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{{redirect|アイルランド共和国|[[アイルランド独立戦争]]期に独立が宣言された国家| アイルランド共和国 (1919年-1922年)}}
{{基礎情報 国
|日本語国名 = アイルランド
|標語 = なし
|国歌 = [[兵士の歌|{{lang|ga|Amhrán na bhFiann}}]]{{ga icon}}<br/>[[兵士の歌|{{lang|en|The Soldier’s Song}}]]{{en icon}}<br/>''兵士の歌''<br />{{center|[[File:United States Navy Band - Amhrán na bhFiann.ogg]]}}
|位置画像 = EU-Ireland.svg
|公用語 = [[アイルランド語]]<br/>[[アイルランド英語|英語]]
|最大都市 = ダブリン
|首相等氏名 = [[ミホル・マーティン]]
|水面積率 = 2%
|面積追記 = <ref>{{Cite web |url=https://www.cia.gov/the-world-factbook/countries/ireland/#geography |title=THE WORLD FACTBOOK Ireland#Geography |publisher=[[中央情報局]] |date=2022-06-21 |accessdate=2022-06-24}}</ref>
|人口値 = 5,255,017
|人口密度値 = 76.87
|人口追記 = <ref name="PreliminaryCensus2022">{{Cite web |url=https://www.cso.ie/en/media/csoie/newsevents/presentations/2022/Census_Preliminary_Results_2022_-_23_June_2022_-_PDF.pdf |title=Census Preliminary Results 2022 |format=pdf |publisher=中央統計局 |date=2022-06-23 |accessdate=2022-06-24}}</ref>
|GDP統計年元 = 2020
|GDP値元 = 3728億6900万<ref name="economy">IMF Data and Statistics 2021年11月5日閲覧([https://www.imf.org/en/Publications/WEO/weo-database/2021/October/weo-report?c=178,&s=NGDP_R,NGDP_RPCH,NGDP,NGDPD,PPPGDP,NGDP_D,NGDPRPC,NGDPRPPPPC,NGDPPC,NGDPDPC,PPPPC,NGAP_NPGDP,PPPSH,PPPEX,NID_NGDP,NGSD_NGDP,PCPI,PCPIPCH,PCPIE,PCPIEPCH,TM_RPCH,TMG_RPCH,TX_RPCH,TXG_RPCH,LUR,LE,LP,GGR,GGR_NGDP,GGX,GGX_NGDP,GGXCNL,GGXCNL_NGDP,GGSB,GGSB_NPGDP,GGXONLB,GGXONLB_NGDP,GGXWDN,GGXWDN_NGDP,GGXWDG,GGXWDG_NGDP,NGDP_FY,BCA,BCA_NGDPD,&sy=2019&ey=2026&ssm=0&scsm=1&scc=0&ssd=1&ssc=0&sic=0&sort=country&ds=.&br=1])</ref>
|GDP値MER = 4255億4900万<ref name="economy" />
|GDP MER/人 = 85,205.496<ref name="economy" />
|GDP統計年 = 2020
|GDP順位 = 59
|GDP値 = 4794億300万<ref name="economy" />
|GDP/人 = 95,993.821<ref name="economy" />
|建国形態 = 独立
|建国年月日 = [[1922年]][[12月6日]]([[アイルランド自由国]])<br />[[1937年]][[12月29日]]([[アイルランド憲法]]の施行)<br />[[1949年]][[4月18日]]([[イギリス連邦]]を離脱)
|通貨 =[[ユーロ]] (€)
|通貨コード = EUR
|通貨追記 = <ref>[[1999年]]以前の通貨は[[アイルランド・ポンド]]。</ref><ref>[[アイルランドのユーロ硬貨]]も参照。</ref>
|時間帯 = ±0
|夏時間 = +1
|ISO 3166-1 = IE / IRL
|ccTLD = [[.ie]]
|国際電話番号 = 353
|注記 = <references />
}}
'''アイルランド
人口490万人のうち約4割がダブリン近郊に住んでいる<ref>{{Cite web|title=Population and Migration Estimates April 2018 - CSO - 中央統計局|url=https://www.cso.ie/en/releasesandpublications/er/pme/populationandmigrationestimatesapril2018/|website=www.cso.ie|accessdate=2020-07-15|language=en}}</ref>。[[主権国家体制|主権国家]]であり、[[北アイルランド]]([[イギリス|イギリス領]])とのみ陸上で[[国境]]を接している。大西洋に囲まれており、南には[[ケルト海]]、南東には[[セント・ジョージ海峡]]、東には[[アイリッシュ海]]がある。[[単一国家]]であり、[[議会共和制]]である<ref>{{Cite book|edition=1st ed|title=Constitutional law of 15 EU member states|url=https://www.worldcat.org/oclc/55888245|___location=Deventer|isbn=90-13-01255-8|oclc=55888245|others=Prakke, L.,, Kortmann, C. A. J. M.,, Brandhof, J. C. E. van den.|date=|year=|publisher=Kluwer|page=429}}</ref>。[[立法府]]は、[[下院]]である[[ドイル・エアラン]]({{Lang|ga|Dáil Éireann}})、[[上院]]である[[シャナズ・エアラン]]({{Lang|ga|Seanad Éireann}})、そして選挙で選ばれた[[アイルランドの大統領|大統領]]({{Lang|ga|Uachtarán}})から構成されている。[[政府の長]]は議会で選出され、大統領によって任命された首相({{Lang|ga|Taoiseach}}、ティーショク、英語では「{{En|Prime Minister}}」とは呼ばれない)である。
== 概要 ==
[[1922年]]に[[英愛条約]]の結果、[[アイルランド自由国]]として誕生した。[[1937年]]に新しい憲法が採択されるまでは[[自治領]]の地位にあった。「アイルランド」と名づけられ、事実上の共和制となり、選出された非執行大統領が国家元首となる。[[1948年]]の[[アイルランド共和国法]]({{En|Republic of Ireland Act 1948}})により、[[1949年]]に正式に共和国と宣言された。[[1955年]]12月、アイルランドは[[国際連合]]に加盟した。[[1973年]]には[[欧州連合]](EU)の前身である[[欧州経済共同体]](EEC)に加盟した。[[20世紀]]のほとんどの間、北アイルランドとの正式な関係はなかったが、[[1980年代]]から[[1990年代]]にかけて、[[イギリス政府]]と[[アイルランド政府]]は「厄介事({{Lang-ga-short|Na Trioblóidí}}、{{Lang-en-short|The Troubles}})」と呼ばれている[[北アイルランド問題]]の解決に向けて北アイルランドの当事者と協力した。[[1998年]]に[[ベルファスト合意]]が調印されて以来、アイルランド政府と北アイルランド政府執行部は、協定によって設立された南北閣僚協議会の下で、多くの政策分野で協力してきた。
アイルランドは一人当たりの[[国内総生産]]が世界で最も裕福な国のトップ10にランクされており<ref>{{Cite web|title=The World Factbook — Central Intelligence Agency|url=https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/rankorder/2004rank.html?countryName=Ireland&countryCode=ei®ionCode=eur&rank=27#ei|website=www.cia.gov|accessdate=2020-07-15}}</ref>、2015年のレガタム繁栄指数によると世界で10番目に繁栄している国である<ref>[https://lif.blob.core.windows.net/lif/docs/default-source/publications/2015-legatum-prosperity-index-pdf.pdf?sfvrsn=2 Legatum Prosperity Index]. The Legatum Institute. 2020年7月15日閲覧。</ref>。EEC加盟後、アイルランドは一連の[[経済的自由主義|自由主義的な経済政策]]を実施し、急速な経済成長を遂げた。[[1995年]]から[[2007年]]までの間、[[ケルトの虎]]時代として知られるようになり、繁栄を達成した。2005年、『[[エコノミスト]]』の調査では最も住みやすい国に選出されている。しかし、[[2008年]]に発生した未曽有の金融危機と同時に世界的な[[世界金融危機 (2007年-2010年)|経済危機]]に見舞われたことで、この時期の繁栄は途絶えた<ref>"EU: Causes of Growth differentials in Europe", WAWFA think tank</ref><ref>{{Cite news|title=Ireland: As the Celtic Tiger roars its last, Ruaridh Nicoll reports on fear of an Exodus from Ireland|url=https://www.theguardian.com/world/2009/may/10/ireland-financial-crisis-emigration|work=The Observer|date=2009-05-09|accessdate=2020-07-15|issn=0029-7712|language=en-GB|first=Ruaridh|last=Nicoll}}</ref>。[[2015年]]にはアイルランド経済がEU内で最も急速に成長したことから、アイルランドは国際的に富と繁栄を比較するリーグテーブルを再び急速に上昇させている<ref>{{Cite web|title=Financial Times|url=https://www.ft.com/content/160b5652-e6bd-11e5-bc31-138df2ae9ee6|website=www.ft.com|accessdate=2020-07-15|publisher=}}</ref>。例えば、[[2019年]]には、アイルランドは国連の[[人間開発指数]]によって世界で3番目の先進国にランクされた<ref>[http://hdr.undp.org/sites/default/files/hdr2019.pdf Human Development Report 2019]. [[人間開発報告書]]. [[国際連合開発計画]]. p.300. 2020年7月15日閲覧。</ref>。また、[[報道の自由]]、[[経済的自由権|経済的自由]]、市民的自由など、数々の国の指標でも高く示されている。アイルランドは欧州連合(EU)に加盟しており、[[欧州評議会]]と[[経済協力開発機構]]の設立国でもある。アイルランド政府は[[第二次世界大戦]]の直前から非同盟による軍事的[[中立]]政策をとっており、[[北大西洋条約機構]](NATO)には加盟していないが<ref>{{Cite web|url=https://www.nato.int/cps/en/natolive/nato_countries.htm|title=NATO MEMBER COUNTRIES|accessdate=2020-07-15|publisher=}}</ref>、[[平和のためのパートナーシップ]]や常設軍事協力枠組み(PESCO)には加盟している。
== 国名 ==
{{main|{{仮リンク|アイルランドの国名|en|Names of the Irish state}}}}
[[ファイル:Ei-map.svg|thumb|アイルランドの地図]]
アイルランドの32県のうち26県で構成される[[1922年]]の国家は、「[[アイルランド自由国]]」として知られていた<ref>{{Cite book|title=The Irish Revolution, 1916-1923|url=https://www.worldcat.org/oclc/870544189|___location=London|isbn=978-0-415-73687-9|oclc=870544189|last=Coleman, Marie.|date=|year=|publisher=Routledge|page=230}}</ref>。[[1937年]]の[[アイルランド憲法]]で定められた正式名称は[[アイルランド語]]で「'''{{lang|ga|Éire}}'''({{IPA-ga|ˈeːɾʲə||Eire_pronunciation.ogg}}、エール)」、[[英語]]では「'''{{lang|en|Ireland}}'''({{IPA-en|ˈaɪərlənd|}}、アイアランド)」。[[国際連合]]や[[欧州連合]]では「{{lang|en|Ireland}}」として国名登録されているが、その一方で「[[アイルランド共和国法|1948年アイルランド共和国法]]({{lang|en|The Republic of Ireland Act, 1948}})」は、憲法の規定を覆す効力は無いものの「アイルランド共和国('''{{Lang-ga-short|Poblacht na hÉireann}}'''、'''{{lang-en-short|Republic of Ireland}}''')」を国の記述とする旨を定めている<ref>{{Cite book|edition=5th ed|title=Politics in the Republic of Ireland|url=https://www.worldcat.org/oclc/316836079|publisher=Routledge|date=[2010]|___location=London|isbn=978-0-415-47671-3|oclc=316836079|others=Coakley, John., Gallagher, Michael, 1951-}}</ref>。
[[イギリス政府]]は、国家の名称として「{{Lang|ga|Eire}}」([[ダイアクリティカルマーク]]なし)、[[1949年]]からは「{{En|Republic of Ireland}}(アイルランド共和国)」を使用していたが<ref>{{Cite book|title=Studies in the history of tax law|url=https://www.worldcat.org/oclc/55849557|publisher=Hart|date=2004-<2017>|___location=Oxford|isbn=1-84113-473-2|oclc=55849557|others=Tiley, John., Harris, Peter, 1964-, De Cogan, Dominic., University of Cambridge. Centre for Tax Law.}}</ref>、[[1998年]]の[[ベルファスト合意]]までは「{{En|Ireland}}(アイルランド)」という名称を使用していなかった<ref>Oliver (2004), p. 178; Daly (2007), p. 80</ref>。
「{{En|Ireland}}」、「{{lang|ga|Éire}}」、「{{En|Republic of Ireland}}」の他に、「{{En|the Republic}}(共和国)」、「{{En|Southern Ireland}}(南アイルランド)」、「{{En|the South}}(南部)」とも呼ばれることがある<ref>{{Cite book|edition=7th ed.|title=Western Europe.|url=https://www.worldcat.org/oclc/57063987|publisher=Lonely Planet|date=2005|___location=Footscray, Vic.|isbn=978-1-74059-927-6|oclc=57063987|others=Chilcoat, Loretta.|year=|page=616}}</ref>。アイルランド共和主義では、「{{En|the Free State}}(自由国家)」または「{{En|the 26 Counties}}(26県)」と呼ばれることが多い<ref>{{Cite book|title=Fighting for Ireland? : the Military Strategy of the Irish Republican Movement.|url=https://www.worldcat.org/oclc/437081176|publisher=Routledge|date=1997|___location=London|isbn=978-0-203-44514-3|oclc=437081176|last=Smith, M. L. R.|year=|page=2}}</ref>。
日本語では「アイルランド」と「アイルランド共和国」の両方が使われており、[[外務省|日本国外務省]]は公式名称である前者を用いている<ref>{{Cite web|和書|title=アイルランド|url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/ireland/index.html|website=Ministry of Foreign Affairs of Japan|accessdate=2020-07-15|language=ja}}</ref>。アイルランド語読みの「'''エール'''」と呼ぶこともある。[[外国地名および国名の漢字表記一覧|漢字による当て字]]は'''愛蘭土'''で、'''愛'''と略す。
== 歴史 ==
{{main|アイルランドの歴史|{{仮リンク|アイルランド共和国の歴史|en|History of the Republic of Ireland}}}}
=== 先史時代と古代 ===
[[ファイル:Poulnabrone dolmen-SteveFE.jpg|代替文=|サムネイル|新石器時代の[[支石墓]]]]
アイルランドの原住民は[[中石器時代]]の[[狩猟採集民]]であり、石器を使用していた。[[紀元前3000年]]頃には[[青銅器時代]]へと進化し、[[穀物]]を育て、[[家畜]]を飼育し、[[武器]]や[[道具]]、青銅製の[[宝飾品]]を作っていた。[[紀元前2000年]]の初め、大きな[[石|石造り]]の神社や[[墓]]([[巨石記念物|巨石]])を建て、今でもアイルランドの風景の中で見ることができる。[[紀元前1世紀]]には、[[ピクト人]]の支配下にあり、アイルランドの[[伝承]]では[[フィル・ヴォルグ]]として記述されている[[新石器時代]]の人々のことである。
[[スコットランド]]の名前は、「アイルランド」を意味する[[ラテン語]]の「{{Lang|la|Scotus}}」(複数形は「{{Lang|la|Scoti}}」)に由来している<ref name="The Encyclopedia_1">The Encyclopedia Americana: A Library of Universal Knowledge: Volume 15, (1919) Encyclopedia Americana Corp., University of Winsconsin - Madison</ref>。これは、ローマ人が当初「スコティア({{Lang|la|Scotia}})」(「{{Lang|la|Scotus}}」から派生した形)と呼んでいたアイルランド人入植者のことを指す。現在のスコットランドを植民地化したアイルランド人は「スコティ({{Lang|la|Scoti}})」と呼ばれていた。帝国末期のローマ人は、現在のスコットランドを指して「カレドニア({{Lang|it|Caledonia}})」という名前を使っていた<ref name="The Encyclopedia_1"/>。
最初の人々は、[[紀元前1600年]]頃にイベリア半島から到着した。アイルランド島を[[レンスター]]、[[マンスター]]、[[アルスター]]、[[コノート]]の4つの区分に分けて、それぞれが[[アイルランド上王|上王]]と呼ばれる[[君主]]に支配されていた<ref>{{Cite web|title=The High Kings of Ireland|url=http://www.heraldry.ws/info/article12.html|website=www.heraldry.ws|accessdate=2020-07-15}}</ref>。基本行政区画はトゥア({{Lang|ga|Tuatha}}、小王国)であり、それぞれの王国は人口50万人未満の人口に対し約150トゥアと非常に小さいものだった。
「[[アイルランド上王|アイルランドの最高王]]」に任命された王たちは数千年前、[[紀元前2千年紀]]の半ばまでさかのぼるが、最初の部分は[[神話|神話的]]なものである。どの時点で歴史上の人物に言及し始めたのかは定かではなく、これらの人物がどの時点で後の意味での「最高王」と呼ばれるようになったのかも定かではない。この社会構造は、当時の生活様式に適応したもので、比較的小規模で自律的な部族単位で組織される傾向があった。
『四人の主人の年鑑({{Lang-ga-short|Annala Rioghachta Éireann}}、{{Lang-en-short|Annals of the Four Masters}})』または『四人の主人によるアイルランド王国の年鑑』は、アイルランドの歴史の[[年代記]]である。[[紀元前23世紀|紀元前2242年]]から[[1616年|西暦1616年]]の間の日付が記録されているが、最も古い日付は[[紀元前550年]]頃だと考えられている。[[1632年]]から[[1636年]]にかけて、[[ドニゴール県]]の[[フランシスコ会|フランシスコ会修道院]]で収集された<ref>{{Cite web|title=CATHOLIC ENCYCLOPEDIA: Annals of the Four Masters|url=https://www.newadvent.org/cathen/06163b.htm|website=www.newadvent.org|accessdate=2020-07-15}}</ref>。
ベルティナ({{Lang-ga-short|Beltane または Bealtaine}}、良い火)は、古代アイルランドの祝日で、[[5月1日]]に祝われていた<ref>{{Cite web|title=WebCite query result|url=http://www.geocities.com/Athens/Forum/7280/beltane.html|website=www.geocities.com|accessdate=2020-07-15|publisher=|archiveurl=https://www.webcitation.org/5komJcvfA?url=http://www.geocities.com/Athens/Forum/7280/beltane.html|archivedate=2009-10-26}}</ref>。ベルティナは[[夏]]の[[牧畜]]期の始まりで、[[牛]]の群れが夏の牧草地や[[山]]の牧草地に連れて行かれた。現代のアイルランド語では「{{Lang|ga|Mi na Bealtaine}}」は、5月を意味する。多くの場合、5月のことを「{{Lang|ga|Bealtaine}}」と略し、休日を「{{Lang|ga|Là Bealtaine}}」として知られている。休日の主な活動の一つは、ベルティナの前夜({{Lang|ga|Oidhche Bhealtaine}})の儀式と政治的な意味合いを持つ山や[[丘]]での[[焚き火]]の点火だった<ref>Danaher, Kevin (1972) ''The Year in Ireland: Irish Calendar Customs'' Dublin, Mercier. [[Especial:FuentesDeLibros/1856350932|ISBN 1-85635-093-2]] pp.86-127</ref><ref>Chadwick, Nora (1970) ''The Celts'' London, Penguin. [[Especial:FuentesDeLibros/0140212116|ISBN 0-14-021211-6]] p. 181</ref>。現代の[[スコットランド]]の[[ゲール語]]では、ベルティナの黄色の日({{Lang|ga|Oidhche Bhealtaine}})だけが5月の初日を表すのに使われている。
スコットランドの[[大司教]]であり[[宣教師]]であった[[パトリキウス|聖パトリック]]([[384年]] - [[461年]])は、[[キリスト教]]を布教するためにアイルランドに上陸した。王家の中で重要な改宗を行い、修道学校を通じ、文字([[ラテン語]])を導入した。聖パトリックの死亡時には、アイルランドのエリートはすでに識字率が高く、自分たちの歴史を文字で記録していた。アイルランドはほぼキリスト教圏のみならず、学問と[[文化]]の中心地となったが、この遺産のほとんどは[[9世紀]]と[[10世紀]]の[[ヴァイキング]]の侵入で破壊された。
=== ヴァイキングの侵入 ===
8世紀末頃から[[ヴァイキング]]の侵入が始まった。[[10世紀]]末、{{仮リンク|ダルカッシャン|en|Dalcassians|label=}}と呼ばれる小さな国の王[[ブライアン・ボル]]は、より大きな隣国を征服し、アイルランドの南半分で最も強力な王となった。しかし、レンスター王のモール・ モルダは、彼に反旗を翻すようになり、ダブリンのヴァイキング王のシトリック・シルケンベアード と同盟を結び、[[オークニー諸島]]や[[マン島]]のヴァイキングの助けを得た。[[1014年]]にダブリン近郊の{{仮リンク|クロンターフの戦い|en|Battle of Clontarf|label=}}ではヴァイキングを破り、これ以降ヴァイキングの侵入が収束した<ref>{{Cite web|title=CATHOLIC ENCYCLOPEDIA: Kerry and Aghadoe|url=https://www.newadvent.org/cathen/08627a.htm|website=www.newadvent.org|accessdate=2020-07-15}}</ref>。
[[1169年]]、リチャード・ド・クレア(ストロングボウとして知られている)は、ダーマット・マクモローや[[ウェールズ]]や[[イングランド]]からのカンブロ・ノルマン人の一団とともに[[ウォーターフォード]]近郊に到着し、強制的に入植させられた。アイルランドで最も悪名高い裏切り者として知られるマクモローは、[[レンスター]]王として追放され、[[ヘンリー2世 (イングランド王)|ヘンリー2世]]を招いて[[玉座]]奪還の手助けをしてもらった<ref>{{Cite web|title=Dermot Macmurrough {{!}} king of Ireland|url=https://www.britannica.com/biography/Dermot-MacMurrough|website=Encyclopedia Britannica|accessdate=2020-07-15|language=en}}</ref>。その後の侵略により、ヘンリーが[[アイルランド卿]]となり、8世紀もののイギリス支配が始まった。[[1300年]]までにノルマン人は国の大部分を支配していたが、中央政府がなかったため、効果的に征服することができなかった。
[[1350年]]からは、カンブロ・ノルマン人が使用していた武器の多くを奪い取り、戦術の一部を学んだアイルランドの酋長らが領土を奪還し始めた。[[1360年]]までに、ノルマン人の入植者のほとんどはアイルランドの法律に避難し、島の原住民の習慣を、音楽、詩、文学、服装を採用し、アイルランド人よりもアイルランド人として知られるようになるまでになった(ラテン語の「{{Lang|la|Hibernis Ipsis Hiberniores}}」から) という事実は、イギリス議会が島の植民地化に対する将来の利益への潜在的な脅威であると考えた。
このため、[[1366年]]に[[アイルランド卿]]の衰退に対処するために、キルケニー憲章を批准した。この憲章では、イギリス人入植者とアイルランド人との間の[[族外婚]]を禁止し、[[ゲール語]]や習慣の使用を禁止した<ref>{{Cite web|title=eloihr.net :: Irlanda :: La invasión anglonormanda|url=http://www.eloihr.net/eire/index.php?page=norte_1|website=www.eloihr.net|date=|accessdate=2020-07-15|publisher=|archiveurl=https://web.archive.org/web/20081223090442/http://www.eloihr.net/eire/index.php?page=norte_1#|archivedate=2008-12-23}}</ref>。
