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{{サッカー選手
|名前=ポール・スコールズ
|画像=P Scholes.jpg
|画像サイズ=250px
|画像の説明=現役時代のスコールズ (2008年)
|本名=
|愛称=ジンジャー・プリンス<ref>[https://number.bunshun.jp/articles/-/130572 さようなら、スコールズ。マンU、1999年の三冠組は今?]</ref><br />スコールジー
|カタカナ表記=
|アルファベット表記=Paul Scholes
|原語名=
|原語表記=
|国={{ENG}}
|誕生日={{生年月日と年齢|1974|11|16}}
|出身地=[[サルフォード]]
|身長=168cm<ref name="profil">[https://www.premierleague.com/players/336/Paul-Scholes/overview Paul Scholes Profile.]</ref>
|体重=70kg
|所属チーム名=
|ポジション=[[ミッドフィールダー|MF]] (OMF、CMF)
|背番号=
|利き足=右足
|ユースクラブ={{Flagicon|ENG}} [[マンチェスター・ユナイテッドFC|マンチェスター・ユナイテッド]]
|ユース年=1991-1992
|年1=1992-2011|クラブ1= {{Flagicon|ENG}} [[マンチェスター・ユナイテッドFC|マンチェスター・ユナイテッド]]|出場1=466|得点1=102
|年2=2012-2013|クラブ2= {{Flagicon|ENG}} マンチェスター・ユナイテッド|出場2=33|得点2=5
|totalcaps=499|totalgoals=107
|クラブ成績更新日=
|代表年1=1997-2004|代表1={{ENGf}}<ref>{{Cite news|title=Paul Aaron Scholes - International Appearances|publisher=The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation|url=https://www.rsssf.org/miscellaneous/scholes-intl.html|language=英語}}</ref>|代表出場1=66|代表得点1=14
|代表成績更新日=
|監督年1=2011-2012|監督チーム1={{Flagicon|ENG}} マンチェスター・ユナイテッド(コーチ)
|監督年2=2015|監督チーム2={{Flagicon|ENG}} [[サルフォード・シティFC|サルフォード・シティ]](監督代行)
|監督年3=2019|監督チーム3={{Flagicon|ENG}} [[オールダム・アスレティックAFC|オールダム]]
}}
'''ポール・スコールズ'''({{En|Paul Scholes}}, [[1974年]][[11月16日]] - )は、[[イギリス]]([[イングランド]])・[[サルフォード]]出身の元[[プロサッカー選手|サッカー選手]]、現サッカー指導者・解説者。ポジションは[[ミッドフィールダー]]。元[[サッカーイングランド代表|イングランド代表]]。
1994年にデビューして以降[[マンチェスター・ユナイテッドFC]]に2013年まで在籍していた。イングランド代表選手として、[[1998 FIFAワールドカップ|1998年]]と[[2002 FIFAワールドカップ|2002年]]に開催された[[FIFAワールドカップ|ワールドカップ]]、[[UEFA EURO 2000|EURO2000]]、[[UEFA EURO 2004|EURO2004]]に出場している。
マンチェスター・ユナイテッドでは公式戦で650試合以上に出場し、歴代4位の出場記録数を誇っている。キャリアを通して120枚以上の[[イエローカード]]を提示されており、10度の退場処分を受けている<ref>[http://www.statbunker.com/football/ktg/index.php?PL=ktgalltime&Code=UCL&statType=bookings UEFA Championship League / All Time / Most Bookings]</ref><ref>[http://soccernet.espn.go.com/columns/story/_/id/899461/ask-norman:- Roy's record and getting shirty]</ref><ref>[http://www.dailymail.co.uk/sport/football/article-1377910/Graham-Poll-Paul-Scholes-pass-tackle-less.html Scholes must pass more and tackle less if he is to be remembered as a great]</ref>。
== 生い立ち ==
スコールズは、[[グレーター・マンチェスター]]に位置する[[サルフォード]]にある、ホープ・ホスピタルでステュワートとマリナの元に生を受けた。スコールズが18ヶ月の時に家族はグレーター・マンチェスターに位置するミドルトンのラングレイ地区に移った<ref>[http://www.bbc.co.uk/manchester/content/articles/2007/04/02/020407_langley_scholes_feature.shtml BBC Radio Manchester Features]</ref>。[[オールダム・アスレティックAFC|オールダム・アスレティック]]のサポーターであったが、初めてプレイしたクラブは、ラングレイ・ファロウズであった。また、[[クリケット]]でも優れた才能を発揮していた。14歳から[[マンチェスター・ユナイテッドFC]]でトレーニングを受け始め、1991年の夏にクラブと練習生契約を結んだ<ref>[https://www.theguardian.com/football/2008/may/18/manchesterunited.championsleague1 Simply the best]</ref>。
