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{{
|氏名=文鮮明 / 문선명<br /> ムン・ソンミョン
|画像= File:Rev. Sun Myung Moon.jpg
|画像サイズ=200px
|画像説明=[[ワシントンD.C.]]にて([[1995年]])
|生年月日=[[1920年]][[2月25日]]([[旧暦1月6日|陰暦1月6日]])
|生誕地={{KOR1910}} [[平安北道 (日本統治時代)|平安北道]][[定州市 (平安北道)|定州郡]]
|出身校= [[早稲田高等工学校]]
|別名= 真のお父様、アボジ、アボニム
|没年月日={{死亡年月日と没年齢|1920|2|25|2012|9|3}}
|死没地={{KOR}} [[京畿道]][[加平郡]]
|職業=[[宗教家]]<br />[[政治活動家]]<br />[[実業家]]
|配偶者=[[韓鶴子]]
|出生名=文龍明|国籍={{KOR}}|子供=14人}}
{{朝鮮の人物
|title=文鮮明
|hangeul=문선명
|hanja=文鮮明
|katakana=ムン・ソンミョン
|alphabet=Moon Sun-myung
|latin=Mun Seong-myeong([[文化観光部2000年式|2000年式]])<br />Mun Sŏng-myŏng([[マッキューン=ライシャワー式|MR式]])
|hiragana=ぶんせんめい
|hangeul-birthname = 문용명、문룡명
|hanja-birthname = 文龍明
|hiragana-birthname = ぶん りょうめい
|hanja-japanesename =江本龍明
|nihonngo-yomi-japanesename=えもと たつあき|hiragana-japanesename=えもと たつあき}}
'''文 鮮明'''({{lang-ko-short|문선명}}、[[英語|英]]: MoonSun Myung, [[日本語|日]]: ムン・ソンミョン、ぶん せんめい<ref>{{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/%E6%96%87%E9%AE%AE%E6%98%8E-1410173|title=文鮮明|access-date=2022-07-19|publisher=百科事典マイペディア}}</ref>、[[1920年]][[2月25日]]([[旧暦1月6日|陰暦1月6日]])- [[2012年]][[9月3日]])は、[[大韓民国|韓国]]の[[宗教家]]、[[政治活動家]]、[[実業家]]。[[世界平和統一家庭連合]](旧:世界基督教統一神霊協会。通称:統一教会、統一協会。以下統一教会と表記)、[[国際勝共連合]]を含む統一運動の創立者。妻は[[韓鶴子]]。[[本貫]]は[[:Category:南平文氏|南平文氏]]<ref>{{Cite web |title=≪브레이크뉴스≫ 문재인-문익환-문세광-문선명...'남평문씨' 왜 싸잡아 비난? |url=http://www.breaknews.com/595620 |website=브레이크뉴스 |date=2018-08-16 |access-date=2022-07-19}}</ref>。
==
文鮮明は、統一教会の[[信者]]にとっては、地上に再来した[[メシア]]、第三の[[アダム]]、再臨の主であると考えられている。また、文と妻の[[韓鶴子]]は真の父母様と信者から呼ばれている{{sfn|コーワン・ブロムリー|2010|p=103}}。しかし一方では、宗教的[[詐欺|詐欺師]]であり、[[陰謀]]によって会員や元会員、その家族たちの人生を台無しにしてきた悪徳商人であると捉えている人々もいる{{sfn|コーワン・ブロムリー|2010|p=103}}。一部の[[マスメディア]]は、「有名な韓国人伝道師」「問題の宗教的指導者」「何万もの求道者を[[洗脳]]した[[カルト]]の人形使い」と評した{{sfn|コーワン・ブロムリー|2010|p=103}}。宗教学者の{{仮リンク|ダグラス・E・コーワン|en|Douglas E. Cowan}}、宗教社会学者の{{仮リンク|デイヴィッド・G・ブロムリー|en|David G. Bromley}} は、「どのように描写されているかは別として、[[20世紀]]後半の最も目立った[[新宗教]]の指導者の1人である」と評した{{sfn|コーワン・ブロムリー|2010|pp=103-104}}。
== 生涯 ==
[[1920年]][[旧暦1月6日|1月6日]]、[[日本統治時代の朝鮮|日本統治下]]の[[平安北道 (日本統治時代)|平安北道]]定州郡(現在の[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]・[[平安北道]][[定州市 (平安北道)|定州市]])で出生した{{sfn|古田|2011}}<ref name="aritablogos">[https://web.archive.org/web/20220420010900/https://blogos.com/article/46100/ 統一教会の文鮮明教祖死去にあたって][https://web.archive.org/web/20141010144757/http://saeaki.blog.ocn.ne.jp/arita/cat6522749/index.html]</ref>。出生名は「文龍明」。7男6女の13人兄弟の[[農家]]の次男で、そのうち8人が成人した。
曽祖父の代まで裕福な[[儒教]]家門だったが、15歳の時に兄弟が[[精神疾患|精神病]]を患い、それをきっかけに家族全員が[[プロテスタント]]の一派[[長老派]][[キリスト教徒]]となる{{sfn|クリサイディス|1993|p=39}}{{sfn|古田|2011}}。16歳の時に、祈祷中に[[イエス・キリスト]]と霊通し、再臨主の使命を継承するよう召命を受け、最初は拒んだが、最終的に受け入れたという{{sfn|クリサイディス|1993|p=39}}{{sfn|古田|2011}}。さらに[[聖書]]を学び、祈りを唱えるうちに、さらなる[[啓示]]を受けたとされている{{sfn|クリサイディス|1993|p=39}}。文は正式に[[神学]]を学んではいないが、書堂で中国の古典を学び、[[仏教]]やその他の宗教に親しんだ{{sfn|クリサイディス|1993|p=39}}。
1934年4月、雲龍学院から[[五山高等学校|定州私立五山普通学校]]に編入。この学校は[[三・一独立運動]]で独立宣言書に署名した33名の[[朝鮮独立運動|抗日運動]]指導者の1人であった[[李昇薫]]が設立した学校であり、日本統治下でありながら[[日本語]]を教えていなかった。教会の長老であった文慶天(いとこの文昇龍の父親)の勧めで、病気を治すため、文一家は教会に通うようになり、全員がキリスト教に改宗。次姉(文孝淳)と長兄(文龍壽)の精神病が按手祈疇を通して治癒したことから、「猫頭山」(標高310メートル)のふもとにある「徳興長老教会」に入教した<ref>(2009年金寧社刊 文教祖自叙伝「世界を愛する世界人として」より)</ref>。
1935年4月、定州公立普通学校に転入。私立京城商工実務学校電気科(現・中央大学)に入学{{efn2|『この柳スポークスマンから貰った資料の中に『統一教会史 試草=文化部編史課』というザラ紙にタイプしたものがある。これによると、一九三八年、彼が十八歳のころ、ソウルに出て来て、中学校(旧制)に入り、黒石洞に下宿し、信仰生活を主とし、日曜学校にも通った、と抽象的な表現で、四一年日本へ発つまでのことが述べられているが、丁度この時代の彼を知っている証人を紹介しよう。統一協会側は、何故かひた隠しにしているが、文鮮明は一九三六年から三九年まで、私立京城商工実務学校(現中央大学)に在学していたのだ。これは事実である。ひた隠しにするはずである。丁度この時期に文鮮明は、十六歳、神の啓示を受けたのだから。この私立京城商工実務学校は、ソウルの漢江のほとりにあり、土居山洋氏(現九州電気学校校長代理)が設立した日本人経営の学校だった。日本占領時の当時としては珍しく、韓国人にも実務教育を、と、電気、建築、商業などを主体とし、全国から韓国人の子弟を集めた。はじめはホンのバラック小舎の校舎だったが、学校の周辺に下宿屋なども出来て、しだいに学校らしくなって来た。設立者土居山洋氏がクリスチャンで、その博愛精神から、当時激しかった韓国人蔑視や虐待を排除し、彼らに実務教育をと努力したので、子弟は全国から続々と集まって来た。校舎もそうした先生や生徒たちの手作りで大きくなって行く。この学校に赴任し、日本語と英語を教えた園部治夫氏(現明治学院大学教授)の、文鮮明の印象は次のようなものである。「当時は文龍明といっていました。日本名を付けなければならなかった時代でしたから、彼は江本といっていました。うちの誰か先生が付けてやったのでしょう。江本龍明は、活達で教室でも人をリードしていくいい生徒でした。勉強も出来たほうです。彼は三九年(昭和十五年)卒の第三期卒業生です」 ◇文の隠された秘密-十六歳啓示説はウソだった?! ソウルで取材を続けていたある日、この学校の名前をチラッと聞き込んだ。ツテを頼って、ようやくにして江本龍明と同級生だった人に会えた。そして借用して来たのが、卒業記念写真である。坊主頭こそしているが、十八歳の江本龍明は、現在の文鮮明とまったく変わりがない。本人であることは一目瞭然である。(中略)十六歳で神の啓示を受けた江本龍明は『統一教会史』にもある如く、さぞや京城商工時代に、信仰生活を過ごしていた、と思いきや、土居先生も園部先生も、"それは気がつかなかった"と述べている。クリスチャンである両先生は、日曜学校へ通われたが、そこでもついぞ、イガグリ坊主頭の教え子江本龍明に会った記憶がない、という。写真提供者の同級生は、さらにハッキリと、文鮮明が信仰者でなかったことを断言している。(中略)一九三九年、京城商工を卒業してから、四一年に日本に渡るまでの間が不明である。』<ref>山口浩「原理運動の素顔」(1975年)</ref>}}。同年4月17日、定州の「猫頭山」において<ref>1995年発行「聖地定州」</ref>イエス・キリストと出会った。文によれば、キリストは[[ヘブライ語]][[方言|なまり]]の[[朝鮮語|韓国語]]で{{Sfn|萩原|1980}}<ref name="asami1">[[浅見定雄]]『統一協会 = 原理運動―その見極めかたと対策』([[日本キリスト教団]]出版局 1987年3月20日) ISBN 978-4818421110</ref>「メシアとして果たせなかった使命を果たしてほしい」と頼んだという。文はその責任の重さゆえに何度も断ったが、最終的に受け入れたとされる<ref name="kaminodaibensya">[[田井友季子]] 『神の代辯者』(世界日報社、1995年2月5日)ISBN 978-4882010555</ref><ref name="gendainosetsuri">-世界基督教統一神霊協会(発行)『文鮮明先生を中心とする現代の摂理』([[光言社]] 1990年12月1日)-</ref>。
1938年、定州公立普通学校卒業。卒業式では警察署長や郡守たちを前に「日本人はふろしきをまとめて出て行け」と演説を行い、地元の警察に「要注意人物」とされた<ref>韓国歴史編纂委員会『真の御父母様の生涯路程 1―文鮮明先生御言精選ー真のお父様の誕生と内的準備』光言社 2000年 P58~110</ref><ref name="tongil-history-1-p59-p105">歴史編纂委員会『日本統一運動史ー文鮮明先生御夫妻と日本の統一教会および統一運動の歩み』光言社 P59~105</ref>。
