[[映像研には手を出すな!]]』がTBS系列ネットの番組として初めて配給された<ref>{{Cite web|和書|url=https://help.fod.fujitv.co.jp/hc/ja/articles/900002055203-9月下半期新規配信予定-FODプレミアム-レンタル-|title=9月下半期新規配信予定-FODプレミアム-レンタル-|accessdate=2020-11-28}}</ref>。
 
=== 備考 ===
* TBS系列局が、番組の制作クレジットに放送局の略称を使うことが多い中、2011年8月31日まではほとんど略称のMBSを使用しなかった("製作著作・MBS"とはせず、"製作著作・毎日放送"とするケースがほとんど)。
** ただし、過去にTBSとの共同制作番組(アニメ『[[おおきく振りかぶって]]』・1995年のプロ野球[[オリックス・バファローズ|オリックス]]戦緊急全国中継・『高校ラグビーハイライト』等)では「MBS」表記が使用され、同局との共同制作番組『[[EXILE魂]]』でも同様の表記がみられる。また、MBS単独製作でも『[[明石家多国籍軍]]』は「MBS」を使用していた<ref group="注釈">『明石家多国籍軍』の場合、スタッフクレジットを英語で表記していたため。</ref>。
** 通称を「MBSテレビ」に変更後は、順次「MBS」へ切り替えられた。また、2011年9月からはロゴを使用する際にライトグリーン色の「MBS」ロゴが使われている。
*新聞・ポスターではテレビ画面の形にチャンネル番号の4とその下にMBSという文字を入れたロゴが使用される。チャンネル番号の4マーク及び、毎日放送の和文ロゴタイプは、現本社移転時に修正が施された。
** 1970年代後半から2005年頃までは『[[JNNニュース]]』開始時にMBSのロゴ(文字のみ)を表示していた<ref group="注釈">これは、JNN冠番組が一部を除き基本的に「JNN加盟全局の共同制作」であるという前提から、ネット(加盟)各社も制作に関わっているという「製作著作」クレジットの代わりである。</ref>。また1990年代から2005年3月までのは[[TBSテレビ系列夕方ニュース枠|平日夕方の全国ニュース]]開始時に表示する「2ヶ国語放送」テロップと同じ場所にロゴを表示していた。
** 2009年4月及び5月には、ローカル枠(再放送番組など)の一部で、番組開始時に画面右上に、当時のキャッチコピーである「おもろい4へ」というロゴを数秒間表示していた。
* MBS制作の[[ジャパン・ニュース・ネットワーク|JNN]]系全国ネット番組の[[クレジットタイトル]]には、"製作著作・MBS"の横に2020年3月31日まで、TBSグループとTBSネットワーク/JNNの[[シンボルマーク]]である「'''[[ジ〜ン]]'''」が表示されていた。ただし、ネット局にTBSが含まれていても[[番組販売]]形式の[[遅れネット]]となる場合はジーンが外されることもある<ref group="注釈">『ロケみつ』がその代表的な例である。</ref> など、使われないケースも見られる。{{main|ジ〜ン#概要}}一方、[[ローカル番組]]では2005年3月から2007年1月まで「''MBS55周年''」のロゴを付けていた。また、[[京都府]]の伝統や美術に関するの番組(『[[美の京都遺産]]』など)は「'''[[MBS京都プロジェクト]]'''」のロゴを付けている。また、[[ブロックネット|ブロックネット番組]]には、いずれのクレジットでもなく、単に“製作著作・毎日放送”とだけ書かれていた番組もある。2010年8月からは2011年9月に開局60周年を迎えることにより、一年間限定で「''毎日放送'' {{Color|#009AD6|6}}{{Color|#FF3399|0}}」のロゴ表記が使われている。
* テレビ番組の放送日時変更について、告知を行わずに変更する局が多い中(特に[[深夜番組]])、MBSでは[[全日]]、深夜にかかわらず本編中または次回予告時にテロップによる告知を行っている(突発的な変更の場合を除く)。
* [[地上デジタルテレビ放送|地上デジタル放送]]の局名表記は、新聞のテレビ欄とは異なり「MBS毎日放送」である。
 
== 社員 ==
=== アナウンサー ===
{{Main|毎日放送のアナウンサー一覧}}
 
=== 解説委員 ===
以前から報道局に設けられていたが、2016年度からスポーツ局(いずれもラジオ放送事業分社化前の部局)にも新設。いずれの委員も、自社で制作する報道・情報番組で、定期的にニュース解説を担当する。前述したように、ラジオ放送事業の分社化(2021年4月1日)以降は、報道局と東京支社報道部が「報道情報局」、スポーツ局が「制作スポーツ局」に再編。
* [[橋本佐与子]](報道情報局ニュースセンターの所属で、『VOICE』の初代女性キャスター。キャスター降板後も、長年にわたって[[臓器移植]]などの医療問題などを取材)
* [[大八木友之]](東京支社の報道部に所属。アナウンサーとして1997年に入社したが、『VOICE』のキャスターを務めていた2009年から報道局ニュースセンターの記者職へ異動した後に、2017年10月から2021年3月までJNNパリ支局長を務めていた。アナウンサー時代の先輩で、『VOICE』の初代男性キャスター・JNNベルリン支局長・解説委員などを歴任していた[[三澤肇]]が2023年7月からMBSホールディングスへ総務局長として出向することを受けて、三澤から東京支社付の解説委員職を継承)
 
=== 主な記者 ===
アナウンサー出身の主な記者は、[[毎日放送のアナウンサー一覧#元アナウンサー|当該項で詳述]]。テレビ・ラジオの兼営時代には、当時のラジオ局に存在していた「ラジオ報道部」所属の記者を、国会担当として東京支社に常時駐在させていた。
==== 現在 ====
2021年6月24日現在、およそ40名の記者を擁している。
* 米田佳史(こめだ よしふみ:テレビのドキュメンタリー番組『映像』シリーズのディレクターなどを経て、2015年4月から2018年3月まで辻憲太郎の後任でJNN上海支局へ赴任)
* 寺島宗樹(2021年9月から、森岡の後任でJNN上海支局へ赴任)
* 山口綾野(森岡と同じ経緯で、『生き抜く 南三陸町 人々の一年』の制作に参画)
* 丸尾陽樹([[北海道大学|北海道大学大学院]]卒業後の2011年に入社する一方で、「岡山CA」所属の男子[[カーリング]]の選手として、2013 - 2015年の[[カーリング日本選手権大会]]に出場。最高成績は4位だった。カーリング競技の第一線を退いてからは、報道局映像センターのカメラマンを経て、2020年7月からカメラマンとの兼任扱いでJNNパリ支局へ赴任中)
* 亘佐和子(わたり さわこ:ラジオ放送事業の分社直前時点でラジオ報道部に所属。ドキュメンタリー番組のディレクターを務めるかたわら、記者やデスクとして報道系の番組へ随時出演)
* 成相宏明(なりあい ひろあき:テレビ制作部でバラエティ番組のディレクターなどを担当した後に、『ちちんぷいぷい』『VOICE』『ミント!』へ記者として出演。2019・2020年度には、東京支社の報道部へ赴任していた)
* 井上大輔(京都支局でデスクを担当)
* 帯刀総司([[大阪府警察]]記者クラブでキャップを担当)
* 辻本敬詩(阪神・淡路大震災発災直後の1995年3月に神戸市長田区で出生。2017年の入社後に、地元の神戸支局への配属を経て本社へ異動)
* 阿部雄気(2015年入社。大阪府警担当)
* 冨永晋平(2015年入社)
* 松本陸(2016年入社。司法キャップ)
* 石倉真衣(2016年入社。東京支社ラジオ部での営業職を経て、大阪府政を担当)
* 飯坂侑士(2016年入社。編成局員や報道局のカメラマンを歴任後に記者へ転身。2021年4月から、カメラマンとの兼任扱いでJNN上海支局へ赴任中)
* 河東宏樹(2017年入社。大阪府警察本部記者クラブ・捜査1課担当)
* 柳瀬良太(東海テレビで[[愛知県警]]や愛知県政・名古屋市政などの記者を経て、2018年に中途採用。大阪府警のサブキャップを経て、現在は大阪府政・市政のキャップ)
* 法花直毅(ほっけ なおき:[[NHK京都放送局]]・放送センターなどの記者を経て、2019年に中途採用)
* 富永高史(2021年3月からJNNパリ支局長)<ref>[https://web.archive.org/web/20010629145611/http://mbs.co.jp/recruit/staff/tominaga.html 毎日放送社員紹介 報道局編集センター社会部・富永高史]</ref>
* 原田康平
* 原田康史
* 鹿毛裕輝
* 渡紗也子
* 梅田新平
* 入口茉莉
* 山田ひかる
* 木村富友佳(2021年には『映像』シリーズのディレクターも担当)
* 宇治宮汐梨(2018年入社。大阪府政担当を経て、2020年2月から京都支局へ配属)
* ビジャン亜里沙(神戸支局)
* 大里奈々
* 國土愛殊
* 秦瑞穂
* 藤澤七海(神戸支局)
* 森亮介(大阪府警や[[大阪地検]]特捜部などの担当を歴任)
* 有馬加奈子([[ビデオユニテ]]報道編集部)
* 萩原大祐(京都支局)
* 長澤清導
* 尾藤貴裕
* 大熊楓
* 横田舞
* 中村真千子(経済担当キャップ)
* 金咲和歌子(神戸支局)
* 片岡野乃子
* 堀江了
* 佐藤晃優(『サタデープラス』などのディレクターを経て配属)
* 宮腰友理(京都支局)
* 床並花(とこなみ・はな)
* 土田梨世(大阪府警担当)
* 齊藤初音([[齊藤初音|同姓同名のCBCテレビアナウンサー]]とは別人)
* 鈴木滉正
* 飯田真那
 