== クラブ経歴 ==
スコールズは、[[デビッド・ベッカム]]、[[ニッキー・バット]]、[[ガリー・ネヴィル]]、[[ライアン・ギグス]]らと異なり、1992年のFAユースカップ優勝メンバーではないが、[[フィリップ・ネヴィル]]と同様、翌シーズンのFAユースカップ決勝に進んだメンバーの一人である<ref>[http://news.scotsman.com/davidbeckham/Old-Trafford-band-of-brothers.2435209.jp Old Trafford band of brothers prepare for split]</ref>。[[1993年]][[7月23日]]にプロ契約を結んだが、チームでブレイクしたのは、1994-95シーズンであり、リーグ戦で17試合に出場し、5得点を挙げた。トップチームデビューとなったのは、[[1994年]][[9月21日]]に行われた[[フットボールリーグカップ|リーグカップ]]の[[ポート・ヴェイルFC]]戦であり、その3日後に行われた[[イプスウィッチ・タウンFC]]戦でプレミアリーグデビューを果たした。チームは2-3で敗れたが、スコールズは初得点を記録した。1995年の[[FAカップ]]決勝には交代で出場したが、チームは0-1で[[エヴァートンFC]]に敗れた。
1994-95シーズンを最後に[[マーク・ヒューズ (ウェールズのサッカー選手)|マーク・ヒューズ]]が[[チェルシーFC]]に去り、スコールズは多くの出場機会を得るようになった。[[エリック・カントナ]]が長期の出場停止を受けていたため、シーズン序盤の2ヶ月は、[[アンディ・コール]]と組み、フォワードとして出場した。公式戦を通して、14得点を挙げ、ユナイテッドは、イングランドのクラブで初めてダブルを2度達成したクラブとなった<ref>[http://azby.search.nifty.com/websearch/search?select=1077&cflg=%8C%9F%8D%F5&htmltype=2&Text=www.soccerhistory.org.umanchesterunited.championsleague1 Spccoer Milestones]</ref>。翌シーズンもリーグタイトルを獲得したが、3ゴールに留まった。
1997-98シーズンは、[[ロイ・キーン]]が9月の終わりに膝を負傷し、チームを離脱したため、代わりに中盤でプレイしたが、ユナイテッドはメジャータイトルを一つも獲得することなくシーズンを終えた。これは、1990年代で2度しかないことだった<ref>[http://www.manutd.com/default.sps?pagegid={EE4D6083-FCB8-4FAB-A765-75E2B0F4B4E0} Club Trophy Room, ManUtd.com]</ref>。
1998-99シーズンは、[[プレミアリーグ]]、[[FAカップ]]、[[UEFAチャンピオンズリーグ|チャンピオンズリーグ]]のトレブルを達成したシーズンであるが、スコールズは中心選手の一人であった。[[ニューカッスル・ユナイテッドFC]]とのFAカップ決勝では、得点を決め、チャンピオンズリーグ準々決勝の[[インテルナツィオナーレ・ミラノ|インテル]]戦では、アウェイゴールを挙げるなどの活躍をしたが、決勝戦は累積警告で出場停止となった<ref>[https://www.telegraph.co.uk/sport/football/2301091/Champions-League-final-Paul-Scholes-deserves-European-Cup-success-says-David-Beckham.html Champions League final: Paul Scholes deserves European Cup success, says David Beckham]</ref>。
2002-03シーズンは、リーグ戦で自己最多の14得点を挙げた。翌シーズンはリーグ戦での得点数は減ったものの、FAカップでは自己最多の4得点を挙げた。2005年の[[FAカップ]]では、チームの決勝進出に貢献したが、決勝のPK戦で[[イェンス・レーマン]]に止められてしまい、[[アーセナルFC]]に敗れた。2005-06シーズンは、シーズンの後半を目が霞むという症状の視力障害のために棒に振ってしまった。原因が不明であり、現役を引退しなければならない恐れもあったが、克服しシーズン最終戦の[[チャールトン・アスレティックFC|チャールトン・アスレティック]]戦に出場を果たした。しかし、完全には回復しなかったと伝えられている<ref>[http://www.manutd.com/default.sps?pagegid=%7BB4CEE8FA%2D9A47%2D47BC%2DB069%2D3F7A2F35DB70%7D&newsid=375605 Papers: Scholes still troubled]</ref>。
2006年10月22日の2-0で勝利した[[リヴァプールFC]]戦に出場し、リーグカップのポート・ヴェイル戦でデビューしてから、12年目で公式戦500試合出場を達成した9人目の選手となり、[[ボビー・チャールトン|サー・ボビー・チャールトン]]、[[ビル・フォルケス]]、[[デニス・アーウィン]]、そして、チームメイトの[[ガリー・ネヴィル]]、[[ライアン・ギグス]]と言った選手たちの仲間入りを果たした。スコールズは、500試合目の出場となったリヴァプール戦でゴールを挙げた<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/eng_prem/6050692.stm Man Utd 2-0 Liverpool]</ref>。