18歳の時に[[京城府|京城]](現・[[ソウル特別市]])の京城商工実務学校電気科に通い、[[電気工学]]を学んだ{{sfn|クリサイディス|1993|p=40}}<ref>韓国歴史編纂委員会『真の御父母様の生涯路程 1―文鮮明先生御言精選ー真のお父様の誕生と内的準備』光言社 2000年 P112~183</ref>。在学中から([[創氏改名]]に先行して)「江本」姓を名乗る。学生時代、[[鍾路]]三街へ遊郭通いをする{{efn2|『昔、(ソウルの)鍾路三街のような所には遊郭がありました。それを私が調査しなければならないというのです。なぜ美しい女性たちがあのようなことをしなければならないのかというのです。もしあれが自分の姉だとすればどうするのか、自分の娘ならばどうするのか、父や兄であれば、どうするのか、問題が深刻です。そのような若い女性たちに対して、夜を明かしながら話してあげたことを思い出します。』<ref>「文鮮明先生の教育哲学」 1988年10月16日</ref>}}。
イエス教会の所属教会である明水台教会に通った{{sfn|古田|2011}}。イエス教会とは、[[李龍道]]がイエスの親臨を主張する[[柳明花]]を通して得た啓示に従って、1933年6月に設立したもので、李は同年10月に死去した{{sfn|古田|2011}}。よって両者に面識はない。文は同教会の講師を務め、イエス教会のリーダー許孝彬とも面会し、文の初婚時には許孝彬が主礼を引き受けるなど親しい関係となった{{sfn|古田|2011}}。文はここで、「神の摂理」と「究極の真理」を会得したと語っており、李龍道を思想的なルーツであるとしている{{sfn|古田|2011}}。
[[ファイル:Sun Myung Moon in Waseda.jpg|左|サムネイル|237x237ピクセル|[[早稲田高等工学校]]在学中の文鮮明]]
1941年3月31日、日本留学のため京城を離れる、その動機として文は「大韓民国の日本統治下において、誰よりも愛国者としての道を知らなければなりませんでした」としている。[[京釜線]]の[[朝鮮総督府鉄道#急行「ひかり」|急行「ひかり」]]で[[釜山広域市|釜山]]に向かう。[[1941年]]4月1日、[[関釜連絡船]]に乗船、「怨讐の国」の地を踏む<ref>韓国歴史編纂委員会『真の御父母様の生涯路程 1―文鮮明先生御言精選ー真のお父様の誕生と内的準備』光言社 2000年 P186~248</ref><ref name="tongil-history-1-p59-p105">歴史編纂委員会『日本統一運動史ー文鮮明先生御夫妻と日本の統一教会および統一運動の歩み』光言社 P59~105</ref>。日本到着後、「江本龍明」の日本名で[[早稲田高等工学校]]電気科に入学、[[淀橋区]]戸塚町(現在の[[新宿区]][[西早稲田]])に下宿する。学業の傍ら、造船所での石炭運びや運送業での労働を経験。私娼街にも通った{{efn2|『日本遊学の時、先生は貧民窟から私娼街まで行って見ない所がありません。といっても悪い事をやったのではありません。私娼街にいる女の過去を探ってみれば、普通の人間の過去と違いはありません。社会環境に追われ、その流れに押し流されてどうしようもなく哀れな身の上になり、あるいは父母や兄弟のために自分一身を供え物にした話も聞きました。たとえ自分の体が巷に踏みにじられ、捨てられるそんな女になっても、淋しく消える哀れな女になっても、父母兄弟を生かすという覚悟と決心をしているという時、その手を握って共に慟哭した時もありました。結局、彼らも純粋で素直な人間であったのです。その時先生は、こんな悲惨な人類の解放のために闘おうと考えたのです。』<ref>私のみ旨と信念 1969年2月2日</ref>}}。
滞在中、韓国人留学生の秘密結社を組織して、中国の[[重慶]]に移った[[大韓民国臨時政府]]の[[金九]]と連絡を取りながら[[朝鮮独立運動|抗日地下運動]]を展開する。警察の監視対象になり、月に1回は呼び出されることになり、収監されることもあった<ref name="tongil-history-1-p59-p105"/>{{sfn|櫻井・中西|2010|p=88}}。
{{Quotation|大韓民国が日帝の下で呻吟している時、先生も日帝に対抗して戦ったことがあります。私は、日帝時代に地下工作をした人なのです。そのとき、『何か問題があれば、全部私に罪を押しつけなさい』と言いました。私はそのとき、留学生を管理していました。責任者だったのです。そうして『死の境地に行くなら、私に罪を押しつけなさい』と言ったのです。文先生は正義のために、首を既に投げ出してしまったのです。気の小さい男ではないのです。皆さんは知らないけれど、玄界灘を渡り、釜山から安東まで列車の下に張りついて行くようにして、上海の臨時政府に派遣する、そのようなこともしました。安東まで汽車で行くのに8時間から9時間ですが、そのようなことまでしたのです。そうして北京で金九先生の指揮下に入った者たちは、最近の情報によると、中国でも有名な人たちになりました。そのような地下運動をしたのです。日本の帝国主義をどのように克服するか。そのためにいろいろな工作も行い、地下運動もして、最高の実力者たちにも連結して、そうした道を開拓したのです。|文鮮明 〜 日本留学時代の抗日運動について<ref>『真の御父母様の生涯路程 2―文鮮明先生御言精選ー韓国解放と摂理の出発』光言社 2000年 p212~213</ref>}}
[[1943年]]10月、文は早稲田高等工学校を卒業、帰国する<ref name="moon-history1-p250-p281">韓国歴史編纂委員会『真の御父母様の生涯路程 1―文鮮明先生御言精選ー真のお父様の誕生と内的準備』光言社 2000年 p250~281</ref>。1944年初頭に[[鹿島建設|鹿島組]]の京城支店に電気技師として就職するが、10月には日本滞在中の抗日運動が発覚し、[[京畿道 (日本統治時代)|京畿道]]警察部に逮捕される。過酷な拷問を受け、地下運動の詳細と関係者についての証言を迫られたが、決して口を割ることはなかったとされる。[[1945年]]2月に釈放されたが拷問による体調不良が続き、[[文龍基]]の世話を受ける<ref name="tongil-history-1-p59-p105"/>。日本の様々な団体の宗教を遍歴しながら{{sfn|クリサイディス|1993|p=40}}、柳明花の信奉者のひとり[[白南柱]]の弟子である[[金百文]]が建てた[[イスラエル修道会]]で補助引導師になる{{sfn|櫻井・中西|2010|p=88}}。
文鮮明の著作『原理原本』(1952年発行)は、この金百文の著作『基督教根本原理』(1946年3月2日起草、1958年3月2日発行)の執筆中に文鮮明が盗作したという証言がある<ref group="注">「文鮮明は金百文が1952年釜山東来で避難中に執筆した『基督教根本原理』(1946年3月2日起草、1958年3月2日発行)の原稿『堕落原理、復帰原理』を見て『原稿校正を見て差し上げる』と持って行って6ヶ月以上持って来ない騒動を起こした」[http://www.amennews.com/news/articleView.html?idxno=8687 교회와신앙-이스라엘 수도원]</ref>。
1945年に強い宗教体験があり、これがのちの統一教会の源になったといわれている{{sfn|Nemeshegyi |1985}}。
自らの思想「原理」を系統立ててまとめ、同年8月に「原理」による聖書解釈の説教で布教活動をスタートしたが、その教えはキリスト教主流派に受け入れられるものではなく、迫害を受けた。1945年10月、定州郭山支署収監事件が発生。金銭トラブルのため1週間ほど収監される<ref name="moon-history2-p60-p112">韓国歴史編纂委員会『真の御父母様の生涯路程 2―文鮮明先生御言精選ー韓国解放と摂理の出発』光言社 2000年 p60~112</ref>。[[1946年]]5月27日、「天命」を受け、妻子を置いてソウルを離れ、[[ソ連軍]]占領下の[[平壌直轄市|平壌]]に向かう。現地で宗教団体を巡り、布教を開始。8月11日、宗教と称して詐欺を行ったとして大同保安所に逮捕される。共産主義者による激しい拷問を生き延び11月21日に釈放{{sfn|クリサイディス|1993|p=40}}<ref name="moon-history2-p60-p112"/>。キム・ジョンファという女性信者の家で集会を行い、集会では祈祷を行い、神の悲しい心情を思い昼夜問わず泣いたため、当時は「泣く教会」と呼ばれていた{{sfn|古田|2011}}。礼拝は白い服で行われ、霊的な雰囲気の中で賛美歌が繰り返し歌われ、信者の多くが夢で神の声を聴いたり、啓示を受けたりしたという{{sfn|古田|2011}}。
[[1948年]]2月に「社会秩序紊乱罪」で逮捕され、[[興南強制労働収容所]]で5年間の労働を言い渡された。肥料工場で過酷な強制労働に従事することになった{{sfn|クリサイディス|1993|p=41}}<ref>韓国歴史編纂委員会『真の御父母様の生涯路程 2―文鮮明先生御言精選ー韓国解放と摂理の出発』光言社 2000年 p114~170</ref>。1950年6月に[[朝鮮戦争]]が勃発し、[[国連軍 (朝鮮半島)|国連軍]]が9月に[[興南区域|興南]]に達して囚人たちを解放{{sfn|クリサイディス|1993|p=41}}。文は釜山に向かって弟子たちと再会し、ソウルへ、さらに釜山まで避難した{{sfn|Nemeshegyi |1985}}。
[[1951年]]1月27日、釜山に到着する。[[乞食]]行為を行うなどの貧しい避難生活を送る。この頃から『原理原本』の執筆を開始する。8月頃から凡一洞に土壁の掘建て小屋を建てて再出発の準備をする。この場所は後に教団の聖地となる<ref name="moon-history2-p207-p248">韓国歴史編纂委員会『真の御父母様の生涯路程 2―文鮮明先生御言精選ー韓国解放と摂理の出発』光言社 2000年 p207~248</ref>。1955年まで港湾労働者として働いた{{sfn|Nemeshegyi |1985}}。1952年5月10日、教義書『原理原本』が完成する{{sfn|クリサイディス|1993|p=42}}。「原理」の説教を始め{{sfn|クリサイディス|1993|p=42}}、1953年1月から韓国各地を巡回する布教活動を開始する<ref name="moon-history2-p207-p248"/>。
=== 世界基督教統一神霊協会を設立 ===
1954年5月1日、「'''[[世界基督教統一神霊協会]]'''」(通称:統一教会、統一協会)を設立した{{sfn|クリサイディス|1993|p=42}}{{sfn|古田|2011}}<ref name="kogensha-history1">{{Cite web|和書|url=https://www.kogensha.jp/data/tp-history/ | title=真の父母様と統一運動の歴史 1920-1969 | publisher=[[光言社]] |date= | accessdate=2022-10-12 }}</ref>。世界基督教統一神霊協会は原理運動とも呼ばれる{{sfn|Nemeshegyi |1985}}。同年、統一教会が礼拝と称して不道徳な性行為を行っているとのうわさが広まり、官憲が文鮮明と4人の信者を逮捕した{{sfn|クリサイディス|1993|pp=43-44}}。罪状には姦通罪も含まれていたが、ほどなく徴兵忌避以外のすべての罪状が取り除かれ、徴兵忌避も無罪となり3か月後に釈放された{{sfn|クリサイディス|1993|pp=43-44}}。
1955年、[[梨花女子大学校|梨花女子大学]]の教員5名・学生14名が入信を理由に退職・退学させられ、文は不法監禁等を理由に検挙された{{sfn|櫻井・中西|2010|p=88}}。「血分け」と称して淫行が行われているのではないかという疑いも持たれたが、文の容疑は兵役法違反及び不法監禁であり、無罪となっている{{sfn|櫻井・中西|2010|p=88}}{{sfn|櫻井・中西|2010|pp=414-415}}。1957年に全国に伝道師を派遣、1961年には[[朴正煕]]大統領の軍事独裁政権の下で、反共主義思想を展開し政府から庇護された{{sfn|古田|2011}}。1958年に日本に布教、数年間でフランス、ドイツ、スペイン、イタリアにセンターを設立した{{sfn|コーワン・ブロムリー|2010|p=106}}。
