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[[Image:Darra j berlin retouched.jpg|thumb|200px|[[ダーラ・J]]のメンバー、ファーダ・フレディ(2005年)]]
*『[[:Category:ファッションの傾向を表す言葉]]』も参照。▼
'''ヒップホップ系ファッション'''(ヒップホップけいファッション)は、[[MC (ヒップホップ)|ラッパー]]や[[ディスクジョッキー|DJ]]、[[ラップ]]・ファンらが好む[[ファッション|服装]]や[[帽子]]、[[靴|シューズ]]、[[装身具|装飾品]]を指す[[ヒップホップ]]文化の一つである。
== 概要 ==▼
かつて「ヒップホップの4大要素」(ヒップホップの4大要素「ラップ、DJ、[[ブレイクダンス]]、[[グラフィティ]]」に[[アフリカ・バンバータ]]が加えた知識や、[[ヒューマンビートボックス|ビートボックス]])と同様、ファッションも若者にとっては重要だった。ボンバー・ジャケットやバック・ピースは当時、人気のファッションだった<ref name="kitwana198">{{cite book|last=Kitwana|first=Bakari|title=The Hip-Hop Generation: Young Blacks and the Crisis in African-American Culture|year=2005|publisher=Basic Civitas Books|___location=New York|isbn=978-0-465-02979-2 |page=198}}</ref><ref>{{Cite web|title=the evolution of the painted jacket|url=https://issuu.com/niklasworisch/docs/backpiece_jackets_web_final|access-date=2023-5-27|author=Niklas Worisch|archive-url=https://web.archive.org/web/20210803120826/https://issuu.com/niklasworisch/docs/backpiece_jackets_web_final|archive-date=2021-8-3}}</ref>。ヒップホップ系ファッションは、[[アメリカ合衆国]]の大都市である[[アメリカ東海岸|東海岸]]の[[ニューヨーク]]と[[アメリカ西海岸|西海岸]]の[[ロサンゼルス]]に住む[[アフリカ系アメリカ人]]の若者の生活に根付いたものであり、今日では世界中で目にすることのできる型が発信されている。ヒップホップ系ファッションは、ヒップホップ文化の表現と密接な関係にある。
1970年代から、ヒップホップ系ファッションは、大きな変化を遂げ、今日では世界中のあらゆる人々の大衆文化の重要な部分を占めるまでに至った。1980年代には、大きな[[サングラス]]、[[KANGOL]]の帽子、様々な[[指輪]]、巨大な「ドアノッカー」[[イヤリング]]([[ロクサーヌ・シャンテ]]や[[ソルティンペッパー]]などの女性ラッパーたちが愛用した)、[[スニーカー]] ([[アディダス]]社製、丸みを帯びた先端部、かなり太目の靴紐などが特徴)といったアイテムを、[[ランDMC]]やYOPPY、[[LLクールJ]]を筆頭とする当時の大物たちが好んで着用した。同時に、[[カーティス・ブロー]]や[[ビッグ・ダディー・ケーン]]などのMCたちによって、金のネックレスや他の宝石を身につけることも一般的となっていく。髪型の流行は、80年代前半には[[ジェリーカール]]、後半には[[ハイトップフェイド]]が主流を占めていた。さらに黒人の誇りを高めていく運動との関わりが大きい[[クイーン・ラティファ]]、KRS-ONE、[[パブリック・エネミー]]などの影響で、アフリカ的なチェーン、[[ドレッドロックス]]、赤・黒・緑の色使いの服装なども人気を集めていった。80年代のヒップホップ系ファッションは、[[オールドスクール・ヒップホップ]]の最も重要な要素の一角を占めていた。さらに現在でも、[[アフマッド]]の「バック・イン・ザ・デイ」(1994)や、[[ミッシー・エリオット]]の「バック・イン・ザ・デイ」(2002)などの懐旧曲を通じて、当時を知らない若者たちに伝えられている。この時代のファッションの潮流は、当時のヒップホップを席巻していた[[アフリカ中心主義]]的な音楽様式と合致するように、アフリカ大陸の伝統の影響を受けたものへと向かっていった。▼
