「東京湾」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
|||
(100人を超える利用者による、間の305版が非表示) | |||
1行目:
{{Otheruses|
{{Infobox ocean
| name = 東京湾
| image = Tokyo L7 lrg.jpg
| image_size = 240
| caption = 東京湾の[[衛星画像]](2002年)<br />[[人工衛星]]「[[NASA Earth Observatory]]」による
| coords = {{coord|35|25|N|139|47|E|region:JP_type:waterbody|display =inline,title}}
| part_of = [[太平洋]]
| oceans =
| basin_countries = {{JPN}}
| cities =
| pushpin_map = Japan Kanto#Japan
| pushpin_map_caption =
| latd = 35 |latm = 25 |latNS = N
| longd = 139 |longm = 47 |longEW = E
}}
'''東京湾'''(とうきょうわん)は、[[日本]]の[[関東地方]]南部に
==
[[ファイル:tokyobay_area.png|thumb|left|200px|ピンクが狭義の東京湾で、「内湾」と呼ばれる。水色の範囲([[浦賀水道]])は「外湾」と呼ばれ、これを加えたものが広義の東京湾。]]
=== 狭義と広義 ===
[[現代 (時代区分)|現代]]の[[行政]]上、広義では、[[千葉県]][[館山市]]の[[洲埼灯台]]から[[神奈川県]][[三浦市]]の[[剱埼灯台|剣埼灯台]]まで引いた線および陸岸によって囲まれた海域を指す<ref name="EMECS closed-sea">{{Cite web |和書 |title=日本の閉鎖性海域 |url=http://www.emecs.or.jp/closedsea-jp/closedsea-jp.htm |publisher=国際エメックスセンター |date=2009-03-25 |access-date=2011-06-18 |archive-url=https://web.archive.org/web/20110901073410/http://www.emecs.or.jp/closedsea-jp/closedsea-jp.htm |archive-date=2011-09-01 |url-status=dead |url-status-date=2017-10}}</ref><ref>国際航海船舶及び国際港湾施設の保安の確保等に関する法律施行規則第3条第1号、船舶油濁損害賠償保障法施行規則第11条第1号、海上交通安全法施行令第1条、[[海洋汚染]]等及び海上災害の防止に関する法律施行規則第33条の6第2号(剱埼灯台は「剣埼灯台」表記)</ref>。
「東京湾」は狭義には三浦半島の[[観音崎 (神奈川県)|観音崎]]と房総半島の[[富津岬]]を結んだ線の北側(左図のピンクの範囲)、広義には三浦半島の[[剱崎]]と房総半島の[[洲崎 (千葉県)|洲崎]]を結んだ線より北側、すなわち浦賀水道(左図の水色の範囲)を含んだ海域を指す。ピンクの範囲、狭義の東京湾を「'''内湾'''」と呼び、水色の範囲すなわち浦賀水道を「'''外湾'''」と呼ぶことがある{{Sfn|国土交通省関東地方整備局|2006|p=5|loc=「... 内湾(観音崎~富津岬以北の海域)と外湾(湾口部)の二つの特性を有しており、...」}}<ref>{{Cite web |和書 |url=https://museum.suisan-shinkou.or.jp/guide/tokyo-bay-revenge/ |title=複雑な地形が生んだ天然のいけす |publisher=豊海おさかなミュージアム |access-date=2024-06-17}}</ref><ref>{{Cite web |和書 |url=https://www.ecochil.net/article/25647/ |title=東京湾の今を知り、生き物がたくさんすむ東京湾をもっときれいにしよう! |website=エコチル |access-date=2024-06-17}}</ref>。
狭義の東京湾を、[[気象庁]]の[[津波]]予報区でも「東京湾内湾」と呼ぶ<ref>{{Cite web |和書 |url=https://www.data.jma.go.jp/eqev/data/joho/t-yohokuinfo.html |title=津波予報区について - 津波予報区の配置図 |publisher=気象庁 |language=日本語 |accessdate=2023-11-16}}</ref><ref name="EMECS closed-sea" />。
狭義の東京湾の面積は{{Nowrap|922 [[平方キロメートル|km<sup>2</sup>]]}}。広義の面積は、{{Nowrap|1,320 km<sup>2</sup>}}である。
内湾は平均水深が約{{Nowrap|15 [[メートル|m]]}}{{Sfn|国土交通省関東地方整備局|2015|p=6|loc=「図2-2 東京湾の地形」の図中「内湾の平均水深:約15m」}}と水深が浅いが、外湾には急激に深くなる[[海底谷]]がある。
広義の東京湾の容積は約{{Nowrap|62.1 [[立方キロメートル|km<sup>3</sup>]]}}で、湾中央の狭くなった部分、すなわち[[横須賀市]]観音崎と[[富津市]]富津岬の間は、幅が約{{Nowrap|7 [[キロメートル|km]]}}しかないことで内湾と外湾では特性が異っており、特に内湾は外海との海水交換が制限された閉鎖性の強い海域となっている{{Sfn|国土交通省関東地方整備局|2015|p=5}}。
=== 海底地形、埋め立て、島 ===
{{CSS image crop
|Image = Izu Islands and Zenisu Ridge 500m mesh bathymetry.png
|bSize = 1120
|cWidth = 150
|cHeight = 200
|oTop = 0
|oLeft = 680
|Description = 海底地形図上の東京湾海底谷{{efn|[[海上保安庁]]・J-EGG500データ}}
}}
内湾部の水深は比較的浅く平均水深が約{{Nowrap|15 m}}で、富津岬沖には「[[海上交通安全法別表に掲げる航路#中ノ瀬航路|中ノ瀬]]」と呼ばれる台地が広がる。
元々遠浅で砂地の海岸が多かったため、江戸時代から現代にかけて、沿岸や浅瀬が相次ぎ埋め立てられた。
[[徳川家康]]が[[1590年]]([[天正]]18年)に入府した当時の[[江戸城]]は、東側は海に面し背後には荒地の[[武蔵野台地]]があり、要塞としては格好だったが武家屋敷や町民を収容する平坦地は欠如していたので、家康にとって住居地を確保する「まちづくり」と食の確保のための「航路の建設」を行うことは必須だったので、入府直後の[[1592年]]([[文禄]]元年)、築城工事に伴う堀の掘削土を使い江戸城東部に広がる[[日比谷入江]]の北部(現在の[[丸の内]]や[[八重洲]])を埋め立て、続いて[[1603年]]([[慶長]]8年)から江戸城北部の台地を切り崩した土砂などを使い日比谷入江の南部一帯(現在の[[日本橋 (東京都中央区)|日本橋]]・[[京橋 (東京都中央区)|京橋]]・[[新橋 (東京都港区)|新橋]]・[[築地]]付近)を埋め立てた。この埋め立て・造成工事により、江戸城周辺の街並みが次第に整備され、[[江戸幕府|幕府]]の礎も次第に堅固になってゆくことになった<ref>{{Cite journal |和書 |author=遠藤毅 |year=2004 |title=東京臨海部における埋立ての歴史 |journal=地学雑誌 |volume=113 |issue=4 |pages=534-535 |doi=10.5026/jgeography.113.4_534 |crid=1390282679207109120}}</ref>。
[[江戸]]の町の造成が進んだ1610年代から1620年代にかけて、[[江戸湊]]の埋め立ても進み、[[日本橋本町]]から東に[[日本橋小網町]]、[[霊岸島]]などが造成されていった<ref>{{Cite web |和書 |url=https://wanotashinami.org/blog/tsukudajima-3/ |title=佃島の歴史2〜「佃島」の誕生〜 |work=和のたしな美ぶろぐ, わが町佃島・月島 |publisher=一般社団法人和のたしな美塾 |access-date=2024-06-17}}</ref>{{信頼性要検証|date=2024年8月}}。[[明和]]年間(1764年 - 1771年)の江戸末期には[[中川]]河口の埋め立てが行われ、隅田川河口とほぼ東西に直線状となった。
[[埋立地]]を利用し[[港湾]]や[[商業施設]]が多数建造されてきた。[[#東京湾の港]]、[[#東京湾と経済]]