[[1958年]]頃、文鮮明は「大学街に日本と交渉する準備」をした上で、日本への海外宣教を計画する。文曰く「北では金日成主席を中心として、ソ連と中共が後援する立場にあることは間違いないので、この難局を解決し、大韓民国が生き残る1つの突破口を開くためには、日本を突破していかなければならない」と考え、宣教師の[[崔奉春]]を密航船で日本に[[密入国]]させた<ref name="tongilgyo-history-1-p119-p182">歴史編纂委員会『日本統一運動史ー文鮮明先生御夫妻と日本の統一教会および統一運動の歩み』光言社 P119~182</ref><ref name="tongil-pioneer-1-p12-p65">世界基督教統一神霊協会 歴史編纂委員会『日本統一教会 先駆者たちの証言1』光言社 2008年 P12~65</ref>。
[[1959年]][[10月2日]]、日本において世界基督教統一神霊協会を設立した<ref name="kogensha-history1"/>。日本の統一教会は1964年7月15日に宗教法人の認証を受け、翌16日に設立された<ref name="kogensha-history1"/>。
[[ファイル:Bodacolectivasectamoon.jpg|サムネイル|180x180ピクセル|1982年の[[合同結婚式]]]]
[[1960年]][[3月16日]]、当時17歳の[[韓鶴子]]と結婚し、この時期以降「[[合同結婚式]]」を開始した{{sfn|クリサイディス|1993|p=44}}。
1965年、世界40か国を回って布教を行った{{sfn|古田|2011}}。1月28日には日本に到着した。21年ぶりの来日だった。[[南平台町|南平台]]の日本本部教会を訪問、その後全国の教会支部を回り、各地の信者からの歓迎を受ける。文鮮明は2月10日に[[三笠宮崇仁親王]]、[[笹川良一]]と会談。翌日にも笹川と会食<ref name="tongil-history-1-p185-280"/>。
{{Quotation|先生は、日本の皇居を通り過ぎていく時に、国を失い、民族を失った恨(ハン)を抱いた孤独な男として、その皇居を見つめながら、今から二十年後には、天が韓民族を中心として勝利の旗を掲げる日が来るということをあらかじめ知って、神様に祈祷しました。「今は、日本が私たちの民族を迫害していますが、今度は反対に私が命令すれば、日本の若者が先生のために、世界のために立ち上がる日が来ます」と、そのように誓ったのです。それが二十年後の1965年に成し遂げられました。|文鮮明の発言<ref name="moon-history1-p250-p281"/> }}
2月12日には日本を離れ、航空機でアメリカに向かう。3月には[[崔奉春]]も渡米した<ref name="tongil-history-1-p185-280">歴史編纂委員会『日本統一運動史ー文鮮明先生御夫妻と日本の統一教会および統一運動の歩み』光言社 P185~280</ref>{{sfn|Nemeshegyi |1985}}。アメリカでは当初ほとんど関心を持たれず、12年ほど停滞していた{{sfn|コーワン・ブロムリー|2010|p=106}}。1966年に教典『原理講論』が完成{{sfn|櫻井・中西|2010|pp=414-415}}。
[[1968年]]1月13日、下部組織として、「[[国際勝共連合]]」を韓国で設立。同年4月、日本でも同団体を設立した<ref name=seikyo>[http://www.ifvoc.org/seikyo.html 国際勝共連合創始者 文鮮明総裁 逝去] 2012年9月07日</ref><ref>『新版 社会科学辞典』 新日本出版社、1978年第1刷。</ref><ref name="brainwashed-111">赤旗社会部 編 『わたしは"洗脳"された』pp.111-122「統一教会の顔」</ref>。
[[ファイル:Nixon Moon.gif|サムネイル|180x180ピクセル|[[ホワイトハウス]]にて面会した[[リチャード・ニクソン|ニクソン大統領]]と文鮮明(1974年)]]
1971年に啓示を受けたとして、1972年にアメリカのニューヨーク市に拠点を移し、アメリカのほとんどの州に小規模のセンターを設立{{sfn|コーワン・ブロムリー|2010|p=106}}。統一教会の総本部もアメリカに移した{{sfn|Nemeshegyi |1985}}。アメリカ移住まで宗教活動に投入する資金源になる大企業の設立に熱心に活動し{{sfn|コーワン・ブロムリー|2010|p=106}}、日本を経済基盤に世界中に宣教を行った{{sfn|古田|2011}}。多様な商業活動が、教団の規模を大きく上回る影響力を支える経済的基盤となっている{{sfn|コーワン・ブロムリー|2010|p=106}}。激しい反共主義によって、欧米で多くの友好関係を構築し、国連で2度演説し、[[リチャード・ニクソン|ニクソン米大統領]]に[[ホワイトハウス]]に招かれた。
1973年11月23日、渋谷区[[松濤]]の統一教会本部で元首相の[[岸信介]]と長時間にわたり会談<ref name="kogenshi20211013"/>。
[[1975年]]1月1日、勝共連合機関紙「思想新聞」を改称発展させる形で、事実上統一教会と勝共連合の機関紙である[[世界日報 (日本)|世界日報]]を日本で発刊した。次いで[[1982年]]に[[アメリカ合衆国]]で、自らが主導して「[[ワシントン・タイムズ]]」(有名紙[[ワシントン・ポスト]]とは別物)を発刊<ref name="brainwashed-147">『わたしは"洗脳"された』p.147-152「勝共連合の顔」。</ref>。その後も「ニューヨーク・シティ・トリビューン」、[[ウルグアイ]]で「ウルティマス・ノティシアス」、中東で「ミドル・イースト・タイムズ」を発刊した。
[[1975年]]7月、日本の組織に対し、送金命令を出した。この命令により、月20億円で、1975年から約10年近くで2000億円、1999年から9年間に約4900億円が日本から韓国へ送られた<ref name="tbs20220723-p5">{{Cite web|和書| url=https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/103722?page=5 | title=【解説】『統一教会と政治家との関係は?』『保守系政治家と結びついたのは一体なぜ?』取材歴40年のジャーナリストが解説 安倍元総理銃撃事件(5/6ページ) |website=TBS NEWS DIG |publisher=[[TBSテレビ]] |date=2022-07-23 | accessdate=2023-10-10 |archive-url=https://web.archive.org/web/20220724122712/https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/103722?page=5 |archive-date=2022-07-24 |url-status=dead |url-status-date=2024-09-24}}</ref><ref name="musashino20221127">{{Cite web|和書| url=https://musashino.ac/work/report-session-event-20221117-discussion/ | title=【活動報告】第5回「政治と旧統一教会」質疑応答編 | publisher=武蔵野政治塾 | date=2022-11-27 | accessdate=2023-10-10 }}</ref><ref name="arita20120903">{{Cite web|和書|url=http://saeaki.blog.ocn.ne.jp/arita/2012/09/post_829f.html | title=統一教会の文鮮明教祖死去にあたって | publisher=有田芳生の『酔醒漫録』 | date=2012-09-03 | accessdate=2023-10-10 | archivedate=2014-10-10 | archiveurl=https://web.archive.org/web/20141010144739/http://saeaki.blog.ocn.ne.jp/arita/2012/09/post_829f.html }}</ref>。日本の統一教会は過酷な集金・違法な商売を行い、アメリカ・韓国等の統一教会の活動に多額の資金を提供することとなった。
1978年には世界言論人協会を発足させ、毎年世界各国の報道関係者を招いて「世界言論人会議」を開いた<ref name="brainwashed-147" />。1980年代から日本で[[霊感商法]]などが大きな社会問題となった{{sfn|古田|2011}}。
1982年にアメリカで[[脱税]]罪で18か月の実刑判決を受け服役したが、統一教会の普及の妨げにはならず、出所後も統一教会のトップであり続けた{{sfn|Nemeshegyi |1985}}。
1988年2月18日、文は、前年10月の「[[中曽根裁定]]」で中曽根康弘が[[竹下登]]を次期総裁に指名したことについて触れ、「中曽根の野郎は今回、裏切った。韓国の政治的な風土に大きな損失をもたらした。あいつが竹下を推していなかったら、安倍が首相になったはずだった」と信者の前で語った<ref name="mainichi202301300601">{{Cite web|和書|author=田中裕之、野口麗子、坂口裕彦、渋江千春 |url=https://mainichi.jp/articles/20230129/k00/00m/010/180000c | title=旧統一教会教祖「中曽根の野郎」 安倍晋太郎氏担ぐ思惑裏切られ | publisher=毎日新聞 |date=2023-01-30 | accessdate=2023-01-30 }}</ref>。
1989年7月4日、文は、[[安倍晋太郎]]が当時会長を務めていた派閥「[[清和政策研究会]]」(安倍派)を中心に日本の国会議員との関係強化を図るよう、韓国で信者に向かって語った。加えて、「国会内で教会をつくる」「そこで原理を教育することで、すべてのことが可能になる」「国会議員の秘書を教団から輩出する」と述べた<ref>{{Cite web|和書|author=田中裕之、坂口裕彦、渋江千春 |url=https://mainichi.jp/articles/20221105/k00/00m/010/008000c | title=旧統一教会教祖の発言録が流出 「安倍派を中心に」浮かぶ政界工作 | publisher=毎日新聞 |date=2022-11-06 | accessdate=2022-11-07 }}</ref><ref name="mainichi20221107-1">{{Cite web|和書|author=田中裕之、坂口裕彦、渋江千春 |url=https://mainichi.jp/articles/20221107/ddm/001/040/133000c | title=文鮮明氏「安倍派中心に」(その1) 89年発言録で判明 旧統一教会が政界工作 | publisher=毎日新聞 |date=2022-11-07 | accessdate=2022-11-08 }}</ref><ref name="mainichi20221107-2">{{Cite web|和書|author=田中裕之、坂口裕彦、渋江千春 |url=https://mainichi.jp/articles/20221107/ddm/002/040/131000c | title=文鮮明氏「安倍派中心に」(その2止) 文氏が号令 「国会内、教会つくる」「秘書輩出」「地方にも」 | publisher=毎日新聞 |date=2022-11-07 | accessdate=2022-11-08 }}</ref><ref>{{Cite web|和書|author=ANN News |url=https://www.youtube.com/watch?v=YviUuuqnCjw | title=「安倍派中心に関係強化を」旧統一教会 創始者・文鮮明氏が信者に政界工作説く(2022年11月7日) | publisher=YouTube |date=2022-11-07 | accessdate=2022-11-07 }}</ref>。