==== 過去 ====
* [[石田英司]]☆(1984年の入社後に、営業部員、報道局社会部の記者・デスク、制作局エグゼクティブなどを歴任。『ちちんぷいぷい』では、1999年10月の番組開始当初から2017年9月まで、「ニュースのおっちゃん」と称してニュース解説を担当していた。2018年1月以降は、『[[上泉雄一のええなぁ!]]』の水曜日→木曜日→水・金曜日にレギュラーで出演中。2019年7月の定年後から5年間は<ラジオ局ラジオ制作センター所属→クリエイトサポート局および経営戦略局所属の>「シニアスタッフ」、「シニアスタッフ」の任期を満了した2024年7月以降はフリーランスの立場で出演している)
* 西村秀樹(1975年に入社後、報道局社会部の記者として[[豊田商事会長刺殺事件]]に遭遇。犯人への取材を試みる一方で、[[天満警察署|所轄警察署]]への通報によって、犯人の逮捕につなげた。その後は、『映像』シリーズやニュース番組で、人権と平和に関するドキュメンタリーを多数制作。退社後は、[[近畿大学]]人権研究所の客員教授や、近畿マスコミ倫理懇談会の顧問などを務める<ref>[http://www.kindai.ac.jp/rd/research-center/human/data/nishimura_pro.html 人権問題研究所>2.所属教員紹介 西村秀樹] - 近畿大学公式サイト。2024年1月14日閲覧。</ref>)
* [[黒木奈々]](2006年に一般職で入社後に、記者として報道部に配属。しかし、アナウンサーになることを学生時代から強く希望していたため、2007年2月に退社した。退社後は、[[キャスト・プラス|CMA]]所属のフリーアナウンサーとして、『[[TBSニュースバード]]』のキャスターなどを歴任。[[セント・フォース]]への移籍や闘病生活などを経て、[[NHK BS1]]『[[国際報道2014|国際報道]]』シリーズの月曜キャスターを担当していたが、2015年9月19日に32歳で死去)<ref>[https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2015/09/19/kiji/K20150919011164360.html 黒木奈々さん死去 32歳の若さで、フリーアナウンサー 胃がん闘病中] - スポニチアネックス(2015年9月19日)※2015年9月22日閲覧</ref>
* [[榛葉健]](1987年に入社。報道局社会部の記者や、報道・ドキュメンタリー系テレビ番組のプロデューサーとして、多数のスクープ・受賞歴を持つ。2011年3月11日に東日本大震災が発災してからは、テレビ営業局営業開発部次長として勤務するかたわら、個人の立場で東日本大震災の被災地を定期的に取材・撮影したドキュメンタリー映画「うたごころ」シリーズを発表。2021年4月の分社後は、制作スポーツ局でプロデューサー、MBSラジオで『関宏美のラジオベジタ』のパーソナリティを務めている)
* [[山田厚史]](1971年に入社したが、同年に[[朝日新聞社]]へ移籍。政治・経済記者、外国通信員、編集委員を経て、現在は[[ジャーナリスト]]・「[[AERA]]」シニアライターとして活動)
* 里見繁(1973年の入社後に、報道部の記者を経て、ディレクターやプロデューサーとして『映像』シリーズに従事。取材や制作に携わったドキュメンタリー作品が高く評価されたことによって、ジャーナリズム関連で多数の表彰を受けた。2010年から[[関西大学]]の社会学部教授へ転身)
* 神﨑智大(かんざき ともひろ:ラジオ報道部の国会担当記者などを経て、2014年4月から2019年3月まで『VOICE』のフィールドキャスターを務めた後にNHKへ移籍。2021年6月の時点では、東京放送センターの社会番組部で記者とディレクターを兼務している)
* 上野由洋(入社の直後から報道局へ配属されると、記者として警察・政治・経済分野を担当したほか、アジア各地や東日本大震災の被災地域を取材。『生き抜く 南三陸町 人々の一年』の制作にも携わった。[[映画評論家]]の[[水野晴郎]]と親交があったことから、水野の没後に毎日放送を退社。水野が生前営んでいたものの、水野の死去によって休眠状態になっていた映画制作会社の業務を引き継ぐ格好で、「株式会社アジアピクチャーズエンタテインメント」を設立した)<ref>[https://apie.jp/company/ 株式会社アジアピクチャーズエンタテインメント 役員紹介]</ref><ref>[https://www.green-japan.com/interview/6540 株式会社アジアピクチャーズエンタテインメント代表取締役CEO 上野 由洋氏]</ref>
* 奥田信幸(報道局ニュースセンターの記者として大阪府政・大阪市政などを担当した後に、同センターのデスク・解説委員・報道部長・番組編集部長を経て、2020年6月から報道局長へ着任→ラジオ放送事業分社化後の2021年4月1日以降は新設の「報道情報局長」)
* 森岡紀人(2018年4月から2021年8月まで、米田の後任でJNN上海支局へ赴任。2011年の東日本大震災発災直後から被災地域の取材へ携わってきたことを背景に、2013年には、当時の同僚記者2人・カメラマン3人と共同で『生き抜く 南三陸町 人々の一年』というドキュメンタリー映画を制作した。この作品は、ニューヨーク・フェスティバルのドキュメンタリー映画部門で銀賞を受賞。上海支局から本社への帰任後は、2024年4月の時点で『よんチャンTV』のチーフプロデューサーを務めている)
* 米沢飛鳥(2000年に入社してから、人事局労政部→報道局ニュースセンター記者・大阪府警クラブサブキャップを経て、2012年7月に報道局番組センターへ異動。『映像』シリーズでディレクターを担当した後に記者へ復帰していた。2024年4月の時点では、『よんチャンTV』の編集長)<ref>[https://web.archive.org/web/20170408003317/http://www.mbs.jp/recruit/staff/yonezawa/index.html 毎日放送社員紹介 報道局番組センター・米沢飛鳥]</ref>
* 秋山穂乃果(2016年の入社後に、報道局のニュースセンターで報道カメラマンを務めた。陸上の長距離競技選手として活躍していた神戸大学の学生時代に警察官を志しながら家族の反対で断念していたことを背景に、2019年3月で退社すると、[[長野県警察]]で巡査長や山岳遭難救助隊員を務めている。毎日放送への在籍中に始めたトレイルランニングで、2019年・2021年の世界選手権へ日本代表として出場)<ref>[https://www.asahi.com/articles/DA3S14946804.html?iref=pc_rensai_long_50_article 秋山穂乃果さん テレビ局員から長野県警の山岳遭難救助隊員になった] - 朝日新聞「ひと」(2021年6月23日)</ref>
 
=== その他の著名社員 ===
* [https://www.mbs.jp/puipui/osakana/profile.html 尾嵜豪]☆(2018年7月から一時、制作業務部のマネジャーを務めながら、報道局で自然科学分野の解説委員を担当。[[水産学]]を専攻していた[[京都大学]]からの卒業後に入社すると、テレビ営業局・テレビ制作部を経て、2016年の気象情報部設立を機に初代の部長を務めた。『ちちんぷいぷい』のディレクター時代から、「お魚博士」と称して、放送50回に1回のペースで水産・魚類関係のリポートや解説を随時担当<ref>[https://www.mbs.jp/recruit/staff/ozaki/index.html 当番組のディレクターからテレビ営業局タイム営業部へ異動した時期の尾嵜のプロフィール] を参照</ref>。2011年には、全国ネットの特別番組『クニマスは生きていた!~“奇跡の魚”はいかにして「発見」されたのか?~』のプロデュースで、[[日本民間放送連盟|日本民間放送連盟賞]]・テレビ教養番組部門の優秀賞を受賞した<ref>[https://www.j-ba.or.jp/category/awards/jba100938#i6a18293 日本民間放送連盟賞/2011年(平成23年)テレビ教養番組・優秀賞<毎日放送>クニマスは生きていた!~“奇跡の魚”はいかにして「発見」されたのか?~]</ref>。2021年1月の時点で事業部長に異動している<ref>[https://www.mbs.jp/kouhou/banshin/log/654_01.pdf 毎日放送第654回番組審議会報告 (2021年1月12日開催)]</ref> が、「お魚博士」としての番組出演も継続。『ちちんぷいぷい』には、通算で100回登場した)
* 芝川龍平([[SRC神戸ファイニーズ|サンスターファイニーズ]][[アメリカンフットボール]]元選手。スポーツ局勤務)
* 川中恵一([[同志社大学]]への在学中に、[[競泳]]の[[日本代表]]選手として[[バルセロナオリンピック]]200m[[バタフライ]]で5位に入賞。大学卒業後の1994年に入社すると、ラジオ局ラジオ制作部のプロデューサーとして『[[上泉雄一のええなぁ!]]』、テレビ制作部のプロデューサーとして『ちちんぷいぷい』などを担当した。2018年6月にテレビ営業局タイム営業部のマネジャーへ異動)
* 宮瀬永二郎(日本国内の大会で優勝するなど、学生時代に[[フィギュアスケート]]・男子シングルの選手として活躍したが、[[立命館大学]]からの卒業を機に1999年入社。2016年には、テレビ営業局スポット営業部の副部長を務めながら、『情熱大陸』900回記念特別番組で[[羽生結弦]]への密着取材や演出を担当した<ref>[https://mainichi.jp/articles/20160328/ddm/018/070/047000c 放送人「情熱大陸」(TBS系、日曜午後11時)ディレクター・宮瀬永二郎さん](『[[毎日新聞]]』[[2016年]][[3月28日]]付記事)</ref><ref>[https://thetv.jp/news/detail/75984/ 「情熱大陸」世界選手権を終えた羽生結弦の思いとは](『[[ザテレビジョン|ザ・テレビジョン]]』[[2016年]][[4月6日]]付記事)</ref>。妻は現職アナウンサーの松川浩子)
正社員ではないが、2009年から[[和歌山県]][[新宮市]]の市長を務める[[田岡実千年]]は、市長就任前の1987 - 2008年に、同市内で家業(カメラ販売店の経営)へ就くかたわら、報道局から新宮駐在員(和歌山県南部および近隣地域の映像取材を担当する駐在カメラマン)の職を委嘱されていた。
 
