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}}{{導入部が短い|date=2021年1月}}{{Pathnav|死刑|frame=1}}
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'''死刑存廃問題'''(しけいそんぱいもんだい)は、[[死刑]]制度の是非に関して存在する倫理、法律(憲法)、[[刑事政策]]、そして国際外交にかかわる諸問題である。
{{独自研究}}
{{加筆|日本で著名な死刑存置論者|date=2008年2月}}
 
== 死刑存廃論争 ==
'''死刑存廃問題'''(しけいそんぱいもんだい)とは、死刑制度の是非に関する問題のことである。たとえば死刑制度を維持している国では[[刑罰]]の一つとして[[死刑]]を存続させる'''死刑存置論'''と死刑制度を廃止させるほうが適切であるとする'''死刑廃止論'''との議論である。前者の場合、現状維持派とみなされる場合もあるが、死刑の適用は裁量的なものであり、適用が拡張される場合も縮小される場合もありえるため、必ずしもそうとは言い切れない。なお死刑制度が廃止されている国の場合には'''死刑復活問題'''となるが、現在では、その復活する理由として、[[テロリズム]]に対する抑止力として主張される。
死刑制度の是非をめぐっては、死刑制度を維持する国では存続に賛成する'''存置論 '''(存続論)、死刑制度の廃止を主張する'''廃止論'''(反対論)、死刑制度を廃止した国では制度の復活に賛成する復活論とそれに反対する廃止維持論が存在する。死刑制度は宗教、哲学および社会感情が複雑に絡むテーマであり、存置派と廃止派とは、古代から現在に至るまで、様々な論点をめぐって様々な対立をしてきた。
 
死刑是非の論争の背後には、[[犯罪者]]に対する処遇を扱う[[刑事政策]]問題の範疇におさまらず、[[刑罰]]論や生命論といった法哲学の広く深い対立の溝があり、合意には至っていない。こうした状況のため、死刑存廃の議論は、しばしば「不毛の論議」となる{{Harv|中嶋|2004|Ref=NAKAJIMA2004|p=189}}。
なお、双方の主張が激しく対立している問題である為、双方の立場からの主張等を記述しているが、いずれの議論の方が絶対的に正しいか否かの判断はしかねる為、留意されたし。
 
=== 存廃論論争相関図 ===
== 死刑の概略 ==
{{出典の明記|section=1|date=2008年5月}}
[[画像:Andrea_Mantegna_029.jpg|thumb|240px|right|処刑直後のキリストを描いた絵画]]
下記の表は双方の立場から提示された様々な論争の論点の一部を書物<ref>[[正木亮]]の『刑事政策汎論』と、[[斉藤静敬]]の『新版死刑再考論』、[[藤本哲也]]の『刑事政策概論』など</ref> から、列挙したものである。この図でも判るように双方とも鋭く対立している。{{See2|論争の詳細については後述の[[死刑存廃問題#存廃論の論点をめぐる議論|死刑存廃論の論点]]および[[死刑存廃問題#死刑制度をめぐる思想史|歴史の項目]]も}}なお前述のとおりこれらの論争は無数にある死刑存廃論議のほんの一部であり、このような二項対立的な議論が常になされているわけでもない。また双方の主張者がすべて同一であるわけではない。
死刑制度の詳細については、[[死刑]]を参照のこと。
 
{| class="wikitable"
[[死刑]]は、受刑者の[[生命]]を奪うことで、その社会的存在を永久にこの世から抹殺する刑罰であり、[[人類]]の[[刑罰]]史上最も古くからある刑罰であるといわれ有史以前に人類社会が形成された頃からあったとされる<ref>斎藤静敬『刑事政策』創成社 79頁</ref>。また生命刑とも云われ、かつては刑罰の主役であった。そのため、いかにして死刑を演出して執行するかか古くから行われており、[[釜茹で]]、火あぶり、生き埋め、溺死、石打ちなど多種に及んだ。また過去は犯罪行為に対するものにかぎらず社会規範を破った事に対する制裁として死刑が行われていた。たとえば、中世[[ヨーロッパ]]では[[姦通]]を犯した既婚者女性は原則的には溺死刑に処せられており、犯罪抑止のだけでなく社会的規範を守らせようとする手段となっていた。
!width="18%"|論点
!width="41%"|死刑廃止論側の主張
!width="41%"|死刑存置論側の主張
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|'''[[社会契約説]]'''
|法学者であり啓蒙思想家の[[チェーザレ・ベッカリーア|ベッカリーア]]は、人が[[社会契約]]を結ぶ際、その生命に対する権利まで主権者に預託してはいけないとする。生命はあらゆる人間の利益の中で最大のものであり、国民が自らの生命をあらかじめ放棄することはあり得ないとして、少なくとも国家の正常な状態においては死刑は廃止されなければならない。廃止論者のベッカリーアは、死刑よりも終身隷役刑の方が受刑者をして全生涯を奴隷状態と苦しみの中に過ぎさせるので、みせしめ刑として効果的であると論じており、これは死刑以上に「残虐」な刑罰と考えられる。
|社会契約説を最初に確立した[[トマス・ホッブズ]]、[[ジョン・ロック]]や[[イマヌエル・カント|カント]]などの啓蒙思想家は、三大人権(自然権)である生命権と自由権と財産権の社会契約の違反(自然権 の侵害)に相対する懲罰・応報として死刑・懲役・罰金を提示している。死刑は殺人に対する社会契約説の合理的な帰結である(下記の「死刑存置論の系譜」参照)。
 
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完全な形で残る世界で2番目に古い法典である[[ハンムラビ法典]]は「目には目を、歯には歯を(タリオの法)」があるため、応報刑が採用されていたようであるが、実際には加害者の身分が被害者より下であれば厳罰に処せられており、[[応報刑]]が成立するのはあくまで対等な身分同士の者だけであった。基本的に「何が犯罪行為であるかを明らかにして、その行為に対して刑罰を加える」といった現代の[[罪刑法定主義]]が採用されていたものであり、[[復讐]]を認める野蛮な規定の典型ではなく「倍返しのような過剰な報復を禁じ、同等の懲罰にとどめて報復合戦の拡大を防ぐ」ものであった。しかしながら宗教的教義に反する政治思想・司法制度であったため、[[ユダヤ人]]と[[キリスト教徒]]からは批判し続けたため、近代に至るまで罪刑法定主義的な処罰が行われることは無かった。そのため、近世になるまで現在から見ると釣り合いが取れないほど軽い罪であっても死刑になる犯罪行為とされていた。また後述のように道徳に背く行為に対しても同様であった。
|'''[[人権]]'''
|近代社会において[[人権]]を尊重することは、その対象が犯罪者が入るとしても、悪ではない。すなわち死刑による人権の制限が他刑によるそれに勝るとされるのであれば、それを是正することは社会的に否定されるべきことではないのであり、それが社会に与える影響(凶悪犯罪の増加可能性や費用の問題など)は別途考慮されるべきだが、それ自体は社会に責任が帰せられるものであり国家による人権の更なる尊重を否定するものではない。
|[[人権]]を守るために法の下に行われる懲罰行為は犯罪者の人権を侵害するものであるがこれは法治国家に必要なのであり、国連の人権宣言でも法の下に行われる罰金刑、禁固刑、身体刑、死刑を否定してはいない。殺人(生命権の侵害)に対して執行される死刑は応報であり人権を軽んじていることには当たらない。特に大量殺人を行った犯人を死刑にしないことは不条理であるだけでなく被害者の生命権を侮蔑するものであり法の正義の精神に著しく反する。
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|'''誤判の可能性'''<br/>後述の[[死刑存廃問題#冤罪事件|冤罪もしくは誤判]]も参照
|死刑がその「取り返しの付かなさ」を一つの理由として極刑とされるのであれば寿命という人間の限界を無視した死刑による誤判可能性は無視できない。また[[冤罪]]の責任は、原則的に(つまり寿命という限界を除いて)その被冤罪者本人(=政府権力や裁判官やけ検察や警察など公務員)が負うべきであるが、死刑はその性質上本来的にその責任を負うということを放棄しているのではないかという問題がある。また、死刑と長期間の懲役を同じと考えるのは間違っている、後者は拘束であり死とは比べ物にならない上に残りの人生の自由の可能性もある。新幹線、飛行機、および自動車による事故と、この問題を関連付けることもまた不適切である。さらに罰金や懲役の冤罪は、恐喝や、監禁ではないかという存置論者の意見は直接生命をはく奪されるという最悪の人権侵害を回避したかたちの人権制約の結果とみなすことができるので、否定される。つまり多くの人々に、あなたが冤罪で有罪が確定するときに、死刑で確定するのと、終身刑で確定するのとどちらがよいか、という
世論調査をすれば、ほとんどすべての人々が後者と答えるのは、当然である。誤判が生じるのは、なにも死刑に限ったことではなく、刑罰全体にその可能性は存在するから、死刑を存置せよという主張は通じない。問題は、誤判が生じるのは、なにも死刑に限ったことではなく、刑罰全体にその可能性は存在するならば、自分が冤罪被害者になった場合に、最悪の被害だけでも回避できるようにすべきだ、という主張である。どうせ被害があるのだから、最悪の被害(=冤罪による死刑)でも良いなどとは、主張できない。
 
なお、認識ある過失ではないかという反論は通じない。なぜなら、冤罪はなくせないということは、存置論もまた認めざるを得ないことであるからである。また、手続きが法律によっているのだから、そのような執行も問題ないという主張については、形式的法治主義と法の支配の違いが理解できていない虚論である。さらに、公共の福祉を持ち出しても正当化することはできない。なぜなら、公共の福祉において外在的な人権制約を認めないのは近代立憲主義では当たり前のことであり(中国や北朝鮮やイランでもないかぎりは)、内在的な人権制約論理による公共の福祉を適用する限りにおいては、最小限の人権制約を実行しなければならないという原理が存在するために、無辜の生命の保護のために有罪があきらかな犯人であっても刑法体系において終身刑などにおきかえることは、無辜の保護という一点のみで正当化される。終身刑にしても冤罪によって刑務所で生涯を絶望のもとに終えるのは死刑よりもむごいと論じることは、存置論の意味がなくなってしまう詭弁に過ぎない。長期間の懲役後に冤罪となっても謝罪金では失った人生と寿命が取り返しがつかないことと同一視することができないのは、自明である。同じだという存置論者は、確定冤罪死刑囚と同じ体験をしてみたものがいないことからも、ただの詭弁論者にすぎない。最後に以上の議論をもとに、存置論(特に日本において)によく見受けられる「自動車で交通事故で死人が出ているから、自動車を廃止しろというのか?」は、2つの理由で例えになっていない。まず、民間企業の生産する自動車は国家主権が及ぶ領土で無条件に適用される刑罰の作用とは異なり、可能性としては自宅にいる間は自動車の事故に会うことは無いようにできるが、冤罪被害にあってしまったら回避は無理である。次に自動車の事故死は公権力による計画的他殺ではない。つまり、この「例え」こそが、憲法が1次的には政府に対する規範である趣旨の近代憲法を理解していない虚論にすぎない。また、「冤罪」は、裁判や取り調べの問題であり死刑制度は刑法という法体系の問題であり、二つの問題を分けて考えるべきだという存置論の意見も意味をなさない。刑法という法体系は、取り調べての容疑者の特定や、検察による起訴、そして裁判による事実認定・量刑判断といった、一連の「実務作業」によって「実装可能」でなければ意味をなさない。つまり、理論的に正当性を持っていても、具体的「システム」<ref>『死刑廃止論』(有斐閣、初版1991年、6版2000年),団藤重光.</ref> として実現できない法に、その存在価値はない。
政治的権力者ないし宗教指導者への反逆は、悲惨な死に至るという威嚇を狙った目的もあり、歴史的(異論もあるが)には[[ローマ帝国]]および[[ユダヤ教]]に対する反逆者とされ死刑が執行された[[ナザレのイエス|イエス・キリスト]]の[[キリストの磔刑|磔刑]]が有名である。キリストの処刑は公開であったことからも判るように、死刑執行を公開することで犯罪を予防しようとする目的もあり<ref>斎藤静敬『刑事政策』創成社 80頁</ref>、そのため前述のように残酷性を極めた惨い方法が行われていた。
 
中世ヨーロッパの[[宗教裁判]]は、現代の感覚からすると公平と公正さに欠如したものであったが、宗教異端者に対する処刑は過酷さを極めており、盛んに行われた[[魔女狩り]]では、処刑方法が非常に残酷なものであった。受刑者の身体を公共の場で切り刻んだり引きちぎったりする刑すらあっり、たとえば[[イングランド]]の[[ウィリアム・ウォレス]]([[映画]][[ブレイブハート]]のモデル)は謀反人として生きたまま内臓を引き出されたり、手足を切断する四つ裂きと呼ばれる極めて凄惨な[[公開処刑]]が行われた。公開処刑であるが[[21世紀]]に入った現在も一部国家で実施されている。
 
== 死刑存廃問題の起こり ==
[[フランス革命]]が契機として、死刑の執行方法は単一化されるようになり<ref>斎藤静敬『刑事政策』創成社 80頁</ref>、文明の進歩とともに死刑の意義が減少したため、適用範囲が次第に制限されるようになった。特に権力者に対する政治的反逆を行った[[政治犯]]に対する死刑は、一部の国を除き忌諱されるようになった。また死刑が適用される犯罪も概ね他人の生命を奪った犯罪事実に制限されるようになった。
 
|誤判が生じるのは、なにも死刑に限ったことではなく、刑罰全体にその可能性は存在する<ref>朝日新聞 2007年12月20日</ref>。誤判の発生により、その生涯を刑務所において絶望と無念に苛まれながら終えるのは、「長期間に渡る精神的拷問後の死」と論じることもできる。さらに誤判に起因する長期間の懲役自体、後の謝罪や謝罪金で回復できるとは言い切れない。例えば、60歳まで無実の罪で投獄された後に「1億円」が渡されるという取引に事前に合意するような一般人がいるだろうか。この影響は投獄される当人のみならず、本人の年齢が60歳ならばその親は大抵の場合は他界、家族も離散、そしてその家族も人殺しの近親者というレッテルを数十年背負うことになるなど、本人の周囲へも甚大な影響を与える場合が多い。このように、事情はどうであれ法制度上の刑罰を受けることは、本人の失われた人生や寿命、またその周辺人物への名誉に、程度の差こそあれ大きな損害を与えるのは自明である。
死刑が適用される犯罪を戦争犯罪のみに限定もしくは完全に撤廃しようとする動きを'''死刑廃止論'''である。それに対する死刑制度の存続すべきと主張するのが'''死刑存置論'''である。死刑制度の存続への賛成派は、その目的として犯罪を予定する者への威嚇効果、つまり(殺人などの凶悪事件)犯罪抑止ないし犯罪抑止力。または人権を剥奪された被害者ないしその遺族の救済(つまるところ報復の代行)などを根拠に死刑を維持・復活すべきとする。また、死刑制度の廃止派はたとえ人命を奪った凶悪な犯罪者であっても人権はあり、死刑そのもの自体が永久にこの世から存在を抹殺する残虐な刑であり、国家による殺人を合法的に行うことであり是認できない、刑事裁判の誤判による冤罪による処刑を完全に防ぎきれない、などを根拠に廃止すべきと主張する。なお死刑復活論は一旦死刑制度が廃止された国において、死刑を復活させようというものであるが、第二次大戦以後に復活させた国は実際にいくつか存在するが、このときの理由はテロリスト抑止といった理由であった。
また、懲役刑を伴わない痴漢や万引きなどの軽い犯罪においても、冤罪被害を受けた一般人は社会的信用を完全に喪失することもある訳であるから、裁判における誤判は、その多くが取り返しがつかないと言えるし、最後まで冤罪が判明しない判決が少なからず存在する可能性すらもある。このように、誤判・冤罪を全ての判決から無くすため、たゆまぬ努力が必要であるという主張は正論であるし、死刑判決に際しては特に、その刑の重さからその判断に万全を尽くすのは当然である。なぜなら死刑執行は、それ自体が刑罰であると同時に、執行の前後では、誤判・冤罪の被害、名誉回復に致命的で甚大な、もしくは一切回復不可能な影響を与えるためである。
しかし一方で、こうした誤判・冤罪の可能性を完全に排除するために、死刑そのものを廃すべきだとの意見は、論の体をなさない主張である。
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|'''犯罪被害者'''
|刑罰の目的が被害者や家族の処罰要求に応えるためという論理は、全ての犯罪事例に適用できない場合があり、論理として不完全で刑法や刑事裁判の根本的論理にはならない。なぜなら、被害者の家族が存在しない、被害者の家族が存在するが所在も連絡先も不明、被害者の家族が存在し所在も連絡先も明らかだが被害者と絶縁状態で関わりを拒否、被害者の家族が死刑反対論者、被害者の家族が当該事件に関しては死刑を求めない、被害者や家族が刑罰を求めず赦しと和解を求める、加害者=被害者の家族、前記の諸事例の場合はこの論理は適用できない。つまり、前記のような事例の場合は論理としては、不起訴、不処罰、罪や判例に対して著しく軽い罰にする必要が生じる。加害者を死刑にすることが、被害者の家族にとってどの程度の問題解決となるのか客観的な証明はない。刑法や刑事裁判の目的とは、個別的には、犯罪者に対して犯した罪に応じた処罰をするとともに、犯罪の原因を矯正し改革するための教育や訓練により更生を求める、国や社会全体としては個別的目的の集合体としての社会秩序の維持である。刑事裁判は被害者や家族の処罰感情のために行うものではないので、結果としての被害者や家族の処罰感情を満足させることはあっても、被害者や家族の処罰要求を満たすための処罰は刑事裁判の目的に反する。
仮に、存置論の被害者遺族についての主張を認めたとすると「死刑による冤罪被害者遺族の死刑賛成派への報復権」を担保しなければ、法の公正を著しく損なうというべきである。
殺人に対して執行される死刑は応報であり人権を軽んじていることには当たらないや、遺族が明確に死刑を望んでいる場合に死刑を適用しないのは被害者の生命権と遺族の心情を侮蔑するものであるなどと、存置論は主張するが、死刑による冤罪被害者遺族の心情こそが最も侮辱されていることを無視している。
 
|罪に対してあまりにも軽すぎる刑が適用された場合、その不条理が被害者にとって第二のトラウマになるのは周知の事実である。情状酌量の余地のない殺人を行った犯人が終身刑で生き続ける不条理は遺族にとっては終わりのない苦痛であり、死刑在廃の議論において殺人の被害者遺族は大抵死刑賛成である。殺人に対して執行される死刑は応報であり人権を軽んじていることには当たらない。イスラム法のように被害者遺族が個人的に死刑を望まない場合は死刑が適用されないなどの制度改正には理はあるが、遺族が明確に死刑を望んでいる場合に死刑を適用しないのは被害者の生命権と遺族の心情を侮蔑するものである。応報そのものを否定することは法の公正を著しく損なう。
そのため、死刑制度を存続するにしても廃止するにしても、[[法学]]のみならず、死刑制度の存在をどのように見るかで大きく変わるものであり、そのため法学のみならず思想的かつ宗教的な問題や[[哲学]]など様々な主義主張が交錯しており、人間の生命についてどう考えるかという根本的な課題<ref>菊田幸一『Q&A 死刑問題の基礎知識』明石書店126頁より引用</ref>であるといえる。
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|'''犯罪抑止力'''<br/>存廃論を論じる際抑止力を考慮すべきか、という議論もある。
歴史的にみた死刑廃止の意味づけには、[[政治犯]]処刑の抑止という面がある。古代中国では政敵の一族郎党全てを殺戮する「''九族皆殺し''」が行われた事が著名であるが、20世紀に入ってもなお南米やアジアを中心に、今なお[[革命]]、[[クーデター]]、[[政変]]などの政権交代のたびごとに、新政府により政敵への処刑が行われていた。近年では[[南ベトナム国]]大統領であった[[ゴ・ディン・ジエム]]がクーデター部隊によって「悪政」を事由に処刑([[1963年]])された。その恣意的な執行をなくすために、予防的に死刑を廃止しておく意義がある。その反面、死刑廃止諸国でも[[内乱罪]]などには例外的に死刑を適用するところも多い。同様に、どの国でも治安維持もしくは祖国に対する裏切り行為に関する量刑は概して高い。
|まず現状における死刑の犯罪抑止力肯定論は科学的な論拠に基づいたものであるとは到底言えないものである。例えば、1988年に国連犯罪防止・犯罪統制委員会のために行なわれ2002年に改訂された、死刑と殺人発生率の関係についての最新の調査結果報告書は「死刑のもたらす脅威やその適用が、終身刑のもたらす脅威やその適用よりもわずかでも殺人に対する抑止力が大きいという仮説を受け入れるのは妥当ではない」と結論付けているし、[[ニュー・ジャージー州]]では「死刑に抑止力があるという見解が説得的とは言えない」という見地から死刑廃止の一つの根拠としている。対して抑止力肯定論が科学者側から提出された場合もあるという意見もある。それ自体はその通りであるのだが、そのような主張が国際科学学会等で認められたという事例はいまだ存在しないのである。犯罪抑止力なるものが死刑と無期刑との間にその抑止力の優位性の差異があるという意見があるが、現状において死刑廃止国と存置国の犯罪率の推移に死刑廃止を契機とした明らかな違いが全体として特に見られない以上説得的ではない。
 
|死刑の代替としての無期刑や長期の懲役にしても、統計的には明確な抑止効果は証明されていない。社会的全体での犯罪統計の変化の原因は多くの要因が複雑に相関しているため、個別の刑の犯罪抑止力の統計による実証はもともと不可能である<ref>森下忠『刑事政策大綱』(成文堂)</ref>{{要ページ番号|date=2012年10月}}犯罪の重大さに応じて刑を重くするという刑事政策は元々統計論に基づくものではなく、あくまでも被害に対する応報という法の正義という観点と、刑罰が厳重であれば犯罪を起こす動機が軽減するという「常識論」に基づくものである。よって死刑の抑止力が統計的に証明されていないから同じように統計的に抑止力が証明されていない無期刑に替えるべきとの論そのものに根拠がない。また法哲学においては効用主義を刑法に適用すること自体が正義に反すると指摘されている。例えば詐欺罪に無期刑や死刑にすれば社会全体の詐欺の犯罪数は軽減するかもしれないがこれは法の公正を損なう行為である。同じように殺人に対する罰を社会的効用を理由に無期刑に減らすのは、法によって尊厳を回復するという犯罪被害者の権利を著しく損なうものである。社会統計を理由に死刑の廃止や復活を主張すること自体が論外である。
20世紀後半になり欧州連合(EU)を中心とする西欧諸国では、死刑制度を条件付ないし全面的に廃止するようになり、この流れを受けて[[国際連合]]は[[1989年]]12月に「[[国際人権規約]]」の「市民的及び政治的権利に関する国際規約の第二選択議定書」に随意項目として死刑廃止を採択した。また欧州連合は国際社会に対し死刑廃止を政治的に迫る動きをしており、[[2007年]][[12月]]には死刑制度存置国に対し、死刑の執行停止(モラトリアム)を求める決議を国連総会で採択させた。
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|'''世界の趨勢(すうせい)'''
国際連合が設立した[[国家元首]]も含む個人の国際犯罪を裁く常設国際司法機関である[[国際刑事裁判所]]では、事変時に発生した「[[集団殺害]]犯罪」「[[人道に対する犯罪]]」「[[戦争犯罪]]」といった、国際人道法に対する重大な違反を訴追対象としているが、有罪確定の場合の最高刑罰が30年以下の有期の拘禁刑または終身刑を規定しているが、国連が死刑を禁止しているため死刑は選択できないとしている。
|[[市民的及び政治的権利に関する国際規約の第2選択議定書|自由権規約第2選択議定書]](死刑廃止議定書)が1989年12月に[[国際連合総会|国連総会]]で採択されて以後、世界の多くの国々が死刑制度を廃止ないし死刑執行を停止している。ここ20年(1991-2010)で死刑執行を行った国が1995年の41ヵ国をピークに漸減し、現在20ヶ国前後で推移しているのに対し、死刑制度を全面廃止した国の数は、1991年の48ヵ国から2010年の96ヵ国まで一度も減少せず推移している。即ちひとたび廃止された死刑制度が再導入されることは滅多にない<ref name="amnesty.org">[https://web.archive.org/web/20120613034855/http://www.amnesty.org/en/library/asset/ACT50/001/2011/en/ea1b6b25-a62a-4074-927d-ba51e88df2e9/act500012011en.pdf Amnesty International, Death Sentences and Excutions 2010.]</ref>。こうした世界的趨勢の中、2007年5月国連拷問禁止委員会は日本に対し死刑執行停止を求める勧告<ref>[http://www.news-pj.net/siryou/2007/goumonkinshiiinkai-20070518.html 日本に対する国連拷問禁止委員会の結論及び勧告]</ref> を行っている。これは内政干渉を理由に無視できるものではなく、国際人権規約を批准し、国連人権理事会理事国をつとめる国として、日本は死刑制度のあり方を再考すべきである<ref>[https://web.archive.org/web/20160304080057/http://www.morino-ohisama.jp/about/doc01.pdf 「死刑廃止は世界の流れ」 弁護士小川原優之]</ref><ref>[http://www.toben.or.jp/message/seimei/post-127.html 「死刑執行に関する会長声明」 東京弁護士会会長 山本剛嗣]</ref>。右存置論における「死刑の是非はあくまで法の正義の観点からのみ論じられるべきである。」との主張も、法の正義の観点からいっても反論し難いくらいに否定されているから、独裁・専制国家以外の立憲主義国家においては廃止されてつづけているのであることを無視している。
 
|自由権規約第2選択議定書(死刑廃止議定書)の採択における賛成国(59ヶ国)は国連加盟国(当時)の37.1%にすぎず、これを国際的潮流の根拠とするには疑問がある{{Harv|中野|2001|Ref=NAKANO2001|p=102}}。また、当該条約は戦時犯罪への死刑を容認する部分的死刑存置条約であり、現状多くの国はこの点から部分的死刑存置国と言うべきである{{Harv|中野|2001|Ref=NAKANO2001|p=13,50}}。冷戦中は先進国=死刑廃止、途上・独裁国家=死刑維持の傾向が存在したが冷戦後の民主化後もアジアとアフリカの民主国家の多くが死刑制度を維持しており、死刑廃止の潮流と言われているものは、むしろ全面的廃止国の多い欧州と南米の地域的慣行と言ってよい{{Harv|中野|2001|Ref=NAKANO2001|p=124}}。
=== 近代欧米社会 ===
死刑反対派の国の意見、および国際機関の提言には真摯に耳を傾けるべきではあるが、そもそも刑法は国の基本制度であるため、世界全体で見た時の廃止国数や、それに基づいた国際潮流論にとらわれるべきではなく、死刑の是非はあくまで法の正義の観点からのみ論じられるべきである。
{{出典の明記|section=1}}
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[[Image:Execution robespierre, saint just....jpg|thumb|270px|right|フランス・[[恐怖政治]]の指導者[[マクシミリアン・ロベスピエール]]の公開処刑を描いた絵画([[1794年]])]]
|'''コスト(金銭的、人的など)'''
死刑は「人を殺す」ことにほかならず人間の原初的な強い忌避感情に関わるものであった。古くから議論されてきた。キリスト教では、[[ローマ]]の[[国教]]になる以前にもその正当性は議論されていたが、[[トマス・アクィナス]]が報復論を否定する一方で、予防論によって死刑の正当性を位置づけたことで教義上の結論を見る。近代になると、[[19世紀]]末から[[20世紀]]にかけて、より革新的な世俗思想に添う形で[[フリードリヒ・シュライアマハー]]、[[カール・バルト]]らが改めて死刑廃止を主張するようになった。
|死刑囚を収容する独房の看守や死刑を執行する職員の精神的負担が大きい。また、死刑は無期刑に比べ経費が安く済むという主張は一概には言えない<ref>{{Cite news |url=https://www.afpbb.com/articles/-/2572851?pid=3819120 |title=米各州で死刑制度廃止の動き、経費削減のため |newspaper=AFPBB News |agency=AFP通信 |publisher=クリエイティヴ・リンク |date=2009-02-18 |accessdate=2009-04-02}} 一例として</ref>。
 
死刑に関わる問題には厳格性が要求される。刑法では、有罪無罪の事実認定だけでなくいかなる疑いがある場合にもそれは常に被告人に有利に解釈されなければならないという前提がある。この厳格性があるがゆえに死刑制度はきわめて高くつくとの見方がある<ref>[http://www.abolish-dp.jca.apc.org/files/090220Speedy_full.html スピーディー・ライス教授の講義]</ref>。
近代における死刑賛成論の系譜は、自然権と[[社会契約論]]を唱えた[[トマス・ホッブズ|ホッブス]]、[[ジョン・ロック|ロック]]や[[イマヌエル・カント|カント]]などの[[啓蒙主義]]時代の思想家が、世俗的理論のもとに社会秩序の維持および自然権(生命権)の侵害に対する報復などによって、死刑の必要性を再定義したことから始まる。そのほか、[[モンテスキュー]]、[[ルソー]]、[[ヘーゲル]]といった文化人も死刑存置論を主張<ref>立石二六『刑法概論』成文社 2004年  346頁</ref>した。
厳格性のゆえに死刑は高くつくということであれば、存置論者は「もっと早くやってしまえばいいだろう」というであろうが、無実の人が処刑される危険性を増すということになる。現行犯など明確な事案なら、時間がかからないだろうという主張も意味がない、全死刑囚のうち現行犯で逮捕される割は極めて少数なので、結局コストは高くついてしまう。
 
|被告人が「死刑の早期執行を」などの意思を示すことにより、比較的短い期間(1年~数年程度)で死刑が執行されることはある。しかし、こうした例は稀であり、場合によっては収監期間がおよそ半世紀に及ぶ場合([[袴田事件]]など)もある。こうした長期に渡る強制的に自由を抑圧された生活で、死刑囚は[[拘禁反応]]を示す場合も見られるし、他方で収監された刑事施設内で病死、または自然死する場合もある。さらに、こうした死刑囚は「死刑」が刑罰であり、他の懲役囚と同じ様に刑務作業を行う義務を負わず、その分収監のための経費が累積し、社会への負担が高くつきがちである。
一方、死刑廃止論の系譜は、[[トマス・モア]]の著作『[[ユートピア]]』([[1516年]])から始まる。その後、[[ルソー]]の影響を受けたイタリアの啓蒙思想家[[チェーザレ・ベッカリーア]]は「死刑の威嚇力は終身の自由刑に劣り、また、死刑は残酷な行為の手本となるもので社会的に有害である」等と論じて<ref>立石二六『刑法概論』成文社 2004年 345-346頁</ref>死刑廃止論の先駆的な役割を果たした。彼の著作『[[犯罪と刑罰]]』([[1764年]])は、翻訳され瞬く間に[[ヨーロッパ]]中に広まり、多大な影響を与えた。ベッカリーアの思想を最初に実現したのは、[[トスカーナ]]地方の専制君主レオポルド1世(後の[[神聖ローマ皇帝]][[レオポルト2世]])である。彼は[[1765年]]より死刑の執行を停止し、[[1786年]]には完全には死刑を廃止した。このことを記念するイベントが、現在では毎年[[11月30日]]([[シティズ・フォー・ライフの日]])に、世界約573都市で開かれている。
&nbsp;
ベッカリーアの他にも、この時代にはディドロー『自然の法典』([[1755年]])、ゾンネンフェルス([[1764年]]、論文において)、トマソ・ナタレ『刑罰の効果及び必要に関する政策的研究』([[1759年]]執筆、[[1772年]]公刊)等が死刑の廃止を主張している。
 
その後、[[フランス]]では[[フランス革命]]が起こり、死刑が廃止するかに思われたが、[[ナポレオン・ボナパルト]]によって退けられた。ただし死刑の執行方法は単一化されるようになり、フランスでは[[ギロチン]]が唯一の処刑方法となり、そのほかの処刑方法は行われなくなった。欧米の政治革命の結果として死刑が適用される範囲が次第に制限されるようになった。たとえば建国間もない[[アメリカ合衆国]]ではジェファーソンが死刑執行の範囲を制限すべきと主張していた。州レベルでは[[ペンシルベニア州]]が[[1794年]]に死刑を適用できるのは第一級殺人罪のみと限定した。[[1846年]]に[[ミシガン州]]が殺人犯に対する死刑を禁止し、事実上死刑制度を廃止した。これは国家が国民の生命与奪権まで与える事に疑問が提示された結果ともいえる。
 
近代になり、[[18世紀]]末~19世紀にかけて、応報刑では犯罪を抑止することができないという考えから、ドイツでは[[フランツ・フォン・リスト]]とその弟子達が、[[目的刑]]という新しい刑法の体系を生み出し、それが[[近代学派]]([[新派]])となった。応報刑の[[旧派]]と目的刑の[[新派]]の対立は現代まで続いているが、目的刑を取る刑法学者は基本的に死刑廃止を主張している。
 
=== 近現代欧米社会 ===
近現代においては、[[民主主義]]という新しく出現した形態の社会を運営するために必要な、各種の要素の発見・解明・構築等が行われ、死刑の問題もその要素の一つ(「人権」と総称される)との関係において説明されるようになった。(刑事司法的な)制限が弱すぎると社会が混乱し、強すぎても人々の各種権利が圧迫され、結局は社会全体が危険に陥るため、制限と人々の権利の[[トレードオフ]]において最適な解を探求する作業は今日でも続けられている。
 
特に、未曾有の戦禍を生んだ第二次世界大戦以降、人々の権利が社会的制限に対して弱く設定されていたことが戦争の一原因となったことが指摘され、人々の権利の側に強めにバイアスがかかるようにトレードオフの設定が変更されてきている。このことが、戦後に死刑廃止国が増えた一因になっている。それにともなってか、死刑が微塵の疑いもなく正当であると考えられていた時代に比べて、宗教面や社会感情面での変遷も起こっているのが現状である。
 
また国家が国民の生命与奪権を握ることに対する危惧も背景にある。国家に合法的に殺人を行える死刑制度を認めていると、死刑の適用範囲が限りなく拡張することで、国家が絶対的権力の行使を死刑の威嚇力として使われる危険性があるためである。たとえば日本では現在死刑が適用される犯罪は概ね他人の生命を奪った犯罪に限定されているが、戦後の[[1985年]]の第102通常国会で[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]所属議員により[[衆議院]]に[[議員立法]]として提出された、外交・防衛上の国家機密事項に対する公務員の守秘義務を定め、これを第三者に漏洩する行為の防止を目的とした「[[国家秘密に係るスパイ行為等の防止に関する法律案]]」(通称:[[スパイ]]防止法案)では、最高刑は死刑または[[無期懲役]]であり、一般国民の権利制限に直結するうえ報道の自由が侵害されることに対する懸念もあったが、その刑罰があまりにも厳しすぎるとして大きな批判を集め、結局廃案になった。このように死刑を存置していると時の政府が国民の権利を侵害する手段として濫用されかねないという主張もある。
 
== 世界の現状 ==
=== 死刑制度の世界の現状地図 ===
[[Image:Death Penalty World Map.png|thumb|right|300px|死刑制度の世界地図]]<br>
この図は[[2008年]][[1月1日]]時点における世界各国の死刑制度の状況を表した地図である。
 
世界198ヶ国の色分けは次の通り。
 
* (<font color="#3f9bbb">'''青'''</font>):あらゆる犯罪に対する死刑を廃止('''91ヶ国''')
* (<font color="#d4df5a">'''緑'''</font>):戦時の逃走、反逆罪などの犯罪は死刑あり。それ以外は死刑を廃止('''11ヶ国''')
* (<font color="#e8aa30">'''橙'''</font>):法律上は死刑制度を維持。ただし、死刑を過去10年以上実施していない死刑執行モラトリアム国。もしくは、死刑を執行しないという公約をしている国。('''33ヶ国''')
* (<font color="#cc7662">'''赤'''</font>):過去10年の間に死刑の執行を行ったことのある国('''62ヶ国''')
 
となっている。この場合、死刑反対派は実質上の死刑廃止国が91+11+33の135ヶ国の多数派であると主張する一方で、死刑存置派は死刑制度維持国は11+33+61の105ヶ国で大多数であると主張している。なお死刑制度維持国の数字は1990年代以降減少傾向が続いている。
 
1990年代から21世紀初頭にかけて死刑廃止国が増加しているが、これは欧州連合が死刑制度を廃止するように各国に働きかけているためでもある。実際に欧州連合への加盟を目指している[[トルコ]]は死刑を廃止した。また[[カンボジア]]や[[リベリア]]、[[ルワンダ]]といった過去に多数の国民が虐殺された国において死刑制度が廃止されている。
 
=== 死刑制度を全面的に廃止した国の一覧 ===
下記の表であるが、法律上死刑を廃止した年と、戦時を除く通常犯罪に対する廃止年である。また参考に最後に死刑執行が行われた年も判明している場合記載している。これから判るように長期の死刑執行モラトリアムを経て死刑が廃止される国も少なくない。実際に「[[ギネス・ワールド・レコーズ|ギネスブック]]」に「[[1798年]]に世界で最初に死刑を廃止した国家」として掲載<ref>『ギネス世界記録2006』[[ポプラ社]] 123頁</ref>されている[[リヒテンシュタイン公国]]の実際の死刑制度廃止年は[[1987年]](最後の死刑執行が行われた年は[[1785年]])の事であり、それまで2世紀にわたり事実上死刑存置国であった。また平時で死刑が廃止されていても、戦時では死刑が執り行われる場合もある。
 
