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{{韓国のInfobox 人物|
|氏名=文鮮明 / 문선명<br /> ムン・ソンミョン
picture=[[File:Sun-Myung-Moon-Prayer.jpg|175px|center]]|
|画像= File:Rev. Sun Myung Moon.jpg
title=文鮮明|
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hangeul=문선명|
|画像説明=[[ワシントンD.C.]]にて([[1995年]])
hanja=文鮮明|
|生年月日=[[1920年]][[2月25日]]([[旧暦1月6日|陰暦1月6日]])
katakana=ムン・ソンミョン|
|生誕地={{KOR1910}} [[平安北道 (日本統治時代)|平安北道]][[定州市 (平安北道)|定州郡]]
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|出身校= [[早稲田高等工学校]]
}}
|別名= 真のお父様、アボジ、アボニム
'''文 鮮明'''(ぶん せんめい /{{Lang|ko|문선명}}、ムン・ソンミョン/ Sun-Myung Moon) {{生年月日と年齢|1920|2|25}})は、[[朝鮮民族|韓国人]]の[[宗教家]]。[[世界基督教統一神霊協会]]―いわゆる 統一教会(統一協会)の創立者であり[[教祖]]。<!-- 正確には北朝鮮の生まれではありません(ノート参照) →北朝鮮の生まれであり -->[[朝鮮]]の[[平安北道]] 定州郡徳彦面上思里(現在は[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]統治区域)出身。戦前は[[朝鮮]]の日本からの独立を目指す[[反日|抗日]]運動の活動家でもあったと称している<ref name="kaminodaibensya">[[田井友季子]] 『[http://www.chojin.com/history/taiyukiko.htm 『神の代辯者』] (世界日報社 [[1995年]]2月5日)</ref>。
|没年月日={{死亡年月日と没年齢|1920|2|25|2012|9|3}}
本名は'''文龍明'''(ぶん りゅうめい/문용명、ムン・ヨンミョン、)<ref>「[[ドラゴン|龍]]」は『[[聖書]]』において、[[サタン]]([[悪魔]])の象徴として使われていることもあり、文鮮明は宗教活動を行うに当たり、“鮮明”と名乗るようになった(''[[ドラゴン#神話学におけるドラゴン]]を参照'')</ref>(<ref name="as1">[[浅見定雄]]『統一協会 = 原理運動 その見極めかたと対策』([[日本基督教団]]出版局、[[1987年]]3月20日)</ref>、p68)(<ref name="wagatiti">[[洪蘭淑]](著) [[林四郎]](訳) 『わが父 文鮮明の正体』([[文藝春秋]] [[1998年]]11月25日)</ref>、p25)。
|死没地={{KOR}} [[京畿道]][[加平郡]]
|職業=[[宗教家]]<br />[[政治活動家]]<br />[[実業家]]
|配偶者=[[韓鶴子]]
|出生名=文龍明|国籍={{KOR}}|子供=14人}}
{{朝鮮の人物
|title=文鮮明
|hangeul=문선명
|hanja=文鮮明
|katakana=ムン・ソンミョン
|alphabet=Moon Sun-myung
|latin=Mun Seong-myeong([[文化観光部2000年式|2000年式]])<br />Mun Sŏng-myŏng([[マッキューン&#65309;ライシャワー式|MR式]])
|hiragana=ぶんせんめい
|hangeul-birthname = 문용명、문룡명
|hanja-birthname = 文龍明
|hiragana-birthname = ぶん りょうめい
|hanja-japanesename =江本龍明
|nihonngo-yomi-japanesename=えもと たつあき|hiragana-japanesename=えもと たつあき}}
'''文 鮮明'''({{lang-ko-short|문선명}}、[[英語|英]]: MoonSun Myung, [[日本語|日]]: ムン・ソンミョン、ぶん せんめい<ref>{{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/%E6%96%87%E9%AE%AE%E6%98%8E-1410173|title=文鮮明|access-date=2022-07-19|publisher=百科事典マイペディア}}</ref>、[[1920年]][[2月25日]]([[旧暦1月6日|陰暦1月6日]])- [[2012年]][[9月3日]])は、[[大韓民国|韓国]]の[[宗教家]]、[[政治活動家]]、[[実業家]]。[[世界平和統一家庭連合]](旧:世界基督教統一神霊協会。通称:統一教会、統一協会。以下統一教会と表記)、[[国際勝共連合]]を含む統一運動の創立者。妻は[[韓鶴子]]。[[本貫]]は[[:Category:南平文氏|南平文氏]]<ref>{{Cite web |title=≪브레이크뉴스≫ 문재인-문익환-문세광-문선명...'남평문씨' 왜 싸잡아 비난? |url=http://www.breaknews.com/595620 |website=브레이크뉴스 |date=2018-08-16 |access-date=2022-07-19}}</ref>。
 
== 概略人物 ==
文鮮明は、統一教会の[[信者]]にとっては、地上に再来した[[メシア]]、第三の[[アダム]]、再臨の主であると考えられている。また、文と妻の[[韓鶴子]]は真の父母様と信者から呼ばれている{{sfn|コーワン・ブロムリー|2010|p=103}}。しかし一方では、宗教的[[詐欺|詐欺師]]であり、[[陰謀]]によって会員や元会員、その家族たちの人生を台無しにしてきた悪徳商人であると捉えている人々もいる{{sfn|コーワン・ブロムリー|2010|p=103}}。一部の[[マスメディア]]は、「有名な韓国人伝道師」「問題の宗教的指導者」「何万もの求道者を[[洗脳]]した[[カルト]]の人形使い」と評した{{sfn|コーワン・ブロムリー|2010|p=103}}。宗教学者の{{仮リンク|ダグラス・E・コーワン|en|Douglas E. Cowan}}、宗教社会学者の{{仮リンク|デイヴィッド・G・ブロムリー|en|David G. Bromley}} は、「どのように描写されているかは別として、[[20世紀]]後半の最も目立った[[新宗教]]の指導者の1人である」と評した{{sfn|コーワン・ブロムリー|2010|pp=103-104}}。
文鮮明は自らを[[聖書]]に[[預言]]された[[再臨]]の[[イエス・キリスト]]([[メシア]])であると自称している。全[[ヒト|人類]]の父母の立場にあるということから信者から「真の父母」とも呼ばれる。最近は「天地人父母」、「平和の王」、「根本先祖」という言い方も用いられるようになった。信者は文鮮明を、「お父様」、「真のお父様」、「アボジ」(お父さん)、「アボニム」(お父様)などと呼ぶ。妻の[[韓鶴子]](ハン・ハクジャ)も含めて言うときは「真の父母様」、「真の御父母様」と呼ぶ。正式な名称は「天地人真の父母様」だとされる<ref>[http://www.uc-japan.org/info/inforeport.aspx?id=1&itm=2 文鮮明師、韓鶴子女史ご夫妻の正式呼称について]([http://www.uc-japan.org/ucfam.aspx 世界基督教統一神霊協会公式ウェブサイト]) </ref>。
 
== 生涯 ==
3人目の妻(2度目は[[結婚|法律婚]]していない)[[韓鶴子]](ハン・ハクチャ)との間に14人の子供(3人は既に他界)と、40名ほどの孫を持ち、自らの家庭を「神の家庭」、「真の家庭」とし、全[[人類]]が模範とすべきモデル家庭だとしている。
[[1920年]][[旧暦1月6日|1月6日]]、[[日本統治時代の朝鮮|日本統治下]]の[[平安北道 (日本統治時代)|平安北道]]定州郡(現在の[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]・[[平安北道]][[定州市 (平安北道)|定州市]])で出生した{{sfn|古田|2011}}<ref name="aritablogos">[https://web.archive.org/web/20220420010900/https://blogos.com/article/46100/ 統一教会の文鮮明教祖死去にあたって][https://web.archive.org/web/20141010144757/http://saeaki.blog.ocn.ne.jp/arita/cat6522749/index.html]</ref>。出生名は「文龍明」。7男6女の13人兄弟の[[農家]]の次男で、そのうち8人が成人した。
 
曽祖父の代まで裕福な[[儒教]]家門だったが、15歳の時に兄弟が[[精神疾患|精神病]]を患い、それをきっかけに家族全員が[[プロテスタント]]の一派[[長老派]][[キリスト教徒]]となる{{sfn|クリサイディス|1993|p=39}}{{sfn|古田|2011}}。16歳の時に、祈祷中に[[イエス・キリスト]]と霊通し、再臨主の使命を継承するよう召命を受け、最初は拒んだが、最終的に受け入れたという{{sfn|クリサイディス|1993|p=39}}{{sfn|古田|2011}}。さらに[[聖書]]を学び、祈りを唱えるうちに、さらなる[[啓示]]を受けたとされている{{sfn|クリサイディス|1993|p=39}}。文は正式に[[神学]]を学んではいないが、書堂で中国の古典を学び、[[仏教]]やその他の宗教に親しんだ{{sfn|クリサイディス|1993|p=39}}。
人類の根本的な[[罪]]である[[原罪]]は[[メシア]]である自分によってしか清算出来ないと主張する。
 
1934年4月、雲龍学院から[[五山高等学校|定州私立五山普通学校]]に編入。この学校は[[三・一独立運動]]で独立宣言書に署名した33名の[[朝鮮独立運動|抗日運動]]指導者の1人であった[[李昇薫]]が設立した学校であり、日本統治下でありながら[[日本語]]を教えていなかった。教会の長老であった文慶天(いとこの文昇龍の父親)の勧めで、病気を治すため、文一家は教会に通うようになり、全員がキリスト教に改宗。次姉(文孝淳)と長兄(文龍壽)の精神病が按手祈疇を通して治癒したことから、「猫頭山」(標高310メートル)のふもとにある「徳興長老教会」に入教した<ref>(2009年金寧社刊 文教祖自叙伝「世界を愛する世界人として」より)</ref>。
人類始祖、[[アダムとイヴ|アダムとエバ]]の愛の過ちにより「[[サタン]]の血統」に陥った[[堕落]]人間を「[[神]]の血統」に転換するとの独自の教義に基づき、「[[合同結婚式]]」により、[[国際結婚|国際カップル]]を含む多くの男女を結びつけて来た。
 
1935年4月、定州公立普通学校に転入。私立京城商工実務学校電気科(現・中央大学)に入学{{efn2|『この柳スポークスマンから貰った資料の中に『統一教会史 試草=文化部編史課』というザラ紙にタイプしたものがある。これによると、一九三八年、彼が十八歳のころ、ソウルに出て来て、中学校(旧制)に入り、黒石洞に下宿し、信仰生活を主とし、日曜学校にも通った、と抽象的な表現で、四一年日本へ発つまでのことが述べられているが、丁度この時代の彼を知っている証人を紹介しよう。統一協会側は、何故かひた隠しにしているが、文鮮明は一九三六年から三九年まで、私立京城商工実務学校(現中央大学)に在学していたのだ。これは事実である。ひた隠しにするはずである。丁度この時期に文鮮明は、十六歳、神の啓示を受けたのだから。この私立京城商工実務学校は、ソウルの漢江のほとりにあり、土居山洋氏(現九州電気学校校長代理)が設立した日本人経営の学校だった。日本占領時の当時としては珍しく、韓国人にも実務教育を、と、電気、建築、商業などを主体とし、全国から韓国人の子弟を集めた。はじめはホンのバラック小舎の校舎だったが、学校の周辺に下宿屋なども出来て、しだいに学校らしくなって来た。設立者土居山洋氏がクリスチャンで、その博愛精神から、当時激しかった韓国人蔑視や虐待を排除し、彼らに実務教育をと努力したので、子弟は全国から続々と集まって来た。校舎もそうした先生や生徒たちの手作りで大きくなって行く。この学校に赴任し、日本語と英語を教えた園部治夫氏(現明治学院大学教授)の、文鮮明の印象は次のようなものである。「当時は文龍明といっていました。日本名を付けなければならなかった時代でしたから、彼は江本といっていました。うちの誰か先生が付けてやったのでしょう。江本龍明は、活達で教室でも人をリードしていくいい生徒でした。勉強も出来たほうです。彼は三九年(昭和十五年)卒の第三期卒業生です」 ◇文の隠された秘密-十六歳啓示説はウソだった?! ソウルで取材を続けていたある日、この学校の名前をチラッと聞き込んだ。ツテを頼って、ようやくにして江本龍明と同級生だった人に会えた。そして借用して来たのが、卒業記念写真である。坊主頭こそしているが、十八歳の江本龍明は、現在の文鮮明とまったく変わりがない。本人であることは一目瞭然である。(中略)十六歳で神の啓示を受けた江本龍明は『統一教会史』にもある如く、さぞや京城商工時代に、信仰生活を過ごしていた、と思いきや、土居先生も園部先生も、"それは気がつかなかった"と述べている。クリスチャンである両先生は、日曜学校へ通われたが、そこでもついぞ、イガグリ坊主頭の教え子江本龍明に会った記憶がない、という。写真提供者の同級生は、さらにハッキリと、文鮮明が信仰者でなかったことを断言している。(中略)一九三九年、京城商工を卒業してから、四一年に日本に渡るまでの間が不明である。』<ref>山口浩「原理運動の素顔」(1975年)</ref>}}。同年4月17日、定州の「猫頭山」において<ref>1995年発行「聖地定州」</ref>イエス・キリストと出会った。文によれば、キリストは[[ヘブライ語]][[方言|なまり]]の[[朝鮮語|韓国語]]で{{Sfn|萩原|1980}}<ref name="asami1">[[浅見定雄]]『統一協会 = 原理運動―その見極めかたと対策』([[日本キリスト教団]]出版局 1987年3月20日) ISBN 978-4818421110</ref>「メシアとして果たせなかった使命を果たしてほしい」と頼んだという。文はその責任の重さゆえに何度も断ったが、最終的に受け入れたとされる<ref name="kaminodaibensya">[[田井友季子]] 『神の代辯者』(世界日報社、1995年2月5日)ISBN 978-4882010555</ref><ref name="gendainosetsuri">-世界基督教統一神霊協会(発行)『文鮮明先生を中心とする現代の摂理』([[光言社]] 1990年12月1日)-</ref>。
文鮮明は宗教活動に留まらず、機械製作会社、製薬会社、新聞社、[[銀行]]から自動車、食品、旅行など様々な分野の企業を設立し、政治、経済、宗教、科学、言論などに関する会議や財団を数多く創立した。その全ては「地上天国」の実現のためのものであるとされている。
 
1938年、定州公立普通学校卒業。卒業式では警察署長や郡守たちを前に「日本人はふろしきをまとめて出て行け」と演説を行い、地元の警察に「要注意人物」とされた<ref>韓国歴史編纂委員会『真の御父母様の生涯路程 1―文鮮明先生御言精選ー真のお父様の誕生と内的準備』光言社 2000年 P58~110</ref><ref name="tongil-history-1-p59-p105">歴史編纂委員会『日本統一運動史ー文鮮明先生御夫妻と日本の統一教会および統一運動の歩み』光言社 P59~105</ref>。
[[大韓民国|韓国]]、[[日本]]、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]を初めとして世界の[[政治家]]、[[宗教家]]など、有力者との関係を持つ<ref name ="sekaichrisit">[http://www.gospeljapan.com/skj/960812.htm 米福音派は統一教会を許容?]([http://cjcskj.exblog.jp/ 世界キリスト教情報] 1996年8月12日閲覧 )</ref>。
 
18歳の時に[[京城府|京城]](現・[[ソウル特別市]])の京城商工実務学校電気科に通い、[[電気工学]]を学んだ{{sfn|クリサイディス|1993|p=40}}<ref>韓国歴史編纂委員会『真の御父母様の生涯路程 1―文鮮明先生御言精選ー真のお父様の誕生と内的準備』光言社 2000年 P112~183</ref>。在学中から([[創氏改名]]に先行して)「江本」姓を名乗る。学生時代、[[鍾路]]三街へ遊郭通いをする{{efn2|『昔、(ソウルの)鍾路三街のような所には遊郭がありました。それを私が調査しなければならないというのです。なぜ美しい女性たちがあのようなことをしなければならないのかというのです。もしあれが自分の姉だとすればどうするのか、自分の娘ならばどうするのか、父や兄であれば、どうするのか、問題が深刻です。そのような若い女性たちに対して、夜を明かしながら話してあげたことを思い出します。』<ref>「文鮮明先生の教育哲学」 1988年10月16日</ref>}}。
「統一教会」は草創期から、韓国本国を初め、日本、アメリカでも多くの反対を受けて来ており、教団設立以前に、抗日独立の地下活動を行って来た時代から、文鮮明はこれまでに6度投獄された経験を持つ。文鮮明自身も、自らを歴史上、最も迫害された宗教者であるとし、それが自分が本物である証だとしている。
 
イエス教会の所属教会である明水台教会に通った{{sfn|古田|2011}}。イエス教会とは、[[李龍道]]がイエスの親臨を主張する[[柳明花]]を通して得た啓示に従って、1933年6月に設立したもので、李は同年10月に死去した{{sfn|古田|2011}}。よって両者に面識はない。文は同教会の講師を務め、イエス教会のリーダー許孝彬とも面会し、文の初婚時には許孝彬が主礼を引き受けるなど親しい関係となった{{sfn|古田|2011}}。文はここで、「神の摂理」と「究極の真理」を会得したと語っており、李龍道を思想的なルーツであるとしている{{sfn|古田|2011}}。
但し、これも[[金日成]]が[[赤軍]]によって「抗日活動家」として偽装させられたとする疑惑があるように、文も右派の宗教勢力としての役割を担わせるためにKCIAの都合により「抗日活動家」の肩書きに結び付いたとも云われている{{要出典}}。
 
[[ファイル:Sun Myung Moon in Waseda.jpg|左|サムネイル|237x237ピクセル|[[早稲田高等工学校]]在学中の文鮮明]]
統一教会はここ数年、[[フィリピン]]はじめ[[アジア]]諸国、[[オセアニア]]諸国において、教祖やその家族の講演をはじめ様々な活動が展開されている。2006年には、[[ドイツ]]が教祖の入国を許可した。対して韓国では、教義の違いから一般のキリスト教会の反対が強い。
 
1941年3月31日、日本留学のため京城を離れる、その動機として文は「大韓民国の日本統治下において、誰よりも愛国者としての道を知らなければなりませんでした」としている。[[京釜線]]の[[朝鮮総督府鉄道#急行「ひかり」|急行「ひかり」]]で[[釜山広域市|釜山]]に向かう。[[1941年]]4月1日、[[関釜連絡船]]に乗船、「怨讐の国」の地を踏む<ref>韓国歴史編纂委員会『真の御父母様の生涯路程 1―文鮮明先生御言精選ー真のお父様の誕生と内的準備』光言社 2000年 P186~248</ref><ref name="tongil-history-1-p59-p105">歴史編纂委員会『日本統一運動史ー文鮮明先生御夫妻と日本の統一教会および統一運動の歩み』光言社 P59~105</ref>。日本到着後、「江本龍明」の日本名で[[早稲田高等工学校]]電気科に入学、[[淀橋区]]戸塚町(現在の[[新宿区]][[西早稲田]])に下宿する。学業の傍ら、造船所での石炭運びや運送業での労働を経験。私娼街にも通った{{efn2|『日本遊学の時、先生は貧民窟から私娼街まで行って見ない所がありません。といっても悪い事をやったのではありません。私娼街にいる女の過去を探ってみれば、普通の人間の過去と違いはありません。社会環境に追われ、その流れに押し流されてどうしようもなく哀れな身の上になり、あるいは父母や兄弟のために自分一身を供え物にした話も聞きました。たとえ自分の体が巷に踏みにじられ、捨てられるそんな女になっても、淋しく消える哀れな女になっても、父母兄弟を生かすという覚悟と決心をしているという時、その手を握って共に慟哭した時もありました。結局、彼らも純粋で素直な人間であったのです。その時先生は、こんな悲惨な人類の解放のために闘おうと考えたのです。』<ref>私のみ旨と信念 1969年2月2日</ref>}}。
2008年4月、統一教会は宗教分野における後継者は七男の[[文亨進]]であると発表した。
 
滞在中、韓国人留学生の秘密結社を組織して、中国の[[重慶]]に移った[[大韓民国臨時政府]]の[[金九]]と連絡を取りながら[[朝鮮独立運動|抗日地下運動]]を展開する。警察の監視対象になり、月に1回は呼び出されることになり、収監されることもあった<ref name="tongil-history-1-p59-p105"/>{{sfn|櫻井・中西|2010|p=88}}。
長らく、アメリカの[[ニューヨーク]]に居を構え、活動してきたが、[[2006年]]に韓国の[[京畿道]][[加平郡]]清平(チョンピョン)建てた「天正宮」に住むことになった。
 
{{Quotation|大韓民国が日帝の下で呻吟している時、先生も日帝に対抗して戦ったことがあります。私は、日帝時代に地下工作をした人なのです。そのとき、『何か問題があれば、全部私に罪を押しつけなさい』と言いました。私はそのとき、留学生を管理していました。責任者だったのです。そうして『死の境地に行くなら、私に罪を押しつけなさい』と言ったのです。文先生は正義のために、首を既に投げ出してしまったのです。気の小さい男ではないのです。皆さんは知らないけれど、玄界灘を渡り、釜山から安東まで列車の下に張りついて行くようにして、上海の臨時政府に派遣する、そのようなこともしました。安東まで汽車で行くのに8時間から9時間ですが、そのようなことまでしたのです。そうして北京で金九先生の指揮下に入った者たちは、最近の情報によると、中国でも有名な人たちになりました。そのような地下運動をしたのです。日本の帝国主義をどのように克服するか。そのためにいろいろな工作も行い、地下運動もして、最高の実力者たちにも連結して、そうした道を開拓したのです。|文鮮明 〜 日本留学時代の抗日運動について<ref>『真の御父母様の生涯路程 2―文鮮明先生御言精選ー韓国解放と摂理の出発』光言社 2000年 p212~213</ref>}}
2009年3月10日には、金英社から自叙伝「平和を愛する世界人として」が出版された。日本語版は10月2日に創芸社から出版された。[http://sekaijin.jp/index.html]
 