ヴァイキングの入植地があったアイルランド東岸には、現在でもヴァイキングが話していた[[古ノルド語]]に起源を持つ地名が存在する。例えば、前述のウォーターフォード(Waterford)は古ノルド語 ''Veðrafjǫrðr(雄羊の入り江)に由来する。ほかにも[[ウェックスフォード]](Wexford, 古ノルド語 Veisafjǫrðr=「干潟の入り江」)、[[アークロー]](Arklow, 古ノルド語 Arnkell-ló= 「ヴァイキングArnkellの領地」)、[[ウィックロー]](Wicklow, 古ノルド語 Víkingaló= 「ヴァイキングの牧草地」)、[[ヘルヴィック]](Helvick, 古ノルド語 helvík=「頑丈な入り江」)、[[レックスリップ]](Leixlip, 古ノルド語 lax hlaup=「サケ用の魚梯(salmon leap)」)といった地名がある。''
=== 宗教改革とプロテスタント支配の強化 ===
{{See also|アイルランド王国|宗教改革|三十年戦争|大同盟戦争}}
[[1534年]]、イングランドの[[ヘンリー8世 (イングランド王)|ヘンリー8世]]は[[教皇]]の権威を認めることを拒否し、[[イングランド]][[議会]]を説得して教皇を[[イギリス国教会]]の長として認めさせた。
アイルランドにも同様の政策を課そうとし、[[1536年]]には[[聖座|ローマ]]へのアピールやローマ教皇への支払いを禁止する側面が広がった。[[1537年]]から[[1541年]]にかけて、多くの[[僧院]]が弾圧され、その財産が没収された。しかし、国王が王権を持たないアイルランドの権限下にある地域では、ほとんどの住民はその変化を無視していた。[[1553年]]に王位を継承したヘンリーの娘、[[メアリー1世 (イングランド女王)|メアリー1世]]はイングランドとアイルランドの両国で古い宗教の復活に努めた熱烈な[[カトリック教会|カトリック教徒]]だった。
[[1556年]]にアイルランドの領土を没収し、イギリス人入植者を招き、借地人や使用人をアイルランドに連れてきた。
[[1558年]]に後を継いだメアリー1世の異母妹[[エリザベス1世]]は、より宗派的な態度を示し、アイルランドの[[大司教]]や宗教者たちが処刑された。この迫害により、アイルランドは、そしてカトリックにとどまっていたアングロ・アイルランド人は、より団結するようになった。カトリックでありながら反英でもある新たな国民性の精神が芽生えた。
[[1641年]]の{{仮リンク|アイルランド反乱 (1641年)|en|Irish Rebellion of 1641|label=アイルランド反乱}}から[[1649年]]の[[クロムウェルのアイルランド侵略]](事実上の[[植民地]]化)までの間、島の3分の2は[[アイルランド・カトリック同盟]]によって統治されており、[[キルケニー]]で生まれたことからキルケニー同盟としても知られている<ref>{{Cite web|url=http://www.british-civil-wars.co.uk/glossary/confederation-kilkenny.htm|title=The Confederate Assembly of Kilkenny|accessdate=2020-07-15|publisher=}}</ref>。かつてひとつとして統治されていた[[アイルランド島]]と、32の県のうち26の県からなるアイルランド共和国との違いは、20世紀前半の複雑な憲法の発展の産物である。
[[1642年]]から[[1649年]]にかけて[[イングランド王国|イングランド]]・[[スコットランド王国|スコットランド]]・[[アイルランド王国|アイルランド]]で[[清教徒革命]]が起きた。これにより、[[1649年]]から[[1660年]]までの間アイルランド島を含む[[イングランド共和国]]が成立した。1660年に[[イングランド王国|イングランド]]、[[スコットランド王国|スコットランド]]、[[アイルランド王国|アイルランド]]の王家が[[チャールズ2世 (イングランド王)|チャールズ2世]]のもとで復古した。
大陸で起こった[[大同盟戦争]]の一環として、[[1689年]]から[[1691年]]にかけて[[ウィリアマイト戦争]]が発生した。
=== 植民地時代 ===
[[1801年]][[1月1日]]から[[1922年]][[12月6日]]まで、[[アイルランド島]]は[[グレートブリテン及びアイルランド連合王国]]に属していた。
[[1845年]]から[[1849年]]の間に、アイルランドの人口の大多数の人々にとってはほぼ唯一の食糧となっていた作物の[[ジャガイモ]]は、疫病菌の侵入によって壊滅状態に陥り、[[ジャガイモ飢饉]]につながった。約100万人が[[餓死]]し、そのほとんどが家賃を払えないために家を追い出された後、道路をさまよっていた。移民は死活問題となり、[[イギリス]]、[[カナダ]]、[[オーストラリア]]など他の国へのアイルランド人の大量移民があったが、その多くは[[アメリカ合衆国]]へ移住した。アイルランドの人口は飢饉による死亡と移民により、[[1841年]]の820万人から[[1901年]]には450万人に減少したと推定されている<ref>{{Cite journal|和書|author=小西康雄 |title=アイルランドのジャガイモ飢饉--それがアイルランドと世界にもたらしたもの |url=https://hdl.handle.net/10291/5500 |journal=明治大学農学部研究報告 |publisher=明治大学農学部 |year=2003 |month=mar |issue=133 |pages=41-48 |naid=110004624299 |hdl=10291/5500 |issn=04656083|accessdate=2020-07-15}}</ref>。
=== アイルランド独立戦争と内戦 ===
[[ファイル:Easter Proclamation of 1916.png|サムネイル|共和国樹立宣言]]
[[1916年]]の[[イースターマンデー]]に、[[イギリス]]からの独立を目指して共和党が国を支配しようとした、いわゆる[[イースター蜂起]]が起きた。この革命的な共和制の試みは1916年[[4月24日]]から[[4月29日]]の間に行われ、教師で弁護士である[[パトリック・ピアース]]が率いる{{仮リンク|アイルランド義勇軍|en|Irish Volunteers|label=}}の一部と、労働組合のリーダーである[[ジェームズ・コノリー]]が率いる小さな[[アイルランド市民軍]]が[[ダブリン]]の街の要職に就き、そこで[[アイルランド共和国 (1919-1922)|アイルランド共和国]]を宣言した。5日間の街頭戦の後、反乱軍の全面降伏が行われた。数百人が殺害され、3000人以上が逮捕され、15人が処刑された。この出来事は、アイルランド独立の転機と解釈されている。
[[1919年]]に[[1918年]]のイギリス総選挙で選出された国会議員の過半数が[[庶民院 (イギリス)|イギリス庶民院]]での議席を拒否した。その代わりに、アイルランドの独立と下院の非承認を主張することを目的とした「[[ドイル・エアラン]]({{Lang|ga|Dáil Éireann}})」と呼ばれる非合法のアイルランド議会を設立した。[[共和国]]は国際的に認められず、[[アイルランド共和軍]]のイギリスに対する[[アイルランド独立戦争|独立戦争]]につながった。[[1921年]]、[[イギリス政府]]の代表者とアイルランド共和国の内閣({{Lang|ga|Aireacht}})が[[英愛条約]]の交渉を行い、「ドミニオンの地位({{En|Dominion Status}})」として知られる法的なアイルランド自治の新制度が誕生した<ref>{{Cite journal|和書 |author=堀江洋文 |title=インド・アイルランド関係と大英帝国 |url=https://doi.org/10.34360/00009411 |journal=専修大学社会科学研究所月報 |publisher=専修大学社会科学研究所 |year=2014 |month=aug |issue=614 |pages=1-34 |naid=120006794056 |doi=10.34360/00009411 |issn=0286-312X|accessdate=2020-08-12}}</ref>。
新しいアイルランド国家は国際的に認められ、[[アイルランド自由国]]({{Lang-ga-short|Saorstát Éireann}}、{{Lang-en-short|Irish Free State}})と呼ばれるようになった。自由国は理論的には島全体を統治することになるが、[[北アイルランド]](別個の組織として作られた)がイギリスの一部として残ることを選択できるという条件付きだった。その後、北アイルランドはイギリスの一部として残ることを選択した。アイルランドの残りの26の県は、アイルランド自由県に変換され、[[1927年]]からイギリスの君主がアイルランド国王の称号を持ち、[[立憲君主制]]が続いていた。[[総督]]、[[両院制]]議会、「執行評議会」と呼ばれる内閣、執行評議会議長と呼ばれる[[首相]]を擁していた。[[憲法]]は「アイルランド自由国憲法」と呼ばれていた。
[[英愛条約]]の調印は、[[エイモン・デ・ヴァレラ]]を筆頭に、調印に反対する部門による[[アイルランド内戦]]の勃発につながった。[[1922年]][[4月13日]]、[[ダブリン]]中心部にあるフォーコートの建物は、協定に反対した[[アイルランド共和軍]](IRA)に占領された。[[3月26日]]、議会([[ドイル・エアラン]])の権限を拒否し、独自の軍事執行機関を選出した。条約防衛派は[[6月28日]]、アイルランド南部での権限を強化する必要性と、イギリス政府から条約に武力抵抗する要素を排除するよう圧力を受け、反乱軍のIRA軍を攻撃した。ダブリンの戦いは1週間続き、条約を守る側にとって決定的な勝利となった。全国でのさらなる勝利は、条約賛成派の立場を強化した。内戦の最中、共和党運動の指導者の一人であり、親英アイルランド軍の司令官だった[[マイケル・コリンズ (政治家)|マイケル・コリンズ]]が待ち伏せされ、[[殺害]]された。
[[1922年]]10月、新政府は[[軍隊]]に広範な権限を与え、[[武器]]を所持していたり、新国家の軍隊に反して行動している者は、軍法会議にかけられ、[[死刑]]判決を受けることを認める法律を導入した。報復として、IRA軍の[[リーアム・リンチ]]司令官は、合意を支持する主要指導者に向けて銃撃命令を出した。最初の殺害は[[12月7日]]に行われた。新政府の対応は、6月から投獄されていた4人の非正規陸軍将校の処刑を命じるものであり、これを前にして不屈部門は攻撃方針を放棄した。政府派閥の人員と資源の数的優位性と処刑の継続(計77人)が、[[1923年]]の初めに有利な戦争を決定し始めた。[[4月24日]]、非正規軍は武器を捨てた。[[1923年]]以来、[[イギリス]]との[[共通旅行区域]]の一部となっている。
[[1937年]][[12月29日]]、新しい憲法({{Lang|ga|Bunreacht na hÉireann}})が採択され、[[アイルランド自由国]]に代わって、エール({{Lang-ga-short|Éire}}、{{Lang-en-short|Ireland}})と呼ばれる新しい国家が誕生した。新憲法構造は、王ではなく共和国大統領を必要としていたが、まだ共和制ではなかった。[[国家元首]]の主な[[役割]]は、他の国家の前に象徴的に代表することであり、制定法による体としての国王の帰属であることに変わりはない。[[1949年]][[4月18日]]、[[アイルランド共和国法]]はエール({{Lang|ga|Éire}})を共和制にすることを宣言し、それまで国王に与えられていた機能をアイルランド大統領に委任した。
正式名称は「エール」のままであったが、「アイルランド共和国」(正式には国の記述)という名称が採用された。共和国は自らを表現するためにアイルランドという言葉を使用するが、特に外交の場ではアイルランドという言葉を使用する。しかし、多くの国は第2のアイルランドである[[北アイルランド]]が存在することや、[[1937年]]の憲法では北部に対する南部の管轄権を主張していることから、この言葉を使うことを避けている。「アイルランド」という言葉の使用は、その発言を受け入れたものとして採用された。1937年の憲法第1条、第2条と呼ばれるようになったものにあるその記述は、[[1999年]]に削除された。
その年から、[[1949年]]4月に共和国が宣言されるまで、アイルランドは当時の[[イギリス連邦]]の加盟地域であり続けた。イギリス連邦の規則によると、共和国を宣言すれば自動的に脱退となる。これらの規則は[[1950年]]まで改正されず、共和国である[[インド]]をイギリス連邦として含めることができるようになった。アイルランドは脱退し、更新しないことを選択したが、加盟国としての特権の多くを保持していた。今日では、例えばイギリスに居住するアイルランド人は、議会選挙での投票権をはじめとする市民権のすべての権利を享受し、さらにはイギリス軍に仕えているが、これらの権利を行使するアイルランド人の数はごくわずかである。
アイルランドは[[1955年]]に[[国際連合]]に加盟し、[[1973年]]には[[欧州経済共同体]](現在の[[欧州連合]])に加盟した。アイルランド政府はアイルランドの平和的な統一を目指し、「[[北アイルランド問題|厄介事]]({{Lang-ga-short|Na Trioblóidí}}、{{Lang-en-short|The Troubles}})」と呼ばれる北アイルランドの[[準軍事組織]]間の暴力的な対立に対して[[イギリス]]と協力してきた。
[[1998年]]にアイルランドと[[北アイルランド]]の選挙で承認された「[[ベルファスト合意]]」と呼ばれる平和条約が結ばれ、アイルランドは[[北アイルランドのカウンティ|北アイルランド6県]]の領有権を放棄した。
=== 第二次大戦後 ===
[[ファイル:Tratado de Lisboa 13 12 2007 (08).jpg|サムネイル|1973年に[[イギリス]]、[[デンマーク]]とともに[[欧州経済共同体]]に加盟、2007年に[[リスボン条約]]に調印]]
アイルランドは、[[第二次世界大戦中]]に中立的な立場をとり、[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]の大義を支持しないという理由で加盟を拒否されていたが、[[1955年]]12月に[[国際連合]]に加盟した<ref>{{Cite web|title=Review: Ireland at the UN: Memories of the Early Years by Noel Dorr|url=https://www.independent.ie/entertainment/books/review-ireland-at-the-un-memories-of-the-early-years-by-noel-dorr-26673946.html|website=independent|accessdate=2020-09-15|language=en}}</ref>。当時、国連に参加したのは、ある国家による他国への侵略を抑止するために武力を行使することを約束していたからである<ref>{{Cite web|title=A frank account of Ireland's UN affairs|url=https://www.independent.ie/entertainment/books/a-frank-account-of-irelands-un-affairs-26663319.html|website=independent|accessdate=2020-09-15|language=en}}</ref>。1950年代にアイルランドで発展した[[欧州経済共同体]](EEC)への加盟に関心があり、欧州自由貿易地域への加盟も考慮された。[[イギリス]]はEECへの加盟を目指していたが、アイルランドはイギリスとの経済的なつながりが大きいため、[[1961年]]7月に加盟を申請した。しかし、EEC創設時の加盟国は、アイルランドの経済力、中立性、魅力のない[[保護貿易|保護主義政策]]に懐疑的な姿勢を崩していなかった<ref>{{Cite web|title=Topics: Guide to sources for Ireland and European Unity|url=https://www.nationalarchives.ie/topics/EU/eu.htm|website=www.nationalarchives.ie|accessdate=2020-09-15}}</ref>。多くのアイルランドの経済学者や政治家は、経済政策の改革が必要だと認識していた。[[1963年]]、[[フランス]]の[[シャルル・ド・ゴール]]将軍がイギリスの加盟に反対すると発言したことで、EEC加盟の見通しが疑わしくなり、他のすべての候補国との交渉を中止した。しかし、1969年には後継者の[[ジョルジュ・ポンピドゥー]]がイギリスとアイルランドの加盟に反対していなかった。交渉が始まり、1972年には加盟条約が調印された。1972年に行われた国民投票でアイルランドの加盟が確定し、[[1973年]]にはついにEECに加盟した<ref>{{Cite web|title=Ireland in the EU|url=https://ec.europa.eu/ireland/about-us/ireland-in-eu_en|website=Ireland - European Commission|date=2016-05-30|accessdate=2020-09-15|language=en|first=Laurent|last=BELLEC}}</ref>。
1970年代後半の経済危機は、[[共和党 (アイルランド)|共和党]]政府の予算、自動車税の廃止、過剰な借金、1979年の石油危機を含む世界的な経済の不安定さに煽られた<ref>{{Cite web|url=http://www.tcd.ie/Economics/TEP/1998/985.pdf|title=Taxation and Savings in Ireland|accessdate=2020-09-15|publisher=ダブリン大学トリニティ・カレッジ}}</ref>。1989年以降、経済改革、減税、福祉改革、競争の激化、経常支出のための借入禁止など、大きな政策転換があった。この政策は、[[1989年]]から[[1992年]]にかけて共和党/進歩的民主党政権によって始まり、その後の共和党/[[労働党 (アイルランド)|労働党]]政権、[[統一アイルランド党]]/労働党/民主左派政権によって継続された。アイルランドは1990年代後半までに世界で最も急速に経済成長した国の一つとなり、2007から2008年の世界金融危機まで続いた「[[ケルトの虎]]」時代と呼ばれていた。[[2014年]]以降、アイルランドは経済活動が再び活発化している<ref>{{Cite web|title=Summary - CSO - Central Statistics Office|url=https://www.cso.ie/en/releasesandpublications/ep/p-nie/nie2017/summary/|website=www.cso.ie|accessdate=2020-09-15|language=en}}</ref>。
=== 年表 ===
* 紀元前265年頃、イベリア半島から最初の人々の渡来が始まる。
* 5世紀ごろ、[[パトリキウス|聖パトリック]]らによる[[キリスト教]]の布教。
* 8世紀末頃、[[ノルマン人]](ヴァイキング)の侵入が始まる。
* 1014年、アイルランド上王({{Lang|en|High King}})[[ブライアン・ボル]]({{En|Brian Boru}})がクロンターフの戦いでヴァイキングを破り、これ以降ヴァイキングの侵入が収束する。
* 1169年、ノルマン人の侵攻が始まる。
* 1171年、諸豪族がイングランド王[[ヘンリー2世 (イングランド王)|ヘンリー2世]]の支配下におかれる。
* 1541年、イングランド王[[ヘンリー8世 (イングランド王)|ヘンリー8世]]がアイルランド王を自称する。これ以降、イングランドからの入植者が増える。しかしアイルランドの貴族はこれを認めずヘンリー8世と対立。<!--
* 1588年 イギリスが[[スペイン]]海軍を破る。これによりイギリスの海上帝国の時代が始まる。-->
* [[清教徒革命]]([[1642年]] - [[1649年]])が起き、[[1649年]]から[[1660年]]までの間アイルランド島を含む[[イングランド共和国]]が成立。
* [[1649年]]、[[クロムウェルのアイルランド侵略]](事実上の[[植民地]]化)
* 1660年、[[イングランド王国|イングランド]]、[[スコットランド王国|スコットランド]]、[[アイルランド王国|アイルランド]]の王家が[[チャールズ2世 (イングランド王)|チャールズ2世]]のもとで復古。
* 大陸で起こった[[大同盟戦争]]の一環として、[[ウィリアマイト戦争]]が発生([[1689年]] - [[1691年]])。
* 1798年、{{仮リンク|アイルランド反乱 (1798年)|en|Irish Rebellion of 1798|label=ユナイテッド・アイリッシュメンの反乱}}。
* 1800年、[[連合法 (1800年)|連合法]]が[[イギリスの議会|グレートブリテン議会]]および[[アイルランド議会 (1297-1800)|アイルランド議会]]の双方で可決。
* 1801年、[[グレートブリテン王国]]と[[アイルランド王国]]が合併する(実質的にはイギリスによるアイルランド併合)。
* 1829年、[[ダニエル・オコンネル|オコンネル]]の尽力により[[カトリック教徒解放令]]が施行される。
* 1840年代後半、[[ジャガイモ]]の不作が数年続き大飢饉となる([[ジャガイモ飢饉]])。この結果多くのアイルランド人が[[アメリカ合衆国|アメリカ]]へ移住する([[:en:Irish diaspora|Irish diaspora]])。
* 1870年、[[第1次グラッドストン内閣]]による [https://www.y-history.net/appendix/wh1202-050.html アイルランド土地法] 制定。
* 1905年、[[シン・フェイン]]党が発足、アイルランド独立を掲げる。
* 1914年、{{仮リンク|1914年アイルランド統治法|en|Government of Ireland Act 1914|label=アイルランド自治法}}が成立するが、[[第一次世界大戦]]勃発を理由に自治は保留となる。
* 1916年、アイルランド民族主義者がダブリンで蜂起するが鎮圧される([[イースター蜂起]])。
* [[アイルランド独立戦争]]([[1919年]] - [[1921年]])が終わり、[[1921年]][[12月6日]][[英愛条約]]が締結され、[[1922年]][[12月6日]][[アイルランド自由国]]が成立、イギリスの自治領となる。ただし北部[[アルスター]]地方の6県は[[北アイルランド]]としてイギリスに留まる。これが[[アイルランド内戦]]へと発展する。
* 1931年、[[ウェストミンスター憲章]]が成立、イギリスと対等な主権国家([[英連邦王国]])となる。
* 1937年、[[アイルランド憲法]]を施行、国号をアイルランド([[アイルランド語|愛]]:エール)と改める。
* 1938年、イギリスが独立を承認。[[イギリス連邦]]内の共和国として、実質的元首の大統領と儀礼的君主の国王の双方を戴く。
* 1949年、[[イギリス連邦]]を離脱、完全な共和制に移行する。
* 1973年、[[欧州経済共同体]](後の[[欧州連合]])に加盟。
* 1998年、[[ベルファスト合意]]。直後の国民投票により[[北アイルランドのカウンティ|北アイルランド6県]]の領有権を放棄する。
* 2007年、[[ケルトの虎]]時代。
== 政治 ==
[[ファイル:Gbuildings.jpg|thumb|政府庁舎]]
{{main|アイルランドの政治}}
[[1949年]]以降、アイルランドは[[議会共和制]]を
[[両院制]]議会である[[アイルランド国民議会]]({{Lang|ga|Oireachtas}})は、[[シャナズ・エアラン|上院]]({{Lang|ga|Seanad Éireann}})と[[ドイル・エアラン|下院]]({{Lang|ga|Dáil Éireann}})で構成されている。[[元老院]]は60名の議員で構成されており、11名は首相によって任命され、6名は2つの大学によって選出され、43名は職業別に設置された候補者パネルから一般の代表者によって選出されている。議会は166名の議員({{Lang|ga|Teachta Dála}})で構成されており、[[比例代表制]]の下、[[単記移譲式投票]]で複数の選挙区の代表に選出されている。憲法によれば、国会選挙は少なくとも7年ごとに行わなければならないが、法律で下限が定められている場合もある。法的には、現在5年間持続している。
政府は憲法上、15人の議員で構成されている。政府の議員は上院から2名まで選出することができず、首相、副首相({{Lang|ga|Tánaiste}})、財務大臣は「必ず」議会議員でなければならない。
[[1973年]]には[[欧州共同体]](現在の[[欧州連合]])に加盟している。[[2008年]][[6月12日]]、アイルランドは国民投票で欧州連合(EU)の[[リスボン条約]]を否決し、EU内で論争を巻き起こした<ref>{{Cite journal|date=2008-06-13|title=Ireland rejects Lisbon Treaty|url=https://www.rte.ie/news/2008/0613/104482-eulisbon/|language=en}}</ref>。しかし、この決定は[[2009年]]の第2回国民投票で逆転した<ref>{{Cite news|title=Ireland backs EU's Lisbon Treaty|url=http://news.bbc.co.uk/2/hi/8288181.stm|date=2009-10-03|accessdate=2020-07-15|language=en-GB}}</ref>。
=== 国際関係 ===
{{main|{{仮リンク|アイルランドの国際関係|en|Foreign relations of the Republic of Ireland}}}}
==== イギリスとの関係 ====
[[ファイル:Ireland United Kingdom Locator.png|thumb|現代の {{flagicon|IRL}} アイルランド(緑)と {{flagicon|GBR}} [[イギリス]](橙)]]
{{main|{{仮リンク|英愛関係|en|Ireland–United Kingdom relations}}}}
[[オリバー・クロムウェル]]の侵略以降、民族や領域としての自治が剥奪され、[[イギリス帝国]](大英帝国)が形成されていく過程において、[[イギリス]]が最初に支配した[[植民地]]となった([[グレートブリテン及びアイルランド連合王国]])。[[プロテスタント]]による[[カトリック教会|カトリック教徒]]への迫害があり、また植民地政策で[[工業化]]は遅れた。土地政策は[[イングランド]]のアイルランド支配にとって重要で、しばしば深刻な影響を与えた。
工業化は北アイルランドのみで発達した。地主による小作農を使役した農作物栽培という植民地的な農業が経済基盤となっており、アイルランド人の2/3、6~7割は農業に従事していた。1845年に[[ジャガイモ飢饉]]が起こるまで、ジャガイモは豊作で人々を満たし、人口は倍増した。この人口増加率は、当時のヨーロッパのどこよりも高かった。市場において高く売買される農作物がイングランドに大量に移送される一方でアイルランドからは食物が枯渇し、不作に見舞われた小作農の大量餓死が発生したため社会問題となった。飢餓のあとも、多くのアイルランド人も[[アメリカ合衆国]]へと移住することになる([[アイルランド系アメリカ人]])。これによって[[1840年]]は800万人を数えた人口は[[1911年]]に半数に迫る440万人にまで減少し、[[アイルランド語]]の話者人口も激減した。2022年に、アイルランドの総人口は、171年ぶりに回復した。
ジャガイモ飢饉は当時繁栄していた大英帝国内で起こったことで、衝撃をもって受け止められた。公共事業支援や食糧援助などが実施されたものの、飢饉のあともアメリカ合衆国への移住など住民の離散を防止することは困難であった。イギリスで[[ヴィクトリア朝]]の[[1840年代]]に沸騰していた[[鉄道狂時代|鉄道バブル]](鉄道狂時代)はこれにより崩壊した。[[カール・マルクス]]は資本論の叙述でこの惨事について言及した。この時期に受けた困難はアメリカ合衆国に移住したアイルランド人、[[アイルランド系アメリカ人]]の原点となり、のちのアイルランド独立闘争の際にしばしば言及された。また(帝国主義的植民地)経済システムが現実の災害をもたらした顕著な例として[[経済学]]や[[政治社会学]]で、しばしば論じられた。
[[第一次世界大戦]]終結後の[[1919年]]から[[1922年]]の[[アイルランド独立戦争]]では休戦協定が結ばれ[[英愛条約]]が締結された。[[アイルランド自由国]]が成立して独立戦争は終結したが、[[イギリス連邦]]下であることにも不満を抱く者は[[アイルランド内戦]]を引き起こした。
また、元インド総督の[[ルイス・マウントバッテン]]は、アイルランド国内でボートに乗っている際に[[IRA暫定派]]によって仕掛けられた爆弾で暗殺されている<ref name="onthisday">{{cite news|url=http://news.bbc.co.uk/onthisday/hi/dates/stories/august/27/newsid_2511000/2511545.stm|title=On This Day: 27 August 1979: IRA Bomb Kills Lord Mountbatten|work=BBC News|accessdate=20 September 2012}}</ref><ref name="guardian">{{cite web|url=https://www.theguardian.com/theguardian/2008/aug/28/3|title=IRA Bombs Kill Mountbatten and 17 Soldiers|newspaper=The Guardian|___location=London|date=28 August 1979|accessdate=20 September 2012}}</ref><ref>{{harvp|O'Brien|1995|p=55}}.</ref>。