▲ゴールドのチェーンはラッパーが最初に着用したわけではなく、1970年代
ヒップホップの音楽や文化が成長し進歩していくにつれ、そのファッションも変貌を遂げていった。[[フレッシュ・プリンス]]、[[キドゥン・プレイ]]、[[TLC (バンド)|TLCのレフトアイ]]などの人気ラッパーたちは、蛍光色などの非常に明るい色使いの服装や、野球帽などの普段着の活用などの流行を作り出した。他にも、一時期的な流行が、次々と生み出されていった時期であった。▼
▲ヒップホップの音楽
1990年代の中頃には、[[ギャングスタ・ラップ]]がヒップホップの中心的な存在となり、ヒップホップ系ファッションは、路上で暗躍するギャングや収監された犯罪者たちの格好から大きな影響を受けていく。これらは、極太のパンツや黒色の[[刺青]]など、現在のヒップホップ系ファッションにも通じるものも多く、この時期の西海岸における[[チカーノ]](メキシコ系アメリカ人)[[ギャング]]の文化から派生してきたものである。同時に、チカーノギャングに見られる[[ハンドサイン]]や地元/縄張り意識といった特徴も、西海岸に住むアフリカ系の若者たちに伝播し、すぐに全国的な普及を見せていった。彼(女)らは、[[ベルト (服飾)|ベルト]]を着用せずに極太のパンツをはくのを好んだが、これは服役囚が新しい制服を配給される前に、まずベルトを押収されたことに由来する文化であった。これに加え、西海岸では[[フランネル]]の上着、[[コンバース]]のチャックタイラー・[[コンバース・オールスター|オールスター]]などの人気が高まる一方で、東海岸では、[[パーカー]]、[[軍帽]]、[[フィールドジャケット]]、[[ハイテク]]ブランドのパラミリタリー・ブーツ、[[ティンバーランド]]のブーツなどが流行した。[[マスターP]]、[[オールド・ダーティ・バスタード]]などのラッパーに代表されるように80年代後半から90年代前半にかけて[[金歯]]の流行も沸き起こった。金歯と言っても、全部の歯の表面を金で覆うこともあれば、高価な金属や宝石を歯に永久的に固定することもあった。しかしいずれにせよ、ネックレスが首から引きちぎられたり、財布などがポケットからすられたりしてしまうのとは異なり、金歯は他人が奪われる危険を犯さずに、自己主張を行ったり、自分の地位をひけらかすことができる道具であった。またこの時期、[[ナイキ]]の[[エアフォース1]]や[[フィラ]]のスニーカーも、ヒップホップ系ファッションの重要な一部を占めるようになっていった。▼
▲1990年代の中頃には、[[ギャングスタ・ラップ]]がヒップホップの中心的な存在となり、ヒップホップ系ファッションは、路上で暗躍するギャングや収監された犯罪者たちの格好から大きな影響を受けていく。これらは、極太のパンツや黒色の[[刺青]]など、現在のヒップホップ系ファッションにも通じるものも多く、この時期の西海岸における[[チカーノ]](メキシコ系アメリカ人)[[ギャング]]の文化から派生してきたものである。同時に、チカーノギャングに見られる[[ハンドサイン]]や地元/縄張り意識といった特徴も、西海岸に住むアフリカ系の若者たちに伝播し、すぐに全国的な普及を見せていった。彼
90年代の中盤、[[1983年]]の[[スカーフェース]]のリメイク版に端を発し、[[マフィア]]的な要素がヒップホップの中で人気を集めるようになり、[[ノトーリアスBIG]]や[[ジェイZ]]に代表される[[フェドラ帽]]やワニの革靴の流行が始まる。但し、[[デトロイト]]などの中西部の一部では、このような格好は、常に服飾文化の中核であり続けてきていた。▼
金歯は他人に奪われる危険を冒さずに、自己主張を行うことができる道具であった。また[[ナイキ]]の[[エアマックス]]や[[フィラ]]のスニーカーも、ヒップホップ系ファッションの重要な一部を占めるようになっていった。