[[1943年]]10月、文は早稲田高等工学校を卒業、帰国する<ref name="moon-history1-p250-p281">韓国歴史編纂委員会『真の御父母様の生涯路程 1―文鮮明先生御言精選ー真のお父様の誕生と内的準備』光言社 2000年 p250~281</ref>。1944年初頭に[[鹿島建設|鹿島組]]の京城支店に電気技師として就職するが、10月には日本滞在中の抗日運動が発覚し、[[京畿道 (日本統治時代)|京畿道]]警察部に逮捕される。過酷な拷問を受け、地下運動の詳細と関係者についての証言を迫られたが、決して口を割ることはなかったとされる。[[1945年]]2月に釈放されたが拷問による体調不良が続き、[[文龍基]]の世話を受ける<ref name="tongil-history-1-p59-p105"/>。日本の様々な団体の宗教を遍歴しながら{{sfn|クリサイディス|1993|p=40}}、柳明花の信奉者のひとり[[白南柱]]の弟子である[[金百文]]が建てた[[イスラエル修道会]]で補助引導師になる{{sfn|櫻井・中西|2010|p=88}}。
文鮮明の著作『原理原本』(1952年発行)は、この金百文の著作『基督教根本原理』(1946年3月2日起草、1958年3月2日発行)の執筆中に文鮮明が盗作したという証言がある<ref group="注">「文鮮明は金百文が1952年釜山東来で避難中に執筆した『基督教根本原理』(1946年3月2日起草、1958年3月2日発行)の原稿『堕落原理、復帰原理』を見て『原稿校正を見て差し上げる』と持って行って6ヶ月以上持って来ない騒動を起こした」[http://www.amennews.com/news/articleView.html?idxno=8687 교회와신앙-이스라엘 수도원]</ref>。
 
1945年に強い宗教体験があり、これがのちの統一教会の源になったといわれている{{sfn|Nemeshegyi |1985}}。
== 来歴 ==
自らの思想「原理」を系統立ててまとめ、同年8月に「原理」による聖書解釈の説教で布教活動をスタートしたが、その教えはキリスト教主流派に受け入れられるものではなく、迫害を受けた。1945年10月、定州郭山支署収監事件が発生。金銭トラブルのため1週間ほど収監される<ref name="moon-history2-p60-p112">韓国歴史編纂委員会『真の御父母様の生涯路程 2―文鮮明先生御言精選ー韓国解放と摂理の出発』光言社 2000年 p60~112</ref>。[[1946年]]5月27日、「天命」を受け、妻子を置いてソウルを離れ、[[ソ連軍]]占領下の[[平壌直轄市|平壌]]に向かう。現地で宗教団体を巡り、布教を開始。8月11日、宗教と称して詐欺を行ったとして大同保安所に逮捕される。共産主義者による激しい拷問を生き延び11月21日に釈放{{sfn|クリサイディス|1993|p=40}}<ref name="moon-history2-p60-p112"/>。キム・ジョンファという女性信者の家で集会を行い、集会では祈祷を行い、神の悲しい心情を思い昼夜問わず泣いたため、当時は「泣く教会」と呼ばれていた{{sfn|古田|2011}}。礼拝は白い服で行われ、霊的な雰囲気の中で賛美歌が繰り返し歌われ、信者の多くが夢で神の声を聴いたり、啓示を受けたりしたという{{sfn|古田|2011}}。
注:(来歴の前半は教団の資料のみによる情報が多い。事実性に関しては不確定の部分もあり。当人のみならず、その子供たちなどの来歴も含む)
 
[[1948年]]2月に「社会秩序紊乱罪」で逮捕され、[[興南強制労働収容所]]で5年間の労働を言い渡された。肥料工場で過酷な強制労働に従事することになった{{sfn|クリサイディス|1993|p=41}}<ref>韓国歴史編纂委員会『真の御父母様の生涯路程 2―文鮮明先生御言精選ー韓国解放と摂理の出発』光言社 2000年 p114~170</ref>。1950年6月に[[朝鮮戦争]]が勃発し、[[国連軍 (朝鮮半島)|国連軍]]が9月に[[興南区域|興南]]に達して囚人たちを解放{{sfn|クリサイディス|1993|p=41}}。文は釜山に向かって弟子たちと再会し、ソウルへ、さらに釜山まで避難した{{sfn|Nemeshegyi |1985}}。
=== 少年時代 ===
* [[1920年]][[2月25日]]([[陰暦]]1月6日)、[[日本統治時代 (朝鮮)|日本統治時代]]の[[朝鮮]]・[[平安北道 (日本統治時代)|平安北道]]定州郡(チョンジュグン)徳彦面(トゴンミョン)上思里(サンサリ)2221番地で、文慶裕(ムン・ギョンユ)・金慶継(キム・ギョンゲ)夫妻の次男として生まれる<ref name ="kaminodaibensya"/>。
: “'''龍明'''”(ヨンミョン/りゅうめい)と命名される(<small>「龍」は[[サタン]]を意味するため、それを隠すために自ら“'''鮮明'''”と改名(出典:ホン・ナンスク著『わが父 文鮮明の正体』)</small>)。上思里は家が15軒ほどしかない農村で、9軒が文氏姓であったため、「文村」と呼ばれたという。両親は農業を営み、兄が1人、姉が3人、弟妹が5人ほどいたとされる。また、一家は[[長老派教会]]系の熱心な[[キリスト教徒]]であったという。
* [[1926年]] 7歳から13歳まで、一般家庭の子供たちが通う[[書堂]]で、[[漢文]]を中心に学ぶ。
* [[1932年]] 12歳のころ、康村にある長老派教会に通う。
* [[1933年]] ウォンボンの学院に通う。
* [[1934年]] (14歳)定州にある私立[[五山学校|五山]]普通学校3年に編入。
* [[1935年]] (15歳)定州公立普通学校4年に転校。
: [[4月17日]] [[数え年]]16歳の時、[[復活祭]]に当たる日(文の主張。カトリック、プロテスタントともに、この年の復活節は4月21日)に、[[猫頭山]](ミョドゥサン)でいつものように祈っていると[[イエス・キリスト]] が霊的に現われ、“イスラエル民族が自分を不信したため、果たせなくなった [[神]]のみ旨を果たしてほしい”と請われたが、その重大な容ゆえに何度も辞退したが、その最も悲惨で困難な道を、誰かが行かねばならないことを悟り、受け入れたという(<small>米国のテレビのインタビューでは「イエスは[[ヘブライ語]][[方言|なまり]]の[[朝鮮語|韓国語]]で話した」と答えている</small>)。<br/>以来、絶対的真理を解明する戦いを始めたという。
 
[[1951年]]1月27日、釜山に到着する。[[乞食]]行為を行うなどの貧しい避難生活を送る。この頃から『原理原本』の執筆を開始する。8月頃から凡一洞に土壁の掘建て小屋を建てて再出発の準備をする。この場所は後に教団の聖地となる<ref name="moon-history2-p207-p248">韓国歴史編纂委員会『真の御父母様の生涯路程 2―文鮮明先生御言精選ー韓国解放と摂理の出発』光言社 2000年 p207~248</ref>。1955年まで港湾労働者として働いた{{sfn|Nemeshegyi |1985}}。1952年5月10日、教義書『原理原本』が完成する{{sfn|クリサイディス|1993|p=42}}。「原理」の説教を始め{{sfn|クリサイディス|1993|p=42}}、1953年1月から韓国各地を巡回する布教活動を開始する<ref name="moon-history2-p207-p248"/>。
* [[1938年]] (18歳)
: 春、小学校の卒業式で、演壇に立ち、教育や教師への批判、時局批判などを1時間近く訴え大問題となったという。 故郷を離れ、[[京城府]](現在の[[ソウル特別市|ソウル]])にあった京城商工実務学校電気科に入学。
: 長老派系の[[イエス教会]]所属の明水台(ミョンスデ)教会の[[日曜学校]]で、子供たちを指導したという。[[平壌]]からしばしば訪ねて来たイエス教会の幹部である[[李浩彬]](イ・ホビン)、[[朴在奉]](パク・チェボン)牧師たちと、信仰の境地について語り合う。また、生活に苦しむ人間の実態を知るために、日雇い労働、農夫、漁夫、波止場の人夫、炭鉱の鉱夫など、警察と軍隊以外のことを多く経験したという。
: また、地下活動を含む抗日活動を始める。[[神]]の[[摂理 (神学)|摂理]]として、朝鮮([[大韓帝国]])を日本から独立させることが目的であったとされる。
: [[ソウル駅]]前や昌慶苑([[太宗 (朝鮮王)|太宗]]を祭る宮殿)などにおいて、時代情勢について演説したりしながら3年間伝道。
 
=== 世界基督教統一神霊協会を設立 ===
* [[1941年]] (21歳)
1954年5月1日、「'''[[世界基督教統一神霊協会]]'''」(通称:統一教会、統一協会)を設立した{{sfn|クリサイディス|1993|p=42}}{{sfn|古田|2011}}<ref name="kogensha-history1">{{Cite web|和書|url=https://www.kogensha.jp/data/tp-history/ | title=真の父母様と統一運動の歴史 1920-1969 | publisher=[[光言社]] |date= | accessdate=2022-10-12 }}</ref>。世界基督教統一神霊協会は原理運動とも呼ばれる{{sfn|Nemeshegyi |1985}}。同年、統一教会が礼拝と称して不道徳な性行為を行っているとのうわさが広まり、官憲が文鮮明と4人の信者を逮捕した{{sfn|クリサイディス|1993|pp=43-44}}。罪状には姦通罪も含まれていたが、ほどなく徴兵忌避以外のすべての罪状が取り除かれ、徴兵忌避も無罪となり3か月後に釈放された{{sfn|クリサイディス|1993|pp=43-44}}。
: 京城商工実務学校を卒業。抗日活動を警戒されてか、日本[[留学]]の許可が得られなかったため、警察署長に直談判して許可を得たという。
:3月31日「[[ひかり_(列車)#朝鮮鉄道・南満州鉄道急行「ひかり」]]」に乗って釜山へ移動
:4月1日「昌慶丸」に乗って日本へ渡航
 
1955年、[[梨花女子大学校|梨花女子大学]]の教員5名・学生14名が入信を理由に退職・退学させられ、文は不法監禁等を理由に検挙された{{sfn|櫻井・中西|2010|p=88}}。「血分け」と称して淫行が行われているのではないかという疑いも持たれたが、文の容疑は兵役法違反及び不法監禁であり、無罪となっている{{sfn|櫻井・中西|2010|p=88}}{{sfn|櫻井・中西|2010|pp=414-415}}。1957年に全国に伝道師を派遣、1961年には[[朴正煕]]大統領の軍事独裁政権の下で、反共主義思想を展開し政府から庇護された{{sfn|古田|2011}}。1958年に日本に布教、数年間でフランス、ドイツ、スペイン、イタリアにセンターを設立した{{sfn|コーワン・ブロムリー|2010|p=106}}。
=== 日本留学時代 ===
* 1941年(21歳)
: 4月 日本に[[留学]]。「[[創氏改名]]」制度を利用し、「江本」という日本姓を名乗る。[[淀橋区]][[戸塚町 (東京府)|戸塚町]]の三橋宅に下宿しながら、[[早稲田大学]]附属の[[早稲田大学芸術学校|早稲田高等工学校]]電気工学科に学ぶ(<small>戦後の[[学制改革]]で早稲田大学工業高等学校となるが、1968年に廃校となった。昔は“早稲田大学高等部を経て理工学部に学んだ”と称していたが、早大に高等部は存在しない。また、文鮮明はそのときの日本名を「山本朋成」としているが、後に同姓同名の別人がいることが判明した</small>)<ref name="as1"/>。
: [[東京]]留学中も抗日活動を継続し、[[大韓民国臨時政府]]の主席で、対日宣戦布告していた[[金九]]とも連絡を取り、地下活動を行う。要注意人物として、毎月[[高田馬場]]の[[戸塚警察署 (東京都)|戸塚警察署]]から呼び出しを受けたという。
: 他の朝鮮人留学生と共に[[第二次世界大戦]]中の日本による[[朝鮮]]の青年、学徒への[[徴兵制度|徴兵]]に対する抗議集会を行う。
: 『[[聖書]]』を初めとして、宗教や[[哲学]]を熱心に勉強したという。また、社会の現実を知るために、日雇い労働のために、[[東京]]の各地、[[横浜市|横浜]]、[[川崎]]、[[千葉]]や[[品川]]の裏町の[[スラム|貧民窟]]や[[新宿]]の裏町の[[飲み屋|酒場]]などへも行ったという。後に「統一原理」と呼ばれることになる真理を発見したのは、20代前半だという。
 
[[1958年]]頃、文鮮明は「大学街に日本と交渉する準備」をした上で、日本への海外宣教を計画する。文曰く「北では金日成主席を中心として、ソ連と中共が後援する立場にあることは間違いないので、この難局を解決し、大韓民国が生き残る1つの突破口を開くためには、日本を突破していかなければならない」と考え、宣教師の[[崔奉春]]を密航船で日本に[[密入国]]させた<ref name="tongilgyo-history-1-p119-p182">歴史編纂委員会『日本統一運動史ー文鮮明先生御夫妻と日本の統一教会および統一運動の歩み』光言社 P119~182</ref><ref name="tongil-pioneer-1-p12-p65">世界基督教統一神霊協会 歴史編纂委員会『日本統一教会 先駆者たちの証言1』光言社 2008年 P12~65</ref>。
=== 朝鮮帰国以降 ===
* [[1943年]](23歳)
: 9月 戦争の激化で、[[早稲田大学芸術学校|早稲田高等工学校]]を半年短縮して卒業。2年半にわたる日本留学を終え10月に朝鮮に帰国。
: 12月 18歳の[[崔先吉]](チェ・ソンギル)と約婚(<small>教団では「真の母」としての第一候補だったとされ、年齢は十代で、篤実なキリスト教徒であり、[[洗礼ヨハネ]]の使命を果たす女性という条件で選んだと言う。[[お見合い]]だったとも言われる{{要出典}}</small>)。
 
[[1959年]][[10月2日]]、日本において世界基督教統一神霊協会を設立した<ref name="kogensha-history1"/>。日本の統一教会は1964年7月15日に宗教法人の認証を受け、翌16日に設立された<ref name="kogensha-history1"/>。
* [[1944年]] (24歳)
: 年初 [[満州]]の[[ハイラル区]]で就職する予定にしていたが、世界情勢の変化を見て、朝鮮に残るべきだと考え直し、鹿島組(現・[[鹿島建設]])の京城(ソウル)支店に電気技師として就職。
: 5月 崔先吉(18歳)と聖婚式を挙げる。「[[血分け]]」を行う[[混淫派]]とも言われる[[李龍道]](イ・ヨンド)派のイエス教会の幹部である[[李浩彬]]の司式により行われたとも言われる。{{要出典}}
: 10月 日本留学時の抗日運動の事実が発覚し、[[京畿道]](キョンギド)警察部によって連行され、[[拷問]]を受ける。
: 日本での地下活動の内容と関連者の名前を白状するように迫られたが、最後まで黙り通したという。従兄弟の[[文龍基]](ムン・ヨンギ)たちが有名な[[弁護士]]を雇い、3か月で無罪釈放されるように働きかけたという。
 
[[ファイル:Bodacolectivasectamoon.jpg|サムネイル|180x180ピクセル|1982年の[[合同結婚式]]]]
* [[1945年]](25歳)
: 2月 半死状態で釈放される。出獄。
: 3月 鹿島組に再就職
: 4月28日 崔先吉と結婚。婚姻届を出す<ref>『[[世界日報 (日本)|世界日報]]』1992年9月20日</ref>(<ref name="wagatiti"/><small>、p33</small>)。
: 8月 退職。[[38度線]]封鎖。
: 9月 [[韓国民主党]]結成。([[李承晩]]帰国後に与党となる。)
 
[[1960年]][[3月16日]]、当時17歳の[[韓鶴子]]と結婚し、この時期以降「[[合同結婚式]]」を開始した{{sfn|クリサイディス|1993|p=44}}。
=== 「荒野40年路程」の始まり ===
: 10月 [[イスラエル修道院]]で[[金百文]](キム・ベンムン、[[1917年]]~[[1990年]])に学ぶ。ソウルの上道洞(サンドドン)礼拝所の補助引導師をする。
: [[12月25日]] [[クリスマス]]に当たるこの日に、[[霊界]]からの[[啓示]]を受けた人から[[ソロモン]]王の祝福を受けたという。さらに、[[啓示]]によって、みなが文に従うようになったのを金百文が妨げるようになり、文に対し敬遠するようになったという。
: 10月中旬ころ 故郷の朝鮮北部・定州郡に帰る。いとこの文龍基(ムン・ヨンギ)と買い物をしたとき出したお金が偽物と疑われ、2人とも牢獄に入れられる<ref name="wagatiti"/>。小学校時代の担任であった郭山(クァクサン)の警察署長に身元の保証を請け負ってもらい釈放される。
 
1965年、世界40か国を回って布教を行った{{sfn|古田|2011}}。1月28日には日本に到着した。21年ぶりの来日だった。[[南平台町|南平台]]の日本本部教会を訪問、その後全国の教会支部を回り、各地の信者からの歓迎を受ける。文鮮明は2月10日に[[三笠宮崇仁親王]]、[[笹川良一]]と会談。翌日にも笹川と会食<ref name="tongil-history-1-p185-280"/>。
* [[1946年]] (27歳)
: 4月 イスラエル修道院では神のみ旨が果たせないと考え去ったという。
: 4月2日(陰暦3月1日) 崔先吉との間に長男、[[文聖進]](ムン・ソンジン)が生まれる(<ref name="wagatiti"/><small>、p33</small>)。
: 妻子を残し、南北分界線の監視区域を突破、[[ソビエト連邦|ソ連]]支配下の[[平壌]]へ向かう。
: 6月6日 平壌に到着する。[[摂理 (神学)|摂理]]で用意された神霊集団を再統合するためだとされる。それらの集団は「[[混淫派]]」や「[[霊体交換派]]」と呼ばれる「血分け」を行う者達だとも言われる。家庭集会を中心に伝道し、弟子を得るが、弟子の家族や信者を奪われた[[牧師]]たちの反対が強くなる。{{要出典}}
:6月金仁珠入教
:7月[[金百弼]]入教
: 8月11日 牧師の訴えと[[共産党]]から[[李承晩]]の[[スパイ]]容疑(<small>風俗紊乱の廉で逮捕収監だったとも言われる{{要出典}}</small>)で大同保安署に3ヶ月間収容される。同じく投獄されていた[[腹中教]]の[[許孝彬]](ホ・ヒョビン)に「司法当局([[朝鮮共産党#戦後の朝鮮共産党|朝鮮共産党]]政権下の治安機関)は受けた[[啓示]]を嘘だと言えば釈放するといっているのだから、それを認めて牢獄から出よ」と書いた手紙がに発覚する。
: 9月18日 午後2時から本格的拷問が始まる。
: 11月21日 半死状態で釈放される。弟子が「大同保安署の回りを[[エリコ城]]のように7回まわれば先生に会える」という啓示を受け、その通りにしたら釈放されたという<ref name="soushisya">[http://www.uc-japan.org/intro/founder.aspx 統一教会について-創始者]([http://www.uc-japan.org/ucfam.aspx 世界基督教統一神霊協会公式ウェブサイト])</ref>。
 
{{Quotation|先生は、日本の皇居を通り過ぎていく時に、国を失い、民族を失った恨(ハン)を抱いた孤独な男として、その皇居を見つめながら、今から二十年後には、天が韓民族を中心として勝利の旗を掲げる日が来るということをあらかじめ知って、神様に祈祷しました。「今は、日本が私たちの民族を迫害していますが、今度は反対に私が命令すれば、日本の若者が先生のために、世界のために立ち上がる日が来ます」と、そのように誓ったのです。それが二十年後の1965年に成し遂げられました。|文鮮明の発言<ref name="moon-history1-p250-p281"/> }}
* [[1948年]] (28歳)
: 2月22日 キリスト教団の訴えで、[[内務省]]に拘束される。
: 4月7日 社会秩序を乱したという社会紊乱罪で、重労働5年の刑を言い渡される<ref name="wagatiti"/>(<small>教団の講義ではこう教えられるが、批判側の資料には、実業家の妻[[金鍾和]](キム・ジョンファ)と怪しげにみえる[[血分け|儀式]]を行っているところに警官が踏み込み、強制結婚の現行犯で逮捕され、夫の[[告訴]]により、[[懲役]]5年の実刑をうけ、相手の女性も10ヶ月の実刑となり共に収監された、とある</small><ref name="as1"/>)。
: 5月20日 [[咸鏡南道]] の興南(フンナム)にある「徳里特別労務者収容所」(通称、興南収容所移送。日本窒素肥料株式会社<現:[[チッソ]]>が[[1927年]]に建てた大規模化学[[コンビナート]]工場に通勤する元・従業員寮)に入れられて化学肥料([[硫酸アンモニウム|硫安]])を袋詰めする作業に就く。
: 6月21日 興南刑務所に入所
 
2月12日には日本を離れ、航空機でアメリカに向かう。3月には[[崔奉春]]も渡米した<ref name="tongil-history-1-p185-280">歴史編纂委員会『日本統一運動史ー文鮮明先生御夫妻と日本の統一教会および統一運動の歩み』光言社 P185~280</ref>{{sfn|Nemeshegyi |1985}}。アメリカでは当初ほとんど関心を持たれず、12年ほど停滞していた{{sfn|コーワン・ブロムリー|2010|p=106}}。1966年に教典『原理講論』が完成{{sfn|櫻井・中西|2010|pp=414-415}}。
* [[1950年]](30歳)
:10月14日 [[朝鮮戦争]]中の[[国連軍]]により興南収容所が爆撃され、辛くも解放される。
:[[10月24日]] 平壌に戻り、40日間弟子を訪ねて回る。
:12月4日 朝鮮南部への避難を始める。
 