独立後も、イギリスはアイルランドにとって、経済的および人的交流はなお盛んである。[[北アイルランド]]では、アイルランド帰属を求めてテロ行為を繰り返す[[IRA暫定派]]などナショナリストと[[ユニオニスト]]との紛争が起こっていたが、和平プロセスが進んでいる。北アイルランド和平が現実に近づくにつれ、さまざまな分野での南北の交流が広がっている。
[[1997年]]に[[トニー・ブレア]]首相は、100万の餓死者・100万の移民を出したジャガイモ飢饉について「今日それを反省してみるにつけ苦痛をもたらすものであった」とコメントした。[[1998年]]には北アイルランド和平合意である[[ベルファスト合意]]が成立した。殺し合いに嫌気がさした事、南の経済発展にあせりを感じた事が契機となる。しかし強硬派が納得せず失敗しさらに10年が経過する。[[2005年]]、イギリス在郷軍人会アイルランド支部主催の[[第一次世界大戦]]戦没者追悼行事にアイルランド[[メアリー・マッカリース]]大統領が出席。アイルランド人兵士の名誉回復と追悼を訴えた。彼らはアイルランド自治獲得促進の意志をもって参戦したのにそれまではイギリスへの協力者と非難されてきた。[[2007年]]2月、[[クローク・パーク|クローク・パーク競技場]]でのラグビー・[[シックス・ネイションズ]]の試合、アイルランド対イングランド戦が平穏に行われる。イギリス国歌「[[女王陛下万歳]]」の演奏に当たりアイルランド側から一つのブーイングもなく、イギリスとアイルランドの歴史的和解の象徴となった。この競技場は[[1920年]]の独立戦争の時、[[イギリス軍]]が[[ゲーリックフットボール]]観戦中のアイルランド人を虐殺した場所で反英闘争の聖地であった。アイルランドは伝統的に反英感情が強いものの、イギリス(イングランド)の国語かつ公用語である[[英語]]を使用しており、英語修学の外国留学先として人気である。[[2011年]]に、当初は小規模な抗議行動が起きたが<ref>{{Cite web|title=Protests at Queen's Ireland visit|url=https://www.bbc.com/news/av/world-europe-13423365/queen-in-ireland-protests-as-monarch-visits|website=BBC News|accessdate=2020-07-17|language=en}}</ref>、[[エリザベス2世]]が訪問した。女王は「アイルランドの自由のために命を捧げたすべての人々の記憶に捧げられた」追憶の庭を訪れ、花輪を捧げ、敬意を表し[[お辞儀]]をした。その後も何百人もの応援する子どもや店員らに挨拶をし、初の公式訪問を無事に終えた<ref>{{Cite news|title=Queen shaken and stirred as Irish tour concludes|url=https://www.theguardian.com/uk/2011/may/20/queen-irish-tour-cork|work=The Guardian|date=2011-05-20|accessdate=2020-07-17|issn=0261-3077|language=en-GB|first=Stephen|last=Bates}}</ref>。
;北アイルランドとの関係
[[ファイル:The Border on Killeen School Road - geograph.org.uk - 446719.jpg|サムネイル|[[北アイルランド]]から見たアイルランドとの[[国境]](北では[[マイル毎時|mph]]、アイルランドでは[[キロメートル毎時|km/h]]を使用しているため、速度制限の標識で分けている)]]
アイルランドと[[北アイルランド]]との国境を区別することなく、島全体が一つの組織になっているものがある。
例えば、スポーツの分野では、ゲーリック・ゲームや[[ラグビーフットボール|ラグビー]]などのスポーツ(サッカーを除く)は、合同リーグを通じて行われている。同様に、大多数の[[キリスト教]]([[カトリック教会]]、[[メソジスト教会]]、[[アイルランド聖公会]]、[[聖公会]]、[[長老派教会|アイルランド長老派教会]])は、分離に関係なく組織されている。
一部の組合はダブリンを拠点とするアイルランド労働組合会議(ICTU)に共同で組織されているが、北アイルランドの他の組合はイギリスを拠点とする労働組合会議(TUC)に加盟、または両方に加盟している組合もある。アイルランド学生連合(USI)もアイルランド全域で活動しているが、北アイルランドではイギリスの全国学生連合(NUS)と関連しており、連名(NUS-USI)で活動している。
他では、この2つの地域は、文化や習慣のほぼすべての要素を共有している。例えば、[[アイルランド音楽|アイルランドの伝統音楽]]は、国境を越えても同じである。[[アイルランド語]]もその一例だが、アイルランドのみで教育が行われている。また、促進するために近年アイルランド政府のキャンペーンの対象ともなっている。
==== アメリカ合衆国との関係 ====
[[ファイル:President Ronald Reagan speaking to citizens of Ballyporeen, Ireland.jpg|thumb|right|祖先の故郷[[ティペラリー県|ティペラリー]]でスピーチをする[[ロナルド・レーガン|レーガン]][[アメリカ合衆国大統領|米大統領]]([[1984年]])]]
{{main|{{仮リンク|米愛関係|en|Ireland–United States relations}}}}
19世紀後半、イギリス植民地支配に苦しんだアイルランド人は、同じ英語圏の国へ移民を行わざるをえなかった。当時、同じくイギリス植民地であった[[カナダ]]や[[オーストラリア]]においては、やはり支配層から差別される立場であったため、植民地からの独立を果たしていた[[アメリカ合衆国]]にその多くが渡った。そのため[[アイルランド系アメリカ人]]は今日でも多い。[[シカゴ]]から[[ルイジアナ州|ルイジアナ]]に至るいわゆる[[バイブルベルト]]ではアイルランド系移民によるカトリックの影響が強く、[[聖パトリックの祝日]]を盛大に祝う風習がある。人口の多いニューヨークでもアイルランド系住民の絶対数は少なくなく、上記祝日は盛大に祝われる。しかし開拓当時のアメリカ人からは、アイルランド人移民の貧しい生活や異様と取れる風習、イギリスで被征服民として低くみられていた事、カトリック教徒であった事などにより、忌避感を持たれた。アイルランド人は人種的に見て「白人」に含まれるが、「アメリカ市民」には相応わしくないとされて、以降、偏見の目と差別に苦しめられた。しかし後にはその社会的地位は向上し、大統領となった[[ジョン・F・ケネディ]]、そして[[ロナルド・レーガン]]は、祖先の故地アイルランドを訪問、暖かく歓迎された。
アイルランドは経済面でアメリカ依存が強い。一方で1990年代の「アイルランドの奇跡」といわれる経済成長の背景には、国内総生産の7%程に相当するEUからの援助金も無視できない。アメリカ、EUからの投資は特に教育制度と公共設備にあてられアイルランドの経済力を強化したが、より重要なのはEU諸国間では比較的低い法人税と安い賃金である。それに惹かれて外国企業、とりわけアメリカの多国籍企業が生産拠点とヨーロッパ事業本部をアイルランドに設立した。アイルランドの国語が英語であることもアメリカ企業にとって重要で、また、アメリカ本部とアイルランド支部との時差を利用した仕事分担の恩恵もある。エレクトロニクス、製薬のようなハイテク産業や、金融サービスなどにおける外国投資はアイルランド経済の原動力となっているが、その内訳の80%はアメリカによるもので、アイルランドで活躍しているアメリカ企業は600社、その従業員は10万人規模に及ぶ。アメリカからみてアイルランドはヨーロッパ市場を狙う前進基地であるが、一方でアイルランドでの収益率は、他のヨーロッパの国よりも2割から3割ほど高い。
アイルランドの民族主義達は、植民地支配の経緯によりイギリスに対し敵対的であるが、かつて同じくイギリスから独立し、多くのアイルランド系移民を受け入れたアメリカ合衆国に対しては好意的にみなす傾向がある。旧宗主国が残していった英語を駆使して、第二次大戦後にイギリスに代わって世界一の経済大国となったアメリカと活発な取引を行っているが、これは同じくイギリスの植民地支配を受けた[[インド]]と同様の傾向である。
==== 日本との関係 ====
{{main|日愛関係}}
プロテスタント系アイルランド人の父親を持つイギリス国籍の作家ラフカディオ・ハーン(日本名:[[小泉八雲]])は日本に移住し、[[日本]]についての本を書いている<ref>{{Cite web|title=Discovering Irish-Japanese relations|url=https://www.ria.ie/news/documents-irish-foreign-policy/discovering-irish-japanese-relations|website=Royal Irish Academy|date=2017-10-05|accessdate=2020-07-17|language=en}}</ref>。
[[第二次世界大戦]]では、日本政府が中立国で活動している自国の外交官たちのため、スイスのアイルランド大使館を経由して送金していた<ref>{{cite news|url=https://www.ie.emb-japan.go.jp/itpr_ja/00_000112.html#PAGETOP|title=日愛外交関係樹立50周年記念 (潮田哲,淑子ご夫妻に聞く) 「聞き語り日愛半世紀」 第2回:「太平洋戦争と2人のアイリッシュ」|publisher=|date=2014-10-23|accessdate=2017-02-06}}</ref>。
[[1957年]]には日本との国交を樹立し、日本は[[ダブリン]]に[[公使館]]を設置した。[[1964年]]には、公使館を[[大使館]]に昇格させ、[[在アイルランド日本国大使館]]となる<ref>[https://www.ie.emb-japan.go.jp/itpr_ja/00_000110.html 日本アイルランド外交関係樹立50周年記念] - 在アイルランド日本国大使館</ref><ref name=":7">{{Cite web|title=Japan-Ireland Relations (Overview)|url=https://www.mofa.go.jp/region/europe/ireland/data.html|website=Ministry of Foreign Affairs of Japan|accessdate=2020-07-16|language=en}}</ref>。また、[[1973年]]にアイルランドが[[東京都]][[千代田区]]に[[駐日アイルランド大使館]]を設置した<ref name=":7" />。
[[1966年]]に査証相互免除となり、[[1974年]]に[[租税条約]]が結ばれた<ref name=":6" />。
[[2007年]]に日本とアイルランドは[[ワーキング・ホリデー]]の協定を結んだ。また、[[2010年]]には社会保障協定を結んだ。
[[2019年]]には、アイルランドは日本にとって、[[欧州連合|欧州連合内]]の[[輸出]]として第12位、[[輸入]]として第5位の国となっている。日本は[[コンタクトレンズ]]などの[[光学機器]]や[[医薬品]]を輸入しており、アイルランドは医薬品や日本と同じ[[対面交通]]の為、[[対面交通|右ハンドル]]自動車などを輸入している<ref name=":6">{{Cite web|和書|title=アイルランド基礎データ|url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/ireland/data.html|website=Ministry of Foreign Affairs of Japan|accessdate=2020-08-28|language=ja}}</ref>。
アイルランドに在留している日本人数は、2021年現在、2,818人であり、日本に在留しているアイルランド人数は1,099人である<ref name=":6" />。
=== 軍事 ===
{{main|アイルランド国防軍}}
アイルランドの軍隊は、[[アイルランド国防軍]]({{Lang|ga|Óglaigh na hÉireann}})の下に組織化されている。アイルランド軍は、隣接する軍隊と比べ小さいが、兵員8,500人と予備役1万3,000人を擁している<ref>{{Cite web|title=Army - The Irish Defence Forces|url=http://www.military.ie/army/intro.htm|website=www.military.ie|date=|accessdate=2020-07-15|publisher=|archivedate=2007-02-28|archiveurl=https://web.archive.org/web/20070228155444/http://www.military.ie/army/intro.htm}}</ref>。その規模の大きさは、主に国の[[中立]]性によるものである。さらに、紛争への関与は、[[国際連合]]、政府、[[ドイル・エアラン|議会]]によって統治されている<ref>{{Cite web|title=Battlegroup plans due before Cabinet|url=https://www.irishtimes.com/news/battlegroup-plans-due-before-cabinet-1.480337|website=The Irish Times|accessdate=2020-07-15|language=en|first=Liam|last=Reid}}</ref>。
また、[[アイルランド空軍]]、[[アイルランド海軍|海軍]]、予備防衛軍もある。[[陸軍レンジャー群 (アイルランド)|アイルランド陸軍レンジャー]]は、[[アイルランド陸軍|陸軍]]に仕える特殊部隊の一部門でもある。4万人以上のアイルランドの軍人が、[[国際連合平和維持活動]]への派兵を行っている。
航空施設は、2003年のイラク侵攻時に[[アメリカ軍]]が[[シャノン空港]]を経由して軍人の輸送に使用していた。それまで空港は、2001年の[[アフガニスタン紛争 (2001年-2021年)|アフガニスタン戦争]]や[[第一次湾岸戦争]]の際に使用されていた<ref>{{Cite web|url=http://historical-debates.oireachtas.ie/D/0560/D.0560.200301300005.html|title=Private Members' Business. - Foreign Conflicts: Motion (Resumed)|accessdate=2020-07-15|publisher=|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110511091051/http://historical-debates.oireachtas.ie/D/0560/D.0560.200301300005.html|archivedate=2011年5月11日}}</ref>。[[キューバ危機|キューバ危機時]]、ショーン・ルマスはシャノンを通過したキューバ機とチェコ機の捜索を許可し、その情報を[[中央情報局]]に伝えた<ref>Irish Times, 28 Dec 2007 p. 1.</ref>。
[[第二次世界大戦|第二次世界大戦中]]は[[連合国 (第一次世界大戦)|連合国軍]]に支援を提供していたが、中立国であったため参戦していない。1999年から[[北大西洋条約機構]](NATO)には加盟していないが、NATOプログラム([[平和のためのパートナーシップ]])に参加している<ref>{{Cite web|title=State joins Partnership for Peace on Budget day|url=https://www.irishtimes.com/news/state-joins-partnership-for-peace-on-budget-day-1.255246|website=The Irish Times|accessdate=2020-07-15|language=en|first=Patrick|last=Smyth}}</ref><ref>{{Cite web|title=NATO PfP Signatures by country|url=https://www.nato.int/pfp/sig-cntr.htm|website=www.nato.int|accessdate=2020-07-15}}</ref>。
== 地理 ==
[[ファイル:Ireland from space edit.jpg|thumb|[[アイルランド島]]の衛星写真]][[ファイル:Cliffs of Moher bei bestem Wetter (2007).jpg|サムネイル|[[モハーの断崖]]]]
{{main|アイルランドの地理}}
[[アイルランド島]]
島の面積は、[[北海道]]よりもやや広い84,421 km<sup>2</sup>で、そのうち83%(約6分の5)がアイルランド(70,273km<sup>2</sup>)に属し、残りはイギリスの[[北アイルランド]]に属している。南北に約500km、東西に約300kmある。西に大西洋、北東に[[ノース海峡 (イギリス)|ノース海峡]]に囲まれている。東には[[アイリッシュ海]]があり、南西を経由して[[セント・ジョージ海峡]]や[[ケルト海]]と結んでいる。内陸部は起伏に富んだ[[丘陵|丘陵地帯]]と低山に囲まれた[[平野]]部、西海岸は[[断崖]]絶壁で構成されている。最高地点は南西部にある1041[[メートル|m]]の[[キャラントゥール山]]。
内陸部は比較的平坦で、内部の[[盆地]]が窪んでおり、海岸付近の標高が高い。領土は[[シャノン川]]などの河川に挟まれており、比較的大きく浅い湖({{En|lough}})が多い。国の中心部の一部はシャノン川に覆われており、広大な湿地帯があり、細長いインゴット状の[[泥炭]]を圧搾して生産するために使用されている。アイルランドには、ヨーロッパ最大の囲まれた都市公園の[[フェニックス・パーク]]があり、その面積は712[[ヘクタール]]で、周囲16[[キロメートル|km]]の広大な緑地と並木道で構成されている<ref>{{Cite web|title=Phoenix Park {{!}} park, Dublin, Ireland|url=https://www.britannica.com/place/Phoenix-Park|website=Encyclopedia Britannica|accessdate=2020-07-15|language=en}}</ref>。
西部は山地、丘陵、断崖の風景が広がる。主な山岳は、ドニゴール山地、[[ウィックロー山地]]、[[モーン山地]]、マギリカディーズ・リークス山地、最高峰の[[キャラントゥール山]]などがある。中央部は[[氷河]]によって堆積した[[粘土]]と[[砂]]を含む低地で、[[沼|沼地]]や、[[ネイ湖]]、[[アーン湖 (アイルランド島)|アーン湖]]、[[コリブ湖]]、[[ダーグ湖]]などの[[湖]]が多く存在する。主要な川は[[シャノン川]]、ブラックウォーター川、[[バロー川]]、[[バン川]]などがある。島を取り囲む海岸は、通常、河口や[[フィヨルド]]に似ている狭い湾を持つ、非常に切り立った高さのある海岸である。北東部に[[玄武岩]]台地があるほかはほとんどの地域が[[花崗岩]]に覆われている。
温暖な[[メキシコ湾流]]と、[[大西洋]]から吹く[[偏西風]]の影響で気候は安定した[[西岸海洋性気候]]となっており夏は涼しく、冬は緯度の高い割に寒くない。また、地域による気候の差もほとんどない。平均気温は、もっとも寒い1月と2月で4℃から7℃程度、もっとも暖かい7月と8月では14℃から17℃程度である。最低気温が-10℃より下がることや、最高気温が30℃を超えることはほとんどない。
年間の降水量は、平野では1000[[ミリメートル|mm]]程度である。山岳部ではさらに多く2000mmを超えることもある。月ごとの降水量はほとんど変わらない。
主な都市は、東海岸にある首都[[ダブリン]]、南部にある[[コーク (アイルランド)|コーク]]、西海岸にある[[リムリック]]、[[ゴールウェイ]]、南東海岸にある[[ウォーターフォード]]である。
=== 地学 ===
[[ファイル:Irish diamond.JPG|サムネイル|アイリッシュ・ダイヤモンド]]
地質学的には、島は区別された地域で構成されている。西部の[[ゴールウェイ]]と[[ドニゴール県|ドニゴール]]周辺には、[[カレドニア造山運動]]に関連した中~高品位の[[変成岩]]と[[火成岩]]の複合体がある。アルスターの南東部、南西の[[ロングフォード]]から南の[[ナヴァン]]まで伸びている地域には、[[スコットランド]]のサザン・ハイランド地域に似た特徴を持つ[[オルドビス紀]]と[[シルル紀]]の岩石の地域がある。さらに南下すると、[[ウェックスフォード]]海岸周辺には、オルドビス紀とシルル紀の岩石への花崗岩の侵入によって形成された地域があり、[[コーンウォール]]のものと非常によく似ている。南西部、バントリー湾とマギリカディーズ・リークス山地の周辺には、実質的に変形しているが、わずかに変成した[[デボン紀]]の岩石の地域があり、[[コーンウォール]]の岩石と非常によく似ている。
この部分的なリング状の硬岩は、島の中心部に向かって炭素質の[[石灰岩]]の層で覆われており、比較的肥沃で緑豊かな景観を生み出している。[[リスドゥーンバーナ]]周辺の西海岸にある[[バレン]]は、[[カルスト地形]]がよく発達している。その他の地域では、銀鉱山とタイナ周辺の石灰岩に[[亜鉛]]と[[鉛]]の成層状鉱床が見られる。
探鉱は、[[炭化水素]]を求めて行っている。最初の重要な発見は、[[1970年代]]半ばにマラソン・オイル社によって発見された[[コーク (アイルランド)|コーク]]/[[コーヴ]]のキンセールにあるアイルランド最大の[[ガス田]]である。
[[2006年]]8月には[[ドニゴール県]]北部で計画されたフロンティアが完成し、[[アイリッシュ海]]と[[セント・ジョージ海峡]]で有望な[[掘削]]が行われるなど、新鉱区の探査が続いている<ref>{{Cite web|title=Oil and gas fields near ireland|url=https://www.google.com/maps?f=q&hl=en&geocode&q=oil+and+gas+fields+in+ireland&ie=UTF8&ll=53.592505,-9.030762&spn=6.274516,19.775391&z=6|website=Oil and gas fields near ireland|accessdate=2020-07-15|language=en}}</ref>。
=== 天候 ===
[[ファイル:Lough Leane (pixinn.net).jpg|サムネイル|306x306ピクセル|[[キラーニー国立公園]]]]
アイルランドの気候は年間を通じて温暖である。最も気温が高かったのは[[1887年]][[6月26日]]のキルケニー城([[キルケニー県]])で観測された33.3[[℃]]、最も低かったのは[[1881年]][[1月16日]]のマークリー城([[スライゴ県]])で観測された-19.1℃であった<ref name=":0">{{Cite web|title=Weather Extreme Records for Ireland - Met Éireann - The Irish Meteorological Service|url=https://www.met.ie/climate/weather-extreme-records|website=www.met.ie|accessdate=2020-07-15|language=en}}</ref>。
他の統計によると、記録された最高年間[[降水量]]は、[[1960年]]にバラビーナ・ギャップで3964.9[[ミリメートル|mm]]であった。記録上最も乾燥した年は1887年で、グラスネヴィンでは357mmの雨しか降らなかったが、最長の干ばつ期間があったのは[[リムリック]]で、[[1938年]]4月から5月まで38日間連続して雨が降らなかった<ref name=":0" />。
[[北大西洋海流]]の影響により、極端な温度差がない。降水量(主に雨)は東部を中心に少なくなる。国の西部は晩[[秋]]から[[冬]]にかけて大西洋の[[暴風雨]]に見舞われやすい傾向にあり、[[雪]]や[[雹]]が降ることもある。[[ゴールウェイ]]の北と東の地域は、雷の件数が最も多い(年間5日から10日)。長期間の[[降雪]]はまれである<ref name=":5">{{Cite web|和書|title=アイルランドの天気|url=https://www.ireland.com/ja-jp/about-ireland/discover-ireland/irelands-weather/|website=Ireland.com|accessdate=2020-07-17|language=ja}}</ref>。
アイルランドは時々[[熱波]]の影響を受けることがあり、最近では[[2018年]]に熱波が発生している<ref>{{Cite web|title=Major Weather Events - Met Éireann - The Irish Meteorological Service|url=https://www.met.ie/climate/major-weather-events|website=www.met.ie|accessdate=2020-07-17|language=en}}</ref>。島の平均気温は、2月 - 4月は最高気温8 - 12℃、5月 - 7月は最高気温18 - 20℃、8月 - 10月は最高気温14 - 18℃となっている<ref name=":5" />。
=== 植物 ===
[[メキシコ湾流]]によって緩和された温帯海洋性気候、比較的温暖な気候、高い湿度(豊富な泥炭湿地の存在も影響している)によって島のほぼ全体が[[草原]]に覆われているため、アイルランドをさして「エメラルドの国」と呼ばれる。[[シャムロック]](アイルランド文化の国と伝統的なシンボル)が非常に多く、[[泥炭]]は[[ミズゴケ属]]などの植物の分解によって形成されている。近世までのアイルランドは、他の[[イギリス]]の島々と同様、[[オーク]]、[[ホルムオーク]]、[[ハンノキ]]、[[ニレ]]などの[[落葉樹林]]に覆われていたが、これらの[[森林]]のほとんどは、[[羊]]の放牧地を拡張したり、船を建造するためにイギリス人の侵略者によって伐採された。
=== 動物 ===
[[ファイル:Rød ræv (Vulpes vulpes).jpg|サムネイル|[[アカギツネ]]]]
[[最終氷期]]の末期以降、大陸部や[[イギリス]]から隔離されていたため、原住民の動物相は貧弱で、[[アカギツネ]]、[[フェレット]]、[[ウサギ]]などが生息し、[[シカ]]の数は非常に少ない。[[爬虫類]]の不足は顕著であり、生息しているのは[[コモチカナヘビ]]のみである。[[鳥類]]や[[両生類]]の[[哺乳類]]の動物相も[[捕食]]によって減少しているが、海岸の断崖にはイベリアウミガラス、[[ツノメドリ属]]、[[シロカツオドリ]]、ミズナギドリ、[[ウミツバメ科]]などの海鳥の大規模な群生がある。また、クロガチョウやホオジロガチョウの越冬個体数やヒラガチョウの越冬個体数も生息しており、最初に[[ペンギン]]の名をもらった鳥である[[オオウミガラス]]は[[17世紀]]に[[絶滅]]した。
=== 自然公園 ===
アイルランドには6つの[[自然公園]]があり、植物や景観の多様性に富んだ独特の美しさを持っている。北西に[[ドニゴール県]]のグレンヴェイ、そして少し南西には[[メイヨー県]]のバリークロイ、[[ゴールウェイ|ゴールウェイ市]]の北西と南にそれぞれ[[コネマラ山地]]と[[バレン]]がある。また、西海岸を南下し、[[リムリック]]の[[シャノン川]]河口を過ぎると、街のすぐ南に[[キラーニー国立公園]]がある。最後に、ウィックローの西、ダブリンの南にある[[ウィックロー山地]]もある。
== 地方行政区画 ==
[[ファイル:Ireland Counties Numbered.png|代替文=|サムネイル|305x305ピクセル|アイルランドの県]]
{{main|アイルランドの地方行政区画}}
[[アイルランド島]]は歴史的な慣習から自治権のない[[コノート]]、[[マンスター]]、[[レンスター]]、[[アルスター]]の[[アイルランドの地方|4つの地方]]({{En|Province}})に大別される。これらは[[アイルランドの地方行政区画|32の県]]({{En|County}})で構成されるが、この内の[[アーマー県|アーマー]]、[[アントリム県|アントリム]]、[[ダウン県|ダウン]]、[[ティロン県|ティロン]]、[[デリー州|デリー]]、[[ファーマナ県|ファーマナ]]の[[北アイルランドのカウンティ|6県]]がイギリスの統治下にある[[北アイルランド]]に属している。
# [[ダブリン県]]
# [[ウィックロウ県]]
# [[ウェックスフォード県]]
# [[カーロウ県]]
# [[
# [[
# [[ラウ
# [[
# [[キ
# [[
# [[
# [[
# [[
# [[
# [[ウ
# [[
# [[ケリー
# [[
# [[ティペラリー県]]
# [[
# [[ゴールウェイ県]]
# [[メイヨー県]]
# [[ロスコモン県]]
# [[スライゴ県]]
# [[ドニゴール県]]
=== 主要都市 ===
{{Main|アイルランドの都市の一覧}}
[[2011年]]におけるアイルランドの5大都市は次の通り。
{| class="wikitable"
!