1989年、韓国でも「[[世界日報 (韓国)|世界日報]]」を発刊した<ref name="brainwashed-147" />。
1990年4月11日、[[ソビエト連邦]]の最高指導者[[ミハイル・ゴルバチョフ|ゴルバチョフ]]と[[クレムリン]]で会談<ref name="kogensha-history3">{{Cite web|和書|url=https://www.kogensha.jp/data/tp-history03/ | title=真の父母様と統一運動の歴史 1990-1999| publisher=光言社 |date= | accessdate=2022-10-12 }}</ref>。著名な政治家、宗教指導者とつながりを持ち、数多くの保守派の活動に資金援助をした{{sfn|コーワン・ブロムリー|2010|pp=103-104}}。
[[1991年]][[12月6日]]、当時の[[盧泰愚]]韓国大統領の[[北方外交]]に呼応して自動車事業で[[中華人民共和国]]の[[広東省]]に進出した際に[[朝鮮民主主義人民共和国]](北朝鮮)との接触を仲介<ref>『新東亜』2000年9月号</ref>していた中国政府の手配<ref>世界日報1991年12月1日付</ref>により同年[[11月30日]]から韓国政府に無断で電撃訪朝して故郷の定州へ訪問と[[平壌]]で北朝鮮の最高指導者である[[金日成]]と会談した<ref>{{KBS NEWS|3710473|문선명 통일교주 방북}}(KBS9時ニュース、1991年12月6日)</ref><ref>[https://imnews.imbc.com/replay/1991/nwdesk/article/1855120_30445.html 문선명 통일교교주, 김일성과 회담]{{ko icon|kr=1}}(MBCニュースデスク、1991年12月6日)</ref><ref>{{KBS NEWS|3710512|통일교 문선명 씨 방북활동에 대해 조사}}(KBS9時ニュース、1991年12月7日)</ref><ref>[https://imnews.imbc.com/replay/1991/nwdesk/article/1855161_30445.html 대검찰청, 문선명 교주 공동성명 내용 보안법 적용 검토]{{ko icon|kr=1}}(MBCニュースデスク、1991年12月7日)</ref><ref>{{Cite journal|和書|title=【ファイル社会主義朝鮮】|journal=月刊朝鮮資料|volume=32|issue=2|publisher=朝鮮問題研究所|date=1992-02-01|pages=52 - 53|id={{NDLJP|2676988/28}}}}</ref>。文鮮明はこの訪朝について経由地の[[北京]]で「私の勝共思想は共産主義を殺す思想ではなく、彼らを生かす思想、すなわち人類救済の思想」<ref>{{Cite web|和書|url = http://www.familyforum.jp/2013112225785|title = 統一教会・文鮮明教祖は、なぜ北朝鮮に行ったのか?|date = 2013-11-22|accessdate = 2016-07-24}}</ref><ref>文鮮明「北朝鮮から帰って」1991年12月7日</ref>とする声明文を発表した。会談では[[離散家族]]再会に取り組むこと、核査察を受けること、自由陣営国家からの投資を受け入れること、[[軍需産業]]を除外した経済事業に統一グループが参与すること、南北頂上会談を行うこと、[[金剛山 (朝鮮)|金剛山]]開発の実地などについて合意した。
1992年4月11日、[[大阪国際交流センター]]で、[[抗日運動]]の英雄とされる[[柳寛順]]を称える「柳寛順烈士精神宣揚大会」が開催。1500人以上の日本人女性信者が[[太極旗]]を掲げながら[[チマチョゴリ]]を着て参加した。広島、名古屋など日本各地で開催され延べ1万400人が参加。同大会を通して「柳寛順烈士が16歳の少女として見せてくれた祖国観と犠牲的な愛国心、不撓不屈の精神」を褒め称えた<ref name="moon-history9-p364-p368">韓国歴史編纂委員会『真の御父母様の生涯路程 9―文鮮明先生御言精選ー還故郷活動と真の父母宣布』光言社 2001年 p364~368</ref>。
{{Quotation|柳寛順烈士は、国家に忠誠を尽くし、一身を犠牲にして解放運動を行ったのです。独立運動が最も盛り上がった1919年に、先生は母の腹中にいました。独立していない地に、そのままでは生まれることができなかったのです。そのような闘いが先生の生命を中心として行われていました。その時から十ヶ月後である1920年に先生が生まれたのです。|文鮮明 〜 柳寛順の抗日運動について<ref name="moon-history9-p364-p368"/>}}
同年、[[世界日報 (韓国)|世界日報]]社長の[[朴普煕]]に、[[伊藤博文]]暗殺犯の[[安重根]]を称える「安重根義士旅順殉国遺跡聖域化事業」を命令した。[[旅順]]における、本格的な資料発掘および聖域化を推進した。文は安重根を「韓民族の偉大な将軍」「アジアの平和を主張した愛国者」とした上で、「彼の愛国心をアジアの青少年の精神教育における象徴とする」と事業の意義を語った<ref>韓国歴史編纂委員会『真の御父母様の生涯路程 9―文鮮明先生御言精選ー還故郷活動と真の父母宣布』光言社 2001年 p369~371</ref>。
1998年3月29日、韓国で行った説教で、信者に対し、日本国内の預貯金は「皆さんのためのもの」と語った<ref>{{Cite web|和書|author=田中裕之、坂口裕彦、渋江千春 |url=https://mainichi.jp/articles/20221110/k00/00m/040/102000c | title=文鮮明氏、日本の貯金は「教会メンバーのもの」 信者向け発言録に | publisher=毎日新聞 |date=2022-11-11 | accessdate=2022-11-11 }}</ref>。
統一教会は、合同結婚式、文一家による信者の生活への厳しいコントロール、組織を揺さぶる個人的または金銭的なスキャンダルといった問題を抱えており、1970年代から80年代には、反カルト運動の関係者、マスメディア、信者の家族によって、文鮮明は信者を「[[洗脳]]」<ref group="注">洗脳とは、朝鮮戦争後に捕虜生活から戻った兵士たちや、共産党革命後の中国再教育キャンプの収容者の態度変化を説明する際に使われた[[メタファー]]であり、アメリカでの1960年代終わりにかけての新宗教の急増や、それらの組織による勧誘活動の「成功」(実際には当事者が主張するほど成功しておらず、信者数は100倍近く誇張されていた)を説明するための枠組みとなっていた(コーワン、ブロムリー)。</ref> し、自律した思考や行動ができなくなるほど強い思想統制や行動修正の体制を信者に押し付けており、信者は1950年代のホラー映画のように組織や指導者の奴隷になってしまっているとして非難された{{sfn|コーワン・ブロムリー|2010|pp=103-104}}。
[[2000年]]、統一教会は経営危機となったアメリカの[[UPI通信社]]を買収した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yomiuri.co.jp/world/news/20120903-OYT1T00954.htm|title=米メディア進出・北朝鮮投資…死去の文鮮明氏|publisher=読売新聞|accessdate=2022-07-21|archiveurl=https://web.archive.org/web/20120906084808/https://www.yomiuri.co.jp/world/news/20120903-OYT1T00954.htm|archivedate=2012-09-06}}</ref>。
[[ファイル:Sun Myung Moon Budapest Hungary 28-10-2005.jpg|サムネイル|239x239ピクセル|2005年10月28日、[[ハンガリー]]の[[ブダペスト]]にて]]
2005年、韓国で信者に向けて行った説教で、[[日韓トンネル]]構想のため「100億円以上の統一教会の財源を投入した」と述べた。国際ハイウェイ建設事業団(現・[[国際ハイウェイ財団]])はこの100億円を原資として、[[唐津市]]で約16万5千平方メートル、[[対馬市]]で約28万平方メートル、[[壱岐市]]で約1万7千平方メートルの計約46万2千平方メートルの土地を購入した<ref name="mainichi20230110">{{Cite web|和書|url=https://mainichi.jp/articles/20230110/k00/00m/040/140000c | title=旧統一教会友好団体、九州北部に広大な土地取得 日韓トンネル構想で | publisher=毎日新聞 |date=2023-01-10 | accessdate=2023-01-11 }}</ref><ref name="mainichi20230111">{{Cite web|和書|author=大野友嘉子、田中裕之、西脇真一、坂口裕彦、渋江千春 |url=https://mainichi.jp/articles/20230110/k00/00m/040/259000c | title=旧統一教会創始者、日韓トンネルに「100億円投入」 発言録で判明 | publisher=毎日新聞 |date=2023-01-11 | accessdate=2023-01-11 }}</ref>。
2006年9月26日に[[安倍晋三]]が内閣総理大臣に就任すると<ref>{{Cite web|和書|url=https://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/244428/www.kantei.go.jp/jp/abespeech/2006/09/26press.html | title=安倍内閣総理大臣記者会見(平成18年9月26日) | publisher=国立国会図書館インターネット資料収集保存事業 | accessdate=2022-11-01 }}</ref>、それから1週間後の10月3日、文は「安倍が首相になったと聞いている」と語り、信者に対し、安倍の秘書室長と面会するよう指示した<ref name="mainichi20221107">{{Cite web|和書|author=田中裕之、金森崇之、坂口裕彦、渋江千春 |url=https://mainichi.jp/articles/20221107/k00/00m/010/003000c | title=文鮮明氏、安倍元首相就任直後「秘書室長と面会を」 発言録で判明 | publisher=毎日新聞 |date=2022-11-07 | accessdate=2022-11-07 }}</ref>。