== 不祥事・事件・トラブル ==
* {{要出典範囲|[[江崎グリコ]]の[[グリコ・森永事件#江崎グリコ社長誘拐事件|江崎勝久社長が誘拐]]された[[1984年]](昭和59年)[[3月18日]]深夜、この事件に関する[[報道協定]]が成立する前に、MBSテレビで江崎社長の誘拐を伝えるニュースの第一報が報じられた。|date=2011年6月}}
* 2005年(平成17年)4月に放送された『VOICE』で、兵庫県[[宝塚市]]在住の[[たこ焼き]][[屋台]]経営の女性が、[[暴力団]]関係者らと共に同市内の[[喫茶店]]に対して嫌がらせを繰り返し、喫茶店を廃業に追い込んだとの報道を行った。これに対し、女性が名誉を傷つけられたとして[[神戸地方裁判所|神戸地裁]]に[[訴訟]]を起こし、同[[地方裁判所|地裁]]は2007年(平成19年)[[10月31日]]に原告の名誉を毀損したとして、40万円の支払いを毎日放送に命じた。[[大阪高等裁判所|大阪高裁]]での[[二審]]では[[隠し撮り]]という取材手法が問題とされたが、名誉棄損は認めず一審判決を変更して10万円に減額し、最終的に[[2009年]](平成21年)[[2月13日]]に[[最高裁判所 (日本)|最高裁]]は両者の[[上告]]を退け、二審の大阪高裁判決が確定した<ref>[https://web.archive.org/web/20090217121603/http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090213/trl0902131830013-n1.htm 名誉棄損めぐり毎日放送の賠償確定 MSN産経ニュース]</ref>。
* 2005年(平成17年)[[9月]]の同局の報道番組での、兵庫県[[南淡町]]の[[談合]]疑惑に絡んだ報道で、同町が約2億8,000万円を支出した造成工事について、森紘一・元同[[市町村長|町長]]のファミリー企業が予定価格通りに落札したなどとした報道を行った。これについて、森元町長が毎日放送と[[住民監査請求]]を行った[[市民団体]]を相手にそれぞれ1,000万円の支払いを求め、神戸地裁に訴訟を起こした。同地裁は2008年(平成20年)[[9月26日]]に[[名誉棄損]]を認め、毎日放送に100万円の賠償を命じた。
* [[2006年]](平成18年)[[11月4日]]に放送した「2006[[ミズノクラシック]]」中継では、[[宮里藍]]の成績を首位に立っていないにもかかわらず「首位に立った」と表示したため、[[12月8日]]に[[総務省]]近畿総合通信局から厳重注意を受けた<!---12月8日放送他局ニュースでも報道されていた---><ref>[https://blogs.yahoo.co.jp/columnoffside/42959874.html 「宮里藍首位!」はうそー民放スポーツ中継の自殺行為] - YAHOO!ニュース2006年12月12日19:28配信</ref>。
* 2008年(平成20年)[[5月23日]]に放送されたMBSテレビ制作の全国ネットバラエティ番組『[[ランキンの楽園]]』で健康チェック「ティッシュ箱飛ばし」を紹介した際、この番組を視聴していた[[千葉県]]在住の60代女性が実践した際に怪我を負ったことが同年[[5月27日]]に明らかになった。同年[[5月30日]]には、同番組のエンディングでお詫びと視聴者に注意喚起を促すテロップをアナウンス付きで放送した。
* 2008年に収録された同局の[[特別番組]]内で行われた「番組対抗駅伝」企画で、[[吉本総合芸能学院]]大阪校に当時在籍していた男性が同年[[7月25日]]に行われた同企画の野外リハーサルで走らされた際、[[熱中症]]を発症して[[高次脳機能障害]]が残った。当時、気温は35度以上あり、運動を原則中止すべき気象条件だったにもかかわらずリハーサルを実施したことで熱中症になったことが原因で障害が残ったとして、男性は毎日放送と吉本総合芸能学院を運営する『[[よしもとクリエイティブ・エージェンシー]]』を相手取り、[[2011年]]4月に訴訟を起こした。男性側は「速やかな病院搬送など適切な対応を怠った」などと主張している。毎日放送は[[2009年]]7月に、この男性に対して約177万円を支払っているという<ref>[https://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110601-OYT1T00714.htm 番組リハで脳障害に…毎日放送と吉本子会社提訴] 読売新聞 2011年6月1日</ref>。[[2015年]][[4月17日]]に同地裁は「熱中症の後遺症ではない」などとして、原告の訴えを退けた<ref>[http://mainichi.jp/select/news/20150418k0000m040050000c.html 熱中症:元NSC生徒の請求棄却 大阪地裁] 毎日新聞 2015年4月18日</ref>。
* 2010年(平成22年)[[12月5日]]に、[[大阪府]][[堺市]]内の[[競技場|グラウンド]]で『[[くらべるくらべらー]]』の収録が行われ、「[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]の選手と子ども100人が([[サッカー]]の)試合をしたらどんなスコアになるのか」との企画で、[[セレッソ大阪]]の選手らや同球団傘下のサッカースクールに通う児童らが参加して行った。ところが、この収録中にセレッソ側のゴール前へ児童らが殺到し、うち[[小学校]]3年生の男子児童1人が転倒したうえ、この児童は他の児童に左腕を踏まれて左[[肘]][[骨折]]で全治3か月の重傷を負った<ref>[http://mainichi.jp/select/today/news/20101207k0000m040050000c.html MBS:バラエティー番組収録中、小3男児が骨折]</ref>。
* 2011年(平成23年)[[1月12日]]放送の『イチハチ』で、富裕な[[芸能人]]を紹介する特集『お坊ちゃまお嬢様芸能人No.1 決定戦』に出演していた[[日本人]]の女性[[タレント]]を、本人の事前申告を基に「[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[ニューヨーク市|ニューヨーク]]の[[建築物#建築物とビルディング|ビル]]内の部屋に居住する資産家」と紹介したが、放送後には視聴者からの指摘をきっかけに、このビル内の物件を女性タレントが所有した事実がなかった疑いが浮上した。毎日放送では同年2月4日に事実確認が不十分だったことに対する謝罪と、放送後の現地調査を基に「事実と異なる内容を放送したと客観的に疑わざるを得ない」とする見解を記した文章を同番組の公式サイトなどで発表した<ref>[https://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20110127-OYT1T00513.htm 「お嬢様の部屋」はウソ?毎日放送にやらせ疑惑] 読売新聞 2011年1月27日</ref>。
* 2011年(平成23年)[[6月26日]]に、複数の報道番組で[[平野区韓国人母娘殺害事件]]の被害者とは別人の写真を被害者として報じた。誤報事件を受け、毎日放送はチェック体制を強化すると発表した。
* 2013年(平成25年)[[12月7日]]放送の『せやねん!』では、コーナー「今週の気になるお金」で「特殊詐欺・ダイヤモンド詐欺」を取り上げた。しかし、同コーナーで紹介した具体的な手口・実例・被害金額が、前々日([[12月5日]])に読売テレビの『[[かんさい情報ネット ten!|かんさい情報ネット ten.]]』で放送されたばかりの独自取材特集「モクゲキ〜ダイヤモンド劇場型詐欺」の内容に酷似していることが、同局からの指摘で判明した。毎日放送で社内調査を進めたところ、『せやねん!』のスタッフが、読売テレビの公式サイトで配信されていた当該特集の動画の内容を同局に無断でナレーションの原稿などへ引用したことが判明した。このため、毎日放送では2013年[[12月26日]]付で「読売テレビや取材に協力された方に多大な迷惑をおかけしたことをお詫びします。放送人としてモラルを徹底させるとともに、チェック体制を見直したい」という謝罪コメントを広報部から発表する<ref>[https://web.archive.org/web/20131227053429/http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/131226/waf13122622300021-n1.htm MBS謝罪 「せやねん!」が読売テレビの取材内容を無断引用](「[[産経新聞|産経ニュースwest]]」2013年12月26日付記事)</ref> とともに、『せやねん!』の公式サイトに謝罪文を掲載した<ref>[https://www.mbs.jp/seyanen/cat657/2013/12/26-57652.shtml 当番組における他社放送内容の無断引用について|おしらせ|せやねん!]</ref>。
* 2014年(平成26年)[[8月2日]]にTBSテレビ系列全局で放送された『[[音楽の日]]』で、[[大阪府立清水谷高等学校]]合唱部に出演を依頼したが、放送前日に出演依頼を取り下げたことを公表した。その理由として、東京のスタジオと中継を結ぶ『[[情熱大陸SPECIAL LIVE SUMMER TIME BONANZA]]』([[万博記念公園自然文化園|万博記念公園もみじ川芝生広場]]にて開催)において、冠スポンサーが[[アサヒビール]]であること、ならびに会場内でアサヒビール社製品を販売していた事から、毎日放送側が未成年の出演を社会通念上避けるべきと判断したが、そのような状況を社内で充分に認識していなかったため。毎日放送は同日付で高校に謝罪し、当日の放送ではブルーバックで「このあと放送される『音楽の日』に大阪府立清水谷高校の皆さんが出演される予定でしたが、毎日放送の不手際のため、出演していただくことができなくなりました。関係者の皆さんに深くおわび申し上げます。」と謝罪のテロップを放送した。mazda(マツダ)も同じく会場内での実車展示をしていた<ref>[https://www.mbs.jp/mbs/mbsannai/140801.shtm お詫び | MBS]</ref>。
* 2017年(平成29年)[[7月16日]]に神戸市[[北区 (神戸市)|北区]]で、高齢男女など5人が殺傷される事件が発生したが、この事件に関連して、17日に放送された『[[JNNニュース]]』と『ちちんぷいぷい』に於いて、[[被疑者]]の顔写真として紹介した写真が、別人のものであったことが判明し、同局は同日夕方以降のニュース番組内で繰り返し謝罪した<ref>[https://mainichi.jp/articles/20170718/k00/00m/040/056000c 毎日放送 容疑者の写真取り違え 神戸5人殺傷事件で] 毎日新聞 2017年7月18日</ref>。
* 2017年[[12月26日]]にラジオで放送された『こんちわコンちゃんお昼ですょ!』で[[沖縄県]]における[[アメリカ軍|米軍]]基地反対運動を取り上げた際に、パーソナリティの近藤光史が、「[[中華人民共和国|中国]]や[[大韓民国|韓国]]の勢力が内部から日本を分断しようとしている」との私見や「これらの勢力が基地反対運動でも活動しており、純粋に反対運動をしている人は少ない」という趣旨のコメントを発した。 この発言について、社長の三村景一は、[[2018年]][[1月18日]]の定例記者会見の席上で「近藤の発言は不適切だった」と謝罪した。近藤に対して、沖縄の現状を改めて取材・報告させる方針を示した<ref>[https://mainichi.jp/articles/20180119/ddn/041/040/041000c 毎日放送 基地反対運動巡り、社長が謝罪 司会者の不適切発言] 毎日新聞 2018年1月19日</ref> ため、翌2月には近藤の冠番組(「こんちわコンちゃんお昼ですょ!」「日曜コンちゃん おはようさん」)で上記の方針に沿ったリポートが放送された。