!都市
!県
!人口(urban areas)
|-
|1
|[[ダブリン]]
|[[ダブリン県]]
|align="right"|111万627人
|-
|2
|[[コーク (アイルランド)|コーク]]
|[[コーク県]]
|align="right"|19万8582人
|-
|3
|[[リムリック]]
||[[リムリック県]]
|align="right"|9万1454人
|-
|4
|[[ゴールウェイ]]
|[[ゴールウェイ県]]
|align="right"|7万6778人
|-
|5
|[[ウォーターフォード]]
|[[ウォーターフォード県]]
|align="right"|5万1519人
|}
== 経済 ==
[[ファイル:BlueEurozone.svg|サムネイル|アイルランドは[[EU]](紺色&水色)と[[ユーロ圏]](紺色)に属している]]
{{main|アイルランドの経済|ケルトの虎|PIIGS}}
{| class="wikitable" style="float: right; margin-left: 3.5em; padding-left: 2em; font-size: 90%;"
! colspan="2" |輸出
! colspan="2" |輸入
|-
!国
!比率
!国
!比率
|-
|{{USA}}
|18,6 %
|{{GBR}}
|37,1 %
|-
|{{GBR}}
|17,4 %
|{{USA}}
|13,8 %
|-
|{{BEL}}
|15,3 %
|{{DEU}}
|9,2 %
|-
|{{DEU}}
|7,4 %
|{{FRA}}
|4,5 %
|-
|{{FRA}}
|6,4 %
|{{JAP}}
|4 %
|-
|{{NLD}}
|5,6 %
|{{NLD}}
|3,5 %
|-
|その他
|29,3 %
|その他
|27,9 %
|-
|}
アイルランドは開放経済国であり([[経済自由度指数]]では6位)、「価値の高い」[[外国直接投資]](FDI)の流れでは第1位である。[[国の国内総生産順リスト (一人当り購買力平価)|一人当り購買力平価の国内総生産]]を用いた場合、アイルランドは187カ国中5位(IMF)、175カ国中6位([[世界銀行]])にランクされている。別の指標である修正国民総所得(GNI)は、「国内経済の活動」をより正確に把握することを目的としている。これは、グローバル化が進むアイルランドの小規模な経済において、特に重要な意味を持っている。実際、外国の多国籍企業はアイルランド経済を牽引しており、民間部門の労働力の4分の1を雇用し、アイルランドの事業税の80%を支払っている。アイルランドの上位20社(2017年の売上高)のうち14社は[[アメリカ合衆国]]を拠点とする多国籍企業である(アイルランドの外国の多国籍企業の80%は米国系企業であり、売上高上位50社の中で、米国・英国以外の外国企業はなく、従業員数では1社のみで、ドイツの小売業である[[リドル]]が41位にランクインしている)。
アイルランドは[[2002年]]に他の11の[[欧州連合加盟国]]とともに[[ユーロ硬貨|ユーロ通貨]]を採用した。
アイルランド経済は他のヨーロッパ諸国と比べ小規模であり国際貿易に大きく依存している。かつては西欧でも長きにわたり[[ポルトガル]]などと並び最貧国のひとつに数えられたが、1990年代に入ってから[[欧州連合|EU]]の統合とアメリカを中心とした外資からの投資などにより急成長を遂げた。1995年から2000年の[[経済成長率]]は10%前後であり、世界において最も経済成長を遂げた国のひとつとなった。以前に経済の中心をなしていた農業は産業の[[工業化]]により重要度が低下した。現在では工業は[[国内総生産|GDP]]の46%、輸出額の80%、雇用の29%を担っている。近年のアイルランド経済の力強い成長は[[外資]]企業・[[多国籍企業]]や輸出が寄与するところが大きいが、国内における個人消費および建設、[[設備投資]]による影響も見逃せない。好調な経済に伴いここ数年の[[インフレーション|インフレ]]率は4%から5%で推移していたが、2005年度には2.3%に低下した。アイルランド国民の関心を集めている住居価格は2005年2月で251,281[[ユーロ]]だった。[[失業率]]は低水準を維持しており収入も順調に増加している。世界の主要都市における調査によると、アイルランドの首都[[ダブリン]]は22番目に物価の高い都市であり、2003年度の調査から2位上昇している。アイルランドはEUの中で[[ルクセンブルク]]に次いで1人あたりGDPが大きい国であり、これは世界においても4位に位置している。アイルランドとルクセンブルクはタックスヘイブンであるため、GDPは国民所得に対して過大評価されている。OECD統計によると、2020年の購買平価説に基づくアイルランドの一人当たり所得はおよそ22837米ドルである<ref>{{Cite web |title=OECD Statistics |url=https://stats.oecd.org/ |website=stats.oecd.org |access-date=2023-06-15}}</ref>。
2007年度より、経済の急激な落ち込みが始まり、特に不動産価格の急激な下落が記録されている。同年より起きた世界的なサブプライム問題によって多くの銀行・証券会社などが巨額な損失を発表しており、また2008年には経済が2.5%程度縮小(見込み)、失業率が前年の5%から10.4%に上昇するなどユーロ圏でも特に深刻な不況に陥っている<ref>[http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/766 アイルランド経済:宴は完全に終わった 英エコノミスト誌 (The Economist) 2009年3月21日号 - JBpress2009年3月25日] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20090325185210/http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/766|date=2009年3月25日}}2009年5月21日閲覧。英語版のオリジナル記事は [http://www.economist.com/world/europe/displaystory.cfm?story_id=13331143 Ireland's economy The party is definitely over | Mar 19th 2009 | DUBLIN From The Economist print edition - Economist.com] 2009年5月21日閲覧。{{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20090324095648/http://www.economist.com/world/europe/displaystory.cfm?story_id=13331143|date=2009年3月24日}}</ref>。
アイルランドは[[2010年]]に正式に不況から脱却したが、アイルランドの米国多国籍企業からの輸出の増加に助けられたからである<ref>{{Cite news|title=Ireland Officially Exits Recession|url=https://www.wsj.com/articles/SB10001424052748703426004575338433422665358|work=Wall Street Journal|date=2010-06-30|accessdate=2020-07-15|issn=0099-9660|language=en-US|first=Quentin|last=Fottrell}}</ref>。しかし、民間銀行の債務を政府が保証したことで公的な借入コストが上昇したため、アイルランド政府は、[[欧州連合]](EU)、[[国際通貨基金]](IMF)、[[イギリス]]、[[スウェーデン]]、[[デンマーク]]の二国間融資を受け、850億ユーロの支援プログラムを受け入れた<ref>{{Cite web|title=Ireland to receive €85 billion bailout at 5.8% interest rate|url=https://www.irishtimes.com/news/ireland-to-receive-85-billion-bailout-at-5-8-interest-rate-1.868001|website=The Irish Times|accessdate=2020-07-15|language=en|first=David|last=Labanyi}}</ref>。3年間の縮小に続き、[[2011年]]には0.7%、[[2012年]]には0.9%の経済成長となった<ref>{{Cite journal|date=2013-03-21|title=Irish economy grew by 0.9% in 2012 - CSO|url=https://www.rte.ie/news/business/2013/0321/377718-gdp-growth-cso/|language=en}}</ref>。2012年の失業率は14.7%で、最近の移民の18.5%を含む<ref>{{Cite web|title=Irish anti-immigrant attitudes growing, report shows|url=https://www.irishtimes.com/news/social-affairs/irish-anti-immigrant-attitudes-growing-report-shows-1.1442460|website=The Irish Times|accessdate=2020-07-15|language=en|first=Judith|last=Crosbie}}</ref>。[[2016年]]3月の[[中央統計局 (アイルランド)|中央統計局]]の発表によると、[[失業率]]は8.6%で、2012年2月のピーク時の15.1%から低下した<ref>{{Cite web|title=Monthly Unemployment March 2016 - CSO - 中央統計局|url=https://www.cso.ie/en/releasesandpublications/er/mue/monthlyunemploymentmarch2016/|website=www.cso.ie|accessdate=2020-07-15|language=en}}</ref>。アイルランド国勢調査(2011年)によると、[[2008年]]から[[2013年]]までのアイルランドからの純移民の総数は120,100人で、総人口の約2.6%を占めている。移住者の3分の1は15歳から24歳であった<ref>{{Cite web|title=Subscribe to read {{!}} Financial Times|url=https://www.ft.com/content/d27e950a-10bf-11e3-b291-00144feabdc0|website=www.ft.com|accessdate=2020-07-15}}</ref>。
[[2013年]][[12月15日]]、EU-IMFの支援プログラムを終了した<ref>{{Cite web|title=Ireland becomes first country to exit eurozone bailout programme|url=http://www.theguardian.com/business/2013/dec/13/ireland-first-country-exit-eurozone-bailout|website=the Guardian|date=2013-12-13|accessdate=2020-07-15|language=en}}</ref>。予算削減、改革、資産売却を実施したことで、アイルランドは再び債券市場にでるようになった。それ以来、アイルランドは記録的な金利で長期債を売却することができた<ref>{{Cite web|title=Republic of Ireland raises €3.75 billion from sale of new 10-year benchmark bond|url=http://cbonds.com/news/item/696585|website=cbonds.com|accessdate=2020-07-15}}</ref>。しかし、アイルランドの信用バブルの安定化には、民間部門のバランスシートから公的部門のバランスシートへ、銀行の救済措置や公的赤字支出を通じた多額の債務移転が必要となった<ref>{{Cite web|title=Subscribe to read {{!}} Financial Times|url=https://www.ft.com/content/51a2e9bf-f654-333c-8ae8-b5155eea9ea0|website=www.ft.com|accessdate=2020-07-15}}</ref><ref>{{Cite web|title=42% of Europe’s banking crisis paid by Ireland|url=https://www.irishexaminer.com/ireland/42-of-europes-banking-crisis-paid-by-ireland-219703.html|website=www.irishexaminer.com|date=2013-01-16|accessdate=2020-07-15|language=en|last=Wednesday}}</ref>。この債務の移転は、[[2017年]]のアイルランドの公共部門の債務と民間部門の債務の両方がEU-28/OECDの中で最も高いレベルにあることを意味している<ref>{{Cite web|title=Who owes more money - the Irish or the Greeks?|url=https://www.irishtimes.com/business/economy/who-owes-more-money-the-irish-or-the-greeks-1.2236034|website=The Irish Times|accessdate=2020-07-15|language=en|first=Fiona|last=Reddan}}</ref><ref>{{Cite web|title=Why do the Irish still owe more than the Greeks?|url=https://www.irishtimes.com/business/economy/why-do-the-irish-still-owe-more-than-the-greeks-1.3001026|website=The Irish Times|accessdate=2020-07-15|language=en|first=Fiona|last=Reddan}}</ref><ref>{{Cite web|title=Ireland's colossal level of indebtedness leaves any new government with precious little room for manoeuvre|url=https://www.independent.ie/business/personal-finance/latest-news/irelands-colossal-level-of-indebtedness-leaves-any-new-government-with-precious-little-room-for-manoeuvre-34633087.html|website=independent|accessdate=2020-07-15|language=en}}</ref><ref>[http://www.fiscalcouncil.ie/wp-content/uploads/2017/07/Fiscal-Assessment-Report-June-2017-Presentation.pdf "Irish public debt levels 4th highest in EU28 June 2017 FAR Slide 7"] (PDF). Irish Fiscal Advisory Council. June 2017.</ref><ref>{{Cite web|title=Irish household debt falls but still among highest in Europe|url=https://www.irishtimes.com/business/economy/irish-household-debt-falls-but-still-among-highest-in-europe-1.3216828|website=The Irish Times|accessdate=2020-07-15|language=en|first=Eoin|last=Burke-Kennedy}}</ref><ref>{{Cite web|title=National debt now €44,000 per head|url=https://www.independent.ie/irish-news/politics/national-debt-now-44000-per-head-35904197.html|website=independent|accessdate=2020-07-15|language=en}}</ref>。
アイルランドはアメリカ合衆国の多国籍企業主導の経済を成長させながら、国内の民間部門のデレバレッジを継続している。[[2009年]]から[[2016年]]にかけて、米国の法人税の逆転取引(主に製薬企業)の主な取引先となり、ピーク時には1,600億[[アメリカ合衆国ドル|ドル]]の[[アラガン]]/[[ファイザー]]の逆転取引(世界最大の逆転取引で、アイルランドのGNIの約85%を占める)が阻止された<ref>{{Cite web|title=Pfizer to Terminate $160 Billion Merger With Allergan|url=https://www.bloomberg.com/news/articles/2016-04-06/pfizer-allergan-plan-to-mutually-end-merger-cnbc-reports|website=www.bloomberg.com|accessdate=2023-09-22}}</ref><ref>{{Cite web|title=Pfizer pulls out of €140bn Irish Allergan merger|url=https://www.independent.ie/business/irish/pfizer-pulls-out-of-140bn-irish-allergan-merger-34603518.html|website=independent|accessdate=2020-07-15|language=en}}</ref>。アイルランドはまた、米国の「ビッグキャップ」テクノロジー多国籍企業([[Apple]]、[[Google]]、[[マイクロソフト]]、[[Facebook]]など)にとって最大の海外拠点となり、[[2015年]]の[[国内総生産]]成長率は26.3%([[国民総所得]]成長率は18.7%)となった。
=== 課税政策 ===
1987年には、国際金融サービスセンター(IFSC)と呼ばれる10%の低税率の「[[経済特区]]」が創設され、アイルランド経済は一変した<ref>{{Cite web|title=Finance-Magazine.com - Dermot Desmond on the IFSC past and future|url=http://www.finance-magazine.com/display_article.php?i=2300&pi=142|website=www.finance-magazine.com|accessdate=2020-07-15}}</ref>。1999年には、アイルランドの法人税が32%から12.5%に引き下げられ、国全体が事実上「IFSC化」された(アイルランドの「低税モデル」の誕生)<ref>[http://www.budget.gov.ie/Budgets/2015/Documents/EY_Historical_Dev_International_Context_Irish_%20Corporation_Tax.pdf "History of the Irish Corporate Tax System"] (PDF). Ernst and Young. 2014.</ref><ref>[https://www.oireachtas.ie/parliament/media/committees/finance/Report---Global-Corporate-Taxation-Final.pdf "Report on Ireland's Relationship with Global Corporate Taxation Architecture"] (PDF). Department of Finance. 2014.</ref>。これにより、アイルランドの魅力的な法人税率と独自の法人税制度を利用しようとするハイテク、ライフサイエンス、金融サービス産業から米国の多国籍企業を誘致し、農業経済から知識経済への移行を加速させた。
外国企業がアイルランドで使用している「多国籍税制」は、アイルランドの経済統計を大きく歪めており、2015年の「レプラコーン経済学」の[[国内総生産|GDP]]/[[国民総所得|GNP]]成長率で最高潮に達した(2015年に[[Apple]]がアイルランドの子会社を[[リストラ]]したため)。[[アイルランド中央銀行・金融サービス機構|アイルランド中央銀行]]はこうした歪みを取り除くために、「修正GNI」(またはGNI*)という新しい統計を導入した。GNI*はGDPを30%下回っている(つまり、GDPはGNIの143%)<ref>{{Cite web|title=CSO paints a very different picture of Irish economy with new measure|url=https://www.irishtimes.com/business/economy/cso-paints-a-very-different-picture-of-irish-economy-with-new-measure-1.3155462|website=The Irish Times|accessdate=2020-07-15|language=en|first=Eoin|last=Burke-Kennedy}}</ref><ref>{{Cite web|title=New economic Leprechaun on loose as rate of growth plunges|url=https://www.independent.ie/business/irish/new-economic-leprechaun-on-loose-as-rate-of-growth-plunges-35932663.html|website=independent|accessdate=2020-07-15|language=en}}</ref>。
国際金融サービスセンター(IFSC)が設立されてから、アイルランドは強力で持続的な経済成長を遂げ、消費者の借入と支出、建設と投資が劇的に増加し、[[ケルトの虎]]の時代として知られるようになった<ref name=":1">[https://www.socialeurope.eu/wp-content/uploads/2017/01/p_imk_wp_175_2017.pdf "Crisis Recovery in a Country with a High Presence of Foreign Owned Companies"] (PDF). IMK Institute, Berlin. January 2017.</ref><ref>{{Cite web|title=Irish Economy|url=http://www.esri.ie/irish_economy/|website=www.esri.ie|date=|accessdate=2020-07-15|publisher=|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110624030442/http://www.esri.ie/irish_economy/|archivedate=2011-06-24}}</ref>。[[2007年]]までに、アイルランドの民間部門の債務は[[経済協力開発機構]](OECD)で最も高く、家計の可処分所得に対する債務の比率は190%に達していた。[[ケルトの虎]]時代にアイルランドの銀行が国内の預金ベース(ピーク時には180%以上<ref>{{Cite web|title=Banks continue to grow deposits as loan books shrink|url=https://www.irishexaminer.com/business/banks-continue-to-grow-deposits-as-loan-books-shrink-215666.html|website=www.irishexaminer.com|date=2012-12-01|accessdate=2020-07-15|language=en|last=Saturday}}</ref>)を上回る借入を可能にすることで、アイルランドの債務の積み上げを支援してきたグローバル資本市場は、[[世界金融危機 (2007年-2010年)|世界金融危機]]の際に支援を撤回した。債務超過のアイルランドの信用システムからの撤退は、アイルランドの不動産の大幅な補正を引き起こし、その後アイルランドの銀行システムの崩壊につながることになる<ref name=":1" /><ref>[https://www.imf.org/external/pubs/ft/scr/2016/cr16258.pdf "Ireland Financial System Stability Assessment 2016"] (PDF). International Monetary Fund. July 2016.</ref>。
アイルランドの「低税」経済の成功は、「[[低課税地域]]」であるという非難に直面され<ref>{{Cite web|title=Ireland named world's 6th worst corporate tax haven|url=https://www.thejournal.ie/oxfam-tax-haven-3133714-Dec2016/|website=TheJournal.ie|accessdate=2020-07-15|language=en|first=Michelle|last=Hennessy}}</ref><ref>{{Cite web|title=The United States’ new view of Ireland: ‘tax haven’|url=https://www.irishtimes.com/life-and-style/abroad/the-united-states-new-view-of-ireland-tax-haven-1.2896469|website=The Irish Times|accessdate=2020-07-15|language=en|first=John|last=Holden}}</ref><ref>{{Cite web|title=Europe points finger at Ireland over tax avoidance|url=https://www.irishtimes.com/business/economy/europe-points-finger-at-ireland-over-tax-avoidance-1.3417948|website=The Irish Times|accessdate=2020-07-15|language=en|first=Rochelle Toplensky in|last=Brussels}}</ref>、「ブラックリスト入り」につながった<ref>{{Cite news|title=Blacklisted by Brazil, Dublin funds find new ways to invest|url=https://www.reuters.com/article/ireland-brazil-funds-idUSL8N1MK2NX|work=Reuters|date=2017-10-20|accessdate=2020-07-15|language=en}}</ref><ref>{{Cite web|title=Ireland no tax haven, US authorities told|url=https://www.independent.ie/business/irish/ireland-no-tax-haven-us-authorities-told-35565554.html|website=independent|accessdate=2020-07-15|language=en}}</ref>。深刻な課題は、アイルランドの多国籍企業の税制優遇を対象にしている[[アメリカ合衆国]]の[[2017年税制改革法 (アメリカ)|2017年税制改革法]]の成立である<ref>{{Cite web|title=Trump’s US tax reform a significant challenge for Ireland|url=https://www.irishtimes.com/business/economy/trump-s-us-tax-reform-a-significant-challenge-for-ireland-1.3310866|website=The Irish Times|accessdate=2020-07-15|language=en|first=Cliff|last=Taylor}}</ref><ref>{{Cite web|title=US corporations could be saying goodbye to Ireland|url=https://www.irishtimes.com/business/economy/us-corporations-could-be-saying-goodbye-to-ireland-1.3359050|website=The Irish Times|accessdate=2020-07-15|language=en}}</ref><ref>{{Cite web|title=Donald Trump singles out Ireland in tax speech|url=https://www.irishtimes.com/business/donald-trump-singles-out-ireland-in-tax-speech-1.3310149|website=The Irish Times|accessdate=2020-07-15|language=en|first=Suzanne Lynch in|last=Washington}}</ref><ref>{{Cite news|title=Breaking Down the New U.S. Corporate Tax Law|url=https://hbr.org/podcast/2017/12/breaking-down-the-new-u-s-corporate-tax-law|work=Harvard Business Review|date=2017-12-26|accessdate=2020-07-15|issn=0017-8012}}</ref>。[[欧州連合]]の2018年デジタル販売税(DST)は、アメリカのテクノロジー企業によるアイルランドの多国籍企業の税制優遇を制限しようとしているとも見られている<ref>{{Cite web|title=MEPs approve new EU corporate tax plan which embraces “digital presence” {{!}} News {{!}} European Parliament|url=https://www.europarl.europa.eu/news/en/press-room/20180309IPR99422/meps-approve-new-eu-corporate-tax-plan-which-embraces-digital-presence|website=www.europarl.europa.eu|date=2018-03-15|accessdate=2020-07-15|language=en}}</ref><ref>{{Cite web|title=Why Ireland faces a fight on the corporate tax front|url=https://www.irishtimes.com/business/economy/why-ireland-faces-a-fight-on-the-corporate-tax-front-1.3426080|website=The Irish Times|accessdate=2020-07-15|language=en|first=Cliff|last=Taylor}}</ref><ref>{{Cite web|title=EU digital levy could hit tech FDI and tax revenue here|url=https://www.independent.ie/business/irish/eu-digital-levy-could-hit-tech-fdi-and-tax-revenue-here-36725944.html|website=independent|accessdate=2020-07-15|language=en}}</ref>。