[[1968年]]1月13日、下部組織として、「[[国際勝共連合]]」を韓国で設立。同年4月、日本でも同団体を設立した<ref name=seikyo>[http://www.ifvoc.org/seikyo.html 国際勝共連合創始者 文鮮明総裁 逝去] 2012年9月07日</ref><ref>『新版 社会科学辞典』 新日本出版社、1978年第1刷。</ref><ref name="brainwashed-111">赤旗社会部 編 『わたしは"洗脳"された』pp.111-122「統一教会の顔」</ref>。
* [[1951年]](31歳)
: 1月27日 [[大韓民国]]の臨時首都であった釜山府(現;[[釜山広域市]]))の草梁(チョリャン)駅に到着。5年ぶりに妻子と再会。第3埠頭で働いたり、米軍部隊の木工部などで働き、夜は説教を行う(<ref name="wagatiti"/><small>、p33</small>)。
: 5月 自らの教えをまとめた『原理原本』の執筆を始める。
 
[[ファイル:Nixon Moon.gif|サムネイル|180x180ピクセル|[[ホワイトハウス]]にて面会した[[リチャード・ニクソン|ニクソン大統領]]と文鮮明(1974年)]]
* [[1952年]](32歳)
: 5月10日 一年をかけて『原理原本』を書き上げる。同日、高麗神学校(現在の[[高神大学校]])の学生で伝道師の[[姜賢実]](カン・ヒョンシル、現在、教会では[[アウグスチヌス]]の妻とされている)が訪ねて来る。後に入教。
: 12月 [[済州島]]から[[李耀翰]](イ・ヨハン)[[牧師]]が訪ねて来て、入教。
 
1971年に啓示を受けたとして、1972年にアメリカのニューヨーク市に拠点を移し、アメリカのほとんどの州に小規模のセンターを設立{{sfn|コーワン・ブロムリー|2010|p=106}}。統一教会の総本部もアメリカに移した{{sfn|Nemeshegyi |1985}}。アメリカ移住まで宗教活動に投入する資金源になる大企業の設立に熱心に活動し{{sfn|コーワン・ブロムリー|2010|p=106}}、日本を経済基盤に世界中に宣教を行った{{sfn|古田|2011}}。多様な商業活動が、教団の規模を大きく上回る影響力を支える経済的基盤となっている{{sfn|コーワン・ブロムリー|2010|p=106}}。激しい反共主義によって、欧米で多くの友好関係を構築し、国連で2度演説し、[[リチャード・ニクソン|ニクソン米大統領]]に[[ホワイトハウス]]に招かれた。
* [[1953年]](33歳)
:12月 [[ソウル大学]]出身の[[劉孝元]](ユ・ヒョウォン)が入教。
 
1973年11月23日、渋谷区[[松濤]]の統一教会本部で元首相の[[岸信介]]と長時間にわたり会談<ref name="kogenshi20211013"/>。
=== 統一教会設立以降 ===
* [[1954年]](34歳)
: 2月9日生誕記念祝賀会(大邸)
: [[5月1日]] [[ソウル特別市|ソウル]]で[[世界基督教統一神霊協会]]を設立する。最初の会長は李昌煥(イ・チャンファン、後に脱会)
* [[1955年]](35歳)
: 3月24日 当時のエリート校であった[[梨花女子大]]の教授や生徒が次々と[[統一教会]](統一協会)に入信し、大学は[[異端]]の信仰をやめないことを理由に、[[崔元福]](チェ・ウォンボク)・[[金永雲]](キム・ヨンウン)・[[梁允永]](ヤン・ユニョン、音楽家講師)ら5名の教授・助教授を免職に、14名の学生らを退学処分とした。延禧(ヨンヒ)専門学校でも教授が免職処分、二名の学生が退学処分となる。<br/>[[マスコミュニケーション|マスコミ]]は当初、[[信仰の自由]]を認めない大学側を批判したが、やがて、教団に批判的な報道をするようになる。文鮮明が「[[血分け]]」をしているとの噂が広まり、教会に対する社会的批判が高まる(教団によると、当時梨花女子大トップの朴マリアが、夫の[[李起鵬]]の力を借りて政治的圧力をマスコミにかけ、偏向報道させたという。後に教団は、この報道に関する矛盾点を複数指摘している)。
: 7月4日 警察(治安局特殊情報課)により、兵役法違、某大学生を3日間不法監禁したという容疑で逮捕される。後日、劉孝元、金百弼、劉孝永(ユ・ヒョヨン)の弟子3人も逮捕される。
: 7月5日 金百弼入獄。
: 7月6日 劉孝永、金孝敏入獄。
: 7月13日 劉孝元入獄、文鮮明と幹部4名地検に移送。
: 8月17日 金明煕が日本に密入国した直後に東京で、文鮮明の子、[[文喜進]](ムン・ヒジン、男) を産む<ref name="family200506">「ファミリー』2005年6月号</ref>(<ref name="wagatiti"/><small>、p36</small>)<ref name="f200506">統一教会[[機関紙]]『ファミリー』[[2005年]]6月号</ref> (<small>教団では「真の母」としての第二候補であったが、外国で不幸な事件に巻き込まれ 「真の母」としての立場を続けることができなくなり、自ら身を引いたと説明している。</small><ref name= "sn1">『サンデー世界日報』[[1992年]]9月20日号「統一教会史余話」</ref>。 <small>金明煕は[[1998年]]の合同結婚式で[[霊界]]の[[ソクラテス]]と祝福を受けた。</small>)。
 
[[1975年]]1月1日、勝共連合機関紙「思想新聞」を改称発展させる形で、事実上統一教会と勝共連合の機関紙である[[世界日報 (日本)|世界日報]]を日本で発刊した。次いで[[1982年]]に[[アメリカ合衆国]]で、自らが主導して「[[ワシントン・タイムズ]]」(有名紙[[ワシントン・ポスト]]とは別物)を発刊<ref name="brainwashed-147">『わたしは"洗脳"された』p.147-152「勝共連合の顔」。</ref>。その後も「ニューヨーク・シティ・トリビューン」、[[ウルグアイ]]で「ウルティマス・ノティシアス」、中東で「ミドル・イースト・タイムズ」を発刊した。
: 10月4日 ソウル地方院の結審公判で、訴えていた女性側が告訴を取り下げたため無罪放免となるが、劉孝元は5千ウォンの罰金を科せられ、他の2二人は懲役8か月となる。
: 10月7日 出監獄直後に教団本部をソウルの[[龍山区 (ソウル特別市)|龍山区]]青坡洞(チョンパドン)1街71番地に移転。
: 12月 現在の妻、韓鶴子の母である[[洪順愛]](ホン・スネ)が入教。
 
[[1975年]]7月、日本の組織に対し、送金命令を出した。この命令により、月20億円で、1975年から約10年近くで2000億円、1999年から9年間に約4900億円が日本から韓国へ送られた<ref name="tbs20220723-p5">{{Cite web|和書| url=https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/103722?page=5 | title=【解説】『統一教会と政治家との関係は?』『保守系政治家と結びついたのは一体なぜ?』取材歴40年のジャーナリストが解説 安倍元総理銃撃事件(5/6ページ) |website=TBS NEWS DIG |publisher=[[TBSテレビ]] |date=2022-07-23 | accessdate=2023-10-10 |archive-url=https://web.archive.org/web/20220724122712/https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/103722?page=5 |archive-date=2022-07-24 |url-status=dead |url-status-date=2024-09-24}}</ref><ref name="musashino20221127">{{Cite web|和書| url=https://musashino.ac/work/report-session-event-20221117-discussion/ | title=【活動報告】第5回「政治と旧統一教会」質疑応答編 | publisher=武蔵野政治塾 | date=2022-11-27 | accessdate=2023-10-10 }}</ref><ref name="arita20120903">{{Cite web|和書|url=http://saeaki.blog.ocn.ne.jp/arita/2012/09/post_829f.html | title=統一教会の文鮮明教祖死去にあたって | publisher=有田芳生の『酔醒漫録』 | date=2012-09-03 | accessdate=2023-10-10 | archivedate=2014-10-10 | archiveurl=https://web.archive.org/web/20141010144739/http://saeaki.blog.ocn.ne.jp/arita/2012/09/post_829f.html }}</ref>。日本の統一教会は過酷な集金・違法な商売を行い、アメリカ・韓国等の統一教会の活動に多額の資金を提供することとなった。
* [[1956年]] (36歳)
:[[韓鶴子]]14歳文鮮明と初めて出会う。
* [[1957年]](37歳)
: 1月8日 12年近く連れ添った崔先吉(チェ・ソンギル)と離婚<ref name="f199811">(『ファミリー』[[1998年]]11月号)</ref>(<small>教団は最も愛する妻を犠牲にして弟子たちを愛した文鮮明の心情を理解できずに、自ら「真の母」の立場を放棄したと説明している </small>)<ref name="ts19920912">機関紙『中和新聞』([[1992年]]9月12日号)</ref>。
: 後に自身の妻となる14歳の統一教会信者、[[韓鶴子]]と初めて対面する<ref name ="ainosekai">『韓鶴子女史 御言葉選集 愛の世界』 光言社 [[1989年]]2月11日</ref>。
: [[忠清南道]]の[[鶏龍山]](ケリョンサン)で40日の[[断食]][[祈祷]]を行ったという。
: 韓国陸軍中佐の[[朴普煕]]が入教。
: 「原理解説」を発刊。
* [[1958年]](38歳)
: 7月 宣教のため、韓国の[[西川勝]]{韓国名は崔奉春(チェ・ボンチュン)}を日本に密入国させる。不法入国で逮捕された後、逃亡した西川は各地を転々と逃げ回った中で、同じく密入国した金明煕をかくまっていた[[品川 (東京都)|品川]]の[[霊能者]]、志賀如心の所にも身を寄せたという。[[日本モーターボート競走会|全国モーターボート競走会連合会]]の会長であった[[笹川良一]]が逮捕された西川の身元引受人を買って出た
: 1月 金永雲(キム・ヨンウン)を[[宣教師]]としてアメリカへ派遣する。
: 9月 金相哲渡米
 
1978年には世界言論人協会を発足させ、毎年世界各国の報道関係者を招いて「世界言論人会議」を開いた<ref name="brainwashed-147" />。1980年代から日本で[[霊感商法]]などが大きな社会問題となった{{sfn|古田|2011}}。
* [[1959年]](39歳)
: 4月頃 金明熙が4年ぶりに韓国に戻る<ref name="f200506"/>。文鮮明は喜進を認知し(<ref name="wagatiti"/><small>、p36</small>)、喜進だけを自分の戸籍に入れ、女性幹部の家で育てさせたという<ref name="sonojissou">[[卓明煥]] 『統一教、その実相』</ref>。
: 7月20日 全国120か所で、夏季40日間の開拓伝道が行われる。
: 8月15日 教理解説書『原理解説』が発刊される。
: 12月26日 冬季の40日伝道が行われる。
: 弟子の宋(ソン)長老と趙(チョン)イルチョンを連れて八道江山(パルトガンザン)の有名な師を訪ねる為、釜山近郊の寺刹を巡る<ref name="sonojissou"/>。
 
1982年にアメリカで[[脱税]]罪で18か月の実刑判決を受け服役したが、統一教会の普及の妨げにはならず、出所後も統一教会のトップであり続けた{{sfn|Nemeshegyi |1985}}。
=== 聖婚式(韓鶴子との結婚)以降 ===
* [[1960年]] (40歳)
: 3月27日 ソウルの[[龍山区 (ソウル特別市)|竜山区]]の[[青坡洞]](チョンパドン)の本部教会(当時)で、23歳年下(17歳)の[[韓鶴子]](ハン・ハクジャ)と約婚式を挙げる。翌年からこの日を「父母の日」という祝勝日とする。
: 第三アダムとして来た「真の父」である文鮮明が、新婦としての「真の母」を復帰して、人類の真の父母となる基準が満たされたとされる。
: 4月11日([[陰暦]]3月16日) 韓鶴子と結婚式を挙げる。文鮮明はこれを[[聖書]]の「[[ヨハネの黙示録]]」に書かれた「子羊の婚姻」([[イエス・キリスト]]の結婚)と意味づけ、「聖婚式」と呼ぶ。「(歴史上)初めて、“神の家庭”が地上に復帰された」と文鮮明は言う(<ref name="bs1">文鮮明 『み旨と世界』([[光言社]] 1985年)</ref><small>、p230</small>)
:4月9日三弟子約婚式
:4月11日聖婚式
:3月21日3双祝福
: 4月16日 ソウル特別市 龍山区青坡洞本部教会において、金栄輝(キム・ヨンヒ)と鄭大和(チョン・デファ)、劉孝元(ユ・ヒョウォン)と史吉子(サ・キルチャ)、金元弼(キム・ウォンピル)と鄭達玉(チョン・タロク)の3組の[[合同結婚式]]を行う。
: 11月19日 「子女の日」を宣布する。
 
1988年2月18日、文は、前年10月の「[[中曽根裁定]]」で中曽根康弘が[[竹下登]]を次期総裁に指名したことについて触れ、「中曽根の野郎は今回、裏切った。韓国の政治的な風土に大きな損失をもたらした。あいつが竹下を推していなかったら、安倍が首相になったはずだった」と信者の前で語った<ref name="mainichi202301300601">{{Cite web|和書|author=田中裕之、野口麗子、坂口裕彦、渋江千春 |url=https://mainichi.jp/articles/20230129/k00/00m/010/180000c | title=旧統一教会教祖「中曽根の野郎」 安倍晋太郎氏担ぐ思惑裏切られ | publisher=毎日新聞 |date=2023-01-30 | accessdate=2023-01-30 }}</ref>。
* [[1961年]](41歳)
: 1月27日 文鮮明と韓鶴子との間の第一子、[[文誉進]](ムン・イェジン)が生まれる。
: 5月15日 33組の合同結婚式を行う。前年の3組と会わせた36組は教団の幹部層を形成する。
: 12月27日 文誉進の出生届けを提出。
: 12月29日 文誉進の出生を申告。長男・[[文孝進]]が誕生。韓鶴子との婚姻届けを提出。
*[[1962年]]
:6月4日72双祝福。
* [[1963年]](43歳)
: 6月26日 韓国の京畿道[[仁川広域市|仁川]]埠頭にて「天勝号」進水式。その後、船舶事業は負債が膨らみ中止になる。
:7月24日 124双の合同結婚式を行う。式典に[[笹川良一]]夫妻も参列。
: 7月26日 「万物の日」を宣布する。真の父母(文夫妻)と真の子女(文夫妻の子供たち)が一体となって万物に対する所有を決定したという。
 
1989年7月4日、文は、[[安倍晋太郎]]が当時会長を務めていた派閥「[[清和政策研究会]]」(安倍派)を中心に日本の国会議員との関係強化を図るよう、韓国で信者に向かって語った。加えて、「国会内で教会をつくる」「そこで原理を教育することで、すべてのことが可能になる」「国会議員の秘書を教団から輩出する」と述べた<ref>{{Cite web|和書|author=田中裕之、坂口裕彦、渋江千春 |url=https://mainichi.jp/articles/20221105/k00/00m/010/008000c | title=旧統一教会教祖の発言録が流出 「安倍派を中心に」浮かぶ政界工作 | publisher=毎日新聞 |date=2022-11-06 | accessdate=2022-11-07 }}</ref><ref name="mainichi20221107-1">{{Cite web|和書|author=田中裕之、坂口裕彦、渋江千春 |url=https://mainichi.jp/articles/20221107/ddm/001/040/133000c | title=文鮮明氏「安倍派中心に」(その1) 89年発言録で判明 旧統一教会が政界工作 | publisher=毎日新聞 |date=2022-11-07 | accessdate=2022-11-08 }}</ref><ref name="mainichi20221107-2">{{Cite web|和書|author=田中裕之、坂口裕彦、渋江千春 |url=https://mainichi.jp/articles/20221107/ddm/002/040/131000c | title=文鮮明氏「安倍派中心に」(その2止) 文氏が号令 「国会内、教会つくる」「秘書輩出」「地方にも」 | publisher=毎日新聞 |date=2022-11-07 | accessdate=2022-11-08 }}</ref><ref>{{Cite web|和書|author=ANN News |url=https://www.youtube.com/watch?v=YviUuuqnCjw | title=「安倍派中心に関係強化を」旧統一教会 創始者・文鮮明氏が信者に政界工作説く(2022年11月7日) | publisher=YouTube |date=2022-11-07 | accessdate=2022-11-07 }}</ref>。
* [[1964年]](44歳)
: 7月28日 次女の[[文恵進]] (ムン・ヘジン)が誕生するが、生後1週間で他界。(8月4日)
 
1989年、韓国でも「[[世界日報 (韓国)|世界日報]]」を発刊した<ref name="brainwashed-147" />。
* [[1965年]](45歳)
: 1月 翌年の1月まで、韓国を初め、世界の40か国を巡回し、120ヶ所の「聖地」を定める。崔元福(チェ・ウォンボク)が随行し、通訳を務める。
: 1月 統一教会(統一協会)の日本上陸後、初来日。8箇所の聖地を決定する。
: 1月29日 学生時代に下宿していた三橋家を訪ね、大家だった三橋イトと再会。
: 日本を2度訪問。
: 6月25日 アメリカの[[ドワイト・D・アイゼンハワー|アイゼンハワー]]元大統領と会談する。「宗教の[[国際連合|国連]]を造って、世界を指導する基盤としなければならない」と提案したという。
 
1990年4月11日、[[ソビエト連邦]]の最高指導者[[ミハイル・ゴルバチョフ|ゴルバチョフ]]と[[クレムリン]]で会談<ref name="kogensha-history3">{{Cite web|和書|url=https://www.kogensha.jp/data/tp-history03/ | title=真の父母様と統一運動の歴史 1990-1999| publisher=光言社 |date= | accessdate=2022-10-12 }}</ref>。著名な政治家、宗教指導者とつながりを持ち、数多くの保守派の活動に資金援助をした{{sfn|コーワン・ブロムリー|2010|pp=103-104}}。
* [[1966年]] (46歳)
: 韓国で機械製作会社「統一産業」を設立し、軍需用に制式[[銃]]の製造を始める。
: 11月7日 韓国において、「キリスト教超教派運動本部」を設立する。
 
[[1991年]][[12月6日]]、当時の[[盧泰愚]]韓国大統領の[[北方外交]]に呼応して自動車事業で[[中華人民共和国]]の[[広東省]]に進出した際に[[朝鮮民主主義人民共和国]](北朝鮮)との接触を仲介<ref>『新東亜』2000年9月号</ref>していた中国政府の手配<ref>世界日報1991年12月1日付</ref>により同年[[11月30日]]から韓国政府に無断で電撃訪朝して故郷の定州へ訪問と[[平壌]]で北朝鮮の最高指導者である[[金日成]]と会談した<ref>{{KBS NEWS|3710473|문선명 통일교주 방북}}(KBS9時ニュース、1991年12月6日)</ref><ref>[https://imnews.imbc.com/replay/1991/nwdesk/article/1855120_30445.html 문선명 통일교교주, 김일성과 회담]{{ko icon|kr=1}}(MBCニュースデスク、1991年12月6日)</ref><ref>{{KBS NEWS|3710512|통일교 문선명 씨 방북활동에 대해 조사}}(KBS9時ニュース、1991年12月7日)</ref><ref>[https://imnews.imbc.com/replay/1991/nwdesk/article/1855161_30445.html 대검찰청, 문선명 교주 공동성명 내용 보안법 적용 검토]{{ko icon|kr=1}}(MBCニュースデスク、1991年12月7日)</ref><ref>{{Cite journal|和書|title=【ファイル社会主義朝鮮】|journal=月刊朝鮮資料|volume=32|issue=2|publisher=朝鮮問題研究所|date=1992-02-01|pages=52 - 53|id={{NDLJP|2676988/28}}}}</ref>。文鮮明はこの訪朝について経由地の[[北京]]で「私の勝共思想は共産主義を殺す思想ではなく、彼らを生かす思想、すなわち人類救済の思想」<ref>{{Cite web|和書|url = http://www.familyforum.jp/2013112225785|title = 統一教会・文鮮明教祖は、なぜ北朝鮮に行ったのか?|date = 2013-11-22|accessdate = 2016-07-24}}</ref><ref>文鮮明「北朝鮮から帰って」1991年12月7日</ref>とする声明文を発表した。会談では[[離散家族]]再会に取り組むこと、核査察を受けること、自由陣営国家からの投資を受け入れること、[[軍需産業]]を除外した経済事業に統一グループが参与すること、南北頂上会談を行うこと、[[金剛山 (朝鮮)|金剛山]]開発の実地などについて合意した。
* [[1967年]](47歳)
: 6月 日本に2か月滞在する。日本国内の責任者百数十名を集め、「原理大修錬会」を開催する。
: 7月 「世界反共連合」を設立するために日本の[[山中湖]]畔で[[児玉譽士夫]]、[[笹川良一]]と会合したという。[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/078/1110/07810211110004c.html 参議院会議録情報 第078回国会 外務委員会 第4号]<ref>[[朴普煕]]と親交のあった[[ユナイテッド航空]]のロランドのフレーザー委員会での証言</ref>
 
1992年4月11日、[[大阪国際交流センター]]で、[[抗日運動]]の英雄とされる[[柳寛順]]を称える「柳寛順烈士精神宣揚大会」が開催。1500人以上の日本人女性信者が[[太極旗]]を掲げながら[[チマチョゴリ]]を着て参加した。広島、名古屋など日本各地で開催され延べ1万400人が参加。同大会を通して「柳寛順烈士が16歳の少女として見せてくれた祖国観と犠牲的な愛国心、不撓不屈の精神」を褒め称えた<ref name="moon-history9-p364-p368">韓国歴史編纂委員会『真の御父母様の生涯路程 9―文鮮明先生御言精選ー還故郷活動と真の父母宣布』光言社 2001年 p364~368</ref>。
* [[1968年]] (48歳)
: 1月1日 「神の日」を宣布する(妻の韓鶴子が女性として完成したことによって、歴史上、初めて地上に“神の家庭”が立ったと宣言した)。
: 1月13日 [[共産主義]]に対抗するため韓国で「[[国際勝共連合]]」を設立する。
: 2月22日 436組の合同結婚式を行う。[[久保木修己]]が日本人として初めて参加。
: 4月 日本でも「国際勝共連合」を設立する。
 
