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'''百万遍念仏'''(ひゃくまんべんねんぶつ)とは、自身の[[極楽往生|往生]]、故人への[[追善供養|追善]]、各種の[[祈祷]]を目的として[[念仏]]を百万回唱えること。
 
本来は、個人が念仏を7日間(もしくは10日間)のうちに100万回唱えることで目的が成就されるとされている。ただし、複数の人間が同時同音で念仏を唱えることによって互いの念仏の功徳を融通することが出来るとする考え方もある(例えば、10人が10万回の念仏を同時に唱えることが出来れば、10×10万=100万となり100万回念仏を唱えたのと同じ効果があるとするものである。→[[融通念仏]])。また、念仏の際に[[数取り]]のために大型の数珠をこすり合わせながら行う場合もある(複数で行う場合には数珠も揃える必要がある)。この際に用いられる数珠を'''百万遍数珠'''(ひゃくまんべんじゅず)と呼ぶ場合がある。
 
百万遍念仏と極楽往生を結びつけた最初の人物は[[唐]]の[[迦才]]であると言われている(『浄土論』)。日本にも[[平安時代]]に伝来され、[[浄土教]]の流行とともに盛んになった。[[元弘]]元年([[1331年]])、[[後醍醐天皇]]の命を受けた[[善阿 (浄土宗)|善阿]]が7日間にわたって百万遍念仏を行って達成させ、疫病を鎮めたとされている。彼が居住した[[知恩寺]]の別名「百万遍」はその時の褒賞として授けられた寺号である。[[室町時代]]から[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]にかけて宮中から地方の村々の間にまで百万遍念仏が広まり、宮中では1・5・9月の16日に行われることになっていた。[[伏見宮貞成親王]]は[[日記]]『[[看聞日記]]』の中で百万遍念仏の目的を「過去追善 現在祈祷」と端的に記している。
 
今日でも日本の寺院や地域の間において、鎮魂・追善・豊穣・除災などを目的として百万遍念仏を行われる事例うことがある<ref>[https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201911/20191115_43035.html こけし・仏像を回す「百万遍」復活 念仏唱え先祖弔う 秋田・湯沢で十数年ぶり再現] - [[河北新報]]</ref>
 
== 関連項目 ==
*[[知恩寺|百万遍]]
*[[百万遍交差点]]
 
== 参考文献 ==
*[[伊藤唯真]]「百万遍念仏」(『[[国史大辞典 (昭和時代)|国史大辞典]] 11』([[吉川弘文館]]、1990年) ISBN ISBN 978-4-642-00511-1))
*伊藤唯真「百万遍念仏」(『日本史大事典 5』([[平凡社]]、1993年) ISBN 978-4-582-13105-5)
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
 
== 関連項目 ==
* [[知恩寺|]](百万遍]]
* [[百万遍交差点]]
* [[念仏講]]
 
{{DEFAULTSORT:ひやくまんへんねんふつ}}
[[Category:浄土教]]
[[Category:融通念仏]]
[[Category:日本の仏教史]]
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