=== 貿易 ===
[[ファイル:La Touche House, Dublin ( DSC6350).jpg|サムネイル|[[ダブリン]]の国際金融サービスセンター]]
アイルランドの輸出部門は多国籍企業が大半を占めているが、それ以外の国からの輸出も国民所得に大きく貢献している。アイルランドに拠点を置く多国籍企業の活動により、アイルランドは医薬品、医療機器、ソフトウェア関連の商品やサービスの世界最大の輸出国のひとつとなっている。アイルランドの輸出は、[[ライアンエアー]]、[[ケリー・グループ (アイルランドの企業)|ケリー・グループ]]、スマーフィット・カッパなどのアイルランドの大手企業の活動や[[鉱物資源]]の輸出にも関係している。アイルランドは亜鉛精鉱の生産量では第7位、鉛精鉱の生産量では第12位である。また、[[石膏]]、[[石灰岩]]、[[銅]]、[[銀]]、[[金]]、[[重晶石]]、[[苦灰石]]などの鉱床も多く存在している<ref>{{Cite web|title=Europe :: Ireland — The World Factbook - Central Intelligence Agency|url=https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/geos/ei.html|website=www.cia.gov|accessdate=2020-07-15}}</ref>。アイルランドの観光産業は[[国内総生産]]の約4%を占め、重要な雇用源となっている。
その他の物品輸出は、農業用食品、[[家畜]]、[[牛肉]]、[[乳製品]]、[[アルミニウム]]などがある。アイルランドの主な輸入品には、情報処理機器、[[化学品]]、[[石油]]、[[繊維品]]、[[衣料品]]などがある。アイルランド金融サービスセンターに拠点を置く多国籍企業が提供する金融サービスもアイルランドの輸出に貢献している。輸出(894億ユーロ)と輸入(455億ユーロ)の差により、2010年の年間貿易黒字は439億ユーロとなり、これは[[欧州連合加盟国]]の中で最も高い貿易黒字となっている<ref name=":2">{{Cite web|url=https://www.cso.ie/statistics/botmaintrpartners.htm|title=CSO - Main Trading Partners 2010|accessdate=2020-07-15|publisher=|archiveurl=https://web.archive.org/web/20050211014837/http://www.cso.ie/statistics/botmaintrpartners.htm|archivedate=2005-2-11}}</ref>。
欧州連合は、輸出の57.9%、輸入の60.7%を占め、最大の貿易相手国である。欧州連合域内で最も重要な貿易相手国は[[イギリス]]で、輸出額の15.4%、輸入額の32.1%を占めている。欧州連合域外では、2010年の輸出額で23.2%、輸入額で14.1%を占めている<ref name=":2" />。
=== 資源 ===
[[ファイル:IMG WindfarmKilmuck1920.jpg|サムネイル|[[ウェックスフォード県]]の[[風力発電所]]]]
ESB、Bord Gáis Energy、SSE Airtricityはアイルランドの3大電力・ガス供給会社あり、ガスの実証埋蔵量は198億2,000万[[立方メートル|m<sup>3</sup>]]である<ref>{{Cite web|title=Natural Gas In Ireland - Bord Gáis|url=http://www.bgeuk.ie/corporate/index.jsp?1nID=93&2nID=97&3nID=354&nID=364|website=www.bgeuk.ie|date=|accessdate=2020-07-15|publisher=|archivedate=2012-02-27|archiveurl=https://web.archive.org/web/20120227055815/http://www.bgeuk.ie/corporate/index.jsp?1nID=93&2nID=97&3nID=354&nID=364}}</ref>。[[天然ガス]]の採掘は以前、キンセール・ヘッドで枯渇するまで行われていた。コリブのガス田は2013/14年に稼働する予定であった。[[2012年]]には、バリーロー油田には最大16億[[バレル]]の石油が埋蔵されていることが確認されており、そのうち1億6000万~6億バレルが回収可能であるとされている<ref>{{Cite web|title=Providence hits high as potential oil yield revised - The Irish Times - Thu, Jul 26, 2012|url=http://www.irishtimes.com/newspaper/finance/2012/0726/1224320827565.html|website=web.archive.org|date=|accessdate=2020-07-15|publisher=|archiveurl=https://web.archive.org/web/20121221061641/http://www.irishtimes.com/newspaper/finance/2012/0726/1224320827565.html|archivedate=2012-12-21}}</ref>。これは、2015/16 年に開発された場合、最大13年間、アイルランドの全エネルギー需要を賄うことができる。再生可能で持続可能なエネルギー、特に風力発電の利用を増やすために大きな努力がなされており、3,000[[メガワット]]の風力発電所が建設されており、中には輸出を目的としたものも存在する<ref>{{Cite web|title=Ireland's state power supplier is planning a major leap into solar energy|url=https://www.thejournal.ie/solar-energy-ireland-2-2709329-Apr2016/|website=TheJournal.ie|accessdate=2020-07-15|language=en|first=Fora|last=Staff}}</ref><ref>{{Cite journal|date=2012-07-17|title=Wind farm firm to create 2,000 jobs by 2018|url=https://www.rte.ie/news/2012/0717/329463-wind-farm-firm-to-create-2-000-jobs-by-2018/|language=en}}</ref>。アイルランド持続可能エネルギー庁(SEAI)は、アイルランドの[[2011年]]のエネルギー需要の6.5%が[[再生可能エネルギー]]で生産されていると推定している<ref>{{citation|author=Energy Policy Statistical Support Unit|title=Renewable Energy in Ireland 2011|work=2012 Report|page=3|publisher=Sustainable Energy Authority of Ireland|date=June 2012|url=http://www.seai.ie/Publications/Statistics_Publications/Renewable_Energy_in_Ireland_2011.pdf|accessdate=5 August 2013|archiveurl=https://web.archive.org/web/20131115181705/http://www.seai.ie/Publications/Statistics_Publications/Renewable_Energy_in_Ireland_2011.pdf|archivedate=15 November 2013|url-status=dead}}</ref>。また、SEAIはアイルランドのエネルギー効率の向上を報告しており、[[2005年]]から[[2013年]]までの間に一軒あたりの[[二酸化炭素]]排出量を28%削減している<ref>{{Cite web|title=Ireland on course to meet Kyoto emissions targets|url=http://www.irishtimes.com/business/sectors/energy-and-resources/Ireland-on-course-to-meet-Kyoto-emissions-target-1.1631207|archiveurl=https://web.archive.org/web/20131219214200/http://www.irishtimes.com/business/sectors/energy-and-resources/ireland-on-course-to-meet-kyoto-emissions-targets-1.1631207|url-status=dead|author=Mark Paul|work=The Irish Times|date=December 18, 2013|accessdate=19 December 2013|archivedate=19 December 2013}}</ref>。
=== 農業 ===
国土の16%が[[農地]]、47.7%が[[牧場]]並びに[[牧草地]]として利用されている。農業従事者は16万人であり、生産年齢人口(国民の67.5%)のうち、5.7%を占める(以上2003年時点の統計値)。アイルランド経済は貿易依存度が高く、同時に農業、特に牧畜業に依存している。しかし
主要穀物では、[[オオムギ]](116万トン、以下2004年の統計値)、次いで[[コムギ]](85万トン)、第三位に[[馬鈴薯]](50万トン)が並ぶ。野菜類では[[テンサイ]](砂糖大根、150万トン)が飛び抜けており、次いで[[キャベツ]](5万トン)の栽培が盛ん。畜産では[[ウシ]](704万頭)が中核となり、次いで[[羊]](485万頭)、[[ニワトリ]](1280万羽)である。このため、畜産品である牛乳の生産(550万トン)は世界シェアの1.1%に達する。
=== 鉱業 ===
アイルランドの鉱業は[[鉛]]と[[亜鉛]]を中核とする。2003年時点で鉛鉱の生産は5万トン
== 交通 ==
[[ファイル:Aer Lingus Airbus A330-302 EI-EDY approaching EWR Airport.jpg|サムネイル|[[エアリンガス]](アイルランドの[[フラッグ・キャリア]])]]
{{main|{{仮リンク|アイルランドの交通|en|Transport in Ireland}}}}
[[ダブリン空港|ダブリン]]、[[シャノン空港|シャノン]]、[[コーク空港|コーク]]の3つの主要[[国際空港]]からは、定期便やチャーター便が就航しており、[[ヨーロッパ]]や大陸間を結んでいる。[[ロンドン・ヒースロー空港|ロンドン]] - ダブリン間は世界で9番目に利用者が多い国際航空路線であり、[[2017年]]には14,500便が就航しており、ヨーロッパでも最も利用者が多い国際航空路線となっている<ref name=":3">{{Cite web|title=Dublin-London second-busiest route in world|url=https://www.irishtimes.com/business/transport-and-tourism/dublin-london-second-busiest-route-in-world-1.2508617|website=The Irish Times|accessdate=2020-07-16|language=en|first=Barry|last=O'Halloran}}</ref><ref>{{Cite web|title=Irish air route named busiest in Europe|url=https://www.irishmirror.ie/news/irish-news/dublin-london-named-europes-busiest-11827578|website=irishmirror|date=2018-01-10|accessdate=2020-07-16|first=Anita|last=McSorley}}</ref>。[[2015年]]には450万人がこの路線を利用し、当時は世界第2位だった<ref name=":3" />。[[エアリンガス]]はアイルランドの[[フラッグキャリア]]であるが、[[ライアンエアー]]がアイルランド最大の航空会社であるとともにヨーロッパ最大の[[格安航空会社]]であり、旅客数では第2位、国際線旅客数では世界最大である<ref>{{Cite web|title=Ash makes Ryanair cancel most flights until Monday - Forbes.com|url=http://www.forbes.com/feeds/ap/2010/04/16/business-eu-iceland-volcano-ryanair_7521491.html?boxes=Homepagebusinessnews|website=www.forbes.com|date=|accessdate=2020-07-16|publisher=|archiveurl=https://web.archive.org/web/20100419141444/http://www.forbes.com/feeds/ap/2010/04/16/business-eu-iceland-volcano-ryanair_7521491.html?boxes=Homepagebusinessnews|archivedate=2010-04-19}}</ref><ref>{{Cite web|title=WATS Sample - Scheduled Passengers Carried|url=http://www.iata.org/ps/publications/wats-passenger-carried.htm|website=www.iata.org|date=|accessdate=2020-07-16|publisher=|archiveurl=https://web.archive.org/web/20100323213100/http://www.iata.org/ps/publications/wats-passenger-carried.htm|archivedate=2010-03-23}}</ref>。[[ファイル:Dart 8633.jpg|サムネイル|[[東急車輛製造]]の[[ダブリン高速輸送|DART]]]]鉄道は[[アイルランド国鉄]]が提供しており、国内の都市間鉄道、通勤鉄道、貨物鉄道のすべてを運営している。ダブリンは鉄道網の中心地で、[[ダブリン・ヒューストン駅]]と[[ダブリン・コノリー駅]]の2つの主要駅があり、国内の都市や主要都市を結んでいる。[[北アイルランド鉄道]]と共同で運行している[[エンタープライズ (列車)|エンタープライズ]]は、[[ダブリン]]と[[ベルファスト]]を結んでいる。アイルランドの主要路線は、ヨーロッパでは少数派の1,600[[ミリメートル|mm]]の軌間で運行されている。また、ダブリンの海岸沿いを北から南へ結んでいる[[ダブリン高速輸送]](DART)は、[[日本]]の[[東急車輛製造]](現:[[総合車両製作所]])が手掛けており、初めて[[ヨーロッパ]]へ輸出された日本企業製の[[電車]]である<ref name="Import">[https://www.jorsa.or.jp/ja/exports/detail.php?id=59 アイルランド国鉄向け 8500シリーズEMU] 2019年4月23日閲覧</ref>。他にも、[[大韓民国]]の[[現代ロテム]]と共同で[[高速鉄道]]の車両を手がけている。
[[高速道路]]、国道、国道二次道路はアイルランド交通インフラストラクチャー社が管理しており、地方道路はそれぞれの地域の地方自治体が管理している。道路網は主に首都に集中しているが、高速道路は[[コーク (アイルランド)|コーク]]、[[リムリック]]、[[ウォーターフォード]]、[[ゴールウェイ]]などアイルランドの他の主要都市と接続している<ref>{{Cite web|title=What is Transport 21|url=http://www.transport21.ie/What_Is_Transport_21/Transport_21/What_is_Transport_21.html|website=www.transport21|date=|accessdate=2020-07-16|publisher=|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110628025059/http://www.transport21.ie/What_Is_Transport_21/Transport_21/What_is_Transport_21.html|archivedate=2011-06-28}}</ref>。
[[ダブリン]]には、イーストリンクやウェストリンクの有料道路、[[ダブリンポートトンネル]]などが通っている。首都外ではコークの[[リー川]]の下にあるジャック・リンチ・トンネルと[[シャノン川]]の下にあるリムリック・トンネルなど主要なトンネルがある<ref>{{Cite web|title=80 iconic Irish construction projects announced|url=https://constructionnews.ie/80-iconic-construction-projects-celebrate-cifs-eight-decades/|website=Construction|date=2015-09-06|accessdate=2020-07-16|language=en-US|first=Robbie|last=Cousins}}</ref>。
== 国民 ==
{{main|アイルランド人|{{仮リンク|アイルランドの人口統計|en|Demographics of the Republic of Ireland|redirect=1}}}}
アイルランドの人口は[[2022年]][[国勢調査]]の予備調査によると5,123,536人となり、前回の[[2016年]]から8%増加している<ref name="PreliminaryCensus2022" />。また人口が500万人を突破したのは1851年以来となる<ref name="PreliminaryCensus2022" />。2011年には、アイルランドの出生率は[[欧州連合]]で最も高かった(人口1,000人あたり16人)<ref>[https://www.bbc.co.uk/news/world-europe-20797166 Ireland continues to have highest birth rate in the European Union]. ''BBC News''. (20 December 2012). Retrieved on 16 July 2013.</ref>。[[2014年]]の36.3%の出生が未婚女性だった<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.cso.ie/en/releasesandpublications/ep/p-vsys/vitalstatisticsyearlysummary2014/#.VWokvlJp1YA|title=Vital Statistics Yearly Summary 2014 - CSO - 中央統計局|website=www.cso.ie|accessdate=2017-07-30}}</ref>。[[2002年]]から[[2006年]]の間の年間人口増加率は2%を超えており、これは自然増加率と移民の増加率が高かったためである<ref>{{cite web|url=http://www.breakingnews.ie/ireland/mheykfauqlmh/|title=Ireland's population still fastest-growing in EU|publisher=Thomas Crosbie Media|date=18 December 2007|accessdate=9 July 2009}}</ref>。出生率は、その後の[[2006年]]から[[2011年]]までの間に幾分低下し、年平均1.6%の変化率となった。[[2017年]]の[[合計特殊出生率]]は女性1人当たり1.8人と推定され、置換率2.1人を下回ったが、[[1850年]]に女性1人当たり4.2人という高水準の出生率を大幅に下回ったままである<ref>{{citation|和書|url=https://ourworldindata.org/grapher/children-born-per-woman?tab=chart&year=1849&country=IRL|title=Total Fertility Rate around the world over the last centuries|first=Max|last=Roser|date=2014|work=Our World in Data, Gapminder Foundation|year=|publisher=|isbn=}}</ref>。2018年のアイルランド人の[[人口ピラミッド|年齢の中央値]]は37.1歳だった<ref>{{citation|url=https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/geos/ei.html|title=World Factbook EUROPE : IRELAND|work=[[The World Factbook]]|date=12 July 2018}} {{PD-notice}}</ref>。
=== 民族 ===
{{Double image aside|right|Irelandpop.svg|250|Irishpopulation.png|250|人口ピラミッド、および20世紀における人口変化}}遺伝学的研究によると、最古の入植者は、最近の[[氷河期]]に続いて[[イベリア半島|イベリア]]から移住してきたと考えられている<ref>[http://www.prospectmagazine.co.uk/magazine/mythsofbritishancestry/ "Myths of British ancestry"] ''Prospect'' magazine</ref>。
[[中石器時代]]、[[新石器時代]]、[[青銅器時代]]の後、移民は[[ケルト人|ケルト]]語と文化を導入した。後者の2つの時代からの移民は、今でもほとんどのアイルランド人の遺伝的遺産を代表している<ref>''Origins of the British'', Stephen Oppenheimer, 2006</ref><ref>{{cite journal|last1=McEvoy|first1=B|last2=Richards|first2=M|last3=Forster|first3=P|last4=Bradley|first4=DG|date=October 2004|title=The Longue Durée of genetic ancestry: multiple genetic marker systems and Celtic origins on the Atlantic facade of Europe|journal=Am. J. Hum. Genet.|volume=75|issue=4|pages=693-702|doi=10.1086/424697|pmid=15309688|pmc=1182057| issn=0002-9297}}</ref>。やがて[[ゲール人]]の伝統が拡大し、時を経て支配的な形となった。
現在のアイルランド人は、ゲール人、ノルド人、アングロノルマン人、フランス人、イギリス人の祖先を組み合わせたものであると言っても良い。
==== 人種間 ====
2016年国勢調査の時点で、非アイルランド人の人口は535,475人と記録されている。これは2011年国勢調査の54万4,357人から2%の減少となっている。非アイルランド国籍者数の上位5位は、それぞれ[[ポーランド]](122,515人)、[[イギリス]](103,113人)、[[リトアニア]](36,552人)、[[ルーマニア]](29,186人)、[[ラトビア]](19,933人)となっている。2011年と比較すると、イギリス国籍、ポーランド国籍、リトアニア国籍、ラトビア国籍は減少した。2016年のアイルランド以外の国籍の上位10位には、新たに[[ブラジル]](13,640人)、[[スペイン]](12,112人)、[[イタリア]](11,732人)、[[フランス]](11,661人)の4つの国籍が加わった<ref>{{Cite web|url=https://www.cso.ie/en/releasesandpublications/ep/p-cpnin/cpnin/introduction/|title=Census 2016. Non-Irish Nationalities Living in Ireland|website=中央統計局|access-date=13 October 2018}}</ref>。また、[[2018年]]の日本国籍者の総人口は2,596人である<ref name=":6" />。
{| class="infobox" style="text-align:center; width:97%; margin-right:10px; font-size:90%"
! colspan="8" style="background:#e9e9e9; padding:0.3em; line-height:1.2em;" | 人口別最大の都市中心部(2016年国勢調査)
|-
! rowspan="30" |
[[ファイル:Calatrava-bridge dublin.JPG|150px]]<br /><small>[[ダブリン]]</small>
<br />[[ファイル:View_over_Cork_from_St._Anne's_Church,_Cork_-_panoramio_(5).jpg|150x150ピクセル]]<br /><small>[[コーク (アイルランド)|コーク]]</small>
! style="text-align:center; background:#f5f5f5;" |<small>#</small>
! style="text-align:left; background:#f5f5f5;" | 都市名
! style="text-align:center; background:#f5f5f5;" | 人口
! style="text-align:center; background:#f5f5f5;" |<small>#</small>
! style="text-align:left; background:#f5f5f5;" | 都市名
! style="text-align:center; background:#f5f5f5;" | 人口
! rowspan="21" |
[[ファイル:Limerick_-_Shannon_River.JPG|150x150ピクセル]]<br /><small>[[リムリック]]</small>
<br />[[ファイル:Galway_(6254037166).jpg|150x150ピクセル]]<br /><small>[[ゴールウェイ]]</small><br />
|-
| style="background:#f0f0f0" | 1 || align="left" |'''[[ダブリン]]'''|| 1,173,179<ref>{{cite web|url=http://census.cso.ie/sapmap2016/Results.aspx?Geog_Type=ST2016&Geog_Code=EED4C2E4-43BA-428E-96FC-1C65CC0A4340|title=Settlement Dublin City And Suburbs|publisher=[[中央統計局 (アイルランド)|中央統計局]]|year=2016|accessdate=21 July 2017}}</ref> || 11 || align="left" |'''[[キルケニー]]'''|| 26,512
|-
| style="background:#f0f0f0" | 2 || align="left" |'''[[コーク (アイルランド)|コーク]]'''|| 208,669<ref>{{cite web|url=http://census.cso.ie/sapmap2016/Results.aspx?Geog_Type=ST2016&Geog_Code=2640ADAE-4EBB-460C-BBD4-D666DEBB3C8A|title=Settlement Cork City And Suburbs|publisher=[[中央統計局 (アイルランド)|中央統計局]]|year=2016|accessdate=21 July 2017}}</ref>|| 12 || align="left" |'''[[エニス]]'''|| 25,276