{{Quotation|柳寛順烈士は、国家に忠誠を尽くし、一身を犠牲にして解放運動を行ったのです。独立運動が最も盛り上がった1919年に、先生は母の腹中にいました。独立していない地に、そのままでは生まれることができなかったのです。そのような闘いが先生の生命を中心として行われていました。その時から十ヶ月後である1920年に先生が生まれたのです。|文鮮明 〜 柳寛順の抗日運動について<ref name="moon-history9-p364-p368"/>}}
* [[1969年]](49歳)
: 2月~5月 43組の合同結婚式を行う。
: 世界巡回をする。崔元福が随行し、通訳を務める。
 
同年、[[世界日報 (韓国)|世界日報]]社長の[[朴普煕]]に、[[伊藤博文]]暗殺犯の[[安重根]]を称える「安重根義士旅順殉国遺跡聖域化事業」を命令した。[[旅順]]における、本格的な資料発掘および聖域化を推進した。文は安重根を「韓民族の偉大な将軍」「アジアの平和を主張した愛国者」とした上で、「彼の愛国心をアジアの青少年の精神教育における象徴とする」と事業の意義を語った<ref>韓国歴史編纂委員会『真の御父母様の生涯路程 9―文鮮明先生御言精選ー還故郷活動と真の父母宣布』光言社 2001年 p369~371</ref>。
* [[1970年]](50歳)
: 8月1日 金明煕との間の子、14歳の喜進(ヒジン)が、開拓伝道に行く途中で列車から転落死([[忠清北道]]梅浦駅)。
: 9月 [[日本武道館]]で、「世界[[反共主義|反共]]大会(WACL)」が開催される。
: 10月21日 777組の合同結婚式を行う。世界10か国から参加する。
: 12月 祝福家庭婦人を3年間の開拓伝道に送り出す。韓民族が統一教会(統一協会)を受け入れなかった失敗を取り返すためだとされる。
 
1998年3月29日、韓国で行った説教で、信者に対し、日本国内の預貯金は「皆さんのためのもの」と語った<ref>{{Cite web|和書|author=田中裕之、坂口裕彦、渋江千春 |url=https://mainichi.jp/articles/20221110/k00/00m/040/102000c | title=文鮮明氏、日本の貯金は「教会メンバーのもの」 信者向け発言録に | publisher=毎日新聞 |date=2022-11-11 | accessdate=2022-11-11 }}</ref>。
=== アメリカ進出以降 ===
* [[1971年]](51歳)
: [[イエス・キリスト]]を韓国の女性信者、張貞順(チャン・ジョンスン)と祝福したという([[1972年]]、[[1973年]]にも同様のことが語られる。)<ref>文鮮明 『牧会者の道』 光言社 1994年11月</ref> <ref name="f199512">『ファミリー』[[1995年]]2月号 P48 </ref> <ref name=f199807>『ファミリー』[[1998年]]7月号P16</ref> <ref name="f199910">『ファミリー』[[1999年]]10月号P46</ref>
: 12月6日 薬学博士号を持っていた洪性杓(ホン・ソンピョ、36家庭、[[洪蘭淑]]の父)に命じて、韓国において、製薬会社(これが「一和製薬」、後の「[[一和]]」となる)の設立を命じる。
: 12月 [[神]]の[[啓示]]を受けたとして、渡米。
 
統一教会は、合同結婚式、文一家による信者の生活への厳しいコントロール、組織を揺さぶる個人的または金銭的なスキャンダルといった問題を抱えており、1970年代から80年代には、反カルト運動の関係者、マスメディア、信者の家族によって、文鮮明は信者を「[[洗脳]]」<ref group="注">洗脳とは、朝鮮戦争後に捕虜生活から戻った兵士たちや、共産党革命後の中国再教育キャンプの収容者の態度変化を説明する際に使われた[[メタファー]]であり、アメリカでの1960年代終わりにかけての新宗教の急増や、それらの組織による勧誘活動の「成功」(実際には当事者が主張するほど成功しておらず、信者数は100倍近く誇張されていた)を説明するための枠組みとなっていた(コーワン、ブロムリー)。</ref> し、自律した思考や行動ができなくなるほど強い思想統制や行動修正の体制を信者に押し付けており、信者は1950年代のホラー映画のように組織や指導者の奴隷になってしまっているとして非難された{{sfn|コーワン・ブロムリー|2010|pp=103-104}}。
* [[1972年]](52歳)
: 2月~ アメリカの7大都市(ニューヨーク、ワシントンD・C、ボルチモア、フィラデルフィア、サンフランシスコ、ロサンゼルス、バークレー)やヨーロッパの二大都市で講演する。
: 2月 ロンドン、エッセンで講演。
: 4月 韓国で「統一神学校」を開校する。
: 10月 「統一思想研究院」を設立する。[[李相憲]](イ・サンホン)が院長に就任。
: 11月 [[ニューヨーク]]で、第一回「科学の統一に関する国際会議(ICUS)」を開催する。
: [[ニューヨーク州]]郊外にある[[ウエストチェスター郡 (ニューヨーク州)|ウエストチェスター郡]]の22[[エーカー]](約26[[ヘクタール]])の土地を85万[[アメリカ合衆国ドル|ドル]](当時の[[為替レート]]で約2億5千万円)で購入(<ref name="wagatiti"/> 、p69)<ref>ここに[[1920年]]に建てられたベルベディア邸は寝室が16、生活と食事のための部屋が6、[[浴室]]が10、大きな[[厨房]]、[[地下室]]、[[プール]]、[[テニスコート]]を有する。文の家族はここに私的な部屋を持ったが、教会の行事や来客を宿泊させるのにも用いた</ref>。
: 12月18日、子供たちが韓国から米国のベルベディアに移住する。
 
[[2000年]]、統一教会は経営危機となったアメリカの[[UPI通信社]]を買収した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yomiuri.co.jp/world/news/20120903-OYT1T00954.htm|title=米メディア進出・北朝鮮投資…死去の文鮮明氏|publisher=読売新聞|accessdate=2022-07-21|archiveurl=https://web.archive.org/web/20120906084808/https://www.yomiuri.co.jp/world/news/20120903-OYT1T00954.htm|archivedate=2012-09-06}}</ref>。
* [[1973年]] (53歳)
: 5月 「[[世界平和教授アカデミー]](PWPA)」を発足する。
: 6月16日 文聖進と金東淑(キム・トンスク、[[金元弼]]と[[鄭達玉]]の間の娘)とを祝福する(婚姻届は[[1976年]]9月20日)。
: 10月~翌年 アメリカの21都市で、「危機に瀕するキリスト教と新しい希望」と題して、三日連続の講演を行う。
: : ベルベディアの近くに18エーカーの地所を56万6150ドル(当時のレートで約1億4千万円)で購入。 ここを「[[エデンの園]]」を意味する「イーストガーデン」と命名する(<ref name="wagatiti"/><small>、p69</small>)<ref>中心となる3階建ての煉瓦作りの建物には寝室が12、浴室が7、居間が1、食堂、書斎、厨房、タイル張りの日光浴室などがある。</ref>。
: 11月30日 [[ウォーターゲート事件]]で糾弾されている[[リチャード・ニクソン|ニクソン]]大統領を擁護する声明を「[[ニューヨーク・タイムズ]]」と「[[ワシントン・ポスト]]」に出す。『許せ、愛せ、団結せよ』と訴える。
: アメリカでの永住ビザ([[グリーンカード]])を取得する。
: 12月24日上記声明を[[産経新聞|サンケイ新聞]]に掲載する。
 
[[ファイル:Sun Myung Moon Budapest Hungary 28-10-2005.jpg|サムネイル|239x239ピクセル|2005年10月28日、[[ハンガリー]]の[[ブダペスト]]にて]]
* [[1974年]](54歳)
: 2月1日 [[ホワイトハウス]]で[[リチャード・ニクソン|ニクソン]]大統領と30分間ほど会談する。
: 2月15日~ アメリカの32都市で、「キリスト教の新しい未来」と題して3日連続の講演を行う。イエス・キリストは死ぬために来られたのではなく、[[イスラエル]]民族の不信仰によって殺されたこと、再臨のキリストは人として地上に来られることなどを語る。
: 5月7日 日本の[[帝国ホテル]]で開催された「希望の日晩餐会」(名誉実行委員長は[[岸信介]])で「為に生きる」という題で講演する。<br/>ために存在する原則をもって個人、国家、世界が生きるときに地上天国になるという内容。<br/>[[福田赳夫]]大蔵大臣は「アジアは今、偉大な指導者 を得ることができました。その指導者こそ、そこにおられる'文鮮明先生です」と賛美し、韓国形式の挨拶で抱擁を繰り返す。[[安倍晋太郎]]、[[中川一郎]]、[[保岡興治]]、[[中山正暉]]、[[石井公一郎]]([[ブリヂストン]]副社長)、[[笹川了平]](大阪日日新聞社長、[[笹川良一]]の末弟)、[[笹川陽平]](富士観光社長、[[笹川良一]]の三男)らの他らの他、40名ほどの小学校、中学校、高校の校長達が出席。
: 9月18日 ニューヨークの[[マディソン・スクエア・ガーデン]]で、「希望の日」大講演会を行う。2万数千人が集まる。その後、アメリカの八大都市で講演する。
: 10月8日 アメリカの国会議事堂に招待され、講演を行う。
: 11月14日 統一教会(統一協会)本部で[[岸信介]]元首相と会談。[http://www.chojin.com/history/kishi.htm 当時の写真]
: 「リトルエンジェルス芸術学院」(現:「[[成和芸術高等学校]]」)を創設(<ref name="wagatiti"/><small>、p86-p87</small>)。
 
2005年、韓国で信者に向けて行った説教で、[[日韓トンネル]]構想のため「100億円以上の統一教会の財源を投入した」と述べた。国際ハイウェイ建設事業団(現・[[国際ハイウェイ財団]])はこの100億円を原資として、[[唐津市]]で約16万5千平方メートル、[[対馬市]]で約28万平方メートル、[[壱岐市]]で約1万7千平方メートルの計約46万2千平方メートルの土地を購入した<ref name="mainichi20230110">{{Cite web|和書|url=https://mainichi.jp/articles/20230110/k00/00m/040/140000c | title=旧統一教会友好団体、九州北部に広大な土地取得 日韓トンネル構想で | publisher=毎日新聞 |date=2023-01-10 | accessdate=2023-01-11 }}</ref><ref name="mainichi20230111">{{Cite web|和書|author=大野友嘉子、田中裕之、西脇真一、坂口裕彦、渋江千春 |url=https://mainichi.jp/articles/20230110/k00/00m/040/259000c | title=旧統一教会創始者、日韓トンネルに「100億円投入」 発言録で判明 | publisher=毎日新聞 |date=2023-01-11 | accessdate=2023-01-11 }}</ref>。
* [[1975年]] (55歳)
: 1月1日 日本で日刊新聞『[[世界日報 (日本)|世界日報]]』を創刊。
: 日本と韓国で全国を縦断して、「希望の日」晩餐会で講演する。
: 1月16日 韓国の朝鮮ホテルにおける「希望の日」晩餐会を行う。韓国において、初めて公の場で講演する。[[丁一権]](チョン・イルクォン)国会議長を初め、7百名余りの著名人が集まる。
: 2月8日 ソウル市[[奨忠体育館]]で1800組の合同結婚式を行う。
: 4月1日~5月16日 韓国の9か都市における「希望の日」晩餐会(各々2日間)で講演。
: 2月13日 通過[[査証]]での日本滞在にもかかわらず[[武道館]]で講演を行った後、合同結婚式のための1610組の指名婚約を行ったため、[[入国管理法]]違反に問われる<ref name="ay1">[[有田芳生]]『「神の国」の崩壊 統一教会報道全記録』 [[教育史料出版会]] [[1997年]]</ref>。
: 5月1日 韓国で「総解怨式」を行う。
: 6月7日 韓国の[[ヨイド]]五・一六広場における120万人「救世救国大会」において、「世界の中の韓国」と題して[[共産主義]]打倒を訴える。
:6月[[ジェラルド・R・フォード|フォード]]大統領と会談。
: 7月、米国東海岸[[ボストン]]北部にあるグロースターで[[マグロ]]釣りを中心とする「海洋摂理」を始める。第1回目の40日のマグロ釣りをする。
: 日本の統一教会(統一協会)に送金命令を始める。
: 世界127か国に宣教師を派遣。
:12月「希望の日講演会」(武道館)
 
2006年9月26日に[[安倍晋三]]が内閣総理大臣に就任すると<ref>{{Cite web|和書|url=https://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/244428/www.kantei.go.jp/jp/abespeech/2006/09/26press.html | title=安倍内閣総理大臣記者会見(平成18年9月26日) | publisher=国立国会図書館インターネット資料収集保存事業 | accessdate=2022-11-01 }}</ref>、それから1週間後の10月3日、文は「安倍が首相になったと聞いている」と語り、信者に対し、安倍の秘書室長と面会するよう指示した<ref name="mainichi20221107">{{Cite web|和書|author=田中裕之、金森崇之、坂口裕彦、渋江千春 |url=https://mainichi.jp/articles/20221107/k00/00m/010/003000c | title=文鮮明氏、安倍元首相就任直後「秘書室長と面会を」 発言録で判明 | publisher=毎日新聞 |date=2022-11-07 | accessdate=2022-11-07 }}</ref>。
* [[1976年]](56歳)
: 6月1日 ニューヨーク州の[[ヤンキー・スタジアム (1923年)|ヤンキー・スタジアム]]で、「アメリカに対する神の希望」と題して講演を行う。5万人が集まる。
: 6月12日 韓鶴子と共に来日。
:6月17日~30日原理大修練会。
: 9月18日 ワシントン広場で、「アメリカと神のみ旨」と題して講演する。歴史の中心的立場に立ってきた[[ユダヤ教]]、キリスト教と統一教会(統一協会)が一つになって世界の宗教を統一し、3つの宗教の基盤である[[イスラエル]]とアメリカと韓国が一つになって世界統一のために貢献すべきことを訴える。50万人が集まる。
: 10月4日 「天克日」(天の克服の日、当時は「天勝日」と呼んでいた)を宣布する。文の築き上げた基盤により、神のみ旨が必ず成就する条件が立ったとされる。
: アメリカの大統領に選出された[[民主党 (アメリカ)|民主党]]の[[ジミー・カーター]]が[[共産主義]]に甘いことなどを激しく批判する運動を展開する。
* [[1977年]](57歳)
: 5月3日 16回目の聖婚記念日に当たるこの日、韓鶴子が夫・文鮮明との結婚以来、[[神]]と[[サタン]]の試練を受け、人知れない苦労の道を歩んできたことを信者らの前で告白する。
: 5月3日 [[ドナルド・フレーザー]]米下院議員が文鮮明の特別補佐官である[[朴普煕]](パク・ポヒ)をKCIAの工作員等の疑惑で議会に召喚する。
: 5月7日 文鮮明とウォーキートーキー(小型無線機)を持った護衛を含む教会員10名(2名は日本人幹部)がニューヨーク市北部のバード・カレッジという大学の構内に不法侵入した疑いで逮捕されたと『[[毎日新聞]]』が報じる。(同上)教団側は不法侵入ではなく、観光していた、滝を見ていたと説明した。[[保釈金]]を積んで釈放される。
 
[[2012年]][[9月3日]]午前1時54分、入院先の韓国・[[京畿道]][[加平郡]]の清心(チョンシム)国際病院で[[肺炎]]などの症状によって92歳で死去<ref>{{KBS NEWS|2529737|통일교 문선명 총재 오늘 새벽 별세}}(KBSニュース9、2012年9月3日)</ref><ref>[https://imnews.imbc.com/replay/2012/nwdesk/article/3130116_30413.html 故문선명 총재 시신 '유리관 안치' 일반 공개]{{ko icon|kr=1}}(MBCニュースデスク、2012年9月3日)</ref><ref>{{SBS NEWS|N1001360783|'통일교 창시' 문선명 총재 타계…15일 장례식}}(SBS8ニュース、2012年9月3日)</ref><ref>{{Cite web|url=http://www.washingtonpost.com/world/asia_pacific/sun-myung-moon-dies-at-92-washington-times-owner-led-the-unification-church/2012/09/02/001b747a-f531-11e1-aab7-f199a16396cf_story.html|title=Sun Myung Moon dies at 92; Washington Times owner led the Unification Church|publisher=The Washington Post|accessdate=2022-07-21|archiveurl= https://web.archive.org/web/20120903170041/http://www.washingtonpost.com/world/asia_pacific/sun-myung-moon-dies-at-92-washington-times-owner-led-the-unification-church/2012/09/02/001b747a-f531-11e1-aab7-f199a16396cf_story.html|archivedate=2012-09-03}}</ref>。
* [[1978年]](58歳)
: 来日目的に違反して合同結婚式を日本国内で突然強行。[[出入国管理及び難民認定法|入国管理法]]違反で以後入国を認められなくなる。
: 10月世界言論人会議開催
 
== 日本との関係 ==
* [[1979年]](59歳)
* 1965年
: 2月2日 「文鮮明師は血分けをしている」と主張していた元信者・金明煕を統一教会が名誉毀損等で訴えた裁判において、金が「名誉毀損」等で有罪判決を受ける<ref name="kougi20060809">[http://221.242.119.155/hodo.aspx?id=355&pg=0 「摂理」教祖・鄭明析氏と統一教会を関連づけた報道への抗議] (世界基督教統一神霊協会公式ウェブサイト)</ref>。
** 1月28日 - 21年ぶりの来日。全国の教会支部を巡回。2月10日に[[三笠宮崇仁親王]]、[[笹川良一]]と会談。翌日にも笹川と会食。2月12日には羽田空港から米国へ<ref name="tongil-history-1-p185-280"/>
** 9月29日 - 渋谷区[[松濤]]の統一教会本部を訪問<ref name="kogenshi20211013">{{Cite web|和書|url=https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=12694 | title=【文鮮明総裁聖和節記念】日本を愛した文先生の足跡 15 南平台から松涛へ(最終回) | publisher=光言社 |date=2021-10-13 | accessdate=2022-11-08 }}</ref>。
* 1967年
** 6月12日 - 韓鶴子とともに来日<ref name="kogenshi20211013"/>。世界的な反共組織をつくることと原理修練会に参加することが目的だった<ref name="kogenshi20211013">{{Cite web|和書|url=https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=12694 | title=【文鮮明総裁聖和節記念】日本を愛した文先生の足跡 15 南平台から松涛へ(最終回) | publisher=光言社 |date=2021-10-13 | accessdate=2022-11-08 }}</ref>{{Sfn|赤旗社会部|1980|pp=232-269}}。
** 7月15日 - [[本栖湖]]畔の全国モーターボート競走会連合会(現・[[日本モーターボート競走会]])の施設「水上スポーツセンター」で、文鮮明、劉孝元(『[[原理講論]]』の執筆者)、[[笹川良一]]、藤吉男、白井為雄([[児玉誉士夫]]の代理)、[[久保木修己]](日本統一教会会長)らは反共組織結成の構想を練った<ref>『競艇新聞』1967年8月1日。</ref><ref>『世界思想』1976年1月・2月合併号。</ref>{{Sfn|赤旗社会部|1980|pp=232-269}}。会合は第1回「アジア反共連盟結成準備会」と名付けられ、16日朝にも話し合いが行われた。勝共運動を日本に持ち込み、受け入れることでいったん合意したが、週刊誌がすぐに会合を記事にし、足並みが乱れて計画は挫折した{{Sfn|赤旗社会部|1980|pp=232-269}}<ref name="asahi-journal19780811">[[茶本繁正]]「『反共』陣営と連動する勝共連合」 『[[朝日ジャーナル]]』1978年8月11日・18日号、31-35頁。</ref><ref>{{Cite web|和書|author=田原牧 |url=https://www.tokyo-np.co.jp/article/196569 | title=旧統一教会と日本会議、「野合」の運動史…歴史認識が対立しても「とりあえず共闘」の打算 | publisher=東京新聞 |date=2022-08-18 | accessdate=2022-11-08 }}</ref><ref>{{Cite web|和書| url=https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=107813968X00419761021 | title=第78回国会 参議院 外務委員会 第4号 昭和51年10月21日 | publisher=国会会議録検索システム | accessdate=2023-08-08 }}</ref><ref name="asahi19870113">『朝日新聞』1987年1月13日、4頁。</ref>。
* 1969年
** 4月18日 - 来日<ref name="kogenshi20211013"/>。
** 5月1日 - 統一教会本部で22組の男女の合同結婚を祝福した<ref name="kogenshi20211013"/><ref name="kogensha-history1"/>。
* 1973年11月23日 - 統一教会本部で元首相の[[岸信介]]と長時間にわたり会談した<ref name="kogenshi20211013"/>。
* 1974年5月7日 - 統一教会は文の講演会「希望の日晩餐会」を東京都の帝国ホテルで行った。晩餐会は岸信介が名誉実行委員長を務め、大蔵大臣の[[福田赳夫]]が祝辞を述べた<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.telepathy.asia/kibounohibannsannkai.html | title=
希望の日 晩餐会 | publisher=世界文化体育大典 | accessdate=2022-11-08 }}</ref>。
* [[1975年]]2月 - 通過[[査証]]で入国し、武道館で布教公演を行った。通過目的で入国したにもかかわらず宗教活動をしたためこれは[[出入国管理及び難民認定法]]違反である<ref name="whatis-83">有田芳生 著 『統一教会とは何か 追いこまれた原理運動』pp.83-124「統一教会の知られざる素顔」</ref>。
* [[1978年]]9月22日 - [[埼玉県]]神川村(現・[[神川町]])で国際[[合同結婚式]]のため1,610組の指名婚約を行なった<ref name="whatis-83" /><ref name="kogensha-history2">{{Cite web|和書|url=https://www.kogensha.jp/data/tp-history02/ | title=真の父母様と統一運動の歴史 1970-1989 | publisher=光言社 |date= | accessdate=2022-10-12 }}</ref>。
* [[1979年]] - 入国が許可されなかった<ref name="whatis-83" />。
* [[1981年]] - 当時東海大学大学院に在学していた先妻の息子文聖進に面会するという理由をつけ「法務省は日本に入ってからの行動を関知しない」という方法で通過査証発給が検討された。しかし文鮮明は日本で国際合同結婚式ができるよう宗教活動目的の入国を最後まで求めた<ref name="whatis-83" />。当時の法務大臣[[奥野誠亮]]が事務次官や入国管理局長などに査証発給を促したが、実務側が過去の経歴を理由に合意せず、入国が許可されなかった<ref name="whatis-83" />。
* [[1982年]] - 入国が許可されなかった<ref name="whatis-83" />。
* [[1984年]] - アメリカ合衆国で[[懲役]]1年6ヶ月の[[実刑]]判決を受けたため[[出入国管理及び難民認定法]]第5条1項4号<ref name="whatis-83" /> の規定「日本国又は日本国以外の国の法令に違反して、一年以上の懲役若しくは禁錮又はこれらに相当する刑に処せられたことのある外国人は、本邦に上陸することができない。」に該当し[[上陸拒否]]者となった<ref name="whatis-83" />。
* [[1992年]]
** 3月16日 - 日本統一教会神山威会長が自身を身元保証人とし「北東アジアの平和を考える国会議員の会」との意見交換という形式で文鮮明の日本入国を法務省に申請<ref name="whatis-83" /> 「日程に記されている以外に政治、宗教活動を行わない」旨の文書を提出<ref name="whatis-83" />。
** 3月26日 - 法務大臣の[[田原隆]]<ref name="whatis-83" /> が「国際情勢の変化<ref name="whatis-83" />」「実刑判決から時間が経っている<ref name="whatis-83" />」などを理由とし、[[出入国管理及び難民認定法]]第12条の上陸特別許可(第3号:大臣決裁)を与えた。この許可については法務省に対し[[金丸信]](当時[[自由民主党 (日本)|自民党]][[自由民主党副総裁|副総裁]])から政治的圧力があったといわれている<ref name="whatis-83" /><ref group="注">{{cite conference |url=https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=114315206X00319980922 |title=法務委員会 |volume=3 |date=1998-09-22 |quote=政府委員(竹中繁雄君) 当時いろいろなところからこの文鮮明氏に関しては陳情のような話があったということはどうも事実のようでございまして、その中に金丸先生の名前も入っていたと承知しております。 |conference=第143回国会 }}</ref><ref>{{cite news |title= 文鮮明統一教会教祖入国で公開質問状/霊感商法対策弁護士会 |newspaper=読売新聞 東京朝刊 |date=1992-10-22 |page=30}}</ref>。
** 3月29日 - 中曽根康弘元首相と会談。
** 3月30日 - 「北東アジアの平和を考える国会議員の会」主催の歓迎晩餐会で閣僚関係者など国会議員31人を前に1時間程講演を行った。この講演の内容は「頭翼思想<ref group="注">右翼と左翼の全体主義を統合するという思想。</ref>」「神主義」など独特の宗教的内容と北朝鮮訪問の報告で、訪日の目的と説明されていた意見交換は行なわれなかった。
** 3月31日 - 金丸信<ref>{{cite news |title= 金丸副総裁が来日中の文鮮明師と会談 |newspaper=読売新聞 東京夕刊 |date=1992-03-31 |page=2}}</ref> と2時間半に渡り会談<ref name="whatis-83" />、うち1時間は2人だけの密室会見だった<ref name="whatis-83" />。
** [[4月1日]]午前 - 大韓航空機で韓国に向かった<ref name="whatis-83" />。この他のスケジュールは東京、名古屋、大阪で信者に説教し、霊感商法で使われた壷や多宝塔を輸入する会社[[ハッピーワールド]]など統一教会系企業の訪問と明らかに宗教活動が中心であった<ref name="whatis-83" />。
 