湾内には[[明治]]・[[大正]]期に造られた{{読み仮名|[[海堡]]|かいほ}}を始め、70を超える[[人工島]]もある<ref name="Kato">{{Cite book |和書 |author=加藤庸二 |title=東京湾諸島 |publisher=駒草出版 |date=2016-11 |isbn=978-4-905447-72-6 |page={{要ページ番号|date=2024年8月}}}}</ref>。これに対して、自然島は横須賀市沖の[[猿島]]および[[鋸南町]]沖の[[浮島 (千葉県)|浮島]]など決して数は多くない。
昭和期の大規模な埋立地は、[[工業地帯]]や[[ベッドタウン]]として利用されている。
現在残されている自然の[[砂浜]]は、千葉県の[[木更津市]]以南のみとなっている。
==== 東京湾海底谷 ====
外湾部では陸から離れた沖{{efn|水深が浅いのは観音崎の北までであり、隣接する[[久里浜]]の南の沖である。}}の海底は急激に深くなっており、水深{{Nowrap|500 m}}以上に達する東京湾[[海底谷]]が認められる<ref>{{Cite web |和書 |url=http://www.cabinet-cbc.ed.jp/db/rika_cd/shisetu/b_html/03-0045.htm |title=東京湾の海底 |website=千葉県理科学習資料データベース |publisher=千葉市教育センター |access-date=2009-04-05 |archive-url=https://archive.li/uOxI |archive-date=2012-07-23}}</ref>。この海底谷は西方の[[相模トラフ]]へ合流する。
河川を通じて東京湾に流れ込んだ[[有機物]]が[[沈殿]]しており、栄養が豊富な[[深海]]という特異な環境が東京(江戸)の都市化とともに形成されてきた。そのため[[メガマウス]]や[[ミツクリザメ]]など世界的に希少な[[深海魚]]が捕獲されることがある<ref>{{Cite web |和書 |url=http://sankei.jp.msn.com/science/science/090815/scn0908151302001-n1.htm |title=東京湾に潜む「深海の楽園」 内房沖の大渓谷「東京海底谷」の奇妙な世界 |website=[[産経新聞]] |date=2009-08-15 |access-date=2009-08-15 |archive-url=https://web.archive.org/web/20090818094819/http://sankei.jp.msn.com/science/science/090815/scn0908151302001-n1.htm |archive-date=2009-08-18}}</ref>。
=== 東京湾の港 ===
主な港としては[[横須賀港]]、[[横浜港]]、[[川崎港]]、[[東京港]]、[[千葉港]]、[[木更津港]]がある。
なお横須賀港には[[横須賀海軍施設|米軍横須賀基地]]や[[海上自衛隊]][[横須賀地方隊]]の基地もある。
=== 東京湾と経済 ===
[[ファイル:Tsukada Island in the Musashi province.jpg|thumb|right|270px|[[葛飾北斎]]の[[名所絵]][[揃物]]『[[富嶽三十六景|冨嶽三十六景]]』の「武陽 [[佃 (東京都中央区)|佃嶌]]」{{efn|江戸時代後期、[[廻船]]で賑わう江戸前の佃島(現・[[東京都]][[中央区 (東京都)|中央区]][[佃 (東京都中央区)|佃]])より、遥か[[富士山 (代表的なトピック)|富士山]]を望む。}}。]]
[[File:Tokyo Kawasaki.jpg|thumb|270px|京浜工業地帯]]
湾奥部は[[関東平野]]と接し、[[江戸時代]]にはそこで江戸が栄え、[[江戸前]]と呼ばれる[[深川 (江東区)|深川]]から[[羽田 (大田区)|羽田]]にかけての狭い海域で漁が盛んで、[[本芝]]や[[海岸 (東京都港区)|芝金杉]]などでは幕府御用の漁が行われ[[御菜浦]]と呼ばれ、品川にも漁師町があり、[[隅田川|大川]]河口には江戸開府以来の歴史を持つ漁師の基地の[[佃島]]があり、東端の深川にも漁師町が栄えた。芝の漁場は[[シバエビ]]、佃島は[[シラウオ]]、深川は[[ハマグリ]]や[[カキ (貝)|カキ]]が採れることで有名だった。そのほか江戸前の漁場では[[キス (魚)|キス]]、[[アナゴ]]、[[カレイ]]、[[ハゼ]]、[[クルマエビ]]など小魚類が大量に採れ、それは江戸市中では「江戸前小魚」と呼ばれ、江戸中期ころには庶民の食卓を彩るようになり、眼の前の湾で採れたばかりの鮮度の良い魚なので[[江戸前寿司]]や[[天ぷら]]も誕生した。江戸市中には「一日に千両の落ち所」と言われ一日で千両ものお金が動く場所が3か所ありそのひとつが魚河岸(魚市場)で、[[日本橋川]]の北岸の[[日本橋 (東京都中央区の橋)|日本橋]]から[[江戸橋 (東京都)|江戸橋]]にかけての魚河岸は活気に溢れていた<ref>{{Cite web |和書 |url=https://cuisine-kingdom.com/edomae-fish |title=「江戸前の魚」って何ですか?その変遷と今 |work=料理王国 |publisher=株式会社JFLAホールディングス |access-date=2024-06-16}}</ref><ref>{{Cite web |和書 |url=https://brutus.jp/edo_japanese_fish_culture/ |title=江戸時代に花開いた日本人の魚食文化を、『江戸前魚食大全』の著者・冨岡一成さんが解説 |date=2023-03-23 |access-date=2024-06-16}}</ref><ref>{{Cite web |和書 |url=https://nihombashi-tokyo.com/jp/history/245.html |title=江戸の繁栄を象徴する―魚河岸 |work=東京 日本橋 |publisher=有限会社月刊日本橋 |access-date=2024-06-16}}</ref>。
現在では東京湾周囲に首都圏が形成されており、東京湾の各港湾は、首都圏約4000万人の生活や経済を支える[[物流]]の要である<ref>{{Cite web |和書 |url=http://www.tptc.co.jp/guide/advantage/metropolitan |title=首都圏4000万人の生活と産業を支える東京港 |publisher=東京港埠頭株式会社 |access-date=2019-10-14}}</ref>。
港湾近くで発展した[[京浜工業地帯]]と[[京葉工業地域]]は、[[加工貿易]]で国を富ませてきた日本の心臓部である。[[バブル景気]]の頃から、[[オフィス街]]([[臨海副都心]]と[[幕張新都心]])も開発され、[[バブル崩壊]]後は、[[超高層マンション]]の建設ラッシュや大型[[ショッピングセンター]]の新規オープンなどが相次ぐ。
=== 基本データ ===
以下は、「国際エメックスセンターによる、2009年時の物である<ref name="EMECS closed-sea" />。<!--EMECSの出典は節内の全文に係る-->
* 湾口幅:{{Nowrap|20.9 km}}
* [[面積]]:{{Nowrap|1,380 km<sup>2</sup>}}
* 湾内最大[[水深]]:{{Nowrap|700 m}}
* 湾口最大水深:{{Nowrap|700 m}}
* [[閉鎖度指標]]:1.78{{efn|「1」以上を示す海域のため、排水規制対象である。''cf.'' [[閉鎖性水域]]、[[水質汚濁防止法]]。}}
* 海域の位置する都道府県:[[千葉県]]、[[東京都]]、[[神奈川県]]
* 総量規制区域。[[環境基準]]類型指定水域。
== 呼称の歴史 ==
[[中世]]では、この湾全体は単に([[武蔵国|武蔵]][[相模国|相模]][[上総国|上総]][[下総国|下総]]の)'''[[内海]]'''、あるいは'''裏海'''のように呼ばれていた{{Sfn|菊池|1974|pp=13-14}}。その後の[[幕末]]や明治初期の記録文献類に登場する現在の東京湾に相当する湾の名称もほとんどが「内海」となっている。なお、[[近世]]の東京湾を指すとされる「[[江戸湾]]」という語は近年になって造られた語([[造語]])であり、明治時代以前にあった言葉ではない{{Sfn|平凡社地方資料センター|2002|p=43}}。
江戸時代には「江戸前」や「江戸前海」などの言葉もあったが、江戸前とは[[漁場]]を示す言葉であり、主に佃沖の漁場、あるいは[[品川湊|品川]]沖から[[葛西]]沖あたりまでの漁場を包括的に指すための言葉で、東京湾のほんの一部を漁場として指すための言葉であった。「江戸前海」も、「房総沖」などと並ぶ、かなり限定された海域のことだった{{Sfn|平凡社地方資料センター|2002|p=43}}。