|-
| style="background:#f0f0f0" | 3 || align="left" |'''[[リムリック]]'''|| 94,192<ref>{{cite web|url=http://census.cso.ie/sapmap2016/Results.aspx?Geog_Type=ST2016&Geog_Code=EFED8136-729D-43F0-BF74-FEFE83B62328|title=Settlement Limerick City And Suburbs|publisher=[[中央統計局 (アイルランド)|中央統計局]]|year=2016|accessdate=21 July 2017}}</ref>|| 13 || align="left" |'''[[カーロウ]]'''|| 24,272
|-
| style="background:#f0f0f0" | 4 || align="left" |'''[[ゴールウェイ]]'''|| 79,934<ref>{{cite web|url=http://census.cso.ie/sapmap2016/Results.aspx?Geog_Type=ST2016&Geog_Code=4DB393A8-D39C-4EB9-9320-4B85F38C2A0E|title=Settlement Galway City And Suburbs|publisher=[[中央統計局 (アイルランド)|中央統計局]]|year=2016|accessdate=21 July 2017}}</ref>|| 14 || align="left" |'''[[トラリー]]'''|| 23,691
|-
| style="background:#f0f0f0" | 5 || align="left" |'''[[ウォーターフォード]]'''|| 53,504<ref>{{cite web|url=http://census.cso.ie/sapmap2016/Results.aspx?Geog_Type=ST2016&Geog_Code=C133497F-81D6-44BA-9A82-1499D92E5428|title=Settlement Waterford City And Suburbs|publisher=[[中央統計局 (アイルランド)|中央統計局]]|year=2016|accessdate=21 July 2017}}</ref>|| 15 || align="left" |'''ニューブリッジ'''|| 22,742
|-
| style="background:#f0f0f0" | 6 || align="left" |'''[[ドロヘダ]]'''|| 40,956<ref>{{cite web|url=http://census.cso.ie/sapmap2016/Results.aspx?Geog_Type=ST2016&Geog_Code=3322F7F8-96A1-450C-9703-23C4EDADFD3A|title=Settlement Drogheda|publisher=[[中央統計局 (アイルランド)|中央統計局]]|year=2016|accessdate=29 July 2017}}</ref>|| 16 || align="left" |'''[[ポートリーシュ]]'''|| 22,050
|-
| style="background:#f0f0f0" | 7 || align="left" | '''ソーズ'''
| 39,248<ref>{{cite web|url=http://census.cso.ie/sapmap2016/Results.aspx?Geog_Type=ST2016&Geog_Code=2B32F09A-1EA9-40C7-8EB5-9709E33C2983|title=Settlement Swords|publisher=[[中央統計局 (アイルランド)|中央統計局]]|year=2016|accessdate=29 July 2017}}</ref>|| 17 || align="left" | '''バルブリガン''' || 21,722
|-
| style="background:#f0f0f0" | 8 || align="left" |'''[[ダンドーク]]'''|| 39,004<ref>{{cite web|url=http://census.cso.ie/sapmap2016/Results.aspx?Geog_Type=ST2016&Geog_Code=91DBC922-801B-421B-9D74-C2381BC684EC|title=Settlement Dundalk|publisher=[[中央統計局 (アイルランド)|中央統計局]]|year=2016|accessdate=29 July 2017}}</ref>|| 18 || align="left" |'''ナース '''|| 21,393
|-
| style="background:#f0f0f0" | 9 || align="left" |'''[[ブレイ]]'''|| 32,600<ref>{{cite web|url=http://census.cso.ie/sapmap2016/Results.aspx?Geog_Type=ST2016&Geog_Code=3AFC3DCF-1161-44B7-BDAE-C56872CF18A9|title=Settlement Bray|publisher=[[中央統計局 (アイルランド)|中央統計局]]|year=2016|accessdate=29 July 2017}}</ref>|| 19 || align="left" |'''[[アスローン]]'''|| 21,349
|-
| style="background:#f0f0f0" | 10 || align="left" |'''[[ナヴァン]]'''|| 30,173<ref>{{cite web|url=http://census.cso.ie/sapmap2016/Results.aspx?Geog_Type=ST2016&Geog_Code=B92C48CA-4722-499A-9F93-29015C461C3F|title=Settlement Navan (An Uaimh)|publisher=[[中央統計局 (アイルランド)|中央統計局]]|year=2016|accessdate=29 July 2017}}</ref>|| 20 || align="left" |'''[[マリンガー]]'''|| 20,928
|}
{{Clear}}
=== 言語 ===
[[ファイル:Percentage stating they speak Irish daily outside the education system in the 2011 census.png|thumb|200px|教育機関外で日常的にアイルランド語を話す人の割合(2011年国勢調査)]]
[[ファイル:Giving way to Irish in the Baile Ghib Gaeltacht - geograph.org.uk - 704757.jpg|サムネイル|[[アイルランド語]]で書かれた[[道路標識]](訳:ゆずれ)]]
{{main|{{仮リンク|アイルランドの言語|en|Languages of Ireland}}|アイルランド語|アイルランド英語}}
憲法で第1[[公用語]]は[[アイルランド語]]、第2公用語は[[英語]]と規定されているが、一部を除くほとんどの地域では日常的には英語([[アイルランド英語]])が使われている。アイルランド固有の言語であるアイルランド語は、イギリスの植民地となった16世紀以降、約400年に渡る支配により英語にとって代わられ衰退した。その後、19世紀以降の独立運動の中でアイルランド語の復興が図られてきた。近年は政府による積極的なアイルランド語復興政策が実行されている。そのため、政府による文書や街中の標識などもアイルランド語と英語の二ヶ国語で表示され、[[2007年]]にはアイルランド語は[[欧州連合]]の[[公用語]]に追加され、登録された国の公用語も英語ではなくアイルランド語になった<ref name=":4">{{Cite web|title=electronic Irish Statute Book (eISB)|url=http://www.irishstatutebook.ie/eli/1970/si/164/made/en/print|website=www.irishstatutebook.ie|accessdate=2020-07-16|language=en|first=electronic Irish Statute|last=Book (eISB)}}</ref>。
{{See also|アイルランド憲法}}
[[2006年]]の国勢調査では、国民の10%がアイルランド語を学校外においても日常的に使用し、15歳以上の39%が自らをアイルランド語話者であると分類している。日常的にアイルランド語が話されている数少ない地域である[[ゲールタハト|ゲールタハト地方]]においては、アイルランド語のコミュニティ保護のための強力な保護政策が取られている。アイルランド語復興政策の影響で、[[2011年]]には約94,000人がアイルランド語を日常的に用いており、130万人が学校外でアイルランド語を用いているという統計<ref>[http://www.cso.ie/en/media/csoie/census/documents/census2011pdr/Pdf%208%20Tables.pdf Census 2011 - This is Ireland 中央統計局]</ref> があり、ある程度アイルランド語が復権している<ref name=":4" />。テレビやラジオなどでもアイルランド語による放送が行われている。
移民の結果、アイルランドでは英語に次いで[[ポーランド語]]が最も広く話されており、アイルランド語は3番目に多く話されている<ref>{{Cite journal|date=2012-03-29|title=Irish is third most used language - Census|url=https://www.rte.ie/news/2012/0329/315449-divorce-rate-up-150-since-2002-census/|language=en}}</ref>。その他の中央ヨーロッパの言語([[チェコ語]]、[[ハンガリー語]]、[[スロバキア語]])やバルト三国の言語([[リトアニア語]]、[[ラトビア語]])も日常的に話されている。アイルランドで話されている他の言語には、[[アイリッシュ・トラヴェラー]]と呼ばれる集団が話す[[シェルタ語]]や、[[ドニゴール県|ドニゴール]]の{{仮リンク|アルスター・スコッツ|en|Ulster Scots}}が話す[[スコットランド語]]の方言などがある<ref>{{Cite web|title=Ulster-Scots Language|url=https://www.ulsterscotsagency.com/what-is-ulster-scots/language/|website=www.ulsterscotsagency.com|accessdate=2020-07-16}}</ref>。ほとんどの[[中等教育]]学校の生徒は、1つまたは 2つの外国語を学ぶことを選択する。中学卒業国家統一試験のジュニア・サーティフィケートと高校卒業国家統一試験のリービング・サーティフィケートでは、[[フランス語]]、[[ドイツ語]]、[[イタリア語]]、[[スペイン語]]を選択することができ、リービング・サーティフィケートでは[[アラビア語]]、[[日本語]]、[[ロシア語]]も選択することができる。中等教育学校では、[[古代ギリシア語]]、[[ヘブライ語]]、[[ラテン語]]を選択できる学校も存在する。リービング・サーティフィケートの生徒にはアイルランド語が必修であるが、学習上の問題や11歳以降の入国など、状況によっては免除される場合もある。また、アイルランド語のみで教育をする学校もあるほか、公務員試験でもアイルランド語の試験が課せられる<ref>{{Cite web|title=EXEMPTIONS FROM THE STUDY OF IRISH: GUIDELINES FOR PRIMARY SCHOOLS (ENGLISH- MEDIUM)|url=https://www.education.ie/en/Parents/Information/Irish-Exemption/exemptions-from-the-study-of-irish-guidelines-for-primary-schools.pdf|website=www.education.ie|accessdate=2020-07-16|publisher=}}</ref>。
=== 婚姻 ===
婚姻の際には婚姻後の氏として、自己の氏を称すること([[夫婦別姓]])、配偶者の氏を称すること(夫婦同姓)、結合氏を称すること、自己の氏をミドルネームとし配偶者の氏を称すること、からの選択が可能である<ref>[http://www.irishweddingsonline.com/IrishWeddingsOnline/WeddingGuide/1273 Changing your name], Irish Weddings Online.</ref>。
=== 宗教 ===
{{main|{{仮リンク|アイルランドの宗教|en|Religion in the Republic of Ireland}}}}
{{bar box
|title= アイルランドの宗教<ref name="REL">{{cite press release | last = Smyth | first = Declan|date = 12 October 2017 | title = Profile 8 - Irish Travellers Ethnicity and Religion | url = http://www.cso.ie/en/csolatestnews/pressreleases/2017pressreleases/pressstatementcensus2016resultsprofile8-irishtravellersethnicityandreligion/ | publisher = CSO.ie | agency = 中央統計局 | access-date = 5 January 2018}}</ref>
|titlebar=#ddd
|left1=宗教
|right1=割合
|float=right
|bars=
{{bar percent|[[カトリック教会|ローマ・カトリック]]|DodgerBlue|78.3}}
{{bar percent|[[無宗教]]|DarkOrchid|10.1}}
{{bar percent|[[プロテスタント]]|SlateGray|4.2}}
{{bar percent|[[イスラム教|ムスリム]]|LimeGreen|1.3}}
{{bar percent|その他|Magenta|6.1}}
}}
アイルランドは国家として宗教に中立な立場を取っており、宗教の自由が憲法で定められている。キリスト教が優勢な宗教で、アイルランドは依然としてカトリックが優勢な国だが、国勢調査でカトリックである人口の割合は、2011年の国勢調査では84.2%だったのが、直近の2016年国勢調査では78.3%にまで減少している。2016年国勢調査のその他の結果では、プロテスタントが4.2%、正教が1.3%、イスラム教が1.3%、無宗教が9.8%となっている<ref name="pop2016v2">{{cite web|url=https://static.rasset.ie/documents/news/census-2016-summary-results-part-1-full.pdf|title=Census 2016 Summary Results - Part 1|date=6 April 2017|accessdate=2020-07-17|publisher=}}</ref>。[[ジョージタウン大学]]の調査によると、[[2000年]]以前は欧米諸国の中でも特に[[ミサ]]の定期的な出席率が高い国だったという<ref>Weekly Mass Attendance of Catholics in Nations with Large Catholic Populations, 1980-2000 - [[World Values Survey]] (WVS)</ref>。1日の出席率が13%であったのに対し、1週間の出席率は[[1990年]]の81%から[[2006年]]には48%に減少しているが、減少は安定化していると報告されている<ref>[http://www.catholicculture.org/news/features/index.cfm?recnum=44521 Irish Mass attendance below 50%] ''Catholic World News'' 1 June 2006</ref>。2011年には、ダブリンの毎週のミサの出席率はわずか18%と報告され、若い世代ではさらに低くなっている<ref>{{cite news|url=https://www.irishtimes.com/news/fewer-than-one-in-five-attend-sunday-mass-in-dublin-1.585731|title=Fewer than one in five attend Sunday Mass in Dublin'|publisher=Irishtimes.com|date=30 May 2011|accessdate=30 June 2011|first=Jamie|last=Smyth}}</ref>。
[[ファイル:St_Patrick's_Cathedral_Exterior,_Dublin,_Ireland_-_Diliff.jpg|サムネイル|[[聖パトリック大聖堂 (ダブリン)|聖パトリック大聖堂]](アイルランド国教会の国立大聖堂)]]
[[アイルランド聖公会]]は、人口の2.7%を占める第2位のキリスト教宗派である。20世紀を通して減少したが、他の小規模なキリスト教宗派と同様に、[[21世紀]]初頭には増加した。プロテスタントの主要な宗派は、[[長老派教会]]と[[メソジスト教会]]である。移民は[[ヒンドゥー教徒]]と[[イスラム教徒]]の人口増加に貢献しており、[[1996年]]には[[ダブリン県|ダブリン]]のクロンスキーに[[モスク]]が出来た。割合で見ると、正統派キリスト教とイスラム教が最も早く成長した宗教で、それぞれ100%と70%の増加を記録している<ref>{{cite book|title=Final Principal Demographic Results 2006|url=http://www.cso.ie/census/documents/Final%20Principal%20Demographic%20Results%202006.pdf|accessdate=20 June 2010|year=2007|publisher=中央統計局|isbn=978-0-7557-7169-1|pages=31 (Table Q)|url-status=dead|archiveurl=https://web.archive.org/web/20090325005303/http://www.cso.ie/census/documents/Final%20Principal%20Demographic%20Results%202006.pdf|archivedate=25 March 2009}}</ref>。
アイルランドの[[守護聖人]]は、[[聖パトリック]]、[[聖ブリギッド|聖ブリギット]]、[[聖コルンバ]]だが、一般的に守護聖人として認識されているのは聖パトリックだけである。[[聖パトリックの祝日]]はアイルランドの[[国慶節]]として[[3月17日]]にアイルランド国内外でも祝われ、パレードなどが行われている。
他のカトリック系欧州諸国と同様に、アイルランドも20世紀後半には合法的な世俗化の時代を迎えた。[[1972年]]、特定の宗教団体を名指ししていた憲法の条文は、修正第5条の国民投票で削除された。「国家は、公共の礼拝の敬礼が全能の神によるものであることを認める。国家は、神の御名を敬愛し、宗教を尊重し、尊重しなければならない」と定められている憲法第44条は残っている。また、同条は信教の自由を定め、いかなる宗教の寄進も禁止し、宗教的差別を禁止し、宗教学校と非宗教学校を非偏見的に扱うことを国家に要求している。
[[宗教学]]は2001年に中学卒業国家統一試験のジュニア・サーティフィケートの選択科目として導入された。多くの学校は宗教団体によって運営されているが、若い世代の間では世俗主義的な傾向が生じている<ref>{{cite news|last=Daniszewski|first=John|title=Catholicism Losing Ground in Ireland|url=https://latimes.com/news/la-fg-ireland17apr17-story.html#page=1|newspaper=LA Times|accessdate=29 August 2011|date=17 April 2005}} {{cite news|last=Lawler|first=Phil|title=Ireland threatened by secularism, Pope tells new envoy|url=http://www.catholicculture.org/news/features/index.cfm?recnum=53564|accessdate=29 August 2011|newspaper=Catholic World News|date=17 September 2007}} {{cite web|title=Irish poll shows parents no longer want to force religion on to children|url=http://www.secularism.org.uk/irishpollshowsparentsnolongerwan.html|publisher=National Secular Society|accessdate=29 August 2011|___location=United Kingdom|date=13 April 2007}}</ref>。
=== 教育 ===
[[ファイル:Long_Room_Interior,_Trinity_College_Dublin,_Ireland_-_Diliff.jpg|サムネイル|[[1592年]]設立の[[ダブリン大学トリニティ・カレッジ]]の[[トリニティ・カレッジ図書館|ロングルーム]]]]
[[ファイル:National University of Galway, Ireland.jpg|サムネイル|[[ゴールウェイ大学]]]]
{{Main|アイルランドの教育|アイルランドの高等教育}}
アイルランドには[[初等教育]]、[[中等教育]]、[[高等教育]]の3つのレベルの教育がある。教育制度の大部分は、教育・技能大臣を通じた政府の指導の下にある。認可された初等・中等教育機関は、関係当局が定めたカリキュラムを遵守しなければならない。6歳から15歳までは義務教育であり、18歳までは中等教育の最初の3年間を修了しなければならず、その中には中学卒業国家統一試験のジュニア・サーティフィケートも含まれている<ref>Education (Welfare) Act, 2000 [http://193.178.1.79/ZZA22Y2000S17.html (Section 17)] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20070930015328/http://193.178.1.79/ZZA22Y2000S17.html|date=30 September 2007}}</ref>。
アイルランドには約3,300の初等教育機関(小学校)がある<ref name="DES">{{cite web|title=Minister Hanafin announces intention to pilot new additional model of Primary School Patronage|date=17 February 2007|accessdate=7 September 2010|url=http://www.education.ie/robots/view.jsp?pcategory=10861&language=EN&ecategory=41296&link=link001&doc=34229|publisher=Department of Education and Skills}}</ref>。大多数(92%)は[[カトリック教会]]の保護下にある。宗教団体が運営する学校であっても、公的な資金と承認を受けている学校は、宗教やその欠如に基づいて生徒を差別することはできない。特定の宗教の生徒は、学校の定員に達している場合には、学校の理念を共有していない生徒よりも先に受け入れられる可能性がある。
高校卒業国家統一試験のリービング・サーティフィケートは、2年間の学習の後に受験される中等教育機関の最終試験である。高等教育を受けようとする者は通常この試験を受験するが、一般的には[[第3期の教育]]への入学は、受験する6つの科目の中で最も成績の良い科目の成績に応じて、競争制で行われる<ref>{{cite web|url=http://www.educationireland.ie/irish-education/secondary-education/leaving-certificate.html|title=Education Ireland - Leaving Certificate|publisher=Educationireland.ie|accessdate=12 November 2010|url-status=dead|archiveurl=https://web.archive.org/web/20101029070824/http://educationireland.ie/irish-education/secondary-education/leaving-certificate.html|archivedate=29 October 2010}}</ref>。第3期の教育は、少なくとも38の高等教育機関によって授与される。これには、総合大学10校に加え、高等教育・研修賞審議会が指定するその他の高等教育機関が含まれる。
[[経済協力開発機構]](OECD)が調整している留学生評価プログラムでは、[[2012年]]の評価で、アイルランドはOECD加盟国の中で読解力が4番目に高く、理科が9番目に高く、数学が13番目に高いと評価されている<ref>{{cite news|title=Irish teens perform significantly above average in maths, reading and science - OECD|work=Education|publisher=[[RTÉ News]]|date=3 December 2013|url=http://www.rte.ie/news/2013/1203/490592-oecd|accessdate=27 August 2015}}</ref>。2012年には、アイルランドの15歳の学生の読み書き能力は、[[欧州連合]]で2番目に高い水準にあった<ref>{{cite web|url=http://www.cso.ie/en/releasesandpublications/ep/p-mip/measuringirelandsprogress2013/education/education-education/#d.en.75179|title=CSO - Measuring Ireland's Progress 2013|publisher=[[中央統計局 (アイルランド)|中央統計局]]|year=2014|accessdate=27 August 2015}}</ref>。また、アイルランドの一人当たりの大学数は世界上位の500校中0.747校で、世界第8位にランクされている<ref>{{cite web|url=http://www.nationmaster.com/graph/edu_uni_top_500_percap-universities-top-500-per-capita|title=World's top 500 Universities per capita|publisher=Nationmaster.com|accessdate=30 June 2011|url-status=dead|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110623192352/http://www.nationmaster.com/graph/edu_uni_top_500_percap-universities-top-500-per-capita|archivedate=23 June 2011}}</ref>。アイルランドでは、初等教育、中等教育、高等教育(大学等)はすべてのEU市民に無料で提供されている<ref>{{cite web|title=Third-level student fees|url=http://www.citizensinformation.ie/en/education/third_level_education/fees_and_supports_for_third_level_education/fees.html|work=Free fees|publisher=Citizens Information Board|accessdate=25 July 2010}}</ref>。学生サービスや試験の費用はかかる。
また、2012年の時点でアイルランドの人口の37%が大学を含む高等教育の[[学位]]を持っており、世界で高い割合を誇っている<ref>Michael B. Sauter and Alexander E. M. Hess, [http://247wallst.com/special-report/2012/09/21/the-most-educated-countries-in-the-world/ The Most Educated Countries in the World], 24/7 Wall St., 21 September 2012</ref><ref>Samantha Grossman, [http://newsfeed.time.com/2012/09/27/and-the-worlds-most-educated-country-is/ And the World's Most Educated Country Is...], ''Time'', 27 September 2012</ref>。
=== 保健 ===
{{Main|{{仮リンク|アイルランドの保健|en|Health in the Republic of Ireland}}}}
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==== 医療 ====
[[ファイル:Mater Misericordiae University Hospital, Dublin.JPG|サムネイル|マター・ミゼリコルディア大学病院]]
{{Main|アイルランドの医療}}
