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{{鉄道車両
| 車両名 = 国鉄115系電車<br />(共通事項)
| 背景 = #000000
| 文字色 = #ffffff
|画像=115himawari.jpg
| 画像説明 = File:Shinetsu 115系1000番台 湘南色fixed.jpg
| 画像説明 = [[信越本線]]を走行する115系<br />(2014年9月15日 [[新津駅]] - [[古津駅]]間)
|unit=self
| 運用者 = [[日本国有鉄道]]<br />[[東日本旅客鉄道]]<br />[[東海旅客鉄道]]<br />[[西日本旅客鉄道]]<br />[[しなの鉄道]]<br />[[伊豆急行]]
|両数=
| 製造所 = [[汽車製造]]<br />[[日本車輌製造]]<br />[[川崎重工業車両カンパニー|川崎車輛→川崎重工業]]<br />[[近畿車輛]]<br />[[東急車輛製造]]<br />[[日立製作所]]
|起動加速度 =2.0km/h/s(MT比2:1時){{要出典}}
| 製造年 = 1963年 - 1983年
|営業最高速度=基本番台,300・800・1000・2000・3000番台:100km/h<br/>高速化改造車(+5000番台車):110km/h
| 製造数 = 1,921両
|設計最高速度=高速化改造車以外:100km/h<br/>高速化改造車(+5000番台車):110km/h
| 軌間 = 1,067 mm
|定格速度=全界磁52.5km/h、40%界磁84.5km/h
| 電気方式 = 直流1,500 [[ボルト (単位)|V]]<ref name="railfan20121108"/>
|減速度(通常)=3.0km/h/s
| 最高運転速度 = 100 [[キロメートル毎時|km/h]]<ref name="railfan20121108"/><ref group="注">[[西日本旅客鉄道|JR西日本]]の高速化改造車は110 km/h。</ref>
|減速度(非常)=4.0km/h/s
| 起動加速度 = 1.6 [[キロメートル毎時毎秒|km/h/s]] (1M1T)<br />2.0 [[キロメートル毎時毎秒|km/h/s]] (2M1T)
|車両定員=
| 常用減速度 = 3.0 [[キロメートル毎時毎秒|km/h/s]]
|編成定員=
| 非常減速度 = 4.0 [[キロメートル毎時毎秒|km/h/s]]
|全長=20,000mm
| 車両定員 =
|全幅=2,956mm
| 自重 =
|全高=4,077mm
| 全長 = 20,000 [[ミリメートル|mm]]<ref name="railfan20121110"/><ref name="railfan20121114"/><ref name="railfan20121118"/><ref name="railfan20121122"/><ref name="railfan20121125"/>
|車両重量=29.8t(最小 クハ115-0)<br/>44.3t(最大 モハ114-3000)
| 全幅 = 2,900 [[ミリメートル|mm]]<ref name="railfan20121110"/><ref name="railfan20121115"/><ref name="railfan20121120"/><ref name="railfan20121121">[[#鉄道ファン|鉄道ファン、交友社、2012年11月号、p.21]]</ref><ref name="railfan20121123"/><ref name="railfan20121139"/><ref name="railfan20121140"/><ref name="railfan20121141"/>
|編成重量=
| 全高 = 4,077 [[ミリメートル|mm]]
|軌間=1,067mm
| 車体材質 = [[炭素鋼|普通鋼]]<ref name="railfan20121108"/>
|電気方式=直流1,500V
| 台車 = DT21B形・TR62形<ref name="kokutetsu63">[[#Kokutetsu|「国鉄車両形式集・4 直流系電車 近郊編」山と渓谷社、写真・広田尚敬、p.63]]</ref>
|電動機出力=120kW(MT54)*4 /両
| 主電動機 = 直流直巻<ref name="railfan20121108"/>MT54<ref name="ikarosJNR15"/>
|編成出力=
| 主電動機出力 = 120 kW<ref name="railfan20121108"/>
|歯車比=17:82=1:4.82
| 駆動方式 = [[中空軸平行カルダン駆動方式]]
|制御装置= CS15形制御器<br/>[[電気車の速度制御#抵抗制御|抵抗制御・直並列組合せ・弱め界磁]]
| 歯車比 = 1:4.82
|駆動装置=[[中空軸平行カルダン駆動方式]]
| 制御方式 = [[電気車の速度制御#抵抗制御|抵抗制御・直並列組合せ]]・[[主制御器#電動カム軸接触器式|電動カム軸方式]]
|ブレーキ方式=[[発電ブレーキ]]併用[[電磁直通ブレーキ]]<br/>([[抑速ブレーキ]]付)
| 制御装置 = CS15形制御器CS15A<ref name="ikarosJNR15">[[#ikarosJNR vol.1|「現役国鉄型大研究 vol.1」イカロスMOOK、p.15]]</ref>(300番台を除く)
|保安装置=ATS-S・ATS-P・ATS-Ps
| 制動装置 = [[発電ブレーキ]]・[[抑速ブレーキ]]併用[[電磁直通ブレーキ]]
|メーカ=
| 保安装置 = [[自動列車停止装置#ATS-S|ATS-S]]・[[自動列車停止装置#ATS-P|ATS-P(一部)]]・[[自動列車停止装置#ATS-Ps|ATS-Ps(一部)]]
|備考=
| 備考 =
}}
|運用開始=[[1963年]][[2月]]}}
 
'''国鉄115系電車'''(こくてつ115けいでんしゃ)は、[[日本国有鉄道]](国鉄)が寒冷地区・急勾配路線での運用を目的に設計し、[[1963年]]([[昭和]]38年)から製造を開始した[[直流電化近郊形車両|直流近郊形]][[近郊形直流電車]]である
 
== 概要 ==
[[1963年]]([[昭和]]38年)1月から[[1983年]](昭和58年)6月まで1,921両<ref group="注">なお最大両数は1985年度末時点で[[国鉄113系電車|113系]]への改造が4両、113系からの改造編入が6両あるため1,923両である。</ref>が製造された<ref name="railfan20121108">[[#鉄道ファン|鉄道ファン、交友社、2012年11月号、p.8]]</ref>。[[国鉄113系電車#111系|111系]]をベースにMT54系[[主電動機]]を搭載して出力向上を図り、[[東北本線]]・[[高崎線]]の上野口の通勤客増加への対応と、勾配区間を持つ[[上越線]]や[[日光線]]での運用、冬期の運用が考慮された設計となった<ref name="railfan20121109" /><ref name="福原2014_p18">福原俊一『115系物語』p.18</ref>。上り勾配での加速力を調整可能な[[主制御器#ノッチ戻し制御|ノッチ戻し機構]]、下り勾配での[[定速運転]]が可能な[[抑速ブレーキ]]が搭載されるとともに、耐寒耐雪に対応する設備を備えている<ref name="福原2014_p18" />。
[[1950年代]]から[[首都圏]]を中心に各地で[[鉄道の電化|電化]]が進み、電車の中長距離運行が実施されるようになった。国鉄でも近郊用に[[国鉄113系電車#111系|111系]]を[[1962年]](昭和37年)から製造・投入していたが、111系が搭載する出力100kWのMT46系[[電動機|主電動機]]では、山間部で使用する場合は性能不足であり、編成中に通常より多くの[[動力車|電動車]]を連結する([[MT比]]を高くとる)必要があった。
 
さらに[[ローカル線]]への投入が想定されたためクハ115形2両+モハ115形・114形ユニットで組成される4両編成を最小単位として運用できる構造を採用した<ref name="ikarosJNR15" />。1966年にはクモハ115形の製造開始により3両編成の組成も可能となった<ref name="ikarosJNR16">[[国鉄115系電車#ikarosJNR vol.1|「現役国鉄型大研究 vol.1」イカロスMOOK、p.16]]</ref>。
電動車が多いと製造コスト・運転コストが高くなり、不経済であることから、111系をベースに出力を増強して少ない電動車で編成を組むことができる新系列として開発されたのが[[国鉄113系電車|113系]]と本項で述べる115系である。
 
東北本線・高崎線を皮切りに中央東線や長野・新潟・岡山など各地に投入が進められた。本来の運用とは別に[[1970年代]]の一時期には[[急行列車]](いわゆる[[遜色急行]])<ref name="railfan20121113" />にも投入されたほか、通常は[[国鉄EF63形電気機関車|EF63形]]による推進・牽引となる[[信越本線]][[横川駅 (群馬県)|横川]] - [[軽井沢駅|軽井沢]]間([[碓氷峠]])での自力走行試験も実施された(詳細は後述)<ref name="railfan20121112">[[国鉄115系電車#鉄道ファン|鉄道ファン、交友社、2012年11月号、p.12]]</ref>。
[[1983年]](昭和58年)までの長期にわたり、改良を重ねながら2,000両近くも製造され、本州内の直流電化区間で普通列車に用いられた。また一時期に[[急行列車]]([[#115系のグリーン車と急行運用について|後述]])にも使用されたことがあった。<!--や[[特別急行列車|特急]]「[[あさま (列車)|あさま]]」の代走にも使用されたこともあった。「あさま」の代走の件についてのソースは?-->
 
[[1987年]](昭和62年)の[[国鉄分割民営化]]時には[[#事故廃車|事故廃車]]2両・老朽化[[廃車 (鉄道)|廃車]]45両・他形式(401系)への改造1両を除いた計1,875両が[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)・[[東海旅客鉄道]](JR東海)・[[西日本旅客鉄道]](JR西日本)承継・保有しされた<ref name="railfan20121131" /><ref>[[国鉄115系電車#鉄道ファン|鉄道ファン一部交友社、2012年11月号、p31・36・41]]</ref>。そ車両老朽化や後継形式への置換えにより廃車が進められ、[[しなの鉄道2024年]][[伊豆急行1月]]に譲渡された。初期形の多く現在では[[廃車 (西日本旅客鉄道)|廃車JR西日本]]されたが、汎用性・[[しな高さから2010年時点鉄道]]も各地の直流電化区間で使用されてい243両が残存する。
 
=== 開発の経緯 ===
国鉄の[[新性能電車]]は、[[1957年]](昭和32年)に製造を開始した[[国鉄101系電車|101系]][[通勤形車両 (鉄道)|通勤形電車]]を祖とし、その後は[[国鉄181系電車|151系]][[特急形車両|特急形電車]]・[[国鉄153系電車|153系]][[急行形車両|急行形電車]]とともに増備が進められた<ref name="福原2014_p16">福原俊一『115系物語』p.16</ref>。また、[[鹿児島本線]]・[[常磐線]]の[[交流電化]]により3扉セミクロス[[交直流電車|交直流両用]]となる401・421系が[[1960年]](昭和35年)から製造が開始された<ref name="福原2014_p16" />。一方、[[湘南電車]]などでは80系電車や[[客車]]など2扉車が使用されており、増加する[[通勤]]客に対応できないことから、401・421系と同等の車体構造を持つ[[国鉄113系電車#111系|111系]]が製造された<ref name="railfan20121109"/>。
 
同時期には山間部路線でも[[鉄道の電化|電化]]が始まり[[中距離電車|中長距離列車]]が運行されるようになったが、111系が搭載する出力100 [[キロワット|kW]]級のMT46系主電動機では出力不足が如実であり、[[編成 (鉄道)|編成]]の組成において[[動力車|電動車]]を多くした高[[MT比]]とするか、[[補助機関車]]の連結が要求された<ref name="railfan20121109">[[#鉄道ファン|鉄道ファン、交友社、2012年11月号、p.9]]</ref>。しかし電動車を増やす場合、製造・運転・[[メンテナンス|保守]]ともに高コストとなり不経済であることから、出力を120 kWに向上したMT54系主電動機が開発された<ref name="railfan20121109"/>。
 
111系をベースに主電動機をMT54とした{{要検証範囲|1=[[国鉄113系電車|113系]]の勾配線区対応版を115系とする|date=2022年11月17日 (木) 14:47 (UTC)}}見方も可能であるが、113系の登場は1963年12月であり、115系より約1年遅い<ref name="rp200907_p10">編集部「115系電車のプロフィール」『鉄道ピクトリアル』2009年7月号、p.10</ref><ref name="福原2013_p37">福原俊一『111・113系物語』JTBパブリッシング、2013年、p.40</ref>。115系と同時期の1963年2月には、MT54主電動機と抑速ブレーキを搭載した勾配線区向けの急行形電車である[[国鉄165系電車|165系]]が登場した<ref name="rp200907_p10" />。
 
'''民営化後から現在までの在籍数変化'''<ref>{{Cite book|和書 |title=鉄道ファン |date=2025-07-01 |publisher=交友社 |page=71 |volume=通巻771号}}</ref>
{{出典の明記|date=2025年1月|section=1}}
{| class="wikitable"
|+
!年
!JR東日本
!JR東海
!JR西日本
!しなの鉄道
!伊豆急行
!合計
|-
|1987
|1186両
|99両
|590両
|
|
|1875両
|-
|1988
|1178両
|99両
|590両
|
|
|1867両
|-
|1989
|1176両
|99両
|578両
|
|
|1853両
|-
|1990
|1172両
|84両
|574両
|
|
|1830両
|-
|1991
|1146両
|75両
|569両
|
|
|1790両
|-
|1992
|1111両
|72両
|567両
|
|
|1750両
|-
|1993
|1094両
|72両
|572両
|
|
|1738両
|-
|1994
|1082両
|72両
|520両
|
|
|1672両
|-
|1995
|1080両
|72両
|504両
|
|
|1656両
|-
|1996
|1062両
|72両
|495両
|
|
|1629両
|-
|1997
|1062両
|72両
|477両
|
|
|1611両
|-
|1998
|1027両
|72両
|476両
|33両
|
|1608両
|-
|1999
|1021両
|72両
|476両
|33両
|
|1602両
|-
|2000
|1021両
|63両
|471両
|33両
|
|1588両
|-
|2001
|939両
|63両
|470両
|33両
|
|1505両
|-
|2002
|735両
|63両
|466両
|33両
|18両
|1315両
|-
|2003
|611両
|63両
|464両
|33両
|27両
|1198両
|-
|2004
|592両
|63両
|462両 
|33両
|27両
|1177両
|-
|2005
|539両
|63両
|452両
|33両
|27両
|1114両
|-
|2006
|507両
|63両
|450両
|33両
|27両
|1080両
|-
|2007
|502両
|33両
|450両
|33両
|27両
|1045両
|-
|2008
|498両
|12両
|450両
|33両
|27両
|1020両
|-
|2009
|498両
|0両
|444両
|33両
|0両
|975両
|-
|2010
|498両
|
|442両
|33両
|
|973両
|-
|2011
|498両
|
|442両
|33両
|
|973両
|-
|2012
|498両
|
|442両
|33両
|
|973両
|-
|2013
|498両
|
|445両
|33両
|
|976両
|-
|2014
|477両
|
|445両
|44両
|
|966両
|-
|2015
|333両
|
|443両
|59両
|
|835両
|-
|2016
|252両
|
|379両
|59両
|
|690両
|-
|2017
|106両
|
|363両
|59両
|
|528両
|-
|2018
|73両
|
|363両
|59両
|
|495両
|-
|2019
|27両
|
|291両
|59両
|
|377両
|-
|2020
|22両
|
|251両
|59両
|
|332両
|-
|2021
|22両
|
|243両
|50両
|
|315両
|-
|2022
|22両
|
|243両
|45両
|
|310両
|-
|2023
|1両
|
|237両
|37両
|
|275両
|-
|2024
|1両
|
|234両
|30両
|
|265両
|-
|2025
|0両
|
|196両
|24両
|
|220両
|}
 
== 構造 ==
本節では主に各区分の共通仕様について記述する。
同時期に製造された113系が暖地・平坦地向けであるのに対して、本系列は山間部の寒冷地・急勾配路線における運用を考慮して設計されている。そのため、113系と基本的な部品を共通化しつつも、様々な耐寒・耐雪構造と勾配対策を車両に盛り込んでいる。本節では主に各区分の共通仕様について記述し、区分ごとに異なる部分は当該節を参照されたい。
 