* [[2023年]]([[令和]]5年)[[12月4日]]、大阪市北区のスケートリンクでテレビ番組『[[グッジョブ! (情報番組)|グッジョブ!]]』のロケを行った際、アナウンサーの[[武川智美]]がスケート靴を履いた状態で転倒し、左橈骨遠位端骨折で全治3か月との診断を受けた<ref>{{Cite news|url=https://www.daily.co.jp/gossip/2023/12/05/0017099224.shtml|title=MBS武川智美アナ スケートリンクでロケ中に転倒し左手骨折 全治3カ月の診断 レギュラー番組は今後も出演|newspaper=デイリースポーツ|date=2023-12-05|accessdate=2024-03-07}}</ref><ref>{{cite news|url=https://www.sanspo.com/article/20231205-P7A6IF2BQBKA5ISDY3BIHERCNM/| title=MBSアナウンスセンター所属の50代女性が骨折 全治3カ月 スケート靴で転倒 | newspaper=サンケイスポーツ | date=2023-12-05 | accessdate=2023-12-05 }}</ref>。
* [[2024年]](令和6年)2月27日、『[[せやねん!]]』のロケ中に[[釣船|遊漁船]]が高い波を受け揺れ、40代スタッフが腰を打ち、全治2カ月の腰椎圧迫骨折と診断された。3月6日に発表し、事故の直後、社員のディレクターが[[海上保安庁]]に乗船人数を実際より少なく偽って報告していたことも明らかにした<ref>{{Cite news|url=https://nordot.app/1138095650615985039|title=番組ロケで事故、海保に虚偽報告 毎日放送、スタッフ骨折|newspaper=共同通信|date=2024-03-07|accessdate=2024-03-07}}</ref>。
* 2024年(令和6年)6月6日、『せやねん!』のロケ中に[[お笑いタレント|お笑いコンビ]]「[[アキナ (お笑いコンビ)|アキナ]]」の山名文和が[[スケートボード]]で練習台から滑り降りた際に転倒し、右肩甲骨を骨折したことを発表した<ref>{{Cite web |title=アキナの山名さん骨折 毎日放送、ロケ中に転倒 |url=https://nordot.app/1171446091353048049 |website=共同通信 |date=2024-06-06 |access-date=2024-07-20}}</ref>。同番組において、短期間で2度もロケ中に事故が発生したことを受けて、社長の[[虫明洋一]]も定例会見において、「同じ番組で2件事故を起こしたことは反省しています」と謝罪した<ref>{{Cite web |title=MBS社長、「せやねん!」ロケ事故を謝罪「ヒヤリ・ハット事例を共有」 |url=https://www.sanspo.com/article/20240717-6NMUYW7O65JXLI4NRGIJLUAN6U/ |website=サンケイスポーツ |date=2024-07-17 |access-date=2024-07-20}}</ref>。
* 2024年(令和6年)7月18日、同社は17日に放送したバラエティー番組『[[ゼニガメ]]』において、不用品買い取り業者への密着ロケで、古い家屋にあった金庫から金の[[地金|インゴット]]が見つかる場面について、放送後、視聴者から「金庫はオークションサイトに出品されていたものではないか」との指摘があった。買い取り業者に確認したところ「自ら落札したものだ」との回答があった。番組制作会社の担当ディレクターは「知らなかった」と説明している。同局は、経緯を調査するとともに「視聴者におわびする」と謝罪した<ref>{{Cite web |title=テレビ番組で古い家屋の金庫から金のインゴット発見の場面、実はロケ参加の業者が落札したもの…毎日放送が謝罪 |url=https://www.yomiuri.co.jp/culture/tv/20240718-OYT1T50259/ |website=読売新聞 |date=2024-07-18 |access-date=2024-07-19}}</ref>。[[2025年]](令和7年)4月24日、[[放送倫理・番組向上機構]]の放送倫理検証委員会は放送倫理違反を認定する意見書を公表した<ref>{{Cite news|url=https://www.jiji.com/sp/article?k=2025042401011|title=毎日放送「ゼニガメ」に放送倫理違反 BPO|newspaper=時事通信|date=2025-04-24|accessdate=2025-04-24}}</ref>。
* 2025年(令和7年)9月26日、[[2025年日本国際博覧会|大阪・関西万博]]の会場で『[[サントリー1万人の第九|1万人の第九]] EXPO2025』の撮影のために使用した[[無人航空機|ドローン]]飛行の手続きに不備があったとして、法人としての毎日放送と撮影スタッフの社員ら3人が[[航空法]]違反容疑で大阪府警から書類送検されたと発表した。飛行に必要な複数の手続きのうち、国土交通省への「飛行計画の通報」を不要だと思い込み、手続きをしていなかったという<ref>{{Cite news|url=https://www.asahi.com/sp/articles/AST9V2STLT9VPTIL00FM.html|title=万博のドローン撮影で手続き不備容疑、毎日放送とスタッフら書類送検|newspaper=朝日新聞|date=2025-09-26|accessdate=2025-09-26}}</ref>。10月9日、同社と社員ら3人について、いずれも不起訴処分になったと発表した<ref>{{Cite web|title=毎日放送と社員ら不起訴に 航空法違反容疑で書類送検|url=https://www.jiji.com/sp/article?k=2025100901069|website=時事ドットコム|date=2025-10-09|access-date=2025-10-09|language=ja}}</ref>。
=== バラエティ番組の制作における「政治的公平性」が公に問われた事例 ===
* [[2022年]][[1月1日]]に関西ローカルで放送された新春特別番組『東野&吉田のほっとけない人』([[東野幸治]]と[[ブラックマヨネーズ]]の[[吉田敬]]が司会を務めたトーク番組)では、[[大阪維新の会]]・[[日本維新の会 (2016-)|日本維新の会]]と関係の深い[[松井一郎]]([[大阪市長]]で日本維新の会の代表)、[[吉村洋文]]([[大阪府知事]]で日本維新の会の副代表、肩書はいずれも放送の時点)、[[橋下徹]]([[弁護士]]、元・大阪府知事および大阪市長、大阪維新の会初代代表、日本維新の会の前身である国政政党・おおさか維新の会初代代表)を揃ってゲストに迎えたことに対して、政治的公平性の観点から毎日放送の内外で批判が相次いだ<ref name="asahi20220202">{{cite news |author=後藤洋平、赤田康和、江戸川夏樹 |url=https://www.asahi.com/articles/ASQ1S65HFQ1QULZU00L.html | title=「維新3人同時はまずかった」 MBS元日特番、トップが放った一言 | newspaper=朝日新聞 | date=2022-2-2 | accessdate=2022-6-13 }}</ref><ref name="tokyo-sports20220119">{{Cite web|和書|url=https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/143905 |title=吉村府知事ら“維新総出演”の番組にメス MBSが社内調査開始…問い合わせ20件 |type= |author= |website=東スポWeb |publisher=東京スポーツ新聞社 |date=2022-01-19 |accessdate=2022-01-19}}</ref>。
**『東野&吉田のほっとけない人』は、2021年1月3日から不定期で関西ローカル向けに放送。2021年内の放送回数は7回で、橋下は第1回・第2回(3月3日)・第3回(3月10日)・第6回(11月17日)、松井は第1回、吉村は第3回にもゲストで出演していた。第3回までは毎日放送のテレビ制作局(当時)がゲストのキャスティングや制作を担当していたが、毎日放送のテレビ単営局化を経て、第4回(9月1日)放送分から担当を制作スポーツ局へ移管。「政治的公平性の面で問題」とされた回は、通算で8回目(2022年の初回)放送であった。
*** 制作スポーツ局では、前身のテレビ制作局時代から「関西地方の視聴者の関心の高いゲストを招いて、(東野や吉田との)トークを通じて素顔を引き出す」という意図の下に『ほっとけない人』を制作。第1回では松井・第3回では吉村が出演したパートの視聴率がとりわけ高かったため、総合演出の担当者曰く「世間の人々が松井と吉村に高い興味を示していることを(視聴率を通じて)実感したので、2021年を総括するに当たって、(同年の時点では政界を引退している)橋下を加えた3人に出てもらえたら面白い」との認識で、第8回の放送に向けてキャスティングを企画した。番組の編成を司る総合編成局は「吉村が『現職の大阪府知事』、松井が『現職の大阪市長』という肩書で出演するのであれば高い視聴率を見込める」としてこの企画を容認したが、吉村と松井への出演交渉については報道情報局に委託。制作局長を兼務している制作スポーツ局長の[[岸本孝博]]は、以上の事情を背景に、「報道(情報局)が(出演交渉に)関与しているなら、(放送で取り上げる)内容が(報道情報局に)理解されているはず」「『制作スポーツ局と総合編成局の間で(第8回の制作をめぐる)状況が共有されている』ということは、会社(毎日放送全体)としてのオーソライズが為されているはず」と認識していたという<ref name="ishin" />。
** 毎日放送社長の虫明洋一は、第8回の放送をめぐって局の内外から政治的公平性に関する疑義が相次いだことを受けて、専務をリーダーに据えた検証チームを2022年1月17日付で発足。放送に関連した全部局の関係者からのヒアリングを通じて検証を進めたところ、以下の問題点が浮上したことから、同年3月1日に開催の第666回番組審議会で報告した<ref name="ishin">[https://www.mbs.jp/kouhou/log/26697954f6c85f5aad0f0d96661535a177d8cbe6.pdf 2022年1月1日放送「東野&吉田のほっとけない人」について 番組審議会への調査報告概要]</ref>。テレビ大阪代表取締役社長の[[田中信行]]は、2022年1月27日の新春記者会見で、「(当時毎日放送で始まったばかりの)社内調査の結果を(自社の番組制作で)参考にしたい」との意向を示したうえで、「『行政の長』として吉村や松井を(自社の番組に)招くことがあり得るにしても、大阪府内では(会見の時点で)維新(系の勢力)が非常に強いので、感覚が麻痺しないように(番組の制作や報道活動で自戒)しなければならない」との見解を述べている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.daily.co.jp/gossip/2022/01/27/0015015569.shtml|title=テレビ大阪社長「大阪は維新が強いのでマヒしないよう」MBS元日番組への指摘に絡み|type= |author= |website=デイリースポーツ |publisher=神戸新聞社 |date=2022-01-27|accessdate=2022-03-12}}</ref>。
*** 毎日放送では、松井が大阪市長・吉村が大阪府知事へ就任してから(第7回以前の『ほっとけない人』を含めた)自社制作番組へ迎える際に「大阪市長」「大阪府知事」という肩書しか用いていなかった。報道情報局でも、そのことを前提に2人へ出演を打診。担当した局員は『ほっとけない人』で予定されていた内容に疑問を持っていたものの、報道情報局自体が同番組の制作に直接関与していないため、当事者意識を持てないまま放送を容認してしまった。報道情報局長の奥田信幸によれば、「制作(スポーツ局)と(総合)編成(局)が(高い)視聴率を狙いに行った番組である以上、報道情報局としては問題と思うものの、収録済みの映像を放送しないことが難しいとも感じていた」 という<ref name="ishin" />。