{| class=wikitable
|-
!国名!!全面死刑廃止年!!通常犯罪のみ廃止年!!最後の死刑執行年
|-
|[[アルバニア]]||align=center|[[2007年]]||align=center|2000年||align=center|
|-
|[[アルメニア]]||align=center|[[2003年]]||align=center|-||align=center|-
|-
|[[アンドラ公国]]||align=center|[[1990年]]||align=center|-||align=center|[[1943年]]
|-
|[[アンゴラ]]||align=center|[[1992年]]||align=center|-||align=center|-
|-
|[[オーストラリア]]||align=center|[[1985年]]||align=center|1984年||align=center|[[1967年]]
|-
|[[オーストリア]]||align=center|[[1968年]]||align=center|1950年||align=center|[[1950年]]
|-
|[[アゼルバイジャン]]||align=center|[[1998年]]||align=center|-||align=center|[[1993年]]
|-
|[[ベルギー]]||align=center|[[1996年]]||align=center|-||align=center|[[1993年]]
|-
|[[ボスニア・ヘルツェゴビナ]]||align=center|[[2001年]]||align=center|-||align=center|
|-
|[[ブータン王国]]||align=center|[[2004年]]||align=center|-||align=center|1964年
|-
|[[ブルガリア共和国]]||align=center|[[1998年]]||align=center|-||align=center|[[1989年]]
|-
|[[カンボジア王国]]||align=center|[[1989年]]||align=center|-||align=center|?
|-
|[[カナダ]]||align=center|[[1998年]]||align=center|1976年||align=center|[[1962年]]
|-
|[[キプロス]]||align=center|[[2002年]]||align=center|1983年||align=center|1962年
|-
|[[カボベルデ]]||align=center|[[1981年]]||align=center|-||align=center|[[1835年]]
|-
|[[コロンビア]]||align=center|[[1910年]]||align=center|-||align=center|[[1909年]]
|-
|[[コスタリカ]]||align=center|[[1877年]]||align=center|-||align=center|-
|-
|[[コートジボアール]]||align=center|[[2000年]]||align=center|-||align=center|-
|-
|[[クロアチア]]||align=center|[[1990年]]||align=center|-||align=center|-
|-
|[[チェコ共和国]]||align=center|[[1990年]]||align=center|-||align=center|-
|-
|[[デンマーク王国]]||align=center|[[1978年]]||align=center|1933年||align=center|[[1950年]]
|-
|[[ジブチ]]||align=center|[[1995年]]||align=center|-||align=center|建国以来執行無
|-
|[[ドミニカ共和国]]||align=center|[[1966年]]||align=center|-||align=center|-
|-
|[[東ティモール]]||align=center|[[1999年]]||align=center|-||align=center|-
|-
|[[エクアドル]]||align=center|[[1906年]]||align=center|-||align=center|-
|-
|[[エストニア]]||align=center|[[1999年]]||align=center|-||align=center|[[1991年]]
|-
|[[フィンランド]]||align=center|[[1972年]]||align=center|1949年||align=center|[[1941年]](戦時)<br>[[1825年]](平時)
|-
|[[フィリピン]]||align=center|[[2006年]]||align=center|-||align=center|-
|-
|[[フランス]]||align=center|[[1981年]]||align=center|-||align=center|[[1977年]]
|-
|[[ギリシア]]||align=center|[[2004年]]||align=center|-||align=center|-
|-
|[[グルジア]]||align=center|[[1997年]]||align=center|-||align=center|[[1994年]]
|-
|[[ドイツ連邦共和国]]||align=center|[[1987年]](旧[[ドイツ民主共和国|東独]])<br>[[1950年]]([[ドイツ連邦共和国|西独]])||align=center|-||align=center|1949年(西独)
|-
|[[ギニアビサウ]]||align=center|[[1993年]]||align=center|-||align=center|[[1986年]]
|-
|[[ハイチ]]||align=center|[[1987年]]||align=center|-||align=center|[[1972年]]
|-
|[[ホンジュラス]]||align=center|[[1956年]]||align=center|-||align=center|[[1940年]]
|-
|[[ハンガリー]]||align=center|[[1990年]]||align=center|-||align=center|[[1988年]]
|-
|[[アイスランド]]||align=center|[[1928年]]||align=center|-||align=center|[[1830年]]
|-
|[[アイルランド]]||align=center|[[1990年]]||align=center|-||align=center|[[1954年]]
|-
|[[イタリア]]||align=center|[[1994年]]||align=center|1947年||align=center|[[1947年]]
|-
|[[キリバス]]||align=center|[[1979年]]||align=center|-||align=center|
|-
|[[リベリア]]||align=center|[[2005年]]||align=center|-||align=center|-
|-
|[[リヒテンシュタイン公国]]||align=center|[[1987年]]||align=center|-||align=center|[[1785年]]
|-
|[[リトアニア]]||align=center|[[1998年]]||align=center|-||align=center|[[1995年]]
|-
|[[ルクセンブルグ大公国]]||align=center|[[1979年]]||align=center|-||align=center|[[1949年]]
|-
|[[マケドニア]]||align=center|[[1991年]]||align=center|-||align=center|
|-
|[[メキシコ]]||align=center|[[2005年]]||align=center|-||align=center|[[1937年]]
|-
|[[マルタ]]||align=center|[[2000年]]||align=center|1971年||align=center|[[1943年]]
|-
|[[マーシャル諸島]]||align=center|[[1991年]]||align=center|-||align=center|独立以来執行例無
|-
|[[ミクロネシア連邦]]||align=center|[[1991年]]||align=center|-||align=center|独立以来執行例無
|-
|[[モルドバ共和国]]||align=center|[[1995年]]||align=center|-||align=center|-
|-
|[[モナコ公国]]||align=center|[[1962年]]||align=center|-||align=center|1847年
|-
|[[モンテネグロ]]||align=center|[[2002年]]||align=center|-||align=center|-
|-
|[[モザンビーク]]||align=center|[[1990年]]||align=center|-||align=center|1986年
|-
|[[ナミビア]]||align=center|[[1990年]]||align=center|-||align=center|1988年
|-
|[[ネパール]]||align=center|[[1997年]]||align=center|1990年||align=center|1979年
|-
|[[オランダ]]||align=center|[[1982年]]||align=center|1870年||align=center|1952年
|-
|[[ニュージーランド]]||align=center|[[1989年]]||align=center|1961年||align=center|1957年
|-
|[[ニカラグア]]||align=center|[[1979年]]||align=center|-||align=center|1930年
|-
|[[ニウエ]](ニュージーランド保護領)||align=center|[[2004年]]||align=center|-||align=center|-
|-
|[[ノルウェー]]||align=center|[[1979年]]||align=center|1905年||align=center|1948年(国家反逆罪)
|-
|[[パラオ|ベラウ共和国]]||align=center|[[1986年]]||align=center|-||align=center|独立以来執行例無
|-
|[[パナマ]]||align=center|[[1903年]]||align=center|-||align=center|1903年
|-
|[[パラグアイ]]||align=center|[[1992年]]||align=center|-||align=center|1928年
|-
|[[ポーランド]]||align=center|[[1997年]]||align=center|-||align=center|1988年
|-
|[[ポルトガル]]||align=center|[[1976年]]||align=center|1867年||align=center|1849年
|-
|[[ルーマニア]]||align=center|[[1989年]]||align=center|-||align=center|1989年(被死刑囚は大統領夫妻)
|-
|[[サンマリノ共和国]]||align=center|[[1865年]]||align=center|1848年||align=center|1468年(?)
|-
|[[サントメプリンシペ]]||align=center|[[1990年]]||align=center|-||align=center|-
|-
|[[セルビア]]||align=center|[[2002年]]||align=center|-||align=center|-
|-
|[[セーシェル]]||align=center|[[1993年]]||align=center|-||align=center|-
|-
|[[セネガル]]||align=center|[[2004年]]||align=center|-||align=center|-
|-
|[[トルコ]]||align=center|[[2004年]]||align=center|-||align=center|[[1984年]]
|-
|[[トルクメニスタン]]||align=center|[[1999年]]||align=center|-||align=center|-
|-
|[[モーリシャス]]||align=center|[[1995年]]||align=center|-||align=center|[[1987年]]
|-
|[[ルワンダ]]||align=center|[[2007年]]||align=center|-||align=center|
|-
|[[スロバキア共和国]]||align=center|[[1990年]]||align=center|-||align=center|-
|-
|[[スロベニア]]||align=center|[[1989年]]||align=center|-||align=center|-
|-
|[[サモア]]||align=center|[[2004年]]||align=center|-||align=center|-
|-
|[[ソロモン諸島]]||align=center|[[1981年]]||align=center|[[1966年]]||align=center|-
|-
|[[南アフリカ共和国]]||align=center|[[1997年]]||align=center|[[1995年]]||align=center|1991年
|-
|[[スペイン]]||align=center|[[1995年]]||align=center|[[1978年]]||align=center|1975年
|-
|[[スウェーデン]]||align=center|[[1972年]]||align=center|[[1921年]]||align=center|1910年
|-
|[[スイス]]||align=center|[[1992年]]||align=center|[[1942年]]||align=center|1944年(戦時)
|-
|[[ツバル]]||align=center|[[1981年]]||align=center|-||align=center|独立以来執行例無
|-
|[[ウクライナ]]||align=center|[[1999年]]||align=center|-||align=center|-
|-
|[[イギリス]]||align=center|[[1998年]]||align=center|1973年([[北アイルランド]])||align=center|[[1964年]]([[イングランド]])
|-
|[[ウルグアイ]]||align=center|[[1907年]]||align=center|-||align=center|-
|-
|[[バヌアツ]]||align=center|[[1981年]]||align=center|-||align=center|独立以来執行例無
|-
|[[バチカン市国]]||align=center|[[1969年]]||align=center|-||align=center|-
|-
|[[ベネズエラ]]||align=center|[[1863年]]||align=center|-||align=center|
|}
:出典:亀井静香『死刑廃止論」花伝社 2002年を最新データに更新して改変
:中華人民共和国のうち香港とマカオは死刑を廃止している。
:アメリカ合衆国のうち13州とコロンビア特別区、海外領土は死刑を廃止している。
 
=== 存廃論の論点をめぐる議論 ===
=== 死刑制度を平時のみ廃止した国の一覧 ===
死刑の是非の論争は学術的には哲学・倫理学において政策や法の是非を論じる規範倫理学や応用倫理学に属する。この観点において死刑の是非の論争は[[義務論]]と[[帰結主義]]と[[徳倫理学]]の3つに大別される。「人の命を奪う死刑は悪」(人権論)や「死刑の冤罪は取り返しがつかない」などの死刑反対論や、「死刑は応報である」(応報論)や「生命権、自由権、財産権の侵害は死刑、懲役、罰金で償うべき」(社会契約説)などの死刑賛成論は義務論に属する。死刑や終身刑の犯罪抑止効果およびその制度の経済的採算性の比較は帰結主義(論)に属する。徳倫理学においては、死刑という刑罰が残虐であるか、あるいは死刑によって被害者や遺族の救済が達成されるのかという徳に関する考察や、被害者と加害者、捜査に関わる警察や裁判に関わる法曹(検察官、弁護士、裁判官)および死刑を実際に執行する看守などに実際にどのような精神的および道徳的影響が及ぼされるのかが議論される。一般論として反対派は「血を血で贖う」死刑制度は社会を残虐化するとの論を展開し、賛成派は、死刑で罪が償われることにより法の正義および生命の尊厳が再確認されるとの論を展開する。
死刑の適用を平時の犯罪のみ廃止した国。そのため戦時下では死刑もありうるとしている。
{| class=wikitable
|-
!国名!!通常犯罪のみ廃止年!!最後の死刑執行年
|-
|[[アルゼンチン]]||align=center|[[1984年]]||align=center|-
|-
|[[ボリビア]]||align=center|[[1997年]]||align=center|1974年
|-
|[[ブラジル]]||align=center|[[1979年]]||align=center|1855年
|-
|[[チリ]]||align=center|[[2001年]]||align=center|1985年
|-
|[[クック諸島]](ニュージーランド保護領)||align=center|不明||align=center|-
|-
|[[エルサルバドル]]||align=center|[[1983年]]||align=center|1973年
|-
|[[フィジー]]||align=center|[[1979年]]||align=center|1964年
|-
|[[イスラエル]]||align=center|[[1954年]]||align=center|1962年(戦争犯罪人)
|-
|[[キルギスタン]]||align=center|[[2007年]]||align=center|-
|-
|[[ラトビア]]||align=center|[[1999年]]||align=center|1996年
|-
|[[ペルー]]||align=center|[[1979年]]||align=center|1979年
|}
 
==== 冤罪の可能性 ====
=== 過去10年以上死刑執行モラトリアムの国の一覧 ===
死刑廃止を主張する重要な論拠の一つとして誤認による逮捕・起訴・死刑判決・死刑執行が主張される。死刑執行後に冤罪が判明した場合は、その被害は重大であり、被害の回復は不可能である。
{| class=wikitable
|-
!国名!!最後の死刑執行年!!国名!!最後の死刑執行年
|-
|[[パプアニューギニア]]||align=center|[[1950年]]||align=center|[[モルジブ]]||align=center|[[1952年]]
|-
|[[ブルネイ]]||align=center|[[1957年]]||align=center|[[マダガスカル]]||align=center|[[1958年]]
|-
|[[ナウル]]||align=center|独立以後無||align=center|[[ニジェール]]||align=center|[[1976年]]
|-
|[[スリランカ]]||align=center|[[1976年]]||align=center|[[グレナダ]]||align=center|[[1978年]]
|-
|[[トーゴ]]||align=center|[[1978年]]||align=center|[[マリ]]||align=center|[[1980年]]
|-
|[[ガボン]]||align=center|[[1981年]]||align=center|[[中央アフリカ]]||align=center|[[1981年]]
|-
|[[ガンビア]]||align=center|[[1981年]]||align=center|[[コンゴ民主共和国]]||align=center|[[1982年]]
|-
|[[コンゴ共和国]]||align=center|[[1982年]]||align=center|[[スリナム]]||align=center|[[1982年]]
|-
|[[トンガ王国]]||align=center|[[1982年]]||align=center|[[スワジランド]]||align=center|[[1983年]]
|-
|[[ケニヤ]]||align=center|[[1984年]]||align=center|[[バルバドス]]||align=center|[[1984年]]
|-
|[[ベリーズ]]||align=center|[[1985年]]||align=center|[[ドミニカ国]]||align=center|[[1986年]]
|-
|[[ベナン]]||align=center|[[1987年]]||align=center|[[モーリタニア]]||align=center|[[1987年]]
|-
|[[ブルキナファソ]]||align=center|[[1988年]]||align=center|[[ラオス]]||align=center|[[1989年]]
|-
|[[アンティグア・バーブーダ]]||align=center|[[1991年]]||align=center|[[チュニジア]]||align=center|[[1991年]]
|-
|[[マラウイ]]||align=center|[[1992年]]||align=center|[[ガーナ]]||align=center|[[1993年]]
|-
|[[アルジェリア]]||align=center|[[1993年]]||align=center|[[モロッコ]]||align=center|[[1993年]]
|-
|[[ミャンマー]]||align=center|[[1993年]]||align=center|[[タンザニア]]||align=center|[[1994年]]
|-
|[[セントルシア]]||align=center|[[1995年]]||align=center|[[セントビンセント・グレナディーン諸島]]||align=center|[[1995年]]
|-
|[[コモロ]]||align=center|[[1996年]]||align=center|[[ザンビア]]||align=center|[[1997年]]
|-
|[[カメルーン]]||align=center|[[1997年]]||align=center|[[大韓民国]]||align=center|[[1997年]]
|-
|[[グアテマラ]]||align=center|[[1998年]]||align=center|[[セントクリストファー・ネビス]]||align=center|[[1998年]]
|-
|[[シエラレオネ]]||align=center|[[1998年]]||align=center|-||align=center|-
|}
 
===== 2006年に公式に冤罪は死刑執行があったことが確認廃止の理由一覧主張 =====
冤罪を理由に死刑廃止を主張する人々は、下記の理由で冤罪を論拠とする死刑廃止を主張している。
{| class=wikitable
*完全無欠・全知全能の人は存在せず、全ての人は誤認・誤解・誤判断をする可能性があるから、死刑という特定の刑罰を廃止する理由になる。
|-
*警察・検察・裁判所・法務省も人の集団による組織であるのだから、誤認・誤解・誤判断で逮捕・起訴・有罪判決・刑の執行をする可能性があるから、死刑という特定の刑罰を廃止する理由になる。
!国名!!国名!!国名!!国名
*冤罪で死刑を執行したら、その被害は死刑以外の刑罰と比較して重大であり、被害の回復は不可能であるから、死刑という特定の刑罰を廃止する理由になる。
|-
*冤罪で死刑以外の刑罰を執行されても、その被害は死刑と比較して軽少であり、被害の回復は可能であるから、死刑という特定の刑罰を廃止する理由になる。
|[[アメリカ合衆国]]||align=center|[[中華人民共和国]]||align=center|[[アフガニスタン]]||align=center|[[バングラディシュ]]
*冤罪で死刑以外の刑罰を執行されても、本人の存命中に再審請求し、再審で無罪判決を受ければ、名誉の回復は可能であり、金銭による被害賠償を受ければ被害の回復は可能であるから、死刑という特定の刑罰を廃止する理由になる。
|-
* (冤罪は死刑廃止の理由とならないとの反論に対して)他の刑種でも同様に回復不可能な損害を生じるというのであれば、それは生命刑である死刑の特別性を否定する見解であって、死刑というものの存在意義を失わせる自己矛盾を含む立論である。
|[[イラン]]||align=center|[[イラク]]||align=center|[[エチオピア]]||align=center|[[日本]]
|-
|[[バーレーン]]||align=center|[[ボツワナ]]||align=center|[[エジプト]]||align=center|[[赤道ギニア]]
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|[[インドネシア]]||align=center|[[ヨルダン]]||align=center|[[朝鮮民主主義人民共和国]]||align=center|[[クウェート]]
|-
|[[マレーシア]]||align=center|[[モンゴル]]||align=center|[[パキスタン]]||align=center|[[サウジアラビア]]
|-
|[[シンガポール]]||align=center|[[ソマリア]]||align=center|[[スーダン]]||align=center|[[シリア]]
|-
|[[ウガンダ]]||align=center|[[ベトナム]]||align=center|[[イエメン]]
|}
 
===== 冤罪は死刑廃止の理由ではないとの主張 =====
以上27ヶ国<ref>[http://www3.sympatico.ca/aiwarren/global.htm]</ref>
冤罪は死刑廃止の理由にはならないと主張する人々は、下記の理由で冤罪は死刑廃止の理由にはならないと主張している。
=== 国際社会の動向 ===
{{出典の明記|section=1}}
[[1989年]]12月には、国連で採択された「[[国際人権規約]]」の「市民的及び政治的権利に関する国際規約の第二選択議定書」に随意項目として死刑廃止が存在する。これを加えて廃止を選択する国は、国際条約に基づき『戦時中に犯された軍事的性格を有する極めて重大な犯罪に対する有罪判決によって、戦時に適用することを規定』(第2条1項)されている戦争犯罪を除き平時全ての死刑を廃することになる。
 
*死刑冤罪の執行は取り返しがつかないが終身刑や懲役の冤罪の執行は取り返しがつくという考えは誤りである。まず、冤罪の終身刑や懲役も被害者が冤罪が判明する前に死亡した時点で修復不能である。また、法治制度が人の執行する制度である限りはでは誤審が最後まで判明しない場合は終身刑や懲役でも必ずあるはずである。冤罪によって刑務所で生涯を絶望と無念に終えるのは長期間に渡る精神的拷問後の死であり死刑よりも惨いと論じることもできる。
1990年ごろまでは、死刑維持国が大多数を占めたが、一党独裁ないし軍事独裁政権であった国家が民主化した直後に東欧や南米の諸国が死刑を廃止し、死刑廃止国の数が増加した。一方で、アジア・アフリカ・中東の民主化の結果として、民主国家で死刑を維持する国の数もまた多数存在する。なお死刑廃止国において世論の動向に関わる無く廃止を実施したところも多く、死刑復活の意向が多数派である国も存在する。
*懲役により失われた寿命や人生が金銭で回復されるという主張は誤りである。例えば60歳まで無実の罪で投獄された後に生涯年収の例えば2倍のお金が渡されるという取引に事前に合意するような一般人がいるだろうか。本人が60歳なら、親は大抵の場合は亡くなっており、家族も離散あるいは家族は人殺しの近親者のレッテルを数十年背負うわけであるから、これらの、失われた人生や寿命が取り返しがつかないのは自明の理である。また、懲役を伴わない痴漢や万引きなどの軽い犯罪においても前科があれば一般人は社会的信用を完全に喪失するわけであるから、刑罰の大多数の誤判は多くの場合は取り返しがつかない。冤罪が判明しない、あるいはその判明が遅すぎるということは避けられない、取り返しがつかない誤審があるから刑を執行できないというのなら死刑や懲役どころか法制度や政治そのものが成り立たない。死刑の誤審は取り返しがつかないので廃止すべきだが禁固刑の誤審は取り返しがつくので許容できるというのは論の体をなさない。
*冤罪が発生することは死刑に固有の問題ではなく、捜査または裁判の過程で、被疑者や被告人の権利を保護する法律の規定が脆弱で、警察官・検察官・裁判官が被疑者や被告人の権利を軽視することが原因で発生する。死刑の廃止ではなく、法体制の強化に注意が向けられるべきである。
*冤罪の発生をできるだけ少なくすることは、死刑に固有の問題ではなく、捜査または裁判の過程で、被疑者や被告人の権利を保護する法律の規定を拡大・強化し、警察官・検察官・裁判官が被疑者や被告人の権利を重視する必要がある。
*冤罪で刑罰を執行されても、再審請求をすることも、再審請求が受理されることも、再審で無罪判決をうけることも、金銭という代替手段による被害賠償を受けることも、本人でも代理人でも、本人の存命中でも死後でも、刑罰の種類に関係なく可能であり、死刑という特定の刑罰を廃止する理由にはならない。
*1949年に刑事訴訟法が施行されて以後、法務省は冤罪の可能性が高い死刑囚に対しては、執行対象外にして、再審による無罪判決で釈放するか、再審による無罪判決が得られなければ、死刑囚が死ぬまで収監し続け、仮釈放を許可されなかった無期受刑者と同じ処遇にしているので、冤罪による死刑執行の可能性は少なく、死刑という特定の刑罰を廃止する理由にはならない。
 
===== 無罪が確定した死刑事案 =====
国連の死刑廃止条約や、EUの死刑廃止ガイドラインは、通常の犯罪に対してのみ死刑のみを禁止しており、有事の際の死刑については死刑廃止国の権利として認めている。尚、死刑廃止論の祖であるベッカリーアを始め、現在に至るまで、大部分の死刑廃止論者・団体は、平和時の通常犯罪に限定して死刑廃止を主張しており、戦時下など国家の危機における死刑については対象としないことが通例である。
日本においては、1949年に第二次世界大戦以前の刑事訴訟法に代わって現行の刑事訴訟法が施行されて以後、死刑判決を受けて死刑囚になったが、再審で無罪判決を受けて釈放された、[[免田事件]]、[[松山事件]]、[[島田事件]]、[[財田川事件]]、[[袴田事件]]。
 
==== 被害者遺族に対するケアとして ====
2006年に死刑を執行した国は、日本を含む'''25カ国'''。人数は1,591人が確認されているが、この数値には秘密裏に処刑されたものが入っていないので、実際はこれよりも多いとされる。全世界の死刑執行数の約9割以上が[[中国]]であり、続いてイランであり、イスラム圏諸国が多い。また人口に占める死刑執行の割合が多いのはサウジアラビアであり、1980年から2002年に1409人が処刑されたが、人口比では208,772人に一人に相当<ref>『ギネス世界記録2006』123頁</ref>するという。死刑執行が中国では犯罪に対する威嚇として窃盗・[[賄賂]]といった人命が奪われたわけでない犯罪に対しても死刑が適用される場合がある。また[[新疆ウイグル自治区]]ではイスラム教徒による[[東トルキスタン]]分離運動を[[テロリズム]]として死刑が適用された事例がある。またシンガポールでは麻薬の所持で外国人を含む多くの者が処刑されている。
死刑廃止論者は、殺人事件で起訴された被告人のうち、死刑判決が確定する被告人が実際には少ない(日本国内では1990年代以後は毎年600~700人前後が殺害され、殺人犯の90%以上が検挙されているが、年によって上下するが十数人程度しか死刑が確定しない)ことから、現制度では殺人被害者の遺族のうち、死刑存置論者が主張する死刑による感情回復ができないのはおろか、加害者の贖罪すら受けることの出来る者が少ないと批判している。一方で、殺人事件の被害者遺族の大半は死刑を望んでおり、日本も含めて死刑制度の存在する国の被害者遺族の団体の殆どが死刑賛成の立場をとっている。しかし、これらの被害者遺族団体も「目には目」のように殺人罪全てに死刑適用を要求しているのではなく、あくまで情状酌量の余地のない殺人においてのみ死刑の適用を要求している。
 
日本においては死刑囚に対して被害者の遺族が死刑を執行しないよう法務省に求めた場合<ref group="注釈">実際に1980年代に起きた[[半田保険金殺人事件]]では従犯も死刑になったが、遺族が従犯については死刑を執行しないようにと運動した例があり、結局主犯とともに死刑が執行された。</ref> でも死刑は執行されており、これは被害者遺族の感情を回復するどころか傷つけているのではないか、という批判がある。一方、外国では、例えばアメリカでは被害者遺族が死刑を望まない場合は、知事が死刑を終身刑に減刑することができたり、イスラム法国家では、被害者遺族が死刑を望まない場合は遺族の要望で死刑の恩赦が可能である。これは日本では終身刑が存在しないため、外国のように死刑を終身刑に減刑することができないからであるといえる。
なおイランやサウジアラビアといったイスラム教国でも[[イスラム法]]を現在も幅をきかしている国においては、廃教・不倫・同性愛など宗教的戒律を破った者に対しても死刑を行っている。そのため石を群集が投げつけて生命を奪う見せしめが行われている。その一方で、イスラム法では殺害された被害者の遺族が死刑囚を許した場合には死刑の執行が猶予される場合もある。
 
他方被害者遺族は、犯罪被害者の被害として、家族を殺害されたという直接的被害にとどまらず、報道機関や司法関係者などから心無い干渉を受けたり、逆に国や社会から見離され孤立化することで二次的被害を受けることが多い事から、被害感情を一層つのらせることになり、加害者である犯人に対し極刑を求める感情が生じているとも云われる。そこで、犯罪者を死刑にすれば犯罪被害者遺族の問題が全て解決するわけではないとして、死刑存置だけでなく犯罪被害者遺族に対する司法的対策を充実すべきであり、そのことが被害者遺族の報復感情と復讐心を緩和させるとの主張<ref>日本弁護士連合会『死刑執行停止を求める』日本評論社、45頁</ref> もある。
== 各国での動き ==
{{記事分割|死刑存廃問題に関する各国での動き|date=2008年3月5日}}
世界各国の死刑制度に関する詳細については、[[世界の死刑制度の現状]]を参照のこと。
 
犯罪被害者救済のために犯罪者に対する[[附帯私訴]]の復活を主張する[[作家]]で弁護士の[[中嶋博行]]は、国が被害者遺族に給付金を与える制度があるが、これらの予算は税金であるので犯罪者に償いをさせるべきであり、死刑相当の凶悪犯は死ぬまで働かせて損害賠償をさせるべきだと主張している{{Harv|中嶋|2004|Ref=NAKAJIMA2004|pp=190-191}}。
=== ヨーロッパ ===
[[欧州連合]] (EU) 各国は、不必要かつ非人道的であることを理由として死刑廃止を決定し、'''死刑廃止をEUへの加盟条件の1つとしている。このため、現EU加盟国に於いて死刑制度を存続している国は、法律上死刑制度を存続させているラトビアを除き、1ヵ国も存在しない'''(ラトビアもEU加盟に当たって、死刑の全廃を公約している)。また死刑制度は[[欧州人権条約]]第3条に違反するとしている。そのため、[[欧州評議会]]においても同様の基準を置いているため、ヨーロッパ唯一の死刑存置国[[ベラルーシ]]は欧州評議会から排除されている。またEU加盟を目指している[[トルコ共和国]]は死刑制度を廃止した。EUは日本やアメリカなど死刑を存続している他国に廃止を迫り、2001年6月には、日米両国に2003年1月までに死刑廃止に向けた実効的措置の遂行を求め、それが成されない場合、両国の欧州評議会全体におけるオブザーバー資格の剥奪をも検討する決議を採択した。これに対しては、日米両国は現在まで、何ら回答していない。
 
被害者遺族の応報感情のために死刑制度は必要だと主張する藤井誠二は、『少年に奪われた人生―犯罪被害者遺族の闘い』のなかで「加害者がこの世にいないと思うだけで、前向きに生きる力がわいてくる」という遺族の言葉を私は聞いたことがある。被害者遺族にとっての「償い」が加害者の「死」であると言い換えることだってできるのだ。私(藤井)はそう考えている」「加害者の死は被害者遺族にとっては償いである」と主張している。ただし、この藤井の事件被害者への一方的な肯定論に立った言論に対する批判も少なくない。また、被害者と加害者の家族が一緒の家庭内の殺人(かつて特に[[尊属殺]]は厳罰<ref group="注釈">刑法200条(1997年削除廃止)の尊属殺重罰規定</ref> になった)の場合については対応できていないといえる。また彼は『重罰化は悪いことなのか 罪と罰をめぐる対話』において、
==== フランス(1981年に廃止) ====
「人間の尊厳を無残なかたちで奪い取った者に対する罰としての死刑をやめてしまうと、人は何人殺したとしても国家が命を保証することになる。それが殺された側の尊厳に対しての人道なのか。このような、どうしても譲れない一線が、僕をふくめた死刑存置派にはあります。死刑に反対する理由をひとつずつ削いでいくというか、慎重に消去法でやっていって、苦渋の選択として死刑は存置するべきだという立場をとるにいたっています。」(P121-122)と述べている。
[[フランス]]は、西欧諸国でも死刑執行に熱心であり、現在では忌諱される[[公開処刑]]を[[1939年]]まで継続していた。19世紀中頃から、処刑される時刻は、午後3時から、朝、そして夜明け前というように変遷した。処刑は市場の広場のような公共の場で実行されたが、徐々に刑務所の処刑場に変更された。なおフランス革命以来、死刑執行方法は[[ギロチン]]が廃止まで使用されていた。最後の公開処刑は[[ベルサイユ]]の聖ピエール刑務所で、1939年[[6月17日]]に6人を殺害した死刑囚に執行されたのが最後であった。この時の処刑の写真は新聞で発表されている。
アメリカ合衆国連邦最高裁は「被害者感情は客観的に証明できるものではない、よって死刑の理由にするのは憲法違反」との判決を出している。アメリカ合衆国やその他の先進国では、殺人被害者家族による死刑制度賛成団体もあるが、殺人被害者家族と加害者が対話して、加害者が家族に対して謝罪・贖罪・賠償・更生の意思ちを表すことによりすることにより、家族の被害感情を少しでも緩和と加害者との和解や赦しを提案する運動があり<ref>[https://web.archive.org/web/20120623024241/http://www.mvfr.org/ Murder Victims' Families for Reconcliation] 2009年9月18日閲覧</ref><ref>[http://www.restorativejustice.org/ Restorative Justice Online, Centre for Justice and Reconciliation] 2009年9月18日閲覧</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20091118052809/http://www.personal-injury-info.net/restorative-justice.htm Restorative Justice - Offers additional information about restorative justice and relationships] 2009年9月18日閲覧</ref>、英語ではRestorative Justice、日本語では修復的司法と表現する。被害者と加害者の対話と謝罪・贖罪・賠償・更生の意思の表現による赦しと和解の提案は殺人だけではなく他の暴力犯罪や非暴力犯罪でも提案され実施され、対話の結果として、被害者や被害者の家族が加害者に許しの感情と和解を表明する事例もあり、ある程度の成果になっている。ただし、被害者と加害者の対話の提案は、刑事裁判と刑事司法制度や、少年審判と少年保護処分のように公権力が強制的に行う制度ではなく、被害者または被害者の家族と加害者の両者に提案して両者の合意により成り立つ任意の試みである。犯罪の被害が重大であるほど、被害の回復が不可能や困難であるほど、加害者に対する被害者や被害者の家族の怒り・恨み・憎しみ・嫌悪・拒絶の感情や処罰感情は大きく強くなる傾向が著しいので、犯罪の被害が重大であるほど、被害の回復が不可能や困難であるほど、被害者側の拒否により実現される可能性が低いという現実がある。加害者においても、全ての加害者が被害者や被害者に家族に対して謝罪・贖罪・賠償・更生の意思を持つのではなく、謝罪・贖罪・賠償・更生の意思が無く被害者や被害者の家族との対話を拒否する加害者も存在するので、加害者の意思により実現される可能性が低いという現実もある。
 
====環境要因論====
ナチス占領下にあった当時、反独闘争を行う[[レジスタンス]]などに対し死刑適用が濫発された結果、19世紀以来なかった女性に対する初の処刑を含め執行数が増加し、2948人の処刑が執行されているが、これは[[1870年]]から[[1977年]]までのフランスでの処刑件数よりも多い数字だという。
死刑を廃止した国に見られる思想として、「環境要因論」がある。
 
これは、死刑に値する凶悪犯罪の背景に、家庭環境や社会情勢という本人の努力では変えられない環境が必ず存在しているという見方である。この環境要因論は、加害者が優良な環境に恵まれていれば、その加害者は死刑に値する凶悪犯罪を起こさなかった、とする内容であり;これを裏返せば、被害者であっても、加害者が被った劣悪な家庭環境や社会情勢に置かれていれば、死刑に値する凶悪犯罪を起こす可能性を持っている、とも言える。
そのためか、フランスでは死刑執行が戦後大幅に減少していった。たとえば[[1969年]]から[[1974年]]の間に在職した[[ジョルジュ・ポンピドゥー]]大統領の時代には、一部を除き死刑囚を恩赦していた。最後の処刑は[[1977年]][[9月10日]]に執行された。
 
つまり、加害者を死刑に処しても凶悪犯罪が根絶されないという観点から、犯罪に駆り立てた「環境」を絶つことが犯罪の根絶に必要であると説く内容である。
[[1981年]]に就任した[[社会党 (フランス)|社会党]]の[[フランソワ・ミッテラン]]大統領(当時)が「私は良心の底から死刑に反対する」と公約し当選。弁護士の[[ロベール・バダンテール]]を法務大臣に登用し、「[[世論]]の理解を待っていたのでは遅すぎる」と死刑廃止を提案。国民議会の4分の3の支持を得て決定した。西ヨーロッパで最後の死刑廃止国となった。世論調査機関TNSソフレスによる、死刑制度廃止当時の[[世論調査]]では、死刑制度の存続を求める声は62パーセントを占めていた<ref>ロベール・バダンテール、藤田真利子訳 『そして、死刑は廃止された』 [[作品社]]、2002年4月。ISBN 4878934530</ref>。
 
==== 死刑制度の犯罪抑止効果 ====
[[1985年]][[12月20日]]に、フランスは人権と基本的な自由を保護するための"additional protocol number 6" を批准し、戦時以外にフランスが死刑を復活することはないことを意味するものであった。また[[2002年]][[5月3日]]に、フランスと30カ国は"additional protocol number 13" に署名し、戦時も含めあらゆる状況における死刑を禁じるものであった。[[2003年]][[7月1日]]に実施された。
一部の死刑廃止論者{{誰|date=2013年5月}}は、死刑は[[懲役]]と比較して有効な予防手段ではないとしている。
 
また、他の一部の死刑廃止論者{{誰|date=2013年5月}}は、死刑の抑止効果が仮に存在するとしても、他の刑との抑止効果の差はさらに小さい、ないしは均等であるとする。また、そもそも、抑止力などというものは将来にわたって確認・検出不能であると考えられるとして、明確な抑止効果、ないしはその差異が証明されない以上、重大な権利制限を行う生命刑が、現代的な憲法判断により承認されることはないとしている。実際に死刑を廃止したフランスでは死刑制度が存置されていた時代よりも統計的には凶悪犯罪が減少していることなどもあり、犯罪抑止効果などという概念自体科学的に疑わしいといわざるを得ず、また死刑に相当する犯罪行為の目撃者を死刑逃れのため「口封じ」することさえあるとして、犯罪抑止効果に対する懐疑性の理由としている。
[[2006年]][[9月18日]]にソフレスが発表した世論調査によると、「死刑廃止25周年」を迎えて、52パーセントが「死刑制度復活反対」と答え、死刑制度復活を望む意見は42パーセントを占めた。支持政党別で、死刑復活賛成は、[[右派]]政党の[[国民戦線 (フランス)|国民戦線]]支持層で89%。与党・[[国民運動連合]](UMP)で60%。社会党支持層は賛成は30%となった。若齢、高学歴者ほど死刑復活反対の傾向が強かった<ref>「死刑廃止から25年の仏、42%が復活望む」 [[朝日新聞]]、[[2006年]][[9月17日]]。</ref>。ただし、フランスの政治家で死刑制度復活を公言しているのは国民戦線指導者の[[ジャン=マリー・ル・ペン]]など少数であるうえに、死刑制度を廃止する国際条約に批准しているため、事実上不可能となっている。
 
それに対し、一部の死刑存置論者{{誰|date=2013年5月}}は、終身刑や有期刑にしても統計的には明確な抑止効果は証明されておらず、終身刑や有期刑が死刑と同等の抑止効果を持つことが証明されない限り、死刑を廃止すべきではないとする。また、個別の事件を見ると、[[闇サイト|闇の職業安定所]]で知り合った3人が女性一人を殺害した後にも犯行を続行しようとしたが、犯人のうち一人が死刑になることの恐怖から自首したという例もあり、死刑制度の存在が犯罪抑止に効果があるとの主張も根強くある。このような認識は少なからざる人々の間で語られるが、数的根拠はない。死刑制度存続を必要とする理論的理由は後述のように犯罪被害者遺族のために必要とするなど複数存在している。また、死刑制度の代替と主張される終身刑(無期懲役)などの刑罰が、死刑と比べ相対的な犯罪抑止効果があるかを示す統計も出ていないのも事実である。すなわち、死刑と長期の懲役のうちどちらが犯罪を抑止する効果が優れているかどうかは誰も検証できていない。これに対してはそもそも「抑止力」という概念をあてはめること自体不適当ではないかという問題もあるとされる。
[[2004年]]には、フランス下院に悪質なテロ行為に対する死刑を復活させる1512号法案が提出されたが、成立することは無かった。[[2006年]][[1月3日]]には、[[ジャック・シラク]]大統領(当時)が死刑を禁止する憲法の改正を発表した。2007年2月19日にフランス国会は圧倒的多数の賛成で憲法修正案を可決した(賛成828票、反対26票)。そのため[[フランス共和国憲法|憲法]]に'''死刑の廃止が明記'''された。
 
死刑の犯罪抑止効果について、[[統計]]的に [http://links.jstor.org/sici?sici=0022-3808%28197708%2985%3A4%3C741%3ACPADSF%3E2.0.CO%3B2-O&size=LARGE&origin=JSTOR-enlargePage 抑止効果がある] と主張する[[論文]]は、アメリカ合衆国でいくつか発表されているが、その分析と称されるそれに対しては多くに批判が存在しており、[[米国科学アカデミー|全米科学アカデミー]]の審査によると「どの論文も死刑の犯罪抑止力の有効性を証明できる基準には遠く及ばない」としている<ref>Roger Hood“The death penalty, a worldwide perspective”3rd.ed Oxford university press, 2002, p.209-231</ref>。
==== ドイツ(1949年に廃止) ====
[[1849年]]に開催された[[フランクフルト国民議会]]で起草されたドイツ憲法案では、自由主義的色彩の濃いものであり死刑の適用をほとんど除外するように規定されていたが、実際に成立することは無かった。
 