=== 車体 ===
{{Double image stack|right|クハ115 sideview shonan湘南色.png|クハ115 sideview yamasukaスカ色.png|300|湘南色([[黄かん色]][[緑2号]]|<br />横須賀色(スカ色)([[クリーム1号]][[青15号]])}}
111系・113系と同設計となる[[炭素鋼|鋼製車体]]で前面中央に[[貫通扉]]を装備するほか、153系と同様に第1種縮小限界へ抵触させないため裾絞りとした<ref name="railfan20121110">[[#鉄道ファン|鉄道ファン、交友社、2012年11月号、p.10]]</ref>。車体幅は2,900 [[ミリメートル|mm]]である<ref name="series115-18">[[#series115ikaros|「形式115系」イカロス出版、p.18]]</ref>。
車体は111系や113系と同じ設計の[[炭素鋼|鋼製車体]]で、中央に[[貫通扉]]を備える、いわゆる「東海形」の前面と、両開き扉を片側3か所に設けた側面の車体構成である。側窓は戸袋部分を除いて上段上昇下段上昇式または上段下降下段上昇式である。開閉方向は製造時期によって異なる。
 
車体は耐寒耐雪構造であり<ref name="series115-13"/>、屋根上[[ベンチレーター|通風器]]は冬期に冷気や[[雪]]の遮断が可能な押込式を採用した<ref name="railfan20121111">[[#鉄道ファン|鉄道ファン、交友社、2012年11月号、p.11]]</ref>。側窓は戸袋部分を除いて2段上昇式または上段下降下段上昇式で、開閉方向は製造時期によって異なる。
客用扉は「半自動機能」を備え、手動での開扉が可能な仕様である。これは寒冷地区で使用するため扉の開放を極力抑えるためのもので、[[気動車]]で採用した方式と異なり、[[車掌]]スイッチによって容易に自動・半自動の切替ができる方式である。扉には開扉のための取手が設けられる。開扉時に取手部分は戸袋に収納されず、扉の開口幅は113系の1,300mmより狭い1,100mmである。
 
客用[[扉]]は片側3か所に幅1,300 mm<ref name="railfan20121108"/>の両開き扉を設置しているが、寒冷地での冬期の車内保温のため自動・[[自動ドア#日本|半自動]]の切り替えが可能とされた<ref name="rp200907_p10" />。半自動設定時に乗客が手動でドアを開閉できるよう取手が設けられ、取手部分が戸袋に収納されない構造<ref name="series115-13"/>であるため、扉の開口幅は1,100 mmである<ref name="rp200907_p10" />。凍結防止のため、ドアレールにヒーターが設置された。
屋根上通風器は冷気や[[雪]]を吸い込まないように、空気を遮断できる押込式としている。
 
ドアエンジンは半自動に対応した新設計のTK8形とし、[[鴨居]]部分に設けたカバーの中に搭載する<ref name="rp200907_p10" />。通常の両開き用ドアエンジンと異なり、左右それぞれ別個のドアエンジンを小型化し一組にしたものを鴨居部に押し込んだ構造である<ref name="series115-13"/><ref>鉄道ピクトリアル、電気車研究会、通巻961号(2019年7月号)、p.130</ref>。[[気動車]]で採用した方式と異なり[[車掌スイッチ]]によって容易に自動・半自動の切替が可能とされた。
塗装は[[黄かん色]]の地に車体裾と上部に[[緑2号]]を配した、いわゆる「湘南色」を標準とし、中央東線で使用する車両は[[クリーム1号]]の地に[[青15号]](濃青色)の「横須賀色(通称スカ色)」である。配色は前面下部を斜め(V字形)に塗り分けた113系に対し、115系では貫通扉を除き前面下部を直線状(U字形)に塗り分けた。後年ではこの2種以外の塗装も採用されている。
 
塗装は[[黄かん色]]の地に車体裾と上部に[[緑2号]]を配した「[[湘南色]]」を標準としたが、配色は前面下部を斜め(V字形)に塗り分けた111系・113系に対し、115系では貫通扉を除き前面下部を直線状(U字形)に塗り分けた<ref name="kokutetsu53">[[#Kokutetsu|「国鉄車両形式集・4 直流系電車」山と渓谷社、写真・広田尚敬、p.53]]</ref>。115系でU字の塗り分けが採用されたのは、111系・113系に対して115系は165系に近い性能であるとの考えによるものである<ref name="福原2014_p21">福原俊一『115系物語』p.21</ref>。
=== 車内設備 ===
座席は他の一般的な国鉄近郊形電車と同様、扉間に[[鉄道車両の座席#クロスシート|対面式固定クロスシート]](ボックスシート)を配し、扉周りの戸袋部に[[鉄道車両の座席#ロングシート|ロングシート]]を配したいわゆる[[鉄道車両の座席#セミクロスシート|セミクロスシート]]である。区分によっては一部の座席配置が異なる。クハ115形・サハ115形には[[列車便所|トイレ]]を設置した車両があり、後位3位側隅部に設ける。
 
中央東線での運用車両は[[クリーム1号]]の地に[[青15号]](濃青色)の「[[横須賀線#車両の色|横須賀色(通称スカ色)]]」である。111系・113系の「スカ色」に対して本系列では「山スカ色」とも呼ばれる。後にこの2種以外の塗装も採用された<ref name="railfan20121109"/>。
=== 台車・機器 ===
 
=== 車内 ===
[[鉄道車両の座席|座席]]は他の一般的な国鉄近郊形電車と同様、扉間に対面式[[固定クロスシート]](ボックスシート)<ref name="LCTA12-1349">[[#annual|「JR普通列車年鑑 2012 - 2013」イカロスMOOK、p.49]]</ref>を配し、扉周り[[戸袋]]部に[[ロングシート]]を配したいわゆる[[セミクロスシート]]である([[鉄道車両の座席]]も参照)<ref name="series115-18">[[#series115ikaros|「形式115系」イカロス出版、p.18]]</ref>。
 
区分によっては一部の座席配置が異なるほか、クハ115形では[[列車便所|トイレ]]が設置・未設置の差異もあり、設置車両では後位3位側隅部がトイレとなる<ref name="railfan20121110"/><ref name="railfan20121109"/>。
 
車内色は、当時の近郊形で標準的に用いられていた淡緑で、座席[[モケット]]は青をベースとした<ref name="railfan20121110"/>。
 
=== 主要機器 ===
※いずれも基本番台製造開始時に搭載された機器を基準に解説を行う。設計変更などによるマイナーチェンジ等は当該番台の項目を参照のこと。
{{vertical images list
|幅= 200px
67 ⟶ 408行目:
|4=TR62形付随台車
}}
[[鉄道車両の台車|台車]]は国鉄新性能電車の標準形式 [[国鉄DT21形台車|DT21B形]]・TR62形で、ウィングばね式の軸箱支持機構とスウィングリンク式の揺れ枕機構をもつ。枕バネ・軸バネはいずれもコイルバネである。主電動機は定格出力120[[ワット|kW]]の[[直巻整流子電動機|直流直巻電動機]]MT54形を搭載し、歯数比は1:4.82(17:82)である。これらの台車・電動機は113系と同一の仕様であるが、本系列では勾配区間での運用に対応するためノッチ戻し機構<ref>手動段でのノッチ=制御段を下げることができる。具体的には力行ノッチの3-5ノッチと抑速ノッチにこの機構がある。CS12形以前の電動カム軸制御器にはこれがない。</ref>をもつCS15A形主制御器と、下り勾配を一定の速度で降坂させる[[抑速ブレーキ]]を装備する。
 
[[鉄道車両の台車|台車]]は[[枕ばね]]・軸ばねはいずれも[[圧縮コイルばね]]とし、[[国鉄オハ35系客車#ウィングばね式台車|ウィングばね式]][[鉄道車両の台車#軸箱支持装置|軸箱支持機構]]・[[国鉄DT20形台車|スウィングリンク式]]揺れ枕機構を採用する国鉄新性能電車の標準形式となる[[国鉄DT21形台車|DT21B形]]動力台車・TR62形付随台車を装着する<ref name="series115-13"/>。TR62形は[[ディスクブレーキ]]を採用した<ref>[http://rail.hobidas.com/bogie/archives/2006/07/tr62_jr111.html 台車近影:TR62/JR東日本クハ111形(国鉄・JR東日本)] - 鉄道ホビダス</ref>。
[[集電装置|パンタグラフ]]は国鉄の標準型である[[菱形]]のPS16形でM'車のモハ114形に搭載する。中央東線など狭小限界[[トンネル]]を有する区間で使用する車両についてはパンタグラフ取付部分の屋根高さを下げた低屋根車とした800番台に区分されたが、300番台以降の当該区間運用車では低屋根を廃し一般車と共通の車体構造を持つが、パンタグラフは最低作用高さを低くしたPS23形を搭載することで対応した。
 
主電動機は定格出力120 [[キロワット|kW]]のMT54形[[直巻整流子電動機|直流直巻電動機]]を[[歯車比#鉄道車両の歯車比|歯数比]]1:4.82 (17:82) で搭載する<ref name="series115-13">[[#series115ikaros|「形式115系」イカロス出版、p.13]]</ref>。
 
走行系機器類は113系と同一仕様であるが、M車のモハ115形に搭載される[[主制御器]]は勾配区間での運用に対応するためノッチ戻し機構ならびに抑速ブレーキを装備したCS15A形<ref name="kokutetsu55">[[#Kokutetsu|「国鉄車両形式集・4 直流系電車」山と渓谷社、写真・広田尚敬、p.55]]</ref>とした。ノッチ戻しは手動段でのノッチ(制御段)を下げることが[[力行]]3 - 5段と抑速段で操作可能である<ref name="LCTA11-1232">「JR普通列車年鑑 2011-2012」イカロスMOOK、p.32</ref>。113系との併結運転は機器類が共通しているため可能であるが、主制御器が異なるためノッチ戻しならびに抑速ブレーキの使用は不可となる<ref name="series115-13"/>。
 
当初は115系にも抑速ブレーキ・ノッチ戻しのないCS12系列を搭載する予定であった<ref name="railfan20121110"/>。ノッチ戻し機構ならびに抑速ブレーキは当初同時期に開発された165系電車のみに搭載される計画だったが、大量生産による単価引き下げが見込めることと、所要両数が多い場合は[[電磁開閉器|電磁接触器]]の装着よりも[[差動装置|差動歯車]]を活用するメリットが大きいことから115系にも搭載された<ref name="railfan20121110"/>。このCS15系列の採用により115系の中山間部路線への入線を可能ならしめ、ひいては大きな汎用性を与えることになる。
 
M'車のモハ114形には[[集電装置]]として国鉄標準型であるPS16形[[菱形]]パンタグラフ<ref name="railfan20121110"/>、空気[[圧縮機]] (CP) を搭載する。111系ではM'車(モハ110形)とクハ111形の偶数向き車に1000 [[リットル|L]]級を1基ずつ搭載していたが、115系ではM'車のモハ114形に集約され、1000 L級が2基搭載された<ref name="福原2014_p26">福原俊一『115系物語』p.26</ref>。後の設計変更(昭和40年度民有車両)で[[国鉄103系電車|103系]]と同じ2000 L級の1基搭載に変更されている<ref name="福原2014_p38">福原俊一『115系物語』p.38</ref>。
 
Tc車のクハ115形はMC37形[[マスター・コントローラー]]<ref name="LCTA12-1349"/>を搭載するほか、偶数(上り)向き・奇数(下り)向き両方への方向転換が可能な両渡り構造を採用した<ref name="railfan20121111"/>。
 
== 形式 ==
本系列は同時期に製造された111系・113系とは異なり、すべて[[普通車 (鉄道車両)|普通車]]のみで製造された。
 
=== 新造形式 ===
; クモハ115形
: 主制御器・[[抵抗器#鉄道車両における抵抗器|主抵抗器]]を搭載する[[制御車|制御電動車]]<ref name="LCTA08-0961">[[#LCTA08-09|「JR普通列車年鑑 2008-2009」イカロスMOOK、p.61]]</ref>で、モハ114形とユニットを組む。急行形電車]]Mc車と異なり[[電動機]]冷却風取入口は、[[国鉄103系電車|クモハ103形]]などと同様に前位寄戸袋窓上部の設置としている。0番台は全車モハ114形800番台とユニットを組む<ref>[[鉄道ピクトリアル]]、電気車研究会、2009年7月号</ref>。全車が[[奇数]]([[東海道本線]]上で[[東京駅|東京]])向き。製造開始時からの当初に設計された形式ではなく、[[1966年]]に[[中央本線]]への投入の際に乗り入れ先となる[[富士山麓電気鉄道富士急行線|富士急行線]]乗り入れが3両編成までに制限されることていたため[[1966年]](昭和41年)から起こ製造された形式である<ref name="railfan20121111"/>
 
なお、0番台・300番台・1000番台・2000番台以外は改造形式で、500番台はモハ115形0番台、1500番台はモハ115形1000番台、5000番台・6500番台はクモハ115形をそれぞれ元車種とする。
 
; モハ115形
: 主制御器・主抵抗器を搭載する[[動力車|中間電動車]]<ref name="LCTA08-0961"/>で、モハ114形とユニットを組む。後述のモハ114形・クハ115形とともに製造開始時からの形式である。
 
; モハ114形
{{Sound|JRWJR sanyowest line115 rapid moha114-35141 kasaoka-daimontakamatsu.ogg|モハ114形の-0番台(モハ114-1)走行音|2007年12月30日 笠岡 - 大門}}
: [[電動発電機]](MG)や (MG) ・空気[[圧縮機|圧縮機]](CP)等 (CP) などの補助機器ならびにパンタグラフを搭載する中間電動車<ref name="LCTA08-0961"/>。クモハ115形またはモハ115形とユニットを組む。[[1965年]]製の83から、CPがそれまでのC-1000形×2台からC-2000形×1台搭載に変更されている。製造開始時からの形式である
 
; クハ115形
: 制御付随車<ref name="LCTA08-0961"/>一部を除き後位3位側隅にトイレを持つ設置する115ではCPをモハ114形に集約したため、0番台・300番台ではクハ111形のようなで実施されたCPの有無による番台区分はない。非冷房車の0番台は奇数・[[偶数]]双方向での使用が可能である。製造開始時からの形式である
 
; サハ115形
: 1966年(昭和41年)に製造開始された中間[[付随車]]<ref name="LCTA08-0961"/>[[1966年]]から登場した。0基本番台・300番台は後位3位側隅にトイレを備える。0番台は[[2005年]]に廃区分番台になってい設置す<ref name="railfan20121110"/>
 
=== 改造形式 ===
; クモハ114形
: 2両編成を組成するためモハ114形からの改造で登場した。電動発電機MG空気圧縮機CP等の補助機器とパンタグラフを搭載する制御電動車。クモハ115形と同様、前位台車用側主電動機冷却風取入口は前位側戸袋窓上部取付である。クモハ115形とユニット組む採用した
 
=== 1等車・グリーン車の導入計画と中止 ===
115系においても111系・113系と同様、[[一等車|1等車]]・[[グリーン車]]を導入する計画があったが、計画のみで終わった。
 
115系の最初の投入対象路線であった東北本線・高崎線では、置き換え対象となる一部の客車[[普通列車]]に1等車が組込まれていたため、最初期車の製造時に[[一等車|1等車]]のサロ115形を製造する計画があったが、見送られた<ref>[[#pict1986-2|鉄道ピクトリアル、電気車研究会、1986年2月号、p23]]</ref><ref name="railfan20121113"/>。戸閉機構を全自動式とし、車体・設備等はサロ111形とほぼ同一構造で計画されていた<ref name="福原2014_pp48-49">[[福原俊一 (電車発達史研究家)|福原俊一]] 「115系物語」pp.48-49</ref>。
 
その後、1980年(昭和55年)に[[宇野線]]の快速を宮原電車区(現・[[網干総合車両所]]宮原支所)の111系・113系から[[岡山電車区]]の115系へ置換える際、111系・113系のグリーン車を115系へ転用する改造計画が浮上した<ref name="福原2014_pp48-49" />。111系・113系当時の宇野線快速では定員48名でリクライニングシートを装備するサロ113形が運用されていたが、1980年に京阪神地区でグリーン車の連結が中止された<ref name="福原2014_pp48-49" />。しかし、これにより余剰となったグリーン車は115系に改造されることなく全車が廃車または関東地方に転出し、115系に置き換えられた宇野線快速はグリーン車なしの編成となった。
 
なお、宇野線快速は1988年の[[瀬戸大橋線]]開業により快速「[[マリンライナー]]」となり[[国鉄213系電車|213系]]に置き換えられた際に、東北・高崎線系統は[[JR東日本E231系電車|E231系]]に置き換えられた後の2004年にそれぞれグリーン車が導入されている<ref name="福原2014_pp48-49" />。
 