*** 総合編成局では、管理職やチーフ級の局員が政治的な公平性を十分に認識していながら、制作スポーツ局が管轄している制作現場への注意喚起(途中経過の報告の要請など)を怠っていた。総合編成局で『ほっとけない人』を担当している局員も、第8回の収録に立ち会っていながら、収録された映像の編集作業までには関与していない<ref name="ishin" />。その結果、実際に放送された映像では、松井を「日本維新の会の代表」、吉村を「日本維新の会の副代表」と紹介。結果としてナレーションや橋下の発言に政治的公平性への配慮がうかがえたものの、放送法で規定されている「番組編集の自由」を裏打ちするだけの多角的な精査や組織的な検討が、制作スポーツ局にも総合編成局にも圧倒的に不足していた<ref name="ishin" />。
*** 毎日放送の総合編成局・報道情報局・制作スポーツ局には「アドバイリー制度」が設けられていて、「番組アドバイザー」に任命された局員が番組内容のチェックに当たっている。しかし、実際には表現や放送用語のチェックにとどまっていて、番組全体の問題点を網羅する機能を果たしていなかった<ref name="ishin" />。
*** 日本民間放送連盟(民放連)が定める放送基準に「政治に関しては公正な立場を守り、一党一派に偏らないように注意する」、毎日放送の放送基準で「政治に関する問題(を放送で扱う場合に)は公正な立場を守る」との一文があるにもかかわらず、このような基準に示された政治的公平性への認識が制作や編成の現場にまで正しく浸透していなかった<ref name="ishin" />。
** 毎日放送では、以上の検証結果を受けて、「『番組を担当する部局や担当者が責任を持ちつつ、民放連や自社の放送基準を順守することが番組制作の基本である』ということを、全社で改めて共有する」「いわゆる『組織の壁』による当事者意識の欠落などが生じないように、それぞれの部局の組織が内部で円滑なコミュニケーションを取れるように運営されていることを改めて確認する」「全ての社員に対して、部局ごとの役割の周知を改めて徹底させる」という姿勢を表明。全社員を対象に「政治的中立」を含む多角的なテーマの社内研修を実施するとともに、制作のプロセスにおける適切な助言や番組内容のチェックを徹底させるべく、「アドバイザリー制度を速やかに全社横断的な専門組織へ再編する」といった改善策を打ち出した<ref name="ishin" />。
*** 第666回番組審議会で上記の報告を受けた番組審議委員からは、「バラエティ番組が視聴者に及ぼす影響が他のジャンルの番組より大きいにもかかわらず、『バラエティ番組だから(出演者がどのような立場で何を語っても)許される』という甘えのようなものがなかったか」「(日本維新の会の動向に対して)批判めいたナレーションを収録後の映像へ入れてはいたが、そのことを免罪符にしてスタジオ収録でのトークを出演者に委ねる手法は、(『政治的公平性に配慮した』という)アリバイを作っているかのようで姑息に感じる」「社内の他の部門に対して意見を言えないような空気感(社内環境)の下で、一つのもの(番組)を(『組織の壁』を超えてでも社員)みんなで作り上げることへの責任感が少し欠如しているのではないか」といった指摘が相次いで寄せられた<ref>[https://www.mbs.jp/kouhou/log/c34ab956cb18701dd52156c9f9ddd89fc50ba4ea.pdf 毎日放送第666回番組審議会報告(2022年3月1日開催)]</ref>。
*** [[朝日新聞東京本社]][[論説委員]]の田玉恵美は、以上の検証結果に独自取材の成果を交えた論説記事を執筆。2022年3月16日付朝刊の『多事奏論』(専門分野の異なる複数のベテラン記者が記事の執筆を交互に担当する連載企画)に、「番組審議会 放送の自律へ、議論もっと可視化を」というタイトルで掲載された。田玉は、毎日放送に対して「(局の内外から政治的公平性を疑われるような番組を放送した)責任は厳しく問われるべきだろう」との見解を示す一方で、「『番組審議会』という外部の(有識者が参加する機関の)目を交えながら(放送内容を)検証するだけにとどまらず、視聴者に向けて検証過程の積極的な可視化に踏み切ったことは(日本の放送業界で)あまり前例がなく、(放送局における)番組審議会の役割を考えるうえで一石を投じているようにも思う」と評価している<ref name="taji-soron" />。
**** この記事では、第666回番組審議会報告書の概要に記されていない審議会の内情を、毎日放送関係者からのコメントを基に紹介。「『出演料を受け取らない』という条件で(現職の)政治家がバラエティ番組に出演することへの意図に思いが至らないのか」という指摘や、日本の都道府県の中でも(放送の時点で)新型コロナウイルス感染症に伴う死者数の水準がとりわけ高い大阪府での感染拡大対策よりも[[第49回衆議院議員総選挙]](2021年10月31日投・開票)における日本維新の会の躍進を放送で強調したことへの疑問が審議委員の一部から呈されていた一方で、毎日放送からの出席者が審議委員に対して「収録では(新型)コロナ(ウイルス感染症)の話も出たが、盛り上がらなかったため放送しなかった」と説明していたことを明らかにしている<ref name="taji-soron">{{Cite web|和書|url=https://www.asahi.com/articles/DA3S15234507.html?iref=pc_rensai_long_212_article|title=(多事奏論)番組審議会 放送の自律へ、議論もっと可視化を|type= |author=田玉恵美|website=朝日新聞デジタル|publisher=朝日新聞社 |date=2022-03-16|accessdate=2022-03-16}}</ref>。
** 毎日放送では、上記の改善策に沿って、放送法に関する社内研修を2022年4月15日に実施<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.asahi.com/articles/DA3S15276964.html|title=(取材考記)MBS「維新」問題 報告書、疑問感じた公表日|type= |author=後藤洋平|website=朝日新聞デジタル|publisher=朝日新聞大阪本社 |date=2022-04-25|accessdate=2022-06-03}}</ref>。同年6月1日には、「オートノミーセンター」を総合編成局内へ新設するとともに、同局次長の清水伸浩が初代のセンター長に就任した。「オートノミー」とは「自主」「自律」を意味する英語(autonomy)で、ラジオ放送事業の分社化(2021年4月1日)から総合編成、報道情報、制作スポーツの各局に設けていた番組アドバイザリーを集約させたうえで、他部との兼任者を含む10数名のメンバーが番組制作プロセスでの助言や制作内容のチェックに携わるという<ref>{{Cite web|和書|url=https://mainichi.jp/articles/20220601/k00/00m/040/306000c|title=毎日放送が番組チェック組織新設 維新出演、政治的公平性に対応|type= |author=谷口豪|website=デジタル毎日|publisher=毎日新聞大阪本社 |date=2022-06-01|accessdate=2022-06-03}}</ref>。
** [[放送倫理・番組向上機構]](BPO)の放送倫理検証委員会では、放送倫理上の問題の有無を判断する「審議」に入らないことを決めた<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.asahi.com/articles/ASQ615QKBQ61PCVL005.html|title=MBS、番組チェック機能強化へ新組織 維新代表ら出演の特番問題で|type= |author=西田理人|website=朝日新聞デジタル|publisher=朝日新聞大阪本社|date=2022-06-01|accessdate=2022-06-03}}</ref> うえで、[[小町谷育子]]委員長による談話を2022年6月2日に公表。「テレビ放送の政治的公平性で問われるのは、『量』ではなく『質』である」「毎日放送や番組審議会による自律的な自浄作用が理想的な形で働いた」という理由で、「紙一重」の判断ながら審議を見送ったことを明かした。そのうえで、「『審議に入らない』という結論だけが独り歩きすることによって、『ほっとけない人』に垣間見えた問題点が放送界に共有されないことを危惧する」として、2022年の7月25日までに[[第26回参議院議員通常選挙]]の投・開票が予定されていることを念頭に以下の問題点を指摘した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.bpo.gr.jp/?p=11311|title=放送倫理検証委員会 委員会決定委員長談話 「毎日放送『東野&吉田のほっとけない人』について」|type= |author=小町谷育子|website=|publisher=放送倫理・番組向上機構|date=2022-06-02|accessdate=2022-06-03}}</ref>。
*** バラエティ番組で政治問題を取り上げる場合には、話題性の高い政治家に対する視聴率重視のキャスティングが適切であるかどうかを、今一度見直す必要がある。また、「情報の提供」と「娯楽の提供」という要素が混在しているニュース番組や情報番組で、視聴率を偏重すれば『ほっとけない人』と同じようなことが起きかねない。
*** 視聴率にとらわれながら制作される番組では、コメンテーターなどの出演者の意見が過激になったり、面白さを求めるあまり情報が偏ったりする結果として、誤った印象を視聴者に与えかねない。政治に関する番組で上記の事態へ至った場合の悪影響(が甚大であること)は触れるまでもないが、『ほっとけない人』はその最たる例になっているのではないか。
***『ほっとけない人』の放送では、大阪府・大阪市による新型コロナウイルス対策を評価するうえで「行政側にとって都合の悪い」とされる事実も、行政を担っている政党(大阪維新の会)の政策についての異論や反論も一切出されていなかった。その結果として、同党の政策が一方的かつ肯定的に放送で流されたきらいがある。この放送を見る限り、「質」の面での政治的公平性を確保すべく、毎日放送が自主性を発揮しながら創意工夫を凝らした形跡をうかがうことは難しい。上記の事態は『ほっとけない人』以外の番組でも起こりうるので、毎日放送に限らず、他局の番組制作者にも「政治的公平性を質の面で担保するためには、異なる視点の提示が欠かせない」ということを忘れないで欲しい。
*** 政治を扱う番組で大切なのは、放送局が放送に至るまで、視聴者の立場で政治的公平性を真剣に議論することである。その鋭意な努力を欠いたまま制作された番組では偏った情報が流れかねないので、視聴者はこのような情報を受け取った結果として、最も大きな不利益を被ることになる。
** 第26回参議院議員通常選挙は2022年7月10日に執行されたが、松井が日本維新の会の代表を任期満了(同年10月)までに辞任することを執行日の開票前に表明したため、開票の直後から放送された『[[よんチャンTV#国政選挙の開票特別番組|よんチャンTV×選挙の日2022 政治の壁をしゃべりたおせ!参院選開票フェススペシャル]]』(JNN開票特別番組『[[選挙の日|選挙の日2022]]』の大半を自社制作で関西ローカル向けに差し替えた番組)では松井の辞任記者会見中継を挿入。虫明は7月20日の社長記者会見で「BPOが集中的な審議を紙一重で見送ったとはいえ、(上記の談話が出されるような)結果を重く受け止めている」との見解を示した<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.mbs.jp/kouhou/news/log/20220721_4244.shtml|title=社長記者会見をオンラインで開催しました|type= |author=|website=|publisher=毎日放送|date=2022-07-21|accessdate=2022-07-22}}</ref> ものの、『よんチャンTV』では同月11日(月曜日)以降の生放送にも橋下と吉村を個別に出演させている。『東野&吉田のほっとけない人』についても、2022年9月から制作と放送を再開。
 
