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[[File:Hakusan Myori Daigongen.png|thumb|150px|白山権現(仏像図彙)]]
{{Buddhism}}
'''白山権現'''(はくさんごんげん)は、[[白山]]の[[山岳信仰]]と[[修験道]]が融合した[[神仏習合]]の神であり、[[十一面観音|十一面観音菩薩]]を[[本地仏]]とする。'''白山大権現'''、'''白山妙理権現'''とも呼ばれた。[[神仏分離]]・[[廃仏毀釈]]が行われる以前は、全国の白山権現社で祀られた。
== 概要 ==
[[717年]]([[養老]]元年(717年)修験道の者[[泰澄]]が[[加賀国]](当時は[[越前国]])白山の主峰、御前峰(ごぜんがみね)に登って[[瞑想]]していた時に、緑碧池(翠ヶ池)から十一面観音の[[垂迹]]である[[九頭竜伝承|九頭龍王]](くずりゅうおう)が出現して、自らを[[イザナミ]](伊弉冊尊)]]の化身で'''白山明神'''・'''妙理大菩薩'''と名乗って泰澄に顕われ現したのが起源で、併せて白山権現信仰の始まり、ならびに修験道場としての白山の開山創の由来と伝わる<ref name="denki">『加賀白山伝記之事』。</ref><ref name="oshou">『泰澄和尚伝記』。</ref><ref>「白山・立山と北陸修験道」、高瀬重雄編、ISBN 978-4626015945。</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://shofu.pref.ishikawa.jp/shofu/shirayama/japanese/data/inscription/page01.html|title=白山之記(現代版)|accessdate=2009-10-29|publisher=石川県新情報府}}{{リンク切れ|date=2018年1月}}</ref>。
妙理大菩薩の[[眷属]]として、孤峰([[別山]])では[[聖観音菩薩]]の[[垂迹]]である宰官身<ref>『観音経』(妙法蓮華経 観世音菩薩普門品 第二十五)。</ref>の大行事権現がイザナミ伊弉冊尊の神務輔佐の行事貫主として、大汝峰(おおなんじみね)では翁姿の[[大己貴命]](大汝権現)がイザナミ伊弉冊尊の神務輔弼として泰澄に顕われた<ref name="denki"/><ref name="oshou"/>と伝わり、泰澄に顕われた三神(白山妙理権現、大行事権現、大汝権現)を併せて'''白山三所権現'''と称する。さらには[[白山修験]]が隆盛すると、白山妙理権現の眷属として五王子権現も祀られた。
さらには白山修験が隆盛すると、白山妙理権現の眷属として五王子権現も祀られた。
{| class="wikitable"
! !!旧古称!!本地
|-
|rowspan=3|三所権現
|白山妙理権現||十一面観音菩薩
|-
|大行事権現(垂跡迹は[[菊理媛神]]<ref name="denki"/>)||聖観音菩薩
|-
|大汝権現(大己貴命)||[[阿弥陀如来]]
|}
[[782年]]([[延暦]]元年(782年)日吉八王子山の麓に白山権現が顕われたと伝わり<ref>『白山比咩神社略史』。</ref>、[[858年]]([[天安 (日本)|天安]]2年(858年)比叡山[[延暦寺]]にも[[勧請]]されて[[山王権現#山王21社の本地仏|山王七社]]の客人宮で祀られた。
=== 白山信仰の発展神仏習合と分離 ===