これより前の1970年(昭和45年)から約2年間にわたり、[[国鉄165系電車|サロ165-14・15]]が引通しを115系用に改造され、中央東線の急行「[[かいじ (列車)|かいじ]]」に使用されていたことがある。115系にグリーン車を組み込んで営業運行した唯一の例であったが、改番はなされず、165系のままであった。
 
== 新造車 ==
=== 基本0番台 ===
{{鉄道車両
{{vertical images list
| 車両名 = 0番台
|幅= 200px
| 背景色 = #000000
|1=JNR kuha115-1.jpg
| 文字色 = #ffffff
|2=クハ115-1
|3 画像 = JNR moha115kuha115-1.jpg
|4 画像説明 = 0番台B01編成クハ115-1
| 運用者 =
|5=JNR moha114-1.jpg
| 製造所 =
|6=モハ114-1
| 製造年 = 1963年 - 1971年
| 製造数 = 569両
| 車両定員 = ()内は着席。<br />クモハ115:120(68)<br />モハ115・114:128(76)<br />クハ115:116(64)<br />サハ115:124(72)
| 自重 = クモハ115: 39.1 t<br />モハ115: 37.4 t<br />モハ114: 36.7 t<br />クハ115 :29.8 t<br />サハ115: 27.7 t
| 全長 =
| 全幅 =
| 全高 = 4,140 mm
| 車体長 =
| 車体幅 =
| 車体高 = 3,654 mm
| 歯車比 = 17:82=1:4.82<ref name="railfan20121110"/>
| 備考 =
}}
[[1963年]]から1月31日に登場し、[[1971年]](昭和4645年)までの8年間にかけて569両<ref name="series115-14">[[#series115ikaros|「形式115系」イカロス出版、p.14]]</ref>が製造されたグループ
 
[[宇都宮運転所]]を皮切りに、[[新前橋電車区]](現・[[高崎車両センター]])・三鷹電車区(現・[[三鷹車両センター]])・小山電車区(現・[[小山車両センター]])へ新製配置された。宇都宮運転所の配置車は1966年7月に開設された小山電車区へ移管された<ref name="rp200907_p13" />。
* 客室窓部は、ユニット窓ではなく四隅に丸め処理がなされる。
* クモハ・クハ115形の前照灯は大型の白熱灯で、中間組み込み時には助士席側を折りたたみ客室(立席)への転換が可能である。
* クハ115形は、方向転換可能な両渡り構造を採用した。なお99- は、雨樋を乗務員室扉上まで延長し、最前部の通風気を大型な物にする設計変更が行われた。
* モハ114-98- と後述の800番台では、空気[[圧縮機]](CP)がMH113A-C2000Mに変更された。
* 広域波動輸送に対応する目的から製造され後述のモハ114-818 - 831とユニットを組むモハ115-94 - 107とクハ115-193 - 216・サハ115-25 - 30は、新製時からの横軽対策施工車である。
 
編成は東北・高崎線向けでは401系と同じく2M2Tの4両編成が基本となり、4両ユニット2本の基本8両編成と付属4両編成による12両編成が組まれた<ref name="福原2014_p20">福原俊一『115系物語』p.20</ref>。中央東線向けは富士急行線への乗り入れを考慮して3両編成を基本とし、3両編成2本の間に付随車2両を挟んだ8両編成が組まれており、この関係で新形式のクモハ115形とサハ115形が登場した<ref name="福原2014_p40">福原俊一『115系物語』p.40</ref>。1969年には東北・高崎線にサハ115形を含む7両編成が登場し、最大15両編成での運転が開始された<ref name="rp200907_p13" />。
[[宇都宮運転所]]<ref>宇都宮運転所へは1966年7月までの配置であり、以後は小山電車区への配置と変更になっている。また同時に宇都宮配置車は全車小山電車区へ転属となった。</ref>への新製配置を皮切りに、[[新前橋電車区]](現・[[高崎車両センター|高崎車両センター]])・三鷹電車区(現・[[三鷹車両センター]])・小山電車区(現・[[小山車両センター]])に配置された。後に新潟・静岡・岡山・下関の各地区にも転出したために分割民営化時には、JR東日本・JR東海・JR西日本に承継されており、現在も改造車を含み現存している。
 
客室窓部は111系同様の上段・下段上昇式で、ユニット窓ではなく四隅に丸め処理を実施した。全車とも当初は冷房装置は搭載せずに落成した<ref name="series115-14"/>。通風器は111系のグローブ型ではなく寒冷地を考慮した押込み式とされ、モハ115形に7個、モハ114形とクハ115形には6個が千鳥配置で設置された<ref name="rp200907_p11">編集部「115系電車のプロフィール」『鉄道ピクトリアル』2009年7月号、p.11</ref>。
 
電動発電機は容量20 [[キロボルトアンペア|kVA]]のMH97-DM61をモハ114形に1基、空気圧縮機 (CP) はMH80A-C1000形をモハ114形に2基搭載する<ref name="rp200907_p13">編集部「115系電車のプロフィール」『鉄道ピクトリアル』2009年7月号、p.13</ref>。当時は大容量タイプの空気圧縮機C2000形が開発途上であったことに起因するが、後年にC2000形1基への換装を可能とした設計を採用した<ref name="RM321 18">『Rail Magazine』321、2010年、ネコパブリッシング、p.18</ref>。
 
クハ115形は方向転換可能な両渡り構造を採用<ref name="railfan20121111"/>しており、[[ジャンパ連結器]]のKE58形2本は両方向に設置された<ref name="rp200907_p13" />。111系ではクハ111形のうち空気圧縮機搭載車が300番台となっていたが、115系では空気圧縮機がモハ114形に集約されたため、クハ115形には相当する番台区分がない<ref name="rp200907_p13" />。[[前照灯]]は大型の白熱灯で、空気笛には保温ジャケットが設置された<ref name="rp200907_p13" />。中間組み込み時には助士席側を折りたたみ客室(立席)へ転換可能な構造とされた。クハ115形では47- は雨樋を乗務員室扉上まで延長<ref name="series115-14" />、99- は最前部通風器が大型で落成した<ref name="kokutetsu63" />。
 
1966年の中央東線普通列車の一部電車化により中央東線向けの115系が投入されることになったが、富士急行線乗り入れへの対応からクモハ115形を含む3両編成となったほか、8両編成を組むためサハ115形も登場した<ref name="rp201511_p18">平石大貴「115系電車のあゆみ(I)」『鉄道ピクトリアル』2015年11月号、p.18</ref>。狭小トンネル対応のため低屋根車のモハ114形800番台も登場しており、低屋根車は中央東線用の三鷹電車区のほか波動輸送用として小山電車区にも配置された<ref name="rp201511_p17">平石大貴「115系電車のあゆみ(I)」『鉄道ピクトリアル』2015年11月号、p.17</ref>。広域波動輸送に対応する目的から製造されたモハ114-818 - 831・モハ115-94 - 107・クハ115-193 - 216・サハ115-25 - 30は新製時から横軽対策施工車である。
 
昭和40年度民有車の電動車ユニットモハ115・114-83- は、主制御器内部配線改良を実施したCS15B形に、空気圧縮機をMH113A-C2000M形1基搭載に変更された<ref name="RM321 18" />。昭和41年度第1次債務車のモハ115-94- は、主制御器を継電器無接点化を実施したCS15C形に変更された<ref name="RM321 19">『Rail Magazine』321、2010年、ネコパブリッシング、p.19</ref>。
 
昭和43年度本予算車のクハ115-215- ・モハ115-107- ・モハ114-831- は、耐雪性能を向上する設計変更が行われた。主制御器を[[応荷重装置]]準備工事ならびに耐雪構造強化を実施したCS15E形に変更、主電動機を耐寒構造強化を実施したMT54B形に変更された<ref name="RM321 19" />。車体は客室引き戸が[[ステンレス鋼|ステンレス]]化され、客室内ではクロスシート取手の形状が変更された<ref name="series115-14"/>。前面はAW-5形[[警笛#鉄道車両|空気笛]]へ耐雪シャッターが設置され、屋根上に[[電気機関車]]と同様のAW-2予備笛を追加した<ref name="kokutetsu63"/><ref name="series115-14"/><ref name="RM321 19" />。
 
昭和45年度第2次債務車のモハ115-127- は、主制御器を限流・減圧継電器などで無接点化したCS15F形に変更された<ref name="RM321 19" />。
 
後に新潟・静岡・岡山・下関の各地区にも転出したために分割民営化時にはJR東日本・JR東海・JR西日本に承継。2015年度までに改造車以外は廃車された。
{{Double image aside|right|JNR moha115-1.jpg|180|JNR moha114-1.jpg|180|モハ115-1|モハ114-1}}
* クモハ115-1 - 17
* モハ115-1 - 135
121 ⟶ 502行目:
* クハ115-1 - 228
* サハ115-1 - 37
{{-}}
<br style="clear:both"/>
 
==== モハ114形800番台 ====
{{vertical images list
{{Double image stack|right|JRE EC115-0 M'114-827 20080709 000.jpg|JRE EC115-0 M'114-827 20080709 001.jpg|200|上:モハ114-827<br/>下:車端低屋根部<br/>2008年7月 [[宇都宮駅|宇都宮]]}}
|幅= 200px
狭小断面[[トンネル]]が存在する中央本線では、レール面からのパンタグラフ折畳高さが3,980mmの制約が設けられていた。したがってモハ114形の4,140mmでは入線が不可能でPS16形パンタグラフの取付部分のみ屋根高さを180mm下げパンタグラフ折畳高さ3,960mmとした「低屋根車」として対応させることになり、801-の番台区分<ref>国鉄では800番台の番号区分を主に低屋根構造車に割当て、中央東線・[[身延線]]・[[篠ノ井線]]などのトンネル狭小区間で使用した。他の事例では、クモハ14形・クモハ40形・クモハ43形・クモハユニ44形・クモハ51形・クモハ60形・[[国鉄72系電車|72系]]・[[国鉄80系電車|80系]]・[[国鉄101系電車|101系]]・165系などに存在した。</ref>で製造された。
|1=JRE Moha114-827.jpg
|3=JRE EC115-0 M'114-827 20080709 001.jpg
|5=1988-4-10-moha114-831.JPG
|6=上:モハ114-827<br />中:車端低屋根部<br />下:モハ114-831
}}
狭小断面[[トンネル]]が存在する中央本線[[高尾駅 (東京都)|高尾]]以西では、レール面からのパンタグラフ折畳高さが4,000 mmの制約が設けられていた<ref name="福原2014_p40">福原俊一『115系物語』p.40</ref>。モハ114形の4,140 mmでは入線が不可能でPS16形パンタグラフの取付部分のみ屋根高さを180 mm下げパンタグラフ折畳高さ3,960 mmとした「低屋根車」として対応させることになり、801-に番台区分<ref group="注">国鉄では800番台の番号区分を主に低屋根構造車に割当て、中央東線・[[身延線]]・[[篠ノ井線]]などのトンネル狭小区間での運用に対応させたした。同例は[[国鉄モハ14形電車|クモハ14形]]・[[国鉄40系電車|クモハ40形]]・[[国鉄42系電車|クモハ43形・クモハユニ44形]]・[[国鉄51系電車|クモハ51形・クモハ60形]]・[[国鉄72系電車|72系]]・[[国鉄80系電車|80系]]・[[国鉄101系電車|101系]]・[[国鉄165系電車|165系]]などに存在するが、番台区分800は山の'''ヤ'''→8という説もある。</ref>され汽車製造・日本車輌・川崎車輌で31両が製造された<ref name="railfan20121111"/>。
 
低屋根部の室内天井には[[扇風機]]の代わりに[[換気扇]](ファンデリア)を設置し、低屋根肩部に外気取用の風道を設置しているた<ref name="railfan20121112"/>。他の仕様は同時期に製造された基本番台と同一だが車重が基本番台車に比較すると0.3 [[トン|t]]軽い36.4 tとなったほか、本区分とMM'ユニットを組成するクモハ115形・モハ115形は基本番台の続番<ref group="注">このため、基本番台のモハ114形+モハ115形のMM'ユニットは途中から同一車番どうし同士の組成ではなくなっている。</ref>で製造された。
 
のちに折畳高さの低い小型のPS23形<!--PS24型←PS24の登場は201系電車登場後-->パンタグラフが開発されたため、300番台以降の車両では、[[身延線]]用2600番台を除き低屋根構造は廃され通常の車体構造に統一された。
 
801-817は三鷹電車区新製配置車で1966年製造。クモハ115形とMM'ユニットを組成して中央東線・[[篠ノ井線]]で運用された。801・802は1985年に新前橋区に転出。分割民営化時には805 - 817とともにJR東日本に承継。802は1989年に豊田区に、801は1990年に北長野運転所(現・[[長野総合車両センター]])に再転出となるが、1991年にはともに[[事業用車|訓練車]]モヤ114-1・2へ改造された。1995年に2が、2000年に1が廃車され形式消滅した。
* モハ114-801 - 831
 
803・804は1985年に[[沼津機関区]](現・[[東海旅客鉄道静岡支社#沼津運輸区|沼津運輸区]])へ転出。1986年に静岡運転所(現・[[静岡車両区]])へ再転出となり分割民営化時にはJR東海に承継。803は1989年に、804は1991年に廃車となった。
:; 801-817(三鷹電車区新製配置車)
: 1966年に製造され、クモハ115形とMM'ユニットを組成して中央東線・[[篠ノ井線]]で運用された。その後805-817は、1986年11月に豊田電車区(現・[[豊田車両センター]])に転属となり[[国鉄分割民営化|分割民営化]]時にはJR東日本に承継。1990年に805が廃車となったものの残りの11両は2000年12月に松本電車区(現・[[松本車両センター]])に転属となっている。2001年以降、東北本線(宇都宮線)・高崎線への[[JR東日本E231系電車|E231系]]投入により捻出された300番台・1000番台車が松本区に転入したため、[[伊豆急行]]への譲渡車(808・810・812・815・817)以外は淘汰された(譲渡以降の詳細は後述)。
 
805 - 817は1986年11月に豊田電車区(現・[[豊田車両センター]])に転出。1990年に805が廃車となったが残りの11両は2000年12月に松本電車区(現・[[松本車両センター]])へ再転出。2001年以降は東北本線([[宇都宮線]])・高崎線への[[JR東日本E231系電車|E231系]]投入により捻出された300番台・1000番台の松本区転入により[[伊豆急行]]へ譲渡された808・810・812・815・817を除き廃車された。
:* 803・804は1985年に沼津機関区(現・[[東海旅客鉄道静岡支社#沼津運輸区|沼津運輸区]])に転属、さらに翌1986年には静岡運転所(現・[[静岡車両区]])に再転属となり、分割民営化時にはJR東海に承継。803は1989年に、804は1991年に廃車となっている。
 
818-831は小山電車区新製配置車で、1967年 - 1968年に製造。広域運用が想定される波動輸送対応名義から低屋根のほか横軽対策も併施された。三鷹配置車と異なる点は東北本線・高崎線系統の運用実態に合わせモハ115形とMM'ユニットを組成した。
:* 801・802は1985年に新前橋区に転属後、 802は1989年に豊田区に、801は1990年に北長野運転所(現・[[長野総合車両センター]])に転属となるが、1991年に[[試験車|訓練車]]モヤ114-1・2へ改造された。1995年に2が、2000年に1が2廃車されて形式消滅している。
 
818 - 821・824 - 826・828 - 830は1979年に[[御殿場線]]72系電車老朽取換用ならびに後の身延線運用<ref group="注">実際に身延線で運用されるようになるのは1984年の[[国鉄72系電車#モハ62形・クハ66形|モハ62形(2代)・クハ66形]]置換え後。</ref>も考慮した上で沼津機関区へ転出。分割民営化時にはJR東海へ承継。このうち821・824・825は1990年 - 1991年に工程簡素化のため、低屋根部分には冷房風道を設置せずファンデリアを残存させた上でC-AU711A形[[集約分散式冷房装置]]搭載改造工事を施工され5821・5824・5825に改番した。非冷房車を含め1999年までに全車廃車となった。
:; 818-831(小山電車区新製配置車)
: 1967年 - 1968年<ref>831のみ。</ref>に製造されたグループで、広汎な地域に運用する波動輸送へ対応するため低屋根車が要求されたための製造で横軽対策も併施されている。三鷹配置車と異なるのは、東北本線・高崎線系統の運用実態に合わせモハ115形とMM'ユニットを組成する。
 