明治時代の初期でもこの湾は主に「内海」と表記されていたことは上で説明したが、明治中期以降にこの湾の呼称に「東京」が入るようになったのは[[明治維新]]で江戸が「[[東京]]」となったことが関係しているものの、[[地形図]]では「'''東京湾'''」、[[海図]]では「'''東京[[湾#語義|海湾]]'''」となっていて、1974年(昭和49年)の『東京湾史』にようやく、最近「東京湾」に統一された、と書かれた{{Sfn|菊池|1974|pp=13-14}}。
なお明治初期まで使われた「内海」という言葉は江戸時代以前に北東の下総[[常陸国|常陸]]国境付近に存在していた「[[香取海]]」に対しても用いられ紛らわしいので、昨今では区別のため、古代以前の東京湾のことを「'''古東京湾'''」や「'''奥東京湾'''」、中世から近世までの湾を「'''江戸湾'''」「'''江戸内海'''」などと呼ぶことが多い{{Sfn|盛本|1997|p=275}}。
== 歴史 ==
[[File:Touki Ryushichi 1926a 21.png|thumb|right|1926年時点の関東平野地図に、縄文海進時代の海進領域(斜線部)を重ねた地図<ref>{{Cite journal |和書 |author=東木龍七 |year=1926 |title=地形と貝塚分布より見たる関東低地の旧海岸線 |journal=地理評 |volume=2 |pages=597-607,659-678,746-773 |crid=1570009749338220032}}</ref>。]]
12万年前は現在より海水面が高く([[下末吉海進]])、房総半島は島であった。この頃の湾を「古東京湾」と呼ぶ。
[[旧石器時代]]は[[最終氷期]]にあたり、[[氷河]]が発達していたため海面が現在より著しく低く、浦賀水道付近以北は陸地だった。[[渡良瀬川]]{{efn|ただし渡良瀬川はおよそ5万年前までは、現在の深谷市付近へ向かい、利根川へ合流していた。}}と[[利根川]]とが現在の[[大宮台地]]を挟んで東西側を南流し、現在の内湾の中央付近で合流した後{{efn|多摩川もこの地点で合流していた。}}、太平洋への河口へ向けて流れた{{efn|「[[古東京川]]」と呼ばれる。}}<ref>{{Cite web |和書 |url=http://www.city.katsushika.lg.jp/kurashi/1000058/1002752/1002869/1003140.html |title=葛飾の歴史 |publisher=[[葛飾区]] |accessdate=2017-04-30 |archive-url=https://web.archive.org/web/20160320110607/https://www.city.katsushika.lg.jp/kurashi/1000058/1002752/1002869/1003140.html |archive-date=2016-03-20}}</ref>。これらの河川は大規模な峡谷を作った。
6000年前には[[縄文海進]]による海水面の上昇があり、関東地方の[[海水準変動|海水準]]は現在より{{Nowrap|3-4 m}}ほど高かった<ref>{{Cite web |和書 |url=http://nh.kanagawa-museum.jp/kikaku/ondanka/pdffile/wt_01v101.pdf |title=縄文の海は、広かった! |work=企画展「+2°Cの世界 縄文時代に見る地球温暖化」ワークテキスト |publisher=[[神奈川県立生命の星・地球博物館]] |format=PDF |accessdate=2015-05-26 |archive-url=https://web.archive.org/web/20050321022112/https://nh.kanagawa-museum.jp/kikaku/ondanka/pdffile/wt_01v101.pdf |archive-date=2005-03-21}}</ref><ref>{{Cite journal |和書 |author = 遠藤邦彦ほか|date = 1983-04|title = 関東平野の《沖積層》|journal = アーバンクボタ|issue = No.21|pages = 26-43|publisher = [[クボタ]]|naid=10007427996}}</ref>。東京湾は北へ湾入し、渡良瀬川河道では[[群馬県]][[邑楽郡]][[板倉町]]付近まで、利根川河道では[[埼玉県]][[川越市]]付近まで湾入したことが貝塚分布から裏付けられる。この頃の東京湾を指して「'''奥東京湾'''」と呼ぶ{{efn|大宮台地の西は「'''古入間湾'''」とも呼び、利根川河道に由来する。}}<ref>{{Cite web |和書 |url=https://www.pref.saitama.lg.jp/cess/cess-kokosiri/cess-koko10.html |title=地面の下って、どうなっているの? |publisher=[[埼玉県環境科学国際センター]] |access-date=2017-04-29}}</ref><ref>{{Cite book |和書 |author=NPO法人富士見市民大学 |title=郷土富士見検定問題集 |publisher=NPO法人富士見市民大学 |date=2012-09-11 |chapter=第2章 富士見の歴史 |format=PDF |url=http://www.city.fujimi.saitama.jp/35miru/01kyouiku/syougaigaku/files/dai1dai2syou.pdf |access-date=2017-04-29 |archive-url=https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/8328315/www.city.fujimi.saitama.jp/35miru/01kyouiku/syougaigaku/files/dai1dai2syou.pdf |archive-date=2013-10-19}}</ref>。
<!-- 発行時の社名は「久保田鉄工」のはずだが、PDF版の表紙や目次での表記は「株式会社クボタ」となっている |url = http://www.kubota.co.jp/siryou/pr/urban/pdf/21/ 記事が複数のPDFに分割されているので、『アーバンクボタ』 No.21のURLを示す |accessdate = 2015-05-26}} https://ja.wikipedia.org/w/index.php?diff=prev&oldid=43139925 で出典として追加されている。p.42「海水準変動」を意図していると思われるが、特定は避ける。 -->
3000年前から縄文海退が始まり、渡良瀬川・利根川が沖積層を作り湾入部・峡谷を埋めていった{{efn|現在の東京湾の海底にも、[[澪筋]]が外海から海岸線に向かって伸びている。}}。
その頃より、利根川は流路を変え、大宮大地の東の渡良瀬川河道の地帯を流れるようになり、東京湾へ注ぐこの河道の一帯は広大な[[氾濫域]]・[[低湿地]]となった。
===
[[ファイル:Kuniyoshi Utagawa, View of Mt Fuji 2.jpg|thumb|right|300px|一勇斎国芳([[歌川国芳]])の名所絵揃物『東都富士見三十六景』の「佃沖 晴天の[[富士山 (代表的なトピック)|不二]]」{{efn|江戸時代末期、江戸前の佃島沖にて漁師が行う網漁の様子を描いた一図。}}]]
かつては武蔵国と下総国とが接する境界は広大な[[湿地|低湿地帯]]であり両国間は通行に適さなかった。したがって古代の交通路は相模国三浦半島と上総国房総半島との間の東京湾を渡っている{{efn|[[日本書紀]]』や『[[古事記]]』における[[ヤマトタケル]]の東征。771年以前の[[東海道]]([[古代官道]])。}}。[[鎌倉時代]]にも交通路として利用されていた資料が残る。
中世には湾内で[[海賊]]衆も活動し、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]には[[後北条氏]]と[[里見氏]]の[[水軍]]の争いの舞台にもなった。
江戸時代には徳川家康以降、幕府によって沿岸の埋め立てが進み<ref>{{Cite web |和書 |url=https://www.pa.ktr.mlit.go.jp/tokyo/history/index.htm |title=家康が夢見た港湾都市。東京港は夢のはじまり |work=東京港の歴史 |publisher=国土交通省関東地方整備局東京港湾事務所 |access-date=2019-01-13}}</ref>、[[菱垣廻船]]や[[樽廻船]]などの[[和船]]による[[水運]]が行われ、後期には外国船来航に対する湾岸防備のために品川沖に[[台場]]が築かれている。
長らく[[鎖国]]状態にあったが、[[黒船来航]]の後に[[日米修好通商条約]]が結ばれた結果、横浜港が開港。
その後、軍事的側面から明治時代から大正時代にかけて、湾内に人工島(砲台)である[[海堡]](第一海堡から第三海堡)が建設された。