個別の刑罰の特別抑止(再犯抑止)効果を除いた一般抑止効果は、死刑、終身刑およびほかの懲役刑も含めて、統計上効果が実証されていない。一般論として、死刑反対派は「死刑による犯罪の一般抑止効果の統計的証拠がないこと」、死刑賛成派は「死刑代替刑による威嚇効果が十分でないこと」を指摘する。抑止効果の分析方法には地域比較と歴史的比較がある。地域比較では国や州の制度の違いによって比較が行われる。
[[ナチス・ドイツ]]政権の[[ヒトラー]]総統は、犯罪に対する行きすぎた'''厳罰化政策'''を推進した結果、およそ'''40,000人'''に死刑宣告が行われた。処刑の効率を上げるためにギロチンが使われたが、[[1942年]]からは落差のない高さで行う絞首刑も行われた。また軍人に対する銃殺執行隊も準備されていた。なお死刑が適用できる犯罪として殺人、国家反逆罪、反逆罪教唆のほか、[[スパイ]]活動、地下出版や外国のラジオを聞くこと、良心的兵役拒否者を隠匿する行為など、第三帝国が「不必要」と判断したで者を死に追いやることが出来た。また罪を犯していなくても粛清によってユダヤ人を含め多数の国民を処刑した。
 
地域比較としては、アメリカ合衆国の1960年から2010年までの、死刑制度が無い州や地域と、死刑制度が有る州の殺人発生率を比較(死刑が無い州地域と有る州の数は時代の進展とともに変化している)すると、死刑制度が無い州や地域の殺人率の平均値は、死刑制度が有る3州の殺人率の平均値は死刑制度が無い州や地域と死刑制度が有る州を比較して、いずれの年度も近似値であり統計上有意な差異は確認されていない<ref>[http://www.deathpenaltyinfo.org/murder-rates-nationally-and-state Death Penalty Information Center>State by State>Sources and Additional Information>States with and without the Death Penalty>Murder Rates by Stat] 2010年10月17日閲覧</ref><ref>[http://www.deathpenaltyinfo.org/state_by_state Death Penalty Information Center>State by State Database] 2010年10月17日閲覧</ref><ref>[http://www.fbi.gov/about-us/cjis/ucr/crime-in-the-u.s/2009 FBI>Sats and Service>Crime Statistics/UCR>Uniform Crime Reports 2009>Violent Crime>Table 4] 2010年10月17日閲覧</ref><ref>[http://www.fbi.gov/about-us/cjis/ucr/crime-in-the-u.s/2008 FBI>Sats and Service>Crime Statistics/UCR>Uniform Crime Reports 2008>Violent Crime>Table 4] 2010年10月17日閲覧</ref><ref>[http://www.fbi.gov/about-us/cjis/ucr/crime-in-the-u.s/2006 FBI>Sats and Service>Crime Statistics/UCR>Uniform Crime Reports 2006>Violent Crime>Table 4] 2010年10月17日閲覧</ref><ref>[http://www2.fbi.gov/ucr/cius_04/documents/CIUS2004.pdf FBI>Sats and Service>Crime Statistics/UCR>Uniform Crime Reports >more>2004>Full Document(PDFと文書の76〜84ページ)] 2010年10月17日閲覧</ref><ref>[http://www.fbi.gov/about-us/cjis/ucr/crime-in-the-u.s/2001/crime_sec201.pdf/view FBI>Sats and Service>Crime Statistics/UCR>Uniform Crime Reports/more>2001>Section II Crime Index Offenses Reported(PDFと文書の66〜75ページ)] 2010年10月17日閲覧</ref><ref>[http://www.disastercenter.com/crime/ United States: Uniform Crime Report -- State Statistics from 1960 - 2009] 2010年10月17日閲覧</ref>。
1945年から1946年にかけて行われた[[ニュルンベルク裁判]]ではナチスの戦争犯罪人に死刑が適用されたが、旧[[西ドイツ]]最後の処刑は、1949年に強盗殺人犯に対するギロチン刑が行われた。その後旧[[西ドイツ]]は戦争中に多数の国民を処刑した反省から[[ドイツ基本法]]制定時に死刑が廃止された。一方の旧[[ドイツ民主共和国|東ドイツ]]も1987年には死刑を廃止していた。
 
主要工業国(先進国・準先進国)で死刑を実施している国としては、日本、アメリカ合衆国、シンガポール、台湾などがあるが、アメリカ合衆国の殺人率は先進国の中では高く他国の殺人率は低い<ref>[http://www.uncjin.org/Statistics/WCTS/WCTS5/wcts5.html UNODC>Data and Analysis>Crime surveys>The periodic United Nations Surveys of Crime Trends and Operations of Criminal Justice Systems>Fifth Survey (1990 - 1994)] 2009年8月31日閲覧</ref><ref>[http://www.unodc.org/unodc/en/data-and-analysis/Sixth-United-Nations-Survey-on-Crime-Trends-and-the-Operations-of-Criminal-Justice-Systems.html UNODC>Data and Analysis>Crime surveys>The periodic United Nations Surveys of Crime Trends and Operations of Criminal Justice Systems>Sixth Survey (1995 - 1997)>Sorted by variable] 2009年8月31日閲覧</ref><ref>[http://www.unodc.org/unodc/en/data-and-analysis/Seventh-United-Nations-Survey-on-Crime-Trends-and-the-Operations-of-Criminal-Justice-Systems.html UNODC>Data and Analysis>Crime surveys>The periodic United Nations Surveys of Crime Trends and Operations of Criminal Justice Systems>Seventh Survey (1998 - 2000)>Sorted by variable] 2009年8月31日閲覧</ref><ref>[http://www.unodc.org/unodc/en/data-and-analysis/Eighth-United-Nations-Survey-on-Crime-Trends-and-the-Operations-of-Criminal-Justice-Systems.html UNODC>Data and Analysis>Crime surveys>The periodic United Nations Surveys of Crime Trends and Operations of Criminal Justice Systems>Eighth Survey (2001 - 2002)>Sorted by variable] 2009年8月31日閲覧</ref><ref>[http://www.unodc.org/unodc/en/data-and-analysis/Ninth-United-Nations-Survey-on-Crime-Trends-and-the-Operations-of-Criminal-Justice-Systems.html UNODC>Data and Analysis>Crime surveys>The periodic United Nations Surveys of Crime Trends and Operations of Criminal Justice Systems>Ninth Survey (2003 - 2004)>Values and Rates per 100,000 Total Population Listed by Country] 2009年8月31日閲覧</ref>
==== イタリア(1994年に廃止) ====
ので、個々の国の殺人率は死刑制度の有無や刑罰制度の重軽により決定されるわけではなく、殺人に対する死刑の一般抑止効果としては、国や州や地域別の比較には意味がないとの指摘もある。
イタリアでは、前述のようにトスカーナ地方の専制君主レオポルド1世(後の神聖ローマ皇帝レオポルト2世)によって1786年には完全には死刑を廃止した。欧州諸国では初の死刑廃止であった。イタリア王国として統一された1860年以後も死刑制度はトスカーナを除いて存続していた。その後イタリアの両上下両院の承認によって1889年に刑法改正で廃止されたが、実際には1877年以降死刑が執行されていなかった。これはイタリア国王[[ウンベルト1世]]の勅令(1878年1月18日)によるものであった。ただし死刑制度は、軍法会議によるものとイタリア植民地の刑法では存続していた。
 
時代的比較では、死刑が廃止された国での廃止前・廃止後を比較する試みがされる。しかし様々な制度や文化、教育、経済など様々な社会環境の変化も伴うため、分析者によってさまざまな結論が導き出されており、それだけを取り出して検討するのは困難である。ただし現段階においては、廃止後に劇的に犯罪が増加・凶悪化した典型的ケースはこれまでにはなく、また劇的に犯罪が減少したケースもない。
[[1926年]]にイタリアの独裁者[[ベニート・ムッソリーニ]]によって大逆罪に対する死刑が適用されるようになり、刑法改正で[[1931年]][[7月1日]]以降は、一般犯罪に対しても死刑が復活した。そのためファシスト政権下で死刑が多用されるようになったが、死刑を復活させたムッソリーニがイタリアの[[レジスタンス]]によって死刑にされたのは歴史の皮肉である。
 
廃止派団体である[[アムネスティ・インターナショナル]]はカナダなどにおける犯罪統計において死刑廃止後も殺人発生率が増加していないことを挙げ「死刑廃止国における最近の犯罪件数は、死刑廃止が悪影響を持つということを示していない」と主張している<ref>[https://web.archive.org/web/20120103144803/http://amnesty.or.jp/modules/mydownloads/viewcat.php?cid=2 アムネスティ国際事務局:死刑に関する一問一答][https://web.archive.org/web/20110913150116/https://www.amnesty.org/en/library/asset/ACT50/010/2007/en/f45ed09c-d3a2-11dd-a329-2f46302a8cc6/act500102007en.html Amnesty International:Document - The Death Penalty, Questions and Answers]</ref>。これに対し「アムネスティの数値解釈は指標の選択や前後比較の期間設定が恣意的であり、公正にデータを読めばむしろ死刑廃止後に殺人発生率が増加したことが読み取れる」という反論<ref>[https://web.archive.org/web/20190330042241/http://www.geocities.jp/aphros67/090620.htm APHROS 死刑廃止と死刑存置の考察 世界各国の死刑存廃状況 カナダ]</ref> がなされている。このような主張の正否はともかくとして、いずれの議論においても、死刑制度および無期懲役と凶悪犯罪発生率の間の因果関係の有無が立証されていない点では共通しているといえる。
イタリア最後の死刑執行は[[1947年]][[3月4日]]に行われた。これは1945年に10人を殺害した強盗犯3人に対する銃殺刑であった。その直後制定された[[イタリア共和国憲法]](1947年12月27日国民投票で承認、1948年1月1日から施行)は、平時における死刑制度を廃止したもので、[[1948年]][[1月22日]]に立法によって実施された。ただし[[1994年]][[10月13日]]まで軍法会議の判決の最高刑は死刑(実際には執行例はない)であったが、[[2007年]]に憲法改正が行われ憲法第27条4項の『死刑は、戦時軍法の規定する場合を除いては、これを認めない』が改正され、いかなる犯罪に対しても死刑が禁止された。
 
死刑および終身刑に相当する凶悪犯罪が近代国家では少なくないため、統計で犯罪抑止力にいずれの刑罰が有効であるか否かの因果関係を明示することができないことから、統計的に結論を出すのは難しい。特に日本では「犯罪が増加した」との指摘もあったが、それでもなお他の先進諸国と比較しても低い。たとえば犯罪白書によれば、[[2000年]]に発生した殺人の発生率及び検挙率の表<ref>平成18年度犯罪白書38頁</ref> では、日仏独英米の5カ国では発生率は一番低く(1.2)、検挙率もドイツについで2番目によい(94.3%)。この数値を見れば死刑制度の存在が有効に働いているとの主張も可能であるかのようにいえる。しかし、もう一つの死刑存置国であるアメリカ合衆国の数値は、発生率が5.5で最悪、検挙率も63.1%と最低である。そのため死刑制度の存置が犯罪抑止に全く効果がないとの主張も可能である。アメリカが日本と違い殺人の手段として容易に用いることが可能な[[銃社会]]であるなど、社会条件に相違点があるとしても、このように統計のみでは死刑の犯罪抑止効果を見出すことができないといえる。
==== ポルトガル(1867年に廃止)====
[[ポルトガル]]では、西欧では最も早く[[1867年]]に死刑を廃止している。ポルトガル国民の多くは[[カトリック教会|カトリック]]であり、[[殺人]]行為に対する嫌悪感が非常に強いことが背景にある。この政策は[[アントニオ・サラザール|サラザール]]独裁政権下にも引き継がれ(サラザールはカトリック聖職者から[[経済学者]]、[[政治家]]に転身した)、その後の政権において[[クーデター]]が数度起きるなど政情不安の時代もあったが、死刑は復活せず今日に至っている。
 
===== 死刑は懲役より有益なのか? =====
==== イギリス(1969年にイングランド等3地域廃止、1973年に北アイルランド廃止、1998年に完全廃止) ====
{{main|{{仮リンク|法執行機関職員による殺害の一覧|en|Lists of killings by law enforcement officers}}}}
[[イギリス]]における死刑廃止思想は古く、[[トーマス・モア]]にまで遡ることができる。これは当時のイギリスでは数多くの罪状に対し死刑が適用されており、非常に多くの人びとが処刑されていたことが背景にある。[[1723年]]のブラック法では[[窃盗]]犯や紙幣偽造犯など50もの罪状に適用されていた。なお一般庶民は絞首刑に処せられており、例外的に貴族は斬首刑が適用されていた。また殺人や強盗といった凶悪犯の処刑が一般的であったが、少年犯罪者に対する死刑宣告は実行されない場合もあった。しかし子供であっても当時「被害者が自衛する機会がない」として強盗犯よりも悪質とされていた窃盗犯に対しては処刑される場合も少なくなかった。
死刑廃止国では凶悪犯が警察官に射殺されることが多いという指摘がある<ref name="fujii">{{Cite book|和書|author=藤井誠二|authorlink=藤井誠二|others=その他の人名|title=殺された側の論理…犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」|origdate=2007-03-06|accessdate=2009-06-21|edition=初版|publisher=[[講談社]]|isbn=9784062138611|pages=p. 102}}</ref><ref>{{Harvnb|森|2008|MORI2008|p= 292}}</ref>。元参議院議員の[[佐々木知子]]は死刑廃止国で警察官による{{仮リンク|略式処刑|en|summary execution|label=簡易死刑執行}}がおこなわれていると指摘している。これは危険な犯人を射殺してしまえば将来の危険性は永久に除去され刑務所に収容して税金でやしなう必要がないという方法論からきている<ref>{{Cite web|和書|author=佐々木知子|url=http://www.sasaki-law.com/memberof/concern7.htm|title=『死刑廃止』には反対|work=佐々木知子のホームページ|accessdate=2010-08-09}}</ref>。
 
しかし、欧米では銃規制が日本に比べてはるかに緩いので、警察官と銃を使用した犯人への争いの結果として、警察官の正当防衛・業務行為としての発砲が増えるのは必然的であり、それを「簡易死刑執行」という言葉でいいかえるのは、ご都合な詭弁という意見<ref group="注釈">ワシントンアンドリー大学におけるスピーディライス教授の講演会</ref> がある。また日本でも警察官の業務行為としての正当性が認められた判例が(<ref>福岡高裁http://www.hou-nattoku.com/precedent/0121.php</ref>)存在することからも、「日本では、警察官は何もできずに死刑をなくしたら理不尽だ」という存置論は根拠をもたない。そもそも、簡易死刑執行は、軍隊においてつかわれていた用語にもかかわらず、なぜ日本だけこの言葉の意味を曲解してもちいるのかが意味不明という指摘がある<ref group="注釈">ワシントンアンドリー大学におけるスピーディライス教授の講演会</ref>。また、フランスは死刑廃止と同時に刑法を全面改正して懲役を長くしたという指摘もある<ref name="fujii"/>。
死刑判決が教会の儀式のひとつとして赦されたり、また軍務につくと永久に執行猶予される場合もあった。そのため[[1770年]]から[[1830年]]の間に[[イングランド]]と[[ウェールズ]]では35000人に死刑が宣告されたが、実際には7000人に対し死刑が執行され、相当が免除されていたが、それでも少なくない数字であった。
 
「簡易死刑執行」は本来は戦時下における軍による軍法上、あるいは司法手続に依らない{{仮リンク|超法規的処罰|en|Extrajudicial punishment}}を指すものであり、司法警察など一般の法執行機関によるものは[[超法規的殺人|超法規的処刑]]と呼ばれている。メキシコ、ブラジル、ロシアなど一部の死刑廃止・凍結国では麻薬密売組織やテロ組織を対象に[[秘密警察]]や[[死の部隊]]による超法規的処刑が行われている例があるが、超法規的処刑が国際問題にまで発展している国の多くは死刑残置国であり、犯罪組織の撲滅というよりも、国内における反体制派の弾圧を目的に超法規的処刑が正当化されている例がほとんどである。死刑残置国であるインドでは警察官が麻薬密売組織などの構成員と遭遇した際に即座に射殺に及んでしまう事態が多数発生しており、これを記述する法的用語として{{仮リンク|警察による遭遇殺害|en|Encounter_killings_by_police|label=遭遇殺害}}と呼ばれる概念が存在するが、冤罪の可能性も否定できないとして人権団体からは批難の対象となっている。一方で死刑廃止国であるフィリピンでは[[ロドリゴ・ドゥテルテ]]が[[ダバオ]]市長、後にフィリピン大統領に就任して以来、犯罪者に対する組織的な超法規的処刑を常態化させており<ref name="time">{{ウェブアーカイブ|deadlink=yes|title=The Punisher|url=http://www.time.com/time/asia/magazine/article/0,13673,501020701-265480,00.html/|archiveurl=https://web.archive.org/web/20050113031844/https://time.com/time/asia/magazine/article/0,13673,501020701-265480,00.html|archiveservice=ウェイバックマシン}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.afpbb.com/articles/-/3098959|title=麻薬常習者は「人間ではない」 比大統領、超法規的殺人を正当化|work=AFPBB News|accessdate=2021-06-25}}</ref>、人権団体は批判しているもののこれによりダバオ市及びフィリピンの治安が顕著に改善されたことが確認されている<ref name="time"></ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.amnesty.or.jp/news/2017/0427_6794.html|title=フィリピン:ASEAN各国はフィリピンでの大量殺人に非難を|work=アムネスティ・インターナショナル|accessdate=2021-06-25}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://hbol.jp/160459/|title=フィリピン・マニラの治安改善の影で広がる貧富の格差|work=ハーバー・ビジネス・オンライン|accessdate=2021-06-25}}</ref><ref>{{ウェブアーカイブ|deadlink=yes|title=ドゥテルテ支持率79%は秩序への評価|url=https://www.kyodo.co.jp/intl-news/2019-05-30_2024260/|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190626152632/https://www.kyodo.co.jp/intl-news/2019-05-30_2024260/|archiveservice=ウェイバックマシン}}</ref>。
このように、19世紀まで、あまりにも死刑の適用範囲が広すぎたため、[[1808年]]には[[スリ]]のような窃盗犯が除外され、[[1823年]]には裁判官に反逆罪と殺人以外には死刑を適用できないように法を変えた。このように19世紀には徐々に死刑を適用できる犯罪を制限するようになったが、それでも国家反逆罪や殺人に対しての死刑制度は存置された。また[[1866年]]にはイギリス国内では公開処刑は廃止され、死刑執行は[[刑務所]]内で行われるようになった。
 
なお、犯罪者、法執行機関の双方が銃器を持ち、正当防衛・業務行為としての発砲が発生しやすい国では、[[自殺]]([[拡大自殺]])の一手法として警察官からの発砲を意図的に誘発させる{{仮リンク|間接自殺|en|Suicide by cop}}と呼ばれる行為がしばしば発生するという負の側面も抱えている。
[[1908年]]には16歳以下に対する死刑が禁止され、[[1933年]]には18歳以下に年齢が引き上げられた。また[[1931年]]には[[妊婦]]の死刑が禁止された。そして[[1938年]]には死刑廃止案は下院を通過したが、[[第二次世界大戦]]勃発により死刑廃止は立ち消えとなった。なお1900年から1949年までに、イングランドとウェールズでは621人の男性と11人の女性が処刑されたが、戦時特別立法によって13人の[[ドイツ]]の[[スパイ]]も処刑された。
 
==== 死刑制度存廃が与える社会への影響 ====
イギリスでは戦後も死刑制度が存置されていたが、[[1957年]]の法律では殺人犯のうち囚人による看守の殺害や警察官殺害犯、爆弾テロ犯などに死刑の適用が限定されるようになった。これによって死刑制度擁護派に譲歩した形になった。しかしながら、[[エヴァンス事件]]や[[A6殺人事件]]など、決定的な証拠が無いまま処刑され[[冤罪]]が疑われる事件をきっかけとして死刑廃止要求が再燃したため、[[1965年]][[11月9日]]に5年間死刑執行停止する[[時限立法]]が議会で可決された。なおイギリス国内最後の死刑執行は[[1964年]][[8月13日]]に、[[リバプール]]のウォールトン刑務所で行われた。
死刑の存廃が社会に影響をもたらすのかどうかは、法学者の間でも決着はついていない。
 
死刑制度の存在が、国民の一部の残虐的性質を有するものに対し、殺人を鼓舞する残忍化効果を与えているとの指摘や、自暴自棄になった者が死刑制度を悪用する[[拡大自殺]](extended suicide)に走るとの指摘もある。このような拡大自殺に走る者は少ないといわれるが、実例としては[[2001年]]に発生した[[附属池田小事件]]で死刑が確定した[[宅間守]](2004年に死刑執行)の最大の犯行動機が自殺願望であり、[[1974年]]に発生した[[ピアノ騒音殺人事件]](近隣騒音殺人事件)では、犯人が自殺もしくは処刑による死を望んだ事があきらかになっている<ref group="注釈">この死刑囚は[[ノイローゼ]]のため精神異常が亢進しているといわれ、死刑確定から30年以上経過した2008年現在、処刑されていない。</ref>。明治以降の日本の凶悪犯罪史を見渡してもこのような者は極少数であるが、確実な死刑を望むため大量殺人を意図した者は存在している。また前述の2人の死刑囚のように、上級審で争う意思を持たず、弁護人がした控訴を自身の意思で取り下げ、1審の死刑判決を確定させた事例も散発的に発生している。
その後[[ジェームズ・キャラハン]][[内務大臣]]の下[[1969年]]12月に死刑廃止を決定した。なお当初は[[北アイルランド]]は適用が除外されていたが、[[1973年]]に北アイルランドも死刑が廃止された。また[[アイルランド共和軍|IRA]]のテロが活発になった[[1975年]]以降、死刑復活が叫ばれるようになった。復活論者であった[[マーガレット・サッチャー]]率いる[[保守党 (イギリス)|保守党]]政権が総選挙で圧勝し、2度死刑復活法案が提出されるが大差で否決(1度目は362対243、2度目は357対195)された<ref>藤本哲也 『刑事政策概論』第3版 2001年 青林書院 123頁 </ref>。
 
たとえ凶悪犯罪者といえども死刑を強く求める言論が、生命を軽視する風潮を巻き起こす事になり、よって逆に殺伐とした世情を煽る側面もあるのではないかとする懐疑的な主張がある一方、凶悪な殺人行為に対しては司法が厳格な対処、すなわち死刑をもって処断することこそが人命の尊重につながるとの主張もある。
なお、イギリスでは死刑が実際に全面的に廃止されたのは[[1998年]]のことである。それまでは[[海賊]]行為、国家反逆罪、軍隊内部の犯罪について死刑の適用ができるとされていたが適用された事例は皆無だという。またイギリス王室領である[[チャンネル諸島]]では執行された事例はなかったが、[[2006年]]まで死刑制度が存続していた。そのため[[1984年]]には死刑を宣告された[[被告人]]がいたという。また[[マン島]]では[[1993年]]にようやく死刑が廃止されたが、最後に処刑が行われたのは[[1872年]]の事であり、それまで死刑判決が確定しても、内務大臣によって終身刑に減刑されていたという。
 
他方では、死刑制度の廃止が成立した場合の懸念を訴える者も少なくない。代表的なところとしては、人を殺しても死刑制度が無いために死刑にならないならば、復讐のためにその殺人者を殺しても同様に死刑にはならないという理論も成り立つため、[[敵討]]の[[風習]]の復活に繋がるのではないか、という問題である。ちなみに、この種の懸念は日本においては死刑制度の存廃論議と平行する形で古くから存在しているものであり、たとえば、1960年代に[[星新一]]は、[[ハヤカワ・ミステリ・マガジン]]で連載していた[[エッセイ]]『進化した猿たち』の中で、ある高名な司法関係者に「わが国でなぜ死刑廃止が実現しにくいのか?」という質問をしたところ、理由の1つとしてまず敵討復活の懸念というものを挙げられたと記している<ref>星新一『進化した猿たち』新潮社、20頁</ref>。なお、江戸時代の敵討ち、すなわち仇討ちであるが、認められるのは武士階級のみで、対象は尊属を殺害されたものに限定され、子息の殺害に対して適用されず、また「決闘」であったため、返り討ちされる危険性もあった。
==== スウェーデン(1921年に廃止)====
[[スウェーデン]]では[[1800年]]から[[1866年]]の間に644人の死刑執行が行われていたが、殺人罪以外で死刑が適用されたのは[[1853年]]に発生した集団暴行事件の首謀者に対するものが最後であった。だが、1866年以降[[1921年]]までに死刑が執行されたのは'''15人'''と激減した。最後の執行は[[1910年]]1月に発生した強盗殺人犯に対するもので、1910年11月23日に[[ストックホルム]]で行われたが、ギロチンがスウェーデン史上唯一死刑執行に使われた。それまでは斬首刑で行われており、絞首刑は[[1864年]]の刑法改正で削除(実際には[[1836年]]を最後に使われていなかった)されていた。
 
2015年のアメリカの銃乱射事件の総数は過去最大であり、乱射事件が起きなかったのはわずか五州<ref>[https://archive.is/jyDrK 2015年のアメリカの銃乱射事件の総数] 2015年12月14日更新 2015年12月17日閲覧</ref>である。乱射事件の発生したほとんどの米国州は死刑が廃止されている。「銃乱射する人物の性格に問題<ref group="注釈">[[サンバーナディーノ]]で[[2015年]][[12月2日]]に起きた銃乱射事件「容疑者は『敬虔なイスラム教徒』『おとなしくて礼儀正しい』」である。</ref> がある」とされていた従来の理論では、説明不可能な事件が増加している。
スウェーデンで死刑が廃止されたのは、1921年3月であるが、この時は戦時犯罪を除くとされた。全体的に死刑が廃止されたのは[[1973年]][[1月1日]]以降である。また1975年の憲法改正で死刑の絶対禁止項目が盛り込まれた。
 
== 死刑制度をめぐる国際問題 ==
スウェーデンの世論であるが、死刑制度への支持率は30から40%の間を変化しているという。スウェーデンの世論調査会社SIFOによる[[2006年]]の調査によれば、スウェーデン市民の36%が『死によって罰されなければならない犯罪があると思う』と考えており、特に若い男性のほうが他の年齢層よりも支持率が高かった。しかし他の年齢層では死刑に対する支持は概ね低かったという<ref>http://theses.lub.lu.se/archive/2005/05/23/1116838386-25347-80/buppsats.pdf</ref><ref>[http://www.metro.se/se/article/2006/11/07/08/2045-23/index.xml?print=1 Metro: 4 out of 10 favour Saddam's death - in Swedish]</ref>。
{{See2|世界各国における死刑制度の詳細については[[世界の死刑制度の現状]]を}}
 
死刑制度を維持している国では長年に渡って[[刑罰]]の一つとして[[死刑]]を存続させる'''死刑存置論'''と死刑制度を廃止させるほうが適切であるとする'''死刑廃止論'''との議論が繰り返されてきた。死刑の適用範囲は[[厳罰化]]で拡張される場合も、寛容化で縮小される場合もありえるため、必ずしも存続派が現状維持派とは言い切れない。なお死刑制度が廃止されている国の場合には'''死刑復活問題'''となる。実際にアメリカ合衆国のいくつかの州では死刑を廃止または執行の停止をした後に復活しているし、イギリスやフランスでは否決されたものの議会で検討された事もある。20世紀後半以降一度死刑が廃止された後に復活した国は少なく、また復活させた場合でも国際世論の動向を警戒し実際に執行された国はさらに少ない。
==== バチカン(法規上は無いが死刑制度は全面否定) ====
カトリック教会の伝統的な見解では、報復のための死刑は不可、犯罪予防、威嚇のための死刑は人命救助の観点から可という教義上の立場をもち、長くその立場を維持している。近代社会においては終身刑によって犯人の再犯の予防および他の犯罪者に対しての威嚇の役目は十分果たされているとの見解である。よって「全ての命は神聖である」として死刑には反対している。また現代の多くの死刑が報復の役目を果たしていることにも言及し「死刑は憎悪と復讐心に満ちた行為」「罪をもって罪を裁くことは殺人である」と表明している。
 
論点としては凶悪犯罪に対する抑止力、冤罪の可能性、殺人に対する応報が議論されている。近代社会において、死刑の適用が除外されたものに[[政治犯]]に対する刑罰がある。古代より政権を握ったものが反対者を反乱者として処刑する事は珍しくなかった。[[革命]]や[[クーデター]]といった[[レジーム・チェンジ|政変]]による、例えば外国の軍隊を日本に侵攻させる[[外患誘致罪]]は死刑しか規定されていない。また、現在でも[[イスラエル]]による[[パレスチナ人]]などへの[[暗殺]]のように、名目上死刑廃止国であっても、[[裁判]]という形を取らずに人を殺す国家もある。またミャンマーのように死刑が停止されていても人権侵害による犠牲者を出している国もある。
ただし一部の極貧の途上国(カトリック信徒の多いアフリカ諸国を念頭においていると考えられる)においては近代国家並みの懲役制度の維持が不可能な場合があり、この場合は凶悪犯罪者を社会から隔離することがができない場合もあることを認めており、この場合は例外として全カトリック教会の総本山である教皇庁(バチカン)は死刑もやむなしとの見解を示している。
 
[[1989年]]12月、国連総会で採択された[[市民的及び政治的権利に関する国際規約の第2選択議定書]](死刑廃止条約)には、随意項目として死刑廃止が存在する。これを加えて廃止を選択する国は、国際条約に基づき「戦時中に犯された軍事的性格を有する極めて重大な犯罪に対する有罪判決によって、戦時に適用することを規定」(第2条1項)されている戦時犯罪を除き平時全ての死刑を廃止することになる。なお、[[戦争犯罪]]も裁くことがある[[国際刑事裁判所]]は、[[大虐殺]]を指導した国家元首であっても死刑は適用されず、言い渡せる刑は終身刑(服役して25年以上経過後に仮釈放の可能性がある)と有期30年以下(刑期の3分の2以上経過後に仮釈放の可能性がある)の禁固刑である。
==== ロシア(存続)====
ソ連時代末期の[[1988年]]に当時の民主化と人道主義の観点から、死刑の適用対象から60歳以上の高齢者と経済犯罪を除外した。その後は非常に悪質な故意殺人に対してのみ死刑制度が存置されていた<ref>朝日新聞 1988年2月24日</ref>。
 
1990年ごろまでは、死刑維持国が大多数を占めたが、一党独裁ないし軍事独裁政権であった国家が[[民主化]]した直後に東欧や南米の諸国が死刑を廃止し、死刑廃止国の数が増加した。一方で、アジア・アフリカ・中東においては、民主化の後も死刑を維持する国が多い。1990年代以降、国際社会では死刑制度の廃止に踏み切る国家が増加している。特に死刑の廃止を主張する[[欧州連合]]加盟国の強いヨーロッパでは、死刑存置国も死刑の執行停止をせざるを得なくなっており、唯一死刑の執行を続けていた[[ベラルーシ]]が「人権抑圧国」として糾弾されている<ref group="注釈">ただし実際に政治体制も政府批判を許さない強権的なものであるとの指摘もある。</ref>。また国際連合も死刑廃止条約を推進することなどから、外交の一環として死刑制度に対する国際的圧力は増大しているという考え方もある。なお一部の死刑存置派{{誰|date=2013年5月}}は一連の動きに対し、国内状況が死刑制度の廃止ができない状態であれば死刑は維持すべきであるとしている。
[[1996年]]の欧州議会加盟時に死刑執行を停止。1999年に[[憲法裁判所]]が死刑判決を正式に禁止した。しかし一部の下級裁判所は死刑判決を継続している。停止は2007年初めに期限切れとなる。ロシアが2006年5月に欧州評議会議長国に就任したことをきっかけに、ヨーロッパ諸国から死刑廃止議定書批准を求める声があがっている<ref>「ロシアの死刑廃止を求め欧州から圧力」 モスクワIPS(Inter press service)、[[2006年]][[7月21日]]。</ref>。
 
[[2007年]][[12月18日]]、欧州連合などの提案で、国連総会で初めて死刑モラトリアム決議が可決したが、これに対し日本の[[神余隆博]][[国連大使|大使]]は「国民の大半が死刑を支持しており制度廃止に踏み出すことは困難<ref>産経新聞 2007年12月17日</ref>」と述べ、また「決議に賛成すると[[日本国憲法|憲法]]違反になる」と表明<ref>毎日新聞 2007年12月20日朝刊</ref> しており、「日本の内政問題であるから世界の大勢に従うべきでない」としている。これに対し欧州連合は国際連合の人権委員会で「日本の人権問題」として「死刑制度の廃止もしくは停止」を求める勧告を出させている。[[2008年]]も欧州連合は同様の決議を提出する予定で、[[10月28日]]、日本で同日行われた2名の死刑執行に議長国フランスは「深く憂慮している」と表明した。
だがテロ事件頻発を背景に、死刑復活を求める[[世論]]が高まりを見せている。[[プーチン]]大統領は死刑廃止を行う事を示唆しているものの、詳細な具体策を明らかにしていない。[[2006年]][[2月9日]]には多数の児童が殺害された[[2004年]]9月の[[北オセチア共和国]]で発生した[[ベスラン学校占拠事件]](犠牲者数386人)の[[被告人]](32人いた犯行グループ唯一の生存者とされている)に対しロシア[[検察]]当局が死刑を求刑した<ref>朝日新聞[[2006年]][[2月11日]]付</ref>。しかしながら、結局2006年[[5月16日]]の判決公判では終身刑が宣告された<ref>[http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/4985048.stm "Terror verdict for Beslan suspect"], ''[[BBC News Online]]'', [[May 16]], [[2006]]</ref>。なお同人は刑務所内で復讐のため殺害される危険から身柄を守るため、偽名で安全体制の整った刑務所に収監されているとされるが、ロシア当局は彼の生死を含む現状の情報を一切公開していない。また[[チェチェン人]]武装勢力による[[Mi-26 (航空機)|Mi-26ヘリコプター]]の撃墜事件([[2002年]][[8月19日]]発生、犠牲者数127人)では、[[地対空ミサイル]]を使用し墜落させた実行犯に対し、2004年4月に終身刑が宣告され確定している<ref>[http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/europe/3669279.stm BBC news article], 29th April 2004</ref>。以上の事からテロリストかつ大量殺人犯であっても、現在のところロシアでは必ず死刑になるわけではないといえる。
 
国連の死刑廃止条約や、EUの死刑廃止ガイドラインは、通常犯罪に対しては死刑を禁止しているが、戦時の死刑については国家の権利として認めている。死刑廃止論の祖である[[チェーザレ・ベッカリーア]]を始め、過去の死刑廃止論者・団体は、平時の通常犯罪に限定して死刑廃止を主張しており、戦時下など国家の危機における死刑については対象としないことが多かったが、近年では戦時も含めてあらゆる死刑に反対する考え方が広まっている。
=== 南北アメリカ ===
==== アメリカ合衆国(存続) ====
死刑制度自体は「合憲」と[[アメリカ合衆国最高裁判所|連邦最高裁]]の判断が出ているが、執行方法について残虐であるとして違憲とされたケースもある。また死刑を適用できる対象を制限する傾向にある。1972年に合衆国最高裁はファーマン事件の違憲性の判断の中で誰を死刑にするか実質的説得力がない<ref> スコット・トゥロー 『極刑』岩波書店 2005年 ISBN4000225456 89頁</ref>とされた。なお合衆国最高裁は2000年以降に死刑の適用範囲を制限する判例を出している。2002年6月に陪審員による裁判を選択した被告人は、裁判官ではなく陪審員によって死刑の是非を判断してもらう憲法上の権利があるとされた。2004年11月にはテキサス州の精神遅帯者(知能指数が低い)被告人に対する死刑判決を『異常な刑罰』として憲法違反とした<ref> スコット・トゥロー 『極刑』岩波書店 2005年 ISBN4000225456 156頁</ref>。2005年3月にはミズーリ州の18歳以下の少年犯罪者に対する死刑適用は憲法違反との判決を出した。当時全米19州が少年犯罪者に対する死刑を規定<ref>日本では少年法の規定で1948年以降に犯行時18歳以下の場合死刑判決を出せなくなっている</ref>していたが、テキサス州など6州は存置意見を表明<ref> スコット・トゥロー 『極刑』岩波書店 2005年 ISBN4000225456 156頁</ref>していた。そのため連邦最高裁は死刑制度を容認しているが、誰を死刑にするか慎重になってきている。
 
===死刑制度をめぐる国際社会の現状===
州に強い主権を持たせているアメリカでは、死刑制度の存廃は[[州]]の法律によって決められている。また連邦自体も死刑制度を維持<ref>連邦政府が管理する地域で発生した事件に対して求刑される。近年連邦政府が執行した死刑として、[[1995年]]に発生した[[オクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件]](168人殺害)を引き起こしたテロリストに対する死刑執行が38年ぶりに行われた</ref>しているうえ、アメリカ合衆国軍人に対する軍法会議で求刑できる最高刑は[[銃殺刑]]である。死刑に対する態度は州による差異も大きく、死刑を廃止した州もあれば、死刑制度を存置している州もある。存置州でも[[テキサス州]]のように[[2000年代]]にはいっても全米で毎年死刑執行数の三分の一が同州で行われている一方で、死刑執行を10年以上していない州もある。
[[ファイル:Capital punishment in the world.svg|thumb|right|300px|死刑制度の世界地図]]
世界195ヶ国の色分けは次の通り。(2025年現在)
 
* '''青'''{{Bgcolor|#008080| }}:あらゆる犯罪に対する死刑を廃止(110ヶ国)
アメリカ国内では1973年から2004年までに944名の死刑が執行されたが、多くは南部諸州で行われている。1999年には98人と最高の執行数を記録した。特にテキサス州はそのうち336名の死刑が執行されており、2004年には全米59件のうち23件が同州でおこなわれている。なお2004年12月当時全米には3471名の確定死刑囚が収監されている<ref> スコット・トゥロー 『極刑』岩波書店 2005年 ISBN4000225456 154頁</ref>という。
* '''緑'''{{Bgcolor|#80E000| }}:戦時の逃走、反逆罪などの犯罪は死刑あり。それ以外は死刑を廃止(9ヶ国)
* '''橙'''{{Bgcolor|#E0A040| }}:法律上は死刑制度を維持。ただし、死刑を過去10年以上実施していない死刑執行モラトリアム国。もしくは、死刑を執行しないという公約をしている国。(23ヶ国)
* '''赤'''{{Bgcolor|#FF0000| }}:過去10年の間に死刑の執行を行ったことのある国(53ヶ国)
 
となっている。
死刑制度の有無は、州によって異なるが、一般的には、[[民主党]]優位の州では廃止、[[共和党]]優位の州では維持される傾向にある。具体的にはニューイングランド諸州、ニューヨーク州で死刑廃止、または禁止された。ただし、共和党勢力が強い中北部諸州も死刑廃止されている州があるが、これらの州が治安的に安定している事が背景にある。逆に、民主党が強い西海岸諸州でも死刑制度が存続している州がある。これは、賛成派と反対派が拮抗している状態であるためである。また凶悪犯罪の率の高い州で死刑制度が維持される傾向にある、特に南部諸州で顕著である。死刑維持派は主に被害者の権利を根拠とし、廃止派は人権保護の普遍性人命の尊重とを根拠としている。(参考:[http://en.wikipedia.org/wiki/Red_state_vs._blue_state_divide レッドステートとブルーステート])なお、死刑存置州でもニューヨーク州、カンザス州の裁判所は2004年に死刑を違憲とした。またニューハンプシャー州、サウスダコタ州では1976年以来死刑が執行されていない。そのため事実上死刑停止州となっている。
 