== 家族 ==
* [[1980年]](60歳)
[[ファイル:Sun_Myung_Moon_and_Hak_Ja_Han.jpg|thumb|160px|文鮮明と妻の韓鶴子]]1960年に韓鶴子と結婚。文鮮明にとって4度目の結婚である<ref name="brainwashed-87">『わたしは"洗脳"された』p.87-101「様々な体験」。</ref>。七男七女をもうけた。なお詳細情報のない子女は、統一教会に表立って関わっていないか、脱会している。
: 2月21日 [[還暦]]を祝う会を盛大に開催。
: 自ら創設した新聞『[[ニューズ・ワールド]]』で米大統領選に於いて[[ロナルド・レーガン|レーガン]]候補の圧勝を予想する記事を書くように指示<ref name ="kaminodaibensya"/>。
: 南米における反共産主義運動のために[[CAUSA]](カウサ、アメリカ統一教会連合)を設立(<ref name="wagatiti">[[洪蘭淑]](著) [[林四郎]](訳) 『わが父 文鮮明の正体』([[文藝春秋]] [[1998年]]11月25日)ISBN 978-4-16-354610-0 </ref><small>、p184</small>)。
 
[[文孝進]](長男)の元妻である[[洪蘭淑]]によると、文鮮明・韓鶴子夫妻は子供が生まれるとすぐに統一教会の『兄弟姉妹』に預けて乳母に子守りをさせ、自身は養育にあまり関わらず、具体的には洪蘭淑が文鮮明の家にいた14年間の間に、文鮮明夫婦が自身の子供と遊んでいるのを一度も見たことがないという<ref name="cultchildren-158">『カルトの子』p.158。</ref>。また、洪蘭淑自身も親が統一教会草創期の信者だったため放置されたが、文鮮明はこれについて「大衆を改宗するのが第一で、個人的な幸福を追求するのはわがまま」と説明している<ref name="cultchildren-158" />。
* [[1981年]](61歳)
* 文譽進(ムン・イェジン、문예진、1960年生)長女
: 3月30日 狙撃された[[ロナルド・レーガン|レーガン]]大統領の回復を祈る集会に[[朴普煕]]と共に参加。朴は、「ボリビアを反共の砦の中心とするのは、神の意志だ」と演説。文鮮明は、7000人の宗教軍を募集してトレーニングした。
:祝福二世と結婚したが、離婚{{sfn|文藝春秋編|2022|p=170}}。
: [[イギリス]]の内務省が入国申請を却下。
: 日本の法務省が入国申請を却下。
: 5月 長女の[[文誉進]](ムン・イェジン)を洪珍輝(ホン・ジニ、[[洪蘭淑]]の兄)と祝福する。
: 5月4日 文鮮明がアメリカ人の愛国心を高める目的で製作させた映画『[[インチョン!]]』がアメリカで公開される。興行成績がふるわず、わずか数週間だけ上映され、4410万ドル(約110億円)もの赤字となった<ref>[http://www.youmaga.com/blog/cinema/?p=14 世界の栄光と災害(?)映画の歴史]([http://www.youmaga.com/blog/cinema/ 前川繁の映画を斬る!])</ref>。
: 10月 文鮮明名義の銀行[[預金]]に対する[[1973年]]からの3年間の[[利息]]について納税申告を怠ったという[[脱税]]容疑で、ニューヨーク州連邦地方裁判所に[[起訴]]される。
: 11月 第十回「科学の統一に関する国際会議(ICUS)」で、全世界を[[高速道路]]で結ぶ「国際ハイウェイ構想」と「[[日韓トンネル]]」建設を提唱する。
 
* [[文孝進]](ムン・ヒョンジン、문효진、1962年 - 2008年)長男
* [[1982年]](62歳)
:韓国で生まれ、[[ニューヨーク州]]で育った。19歳で文鮮明が選んだ[[洪蘭淑]]と結婚し、21歳で原理研究会初代会長に就任した。[[ミュージシャン]]であり、[[レコーディングスタジオ]]の経営者でもあった。1997年に離婚した{{Sfn|洪蘭淑|1998|p=285}}。1999年2月5日に崔妍娥(チェ・ヨナ、최연아){{efn2|[[文孝進]]と結婚したチェ・ヨナの「ヨナ」の漢字は、「姸娥」または「妍娥」。}}と再婚した<ref name="Bio-HyoJin-Moon">{{cite web |url=http://www.moonhyojin.com/bio/ | title=Bio | publisher=HyoJin Moon |date= | accessdate=2022-11-28 | archivedate=2022-11-28 | archiveurl= https://web.archive.org/web/20221128140755/https://www.moonhyojin.com/bio/ }}</ref>。同年に二人のあいだに文信出(ムン・シンチュル、문신출)が生まれ、2001年に文信興(ムン・シンフン、문신흥){{efn2|2020年2月7日、文信興は八王子家庭教会の元教会長で当時伝道教育部長だった入山聖基の長女の有恵と結婚した<ref>{{Cite web ja| author= |url=https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=6854 | title=『祝福家庭』96号読みどころ1 入山有恵さんご両親の証し 日本を代表して受けた恩恵 | publisher=光言社 | date=2020-04-04 | accessdate=2023-03-01 | archivedate=2022-08-17 | archiveurl=https://web.archive.org/web/20220817131802/https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=6854 }}</ref><ref name="dailyshincho20220829">{{Cite web ja|title=「神の国の実現を果たしたい」 萩生田氏の演説内容を元信者が証言 |url=https://www.dailyshincho.jp/article/2022/08290556/?all=1 |website=デイリー新潮 |date=2022-08-29 |access-date=2022-08-29 }}</ref>。}}が生まれた<ref name="mindlenews20250923">{{cite web | author=김호경 | url=https://www.mindlenews.com/news/articleView.html?idxno=15708 | title=통일교 윤석열 청탁, 교주 일가 '골육상쟁'서 비롯됐나 | publisher=세상을 바꾸는 시민언론 민들레 | date=2025-09-23 | accessdate=2025-09-26 }}</ref>。2008年3月17日、[[心臓発作]]により45歳で死去。
: 1月 長男の文孝進と[[洪蘭淑]]を祝福する。蘭淑のビザ取得のために ニューヨークでの国際ピアノ・コンクールをでっち上げる(孝進と蘭淑の結婚はニューヨーク州の承諾年齢に達していなかった<ref name="wagatiti"/><small>、p94、p107、p108 </small>)。
: 5月17日 アメリカで保守系の日刊新聞、「[[ワシントン・タイムズ]]」を創刊する(前年に米国で唯一の保守系新聞であった「ワシントン・イブニング・スター」紙が廃刊したことに危機感を覚えた政府が、保守系日刊紙の創刊を積極的に勧誘していたところ、統一教会のメディア会社の「ニューズ・ワールド・コミュニケーションズ」社がそれに応じた)。
: 7月1日 2075組の合同結婚式を行う。
: [[ユニバーサル・バレエ団]]を創設
: 7月16日 第一審の連邦地方裁判所で、懲役10か月、罰金2万5千ドル(約580万円=当時)の有罪判決が下される。
: 10月14日 6000組の合同結婚式を行う。
: 来日を希望するも入国認められず。
: 10月 韓国の女性月刊誌『女苑』(ニョオン)11月号で、妻・韓鶴子の特集記事が出る。
 
* 文惠進(ムン・ヘジン、문혜진、1963年生)次女
* [[1983年]](63歳)
:生後間もなく死亡{{sfn|文藝春秋編|2022|p=171}}。
: [[1945年]]から[[1985年]]8月15日までの期間が「荒野40年路程」であると発表し、最後の3年路程の結団式を行う。
: 『世界日報』の紙面作りにおいて、教会色を押さえ、一般紙を志向した[[副島嘉和]]編集局長らを追い出すために、「休刊してでも、天の伝統を打ちたてよ」と指示したという。
: 9月13日 第2連邦巡回区控訴裁、有罪判決
: 11月 韓国の8大都市で、大規模な「勝共大会」を行う。
: 12月23日 8大都市の最後の光州大会の最中、次男の[[文興進]](ムン・フンジン、17歳)が珍福(チンボク)と珍吉(チンギル)の二人の祝福子女と夜の外出からの帰途、凍結した道路で対向車線からスリップしてセンターラインを超えたトラックに激突する自動車事故で重体。
: 12月30日 統一宣誓式
 
* [[:en:In_Jin_Moon|文仁進]](ムン・イジン、문인진、1965年生)三女
* [[1984年]](64歳)
:2008年8月に統一教会米国総会長に就任<ref>[https://trueparents.jp/?page_id=4514 いわゆる「文仁進様の米国総会長任命事件」の真相について]</ref>。2012年に自身の離婚と再婚に伴い辞任。現在は[http://www.injinmoon.co/ I-Home Church]という[[オンラインコミュニティ]]を主催している。
: 1月2日 [[脳死]]状態にあった興進の[[人工呼吸器]]のスイッチを切ることに同意する。
: 1月3日 「愛勝日」を宣布する。前日に死去した興進を霊界における「全権大使」に任命したと宣言。イエス・キリストより上位の位置にあるとされる。
: 2月 三女の[[文仁進]](ムン・インジン)と朴珍成(パク・チンソン、朴普煕の長男)のカップルと、亡くなった次男の興進と教団のナンバー2の朴普煕(パク・ポヒ、36家庭)の娘、[[朴薫淑]](パク・フンスク)のカップルを結婚させる(アメリカの法律では死者との結婚は認められないため、文は朴薫淑を養女にした)。
: 5月14日 アメリカの連邦裁判所が文の[[上告]]申請を却下。脱税の罪で懲役1年6ヶ月の実刑判決を受ける。
: 5月16日 「愛天日」を宣布。
: 7月19日 収監の前日に当たるこの日、今回の裁判は政府による宗教迫害であるとの声明を発表。出国すれば罪に問われないが、刑を受け入れることを表明。アメリカでの永住権を約束した[[グリーンカード]]は失効せず(後に、全米の何千名もの牧師たちが今回の政府の迫害に反対し、『宗教の自由』の名の下にデモを行った<ref name="soushisya"></ref>)。
: 7月20日 側近(アメリカの伝道責任者)の神山威と共に、[[コネチカット州]]のダンベリー連邦刑務所に収監される。
: アルゼンチンのラプラタ・カトリック大学から名誉法学博士の称号を授与される。
: 12月 50億円以上をかけ、全米の30万の牧師たちに[[ビデオテープレコーダ|ビデオデッキ]]5万台を貸しだし、原理講義のビデオテープや自らの説教集などを配る[http://wiserose.hp.infoseek.co.jp/invest/invest.htm]。
 
* [[文興進]](ムン・フンジン、문흥진、1966年 - 1984年)次男
* [[1985年]](65歳)
:1983年12月、[[ニューヨーク州]]で[[改造車]]を無免許運転中にトラックと衝突し、1984年1月2日に死亡した<ref>[https://www.nytimes.com/1984/01/03/nyregion/moon-s-son-17-dies-after-a-car-accident.html "Moon's Son, 17, Dies After a Car Accident"(New York Times 1984年1月3日の記事)]</ref><ref name="brainwashed-87" /><ref name="cultchildren-157">『カルトの子』p.157。</ref>。17歳没。文鮮明は、海外公演中だった[[朴普煕]]の娘で[[バレリーナ]]の[[文薫淑|朴薫淑]]{{efn2|文薫淑は現在、[[世界平和女性連合]]の世界会長を務めている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=8288 | title=統一運動情報 「天正宮入宮・戴冠式14周年記念特別午餐」開催 | publisher=[[光言社]] |date=2020-08-25 | accessdate=2022-11-28 }}</ref>。}}を米国に呼び戻し、1984年2月20日に興進と「霊魂結婚」させた<ref>{{cite web |author=김두호 | url=https://www.interview365.com/news/articleView.html?idxno=414 | title=영원한 지젤 - 문훈숙의 영혼에 바친 사랑 | publisher=인터뷰365 | date=2007-12-21 | accessdate=2025-06-02 }}</ref><ref name="brainwashed-87" />。同時に文鮮明は薫淑を養女にした<ref>{{cite news | last =Black | first =Robert | title =Moon and his ballet stars: When the Rev Moon's son died in a car crash, the controversial religious leader formed a dance company for the young man's fiancee. With money no object, it has impressed critics around the world | work =The Daily Telegraph | date =October 26, 2000 }}</ref><ref>{{cite news|author=Kaufman, Sarah|title=Universal Ballet's Really Big Show|work=The Washington Post|page=C7; Section: Style|date=June 15, 2001}}</ref>。信者の間では死後の世界で死者の霊に統一運動の教えを教える[[ワークショップ]]を主催していると信じられている。
: 2月1日 「開天日」を宣布。
: 4月 「父母の日」に特別許可を得て、ダンベリー刑務所から一時出所、日本のリーダーたちに、1カ月で100億円の献金(TV100と呼ばれた)を課すよう指示<ref name="kaminokuninohoukai">[[有田芳生]] 『「神の国」の崩壊―統一教会報道全記録』(教育史料出版会、[[1997年]]) ISBN 978-4-87652-317-7</ref><ref name="ucsugao">[[川崎経子]] 『統一協会の素顔 ─新装改訂版―その洗脳の実態と対策』 ([[教文館]] 2008年5月) ISBN 978-4-7642-6433-5</ref>。
: 日本宣教の開拓者である[[西川勝]]が脱会の意向を伝えるため、[[ニューヨーク]]に会いに来たが、側近を通じて会わないと断る。
: 6月6日 アメリカの[[ロナルド・レーガン|レーガン]]政権が、[[イラン]]への武器売却代金を、共産化した[[ニカラグア]]に反対する[[ゲリラ]]、「[[コントラ]]」援助に流用していたことが暴露され、議会がイランへの武器販売および「コントラ」への資金提供に反対していた最中、『[[ワシントンタイムズ]]』紙で、「コントラ」に対し、1400万ドル(当時のレートで約35億円)を援助することを申し出る。
: 7月4日 模範囚と認められ、6か月の刑期短縮になり、ニューヨーク・[[ブルックリン]]のハーフウェイハウス(出所者の社会適応の施設)に移送。
: 8月15日「荒野40年路程」の終結を宣言する。
 
* [[:en:Un Jin Moon|文恩進]](ムン・ウンジン、문은진、1967年生)四女
=== カナン定着のための7年路程 ===
:祝福二世と結婚したが、離婚。離教し、一般人と再婚した{{sfn|文藝春秋編|2022|p=172}}。
: 8月20日 刑期を終え、午前零時釈放された。当日の夜に開催された「神と自由のバンケット」で、「神のみ旨」と題して講演する。全米30以上の教派から2千名の牧師と聖職者が参加する。
: 9月 前妻(崔先吉)との間の息子である文聖進(ムン・ソンジン)を[[筑波大学]](当時の総長は統一教会[[シンパ]]の[[福田信之]])が研究員として受け入れていたことが発覚し、問題となる。
: 12月11日 韓国で「文鮮明先生勝利帰国晩餐会」で講演。
: 12月16日 韓国で「国際勝共安保決意大会」で講演。
 
* [[文顕進]](ムン・ヒョンジン、문현진、1969年生)三男
* [[1986年]](66歳)
:1987年3月、教団幹部の[[郭錠煥]]の娘、郭全淑と結婚。世界平和財団と家族平和協会の創設者兼会長。2000年3月31日、「世界大学原理研究会」(W-CARP)会長に就任<ref name="cultchildren-157" />。
:2月~3月韓国の大学教授が166地域で全国巡回講演。
:3月5都市で韓国の大学教授招請講演と晩餐会。
: 4月 四女の[[文恩進]](ムン・ウンジン)と朴珍憲{パク・チノン、36家庭・朴鐘九(パク・チョング) 長男国際弁護士}を祝福する。36組の合同結婚式を行う。
: 4月12日 南平文氏大宗会(会員40万人)の宗長に推戴される。
: 7月 日米韓教授巡回講演。
: 8月 日米韓教授巡回講演。
: 10月11日 韓国で「[[全国大学教授学生南北統一運動連合会]]」を創設。
 
* [[:en:Kook-jin_Moon|文國進]](ムン・グクチン、문국진、1970年生)四男
* [[1987年]](67歳)
:1995年に[[ペンシルベニア州]]で銃器製造会社「[[カーアームズ]]」を創業した。離婚後、2004年に元ミスコリアと再婚。2012年9月に文鮮明が死去すると、同年に[[世界日報 (韓国)|世界日報社]]会長に就任。2014年に同会長を退任<ref name="hankyoreh20141201">{{cite web | author= | url=https://www.hani.co.kr/arti/politics/politics_general/667055.html | title=세계일보 회장 전격 교체 | publisher=[[ハンギョレ|한겨레]] | date=2014-12-01 | accessdate=2025-10-14 }}</ref>。2019年10月17日、[[学校法人鮮文学院]]の第8代理事長に選任された<ref name="hankyoreh20191019>{{cite web | author= | url=https://www.hani.co.kr/arti/society/religious/565767.html | title=선문학원 신임 이사장에 문국진 통일그룹 회장 | publisher=[[ハンギョレ|한겨레]] | date=2019-10-19 | accessdate=2025-10-14 }}</ref>。文鮮明の死後は七男の[[文亨進]]を支援した{{sfn|文藝春秋編|2022|p=172}}。[[拳銃]]のコレクターである<ref name="cultchildren-157" />。統一教会系の韓国の[[財閥 (韓国)|財閥]]、[[:en:Tongil_Group|トンイル・グループ]]の元会長。
: 3月 三男の[[文顕進]]と郭全淑{クァク・チョンスク、側近の[[郭錠煥]](クァク・チョンファン)の娘}を祝福する。
: 5月15日 韓国で「[[南北統一国民連合]]」を創設。
: 5月31日~6月4日 韓国ソウルで行われた第一回「世界平和のための頂上会議」で講演。
: アフリカの[[ジンバブエ]]のクレオパス。クンディオナ (当時26歳)に亡くなった次男、文興進(ムン・フンジン)が霊的に再臨したと公認し、幹部や信者らに罪の告白をさせるために[[1987年]]から[[1988年]]にかけて世界を巡回させる(<ref name="wagatiti"/><small>、p192-p195</small>)。
 