[[1945年]]([[昭和]]20年)[[9月2日]]には、東京湾{{efn|浦賀水道の城ヶ島と館山の中間付近。}}に停泊中の[[アメリカ海軍]]戦艦「[[ミズーリ (戦艦)|ミズーリ]]」甲板上で[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]各国代表が見守る中、[[日本の降伏|日本政府代表が降伏文書に署名]]して[[第二次世界大戦]]が終結している。
[[昭和30年代]]には、産業計画会議による「東京湾2億坪埋立についての勧告 NEO TOKYO PLAN」<ref>{{Cite book |和書 |editor=産業計画会議 |publisher=ダイヤモンド社 |title=東京湾2億坪埋立についての勧告 |date=1959-08-31 |format=PDF |id={{JP番号|59007673}} |url=https://criepi.denken.or.jp/intro/matsunaga/recom/recom_07.pdf |access-date=2019-01-13 |archive-url=https://web.archive.org/web/20171207065554/https://criepi.denken.or.jp/intro/matsunaga/recom/recom_07.pdf |archive-date=2017-12-07}}</ref>や、[[丹下健三]]による「[[東京計画1960]]」<ref>{{Cite web |和書 |url=https://www.tangeweb.com/works/works_no-22/ |title=東京計画1960 |publisher=株式会社丹下都市建築設計 |access-date=2019-01-13}}</ref>など湾を大規模に利用する計画があった。
[[1962年]](昭和37年)[[11月18日]]、[[京浜運河]]の沖合で[[タンカー]]『第一宗像丸』と[[ノルウェー]]船が衝突、炎上。41人が死亡する事故が発生<ref>{{Cite book |和書 |author=世相風俗観察会 |title=現代世相風俗史年表:1945-2008|publisher=河出書房新社 |year=2009-03 |page=113 |isbn=9784309225043}}</ref>。
== 生物と環境保全 ==
{{see also|江戸前}}
東京湾(江戸湾)は多種・大量な[[魚介類]]を産し、[[利根川東遷事業]]による生態系や環境面における東京湾への影響は明らかになっていないものの、江戸時代までは[[江戸の人口|世界最大の人口を誇った大都市]]・江戸の人々の胃袋を満たしてきた。
しかし、とくに明治時代以降、沿岸や流入河川の流域では都市化・工業化が進み、埋立地拡大に伴う[[干潟]]など自然海岸や浅瀬の減少、水質悪化が深刻になった。特に1970年代に環境汚染はピークを迎え、海の生き物は激減、一時は「'''死の海'''」とまで呼ばれる状態にあった<ref>{{Cite web |和書 |url=http://www.tv-asahi.co.jp/miracle-earth/backnumber/20100718/ |title=東京湾 ~サンゴが棲む海~ |work=奇跡の地球物語 |publisher=[[テレビ朝日]] |date=2010-07-18 |access-date=2014-06-01 |archive-url=https://web.archive.org/web/20140602200213/http://www.tv-asahi.co.jp/miracle-earth/backnumber/20100718/ |archive-date=2014-06-02}}</ref>。
[[1980年代]]以降環境保全の取り組みが進み、水質の改善がみられ<ref>{{Cite web |和書 |url=https://www.kankyo.metro.tokyo.lg.jp/water/tokyo_bay/ |title=都内河川及び東京湾の水環境の状況 |publisher=[[東京都環境局]] |access-date=2014-06-01}}</ref>。様々な生き物が戻り、少しずつではあるが[[生態系]]を取り戻しつつある<ref>{{Cite web |和書 |url=https://archives.bs-asahi.co.jp/ourearth/prg_019.html |title= 奇跡の深海を潜る あなたの知らない東京湾 探検!"東京海底谷"の神秘 |work=ボクらの地球 |publisher=[[BS朝日]] |access-date=2014-06-01}}</ref><ref>{{Cite web |和書 |url=http://www.nhk.or.jp/darwin-blog/200/188327.html |title=次回は「シリーズ東京湾① 生きものいっぱい!大都会の海」 |work=[[ダーウィンが来た! 〜生きもの新伝説〜]] |publisher=[[日本放送協会|NHK]] |date=2014-05-29 |access-date=2014-06-01 |archive-url=https://web.archive.org/web/20140602200630/http://www.nhk.or.jp/darwin-blog/200/188327.html |archive-date=2014-06-02}}</ref>。[[アカエイ]]の生息数は国内の沿岸域でも有数である<ref>{{Cite journal |和書 |author=原田友佳子 |author2=藤田清 |year=2003 |title=東京湾におけるアカエイの年齢と成長,繁殖 |journal=日本魚類学会年会講演要旨 |issue=36 |page=65}}</ref>が、人間への危険性を持ち、[[お台場]]や[[葛西臨海公園]]や[[隅田川]]や[[荒川 (関東)|荒川]]などの人間の生活圏にも多く生息するために注意が必要である<ref>{{Cite web |和書 |author=大川雅治 |url=https://www.fishing-v.jp/premium/975.html |title=【触っちゃだめ!】釣り人が出会った危険な魚まとめ[その2] |work=[[釣りビジョン]] |date=2023-08-19 |access-date=2023-11-25}}</ref>。上述の通り、東京湾海底谷では[[メガマウス]]や[[ミツクリザメ]]や[[ダイオウイカ]]などの貴重な深海性の生物が発見されることもある。2005年に[[川崎区]]で発見された[[ホオジロザメ]]は、オスとしては世界最大級の記録だった<ref>{{Cite news |和書 |title=世界最大級の雄だった!/東京湾のホオジロザメ |newspaper=[[四国新聞]] |date=2005-10-27}}</ref>。[[ムギワラエビ]]{{efn|[[2015年]]に135年ぶりに再確認された。}}のように希少な[[固有種]]も見られる<ref>{{Cite web |和書 |url=https://mainichi.jp/articles/20180919/ddl/k14/040/493000c |title=ふしぎな生物いっぱい しながわ水族館「日本の固有種展」 |website=[[毎日新聞]] |date=2018-09-13 |access-date=2018-11-28 |archive-url=https://web.archive.org/web/20181128034931/https://mainichi.jp/articles/20180919/ddl/k14/040/493000c |archive-date=2018-11-28}}</ref>。
外海に面している浦賀水道の水質は比較的に良く、[[ジンベイザメ]]や[[ナンヨウマンタ|マンタ]]、[[マンボウ]]などの大型回遊魚類が館山方面で見られることがある。加えて水温が比較的に高い[[黒潮]]の影響を受けるため、南方系の魚や[[サンゴ]]も生息している。特に、夏には[[沖縄諸島|沖縄]]近海で見られるような魚([[回遊#死滅回遊|死滅回遊魚]])の姿を見ることも出来る。また、東京湾沿岸は、[[アカウミガメ]]の産卵分布としてはほぼ北限であるとされる<ref name="Chiba">{{Cite web |和書 |url=https://www.pref.chiba.lg.jp/kouwan/kikaku/documents/1-1-2-2_tokuseikankyou.pdf |title=(2) 環境に関する現況特性 - (1) 砂浜・干潟・浅場・藻場の分布 |work=東京湾沿岸海岸保全基本計画[千葉県区間] |publisher=千葉県 |format=PDF |date=2016-09 |access-date=2023-11-18}}</ref>。