1-0で勝利した2007年3月3日のリヴァプール戦では、[[シャビ・アロンソ]]に対して腕を振り、退場処分となった。これは、2005年4月以来の出来事であった<ref>[http://soccernet.espn.go.com/report?id=199371&cc=4716 Liverpool 0-1 Man Utd: O'Shea stuns Anfield]</ref>。1ヶ月後のチャンピオンズリーグ準々決勝ファーストレグの[[ASローマ]]戦でも退場となった。8月23日には、[[イングランドサッカー殿堂]]の候補に選ばれた。
[[File:Paul Scholes vs Man City.jpg|thumb|[[2008年]][[2月10日]]の[[マンチェスター・シティFC|マンチェスター・シティ]]戦に敗れた後のスコールズと[[オーウェン・ハーグリーヴス]]]]
2007年10月23日の[[FCディナモ・キーウ|ディナモ・キーウ]]戦を前にした練習中に膝の靭帯を損傷してしまい、2008年1月まで、チームを離脱することになり、FAカップ4回戦の[[トッテナム・ホットスパーFC]]戦で途中出場し、復帰を果たした。2008年4月23日の[[FCバルセロナ]]戦でチャンピオンズリーグ通算100試合出場を達成し、セカンドレグではチームを決勝進出に導く唯一のゴールを挙げたが<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/europe/7368730.stm Man Utd 1-0 Barcelona (agg 1-0)]</ref>、その後のリーグ戦で[[クロード・マケレレ]]と接触し、負傷してしまった。チェルシーとの同国対決となった決勝戦で復帰を果たし、試合中に鼻骨を骨折したがライアン・ギグスと87分に交代するまで出場した。PK戦の末にチームは6-5で勝利し、クラブは3度目となるチャンピオンズリーグ優勝を果たした<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/europe/7406252.stm Man Utd earn dramatic Euro glory]</ref>。
2008年9月、スコールズは殿堂入りを果たした<ref>[http://www.nationalfootballmuseum.com/pages/fame/Inductees/paulscholes.htm Paul Scholes Hall of Fame Profile]</ref><ref name="#1">[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/teams/m/man_utd/7408010.stm Why Scholes is Man Utd's talisman]</ref>。2008年12月の『[[デイリー・ミラー]]』に掲載されたインタビューでは、2年以内に引退するつもりだと明かした<ref>[http://www.mirrorfootball.co.uk/news/Paul-Scholes-reveals-he-plans-to-retire-from-Manchester-United-in-two-years-article37882.html Paul Scholes reveals he plans to retire from Manchester United in two years]</ref>。
[[2009年]][[1月24日]]のFAカップのトッテナム戦でシーズン初得点を挙げ<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/fa_cup/7842634.stm Man Utd 2-1 Tottenham]</ref>、2月8日の[[フラムFC]]戦でリーグ戦初得点を挙げた<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/eng_prem/7884148.stm Man Utd 3-0 Fulham]</ref>。2-0で勝利した4月22日の[[ポーツマスFC]]戦で公式戦通算600試合出場を果たした<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/eng_prem/8000560.stm Man Utd 2-0 Portsmouth]</ref>。
[[2010年]][[2月16日]]に行われたチャンピオンズリーグの[[ACミラン]]戦でゴールを決め、3-2で勝利したが、ミラン相手にアウェイゴールを奪ったのはクラブにとって初めてのことであり、スコールズは、[[スタディオ・ジュゼッペ・メアッツァ|サン・シーロ]]で[[ミラノ]]を本拠地とする[[インテルナツィオナーレ・ミラノ|インテル]]とミランからチャンピオンズリーグの試合でゴールを決めた初めての選手となった<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/europe/8515983.stm AC Milan 2-3 Man Utd]</ref>。[[2010年]][[3月6日]]に行われた[[ウルヴァーハンプトン・ワンダラーズFC]]戦でこの試合唯一となるゴールを挙げ、100得点を記録したプレミアリーグ史上19人目の選手となった<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/eng_prem/8549642.stm Wolverhampton 0-1 Man Utd]</ref>。[[2010年]][[4月16日]]に契約を一年延長し、2010-11シーズン終了後までクラブに留まることになった<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/teams/m/man_utd/8625068.stm Paul Scholes signs new one-year contract with Man Utd]</ref>。