* 文權進(ムン・クォンジン、문권진、1975年生)五男
* [[1988年]](68歳)
: 4月8日 日本で「[[東西南北統一運動国民連合会]]」を創設。
: この年、「[[日本赤軍]]」の[[菊村憂]]らがアメリカに派遣され、文鮮明の夏の別荘を爆破して暗殺する計画があったが、天([[神]])の保護で未然に防がれたと教会内部では語られている<ref>朴普煕 『証言』(世界日報社 [[1997年]])</ref>([[アメリカ合衆国国務省|米国国務省]]は、菊村憂が[[パイプ爆弾]]3本を所持していたとして逮捕された事件は米軍に対するテロの準備であって、[[イタリア]]の[[ナポリ]]において、[[ナイトクラブ]]前に駐車していた自動車の爆破により、米軍人を含む5名が死亡した「日本赤軍」によるものと思われる作戦との同時攻撃を行なう計画であったとの見方を発表した)。
:8月8日アジア教授統一思想シンポジウム開催。
: 9月 [[ソウルオリンピック]]に、三男の文顕進と四女の文恩進が馬術競技に韓国代表として出場する。
: 10月3日 「世界統一国開天日」を宣布する。オリンピックを通して、[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]と[[キューバ]]を除く共産国家が一つとなり、中国とソ連が「真の父母」(文夫妻)と一つとなったことで、世界統一国の実現への道が開かれたという(2004年10月3日第17回 世界統一国開天日より、「天宙統一国開天日」に名称変更)。
: 10月30日 韓国のソウルの[[龍仁市]](ヨンイン)にある「[[一和]]」の工場で6500組の合同結婚式を行う。この時、「交差祝福」と言われる韓日、日韓のカップルを初め、国際カップルが多く誕生した。信者は渡韓の際に、封筒に50万円ほどの現金を持たされて運んだ。{{要出典}}
 
* 文善進(ムン・ソンジン、문선진、1977年生)五女
* [[1989年]] (69歳)
:2015年から2019年まで[[世界平和統一家庭連合]]の世界会長を務めた<ref>{{Cite web|和書|url=https://smart-flash.jp/sociopolitics/195104/1/ | title=旧統一教会 韓鶴子総裁の高齢化で上がる“跡目争い”の火種…息子たちが続々追放で後継者は孫か直属秘書か | publisher=光文社 |website=Smart FLASH | accessdate=2022-10-05 }}</ref>。
: 1月 四男の[[文國進]](ムン・グクチン)と劉順珠(ユ・スス)とを祝福する。72組の合同結婚式を行う。
: 2月 韓国で新聞社「[[世界日報 (韓国)]]」を創刊する。
:6月ソ連外国情報誌「ザ・ルベジョム」韓鶴子へのインタビュー掲載。
: 6月23日 韓国の[[族譜]]会(プリチャッキ)連合会の総裁に就任に先立ち「一心式」挙行。
:8月20日「愛援摂理時代」宣布。
: 8月31日 [[アラスカ州]]のコデイアックで「八定式」を宣布する。
: 9月1日 「天父主義」を宣布する。兄弟としての争いのある民主主義に代わる怨讐のない時代に入ったという。
: 9月~10月 ソ連言論人が韓国、日本訪問。
 
* 文榮進(ムン・ヨンジン、문영진、1978年 - 1999年)六男
* [[1990年]](70歳)
:離婚後、1999年10月27日に[[ネバダ州]][[リノ (ネバダ州)|リノ]]の[[カジノ]]の窓から[[飛び降り]][[自殺]]した{{sfn|文藝春秋編|2022|p=172}}。21歳没。
: 2月1日~6日 古希(満七十歳)を祝う祝賀行事が、韓国の3561か所で行われる。
: 2月20日~25日 韓国の6か都市における「真のご父母様歓迎大会」で講演。
: 2月27日 ソウルの龍山区の漢南洞(ハンナムドン)公館で「真の父母宣布」「天地父母宣布」を為す。初めて、自らが「真の父母」であることを発表する。
: 3月18日~31日 アメリカの5都市における「真のご父母様歓迎大会」で講演。
: 4月11日 [[ミハイル・ゴルバチョフ|ゴルバチョフ]]大統領とソ連大統領執務室において30分間の会談を行う。彼の平和の計画をあらゆる形で助けると約束したという。「特別な贈り物」として、龍の彫刻をあしらった[[大理石]]の[[壷]]を[[ミハイル・ゴルバチョフ|ゴルバチョフ]]に手渡す。
: 4月30日~5月22日 韓国の12箇所において、「[[モスクワ]]大会勝利と真の父母様歓迎大会」で講演する。
: 7月22日 長男の文孝進(ムン・ヒョジン)が日本で、「統一教会全国学生一万人大会」を行う。
: 8月5日~翌年6月16日 日本の23か都市で「真の父母宣布大会」が開催される。
: 8月16日「世界平和宗教連合」の創設を提唱。
 
* [[文亨進]](ムン・ヒョンジン、문형진、1979年生)七男
* [[1991年]](71歳)
:統一教会の元国際会長。その後、[[ペンシルベニア州]]に拠点を置く非公式の統一教会の過激派組織「[[世界平和統一聖殿]]」(別名「鉄の杖ミニストリー」)を設立した。
: 7月1日「神様祝福永遠宣布式」
: 9月 信者に献身生活を辞め、それぞれの故郷に帰って活動する(還故郷)ように指示する。
: 8月27日 「世界平和宗教連合」を創設。人間における体の立場にある政治を心の立場にある宗教が主体となって導いてゆくという関係を作るべきだとされる。
: 8月28日 「世界平和連合」を創設。前述の体に当たる政治が神様を中心としたものとなるべきとされる。
: 9月16日~25日 韓鶴子が日本で巡回講演。
: [[11月30日]] 側近の朴普煕、金孝律(キム・ヒョリョル)特別補佐官らと共に、韓国政府の許可なく朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)「を電撃訪問。
: 故郷の定州(チョンジュ)を訪問し、48年ぶりに、姉、妹、兄嫁、兄の息子らの親族と再会。
: 12月2日 [[万寿台]](マンスデ)議事堂で、尹基福(ユン・キボク)委員長、金達玄(キム・ダルヒョン)副総理一行と会談。
: 12月3日 [[金剛山 (朝鮮)|金剛山]]の観光。
: 12月5日 故郷の定州の生家を訪問。両親の墓参り。
: 12月6日 [[咸鏡南道]]の興南(フンナム)のマジョン公館で、[[金日成]]主席と会談。[[離散家族]]再会に取り組むこと、核エネルギーは平和目的のみに利用し、国際核査察を受けること([[1992年]]1月30日に北朝鮮は[[国際原子力機関]](IAEA)の核査察協定に調印したが、[[1993年]]3月に[[核拡散防止条約]](NPT)を脱退し、[[1994年]]3月には[[国際原子力機関|(IAEA)]]を脱退し、査察拒否を表明した。[[2005年]]2月には核兵器保有宣言をした)、 自由陣営国家からの投資を歓迎し、[[軍需産業]]を除外した経済事業に統一グループが参与すること、南北頂上会談を行うこと、[[金剛山 (朝鮮)|金剛山]]開発の実地などについて合意([[1998年]]からは[[現代-起亜自動車グループ]]が金剛山一帯を長期間独占開発・利用することで北朝鮮と合意した)。文は北朝鮮に対し、35億ドル(約4400億円)の支援を約束。30万坪の平和公園や教会建設、[[平和自動車]]設立、普通江(ポトンガン)ホテルの経営権移譲なども提案(韓国政府は一時、この無許可訪朝を[[国家保安法]]違反として逮捕の動きを見せたが方針を転換し、処罰しなかった)。
 
* 文妍進(ムン・ヨンジン、문연진、1981年生)六女
* [[1992年]](72歳)
:[[映画監督]]。[[同性愛|同性愛者]]の[[映画]]を製作した。2014年に韓鶴子の主礼によって一般人と恋愛結婚した{{sfn|文藝春秋編|2022|p=173}}。
: 3月26日 特例措置で14年ぶりに日本に入国。アメリカで脱税により1年以上の実刑判決を受けているため[[出入国管理及び難民認定法]]第5条の規定では原則として終生日本に入国できないが、「[[北東アジアの平和を考える会]]」という国会議員の会合に出席する名目で[[法務大臣]]([[田原隆]])から同法第12条の上陸特別許可が下りた([[自由民主党 (日本)|自民党]]の[[金丸信]][[自由民主党副総裁|副総裁]]の法務省に対する政治的圧力により入国させたと言われる{{要出典}})。会合は実際には行われず、滞在期間の大半を日本の統一教会(統一協会)幹部との会合や関連企業の視察([[ハッピーワールド]]、[[世界日報 (日本)|世界日報]]、[[ワコム]])、信者への講和に費やした{{要出典}}。31日には[[金丸信]]、[[中曽根康弘]]と会談。
: 3月27日 には国会の[[法務委員会]]で、4月8日には[[予算委員会]]で、今回の入国問題が取り上げられる<ref name="k19920327">[[第123回国会]] [[参議院]] [[法務委員会]] 第4号] 平成4年(1992年)3月27日([http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/123/1080/12303271080004c.html 議事録])</ref><ref name="k19920408"> 第123回国会 参議院 [[予算委員会]] 第13号 平成4年(1992年)4月8日([http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/123/1380/12304081380013c.html 議事録])</ref>。
: 4月10日 韓国で、妻の韓鶴子が総裁を務める女性運動の[[非政府組織|NGO]]、「[[世界平和女性連合]]」の創設大会が行われる。
: 4月15日 [[朝鮮民主主義人民共和国]]で行われた[[金日成]]主席生誕80年を記念する[[マスゲーム]]の中で、愛国者八人の内の一人として讃えられる<ref name ="kaminodaibensya"/><ref name="kaminokuninohoukai"/>。
: 7月3日 自身が再臨主であることを世界に対し明確に全てを公開すると語る。
: 7月30日 文の亡くなった次男、文興進が再臨したと言われていたクンディオナと神吉秀明が東京第二弁護士会で記者会見、8月2日の千葉の[[幕張メッセ]]の反統一教会の特別集会でも講演し、文の性的スキャンダルを告発。{{要出典}}
 
* 文情進(ムン・ジョンジン、문정진、1982年生)七女
=== 「メシア宣言」以降 ===
:六女の文妍進と同日に韓鶴子の主礼で一般人と恋愛結婚した{{sfn|文藝春秋編|2022|p=173}}。
* [[1992年]](72歳)
: 8月24日 韓国の[[リトルエンジェルス]]芸術会館に於いて「わたしは真の父母・救世主・再臨主である」と公の場で初めて「メシア宣言」する<ref name ="kaminodaibensya"/>。
: 8月25日 ソウルのオリンピックスタジアムで3万組の合同結婚式を執り行う(式の模様へのマスコミ取材を初めて許可)。第一回世界文化体育大典。
 
== 主張 ==
* [[1993年]](73歳)
=== 文鮮明先生말씀選集 ===
: 5月20日~8月 韓鶴子が米国44都市で「真の父母と成約時代」のテーマで講演。9月10日~30日には日本の27か所で、10月4日~31日には韓国の主要大学40校で、10月31日には韓国国会議事堂議員会館会議室で、11月2日から12月22日には世界39か国43か都市で、同様の講演。
発言録である『文鮮明先生말씀(マルスム)選集』が韓国の成和出版社から発行されている。これは文が1956年から2009年にかけて行った説教の内容が記録されたもので、全615巻にも及ぶ膨大な内容ゆえ信徒でも所持しているものは少ない<ref name="名前なし-20240629113336">{{Cite news |title=「日本の天照大神のルーツは韓国」「西郷隆盛も韓国人」「対馬は韓国の領土」…!統一教会教祖の過激すぎる発言録(週刊現代) @gendai_biz |url=https://gendai.media/articles/102257 |work=現代ビジネス |access-date=2025-06-21 |language=ja-JP}}</ref><ref name="名前なし_2-20240629113336">{{Cite web |title=「昭和天皇を暗殺する」「日本の女は男の寝床に這いつくばる」…!統一教会教祖が信者に語っていた、凄まじすぎる「日本憎悪の言葉」 @gendai_biz |url=https://gendai.media/articles/-/102258 |website=現代ビジネス |date=2022-11-18 |access-date=2025-06-21 |language=ja}}</ref>。
: 7月28日 韓鶴子が米国議会[[エヴァレット・ダークセン|ダークセン]]上院議員会館で、「神様、女性と真の家庭」のテーマで講演。。
: 9月7日 韓鶴子が[[ニューヨーク市]]の[[国際連合]]の第二会議場で、「神、女性、そして世界平和」のテーマで講演。
: 10月 草創期からの弟子である朴正華(パク・チョンファ)が『六マリアの悲劇―真のサタンは、文鮮明だ!!』(恒友出版)を出版。文鮮明が自らの教えを利用して、多くの女性信者と関係を持ったことを告発する内容。
: 10月8日 『[[週刊ポスト]]』に最初の妻、崔先吉(チェ・ソンギル)が文鮮明との離婚の真相を語った記事が出る。([[大林高士]]「血分け」論争でさらなる重要証言に遭遇、25歳文鮮明教祖との見合い、「離婚を決意した真相」)[http://fmayu.hp.infoseek.co.jp/page002.html]
: 日本を救うための16万人の日本人女性を教育しなければならないとして、韓国の水澤里中央修練所で自ら修練会を行い、士気を鼓舞。「救国基金」として1万ドル(約110万円)完納せよと日本の信者に要請する。「所有権返還」のために、信者に「貯金通帳を出しなさい!」と迫る。16万人の女性信者を参加させ、教育できるかどうかに、日本の救いがかかっているとされた。翌年の[[済州島]]での修練会と合わせても16万人の参加は困難だったので、数を埋め合わせる為に、同じ人が数回参加したことで、象徴的には勝利したとされた。参加した者には「救国献金」という1万ドル(約110万円)の献金が要請される(複数回参加した信者はその回数分の献金が要請された)。
 
一部は日本語訳され国内で出版されているも、全編韓国語で構成された말씀選集は日本に対する激しい憎悪や蔑視を含む過激な内容を含み国内で訳出されていない発言も多い。一時期ネット上に無断転載されたことで、文が日本留学中に[[昭和天皇]]暗殺や皇居の[[二重橋]]破壊を考えていたことや日本人女性への差別的な発言を繰り返していたこと、日本人を韓国語の蔑称である倭奴(왜놈)で呼んでいたこと、さらに「天照大神のルーツは韓国にある」「西郷隆盛は韓国人」などの[[韓国起源説]]や韓国による[[対馬]]の領有権を主張していたことが知られるようになった<ref name="名前なし-20240629113336"/><ref name="名前なし_2-20240629113336"/><ref>{{Cite web |title=文鮮明“お言葉集”発掘「安倍晋太郎は私と契約書を書いた」「福田赳夫と中曽根は私が首相にした」 |url=https://bunshun.jp/denshiban/articles/b4055 |website=週刊文春 電子版 |date=2022-09-21 |access-date=2025-06-21 |language=ja |first=柳 |last=錫}}</ref>。
* [[1994年]](74歳)
: 1月 韓国の済洲島の修練所に日本の女性のメンバー1600名を集め、到着したその晩に、突然1600名の女性信者を160か国に派遣する命令を下す。後に派遣国はくじ引きで決められた。
: 統一教会(統一協会)の反対運動をしていた[[卓明煥]](タン・ミョンファン)と自身の指示を無視して政党をつくろうとした人物が共に同年2月18日に死亡した(卓は新興宗教団体の信者に殺害された)ことに言及し、統一教会(統一協会)に反対する者はみな、霊界に連れてゆかれると発言<ref name="裁判1">平成11年(ワ)第18400号 損害賠償請求事件 [[東京地方裁判所]] [[2002年|平成14年]][[2月20日]] 判決 [http://www1k.mesh.ne.jp/reikan/japanese/hanketu/tokyo3/tokyo5.htm] 甲第21号証]</ref>。
:5月1日統一教会40周年。「私の誓い」から「家庭盟誓」へ。
: 7月12日 7月8日の[[金日成]]死去に際し、[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]政府から葬儀出席の招待状をもらい、[[北京市|北京]]の北朝鮮[[大使館]]に弔花を届ける。
: 7月13日 側近の朴普煕を北朝鮮へ派遣。
 
{{Quotation|日本は一番の怨讐の国でした。二重橋を私の手で破壊してしまおうと思いました。[[裕仁天皇]]を私が暗殺すると決心したのです。|文鮮明先生말씀選集 第381巻より<ref>http://www.tongilgyo.net/data/book/malsm/pdf/381.pdf</ref>}}
* [[1995年]](75歳)
: 3月30日 「[[サンパウロ]]宣言」。これまでの基盤を南米に移し、理想国家のモデルを創ると語る。
: 4月3日 「ニューホープファーム宣言」[[ブラジル]]のマトグロッソドスル州のジャルジンを“新しいエデンの園”と宣言。
:4月7日「祝福家庭に関する宣言」
:5月南米4ヶ国で[[VIP]]晩餐会。
:6月~7月中南米巡回講演。
: 8月25日 韓国における第2回「世界文化体育大典」において、36万組国際合同結婚式が行う。教義上、最重要な儀式である「聖酒式」を欠席する。忠母様(文鮮明の母)・大兄様(文鮮明の兄)・大母様(韓鶴子の母)の三家庭を霊人祝福。
: 9月14日~20日 妻・韓鶴子が日本で、「真なる家庭と私」というテーマで講演。10月6日~11月2日には韓国で講演。
: 10月21日~31日 韓国で、「真なる家庭と私」というテーマで講演。11月5日~12月7日には世界16か国で講演。
: イギリスの内務省が公衆善を助長しないとして文鮮明の入国を禁止する<ref name="wagatiti"/>。
 
同書では文鮮明が自民党の安倍派を中心に、日本政界に対する政界工作を直々に命令していたことが鮮明に記録されている<ref>https://mainichi.jp/articles/20230630/ddm/010/040/020000</ref>。
* [[1996年]](76歳)
: 4月16日 ワシントンで行われたワシントン・タイムズ財団創立会での「救援摂理史の原理観」と題する講演で、イエス・キリストは母[[イエスの母マリア|マリア]]と親族である大祭司長の[[ザカリヤ]]によって、無原罪の神の息子として生まれたと語る。[http://www2.odn.ne.jp/~caq10260/seturi.htm]
:7月31日~8月1日世界平和家庭連合の創設。
:7月~8月韓鶴子世界平和家庭連合創設大会でアメリカ12都市講演「救援摂理史の原理観」
:韓鶴子世界平和家庭連合185カ国結成大会講演「救援摂理の原理観」
:11月1日世界平和家庭連合定着と蕩減解消宣布式。
* [[1997年]](77歳)
: 女性信者1600名を海外宣教師として南米等の160か国に派遣。この頃、[[ブラジル]]のジャルジンの1億坪の土地を購入し、「ニューホーム村」という集団村を建て、夫婦で参加する40日修練会を行った。
: 3月10日 韓国の清平(チョンピョン)において、「天城旺臨宮殿」の起工式を行う(1万名を収容できる建物だという)。
:4月12日「文氏韓氏宗親摂理的結成大会」
:8月9日「天地父母天宙安息圏宣布」
: 9月6日 六男の[[文栄進]](ムン・ヨンジン)と七男の[[文享進]](ムン・ヒョンジン)を祝福。
: 10月13日 「訓読会」を指示。全国的に祝福家庭は、6時から1時間の訓読会時間を持つように指示する。
: 11月29日 アメリカのワシントンD.C.のロバート・F・ケネディスタジアムでの第三回「世界文化体育大典」において、4千万組国際合同結婚式が行う。32億名の霊人祝福も行ったという。[[ホイットニー・ヒューストン]]がゲストとして予定されていたが、統一教会(統一協会)関連のイベントであることを知って、病気を理由に直前に出演をキャンセルしたと言われる。[[ジョージ・H・W・ブッシュ]]前大統領夫妻も欠席。第一次霊人祝福32億人。
: 12月 長男の文孝進が離婚(妻・洪蘭淑が孝進の人格およびアルコールと薬物の乱用を理由に求めていた離婚が成立)。孝進は薬物乱用の事実を認めた。
:12月1日「霊界開門宣布式」
 
{{Quotation|先生の組織が入り込んでいない所はありません。自民党だけでなく野党にも全部入っていますね? 自衛隊までも全部入っているのです。共産党の深層部にまで入り込んで、そこですべてのものを先生に報告するようになっているのです。それで帝調や公安部は手を出すことができないというのです。|文鮮明先生말씀選集 第336巻より<ref>http://www.tongilgyo.net/data/book/malsm/pdf/336.pdf</ref>}}
* [[1998年]](78歳)
: 韓国が経済破綻し、教団関連の多くの企業が倒産した翌年にあたるこの年には信者に対し、神の怨みを解き、天国に入るための条件として「総生畜献納」という160万円の献金が要請された。
: 1月1日 韓国を「アダム国家」から「父の国」、日本を「エバ国家」から「母の国」とする。
: 2月23日~3月6日 韓鶴子が日本の12か都市で、「文鮮明先生御言葉訓読大会」を行う。4月1日~16日にはアメリカ、カナダで行う。
: 4月17日 アメリカのベルベデイア修練所で「子女権、父母権、王権開門宣布式」
: 5月13日~15日 長男の文孝進と共に、南米の大湿原パンタナールで、聖人・地獄解放のための特別精誠条件を立てたという。
: 5月26日 アメリカのベルベデイア修練所で「奉献転換宣布式」
: 6月13日 ニューヨークの[[マディソン・スクエア・ガーデン]]で3億6千万組第1次合同結婚式において、[[1969年]]に事故でなくなった喜進(ヒジン)を含む92億の霊人を祝福したという。かつては文鮮明と拘わりのあったと噂された女性たち(第二夫人の金明煕、「二人お母様」と呼ばれた崔元福、李京俊、李貞玉)がそれぞれ、[[ソクラテス]]、[[釈迦]]・[[孔子]]・[[マホメット]]の妻として祝福する。また[[アドルフ・ヒトラー]]、[[ヨシフ・スターリン]]なども祝福したという。
: [[ブラジル]]のジャルジンの1億坪の土地を購入し、「ニューホーム村」という集団村を建てる。
: 7月から[[ブラジル]]のジャルジンにおいて、夫婦で参加する「世界平和と理想家庭のための40日修練会」で信者を直々に指導する。
: 7月3日 四女の文恩進が両親の与えた祝福(結婚)を解消し、騎手のRod Jekin(54)と結婚。両親のもとで育てられている、4歳と8歳になる二人の子供の保護を巡って訴訟を起こす。
: 7月19日 三男[[文顕進]](ムン・ヒョンジン)が「'''世界平和統一家庭連合'''」世界副会長に就任。
:8月28日「七・八節」「宿命的提案解怨」。
: 9月8日 [[アラスカ州]]のコデイアックで「四・四節」を制定。
: 10月5日 「全体解放統一式」五大聖人(イエス・キリスト、[[釈迦]]、[[マホメット]]、[[孔子]]、[[ソクラテス]]の人事発令式。
: 11月 長男・孝進の元妻・[[洪蘭淑]]が『わが父文鮮明の正体』(英語版は『In the Shadow of the Moons』)という文ファミリーの虚像を告発する本をアメリカと日本で出版し、信者達に動揺が広まり、離教する信者が多数出る。
 