831は耐雪性能向上の観点からステンレス製客用扉や手掛け形状などの設計変更<ref name="series115-14"/>が実施された唯一の1968年製造車である。上述したグループとともに1979年に沼津に転出されたが、1986年に岡山電車区へ再転出となりJR西日本へ承継。冷房化改造は未施工のまま1996年に廃車。
:* 1979年に[[御殿場線]]の72系電車老朽取換用として小山電車区から沼津機関区に115系電車を転配する際には、身延線での使用<ref>実際に身延線で本格的に運用されるようになるのは、1984年の[[国鉄72系電車#.E3.83.A2.E3.83.8F62.E5.BD.A2.E3.83.BB.E3.82.AF.E3.83.8F66.E5.BD.A2|モハ62形(2代)・クハ66形]]置き換え後である。</ref>を考慮し、818 - 821・824 - 826・828 - 831が転属している。これら沼津配置車は、831が1986年に[[岡山電車区]]へ転属となりJR西日本への承継されたほかはJR東海に承継されている。
 
小山区に残存した822・823・827は全車国鉄時代に冷房改造を施工されJR東日本に承継。822・823は2002年に廃車。豊田車両センター訓練車編成に組成されていた827も2014年1月28日に廃車となり、区分消滅した<ref name="rf140128"/>。
:* JR東海所属の821・824・825は、1990年 - 1991年にC-AU711D形[[集約分散式冷房装置]]を設置する改造工事を施工したが、改造工程簡素化のため低屋根部分には冷房風道を設けなかったためファンデリアが残存した。東海・西日本承継車は、1999年までに全車廃車となっており現存しない。
 
: 小山区に残った822・823・827(いずれも国鉄時代に冷房改造済み)はJR東日本に承継された。822・823の2両は2002年に廃車となり、豊田車両センターの訓練車編成に組込まれている827のみ現存する。
 
=== 300番台 ===
{{鉄道車両
[[File:JNR 115-300 suka-calor Tota.JPG|thumb|200px|300番台 横須賀色]]
| 車両名 = 300番台
[[1973年]](昭和48年)に製造を開始したモデルチェンジ車で、小山電車区・新前橋電車区・三鷹電車区に新製配置された。以下で基本番台からの変更点を解説する。
| 背景色 = #000000
| 文字色 = #ffffff
| 画像 = JNR 115-300 suka-calor Tota.JPG
| 画像説明 = 300番台M5編成([[猿橋駅]] - [[鳥沢駅]])
| 運用者 =
| 製造所 =
| 製造年 = 1973年 - 1977年
| 製造数 =488両
| 車両定員 = ()内は着席定員。<br />クモハ115:118(67)<br />モハ115・114:128(76)<br />クハ115:114(63)<br />サハ115:124(72)
| 自重 = クモハ115: 43.0 t<br />モハ115: 41.0 t<br />モハ114: 43.1 t<br />クハ115: 33.1 t<br />サハ115: 31.5 t
| 主電動機 = MT54D<ref name="kokutetsu75">[[#Kokutetsu|「国鉄車両形式集・4 直流系電車 近郊編」山と渓谷社、写真・広田尚敬、p.75]]</ref>
| 制御装置 = CS15F<ref name="kokutetsu75"/>
| 備考 =
}}
[[ファイル:JRE 115 Revival Kaiji 20121020.jpg|サムネイル|クハ115-398<br />拡大された乗務員室<br />ユニット窓に特徴]]
 
[[1973年]](昭和48年)当時の東北・高崎線系統では沿線の宅地化により通勤時間帯の混雑が激しくなり、混雑対策として急行形電車の165系・169系が間合い運用されていたが、2扉デッキ付きのため混雑に拍車がかかった<ref name="rp201511_p18" />。一方で1970年から113系に試作冷房車が登場し、1972年の113系1000番台で冷房化が確立されたことから、東北・高崎線の輸送力増強と[[急行形車両]]による間合い運用の解消用として冷房装置を搭載した115系が増備されることになり、1973年10月に登場したのが115系300番台である<ref name="railj20120791">鉄道ジャーナル、鉄道ジャーナル社、2012年7月号、p.91</ref><ref name="rp201511_p19">平石大貴「115系電車のあゆみ(I)」『鉄道ピクトリアル』2015年11月号、p.19</ref>。
 
300番台は1977年(昭和52年)までの5年間で488両が製造された<ref name="rp200907_p15">編集部「115系電車のプロフィール」『鉄道ピクトリアル』2009年7月号、p.15</ref>。小山電車区・新前橋電車区・三鷹電車区に新製配置されたが、1973年[[3月13日]]に発生した[[上尾事件]]をきっかけに、東北・高崎線の増発用車両が優先的に発注された<ref name="福原2014_p52">福原俊一『115系物語』p.52</ref>。
 
当初よりAU75C形[[集中式冷房装置]]<ref name="kokutetsu75"/>を搭載し、扇風機を廃止した<ref name="railfan20121114">[[国鉄115系電車#鉄道ファン|鉄道ファン、交友社、2012年11月号、p.14]]</ref>。冷房電源供給用に自車を含め最大4両に給電可能なMH135-DM92形・160 [[キロボルトアンペア|kVA]]電動発電機 (MG) (出力:三相交流440 [[ボルト (単位)|V]]) と関連機器をモハ114形に搭載した<ref name="railfan20121114"/>。このため車体中央後位側戸袋窓上部に電動発電機用冷却風取入口を設置した。主電動機は[[ISO規格]]化や軸受の密封化を行ったMT54D、主抵抗器は改良型のMR52Dが搭載された<ref name="rp201511_p20">平石大貴「115系電車のあゆみ(I)」『鉄道ピクトリアル』2015年11月号、p.20</ref>。
 
製造工数削減と保守省力化のため客室窓の組付け方法を変更し、別製造・後取付の外はめ式ユニット窓に変更された<ref name="LCTA12-1349"/>。側窓は上段引掛け上昇式・下段ラッチ上昇式で、下段も[[幕板]]に収納した場合、窓が全開となる。車体側面後位寄りに電動行先表示器([[方向幕]])取付準備工事を施工されたが、この取付部の窓は上段下降式となった<ref name="rp201511_p19" />。座席はロングシートの奥行きが520 mmから550 mmに拡大され、座り心地の改善が図られた<ref name="rp201511_p20" />。
 
[[操縦席|乗務員室]]は[[運転士]]側の空間が拡大され、乗務員室扉前に下降窓を新設した<ref name="railfan20121114"/>。助士側仕切戸を固定式に変更するとともに、仕切窓も小型化された<ref name="railfan20121114"/>。運転台機器配置を[[人間工学]]に基づいたものに変更した。
 
[[1972年]](昭和47年)に発生した[[北陸トンネル火災事故]]の教訓から、長大トンネル走行時の火災対策を強化する目的で[[地下鉄等旅客車#1969年5月15日付通達の火災対策基準|A-A基準]]に対応させるため、座席(表皮と詰め物)や床表面材などが難燃化された<ref name="railfan20121114"/>。[[断路器]]がモハ114形の屋上に設置され、[[配線]]の[[電線ダクト|ダクト]]化も図られた<ref name="railj20120790">[[#国鉄車両|鉄道ジャーナル、鉄道ジャーナル社、2012年7月号、p.90]]</ref>。
 
クハ115形は冷房電源用[[三相交流|三相]]引通用KE5形ジャンパ連結器を搭載したため、方向転換を考慮しない片渡り構造となり、奇数番号車は奇数向き、偶数番号車は偶数向きに固定された<ref name="railfan20121114"/>。前照灯は小型[[シールドビーム]]<ref name="railfan20121114"/>とされたほか、踏切事故時の乗務員の安全確保と車両損傷軽減のため前面部の外板厚さが強化された<ref name="rp201511_p19" />。
 
低圧制御回路引通用ジャンパ連結器をKE58形2基からKE76形3基に変更<ref group="注">後に基本番台・800番台の冷房改造車も施工時に統一された。</ref>。KE58・76形は互換性があるため在来車との混結は可能であり、増設された1基は冷房装置ならびに将来搭載される側面電動行先表示器の指令など新たに設置されたサービス機器制御用である。
 
1975年3月のダイヤ改正で中央東線客車普通列車の全面電車化用として新製投入されることになり、300番台で初となるクモハ115形が登場した<ref name="rp201511_p21">平石大貴「115系電車のあゆみ(I)」『鉄道ピクトリアル』2015年11月号、p.21</ref>。クモハ115形300番台は奇数向き固定であるため、McM'ユニットと編成を組成するクハ115形は偶数向きの偶数番号車446 - 496のみ製造となり、奇数番号車は欠番とされた<ref name="rp201511_p22" />。
 
中央東線狭小断面トンネル対策は従来の低屋根車ではなく、1973年の中央西線・篠ノ井線電化の際に開発された折畳み高さの低いPS23形パンタグラフの搭載で対応された<ref name="rp201511_p21" />。モハ114形の低屋根構造が不要となった<ref name="railfan20121115">[[#鉄道ファン|鉄道ファン、交友社、2012年11月号、p.15]]</ref>ため、800番台に相当する番台区分は存在しない<ref name="railj20120790"/>。モハ114形のPS23形搭載車のパンタグラフ折り畳み高さは、3,980 mmとなっている<ref name="福原2014_p58">福原俊一『115系物語』p.58</ref>。PS23形搭載車は車体側面の車号表記の前に◆マークを付記して識別し、[[碓氷峠#横軽対策|横軽対策]]施工車での識別マークは◆●と併記される。
* 当初よりAU75形[[集中式冷房装置]]を搭載し、[[扇風機]]を廃止した。
** モハ114形に自車を含め最大4両に給電可能な冷房電源供給用MH135-DM92形・160kVA電動発電機(MG)と関連機器を搭載した。車体では中央後位側戸袋窓上部に電動発電機用冷却風取入口を設置している。
* 低圧制御回路引通し用ジャンパ連結器をKE58形2基からKE76形3基に変更<ref>後に0・800番台の冷房改造車も施工時に統一された。</ref>。
** KE58・76形は互換性があるため在来車との混結は可能であり、増設された1基は冷房装置ならびに将来搭載される側面電動行先表示器([[方向幕]])の指令など新たに設置されたサービス機器制御用である。
* クモハ・クハ115形は、次の設計変更が行われた。
** 前照灯をシールドビーム式に改め小型化。
** [[操縦席|乗務員室]][[運転士]]側の面積が拡大され、乗務員室扉前に下降窓を新設。
** 運転台機器配置を人間工学に基づいた物に変更。
** 助士側仕切戸を固定式に変更するとともに仕切窓も小型化。
** クハ115形は、冷房電源用三相引通しにKE9形ジャンパ連結器を設置したために片渡り構造となり向きが奇数番号は奇数、偶数番号は偶数向に固定化された。また中央東線用三鷹電車区向け製造車ではMcM'ユニットと編成を組成させたために、偶数向きのみ製造となった関係から444 - 496の奇数番号車が欠番となった。
* 1972年に発生した[[北陸トンネル火災事故]]の教訓から、長大[[トンネル]]走行時の火災対策を強化する目的で[[地下鉄等旅客車|A-A基準]]に対応させるため、腰掛や床材などを難燃化。
* 中央東線の狭小断面トンネル対策としてパンタグラフの折畳み高さが低いPS23形が開発されたため、モハ114形は低屋根構造が不要となった。
** PS23形搭載車は車体側面の車号表記に◇マークを付記して識別し車両番号での区分はされない。
* 客室窓構造は製造工数・保守低減のため別製造・後取付のユニットサッシに変更。
* 車体側面後位寄に電動行先表示器取付準備工事を施工。
* 横軽対策を新造時から全車に施工。
 
製造開始と同時期に[[上尾事件]]が発生したため、通勤輸送の改善を目的に当初の製造予定数よりも大量に量産された。[[1977年]]まで製造されたのち、1000番台に移行した。
* クモハ115-301 - 326
* モハ115-301 - 418
* モハ114-301 - 444
* クハ115-301 - 496(445443・444 - 495の奇496(偶番号車のみ
* サハ115-301 - 330
 
=== 1000番台 ===
{{鉄道車両
{{vertical images list
| 車両名 = 1000番台
|幅= 200px
| 背景色 = #000000
|1=JNR 115-1000 shonan-calor Taka.JPG
| 文字色 = #ffffff
|2=1000番台 湘南色
| 画像 = JR East 115-1000 Jōetsu Line 6 cars 20170216.jpg
| 画像説明 = 1000番台T1043編成([[上牧駅 (群馬県)|上牧駅]] - [[後閑駅]])
| 製造年 = 1977年 - 1982年
| 製造数 =651両
| 車両定員 = 括弧内は着席定員<br />クモハ115:118(62)<br />モハ115:132(68)<br />モハ114:132(68)<br />クハ115 1001 - 1099:112(62)<br />クハ115 1101 - 1141:120(72)<br />クハ115 1142 - :114(65)<br />サハ115:120(72)
| 自重 = 左側は冷房準備車 右側は冷房車<br />クモハ115: 43.3/44.0 t<br />モハ115: 40.8/41.6 t<br />モハ114: 43.0/43.8 t
| 備考 =
}}
[[上越線]]・[[信越本線]]などの多雪地域で使用するため耐寒耐雪構造を強化した区分で、[[1977年]]から[[1982年]](昭和57年)まで製造された。300番台をベースとするが、以下の設計変更・改良が行われた。
 
* 4人掛クロスシートが[[客車]]のものよりも狭く評判が良くなかったため、他の国鉄近郊形電車に先駆けて座席の幅を930→1,040mm、間隔(シートピッチ)を1,420→1,490mmに従来の[[急行形車両]]並に拡大を行った「'''シートピッチ改善車'''」とした。これにともない側出入口間間隔の寸法と窓配置を変更した。
* 普通列車の冷房化が推進されていた時期にも関わらず、長野・新潟地区向け車は気候や経費節減のために冷房装置の設置スペースのみ確保される「冷房準備工事車」として落成した。
** AU75形集中式冷房装置取付部にふさぎ板を取付、車体天井部にも切欠部を化粧板でネジ止めした。冷房準備車については在来車は6個だった扇風機を7個、通風器を7個(モハ114形は6個)取付けた。
** これらの車両ものちに全車が冷房化されている。なお、JR化後に冷房化された車両は冷房方式が継承された会社で異なる(詳細は後述)。
* 客室暖房容量の向上が実施された。そのために冷房準備工事車も新造時から160kVA MGを搭載した。
* 客用扉は戸締機構の改良をおこない、半自動モードの人力による開閉時の負担を低減させた。
{{vertical images list
|幅= 200px
|1=Kumoha115-1035 snow separating room louver.jpg
|1=JNR 115@Panta.JPG
|2=モハ114形1000番台<br/>雪切室冷却風取入グリ<br/>画像右側ーバー
|3=Japanese-national-railways-moha114-1051-20110908.jpg
|4=モハ114-1051<br />PS35形シングルアームパンタグラフ搭載車
|5=Moha114-1067.jpg
|6=モハ114-1067
}}
上越線・信越本線では1972年3月のダイヤ改正より旧性能車の[[国鉄70系電車|70系]]、[[国鉄80系電車|80系]]が運用されていたが、新性能車の115系に置き換えられることとなった<ref name="福原2014_p68">福原俊一『115系物語』p.68</ref>。当初は115系300番台の冷房準備車が新製投入される計画であったが、北海道や東北で雪害による車両故障が多発していた背景もあり、積雪の多い地域に向けた耐寒耐雪装備の強化が必要とされた<ref name="rp201511_p22">平石大貴「115系電車のあゆみ(I)」『鉄道ピクトリアル』2015年11月号、p.22</ref>。一方で近郊形電車のクロスシートのピッチ拡大が要望されていたことから、これらの改良を取り入れた区分として、[[1977年]](昭和52年)12月に115系1000番台が登場した<ref name="rp201511_p22" />。
* クモハ115形・モハ115形・モハ114形の電動車では、浸雪対策として主電動機の冷却方式を変更。車体側妻部の取入口を廃止し、冷却風は1・4位側車端部に設置された「雪切室」に導く構造とした、
** 雪切室設置と同時に配電盤などを収めた扉も取付られことから、車端部は従来のボックスシート+3人掛けロングシートから5人掛けのロングシートに変更。
* クハ115形偶数向(クハ115-1001 -・1201 - )奇数向(クハ115-1101 - )に番号区分され、トイレは偶数向きの1001 -にのみ<ref>当時は国鉄電車の便洗面所数の削減方針が具体化され、近郊形電車では編成中の片方の制御車とグリーン車にのみ設置することとなった。</ref>設置とし、採光窓も小型化された。
** 後に奇数向きもクハ115-1142以降ではトイレ設置に設計変更。
* サハ115形のトイレを廃止。
 