死刑廃止は世界の趨勢(すうせい)であると主張する、死刑廃止派である[[アムネスティ・インターナショナル]]の調べによると、2025年現在、110ヶ国が死刑を全面的に廃止し、9ヶ国が通常犯罪にのみ死刑を廃止している。ただし、人口の多い中国、インド、インドネシア、日本、米国の半数の州といった国・地域では依然として死刑が存続しているので、人口比では「世界の趨勢」とはなっていない。他に、通常犯罪に対する死刑制度は存置しているが10年以上死刑を執行していない国が23ヶ国あり、これらの国には死刑を行わない政策ないし確立された慣例があると認められる。2010年に新たに死刑を全面的に廃止した国としてガボン共和国があげられる<ref>[https://web.archive.org/web/20130906113755/http://amnesty.org/en/death-penalty/abolitionist-and-retentionist-countries Amnesty International, Abolitionist and Retentionist Countries.]</ref>。
[[イリノイ州]]は、ジョージ・ライアン知事(共和党)が任期満了による退任直前の[[2004年]]に州内の確定死刑囚18名全員が仮釈放無しの終身刑に減刑された。これは2001年1月に死刑執行直前であった死刑囚の冤罪が明らかになり、この事を受けライアン知事が「死刑を宣告されたすべての者が本当に罪を犯したと確信できるまで」の措置として死刑執行の停止とともに、死刑制度調査委員会を設置した。2002年4月に委員会が出した報告書は検察側の不正な法手続きを挙げ「'''無実の人間が処刑されないよう保障できる制度の確立はありえない'''」という結論に対応して減刑した。なお、この委員会に参加していた[[作家]]で[[弁護士]]の[[スコット・トゥロー]]が、調査の過程で死刑存置から死刑廃止に主張が変わったという。
2025年現在、53ヶ国が死刑制度を存置している。これらのうち日本を含む23ヶ国が2010年に死刑を執行し、少なくとも527名に対する執行が確認されている。ここには、中国で行われたとみられる数千件の執行は含まれていない。中国では死刑執行に関する統計は国家機密になっていると考えられ、アムネスティ・インターナショナルは中国については2009年より、死刑執行(最低)件数の報告を止めている。他にベラルーシ、モンゴルでも死刑執行は国家機密として扱われ、マレーシア、北朝鮮、シンガポールについては情報が入手困難である。ベトナムでは死刑執行件数の公表は法律で禁止されている。
2010年の死刑宣告は、67ヶ国で少なくとも2,024人に対して行われている。現在、少なくとも17,833人が死刑宣告下にある<ref name="amnesty.org"/>。
 
== 歴史 ==
[[ニュージャージー州]]では、州議会が[[2007年]][[12月13日]]に死刑廃止法案を可決し、アメリカ連邦裁判所が1976年に死刑は合憲との判断を下して以降で初めて死刑を廃止した州(実質的には1976年以降停止されていた)になった。同州の死刑囚8名は「仮釈放のない終身刑」に減刑されたが、そのうちの一人は性犯罪の公表を定めた「[[ミーガン法]]」制定のきっかけとなった女児殺害犯人だったという。[[ノース・カロライナ州]]では、薬殺刑の執行に際し医師の同伴を州法で規定していたが、同州の医療監察委員会が「生命を助ける医師が、医師が死刑執行に関わる行為は倫理の観点から許されない」として、死刑執行に立ち会った医師は医師免許の剥奪等の処分を下すとの結論を出したため、実質的に停止せざるをえない状況に追い込まれた。
{{For2|死刑制度の詳細|死刑}}
{{See also|死刑の歴史}}
 
[[死刑]]は、受刑者の生命を何らかの方法によって奪う刑罰で、その受刑者の社会的存在を抹殺する刑罰であり、人類の刑罰史上最も古くからある刑罰であるといわれ、有史以前に人類社会が形成された頃からあったとされる<ref>斎藤静敬『刑事政策』創成社 79頁</ref>。しかし、原始社会では殺人はほとんどの場合は同族内でのいざこざでおこる衝動犯罪であり、加害者も被害者も親戚関係であることが多かったため、死刑ははばかられ、代わりに[[村八分]]や部族からの追放などの措置がとられることが多かった。実際に死刑となるのは、これらの部族社会における別の部族との争いにおける復讐である。他部族の者が自分の部族の一員を殺した場合は、賠償が行われる場合もあれば、報復措置として殺し合いが行われることもあった。さらに人類に都市文明が生まれると、みせしめの手段として死刑を残酷に演出するために、[[車裂きの刑|車裂き]]、[[鋸挽き]]、[[釜茹刑|釜茹]]、[[火刑]]、[[溺死刑]]、[[石打ち]]など、その執行方法は多種に及んだ。また、犯罪行為に対するものに限らず社会規範を破ったことに対する制裁<ref group="注釈">たとえば、中世[[ヨーロッパ]]では[[姦通]]を犯した既婚者女性は原則的には溺死刑に処せられていた。</ref> として死刑が行われていた時代もあった<ref group="注釈">ただし、現在でもイスラム法を重要視している国では、不倫や婚前性交渉を理由に死刑になる場合も存在する。</ref>。
かつてアメリカでは「[[強姦|レイプ]]を罪状とする死刑」が横行していた。1870~1950年までにレイプを理由に771件が死刑判決を受けたが、そのうち701人が[[黒人]]であった。[[人種差別]]との批判が相次ぎ、1972年に連邦最高裁によって「レイプを罪状とする死刑」は違憲と認定された。しかし、「[[未成年者|未成年]]に対する殺害を伴わない[[性犯罪]]の再犯者」へ死刑が適用される州法が[[サウスカロライナ州]]、[[フロリダ州]]、[[ルイジアナ州]]、[[モンタナ州]]、[[オクラホマ州]]の5州で最近成立し、[[殺人]]を犯していない性犯罪者に対する死刑適用は過酷であり、憲法違反であると強く批判されている。
 
上記のような執行方法はあまりにも残虐に過ぎ、近代以降あまり受け入れられなくなりつつある。時代が進むにつれ、残虐性のある執行方法を用いる国は減少していくが、これは人道上許容できないという理由によるものが多いと思われる<ref group="注釈">例えば斬首刑の執行具の一つである[[ギロチン]]は、斧や刀による斬首では受刑者に必要以上の苦痛を与えるとして導入されたものであった。</ref>。
近年の犯罪捜査では[[DNA]]鑑定が導入されてきている。[[迷宮]]入りしていた事件が解決することもあるが、過去に死刑判決を受けた数多くの死刑囚の冤罪が明らかになり、全米に大きな衝撃を与えた。[[1973年]]から[[2001年]]までにアメリカ国内でDNA鑑定で96名の死刑囚の無罪が判明し釈放されているが、特に[[フロリダ州]]では21名も釈放されており、フロリダでは5名の死刑執行が行われる間に2名が無罪放免になったという。そのため[[2004年]]には連邦議会は有罪判決確定後もDNA鑑定を受ける権利を保障した、冤罪者保護法(Innocent Protection Act 2004)を成立させた。
 
=== 古代オリエント ===
アメリカでは依然として死刑制度が維持されてはいるが、DNA鑑定による大量の誤判の存在が判明した上に合衆国最高裁が死刑適用範囲の厳格化を求めているため、裁判所が慎重になり死刑の言い渡し件数は減少傾向にあるという。具体的な数字<ref> スコット・トゥロー 『極刑』岩波書店 2005年 ISBN4000225456 154頁</ref>として1999年に282件の死刑言い渡しがあったのに対し、2003年に144件、2004年に130件であった。また全米の多くの州では死刑執行もまた減少傾向にある。
完全な形で残っている、世界で2番目に古い法典である[[ハンムラビ法典]]は「目には目を、歯には歯を(タリオの法)」があるため、[[応報刑]]が採用されていたようである。ただし加害者の身分が被害者より下であれば厳罰に処せられており、応報刑が成立するのはあくまで対等な身分同士の者だけであった。また場合によっては罰金の納付も認められていた。そのため、基本的に「何が犯罪行為であるかを明らかにして、その行為に対して刑罰を加える」といった現代の[[罪刑法定主義]]が採用されていたものであり、[[復讐]]を認める野蛮な規定の典型ではなく「倍返しのような過剰な報復を禁じ、同等の懲罰にとどめて報復合戦の拡大を防ぐ」ものであった。
 
しかし、[[ユダヤ人]]と[[キリスト教徒]]はこれらを宗教的教義に反する政治思想・司法制度として批判し続けたため、近代に至るまで罪刑法定主義的な処罰が行われることはなかった。そのため、近世になるまで現在から見ると釣り合いが取れないほど軽い罪や反道徳的な行為が、死刑になる犯罪行為とされていた。このような不文律による処罰を罪刑擅断(専断)主義という。
なお、テキサス州であるが、全米のほかの州では死刑執行が減少傾向にあるため、2007年には全米で執行された42人のうち26人が同州であり全米の3分の2が執行されていた。そのためアメリカのメディアが「死刑の格差」と報道しており、同州でこのような姿勢を[[ニューヨーク・タイムズ]]は「「執行に対する住民の積極的な支持」、[[ロイター通信]]は『犯罪者に厳罰を科すことをいとわない「[[カウボーイ]]気質」のほか、一部で根強く残る人種差別意識がある』と報道した<ref>。[http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/114022/ 死刑執行6割がテキサス州 米で広がる死刑格差]2008年3月5日閲覧</ref>。これはテキサス州の黒人住民の割合は12%なのに対し、黒人死刑囚が40%であり、黒人の方が白人より数倍死刑になる率が高いためである。2008年現在全米13州とコロンビア特別区及び海外領土で死刑制度が廃止されている。
 
ユダヤ教とキリスト教の聖典である[[モーゼの十戒]]の日本語訳は古い訳では「汝殺すなかれ」となっており、仏教と同じように不殺の戒が定められていると誤解されるが、実際には「殺人を犯すなかれ」という意味あいであり、死刑の執行に関する記述や、神の民であるユダヤ人の起こす戦争を肯定する記述([[ダビデ]]による[[ゴリアテ]]の殺害など)があるなど、あくまでも犯罪としての殺人を禁じるものであり、死刑そのものを否定するものではない。しかし、キリスト教は罪に対する許しと贖罪を強調したため、教義において応報を理由に死刑を正当化することができなかった。[[ローマ帝国]]の国教になる以前にもその正当性は議論されていた。
==== カナダ(1976年に廃止) ====
カナダでは絞首刑で死刑が行われており、イギリス同様特定の死刑執行人が執り行うことになっていた。また[[第一次世界大戦]]では敵前逃亡罪などで25人(うち殺人罪2人)のカナダ軍兵士が銃殺された。また[[第二次世界大戦]]でも1人が銃殺された。最後の死刑執行は[[1962年]][[12月10日]]に2人に対して行われた。
 
=== 古代から中世のヨーロッパ ===
1961年に刑法が改正され、死刑の適用が計画的な殺人などに限定されたが、1963年の総選挙で勝利した自由党政権によって死刑宣告の方法が改定されたため事実上カナダの死刑制度は終焉を迎えた。その後、死刑制度をめぐる様々な論争が行われたが、1976年7月14日に死刑が廃止されるまで、カナダで1,481人が死刑を宣告され、そのうち710人(男性697人、女性13人)であった。カナダ政府は死刑を廃止した理由として「誤審のために、個人の生命を奪う権利を国が行使することに対する懸念と、犯罪抑止力としての死刑の働きが不確実であるため」としている[[http://canada.justice.gc.ca/en/news/fs/2003/doc_30896.html]。廃止派はロジャー・フッド『世界の死刑』(2002年) によると、カナダでは、人口10万人当たりの殺人の比率は、殺人に対する死刑廃止の前年(1975年)の3.09件から死刑廃止後には2.41件(1980年)に低下した事実を指摘している。Statistics Canadaの統計データによると、人口10万人当たりの殺人の比率は、1966年の一般殺人罪の死刑廃止(1.26人/10万人)から1977年まで(3.03人/10万人)殺人発生率が増加したと言うデータもしめされている。
中世ヨーロッパ社会で死刑制度を肯定する思想として、[[スコラ哲学]]者でもあった神学者の[[トマス・アクィナス]]は、刑罰に応報的な性格があることを認めたが、その正当性を否定する一方で「わずかの酸は麹の全体を膨らます」([[コリント前書]]5章16節)の文言を根拠に、ある人が犯罪によって社会全体に危険を撒き散らし、しかも伝染的なものであるなら、公共の福祉を守るためにこれを殺すことは有益で賞賛に値するとし、死刑がさらなる殺人に対する予防論として肯定した。また、[[宗教改革]]の指導者である[[マルティン・ルター]]は、死刑を執行する剣は神に対する奉仕を意味し、人間の手でなく神の手が殺戮するのだ、として肯定すると共に、国家の為政者が凶悪な人間を死刑にするのは正当な行為であり罪でない、と主張していた。
 
さらに、近世において[[啓蒙主義]]がおこり、[[ジョン・ロック]]や[[イマヌエル・カント]]などが[[社会契約説]]などによって法の根拠を再定義したとき、応報論を死刑の正当理由として復活させたが、彼らの提示する応報論はあくまでも社会全体あるいは自然法に対する侵害に対する応報であり、被害者個人にたいする対価としての応報でない。現代において、世俗主義に基づく欧米各国の裁判所が実際の刑の正当性を論ずる判例において、被害者の立場を回復するという意味での応報論をほとんど認めないのは、応報=復讐=悪とみなす宗教的、さらに歴史的背景が存在すると指摘されている。応報論を刑罰の根拠として認められない結果として、死刑はその正当性を予防論および効用論に頼るざるを得ない状況にあるが、予防論は近代においては刑務所の出現によって完全にその有効性を失っており、これにより[[カトリック教会]]はそれまでの立場を改め、死刑反対の立場を宣言している。また、死刑が殺人の発生を未然に防ぐとの効用論も社会統計上その根拠がほとんどなく、欧米社会においては死刑賛成派は非常に弱い立場にある。死刑を実際に執行しているアメリカにおいても、[[合衆国最高裁判所|最高裁判所]]の判例で応報論を根拠とする死刑の正当性は明確に否定されている。また、アメリカでの死刑肯定派を担う保守あるいは右派が応報論を展開しないのは、彼らが同時に保守的キリスト教徒であり、応報論はキリスト教の教義とあまりにも明確に矛盾することが挙げられる。これは、死刑の根本的根拠を応報論に置く日本などの東洋社会や、殺人における裁判の役割をあくまでも加害者と被害者(遺族)間の調停と見なし、加害者が被害者遺族を補償金などで納得させた場合は裁判官が死刑が減刑することが許されているイスラム社会とは対照的である。
またカナダ政府は、カナダに逃亡した犯罪者が相手国から死刑の適用が行われないと確証がないかぎり、引き渡さない方針をとっている。
 
キリスト教国は報復論を否定する一方、予防論によって死刑の正当性を位置づけたことで教義上の結論を見たが、見せしめのために前述のような残虐な処刑方法が行われ、教会自体、宗教裁判などによって異端者・魔女であるとした者を大量に処刑した<ref group="注釈">たとえばドイツの17世紀初頭の[[カロリナ法]]時代にライプツィヒの刑法学者であったカルプツォフ(Benedict Carpzov)は裁判官として40年間の在職期間中に中世の刑法を推奨し8万人に死刑を言い渡し2万人から3万人が死刑執行されたが、その多くは[[魔女狩り|魔女裁判]]であった。</ref> その根拠とされたのは、旧約聖書の『[[出エジプト記]]』22章18節律法「呪術を使う女(ヘブライ語でメハシェファ)は生かしておいてはならない」という記述であるが、本来は意味不明であったものが、中世欧州社会では「魔術を行うもの」次に「キリスト教的教養の持たない者」を社会秩序維持のために排除すべきとなり、集団ヒステリーの産物としての魔女の極刑が横行した、と言われている。
==== メキシコ(1917年に廃止) ====
メキシコ内戦終結後の1917年に憲法で死刑廃止が規定された。しかし軍隊内で発生した軍法会議では死刑制度が維持されていた。ただし最後に死刑執行が行われたのは1937年の事であった。それでも死刑の廃止には異論が根強くあり、全面的に死刑が廃止されたのは2005年の事であった。
 
政治的権力者ないし宗教指導者への反逆は悲惨な死に至る、というような「威嚇」を狙った目的もあり、歴史的には(異論もあるが)[[ローマ帝国]]および[[ユダヤ教]]に対する反逆者とされ死刑が執行された[[ナザレのイエス|イエス・キリスト]]の[[キリストの磔刑|磔刑]]、[[魔女狩り]]など宗教異端者に対する過酷な処刑、[[イングランド王国|イングランド]]の[[ウィリアム・ウォレス]]に対する四つ裂きの刑などが有名である。これらの処刑はいずれも公開で行われており、死刑執行を公開することで犯罪を予防しようとする目的<ref name="keiji80">斎藤静敬『刑事政策』創成社 80頁</ref> から、生きながら焼き殺す、蒸し殺す、受刑者の身体を公共の場で切り刻んだり引きちぎったりする、などといった極めて凄惨な[[公開処刑]]が行われた。しかし中世フランスなどにおける公開処刑の実情を見ても、それが必ずしも威嚇となっていたのかは疑問の残るところである<ref group="注釈">当時のフランス国民は、公開処刑を興奮のための娯楽としてしか見ていなかったと言われ、死刑執行を家の中で見ながらセックスを行っていたという例も存在する。</ref>。なお、公開処刑は現在も一部の国では行われている。
====中米・カリブ海沿岸諸国====
=====グアテマラ(存続、執行は停止)=====
2000年から刑の執行は無いが、死刑宣告は継続して出されている。2002年ポルティージョ大統領が死刑制度廃止の法案を提出するが、議会が否決<ref>Inés Benítez 2007“DEATH PENALTY-GUATEMALA:Inmates in Limbo” IPS Inter Press Service News Agency (IPS). </ref>。
 
=== 死刑廃止論の起こり ===
=====キューバ(存続)=====
[[Image:Execution robespierre, saint just....jpg|thumb|280px|right|フランス・[[恐怖政治]]の指導者[[マクシミリアン・ロベスピエール]]の公開処刑を描いた絵画([[1794年]])]]
2000年以来の刑の執行を停止していたが、2003年年4月に、アメリカへの渡航目的でフェリーを乗っ取り逮捕された3人に対し死刑が執行された。この際、国連人権高等弁務官事務所から執行停止を勧告されたが、キューバ政府は拒否した<ref>Patricia Grogg 2008“DEATH PENALTY-CUBA: No Abolition in Sight”IPS Inter Press Service News Agency (IPS). </ref>。。
人類社会で古くから脈々と続けられてきた死刑制度であるが、日本では死刑が事実上廃止されていた時代があり<ref group="注釈">[[嵯峨天皇]]が弘仁9年(818年)に死刑を停止する宣旨([[弘仁格]])を公布して死刑執行が停止された。</ref>、前近代社会では極めてまれな事例である<ref group="注釈">ただし朝廷への反逆者は例外的に斬首されていた。</ref>。
 
近代になり、人権の保障として「法無くば罪無く、法無くば罰無し」という罪刑法定主義の原則が取り入れられるようになったが、犯罪者に対し国家が科すべき刑罰に関して、旧派刑法学(客観主義刑法理論)と新派刑法主義(主観主義刑法理論)の新旧刑法学派の対立が生じた。このような、刑罰の本質に対する論争のひとつとして、死刑制度の位置づけによって制度の存否をめぐる議論が生まれた。これにおいて、死刑が適用される犯罪を戦争犯罪のみに限定もしくは完全に撤廃しようとする主張が'''死刑廃止論'''であり、それに対して死刑制度を存続すべきという主張が'''死刑存置論'''である。
==== 南米 ====
=====ペルー(存続) =====
これまで[[ペルー]]では、死刑適用は[[国家反逆罪]]のみ、一般刑法犯は[[終身刑|終身禁固]]を最高刑としていた。しかし、2006年6月に就任した[[アラン・ガルシア]]大統領は、選挙公約の一つに掲げた、「7歳未満の子供に、[[性的暴行]]を加え[[殺害]]した被告への死刑適用」を認める法案を、9月21日に議会へ提出、審議が行なわれている。<!-- ←結果がそろそろ出たのでは?-->
 
=== 死刑適用の制限と廃止 ===
背景に、日本の[[広島県]]で[[2005年]]に発生した少女暴行殺害事件([[広島小1女児殺害事件]])で、容疑者として逮捕された日系ペルー人が、母国において同様の性犯罪を繰り返していたにも関わらず、司法の不手際で収監を逃れたことにより、「年少者に対する性犯罪」の厳罰化世論が高まったことや、殺害した場合の死刑適用に'''8割'''が賛成するなどの世論調査の結果が挙げられる<ref>「子供への性的暴行殺人に死刑適用:ペルー大統領が法案提出」 [[時事通信社|時事通信]]、[[2006年]][[9月22日]]。</ref>。
[[画像:04CFREU-Article2-Crop.jpg|thumb|280px|right|[[欧州連合基本権憲章]]のうち、死刑の禁止を明記した箇所]]
[[フランス]]で1789年に勃発した[[フランス革命]]を契機として、死刑執行方法は[[ギロチン]]による[[斬首刑]]に単一化されるようになり<ref name="keiji80" />、文化の変化に伴って死刑の意義がなくなっていったため、適用範囲が次第に制限されるようになった。フランス革命では[[マクシミリアン・ロベスピエール]]の[[恐怖政治]]によって大量の[[政治犯]]が処刑されたことから、死刑制度が廃止するかに思われたが、最終的に[[ナポレオン・ボナパルト]]によって退けられた。
 
欧米の政治革命の結果として、死刑が適用される範囲は次第に制限されるようになった。たとえば建国間もない[[アメリカ合衆国]]では、[[トーマス・ジェファーソン|トマス・ジェファーソン]]が死刑執行の範囲を制限すべきと主張していた。州レベルでは[[ペンシルベニア州]]が[[1794年]]に、死刑を適用できるのは第一級殺人罪のみと限定した。また[[1847年]]に[[ミシガン州]]が殺人犯に対する死刑を禁止し、事実上死刑制度を廃止した。これは国家が国民の生命与奪権まで与えることに疑問が提示された結果ともいえる。特に権力者に対する政治的反逆を行った[[政治犯]]に対する死刑は、一部の国を除き忌避されるようになった。
※ラテンアメリカ諸国の傾向として、78%の国が一般犯罪に対する死刑を廃止し、59%の国が完全な死刑を廃止している。死刑制度存続国も、10年以上死刑を執行していない。
 
20世紀末から欧州諸国が死刑制度を廃止し、[[国際連合]]も死刑廃止条約を打ち出したため、21世紀初頭の国際社会は死刑制度が廃止された国が半数となっている。一方で死刑制度を護持する国も依然として残っているが、死刑制度を存置する国においても、死刑が適用される犯罪はおおむね「他人の生命を奪った犯罪」に制限されるようになっていった。ただし、前述のように厳罰主義ないし宗教観による差異のために、「人の生命が奪われていない犯罪」<ref group="注釈">[[中華人民共和国]]の汚職・経済犯罪や、[[シンガポール]]の麻薬犯罪、一部中東諸国の[[イスラーム法]]に基づく宗教的道徳観違反など。</ref> でも死刑が適用されている国家がある。
=== アジア ===
==== 日本国(存続)====
後述の[[死刑存廃問題#日本における死刑制度に対する近年の動き|日本における死刑制度に対する近年の動き]]を参照のこと。
 
日本で死刑が適用される犯罪は法律上17種類あるが、起訴された事例がない罪種が大部分であり、実際には殺人または強盗殺人など「人を殺害した犯罪」である<ref group="注釈">他にも、[[内乱罪]]や[[外患誘致罪]]のように、たとえ人命が奪われていなくても、「祖国に対する裏切り行為」は死刑が適用(後者は死刑のみ)されるが、[[刑法 (日本)|刑法]]制定以来適用例が存在しないため除外する。</ref>。そのため、人を殺害した犯罪者のうち、特に悪質な場合において、犯罪者の生命をもって償わせるべきと[[裁判官]]に判断された者に死刑が適用されている。
==== 韓国(10年以上執行なし・法規上は存続) ====
[[大韓民国]]では死刑執行法は絞首刑としているが、軍刑法は銃殺刑が規定されている。犯行時18歳未満の場合、死刑は宣告されず最高懲役15年に処せられる。また身体障害者と妊婦の死刑は猶予される。
 
先進国の多くが死刑制度を廃止しているが、アメリカ、日本、シンガポール、台湾などの幾つかの国では現在でも死刑制度を維持している。凶悪犯罪者に対する社会的制裁や犯罪抑止、犯罪被害者遺族の応報感情などを理由に死刑を維持すべきという国内世論も根強い。例えば、死刑存置論者である刑法学者が死刑廃止運動に対する批判{{Harv|中嶋|2004|Ref=NAKAJIMA2004|p=189}}として「死刑制度には『私はあなたを殺さないと約束する。もし、この約束に違反してあなたを殺すことがあれば、私自身の命を差し出す』という正義にかなった約束事がある。ところが、死刑を廃止しようとする人々は『私はあなたを殺さないと一応約束する。しかし、この約束に違反してあなたを殺すことがあっても、あなたたちは私を殺さないと約束せよ』と要求しているに等しい。これは実に理不尽である」と発言している。
[[1997年]][[12月30日]]に23人に死刑執行されて以降行われていない。これはカトリック教徒である[[金大中]]政権が発足したためである。なお裁判所による死刑の求刑は許容されているため2007年4月12日に1人が死刑判決が出された。そのため死刑既決囚の総数は64人まで増加したが<ref>[http://www.ilyosisa.co.kr/bbs/zboard.php?id=society&page=10&sn1=&divpage=1&sn=off&ss=on&sc=on&select_arrange=headnum&desc=asc&no=1297 "사형 대기 기결수 총 64명"]
, 일요시사</ref>、2007年12月31日に6人が恩赦で無期懲役に減刑されたため現在は58人となっている<ref>[http://news.sbs.co.kr/section_news/news_read.jsp?news_id=N1000356669 "노 대통령, 75명 '특별사면'…사형수 일부 감형"], SBS</ref>。
 
現在先進国のうち、実質的な死刑存置国はアメリカ合衆国・日本・シンガポールと台湾の4か国である。以前は非先進国のほとんどが非民主国家であったため、経済的な区分で死刑の維持派と廃止派を分けることが多かったが、近年では途上国でも民主国家の数が急増し、人権問題としては民主主義と非民主主義の国家での区分が有意義なものとなっている。この場合、民主主義の国では欧米文化の系列であるヨーロッパと南米などの国のほとんどで死刑が廃止、アジア、中東、アフリカの民主主義の国ではほとんどがは死刑を維持するという文化的な対立が鮮明となっている。またアメリカ合衆国では2013年10月時点で、18州が死刑を廃止・2州と軍は執行を停止という状況で、死刑制度がある32州と連邦も毎年執行している地域は[[テキサス州]]のみである。[[欧州議会]]の欧州審議会議員会議は2001年6月25日に、死刑執行を継続している日本とアメリカ合衆国に対して[[死刑囚]]の待遇改善および適用改善を要求する1253決議<ref group="注釈">この決議では、死刑の密行主義と過酷な拘禁状態が非難されている。</ref> を可決している。また、[[国連総会]]も死刑執行の[[モラトリアム]]決議(2007年12月18日)を可決している。さらに、国連のB規約人権委員会は日本を名指しして死刑制度廃止を勧告している<ref>{{cite news |url=http://sankei.jp.msn.com/world/europe/081031/erp0810310934003-n1.htm |title=日本に死刑廃止検討求める 国連委、慰安婦でも初勧告 |newspaper=MSN産経ニュース |publisher=産経デジタル |date=2008-10-31 |accessdate=2010-01-31 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20081209035752/http://sankei.jp.msn.com/world/europe/081031/erp0810310934003-n1.htm |archivedate=2008年12月9日}}</ref>。2008年10月30日<ref>{{Cite news |url=http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081031-00000025-mai-int |title=<国連人権委>死刑廃止へ 日本政府に「最終見解」 |newspaper=Yahoo!ニュース |agency=毎日新聞 |publisher=Yahoo Japan |date=2008-10-31 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20081103104351/http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081031-00000025-mai-int |archivedate=2008年11月3日}}</ref> には、日本の捜査機関の手続きの改善<ref group="注釈">代用監獄の廃止、虚偽の自白を防ぐための取り調べ録画。</ref> や、死刑制度についても「死刑執行数が増加しており、また本人への告知が執行当日であること」などが問題であり、死刑囚本人とその家族が死刑執行に向けて心の準備ができるよう「適切な時間的余裕を持って執行日時を事前通知すべきだ」と批判している。
[[2005年]]4月には国家人権委員会が死刑廃止を勧告。一方で20人連続殺人事件が発生。犯人が悪びれる様子が全く無かった事で死刑廃止を疑問視する声が挙がったという。[[2007年]][[12月30日]]には前の死刑が実行されてから10年以上経過することを根拠にアムネスティは事実上の死刑廃止国としている。その直前の2007年10月10日には "死刑廃止国家宣言"を行った。法規上は死刑制度を存置しているため、韓国社会で大きな影響力を持つキリスト教団体が死刑制度を撤廃することを要請している。たとえばカトリック大韓聖公会は『人間が他の人間の生命をむやみに奪うことができないという点と同じく、たとえ殺人のように凶悪犯罪を行ったものであっても、悔い改める機会を与えなければならない』として死刑廃止論の根拠としている。またキリストが十字架刑で処刑されたことも強調しているという。なおアムネスティ韓国支部では死刑執行の過程で死刑囚に対する人権侵害が生じる点を指摘し反対している。
 
== 死刑制度をめぐる思想史 ==
[[2006年]][[2月21日]]には、[[大韓民国法務部|法務部]](日本の[[法務省]]に相当)において、死刑廃止し、絶対的[[終身刑]](重無期刑)の導入の検討を行うべく、2006年6月までに関連研究の検討と公聴会を行う予定であったが、結論は出なかったようである。これは死刑制度廃止論議に責任を持つ法務部は廃止には消極的であるためだという。
=== 死刑存置論の系譜 ===
死刑を肯定する思想は、古くはイタリアの中世[[カトリック教会]]最大の[[神学]]者で、[[スコラ学]]者でもあった[[トマス・アクィナス]]によっても主張されたことで知られる。彼は、[[アリストテレス]]の思想体系をカトリック神学に結びつけて発展させ、刑罰を科することで犯罪によって失われた利益が回復されるとし、その意味で刑罰に応報的性格をみとめたとされる。また、社会の秩序を防衛するためには為政者の行う死刑は有益かつ正当であると主張したとされる<ref>[[三原憲三]]『死刑存廃論の系譜』成文堂10-11頁</ref>。
 
[[カトリック教会]]はその伝統において、おおむね死刑に好意的であった<ref>カール・バルト『国家の暴力について 死刑と戦争をめぐる創造論の倫理』新教出版社 34-5頁。また、J.デリダ/E.ルディネスコ『来るべき世界のために』岩波書店 203頁</ref>。神学者の[[フランシスコ・スアレス]]は、国民には他の国民の命を奪う権利はないのだから、そうした権利を含む国家の権力とは神が授けたものであるとし、死刑の存在が、国家権力が神に由来することの証明と考えた<ref>[[ホセ・ヨンパルト]]『刑法の七不思議』成文堂 226頁</ref>。[[宗教改革]]の時代において指導的神学者であった[[マルティン・ルター]]も、死刑を神事として肯定したと言われる。また初期啓蒙思想家の[[フーゴー・グロティウス]]、その系統をひく[[自然法論|自然法学者]][[プーフェンドルフ]]も死刑を合理的なものとして肯定した<ref>三原憲三 前掲書 13頁</ref>。
[[2007年]]5月に行われた韓国政策学会による大統領選候補者に対する政策評価では、多くの候補が死刑廃止であったが、当選した[[李明博]]大統領は『犯罪を予防するという国家としての義務を果たすため、死刑制度は維持しなければならない』とし、死刑制度廃止に反対であると主張したが、一方で『法定刑に死刑が定められている罪種があまりにも多い。人命を奪う罪や、人倫に反する凶悪犯罪などに対象を絞る必要がある』と指摘し、死刑適用を大幅に制限すべきだと主張したという<ref>[http://www.chosunonline.com/article/20071213000070 大統領選:政策学会の候補診断…死刑制度・姦通罪の存廃]朝鮮日報 2007年5月</ref>。また韓国の国会で死刑制度廃止法案が何度も上程されているが、審議未了廃案となっており、死刑制度の廃止については消極的<ref>[http://www.chosunonline.com/article/20071118000014 韓国、来月「事実上の死刑廃止国」に(中] 朝鮮日報 2007年11月18日</ref>であるという。ただし、国際的には1985年以後に事実上の死刑制度廃止国となった国が、死刑執行を再開した国がないため、仮に韓国が再開すると欧州諸国から外交的に強い圧力を受けるようになるとして、韓国の死刑執行モラトリアムは継続されるとの指摘<ref>[http://www.chosunonline.com/article/20071118000013 韓国、来月「事実上の死刑廃止国」に(上)] 朝鮮日報 2007年11月18日</ref>もある。
 
[[啓蒙主義]]の時代においては、[[自然権]]と[[社会契約説]]を唱えた[[トマス・ホッブズ]]、[[ジョン・ロック]]や[[イマヌエル・カント]]などが、世俗的理論のもとに、社会秩序の維持や自然権(生命権)の侵害に対する報復などをもって、死刑の必要性を再定義した。そのほか、[[シャルル・ド・モンテスキュー|モンテスキュー]]、[[ジャン=ジャック・ルソー|ルソー]]、[[ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル|ヘーゲル]]らの近代思想家も死刑存置論を主張した<ref>[[立石二六]]『刑法総論』成文堂 2004年 346頁</ref>。
==== 中華人民共和国(存続)====
*[[死刑#中国の状況|死刑の『中国の状況』]]についても参照のこと
 
[[ジョン・ロック|ロック]]は『[[市民政府論]]』の冒頭で、政治権力とは[[所有権]]の規制と維持のために、死刑をふくむ法を作る権利だと定義している<ref>ロック『市民政府論』岩波文庫 9頁</ref>。ロックによれば、[[自然状態]]では、他人の生命や財産を侵害する者に対して誰もが処罰の権利をもっている<ref>ロック 前掲書 17、23、24頁</ref>。[[自然法]]のもとでは誰もが自由で平等であり、肥沃な自然を共有財産とし、そこから労働によって[[私有財産]]を得る<ref>ロック 前掲書 10-12、32-36、50、100頁</ref>。ロックは生命・自由・資産をまとめて[[所有権|所有]]と呼び<ref>ロック 前掲書 127頁</ref>、これを侵害する者は全人類への敵対者となって[[自然権]]を喪失するため、万人が自然法の執行者として処罰権をふるい、必要ならば殺す権利があると述べる<ref>ロック 前掲書 13-5、17、22頁</ref>。こうした自然状態から、人々は所有権の保障を得るために[[社会契約]]を結んで協同体([[市民社会]]、国家)に加わることに同意するが、それにともない個々人がもつ処罰権も移譲される<ref>ロック 前掲書 89-90、129-131、173-4頁</ref>。ただし、処罰権はあくまで一般的なものなので、国家にとって、死刑にかんする権利や義務がそこから「明示的に」発生する訳ではない<ref>A.John Simmons, Locke on the Death Penalty. Philosophy.vol.69:270. Cambridge University Press. pp.472-5.</ref>。しかし殺人者や侵略者にかぎれば、自らの行為によって権利を喪失しているので、自然状態では万人に彼らを殺す権利があったのと同じく、国家は彼らに恣意的で専制的な権力をふるうことが正当化される<ref name="名前なし-1">A.John Simmons, ibid. pp.476</ref>。すなわちこの権力は、殺人者や侵略者の「生命を奪い、欲するならばこれを有害な動物として破滅させる権利」<ref>ロック 前掲書 186頁</ref> をも含んでいるのである<ref name="名前なし-1"/>。ロックの考えでは、殺人者や侵略者は死に値し、死に値するという事実は死刑を十分に正当化するものであった<ref>A.John Simmons, ibid. pp.477</ref>。
[[中華人民共和国]]は毎年1000人以上(公式値、非公式分も含めると一万人近いという説もある)の死刑執行が行われる世界最大の死刑存置国家である。裁判手続きが当局に都合の良い形であり、安易なことや以前は'''死刑執行が自動的に行われる'''といった粗雑な司法制度が[[中国の人権問題]]のひとつとして問題視されている。中国の場合は、[[賄賂]]授受・[[麻薬]]密売・[[売春]]及び[[性犯罪]]など犯罪被害者が死亡しない犯罪などでも死刑判決が下されたこともある。また死刑を犯罪撲滅に対する最大の効果があると司法当局が確信しているため、死刑の適用が多用されている。特に麻薬犯罪に対しては公開処刑の実施や、バスを改造した移動死刑執行車を導入して[[アヘン]]栽培をした農民の処刑を行っている。
 
[[三権分立]]の提唱者として知られる[[シャルル・ド・モンテスキュー|モンテスキュー]]は、死刑についてこう主張する。「これは一種の[[ハンムラビ法典#同害報復|同害報復権]]である。これによって社会の安全を奪った、あるいは、他の公民の安全を奪おうとした公民に対し、社会が安全を拒否するのである。この刑罰は事物の本性から引きだされ、理性から、また善悪の源泉から取り出される。公民が生命を奪い、あるいは生命を奪おうと企てるほど安全を侵害した場合は、彼は死に値する。」<ref>モンテスキュー『[[法の精神]]』上 岩波文庫 348頁</ref>
[[温家宝]][[国務院総理]]は、[[2005年]][[3月14日]]の記者会見で、中国の国情を理由に死刑廃止について否定的見解を示した。現在進められている司法制度改革に、[[最高人民法院]]による死刑再審査制度復活も含まれており、今後、制度改革により死刑判決の厳格さと公正さが保障されていくと述べた<ref>人民網(日本語版)[[2005年]][[3月15日]]付</ref>。
 