▲90年代の中盤、[[1983年]]の[[スカーフェイス (映画)|スカーフェイス]]のリメイク版に端を発し、[[マフィア]]的な要素がヒップホップの中で人気を集めるようになり、[[ノトーリアスBIG]]や[[ジェイZ]]に代表される[[フェドラ帽]]やワニの革靴の流行が始まる。
90年代の後半、ヒップホップが安定期・停滞期に入る中、ニューヨーク界隈では、輝くスーツを纏う男として知られた[[ショーン・コムズ]](現 ディディ)のビデオに登場した派手で光り輝く[[背広|スーツ]]や[[白金]]の宝石などは、ヒップホップの流行にもなった。コムズは、[[ショーン・ジョン]]という自身のクロージングブランドを立ち上げ、ヒップホップ系ファッションを表舞台に紹介すると同時に、巨大産業へと発展していく契機を作り出した。伝統的なアフリカ系アメリカ人的な髪型の復興の兆しも見られる。[[コーンロウ]]、[[アフロヘアー|アフロ]]、[[シーザーショートカット]]などが再び人気を集めるようになってきた。シザーズやコーンロウは、その髪型を維持するために、自宅にいるときや睡眠時には、頭全体を[[バンダナ]]やドゥラグと呼ばれるもので覆うことで維持される。このため、バンダナがヒップホップ系ファッションにおいて、流行するようになった。
ヒップホップ界で最も大きな人気を集める金属が金から白金に移り変わって以来、
また、[[カニエ・ウエスト]]のアートディレクターで[[オフホワイト (ファッションブランド)|オフホワイト]]のデザイナーである[[ヴァージル・アブロー]]が[[ルイ・ヴィトン]]のメンズデザイナーに就任するなど、ヒップホップ/ストリート感覚のファッションがいわゆる主流ファッションの世界でも注目され始めている<ref>アブローは41歳の若さで亡くなってしまった</ref>。大衆化したヒップホップの影響を強く受けたことで、ヒップホップ系ファッションは、[[カジュアル]]系ファッションとの境界が薄れ、より洗練されたものとなってきた。ヒップホップ系の服が一流のデザイナーによって作られることが多くなり、高価なものも登場してきている。
▲大衆化したヒップホップの影響を強く受けたことで、ヒップホップ系ファッションは、[[カジュアル]]系ファッションとの境界が薄れ、より洗練されたものとなってきた。ヒップホップ系の服が一流のデザイナーによって作られることが多くなり、高価なものも登場してきている。但し、現代でも男性ヒップホップ・ファッションの核となっているのは、[[腰パン]]、金や白金のチェーン、ブーツやスニーカー、バンダナやスカーフ(多くの場合、その上に野球帽をかぶる)などである。
今日、ヒップホップ系ファッションは、世界中でかなりの割合の若者たちに親しまれている。ヒップホップのアーティストやレコード会社の重役たちの中には、ブランドやクロージング・ラインを立ち上げる者も少なくない。[[ラッセルシモンズ]]が[[ファット・ファーム]]を、[[キモラ・リー・シモンズ]]が[[
<!--数多くの変化を背景に、ヒップホップ系ファッションは、普遍的なものとして受け入れられるようになってきた。
[[2007年]]6月[[ルイジアナ州]]デルキャンブレでは下着を見せるようなズボンの着用(腰パン)が条例で禁止されるなど、公共の風俗を乱す服装には否定的な世論が多い。また、ヒップホップ系ファッションでは、以前のようなオーバーサイズの服、とりわけ極端に太いパンツはあまり見られなくなった。細身のジーンズを腰で穿き、ハイカットのスニーカーやブーツを合わせるスタイルが主流となっており、カニエ・ウエスト<ref>トランプ支持、反ユダヤ発言、大統領選挙への泡沫候補としての出馬などで、人気は急落した</ref>や[[ファレル・ウィリアムス]]といったアーティストが人気を集めるようになって以来、彼らの身に纏う[[A BATHING APE]]のような色彩に富んだ服装が人気となった。
== 脚注 ==
{{Reflist}}
{{DEFAULTSORT:ひつふほつふふあつしよん}}▼
▲[[Category:ヒップホップ]]
[[Category:ヒップホップ用語]]▼
▲[[Category:ヒップホップ用語]]
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