白山頂上本社と白山寺白山本宮は本地と垂迹の関係で、神道としては白山権現 =イザナミは伊弉冊尊であり、両神が即ち'''白山比咩神'''(しらやまひめのかみ)であった<ref name="kagabamba">「白山信仰と加賀馬場」、山岸共著 。</ref>。しかし、 [[1480年]]([[文明_(日本)|文明]]12 年(1480年)白山寺白山本宮が[[加賀一向一揆]]の攻撃で焼失して三ノ宮に移転して同座したが、[[吉田神道]]の 『[[大日本国一宮記]] 』に「白山比咩神社、下社 (=(本宮)伊弉冊尊、上社 (=(三ノ宮)菊理媛、号白山権現」と記されたため、この記載にある上社を移転先の三ノ宮ではなく白山頂上本社と誤認して、[[菊理媛神]]を白山比咩神や白山権現とする異説が流布し始めるに至った<ref name="kagabamba"/>。 ▼
[[平安時代]]には、[[加賀国]]・[[越前国]]・[[美濃国]]に3つの[[禅定道]]が設けられ、「三箇の馬場は、加賀の馬場、越前の馬場、美乃の馬場也」(三馬場)と称された<ref>白山記(白山比咩神社所蔵)</ref>。
[[明治維新]]による神仏分離・廃仏毀釈によって、修験道に基づく白山権現は廃された。三馬場のうち、加賀国の白山寺白山本宮は廃寺となり、 当時の[[国家神道]]の[[白山比 め咩神社]]に強制的に改組された。越前国の霊応山平泉寺も同様に廃寺となり、 国家神道の[[平泉寺白山神社]]に強制的に改組された。美濃国の白山中宮長滝寺は廃寺は免れたものの、 国家神道の[[長滝白山神社]]と天台宗の[[長瀧寺]]に強制的に分離された。 ▼
延暦寺の[[末寺]]となった白山寺白山本宮(加賀国)、霊応山平泉寺(越前国)、白山中宮長滝寺(美濃国)は白山頂上本社の祭祀権を巡る争いを続けたが、[[寛文]]8年(1668年)白山麓は[[江戸幕府]]の[[天領]]となり、霊応山平泉寺(越前国)が白山頂上本社の祭祀権を獲得した。
=== 白山比咩神 ===
▲白山頂上本社と白山寺白山本宮は本地と垂迹の関係で、神道としては白山権現=イザナミであり、両神が即ち'''白山比咩神'''(しらやまひめのかみ)であった<ref name="kagabamba">「白山信仰と加賀馬場」、山岸共著</ref>。しかし、[[文明_(日本)|文明]]12年(1480年)白山寺白山本宮が[[加賀一向一揆]]の攻撃で焼失して三ノ宮に移転して同座したが、[[吉田神道]]の[[大日本国一宮記]]に「白山比咩神社、下社(=本宮)伊弉冊尊、上社(=三ノ宮)菊理媛、号白山権現」と記されたため、この記載にある上社を移転先の三ノ宮ではなく白山頂上本社と誤認して、[[菊理媛神]]を白山比咩神や白山権現とする異説が流布し始めるに至った<ref name="kagabamba"/>。
== 白山修験 ==
'''白山修験'''は、白山頂上本社、中宮八院(護国寺、昌隆寺、松谷寺、蓮花寺、善興寺、長寛寺、涌泉寺、隆明寺)、[[白山七社|下山七社]](白山寺白山本宮、金剱宮、三宮、岩本宮、中宮、佐羅宮、別宮)で一山組織を成し、「白山衆徒三千を数う」「馬の鼻も向かぬ白山権現」といわれるほど、[[中世]]には加賀国を中心に宗教的にも政治的にも隆盛を極めた。
[[源平盛衰記]]や[[平家物語]]に記された白山衆徒・[[僧兵]]が対立した[[国司]](加賀守)を追放した[[鹿ケ谷の陰謀#白山事件|安元事件]]に代表されるように、加賀国では白山修験は[[一向宗]](加賀一向一揆)と並んで強大な軍事力を有する教団勢力として恐れられた。しかし、[[戦国時代_(日本)|戦国時代]]には一向宗門徒によって焼き討ちにされて加賀国では教団勢力は衰退したが、[[江戸時代]]になると加賀藩主[[前田家]]の支援により中興された。
白山修験の僧兵は延暦寺の僧兵と結びつき、特に霊応山平泉寺(越前国)は最盛期には8千人の僧兵を擁したと伝わる。
== 曹洞宗 ==
日本[[曹洞宗]]の[[道元]]禅師(高祖承陽大師)が[[宋 (王朝)|宋]]から帰国する前夜に、白山権現が[[碧巌録]]の写本を助けたとの伝承がある<ref>[http://www.sotozen-net.or.jp/kids/c_dogen/co_d_055.htm 曹洞宗・曹洞禅ネット - 道元さま P55]</ref>。このことから曹洞宗[[大本山]][[永平寺]]は、白山権現を永平寺の守護神・[[鎮守神]]としており、毎年夏には永平寺の[[僧侶]]が白山に参詣して奥宮の前で[[般若心経]]を[[読誦]]する。