2010-11シーズンは、[[2010年]][[8月8日]]に行われたコミュニティー・シールドのチェルシー戦でマン・オブ・ザ・マッチに選出され<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/8895987.stm Man Utd boss Alex Ferguson praises Paul Scholes display]</ref>、開幕戦となったニューカッスル・ユナイテッドFC戦では2ゴールをアシストした<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/eng_prem/8906329.stm Man Utd 3-0 Newcastle]</ref>。8月22日に行われたフラム戦でクラブでの公式戦通算150ゴールを達成し<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/eng_prem/8927954.stm Fulham 2-2 Man Utd]</ref>、2010年8月の月間最優秀選手に選出された<ref>[http://www.premierleague.com/page/Headlines/0,,12306~2150165,00.html Scholes is Barclays Player of the Month]</ref>。[[2011年]][[4月16日]]に行われた[[FAカップ]]準決勝の[[マンチェスター・シティFC]]戦では退場処分を受け、チームも0-1で敗れた<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/fa_cup/9457489.stm Man City 1-0 Man Utd]</ref>。
[[2011年]][[5月31日]]に現役引退を表明。翌2011-12シーズンはコーチとしてクラブに留まることになった<ref>[http://www.manutd.com/en/News-And-Features/Football-News/2011/May/scholes-retires.aspx Scholes retires - but stays at OT]</ref>。
引退から約半年後の[[2012年]][[1月8日]]、現役復帰することが発表された<ref>[http://www.goal.com/jp/news/74/イングランド/2012/01/08/2836470/ユナイテッドスコールズが現役復帰 ユナイテッド、スコールズが現役復帰]goal.com 2012年1月8日</ref>。同日のFAカップのマンチェスター・シティ戦でベンチ入りし、64分から出場した。
[[2012年]][[9月15日]]、[[ウィガン・アスレティックFC|ウィガン]]戦で公式戦通算700試合出場を達成。自身もゴールを飾り試合は4-0で勝利している。
[[2013年]][[5月12日]]に二度目の現役引退を表明<ref>[http://www.goal.com/jp/news/74/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89/2013/05/12/3972160/%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%81%8C%EF%BC%92%E5%BA%A6%E7%9B%AE%E3%81%AE%E5%BC%95%E9%80%80%E3%82%92%E8%A1%A8%E6%98%8E?source=breakingnews&ICID=HP_BN_15 スコールズが2度目の引退を表明]goal.com 2013年5月12日</ref>。
== 代表経歴 ==
A代表デビューは、1997年[[オールド・トラッフォード]]で行われ、2-0で勝利した、[[サッカー南アフリカ共和国代表|南アフリカ]]との親善試合である。[[1998 FIFAワールドカップ]]のメンバーにも選ばれ、初戦の[[サッカーチュニジア代表|チュニジア]]戦では、終了間際にゴールを決めた。
ワールドカップ終了後も代表に選出され続け、1999年3月27日の[[サッカーポーランド代表|ポーランド]]戦ではハットトリックを決めた。[[UEFA EURO 2000|EURO2000]]予選の[[サッカースコットランド代表|スコットランド]]とのプレイオフでは、ファーストレグで2ゴールを挙げる活躍を見せ、合計得点2-1で勝利し、チームを本大会出場へ導いた。6月の[[サッカースウェーデン代表|スウェーデン]]との親善試合で退場処分となり、[[ウェンブリー・スタジアム (1923)|ウェンブリー・スタジアム]]で行われた国際試合で退場した、最初で最後のイングランドの選手となった。
代表でも中心選手となり[[2002 FIFAワールドカップ]]にも出場し、[[サッカーアルゼンチン代表|アルゼンチン]]戦ではマンオブザマッチに輝くが、大会終了後の[[スヴェン=ゴラン・エリクソン]]の中では、中盤を[[スティーヴン・ジェラード]]と[[フランク・ランパード]]で構成しようとしており、スコールズは左サイドハーフで起用されるなど、地位が下がってしまった<ref>[http://www.timesonline.co.uk/tol/sport/article465382.ece Retirement of Scholes adds to England woe]</ref>。2004年8月に、家族との生活と[[マンチェスター・ユナイテッドFC|マンチェスター・ユナイテッド]]でのプレイを優先させるため、代表からは引退すると宣言した<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/internationals/3531982.stm Scholes quits England]</ref>。新しく監督に就任にした、[[スティーブ・マクラーレン]]から、代表に復帰するよう説得されたが断っている<ref>[http://www.dailymail.co.uk/sport/football/article-397140/Scholess-England-U-turn.html Scholes's England U-turn]</ref>。