[[1982年]](昭和57年)までの5年間で651両が製造された<ref name="rp200907_p18">編集部「115系電車のプロフィール」『鉄道ピクトリアル』2009年7月号、p.18</ref>。仙台地区向けに投入された[[国鉄417系電車|417系電車]]と設計思想の統一が図られたほか、1000番台の番台区分は耐寒耐雪性能で実績のある[[国鉄485系電車|485系1000番台]](1976年登場)のイメージを踏襲した<ref name="rp201511_p23">平石大貴「115系電車のあゆみ(I)」『鉄道ピクトリアル』2015年11月号、p.23</ref>。115系300番台をベースに以下の設計変更・改良が行われ<ref name="railfan20121117">[[#鉄道ファン|鉄道ファン、交友社、2012年11月号、p.17]]</ref>、この改良は後に登場する113系2000番台や[[国鉄415系電車|415系]]100番台に引き継がれた<ref name="railj20120790" />。
新潟地区への本区分番台投入により、捻出された初期製造車は広島地区へ転出したが、[[1984年]]の[[越後線|越後]]・[[弥彦線]]電化時の車両増備に再び静岡・山陽地区から初期車が転入したため、現在でも新潟地区には基本番台と本区分番台が混在した状態が続いている。
 
車体はクロスシートを座席幅930→1,040 mm、間隔([[座席#シートピッチ|シートピッチ]])1,420→1,490 mm{{Refnest|group=注|但し近郊型のクロスシートはドア間に2組しかないため、ロングシート側は座席中心ではなく外端で測っており、実質はそれぞれ1,400 mmと1,470 mmである。}}とする従来の急行形車両並{{Refnest|group=注|窓側の肘掛けを省略した点は急行形車両のボックスシートと異なる。}}に拡大を行った「シートピッチ改善車」とした。これにともない側出入口間間隔の寸法と窓配置を変更した<ref name="railfan20121117"/>。本アコモデーションは車内の予備灯は従来の白熱灯から蛍光灯に変更されたほか、客室暖房容量も向上された<ref name="福原2014_p69">福原俊一『115系物語』p.69</ref>。
クモハ115-1000番台+モハ114-1000番台ユニットは松本運転所(現・[[松本車両センター]])・同北松本支所・長岡運転所(現・[[長岡車両センター]])・新前橋電車区・三鷹電車区(1ユニットのみ)に限定新製配置であるが、モハ115-1000番台+モハ114-1000番台ユニット・クハ115-1000番台は岡山電車区や小山電車区にも配置されたため、信越本線・上越線のほか首都圏や[[伯備線]]などでも運用された。
 
車内への雪の侵入を防ぐため、電動車妻面の主電動機冷却風吸入口が廃止され、新たに1・4位側車端部に設置された[[ルーバー]]<ref name="railj20120789">[[#国鉄車両|鉄道ジャーナル、鉄道ジャーナル社、2012年7月号、p.89]]</ref>から雪切室を介して取り入れる構造に変更された<ref name="railfan20121117"/>。雪切室と同時に配電盤などを収めた機器室が対面となる2・3位側車端部に設置されたことから、電動車の車端部は5人掛けのロングシートに変更された<ref name="rp201511_p23" />。
1984年に、トイレ付の奇数向制御車クハ115-1148が偶数向に方向転換されてクハ115-1244に改番された。[[1991年]]と翌年、JR東日本が5両の追加改造を行っている。
: クハ115-1148・1142・1159・1144・1143・1158→クハ115-1244 - 1249
 
雪切室は車体側面のルーバーから新鮮外気を送り込み、雪切室内部の[[迷路]]状の風洞を通して雪を分離し、風洞端部のチリコシを通して主電動機冷却用の空気を供給する<ref name="福原2014_p79">福原俊一『115系物語』p.79</ref>。非常時には客室内に併設された吸入口への切り換えが可能となっている<ref name="福原2014_p79" />。
1997年([[平成]]9年)10月1日に信越本線軽井沢 - 篠ノ井が[[しなの鉄道]]に移管されたのに伴い、本区分番台3両編成(クモハ115+モハ114+クハ115)11本計33両がしなの鉄道に譲渡されている。
 
115系300番台ではクハ115形の向きが奇数番号・偶数番号で区分されていたが、1000番台では偶数向き車が1000番台(1001- ・1201- )、奇数向き車が1100番台(1101- )に区分された<ref name="rp201511_p25">平石大貴「115系電車のあゆみ(I)」『鉄道ピクトリアル』2015年11月号、p.25</ref>。当初はクハ115形偶数向き車の100両以上の増備が想定されていなかったが、実際には100両以上が増備されたため、1001 - 1099に続いて1201以降の飛び番号が付与された<ref name="福原2014_p76">福原俊一『115系物語』p.76</ref>。
JR東日本やJR西日本ではそれぞれ仕様が異なるものの、内・外装をリニューアルした車両も登場しているが、JR東海では313系3次車への置き換えによって後述の2000番台車も含めて全車廃車された。
 
登場時は国鉄電車の便洗面所数削減が具体化され、近郊形電車では編成中の片方の制御車とグリーン車にのみ設置する方針とされた<ref name="railfan20121117"/>。このためクハ115形のトイレは偶数向き1001- にのみ設置され<ref name="railfan20121117"/>、サハ115形はトイレを廃止した<ref name="kokutetsu88">[[#Kokutetsu|「国鉄車両形式集・4 直流系電車 近郊編」山と渓谷社、写真・広田尚敬、p.88]]</ref>。後にトイレ数削減の方針が見直され、クハ115形は奇数向き車も1142- ではトイレ設置に設計変更された<ref name="railfan20121120">[[#鉄道ファン|鉄道ファン、交友社、2012年11月号、p.20]]</ref><ref name="福原2014_p86">福原俊一『115系物語』p.86</ref>。
 
信越地区では電動車ユニット故障時を考慮して電動車比率が高く取られ、クモハ115形+モハ114形ユニットを含む5両編成・3両編成が組成された<ref name="福原2014_p79" />。クモハを含むユニットは松本運転所(現・松本車両センター)・同北松本支所・長岡運転所(現・[[長岡車両センター]])・新前橋電車区・三鷹電車区(1ユニットのみ)に新製配置された。
 
冷房車として設計され、中央東線と東北・高崎線、高崎地区の大半、岡山地区では冷房車として投入されたが、寒冷地の長野・新潟地区、および高崎地区の一部車両では「冷房準備工事車」で落成した<ref name="railfan20121117"/>。冷房車では300番台と同じく集中式のAU75C形が搭載されたが、冷房準備車は113系1000番台の冷房準備車と同じく冷房装置取付部にふさぎ板を取付、車体天井部にも切欠部を化粧板でネジ止めした<ref name="railfan20121117"/>ほか、在来車では6基だった扇風機・通風器を7基(モハ114形は6基)に増設した<ref name="rp201511_p24" />。
 
暖房容量が向上したことや冷房改造時の出戻りを防ぐため、電動発電機は冷房車・冷房準備工事車とも新造時から容量160 kVAのMH135-DM92を搭載した<ref name="rp201511_p24" />。空気圧縮機は183系1000番台や485系1000番台でも採用されたMH113B-C2000M形が搭載された<ref name="rp201511_p24" />。ジャンパ連結器は冷房電源用KE5(三相)と冷房制御用KE76も設置された<ref name="kokutetsu77">[[#Kokutetsu|「国鉄車両形式集・4 直流系電車 近郊編」山と渓谷社、写真・広田尚敬、p.77]]</ref>。
 
客用扉は半自動ドアの手動開閉が重く開けにくいとの意見があったため、従来のTK8形をベースに軽く手動開閉できるよう改良されたTK8A形ドアエンジンが搭載された<ref name="rp201511_p24">平石大貴「115系電車のあゆみ(I)」『鉄道ピクトリアル』2015年11月号、p.24</ref>。戸締機構の改良により、半自動時の人力による開閉時負担を低減した<ref name="railfan20121117"/>。
 
乗務員室はユニット運転台方式を取りやめ、車体と一体の骨組みとして対衝撃強化を図った<ref name="rp201511_p25" />。貫通扉の隙間風を防止するため、415系0'番台で試行された運転室開戸の膨張性[[シール (工学)|シールゴム]]を使用した<ref name="railfan20121118"/>。暖房容量も向上されており、冬期に乗務員が電気座布団や電気ストーブを運転室内に持ち込む手間が解消された<ref name="福原2014_p76" />。
 
乗務員室の運転台側(2位側)の下降小窓がクハ115はクハ115-1013から、クモハ115はクモハ115-1014からユニット化されており、それまでのクハ115-1001〜1012、クモハ115-1001〜1013は300番台と同じ非ユニットの下降小窓となっている。ちなみにクハ115形1000番台とは連結方向が反対向きになる奇数向き車のクハ115形1100番台は全車ユニット下降小窓となっている。
 
台車は電動台車がDT21B、付随台車がTR62Aを装着する<ref name="rp201511_p24" />。軸ばねと枕ばねは防雪カバーで覆われ、下揺れ枕は積雪防止のため揺れ枕梁に穴が開けられた<ref name="rp201511_p24" />。パンタグラフは中央東線向けと長野・松本地区向けがPS23A形を、新潟・高崎・岡山地区向けは耐雪カバーが付いたPS16J形を搭載した<ref name="rp201511_p25" />。
 
ブレーキ装置は485系1000番台と同じくブレーキ制御装置や電磁弁がユニット化により集約され、付着した雪の落下による飛び石による破損防止が図られた<ref name="rp200907_p18" /><ref name="福原2014_p70">福原俊一『115系物語』p.70</ref>。[[軽井沢駅]]や[[小淵沢駅]]など極寒冷地での[[夜間滞泊]]による水管割損を避けるため、485系1000番台で採用された自動給排水装置を搭載し、凍結防止のため給水管の水が自動的に水タンクに戻るようにした<ref name="railfan20121118">[[#鉄道ファン|鉄道ファン、交友社、2012年11月号、p.18]]</ref>。
 
1982年7月の[[伯備線]]電化名目で製造された昭和55年度第2次債務車(クハ115-1233- ・1149 - /モハ115-1107- /モハ114-1191- )からは、屋根布が[[ポリウレタン]]樹脂塗屋根に設計変更された<ref name="RM321 20">『Rail Magazine』321、2010年、ネコパブリッシング、p.20</ref>。引き続き伯備線増備目的で製造された昭和56年度第1次債務落成車(クハ115-1236- ・1152- /モハ115-1113- /モハ114-1197- )では、外板腰板部やAU75G形集中式冷房装置キセ(カバー)のステンレス化などさらなる腐食防止対策が施工された<ref name="MITSUBISHI1982-11"/><ref name="railfan20121121"/><ref name="RM321 20" />。
 
従来の絶縁屋根布は剥がれた箇所から雨水が入り込み腐食するという問題点があったが、[[国鉄185系電車|185系]]でポリウレタン樹脂を重ね塗りし[[滑り止め]]の[[石英|珪砂]]を付ける塗屋根方式が試験的に採用された。この方法は車両重量増加やコスト増大を招くが、腐食防止の点で優れていたことから、[[国鉄201系電車|201系]]などの新形式車や後に行われる特別保全工事車でも採用されている<ref name="RM321 20" />。
 
冷房準備車は後に全車冷房化されたが、JR化後の施工車両は冷房装置が継承された会社で異なっている。
* クモハ115-1001 - 1084
* モハ115-1001 - 1127
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* クハ115-1001 - 1099・1201 - 1243・1101 - 1159
* サハ115-1001 - 1028
 
また、1000番台を改造した1500番台も存在しており、しなの鉄道に配置されている。
 
=== 2000番台 ===
{{鉄道車両
[[国鉄80系電車|80系電車]]などの旧形電車を置き換える目的で[[1977年]]から1000番台と並行して製造された番台区分である。[[山陽本線]]広島地区に投入されたグループと[[身延線]]に投入されたグループに分かれる。1000番台との相違点を以下に示す。
| 車両名 = 2000番台
| 背景色 = #000
| 文字色 = #fff
| 画像 = JNR 115 Hiroshima L-14.jpg
| 画像説明 = 2000番台 広島更新色
| 製造年 = 1977年 - 1981年
| 製造数 =147両
| 車両定員 =
| 自重 = クモハ115:42.3<br />モハ115:41.6<br />モハ114:43.8・42.3(2600番台)<br />クハ115:32.8/34.3(2000番台) 33.4(2101 - 2121) 32.8(2122 - )
| 備考 =
}}
[[ファイル:L25_Tc115-2127_680.jpg|サムネイル|身延線用のクハ115-2127]]
 
[[山陽本線]]の岡山・広島地区には1970年代後半の時点で東北・高崎線への115系300番台・1000番台投入で捻出された115系0番台の転入が開始されていたが、80系をはじめとした旧形電車も残存していた<ref name="rp201511_p26">平石大貴「115系電車のあゆみ(I)」『鉄道ピクトリアル』2015年11月号、p.26</ref>。80系の置き換え用として岡山地区には115系1000番台が新製投入されたが、気候が温暖な広島地区では1000番台相当の耐寒耐雪装備が必要ないことから、耐寒耐雪構造を300番台並みに簡略化した2000番台が[[1977年]](昭和52年)3月に登場した<ref name="rp201511_p27">平石大貴「115系電車のあゆみ(I)」『鉄道ピクトリアル』2015年11月号、p.27</ref>。2000番台の番台区分は113系2000番台に合わせたシートピッチ改善車として付与された<ref name="福原2014_p78">福原俊一『115系物語』p.78</ref>。
* 温暖地域で使用するため耐寒・耐雪構造は0・300番台並に軽減された。
** スノープロウは全先頭車装備としたが、電動車の「雪切室」は省略。主電動機冷却風は従来通り車体外妻部から採風する方式としたが、切替装置によって客室内からも吸気が可能なようにされている。
* 制御車クハ115形は偶数向(クハ115-2001-)奇数向(クハ115-2101-)の2区分が製造され、トイレは2001 -に設置した。
* 本区分ではサハ115形は製造されていない。
* 長野地区での運用を考慮していないため、後述の3000番台とともに横軽対策は未施工。
 
1000番台と並行して増備され、1978年から[[1981年]](昭和56年)の4年間にかけて147両が製造された<ref name="rp200907_p19">編集部「115系電車のプロフィール」『鉄道ピクトリアル』2009年7月号、p.19</ref>。2000番台ではサハ115形の製造はない<ref name="railfan20121122"/>。
{{vertical images list
|幅= 200px
|1=JNR 115 Hiroshima L-14.jpg
|2=2000番台広島地区投入車<br/>L編成
|3=L25_Tc115-2127_680.jpg
|4=クハ115-2127<br/>身延線投入車
}}
; 広島地区投入車
1977年(昭和52年)から翌年にかけて山陽本線の姫路以西に使用するため広島運転所に配置されたグループは、6両編成(TcMM'MM'Tc')×8本・4両編成(TcMM'Tc')×13本の電動車29ユニットと制御車21組の計100両が製造された。このグループは、全車が新造時から冷房装置を搭載している。
 
温暖地域で使用するため、耐寒・耐雪構造は基本番台・300番台並に軽減された<ref name="railfan20121122">[[#鉄道ファン|鉄道ファン、交友社、2012年11月号、p.22]]</ref>。クロスシートのシートピッチは115系1000番台と同じく1,490 mmに拡大されたが、1000番台にあった電動車の「雪切室」は省略されており<ref name="RM321 20" />、車端部の座席は115系300番台と同様のクロスシートとなった<ref name="rp201511_p27" />。主電動機冷却風は従来通り車体外妻部から採風する方式としたが、切替装置によって客室内からも吸気が可能にされた<ref name="railfan20121122"/>。強化型[[排障器]]および[[スノープロウ]]は全先頭車装備とした。
; 身延線投入車
[[1981年]](昭和56年)には身延線の旧形電車置き換え用にクモハ115形+モハ114形が13ユニット、これに対応するクハ115形が偶数向車13両(2022 - 2034)4両編成組成用の奇数向車(2122 - 2129)の計47両が製造され沼津機関区に配置された。塗装は甲州ぶどうをイメージしたワインレッド([[赤2号]])地に[[富士山]]の雪をイメージした白([[クリーム10号]])の粘着[[ポリ塩化ビニル|塩ビ]]テープを使用した帯を採用し、後に国鉄車両の地方色の先駆としても言われるようになった。広島地区投入車との相違点を以下に示す。
 