[[2012年]][[9月3日]]午前1時54分、入院先の韓国・[[京畿道]][[加平郡]]の清心(チョンシム)国際病院で[[肺炎]]などの症状によって92歳で死去<ref>{{KBS NEWS|2529737|통일교 문선명 총재 오늘 새벽 별세}}(KBSニュース9、2012年9月3日)</ref><ref>[https://imnews.imbc.com/replay/2012/nwdesk/article/3130116_30413.html 故문선명 총재 시신 '유리관 안치' 일반 공개]{{ko icon|kr=1}}(MBCニュースデスク、2012年9月3日)</ref><ref>{{SBS NEWS|N1001360783|'통일교 창시' 문선명 총재 타계…15일 장례식}}(SBS8ニュース、2012年9月3日)</ref><ref>{{Cite web|url=http://www.washingtonpost.com/world/asia_pacific/sun-myung-moon-dies-at-92-washington-times-owner-led-the-unification-church/2012/09/02/001b747a-f531-11e1-aab7-f199a16396cf_story.html|title=Sun Myung Moon dies at 92; Washington Times owner led the Unification Church|publisher=The Washington Post|accessdate=2022-07-21|archiveurl= https://web.archive.org/web/20120903170041/http://www.washingtonpost.com/world/asia_pacific/sun-myung-moon-dies-at-92-washington-times-owner-led-the-unification-church/2012/09/02/001b747a-f531-11e1-aab7-f199a16396cf_story.html|archivedate=2012-09-03}}</ref>。
== 日本との関係 ==
* 1965年
** 1月28日 - 21年ぶりの来日。全国の教会支部を巡回。2月10日に[[三笠宮崇仁親王]]、[[笹川良一]]と会談。翌日にも笹川と会食。2月12日には羽田空港から米国へ<ref name="tongil-history-1-p185-280"/>
** 9月29日 - 渋谷区[[松濤]]の統一教会本部を訪問<ref name="kogenshi20211013">{{Cite web|和書|url=https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=12694 | title=【文鮮明総裁聖和節記念】日本を愛した文先生の足跡 15 南平台から松涛へ(最終回) | publisher=光言社 |date=2021-10-13 | accessdate=2022-11-08 }}</ref>。
* 1967年
** 6月12日 - 韓鶴子とともに来日<ref name="kogenshi20211013"/>。世界的な反共組織をつくることと原理修練会に参加することが目的だった<ref name="kogenshi20211013">{{Cite web|和書|url=https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=12694 | title=【文鮮明総裁聖和節記念】日本を愛した文先生の足跡 15 南平台から松涛へ(最終回) | publisher=光言社 |date=2021-10-13 | accessdate=2022-11-08 }}</ref>{{Sfn|赤旗社会部|1980|pp=232-269}}。
** 7月15日 - [[本栖湖]]畔の全国モーターボート競走会連合会(現・[[日本モーターボート競走会]])の施設「水上スポーツセンター」で、文鮮明、劉孝元(『[[原理講論]]』の執筆者)、[[笹川良一]]、藤吉男、白井為雄([[児玉誉士夫]]の代理)、[[久保木修己]](日本統一教会会長)らは反共組織結成の構想を練った<ref>『競艇新聞』1967年8月1日。</ref><ref>『世界思想』1976年1月・2月合併号。</ref>{{Sfn|赤旗社会部|1980|pp=232-269}}。会合は第1回「アジア反共連盟結成準備会」と名付けられ、16日朝にも話し合いが行われた。勝共運動を日本に持ち込み、受け入れることでいったん合意したが、週刊誌がすぐに会合を記事にし、足並みが乱れて計画は挫折した{{Sfn|赤旗社会部|1980|pp=232-269}}<ref name="asahi-journal19780811">[[茶本繁正]]「『反共』陣営と連動する勝共連合」 『[[朝日ジャーナル]]』1978年8月11日・18日号、31-35頁。</ref><ref>{{Cite web|和書|author=田原牧 |url=https://www.tokyo-np.co.jp/article/196569 | title=旧統一教会と日本会議、「野合」の運動史…歴史認識が対立しても「とりあえず共闘」の打算 | publisher=東京新聞 |date=2022-08-18 | accessdate=2022-11-08 }}</ref><ref>{{Cite web|和書| url=https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=107813968X00419761021 | title=第78回国会 参議院 外務委員会 第4号 昭和51年10月21日 | publisher=国会会議録検索システム | accessdate=2023-08-08 }}</ref><ref name="asahi19870113">『朝日新聞』1987年1月13日、4頁。</ref>。
* 1969年
** 4月18日 - 来日<ref name="kogenshi20211013"/>。
** 5月1日 - 統一教会本部で22組の男女の合同結婚を祝福した<ref name="kogenshi20211013"/><ref name="kogensha-history1"/>。
* 1973年11月23日 - 統一教会本部で元首相の[[岸信介]]と長時間にわたり会談した<ref name="kogenshi20211013"/>。
* 1974年5月7日 - 統一教会は文の講演会「希望の日晩餐会」を東京都の帝国ホテルで行った。晩餐会は岸信介が名誉実行委員長を務め、大蔵大臣の[[福田赳夫]]が祝辞を述べた<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.telepathy.asia/kibounohibannsannkai.html | title=
希望の日 晩餐会 | publisher=世界文化体育大典 | accessdate=2022-11-08 }}</ref>。
* [[1975年]]2月 - 通過[[査証]]で入国し、武道館で布教公演を行った。通過目的で入国したにもかかわらず宗教活動をしたためこれは[[出入国管理及び難民認定法]]違反である<ref name="whatis-83">有田芳生 著 『統一教会とは何か 追いこまれた原理運動』pp.83-124「統一教会の知られざる素顔」</ref>。
* [[1978年]]9月22日 - [[埼玉県]]神川村(現・[[神川町]])で国際[[合同結婚式]]のため1,610組の指名婚約を行なった<ref name="whatis-83" /><ref name="kogensha-history2">{{Cite web|和書|url=https://www.kogensha.jp/data/tp-history02/ | title=真の父母様と統一運動の歴史 1970-1989 | publisher=光言社 |date= | accessdate=2022-10-12 }}</ref>。
* [[1979年]] - 入国が許可されなかった<ref name="whatis-83" />。
* [[1981年]] - 当時東海大学大学院に在学していた先妻の息子文聖進に面会するという理由をつけ「法務省は日本に入ってからの行動を関知しない」という方法で通過査証発給が検討された。しかし文鮮明は日本で国際合同結婚式ができるよう宗教活動目的の入国を最後まで求めた<ref name="whatis-83" />。当時の法務大臣[[奥野誠亮]]が事務次官や入国管理局長などに査証発給を促したが、実務側が過去の経歴を理由に合意せず、入国が許可されなかった<ref name="whatis-83" />。
* [[1982年]] - 入国が許可されなかった<ref name="whatis-83" />。
* [[1984年]] - アメリカ合衆国で[[懲役]]1年6ヶ月の[[実刑]]判決を受けたため[[出入国管理及び難民認定法]]第5条1項4号<ref name="whatis-83" /> の規定「日本国又は日本国以外の国の法令に違反して、一年以上の懲役若しくは禁錮又はこれらに相当する刑に処せられたことのある外国人は、本邦に上陸することができない。」に該当し[[上陸拒否]]者となった<ref name="whatis-83" />。
* [[1992年]]
** 3月16日 - 日本統一教会神山威会長が自身を身元保証人とし「北東アジアの平和を考える国会議員の会」との意見交換という形式で文鮮明の日本入国を法務省に申請<ref name="whatis-83" /> 「日程に記されている以外に政治、宗教活動を行わない」旨の文書を提出<ref name="whatis-83" />。
** 3月26日 - 法務大臣の[[田原隆]]<ref name="whatis-83" /> が「国際情勢の変化<ref name="whatis-83" />」「実刑判決から時間が経っている<ref name="whatis-83" />」などを理由とし、[[出入国管理及び難民認定法]]第12条の上陸特別許可(第3号:大臣決裁)を与えた。この許可については法務省に対し[[金丸信]](当時[[自由民主党 (日本)|自民党]][[自由民主党副総裁|副総裁]])から政治的圧力があったといわれている<ref name="whatis-83" /><ref group="注">{{cite conference |url=https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=114315206X00319980922 |title=法務委員会 |volume=3 |date=1998-09-22 |quote=政府委員(竹中繁雄君) 当時いろいろなところからこの文鮮明氏に関しては陳情のような話があったということはどうも事実のようでございまして、その中に金丸先生の名前も入っていたと承知しております。 |conference=第143回国会 }}</ref><ref>{{cite news |title= 文鮮明統一教会教祖入国で公開質問状/霊感商法対策弁護士会 |newspaper=読売新聞 東京朝刊 |date=1992-10-22 |page=30}}</ref>。
** 3月29日 - 中曽根康弘元首相と会談。
** 3月30日 - 「北東アジアの平和を考える国会議員の会」主催の歓迎晩餐会で閣僚関係者など国会議員31人を前に1時間程講演を行った。この講演の内容は「頭翼思想<ref group="注">右翼と左翼の全体主義を統合するという思想。</ref>」「神主義」など独特の宗教的内容と北朝鮮訪問の報告で、訪日の目的と説明されていた意見交換は行なわれなかった。
** 3月31日 - 金丸信<ref>{{cite news |title= 金丸副総裁が来日中の文鮮明師と会談 |newspaper=読売新聞 東京夕刊 |date=1992-03-31 |page=2}}</ref> と2時間半に渡り会談<ref name="whatis-83" />、うち1時間は2人だけの密室会見だった<ref name="whatis-83" />。
** [[4月1日]]午前 - 大韓航空機で韓国に向かった<ref name="whatis-83" />。この他のスケジュールは東京、名古屋、大阪で信者に説教し、霊感商法で使われた壷や多宝塔を輸入する会社[[ハッピーワールド]]など統一教会系企業の訪問と明らかに宗教活動が中心であった<ref name="whatis-83" />。
== 家族 ==