一方、夏場には常態的に[[貧酸素水塊]]が発生するなど、まだ取り組むべき課題はある。水質改善により、東京湾には多くの種類の生き物が戻ってきたが、個体数はそこまで増えていないと考えられている。実際に東京湾の漁獲量は、2000年に入っても環境汚染のピークだった1960年代・1970年代から増えておらず、横ばいが続いている<ref>{{Cite web |和書 |url=http://tokyobay.job.affrc.go.jp/ |title=江戸前の復活!東京湾の再生をめざして |publisher=独立行政法人水産総合研究センター |access-date=2014-06-01 |archive-url=https://web.archive.org/web/20140605051721/https://tokyobay.job.affrc.go.jp/ |archive-date=2014-06-05}}</ref>。たとえば、[[ハマグリ]]なども依然として生息数が大幅に減少しており<ref name="RedList">{{Cite press release |和書 |date=2012-08-28 |title=第4次レッドリストの公表について(お知らせ) |publisher=環境省 |url=https://www.env.go.jp/press/15619.html |access-date=2023-11-17}}</ref>、[[ウミガメ]]や[[鳥類]]や魚類など多くの生物にとって重要な生息地である干潟や[[藻場]]や自然の砂浜や浅瀬なども著しく減少した<ref name="Chiba" />。
後述の通り、本来は[[ニホンアシカ]]や[[鯨類]]が豊富に生息していたが、現在ではニホンアシカは[[絶滅種]]に認定され、全体的に鯨類自体{{efn|とくにヒゲクジラ類とツチクジラなど。}}の出現も限られている<ref name="Baleen">{{Cite journal |和書 |author=加登岡大希 |author2=崎山直夫 |author3=石川創 |author4=山田格 |author5=田島木綿子 |author6=樽創 |year=2020 |title=相模湾・東京湾沿岸で記録されたヒゲクジラ亜目(Mysticeti)について |journal=神奈川自然誌資料 |volume=2020 |issue=41 |pages=83-93 |publisher=神奈川県立生命の星・地球博物館(旧神奈川県立博物館) |doi=10.32225/nkpmnh.2020.41_83 |ISSN=0388-9009 |CRID=1390002184884436608}}</ref><ref>{{Cite journal |和書 |author=鷲見みゆき |author2=花上諒大 |author3=崎山直夫 |author4=鈴木聡 |author5=石川創 |author6=山田格 |author7=田島木綿子 |author8=樽創 |year=2022 |title=相模湾・東京湾沿岸で記録されたハクジラ亜目(マッコウクジラ科Physeteridae,コマッコウ科Kogiidae, アカボウクジラ科Ziphiidae,ネズミイルカ科Phocoenidae)について |journal=神奈川自然誌資料 |volume=2022 |issue=43 |pages=1-23 |publisher=神奈川県立生命の星・地球博物館(旧神奈川県立博物館) |doi=10.32225/nkpmnh.2022.43_1 |ISSN=0388-9009 |CRID=1390010292742695808}}</ref>。また、[[セミクジラ]]や[[コククジラ]]と言った[[絶滅危惧種]]の[[混獲]]が相次ぎ<ref name="RW2000" /><ref name="RW2023" /><ref name="Baleen" />、本湾における[[スナメリ]]の地方個体群は激減した<ref name="Yume">{{Cite web |和書 |url=http://www.yumekuzira.com/ |title=夢鯨工楽部 |publisher=アァネット |access-date=2023-11-18}}</ref>など、現在では危機的な状況に置かれている。しかし、[[ザトウクジラ]]は将来的な東京湾への出現が増加することが予想され{{efn|[[ホエールウォッチング]]の対象になっている事もあって保護が進み、個体数の回復に従って微弱ながら[[北海道]]・[[本州]]・[[四国]]・[[九州]]の沿岸部への増加が見られる<ref name="Increase" /><ref>{{Cite web |和書 |author=榊原智康 |url=https://www.tokyo-np.co.jp/article/247187 |title=三宅島に現れたザトウクジラ ドローンで「噴気」キャッチ! クジラの生態の謎に迫る |website=[[東京新聞]] |date=2023-04-30 |access-date=2023-12-13}}</ref><ref>{{cite thesis |和書 |author=宇仁義和 |year=2020 |url=https://nodai.repo.nii.ac.jp/records/802 |title=戦前期日本の沿岸捕鯨の実態解明と文化的影響 ―1890-1940年代の近代沿岸捕鯨― |publisher=東京農業大学 |series=博士(生物産業学) 乙第0947号 |pages=191-194 |naid=500001385241 |id={{NDLJP|11511728}}}}</ref>。}}、[[マッコウクジラ]]{{efn|現代の東アジアに分布する大型鯨類では比較的に現存個体数が多い。}}は現在でも浦賀水道や[[館山湾]]や三浦半島など湾口の周辺に来遊する事がある<ref>{{Cite web |和書 |url=https://www.kasairinkai.com/ikimono/pdf/factsheet05.pdf |title=私たちの東京湾 - 東京湾の誕生と歴史 |work=Fact Sheet |publisher=葛西臨海公園・海浜公園 |format=PDF |access-date=2023-11-16 |archive-url=https://web.archive.org/web/20221205223636/https://www.kasairinkai.com/ikimono/pdf/factsheet05.pdf |archive-date=2022-12-05}}</ref><ref>{{Cite web |和書 |url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230307/k10014000391000.html |title=遊漁船と衝突か“三浦半島沖 クジラの交差点のようなところ” |website=[[NHKニュース]] |date=2023-03-07 |access-date=2024-01-26 |archive-url=https://web.archive.org/web/20230308043750/https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230307/k10014000391000.html |archive-date=2023-03-07}}</ref>。また、小型の[[イルカ]]類や上記のスナメリも少数ではあるが湾内に生息しており<ref name="Yume" /><ref>{{Cite web |和書 |author=吉岡まちこ |url=https://hamarepo.com/story.php?page_no=1&story_id=932 |title=横浜の海にイルカがいるってホント? |website=[[はまれぽ.com]] |date=2012-03-19 |access-date=2023-11-18}}</ref>、時には大規模なイルカの群れが現れたり<ref>{{Cite web |和書 |url=https://press.boatworld.jp/movie/4479/ |title=東京湾にイルカの群れ |website=ボートワールドプレス |date=2023-01-28 |access-date=2023-11-18}}</ref>、[[シャチ]]の目撃例も存在する{{efn|シャチは1960年代後半までの捕獲によって日本列島の各地で激減し、東京湾でも1970年に11頭の群れの中の5頭が[[市原市]]で捕獲されている<ref>{{Cite web |和書 |url=https://kokushi.fra.go.jp/R01/R01_58_KIW.pdf |title=シャチ 北西太平洋 |work=令和元年度国際漁業資源の現況 |publisher=国立研究開発法人水産研究・教育機構 |format=PDF |access-date=2023-11-18}}</ref><ref>{{Cite journal |和書 |author=宇仁義和 |author2=谷田部明子 |author3=石川創 |year=2015 |title=NHKアーカイブス保存映像のなかの鯨類ストランディング |journal=日本セトロジー研究 |volume=25 |pages=1-6 |publisher=日本セトロジー研究会 |doi=10.5181/cetology.0.25_1 |ISSN=18813445 |CRID=1390565134799151232}}</ref><ref>{{Cite web |和書 |url=https://www.kahaku.go.jp/research/db/zoology/marmam/drift/detail.php?id=263 |title=和名:シャチ 科博登録ID:263 |work=海棲哺乳類ストランディングデータベース |publisher=国立科学博物館 |access-date=2023-12-09}}</ref>。}}。