===1976年『ニューズウィーク』誌のインタビュー===
* [[1999年]] (79歳)
[[1976年]]に文鮮明(以下、Aと表記する)は、アメリカの『[[ニューズウィーク]]』誌のインタビューには応じた<ref name=":47">『ニューズウィーク』誌(1976年)での文鮮明師に対するインタビュー内容(1)
: 1月8日 [[ウルグアイ]]のプンタデルエステにおいて、「真の祝福天宙化と[[サタン]]の血統根絶完成宣布式」
: 2月4日~7日 韓国・ソウルで「世界文化体育大典‘99(WCSF)」において、2次3億6千万組合同結婚式を行う。
: 2月23日~3月6日 [[韓鶴子]]が日本の12か都市で、「文鮮明先生御言葉訓読大会」を行う。4月1日~16日にはアメリカ、カナダで行う。
: 5月14日「サタン完全(自然)屈服の日」を宣言(サタンである天使長[[ルシファー|ルーシェル]]が文鮮明に屈服し、神様と、文鮮明夫妻と、全人類に謝罪の手紙を書いたという)。
: 既存の説教集の合本を「[http://ww91.tiki.ne.jp/~oka_megumi/3000man.pdf 聖本]」と名づけ、3千万円献金した信者に文のサイン入りの「聖本」を授けるとして、各地区にノルマをかけて献金を奨励。
: 5月30日 「真の御父母様地球星(東西洋)勝利祝賀宣布」
: 6月14日 「真の御父母様天宙勝利祝賀宣布」
: 韓鶴子に表彰牌を授与。
:7月~8月「世界平和超宗教超国家連合国際会議」
: 9月9日9時9分9秒 「天地父母天宙統一解放式(九・九節)」を宣布。
: 9月10日午前10時10分 「三・十節」宣布。
:10月10日「二・十節」
:10月23日「総天宙祝福解放日」制定。
:10月24日「第四次アダム圏時代到来」宣布。
: 10月27日 六男の[[文栄進]](ムン・ヨンジン)がネバダ州リノのホテルから転落死。警察発表は自殺だが、 内部では、事故と信者に説明。
:11月7日天上旺臨宮殿奉献式
:11月12日文栄進世界昇華式
: 11月20日 [[シカゴ]]における「第4回真の家庭の価値バンケット」に1200名の牧師が参加。[[ビル・クリントン]]米国大統領が文鮮明に祝賀品を贈呈。
 
https://familyforum.jp/2012111613259</ref><ref name=":48">『ニューズウィーク』誌(1976年)での文鮮明師に対するインタビュー内容(2)
=== 天一国以降 ===
* [[2000年]](80歳)
: 2月 80歳の誕生日に北朝鮮の[[金正日]]総書記兼国防委員長から祝賀メッセージとプレゼントを受け取る。
: 2月13日 韓国において、4億組第一次国際合同祝福結婚式を行う。天宙平和統一家庭堂と天宙真の父母連合創設。
: 3月31日 三男の[[文顯進]](ムン・ヒョンジン)が「[[世界原理研究会|原理研究会]]」の会長に就任。
: 4月20日 アメリカのイーストガーデンで文鮮明夫妻の聖婚40周年記念祝賀。「第二次40年路程出発」および「第四次アダム圏定着時代」宣布。
: 5月8日~19日 韓鶴子が南米4か国で「訓読大会」。5月20日~29日には欧州各国で、5月31日にはカナダで。
:6月17日海洋還元式
: 6月23日 韓鶴子が国連[[非政府組織|NGO(非政府組織)]]の「[[世界平和教育者国際連合]]」(IAEWP)から「グランプリ平和賞」を授与される。
:6月24日陸地還元式
:6月29日天宙還元式
:6月30日男根石・女根石奉献式。
:7月1日「第四次アダム心情圏還元宣布」「神様祝福永遠宣布式」が「神様祝福永遠勝利宣布式」に改称。
: 8月 韓鶴子と共に[[アラスカ州]]で[[サケ|鮭]]の乱獲で摘発され、1人あたり罰金250ドル(約2万7千円)の罰金を科せられたと外電に報じられる。
: 8月18日~20日 ニューヨークの国連第二会場で、国際会議「アセンブリ2000」(「[[世界平和超宗教連合]]」主催)において「国連の刷新と平和の文化建設」と題する基調講演で、宗教指導者たちによる超宗教議会を、国連の上院組織として設置し、国連を上下二院制にすること、世界のあらゆる国境線・紛争地帯を、国連管轄下の平和地区にすることなどを提案。
: 8月18日 自ら組織した「[[世界NGO連合]]」(WANGO)から「万国平和賞」を授与される。『国境線撤廃と世界平和』講演。
: この頃、原因不明の病気で二カ月間入院する。その病床で「十字架を降ろす」運動を指示したという。
:9月24日「三時代転換一体圏祝福式」
:9月26日「四位基台入籍祝福式」
: 10月 1960年からの行われた合同結婚式に関して、効率と安定成長を集団結婚産業に持ち込んだことに対する功労を称えるとして[[ノーベル賞]]のパロディである[[イグノーベル賞]]経済学賞受賞。[http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/10/09/20061009000055.html 2006年10月9日付朝鮮日報記事]
:10月3日「三時代転換一体圏祝福式」と「四位基台入籍祝福式」を合わせ「三時代大転換四位基台入籍統一式」と命名。
:10月14日「霊界解放式」
 
https://familyforum.jp/2012111613259</ref>。以下は統一教会によって一部抜粋された物である<ref name=":47" /><ref name=":48" />。インタビュアーは『ニューズウィーク』誌の編集長リチャード・Z・チェスノフと編集者アンドリュー・ナゴルスキ(以下、Qと表記する)<ref name=":47" /><ref name=":48" />。<blockquote>'''Q. 統一教会が他のキリスト教の宗派と違う点は何ですか?'''
* [[2001年]](81歳)
: 1月1日 信者に(収入の)10分の1ではなく、10分の3を献金するように強く要請する(1992年の時点で既に「10分の3献金をしなさい」と指示している<ref>至誠感天・家和万事成 ◦献金の意義と捧げる姿勢</ref>)。
: 1月13日 韓国天宙清平修練苑・天城旺臨宮殿大聖殿で韓鶴子と共に、「神様王権即位式」を行う。
: 1月27日 米国国連本部及び各国会場で4億組第2次国際合同祝福結婚式を行う。
: 2月25日~4月17日 「米国五十州巡回講演」を行う。
: [[8月18日]]から2週間 韓国[[済州島]]の国際研修院における「世界指導者統一思想・勝共理論修練会」で指導。全世界から約500名の指導者が参加。
:4月18日「相互依存協力宣言」
:5月8日ガバナンバプテスト教会で講演。
:5月15日レイバーン議員会館で講演「神は我々の王であり真の親である」
:5月26日国際シンポジウム「国家への奉仕、世界への奉仕。家庭、地域、国家再建による平和の擁立」
:5月27日世界宗教指導者祝福結婚式。
:5月30日天宙平和統一連合南米本部開館式
:7月3日~12日「神様祖国定着大会」
:7月13日「文鮮明総裁招請講演」
:11月15日IDカード発行。
:11月19日一和天馬サッカー団韓国リーグ優勝祝賀
: 12月25日 [[クリスマス]]のこの日に、霊界では「霊界5大宗教代表の決意文採択と宣布式」が行われたという。キリスト教のイエス・キリストと12名の代表、儒教の[[孔子]]と12名の代表、[[仏教]]の[[仏陀]]と12名の代表、[[イスラム教]]の[[マホメット]]と12名の代表、ヒンズー教:3名(12名のうち)の代表らが文鮮明を人類の救世主、[[メシア]]、再臨の主、真の父母であられると宣言し、真の父母(文鮮明夫妻)に侍り、神様の国と世界平和のために和合、統一、精進することを決意し、宣布したという(金英順(キム・ヨンスン)が受けた啓示として紹介した)。
 
'''A.''' 私の受けた新しい啓示が神の意思を明確にしました。その意思とは何か? 世界を救うことです。ですから、統一教会はただの宗派ではありません。世界を救うための運動なのです。そして、 私たちの運動に関わる個々人は、神の言葉の教えにより、神様を中心とした個人、神様を中心とした家庭、神様を中心とした国、そして神を中心とした世界という概念を明確に知ることができます<ref name=":47" />。
* [[2002年]](82歳)
:1月2日「天一国入籍のための特別聖酒式」
:1月26日「自主国勝利圏時代宣布式」
: 2月16日 韓国ソウルのオリンピック公園[[フェンシング]]競技場及び各国会場で億組第3次国際合同祝福結婚式を開催。
:3月1日「霊肉界総統一式」宣布。
:3月28日「世界平和純潔民族連合創設大会」開催。
:4月4日「六千年役事大解怨式」
:4月27日超宗教超国家聖職者祝福式
:6月21日天地父母統一安着大会。
:7月3日超宗教超国家祝福式
: 7月14日 三男の文顕進が[[さいたまスーパーアリーナ]]で、「SERVICE FOR PEACE WORLD TOUR 2002」日本大会を行う。
:8月5日「天地父母統一安着宣布式」
:10月16日天上地上和合統一大会・北側大会
:10月20日天上地上和合統一大会・南側大会
:11月15日天一国平和統一平定時代宣言。
 
'''Q. 神の意思はどのように明かされたのですか?'''
* [[2003年]](83歳)
:1月13日天一国平和統一家庭堂指示。
: 2月6日 「天宙天地真の父母様平和統一祝福家庭王即位式」を行う。神様と真の父母(文鮮明は夫妻)が天地人父母様となり、天の王権が現れることができるようになったとされる。ソウルの[[ロッテホテル]]での83歳の誕生日と[[韓鶴子]]の還暦祝賀記念世界首脳会議が行われる。再祝福式に長女の誉進(イェジン)、三女の仁進(インジン)、四女の恩進(ウンジン)、六女の情進(ジョンジン)が欠席。
: 3月7日 ヨーロッパの草創期の教団幹部の娘である元信者のドナ・コリンズが第37回全国霊感商法対策弁弁護士連絡会の東京の集会で講演。幼い頃から間近で見てきた文一族の実態を語る。「もう『真の聖なる家族』なんてのは問題にならない。全部彼のやってることは嘘だし、聖の逆だと思います」と告発。[http://www1k.mesh.ne.jp/reikan/japanese/siryou/kouen/kouen.htm ]
: 3月10日「天宙平和統一堂」結成大会。
: 5月4日「創造理想主管圏大転換宣布式」
: 5月10日相対理想絶対圏宣布式、正午定着解放宣布。
: 5月18日 [[イスラエル]]において「エルサレム宣言」
: 6月29日「ワシントン宣言」
: 7月13日 韓国・天安市の[[柳寛順]]体育館と各国会場で4億組第4次国際合同祝福結婚式を行う。「蕩減時代終了」宣布。「法定管理時代開始」宣布。
: 8月15日「ソウル宣言」
: 8月20日第四次イスラエル国出発宣布式
: 10月3日 平和の王として「平和国連(超宗教超国家平和協議会:IIPC)」を創設する。
: 11月4日天宙父母解放、天地父母解放、天地人父母解放定着基地宣布
: 11月30日「平和大使館」開所式
: 12月21日一体統一式宣布
: 12月22日、ユダヤの地においてイエス・キリストの[[戴冠式]]を行う。
 
'''A.''' 16歳の時に、韓国の郊外で[[イエス・キリスト]]に出会うというとても霊的な深い体験をしました。それが啓示の始まりでした。それからというもの、真実を探求する時、私は常に、神様と、イエス様を含む霊界の聖人たちと対話しています<ref name=":47" />。これは言葉ではうまく言い表せません<ref name=":47" />。
* [[2004年]](84歳)
: 2月22日「天宙・天地・天地人父母定着時代」宣布
: 3月23日 米国議会上院オフィスビルで、「平和大使授賞バンケット」(「世界平和超宗教超国家平和協議会(IIPC)」主催)を開催。米国各州を代表する上院と下院議員の80名をはじめユダヤ教・キリスト教・[[イスラム教]]および全世界の宗教宗派を代表する指導者約350名が参加。世界各国で平和活動に貢献した指導者らに「平和の王冠賞」が授与された。最後に、IIPC創始者である文のこれまでの業績を称え、ロスコ・バートレット下院議員(共和)と[[ダニー・デービス]]下院議員(民主)がマントと王冠を授与した。これを教団は「真の父母の戴冠式」として、アメリカ議会が文鮮明を再臨の[[メシア]]として受け入れたかのように宣伝した。メディアの報道によって市民から参加した議員達に抗議の声が上がるなど、波紋を呼ぶと、教団関連のウェブサイトから、それらの模様を治めたビデオが削除された<ref>『[[ワシントンポスト]]』[[2004年]]3月23日付け</ref>。<!--関わった議員たちの多くは「私はその日の行事がどんな性格なのか分からなかった」、「後で分かって非常に不快だった」などと述べたという。[[誰が?]]-->
: 4月5日「ナザレ宣言文」
: 4月10日天使世界解放・釈放宣布式
: 4月13日カイン・アベル解放・釈放宣布式
: 4月19日真の父母解放・釈放宣布式。「安着侍義の日」宣布
: 5月1日世界基督教統一神霊協会50周年記念日
: 5月5日双合十勝日宣布
: 5月21日「和合と統一のための絶対価値宣布大会」
: 7月4日「平和統一聯合」創設大会
: 7月26日 ソウル及び各国会場で4億組第5次国際合同祝福結婚式。
: 8月20日「真の心情革命と真の解放釈放天一国入籍祝福式」
: 9月23日 ソウルで「蒙古斑同族世界平和連合」(MPFWP)創設。
: 11月9日「在日同胞祖国統一祈願祭」
: 12月13日「コモン・レガシー朝食サミット」
: 12月26日祝福二世天一国四年特別祝福式
 
'''Q. 神はなぜあなたに語ったのでしょうか?'''
* [[2005年]](85歳)
: 2月9日祝福二世天一国五年特別祝福式
: 2月14日 韓国の清平(チョンピョン)において、天宙統一「平和の王」戴冠式を挙行する。霊界の5大聖人をはじめとする各界の指導者と世界各国各界の著名な指導者が、文を「天宙平和の王」として推戴したという。
: 6月 教団の機関誌『ファミリー』5月号に、文と実態的な血統転換([[血分け]])があったとも取れるような金明煕の証言が載る。
: 6月25日 世界を一つに結ぶための[[ベーリング海]]を橋とトンネルで結ぶ「ワールド・ピース・キング・ブリッジ-トンネル構想」を発表。
: 7月13日総心情同族圏平和大会
: 7月14日「在日同胞統一祈願祭」
: 8月1日 韓国・忠南[[柳寛順]]体育館及び各国会場で4億組第6次国際合同祝福結婚式を行う。
: 9月12日 現在の[[国際連合|国連]]を補完し、高次元の世界平和実現運動を推進する国際機関として「[[天宙平和連合]](UPF)」を創設。9月12日から12月3日にかけて世界100都市を講演。神様から受けたというメッセージを発表する。
: 全米4大都市講演ツアーを行う。
: 9月12日~12月3日 世界100か都市講演
: 12月 韓国の京畿道[[一山区|一山]](イルサン)国際展示場(KINTEX)で民団と朝総連系など在日韓国人1万名余と以北5道民リーダー、嶺南・湖南リーダーなど5万名余を集めて大会を行う。天宙平和連合の役目と南北統一に対して語る。
: [[ブルガリア]]・[[ソフィア (ブルガリア)|ソフィア]]市内のホテルでセミナーを行うための1日訪問と「統一教会」の公認を求めたがブルガリア政府は拒否。
: 12月27日真のお父様120ヶ国天宙平和連合創設帰国歓迎大会
: 12月28日在日同胞祖国統一祈願祭
: 12月29日 韓国・天宙清平修錬苑及び各国で「世界平和国際合同交叉祝福式」を行う。1147組のカップルが祝福を受ける。
 
'''A.''' 神様のタイムテーブルに従って、 神様は私を召命または抜擢されました。なぜ? それは神様に聞かないと分かりません。私が知っていることはただ一つ、その使命が私に与えられたということです。神様の主な頭痛の種は3つです。1つ目は、道徳の崩壊が広がっていることです。2つ目は、キリスト教会は分裂し、衰退しており、霊的力を回復しなくてはいけないこと。そして3つ目は、神様の目から見て悪の勢力にあたる[[共産主義]]が台頭していることです。これは地上に神の国を創る上での最大の障害です。私は、これらの啓示を原理講論として完成し、体系化させてから、一つの運動を組織しました。それが統一教会です<ref name=":47" />。
* [[2006年]](86歳)
: 1月15日 崔元福(チェ・ウォンボク)が死去(89歳)。
: 2月2日天宙平和連合世界大会
: 3月21日「天宙平和連合日本大会・アジア太平洋島嶼国家のパートナーシップ」
: 3月25日~4月3日「天宙平和連合祖国郷土還元大会」
: 4月26日~5月10日 韓鶴子(天宙平和連合〔UPF〕共同総裁)が世界120か都市巡回講演を行う。
: 4月28日~5月10日 北米13か都市講演では文顯進(世界大学連合[[原理研究会]](W-CARP)世界会長)も講演。
: 5月13~24日 日本12か都市で講演。
: 6月13日 韓国・清平で文鮮明夫妻は、「天正宮博物館開館式」と「天宙平和の王真の父母様戴冠式」を開催。天宙清平修錬苑では、この開館式と戴冠式を中心とする一連の行事が6月6日~13日まで8日間に渡って行われ、全世界から連日2万人以上の人が集い、祝賀した。
: 6月16日 妻の韓鶴子がモンゴル大会から再び巡回講演を始める。子供女様も同行。中央アジア、中東と回り、7月に入ってからは欧州諸国で連日、講演。
: 7月31日~8月7日 三男の文顕進が日本で「神様の理想家庭と平和王国を実体化しよう!」のテーマで講演ツアーを行う。長男の信元(シノン)が7月31日の成和学生大会でスピーチ、長女の信愛(シネ)がコンサートを、次男の信重(シンジュン)も青年教育プログラムのメンバーとして参加。
: 8月1日 四男の文國進(ムン・グクチン、「韓国統一教会維持財団」理事長)が一成建設]長・方(パン)ヨンソプを「韓国統一教会維持財団」の副理事長・「統一グループ」副会長に任命。就任式で國進は「方氏は昨年、祝福を受けた人」と紹介した。わずか1年でグループNo2になったのはこれまでにない異例の人事。
: 8月2日 第一夫人、崔先吉との子供、聖進(ソンジン)の長女の信淑(シンスク)と大塚克己の長男、大塚洪孝を祝福する。
: 8月3日 大塚克己を日本統一教会(統一協会)会長に再任(9日に渋谷松涛本部で就任式)。前会長の小山田秀夫を世界巡回師に任命。
: 8月20日「天宙平和連合祖国郷土天地還元勝利釈放大会」
: 8月28日「天宙平和連合祖国郷土天地還元勝利釈放大会」
: 9月14日「アーメン」から「アージュ」への変更
: 12月8日「平和と統一のための平和大使全国大会」
 
'''Q. あなたは「私は世界を抑圧し、支配するだろう。私が求めなくても、世界が法律に従うように私の言葉に従う時が来る」と語られました。あなたの政治的目標は何ですか?'''
*[[2007]](87歳)
:2月23日真の父母御聖誕記念式
 
'''A.''' 政治的目標などありません。その特定の文章だけが周囲の文脈を無視して引用されているのです。長い、即席の演説から文章を引用すると、誤解が生じる場合があります。{{ISO639言語名|ko}}の翻訳の問題もあります<ref name=":47" />。
* [[2008年]](88歳)
: 7月19日 文鮮明と韓鶴子らが乗ったヘリコプターが不時着し、この事故により乗っていた統一教会関係者16人のうち文夫妻を含む14人が負傷して清心国際病院に搬送され、治療を受けた。
: 8月3日 退院後の写真が公開される。
 
'''Q. つまり、世界を支配するつもりはないということですね?'''
* [[2009年]](89歳)
: 1月15日 万王の王神様解放圏戴冠式を挙行
: 1月31日 太平聖代神文明平和祝福結婚式を挙行(米国・ニューヨーク)
: 3月10日 金寧社から自叙伝「平和を愛する世界人として」が出版された。
: 4月19日 真の御父母様ご聖婚50回金婚式 天地父母天宙カイン・アベル(善・悪)平和安着大会を開催
: 5月30日 教会創立55周年記念および真の平和真の父母UN安着大会を開催
: 6月1日 自叙伝の出版記念会がソウル市のCOEXで行われた。
 
'''A.''' もちろんです。'''政治的に支配するつもりはありません'''。世界を支配するのは[[神|神様]]であって、私は神様の位置に立つつもりはありません。しかし、神様の[[霊魂|霊]]が私を通して語られるのであり、語っているのは神様です。だからこそ、多くの若者が私に従うのです<ref name=":47" />。
 