アイルランドの医療は、公的医療機関と民間医療機関の両方から提供されている<ref>{{cite web|url=http://www.citizensinformation.ie/en/moving_country/moving_to_ireland/introduction_to_the_irish_system/health_care_in_ireland.html|title=Health care|publisher=Irish Citizens Information Board|accessdate=29 December 2014}}</ref>。一般税収を原資とした[[ユニバーサルヘルスケア]]が達成されており、公的セクターが[[プライマリケア]]診療所を運営している<ref name="OECDhg">{{Cite|publisher=OECD|date=2015-11|title=Health at a Glance 2015|doi=10.1787/19991312|isbn=9789264247680|at=Chapt.7.1}}</ref>。利用には自己負担が発生する。民間医療保険市場も存在し、加入率は44.6%であった(2013年)<ref name="OECDhg" />。保健大臣が保健サービス全般の政策を決定する責任を負っている。アイルランドの居住者は、保健サービス執行部が管理し、一般の税金で賄われている公的医療制度を利用して医療を受ける権利がある。特定の医療を受けるためには、所得、年齢、病気、障害の程度によっては、助成金を支払わなければならない場合がある。出産サービスは無料で、生後6ヶ月までの子どもの手当ても無料である。救急医療は、病院の救急部に来院した患者に提供されるが、緊急ではない状況で救急科を受診した場合、[[総合診療医]]からの紹介ではない場合は100[[ユーロ]]の料金が発生することがある。状況によっては、この料金が支払われない場合や免除される場合もある<ref>{{citation|title=Charges for hospital services|publisher=Citizens Information board|date=26 July 2011}}</ref>。
欧州健康保険証を持っている者は誰でも、医療サービス執行機関で治療を無料で受けることができる。外来患者も無料である。しかし、中央値以上の所得を持つ患者の大多数は、補助的な入院費を支払わなければならない。
[[2016年]]のアイルランドの[[平均寿命]]は81.8歳([[経済協力開発機構|OECD]])で、男性は79.9歳、女性は83.6歳となっている<ref>{{cite web|url=http://www.oecdbetterlifeindex.org/countries/Ireland/|title=OECD Better Life Index|website=www.oecdbetterlifeindex.org|accessdate=30 July 2017}}</ref>。アイルランドの[[出生率]]は[[欧州連合]]で最も高く(人口1,000人あたり16.8人、EU平均は10.7人)、[[乳幼児死亡率]]は非常に低く(出生数1,000人あたり3.5人)、またアイルランドの医療制度は、[[2012年]]には欧州34カ国中13位にランクされた。民間医療調査機関が作成した「欧州健康消費者指数」によると、アイルランドの医療制度は、2012年には欧州34カ国中13位にランクされている<ref>{{cite news|url=https://www.irishtimes.com/news/ireland-has-eu-s-highest-birth-rate-1.861676|title=Ireland has EU's highest birth rate|publisher=Irishtimes.com|date=7 July 2010|accessdate=30 June 2011}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.healthpowerhouse.com/files/Report-EHCI-2012.pdf|title=Euro Health Consumer Index 2012|publisher=民間医療調査機関|date=15 May 2012|accessdate=23 November 2016|archive-url=https://web.archive.org/web/20170525195728/http://www.healthpowerhouse.com/files/Report-EHCI-2012.pdf|archive-date=25 May 2017|url-status=dead}}</ref>。同じ報告書では、アイルランドの医療制度は、健康面では8番目に優れているが、ヨーロッパでは21番目にアクセスしやすい制度にすぎないと評価されている。
== 治安 ==
2019年の年間[[犯罪]]発生総件数は、225,103件で前年比5%の増加となっている。2018年と比べ、[[強盗]]や侵入[[窃盗]]、[[スリ]]や[[ひったくり]]などの財産犯は総じて減少傾向を示しているものの、[[車上狙い]]、自転車盗、[[性犯罪|強制性交]]、[[麻薬|薬物]]・[[銃器]]犯罪、[[詐欺]]・[[横領]]等の犯罪は増加傾向を示している。
首都ダブリン市内及び近郊では、[[ギャング]]団同士の[[抗争]]とみられる[[銃撃]]・[[殺人]]事件が発生しており、警察は武装部隊による警戒活動を強化している<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.anzen.mofa.go.jp/info/pcsafetymeasure_151.html|title=アイルランド 安全対策基礎データ「犯罪発生状況、防犯対策」|accessdate=2021-12-05|publisher=外務省}}</ref>。
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=== 警察 ===
[[ファイル:Garda car.jpg|thumb|[[アイルランドの警察|警察車両]]]]
[[1922年]]に創設されたガルダ・シーハーナ({{Lang|ga|Garda Síochána}})と呼ばれている[[アイルランド警察]]は、アイルランドの国家[[警察]]機関である。通称は、単数形で「{{lang|ga|Garda}}(ガルダ)」、複数形で「{{lang|ga|Gardaí}}(ガルディー」)と呼ぶ部隊の長はアイルランド政府が任命するガルダ委員会が務めている。本部は[[ダブリン]]の[[フェニックス・パーク]](大統領邸もある)にある<ref>{{Cite web|title=Welcome {{!}} President.ie {{!}} President of Ireland|url=https://president.ie/index.php/en|website=president.ie|accessdate=2020-07-15|language=en|first=Office of the President of|last=Ireland}}</ref>。
=== 人権 ===
{{Main|{{仮リンク|アイルランドにおける人権|en|Human rights in Ireland}}}}
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== マスコミ ==
{{Main|{{仮リンク|アイルランドのメディア|en|Mass media in the Republic of Ireland}}}}
[[アイルランド放送協会]] (RTÉ) は、アイルランドの公共放送局である。RTÉは、RTÉ OneとRTÉ2の2つの国営テレビ局を受信料および広告料で放送している。他の民営テレビ局は、ヴァージン・メディア・ワン、ヴァージン・メディア・ツー、ヴァージン・メディアー・スリー、[[TG4]]で、後者はアイルランド語話者向けの公共放送局である。これらのチャンネルはすべて、無料で視聴できる地上デジタル放送のSaorviewで視聴することができる<ref>{{cite web|url=http://www.saorview.ie/what-is-saorview/|title=What is Saorview?|publisher=Saorview official website|accessdate=30 August 2011}}</ref>。その他のチャンネルとしては、RTÉ News Now、RTÉjr、RTÉ One +1などがある。また、[[ヴァージン・メディア]]や[[Sky (メディア企業)|Sky]]などの有料放送局も放送されている。
全国には多くの地方局やローカルラジオ局がある。ある調査によると、成人の85%が、全国放送局、地方放送局、ローカル放送局の混合局を日常的に聞いていることが明らかになっている<ref>{{cite web|url=http://www.bai.ie/wordpress/wp-content/uploads/2011.07.28-JNLR-Results-July-2010-Jun2011.pdf|title=Listenership 2011/1 Summary Results|publisher=JNLR/Ipsos MRB|date=28 July 2011|accessdate=30 August 2011}}</ref>。RTÉラジオは、ラジオ1、2fm、Lyric fm、RnaGの4つの全国放送局を放送している。
=== 活字媒体 ===
アイルランドには伝統的に競争力のある活字メディアがあり、日刊の全国紙と週刊の地方紙、さらには日曜版の全国紙に分かれている。イギリスの出版物の強さはアイルランドの印刷メディアの特徴であり、イギリスが発行している新聞や雑誌を幅広く取り揃えている<ref name="Media Landscape" />。
=== インターネット ===
[[ユーロスタット]]の報告によると、[[欧州連合]]平均の79%に対し、[[2013年]]には82%のアイルランドの世帯が[[インターネット]]に接続していたが、[[ブロードバンドインターネット接続|ブロードバンド]]に接続していたのは67%にとどまっていた<ref>[http://www.irishtimes.com/business/sectors/technology/Ireland-still-lags-behind-eu-counterparts-in-access-to-broadband-1.1631826 Ireland still lags behind EU counterparts in access to broadband] The Irish Times, 18 December 2013 (accessed on 19 December 2013) {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20131229050021/http://www.irishtimes.com/business/sectors/technology/Ireland-still-lags-behind-eu-counterparts-in-access-to-broadband-1.1631826|date=29 December 2013}}</ref>。
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== 文化 ==
[[
古くは[[ケルト人]]による文化が栄えローマ時代の書物などにその一端が記されている。6世紀以後には『[[ケルズの書]]』に代表されるような[[カトリック教会|カトリック]]信仰に基づく[[キリスト教]]文化が広まった。
=== 食文化 ===
[[ファイル:A_pint_of_Guinness.jpg|right|サムネイル|1[[パイント]]の[[ギネス]]]]
{{Main|アイルランド料理}}
アイルランド料理は、伝統的に[[食肉|肉]]や[[乳製品]]をベースに、[[野菜]]や[[魚介類]]を加えたものだった。また、[[牧畜業]]が盛んなため、乳製品や肉、その加工食品が多く食されている。[[ジャガイモ]]は多くの食事に添えられている。
人気のあるアイルランド料理の例としては、[[ボクスティ]]、[[コルカノン]]、[[コードル]]、[[アイリッシュシチュー]]、[[ベーコン・アンド・キャベツ]]などがある。アイルランドの[[フル・ブレックファスト]]は、一般的にラッシャー(薄切り[[ベーコン]])、[[卵]]、[[ソーセージ]]、{{仮リンク|ホワイトプディング|en|White pudding}}、[[ブラックプディング]]、{{仮リンク|フライド・グリーン・トマト (料理)|label=フライドトマト|en|Fried green tomatoes}}などの揚げ物やグリル料理で構成されている。近年の経済発展と共に海外の食文化も取り入れられ、伝統料理と組み合わせた多くの創作料理で外食産業を賑わせている。
島国にもかかわらず魚の料理は少ないが、西部に行くと魚介類の料理が増え、新鮮な野菜や魚、[[牡蠣]]、[[ムール貝]]などの貝類を使った料理がある。特に貝類は、全国の海岸線から良質な貝類が手に入ることから人気が高まっている。最も人気のある魚は[[サーモン]]と[[タラ]]である。最近では全国各地で作られるようになった手作り[[チーズ]]の種類も豊富になってきている。伝統的なパンには、[[ソーダブレッド]]がある。[[バームブラック]]は、[[サルタナ]]と[[レーズン]]を加えた[[酵母]][[パン]]で、伝統的に[[ハロウィン]]に食べられている<ref>{{cite news|last1=McElwain|first1=Aoife|title=Now we know ... What's so spooky about barmbrack?|url=https://www.irishtimes.com/life-and-style/food-and-drink/now-we-know-what-s-so-spooky-about-barmbrack-1.3267009|accessdate=15 September 2018|newspaper=The Irish Times|date=28 October 2017}}</ref>。
アイルランド人の間で日常的に飲まれている飲み物には、[[紅茶]]や[[コーヒー]]がある。[[アルコール飲料]]には、ポティーンや[[アーサー・ギネス]]の醸造所であるダブリンのセント・ジェームズ・ゲートで生まれた辛口[[スタウト]]の[[ギネス]]などがある。[[アイリッシュ・ウイスキー]]も人気があり、シングル・モルト、シングル・グレーン、ブレンデッド ウイスキーなど、さまざまな形で提供されている<ref>{{cite web|url=http://www.irelandlogue.com/food-drink|title=Food & Drink in Ireland|accessdate=19 January 2011}}</ref>。
=== 文学 ===
[[ファイル:Jonathan Swift by Charles Jervas detail.jpg|right|代替文=|サムネイル|181x181ピクセル|[[ジョナサン・スウィフト]]]]
{{main|アイルランド文学}}
現在の文字が導入される以前は、[[ケルト神話]]として残る神話・英雄伝説を扱う[[口承文学]]が栄えた。その後のアイルランドの文学には[[アイルランド語]]で書かれたものと、英語で書かれた[[アングロ・アイリッシュ文学]]がある。イギリスの植民地時代、連合王国時代にはアイルランド出身の小説家により多くの優れた小説が英語で執筆された。この中には、1726年の小説『[[ガリヴァー旅行記]]』の[[ジョナサン・スウィフト]]、[[1890年]]の小説『[[ドリアン・グレイの肖像]]』、1891年の[[戯曲]]『[[サロメ (戯曲)|サロメ]]』([[仏語]])の[[オスカー・ワイルド]]などがいる。他にも18世紀に重要な作家で、最も注目された作品には、『[[トリストラム・シャンディ]]』の[[ローレンス・スターン]]や、[[オリヴァー・ゴールドスミス]]の『ウェイクフィールドの牧師』などがある。[[19世紀]]には、マリア・エッジワース、ジョン・バニム、ジェラルド・グリフィン、チャールズ・キッカム、ウィリアム・カールトン、[[ジョージ・ムーア (小説家)|ジョージ・ムーア]]、サマヴィル&ロスなど、多くのアイルランドの小説家が誕生した。[[ブラム・ストーカー]]は、1897年の小説『[[吸血鬼ドラキュラ]]』の作者として最もよく知られている。
[[ジェイムズ・ジョイス]]([[1882年]] - [[1941年]])は、[[ダブリン]]を舞台にした[[オデュッセイア]]の解釈である最も有名な[[1922年]]の作品の『[[ユリシーズ]]』は、20世紀の欧米文学に大きな影響を与えた。
[[ファイル:Yeats_Boughton.jpg|左|サムネイル|[[ウィリアム・バトラー・イェイツ]]|180x180px]]
20世紀にはパトリシア・リンチが児童文学作家として活躍し、21世紀初頭には[[オーエン・コルファー]]の作品がこのジャンルで[[ニューヨーク・タイムズのベストセラーリスト|ニューヨーク・タイムズのベストセラー]]になった<ref>{{cite news|url=https://www.irishtimes.com/culture/books/eoin-colfer-signs-artemis-fowl-spin-off-series-deal-1.3457107|newspaper=Irish Times|title=Eoin Colfer signs Artemis Fowl spin-off series deal|date=11 April 2018|accessdate=5 September 2018|quote=Colfer is The New York Times best-selling author of eight books in the Artemis Fowl series, with sales in excess of 25 million copies}}</ref>。多くのアイルランド人作家が好む短編小説のジャンルでは、[[フランク・オコナー]]、[[ウィリアム・トレヴァー]]などがいた。アイルランドの詩人には、パトリック・カヴァナー、トーマス・マッカーシー、ダーモット・ボルジャー、[[ノーベル文学賞]]受賞者の[[ウィリアム・バトラー・イェイツ]]、[[シェイマス・ヒーニー]]([[北アイルランド]]生まれ、ダブリン在住)などがいる。
アイルランド演劇の歴史は[[17世紀]]初頭のダブリンでのイギリス統治の拡大に始まり、それ以来、アイルランドはイギリス演劇に大きく貢献してきた。初期の歴史では、アイルランドの演劇は政治的な目的のために上演される傾向があったが、多くの劇場が開場し、より多様な娯楽が上演されるようになった。ダブリンに本拠地を置く劇場の多くは[[ロンドン]]の劇場とつながりを持ち、イギリスの作品がアイルランドの舞台に登場することもしばしばあった。しかし、ほとんどのアイルランド人劇作家は、自分たちの地位を確立するために海外に出ていった。[[18世紀]]には、[[オリヴァー・ゴールドスミス]]と[[リチャード・ブリンズリー・シェリダン]]が、当時ロンドンの舞台で最も成功した劇作家の一人だった。[[20世紀]]に入ると、アイルランド演劇の上演や作家、演出家、パフォーマーの育成を目的とした劇団が設立され、多くのアイルランド人劇作家がイギリスや[[アメリカ合衆国]]ではなく、アイルランドで学び、名声を確立することができるようになった。[[オスカー・ワイルド]]、ノーベル文学賞受賞者の[[ジョージ・バーナード・ショー]](1925年)、[[サミュエル・ベケット]](1969年)を中心とした高い評価を得ている作家たちの伝統を受け、[[ショーン・オケーシー]]などの劇作家が人気を博している<ref>{{cite book|last=Houston|first=Eugenie|title=Working and Living in Ireland|publisher=Working and Living Publications|year=2001|isbn=0-9536896-8-9|url-access=registration|url=https://archive.org/details/workinglivingini00euge}}</ref>。その他、20世紀のアイルランドの劇作家には[[フランク・マクギネス]]などがいる。
アイルランド出身の[[ノーベル文学賞]]の受賞者として、[[ウィリアム・バトラー・イェイツ|W・B・イェーツ]](1923年)、[[ジョージ・バーナード・ショー]](1925年)、[[サミュエル・ベケット]](1969年)、詩人の[[シェイマス・ヒーニー]](1995年)がいる。
=== 音楽 ===
[[ファイル:U2_on_Joshua_Tree_Tour_2017_Brussels_8-1-17.jpg|right|サムネイル|[[ダブリン]]を拠点とする[[ロックバンド]]の[[U2]]]]
[[ファイル:RTÉ Concert Orchestra NCH 2.jpg|サムネイル|RTÉコンサート]]
{{Main|アイルランド音楽}}
アイルランドの伝統音楽はダンスの舞曲、無伴奏の[[叙事詩歌]]や抒情詩歌、移民の歌、[[反戦歌]]などがある。
近年ではポピュラー音楽の分野において多くのアーティストが世界的な成功を収めている。また、多くの[[イギリス]]のロックバンドや、[[ハリウッド]]の戦前の監督や俳優の多くを{{仮リンク|アイリッシュ系移民|en|Irish diaspora}}が占めていた。近年のポピュラー音楽のアーティストの中では[[ヴァン・モリソン]]、[[ロリー・ギャラガー]]、[[ゲイリー・ムーア]]、[[シン・リジィ]]及び[[フィル・ライノット]]、[[メアリー・ブラック]]、[[シネイド・オコナー]]、[[U2]]、[[クランベリーズ]]、[[マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン]]、[[エンヤ]]、[[ウエストライフ]]、[[ケルティック・ウーマン]]、[[ボーイゾーン]]、[[ザ・コアーズ]]などが世界的に有名である。[[ロックバンド]]の[[U2]]は、[[1976年]]の結成以来、全世界で1億7000万枚のアルバムを販売している<ref name="170sales">{{cite news|url=http://www.cbsnews.com/news/u2-what-theyre-still-looking-for/3/|title=U2: What they're still looking for|work=[[CBS News]]|first=Anthony|last=Mason|date=24 May 2015|accessdate=25 May 2015}}</ref>。また、[[ノーベル平和賞]]候補者にも選ばれた元[[ブームタウン・ラッツ]]の[[ボブ・ゲルドフ]]もアイルランド出身である。
[[アイルランド放送協会]]のRTÉパフォーミング・グループのような[[クラシック音楽]]の[[アンサンブル]]も各地に存在し、3つのオペラ組織がある<ref>{{cite web|url=http://www.cmc.ie/links/index.html|title=Contemporary Music Ireland|publisher=Contemporary Music Centre - Links|accessdate=9 July 2009|url-status=dead|archiveurl=https://web.archive.org/web/20090224073202/http://www.cmc.ie/links/index.html|archivedate=24 February 2009|df=}}</ref>。オペラ・アイルランドはダブリンで[[オペラ]]を制作しており、オペラ・シアター・カンパニーは室内楽形式のオペラを国内各地で上演している。毎年10月から11月にかけて[[ウェックスフォード・オペラ・フェスティバル]]も開催されている<ref>{{Cite web|title=About the Festival|url=https://www.wexfordopera.com/about-us/about-the-festival/|website=Wexford Festival Opera 2020|accessdate=2020-07-17|language=en}}</ref>。
アイルランドは[[1965年]]から[[ユーロビジョン・ソング・コンテスト]]に参加している<ref>{{cite web|url=http://www.rte.ie/ten/2001/0404/mooreb.html|title=Showband legend Butch Moore dies|publisher=[[Raidió Teilifís Éireann|RTÉ]]|date=4 April 2001|accessdate=9 February 2012|url-status=dead|archiveurl=https://web.archive.org/web/20120811173736/http://www.rte.ie/ten/2001/0404/mooreb.html|archivedate=11 August 2012}}</ref>。初優勝は[[1970年]]、『{{En|All Kinds of Everything}}』でダナ・ローズマリー・スカロンが優勝した<ref>{{cite web|url=http://www.rte.ie/tv/thedailyshow/2011/0307/dana107.html|title=Dana|publisher=[[アイルランド放送協会]]|work=The Daily Show: Celebrity Guests|date=11 March 2011|accessdate=9 February 2012}}</ref>。その後も[[アイルランドのユーロビジョン・ソング・コンテスト|6回]]の優勝を果たしており、競合国の中では最多の優勝回数を記録している<ref>{{cite web|url=http://www.eurovisioncovers.co.uk/stats.htm|title=Eurovision Song Contest Statistics|publisher=eurovisioncovers.co.uk|year=2011|accessdate=9 February 2012}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.rte.ie/tv/programmes/a_little_bit_eurovision.html|title=A Little Bit Eurovision|publisher=[[アイルランド放送協会]]|date=6 July 2011|accessdate=9 February 2012}}</ref>。[[リバーダンス]]は[[1994年]]のコンテスト中に幕間のパフォーマンスとして生まれた現象である<ref>{{cite web|url=http://www.rte.ie/radio1/stephensday/1030324.html|title=On The Road with Riverdance|publisher=[[アイルランド放送協会]]|date=1 December 2004|accessdate=9 February 2012|url-status=dead|archiveurl=https://web.archive.org/web/20121124221048/http://www.rte.ie/radio1/stephensday/1030324.html|archivedate=24 November 2012}}</ref>。
伝統的な[[アイリッシュ・ダンス]]は、大きく分けて[[社交ダンス]]とパフォーマンス・ダンスに分けられる。さらに社交ダンスは、ケーリーと[[カントリー・ダンス]]に分けられる。アイルランドのカントリー・ダンスは、正方形に4組のカップルが並んで踊る4角形のダンスで、ケーリーは2人から16人までの様々なフォーメーションで踊るダンスである。また、この2つの形式の間には、多くの様式的な違いがある。アイルランドの社交ダンスは生きた伝統であり、特定のダンスのバリエーションは国中で見られる。場所によっては、ダンスを意図的に修正したり、新しいダンスに振り付けを加えたりすることもある。パフォーマンス・ダンスは伝統的にステップ・ダンスと呼ばれている。また、[[アイリッシュ・ダンス]]を現代風にアレンジをした「[[リバーダンス]]」の公演の世界的大成功によって、アイルランド文化への再認識も進み、現在では[[ケルト音楽]]という懐古趣味的な[[ポピュラー音楽]]が1つのジャンルとして人気を博すようになった。
=== 美術 ===
渦巻・組紐・動物文様などが組み合わされた[[ケルト美術]]はキリスト教と融合し『[[ケルズの書]]』、『[[ダロウの書]]』などの装飾写本を生み出した。また、[[ケルト十字|ケルティック・クロス]]などのキリスト教装飾もある。
=== 演劇 ===
演劇は[[アベイ座]]を中心とする文芸復興運動で、現代のアイルランド人のアイデンティティ形成に大きな役割を果たした。
=== 建築 ===
[[ファイル:Monasterboice_North_Church_and_West_Cross_West_Face_2013_09_27.jpg|左|サムネイル|[[ラウス県]]のモナスターボイスの遺跡は、初期のキリスト教の入植地のもの]]
{{main|{{仮リンク|アイルランドの建築|en|Architecture of Ireland}}}}
アイルランドには、[[ブルー・ナ・ボーニャ]]、プルナブロン・ドルメン、キャッスルトレンジ・ストーン、トゥロエ・ストーン、ドロンベッグ・ストーン・サークルなどの[[新石器時代]]の建築物が豊富に残っており、様々な状態で保存されている<ref>{{cite web|url=http://www.megalithomania.com/|publisher=Megalithomania|title=The Megalithic Monuments of Ireland|accessdate=19 November 2011}}</ref><ref>{{cite web|url=http://goireland.about.com/od/historyculture/qt/prehistoric.htm|publisher=About.com|title=The Prehistoric Monuments of Ireland|accessdate=19 October 2009}}</ref>。ローマ人がアイルランドを征服しなかったため、[[古代ギリシャ・ローマ世界|グレコ・ローマ時代]]の建築物は非常に稀である。その代わりに、[[鉄器時代]]の建築が長く続いていた<ref>{{cite web|url=http://www.worldtimelines.org.uk/world/british_isles/ireland/AD43-410|publisher=WorldTimelines.org.uk|title=AD 43-410 Roman Iron Age|accessdate=19 October 2009|url-status=dead|archiveurl=https://web.archive.org/web/20101013012557/http://www.worldtimelines.org.uk/world/british_isles/ireland/AD43-410|archivedate=13 October 2010|df=}}</ref>。アイルランドの円形の塔は、[[中世前期]]の時代に生まれた。