== グループ会社 ==
=== MBSメディアホールディングス子会社 ===
{{main|MBSメディアホールディングス}}
* [[MBSラジオ]]
* [[MBS企画]]
* [[放送映画製作所]]
* [[ミリカ・ミュージック]]
* [[GAORA]]
* MBSイノベーションドライブ
* MBSファシリティーズ
* [[ピコリ]]
 
=== 持分法適用関連会社 ===
* スポーツニッポン開発(スポーツニッポンカントリー倶楽部)
* [[千代田ビデオ]]
 
=== その他非連結子会社・関連会社 ===
* [[ゾフィープロダクツ]](毎日放送×[[吉本興業]]の合弁会社)
* クリエテ関西([[大阪ガス]]との合弁。雑誌「[[あまから手帖]]」発行)
* デジタルウェーブ
* フィールズ(放送映画製作所30%出資)
* ミュー(MBS企画100%出資)
* [[ミリカスポーツ振興]]
* [[ラジオ・テレヴィ・センター]]
 
=== 友好会社・系列放送局 ===
* [[毎日新聞社]]
* [[スポーツニッポン|スポーツニッポン新聞社]]
* [[ジャパン・ニュース・ネットワーク|JNN]]
** [[TBSテレビ]]
** [[RKB毎日放送]]
** [[CBCテレビ]]
** [[北海道放送]]
** [[テレビユー山形]]
** [[テレビユー福島]]
** [[チューリップテレビ]]
** [[テレビ山口]]
** [[あいテレビ]]
 
=== 関係の深い系列外放送局 ===
* [[テレビ東京]](旧:東京12チャンネル。かつてのキー局)
* [[テレビ朝日]](旧:NETテレビ。かつてのキー局)
 