<gallery>
Sternula albifrons Tokyo Bay 1.jpg|[[コアジサシ]]([[葛西海浜公園]])。
Phoenicurus auroreus -Tokyo Bay -female-8.jpg|[[海岸|湾岸]]の[[ジョウビタキ]]。
ホウロクシギ.JPG|[[ホウロクシギ]]([[谷津干潟]])。
Jonathan Livingston @ Yamashita Park, Yokohama.jpg|[[ユリカモメ]]([[山下公園]])。
Blue-Rock Thrush in Yatsu tidal flat, Tokyo bay.jpg|[[イソヒヨドリ]](谷津干潟)。
Aosujiageha 06f7404qv.jpg|[[アオスジアゲハ]](谷津干潟)。
Littorina brevicula 002 Tokyo bay.jpg|[[:en:Littorina brevicula|タマキビ]]([[大井ふ頭中央海浜公園]])。
スナメリ子供.jpg|[[横浜市]]沖で発見された[[スナメリ]]の幼獣。
Mount Nokogiri - Chiba 2022 Dec 12 various 15 44 00 080000.jpeg|[[ツチクジラ]]の猟場だった[[鋸南町]]の[[浮島 (千葉県)|浮島]]の周辺{{efn|後述の通り、東京湾でツチクジラ猟が開始されたのは、古式捕鯨の主対象だった沿岸性のヒゲクジラ類が[[西日本]]各地での操業ですでに減少した後の可能性があるため、本来の状況でどの種類の大型鯨類がどの程度東京湾内に見られたのかは不明瞭である。}}。
Tokyo bay ferry 東京湾フェリー (2663486137).jpg|[[ニホンアシカ]]の生息地だった[[海獺島 (神奈川県)|アシカ島]]。
</gallery>
=== 生態系の欠落 ===
[[File:Ichikawa Archaeology Museum - Interior.jpg|thumb|1958年に[[市川市]]で発見された[[コククジラ]]の骨格標本(市川考古博物館)。[[縄文時代]]にも本種が東京湾に[[回遊]]していた可能性を示唆させる記録とされている<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.oceandictionary.jp/scapes1/scape_by_randam/randam16/select1668.html |title=5000年前のコククジラの骨格化石標本 |website=海洋総合辞典 |access-date=2025-03-01}}</ref>。]]
上記の通り、現在の東京湾の生態系は、[[巨視的|マクロ]]・[[微視的|ミクロ]]問わずに様々な生物種が激減したり欠落した状態である<ref name="RedList" />。とくに[[メガファウナ]]{{efn|[[海獣]]や[[ウミガメ]]や大型魚類などの大型生物。}}に関しては、現在では本来の生態系から喪失した部分が大きい。
明治時代までは[[海獺島 (神奈川県)|アシカ島]]など湾内では絶滅種であるニホンアシカが繁殖し<ref name="Nakamura">{{Cite journal |和書 |author=中村一恵 |date=1993-01 |title=三浦半島沿岸に生息していたニホンアシカについて |journal=神奈川県立博物館研究報告. 自然科学 |issue=22 |pages=81-89 |publisher=神奈川県立生命の星・地球博物館 |format=PDF |ISSN=04531906 |CRID=1520853833567161472 |id={{NDLJP|3226957}} |url=https://nh.kanagawa-museum.jp/www/contents/1600215771764/simple/bull22_81-89_nakamura.pdf}}</ref>、数多くの鯨類{{efn|クジラやイルカやスナメリやシャチ。}}も見られた。古式捕鯨の主対象であったセミクジラ<ref name="RW2000">{{Cite web |和書 |url=https://www.kahaku.go.jp/research/db/zoology/marmam/drift/detail.php?id=2562 |title=和名:セミクジラ 科博登録ID:2562 |work=海棲哺乳類ストランディングデータベース |publisher=[[国立科学博物館]] |access-date=2023-06-13}}</ref><ref name="RW2023">{{Cite web |和書 |url=https://bonichi.com/2023/03/19/352077/ |title=定置網にセミクジラ? 館山 |website=[[房日新聞]] |date=2023-03-19 |access-date=2023-11-16}}</ref>やザトウクジラ<ref name="Increase">{{Cite web |和書 |author=後藤豪 |url=https://mainichi.jp/articles/20230121/k00/00m/040/178000c |title=クジラ、東京湾では目にする機会増える? 相次ぐ出現の事情は |website=[[毎日新聞]] |date=2023-01-21 |access-date=2023-11-18}}</ref>やコククジラ<ref>{{Cite web |和書 |url=https://datazoo.jp/n/%E6%92%AE%E5%BD%B1%E6%88%90%E5%8A%9F%EF%BC%81%E5%A7%BF%E7%8F%BE%E3%81%97%E3%81%9F%E2%80%9D%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E6%B9%BE%E3%82%AF%E3%82%B8%E3%83%A9%E2%80%9D+%E7%9B%B8%E6%AC%A1%E3%81%90%E7%9B%AE%E6%92%83%E6%83%85%E5%A0%B1%E8%BF%BD%E3%81%84%E2%80%A6/13013209 |title=撮影成功!姿現した”東京湾クジラ” 相次ぐ目撃情報追い… {{!}} みんなのニュース 2017/04/21(金)16:50のニュース |website=TVでた蔵 |date=2017-04-21 |accessdate=2023-11-17 |archive-url=https://web.archive.org/web/20231116150704/https://datazoo.jp/n/%E6%92%AE%E5%BD%B1%E6%88%90%E5%8A%9F%EF%BC%81%E5%A7%BF%E7%8F%BE%E3%81%97%E3%81%9F%E2%80%9D%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E6%B9%BE%E3%82%AF%E3%82%B8%E3%83%A9%E2%80%9D+%E7%9B%B8%E6%AC%A1%E3%81%90%E7%9B%AE%E6%92%83%E6%83%85%E5%A0%B1%E8%BF%BD%E3%81%84%E2%80%A6/13013209 |archive-date=2023-11-16}}</ref><ref>{{Cite journal |和書 |author=南部久男 |author2=徳武浩司 |author3=石川創 |author4=大田希生 |author5=藤田健一郎 |author6=山田格 |year=2009 |title=2005年に東京湾に出現したコククジラの観察 |journal=日本セトロジー研究 |volume=19 |pages=17-22 |publisher=日本セトロジー研究会 |doi=10.5181/cetology.0.19_17 |ISSN=18813445 |CRID=1390283659822257024}}</ref>を中心とした沿岸性が強い[[ヒゲクジラ類]]が湾内に[[回遊]]していた可能性が高く、[[三浦浄心]]も『[[見聞集|慶長見聞集]]』にて「[[江戸湾|江戸浦]]」を遊泳するクジラに言及しており<ref name="Miura" />、[[袖ケ浦市|袖ヶ浦]]や[[浦安市|浦安]]沖から湾奥部などでよく見られた「クジラまわし」と呼ばれる光景{{efn|[[ナガスクジラ科]]が海面で行う採餌行動と推測される。}}は、冬の[[風物詩]]の一つとされた<ref>{{Cite book |和書 |author=高橋在久 |title=東京湾学への窓 東京湾の原風景 |publisher=蒼洋社 |date=1996-02 |isbn=4-89242-780-2 |page={{要ページ番号|date=2024年8月}}}}</ref>。また、[[シロナガスクジラ]]の可能性がある記録([[利田神社|寛政の鯨]])も存在する<ref>{{Cite web |和書 |url=https://www.kahaku.go.jp/research/db/zoology/marmam/drift/detail.php?id=7 |title=和名:ナガスクジラ 科博登録ID:7 |work=海棲哺乳類ストランディングデータベース |publisher=国立科学博物館 |access-date=2023-11-17}}</ref>。後述の通り、[[ツチクジラ]]も[[浦賀水道]]から[[鋸南町]]の一帯に多数が回遊していた{{efn|上記の通り、同様に深海性であり現在も東京湾口や三浦半島の周辺で見られることもあるマッコウクジラが、当時は安定して一帯に回遊していたのかは不明である。}}<ref name="Kawano" />。