2010年5月にはマクラーレンに続いて[[ファビオ・カペッロ]]からも[[2010 FIFAワールドカップ]]に向けて復帰するよう話を受けたが、家族と過ごしたいとの理由で断った<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/world_cup_2010/8673706.stm Fabio Capello makes surprise England World Cup choices]</ref>。しかし、[[2010年]][[7月27日]]にスコールズは、プレイしないという選択を取ったことを後悔していると明かした<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/8858276.stm Paul Scholes hints at England World Cup regret]</ref>。
== 指導者経歴 ==
2011年の引退後、そのままマンチェスター・ユナイテッドのコーチに就任したが、2012年1月に現役復帰した。2013年の二度目の引退後は解説者・評論家に転身、イギリスの衛星放送局「BT Sport」などに出演し、辛口の評論が人気を博した。また2014年には親友であるギグス、ネヴィル兄弟、バットとともに地元のクラブ、サルフォード・シティ(当時7部)の株式をそれぞれ10%ずつ取得して共同オーナーとなり(2019年には最後の一人であるベッカムも加わり、6人で60%のクラブ株式を保有)、それが縁で2015年には一時、サルフォードの監督代行を務めた。
2019年2月11日、少年時代にサポーターであった[[フットボールリーグ2]](4部)の[[オールダム・アスレティックAFC]]監督に就任したことが発表された。契約期間は1年6ヵ月。なお就任に当たってはリーグ戦を主催する[[フットボールリーグ]](EFL)の規則では、同一人物による複数のクラブへの関与を認めていないため、スコールズがサルフォードの取締役になっていることが問題視されたが、最終的にサルフォードの取締役を辞任することで解決に至った<ref>[http://web.ultra-soccer.jp/news/view?news_no=345842 スコールズ監督招へいを目座す英4部のオールダムに障壁…]超WORLDサッカー!、2019年2月7日</ref><ref>[https://news.nicovideo.jp/watch/nw4813422 英4部でスコールズ監督が誕生! サルフォードの取締役辞任でEFL規則をクリア]ニコニコニュース、2019年2月12日</ref>。就任直後の初戦を勝利で飾るなど幸先の良いスタートと思われたが、以降6試合は勝利から見放され、チームは14位に低迷していた中の3月15日、スコールズはオールダム首脳陣に違約があったことを理由にわずか37日で電撃辞任した<ref>[https://qoly.jp/2019/03/15/paul-scholes-left-oldham-athletic-kgn-1 スコールズ監督、わずか「37日」で辞任!なにがあった…]Qoly、2019年3月15日</ref>。
== 私生活 ==
スコールズは、[[気管支喘息]]を患っている<ref>[http://news.bbc.co.uk/sportacademy/hi/sa/treatment_room/newsid_2340000/2340911.stm Athletes with asthma]</ref>。彼は、妻のクレアと3人の子ども、アーロン<ref>[https://www.telegraph.co.uk/sport/football/2450690/Manchester-United-fans-have-two-years-to-savour-Paul-Scholes.html Manchester United fans have two years to savour Paul Scholes]</ref><ref>[http://www.timesonline.co.uk/tol/sport/football/article486790.ece New goals for Scholes]</ref>、アリシア、アイデン<ref>[http://www.dailymail.co.uk/femail/article-1020831/The-War-WAGSKIS-The-real-battle-Moscow.html The War of the WAGSKIS: The real battle for Moscow]</ref>と[[オールダム]]の[[サドルワース・ムーア]]で生活している<ref>[http://www.independent.co.uk/sport/football/premier-league/paul-scholes-i-know-there-isnt-much-time-left-so-i-have-to-enjoy-it-799562.html Paul Scholes: 'I know there isn't much time left so I have to enjoy it']</ref>。
== 評価 ==