== その他 ==
[[ファイル:Osaka King.JPG|thumb|250px|[[オーサカキング]]]]
* 1963年(昭和38年)11月23日(日本時間)、[[アメリカ合衆国]]の[[ダラス]]で[[ケネディ大統領暗殺事件]]が発生した直後には、当時[[ニューヨーク]]へ駐在していた毎日放送局員(元・アナウンサー)の[[前田治郎]]が、当時の業務提携先であった[[アメリカン・ブロードキャスティング・カンパニー|ABC(アメリカ)]]本社の社長室から日本国内へ向けて日米間初のテレビ宇宙中継で事件の第一報を伝えた。アメリカでは通信衛星を利用した日本初のテレビ放送通信伝送(宇宙中継)実験が当日に2回予定されていて、2回目の実験の際に、当時の大統領[[ジョン・F・ケネディ]]によるスピーチの収録音源を放送することが決まっていた。ケネディが遊説先・ダラスでのパレード中に暗殺されたことを1回目の実験後にニューヨークで偶然知った前田は、ABCの本社へ急遽直行すると、2回目の実験に合わせて日本への国際電話によるリポートを実施。日本では、毎日放送を含む民放各局にとどまらず、NHKでも前田によるリポートの音声が流れた([[前田治郎#日米間初の「テレビ宇宙中継」でケネディ大統領暗殺事件を報道(1963年)|当該項に詳述]])。
* 在阪の民放局では初めて、気象情報部(通称「お天気部」)を報道局内の部署として設置。在阪の放送事業者では初めて気象庁から気象予報業務の実施許可を受けた(前述)ことから、2016年度の下半期からは、同部で独自に調査した天気予報をテレビ・ラジオの生放送番組やスポーツ中継で随時伝えている(2021年4月1日付で「報道情報局」に移管)。また、日本の民放ラジオ・テレビ兼営局では珍しく、ラジオでの報道系番組制作・ニュース取材を担う報道部(通称「ラジオ報道部」)をラジオ局内に設置していた(2021年4月1日付で「株式会社MBSラジオ」に移管)。
* 夜間から早朝にかけて緊急事態が発生することに備えて、[[シフト勤務|宿直勤務]]制度を実施。テレビ・ラジオニュース担当のアナウンサー(最低1名)と、制作・技術・報道部門のスタッフ数名が、毎日交代で本社内へ泊まり込んでいる。
* 『[[AERA]]』で社名入りの特集が組まれるほど、女性社員に対する福利厚生制度が充実<ref>[http://157.1.40.181/naid/40015316567/ 毎日放送はママアナがいっぱい](『AERA』2007年4月5日臨時増刊号「カラダ AERA」)を参照。</ref>。近年では、既婚の女性アナウンサーの大半が、産前産後・育児休暇を経て職場復帰を果たしている<ref group="注釈">2024年5月時点の現役アナウンサーでは、[[関岡香]]・[[古川圭子]]・[[武川智美]]・[[松井愛]]・[[西村麻子]]・[[松川浩子]]・[[上田悦子]]・[[松本麻衣子]]・[[辻沙穗里]]・[[玉巻映美]]が該当。</ref>。上記の休暇から復帰したばかりの女性社員には、一定の期間まで(早朝・深夜の時間帯を除く)短期間勤務に専念させることを社内で規定している<ref>[https://www.sponichi.co.jp/entertainment/yomimono/aland/kiji/20190429s010413F9001000c.html MBS・西村麻子アナウンサー “時短〟弁当メニューでフル勤務もお任せ](『[[スポーツニッポン]]』「在阪民放アナのリレーコラム『アナランド』」2019年4月29日付記事)</ref>。また、妻帯者である男性社員を対象に、原則として3ケ月間の[[育児休業制度]]も設けている<ref group="注釈">2021年6月3日から10月3日までは、[[西靖]]が現役アナウンサーとしては初めて、妻の第三子懐妊(後に出産)を理由にこの制度を利用。</ref>。
* 60歳の定年を迎えた社員には、嘱託社員扱いの「シニアスタッフ」として最長で5年間の勤務を認めている。アナウンサーとして定年を迎えた男性社員([[角淳一]]・[[野村啓司]]・[[松井昭憲]]など)は肩書なし(「専属パーソナリティ」という扱い)で番組への出演を続けていたが、2016年9月定年の[[美藤啓文]]以降は放送上「アナウンサー」の肩書を保っている(美藤のみラジオ制作センターへ異動、[[柏木宏之]]以降のアナウンサーはアナウンサー室に残留)。2024年5月には、アナウンス職で前月に定年を迎えていた[[関岡香]]が、女性のアナウンサーとしては初めて「シニアスタッフ」へ移行。その一方で、テレビ・ラジオ放送事業の兼営時代にアナウンサーとして定年を迎えた[[吉田智子 (アナウンサー)|吉田智子]]・[[水野晶子]]は、60歳の誕生月末日付で退職している。
**ラジオ放送事業の分社化に際しては、ラジオ制作センターの業務が2021年4月1日付で「株式会社MBSラジオ」に移管されたため、同センターに所属していた「シニアスタッフ」の一部(石田など)が毎日放送に籍を置いたままクリエイトサポート局や経営戦略局(前述)へ異動。株式会社MBSラジオコンテンツデザイン局のプロデュースセンターへの出向扱いで、ラジオ番組への出演や業務を続けている。
* ラジオの[[天気予報]]を、『'''[[お天気のお知らせ]]'''』という呼称で統一。かつては、テレビの天気予報のタイトルにも用いていた。
* 週末や祝日に[[日本中央競馬会]](JRA)が実施する[[重賞競走]]をラジオで定期的に中継するほか、以下の重賞競走に対して「毎日放送賞」を寄贈している。
** [[京都大障害]](1959年 - 1983年)
** [[京都4歳特別]](1984年 - 1999年)
** [[スワンステークス]](2000年 - )
*** 他にTBS系列局で中央競馬の重賞競走を寄贈しているのは[[中部日本放送]]が寄贈する[[CBC賞]]がある。(かつてはキー局のTBSも[[クモハタ記念]]という重賞競走を寄贈していた。)
* 阪急電鉄大阪梅田駅2階JR線連絡通路、[[阪神電気鉄道|阪神電鉄]]大阪梅田駅地下1階東側出入り口、[[西日本旅客鉄道|JR西日本]]大阪駅御堂筋口に広告スペースを常設している。
** 阪急大阪梅田駅通路にはドラマの広告、阪神大阪梅田駅には野球中継の広告を掲示。かつては、茶屋町の本社社屋に近い阪急中津駅の西側フェンスに、大量の広告看板を設置(現在は撤去)。JR大阪駅には、駅構内の改良工事で巻き取り式の広告スペースが設けられた当初から、自社制作のバラエティ番組やドラマ、[[らいよんチャン]]の広告を出していた(2008年10月で終了)。
**また、2020年3月までは長らく、[[戎橋]]の南西側に建つ道頓堀観光ビルの東側壁面にも番組単位での大型看板を設置。『[[イチハチ]]』、『[[EXILE魂]]』、『ちちんぷいぷい』(2014年度)、『[[サタデープラス]]』(2015・16年度)、『[[所さんお届けモノです!]]』(2017年度上半期)、『[[教えてもらう前と後]]』(2017年度下半期 - 2018年度下半期)、『ミント!』(2019年度)の順にPR看板を出していた(『ちちんぷいぷい』『サタデープラス』『ミント!』以外は東京支社制作の全国ネット番組)。この場所は「大阪を代表するスポット」として日本の国内外で頻繁に紹介されているため、上記の看板が他局のテレビ番組のロケ映像へ写り込むことも多かった(2020年度上半期からは[[ファンケル]]の看板を設置)。
* 2004年(平成16年)から2008年(平成20年)までの夏季には、[[オーサカキング]]([[大阪城公園]]を中心に実施されたイベント)を主催。開催期間中には、特別番組や『ちちんぷいぷい』内で連動企画を放送していた。
* [[情報番組]]などに[[芸能レポーター|芸能リポーター]]らが登場することはほとんどないが、ディレクターが[[記者]]などとして、出演することなどがある。
** リポーターなどは出演しないが、独自の目線で独占インタビューなどを頻繁に『ちちんぷいぷい』内などで放送しており、[[タレント]]や[[俳優]]などのこれまでとは違う一面を引き出しているためリポーターを出演させなくてもやっていけるということを証明している。その一方で、一部のテレビ・ラジオ番組には、KOZOクリエイターズ所属のリポーター([[井上公造]]→[[駒井千佳子]]→中西正男)や『[[スポーツニッポン]]』大阪本社の芸能担当記者を定期的に出演させている。
* 2005年(平成17年)シーズン、[[阪神タイガース]]は前半戦首位を独走したものの、後半戦に入ると[[中日ドラゴンズ]]の猛追を受け、ついに0.5ゲーム差まで迫られてしまった。このままでは逆転されてしまうということで、「阪神優勝してよん ドリームズカムつる〜」というイベントを実施した。これはタイガースの優勝をファンと、『ちちんぷいぷい』の[[角淳一]]、『せやねん!』の[[トミーズ]]、『[[っちゅ〜ねん!]]』(当時)の[[上泉雄一]]で後押ししようというキャンペーンで、毎日放送社屋内と[[阪神百貨店]]内に特別ブースが設けられた。その後阪神が優勝したので優勝特別番組で100万羽の折り鶴が舞った。「この企画が無かったら本当に逆転されていた」と[[トミーズ雅]]は語っている。その後、この折り鶴は[[阪神甲子園球場|甲子園球場]]近くの[[廣田神社]]で燃やされた。
** 2007年(平成19年)シーズンも、9月18日から阪神の日本一を祈願して、阪神がナゴヤドームで行われたクライマックスシリーズ第1ステージで敗退した翌日の10月15日まで「ドリームズカムつる〜2007」を『ちちんぷいぷい』と『せやねん!』の共同キャンペーンとして開催した。2007年(平成19年)シーズンでは、阪神タイガースの[[黄色]]に加え、[[金本知憲]](外野手、背番号6)の活躍を祈って[[金色]]、[[赤星憲広]](外野手、背番号53)の活躍を祈って[[赤]]、[[藤川球児]](投手、背番号22)の活躍を祈って[[藤色]]、[[桜井広大]](外野手、背番号51)の活躍を祈って[[桜色]]の折り紙で鶴を折ることが出来た。それと同時に、毎日放送玄関前では『ちちんぷいぷい』のコーナー「今日のポン」が「目指せ!阪神ニッポンイチ」と題して行われた(ポンの時間: 平日は午後2時、午後2時50分ごろ、午後4時ごろ、午後5時ごろの4回、土・日・祝日は午後3時の1回)。終了後、その折り鶴は前と同じく廣田神社で奉納された。
** 2008年(平成20年)シーズンには、8月26日から「MBSめざせ阪神優勝キャンペーン 笑虎 (タイガースマイル)2008」が行われた。内容は阪神タイガースがセントラル・リーグ優勝を決めた夜に毎日放送で放送される「優勝特番」で選手が最高の笑顔を見せるような"一品"をプレゼントするというもの。"一品"の情報を提供し、特番で紹介された場合、その視聴者には"一品"とともに、笑顔の選手の生写真をプレゼント。しかし阪神がセ・リーグ優勝を逃したため、この企画は幻となった。
** 2012年(平成25年)以降のシーズン中には、毎日放送グループ(MBSテレビ・MBSラジオ・GAORA)のコラボレーションによる阪神応援キャンペーン「[[猛虎ファイル#毎日放送グループのコラボレーション企画「with Tigers」|with Tigers]]」を展開している。{{main|猛虎ファイル#『withタイガース』への改題後}}
* 毎日放送の公式サイトがリニューアルした際にトップページに、「今週のMBSには、こんな人が出ます!」と題して1週間の内にローカル・全国ネット問わず、毎日放送で放送されるテレビ番組に出演するタレント・俳優・スポーツ解説者・アナウンサーがレギュラー・ゲスト問わず表記されている。毎日放送以外にもキー局TBSテレビ・ラジオや他の系列局の番組に出演する者も含まれる。再放送の関係で故人も名を連ねることもある。人名の横には回数も併記されている。ほぼ全員載せているのは珍しい。ただし、自社制作・他系列問わずアニメ番組([[毎日放送制作土曜夕方6時枠のアニメ|土6]]枠や[[アニメシャワー]]枠など)に出演している[[声優]]の名前は表記されない。
* トップページにある当日の番組表で、MBSテレビで放送されるすべての番組を対象として「おもしろかった番組投票」を実施している。結果は翌日に発表される。
* 公式サイトにあるアナウンサーのウェブページから、全員の顔が載ったものや、特定の人のみが載った[[デスクトップの背景|壁紙]]が無料配信されている。
* 設立当初から放送局の方針上、テレビでは長らく[[創価学会]]と[[聖教新聞]]の[[コマーシャルメッセージ|テレビCM]]を流していなかった。ただし、ラジオでは1990年代初期まで流し、一時中断後2009年(平成21年)から提供番組内のみ再開しているほか、[[創価大学]]や、[[国政選挙]]期間中に限り[[公明党]]も流している。テレビでは2010年(平成22年)9月から「キー局の名のもとに」との立場から、TBSテレビ発の『アッコにおまかせ』のスポンサーネットで聖教新聞のCMが放送され、MBSテレビもそのまま受けている(2011年9月末まで)。また、TBSテレビやCBCテレビ制作の全国ネット番組で聖教新聞がスポンサーの場合もそのまま放送される。また、2012年4月から自社制作番組の番組スポンサー参加及びスポットCMへの出稿を段階的に受けて入れている。
* テレビ番組に使用されるフォントは、『痛快!明石家電視台』や『[[ジャイケルマクソン]]』などを中心に [https://www.vdl.co.jp/ 視覚デザイン研究所] のロゴGやロゴ丸をかつては多く使用していたが、2018年時点では同社フォントの使用を止めており、[[フォントワークス]]のフォントを中心に使用している。これは在阪他局も同様である。
* [[阪神・淡路大震災]]の取材を担った放送局として、ラジオのレギュラー番組(『[[ネットワーク1・17]]』『[[住之江競艇レース結果・地震防災メモ|地震防災メモ]]』)や自社制作のラジオCMを通じて、普段から地震・防災関連の情報を積極的に提供している。また、本社内では毎晩、大地震発生直後の報道を想定したリポートなどの訓練を実施<ref>[https://www.mbs.jp/announcer/blog/15/201702.shtml 田丸一男アナウンサーがMBSアナウンサーページ内で開設する公式ブログ『田丸一男のことばエッセイ』2017年2月15日付記事「~が見て取れます」]</ref>。さらに、大地震や大津波の発生に備えて、報道局の主導による本格的な災害放送訓練を毎年実施している。
** 阪神・淡路大震災が発災した[[1月17日]]には、前夜から「阪神・淡路大震災 1・17のつどい」(震災犠牲者追悼行事)が開かれる[[東遊園地]](神戸市中央区)からの生中継リポートを、テレビ・ラジオとも発災時刻の5:46前後に関西ローカル向けに放送している。
** [[東日本大震災]]の発災直後には、ラジオを中心に、独自の方針による報道特別番組や被災地の復興支援番組『[[ネットワーク1・17|ネットワーク3・11]]』を長時間にわたって放送した。また、「MBS災害復興基金」という名義で、自社専用の義援金口座を設置。2011年3月30日までは、本社やサービスエリア内の繁華街(大阪・梅田、神戸、京都)において、複数のアナウンサー・ラジオパーソナリティや同局と縁の深い芸能人・スポーツ関係者が交代で街頭に立って義援金への協力を呼び掛けていた。2012年以降も、『ちちんぷいぷい』『ネットワーク1・17』などのレギュラー番組や、『映像』シリーズ(テレビのドキュメンタリー番組枠)で東日本大震災被災地への追跡取材企画を定期的に放送している。
** 2011年9月にも、[[平成23年台風12号]]で和歌山県・奈良県の南部に甚大な被害が出たことを受けて、「MBS災害復興基金」の下に同様の活動を展開している。同年6月には、ラジオの[[聴取率調査週間]]に合わせて設定される「MBSラジオ スペシャルウィーク」において、被災地の復興支援キャンペーンを実施した。また、2016年4月に発生した[[熊本地震 (2016年)|熊本地震]]の直後にも、アナウンサーが番組やイベントなどで「MBS災害復興基金」への協力を呼び掛けた。
* 在阪局で最も早く[[国際連合]]の「[https://www.unic.or.jp/news_press/features_backgrounders/30330/ SDGsメディア・コンパクト]」に参加していることから、ラジオで『ばんぱく宣言 われら21世紀少年団』内に[[SDGs]]関連のコーナーを設けているほか、テレビで2020年4月から『[[浅越ゴエ|ゴエ]]が行く!らいよんチャンSDGsニュース』を毎週月曜日にレギュラーで放送。SDGsが17項目の目標を掲げていることにちなんで、同年10月第4週(19日)から2021年3月1日までは、「SDGsのススメ」(17人の現役アナウンサーが取材と報告を分担するコーナー)を毎週月曜日に『ちちんぷいぷい』へ組み込んでいた<ref name="SDGs" />。毎日放送と株式会社MBSラジオは、このような活動を背景に、2021年10月に「TEAM EXPO 2025」の「共創パートナー」として登録された<ref name="2025EXPO" />。
* 開局以来、局の方針としてテレビでは[[創価学会]]([[聖教新聞社|聖教新聞]]を含む)のCMは一切受け入れてこなかったが、『[[アッコにおまかせ!]]』の[[2010年]](平成22年)9月5日放送分で、TBSがPT参加企業の1つとして[[聖教新聞社|聖教新聞]]名義での出稿を受け入れたため、以降はTBSネットワーク全国スポンサードネット番組、かつ制作局と同時ネットの場合に「キー局の名の下に」受け入れるようになった。[[2012年]](平成24年)4月改編でスタートした『[[衝撃速報!アカルイ☆ミライ]]』では、MBS製作の全国ネット番組と、創価学会本体名義での出稿についても解禁された。関西ローカルで流れる[[スポットCM]]については、2012年9月に[[聖教新聞]]のCMを受け入れた。{{main|TBSテレビ#特色|聖教新聞#広告出稿|河内一友#創価学会との取引再開}}なお、ラジオでは[[2009年]](平成21年)4月改編で時間帯を限定して[[河内一友#創価学会との取引再開|受け入れを再開した]]他、[[創価学会|学会]]直系の[[学校法人創価大学|学校法人]]が管理運営する[[創価大学]]は出稿者として認めている。また国政選挙運動期間中の[[公明党]]のCMは法解釈上[[政見放送]]や[[選挙公報]]と同様の扱いを受け、局側の都合だけでは事実上拒否できないこともあって一般企業と同じ有償扱いで受け入れている(この姿勢は、[[関西テレビ放送|関西テレビ]]と[[テレビ熊本]]でもほぼ同様だが、これらの2局はMBSよりも厳しく、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]をはじめとするフジテレビ系列([[フジニュースネットワーク|FNN]]/[[フジネットワーク|FNS]])各局制作のスポンサードネット番組にタイム契約での出稿があったとしても容赦なく[[ACジャパン]]等他のCMに差し替える。このためフジテレビ系列各局もスポンサードネット番組への創価学会関連組織のCM出稿受け入れに消極的になっている)<!--雑誌「放送レポート」過去の発売号においてこの件への記述がみられる。(具体的な発行号は失念ながら、国立国会図書館にて閲覧可能)-->。
{{main|関西テレビ放送#その他|テレビ熊本#補足}}{{see also|河内一友#創価学会との取引再開|在阪テレビジョン放送局#民放在阪4局or民放在阪広域局|政見放送#内容と傾向とハプニング}}
* 日本国内で[[新型コロナウイルス感染症の流行 (2019年-)|新型コロナウイルスへの感染が拡大している]]2020年には、3月中旬から番組の制作・放送体制を徐々に変更。レギュラー番組の制作スタッフに2班体制を導入したり、在阪民放テレビ局では最も早く4月7日(月曜日)から5月31日(日曜日)まで全番組の収録を見合わせたりするなど、感染拡大の一因とされる[[感染経路#飛沫感染|飛沫感染]]の回避に努めている<ref>[https://www.mbs.jp/kouhou/news/log/200415.pdf 新型コロナウイルスに関する当社の対応状況について](毎日放送[[2020年]][[4月15日]]付プレスリリース)</ref>。取締役として制作局・東京制作局・アナウンサー室を統括していた[[岡田公伸]]が、感染に伴う心筋症によって4月9日(木曜日)に60歳で急逝して<ref>[https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2020/04/09/kiji/20200409s00041000295000c.html MBS取締役・岡田公伸氏死去「家族が驚くほどの急変」浜田雅功とも「4時ですよ~だ」時代から旧知の仲](『[[スポーツニッポン]]』[[2020年]][[4月9日]]付記事)</ref> からは、感染拡大への防止策を強化。本社制作の生放送番組へレギュラーで出演している首都圏在住者については、自宅などの滞在先や、東京支社スタジオからの生中継による「リモート出演」で対応していた。岡田がテレビ制作局のプロデューサー時代に立ち上げた『ちちんぷいぷい』でも、スタジオ出演者の座席の間隔を「[[社会距離拡大戦略|社会的距離]]」とされるおよそ2mにまで拡大したほか、新型コロナウイルス感染関連のニュース・企画を中心に据えた構成に変更。2020年の4月改編から関西ローカル番組へ戻ったことも背景に、同月20日(月曜日)から5月29日(金曜日)までは、スタジオ(ライブセンター)を共用する『ミント!』の放送枠と暫定的に合体したうえで、『[[ちちんぷいぷいの特別番組一覧#『おうちにいようよ(→あしたのために) ちちんぷいぷい&ミント!』(2020年)|おうちにいようよ(→あしたのために) ちちんぷいぷい&ミント!]]』を放送した。もっとも、感染拡大の影響で毎日放送グループの収益が急速に悪化したことに伴う収益構造見直しの一環として、『ちちんぷいぷい』『ミント!』とも2021年3月で終了。3月29日からは、両番組の後継番組として平日の夕方に『よんチャンTV』、関連番組として土曜日の午後に『[[よんチャンTV|土曜のよんチャンTV]]』を関西ローカルで放送している。『よんチャンTV』では、6月に複数のスタジオ出演者から新型コロナウイルスへの感染が確認されるなど、短期間で放送体制の見直しを余儀なくされている。
 