[[ファイル:Sun_Myung_Moon_and_Hak_Ja_Han.jpg|thumb|160px|文鮮明と妻の韓鶴子]]1960年に韓鶴子と結婚。文鮮明にとって4度目の結婚である<ref name="brainwashed-87">『わたしは"洗脳"された』p.87-101「様々な体験」。</ref>。七男七女をもうけた。なお詳細情報のない子女は、統一教会に表立って関わっていないか、脱会している。
[[文孝進]](長男)の元妻である[[洪蘭淑]]によると、文鮮明・韓鶴子夫妻は子供が生まれるとすぐに統一教会の『兄弟姉妹』に預けて乳母に子守りをさせ、自身は養育にあまり関わらず、具体的には洪蘭淑が文鮮明の家にいた14年間の間に、文鮮明夫婦が自身の子供と遊んでいるのを一度も見たことがないという<ref name="cultchildren-158">『カルトの子』p.158。</ref>。また、洪蘭淑自身も親が統一教会草創期の信者だったため放置されたが、文鮮明はこれについて「大衆を改宗するのが第一で、個人的な幸福を追求するのはわがまま」と説明している<ref name="cultchildren-158" />。
* 文譽進(ムン・イェジン、문예진、1960年生)長女
:祝福二世と結婚したが、離婚{{sfn|文藝春秋編|2022|p=170}}。
* [[文孝進]](ムン・ヒョンジン、문효진、1962年 - 2008年)長男
:韓国で生まれ、[[ニューヨーク州]]で育った。19歳で文鮮明が選んだ[[洪蘭淑]]と結婚し、21歳で原理研究会初代会長に就任した。[[ミュージシャン]]であり、[[レコーディングスタジオ]]の経営者でもあった。1997年に離婚した{{Sfn|洪蘭淑|1998|p=285}}。1999年2月5日に崔妍娥(チェ・ヨナ、최연아){{efn2|[[文孝進]]と結婚したチェ・ヨナの「ヨナ」の漢字は、「姸娥」または「妍娥」。}}と再婚した<ref name="Bio-HyoJin-Moon">{{cite web |url=http://www.moonhyojin.com/bio/ | title=Bio | publisher=HyoJin Moon |date= | accessdate=2022-11-28 | archivedate=2022-11-28 | archiveurl= https://web.archive.org/web/20221128140755/https://www.moonhyojin.com/bio/ }}</ref>。同年に二人のあいだに文信出(ムン・シンチュル、문신출)が生まれ、2001年に文信興(ムン・シンフン、문신흥){{efn2|2020年2月7日、文信興は八王子家庭教会の元教会長で当時伝道教育部長だった入山聖基の長女の有恵と結婚した<ref>{{Cite web ja| author= |url=https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=6854 | title=『祝福家庭』96号読みどころ1 入山有恵さんご両親の証し 日本を代表して受けた恩恵 | publisher=光言社 | date=2020-04-04 | accessdate=2023-03-01 | archivedate=2022-08-17 | archiveurl=https://web.archive.org/web/20220817131802/https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=6854 }}</ref><ref name="dailyshincho20220829">{{Cite web ja|title=「神の国の実現を果たしたい」 萩生田氏の演説内容を元信者が証言 |url=https://www.dailyshincho.jp/article/2022/08290556/?all=1 |website=デイリー新潮 |date=2022-08-29 |access-date=2022-08-29 }}</ref>。}}が生まれた<ref name="mindlenews20250923">{{cite web | author=김호경 | url=https://www.mindlenews.com/news/articleView.html?idxno=15708 | title=통일교 윤석열 청탁, 교주 일가 '골육상쟁'서 비롯됐나 | publisher=세상을 바꾸는 시민언론 민들레 | date=2025-09-23 | accessdate=2025-09-26 }}</ref>。2008年3月17日、[[心臓発作]]により45歳で死去。
* 文惠進(ムン・ヘジン、문혜진、1963年生)次女
:生後間もなく死亡{{sfn|文藝春秋編|2022|p=171}}。
* [[:en:In_Jin_Moon|文仁進]](ムン・イジン、문인진、1965年生)三女
:2008年8月に統一教会米国総会長に就任<ref>[https://trueparents.jp/?page_id=4514 いわゆる「文仁進様の米国総会長任命事件」の真相について]</ref>。2012年に自身の離婚と再婚に伴い辞任。現在は[http://www.injinmoon.co/ I-Home Church]という[[オンラインコミュニティ]]を主催している。
* [[文興進]](ムン・フンジン、문흥진、1966年 - 1984年)次男
:1983年12月、[[ニューヨーク州]]で[[改造車]]を無免許運転中にトラックと衝突し、1984年1月2日に死亡した<ref>[https://www.nytimes.com/1984/01/03/nyregion/moon-s-son-17-dies-after-a-car-accident.html "Moon's Son, 17, Dies After a Car Accident"(New York Times 1984年1月3日の記事)]</ref><ref name="brainwashed-87" /><ref name="cultchildren-157">『カルトの子』p.157。</ref>。17歳没。文鮮明は、海外公演中だった[[朴普煕]]の娘で[[バレリーナ]]の[[文薫淑|朴薫淑]]{{efn2|文薫淑は現在、[[世界平和女性連合]]の世界会長を務めている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=8288 | title=統一運動情報 「天正宮入宮・戴冠式14周年記念特別午餐」開催 | publisher=[[光言社]] |date=2020-08-25 | accessdate=2022-11-28 }}</ref>。}}を米国に呼び戻し、1984年2月20日に興進と「霊魂結婚」させた<ref>{{cite web |author=김두호 | url=https://www.interview365.com/news/articleView.html?idxno=414 | title=영원한 지젤 - 문훈숙의 영혼에 바친 사랑 | publisher=인터뷰365 | date=2007-12-21 | accessdate=2025-06-02 }}</ref><ref name="brainwashed-87" />。同時に文鮮明は薫淑を養女にした<ref>{{cite news | last =Black | first =Robert | title =Moon and his ballet stars: When the Rev Moon's son died in a car crash, the controversial religious leader formed a dance company for the young man's fiancee. With money no object, it has impressed critics around the world | work =The Daily Telegraph | date =October 26, 2000 }}</ref><ref>{{cite news|author=Kaufman, Sarah|title=Universal Ballet's Really Big Show|work=The Washington Post|page=C7; Section: Style|date=June 15, 2001}}</ref>。信者の間では死後の世界で死者の霊に統一運動の教えを教える[[ワークショップ]]を主催していると信じられている。
* [[:en:Un Jin Moon|文恩進]](ムン・ウンジン、문은진、1967年生)四女
:祝福二世と結婚したが、離婚。離教し、一般人と再婚した{{sfn|文藝春秋編|2022|p=172}}。
* [[文顕進]](ムン・ヒョンジン、문현진、1969年生)三男
:1987年3月、教団幹部の[[郭錠煥]]の娘、郭全淑と結婚。世界平和財団と家族平和協会の創設者兼会長。2000年3月31日、「世界大学原理研究会」(W-CARP)会長に就任<ref name="cultchildren-157" />。
* [[:en:Kook-jin_Moon|文國進]](ムン・グクチン、문국진、1970年生)四男
:1995年に[[ペンシルベニア州]]で銃器製造会社「[[カーアームズ]]」を創業した。離婚後、2004年に元ミスコリアと再婚。2012年9月に文鮮明が死去すると、同年に[[世界日報 (韓国)|世界日報社]]会長に就任。2014年に同会長を退任<ref name="hankyoreh20141201">{{cite web | author= | url=https://www.hani.co.kr/arti/politics/politics_general/667055.html | title=세계일보 회장 전격 교체 | publisher=[[ハンギョレ|한겨레]] | date=2014-12-01 | accessdate=2025-10-14 }}</ref>。2019年10月17日、[[学校法人鮮文学院]]の第8代理事長に選任された<ref name="hankyoreh20191019>{{cite web | author= | url=https://www.hani.co.kr/arti/society/religious/565767.html | title=선문학원 신임 이사장에 문국진 통일그룹 회장 | publisher=[[ハンギョレ|한겨레]] | date=2019-10-19 | accessdate=2025-10-14 }}</ref>。文鮮明の死後は七男の[[文亨進]]を支援した{{sfn|文藝春秋編|2022|p=172}}。[[拳銃]]のコレクターである<ref name="cultchildren-157" />。統一教会系の韓国の[[財閥 (韓国)|財閥]]、[[:en:Tongil_Group|トンイル・グループ]]の元会長。
* 文權進(ムン・クォンジン、문권진、1975年生)五男
* 文善進(ムン・ソンジン、문선진、1977年生)五女
:2015年から2019年まで[[世界平和統一家庭連合]]の世界会長を務めた<ref>{{Cite web|和書|url=https://smart-flash.jp/sociopolitics/195104/1/ | title=旧統一教会 韓鶴子総裁の高齢化で上がる“跡目争い”の火種…息子たちが続々追放で後継者は孫か直属秘書か | publisher=光文社 |website=Smart FLASH | accessdate=2022-10-05 }}</ref>。
* 文榮進(ムン・ヨンジン、문영진、1978年 - 1999年)六男
:離婚後、1999年10月27日に[[ネバダ州]][[リノ (ネバダ州)|リノ]]の[[カジノ]]の窓から[[飛び降り]][[自殺]]した{{sfn|文藝春秋編|2022|p=172}}。21歳没。