しかし、[[明治40年]]頃にはニホンアシカは乱獲によって関東の一帯から姿を消した<ref name="Nakamura" />。また、([[捕鯨問題|外国船による日本近海の主だった捕鯨が展開されるよりも前である]])[[文禄]]期に東京湾と[[相模湾]]の周辺での[[クジラ]]の多さが起因して、[[三浦半島]]を皮切りに[[東日本]]では珍しく{{efn|日本列島を含む東アジアでは、[[鯨神]]や[[えびす]]信仰の対象としてクジラを神聖視する事例が目立ち、[[捕鯨問題#鯨害獣論|積極的な捕獲を忌諱していたり捕鯨自体をタブーとしていた地域が多かったとされる]]。それゆえか、日本では[[伊勢湾]]周辺で商業捕鯨が発祥して各地に伝播するまでは、各地域において積極的な捕鯨が大々的に行われていたという記録は存在せず、古式捕鯨が行われたのは西日本に集中していた。東日本で組織的および商業的な古式捕鯨が大々的に行われていたのは、東京湾と三浦半島の他には、現在の[[福島県]][[いわき市]]の沿岸部のみであり、以降も捕鯨を禁止する地域が見られたり、「[[東洋捕鯨鮫事業所焼討事件]]」のように捕鯨に反対する漁民による暴動が発生した事例も存在する<ref>{{cite web |author=Fynn Holm |url=https://www.cambridge.org/us/universitypress/subjects/history/east-asian-history/gods-sea-whales-and-coastal-communities-northeast-japan-c1600-2019 |title=The Gods of the Sea |work=Cambridge Oceanic Histories |website=[[ケンブリッジ大学出版局|Cambridge University Press]] |date=2023-08 |access-date=2023-11-18}}</ref><ref name="Hachinohe">{{Cite book |和書 |author=岩織政美 |others=田名部清一 サポート |title=八戸浦"クジラ事件"と漁民 : 「事件百周年」駒井庄三郎家所蔵「裁判記録」より |publisher=「八戸浦"くじら事件"と漁民」刊行委員会 |date=2011-01 |id={{JP番号|21875481}} |page=327}}</ref>。}}組織的な捕鯨が展開され{{efn|名の知れた鯨捕りであった[[間瀬助兵衛]]が関東に進出した際に東京湾周辺のクジラの多さに着目したとされる。助兵衛がこの地に進出した理由は、おそらく関西方面で狩猟圧の結果としてクジラが減少し、助兵衛が新たな猟場を探していためとされる。}}、瞬く間に「関東諸浦」に拡大した<ref name="Miura">{{Cite wikisource |wslanguage=ja |author=三浦浄心 |author-link=三浦浄心 |title=慶長見聞集 |plaintitle=[[見聞集|慶長見聞集]] |volume=巻8 |date=寛永後期 |plainchapter=[[s:ja:慶長見聞集/巻之八#k-8-9|関東海にて鯨つく事]]}}</ref>。東京湾一帯では、三浦半島における操業{{efn|具体的に対象としていた鯨種は不明。}}および鋸南町の[[浮島 (千葉県)|浮島]]での[[醍醐新兵衛]]が率いる鯨組によるツチクジラを主対象とした組織的な捕鯨が発達した<ref name="Kawano">{{Cite book |和書 |author=河野博 監修、加納光樹、横尾俊博 編 |title=東京湾の魚類 |publisher=平凡社 |date=2011-12 |isbn=978-4-582-54243-1 |page=323}}</ref>。しかし[[三浦浄心]]が憂慮するほど[[乱獲]]が進行し{{efn|「関東諸浦」では年に平均して100 - 200頭の捕獲がされていたが、20-25年ほどで年に4-5頭の捕獲にまで減少し、浄心も「このままでは後世にはクジラが消えるだろう」と書き記している。}}{{efn|古式捕鯨の主対象とされていた沿岸性のヒゲクジラ類は、おそらく当時はすでに関西における古式捕鯨によって減少していたとみられる。これらの種類は回遊の途上で東京湾周辺を通過していた可能性が高く、「関東諸浦」で捕獲されていた鯨種にもこれらの沿岸性のヒゲクジラ類もふくまれていた可能性は高いものの、主立った捕獲対象はツチクジラ以外は不明となっている。}}<ref name="Miura" /><ref>{{Cite web |和書 |url=https://proto.harisen.jp/mono/mono/kujira-kantou.html |title=鯨(関東) |website=戦国日本の津々浦々 |access-date=2023-11-18}}</ref><!--{{信頼性要検証|date=2024年8月}} 『慶長見聞集』を直訳した内容ですので、とりあえず隠します。-->、江戸時代から明治時代を境に東京湾や三浦半島への大型鯨類の安定した回遊は消滅したと思わしい<ref name="Kawano" />。
哺乳類ではないが、ヒゲクジラ類と食性等に類似性が強い[[ウバザメ]]も、1970年代までの乱獲の結果、太平洋全体で絶滅危惧種となり、東京湾一帯だけでなく[[日本列島]]や[[東アジア]]全体でも以降の確認は非常に少ない<ref>{{Cite web |和書 |url=https://kokushi.fra.go.jp/H28/H28_34.pdf |title=ウバザメ 日本周辺 |work=平成28年度国際漁業資源の現況 |publisher=国立研究開発法人 水産研究・教育機構 |format=PDF |access-date=2023-11-18}}</ref><ref>{{Cite web |和書 |url=https://www.kanaloco.jp/news/social/entry-73594.html |title=【速報】定置網に6メートルウバザメ 横須賀・佐島漁港 |website=[[神奈川新聞]] |date=2016-03-29 |access-date=2023-11-17}}</ref><ref>{{Cite journal |和書 |author=加登岡大希 |author2=崎山直夫 |author3=瀬能宏 |date=2022-03 |title=ウバザメ(ネズミザメ目ウバザメ科)幼魚の相模湾における記録と全世界における出現状況 |journal=神奈川自然誌資料 |number=43 |pages=53-60 |publisher=神奈川県立生命の星・地球博物館 |format=PDF |url=https://nh.kanagawa-museum.jp/www/contents/1646463767263/simple/43_05_Katooka_et_al.pdf |access-date=2023-11-16}}</ref>。
=== 赤潮と青潮 ===
[[多摩川]]、[[鶴見川]]、荒川、隅田川<ref>{{Cite web|和書|author=とりくらりゅうせん(トコトコ鳥蔵) |title=昭和21年撮影の東京上空からみた東京湾口 |url=https://twitter.com/torikuraryusen/status/1525437269011988480/photo/1 |language=日本語 |accessdate=2023-06-01}}</ref>、[[江戸川]]、[[小櫃川]]などが注いでいるが、湾口が狭く外海との海水の交換は行われにくい。そのため[[プランクトン]]の異常発生である[[赤潮]]が度々発生してきた。
1960年代から1970年代の東京湾沿岸部の埋め立ての際、埋め立て土砂を海底から採取したために、流れの悪い[[浚渫]]窪地ができた。ここに[[貧酸素水塊]]と[[栄養塩]]が溜まり、[[嫌気性生物|嫌気性細菌]]により大量の[[硫化水素]]が発生する。このことが[[青潮]]の発生源の一つとなっている。現在の東京湾では約1億立方メートルの浚渫窪地が存在する。