クハ115形は偶数向きを2001- に、奇数向きを2101- に区分した<ref name="railfan20121122"/><ref name="kokutetsu69"/><ref name="RM321 20" />。トイレは当初は偶数向き車にのみ設けられていたが、1981年以降の増備車より奇数向き車にも設置された<ref name="rp200907_p19" />。
* 本グループは3両編成でも運用することから、対応したクモハ115形が本番台としては初めて製造された。
* 地方線区であることと、当時の国鉄の財政事情から冷房装置の搭載は見送られ、1000番台の一部車両同様冷房準備構造で落成したが、新造時から160kVAMGを搭載している。
* モハ114形はPS23A形パンタグラフでも対応できない狭小限界トンネルに対応した2601-の新区分としている(詳細は後述)。
* 奇数向制御車にもトイレが設置<ref>ただし、身延線時代は業務室扱いとして閉鎖されていた。</ref>された。
 
台車は115系1000番台と同じく電動台車がDT21B、付随台車がTR62Aであるが、枕バネの防雪カバーは省略された<ref name="rp201511_p27" />。パンタグラフは115系300番台と同様にPS16形が、電動発電機は115系1000番台と同様に容量160 kVAのMH135-DM92が搭載された<ref name="rp201511_p27" />。
[[1983年]](昭和58年)には、越後線・弥彦線電化開業用に身延線の奇数向制御車8両が新潟運転所に転出し、トイレ付の車体を活かして偶数向に方向転換された
* クハ115-2122・2125→2035・2036
: 新潟地区の制御車は、その後[[1986年]](昭和61年)に1両、[[1988年]](昭和63年)と翌年にも追加改造されて2129を残してすべて偶数向に方向転換されている。またこれらの中にはJR化後にAU712系列のクーラーを搭載し、屋根上のイメージが後述の身延線に残った車と似ているものも存在する。ただしJR東海の車両と異なり、こちらは改造時にふさぎ板を外したうえで、改めてその部分の天井を施工している。
 
山陽本線[[姫路駅|姫路]]以西に使用するため[[広島運転所]]に配置されたグループは、6両編成(TcMM'MM'Tc')×8本・4両編成(TcMM'Tc')×13本の電動車29ユニット58両と制御車42両の計100両が製造された。この投入で山陽地区の70系・80系は運用を終了し、新性能化が完了した<ref name="railfan20121122"/>。全車が新造時から冷房装置を搭載しており、クハ115-2001 - 2021は[[列車便所#汚物処理方式の展開|循環汚物処理装置]]を搭載した。
[[1987年]](昭和62年)の国鉄分割民営化に際しては、広島地区の100両がJR西日本に、身延線の39両がJR東海に、新潟地区の8両がJR東日本に承継された。
 
1981年には身延線が新性能化されることになり、旧性能車はアコモデーション改造車の62系を除いて115系の新製投入で置き換えられることになった<ref name="rp201511_p27" />。同年7月に身延線の旧形電車置換え用にクモハ115形+モハ114形が13ユニット26両、クハ115形は3両編成組成用偶数向き車13両 (2022 - 2034) ならびに4両編成組成用奇数向き車8両 (2122 - 2129) の計47両が製造され、沼津機関区に配置された。広島地区投入車との相違点を以下に示す<ref name="railfan20121123">[[#鉄道ファン|鉄道ファン、交友社、2012年11月号、p.23]]</ref>。
JR東海所属車は、改造費用の削減のためすべて集約分散式C-AU711A形×2基によって冷房化された。電源は既設のMGを使用したことから改番はされなかったが、AU75用ふさぎ板はそのまま残された。また、制御車運転台部に大型通風器を装備していた車両についても通常の押込型へ交換されていない。
 
身延線用は3両編成での運用に対応させるため、クモハ115形も製造された<ref name="railfan20121122"/>。クモハ115形は奇数向き固定仕様である<ref name="rp200907_p20" />。身延線にはPS23A形パンタグラフでも対応できない狭小限界トンネルがあるため、モハ114形はパンタグラフ部の屋根を20 mm切り下げた2600番台(2601 - )の新区分で落成した<ref name="rm115">[http://rail.hobidas.com/photo/archives/2008/10/115_1142600_1.html 随時アップ:消えた車輛写真館 115系 モハ114形2600番代 (JR電車)] - 鉄道ホビダス</ref><ref name="福原2014_p88">福原俊一『115系物語』p.88</ref>。
 
塗装は甲州ぶどうをイメージしたワインレッド([[赤2号]])<ref name="rm115"/>地に[[富士山]]の雪をイメージした白([[クリーム10号]])<ref name="kokutetsu83">[[#Kokutetsu|「国鉄車両形式集・4 直流系電車 近郊編」山と渓谷社、写真・広田尚敬、p.83]]</ref>の粘着[[ポリ塩化ビニル|塩ビ]]テープ<ref name="rm115"/>を使用した帯を採用し、後に国鉄車両の地方色の先駆としても言われるようになった<ref name="rm115"/>。国鉄での帯塗装の粘着テープ化は身延線仕様が初採用であり、後の103系1500番台や115系3000番台の新造時にも同様の方式が採用された<ref name="福原2014_p88" />。
 
地方線区用であることと当時の国鉄財政事情から冷房装置の搭載は見送られ、1000番台車の一部と同様に冷房準備工事仕様とし、扇風機搭載<ref name="rm115"/>の上で落成したが<ref name="kokutetsu59">[[#Kokutetsu|「国鉄車両形式集・4 直流系電車 近郊編」山と渓谷社、写真・広田尚敬、p.59]]</ref>、新造時から160 kVA MGを搭載した<ref name="rm115"/>。側面行先表示器および循環汚物処理装置は準備工事で落成したが、民営化後に搭載された<ref name="rm115"/>(クハ115-2022 - 2030・2034は表示器搭載未施工)。
 
屋根は伯備線用1000番台車と同様のポリウレタン樹脂塗屋根で落成した<ref name="RM321 20" />。近郊形電車のトイレ数見直しに伴い、クハ115形は奇数向き車にもトイレが設置された<ref name="rp201511_p29">平石大貴「115系電車のあゆみ(I)」『鉄道ピクトリアル』2015年11月号、p.29</ref>。身延線での運用開始当初はクハ同士を背中合わせにした編成でトイレが隣り合っていたため、奇数向き車のトイレは業務室扱いとして閉鎖されていた<ref name="rp201511_p30" />。
 
1984年に身延線用クハ115形の一部が新潟地区に転用され、耐寒耐雪強化改造が施工された。[[1987年]](昭和62年)の国鉄の分割民営化時には、広島地区の100両がJR西日本に、身延線の39両がJR東海に、新潟地区の8両がJR東日本に承継されている。
 
JR西日本では体質改善工事の対象車となっており、内・外装が大幅に変更されたものも登場している。
* クモハ115-2001 - 2013
* モハ115-2001 - 2029
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==== モハ114形2600番台 ====
1981年に登場した。身延線は[[1941年]](昭和16年)に[[私鉄]]である富士身延鉄道を買収した経緯からトンネル内の[[架線]]高さが低く、レール面からパンタグラフ折畳高さが中央東線の3.980mm,980 mmよりさらに低い3,960mmの960 mmと言う制約が設けられていあった。のためモハ114形300・1000番台PS23A形取付車の3,983mm983 mm絶縁距離の確保ができないことから、パンタグラフ取付搭載部分屋根形状を車体長手方向約2,750mm750 mmわたって20mm渡り20 mm切下げパンタグラフの折畳高さレール面から3,960mm960 mmとしたための番台区分番台である。それ以外の車内構造は他の2000番台車との差異はない<ref name="railfan20121122"/>1981年(昭和56年)13両が製造され<ref>[[#series115ikaros|「形式115系」イカロス出版、p.58]]</ref>全車沼津機関区からに配置。後に静岡運転所(現・静岡車両区に転出<ref name="rm115"/>ているが2007年3月18日実施のダイヤ改正をもって定期運用が終了し、2008年までJR東海全車とも廃車になっ承継されている。
* モハ114-2601 - 2613<ref name="rm115"/>
 
=== 3000番台 ===
{{鉄道車両
{{vertical images list
| 車両名 = 3000番台
|幅= 200px
| 背景色 = #000
|1=JNR kuha115-3101.jpg
| 文字色 = #fff
|2=3000番台 瀬戸内色
| 画像 = JNR kuha115-3101.jpg
|3=Hiroshima New Rapid Collar.JPG
|4 画像説明 = 3000番台 広島快速瀬戸内<br/>(現在は消滅)
| 製造年 = 1982年 - 1983年
| 製造数 = 66両
| 車両定員 = ()内は着席定員<br />モハ115・114:124(68)名<br />クハ115:3000番台 - 96(57)名<br />3100番台 - 108(61)名
| 自重 = 左側は冷房準備車 右側は冷房車<br />モハ115: 41.3 t<br />モハ114: 44.3 t<br />クハ115: 3000番台 - 34.5/35.0 t<br />3100番台 - 32.4/33.1 t
| 備考 =
}}
[[1980年代]]国鉄では山陽本線広島地区の列車編成を6両から4両に短縮し、その代わりに列車運転本数を増やすことでサービス向上を図る「[[広島シティネットワーク|ひろしまシティ電車]]」の導入方針を打ち出した([[1982年11月15日国鉄ダイヤ改正]]・[[1984年2月1日国鉄ダイヤ改正]]も参照のこと)。そのための列車増発と広島地区では[[国鉄153系電車|153系電車広島駅]]の置き換えを目的として、 - [[1982年岩国駅]]から製造された番台区分ある。全車新造車従来46両編成6本24両(3001 - 3006)のほ20分間隔、上記の編成短縮で捻出されたモハ111・110形を組込んで新たな4両編成を組成15分間隔とするための制御車15組30両(3007 - 3021)輸送改善製造試行された。翌年には増備の電動車6ユニット12両(3007 - 3012)が製造され、本グループの総数は66両ることとなった<ref name="福原2014_p100">福原俊一『115系物語』p.100</ref>
 
また、主に山陽本線広島以西で運用されていた153系の老朽化による置換えも計画されていたこと、[[広島電鉄]]や[[バス_(交通機関)|バス]]など競合交通機関との対抗策や、[[厳島|宮島]]などの観光地を控える点も考慮して転換クロスシートを採用するなどの設計変更が加えられることとなった<ref name="福原2014_p100">福原俊一『115系物語』p.100</ref><ref name="rp201511_p30">平石大貴「115系電車のあゆみ(I)」『鉄道ピクトリアル』2015年11月号、p.30</ref>。このため新たに設定された番台区分が3000番台である<ref name="railj20120791"/>。
台車や主制御器等の走行装置は従来の115系と同様であるが、車体及び車内は他輸送機関との競合や著名な観光地が存在する点を考慮して、従来車と全く異なり[[国鉄117系電車|117系電車]]に近い構造となっている。以下に相違点を示す。
* 車体は先頭形状は他の115系と同じだが、ガラスの支持方法は従来からのHゴムを廃して金属押え式とした。
* 側扉は両開2扉とした。
* 運用線区が広島地区であることから、新製当初より先頭車のスノープロウは装備しない<ref>この後改造で登場するクハ115-550・600・650番台広島地区用も同様</ref>。
* 車内は117系と同様の転換クロスシートが採用されたが、クハ115形3000番台のトイレの向い側のみ固定クロスシートとしたほか、車端部及び戸袋窓部はロングシートとした。
* 閑散区間・時間帯での車掌業務に配慮し、扉の開閉は、編成中のどの運転台からでも操作が可能な設計となっている<ref name="rf198211"/>。
* 従来の115系はモハ114形にのみCPを搭載していたが、111系との混結時にモハ110形のCPだけでは容量が不足するため、クハ111形300番台に相当する偶数向(下関方)先頭車のクハ115形3000番台にはC-1000形CPを搭載。
* MGは保守の省力化を図るため、ブラシレス式の容量190kVAのものをモハ114形に搭載。
* 短編成化に伴う1ユニット運転における[[冗長化|冗長性確保]]の観点から、パンタグラフはモハ114形に2基搭載<ref>ただし、予備のため両パンタ間は母線で接続されていない。</ref>し、制御用の電源はモハ115形に搭載したバックアップ用電源の[[静止形インバータ|SIV]]から調達している<ref name="rf198211">
{{cite book|和書
|year=1982
|month=11
|title=鉄道ファン
|publisher=交友社
}}
</ref>。
* 当初111系と編成を組成するクハ115形は、以下の装備も追加されている。
** 電動車ユニットが非冷房かつ電源用大型MGが搭載されないため冷房準備車として製造されたが、老朽化の進行した111系の淘汰に伴い近い将来115系冷房車と振替えることを考慮し、天井風道を設け一部に凹みを設けて扇風機を設置し、運転台後部の押込式通風器も大型に代えて一般型の押込通風器を搭載するなど、従来より準備工事の程度を進めた。
** 運転台には111系と115系の切替スイッチを設け、抑速制動や客用扉の半自動扱いなどの制御回路の読み替え有無をワンタッチで切り替えられるようにした<ref name="rf198211"/>。
** これらの編成はその後、中間車が3000番台追加製造車や冷房改造済の0番台車<ref>後に2000番台電動車に置換。</ref>に取替られたことから、[[1983年]]から[[1985年]]にかけて全車が冷房装置を搭載する工事を施工しており、現在では117系からの編入改造車(3500番台)と編成を組む車両もある。
 
115系3000番台は、[[1982年]](昭和57年)11月ダイヤ改正用に4両編成6本と上述の編成短縮で捻出された111系モハ111・110形を転用した4両編成組成用クハ115形15組が製造された。115系3000番台単独の4両編成は冷房車、111系電動車と混結のため先頭車のみ製造されたグループは冷房準備車となった<ref name="rp200907_p20">編集部「115系電車のプロフィール」『鉄道ピクトリアル』2009年7月号、p.20</ref>。
広島地区の車両はリニューアルに伴い、通称「広島快速色」から「広島リニューアル色」への変更が進められている。組替当初は中間車も広島快速色に変更されたが、現在は瀬戸内色に再変更されている。ただし編成を組む都合で、瀬戸内色に塗装された体質改善車や体質改善色に塗装された体質改善工事非施工車もある。これらの編成はC編成を名乗り、下関の0・300・2000番台と共通運用されている。
 
2008年(平成20年)7月からN-21編成がリニューアルされ、広島快速色は消滅した。
前面形状や主要機器類は115系2000番台からの踏襲であるが、車体側面や車内は[[国鉄117系電車|117系]]に近い構造とされた。客用扉は両開2扉<ref name="railfan20121125">[[#鉄道ファン|鉄道ファン、交友社、2012年11月号、p.25]]</ref>、側窓は2連タイプとなった<ref name="ikarosJNR23">[[#ikarosJNR vol.1|「現役国鉄型大研究」イカロスMOOK、p.23]]</ref>。側窓は117系のバランサー付き上段下降・下段上昇式ではなく、115系2000番台同様の2段上昇式である。先頭形状は在来車と同じだが、ガラス支持方法をHゴムから金属押え式に変更された<ref name="railfan20121126"/>。側面の電動行先表示器は新製時より設置され、連結部で隣り合うのを防ぐため201系と同じく千鳥配置とされた<ref name="rp201511_p31">平石大貴「115系電車のあゆみ(I)」『鉄道ピクトリアル』2015年11月号、p.31</ref>。
* モハ114-3001 - 3012
 
クハ115形は奇数・偶数により向きが固定され、[[神戸駅 (兵庫県)|神戸]]方奇数向き車が3100番台、下関方偶数向き車が3000番台となった<ref name="rp201511_p33">平石大貴「115系電車のあゆみ(I)」『鉄道ピクトリアル』2015年11月号、p.33</ref>。下関方偶数向き車(3000番台)にトイレを設置<ref name="kokutetsu71">[[#Kokutetsu|「国鉄車両形式集・4 直流系電車 近郊編」山と渓谷社、写真・広田尚敬、p.71]]</ref>している。閑散区間・時間帯での車掌業務を考慮し、客用扉の開閉は編成中のどの乗務員室からでも行えるようにした<ref name="rf198211"/>。運用線区が広島地区であることから、新製当初よりスノープロウは装備しない。
 