* [[文亨進]](ムン・ヒョンジン、문형진、1979年生)七男
:統一教会の元国際会長。その後、[[ペンシルベニア州]]に拠点を置く非公式の統一教会の過激派組織「[[世界平和統一聖殿]]」(別名「鉄の杖ミニストリー」)を設立した。
* 文妍進(ムン・ヨンジン、문연진、1981年生)六女
:[[映画監督]]。[[同性愛|同性愛者]]の[[映画]]を製作した。2014年に韓鶴子の主礼によって一般人と恋愛結婚した{{sfn|文藝春秋編|2022|p=173}}。
* 文情進(ムン・ジョンジン、문정진、1982年生)七女
:六女の文妍進と同日に韓鶴子の主礼で一般人と恋愛結婚した{{sfn|文藝春秋編|2022|p=173}}。
== 主張 ==
=== 文鮮明先生말씀選集 ===
発言録である『文鮮明先生말씀(マルスム)選集』が韓国の成和出版社から発行されている。これは文が1956年から2009年にかけて行った説教の内容が記録されたもので、全615巻にも及ぶ膨大な内容ゆえ信徒でも所持しているものは少ない<ref name="名前なし-20240629113336">{{Cite news |title=「日本の天照大神のルーツは韓国」「西郷隆盛も韓国人」「対馬は韓国の領土」…!統一教会教祖の過激すぎる発言録(週刊現代) @gendai_biz |url=https://gendai.media/articles/102257 |work=現代ビジネス |access-date=2025-06-21 |language=ja-JP}}</ref><ref name="名前なし_2-20240629113336">{{Cite web |title=「昭和天皇を暗殺する」「日本の女は男の寝床に這いつくばる」…!統一教会教祖が信者に語っていた、凄まじすぎる「日本憎悪の言葉」 @gendai_biz |url=https://gendai.media/articles/-/102258 |website=現代ビジネス |date=2022-11-18 |access-date=2025-06-21 |language=ja}}</ref>。
一部は日本語訳され国内で出版されているも、全編韓国語で構成された말씀選集は日本に対する激しい憎悪や蔑視を含む過激な内容を含み国内で訳出されていない発言も多い。一時期ネット上に無断転載されたことで、文が日本留学中に[[昭和天皇]]暗殺や皇居の[[二重橋]]破壊を考えていたことや日本人女性への差別的な発言を繰り返していたこと、日本人を韓国語の蔑称である倭奴(왜놈)で呼んでいたこと、さらに「天照大神のルーツは韓国にある」「西郷隆盛は韓国人」などの[[韓国起源説]]や韓国による[[対馬]]の領有権を主張していたことが知られるようになった<ref name="名前なし-20240629113336"/><ref name="名前なし_2-20240629113336"/><ref>{{Cite web |title=文鮮明“お言葉集”発掘「安倍晋太郎は私と契約書を書いた」「福田赳夫と中曽根は私が首相にした」 |url=https://bunshun.jp/denshiban/articles/b4055 |website=週刊文春 電子版 |date=2022-09-21 |access-date=2025-06-21 |language=ja |first=柳 |last=錫}}</ref>。
{{Quotation|日本は一番の怨讐の国でした。二重橋を私の手で破壊してしまおうと思いました。[[裕仁天皇]]を私が暗殺すると決心したのです。|文鮮明先生말씀選集 第381巻より<ref>http://www.tongilgyo.net/data/book/malsm/pdf/381.pdf</ref>}}
同書では文鮮明が自民党の安倍派を中心に、日本政界に対する政界工作を直々に命令していたことが鮮明に記録されている<ref>https://mainichi.jp/articles/20230630/ddm/010/040/020000</ref>。
{{Quotation|先生の組織が入り込んでいない所はありません。自民党だけでなく野党にも全部入っていますね? 自衛隊までも全部入っているのです。共産党の深層部にまで入り込んで、そこですべてのものを先生に報告するようになっているのです。それで帝調や公安部は手を出すことができないというのです。|文鮮明先生말씀選集 第336巻より<ref>http://www.tongilgyo.net/data/book/malsm/pdf/336.pdf</ref>}}
===1976年『ニューズウィーク』誌のインタビュー===
[[1976年]]に文鮮明(以下、Aと表記する)は、アメリカの『[[ニューズウィーク]]』誌のインタビューには応じた<ref name=":47">『ニューズウィーク』誌(1976年)での文鮮明師に対するインタビュー内容(1)
https://familyforum.jp/2012111613259</ref><ref name=":48">『ニューズウィーク』誌(1976年)での文鮮明師に対するインタビュー内容(2)
https://familyforum.jp/2012111613259</ref>。以下は統一教会によって一部抜粋された物である<ref name=":47" /><ref name=":48" />。インタビュアーは『ニューズウィーク』誌の編集長リチャード・Z・チェスノフと編集者アンドリュー・ナゴルスキ(以下、Qと表記する)<ref name=":47" /><ref name=":48" />。<blockquote>'''Q. 統一教会が他のキリスト教の宗派と違う点は何ですか?'''
'''A.''' 私の受けた新しい啓示が神の意思を明確にしました。その意思とは何か? 世界を救うことです。ですから、統一教会はただの宗派ではありません。世界を救うための運動なのです。そして、 私たちの運動に関わる個々人は、神の言葉の教えにより、神様を中心とした個人、神様を中心とした家庭、神様を中心とした国、そして神を中心とした世界という概念を明確に知ることができます<ref name=":47" />。
'''Q. 神の意思はどのように明かされたのですか?'''
'''A.''' 16歳の時に、韓国の郊外で[[イエス・キリスト]]に出会うというとても霊的な深い体験をしました。それが啓示の始まりでした。それからというもの、真実を探求する時、私は常に、神様と、イエス様を含む霊界の聖人たちと対話しています<ref name=":47" />。これは言葉ではうまく言い表せません<ref name=":47" />。
'''Q. 神はなぜあなたに語ったのでしょうか?'''
'''A.''' 神様のタイムテーブルに従って、 神様は私を召命または抜擢されました。なぜ? それは神様に聞かないと分かりません。私が知っていることはただ一つ、その使命が私に与えられたということです。神様の主な頭痛の種は3つです。1つ目は、道徳の崩壊が広がっていることです。2つ目は、キリスト教会は分裂し、衰退しており、霊的力を回復しなくてはいけないこと。そして3つ目は、神様の目から見て悪の勢力にあたる[[共産主義]]が台頭していることです。これは地上に神の国を創る上での最大の障害です。私は、これらの啓示を原理講論として完成し、体系化させてから、一つの運動を組織しました。それが統一教会です<ref name=":47" />。
'''Q. あなたは「私は世界を抑圧し、支配するだろう。私が求めなくても、世界が法律に従うように私の言葉に従う時が来る」と語られました。あなたの政治的目標は何ですか?'''
'''A.''' 政治的目標などありません。その特定の文章だけが周囲の文脈を無視して引用されているのです。長い、即席の演説から文章を引用すると、誤解が生じる場合があります。{{ISO639言語名|ko}}の翻訳の問題もあります<ref name=":47" />。
'''Q. つまり、世界を支配するつもりはないということですね?'''
'''A.''' もちろんです。'''政治的に支配するつもりはありません'''。世界を支配するのは[[神|神様]]であって、私は神様の位置に立つつもりはありません。しかし、神様の[[霊魂|霊]]が私を通して語られるのであり、語っているのは神様です。だからこそ、多くの若者が私に従うのです<ref name=":47" />。
'''Q. あなたの信者たちはとても質素に暮らしていますが、あなたはとても楽に暮らしています。どうして贅沢するのですか?'''
'''A.''' 私は人生の大半を質素に暮らしてきましたが、好むと好まざると、私は世界的に知られる人物になってきました。私に会いに来る有名人はたくさんいます。外交儀礼の問題です。すると、人々は私に、保護と威厳が必要だと言います<ref name=":47" />。
'''Q. どうして統一教会とその信者たちは常にお金を稼いでいるのですか? なぜ物質主義を強調するのですか?'''
'''A.''' 私は物質の価値を否定しません。しかし、それは神様のために使われるべきです。地上に神様の理想の概念を実体化する私たちの運動には莫大な資産が必要なのです<ref name=":47" />。
'''Q. その資産の少なくとも一部分でも、飢餓撲滅などのために割り当てないのはなぜですか?'''
'''A.''' 福祉活動はいくつか展開しています。しかし、分かっていただきたいのは、貧者や孤児を助ける能力のある人や、助けている人はたくさんいるということです。私の特別な任務は、人々に神様を知らせることです<ref name=":47" />。
'''Q. 信者たちを洗脳しているというのは本当ですか?'''
'''A.''' [[アメリカ合衆国議会|連邦議会]]の議員たちと話した時も同じ質問をされましたが、私はこう答えました。「あなた達アメリカ人は韓国から来たレバレント・ムーンに[[洗脳]]されるほどの愚か者ですか? それに、私は通訳を使っています」。統一教会にやってくる若者たちはバカでも凡庸でもありません。賢明で、理想家で、自信に溢れています。彼らは、神様の力と愛に気付くと、磁石のように惹きつけられます。統一教会のセンターのドアは24時間開いています。入るのも出るのも自由です<ref name=":47" />。
'''Q. 家庭の重要性を強調されていますが、あなたのやり方は家庭内の不和を引き起こしているのではありませんか?'''
'''A.''' もし私の信者の中に親を糾弾する者がいるとしたら、彼は私の本当の信者ではありません。本当の信者なら、親から尊敬されるでしょう。多くの若者は無視され、[[愛]]に飢えています。彼らは本当に感動し、喜びに満ちて入教してきます。彼らは、生まれて初めて、信じて愛せる何か、そして、誰かに出会ったのです。こうして彼らは熱心な信者になり、統一家の一員になるのです。一部の親たちは嫉妬しますが、その他の親たちは自分の息子や娘が、韓国人である私に従っている事実以外に反対する理由を持ち合わせていません<ref name=":47" />。
'''Q. あなたは明確に、再臨主が現れること、その再臨主は結婚した韓国人であること、そして、新しいイデオロギーが韓国に出現すると言われました。なぜ韓国なんですか?'''
'''A.''' 韓国は神様に選ばれた国です。韓国は分断されています。板門店の分断線は神側の世界と[[サタン]]側の世界の分断線のようなものです。対決は韓国で行われるしかないのです。韓国の勝利、特に共産主義との戦いにおける勝利は、韓国だけのものではありません。私は、その戦闘の現場を再びアメリカに移すためにやってきました。アメリカは世界に対する責任から後退してきました。これは、既に[[ベトナム]]で起こったことです。世界、そして神様の運命を決めるのはアメリカです。神様は、チャンピオンを必要としています。アメリカは共産主義と戦う運命にあるのです。イデオロギーの対決は避けられません<ref name=":48" />。
'''Q. あなたは韓国政府や韓国CIAの関係者ですか?'''