[[ジャン=ジャック・ルソー|ルソー]]は死刑について[[ジョン・ロック|ロック]]の発想を踏襲し発展させたと言われる<ref>三原憲三 前掲書 19-20頁</ref><ref>[https://hdl.handle.net/2065/1494 江家義男,「[https://hdl.handle.net/2065/1494 死刑論]」『早稲田法学』12巻 p.1-64 1932年, 早稲田大学法学会, {{issn|0389-0546}}。</ref>。彼は[[グロティウス]]、[[プーフェンドルフ]]らによる統治契約説(服従契約)を否定し、社会契約を自由な個人による同意と考えた。国家によって守られる契約当事者の生命は、その国家のための犠牲を求められることもあるとし、「犯罪人に課せられる死刑もほとんど同じ観点の下に考察されうる。刺客の犠牲にならないためにこそ、われわれは刺客になった場合には死刑になることを承諾しているのだ。」と述べる<ref>ルソー『社会契約論』岩波文庫 54頁</ref>。また彼の言うところでは、「社会的権利を侵害する悪人は、…祖国の一員であることをやめ、さらに祖国にたいして戦争をすることにさえなる。…そして罪人を殺すのは、市民としてよりも、むしろ敵としてだ。彼を裁判すること、および判決をくだすことは、彼が社会契約を破ったということ、従って、彼がもはや国家の一員ではないことの証明および宣告」であり<ref>ルソー 前掲書 55頁</ref>、すなわち法律違反者は公民たる資格を失うことになり、国家は自己防衛の必要があれば、これを殺してもよいとされる。その他方でルソーは「なにかのことに役立つようにできないというほどの悪人は、決していない。生かしておくだけでも危険だという人を別とすれば、みせしめのためにしても、殺したりする権利を、誰ももたない。」と述べている<ref>ルソー 前掲書 56頁。ルソーの死刑論については他に、[[竹田直平]]『刑法と近代法秩序』306-308頁 を参照</ref>。
最高人民法院弁公庁報道官の孫華璞主任は、2006年[[3月11日]]に、中国政府公式サイト「中国政府網」及び「新華網」のネット掲示板において、中国における将来的な死刑廃止の可能性について質問に答え、現在、中国を含めた世界半数以上の国々が死刑制度を有している。段階的な死刑廃止は世界的傾向であるが、現在の国情で死刑廃止の条件は整っておらず、死刑廃止を支持する国民的同意も得られる段階にないとのべ、死刑廃止に否定的見解を示した。
 
[[プロイセン王国|プロイセン]]出身で[[ドイツ観念論]]の祖である[[イマヌエル・カント]]は、死刑について、「もし彼が人を殺害したのであれば、彼は死なねばならない。この際には正義を満足させるに足るどんな代替物もない」と語ったことで知られる<ref>カント「人倫の形而上学」『世界の名著第32巻カント』 中央公論社 477頁</ref>。カントはホッブズ、ロック、ルソーから[[社会契約|社会契約説]]の発想を継承しつつ、そこから歴史性を完全に捨象し、これを市民社会(国家)がもとづくべき理念として考えた<ref>カント 前掲書 473-4頁。カントの社会契約論については、ハワード・ウィリアムズ「カントと社会契約」 バウチャー/ケリー編『社会契約論の系譜』 176-197頁を参照</ref>。そうした国家において刑法とは[[定言命法]]であり、すなわち裁判所のくだす刑罰は、犯罪者の社会復帰や犯罪の予防といった他の目的の手段であってはならず、無条件で犯罪者を罰するものでなければならない<ref>カント 前掲書 473頁</ref>。ルソーが犯罪者を国家の敵とするのに対し、カントは犯罪者も人格として扱わねばならないが故に、刑罰も彼を目的として扱わなければならない(が故に定言命法の対象となる)と考える。そして刑罰の種類や程度を定めるにあたって、司法的正義が規準とするのは、均等の原理すなわち[[ハンムラビ法典#同害報復権(タリオの法)|同害報復権(タリオの法)]]のみだとカントは言う<ref>カント 前掲書 474頁</ref>。したがって殺人のばあい、犯罪者の死だけが司法的正義に適うとされ、「刑罰のこの均等は、裁判官が厳格な同害報復の法理にしたがって死刑の宣告を下すことによってだけ可能になる」とされる<ref>カント 前掲書 476頁</ref>。このように主張したことで、カントは[[応報刑論#絶対的応報刑論|絶対的応報刑論]]の見地から死刑を正当化したと言われる。ちなみに、ここでの被害者は公民的社会(国家)であり、個人対個人での補償や配慮は考えられていないと言われる<ref>平田俊博「カントの反・死刑反対論-<死刑に値する>と<生きるに値しない>との狭間を求めて-」現代カント研究5『社会哲学の領野』所収61-62頁</ref>。またカントは、[[ベッカリーア]]が死刑廃止の主張のさいに論拠とした、[[社会契約]]において当事者が予め死刑に同意することはありえないという議論に対し、人が刑罰を受けるのは刑罰を望んだからではなく罰せられるべき行為を望んだからだと反論した</del><ref>カント 前掲書 478-9頁 カントの死刑論については他に[[竹田直平]]『刑法と近代法秩序』308-314頁、増田豊「消極的応報としての刑罰の積極的一般予防機能と人間の尊厳-カントおよびヘーゲルと訣別してもよいのか-」三島淑臣ほか編『人間の尊厳と現代法理論』135-145頁 を参照</ref>。
その上で、 現在の中国政府の政策は、法律及び司法の両面から死刑の適用・執行を厳格化して、極少数の犯罪や、深刻な犯罪への適用に留めている。死刑は、「即時執行」と「[[執行猶予]]2年」に分けられ、後者の死刑判決は、執行猶予2年間に罪を犯さなければ、[[無期懲役]]へ減刑される。このため、死刑執行例は実際は少ないと述べた<ref>人民網(日本語版)[[2006年]][[3月12日]]付</ref>。なお死刑に[[執行猶予]]が付せられる規定(中華人民共和国刑法43条)であるが、この目的はいわゆる再教育を目指すものであり、国家に対する反革命(反政府)行為に対して死刑の重圧をかけて『労働改造』する目的があるとの指摘<ref>[[藤本哲也]] 『刑事政策概論』 青林書院 131頁</ref>もある。
 
[[ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル|ヘーゲル]]は刑罰の考え方をめぐってカントの[[応報刑論]]を批判したが、殺人罪については、生命はいかなるものによっても置き換えられないという理由から、死刑しかありえないと考える<ref>ヘーゲル「法の哲学」『世界の名著第35巻ヘーゲル』 中央公論社 305頁、[[上妻精]]・小林靖昌・高柳良治『ヘーゲル 法の哲学』有斐閣新書 135頁</ref>。また[[チェーザレ・ベッカリーア|ベッカリーア]]の死刑廃止論を、[[社会契約]]にもとづく国家創設という発想そのものを否定することで斥けている<ref name="ヘーゲル 前掲書 301頁">ヘーゲル 前掲書 301頁</ref>。たしかに国家は、[[王権神授説]]の言うような与えられるものではなく、人々によって造られるものではある。しかしヘーゲルの考えでは、いかなるタイプの社会契約もしょせん恣意的で偶発的なものにすぎず、そうしたレベルの合意が国家のような統一体に発展することはない<ref>ヘーゲル 前掲書 276頁</ref>。もともと人々は、共同体の制度・慣習・文化の複雑な網の目のなかで生きており、契約の義務という観念もそれらを前提に生じ、共同体のなかではじめて現実性をもつものである。ところが社会契約論はこうした関係を転倒させ、これら諸々の前提を契約の所産のように勘違いしているのである<ref>ヘーゲルの社会契約論批判については、ブルース・ハドック「ヘーゲルの社会契約論批判」 バウチャー/ケリー編『社会契約論の系譜』 198-219頁、アラン・パッテン「ヘーゲル政治哲学における社会契約論と承認の政治」ロバート・R・ウイリアムズ編『リベラリズムとコミュニタリアニズムを超えて』217-238頁を参照</ref>。すなわち「国家はそもそも契約などではなく、なお、また個々のものとしての諸個人の生命および所有の保護と保全も、けっして無条件に国家の実体的な本質ではない」とヘーゲルは言う<ref name="ヘーゲル 前掲書 301頁"/>。このようにベッカリーアを批判する他方で、彼の著作によってヨーロッパ諸国が死刑に慎重な姿勢をとるようになった事をヘーゲルは評価している<ref>ヘーゲル 前掲書 302頁、上妻精ほか 前掲書 131頁</ref>。
==== 中華民国(存続) ====
[[2000年]]、[[中華民国]]([[台湾]])では[[自由主義|リベラル色]]の強い[[民主進歩党]]の政権誕生後、死刑廃止に向けた作業が続いているが、国内世論の意見集約は進んでいない。[[2001年]][[5月17日]]、陳定南法務部長(法相)は、3年以内に死刑廃止のための法改正をすると表明した。
 
19世紀には、[[社会進化論]]的観点から死刑を肯定する思想があらわれた。イタリアの医学者[[チェーザレ・ロンブローゾ#生涯|ロンブローゾ]]は、犯罪者の頭蓋骨解剖・体格調査の研究により、[[隔世遺伝]]による[[生来的犯罪人説|生来的犯罪者]]という考え方を発表し、[[人為淘汰]]の思想にもとづく死刑の正当性を主張した。彼によれば、「社会のなかにはたくさんの悪い人間が散在しており、犯罪によってその性が現れてくるというのである。すなわち、そういう悪人の子孫が繁殖するというと、遺伝によって将来は犯罪人をもって充されるようになるから、社会を廓清し立派な人間ばかりにするために、人口淘汰によってこれ等の悪人を除くことが必要である。これを実行するためには、死刑はよい刑罰であって廃止すべきものではない」<ref>三原 前掲書 20-21頁</ref>。また、ロンブローゾの弟子であった[[エンリコ・フェリ]]も、人為淘汰として死刑は社会の権利であり、生物進化の自然法則に合致すると主張する。彼によれば、「進化の宇宙的法則がわれわれにしめすところに従えば、各種生物の進歩は生存競争に不適当なものの死という不断の淘汰によるのである。…ゆえに社会がその内部に於て、人為的淘汰を行いその生存に有害な要素、即ち反社会的個人、同化不可能者、有害者を除くということは、ただにその権利であるばかりでなく、自然の法則に一致しているのである」<ref>三原 前掲書 21頁</ref>。[[刑法学]]における「イタリア学派」へと発展した彼らの主張は多くの批判を受けたが、従来の刑法学に[[実証主義]]的な手法を導入した点では高く評価されている。
一方、その翌日の[[5月18日]]に、台湾の主要紙[[聯合報]]が行なった世論調査では、台湾国民の79%が死刑廃止に反対と答え、さらに死刑制度は凶悪犯罪阻止に有効と答えた割合は77%となった。[[2002年]]には18才以下の未成年者に対する死刑免除法案が可決。懲役刑の上限引き上げや仮釈放審査の厳格化を盛り込んだ刑法の改正が、2005年2月に可決、2006年[[7月1日]]から施行された。
 
20世紀初頭、ドイツ・[[ベルリン大学]]のヴィルヘルム・カール教授は法曹会議のなかで『死刑は刑罰体系の重要な要素であり』として人を殺したる者はその生命を奪われるというのは『多数国民の法的核心である』と主張した。またアメリカ合衆国のケンダルは、[[ジャン=ジャック・ルソー|ルソー]]の[[社会契約説]]にもとづき、政治犯などと凶悪犯罪者とを区別することで死刑制度を肯定できると主張した<ref>三原 前掲書 14頁</ref>。
刑法改正の具体的ポイントは、有期懲役の上限が20年から30年に。無期懲役の仮釈放が可能となる年数が25年に引き上げ。殺人や強盗、身代金目的の誘拐など、重大な刑事事件を複数犯した者は、仮釈放期間中または懲役終了後の5年以内に、再び重大な刑事事件を犯した場合、仮釈放は認められない(絶対的終身刑)。また、連続犯罪規定の削除により、連続して罪を犯した場合、犯した罪ごとに罰則が科される事になった。
 
=== 死刑廃止論の系譜 ===
2006年[[6月14日]]、[[陳水扁]]総統が、[[国際人権連盟]] (ILHR) 代表との会見の中で、死刑廃止は世界的潮流と述べ、廃止に賛同。また、懲役刑の上限引き上げや、仮釈放審査の厳格化を含む刑法改正により、将来的に死刑制度廃止の国民的コンセンサスは得られるだろうとの見通しを述べた。横浜弁護士会の発表によると、台湾では、死刑を廃止する条項が盛り込まれた「人権基本法案」の検討が開始されている
[[Image:Dei delitti e delle pene 1764.jpg|thumb|『犯罪と刑罰』(1764)<br />ヨーロッパ各地で翻訳され、死刑廃止論の先駆けとなった。]]
死刑が正当な刑罰かという問題は16世紀以降論争となり、[[トマス・モア]]の『[[ユートピア]]』([[1516年]])や、トーサンの『道徳論』([[1748年]])などに死刑反対の考えが現れている。しかし社会思想としての死刑廃止論の嚆矢となったのは、イタリアの[[啓蒙思想]]家[[チェーザレ・ベッカリーア]]であり、彼は[[ジャン=ジャック・ルソー|ルソー]]の影響のもと、[[社会契約]]を根拠に死刑を否定したことで知られる<ref>三原憲三『死刑存廃論の系譜』成文堂 85頁、『誤判と死刑廃止論』成文堂 2011 75頁</ref>。
 
ベッカリーアは『[[犯罪と刑罰]]』([[1764年]])において、「どうして各人のさし出した最小の自由の割前の中に、生命の自由-あらゆる財産の中でもっとも大きな財産である生命の自由もふくまれるという解釈ができるのだろうか? …人間がみずからを殺す権利がないのなら、その権利を他人に、-たとえそれが社会にであったとしても-ゆずり渡すことはできないはずだ。」と述べている<ref>ベッカリーア『[[犯罪と刑罰]]』岩波文庫、90-91頁</ref>。すなわち、社会契約の当事者である国民は、自分の生命を放棄するような約束を予め結ぶということはありえないのだから、死刑制度は無効であり、(国家の平時においては)廃止すべきというのがその趣旨である。また彼は、刑事政策上の理由からも反対論を述べ、死刑が抑止効果において終身刑に劣るものだと主張した。「刑罰が正当であるためには、人々に犯罪を思い止まらせるに十分なだけの厳格さをもてばいいのだ。そして犯罪から期待するいくらかの利得と、永久に自由を失うこととを比較判断できないような人間はいないだろう」<ref>ベッカリーア前掲書、94-5頁</ref>。さらに彼は、死刑が残酷な行為の手本となり社会的に有害でもあるとも述べている<ref>立石二六『刑法概論』成文社、2004年、345-346頁</ref>。
==== フィリピン(2006年に廃止)====
[[フィリピン]]の死刑制度は、[[1987年]]の[[コラソン・アキノ|アキノ]]政権下で一度廃止されたが、[[1993年]]の[[フィデル・ラモス|ラモス]]政権下では華僑の圧力により復活した。[[2001年]]発足した[[グロリア・アロヨ|アロヨ]]政権では死刑執行が凍結され、[[2006年]][[6月7日]]上下院で再度死刑廃止法案が可決された。死刑廃止後の最高刑は「[[仮釈放]]なしの[[終身刑]]」となった。2006年[[6月24日]]、アロヨ大統領が死刑廃止法案に署名、同法が成立。
 
『[[犯罪と刑罰]]』は当初匿名で出版されたが、ただちに大きな論議を巻き起こした。その背景には、当時のヨーロッパにおける刑事法が一般に抑圧的であり、その運用も恣意的だったことがあると考えられている。司法原則としての法の下の平等は事実上存在せず、犯罪者の社会的地位や縁故・人間関係がもっとも処遇を左右したと言われる<ref>エリオ・モナケシー「チェザーレ・ベッカリーア」、『刑事学のパイオニア』所収、矯正協会、6,7頁</ref>。こうした状況一般への人々の不満もあり、『犯罪と刑罰』は翻訳されてヨーロッパ各地で読まれ、のちの立法と刑法思想に多大な影響を与えた。ちなみに、ベッカリーアの思想を最初に実現したのは、[[トスカーナ大公国]]の啓蒙専制君主レオポルド1世大公(後の[[神聖ローマ皇帝]][[レオポルト2世 (神聖ローマ皇帝)|レオポルト2世]])である。レオポルドは即位した[[1765年]]に死刑の執行を停止し、[[1786年]]には死刑そのものを完全に廃止した<ref>三原憲三『死刑存廃論の系譜』成文堂、88頁</ref>。
アロヨ政権による死刑廃止の背景には、国内で大きな政治的影響力を有するカトリック教会が、かねてから死刑廃止を訴えており、カトリック教会の大統領への支持をつなぎとめるための決断と見られている。加えて、2006年[[6月25日]]から同大統領が[[ヨーロッパ]]歴訪。[[バチカン]]で[[ローマ教皇]]と会見するため、死刑廃止法案の成立を急いでいたという政治的背景も指摘されている。
 
この時代には他にも、[[ドゥニ・ディドロ|ディドロ]]『自然の法典』([[1755年]])、ゾンネンフェルス([[1764年]]の論文)、トマソ・ナタレ『刑罰の効果及び必要に関する政策的研究』([[1772年]])等が死刑の刑罰としての有効性に疑問を述べ、廃止を主張している。
====[[カンボジア]](1989年に廃止)====
王政復古した[[1989年]]に死刑廃止している。これは[[クメール・ルージュ|ポル・ポト派]]による大虐殺が影響している。ポル・ポト派は死刑制度を利用し、[[政治犯]]を処刑し、体制反対者やポル・ポト派から見て邪魔な人物は死刑に処せられたため、当時の国民の3分の1にあたる400万人が虐殺された為である。現在は憲法により死刑は禁止されている。
 
19世紀には文学の領域で死刑廃止の声があがりはじめ、[[ヴィクトル・ユゴー]]の『死刑囚最後の日』([[1829年]])が反響を呼んだ。また[[ロマン主義|ロマン派]]の詩人で政治家の[[アルフォンス・ド・ラマルティーヌ|ラマルティーヌ]]が廃止を主張し、[[フョードル・ドストエフスキー|ドストエフスキー]]の『[[白痴 (ドストエフスキー)|白痴]]』([[1868年]])、[[レフ・トルストイ|トルストイ]](『[[戦争と平和]]』[[1865年]] - [[1869年]])なども作品中に死刑を取りあげて、廃止論に影響を与えた。
====[[ネパール]](1997年に廃止)====
1997年、憲法の規定に、総ての犯罪に対して死刑を廃止する条文が盛り込まれた。
 
イギリスの社会改革主義者であった[[ジェレミ・ベンサム|ベンサム]]は、刑罰学においては[[パノプティコン]]の考案者として知られる。彼は死刑に関して、[[功利主義]]的立場からプラス面とマイナス面とを比較検討した。ベンサムによれば、死刑の戒めとしての効果や人々による支持といったプラス面よりも、死刑が犯罪者による被害者への賠償を不可能にすることや、誤判による死刑の回復不可能性といったマイナス面の方が大きいとされる。ベンサムはこうした比較により、死刑より終身労役刑の方が社会にとっての利益が大きいと結論づけ、死刑廃止を主張した<ref>三原憲三『死刑存廃論の系譜』 97-100頁、『誤判と死刑廃止論』 98、99頁</ref>。
====[[ブータン]](2004年に廃止)====
[[国王]]令によりあらゆる犯罪に対して廃止。
 
ドイツの[[フランツ・フォン・リスト]]は、[[チェーザレ・ロンブローゾ|ロンブローゾ]]ら「イタリア学派」のとなえる生物学的観点のみによる犯罪原因説を否認し、そこに社会学的視点を加え、さらに刑法における目的思想を重要視した。すなわち[[応報刑論|応報刑]]では犯罪を抑止できないと考え、法益保護と法秩序の維持を目的とし、社会を犯罪行為から防衛しながら犯罪者による再度の犯罪を予防することを重視する。リストとその弟子達はここから[[目的刑論|目的刑]]という新しい[[刑法学]]の体系を生み出し、[[刑法学|近代学派(新派)]]の理論を完成させた。応報刑の旧派と目的刑の新派の対立は現代まで続いているが、目的刑を取る刑法学者は通常は死刑廃止を主張している。
====[[スリランカ]](1976年凍結、1999年復活)====
[[1976年]]6月の死刑執行を最後に凍結され、歴代大統領により死刑囚は自動的に減刑された。1999年3月13日、犯罪増加報告を受けた政府は、「今後、[[チャンドリカ・クマラトゥンガ]]大統領は死刑判決を自動的に減刑しない」と発表。[[2004年]][[11月19日]]に発生した高等裁判所判事殺害事件を機に死刑復活世論が高まり、同年11月20日、クマラトゥンガ大統領は、強姦、殺人、麻薬に関する死刑を復活すると発表した。しかしながら死刑執行の再開まではまだ踏み切られていない。
 
20世紀になると、またリストに学んだモリッツ・リープマンとロイ・カルバートが死刑廃止を主張した。リープマンはカール、フィンガーらと死刑存廃をめぐって論争し、死刑は犯人を法の主体として認めず、単に破壊の客体として扱うことを問題として指摘した。エドウィン・H・サザーランドや『合衆国における死刑』([[1919年]])を書いたレイモンド・T・ブイも死刑廃止を唱えた。作家の[[アルベール・カミュ|カミュ]](『ギロチン』[[1957年]])も死刑に反対している<ref>三原憲三『死刑存廃論の系譜』80-102頁</ref>。
====[[イラク]](2003年凍結、2004年復活)====
[[イラク戦争]]後の[[アメリカ軍]]を主体とする[[多国籍軍]]による占領時、アメリカ政府が派遣した[[ポール・ブレマー|ブレマー]]行政官により凍結された。2004年6月30日イラク暫定政府のヤワル大統領は、アラブ有力紙のインタビューで、死刑復活を決定したと表明。適用範囲は、[[テロ]]行為や殺人、強姦に限られると述べた<ref>「イラク死刑制度復活:元大統領裁判へ憶測呼ぶ」 [[中日新聞]]、[[2004年]][[7月1日]]。</ref>。[[2005年]]5月22日、イラク中部クートの特別法廷は、イラク警官の殺害、拉致などの20件の犯行に関与して訴追された、反米武装勢力「アンサール・スンナ軍」の男3人に死刑を言い渡した。死刑判決は[[サッダーム・フセイン|フセイン]]政権崩壊後初めて<ref>「武装勢力に死刑判決:制度復活後初めて」 中日新聞、[[2005年]][[5月24日]]。</ref>。その後、フセイン元大統領に対しても、死刑判決が下った。2006年12月25日、フセイン元大統領に対する死刑が執行された。余談ではあるが、この死刑執行を世界中の子供が真似しこれまでに7人が事故死した。また、この死刑執行に対し[[潘基文]]国連事務総長が死刑を肯定するとも取れる意見をし、国連の立場と矛盾した発言を行ったと非難が集中。のちに弁明した。
 
キリスト教的な立場からは、[[19世紀]]初頭に[[フリードリヒ・シュライアマハー]](シュライアーマッハー)が、[[20世紀]]には[[カール・バルト]]らの神学者が国家の役割を限定するという立場から死刑廃止を主張した。バルトによれば、刑罰を基礎づける理論は通常、犯罪者の更生、犯罪行為の償い、社会の安全保障、の何れかに収まるが、死刑は何れとも齟齬をきたす<ref>カール・バルト『国家の暴力について』新教出版社 44頁</ref>。死刑はまず「犯罪者の更生」を放棄するが、社会には、その構成員を秩序へと呼び戻す努力をする義務があるとバルトは言う<ref>バルト、前掲書 44-47頁</ref>。第二に、「犯罪行為の償い」とは、神の応報的正義の地上的・人間的表現である。しかしあらゆる人間の過ちに対する神の応報的正義は、バルトによれば、キリスト教ではイエスの死をもって終わっており、刑罰は生を否定しないものでなければならない<ref>バルト、前掲書 48-53頁</ref>。そして「社会の安全保障」については、犯罪者の抹殺は社会を自己矛盾に陥れるとバルトは述べる。すなわち、社会制度はつねに暫定的・相対的なものとして修正可能性を担保すべきであり、死刑においてはそうした可能性が排除されるため、社会はむしろ市民の安全を侵害する可能性を常にはらむことになる<ref>バルト、前掲書 53-57頁</ref>。こうしてバルトは一国の制度としての死刑には反対するが、その他方で特殊な条件下での死刑を擁護している。バルトの主張によれば、戦時下での売国行為と国家を危機に陥れる独裁者(ヒトラーを念頭に置いている)の二者に関しては、限界状況にある国家の正当防衛という理由から、死刑(犯罪者の殺害)は「神の誡めでありうる」とされる<ref>バルト、前掲書 62-72頁</ref>。
=== オセアニア ===
[[オーストラリア]]、[[ニュージーランド]]共にいかなる場合も死刑を廃止している。ニュージーランドには死刑廃止後、復活させた事があったが、今日は死刑を非人道的として完全に廃止している。島嶼諸国も死刑廃止している。[[パプアニューギニア]]は10年以上死刑停止状態である。
 
近年では、[[ジャック・デリダ]]が死刑廃止論の思想的検討をしている。デリダによれば、死刑とは刑法の一項目にとどまらず、法そのものを基礎づける条件でもある。それは死刑が元々、[[主権]]の概念と深い関わりをもっているからである。[[カール・シュミット#シュミット|シュミット]]によれば、主権はかつての宗教的権威から国家へと受け継がれたが、これは法の上位にあって[[例外状態]]を決定し、([[恩赦]]のように)法を一時停止する権限であり、生殺与奪の最高の権限でもある。廃止論に立つには、こうした主権そのものを問題にする必要があると、デリダは言う。現在の死刑廃止論は、彼によれば政治的に脆弱である。まずベッカリーアにならって戦時の例外を認めるタイプの廃止論は、今日的な状況に太刀打ちできない。何故なら、たとえば戦争とテロとの境目があらかじめ明確でないような状況では、緊急時と平常時の境界線も恣意的に引けるからである。同じくベッカリーア由来の、死刑は抑止力がないから廃止すべきだという主張も、限られた説得力しか持たない。こうした功利主義的な主張は、「法を犯した者は罰せられるべきだから罰せられるべきなのだ」といった、人間の尊厳に訴えるカント的な[[定言命法]]を乗り越えられないからである。国際機関による決議や提言も、上記のような国家の主権原理や例外問題の前でつねに頓挫している。こうした点から、これまでの廃止論の言説は大幅に改善していく余地があるとデリダは述べている<ref>J.デリダ/E.ルディネスコ『来るべき世界のために』201-237頁</ref>。
=== アフリカ ===
[[アフリカ]]53カ国のうち13カ国が死刑廃止している。また20カ国が死刑執行していない。合計すると53カ国のうち死刑を行っていない国は33カ国である。政情が安定している南部諸国における廃止が目立つ。政情が安定しているアラブ圏では[[イスラム法]]の影響もあり死刑存続している国が多い。フランスの文化的影響の強い西部アフリカ諸国は、死刑を中止しているか、国事犯を除く通常犯罪への適用を行っていない国が多い。
 
死刑制度の存続賛成派は、その目的として犯罪を予定する者への威嚇効果、つまり(殺人などの凶悪事件)犯罪抑止ないし犯罪抑止力。または人権を剥奪された被害者ないしその遺族の救済(つまるところ報復の代行)などを根拠に死刑を維持<ref group="注釈">廃止されている場合には復活。明確な意味で復活したのはイタリアなど少数である。</ref> すべきとする。また、死刑制度の廃止派はたとえ人命を奪った凶悪な犯罪者であっても人権はあり、死刑そのもの自体が永久にこの世から存在を抹殺する残虐な刑であり、国家による殺人を合法的に行うことであり是認できない、刑事裁判の誤判による冤罪による処刑を完全に防ぎきれない、などを根拠に廃止すべきと主張する。
== 日本における死刑制度に対する歴史的動き ==
日本の歴史上における死刑制度の変遷については、[[日本における死刑#日本における死刑の歴史|日本における死刑]]を参照のこと。
 
現在に至るまで、死刑存置論と死刑廃止論をめぐっては激しく対立しているが、どちらの主張が正しいかを客観的に判断することは誰にもできない問題である。また論理的でない感情論も場合によっては入るため、現実として問題の解決はありえないかもしれない。そのため、死刑制度を存続するにしても廃止するにしても、[[法学]]のみならず、死刑制度の存在をどのように見るかで大きく変わるものであり、そのため法学のみならず思想的かつ宗教的な問題や[[哲学]]など様々な主義主張が交錯しており、犯罪被害者ないし犯罪者双方の人間の生命についてどう考えるかという根本的な課題<ref name="菊田幸一『Q&A 死刑問題の基礎知識』明石書店126頁より引用">菊田幸一『Q&A 死刑問題の基礎知識』明石書店126頁より引用</ref> であるといえる。
=== 近代以前 ===
[[日本]]では、[[平安時代]]に[[仏教]]思想や[[穢れ]]思想、[[御霊信仰|怨霊信仰]]などの影響から、[[嵯峨天皇]]の勅令(弘仁の格・818年)により平家政権の成立まで死刑が停止されていた時代がある。この時代、中央政界では政変がしばしば起きたものの、武力が用いられることはなく、政争の敗者は寛刑により死一等を免れ、後に政権復帰することも可能であった。<ref>ただし、地方の戦乱への追討行動は行われており、[[承平天慶の乱]]で討ち取られた[[平将門]]、[[藤原純友]]は京で[[晒し首]]とされている。</ref>
 
近年ではイスラム教徒によるテロが相次いだことを背景として、「死刑復活論」という新たな運動がある<ref>[https://web.archive.org/web/20180716040050/http://www.millnm.net/cgi-bin/page.cgi?url=..%2Fqanda3%2F380lGlf5Trcys32352.htm&org=yes 死刑廃止国の国民の大半が死刑制度復活を期待している] 2018年7月16日閲覧</ref>。
[[中世]]は[[自力救済]]の時代であり、殺人に対しては、報復殺人のほか加害者代理人を殺害したり、加害者宅を破壊する場合や金品で代行する場合などさまざまであった。現代日本の死刑存廃論で引き合いに出される[[仇討ち]]は、[[近世]]で武士階級にのみ例外的に認められたもので、自力救済の名残といえる。
 
==日本における死刑==
[[江戸時代]]における死刑制度は、火付け([[放火]])は火あぶりの刑、10両(現代の価値に換算して150-200万円前後)以上の窃盗は死罪(「十両盗めば首が飛ぶ」)となっていた。また奉公人による主人の傷害も死罪になっていたことから犯罪抑止効果よりも、むしろ見せしめのための厳罰という政策が見て取れると同時に、刑罰の威嚇により幕府の権威を高めようとする目的があった。刑場までの道行きには、下層刑務官僚に幟や刑具を持たせて仰々しく行進させ、莫大な経費を要したという。
=== 日本における死刑廃止論 ===
以下の項目は、日本における死刑制度廃止派による主な廃止論である。
 
* 人権の更なる尊重を推奨すべきという観点からの廃止論
8代将軍[[徳川吉宗]]の治世に[[大岡忠相]]が編纂した法典『[[公事方御定書]]』によって死刑の種類は火刑、獄門、死罪、切腹などに限定され、残虐なやり方による死刑を制限する方向へとつながった。ただし公事方御定書は江戸町奉行のみが閲覧を許される秘法であったため、民衆に事前に刑罰の適用範囲を予告する[[罪刑法定主義]]による死刑が行われていたわけではない。そのため秘密主義による恐怖感を煽る効果が期待されていたといえる。
: 死刑制度は最高裁判決を鑑みても日本国内において最も人権を尊重していない刑罰であると言えるとし、近代社会において人権が、現状を超えて尊重されることは、その直接的な影響によって他者の人権が侵害される場合を除いては肯定・推奨されるとした上で、死刑の廃止が直接的な原因である具体的な人権侵害の危険性が確認できない以上、日本においては死刑廃止は推奨されるべきものである、という意見がある。
 
* 誤判可能性からの廃止論
なお、江戸時代の国家体制は[[幕藩体制]]であったため、地方では独自の刑罰が行われていた。たとえば[[金沢藩]]では腰斬と[[斬首]]を組み合わせた三段切りという処刑方法があった。 一方で[[尾張藩]]の[[徳川宗春]]の治世の間、尾張藩ではひとりの処刑者も出さないという当時としては斬新な政策も打ち出している。
: 現代の司法制度においては裁判官も人間であるという考え方である以上、常に誤判の可能性が存在し、生命を剥奪するという性質を持つ死刑においては、他の刑と比べ特に取り返しがつかないため、廃止すべきであるという意見がある。元最高裁判所判事の[[団藤重光]]は、自身が判決を下した死刑事件の事実認定において「一抹の不安(誤判可能性)」が拭い去ることができないという経験から、死刑の廃止を訴えている<ref>団藤重光『死刑廃止論』 有斐閣 2000年</ref>。また、実際に誤判の可能性が示されたのが、後述の1980年代における四大死刑冤罪事件([[免田事件]]、[[財田川事件]]、[[松山事件]]、[[島田事件]])である。
 
* 国際情勢からの廃止論
=== 明治維新以後 ===
: EU諸国欧州協議会や国連などは、死刑廃止を推奨・推進しており、死刑執行を継続している日本に対して非難決議も出されている以上、国家政策上不利益であるという点から廃止すべきであるという意見がある。
明治時代になっても明治政府初期は江戸時代の立法を準用していたため、引き続き江戸時代の刑罰が実施されていた。[[1870年]]に暫定刑法である新律綱領を定め、死刑を「斬罪」と「絞首」の2種類に限定した。この網領で刑法典の出版と頒布が初めて認められ、罪刑法定主義が一応担保された。[[1873年]]の改定律例では欧米の近代刑法の影響を受けて、刑罰を簡略化して残酷な刑を廃止した。フランス刑法典を基本に日本社会の特性を加味して[[1880年]]に制定された刑法(旧)は絞首のみに死刑執行方法が限定された。この刑法によって江戸時代と比較して死刑が適用される犯罪は大きく限定されることになった。また例外として大日本帝国の兵士に対して適用された陸海軍軍法([[陸軍刑法]]および[[海軍刑法]])は最高刑として[[銃殺刑]]による死刑が存在した。
: また、死刑制度の存在を理由に死刑廃止国から[[犯罪人引渡|逃亡犯罪人の引渡]]を拒絶されることがあり、日本が「[[犯罪人引渡条約]]」を締結する相手国が米国及び韓国の2カ国と極端に少ない理由のひとつともされている<ref>{{Cite news
| 和書
| author=
| title=犯罪人引き渡し条約、日本はなぜ米韓2カ国としか結んでいない?
| url=https://news.yahoo.co.jp/articles/60ed5d26593372a16015e8a188658cfc7a23277e
| date=2020-01-06
| newspaper=[[Yahoo!ニュース]]
| agency=[[THE PAGE]]
}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.tokyokyodo-law.com/%e3%81%aa%e3%81%9c%e3%80%81%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%af%e4%b8%96%e7%95%8c%e4%b8%ad%e3%81%a7%e4%ba%8c%e3%81%8b%e5%9b%bd%e3%81%a8%e3%81%97%e3%81%8b%e7%8a%af%e7%bd%aa%e4%ba%ba%e5%bc%95%e3%81%8d%e6%b8%a1/
|title=なぜ、日本は世界中で二か国としか犯罪人引き渡し条約が締結できないのか?
|accessdate= 2021-01-18
|author= 海渡雄一
|date= 2020-01-15
|publisher= 東京共同法律事務所}}</ref>。
 
* 国家による死刑乱用の可能性からの廃止論
近代日本において死刑制度廃止法案が帝国議会に提出されたのは[[1900年]]のことで、[[安藤亀太郎]]、[[高須賀穣]]、[[根本正]]らが共同提出した。これは当時欧州の死刑廃止論の影響を受けた[[小河滋二郎]]ら実務派が主張していたことが背景にあるが、大きな社会的潮流になることはなかった<ref>「明治・大正・昭和・平成 事件・犯罪大辞典」、[[東京法経学院|東京法経学院出版]]、2002年、312頁</ref>。
: 時の権力者の恣意により死刑が乱用され、国民の生命が脅かされる危険性がある。
:
 
* 犯罪誘発につながることからの廃止論
[[1908年]]には現行刑法が施行され、現在まで幾度かの改正が行われているが、基本的には現在と死刑が適用される犯罪は変わらない。しかしながら死刑適用犯罪として皇室に関する罪のうち、天皇及び皇族を殺害もしくは危害を加えようとする[[大逆罪]]は、生命を奪うまで至らず[[未遂]](予備も含む)であっても死刑のみが適用されていた。そのため[[幸徳事件]]では24名が、[[虎ノ門事件]]と[[桜田門事件]]では1名ずつ([[朴烈事件]]は死刑判決を受けたが[[恩赦]]された)が死刑になった。戦後になって[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]により国民主権の理念に反するとの判断から廃止された。以上のことから、死刑の適用事件は日本においても他の近代諸国と同様に大幅に限定されるようになってきているといえる。
 
  「死刑にしてほしいから犯罪をする」という者が相当数いるため、死刑があると逆に犯罪者が増える。
=== 第二次世界大戦以後 ===
*
[[1945年]]、日本は[[第二次世界大戦]]([[太平洋戦争]]もしくは[[大東亜戦争]]とも呼称)に敗北したため、[[連合国]]の占領政策のもと従来の法制度を民主的に改革することが求められた。刑事政策関係では従来の刑事訴訟法が比較的厳格な法手続きを尊重する[[英米法]]に倣ったものに改正されたが、死刑制度自体は存続していた。この時期には戦後の混乱期の凶悪犯罪の増加という背景もあり、死刑の宣告及び執行は多かったが、従来の自白偏重主義の捜査方法が行われていたため、後年問題となった冤罪事件が数多く生じていた。
:[[社会民主党 (日本 1996-)|社会民主党]]は、「死刑制度は『見直す』べき」という見解を提示している。「刑罰のあり方についてより国民的な議論を尽くし、その間は、死刑執行を停止すべき」という主張を公開している<ref>[http://www5.sdp.or.jp/comment/2014/06/26/3038/ 2014年6月26日発表声明「死刑執行に強く抗議する(談話)」]</ref>。
 