=== 干潟の再生 ===
江戸時代から現代にかけて、沿岸や浅瀬が相次ぎ埋め立てられた。これにより湾内には明治・大正期に造られた海堡を始め、70を超える人工島がある<ref name="Kato" />。対して、自然島は現在横須賀市沖の猿島および鋸南町沖の浮島等がある。
沿岸の埋め立てに伴い干潟面積は大きく減少しているが、海水の浄化作用があること、海生生物や[[野鳥]]の生息に欠かせない自然環境であることから、残された天然の干潟に対する保護運動が起きている。現在、東京湾に残る干潟は以下の通り。
* [[野島 (神奈川県)|野島海岸]](神奈川県)
* [[多摩川]]河口干潟
* [[三枚洲]](
* [[三番瀬]](
* [[谷津干潟]](
* [[盤洲干潟]](
* [[富津干潟]](
干潟は東京湾に生息する[[スズキ (魚)|スズキ]]や[[鯛|タイ]]、[[貝類]]など日本固有種を含む漁業価値の高い魚介類の稚魚の生息地となっており、これを保護・拡張することは環境面のみならず東京湾の漁業や観光([[釣り]])などの事業価値を高めることにもつながるため、その価値は大変高いものである。
東京都[[港区 (東京都)|港区]]のお台場では、[[1990年代]]以降砂を運んで人工の干潟を作る試みが行われている。この人工干潟では、[[アサリ]]を始めとする生き物が戻りつつある<ref>{{Cite web |和書 |url=https://www.ifarc.metro.tokyo.lg.jp/archive/26,349,52,213.html |title=アサリやマハゼ・アユの稚魚で知る人工干潟の重要性 |work=平成16年度 主要成果集 |publisher=[[東京都島しょ農林水産総合センター]] |access-date=2014-06-01}}</ref><ref>{{Cite web |和書 |url=http://www.ifarc.metro.tokyo.jp/22,1327,47.html |title=内湾調査平成19年10月 東なぎさとお台場人工干潟の貝類生息環境の違いについて |work=東京湾便り |publisher=東京都島しょ農林水産総合センター |access-date=2014-06-01}}</ref>。
=== 合流式下水道越流水問題 ===
[[雨]]水も[[生活排水]]などの下水も、[[下水道]]を通じて[[下水処理場]]まで運んでいる場合、大量の雨水が下水道に流れ込んでしまい、下水道管で受け止めきれなかった一定量については、汚水未処理のまま河川の公共水域に放流せざるを得ない状況が発生しており、大雨時には放流海域での[[大腸菌]]数の増加など、環境影響が発生している。
=== 家庭排水対策 ===
[[化学的酸素要求量]](COD)の上昇などで示される東京湾の水質汚濁は、[[富栄養化]]の原因物質である[[窒素]]、[[リン]]ともに約7割が家庭排水によるものであり、その主たるものは[[屎尿|糞尿]]である。
対策として、合併浄化槽の整備や下水処理場の高度化、合流式下水道の改善などが行われている<ref>{{Cite web |和書 |url=https://www.kankyo.metro.tokyo.jp/water/attachement/%E3%81%8D%E3%82%8C%E3%81%84%E3%81%AA%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E6%B9%BE%E3%82%92%E7%9B%AE%E6%8C%87%E3%81%97%E3%81%A6%28H20.12.16%29.pdf |title=きれいな東京湾を目指して |publisher=九都県市首脳会議環境問題対策委員会 |format=PDF |date=2008-12-16 |access-date=2015-07-28}}{{リンク切れ|date=2024年8月}}</ref>。
=== 海洋清掃船 ===
東京湾内の浮遊ゴミおよび浮遊油を回収する目的で、清掃兼油回収船「[[べいくりん]]」が[[国土交通省]][[関東地方整備局]]・千葉港湾事務所により運用されている<ref>{{Cite web |和書 |url=https://www.pa.ktr.mlit.go.jp/chiba/bayclean/index.html |title=べいくりん |publisher=関東地方整備局千葉港湾事務所 |access-date=2019-10-14}}</ref>。
== 交通 ==
=== 東京湾を横断する交通 ===
* [[東京湾アクアライン]]
* [[東京湾フェリー]]
=== 東京湾を発着する旅客船の施設・運航事業者 ===
* [[東京港]]
* [[東京都観光汽船]]
* [[横浜港#航路]]
* [[千葉港#航路]]
=== 東京湾沿いの陸上交通 ===
* [[首都高速湾岸線]]
== 架空の東京湾埋め立て都市 ==
*『[[AKIRA (漫画)]]』の[[ネオ東京]]
*『[[機動警察パトレイバー]]』の[[バビロンプロジェクト]]
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
<references />
== 参考文献 ==
* {{Cite book |和書 |author=菊池利夫 |title=東京湾史 |publisher=大日本図書印刷 |series=環境科学ライブラリー |year=1974 |id={{JP番号|69006017}} |ref={{SfnRef|菊池|1974}}}}
* {{Cite book |和書 |editor=平凡社地方資料センター |title=[[日本歴史地名大系]] |volume=13(東京都の地名) |publisher=[[平凡社]] |date=2002-07 |isbn=4-582-49013-1 |ref=harv}}
* {{Cite book |和書 |author=盛本昌広 |title=日本中世の贈与と負担 |publisher=校倉書房 |series=歴史科学叢書 |date=1997-09 |isbn=978-4-7517-2750-8 |ref={{SfnRef|盛本|1997}}}}
* {{Citation |和書 |date=2006-03 |title=東京湾水環境再生計画(案) ~美しく豊かな東京湾のために~ |publisher=国土交通省関東地方整備局 |chapter=2.東京湾及びその流域の概要 |format=PDF |url=https://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000010108.pdf |ref={{SfnRef|国土交通省関東地方整備局|2006}}}}
* {{Citation |和書 |date=2015-04 |title=東京湾水環境再生計画 ~美しく豊かな東京湾のために~ |edition=改訂版 |publisher=国土交通省関東地方整備局 |chapter=2.東京湾及びその流域の概要 |format=PDF |url=https://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000621812.pdf |ref={{SfnRef|国土交通省関東地方整備局|2015}}}}
== 関連項目 ==
=== 地形 ===
* [[館山湾]]
* [[根岸湾]]
* [[海獺島]]
* [[吾妻島]]
* [[浮島 (千葉県)]]
=== 沿岸開発 ===
* [[京浜港]]
* [[ウォーターフロント]]
* [[天王洲アイル]]
* [[東京臨海副都心]]
* [[幕張新都心]]
* [[
* [[横浜・八景島シーパラダイス]]
* [[海ほたるパーキングエリア]]
* [[観音埼灯台]]
=== 水産 ===
* [[御膳海苔]]
* [[上総ノリ]]
* [[木更津ノリ]]
* [[打瀬網漁]]
=== 交通 ===
* [[京葉シーバース]]
* [[東京湾納涼船]]
=== 事故、災害など ===
* [[全日空羽田沖墜落事故]]
* [[日本航空350便墜落事故]]
* [[関東大水害]]
* [[東京湾炎上]] - 架空のテロを描いた[[パニック映画]]。
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Tokyo Bay}}
* [https://www1.kaiho.mlit.go.jp/KANKYO/TB_Renaissance/ 東京湾再生推進会議] - 海上保安庁海洋情報部
* [https://www1.kaiho.mlit.go.jp/KAN3/kaisyo/tokyo_kankyo/tokyo_menu.htm 東京湾環境保全調査] - 第三管区海上保安本部海洋情報部
* [http://tokyowangaku.info/ 東京湾学会]
* {{Kotobank}}
{{Normdaten}}
{{デフォルトソート:とうきようわん}}
[[Category:東京湾|*]]
[[Category:太平洋の湾]]
[[Category:東京湾の歴史|*]]
|