[[ジネディーヌ・ジダン]]は、「最も手強かった相手? スコールズだ。迷うことなく彼は彼の世代で最も素晴らしい選手だ」と述べ、[[ティエリ・アンリ]]は、「疑うまでもなく、プレミアシップで最も素晴らしい選手はスコールズだ。彼はなんでも出来る」と話した<ref>[http://www.dailymail.co.uk/sport/football/article-1172433/Scholes-moment-spotlight--600-red-talisman.html Scholes has his moment in the spotlight - it's 600 up for the red-top talisman]</ref>。[[ジョゼップ・グアルディオラ]]は、「ユナイテッドのすべての選手の中では、スコールズを選びたい。彼はあの世代の最高のMFなんだ。私も彼と一緒にプレーしてみたかったよ」と語っている<ref>[http://www.goal.com/jp/news/175/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%94%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%82%BA%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B0/2011/05/21/2496395/%E3%83%9A%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%9E%E3%83%B3%EF%BD%95%E3%81%8B%E3%82%89%E9%81%B8%E3%81%B6%E3%81%AA%E3%82%89%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA ペップ:「マン・Uから選ぶならスコールズ」]</ref>。また、[[シャビ・エルナンデス]]と[[アンドレス・イニエスタ]]もスコールズのファンである事を公言しており、イニエスタは[[UEFAチャンピオンズリーグ 2010-11]]決勝戦後にスコールズとユニフォーム交換をしている。マンチェスター・ユナイテッドとイングランドの英雄である[[ボビー・チャールトン]]はスコールズについて、「ポールは常に正確なパスでゲームを支配している。見ていてとても美しい選手だよ」と、話し<ref>[http://www.nationalfootballmuseum.com/pages/fame/Inductees/paulscholes.htm Football Hall of Fame: Paul Scholes]</ref>、[[マルチェロ・リッピ]]は、「豊かな才能と個性を備えたオールラウンドなミッドフィールダーだ」と、述べた<ref name="#1"/>。[[英国放送協会|BBC]]の解説者でかつては[[リヴァプールFC|リヴァプール]]の選手であった[[アラン・ハンセン]]は、「これまで[[プレミアリーグ]]でプレイした選手の中でも3本か5本の指に入る選手だ。彼のパスや動き、テクニックは誰にとっても手本となるよ」と、話している<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/eng_prem/8922460.stm Alan Hansen's column]</ref>。
==個人成績==
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:small"
|-
!rowspan="2"|所属クラブ
!rowspan="2"|シーズン
!rowspan="2"|背番号
!colspan="2"|リーグ
!colspan="2"|[[FAカップ]]
!colspan="2"|[[フットボールリーグカップ|リーグカップ]]
!colspan="2"|[[UEFAチャンピオンズリーグ|CL]]<ref>1995-96シーズンは、[[UEFAカップ]]</ref>
!colspan="2"|その他<ref>その他とは[[コミュニティーシールド]], [[UEFAスーパーカップ]], [[インターコンチネンタルカップ (サッカー)|インターコンチネンタルカップ]], [[FIFAクラブワールドカップ]]のこと。</ref>
!colspan="2"|期間通算
|-
!出場!!得点!!出場!!得点!!出場!!得点!!出場!!得点!!出場!!得点!!出場!!得点
|-
|rowspan="20" valign="center"|[[マンチェスター・ユナイテッドFC|マンチェスター・ユナイテッド]]
|[[FAプレミアリーグ1993-1994|1993-94]]
|rowspan="2"|24
|0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0
|-
|[[FAプレミアリーグ1994-1995|1994-95]]
|17||5||3||0||3||2||2||0||0||0||25||7
|-
|[[FAプレミアリーグ1995-1996|1995-96]]
|22
|26||10||2||1||1||2||2||1||0||0||31||14
|-
|[[FAプレミアリーグ1996-1997|1996-97]]
|rowspan="15"|18
|24||3||2||2||2||1||4||0||1||0||33||6
|-
|[[FAプレミアリーグ1997-1998|1997-98]]
|31||8||2||0||1||0||7||2||1||0||42||10
|-
|[[FAプレミアリーグ1998-1999|1998-99]]
|31||6||6||1||1||0||12||4||1||0||51||11
|-
|[[プレミアリーグ1999-2000|1999-00]]
|31||9||colspan="2"|-||0||0||11||3||3||0||45||12
|-
|[[FAプレミアリーグ2000-2001|2000-01]]
|32||6||0||0||0||0||12||6||1||0||45||12