*
死刑制度であるが、[[日本国憲法]]施行後の[[1948年]][[3月12日]]に[[最高裁判所]]は死刑制度の存在と憲法の規定は矛盾したものではなく是認しているとの判決を出し死刑は合憲であるとした([[死刑制度合憲判決事件]]‎ <ref name="A">判決の要旨は以下の通り(最(大)判昭和23年(1948年)3月12日[[刑集]]2巻3号191頁)
:[[立憲民主党 (日本 2017)|立憲民主党]]は死刑制度への賛否を明確にしていないが、一部の議員が[[死刑廃止を推進する議員連盟]]に所属している。
; 事件
自分の母親と妹を殺害した罪で下級審において死刑判決を受けた被告人が、死刑は[[日本国憲法第36条]]によって禁じられている[[公務員]]による[[拷問]]や残虐刑の禁止に抵触しているとして[[上告]]。
; 判決
* 上告を棄却(死刑確定)
* 「死刑は合憲である」
* 「生命は尊貴である。一人の生命は、全地球より重い。…[[日本国憲法第13条]]においては、すべて国民は個人として尊重せられ、生命に対する国民の権利については、立法その他の国政の上で最大の尊重必要とする旨を規定している」で始まる。
* 「死刑は残虐でない」としているが、「ただ、死刑といえども、他の刑罰の場合におけると同様に、その執行の方法等がその時代と環境とにおいて人道上の見地から一般に残虐性を有すると認められる場合には、勿論これを残虐な刑罰といわねばならぬから、将来若し死刑について…残虐な執行方法を定める法律が制定されるとするならば、その法律こそは、まさに[[日本国憲法第36条]]に違反するものというべきである」として、残虐な執行方法については違憲としている。
</ref>)そのため、現在でも日本においては死刑制度存置の根拠のひとつとされている。なお死刑囚の恩赦であるが、現在ではまず行われないが、1952年のサンフランシスコ平和条約発効による恩赦では、殺人犯のみで死刑が確定していた者のうち13人が無期減刑されている。また個別恩赦で戦後11人が恩赦されているが、この中には戦時中に[[樺太]]で発生した強盗殺人事件の死刑囚のように、ソ連軍が樺太に侵攻したため裁判記録が事実上消滅し死刑起案書が作成できない為に減刑されたもの、[[少年法]]の改正(死刑にすることの出来る年齢が18歳以下に引き上げ)で犯行時17歳の死刑囚が無期減刑になった例がある。
 
=== 日本における死刑存置論 ===
戦後日本の国会で死刑廃止法案が提出されたのは[[1956年]]と[[1965年]]の2度あるが、いずれも成立することはなく現在に至っている。1956年の際には「刑法の一部を改正する法案」として[[羽仁五郎]]参議院銀らが中心となって提出されたもので、現職の刑務官や所長らの現場から死刑廃止が根強く主張された。それによれば、自ら犯した犯罪に対する贖罪への感情が生じている死刑囚を業務のためとはいえ殺したくないというものであった。たとえば[[読売新聞]]1956年4月13日付けの紙面には、当時の[[大阪拘置所]]所長で後に死刑廃止論者として有名になった[[玉井策郎]]によって、死刑の実態を告発する為に強盗の際に[[警察官]]を射殺した死刑囚の執行までの53時間を秘密録音した実況が一面で掲載された。それによれば、死刑囚の肉親との最期の面会、同囚との別れの茶会、そして死刑囚最期の言葉と辞世の句を残した後、死刑執行が行われた場面で終わるというものであった。また[[朝日新聞]]1965年1月16日の[[社説]]<ref>別冊宝島「いのいよは何か?」2008年、31頁より引用</ref>には「殺人が国家の名において許され、そして残されている場合がたった二つある。[[戦争]]と死刑である。(中略)極刑がなくなれば、だれでも用意に殺人のような罪を犯すであろうと見るのが普通の見解である。しかし、一段と深く考えたなら、いかなる権力も、いかなる理由も、人を殺してはならぬという制度が確立してはじめて、人の生命に手を触れてはならぬという信念が、全ての人の心に芽生えるのである」として、死刑制度廃止に賛成する主張を行っている。これに対し死刑存置論<ref>[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/024/0640/02405100640002c.html 第024回国会 法務委員会公聴会 第2号]</ref>からは、[[おせんころがし殺人事件]]などで8人を殺害して、別々の裁判で2度の死刑判決が確定した[[栗田源蔵]]を引き合いに出し『世の中には特殊な極悪人がおり、[[淘汰]]する以外にない犯罪者がいるのだ』<ref>村野薫『戦後死刑囚列伝』宝島社125頁</ref>として、社会防衛上必要であるとする死刑制度存置の理由として矛先に挙げられた。結局、この法案は廃案になった。
以下の項目は、日本における死刑制度存置派による存置論である。
 
* 社会契約説からの存置
次の1965年3月の時<ref>「明治・大正・昭和・平成 事件・犯罪大辞典」、[[東京法経学院|東京法経学院出版]]、2002年、311頁</ref>には、当時の[[日本社会党]]の参議院議員ら39名が提出した。この時期に提出されたのは西側欧州諸国で立法府による死刑廃止が検討されていたこともあるが、帝銀事件といった死刑囚の冤罪が疑われる事件が続出していたことが背景にある。また1968年4月に国会に連合国による占領時代に死刑判決を受けた未執行死刑囚を対象にした「死刑の確定判決を受けた者に対する再審の臨時特例に関する法律案」が提出された。この法案の主旨は前述のように冤罪の疑われた死刑囚に再審の途を彼らにその機会を与えるものであったが、この法案が成立することはなかった。ただし、何人かの死刑囚に対しては恩赦で無期懲役に減刑されたが、これは死刑廃止論の象徴となっていた戦後初めて死刑判決を受けていた女性死刑囚(子供を養うために僅かな金銭を強盗し放火殺人した事件、精神異常と[[結核]]が亢進し廃人状態だった)を恩赦する政治判断があったとの指摘もある<ref>佐久間哲、「死刑に処す-現代死刑囚ファイル-」、自由国民社、2005年</ref>。なお、死刑囚が無期懲役に減刑されたのは[[1975年]]6月(福岡事件の死刑囚1人)を最後に行われていない。
: 前述のように、啓蒙思想家のルソーやカントは社会契約説から死刑を肯定したとして、刑法学者の[[竹田直平]]は「人間は本来利己的恣意的な行動を為す傾向を有するので、他人からの不侵害の約束と、その約束の遵守を有効に担保する方法とが提供されない限り、何人も自己の生命や自由、幸福の安全を確保することができない」として社会契約の必要を説いた上で、生命を侵害しないという相互不可侵の約束を有効かつ正義にかなった方法で担保するには、違約者すなわち殺人者の生命を提供させる約束をさせることが有効であると主張し、死刑の存置を肯定した。なお前述の「死刑制度には『私はあなたを殺さないと約束する。もし、この約束に違反してあなたを殺すことがあれば、私自身の命を差し出す』という正義にかなった約束事がある。ところが、死刑を廃止しようとする人々は『私はあなたを殺さないと一応約束する。しかし、この約束に違反してあなたを殺すことがあっても、あなたたちは私を殺さないと約束せよ』と要求しているに等しい。これは実に理不尽である」という意見は、竹田が主張したものである。
 
* 民族的法律観念からの存置論
これら死刑制度廃止の動きに対して、法務省は[[総理府]](現在の[[内閣府]])が行った世論調査の結果、日本の国民世論が死刑制度存置論が多数であるとして、死刑制度を維持すべしであるとして現在に至るまで死刑制度を廃止すべきではないとの立場を取り続けている。
: 最高検察庁検察官検事を勤めた[[安平政吉]]は「社会秩序を維持する為には、悪質な殺人等を犯した犯罪者に対しては死刑しかなく他の刑罰は考えられず、それにより国民的道徳観も満足される」と主張した。
 
* 国家的秩序・人倫的維持論からの存置論
なお、1946年以降2007年3月までの死刑確定者(自殺・獄死・恩赦減刑を除く)は728人で、それまでに死刑に処せられた者は627人、この時点での未執行者は101人であった<ref>[[別冊宝島]]1419『死刑囚最後の1時間』宝島社 2007年</ref>。また戦後女性被告人に死刑が確定したものは9人(恩赦減刑1人、執行3人)であり、日本において死刑が適用される凶悪犯はほぼ男性であるといえる。
: 刑法学者で[[弁護士]]の[[小野清一郎]]は「死刑が正当なものであるかどうか、抽象的に論じがたい」として、抽象的に死刑を否定するのは浅見な人道主義的または個人主義的啓蒙思想に基づく主観的な見解であり、日本の政治思想は仁慈を旨としており国家的秩序と人倫的文化を維持するために絶対に必要な場合には死刑を廃止すべきであるとした上で、制度として維持する場合には適用を極度に慎重にしなければならないとし、死刑制度の存置を条件付で容認したものであるといえる{{Harv|三原|2008|Ref=MIHARA2008|p=44}}。
 
* 犯罪抑止論
== 日本における死刑制度に対する近年の動き ==
: 死刑存置論者である[[植松正]]は、死刑の威嚇力が社会秩序維持のために必要であると主張した。
{{law}}
日本の刑法では、[[内乱罪]]及び[[外患罪]]が存在し、最高刑は死刑であるが、政府や裁判所は適用に極端に消極的でもある。 しかし、政治犯以外での凶悪犯罪に対しては、日本の裁判所は近年積極的に死刑判決の判例を出し、処刑も速やかに実行されるようになってきている。[[日本国憲法]]における死刑の合憲性については、[[1948年]]の最高裁判決<ref name="A"/>において判断がなされており、「異常な方法」(例えば「釜茹で」)でなければ死刑も憲法違反に該当せず、許されるという。
 
* 特別予防論からの存置論
日本は、[[1989年]]の死刑廃止の任意条項にアメリカ(上段で述べたとおり一部の州では調印済み)、[[中国]]や[[イスラム]]諸国とともに調印しなかった。[[1994年]]には[[亀井静香]]議員を中心とする超党派の議員連盟「[[死刑廃止を推進する議員連盟]]」が発足し、日本における死刑廃止の動きは組織化されている。しかし現在でも各国任意の「死刑廃止条項」には批准していない。さらに、ここ数年、世論および法務当局が[[厳罰化]]推進の流れにあって死刑存続派が勢いを増しており、死刑判決及びその執行が増加傾向にある。この動きが顕著になったのはオウム真理教による事件以後、[[犯罪報道]]の過熱化により、一種の[[モラル・パニック]]が生じた事が背景にある。
: 目的刑論とは、「刑罰は犯罪を抑止する目的で設置される性格を持つ」とする理論であり、刑罰の威嚇効果によって犯罪抑止を図る一般予防論と、犯罪者に刑罰を科すことによって再犯を防止しようとする特別予防論に分かれる。後者の特別予防論によれば死刑制度は「大抵の犯罪者は教育・矯正をすることで再犯をある程度抑止することができる。しかし死刑が適用されるような凶悪犯は、矯正不可能であり社会秩序維持のために淘汰する必要がある。そのため社会から永久に隔絶することで再犯可能性を完全に根絶する手段として死刑は有用である」となる。そのため、再犯させない究極の手段として死刑は容認されるというものである。なお日本の死刑制度を合憲とした最高裁判例(最大判昭23・3・12)<ref>{{Cite book |和書 |author=岩波書店編集部 編|title=近代日本総合年表 第四版 |publisher=岩波書店 |year=2001-11-26 |page=364|isbn=4-00-022512-X}}</ref>は、この特別予防論を死刑制度の根拠としているが、永山事件判決は一般予防の見地からも罪刑均衡の見地からも止むを得ない場合に限り死刑適用が許されるとしており、以降の裁判例や検察官の論告でもこの表現が引用されることが多い。
 
* 被害者感情に応じる為に必要とする存置論
日本において死刑執行を最終判断するのは[[刑事訴訟法]]475条の定めにより[[法務大臣]]が指定されている。検事長が法務大臣に死刑執行に関する上申書を提出したうえで、法務省刑事局が、確定死刑囚について裁判に提出しなかった証拠記録を送付するよう命令したうえで死刑執行起案書を作成し、法務大臣に上申する。この法手続きは司法権が下した生命を奪う刑罰を適用する判断を行政権が再度チェックするために設けられたものである。そのため法務大臣の裁量権のなかに主観的判断が介在するといわれている。そのため[[中垣國男]]法務大臣のように在任中に33名の死刑執行命令を出したり、[[田中伊三次]]法務大臣のように記者の前で一度に23名の死刑執行命令書に署名するなど、死刑推進に熱心な大臣もいれば死刑執行命令に消極的な大臣も存在する。実際に苦悶しながら署名する法務大臣も少なくないが自己の信念で死刑執行を拒否した法務大臣もいる。
: 日本において、凶悪犯罪に対する世論の厳罰化傾向が強まった背景には、従来なおざりにされてきた犯罪被害者への関心が高まったことが一因とされ、遺族の応報感情を満たすことを目的として死刑存置論が主張されることがある。また死刑が執行されないと[[私刑]]<ref group="注釈">19世紀から20世紀のアメリカ合衆国では裁判で死刑にならなかったり、裁判を受ける前の殺人犯を連れ出して群衆がリンチ殺人をおこなう事例があったといわれている。</ref> が増加する危険性があるとした上で、被害者の遺族を納得させるためには必要悪であるという主張がある。また存置論者は廃止論者に対して自身が犯罪被害者になることを想定しているのかと指摘することがある(なお、1956年の[[銀座母娘殺し事件]]では廃止論者の弁護士[[磯部常治]]が妻子を殺害されてもなお死刑廃止の立場を変えなかった例があるが、岡村勲弁護士の事件に比べて、メディアなどでは取り上げられることはない)。
 
* 死刑廃止論は[[キリスト教]]的な倫理観から来るとの理論
戦後の[[1964年]]と[[1969年]]および[[1990年]]から[[1992年]]までは死刑執行が行われなかった。そのうち1964年は、当時の[[賀屋興宣]]法務大臣(在任[[1963年]]7月-[[1964年]]7月)は元[[A級戦犯]]であり、収容されていた[[巣鴨プリズン]]で[[東條英機]]らA級戦犯7名が絞首刑に処されるのを見送ったうえに最期の叫びも聞いたため心情的にできなかったという。後者の1969年は当時の[[赤間文三]]法務大臣が「勘弁してくれ。今度、俺にお迎えがきたらどうする」などと発言して署名を拒否した。
: 積極的に死刑廃止を働きかけている国は[[ヨーロッパ]]が中心であり、[[欧州連合|EU]]への加盟条件には死刑廃止もある。この根本的な思想は、キリスト教的な倫理観に由来しており、例として[[新約聖書]]においても、下記のような[[許し|赦し]]と[[報復|復讐]]を[[神]]に委ねることが美徳とされている。
: 「汝の敵を愛せよ」([[マタイによる福音書]] 5:44)
: 「右の頬を打たれたら左の頬も差し出せ」(マタイによる福音書 5:39)
: 「復讐するは我にあり、我これを報いん」([[ローマの信徒への手紙]] 12:19)
: そのため、国家が人間の命を奪う死刑制度は神の領域を侵す行為であり、許されるべきではないと考えるのが根底にある。
 
: 一方、日本を含む[[アジア]]圏は社会の[[社会秩序|秩序]]や調和を重視する文化が根付いており、例として、下記のような[[格言]]や[[故事 (先例)|故事]]がある。
1990年代初期の[[モラトリアム]](死刑執行一時停止)は[[長谷川信]]から[[梶山静六]]、[[左藤恵]]、[[田原隆]]と歴代の法相に引き継がれた。特に自分が[[浄土真宗]]の住職であるという信仰上の信念から、死刑執行命令書に署名しなかった左藤恵(在任[[1990年]]12月-[[1991年]]11月)の例がある。しかし1993年3月26日に三人の死刑が執行され、このモラトリアムは終わった。当時の[[警察官僚]]出身の[[後藤田正晴]]が「[[法]]秩序、[[国家]]の基本がゆらぐ」([[国会]]答弁)として再開させた。これは死刑執行が途絶えることで事実上死刑制度が廃止になることを危惧した法務官僚の意向があったともいわれている。
: 「一罰百戒」 → 一人を厳しく罰することで多くの者に戒めとする
: 「信賞必罰」 → 功績を挙げた者には賞を、罪を犯した者には罰を
: 「泣いて馬謖を斬る」 → 組織の規律を守るためには情を捨ててでも罰を下す
: これらの思想は、「応報」や「犯罪抑止」と親和性が高いため、アジア圏では死刑制度が維持されている国が多い。
: さらに日本には、かつて[[武士道]]の「[[切腹]]」という文化があり、これは自らの罪に対して命をもって償うことを名誉とする、応報思想の極致とも言えるもの。日本はアジア圏の中でも[[キリスト教徒]]の割合がさらに低い(1%未満)ため、キリスト教的な倫理観はほとんどの日本人には受け入れ難いとの考え方がある。
 
===冤罪事件===
近年では[[弁護士]]出身で[[真宗大谷派]]の信徒である[[杉浦正健]]法務大臣(在任[[2005年]]10月-[[2006年]]9月)が、就任直後の会見で「私の心や宗教観や哲学の問題として死刑執行書にはサインしない」と発言したものの、1時間後には記者会見を開いて撤回した。結局、杉浦法相は死刑執行することなく任期を終えたが、職務を執行しないのであれば法務大臣を受けるべきではないとの強い批判があり、以後の法務大臣任命に影響を与えた<ref>後藤田大臣以降、死刑執行命令書に署名しなかった法務大臣として[[高村正彦]]のほか任期が短すぎた法務大臣など数人いたが、杉浦大臣以降就任した法務大臣が例外なく署名しているため</ref>。
2009年現在では、法務省は冤罪の疑いがあり再審請求中の死刑囚については、死刑の執行は法務大臣の決裁が必要であること、および、冤罪で死刑を執行した場合は無期刑や有期刑を執行した場合と比較して、非難が大きいので、法務省として明示的に宣言はしていないが、現実の運用としては、死刑囚が再審で無罪判決を受けるか、または、死刑囚が天寿を全うして死ぬまで執行しない運用をしている。
 
1940年代後半から1960年代にかけて[[静岡県]]内では、再審で死刑判決が破棄された島田事件のほか、上級審で死刑破棄・無罪になった[[幸浦事件]]や[[二俣事件]]といった冤罪事件が多発した。ほかにも現在も冤罪の可能性が指摘されている[[袴田事件]]もすべて静岡県であり、全国的に見ても冤罪が多発している。この背景には[[静岡県警]]の[[紅林麻雄]]警部(1908年-1963年、本人は発覚直後に病死したため県警本部長表彰はされたが、刑事責任には問われていない)が拷問による尋問、自白の強要によって得られた供述調書の作成によって「事件解決」を図ったためであり、また「自白」に沿った証拠品の捏造まで行ったことが明らかになっている。この手法が同県警内部でこのような捜査手法がもてはやされ、他の警察署でも行われたのが冤罪多発の一因だといわれている。なお、強要により得られた自白は憲法38条2項及び刑事訴訟法319条1項により証拠能力が否定されるとはいえ密室での取調べにおける自白の強要を公判で明らかにすることは必ずしも容易ではなく、思い込みによる捜査ミスによる冤罪の発生は完全には否定できないといわれている。
杉浦の後任である[[長勢甚遠]]は、2006年[[12月25日]]に4人の執行書にサインした。「執行を1年でも途絶えさせてはならない」という法務省の強い意向が、異例の年末の執行になったとされる<ref>「&lt;死刑執行&gt;4人に 安倍政権で初 1年3カ月ぶり」 [[毎日新聞]]、[[2006年]][[12月26日]]。</ref>。
 
実際に21世紀に入っても死刑求刑にたいし証拠不十分で無罪になった[[佐賀女性7人連続殺人事件|北方事件]]や、死刑適用事件ではないが、被告人が抗弁をあきらめて有罪になりかかった[[宇和島事件]]や、捜査や裁判当時の科学鑑定の精度の低さにより真犯人と誤認され有罪判決を受けたが、服役中に科学鑑定の精度が向上し冤罪が判明した[[足利事件]]や、服役後に真犯人が判明した[[氷見事件]]が発生しており、科学的捜査手法が発達した現在も人が犯罪捜査を行う以上、このような冤罪事件は散発的に発生しており、冤罪による死刑執行あるいは獄中死の危険性は完全に否定できないといえる。ただし、関係者に面識がない場合の強姦殺人事件においてDNAの照合などは証拠として決定的であり、これによって無実が証明され釈放された例があるだけでなく、この証拠によって有罪が確定した場合の冤罪の可能性は極めて低い。
[[2007年]][[8月23日]]に、新たに東京拘置所の死刑囚2人と名古屋拘置所の死刑囚1人の合計3人に死刑が執行された。これにより、長勢甚遠法相の下では3回目で、8ヶ月の間に死刑執行が累計10人に達した。3年4ヶ月の中断を経て、後藤田正晴法相が1993年3月に再開以降の20人の法相の中で最も多い執行数である。次に就任した[[鳩山邦夫]]法相も同年12月に3人を執行したため、2007年に執行されたのは9人となり、1976年に12人が執行されて以来、この30年間でも最も多い数である。これにより、現在収容中の死刑囚は104人となり、執行再開以降の執行数は60人となった。
 
また冤罪ではないにしても裁判の事実認定に誤りがあったために、[[主犯]]が処刑を免れ従犯を処刑にした誤判は実際に存在する。[[1946年]]に[[奈良県]]内で発生した強盗殺人事件では「主犯」とされた者が処刑されたが、懲役刑で服役した「従犯」が[[1958年]]に実業家として成功していた本当の主犯を恐喝して逮捕されたために、ただの見張りを主犯にでっち上げていた真相が発覚した実例<ref>村野薫「戦後死刑囚列伝」宝島社刊、103頁</ref> などがあるという。[[古谷惣吉連続殺人事件]]では、最初の2件の強盗殺人では共犯を「主犯」と誤判して死刑が執行され、「従犯」と誤認した古谷が出所後に8人も殺害した事件があった。古谷がこの事件で逮捕起訴<ref group="注釈">これは古谷が偽名で他の刑務所に服役していたためである。なお、どのように抗弁したかは不明であるが、死人に口なしの幸いが自己の責任を軽くしたため、死刑相当の犯行であるにもかかわらず比較的軽微な刑事処分となっている。</ref> されたのは「主犯」処刑後であり、懲役10年の刑期出所後の一ヶ月で8人も殺害していた。そのため「主犯」と誤判された者の死刑が執行されずに本当の事実関係が明らかになっていれば、後の8人が殺害されることも防げたはずだと批判された。また1946年に発生した[[福岡事件]]では殺害された[[中国人]]被害者の関係者による傍聴人の存在が事実認定に影響を与え、犯行現場にいなかった第三者を主犯として処刑にしたとの批判も現在も根強くある。
=== 厳罰化傾向の強まり ===
現実問題として、冤罪(傷害致死だとして事実誤認を理由にする場合もある)の疑いがあるとして再審請求している死刑囚の死刑執行<ref group="注釈">明らかに死刑執行の引き伸ばしを図っている場合には、再審棄却直後ないし申請中に死刑執行が行われる場合も少なくはない。</ref> が避けられる傾向にある。
「犯罪被害者の権利確立」「被害回復制度の確立」「被害者の支援」を訴える[[全国犯罪被害者の会]]の活動や、[[光市母子殺害事件]]といったマスメディアを席巻した凶悪事件を契機として、[[犯罪被害者]]や家族ないし遺族への心理的ケアの問題が以前にもましてクローズアップされている。そのため世論の犯罪者に対する動向が[[厳罰化]]への傾向が強まっているとされている。特に1990年代の『失われた10年』の日本においてマスコミを席巻した凶悪事件が続発したため、死刑存置派が「被害者感情」を前面に主張したことも厳罰化の一因がある。
 
刑事訴訟法の475条は「確定から6カ月以内に法務大臣が死刑の執行を命令し」とあるため、死刑執行は死刑判決確定後6ヶ月以内に執り行わなければならないのに現実は違うとの批判もあるが、実際には法務当局が死刑執行命令の検討を慎重に行っている為であるとされる。また同法475条2項但し書に「上訴権回復若しくは再審の請求、非常上告又は恩赦の出願若しくは申出がされその手続が終了するまでの期間及び共同被告人であつた者に対する判決が確定するまでの期間は、これをその期間に算入しない」とあり、再審請求中もしくは恩赦出願中または共犯が逃亡中の死刑囚は、死刑執行までの半年間に算入しないとの規定があるため、執行が猶予される傾向にある。
刑罰自体も懲役刑の最高有期年数が20年から30年に引き上げられたほか、交通事故に対する刑罰の厳罰化が図られたが、従来よりも死刑ないし無期懲役の判決が宣告される刑事被告人も急増することになった。この傾向は近年顕著になっており、2006年に日本で言い渡された死刑判決は44件(控訴棄却[[決定]]により確定した[[麻原彰晃]]を含めると45件)と、裁判所別の統計があり、[[1979年]](昭和54年)以降では過去最多となった。死刑が確定した人数は20人(麻原を含めると21人)で、これも[[1964年]]以来42年ぶりに20人台となった。
 
2000年ごろまで原則的には死刑確定順に死刑が執行されていたが、組織犯罪では共犯者が逃亡中や未確定である事例([[連合赤軍事件]]・[[三菱重工爆破事件]])や冤罪を訴えて再審請求中の者、もしくは闘病中の者は除外され、事実関係に争いがなく死刑判決を受け入れ支援者もなく外部との連絡もない「模範死刑囚」が先に執行が行われているという指摘がある<ref>別冊宝島「死刑囚最後の1時間」8頁</ref>。東京拘置所の収監されていた死刑囚(2008年獄死)の著書<ref>澤地和夫 『東京拘置所 死刑囚物語―獄中20年と死刑囚の仲間たち』 彩流社、2006年</ref> によれば、1983年に[[練馬一家5人殺害事件]]で1996年11月に死刑が確定した死刑囚は、拘置所側から「自身のため」と説得され、支援者への面会を一切拒否するようになり、看守に対して丁寧かつ謙虚な態度で接していたという。早期の死刑執行を望んだためか、はたまた死刑回避を望んだためかは今となってはわからないが、確定5年後の2001年12月に死刑執行が行われた。なお、この著者は仲間と一緒に1984年に3人を残虐な手口で殺害した元[[警察官]]であり、1993年に上告を取り下げて死刑が確定したが、前述の練馬の元死刑囚よりも早く死刑が確定していながら、死刑執行されることなく<ref group="注釈">別冊宝島によれば、上告を取り下げて死刑を確定させたほうが結果的に死刑が先送りになるという法則を実践している向きがあるとしているほか、共犯も死刑判決を受けているため、2人同時の処刑が必要であるためとの指摘もある。</ref>、何冊かの著作物を出版しているほどである。そのため、法務省の次の死刑執行対象者の選定基準に公開されていない基準があると推測されている。死刑執行が行われない場合には事実上の仮釈放のない終身刑となり、服役中に獄死した死刑囚も多数存在する。
近年の[[犯罪白書]]や[[警察白書]]は「'''治安の悪化'''」という観点からまとめられることが多く、[[マスメディア]]においても、「外国人犯罪の急増」「少年犯罪の悪化」などといった「体感治安」を悪く感じさせる報道の仕方がされることもあるが、殺人等の凶悪事件の発生件数そのものは減少傾向にある<ref>平成18年度[[犯罪白書]]によれば、凶悪犯も含めた犯罪発生率は平成15年([[2003年]])をピークに下がり続けている[http://www.moj.go.jp/HOUSO/hakusho2.html 法務省『犯罪白書』各年]。</ref>。
 
なお、死刑執行後に冤罪が明らかになった場合、[[刑事補償法]]第3条第3項は被執行者遺族に対して3,000万円以内の補償を行うと規定しており、さらに本人の死亡で財産上の損失が生じた場合と認められる場合には「損失額+3,000万円」以内の額とされているが、この金額は犯罪被害者遺族に支払われる金額と同じである。
「従来の量刑基準なら[[無期懲役]]だった事件でも、死刑が言い渡されるようになっており、厳罰化を求める世論の影響ではないか」との指摘がされている。「平成12年([[2000年]])の改正[[刑事訴訟法]]施行により、法廷で遺族の意見陳述が認められたことが大きいと思う。これまでも遺族感情に配慮しなかったわけではないが、やはり遺族の肉声での訴えは受ける印象がまったく違う」とコメントしている現役裁判官もいる<ref>「[http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/trial/33377/ 死刑宣告、過去最多45人 世論が厳罰化後押し]」 [[産経新聞]]2006年12月30日。</ref>。
 
== 死刑の是非に関する意見 ==
2009年から導入予定の[[裁判員制度]]では、日本が世界で唯一の参審制裁判で国民が死刑を選択できる国であるため、凶悪事件、特に死刑を適用できる事案に対する厳罰化感情が無視できない影響を与えるとの指摘がある。その一方で被害者感情に応える為とはいえ、近代刑罰がいさめる応報的な復讐を国家が率先して行うようになっているとの批判もまた存在する。
過去には[[法務省]]内でも死刑の存廃やあり方などを議論してきた経緯がある。[[1970年]][[2月3日]]には、[[法制審議会]]、刑事法特別部会が死刑の存続について審議をとりまとめ、死刑存続の結論を出した<ref>世界の流れに逆行 廃止論者、一様に失望『朝日新聞』1970年2月4日朝刊 12版 14面</ref>。また、2010年7月、日本の法務大臣の下に「死刑の在り方についての勉強会」[https://www.moj.go.jp/keiji1/keiji02_00005.html] が設けられ、2012年3月、その取りまとめ報告が公表された。当初は、死刑囚に死刑の執行をどのように知らせるか、また死刑の執行の情報をどこまで公開するかも議論される予定であったが、議論は尽くされたとする法務大臣[[小川敏夫]]によって勉強会は10回の会合をもって打ち切られた。<!--どの節に書くべきなのでしょうか [[日本における死刑]]?-->
 
==== 世論調査国連機関の勧告 ====
日本では、政府の総理府(現在の内閣府)が5年毎([[平成時代]]以前は不定期)に実施している世論調査において死刑制度に関する調査が行われている。以下は最新の調査結果である。
 
[[2008年]]5月には国際連合の[[国連人権理事会]]が日本の人権状況に対する定期審査を実施<ref>{{Cite news |url=http://www.nikkei.co.jp/news/main/20080510AT1G1000T10052008.html |title=国連人権理が初の対日審査、12カ国が死刑制度廃止など求める |newspaper=NIKKEI NET(日経ネット) |publisher=日本経済新聞社 |date=2008-05-10 |accessdate=2008-05-17 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20080511052350/http://www.nikkei.co.jp/news/main/20080510AT1G1000T10052008.html |archivedate=2008年5月11日}}</ref> したが、このなかで欧州を中心に12ヶ国が日本政府に対し、死刑執行停止や死刑制度の廃止などを求めた。
* 「死刑制度に関してこのような意見がありますが、あなたはどちらの意見に賛成ですか」([[2004年]]12月[[内閣府]]実施「[http://www8.cao.go.jp/survey/h16/h16-houseido/2-2.html 基本的法制度に関する世論調査]」から引用)
** (ア)どんな場合でも死刑は廃止すべきである‐6.0%
** (イ)場合によっては死刑もやむを得ない‐81.4%
** わからない・一概に言えない‐12.5%
 
これは前述のように国連総会で死刑執行の一時停止を加盟国に求める決議が採択されたにもかかわらず、日本で7人が死刑執行された状況を踏まえ、死刑制度廃止を訴える英仏などが説明を求めた。これに対し、日本代表は「国民世論の多数が極めて悪質な犯罪については死刑もやむを得ないと考えている」と指摘し、「国連総会決議の採択を受けて死刑執行の猶予、死刑の廃止を行うことは考えていない」との立場を表明した。人権理事会は日本に死刑制度の廃止を勧告する人権状況の改善を求めた審査報告をまとめている。
このように、司法当局は近年の世論調査では8割以上が死刑存置に賛成しているとしている。
 
また、国連の[[自由権規約人権委員会]]は、2008年10月30日に5回目となる対日審査・最終見解を公表した。その中で、国民世論の支持を死刑制度の存置の根拠としている点について「政府は国民に廃止が望ましいことを知らせるべきだ」と主張。さらに「世論調査に関係なく死刑制度の廃止を検討すべきだ」との改善勧告を行った<ref>「日本は死刑廃止検討を――国連人権委改めて勧告 慰安婦問題にも言及」『朝日新聞』2008年10月31日付夕刊、第3版、第2面。</ref>。
:この数字は[[1967年]]に行われた[http://www8.cao.go.jp/survey/s42/S42-06-42-04.html 昭和42年度世論調査「死刑に関する世論調査]」で死刑肯定意見が70.5%であったのと比べると増加している。なお、この世論調査は[[1956年]](死刑肯定意見65.0%)に初めて行われ、1967年、[[1975年]]、[[1980年]]、[[1989年]]、[[1994年]]、[[1999年]]、[[2004年]]に行われている。また世論調査の設問が毎回違う<ref>たとえば1989年は『最近凶悪事件が増えたと思いますか減ったと思いますか』と『死刑という刑罰をなくすと、悪質な犯罪が増えると思いますか、別に増えると思いますか』の後で『今の日本で、どんな場合でも死刑を廃止しようという意見にあなたは賛成ですか、反対ですか』という設問だった</ref>ため、恣意的な設問との指摘<ref>菊田幸一『Q&A 死刑問題の基礎知識』明石書店126頁より引用</ref>もある。実際にアンケートの取り方によっては、死刑に変わる適切な刑罰が存在すれば死刑は必要ないとする消極的賛成も相当いるとの主張もある。
 
=== 国際的人権団体の報告 ===
:また、研究者による法曹関係者へのアンケートでは、法学研究者や弁護士の過半数が死刑反対である一方で検察官や警察官は多数が死刑賛成である<ref>[[菊田幸一]] 『いま、なぜ死刑廃止か』 [[丸善]]、1994年12月。ISBN 4621051431</ref>など、法制度における立場の違いと見ることができる。ただし、検察官・刑事裁判担当の裁判官は職務上死刑を求刑・判決しなければならないため、必然的に死刑反対派は少なくなる。死刑に反対することを理由に検察官を止めて弁護士になった元検事<ref>前坂 俊之,橋本勝『死刑』現代書簡、1991年 p.62~63</ref>、死刑判決をしたくないという理由で民事裁判のみを希望する裁判官<ref>[[中平健吉]]「死刑制度」(神田健次『現代キリスト教倫理1 生と死』日本基督教団出版局、1999年)</ref>も存在する。
[[2009年]]9月、[[ロンドン]]に本部を置く国際的な人権団体[[アムネスティ・インターナショナル]]は、日本の死刑囚は独房に入れられ精神病に追いやられるような非人間的な扱いを受けており、そのために重い精神病を患った死刑囚に対して死刑執行を行うことは国際法に反していると批判している<ref>[https://edition.cnn.com/2009/WORLD/asiapcf/09/10/japan.executions/index.html CNN International Report: Death row inmates pushed to insanity in Japan]</ref>。日本で新政権を担うことになる民主党に、死刑囚を精神病に追い込むような、閉ざされた明かりも無い独房に閉じ込めることがないよう改善を求めている。[[2018年]][[7月6日]]には、[[オウム真理教]]の教祖[[麻原彰晃]]をはじめとするオウム元幹部13人への死刑執行を受けて「処刑は正義の実現にはなりえない。<ref>[https://web.archive.org/web/20180716084814/http://www.amnesty.or.jp/news/2018/0706_7491.html 正義に反するオウム事件7人の死刑執行] 2018年7月6日配信国際事務局発表ニュース 2018年7月16日閲覧</ref>」との声明を出した。
 
=== 世論調査 ===
:この世論調査の高い死刑存置支持率を理由として、司法当局は死刑執行のペースを以前より早めているとの指摘もある。実際に鳩山法務大臣は国連で死刑執行モラトリアムが可決された事に関係なく、2007年12月と2008年2月に、それぞれ3人ずつの死刑執行を行い、記者会見でその事実を公表するとともに死刑囚の犯した犯罪を厳しく指弾している<ref>中国新聞 2008年2月2日朝刊</ref>。
日本では、政府の総理府(現在の[[内閣府]])が5年毎([[平成時代]]以前は不定期)に実施している世論調査において死刑制度に関する調査が行われている。以下は2019年の調査結果である。
 
* 「死刑制度に関して、このような意見がありますが、あなたはどちらの意見に賛成ですか」([[2019年]]11月内閣府実施「[https://survey.gov-online.go.jp/r01/r01-houseido/3_chosahyo.html 基本的法制度に関する世論調査]」から引用)
:日本では死刑制度存置を強く主張する政治家は、検察官など法務官僚に一定の支持を得る必要がある現職の法務大臣以外は実はほとんどいないとの指摘がある。たとえば東京拘置所の処刑設備を見学した事のある国会議員の[[保坂展人]]が、[[インターネット]]放送局「[[ビデオニュース・ドットコム]]」で死刑制度に関する[[ディベート]]番組が制作されたが、保坂は死刑廃止論者として出演したが、死刑存置派の国会議員を放送局で探したところ誰も出演しなかったため、仕方なしに刑法学者が出演したという。そのため保坂は死刑推進派といえる国会議員は実際には存在せず『小選挙区制になったことから、多くの人の支持を得る為には死刑廃止とはいえない、俗論におもむっているだけである。そのため(欧州諸国とは違い世論を政治家が変えようというリーダーシップがないので)日本はみんな横並び意識が働いている』と主張<ref>[[別冊宝島]]1419『死刑囚最後の1時間』2007年、105頁</ref>しており、実際は死刑制度を存置するのは一般世論に迎合している政治家の不作為だとしている。
** (ア)死刑は廃止すべきである‐9.0%
** (イ)死刑もやむを得ない‐80.8%
** わからない・一概に言えない‐10.2%
このうち、「死刑もやむを得ない」と答えた者に「将来も死刑を廃止しない方がよいと思いますか、それとも、状況が変われば、将来的には、死刑を廃止してもよいと思いますか。」との設問を設け、以下の結果となった。
* (ア)将来も死刑を廃止しない‐54.4%
* (イ)状況が変われば、将来的には、死刑を廃止してもよい‐39.9%
全員に「もし、仮釈放のない「終身刑」が新たに導入されるならば、死刑を廃止する方がよいと思いますか、それとも、終身刑が導入されても、死刑を廃止しない方がよいと思いますか。」との質問を設け、以下の結果となった。
*「廃止しない方がよい」-52.0%
*「廃止する方がよい」-35.1%
*わからない・一概には言えない-12.8%
以上の結果から、[[法務省]]は世論調査では国民の8割以上が死刑存置に賛成していると主張している。過去には[[日本弁護士連合会|日弁連]]などが政府の世論調査には設問の表現に偏りがあり、死刑賛成に誘導されやすい世論調査と強く非難し、情報公開が進めば死刑存置に反対している国民が多く存在するはずであると主張していたが<ref>{{Cite news |url=http://www.asahi.com/national/intro/TKY201211270944.html |title=死刑容認85%って本当? 「設問に偏り」日弁連検証 |newspaper=朝日新聞デジタル |publisher=朝日新聞社 |date=2012-11-28}}{{リンク切れ|date=2017年10月}}</ref>、批判を受け設問を単純化した2014年からの調査でも日本国内の死刑容認論の根強さが浮き彫りになっている<ref name=sankei>「「死刑制度」容認80%超 否定派を大幅に上回る 内閣府世論調査」産経新聞 2015年1月24日</ref>。
 