キリスト教では、クロンマクノイズ、[[シュケリッグ・ヴィヒル]]、スカッタリー島などのシンプルな修道院が導入された。これらのダブル・モナステリーとエジプトの[[コプト教徒]]の修道院の間には、様式的な類似性が指摘されている<ref>{{harvnb|Meinardus|2002|p=130}}.</ref>。ゲール人の王や貴族らは、リングフォートや人工要塞島を占拠していた<ref name="vikperiod">{{cite web|url=http://www.worldtimelines.org.uk/world/british_isles/ireland/AD410-1066|publisher=WorldTimelines.org.uk|title=AD 410-1066 Early medieval|accessdate=19 October 2009|url-status=dead|archiveurl=https://web.archive.org/web/20101012042003/http://www.worldtimelines.org.uk/world/british_isles/ireland/AD410-1066|archivedate=12 October 2010|df=}}</ref>。[[12世紀]]の教会改革は、[[シトー会]]を経由して大陸の影響を刺激し、[[ロマネスク様式]]のメリフォント、ボイル、ティンテルンの修道院があった<ref>{{harvnb|Moody|2005|p=735}}.</ref>。ゲール人の集落は、ケルズのような修道院の前身の町に限定されていたが、現在の通りのパターンは、元々の円形の集落の輪郭をある程度保存している<ref>{{cite web|url=http://udprism01.ucd.ie/TalisPrism/browseResults.do?&expandedWorkID=0.12&browse_action=9057&rootRSetId=12c1e70947c00000&browse_RootRSetId=12c1e70947c00000&displayRowPath=0&pageSize=10&displaySearchAsText=false&openRowPathSet=0:1|title=Altman 2007 Unpublished thesis|accessdate=5 November 2010|url-status=dead|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110510022752/http://udprism01.ucd.ie/TalisPrism/browseResults.do?&expandedWorkID=0.12&browse_action=9057&rootRSetId=12c1e70947c00000&browse_RootRSetId=12c1e70947c00000&displayRowPath=0&pageSize=10&displaySearchAsText=false&openRowPathSet=0%3A1|archivedate=10 May 2011|df=}}</ref>。大規模な都市部の集落が形成されたのは、ヴァイキングの侵略の時代になってからである<ref name="vikperiod" />。主要なヒベルノ=ノース・ロングフォートは海岸沿いにあったが、その名を冠した[[ロングフォード]]のような内陸の河岸集落もあった。
[[ファイル:CustomHouseDublin.JPG|サムネイル|18世紀後半に建てられた[[ダブリン]]の新古典派の建物の[[カスタム・ハウス (ダブリン)|カスタム・ハウス]]]]
12世紀後半にはアングロ=ノルマン人によって[[ダブリン城]]やキルケニー城などが建設され、城壁で囲まれた計画的な交易都市の概念が導入され、[[封建制]]下では憲章の付与によって法的地位と数々の権利を得た<ref>{{cite web|url=http://www.ancientfortresses.org/irish-castles.htm|publisher=Castles.me.uk|title=Irish Castles|accessdate=19 October 2009}}</ref>。これらの憲章は、これらの町のデザインを具体的に規定していた<ref>Butlin RA (1977): ''The Development of the Irish Town'', Croom Helm</ref>。最初のものは16世紀と17世紀のプランテーション・タウンで、[[テューダー朝]]の英国王が地元の反乱を抑えるためのメカニズムとして使用されたもので、18世紀の地主タウンが続いた<ref>Butlin RA: ''op cit''</ref>。現存するノルマン人が設立した計画的な町には、[[ドロヘダ]]とヨールがあり、プランテーション・タウンには[[ポートリーシュ]]とポーターリントンがあり、18世紀の計画的な町には[[ウェストポート (アイルランド)|ウェストポート]]と[[バリナスロー]]がある。計画的な入植が、現在の国中の町の大部分を占めている。
[[ファイル:Buildings_on_Dame_Street,_Dublin_20150808_1.jpg|左|サムネイル|ダブリンのデイム通りにある複数階建ての建物のレンガ建築]]
[[聖パトリック大聖堂 (ダブリン)|聖パトリック]]のような[[ゴシック様式]]の大聖堂もまた、[[ノルマン人]]によって導入された<ref>{{harvnb|Greenwood|2003|p=813}}.</ref>。[[中世後期]]までには、[[フランシスコ会]]が修道院を支配し、バンラティ城のようなタワーハウスは、ゲール人やノルマン人の貴族によって建設された<ref>{{cite web|url=http://www.askaboutireland.ie/reading-room/history-heritage/architecture/Architecture/historical-periods-1/the-later-middle-ages/|publisher=AskAboutIreland.ie|title=The Later Middle Ages: 1350 to 1540|accessdate=19 October 2009}}</ref>。多くの宗教的な建物は、修道院の解散とともに廃墟となった<ref>{{cite web|url=http://www.askaboutireland.ie/reading-room/history-heritage/architecture/Architecture/historical-periods-1/the-later-middle-ages/|publisher=AskAboutIreland.ie|title=Early Tudor Ireland: 1485 to 1547|accessdate=19 October 2009}}</ref>。維新後、エドワード・ロベット・ピアースの主導で、[[パッラーディオ建築]]と[[ロココ]]、特に[[カントリー・ハウス]]がアイルランドを席巻し、国会議事堂が最も重要なものとなった<ref name="greenwood">{{harvnb|Greenwood|2003|p=815}}.</ref>。
[[カスタム・ハウス (ダブリン)|カスタム・ハウス]]、[[フォー・コーツ]]、[[中央郵便局 (ダブリン)|中央郵便局]]、キングズ・インズなどの建築物が建設され、特にダブリンでは[[新古典主義建築]]やジョージアン建築が盛んになった<ref name="greenwood" />。[[カトリック解放]]後、聖コルマンズや聖フィンバーズなど、フランスの[[ゴシック・リヴァイヴァル建築]]の影響を受けた大聖堂や教会が出現した<ref name="greenwood" />。アイルランドといえば、長い間、[[茅葺き]]屋根の[[コテジ]]が連想されてきたが、最近では趣のあるものとみなされている<ref>{{cite web|url=http://www.ballybegvillage.com/thatching.html|publisher=BallyBegVillage.com|title=Thatching in Ireland|accessdate=19 October 2009|archive-url=https://web.archive.org/web/20171011005154/http://www.ballybegvillage.com/thatching.html|archive-date=11 October 2017|url-status=dead}}</ref>。
[[ファイル:Capital dock.jpg|代替文=|サムネイル|アイルランドで最も高い建物のカピタル・ドック(79[[メートル|m]]、[[アイルランド島]]では3番目)]]
[[1927年]]に[[アメリカ合衆国]]でデザインされたターナーズ・クロスの[[アール・デコ]]教会を皮切りに、アイルランドの建築は20世紀以降、近代的で洗練された建築様式を求める国際的なトレンドに沿ったものとなっている<ref>{{cite web|title=Exterior of Church of Christ the King, Turner's Cross|publisher=Parish of Turner's Cross|url=http://turnerscross.com/architecture/building-description/|accessdate=9 November 2008}}</ref>。その他の開発には、バリーマンの再生やアダムスタウンのダブリンの都市拡張などがある<ref>{{cite web|url=http://www.sdcc.ie/services/planning/strategic-development-zones/adamstown?option=com_content&task=view&id=353&Itemid=203|title=About Adamstown|publisher=South Dublin County Council|accessdate=13 August 2010|url-status=dead|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150903232010/http://www.sdcc.ie/services/planning/strategic-development-zones/adamstown?option=com_content&task=view&id=353&Itemid=203|archivedate=3 September 2015}}</ref>。[[1997年]]にダブリン・ドックランズ開発局が設立されて以来、ダブリン・ドックランズ地区では大規模な再開発が行われ、[[ダブリン・コンベンション・センター]]やグランド・カナル劇場(現在の[[ボード・ガシュ・エナジー劇場]])などが建設された<ref>{{cite web|url=http://www.ddda.ie/index.jsp?p=99&n=138|title=Docklands Authority - About Us|accessdate=31 August 2011|archive-url=https://web.archive.org/web/20110927154054/http://www.ddda.ie/index.jsp?p=99&n=138|archive-date=27 September 2011|url-status=dead}}</ref>。アイルランド王立建築家協会は、国内での建築活動を規制している<ref>{{cite web|url=http://www.riai.ie/about_the_riai|title=About the RIAI|accessdate=17 November 2010|url-status=dead|archiveurl=https://web.archive.org/web/20100928211424/http://www.riai.ie/about_the_riai|archivedate=28 September 2010}}</ref>。
=== 映画 ===
{{main|アイルランドの映画}}
アイルランドの[[映画産業]]は、スクリーン・アイルランドによる映画産業の振興と、多額の減税措置の導入のおかげもあって、ここ数年で幾分か成長を見せている。[[アイルランド映画協会]]とプライスウォーターハウスクーパースが2008年に実施した「アイルランド視聴覚コンテンツ制作部門レビュー」によると、この部門の雇用者数は6~7年前の1,000人から6,000人を超え、その評価額は5億5,730万ユーロを超え、[[国内総生産]]の0.3%を占めている<ref>{{cite web|title=Irish Audiovisual Content Production Sector Review|publisher=Irish Film Board|year=2009|url=http://www.irishfilmboard.ie/files/Irish%20Audiovisual%20Content%20Production%20Sector%20Review%20jan%2009.pdf|accessdate=2020-07-16|archiveurl=https://www.webcitation.org/68FXOakWA?url=http://www.irishfilmboard.ie/files/Irish%20Audiovisual%20Content%20Production%20Sector%20Review%20jan%2009.pdf|archivedate=2012-06-07}}</ref>。アイルランドは[[英語圏]]であるため、ほとんどの映画は英語で製作されているが、一部または全部をアイルランド語で製作されている映画もある。
アイルランド映画委員会の支援を受け、同国の映画産業は[[1990年代]]以降、土着映画の振興や『[[ブレイブハート]]』や『[[プライベート・ライアン]]』のような国際的な作品の誘致などにより、大きく成長している<ref name="Media Landscape">{{cite web|url=http://www.ejc.net/media_landscape/article/ireland|title=Media landscape: Ireland|publisher=European Journalism Centre|date=5 November 2010|accessdate=30 August 2011|url-status=dead|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110824215241/http://www.ejc.net/media_landscape/article/ireland/|archivedate=24 August 2011}}</ref>。
大予算の国際的なプロダクションが国にとって貴重な存在である一方で、アイルランドのプロデューサー、監督、脚本家、クルーに技術と経験を与え、アイルランドを拠点とする才能から生まれる物語を伝える機会を創出する中心となっているのは、アイルランドの土着産業である。最も成功したアイルランド映画には、『[[麦の穂をゆらす風]]』(2006年)、『インターミッション 』(2003年)、『ドッグマン』(2004年)、『[[マイケル・コリンズ (映画)|マイケル・コリンズ]]』(1996年)、『[[アンジェラの灰 (映画)|アンジェラの灰]]』(1999年)、『[[ザ・コミットメンツ]]』(1991年)、『[[ONCE ダブリンの街角で]]』(2007年)などがある。
過去には、カトリック教会の影響により、『[[独裁者 (映画)|独裁者]]』(1940年)、『[[時計じかけのオレンジ]]』(1971年)、『[[ライフ・オブ・ブライアン]]』(1979年)など、多くの映画が[[検閲]]や上映禁止になっていたが、近年は上映禁止は行われていない<ref>[http://irishpost.co.uk/ten-films-that-ireland-banned "Ten films that Ireland banned under the 1923 Censorship Act,"] ''The Irish Post'', 2015</ref>。
=== 被服・ファッション ===
[[Image:Aran cardigan.jpg|thumb|right|250px|{{仮リンク|アラン・ジャンパー|en|Aran jumper}}の一例。この服はアイルランド西海岸沖の[[アラン諸島]]にちなんで名付けられたものである]]
{{main|{{仮リンク|アイルランドの民族衣装|en|Irish clothing}}}}
アイルランドの被服文化はイギリスとの類似点が幾つか見受けられる面を持つ。同国は{{仮リンク|アラン・ジャンパー|en|Aran jumper}}や{{仮リンク|ドニゴール・ツイード|en|Donegal tweed}}発祥の地である。
伝統的なものに[[クローク]]の一種である「ブレイト」(brait)と呼ばれる[[マント]]などがある。
{{節スタブ}}
=== 世界遺産 ===
{{main|アイルランドの世界遺産}}
アイルランド国内には、[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の[[世界遺産]]リストに登録された文化遺産が2件存在する。ニューグレンジを含む[[ボイン渓谷の遺跡群]]と、[[シュケリッグ・ヴィヒル]]である。
=== 祝祭日 ===
{{main|{{仮リンク|アイルランドの祝日|en|Public holidays in the Republic of Ireland}}}}
{| class="wikitable" style="margin:0 auto"
|+ '''アイルランドの祝祭日'''
!日付
!日本語表記
! 現地語表記
! 備考
|-
| [[1月1日]] || [[元日]] || {{Lang-ga-short|Lá Caille または Lá Bliana Nua}}
{{Lang-en-short|New Year's Day}}
|元旦の祝日は[[大晦日]]から始まる
|-
| [[3月17日]] || [[聖パトリックの祝日|聖パトリックの日]] || {{Lang-ga-short|Lá ’le Pádraig または Lá Fhéile Pádraig}}
{{Lang-en-short|St. Patrick's Day}}
|建国記念日
1903年のアイルランドで最初の祝日
|-
| [[移動祝日]](月) || [[イースターマンデー]] || {{Lang-ga-short|Luan Cásca}}
{{Lang-en-short|Easter Monday}}
|[[イースター]]の日曜日の次の日
|-
| 移動祝日(月) || [[ヨーロッパの五月祭]] || {{Lang-ga-short|Lá Bealtaine}}
{{Lang-en-short|May Day}}
|5月の第1月曜日。(1994年以降)
|-
| 移動祝日(月) || 6月の祝日
| {{Lang-ga-short|Lá Saoire i mí an Mheithimh}}
{{Lang-en-short|June Holiday}}
| かつては[[聖霊降臨祭]]として祝っていた
|-
| 移動祝日(月) || 8月の祝日
| {{Lang-ga-short|Lá Saoire i mí Lúnasa}}
{{Lang-en-short|August Holiday}}
|8月の第1月曜日
|-
| 移動祝日(月) || 10月の祝日
| {{Lang-ga-short|Lá Saoire i mí Dheireadh Fómhair}}
{{Lang-en-short|October Holiday}}
| 10月の最後の月曜日(1994年以降)
|-
| [[12月25日]] || [[クリスマス]] || {{Lang-ga-short|Lá Nollag}}
{{Lang-en-short|Christmas Day}}
|クリスマスの祝日は[[クリスマス・イヴ|イヴ]]から始まる
|-
| [[12月26日]] || [[聖スティーブンの日]] || {{Lang-ga-short|Lá Fhéile Stiofáin または Lá an Dreoilín}}
{{Lang-en-short|St. Stephen's Day}}
|クリスマスの翌日、[[聖ステファノの日]]
{{Lang|ga|Lá an Dreoilín}}は「ささぎの日」の意
|}
=== スポーツ ===
{{main|[[アイルランドのスポーツ]]}}
;ゲーリックゲームズ
{{main|ゲーリック体育協会}}
[[ファイル:Gaelic Football.jpg|thumb|300px|[[ゲーリックフットボール]]の試合]]
アイルランドでは[[サッカー]]や[[ラグビーフットボール|ラグビー]]が人気の[[スポーツ]]となっているが、[[ゲーリックフットボール]]や[[ハーリング]]などの[[ゲーリック・ゲームズ]]は、教育現場でも取り入れられて広く普及している。県によるゲーリックフットボールとハーリングの対抗戦は人気があり、県毎の連帯感を演出している。優勝クラブを決定する『オールアイルランド・ファイナル』は毎年大変な盛り上がりを見せる。ゲーリック・ゲームズは[[アマチュア]]スポーツであり、県代表の選手も全て職業を持っている。
;サッカー
{{main|{{仮リンク|アイルランドのサッカー|en|Association football in the Republic of Ireland}}}}
[[File:FIFA WC-qualification 2014 - Austria vs Ireland 2013-09-10 - Republic of Ireland national football team.jpg|thumb|upright|320px|[[2014 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選グループC|2014年W杯予選]]での[[サッカーアイルランド共和国代表|サッカーアイルランド代表]]]]
アイルランド国内ではサッカーが最も人気のスポーツとなっている<ref>{{cite web|url=http://www.esri.ie/pdf/BKMNINT180_Main%20Text_Social%20and%20Economic%20Value%20of%20Sport.pdf|title=Social and Economic Value of Sport in Ireland|accessdate=5 February 2009|url-status=dead|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150712134834/http://www.esri.ie/pdf/BKMNINT180_Main%20Text_Social%20and%20Economic%20Value%20of%20Sport.pdf|archivedate=12 July 2015|df=}}</ref>。[[1985年]]にプロサッカーリーグの『[[リーグ・オブ・アイルランド・プレミアディビジョン]]』が創設された。しかし[[イングランド]]・[[プレミアリーグ]]がアイルランド国内で最も人気があるリーグとなっている<ref>{{cite book|last=Whelan|first=Daire|title=Who Stole Our Game?|publisher=Gill & Macmillan Ltd|year=2006|isbn=0-7171-4004-0}}</ref>。
[[1921年]]に設立された[[フットボール・アソシエーション・オブ・アイルランド|アイルランドサッカー協会]](FAI)によって[[サッカーアイルランド共和国代表|サッカーアイルランド代表]]が構成されている。[[FIFAワールドカップ]]には3度出場しており、[[1990 FIFAワールドカップ|1990年大会]]では初出場ながらベスト8の成績を収めた。[[UEFA欧州選手権]]にも3度出場しており、[[UEFA EURO 2016|2016年大会]]では初めてグループリーグを突破しベスト16に進出した。
[[アイルランド人]][[プロサッカー選手|サッカー選手]]の象徴として'''[[ロイ・キーン]]'''がおり、[[マンチェスター・ユナイテッドFC|マンチェスター・ユナイテッド]]では長年[[主将]]を務め非常に人気の高い選手であった<ref>{{cite web|url=http://www.fai.ie/index.php?option=com_content&view=category&layout=blog&id=75&Itemid=139|title=About FAI|publisher=FAI official website|accessdate=28 August 2011}}</ref>。他にも[[ロビー・キーン]]や[[ダミアン・ダフ]]、[[シェイ・ギヴン]]などイングランドの[[ビッグクラブ]]で活躍した選手は数多く存在する。
;ラグビー
{{main|アイルランドのラグビーユニオン}}
[[ファイル:Rugby World Cup 2019-3.jpg|サムネイル|アイルランド対日本([[ラグビーワールドカップ2019]])]]
[[ラグビーアイルランド代表]]はアイルランドと[[北アイルランド]]との合同チームとなっており、[[シックス・ネイションズ]]の強豪国でもある。[[アイリッシュ海]]の両側の国で作ったラグビーのドリームチームの[[ブリティッシュ・アンド・アイリッシュ・ライオンズ]]で主将を務めたのは[[ブライアン・オドリスコル]]だった。
;競馬
{{main|アイルランドの競馬}}
[[アイリッシュダービー]]に代表される[[アイルランドの競馬]]も盛んである。[[キルデア県]]の[[カラ競馬場]]と[[レパーズタウン競馬場]]で行われ、[[1860年代]]から行われているが[[1700年代]]には早くもレースが行われていた。人気のあるレース・ミーティングは[[ゴールウェイ]]でも開催されている。[[クールモアスタッド]]や、世界で最も成功した調教師の一人である[[エイダン・オブライエン]]の本拠地である[[バリードイル調教場]]などがある。アイルランドは[[ガリレオ (競走馬)|ガリレオ]]、[[モンジュー]]、[[シーザスターズ]]などのチャンピオン馬を輩出している。
;ゴルフ
[[ファイル:OldHeadGolfLinks.jpg|thumb|アイルランドのゴルフコース]]
アイルランドには全国に350以上の[[ゴルフコース]]があり、[[2006年]]の[[ライダーカップ]]はアイルランドで行われた<ref>{{Cite web|title=Ireland|url=https://www.golfadvisor.com/course-directory/8422-ireland/|website=Golf Advisor|accessdate=2020-07-16|language=en}}</ref>。[[パドレイグ・ハリントン]]、[[シェーン・ローリー]]、ポール・マッギンリーのような国際的に成功した[[プロゴルファー]]を輩出している。
;クリケット
{{main|クリケットアイルランド代表}}
[[クリケット]]は人気スポーツの一つである。歴史は古く、18世紀後半にイギリス人によってクリケットが持ち込まれた<ref name="ICC">[https://www.icc-cricket.com/about/members/europe/full/12 Cricket Ireland] 国際クリケット評議会 2023年9月29日閲覧。</ref>。最初の試合は1792年に行われたという記録がある<ref name="ICC"/>。[[国内競技連盟]]であるクリケットアイルランドは、1993年に[[国際クリケット評議会]]に加盟し、2017年には全12カ国の一つであるフルメンバーに昇格された<ref name="ICC"/>。[[クリケットアイルランド代表]]はラグビーと同様にアイルランドと[[北アイルランド]]との合同チームとなっている。アイルランド代表は長年による実績によって国際的な地位を獲得し、古くは1928年に[[クリケット西インド諸島代表|インド諸島代表]]に勝利をしている<ref name="ICC"/>。[[2007 クリケット・ワールドカップ|2007年]]のワールドカップでは、ジンバブエに引き分け、パキスタンに勝利し、ベスト8に進出する大躍進を遂げた<ref name="ICC"/>。ワールドカップ後、若年層を中心にクリケット人気が爆発的に伸び、国内のクリケットクラブは300%増加したという報告もある<ref name="ICC"/>。[[1999年]]には[[1999 クリケット・ワールドカップ|ワールドカップ]]を4カ国の共催であるが、アイルランドで初開催となった。
== 著名な出身者 ==
{{Main|アイルランド人の一覧}}
== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
{{Reflist|25em|refs=
<ref name="PreliminaryCensus2022">{{Cite web |url=https://www.cso.ie/en/media/csoie/newsevents/presentations/2022/Census_Preliminary_Results_2022_-_23_June_2022_-_PDF.pdf |title=Census Preliminary Results 2022 |format=pdf |publisher=中央統計局 |date=2022-06-23 |accessdate=2022-06-24}}</ref>
}}
== 参考文献 ==
{{Refbegin}}
* {{Cite book|last=Gilland|first=Karin|title=Ireland: Neutrality and the International Use of Force|year=2001|publisher=Routledge|isbn=0-415-21804-7|ref=harv}}
* {{Cite book|last=Greenwood|first=Margaret|title=Rough guide to Ireland|year=2003|publisher=Rough Guides|isbn=1-84353-059-7|ref=harv}}
* {{Cite book|last=Mangan|first=James Clarence|title=James Clarence Mangan - His Selected Poems|year=2007|publisher=Read Books|isbn=978-1-4086-2700-6|ref=harv}}
* {{Cite book|last=Meinardus|first=Otto Friedrich August|title=Two thousand years of Coptic Christianity|year=2002|publisher=American Univ in Cairo Press|isbn=977-424-757-4|ref=harv}}
* {{Cite book|last=Moody|first=Theodore William|title=A New History of Ireland: Prehistoric and early Ireland|year=2005|publisher=Oxford University Press|isbn=0-19-821737-4|ref=harv}}
{{refend}}
== 関連項目 ==
* [[アイルランド関係記事の一覧]]
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