車体塗装は[[クリーム1号]]をベースに[[青20号]]の帯を巻く通称「瀬戸内色」が初めて採用された<ref name="rf111023"/>。青帯は[[瀬戸内海]]をイメージしたもので、粘着テープによりアクセントとして貼られた<ref name="rp200907_p20" />。瀬戸内色は山陽地区の標準塗装として広まり、3000番台以外の車両にも採用された<ref name="rp201511_p92">「115系カラーバリエーション」『鉄道ピクトリアル』2015年11月号、p.92</ref>。
 
車内は117系と同様の[[鉄道車両の座席#転換式クロスシート(転換腰掛)|転換クロスシート]]とした。ただしクハ115形のトイレ向かい側のみ形状を揃えた固定クロスシートで車端部および戸袋窓部はロングシートである<ref name="railfan20121125"/><ref name="railfan20121126"/>。天井は2000番台に準じており、冷房吹出口はラインフロー式を採用する117系とは大きく異なる。また117系で採用された照明灯カバーも省略されたほか、窓枠も117系0番台と同じく角ばった外はめ式のユニット窓である<!-- 隅丸加工の窓は1段下降式の窓を採用した117系100・200番台のみ。 -->。車内の化粧板は415系500番台と同様のクリーム色、座席モケットもロームブラウンの暖色系とされた<ref name="rp200907_p20" />。
 
台車は従来の115系同様の金属ばね台車で、電動台車がDT21B、付随台車がTR62Aである<ref name="rp200907_p20" />。主電動機はMT54D、主制御器はCS15Fが搭載された<ref name="rp200907_p20" />。空気圧縮機はモハ114形にC-2000M形が搭載されたほか、111系との混結を考慮してクハ115形偶数向き車にC-1000形を搭載した<ref name="railfan20121126">[[#鉄道ファン|鉄道ファン、交友社、2012年11月号、p.26]]</ref>。
 
当時は電動車1ユニットのみによる運転の事例が少なく、短編成化に伴う1ユニット運転における[[冗長化|冗長性確保]]が図られた。MGは保守省力化を図り、201系や185系でも採用されたブラシレス式MGを採用<ref name="福原2014_p108">福原俊一『115系物語』p.108</ref>、モハ114形にDM106(容量190 kVA)を搭載した<ref name="railj20120792">[[#国鉄車両|鉄道ジャーナル、鉄道ジャーナル出版、2012年7月号、p.92]]</ref>。制御用電源のバックアップ用としてモハ115形にSIVが搭載されている<ref name="rf198211">鉄道ファン、交友社、1982年11月号</ref><ref name="railfan20121127">[[#鉄道ファン|鉄道ファン、交友社、2012年11月号、p.27]]</ref>。パンタグラフはモハ114形にPS16形が2基搭載されたが、1基は万一の破損時の予備のため、常時1基のみを使用している<ref name="rp201511_p33" /><ref group="注">1991年(平成3年)には[[台風]]による[[塩害]]でパンタグラフの故障が相次ぎ、部品不足から一時期は片側のパンタグラフが撤去された。</ref>。
 
冷房装置は省エネルギー型でカバーをステンレス無塗装とした集中式のAU75Gが搭載された<ref name="MITSUBISHI1982-11">三菱電機『三菱電機技報』1982年11月号「{{PDFlink|[https://www.giho.mitsubishielectric.co.jp/giho/pdf/1982/8211.pdf 最近の車両用空調装置と省エネルギー」]}}」pp.54 - 55。</ref><ref name="rp201511_p31" />。屋根はポリウレタン樹脂の塗り屋根で、通風器のFRP化や外板腰板部のステンレス化などの腐食防止対策が実施された<ref name="RM321 20" /><ref name="rp201511_p32">平石大貴「115系電車のあゆみ(I)」『鉄道ピクトリアル』2015年11月号、p.32</ref>。
 
111系電動車と編成を組成するクハ115形(3007– /3107– )は、電動車ユニットが非冷房かつ冷房電源がないため冷房準備車として製造された<ref name="rp200907_p20" />。冷房準備車は111系の老朽淘汰後の冷房化を考慮してあらかじめ天井風道が設けられ、扇風機は風洞の一部に凹みを設けて設置された<ref name="rp201511_p32" />。運転台後部の押込式通風器も大型に代えて一般型にするなどの変更を実施した<ref name="railfan20121126"/>。運転台に111系・115系の制御回路切替スイッチを搭載し、抑速ブレーキ・客用扉半自動扱いなどに対応した<ref name="rf198211"/>。側面行先表示器も準備工事とされた<ref name="rp201511_p31" />。
 
[[1983年]](昭和58年)6月には、111系電動車ユニット混成編成の差し替え用として、本系列の最終増備車となるMM'ユニット6組<ref name="福原2014_p109">福原俊一『115系物語』p.109</ref>(モハ115・114-3007 - 3012)が追加製造され、本グループの総数は66両となった。冷房準備車も115系3000番台増備車や115系0番台冷房改造車へ差し替える際に冷房化改造が行われ、[[1985年]](昭和60年)までに施工が完了した。
 
民営化後は66両全車がJR西日本へ承継されている。
* モハ115-3001 - 3012
* モハ114-3001 - 3012
* クハ115-3001 - 3021・3101 - 3121
 
== 改造車 ==
1983年6月の最終増備まで冷房改造などを除き車種間改造などは施工されなかったが、それ以降多くの改造車が登場した<ref name="railfan20121128"/>。なお改造車は分割民営化後の会社ごとで解説する。
115系には運用形態の変化により、かなりの改造車が生まれた。なお、各形式の改造車は会社分けしているが、モハ115・114形についてはJR西日本のみなので、会社分けは行わない。
 
短編成化ならびに[[ダイヤグラム#パターンダイヤ|列車増発]]の観点から改造が施工されたが<ref name="LCTA10-1140">「JR普通列車年鑑 2010-2011」イカロスMOOK、p.40</ref>、以下の制約があった。
=== クモハ115形・クモハ114形 ===
* 種車と改造後の配転が広域
クモハ115形については、先頭車改造車ではモハ115形の種車を基準にして番号を付番している。改造車であることを示す500番台を付与し、種車が1000番台については1500番台、その他は500番台とする。
* 両数が多いうえに工事期間短縮の要求<ref name="railfan20121128"/>
* 長期入場が困難<ref name="railfan20121128"/>
* 種車の余命を考慮して工程簡素化・工事費低減に主眼を置くこと
 
当時の国鉄の財産事情を考慮して、種車の車端部を切断してあらかじめ製造しておいたユニット運転台を溶接して組立てる工法が採用された([[ブロック工法#鉄道車両|ブロック接合工法]])<ref name="railfan20121128"/>。当初は簡略化のため切妻形状も検討されたが、上述工法では工程短縮に結びつかないことや既存の図面が流用できることから、運転取扱上の便宜を考慮して従来からの形状を採用した<ref name="railfan20121128"/>。また、同様の改造は分割民営化後も継続した<ref name="railj20120792"/>。
先頭車改造にあたっては
* 改造種車と改造後の配転が広域に渡っていること
* 改造両数が多いうえに期間が短いこと
* 改造を終えた車両も従来の配置区で使用するため長期の入場が困難なこと
* 種車の余命を考慮して工程を簡素化し、工事費低減に主眼を置くこと
などの条件や当時の国鉄の財産事情を考慮して、種車の車端部を切断してあらかじめ製造しておいたユニット運転台を溶接して組立てる工法が採用されている。
 
クハ115形の改造車は方向転換改造車を除き500番台(偶数向の車両は600番台)とし、種車が1000番台の場合は1500・1600番台に区分される。これはクハ111形からの改造車も同一である。また同じ運転台取付車両でもモハ115・114形を電装解除してクハ115形化した車両は550番台・650番台に区分され種車の判別が容易である。これは台車が付随車用のTR62形台車でなく電動車用の[[国鉄DT21形台車|DT21形台車]]を付随車用に改造したDT21T形を装着しているのを車両番号で判別できるようにしたためである。
この運転台は改造内容簡素化のため、当初は切妻形状も検討されたが、今回のような工法では工程短縮に結びつかないこと、従来の先頭形状とすれば既存の図面が流用できることから、運転取扱上の便宜を考慮して従来の形状を採用している。
 
==== 500番台(国鉄時代の改造番台 ====
JR化後に国鉄時代と同内容で改造されたグループも国鉄時代の節で解説する。
モハ115形・モハ114形0番台に、あらかじめ工場で製造されたクモハ115形1000番台に準じた運転台を接合し先頭車化した改造車である。なお、改造の経緯から2つのグループに分類することができる。
 
;==== クモハ115形+クモハ114形(2両編成ユニット)500番台 ====
[[File:Kumoha115 501.jpg|thumb|越後・弥彦線向け改造車クモハ115・114-501([[吉田駅 (新潟県)|吉田駅]]、2015年)]]
1983年 - 1984年に越後線・弥彦線の電化開業用に改造されたグループ。当時の国鉄財政は極度に逼迫しており両線の電化開業用に車両を新製する費用軽減策として、岡山・広島の両鉄道管理局管内で運用されていた本系列を短編成化し、捻出されたモハ115形の前位・モハ114形の後位に運転台取付・耐寒耐雪装備等の改造を施工し投入された。
[[File:1988-4-10-kumoha115-520.JPG|thumb|御殿場線向け改造車クモハ115-520([[岡山駅]]、1988年)]]
: モハ115-84・87 - 89・127・129・134 → クモハ115-501 - 507
[[1984年]](昭和59年)の[[越後線]]・[[弥彦線]]電化と御殿場線3両編成化に伴い、モハ115形・114形基本番台を先頭車化改造したグループである<ref name="rp200907_p22">編集部「115系電車のプロフィール」『鉄道ピクトリアル』2009年7月号、p.22</ref>。形式はクモハ115・114形となり、越後・弥彦線向けは2両編成を組むためクモハ115形・クモハ114形の2形式が、御殿場線は3両編成を組むためクモハ115形のみが改造された<ref name="rp200907_p22" />。
: モハ114-84・87 - 89・113・115・120 → クモハ114-501 - 507
 
越後・弥彦線電化開業用に改造されたグループは、クモハ115形+クモハ114形の2両編成ユニットとなった<ref name="kokutetsu61">[[#Kokutetsu|「国鉄車両形式集・4 直流系電車 近郊編」山と渓谷社、写真・広田尚敬、p.61]]</ref>。当時の国鉄財政は極度に逼迫しており両線の電化開業用に車両を新製する費用軽減策として、岡山・広島の両鉄道管理局管内で運用されていた本系列を短編成化し、捻出されたモハ115形前位・モハ114形後位に300番台以降と同様の運転台取付・耐寒耐雪装備等の改造を施工した<ref name="kokutetsu61"/>。
; クモハ115形単独改造グループ
御殿場線で運用されていた4両編成(TcMM'Tc')を3両編成(McM'Tc')に短縮することにより登場したグループである。
 
先頭車化改造はあらかじめ工場で運転台ユニットを製造して接合するユニット運転台方式が取られており、車端部の台枠を切断して1000・2000番台に相当する運転台ユニットが接合された。0番台と1000・2000番台グループでは運転台構造が異なるが、本改造では後者が採用された<ref name="福原2014_p112">福原俊一『115系物語』p.112</ref>。また同時に方向転換なども施工された<ref name="railfan20121128"/>。落成直後は溶接部が折れるのではないかという懸念もあったが、JR化後を通じてもそのような[[鉄道事故|事故]]は発生していない<ref name="railfan20121128">[[#鉄道ファン|鉄道ファン、交友社、2012年11月号、p.28]]</ref><ref name="福原2014_p115">福原俊一『115系物語』p.115</ref>。
508・509は、1983年12月に岡山配置時に後藤工場(現・[[後藤総合車両所]])で改造され1984年1月に御殿場線運用を担当する沼津機関区へ転入し、後述のサハ115形改造のクハ115形600番台と編成を組成し運用された。
* モハ115-84・87 - 89・127・129・134 → クモハ115-501 - 507
* モハ114-84・87 - 89・113・115・120 → クモハ114-501 - 507
 
御殿場線では1979年の72系置き換え時に東北・高崎線系統より転入した0番台4両編成 (TcMM'Tc') が運用されており、将来の身延線運用を考慮してモハ114形は低屋根車800番台が組み込まれていた<ref name="rp201511_p36" />。1984年に御殿場線の4両編成が3両編成 (McM'Tc') に短縮されるため、クモハ115形が単独で改造されたグループが登場した<ref name="railj20120792"/>。508 - 520の13両が改造されており、508・509はこの短編成化に伴う岡山地区からの転入車が、510 - 520は御殿場線の従来車が種車となっている。短編成化で捻出されたクハ115形11両は越後・弥彦線電化用に転出した<ref name="rp201511_p36" />。
510 - 520は、1979年に小山電車区から沼津機関区に転属してきたモハ114形800番台とユニットを組成していた車両が種車である<ref>この改造により捻出されたクハ115形11両が新潟地区へ転出した</ref>。
 
* モハ115-29・86・94 - 97・100 - 102・104 - 107 → クモハ115-508 - 520
これらの編成で、身延線で運用されていたモハ62形(2代)・クハ66形が置き換えられた。しかし、岡山からの転入ユニットはモハ114形がPS16形パンタ搭載の0番台であり、[[西富士宮駅|西富士宮]]以北に入線できず運用上不便となるため、1985年(昭和60年)に三鷹電車区からモハ114形800番台を含む0番台2編成を転入させ、508・509は新前橋電車区へ再転出している。1986年に520が岡山に、1987年に511・517・519が[[飯田線]]用として豊橋機関区(現・[[豊橋運輸区]])に転出している。
 
508・509は岡山配置時の1983年12月に後藤工場(現・[[後藤総合車両所]])で改造され1984年1月に沼津機関区へ転入したもので、後述のクハ115形600番台と編成を組成された。ユニットを組むモハ114形はクモハ115-510 - 520が低屋根車の800番台であったが、岡山から転入したクモハ115-508・509は通常屋根車の0番台であったため、身延線との共通運用ができなかった<ref name="rp201511_p36" />。1985年に三鷹電車区からクモハ115形+モハ114形800番台ユニット2本が転入したことで身延線との共通運用が可能となり、508・509は新前橋電車区へ転出した
: モハ115-29・86・94 - 97・100 - 102・104 - 107 → クモハ115-508 - 520
<ref name="rp201511_p36" />。
 
1986年には509・520が岡山へ、1987年の国鉄分割民営化は511・517・519が[[飯田線]]用としては、新潟地豊橋機関のクモハ115(現114形各7両[[豊橋運輸区]])へ転出した。民営化以降JR東日本に、御殿場線飯田線のクモハ115形11両はJR東海に、岡山の2両はJR西日本の3社された。
 
JR東海承継車のうち、 (510 - 519) は513 - 515がC-AU711A形集約分散式のC-AU711D形によって冷房装置で冷房化され5513 - 5515改番されたが非冷房車[[国鉄211系電車|211系]]の投入により1989年から1990年にかけて、冷房改造車は1999年に廃車となった。JR西日本の509・520は非冷房のまま1996年に廃車されたとなっているJR東日本承継車 (501 - 508) では新前橋配置の508は1993年に廃車、越後・弥彦線用の501 - 507も冷房改造化や一部編成のワンマン化、更新工事、訓練につい転用を経も19992016まで車されJR東海から消滅しとなった。
御殿場線用に改造された一部のクモハ115には運転室内の貫通扉付近に砂撒き装置の箱が置かれた。御殿場線の115系は3両編成2本を連結する場合、貫通扱いをしてないためにクハ115⇔クモハ115の通り抜けはできなかった。
JR東日本の新潟配置のクモハ115+クモハ114形ユニットは、全編成がインバータ制御のAU712形集約分散式2基搭載で冷房化を実施した。501・503・504は1988年に[[ワンマン運転]]対応改造を施工し、ほぼ弥彦線専用として運用された。506は2000年に訓練車へ転用され、クモヤ115-1+クモヤ114-1に改番された。2014年7月に507が廃車、車両更新工事施工車の502も2014年11月に廃車となった。弥彦線用ワンマン車は2015年7月15日付で廃車となり営業用車は消滅<ref name="JRR 2016w 357">『JR電車編成表』2016冬 ジェー・アール・アール、交通新聞社、2015年、p.357。ISBN 9784330623153。</ref>、訓練車のクモヤ115・114-1も2016年6月に廃車となり消滅した<ref name="JRR 2017W 356">ジェー・アール・アール編『JR電車編成表』2017冬 ジェー・アール・アール、交通新聞社、2016年、p.356。ISBN 9784330737164。</ref>。
 