以後、日弁連は「死刑廃止が必ずしも国民世論の少数になるとは限らない。」<ref>{{Cite web|和書|title=日本弁護士連合会:死刑制度の廃止を含む刑罰制度全体の改革を求める宣言 |url=https://www.nichibenren.or.jp/document/civil_liberties/year/2016/2016_3.html |website=日本弁護士連合会 |access-date=2022-10-22 |language=ja |date=2016-10-07}}</ref>と現状の世論については存置が多数派である事を程度認めてるが、他国では世論では死刑支持率が高いなか死刑を廃止したのだから日本も世論調査の結果は死刑存置の理由にはならないと主張している<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nichibenren.or.jp/library/ja/opinion/report/data/2013/request_130212.pdf |title=死刑制度の廃止について全社会的議論を開始し,死刑の執行を停止するとともに,死刑えん罪事件を未然に防ぐ措置を緊急に講じることを求める要請書 |access-date=2022-10-22 |publisher=日弁連 |date=2014-11-11 |pages=3}}</ref>。
==== 秘密主義 ====
:日本の法務省は刑務所などの刑事施設や刑罰の執行状況などの情報をなるべく公開していない。とりわけ死刑執行に関しては[[行刑密行主義|秘密主義(行刑密行主義)]]が貫かれてきた。特に死刑執行のに関しては、[[日本弁護士連合会]]がこの秘密主義を非難する声明を出し続けている。特に2006年末の執行では、欧州連合から死刑囚に執行の告知がないことが人権上問題があると強く批判された。また近年の死刑囚の待遇は面会交渉権を著しく制限するなど昭和時代中期と比較しても待遇が悪化しており、死に対する恐怖だけでなく拘禁作用によって精神に異常をきたす死刑囚が存在しており、いくら凶悪な犯罪者とはいっても人道とはかかわりがないということは問題ではないだろうかとの指摘<ref>別冊宝島「死刑囚最後の1時間」宝島社 105頁</ref>もあるが、死刑囚の待遇は公式には伝えられることはない。
 
=== 法曹関係者の意見 ===
:日本では、2007年まで法務当局が処刑の事実(執行者の氏名等)を公式に発表することがなく、死刑囚に対し処刑の日の朝まで告知しない秘密主義をとっている。このことに対する国際的批判も根強い。この方針に対し法務省は、事前に死刑執行日が判ると、本人の心情の安定が害されるほか、死刑執行反対の抗議行動が起きる問題があるからだという<ref>佐久間哲『現代死刑囚ファイル』自由国民社 26頁</ref>。ただし[[1970年代]]ごろまでは、一部の刑務所で死刑執行を前日に対象者に告知する事も行われていたようである。しかし1975年に[[福岡拘置所]]で死刑執行直前の死刑囚が[[カミソリ]][[自殺]]する事件があったため<ref>[[免田事件]]の元死刑囚が死刑執行日に自殺した死刑囚がいたことを証言している。</ref>、拘置所の責任を回避するため現在では死刑執行を知らせないのは死刑囚の精神の安定のための措置と主張される場合もある。しかし、毎朝いつくるか判らない死刑執行通達におびえた上に、そしてある朝突然に(朝食の後の午前9時だという<ref>アメリカ合衆国では原則として前日までに死刑執行が通知され、最後の食事は酒類以外の死刑囚の好きな料理が出される慣習があるという</ref>)死刑執行を告げ、家族や弁護人とも最期の別れをさせずに死刑を執行する慣習に対して、死刑賛成派でも日本の死刑執行の秘密主義に対しては批判的な見解も多い。
一般人に対する世論調査では死刑に対し支持する割合は高いが、刑事司法関係者を対象にした調査では法学研究者や弁護士の過半数が死刑反対である一方で検察官や警察官は多数が死刑賛成である<ref>[[菊田幸一]] 『いま、なぜ死刑廃止か』 [[丸善雄松堂|丸善]]、1994年12月。ISBN 4621051431</ref> という。これは弁護士が犯罪加害者を擁護する職種であるにたいして警官や検察官は犯罪加害者を追求および糾弾する立場にあるとともに、弁護側と違い被害者遺族の立場を取ることを考えれば当然である。法学者の場合には死刑が根本的には人権の侵害であるという事実があるため死刑反対派となる傾向が高いが、無論、法学者のなかにも死刑制度を存置すべきだと主張する者も少なくない。また死刑に反対することを理由に検察官を止めて弁護士になった元検事<ref>前坂 俊之,橋本勝『死刑』現代書簡、1991年 p.62~63</ref>、死刑判決をしたくないという理由で民事裁判のみを希望する裁判官<ref>[[中平健吉]]「死刑制度」(神田健次『現代キリスト教倫理1 生と死』日本基督教団出版局、1999年)</ref> も存在する。その一方で死刑囚処遇を担当していた刑務官の中には死刑制度に疑問を呈している者も少なくない<ref group="注釈">別冊宝島「いのちとは何か?」のなかで、元刑務官で著述業の阪本敏夫は、死刑囚との交流体験を述べた上で、近年になって法務大臣が死刑執行の自動化や死刑執行の秘密裏に行われている現状から、いのちの重みが軽くなったとの感情であるとしている。</ref>。
 
=== 死刑存置論者の国会議員の意見 ===
:反対派は日本における最近の死刑執行は、ほぼ例外なく、国会閉会直後、年末<ref>21世紀には入ってから2001年に2名、2006年に3名が執行</ref>、閣僚の交代時期、重大ニュースの発生時期<ref>2002年9月18日に当時の[[小泉純一郎]]首相が[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]訪問した日に2名の死刑執行が行われたため</ref>など国民の関心が分散しやすい時期に、政府側が意図的に死刑の存廃が議論となることを避けて執行していると主張する。ただし近年は国会の開催中であっても、法務当局が『国民の死刑存置支持率』が高いとして死刑執行が行われるようになっている<ref>中国新聞 2008年2月2日朝刊</ref>。
日本の国会議員に死刑存置の立場の議連はないが、これは日本は制度として死刑制度が存置されており、現状維持すればいいため、あらたに運動すべき必要がないためである。なお、昭和時代に検討されていた改正刑法草案では死刑の適用される犯罪を現行刑法よりも狭めることになっていた。
{{節スタブ}}
 
=== 死刑廃止論者の国会議員の意見 ===
:賛成派は死刑執行の手順上、法務大臣の辞任直前に執行書に署名が行われることは手続き上の結果であり、死刑執行日の多くが[[木曜日]]ないし[[金曜日]]に行われるのは、刑場の準備に時間がかかるためであると主張している。実際に死刑執行命令書が法務大臣から通達されるのは処刑5日前(例外もあるとみられる)とされ、その間に処刑設備の調整に時間が掛かるためである。なお[[刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律|法律]]上は[[元旦]]と[[大晦日]]、大祭祝日は死刑の執行は行えないと規定されているほか、[[土曜日]]と[[日曜日]]の執行も以前から行われていない。
[[1994年]]に少人数ではあるが超党派の[[議員連盟]]「[[死刑廃止を推進する議員連盟]]」(現在の会長は[[亀井静香]])が発足し、日本における死刑廃止運動は組織化された。しかし日本の政党で死刑制度廃止を公言しているのは日本共産党だけである。その一方で死刑制度存置を強く主張する政治家は、検察官など法務官僚に一定の支持を得る必要がある現職の法務大臣以外は実はほとんどいないとの指摘がある。たとえば、[[インターネット]]放送局「[[ビデオニュース・ドットコム]]」で死刑制度に関する[[ディベート]]番組が制作された際、東京拘置所の処刑設備を見学したことのある[[保坂展人]](当時衆議院議員)が「死刑廃止論者」として出演したが、死刑存置派の国会議員を放送局で探したところ誰も出演しなかったため、やむなく刑法学者が出演したという。そのため保坂は死刑推進派といえる国会議員は実際には存在せず『小選挙区制になったことから、多くの人の支持を得る為には死刑廃止とはいえない、俗論におもねっているだけである。そのため(欧州諸国とは違い世論を政治家が変えようというリーダーシップがないので)日本はみんな横並び意識が働いている』と主張しており<ref>[[別冊宝島]]1419『死刑囚最後の1時間』2007年、105頁</ref>、実際は死刑制度を存置するのは一般世論に迎合している政治家の不作為だとしている。
 
=== 死刑廃止を主張している団体 ===
:司法当局は以前は『死刑囚の家族の心情に配慮する』ためとして、死刑執行の事実を公式に認めなかったため、白書による総数のみの発表であり、かつては報道機関が情報を摑めなかった為に死刑囚の命日すら不明のケースもあった。この秘密主義を改善するとして、[[1998年]]には当時の[[中村正三郎 (政治家)|中山正三郎]]法務大臣が『死刑の執行は裁判所の判決に基づいて'''法務省が行う行政行為だ'''。行政の情報公開を進める為にも、また、死刑制度を正しく議論する為にも、死刑の執行の有無については国民に知らせるべきだ』と延べ、同年11月以降はマスメディアに対し「本日、死刑確定者に対し死刑を執行した」と事実が公開(実名は公表されないが報道機関の取材で判明する)された。以後死刑執行の部分公表が慣例化された。
==== 国際機関 ====
* [[国際連合]]
* [[国際連合人権理事会]]
* [[欧州連合]]
* [[欧州評議会]]
==== 国内団体 ====
* [[死刑廃止を推進する議員連盟]]
* [[日本共産党]]
* [[社会民主党 (日本 1996-)|社会民主党]]
* [[日本弁護士連合会]](日弁連)
 
=== 死刑廃止関連の映画 ===
:特に死刑執行に熱心だった長勢法務大臣は、2007年8月には「国会閉幕中」「内閣改造前」「首相外遊中」という死刑反対派が指摘する執行条件が揃っていたため3名の死刑が執行された。また長勢は周囲に「任期中二桁を執行する」と漏らしており、法務省も「執行を増やすことが大切」という状況<ref>2007年8月23日朝日新聞夕刊</ref>だったといわれ、実際に任期1年未満で10人の死刑執行命令書に署名した事になり、その意味では公約は果たしていたといえる。次の鳩山邦夫法務大臣が2007年12月から誰に死刑を執行したかを実名で明らかにする事をはじめ、2008年2月には法務大臣自身の記者会見で死刑囚の罪を批判すると共に実名を公表したが、死刑囚に事前に死刑執行を伝えないことに対する批判についての改善が行われているかは不明である。
* 1958年、1959年、1994年、2008年『[[私は貝になりたい]]』
* 1968年 [[大島渚]]監督『[[絞死刑 (映画)|絞死刑]]』[[創造社]]作品
* 1995年 [[ティム・ロビンス]]監督『[[デッドマン・ウォーキング]]』([[ショーン・ペン]]、[[スーザン・サランドン]]主演)
* 1995年 『死刑囚2455号』 - アメリカの死刑廃止に拍車をかけた死刑囚[[カーライル・チェスマン]](Caryl Chessman)が書いた自伝の映画化。
* 1996年 [[ブルース・ベレスフォード]]監督『[[ラストダンス (映画)|ラストダンス]]』([[シャロン・ストーン]]主演)
* 1999年 [[フランク・ダラボン]]監督『[[グリーンマイル]]』([[トム・ハンクス]]、[[デヴィッド・モース]]主演)
* 1999年 [[クリント・イーストウッド]]監督・製作・主演『[[トゥルー・クライム (1999年の映画)|トゥルー・クライム]]』
* 2000年 [[ラース・フォン・トリアー]]監督・脚本『[[ダンサー・イン・ザ・ダーク]]』
* 2003年 [[アラン・パーカー]]監督・製作、[[ニコラス・ケイジ]]製作『[[ライフ・オブ・デビッド・ゲイル]]』([[ケビン・スペイシー]]、[[ケイト・ウィンスレット]]主演)
* 2006年 [[ソン・ヘソン]]監督『[[私たちの幸せな時間]]』([[カン・ドンウォン]]、[[イ・ナヨン]]主演)
 
==== 裁判員制度と死刑廃止関連の小説 ====
* 1829年 [[ヴィクトル・ユーゴー]]著 『[[死刑囚最後の日]]』
:[[2009年]]に始まる[[裁判員]]制度により、死刑判決の可能性のある事案を国民が裁判官とともに審理することになる。そのため死刑廃止に向けた活動を行っている団体などから、国民の間で[[死刑|死刑制度]]の存廃について議論がより深く広がることが期待されている。ただ、[[裁判員の参加する刑事裁判に関する法律|裁判員法]]第18条の規定<ref>裁判所がこの法律の定めるところにより不公平な裁判をするおそれがあると認めた者は、当該事件について裁判員となることができない。 </ref>にもとづき、死刑の適用が問題となる事件においては死刑を前提とした量刑の判断について質問(具体的には死刑に対する考え方などにも)を行い、不公平な裁判をするおそれの有無を判断すると規定されたこと<ref>[http://www.courts.go.jp/saikosai/about/iinkai/keizikisoku/pdf/07_05_23_sankou_siryou_05.pdf 参考資料5 不公平な裁判をするおそれに関する質問の具体的イメージ] - [http://www.saibanin.courts.go.jp/topics/07_07_05_kisoku_kouhu.html 「裁判員の参加する刑事裁判に関する規則」の公布について(最高裁判所)]</ref>から、一方的な裁判員選定が行われる可能性がある。実際にアメリカでは陪審員の選考に際し検察・弁護側双方が恣意的な選定を行っていることが問題になっている。
* 1933年 [[エラリー・クイーン]]著 『[[Zの悲劇]]』
* 1974年 [[城山三郎]]著 『[[落日燃ゆ]]』
 
== 脚注 ==
:日本の裁判員制度では、裁判員として参加する国民が有罪か無罪かとともに量刑を多数決(9人中5人以上)で決定<ref>量刑決定は多数決によって行うが、職業裁判官1名の賛成が必ずなければならないとされる。そのため、市民裁判官全員が賛成しても職業裁判官一人が賛同しなければ、決定できないとされている</ref>。そのため、場合によっては国民が同じ国民に対して死刑を宣告する形式となる。そのため日本ように国民が裁判官として参加する[[参審制]]([[陪審制]]は無罪か有罪かを判断するもので、通常は量刑までを決定しない)を採用する国で死刑を宣告できるのは世界唯一(ほかの参審制導入国は欧州諸国の死刑廃止国のみ、死刑制度存置国では韓国で2008年に裁判員制度が始まったが死刑は凍結中)である。2審では従来どおりの職業裁判官による公判が行われるが、裁判が1審で確定した場合、一般国民が死刑を宣告したことになる。そのため一般国民が場合によっては「人殺し」になる危険性があり、死刑制度を廃止した上でなければ裁判員制度を導入すべきではないとの指摘が死刑廃止論者側<ref>週刊朝日 2007年12月26日号 団藤重光のインタビュー記事より</ref>から提示されている。
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=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
 
== 関連文献 ==
:2008年3月に「死刑廃止を推進する議員連盟」が、裁判員による死刑適用について「死刑という重い判断はより慎重に決定されるべきだ」として全員一致を条件とする裁判員法改正案を作成する方針を明らかにしている。これは導入される裁判員制度では原則多数決で量刑が決定するが、死刑判決たけは全員の賛同を必要とし、もし反対者がいれば仮釈放のない終身刑に自動的に可決するというものである<ref>毎日新聞 2008年3月5日朝刊</ref>。なお、余談であるが、アメリカ合衆国の陪審員制度も全員一致が評決の条件となっている場合が多い。
* [[正木亮]]『刑事政策汎論』増訂改版6版、有斐閣、1949年
* [[竹田直平]]『刑法と近代法秩序』成文堂、1988年 ISBN 4-7923-1139-X
* 植松正「死刑廃止論の感傷を嫌う」 『法律のひろば』43巻8号所収、ぎょうせい、1990年
* [[森毅]]、[[なだいなだ]]、[[内海愛子]]、[[吉田智弥]]『死刑の文化を問いなおす』 インパクト出版会、1994年、ISBN 4-7554-0036-8
* 重松一義『死刑制度必要論』 信山社、1995年、ISBN 4-88261-983-0
* [[呉智英]]『封建主義者かく語りき』 双葉社、1996年、ISBN 4-575-71077-6
* [[森下忠]]『刑事政策大綱』新版第2版、成文堂、1996年、ISBN 4-7923-1411-9
* 植松正『新刑法教室Ⅰ総論』 信山社、1999年、ISBN 4-7972-5085-2
* [[斉藤静敬]]『死刑再考論』新版、成文堂、1999年、ISBN 4-7923-1504-2
* [[宮崎哲弥]]編『人権を疑え』 洋泉社新書、2000年、ISBN 4-89691-494-5
* [[団藤重光]]『死刑廃止論』第6版、有斐閣、2000年、ISBN 4-641-04184-9
* {{Cite book|和書|last=中野|first=進|title=国際法上の死刑存置論|publisher=信山社|year=2001|isbn=4797239425|ref=NAKANO2001}}
* 竹内靖雄『法と正義の経済学』 新潮社、2002年、ISBN 4-10-603513-8
* 村野薫 編『明治・大正・昭和・平成 事件・犯罪大事典』 [[東京法経学院出版]]、2002年、ISBN 978-4808940034
* [[井上薫 (弁護士)|井上薫]]『死刑の理由』 [[新潮社]]、2003年、ISBN 4-10-117321-4
* {{Cite book|和書|authorlink=中嶋博行|last=中嶋|first=博行|title=罪と罰、だが償いはどこに?|publisher= 新潮社|year=2004|isbn=978-4-10-470301-2 |ref=NAKAJIMA2004}}
* [[菊田幸一]]『Q&A 死刑問題の基礎知識』 [[明石書店]]、2004年、ISBN 4-7503-1952-X
* [[佐久間哲]]『死刑に処す-現代死刑囚ファイル-』 [[自由国民社]]、2005年、ISBN 4-426-75215-9
* {{Cite book|和書|authorlink=スコット・トゥロー|last=スコット|first=トゥロー|title=極刑|publisher=岩波書店|year=2005|isbn=4000225456|ref=TUROW2005}}
* [[坂本敏夫]]『元刑務官が明かす死刑のすべて』 [[文藝春秋]]、2006年、ISBN 4167679876
* [[澤地和夫]] 『東京拘置所 死刑囚物語―獄中20年と死刑囚の仲間たち』 [[彩流社]]、2006年、ISBN 4-7791-1148-X
* [[団藤重光]]、[[伊東乾 (作曲家)|伊東乾]]『反骨のコツ』 [[朝日新聞社]]、2007年、ISBN 978-4-02-273169-2
* 本村洋・本村弥生『天国からのラブレター』 新潮社、2007年、ISBN 4-10-130551-X
* [[中嶋博行]]『この国が忘れていた正義』 文春新書、2007年、ISBN 978-4-16-660582-8
* [[藤本哲也]]『刑事政策概論』全訂第6版、青林書院、2008年、ISBN 978-4-417-01455-3
* [[別冊宝島]]『死刑囚最後の1時間』 宝島社、2008年、ISBN 978-4-7966-6520-9
* {{Cite book|和書|first=憲三|last=三原|authorlink=三原憲三|title=死刑存廃論の系譜|edition=6|publisher=成文堂|year=2008|isbn= 978-4-7923-1796-6|ref=MIHARA2008}}
* {{Cite book|和書|authorlink=森達也|last=森|first=達也|title=死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う|publisher= [[朝日出版社]]|year=2008|isbn=9784255004129|ref=MORI2008}}
* [[美達大和]]『死刑絶対肯定論』 新潮新書、2010年、ISBN 978-4-10-610373-5
* 藤井誠二 『殺された側の論理―犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」』 講談社、2011年、ISBN 4062138611
* [[三原憲三]]『誤判と死刑廃止論』 成文堂、2011年、ISBN 978-4-7923-1905-2
* {{Cite book|和書|authorlink=イマヌエル・カント|author=イマヌエル・カント|title=[[人倫の形而上学]] |series=カント全集 第11巻|publisher=理想社|year=1956 |ref=KANT1956}}
 
== 関連項目 ==
==== 高齢死刑囚の処刑 ====
* [[冤罪]]
:日本では死刑を求刑出来る最低年齢は犯行時18歳とされているが、最高年齢については明文化はされていない。ただし、死刑は健康を害していない死刑囚のみに執行されると刑事訴訟法に規定されているため、高齢を要因として健康を害した死刑囚には死刑が執行されないのではないかとの指摘があった。実際に80歳以上で獄死した死刑囚も少なくはない。
* [[日本における死刑]] - [[死罪 (律令法)]]
 
* [[行刑密行主義]]
:戦後、最高齢での執行は70歳([[1985年]][[5月31日]]執行)であったが、2006年12月に77歳と75歳の死刑囚が死刑を執行された。このケースの75歳の死刑囚は、遺言で身体の衰えによって立つこともままならない状態であったと述べている<ref>『インパクション』156号</ref>。2007年12月にも73歳の死刑囚の死刑が執行された。今後は死刑確定から年数が経過している高齢死刑囚の執行が増える事が指摘されている。最高裁は[[2004年]][[11月19日]]に当時77歳の女性(保険金殺人)に死刑判決を下しているため、世界史上稀な80歳代で死刑が執行される可能性<ref>ギネスブックに82歳で処刑されたイギリスのケースが掲載されていた</ref>もあるといえる。
* [[国際人権規約]]
 
* [[冤罪事件]]
==== 国外逃亡犯と死刑 ====
* [[公開処刑]]
:日本で犯罪を犯した外国人犯罪者が死刑廃止国へ逃亡した場合、日本が死刑存置国であることを理由に犯罪者の引渡しが拒否される場合もある。
 
:日本国内で殺人を犯し、海外逃亡したイラン人が[[スウェーデン]]で拘束された事例では、両国間で犯罪者引渡条約がないため、日本側が任意の引渡しを要請したが、死刑にしない保障をしないかぎり応じないとされた。この事件では、過去の判例の上では量刑が死刑となるようなケースではなかった(喧嘩による偶発的な殺人で計画的な殺意はなかったという)が、裁判を行う前に死刑にならないことを保障することは不可能であったため、結局引き渡されず、スウェーデンにおいて[[代理処罰]]された。
 
:現在のところ、日本と逃亡犯罪者引渡し条約があるのはアメリカと韓国だけであるが、今後国際犯罪が増える場合、カナダのように死刑適用の可能性のある犯罪者の引渡しの拒否を明言している国に逃亡した場合、捜査の障害になる危惧もある。
 
==== 鳩山法務大臣の死刑制度への発言 ====
:2007年9月に[[鳩山邦夫]]法務大臣が、「法務大臣による署名」を廃止して'''死刑を自動化'''できないかと発言。法務大臣を死刑執行の責任から開放し、かつ刑執行の効率化を図り、未執行者が増加している現状に対応する事を意図して提言をおこなった。具体的には死刑執行決定権を法務大臣から剥奪し、司法当局が死刑執行者の決定を機械的(鳩山は'''乱数'''表と表現)に行い、主観的かつ恣意的な判断を介在させず、死刑囚個々の状況を考慮せずに行うできとのものであった。
 
:この発言に対し、死刑廃止を推進する議員連盟会長[[亀井静香]][[衆議院議員]]([[国民新党]])は強く批判した。<ref>[http://www.asahi.com/national/update/0925/TKY200709250116.html 「死刑執行、自動的に進むべき」 鳩山法相が提言]、[http://www.asahi.com/politics/update/0928/TKY200709280140.html 鳩山法相、亀井静香氏の批判に反論 死刑「自動化」提言]</ref>このなかで、亀井は「本当は死刑の執行命令をしたくないのが本音だろう」との主旨を発言している<ref>中国新聞 2007年9月23日</ref>。実兄の[[鳩山由紀夫]]は死刑制度の存置に理解を示しつつも「弟としてはある意味で多少軽率な発言だった」と話したという<ref>[http://www.people.ne.jp/2007/09/29/jp20070929_77537.html 人民日報日本語版2007年9月29日『鳩山兄も「軽率だった」死刑「自動化」、批判相次ぐ』]</ref>。また、死刑の自動化の弊害としてイギリスにおける死刑制度が廃止された理由は「刑執行後に絶対的冤罪が判明(エヴァンス事件)」であり、その制度の欠陥に気付いていなかったといえるまた死刑執行は「司法判断を受けての行政処分」というのが基本であり、法務大臣が事実上三権分立の統治機構を理解していなかっと指摘<ref>[http://www.geocities.jp/aphros67/050510.htm 死刑制度と鳩山法相]</ref> された。
 
:また現在の[[刑事訴訟法]]の基礎を構築した[[団藤重光]]元最高裁判事(死刑廃止論者でもある)は、大臣が開催した勉強会の中で、死刑執行を自動化するのは法手続きの厳格化を定めた刑事訴訟法の精神に反しており、法律学に対する不勉強が著しいと指摘<ref>週刊朝日 2007年12月26日号</ref>した。また団藤は「鳩山大臣は世界の大勢を知らなさすぎる」と批判<ref>週刊朝日 2007年12月26日号</ref>した。
 
:鳩山大臣は法務省内に死刑執行のあり方を検討する勉強会を発足させ、様々な方面で議論がなされている。たが、あくまで死刑制度の現状維持が基本路線となっている。また、それまで公式には全く行われてこなかった死刑囚に対する処遇に対する情報のうち、死刑の結果を実名とともに公式に発表する方針を打ち出し、2007年12月、2008年2月1日の死刑では実名報道をしているほか、2008年2月には死刑囚の病死の事実を公表している。
 
:2007年12月18日に[[国連総会]]において、死刑の執行停止を求める総会決議を採択したが、鳩山大臣は『世論には死刑制度や死刑執行にかなりの支持がある。国連の決議があっても我が国の死刑制度を拘束するものでは、まったくない』と発言したほか、決議前の18日の[[閣議]]後の記者会見では『'''死刑を存続するかしないかは内政の問題だ'''』という日本政府の立場を改めて強調した。ただし同総会では[[北朝鮮による日本人拉致問題]]等に対する「北朝鮮の人権状況を非難する決議」も採択しているため、同じ総会で採択された決議案に対し、日本が異なる対応をした事になった。そのため[[神奈川大学]][[法科大学院]]の阿部浩己教授(国際法)から『自国に有利な決議は最大限利用し、不利なら『意味がない』では説得力がない。日本は決議に反対することによってどんな社会を実現したいのかを主体的に示すべきだ』と批判された<ref>アサヒドットコム 2007年12月19日配信</ref>。
 
== 主な論点 ==
{{出典の明記|section=1}}
日本において死刑が適用される犯罪<ref>ほかにも[[内乱罪]]や[[外患誘致罪]]のように、たとえ人命が奪われていなくても、祖国に対する裏切り行為は死刑が適用('''後者は死刑のみ''')されるが、[[刑法]]制定以来適用例が存在しないため除外する</ref>は殺人ないし強盗致死など人命を奪った事件に対してである。そのため酷い手段で人命を奪った犯罪者に対する法的制裁として犯罪者も、その生命をもって償わせるべきか否かの論争である。
 
=== 論争相関図 ===
下記の表は[[正木亮]]の『刑事政策汎論』と、[[斉藤静敬]]の『新版死刑再考論』、[[藤本哲也]]の『刑事政策概論』で列挙されている双方の意見や書物や報道機関に掲載された意見をまとめると次のようになるといえる。
 
{| class="wikitable"
!width="18%"|論点
!width="40%"|死刑廃止論側の主張
!width="42%"|死刑存置論側の主張
|- style="vertical-align:top"
|'''誤判の可能性'''
|もし[[冤罪]]であった場合、懲役とは違い、一旦生命を失えば取り返しがつかない。財産や自由を失うことに比べて、命を失うことはそれ以上に取り返しがつかない。全部同じだと言うなら、殺人を特別に重く罰する理由がないことになる。
|誤判が起こりうるのは、なにも死刑について限ったことではなく司法制度全体の問題点である<ref>朝日新聞 2007年12月20日</ref>。長期間の懲役であっても、冤罪により失った人生は取り返しがつかない点で同じである。冤罪で一生を刑務所で過ごすのは死刑よりも惨いと論じることも出来る。希望がない終身刑受刑者の処遇は「終わり」のある死刑囚より難しい<ref>毎日新聞2007年12月20日社説</ref>。死刑を冤罪の可能性による廃止論を死刑だけに適用する論に整合性はない。
|- style="vertical-align:top"
|'''日本の世論の動向'''
|死刑を執行されるべき犯罪者の人権の問題もまた少数者として、命の問題を考慮すべきであり、多数者の意見を重視して少数者を抹殺するのは誤りである。
|数字に多少の変動があるが、死刑制度に対する世論調査では「存置」が常に多数意見<ref>朝日新聞 2007年12月20日</ref>である。そのため国民世論の多数が支持している以上、死刑制度は必要悪である。
|- style="vertical-align:top"
|'''世情への影響'''
|死刑は、人命を軽んじる風潮と人心の荒廃を招く。人が人を殺してはならないのは道徳の根本である。また、法律的にも人間の生命に対する冒涜である。凶悪犯といえども、その命を奪うことを法的に正当化することは出来ない。人心の荒廃によよって、凶悪事件が多発するようになるとすれば、本末転倒ではないだろうか。
|凶悪事件に対する死刑は、国家が生命権に対する冒涜をいかに真剣に捉えているかを示すものである。人が人を殺してはならないのは道徳の根本であり、凶悪犯罪に対して死刑を適用しないのは、この根本的道徳を軽んじるものである。死刑、懲役、罰金は法律的に合法な人権の侵害であり、死刑のみを否定するのは法的制度的観点を無視した感情論である。犯罪者の人権を侵害して罰するのは刑法の基本である。この基本原理を否定するということは、法の意義そのものの否定、ひいては社会秩序の崩壊、国民の平和的生存権の侵害を招く。法秩序の維持のために死刑は必要である。
|- style="vertical-align:top"
|'''犯罪被害者'''
|加害者の死刑を望まない被害者、被害者遺族の精神的負担が大きい。それに贖罪のために犯人を国家によって殺すことが、犯罪被害者及びその遺族にとって問題解決になるかどうか疑問といわざるを得ない。
|加害者の死刑を望む被害者、被害者遺族の精神的負担も大きい。凶悪犯罪の犠牲となった被害者の遺族からすれば、加害者が死をもって贖罪したことに満足するものである。また加害者が死刑にならないなら[[私刑]]が増える危険性がある。被害者の遺族を納得させるためには死刑は必要な制度である。
|- style="vertical-align:top"
|'''犯罪抑止力'''
|死刑は[[懲役]]と比較して有効な予防手段ではない。死刑の抑止効果が仮に存在するとしても、他の刑との抑止効果の差はさらに小さい。そのため、明確な抑止効果が証明されない以上、死刑にあると言われている犯罪抑止効果は科学的に怪しいものである。また死刑に相当する犯罪行為の目撃者を死刑逃れのため「口封じ」することさえある。
|終身刑や無期懲役にしても、「統計的」には明確な抑止効果は証明されていない。
死刑の抑止力を肯定する統計も存在する終身刑や無期懲役が死刑と同等の抑止効果を持つことが証明されない限り、死刑を廃止すべきではない。また死刑の存在が累犯を防止する役割を果たす場合もありえる。<!--←後述で同じ話がでているので、簡潔に変え、消しました!--個別の事件を見ると、[[闇の職業安定所]]で知り合った3人が女性一人を殺害した後にも犯行を続行しようとしたが、犯人のうち一人が死刑なることの恐怖から自首したという例もある。[http://www.j-cast.com/2007/10/04011961.html]-->
|- style="vertical-align:top"
|'''死刑制度の実効性'''
|人の生命を永久に奪い去る冷厳な死刑と無期懲役とでは、差があまりにも大きすぎる。挽回不可能刑である。もし誤判で無実の者が死刑が執行されたならば、これ以上残酷なことはない。犯罪抑止の手段として死刑の抑止効果だけが強調されるのも奇妙である<ref>毎日新聞2007年12月20日 社説</ref>。犯罪全般を減らすことに努めるのが先決だ。
|無期懲役の仮釈放は近年相当厳しくなっており、死刑との間に、問題にするほどの隔たりは生じていない。また、「仮釈放の可能性のない絶対的な終身刑」は、むしろ死刑より冷厳であり、世界的に見ても稀な刑罰であるから、そのような刑罰を新たに設けるべきではなく、死刑を廃止する根拠にはならない。
|- style="vertical-align:top"
|'''世界の大勢'''
|死刑は全世界で廃止の方向に向かっている。またEUは死刑存続国に対し価値観外交ともいえる政治的圧力を加えている。日本に対し欧州議会の欧州審議会議員会議が2001年6月25日に日本に対して死刑囚の待遇改善および適用改善を要求する1253決議を可決している。この決議では死刑の密行主義と過酷な拘禁状態が非難されている。また国連総会も死刑執行のモラトリアム決議(2007年12月18日)を可決している。死刑存置国への国際世論の風当たりは強まっている。
|死刑の復活および廃止は歴史上日本だけでなくほかの国でも起こっている。現時点の傾向が死刑廃止に向かっているという事実と死刑が正義であるかという問題は無関係。多数派が正しいとは限らない。死刑制度存続は日本国内問題であり国際世論の動向を理由にするのは「内政干渉」である。
|- style="vertical-align:top"
|'''憲法解釈'''
|死刑は、日本国憲法第36条の[[残虐な刑罰]]にあたり許されない。殺人に「残虐な殺人」と「人道的な殺人」とが存在するのだとすれば、かえって生命の尊厳を損ねる。時代に依存した相対的基準を導入して「残虐」を語るべきではない。そもそも「人道的な殺人」など有るものだろうか。
|日本国憲法第36条の[[残虐な刑罰]]とは火炙り、磔刑などを指し死刑はこれにあたらない。([[最高裁判所]][[大法廷]]昭和23年3月12日判決)としている。また自由権を拘束する懲役にも、長期の独房禁固などの残虐とされる懲役とそうでない懲役が存在する。よって、死刑・懲役そのものが存在するからといって、自由権や生命権の尊厳が損ねられるわけではない。「残虐」の相対的基準は、死刑と懲役の両方に導入すべきである。法において、刑が犯罪行為で無いのは自明の理であり、「人道的な死刑・懲役」と「残虐な殺人・禁固」などという相対比較は成り立たない。
|- style="vertical-align:top"
|'''判例'''
|死刑を合憲とした最高裁判決は敗戦後間もない1948年([[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]占領下にあり[[極東国際軍事裁判]]が行われていた)のものである。「残虐な執行方法」の概念は変わってゆく(絶対的ではない)ものであり、いわゆる[[死刑廃止条約]](国際人権B規約第2選択議定書)の発効により、世界的な状況は大きく変わっている。この判決をもって死刑が未来永劫まで合憲であり続けることはない。現代の感覚では法律に定められた行為とはいえ、人の命を奪うことを正当化出来るとは思えない。
|判決が述べている「法律が制定されるとするならば」「違反するものというべき」といった仮定に基づいて現行の死刑制度を不当なものであるとするのは誤りである。
|- style="vertical-align:top"
|'''社会契約論'''
|[[社会契約]]を認める立場は、国家は国民の生命を奪う権利を持たないとする。死刑は、国家権力が都合の悪い人間を不当に排除するのに都合のいいシステムであり、民主主義の精神、[[立憲主義]]の精神に反するシステムである。構造主義以降の思想家は概ね死刑に反対している。
|啓蒙時代の思想家のうち、民主主義による[[社会契約]]論と自然権を定義した[[ジョン・ロック]]などは、生命権と自由権を侵害する犯罪行為に対して懲役と死刑を主張している。『人を殺したる者はその生命を奪われるべし』は国民の法的核心である。独裁国家が弾圧の一環として行う政治犯などに対する死刑と、民主主義のもとで凶悪犯罪者に対して行われる死刑は全く別である。
|- style="vertical-align:top"
|'''人権'''
|人はすべで[[人権]]を持ち保障されている。国家は日本国憲法第11条でこの人権を保障しているにもかかわらず、国家による殺人である死刑制度は国家による人権侵害行為であり矛盾する。
|懲役は自由権の侵害、罰金は財産権の侵害であるが死刑反対派はこれも憲法違反であり廃止を主張するのであろうか。人権を守るために法の下に行われる懲罰(人権侵害行為)は死刑、懲役、罰金をふくめて憲法上問題なし。国連の人権宣言でも法の下に行われる懲罰を否定していない。生命権を守るための死刑は必要。さらに人権論の枠組みから外れるが殺人の報復を死刑で行うのは正義である。
|- style="vertical-align:top"
|'''犯罪者に対する効果'''
|死刑という刑罰は、犯罪を犯した容疑者が、「[[逃亡]]・[[自殺]]・[[再犯]]」を選択する要因につながる。
|それは死刑に限ったことではなく、どのような刑罰であっても起こりうる。法定刑に死刑が規定されていない犯罪を犯した容疑者が、「[[逃亡]]・[[自殺]]・[[再犯]]」を選択しているケースも現に存在している。<!--←自首は、「犯罪事実が捜査機関に判明する前」および「犯罪事実は判明しているが犯人が誰であるかは全く判明していない場合」に犯人が自らの犯罪事実を捜査機関に告げた場合にのみ成立するため、逃亡した「容疑者」に自首が成立することはない。また、自首は裁量的な減軽事由ではあるが、絶対的な減軽事由ではない。誤解のないようにとりあえず自首は消しました http://www.kensatsu.go.jp/oshirase/00111200607281/hourituyougonomametishiki.htm-->
|- style="vertical-align:top"
|'''死刑の適用目的'''
|死刑は貧困者に対して多く課せられることが多く身分刑的一面を有する。また少数者に対する差別である。
|反対論は死刑が個人の社会的地位に関わらず平等、公正に科されるべきであるという正論を詭弁に摩り替えている。
|- style="vertical-align:top"
|'''行刑設備の負担'''
|もはや生きる希望のない死刑囚を収容する独房の看守や死刑を執行する職員の精神的負担が大きい。また処刑場の維持管理に多額の経費がかかる。
|死刑を宣告されるような凶悪犯を収容している刑務所の職員の精神的負担も大きい。それに死刑は終身刑に比べ経費が安くすむ。
&nbsp;
|}
 
== 各論 ==
=== 犯罪抑止効果 ===
:死刑廃止論者は、死刑は[[懲役]]と比較して有効な予防手段ではないとしている。また死刑の抑止効果が仮に存在するとしても、その効果は憲法判断がされた当時(1948年)に予想されていたよりも小さいことが判明し、他の刑との抑止効果の差はさらに小さいため、将来にわたって確認・検出不能であると考えられるとして、明確な抑止効果が証明されない以上、重大な権利制限を行う生命刑が、現代的な憲法判断により承認されることはない。既に死刑を廃止したフランスでは死刑制度が存置されていた時代よりも「統計的に」凶悪犯罪が減少している。死刑にあると言われている犯罪抑止効果は科学的に怪しいものである。また死刑に相当する犯罪行為の目撃者を死刑逃れのため「口封じ」することさえあるとして、犯罪抑止効果に対する懐疑性を理由としている。
 
:それに対し、死刑存置論者は終身刑や無期懲役にしても「統計的」には明確な抑止効果は証明されていない。そのため死刑の抑止力を肯定する統計も存在する終身刑や無期懲役が死刑と同等の抑止効果を持つことが証明されない限り、死刑を廃止すべきではない。また個別の事件を見ると、[[闇の職業安定所]]で知り合った3人が女性一人を殺害した後にも犯行を続行しようとしたが、犯人のうち一人が死刑なることの恐怖から自首したという例もある。
 