'''A.''' それはばかげた考えです。統一教会は宗教運動であって、政府の指示は受けません。実際には、韓国政府の人たちが私たちの運動を弱体化させたり、抑制しようとしたことは過去に何度もありました。しかし、今は、韓国の国家目標に対して私たちが貢献するところが非常に多いので、韓国政府も私たちの業績を無視できないでしょう。私たち自身のイニシアチブで、2千万人以上の人が私たちの[[国際勝共連合|勝共理論]]を聞きました<ref name=":48" />。
'''Q. 韓国や世界の反共団体、例えば、日本の児玉誉士夫から、支援を受けたことはありますか?'''
'''A.''' 一銭も受け取っていません。児玉さんには会ったこともないし、彼とも、彼の団体とも、やり取りしたことはありません。[[共産主義|共産主義者]]たちが、統一教会の印象を悪くするためにそのような噂を流しているのです<ref name=":48" />。
'''Q. 世界中の教会の金銭的な所有財産の規模は?'''
'''A.''' 分かりません。正直な話、私は数字は把握していません。興味を引かれないので。私は霊的な指針を与えるだけです<ref name=":48" />。
'''Q. あなたと統一教会のセキュリティーの堅さは歴然としています。異常とも取れるほどです。どうしてですか?'''
'''A.''' 私は命懸けの使命を遂行しています。私は共産主義者に命を狙われているし、危険な目には何度も合いました。私の運動が勢力を増すに従って、私の命を狙う組織的陰謀の可能性も増します。例えば、北朝鮮の金日成は、彼の革命戦略への第一の脅威は私であると公言しています。しかし、陰謀家たちは、私が何らかの理由で失敗したとしても、新たなレバレント・ムーンがたくさん現れるということを知らずにいます。神様の意思は続くのです<ref name=":48" />。
'''Q. 他のキリスト教会から叙任されたことはありますか?'''
'''A.''' 歴史上の多くの預言者たちがそうであったように、私は神様に[[叙階|叙任]]されました。私は常に神様と対話しています。生ける神様が私とともにあるのです。これに勝る叙任はありません<ref name=":48" />。</blockquote>
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
{{
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
;研究者・著述家
* {{Cite journal |和書|author = 古田富建|authorlink =古田富建 |title = 韓国キリスト教系新宗教のイエス観 : [[李龍道]]の晩年期の再考察とその系譜団体のイエス観 |date =2011 |publisher =帝塚山学院大学リベラルアーツ学部 |journal =帝塚山學院大学研究論集|volume = |issue =46 |naid =110008802572 |pages =17-38 |ref ={{SfnRef|古田|2011}} }}
* {{Cite book |和書 |author=ダグラス・E・コーワン、デイヴィッド・G・ブロムリー |translator= 村瀬義史|year=2010 |title=カルトと新宗教 アメリカの8つの集団・運動 |publisher=キリスト新聞社 |ref ={{SfnRef|コーワン・ブロムリー|2010}} }}
* {{Cite book|和書|ref={{SfnRef|櫻井・中西|2010}} |author1=櫻井義秀|authorlink1=櫻井義秀|author2=中西尋子|authorlink2=中西尋子 |year=2010 |title=統一教会 日本宣教の戦略と韓日祝福 |publisher=北海道大学出版会 |isbn=978-4832967205}}
* {{Cite book |和書 |last= |first= |author=ジョージ・D・クリサイディス |authorlink=ジョージ・D・クリサイディス |translator= 月森左知|year= 1993 |title=統一教会の現象学的考察 |publisher=新評論 |ref ={{SfnRef|クリサイディス|1993}} }}
* 『imago1993年8月号 特集マインドコントロール』青土社
* {{Cite book|和書|author=郷路征記|authorlink=郷路征記|year=1993|month=12|title= 統一教会マインド・コントロールのすべて 人はどのようにして文鮮明の奴隷になるのか|publisher=[[教育史料出版会]]|isbn=4-87652-250-2|ref=郷路1993}}
* {{Cite book|和書|author=榊利夫|authorlink=榊利夫|year=1993|month=3|title=文鮮明主義の批判 統一協会の過去・現在・矛盾|publisher=白石書店|isbn=4-7866-0266-3|ref=榊1993}}
* {{Cite book|和書|author=成沢宗男|authorlink=成沢宗男|year=1990|month=10|title=統一協会の策謀 文鮮明と勝共連合|publisher=[[八月書館]]|isbn=978-4-938140-16-8|url=http://www.hachigatsusyokan.co.jp/mokrok/bk/16-8.html|ref=成沢1990}}
* {{Cite book|和書|author=成沢宗男|year=1989|month=10|title=統一協会の犯罪 霊感商法と勝共連合|publisher=八月書館|isbn=978-4-938140-15-1|url=http://www.hachigatsusyokan.co.jp/mokrok/bk/15-1.html|ref=成沢1989}}
* {{Cite journal |和書|author = {{仮リンク|ペトロ・ネメシェギ|hu|Nemeshegyi Péter}} |title = 統一教会の教説についての考察 |date =1985-06 |publisher =上智大学神学会 |journal =カトリック研究|volume =47 |issue = |naid =120005680946|pages =57-97 |ref ={{SfnRef|Nemeshegyi |1985}} }}
* {{Cite book|和書|editor=和賀真也|date=1981-01-15 |title=統一協会と文鮮明 |url={{NDLDC|12282018}} |url-access=registration |publisher=[[新教出版社]]|isbn=4-400-41513-9 |ref=和賀1981}}
* {{Cite book|和書 |author=[[しんぶん赤旗|赤旗]]社会部 |title=仮面のKCIA 国際勝共連合=統一協会 |url={{NDLDC|12090170}} |url-access=registration |publisher=[[新日本出版社]] |date=1980年5月15日 |ref= {{SfnRef|赤旗社会部|1980}} }}
* {{Cite book|和書 |editor=[[しんぶん赤旗|赤旗]]社会部 |title=わたしは“洗脳”された―統一協会元会員の証言 |publisher=[[新日本出版社]] |date=1989年10月 |ref= {{SfnRef|しんぶん赤旗|1989}} |isbn=978-4406017732 }}
* {{Cite book|和書|author=那須聖|authorlink=那須聖|date=1985-01-01|title=牢獄の救世主|publisher=[[善本社]]|isbn=4-7939-0152-2|ref=那須1985}}
* {{Cite book|和書|editor=萩原遼|editor-link=萩原遼|year=1980|month=3|title=淫教のメシア・文鮮明伝|publisher=[[晩声社]]|isbn=4-89188-066-X|ref=萩原1980}}
* [[米本和広]]『カルトの子 心を盗まれた家族』[[文藝春秋]]、2000年、ISBN 4163563709
* {{Cite book|和書|author=朴正華|authorlink=|year=1993|month=11|title=六マリアの悲劇 真のサタンは、文鮮明だ!!|publisher=[[恒友出版]]|isbn=4-7652-3073-2|ref=朴1993}}
* {{Cite book|和書 |author=[[有田芳生]] |title=改訂新版 統一教会とは何か |publisher=[[大月書店]] |date=2022年9月15日 |ref= |isbn= 978-4272331109 }}
* {{Cite book|和書 |author=石井謙一郎、[[森健]]、鈴木エイト、甚野博則、伊藤達美ほか |editor=[[文藝春秋]] |title=統一教会 何が問題なのか |publisher=文藝春秋 |series=[[文春新書]] |date=2022年11月18日 |ref={{SfnRef|文藝春秋編|2022}} |isbn=978-4166613946 }}
;教団関係者
* {{Cite book|和書|author=文鮮明|others=文鮮明師自叙伝日本語版出版委員会訳|year=2009|month=10|title=[[平和を愛する世界人として]] 文鮮明自叙伝|publisher=[[創芸社]]|isbn=978-4-88144-132-9|ref=文2009}}
* {{Cite book|和書|author=朴普煕|authorlink=朴普煕|date=1997-11|title=証言|volume=上巻(私は生ける神の目撃者)|publisher=世界日報社|isbn=4-88201-064-X|ref=朴1997}}
* {{Cite book|和書|author=朴普煕|authorlink=朴普煕|date=1998-03-05|title=証言|volume=下巻(文鮮明師と二十世紀秘史)|publisher=世界日報社|isbn=4-88201-065-8|ref=朴1998}}
* {{Cite book|和書 |author=[[洪蘭淑]] |translator=[[林四郎]] |title=わが父 文鮮明の正体 |publisher=[[文藝春秋]] |date=1998年11月25日 |ref= {{SfnRef|洪蘭淑|1998}} |isbn=978-4163546100 }}
* {{Cite book|和書|author=田井友季子|authorlink=田井友季子|date=1995-02-05|title=神の代辯者|publisher=世界日報社|isbn=4-88201-055-0|ref=田井1995}}
* {{Cite book|和書|author=福田信之編著|authorlink=福田信之|date=1992-06-25|title=文鮮明師と金日成主席 開かれた南北統一の道|publisher=世界日報社|isbn=4-88201-049-6|ref=福田1992}}
* {{Cite book|和書|author=井上茂信編著|date=1990-07-22|title=ゴルバチョフと文鮮明師|publisher=[[世界日報 (日本)|世界日報社]]|isbn=4-88201-038-0|ref=井上1990}}
* {{Cite book|和書 |author=[[松下正寿]] |title=文鮮明 人と思想 |url={{NDLDC|12281867}} |url-access=registration |publisher=善本社 |date=1984年5月31日 |ref= {{SfnRef|松下正寿|1984}} }}
== 関連項目 ==
{{commonscat|Sun Myung Moon}}
* [[世界基督教統一神霊協会の年表]]
* [[統一教会関連の企業と団体]]
* [[世界平和統一家庭連合と政界との関係]]
* [[韓鶴子]]
== 外部リンク ==
* [https://ffwpu.jp/about/builder 創始者:文鮮明総裁・韓鶴子総裁御夫妻] - 世界平和統一家庭連合公式サイト
* [https://www.ucjp.org/moon.html 文鮮明師の生涯と業績] - 世界基督教統一神霊協会公式サイト
{{世界基督教統一神霊協会}}
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{{DEFAULTSORT:ふんせんめい}}<!-- 一般には“ムン・ソンミョン”と呼ぶことはほとんどなく、“ぶんせんめい“と呼んでいるのでカテゴリで探す利便性を考慮してこのソートキーにしています。-->
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[[Category:韓国の宗教家]]
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