'''Q. あなたの信者たちはとても質素に暮らしていますが、あなたはとても楽に暮らしています。どうして贅沢するのですか?'''
== 文鮮明の家族 ==
=== 妻達 ===
# [[崔先吉]](チェ・ソンギル)[[1943年]]12月に約婚。「統一教会」関係者から毎月100万[[大韓民国ウォン|ウォン]]振り込まれていたという指摘について、「統一教会」広報部は「日本の当法人としては、お答えする立場にありません」と回答した。[http://antikimchi.seesaa.net/article/104385318.html]
# [[金明煕]](キム・ミョンヒ)
# [[韓鶴子]](ハン・ハクチャ)
 
'''A.''' 私は人生の大半を質素に暮らしてきましたが、好むと好まざると、私は世界的に知られる人物になってきました。私に会いに来る有名人はたくさんいます。外交儀礼の問題です。すると、人々は私に、保護と威厳が必要だと言います<ref name=":47" />。
* [[崔元福]](チエ・ウォンボク、さいげんぷく):[[梨花女子大学]]の教授であったが、統一教会(統一協会)に入教したことで、大学から罷免され、夫からも激しい反対を受け、離婚し、3人の子供とも長らく会わずにいたという。[[1998年]]の合同結婚式において、[[霊界]]の[[釈迦]]の妻として祝福された後、[[2006年]]に89歳で亡くなった。
 
'''Q. どうして統一教会とその信者たちは常にお金を稼いでいるのですか? なぜ物質主義を強調するのですか?'''
=== 子供達 ===
文鮮明の子供たちは血統的に原罪がないとされており、「真の子女(様)」と呼ばれる。洪蘭淑は文鮮明の子供たちが自分達の母国語であり、教会では世界の共通語となるとされている[[朝鮮語|韓国語]]を話せないのを知り衝撃を受けたという<ref name="wagatiti"/>。今は話せる。英語のほうが韓国語より流暢。文鮮明の幼い5人の子供はアメリカで生まれ育ったこともあり、文鮮明とは言葉も通じないという<ref name ="60minutes">[[CBS]] ”[[60 Minutes]]”[[1998年]]9月20日放送</ref>。(近年は子供たちも韓国語を学んでいるため、徐々に言葉が通じるようになってきている)。
 
'''A.''' 私は物質の価値を否定しません。しかし、それは神様のために使われるべきです。地上に神様の理想の概念を実体化する私たちの運動には莫大な資産が必要なのです<ref name=":47" />。
==== 崔先吉との子女 ====
# [[文聖進]](ムン・ソンジン):([[1946年]]4月7日~)[[2006年]] 8月2日、次女の信淑(シンスク)が統一教会の日本会長である大塚克己の長男と祝福された。
 
'''Q. その資産の少なくとも一部分でも、飢餓撲滅などのために割り当てないのはなぜですか?'''
==== 金明煕との子女 ====
# [[文喜進]](ムン・ヒジン):([[1955年]]8月17日~[[1969年]]8月1日)金明煕との間にできた男の子。開拓伝道に行く途中に列車事故で亡くなった。
 
'''A.''' 福祉活動はいくつか展開しています。しかし、分かっていただきたいのは、貧者や孤児を助ける能力のある人や、助けている人はたくさんいるということです。私の特別な任務は、人々に神様を知らせることです<ref name=":47" />。
==== 韓鶴子との子女 ====
※<ref name ="ainosekai"/><ref name ="jyoseitoua">『女性東亜』([[1986年]]5月号)</ref>
# 長女・文誉進(ムン・イェジン): ([[1961年]]1月27日[陰暦1960年12月11日]~)出生届け[[1962年]]12月29日 ([[マサチューセッツ州]]の名門「[[スミス女子大学]]に進んだ<ref name="wagatiti"/>)
# 長男・[[文孝進]](ムン・ヒョジン):([[1962年]]12月29日、[陰暦12月3日]~[[2008年]]3月17日)韓国にて病死。
# 次女・文恵進(ムン・ヘジン): ([[1964年]]7月28日~同年8月4日)生後まもなく死亡。
# 三女・[[文仁進]](ムン・インジン): ([[1965年]]8月4日[陰歴7月18日]~](ハーバード大学卒業)
# 次男・[[文興進]](ムン・フンジン):([[1966年]]12月4日[陰暦10月23日]~ [[1984年]]1月2日) 自動車事故で死亡。死後に「ブラック興進様」として復活。
# 四女・文恩進(ムン・ウンジン):([[1967年]]12月14日[陰暦11月23日]~)教会を離れている。
# 三男・[[文顯進]](ムン・ヒョンジン):([[1969年]]5月25日[陰暦4月10日]~)(コロンビア大学歴史学科卒業、ハーバード大学経営修士課程卒業)
# 四男・[[文國進]](ムン・グクチン):([[1970年]]7月17日[陰暦6月14日]~)(ハーバード大学経営修士課程卒業)
# 五男・文権進(ムン・グォンジン):([[1975年]]3月2日[陰暦1月20日])
# 五女・[[文善進]](ムン・ソンジン):([[1976年]]7月11日[陰暦6月15日]~)(ハーバード大学心理学科卒業)
# 六男・[[文栄進]](ムン・ヨンジン):([[1978年]]6月22日[陰暦5.月17日]~ [[1999年]]10月27日)]米国ネバタ州リノで転落)
# 七男・[[文亨進]](ムン・ヒョンジン):([[1979年]]9月26日[陰暦8月6日]~)(ハーバード大学哲学科、比較宗教学科卒業)
# 六女・文妍進(ムン・ヨンジン):([[1981年]]2月7日[陰暦1月3日]~)
# 七女・文情進(ムン・ジョンジン):([[1982年]]6月14日[陰暦4月23日]~)
 
'''Q. 信者たちを洗脳しているというのは本当ですか?'''
==== 孫 ====
多数(50名以上)
ハーバード大学に行っているものもいる。
*名前に信という字がつく。
 
'''A.''' [[アメリカ合衆国議会|連邦議会]]の議員たちと話した時も同じ質問をされましたが、私はこう答えました。「あなた達アメリカ人は韓国から来たレバレント・ムーンに[[洗脳]]されるほどの愚か者ですか? それに、私は通訳を使っています」。統一教会にやってくる若者たちはバカでも凡庸でもありません。賢明で、理想家で、自信に溢れています。彼らは、神様の力と愛に気付くと、磁石のように惹きつけられます。統一教会のセンターのドアは24時間開いています。入るのも出るのも自由です<ref name=":47" />。
== 文鮮明の弟子、側近達 ==
* 三弟子
: [[劉孝元]]:『原理講論』を執筆。
: [[金百弼]]
: [[金栄輝]]
 
'''Q. 家庭の重要性を強調されていますが、あなたのやり方は家庭内の不和を引き起こしているのではありませんか?'''
* 側近
: [[朴普煕]](パク・ポヒ)
: [[郭錠煥]](クァク・チョンファン)
: [[劉大行]](ユ・デヘン):全国祝福家庭総連合会総会長
 
'''A.''' もし私の信者の中に親を糾弾する者がいるとしたら、彼は私の本当の信者ではありません。本当の信者なら、親から尊敬されるでしょう。多くの若者は無視され、[[愛]]に飢えています。彼らは本当に感動し、喜びに満ちて入教してきます。彼らは、生まれて初めて、信じて愛せる何か、そして、誰かに出会ったのです。こうして彼らは熱心な信者になり、統一家の一員になるのです。一部の親たちは嫉妬しますが、その他の親たちは自分の息子や娘が、韓国人である私に従っている事実以外に反対する理由を持ち合わせていません<ref name=":47" />。
== 文鮮明に対する評価 ==
* 教団側の証
 日本統一教会公式サイト(参照)
 
'''Q. あなたは明確に、再臨主が現れること、その再臨主は結婚した韓国人であること、そして、新しいイデオロギーが韓国に出現すると言われました。なぜ韓国なんですか?'''
* 賛同者達
* 批判者達
 
'''A.''' 韓国は神様に選ばれた国です。韓国は分断されています。板門店の分断線は神側の世界と[[サタン]]側の世界の分断線のようなものです。対決は韓国で行われるしかないのです。韓国の勝利、特に共産主義との戦いにおける勝利は、韓国だけのものではありません。私は、その戦闘の現場を再びアメリカに移すためにやってきました。アメリカは世界に対する責任から後退してきました。これは、既に[[ベトナム]]で起こったことです。世界、そして神様の運命を決めるのはアメリカです。神様は、チャンピオンを必要としています。アメリカは共産主義と戦う運命にあるのです。イデオロギーの対決は避けられません<ref name=":48" />。
米国での批判:
 
'''Q. あなたは韓国政府や韓国CIAの関係者ですか?'''
キリスト教原理主義が強い米国では、統一教を異端視し、世論は批判的である。
文鮮明を脱税で投獄したのは、このような批判的世論を背景にした、政治的弾圧である。
批判的世論は、「若者たちを洗脳して家庭から離反させ、彼等を街頭でキャンデイ売りをさせたり、商業営利事業や右翼政治活動などに向けられている。」という意見が多い。
 
'''A.''' それはばかげた考えです。統一教会は宗教運動であって、政府の指示は受けません。実際には、韓国政府の人たちが私たちの運動を弱体化させたり、抑制しようとしたことは過去に何度もありました。しかし、今は、韓国の国家目標に対して私たちが貢献するところが非常に多いので、韓国政府も私たちの業績を無視できないでしょう。私たち自身のイニシアチブで、2千万人以上の人が私たちの[[国際勝共連合|勝共理論]]を聞きました<ref name=":48" />。
== 入国問題 ==
 
'''Q. 韓国や世界の反共団体、例えば、日本の児玉誉士夫から、支援を受けたことはありますか?'''
== 著書 ==
*400巻以上ある。
 
'''A.''' 一銭も受け取っていません。児玉さんには会ったこともないし、彼とも、彼の団体とも、やり取りしたことはありません。[[共産主義|共産主義者]]たちが、統一教会の印象を悪くするためにそのような噂を流しているのです<ref name=":48" />。
== 参考文献 ==
=== 賛同的な文献 ===
* [[松下正寿]] 『文鮮明 人と思想』]([[善本社]] [[1984年]]5月31日) ISBN 978-4-7939-0141-6
* [[那須聖]] 『牢獄の救世主』(善本社 [[1985年]]1月1日) ISBN 978-4-7939-0152-2
* [[井上茂信]] 『ゴルバチョフと文鮮明師』 ([[世界日報 (日本)|世界日報社]] [[1990年]]7月22日) ISBN 978-4-88201-038-8
* [[福田信之]] 『文鮮明師と金日成主席』 (世界日報社 [[1992年]]6月25日) ISBN 978-4-88201-049-4
* [[田井友季子]] 『神の代辯者』 (世界日報社 [[1995年]]2月5日) ISBN 978-4-88201-055-5
 
'''Q. 世界中の教会の金銭的な所有財産の規模は?'''
=== 批判的な文献 ===
* [[萩原遼]] 『淫教のメシア文鮮明伝』([[晩声社]] [[1980年]]) ISBN 978-4-89188-066-8
* [[朴正華]] 『六マリアの悲劇―真のサタンは、文鮮明だ』([[恒友出版]] [[1993年]]10月 ISBN 978-4-7652-3073-5
: 後に朴は文鮮明が多くの女性信者と「[[血分け]]したとして主張を撤回し、それらを全面否定する 『“私は裏切り者 その時私にサタンが入った!”』」(世界日報社 1995年11月1日 ISBN 978-4-88201-059-3)を著した。朴と文の間に裏取引があったとも、批判派に対する[[ディスインフォメーション]]だったとも言われている。
* [[洪蘭淑]](著) 林四郎(訳)『わが父 文鮮明の正体』([[文藝春秋]] [[1998年]]11月25日)ISBN 978-4-16-354610-0 :著者は[[文孝進|文鮮明夫妻の長男]]の妻で協会幹部の子女。文家での14年間の生活で見た「真の家庭」とされる一族の実体を告発した手記。
 
'''A.''' 分かりません。正直な話、私は数字は把握していません。興味を引かれないので。私は霊的な指針を与えるだけです<ref name=":48" />。
== 外部リンク ==
 
* 統一教会公式サイト
'''Q. あなたと統一教会のセキュリティーの堅さは歴然としています。異常とも取れるほどです。どうしてですか?'''
: [http://www.uc-japan.org/ucfam.aspx 世界基督教統一神霊協会]<!--index.htmlからは入れません-->
 
: [http://jp.cheongpyeong.org/ 天宙清平修錬苑]
'''A.''' 私は命懸けの使命を遂行しています。私は共産主義者に命を狙われているし、危険な目には何度も合いました。私の運動が勢力を増すに従って、私の命を狙う組織的陰謀の可能性も増します。例えば、北朝鮮の金日成は、彼の革命戦略への第一の脅威は私であると公言しています。しかし、陰謀家たちは、私が何らかの理由で失敗したとしても、新たなレバレント・ムーンがたくさん現れるということを知らずにいます。神様の意思は続くのです<ref name=":48" />。
 
'''Q. 他のキリスト教会から叙任されたことはありますか?'''
 
'''A.''' 歴史上の多くの預言者たちがそうであったように、私は神様に[[叙階|叙任]]されました。私は常に神様と対話しています。生ける神様が私とともにあるのです。これに勝る叙任はありません<ref name=":48" />。</blockquote>
 
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
{{脚注ヘルプ}}
{{reflistNotelist2}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
 
== 参考文献 ==
{{DEFAULTSORT:ふんせんめい}}<!-- 一般には“ムン・ソンミョン”と呼ぶ事はほとんどなく、“ぶんせんめい“と呼んでいるのでカテゴリで探す利便性を考慮してこのソートキーにしています。-->
;研究者・著述家
* {{Cite journal |和書|author = 古田富建|authorlink =古田富建 |title = 韓国キリスト教系新宗教のイエス観 : [[李龍道]]の晩年期の再考察とその系譜団体のイエス観 |date =2011 |publisher =帝塚山学院大学リベラルアーツ学部 |journal =帝塚山學院大学研究論集|volume = |issue =46 |naid =110008802572 |pages =17-38 |ref ={{SfnRef|古田|2011}} }}
* {{Cite book |和書 |author=ダグラス・E・コーワン、デイヴィッド・G・ブロムリー |translator= 村瀬義史|year=2010 |title=カルトと新宗教 アメリカの8つの集団・運動 |publisher=キリスト新聞社 |ref ={{SfnRef|コーワン・ブロムリー|2010}} }}
* {{Cite book|和書|ref={{SfnRef|櫻井・中西|2010}} |author1=櫻井義秀|authorlink1=櫻井義秀|author2=中西尋子|authorlink2=中西尋子 |year=2010 |title=統一教会 日本宣教の戦略と韓日祝福 |publisher=北海道大学出版会 |isbn=978-4832967205}}
* {{Cite book |和書 |last= |first= |author=ジョージ・D・クリサイディス |authorlink=ジョージ・D・クリサイディス |translator= 月森左知|year= 1993 |title=統一教会の現象学的考察 |publisher=新評論 |ref ={{SfnRef|クリサイディス|1993}} }}
* 『imago1993年8月号 特集マインドコントロール』青土社
* {{Cite book|和書|author=郷路征記|authorlink=郷路征記|year=1993|month=12|title= 統一教会マインド・コントロールのすべて 人はどのようにして文鮮明の奴隷になるのか|publisher=[[教育史料出版会]]|isbn=4-87652-250-2|ref=郷路1993}}
* {{Cite book|和書|author=榊利夫|authorlink=榊利夫|year=1993|month=3|title=文鮮明主義の批判 統一協会の過去・現在・矛盾|publisher=白石書店|isbn=4-7866-0266-3|ref=榊1993}}
* {{Cite book|和書|author=成沢宗男|authorlink=成沢宗男|year=1990|month=10|title=統一協会の策謀 文鮮明と勝共連合|publisher=[[八月書館]]|isbn=978-4-938140-16-8|url=http://www.hachigatsusyokan.co.jp/mokrok/bk/16-8.html|ref=成沢1990}}
* {{Cite book|和書|author=成沢宗男|year=1989|month=10|title=統一協会の犯罪 霊感商法と勝共連合|publisher=八月書館|isbn=978-4-938140-15-1|url=http://www.hachigatsusyokan.co.jp/mokrok/bk/15-1.html|ref=成沢1989}}
* {{Cite journal |和書|author = {{仮リンク|ペトロ・ネメシェギ|hu|Nemeshegyi Péter}} |title = 統一教会の教説についての考察 |date =1985-06 |publisher =上智大学神学会 |journal =カトリック研究|volume =47 |issue = |naid =120005680946|pages =57-97 |ref ={{SfnRef|Nemeshegyi |1985}} }}
* {{Cite book|和書|editor=和賀真也|date=1981-01-15 |title=統一協会と文鮮明 |url={{NDLDC|12282018}} |url-access=registration |publisher=[[新教出版社]]|isbn=4-400-41513-9 |ref=和賀1981}}
* {{Cite book|和書 |author=[[しんぶん赤旗|赤旗]]社会部 |title=仮面のKCIA 国際勝共連合=統一協会 |url={{NDLDC|12090170}} |url-access=registration |publisher=[[新日本出版社]] |date=1980年5月15日 |ref= {{SfnRef|赤旗社会部|1980}} }}
* {{Cite book|和書 |editor=[[しんぶん赤旗|赤旗]]社会部 |title=わたしは“洗脳”された―統一協会元会員の証言 |publisher=[[新日本出版社]] |date=1989年10月 |ref= {{SfnRef|しんぶん赤旗|1989}} |isbn=978-4406017732 }}
* {{Cite book|和書|author=那須聖|authorlink=那須聖|date=1985-01-01|title=牢獄の救世主|publisher=[[善本社]]|isbn=4-7939-0152-2|ref=那須1985}}
* {{Cite book|和書|editor=萩原遼|editor-link=萩原遼|year=1980|month=3|title=淫教のメシア・文鮮明伝|publisher=[[晩声社]]|isbn=4-89188-066-X|ref=萩原1980}}
* [[米本和広]]『カルトの子 心を盗まれた家族』[[文藝春秋]]、2000年、ISBN 4163563709
* {{Cite book|和書|author=朴正華|authorlink=|year=1993|month=11|title=六マリアの悲劇 真のサタンは、文鮮明だ!!|publisher=[[恒友出版]]|isbn=4-7652-3073-2|ref=朴1993}}
* {{Cite book|和書 |author=[[有田芳生]] |title=改訂新版 統一教会とは何か |publisher=[[大月書店]] |date=2022年9月15日 |ref= |isbn= 978-4272331109 }}
* {{Cite book|和書 |author=石井謙一郎、[[森健]]、鈴木エイト、甚野博則、伊藤達美ほか |editor=[[文藝春秋]] |title=統一教会 何が問題なのか |publisher=文藝春秋 |series=[[文春新書]] |date=2022年11月18日 |ref={{SfnRef|文藝春秋編|2022}} |isbn=978-4166613946 }}
 
;教団関係者
* {{Cite book|和書|author=文鮮明|others=文鮮明師自叙伝日本語版出版委員会訳|year=2009|month=10|title=[[平和を愛する世界人として]] 文鮮明自叙伝|publisher=[[創芸社]]|isbn=978-4-88144-132-9|ref=文2009}}
* {{Cite book|和書|author=朴普煕|authorlink=朴普煕|date=1997-11|title=証言|volume=上巻(私は生ける神の目撃者)|publisher=世界日報社|isbn=4-88201-064-X|ref=朴1997}}
* {{Cite book|和書|author=朴普煕|authorlink=朴普煕|date=1998-03-05|title=証言|volume=下巻(文鮮明師と二十世紀秘史)|publisher=世界日報社|isbn=4-88201-065-8|ref=朴1998}}
* {{Cite book|和書 |author=[[洪蘭淑]] |translator=[[林四郎]] |title=わが父 文鮮明の正体 |publisher=[[文藝春秋]] |date=1998年11月25日 |ref= {{SfnRef|洪蘭淑|1998}} |isbn=978-4163546100 }}
* {{Cite book|和書|author=田井友季子|authorlink=田井友季子|date=1995-02-05|title=神の代辯者|publisher=世界日報社|isbn=4-88201-055-0|ref=田井1995}}
* {{Cite book|和書|author=福田信之編著|authorlink=福田信之|date=1992-06-25|title=文鮮明師と金日成主席 開かれた南北統一の道|publisher=世界日報社|isbn=4-88201-049-6|ref=福田1992}}
* {{Cite book|和書|author=井上茂信編著|date=1990-07-22|title=ゴルバチョフと文鮮明師|publisher=[[世界日報 (日本)|世界日報社]]|isbn=4-88201-038-0|ref=井上1990}}
* {{Cite book|和書 |author=[[松下正寿]] |title=文鮮明 人と思想 |url={{NDLDC|12281867}} |url-access=registration |publisher=善本社 |date=1984年5月31日 |ref= {{SfnRef|松下正寿|1984}} }}
 
== 関連項目 ==
{{commonscat|Sun Myung Moon}}
* [[世界基督教統一神霊協会の年表]]
* [[統一教会関連の企業と団体]]
* [[世界平和統一家庭連合と政界との関係]]
* [[韓鶴子]]
 
== 外部リンク ==
* [https://ffwpu.jp/about/builder 創始者:文鮮明総裁・韓鶴子総裁御夫妻] - 世界平和統一家庭連合公式サイト
* [https://www.ucjp.org/moon.html 文鮮明師の生涯と業績] - 世界基督教統一神霊協会公式サイト
 
{{世界基督教統一神霊協会}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:ふんせんめい}}<!-- 一般には“ムン・ソンミョン”と呼ぶことはほとんどなく、“ぶんせんめい“と呼んでいるのでカテゴリで探す利便性を考慮してこのソートキーにしています。-->
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[[Category:韓国の宗教家]]
[[Category:世界基督新宗統一神霊協会|*ふんせんめいの開祖]]
[[Category:反共主義者世界基督教統一神霊協会の人物|*]]
[[Category:韓国の反共主義者]]
[[Category:在アメリカ合衆国韓国人]]
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[[Category:肺炎で死亡した人物]]
[[ca:Sun Myung Moon]]
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[[it:Sun Myung Moon]]
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