|-
|[[FAプレミアリーグ2001-2002|2001-02]]
|35||8||2||0||0||0||13||1||1||0||51||9
|-
|[[FAプレミアリーグ2002-2003|2002-03]]
|33||14||3||1||6||3||10||2||0||0||52||20
|-
|[[FAプレミアリーグ2003-2004|2003-04]]
|28||9||6||4||0||0||5||1||1||0||40||14
|-
|[[FAプレミアリーグ2004-2005|2004-05]]
|33||9||6||3||2||0||7||0||1||0||49||12
|-
|[[FAプレミアリーグ2005-2006|2005-06]]
|20||2||0||0||0||0||7||1||0||0||27||3
|-
|[[FAプレミアリーグ2006-2007|2006-07]]
|30||6||4||0||0||0||11||1||0||0||45||7
|-
|[[プレミアリーグ2007-2008|2007-08]]
|24||1||3||0||0||0||7||1||0||0||34||2
|-
|[[プレミアリーグ2008-2009|2008-09]]
|21||2||2||1||3||0||6||0||3||0||35||3
|-
|[[プレミアリーグ2008-2009|2009-10]]
|28||3||0||0||2||1||7||3||1||0||38||7
|-
|[[プレミアリーグ2010-2011|2010-11]]
|22||1||3||0||0||0||7||0||1||0||32||1
|-
|[[プレミアリーグ2011-2012|2011-12]]
|rowspan="2"|22
|17||4||2||0||0||0||2||0||0||0||21||4
|-
|[[プレミアリーグ2012-2013|2012-13]]
|16||1||3||0||0||0||2||0||0||0||21||1
|-
!colspan="3"|通算
!499!!107!!49!!13!!21!!9!!134!!26!!15!!0!!718!!155
|}
==代表歴==
===出場大会===
*[[サッカーイングランド代表|イングランド代表]]
: 1998年 - [[1998 FIFAワールドカップ]](ベスト16)
: 2000年 - [[UEFA EURO 2000]](グループステージ敗退)
: 2002年 - [[2002 FIFAワールドカップ]](ベスト8)
: 2004年 - [[UEFA EURO 2004]](ベスト8)
===試合数===
* 国際Aマッチ 66試合 14得点(1997年-2004年)<ref>{{Nfteams}}</ref><ref>[https://www.worldfootball.net/player_summary/paul-scholes/4/ WorldFootball.net]</ref>
{{サッカー代表個人成績|イングランド|1}}
|-
|1997||5||3
|-
|1998||9||1
|-
|1999||6||5
|-
|2000||10||1
|-
|2001||10||3
|-
|2002||11||0
|-
|2003||8||0
|-
|2004||7||1
|-
!通算||66||14
|}
===得点===
{| class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed" style="font-size:small"
! # !! 開催日 !! 開催地 !! 対戦国 !! スコア !! 結果 !! 大会
|-
|align="center"|1||1997年6月4日||{{flagicon|FRA}} [[ナント]]、[[スタッド・ドゥ・ラ・ボージョワール]]||{{ITAf}}||align="center"|'''2'''-0||align="center"|2-0||親善試合
|-
|align="center"|2||1997年9月10日||{{flagicon|ENG}} [[ロンドン]]、[[ウェンブリー・スタジアム]]||{{MDAf}}||align="center"|'''1'''-0||align="center"|4-0||[[1998 FIFAワールドカップ・予選]]
|-
|align="center"|3||1997年11月15日||{{flagicon|ENG}} ロンドン、ウェンブリー・スタジアム||{{CMRf}}||align="center"|'''1'''-0||align="center"|2-0||親善試合
|-
|align="center"|4||1998年6月15日||{{flagicon|FRA}} [[マルセイユ]]、[[スタッド・ヴェロドローム]]||{{TUNf}}||align="center"|'''2'''-0||align="center"|2-0||[[1998 FIFAワールドカップ]]
|-
|align="center"|5||rowspan="3"|1999年3月27日||rowspan="3"|{{flagicon|ENG}} ロンドン、ウェンブリー・スタジアム||rowspan="3"|{{POLf}}||align="center"|'''1'''-0||rowspan="3" align="center"|3-0||rowspan="3"|[[UEFA EURO 2000予選]]
|-
|align="center"|6||align="center"|'''2'''-0
|-
|align="center"|7||align="center"|'''3'''-1
|-