== 関連人物 ==
* [[榎本恒幸]]
* [[丸谷嘉彦]](元東京支社所属プロデューサー、2007年に定年退職)
* [[諸冨洋史]]
* [[丸山博雄]](東京支社所属、アニメ・深夜ドラマ部門のチーフプロデューサー)
* [[福岡元啓]](東京支社所属、『[[情熱大陸]]』などドキュメンタリー番組のチーフプロデューサー)
* [[大谷邦郎]]
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"|2}}
=== 出典 ===
{{Reflist|3}}
 
== 参考文献 ==
* 辻一郎『私だけの放送史』清流出版2008。
 
== 関連文献 ==
* {{Citation |和書 |date=1961-12-15 |editor=毎日放送 |title=毎日放送十年史 |publisher=毎日放送 |url={{NDLDC|2496354}} |ref={{SfnRef|毎日放送|1961}}}}{{要登録}}(非売品)
 
== 外部リンク ==
{{Commonscat}}
* {{Official website|name=MBS 毎日放送}}
 
{{毎日放送グループ}}
{{JNN}}
{{キー局}}
{{Tv-kansai}}
{{毎日新聞社}}
{{大阪都市景観建築賞第35~39回}}
{{ANN}}
{{民間放送教育協会}}
 
{{Normdaten}}
{{デフォルトソート:まいにちほうそう}}
[[Category:毎日放送|!]]
[[Category:日本民間放送連盟会員|27まいにちほうそう]]
[[Category:日本ラジオ広告推進機構加盟局|56まいにちほうそう]]
[[Category:大阪市北区の企業]]
[[Category:吹田市の歴史]]
[[Category:大阪府のマスメディア]]
[[Category:近畿地方のテレビ局]]
[[Category:アニメに関係する企業]]
[[Category:ACジャパン正会員企業・団体]]
[[Category:2016年設立の企業]]
[[Category:梅田]]
[[Category:堂島]]
[[Category:ガラス建築]]