:テキサス州知事時代に数多くの死刑執行命令書に署名した[[ジョージ・W・ブッシュ]]は、2000年に行われた大統領選挙公開討論会において「抑止効果こそが死刑の唯一の存在理由だ」と語った<ref>スコット・トゥロー 『極刑』岩波書店 2005年 ISBN4000225456 71頁</ref>。このような認識は少なからざる人々の間で語られるが、誤りである。死刑制度存続を必要とする理論的理由は後述のように複数存在している。また、これは終身刑(無期懲役)などの刑罰による相対的な犯罪抑止効果を示す統計も出ていないとの同様である。すなわち死刑と長期の懲役のうちどちらが犯罪を抑止する効果が優れているかどうかは検証できていない。
 
:死刑の犯罪抑止効果について、[[統計]]的に抑止効果があるとする[[論文]][http://links.jstor.org/sici?sici=0022-3808%28197708%2985%3A4%3C741%3ACPADSF%3E2.0.CO%3B2-O&size=LARGE&origin=JSTOR-enlargePage]は、いくつか発表されているが、その分析の正当性には大いに批判が存在し、[[全米科学アカデミー]]の審査によると「どの論文も死刑の犯罪抑止力の有効性を証明できる基準には遠く及ばない」ものである。<ref>Roger Hood“The death penalty, a worldwide perspective”3rd.ed Oxford university press, 2002p.209-231</ref>。たとえばニューヨーク州では急速に殺人発生率が低下したため、1995年に死刑制度が復活(2004年に再度廃止)したが、死刑復活後も低い状態が続けていたため、見方によっては死刑の抑止効果が働いたともいえるが、実際に効果があったかは実証できないとされる<ref>スコット・トゥロー 『極刑』岩波書店 2005年 ISBN4000225456 73頁</ref>。なお、ニューヨークでは2007年に過去半世紀で最も少ない殺人発生件数を記録<ref>朝日新聞 2007年12月27日 それでも件数がけして少なくない500件をきったという内容であった。</ref>したという。またアメリカ合衆国で最も死刑執行数の多いテキサス州は、殺人発生率が全米平均をはるかに上回っており、そのため社会学者の中には死刑制度の存在が実は殺人を鼓舞している現われとする残忍化(brutalization)効果と呼んでいるが<ref>スコット・トゥロー 『極刑』岩波書店 2005年 ISBN4000225456 72頁</ref>、これも前述の抑止効果があるか否かとの同様に実証されたものではない。廃止派団体である[[アムネスティ・インターナショナル]]はカナダなどにおける犯罪統計を根拠に「死刑廃止国における最近の犯罪件数は、死刑廃止が悪影響を持つということを示していない<ref>[http://homepage2.nifty.com/shihai/shiryou/facts&figures.html 死刑に関する事実と数字]</ref>」と主張している。これに対し「アムネスティの数値解釈は恣意的であり、公正にデータを読めばむしろ逆の結論が導ける」という反論が<ref>[http://www.geocities.jp/aphros67/090620.htm APHROS 死刑廃止と死刑存置の考察 世界各国の死刑存廃状況 カナダ]</ref>がある。しかしながら、いずれの議論も立証されていない理由は共通するといえる。
 
:死刑および終身刑にあたる凶悪犯罪が近代国家では少なくないため、統計で犯罪抑止力にいずれの刑罰が有効であるか否かの因果関係を明示することができないことから、統計的に結論が出るのは難しいのが現状である。
:また、日本では、「現時点では日本には終身刑はなく、無期懲役は10年を経過すれば仮釈放を許すことが可能であり、死刑との差が著しい」といった議論も行われているが、近時における運用を見てみると、基本的に最低20年以上の服役が仮釈放の条件であり、「矯正統計年報」によると2005年度の無期刑仮釈放者の平均在所年数は27年2月<ref>[http://www.geocities.jp/y_20_06/japanese_life-sentence00.html 無期刑仮釈放者および長期在所者等のデータ]</ref>となっており、仮釈放が刑自体の満了とはならない(原則として終生保護観察下に置かれる)ため、他国の終身刑と比べて日本では比較的重い運用が行われているとする主張もある。なお、2000年の時点で在所50年を超える無期懲役受刑者が2人いることが確認されている<ref>[http://www.geocities.jp/y_20_06/mukikei-over40.html 在所40年以上の無期刑受刑者のデータ(2000年8月1日時点)]</ref>。また死刑存置派が主張する「死刑が廃止されると凶悪犯罪者を放置することになり」との主張もあるが、死刑を免れ無期懲役になった犯罪者も再犯の危険度があれば収監されているといえるため、個々の犯罪者の処遇について充分考慮すればよいといえる。なお、現在の判例では殺人罪で無期懲役を宣告され、仮釈放後に再度殺人を犯したものは、犯行状況にかかわりなく原則的に死刑が宣告される。
 
:終身刑には、[[仮釈放]]の可能性がある「'''相対的終身刑'''」と仮釈放の可能性がない「'''絶対的終身刑'''」が存在し、日本では後者にあたる刑罰のみを終身刑と呼ぶのが普通である。そのため、諸外国における終身刑の多くが仮釈放の可能性がある相対的終身刑(日本の無期懲役に相当)であるにもかかわらず、それらを絶対的終身刑と誤解しているとの主張もある<ref>[http://www.geocities.jp/y_20_06/life-sentence1.html 世界の終身刑]</ref>。なお、日本の死刑廃止を主張する国会議員は死刑を一挙に廃止するのは現状では難しいとして「日本版終身刑」である絶対的終身刑の導入を主張<ref>亀井静香「死刑廃止論」花伝社 28頁</ref>している。ただし、法務当局は絶対的終身刑は「生きる」希望のない収監者を生み出すだけであるとして、そのような「厳罰化」は受け入れないとの姿勢であるいう<ref>中国新聞 2008年2月2日朝刊</ref>。
 
=== 犯罪者に対する効果 ===
:死刑制度があることで犯罪者が死刑を自覚することで、死刑適用犯罪の抑止に繋がるとの主張は根強いものがある。法の秩序維持のためには死刑の威嚇力はまだまだ有効であるという。日本の鳩山邦男法務大臣が2007年8月29日のNHKのインタビューで語ったところによれば「これはやっぱり犯罪の未然防止ですよ。ひっどい凶悪な事件を起こせば、自分の命が絶たれる、死刑というものがある、その死刑が執行される。ということがあるから思いとどまる。だから私は死刑は廃止してはならないし、死刑執行も停止してはならないと思います。それは安全な世の中を作る為の第一歩ですよ」として犯罪者に対する効果が期待できると主張していた。
 
:事実、個別の事件を見ると、[[闇の職業安定所]]で知り合った3人が女性一人を殺害した[[愛知女性拉致殺害事件]]の後にも犯行を続行しようとしたが、容疑者のうち一人が死刑への恐怖から[[自首]]したという例もある。[http://www.j-cast.com/2007/10/04011961.html]そのため、死刑制度の存在が新たな犯罪の発生と事件の解決に繋がるとの見方も当然できる。この自首制度に対し、一方ではたとえ凶悪な犯罪を犯したものであっても捜査機関に協力し「自首」が認定<ref>[[地下鉄サリン事件]]の実行犯及び首謀者の[[麻原彰晃]](本名:松本智津夫)は逃亡者2名を除く全員が死刑を求刑されたが、真実を明らかにするのに協力したとして[[林郁夫]]だけが無期懲役に減刑されている。</ref>されれば、減刑されるため一種の[[司法取引]]との批判もある。またアメリカ合衆国では死刑判決が確実な犯罪であっても、犯罪事実を認めれば司法取引によって「終身刑」に減刑される為、死刑制度の本来の主旨に反しているとの批判もある。
 
:この犯罪者に対する抑止力に有効との主張に対し、[[加賀乙彦|小木貞孝(作家・加賀乙彦の本名)]]は著書『死刑囚と無期囚の心理』のなかで、確定死刑囚44人を調査した結果、犯行前や犯行中に自分が犯している殺人行為によって死刑になるかどうかを考えたものは誰一人としていなかったという。また犯行後に死刑を回避するため目撃者さえ殺害したものまでいたため、無我夢中に殺人をしたものに対する犯罪抑止力は殆ど期待できないとしている。また、この抑止効果であるが自分自身の生命すら省みない自暴自棄な者や、殺人による快楽のみを追い求める自己中心的な[[連続殺人|シリアルキラー]]には抑止力が働かない可能性が高い。実際に後述のように自ら贖罪の為ではなく現世からの逃避のために死刑に自らなるもの少なからず存在する為である。
 
=== 犯罪被害者感情 ===
:前述のように凶悪犯罪に対する世論の厳罰化傾向が強まった背景には、従来なおざりにされてきた犯罪被害者への関心が高まったためでもある。遺族に対するケアに必要であるとして死刑制度を存続させる理由とされる場合がある。凶悪犯罪の犠牲となった被害者の遺族は、加害者が死をもって贖罪したことに満足するものであるとしている。また加害者が死刑にならないなら私刑<ref>19世紀から20世紀のアメリカ合衆国では裁判で死刑にならなかったり、裁判を受ける前の殺人犯を連れ出して群衆がリンチ殺人する事例があったといわれている</ref>が増える危険性がある。被害者の遺族を納得させるためには必要悪だと主張している。また死刑存置派からは「(大事な人を)殺されたら殺してやりたい」というのが「人の自然な感情」であり、家族を殺されたら犯人を死刑にしたいた思うのは自然な感情<ref>団藤重光、伊東乾「反骨のコツ」104頁、朝日新聞社、2007年</ref>であり、国家が遺族に成り代わって死刑にするとしている。また社会の応報感も凶悪犯が死刑になれば満足するものであり、必要であるとしている。
 
:一方、死刑廃止論者は殺人事件を引き起こした被告人のうち、死刑判決が確定する被告人が実際には少ないこと(日本国内では毎年1000人前後が殺害され800人前後が殺人罪で検挙されているが、年によって上下するが数十人程度しか死刑が確定しない)を挙げ、殺人被害者の遺族のうち実際に生命による加害者の贖罪を受けることの出来る者が少ないことをあげ、批判にしている。また死刑囚を遺族が赦した場合には、という問題もなきにしもあらず<ref>実際に1980年代に起きた保険金殺人事件では従犯も死刑になったが、遺族が従犯については死刑を執行しないようにと運動したが、結局主犯とともに死刑が執行された</ref>である。被害者遺族の中には、生きて償うことを望む者も少なからずいるため、全ての被害者が死刑を望んでいるとはいいきれないといえる。そのため被害者遺族全てが加害者に対し極刑を望んでいるとの、不正確な[[ステレオタイプ]]を死刑存置の根拠にしているとの批判もある。
 
:被害者感情を重視するあまり、被害者の数、被害の内容、被害者側の事情、その他の情状等の類似する事件であっても、被害者の処罰感情が相違することで、量刑が変わってしまうものであれば[[判例]]([[永山則夫連続射殺事件|永田判例]])に合わなくなりかえって法の不平等を招く危惧もある。実際にアメリカ合衆国連邦最高裁が「被害者感情は客観的に証明できるものではない、よって死刑の理由にするのは憲法違反」との判決を出している。
 
:[[マスメディア|マスコミ]]報道の中にも、殺人犯に死刑判決を出すのが正義だとする応報的論調の主張もあり、検察側が死刑を求刑した事に対し、[[裁判所]]が[[統合失調症]]の影響による[[心神耗弱]]を事実認定し無期懲役に減刑した[[滋賀県長浜市園児殺害事件]]の報道では、被告人が死刑にならなかった事に対し被害者遺族が無念であると報道した新聞社<ref>産経新聞 2007年10月17日朝刊</ref>もあった。そのため、マスコミが死刑を求める厳罰化を被害者に煽っている面も否定できないとの指摘もある。
 
:なお、犯罪被害者の[[本村洋]]は妻子を殺害した被告人に対し、たとえ罪を認めないまま死刑が執行されたとしても、被告人が生きていた価値すらなくなるとして、ただ死刑にすれば全てが解決するのではないとしており、「'''うそをついたままでの極刑は意味がない'''」と発言している、そのため被告人が真に事件と向き合い反省する手段としての死刑を求めているという<ref>中国新聞 2007年7月25日</ref>。
 
=== 死刑は応報刑か教育刑か ===
:刑罰は過去の犯罪行為に対する応報として犯人に苦痛を与えるために行うものとする[[応報刑論]]が唱えられていた。そのうちカントが唱えた絶対的応報刑論では刑罰は悪に対する悪反動であるため、犯した犯罪に相当する刑罰によって犯罪を相殺しなければならないとしていた。しかし近代になって残虐な刑罰が批判されてきたため、刑罰が応報であることを認めつつも、刑罰は同時に犯罪防止にとって必要かつ有効でなくてはならないとする考え方である相対的応報刑論が唱えられるようになった。
 
:近代では刑罰は犯罪を抑止する目的で設置される性格を持つという目的刑論が主張されるようになり、一般市民への犯罪抑止力等としての一般予防論と犯罪者の教育・更生・隔離の目的で犯罪者自身に刑罰を施す事で、犯罪者が再犯することを予防することができるとする特別予防論に分けられる。この刑論において死刑は犯罪者の命を奪う刑罰であるため更生を目的とした教育効果について考えることは意味はないため、死刑を適用された犯罪者は凶悪で矯正不能な者であり、永久に社会から「隔離」するための無力化効果のみを指すことになる。そのため、結果的には死刑囚が犯行を反省し、悔い改めても意味はないことになり、教育的効果は期待できないという反論もある。そのため、近代刑罰の主流となった教育刑とは異なり、死刑囚だけが原始時代から続く応報刑である処刑を受けることに対し批判がある。
 
:日本で、死刑を合憲とした[[死刑制度合憲判決事件|最高裁判例]]において、応報論ではなく威嚇効果と無力化効果(隔離効果)による予防説に基づいて合憲している。なお、予防説では死刑は一種の必要悪であるとして、犯罪に対する反省も無く改善不能で矯正も不可能な死刑囚は、社会防衛上死刑にしたほうがよいとの死刑存置派からの論拠があるという<ref><藤本哲也 『刑事政策概論』 青林書院 126頁 </ref>。実際に日本の検察側の死刑を求める求刑や裁判所の死刑判決に、死刑囚を『矯正不能な犯罪者』という表現が用いられる場合が少なくない。これに対しては[[優生学]]的観点による主張であるとして、邪論であるとの批判もある。
 
=== 冤罪もしくは誤判 ===
:日本において、死刑の次に重い罪が絶対的終身刑でなく相対的終身刑である理由は、冤罪を恐れてのことであるとの指摘もある。実際に死刑判決後に再審で無罪になった事件([[免田事件]]、[[松山事件]]、[[島田事件]]、[[財田川事件]])があったほか、[[帝銀事件]]や[[名張毒ぶどう酒事件]]、[[袴田事件]]などは現在でも死刑囚の冤罪が指摘されている。また[[藤本事件]]では死刑執行から40年以上経過した[[2005年]]になって国の検証会議が「到底、憲法の要求を満たした裁判であったとはいえまい」として不正裁判による誤判であったと指摘している<ref>[http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/kenkou/hansen/kanren/dl/4a16.pdf ハンセン病問題に関する検証会議 最終報告書・「藤本事件の真相」(PDF)]</ref>。
 
:死刑適用を忌諱する理由のひとつとして、捜査機関による違法捜査によって有罪で処刑された場合、たとえ冤罪が明らかになっても取り返しがつかないことも上げられている。1940年代後半から1960年代にかけて[[静岡県]]内では、再審で死刑判決が破棄された島田事件のほか、上級審で死刑破棄・無罪になった[[幸浦事件]]や[[小島事件]]、[[二俣事件]]といった冤罪事件が多発した。これは[[静岡県警]]のB警部(1908年-1963年、本人は発覚直後に病死したため県警本部長表彰はされたが、刑事責任には問われていない)が拷問による尋問、自白の強要によって得られた供述調書の作成によって「事件解決」を図ったためであり、また「自白」に沿った証拠品の捏造まで行ったことが明らかになっている。この手法が同県警内部でこのような捜査手法がもてはやされたのが冤罪多発の一因だといわれている。なお、現在ではこのような捜査手法は[[判例]]で[[違法収集証拠排除法則]]が確立しており、たとえ真相を把握できたとしても違法な捜査手法で獲得したならば証拠能力を認めないとされているが、捜査ミスによる冤罪の発生は完全には否定できないといわれている。
 
:また冤罪ではないにしても裁判の事実認定に誤りがあったために、[[主犯]]が処刑を免れ従犯を処刑にした誤判が実際にあった。[[1946年]]に[[奈良県]]内で発生した強盗殺人事件では「主犯」とされた者が処刑されたが、懲役刑で服役した「従犯」が[[1958年]]に実業家として成功していた本当の主犯を恐喝して逮捕されたために、ただの見張りを主犯にでっち上げていた真相が発覚した実例<ref>村野薫「戦後死刑囚列伝」宝島社刊、103頁</ref>などがあるという。[[古谷惣吉]]による一連の殺人事件では、最初の強盗殺人では共犯の見張り役を「主犯」と誤判して死刑が執行され、「従犯」と誤認した古谷が出所後に8人も殺害した事件があった。古谷がこの事件で逮捕起訴されたのは「主犯」処刑後であり、懲役10年の刑期出所後の一ヶ月で8人も殺害していた。そのため「主犯」と誤判された者の死刑が執行されずに本当の事実関係が明らかになっていれば、後の8人が殺害されることも防げたはずだと批判された。また1946年に発生した[[福岡事件]]では殺害された[[中国人]]被害者の関係者による傍聴人の存在が事実認定に影響を与え、犯行現場にいなかった第三者を主犯として処刑にしたとの批判も根強くある。
 
:死刑存置派は死刑に比べ軽い罰がふさわしい罪であるわけでもないのに冤罪回避のために死刑判決、執行できないということは事実上の刑罰の矮小化・減刑になるとしている。そのため冤罪の存在を死刑廃止の論拠にすることに反対している。それに対し、死刑廃止派の亀井静香は「0.01%の冤罪があったとしても、死刑は必要だというが、冤罪を被せられた人にとっては100%だ」と発言<ref>別冊宝島「死刑囚最後の1時間」105頁</ref>して批判しているという。
 
:現実問題として、前述の藤本事件で司法当局が死刑執行をした事に対し、当時の中垣國男法務大臣が[[中曽根康弘]]ら国会議員による助命運動や再審請願を完全に無視して処刑した事<ref>刑事訴訟法は再審請願中に死刑にしても違法ではないとしているが、慣習的に避けられるべきとされている</ref>に対し国会で責任を追及され弁明しなければならなかったこともあり、冤罪(傷害致死だとして事実誤認を理由にする場合もある)の疑いがあるとして再審請求している死刑囚の死刑執行<ref>明らかに死刑執行の引き伸ばしを図っている場合には、再審棄却直後ないし申請中に死刑執行が行われる場合も少なくはない</ref>が避けられる傾向にある。
 
:2000年ごろまで原則的には死刑確定順に死刑が執行されていたが、共犯者が逃亡中の死刑囚([[連合赤軍事件]]等)や冤罪を訴えて再審請求中の者、もしくは闘病中の者は除外され、事実関係に争いが無く死刑判決を受け入れ支援者もなく外部との連絡もない「模範死刑囚」が先に執行が行われているとい指摘がある<ref>別冊宝島「死刑囚最後の1時間」8頁</ref>。また死刑執行が行われない場合には事実上の仮釈放のない終身刑となり獄死する死刑囚もいる。
 
=== 残虐性の有無 ===
:死刑廃止派は、究極の[[身体刑]]である死刑が残虐な刑罰の禁止と矛盾すると主張する。死刑存置派は「火あぶり」、「磔」など苦痛を伴う残虐な方法による死刑のみが究極の身体刑であると主張する。また、苦痛を与えることを目的としない死刑は[[拷問]]に当たらないとされる。日本で行われている絞首刑では、実際に見学した人物の証言<ref>別冊宝島「死刑囚最後の1時間」11頁</ref>では、死刑囚の遺体から[[目]]と[[舌]]が飛び出しており、[[口]]や[[鼻]]から[[血液]]や[[吐瀉物]]が流れ出しており、下半身から[[排泄物]]が垂れ流しになっていたというが、実際のところ日本では死刑囚の遺体が公開されたことも無いので、本当のことはわからない。一方で1994年12月に死刑執行された元死刑囚の遺体を引き取った遺族が[[法医学]]教室の協力で検証した実例<ref>別冊宝島「死刑囚最後の1時間」11頁</ref>では、気道をロープで一気に塞がれたことにより、意識が消失して[[縊死]]した可能性が高いとされており、死刑囚は速やかに死出の旅路についたといえる。
 
:しかしながら、死刑存置国であるアメリカ合衆国では、日本で行われている[[絞首刑]]を死刑囚の首が執行の際に引きちぎれる危険があり非人道的であるとして、現在では完全に廃止されている。そのため「人道的執行方法」として[[電気椅子]]<ref>電気椅子も苦痛が伴い残虐であるとしてアメリカで2008年に憲法違反判決が出された為事実上全面廃止された</ref>や[[ガス室]]といった新たな処刑方法が追求されてきている。
 
:そのため日本でも絞首刑には短期間ながらもそれなりの苦痛が伴うとして、アメリカ合衆国で採用されている薬物などによる薬物注射による[[薬殺刑]]が適当な死刑執行方法であるとする主張<ref>[[東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件]]で死刑判決が確定した[[宮崎勤]]が『[[創_(雑誌)|創]]』に対して薬殺刑の導入を訴える投書をしている</ref>も存在する。ただし、その薬殺刑についても異常な刑罰との訴訟があり、現在アメリカ連邦最高裁が審議しており、2008年夏に判断が下される予定だという。
 
=== 人命の軽視・尊重 ===
:死刑制度の存在が、国民の一部の残虐的性質を有するものに対し、殺人を鼓舞する残忍化効果を与えているとの指摘や、自暴自棄になった者が死刑制度を悪用する[[拡大自殺]](extended suicide)に走るとの指摘もある。このような拡大自殺に走る者は少ないといわれるが、実際に[[2001年]]に発生した[[附属池田小事件]]の処刑された[[宅間守]]の最大の犯行動機が自殺願望であり、[[1974年]]に発生した[[ピアノ殺人事件]](近隣騒音殺人事件)では、犯人が自殺もしくは処刑による死を望んだ事があきらかになっている<ref>この死刑囚は[[ノイローゼ]]のため精神異常が亢進しているといわれ、死刑確定から30年以上経過した2008年現在、処刑されていない。</ref>。
 
:宅間について[[橋下徹]][[大阪府知事]]が刑事裁判中に「被告人を速やかに死刑にすべき」と主張する寄稿を週刊誌で発表したが、その後で死刑判決を望んでいた被告人から弁護人を通じ、早期の死刑実現に対する援助を依頼する手紙が届いた。そのため橋下は、被告人が遺族に謝罪するという条件付で了承する旨を返答したが、被告人からの返事の手紙には、人生に対する恨みや苦悩は書かれていたが、遺族への謝罪や反省のコメントは書かれていなかった。そのため被害者の生命すら軽視していたばかりか、死刑を望む事で自己の生命を軽視している事が明らかになった。
 
:このように、たとえ凶悪犯罪者といえども死刑を強く求める言論が、生命を軽視する風潮を巻き起こす事になり、よって逆に殺伐とした世情を煽る側面もあるのではないかとする懐疑的な主張がある一方、凶悪殺人に対する厳格な対処は人命の尊重につながるとの主張もある。また場合によっては生命を以って贖罪しなければならない犯罪ある以上、殺害された被害者及び被害者家族からすれば、死刑囚自らの生命を以って贖罪したことによって、ある程度慰められる一助となり、どうしても死刑制度は被害者感情からすれば必要悪であるし、むしろ死刑囚の生命の尊重にも繋がるとの意見もある。またアメリカ合衆国の元死刑囚[[ゲイリー・ギルモア]]のように、宅間と同じく『死刑囚の死ぬ権利』を求めた事例も少なくないため、死刑囚に残された最後の「権利」であるとの主張もある。ただし、このような死刑囚は改悛の情や贖罪の情といった自己の犯罪に対する反省の感情は見られないのはいうまでもない。また刑法学者([[植松正]]など)のなかには、大量殺人を含めいかなる罪を犯しかさねようと犯人の生命の法は絶対的に保障するのは妥当ではない。よって、そのような凶悪犯の死刑は生命を保証するわけにはいかないため、致し方ないという主張<ref>斉藤信治「刑法総論」41頁</ref>もある。
 
:他方、実際に死刑執行を行う刑務官からは、何年も顔をあわせてきた死刑囚に対し、合法的職務行為であるとはいえ殺人行為を行わなければならないことから死刑廃止を訴える声が多いとの指摘<ref>佐々木哲『現代死刑囚ファイル』自由国民社、24頁</ref>もある。そのため、現場の心理的ストレスも省みるべきであるという。
 
=== 世界の大勢 ===
:1990年代以降、国際社会では死刑制度の廃止に踏み切る国家が増大している。特に死刑の廃止を主張する欧州連合の影響国の強いヨーロッパでは、死刑存置国も死刑の執行停止をせざるを得なくなっており、唯一死刑の執行を続けていた[[ベラルーシ]]が「人権抑圧国<ref>実際に政治体制も政府批判を許さない強圧的なものであるとの指摘もある</ref>」として糾弾されている。また国際連合も死刑廃止条約を推進するなど、人権外交の一環として死刑制度に対する国際的圧力は増大している。そのため死刑廃止論者が死刑制度のモラトリアムないし廃止も検討すべきと主張している。
 
:それに対し死刑存置派は国内状況が死刑制度の廃止ができない状態であれば、維持すべきものであるとしている。また個々の国の刑事政策は国際社会の状況に左右されるべきではないとしている。例えば、戦力放棄規定や刑事手続についての詳細な規定が定められた[[日本国憲法]]のような憲法は、世界的には少数派であるが、アメリカ合衆国や[[中華人民共和国]]や[[イスラム教]]国などで、未だに維持され続けている。また国の規模も内部事情も異なる中で、単純に数だけを比較する意味は薄い。それに国連総会の死刑モラトリアム決議に対し日本の神余隆博大使が「国民の大半が死刑を支持しており制度廃止に踏み出すことは困難<ref>産経新聞 2007年12月17日</ref>」や「決議に賛成すると憲法違反になる」と表明<ref>毎日新聞 2007年12月20日朝刊</ref>しており、日本の内政問題であるから世界の大勢に従うべきでないとしている。
 
=== 犯罪組織対策 ===
:[[冷戦]]終結後、世界では国境を越えた多国籍の[[犯罪組織]]が急速に台頭してきており、一部の国、特にコロンビア・メキシコ・ロシア・イタリア・日本では政治・経済の最深部にまで浸透しており、政府関係者や企業への暗殺等、テロが頻発している。このような状況の国で死刑を廃止することは犯罪組織撲滅をあきらめるに等しい行為との指摘がある。
 
:犯罪組織は厳罰の国には上陸を避け、罰則の甘い国へと拠点を構える傾向が強い。近年原油高で好景気に沸くアラブ諸国に上陸する犯罪組織はほとんどなく、その理由は特に死刑適用が厳しいからであり、このことから犯罪組織に対して死刑は抑止効果があるとの指摘がある。実際にアラブ諸国には好景気にもかからわず、イタリアのマフィアや日本の暴力団、メキシコ・コロンビアの麻薬カルテルのような大規模な犯罪組織は存在しないことを、死刑制度の効果があるためだとしている。
:また死刑制度のない国が、死刑制度のある国に対し国際犯罪者の引渡しを拒否する事態も発生しており、その意味では犯罪対策に一部支障が生じているともいえる。
 
=== テロ組織対策 ===
:アラブ諸国には犯罪組織が少ない一方で、[[ファタハ]]や[[アルカイーダ]]のような国際テロ組織がネットワークを構築している上に、特に後者はアラブの死刑存置国であるサウジアラビアが発祥の地である。また同じく死刑存置国である[[スーダン]]では[[ダルフール]]でアラブ民兵組織[[ジャンジャウィード]]による住民虐殺が頻発しているにもかかわらず政府が黙認しているばかりか、支援すら行っているとされている。そのため『死刑存置国イコールテロ対策に熱心な国』という図式が成り立たなくなっている。そもそも自爆テロに見られるように自己の生命すら捨てる覚悟のテロリストには死刑制度の威嚇効力は全く意味が無いとの指摘もある。
 
:なおアメリカ合衆国政府は[[グァンタナモ米軍基地]]([[キューバ]])に[[対テロ戦争]]で拘束したイスラム過激派に対し死刑を求刑したが、同施設が[[戦時国際法]]の適用が必要な[[捕虜]]と犯罪者の区別を行わず、またアメリカ合衆国法で認められた[[権利章典]]を遵守せず被疑者に拷問を加えているとして国際的批判を受けている為、人道上問題であるとの指摘もある。
 
== 死刑存廃問題の関連項目 ==
* [[死刑]]
* [[無期刑]]
* [[終身刑]]
* [[目的刑論]]
* [[応報刑論]]
* [[人権問題]]
* [[処刑]]
* [[シティズ・フォー・ライフの日]]
* [[イスラム教における棄教]]([[シャリーア|イスラム法]]上は、棄教者は死刑)
* [[刑事訴訟法]]
* [[刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律]](死刑囚の取扱いも規定)
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* [[全国犯罪被害者の会]]
* [[死刑囚]]
* [[死刑執行人]]
* [[おせんころがし殺人事件]] 1950年代に死刑存置派から槍玉に挙げられた「矯正不能凶悪犯」の事例
* [[おせんころがし殺人事件]] - 1950年代に死刑存置派から槍玉に挙げられた「矯正不能凶悪犯」の事例
 
{{デフォルトソート:しけいそんはいもんたい}}
=== 日本で著名な死刑存置論者 ===
{{Normdaten}}
日本国内で、これまでに'''積極的に'''死刑に賛成する活動を行った、もしくは死刑制度の存続に'''積極的'''な発言ないし死刑執行命令書にサインを積極的に行った人物。内容については本文も参照のこと。
[[Category:死刑]]
 
* 学者:[[植松正]](法学者)、[[竹田直平]](法学者)
* 政治家:[[小林武治]]、[[稲葉修]]、[[後藤田正晴]]、[[長勢甚遠]]、[[鳩山邦夫]]など法務大臣経験者
* 弁護士:[[橋下徹]](現大阪府知事)
* 作家:[[藤井誠二]](少年犯罪被害を扱った作品の中で)
* 犯罪被害者遺族:[[本村洋]]
 
=== 日本で著名な死刑廃止論者 ===
日本国内の死刑廃止運動に、これまで'''積極的に'''参加・発言、あるいは死刑反対の立場から'''積極的な'''行動を行ったことのある人物の一覧(各項目内は五十音順)
* 政治家: [[江田五月]]、[[大島令子]]、[[亀井静香]]、[[左藤恵]]、[[志賀節]]、[[杉浦正健]]、[[竹村泰子]]、[[鈴木宗男]]、[[田英夫]]、[[ロベール・バダンテール]] ([[:fr:Robert Badinter|Robert Badinter]])、[[福島瑞穂]]、[[保坂展人]]、[[ジョージ・ライアン]] ([[:en:George H. Ryan|George H. Ryan]])
* 元裁判官: [[団藤重光]]、[[坂本武志]]
* 弁護士: [[秋田一恵]]、[[大谷恭子]]、[[海渡雄一]]、[[田鎖麻衣子]]、[[中道武美]]、[[安田好弘]]、[[野口善國]]、[[伊藤真]]、[[八尋光秀]]、[[正木亮]]
* 学者: 詳しくは[[死刑廃止を求める刑事法研究者のアピール]]参照。[[池田浩士]](ただし裁判官に対する死刑は留保)、[[奥平康弘]]、[[菊田幸一]]([[法学者]]・弁護士)、[[佐伯千仭]]、[[笹原恵]]、[[福田雅章]](法学者・弁護士)、[[前田朗]]、[[ホセ・ヨンパルト]](法哲学)、[[高橋哲哉]]、[[矢内原忠雄]](経済学、東京大学総長)
* 宗教家: [[ヘレン・プレジャン]]([[:en:Helen Prejean|Helen Prejean]])、[[カール・バルト]]、[[白柳誠一]](カトリック枢機卿)、[[古川龍樹]](生命山シュバイツアー寺)、廣瀬靜水([[大本]]総長)、西郊良光([[天台宗]]宗務総長)、熊谷宗惠([[真宗大谷派]]総長)
* 作家: [[大塚公子]]、[[加賀乙彦]]、[[アルベール・カミュ]]、[[坂本勉]]、[[島田荘司]]、<!---[[瀬戸内寂聴]]、(世論が死刑を支持する以上死刑は存続やむなしとも主張している)←ならば、入れないほうがいいのでは?--->[[立松和平]]、[[中山千夏]]、[[スコット・トゥロー]]、[[イーデス・ハンソン]]、[[辺見庸]]、[[道浦母都子]]、[[遠藤周作]]、[[森巣博]]、[[佐藤優 (外交官)|佐藤優]]
* ジャーナリスト・報道関係: [[鎌田慧]]、[[玉本英子]]
* 出版者: [[深田卓]]
* 映画監督: [[大島渚]]、[[山際永三]]、[[森達也]]
* 芸能関係: [[ピーター・バラカン]]
* 冤罪被害者: 免田栄([[免田事件]]被害者)、[[河野義行]](松本サリン事件被害者)
* 犯罪被害者: [[山口由美子]](西鉄バスジャック被害者)
* 元刑務官:[[戸谷喜一]]
* その他: [[菊池さよ子]]、[[三浦和義]](国家による殺人には反対とする)、[[鈴木邦男]]、[[三浦光世]]、[[柳下み咲]]([[アムネスティ・インターナショナル]])、[[岩瀬浩太]](アマチュア地震予知研究家)
 
=== 死刑廃止を論じている団体 ===
* [[アムネスティ・インターナショナル]]日本
* [[死刑廃止を推進する議員連盟]]
* [[日本弁護士連合会]](日弁連)
* [http://www.jca.apc.org/stop-shikei/profile.html 死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム'90]
* [[死刑廃止を求める刑事法研究者のアピール]]
* [http://www.jca.apc.org/~haikiren/index.html 死刑廃止キリスト者連絡会]
* [[カトリック中央協議会]]
* [http://www.kohara.ac/church/kyodan/ 日本キリスト教団社会委員会]
* [[日本キリスト教協議会]]
* [http://www.jccjp.com/index.html 日本カトリック正義と平和協議会]
* [[日本バプテスト連盟]]
* [http://homepage2.nifty.com/sobanokai/ 東京拘置所のそばで死刑について考える会]
* [http://www1.odn.ne.jp/~cam22440/ 東海アマチュア無線地震予知研究会]
 
== 参考文献 ==
* [[正木亮]]『刑事政策汎論』、
* [[斉藤静敬]]『新版死刑再考論』、
* [[藤本哲也]]『刑事政策概論』
* [[齋藤信治 (刑法学者)|斉藤信治]]『刑法総論』、
* [[別冊宝島]]『死刑囚最後の1時間』、
* [[立石二六]]『刑法概論』成文社 2004年
* [[スコット・トゥロー]] 『極刑』岩波書店 2005年 ISBN4000225456
* 「明治・大正・昭和・平成 事件・犯罪大辞典」、[[東京法経学院出版]]、2002年
* [[佐久間哲]]、「死刑に処す-現代死刑囚ファイル-」、[[自由国民社]]、2005年
* [[菊田幸一]] 『Q&A 死刑問題の基礎知識』[[明石書店]]
* [[団藤重光]]、[[伊東乾]]「反骨のコツ」、[[朝日新聞社]]、2007年
 
== 死刑廃止関連の映画 ==
* 1968年 [[大島渚]]監督『[[絞死刑 (映画)|絞死刑]]』[[創造社]]作品
* 1995年 [[ティム・ロビンス]]監督『[[デッドマン・ウォーキング]]』([[ショーン・ペン]]、[[スーザン・サランドン]]主演)
* 1996年 [[ブルース・ベレスフォード]]監督『[[ラスト・ダンス]]』([[シャロン・ストーン]]主演)
* 1999年 [[フランク・ダラボン]]監督『[[グリーンマイル]]』([[トム・ハンクス]]、[[デヴィッド・モース]]主演)
* 1999年 [[クリント・イーストウッド]]監督・製作・主演『[[トゥルー・クライム (1999年の映画)|トゥルー・クライム]]』
* 2000年 [[Lars von Trier]]監督・脚本『[[Dancer in the Dark]]』
* 2003年 [[アラン・パーカー]]監督・製作、[[ニコラス・ケイジ]]製作『[[ライフ・オブ・デビッド・ゲイル]]』([[ケビン・スペイシー]]、[[ケイト・ウィンスレット]]主演)
* 2006年 [[ソン・ヘソン]]監督『[[私たちの幸せな時間]]』([[カン・ドンウォン]]、[[イ・ナヨン]]主演)
 
== 死刑存置関連の作品 ==
* 藤井誠二 『殺された側の論理―犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」』 ISBN 4062138611
* [[平松伸二]] 『[[マーダーライセンス牙]]』 [[スーパージャンプ]]掲載
:日本で唯一「殺人許可証」を持つエージェントの暗躍を描く作品であるが、エピソードのひとつに、[[東アジア反日武装戦線事件]](実際のもの)を死刑廃止グループに偽装した[[テロリスト]]というプロットで描写し、死刑制度を擁護する主張を行ったため、強い抗議を受け単行本未収録になった。ただし、後に短編集「地上最強の男」に収録されている。
 
== 脚注 ==
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{{reflist|3}}
</div>
 
==外部リンク==
* [http://www.unic.or.jp/know/image04.htm 4. 国連は人権と正義のために何をしているか](国連広報センター)
* [http://www.deljpn.ec.europa.eu/union/showpage_jp_union.death_penalty.php EUと死刑](欧州連合)
* [http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kiyaku/2c_001.html 市民的及び政治的権利に関する国際規約(B規約)](外務省)
* [http://www8.cao.go.jp/survey/h16/h16-houseido/ 基本的法制度に関する世論調査](内閣府)
* [http://homepage2.nifty.com/shihai/ 死刑廃止info! アムネスティ死刑廃止ネットワークセンター]
* [http://kihachin.net/tips/badinter.html フランス国民議会における死刑廃止法案の審議議事録]
* [http://www.geocities.jp/aphros67/indexs.htm 死刑廃止と死刑存置の考察] 死刑廃止と死刑存置の考察webグループ(主張としては存置論だが多くの観点から公平に検討している)
* [http://homepage2.nifty.com/sobanokai/ 東京拘置所のそばで死刑について考える会(そばの会)]
* [http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Suzuran/7136/linker.html 刑部] 死刑制度に対する考察(個人サイト)
 
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