|align="center"|8||rowspan="2"|1999年11月13日||rowspan="2"|{{flagicon|SCO}} [[グラスゴー]]、[[ハムデン・パーク]]||rowspan="2"|{{SCOf}}||align="center"|'''1'''-0||rowspan="2" align="center"|2-0||rowspan="2"|UEFA EURO 2000予選
|-
|align="center"|9||align="center"|'''2'''-0
|-
|align="center"|10||2000年6月12日||{{flagicon|NED}} [[アイントホーフェン]]、[[フィリップス・スタディオン]]||{{PORf}}||align="center"|'''1'''-0||align="center"|2-3||[[UEFA EURO 2000]]
|-
|align="center"|11||2001年3月28日||{{flagicon|ALB}} [[ティラナ]]、[[ケマル・スタファ・スタジアム]]||{{ALBf}}||align="center"|'''2'''-0||align="center"|3-1||[[2002 FIFAワールドカップ・予選]]
|-
|align="center"|12||2001年5月25日||{{flagicon|ENG}} [[ダービー (イギリス)|ダービー]]、[[プライド・パーク・スタジアム]]||{{MEXf}}||align="center"|'''1'''-0||align="center"|4-0||親善試合
|-
|align="center"|13||2001年6月6日||{{flagicon|GRE}} [[アテネ]]、[[アテネ・オリンピックスタジアム]]||{{GREf}}||align="center"|'''1'''-0||align="center"|2-0||2002 FIFAワールドカップ・予選
|-
|align="center"|14||2004年6月21日||{{flagicon|POR}} [[リスボン]]、[[エスタディオ・ダ・ルス]]||{{CROf}}||align="center"|'''1'''-1||align="center"|4-2||[[UEFA EURO 2004]]
|}
==獲得タイトル==
;クラブ
*[[プレミアリーグ]]:1995-96, 1996-97, 1998-99, 1999-2000, 2000-01, 2002-03, 2006-07, 2007-08, 2008-09, 2010-11, 2012-13
*[[FAカップ]]:1995-96, 1998-99, 2003-04
*[[フットボールリーグカップ]]:2005-06, 2008-09, 2009-10
*[[FAコミュニティ・シールド|コミュニティーシールド]]:1994, 1996, 1997, 2003, 2007, 2008, 2010
*[[UEFAチャンピオンズリーグ]]:[[UEFAチャンピオンズリーグ 1998-99|1998-99]], [[UEFAチャンピオンズリーグ 2007-08|2007-08]]
*[[インターコンチネンタルカップ (サッカー)|インターコンチネンタルカップ]]:1999
*[[FIFAクラブワールドカップ]]:[[FIFAクラブワールドカップ2008|2008]]
;代表
イングランド U-18
*[[UEFA U-19欧州選手権|UEFA U-18欧州選手権]]:1993
;個人
*[[プレミアリーグ月間最優秀選手|プレミアリーグ月間最優秀選手賞]]:2003.1, 2003.12, 2006.10, 2010.8
*[[PFA年間ベストイレブン]]:2000-01, 2002-03, 2006-07
*プレミアリーグ10周年記念ベストイレブン (1993-2003) :2003
*[[イングランドサッカー殿堂]]:2008
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Paul Scholes}}
*{{Sports links}}
* [http://www.manutd.com/default.sps?pagegid={FE60904B-C2A8-4E60-9B05-700DBBC29BBC}§ion=playerProfile&teamid=458&bioid=91964 プロフィール] manutd.com
{{プレミアリーグ殿堂}}
{{Navboxes
|title=イングランド代表 - 出場大会
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|list1=
{{1998 FIFAワールドカップイングランド代表}}
{{UEFA EURO 2000イングランド代表}}
{{2002 FIFAワールドカップイングランド代表}}
{{UEFA EURO 2004イングランド代表}}
}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:すこおるす ほおる}}
[[Category:イングランドのサッカー選手]]
[[Category:イングランドのサッカー指導者]]
[[Category:サッカーイングランド代表選手]]
[[Category:マンチェスター・ユナイテッドFCの選手]]
[[Category:FIFAワールドカップイングランド代表選手]]
[[Category:1998 FIFAワールドカップ出場選手]]
[[Category:2002 FIFAワールドカップ出場選手]]
[[Category:UEFA欧州選手権イングランド代表選手]]
[[Category:UEFA EURO 2000出場選手]]
[[Category:UEFA EURO 2004出場選手]]
[[Category:プレミアリーグ殿堂]]
[[Category:サルフォード出身の人物]]
[[Category:1974年生]]
[[Category:存命人物]]
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