== 神仏分離・廃仏毀釈 ==
▲[[明治維新]]による神仏分離・廃仏毀釈によって、修験道に基づく白山権現は廃された。三馬場のうち、加賀国の白山寺白山本宮は廃寺となり、当時の[[国家神道]]の[[白山比め神社]]に強制的に改組された。越前国の霊応山平泉寺も同様に廃寺となり、国家神道の[[平泉寺白山神社]]に強制的に改組された。美濃国の白山中宮長滝寺は廃寺は免れたものの、国家神道の[[長滝白山神社]]と天台宗の[[長瀧寺]]に強制的に分離された。
全国の白山権現社の多くは、菊理媛神を祭神とする[[神道]]の[[白山神社]]となっている。
== 白山権現を祀る寺院 ==
少数ではあるが、廃仏毀釈を免れて現在でも白山権現を祀る[[寺院]]が存在する。
*自生山[[那谷寺]]([[石川県]][[小松市]])
*深雪山[[醍醐寺#上醍醐|上醍醐寺]]([[京都府]][[京都市]])
*書写山[[圓教寺 (姫路市)|円教寺]]([[兵庫県]][[姫路市]])
*金獅峰[[大乗寺]](石川県金沢市)
*医王山[[毛越寺]]([[岩手県]][[平泉町]])
*白部山[[慶性院]]([[東大和市|東京都東大和市]])
曹洞宗大本山永平寺においても一年に一度雲水(修行僧)による白山登山が行われ白山頂上において法要が行われている。また登山とはいうが、登山口より頂上まで雲水スタイルで修行僧が走り抜ける姿は一般の登山客を驚かせている。
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Shrine of EnMusubiHakusanDaigongen.jpg|縁結白山大権現(醍醐寺・上醍醐)
Hiraizumi Hakusan Myori-do 202211.jpg|白山妙理堂<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.shirayama.or.jp/hakusan/yashiro/y162.html|title= 白山社めぐり(162) 白山妙理堂(白山社) (岩手県)|date=2020-07|accessdate=2022-12-29|publisher=白山比咩神社}}</ref>(岩手県平泉町)
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== 真言 ==
本地仏である十一面観音菩薩の真言を唱えることもある。
*'''オン マカ キャロニキャ ソワカ(Aum'''({{IAST|Oṃ Mahamahā Karunikāruṇika Kaya Svaha)'''<br><br>svāhā}})
これは日本地仏である十一面観音菩薩の真言と同一であり、邦語訳すれば、「[[オーム (聖音)|オーン]]、大悲なる御方よ [[スヴァーハー]]」という意味になる。
== その他 ==
== 関連項目 ==
*[[白山]] - 石川県と岐阜県にまたがる[[日本三霊山]]のひとつ。
*[[六甲山石宝殿 白山の宮]]
*[[白山信仰]] - 白山に関わる山岳信仰。
*[[白山神社]] - 各地一覧
== 外部リンク ==
* [http://shofu.pref.ishikawa.jp/shofu/shirayama/japanese/data/inscription/page01.html 白山之記(現代版)]石川県新情報府{{リンク切れ|date=2018年1月}}
{{Buddhism2}}
{{神道 横}}
{{DEFAULTSORT:はくさんこんけん}}
[[Category:白山信仰|*はくさんこんけん]]
[[Category:権現]]
[[Category:修験道の神]]
[[Category:泰澄]]
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