==== クモハ115・114形1500番台 ====
JR西日本承継車は、非冷房のまま1996年に廃車されている。
[[File:Mc115-1566.JPG|thumb|クモハ115-1566]]
モハ115形1000番台・モハ114形1000番台へ新造車に準じた運転台ユニットを接合し先頭車化したグループ。クモハ115・114形500番台と同様の改造内容であるが、種車が1000番台であるため1500番台の区分となった<ref name="rp200907_p23" />。国鉄時代の1983年 - 1986年に施工された車両は伯備線向け、新潟地区向け、[[大糸線]]向けの3グループに分かれ、伯備線・大糸線向けはクモハ115形のみが、新潟地区向けはクモハ115形とクモハ114形の両形式が改造された<ref name="rp200907_p23" />。
 
1000番台の先頭車化改造車で最初に登場したのは岡山地区の山陽本線・伯備線向けで、1983年8月から1986年12月にかけてモハ115形1000番台35両が改造されてクモハ115-1501 - 1518・1536 - 1551となった<ref name="rp201511_p36" />。岡山電車区の配置で、施工は後藤・鷹取の両工場が担当した。種車の車端部を切断して115系1000番台仕様の運転台が接合されたが、新潟・長野地区向けと異なり寒冷地対策は実施されず、改造時点で全車が新製冷房車であった<ref name="rp201511_p36" />。
JR東日本承継車は、501・503・504の3ユニットが1988年に[[ワンマン運転]]対応に改造され、ほぼ弥彦線専用になった。7ユニットすべてインバータ制御のAU712形集約分散式を2基搭載によって冷房化された。このうち、502ユニットのみが車両更新を受け、2000年には506ユニットが訓練車に転用されクモヤ115-1+クモヤ114-1に改番されている。
 
新潟地区では6両編成から5両編成への短縮と越後・弥彦線電化に伴い、1983年8月から1987年2月にかけてモハ115形から改造のクモハ115-1519・1530 - 1535が、1986年にはモハ114形から改造のクモハ114-1501 - 1506が登場した<ref name="rp201511_p34">平石大貴「115系電車のあゆみ(I)」『鉄道ピクトリアル』2015年11月号、p.34</ref>。長岡運転所の配置で、施工は新津車両管理所が担当した。1984年の越後・弥彦線電化開業ではクモハ115-1519が、1985年3月改正ではクモハ115-1530が改造された<ref name="rp201511_p34" />。1986年11月改正による越後線・[[白新線]]増発ではモハ115形からクモハ115-1531 - 1535が、ユニットを組むモハ114形からクモハ114-1501 - 1506が改造された<ref name="rp201511_p35" />。改造内容は運転台ユニットの接合と雪切室の移設、寒冷地対策などである<ref name="rp201511_p35" />。
2007年(平成19年)4月現在、JR東日本[[新潟車両センター]]に6ユニット12両が所属し、越後線と弥彦線で使用されている。
 
長野・松本地区の大糸線では115系1000番台5両編成の中間車モハ115形を先頭車化改造し、3両編成とクモハ・モハの増結用ユニットを組成することになり、1983年11月から1985年1月にかけてクモハ115-1520 - 1529が登場した<ref name="rp201511_p35">平石大貴「115系電車のあゆみ(I)」『鉄道ピクトリアル』2015年11月号、p.35</ref>。松本運転所の配置で、施工は長野工場が担当した。改造内容は新潟地区向けと同様であるが、クモハ115形のみの改造である<ref name="rp201511_p35" />。
==== 1500番台(国鉄・JR東日本) ====
[[File:Mc115-1566.JPG|thumb|200px|right|クモハ115-1566<br/>2009年]]
モハ115形1000番台・モハ114形1000番台に新造車に準じた運転台ユニットを接合し先頭車化した車両である。
 
松本配置車は1986年に長野・神領・静岡の3[[車両基地]]へ転出が実施され、1521・1522・1527 - 1529が長野運転所、1520・1524 - 1526が神領電車区、1523が静岡運転所の配置となった<ref name="JRR1985_59">[[#JRR1985|『復刻・増補 国鉄電車編成表1985年度版』p.59]]</ref><ref name="JRR1985_218">[[#JRR1985|『復刻・増補 国鉄電車編成表1985年度版』p.218]]</ref>。この結果、分割民営化時には岡山配置の36両がJR西日本に、長野配置5両・長岡配置13両(クモハ114形6両を含む)の計18両がJR東日本に、神領配置4両・静岡配置1両の計5両がJR東海に承継された。
[[伯備線]]・[[大糸線]]などの短編成化用として1983年から1986年にかけてクモハ115-1501 - 1551が、新潟地区の2両編成化用として1986年から1987年にかけてクモハ114-1501 - 1506<ref>クモハ115-1530 - 1535とユニットを組成。</ref>に改造施工された。
 
JR東日本は1992年までにクモハ115-1552 - 1566・クモハ114-1507 - 1520の追加改造を新津・長野で施工した。この結果モハ115形1000番台は全127両中66両が先頭化改造されたことになり、JR西日本が改造した1600番台4両を含めると70両となる。JR東日本でクモハ115・114形の2両編成に行われたトイレの設置工事はクモハ114形に行われ、水タンクも室内設置とされた。なお、クモハ114形1500番台はしなの鉄道譲渡車を除き2016年8月までに全車廃車となった。
クモハ115形は、1501 - 1518・1536 - 1551が岡山、1519・1530 - 1535が長岡、1520 - 1529が松本にそれぞれ配置されたが、1986年に松本車は1521・1522・1527 - 1529が長野に、1520・1524 - 1526が神領に、1523が静岡に転出している。
 
クモハは床下機器のスペースが少ないため、ATS-Pほか機器類が追加された際は車内に設置される例がある。例としてJR西日本岡山電車区所属のATS-P搭載車(クモハ115-1501・1502・1504・1506・1507・1509 - 1514・1536 - 1550)は運転台直後の前部客用扉ロングシートを撤去して、車掌台側後部にATS-P機器類が床置搭載された。
1987年の国鉄分割民営化に際しては、岡山の36両がJR西日本に、長岡の14両(クモハ114形6両を含む)がJR東日本、神領の4両と静岡の1両がJR東海に承継された。
 
* モハ114-1085・1074・1060・1063・1084・1110・1016・1050・1049・1009・1181・1182・1179・1054・1066・1079・1088・1136・1056・1069 → クモハ114-1501 - 1520
JR化後、JR東日本では1992年にかけてクモハ115-1552 - 1566・クモハ114-1507 - 1520の追加改造が施工された。この結果、モハ115形1000番台は全127両中66両が先頭化改造されたことになり、JR西日本が改造した1600番台4両を含めると69両となる。
* モハ115-1033・1035・1037・1039・1041・1043・1047・1054・1056・1060・1085・1087・1089・1092・1101・1106・1110・1112・1016・1096 - 1099・1003・1005・1010・1012 - 1014・1026・1021・1017・1018・1025・1048・1045・1052・1062・1064・1090・1091・1094・1107・1108・1116 - 1118・1120・1122 - 1124・1040・1049・1095・1008・1019・1022・1027・1072・1015・1020・1001・1073・1125・1126・1009 → クモハ115-1501 - 1566
 
==== クハ115形550・650番台 ====
長野総合車両センター所属のリニュ―アル車にはトイレを設置しているが、床下機器が輻輳しているために水タンクは室内設置とした。
{{Vertical_images_list
|幅= 200px
| 1=L25_Tc115-552_600.jpg
| 2=クハ115-552
| 3=Kuha115-556.JPG
| 4=クハ115-556
| 5=Kuha115-652.JPG
| 6=クハ115-652
}}
1983年に、越後線・弥彦線電化開業用ならびに山陽本線広島地区短編成化頻発運転用としてモハ115形・モハ114形基本番台を電装解除し、500番台と同様の運転台を取付けてクハ115形に改造されたグループ。550番台が奇数向き、650番台が偶数向き先頭車である<ref name="railfan20121128"/>。
 
550番台も650番台も奇数(上り)向きで種車の前位に運転台を取付け、550番台は偶数(下り)向きに方向転換させ<ref name="railj20120793"/>、3位側隅にトイレを設置した<ref name="railfan20121128"/>。基本的に550番台はモハ115形から、650番台はモハ114形からの改造であるが<ref name="kokutetsu66">[[#Kokutetsu|「国鉄車両形式集・4 直流系電車 近郊編」山と渓谷社、写真・広田尚敬、p.66]]</ref>、552のみモハ114形からの改造で屋根上のパンタグラフ部の歩み板が残存する。
: モハ114-1085・1074・1060・1063・1084・1110・1016・1050・1049・1009・1181・1182・1179・1054・1066・1079・1088・1136・1056・1069→クモハ114-1501 - 1520
: モハ115-1033・1035・1037・1039・1041・1043・1047・1054・1056・1060・1085・1087・1089・1092・1101・1106・1110・1112・1016・1096 - 1099・1003・1005・1010・1012 - 1014・1026・1021・1017・1018・1025・1048・1045・1052・1062・1064・1090・1091・1094・1107・1108・1116 - 1118・1120・1122 - 1124・1040・1049・1095・1008・1019・1022・1027・1072・1015・1020・1001・1073・1125・1126・1009→クモハ115-1501~1566
 
550番台では551 - 553は新潟地区用で耐寒耐雪装備を追加。554 - 556と650番台の全車は広島地区用で暖地向けである。1987年の国鉄の分割民営化では、新潟地区用の550番台3両がJR東日本に、広島地区用の550番台3両と650番台4両がJR西日本に承継された。
==== 550番台(JR西日本) ====
[[画像:West Japan Railway - Series 115-550 - 01.JPG|thumb|200px|right|550番台]]
JR移行後の1989年にJR西日本でモハ115・114形を先頭車化改造したグループで、4ユニット8両が改造された。前頭部分は廃車車両から流用したため原形の白熱前照灯が残る編成もあったが、2006年に全車ともシールドビーム化改造がなされている。
 
JR東日本承継車はAU712形集約分散型冷房装置による冷房化を施工。[[新潟車両センター]]に所属し信越本線・白新線・越後線・弥彦線で運用されていた。551は2014年7月に、552は同年12月に、553は2015年8月20日にいずれも廃車となり、550番台は全廃された。
: モハ115・114-13・21・27・77 → クモハ115・114-551 - 554
 
JR西日本承継車は、554・556・652・654が国鉄時代の1985年にAU13E形[[分散式冷房装置]]を6基搭載する冷房化改造を施工され<ref name="kokutetsu66"/>、1987年に651・653が試作のWAU101形を3基搭載して冷房化されたが、555は非冷房のまま1992年に廃車された。その後、2001年に651・653、2004年に554、2013年に556・652・654が廃車され、650番台は全廃された。
座席はバケットシートに交換されており、シートピッチが拡大されている。そのため戸袋窓部分のロングシートは設置されず、座席定員は減少した。側面行先表示器の設置準備工事を同時に施工しているが、他社の2両編成と異なりクモハ115・114形とも前位側に設置している。
* モハ115・114-67・モハ115-69・15・18・91 → クハ115-551 - 556
* モハ114-69・15・18・91 → クハ115-651 - 654
 
==== クハ115形600番台 ====
8両全車が[[下関地域鉄道部#下関車両管理室|下関車両管理室]](現・[[下関総合車両所]])に所属し、山陽本線の[[岩国駅|岩国]] - [[下関駅|下関]]間で使用されていた。しかし、2008年時点で使用年数が最も長い本系列編成であることから老朽化が進んでおり、WAU202形冷房装置の効きが悪く故障も多い、トイレが設置されていないなどの問題もあった。
{{Vertical_images_list
|幅= 200px
| 1=Kuha115-602.JPG
| 2=クハ115-602
| 3=JRW 115-622.jpg
| 4=クハ115-622<br />張上式屋根・原形側窓変型車
}}
{{Vertical_images_list
|幅= 200px
| 1=Kuha115-609.JPG
| 2=クハ115-609
}}
クハ115形600番台は偶数向きの改造車グループで、113系クハ111形からの改造編入車と115系サハ115形の先頭車化改造車の2グループに分類される<ref name="rp200907_p23">編集部「115系電車のプロフィール」『鉄道ピクトリアル』2009年7月号、p.23</ref>。
 
1984年2月改正による岡山地区の短編成化増発用として、115系6両編成を4両編成・3両編成に短縮した際に不足する偶数向きクハを補うため、京阪神地区で余剰となったクハ111形300番台6両が1983年から1984年にかけてクハ115形へ編入された<ref name="rp201511_p36">平石大貴「115系電車のあゆみ(I)」『鉄道ピクトリアル』2015年11月号、p.36</ref>。主幹制御器は113系のMC22からMC53に交換、客用扉の戸閉装置は半自動化対応のTK8A形へ交換<ref name="railfan20121128"/>、種車のグローブ型通風器<ref name="kokutetsu66"/>は残存したほか床下の空気圧縮機は使用停止とした。
 
民営化時には601 - 605の5両ともJR西日本に承継された<ref name="rp200907_p23" />。604・605にはWAU102形3基による冷房改造が施工されたほか、605には[[ベンチレーター]]や[[警笛#鉄道車両|タイフォン]]へのカバーが装着された<ref name="Tc115-605">[http://rail.hobidas.com/photo/archives/2013/07/115-605.html 随時アップ:消えた車輌写真館 クハ115-605] - 鉄道ホビダス</ref>。
 
JR西日本の岡山地区に残る115系非冷房車を置き換えるため、1994年には関西地区で余剰となっていた冷房改造済みのクハ111形300番台3両が115系に編入改造され、サハ115形改造グループの続番となる620 - 622が付番された<ref name="rp200907_p24">編集部「115系電車のプロフィール」『鉄道ピクトリアル』2009年7月号、p.24</ref>。改造内容は主幹制御器交換、ドアエンジンの半自動対応への交換などである。622は2001年に雨樋の張り上げ屋根化が施工された。
 
1996年に603・606、1997年に602、1999年に601、2002年に620・621、2012年に604・605・622が廃車され消滅。
 
* クハ111-365・373・379・380・381・397 → クハ115-601 - 606
* クハ111-5415・5431・5436 → クハ115-620 - 622
 
1984年2月改正による広島地区115系の6両編成から4両編成への短縮に対応するため、中央東線の115系8両編成を6両編成に短縮してサハ115形基本番台を捻出し、方向転換と偶数(下り)向きに1000番台に準じた運転台設置改造を施工した<ref name="railfan20121128"/><ref name="rp201511_p37">平石大貴「115系電車のあゆみ(I)」『鉄道ピクトリアル』2015年11月号、p.37</ref>。広島地区のほか高崎・新潟・松本・静岡地区の増発用にも追加投入され、1985年までに13両が改造された。車両番号はクハ111形改造車の追番となる607 - 619が付番された<ref name="rp200907_p24" />。
 
当初の配置は607 - 609が広島運転所、610が新前橋電車区、611・612が沼津機関区、613が新潟運転所、614 - 619が松本運転所であった。沼津配置車は1985年3月に新前橋へ転出、612は1986年11月にクハ401-901へ再改造された。松本配置車は国鉄の民営化により中央西線中津川以北がJR東海の管轄になることから1986年11月に神領電車区へ転出した。国鉄の分割民営化では607 - 609がJR西日本、610・611・613がJR東日本、614 - 619がJR東海へ継承された。
 
広島地区の607・608は国鉄時代の1984年・1985年に廃車発生品のAU13E形分散式冷房装置を搭載する冷房化改造を施工した。607は149と同様に4基搭載、608は6基搭載する。609はJR化後にWAU101形集約分散式3基による冷房化が施工されている。JR西日本では2002年に609、2012年に607が廃車となり、最後まで残った608も2018年10月26日付で廃車となり、クハ115形600番台は区分消滅した。
 
JR東日本承継車は、610は小山に転出しAU75形集中式により冷房化改造され、同区の7両基本編成に組成されて東北本線などで運用され2001年に廃車。611は非冷房のまま[[1990年]](平成2年)に長野に転出し訓練車のクモハ115-1+モヤ114-1(元モハ114-801)ユニットと組成されたが2002年に廃車。613はインバータ制御AU712形集約分散式2基によって冷房化されたが、2015年8月25日に廃車となった<ref name="JRR 2016w 357" />。
 
JR東海承継車は1000番台と編成組成されC-AU711A形集約分散式2基によって冷房化された。1988年に中央西線中津川以北の運用が165系電車に置換えられたことから静岡に転出し、全車が飯田線 - 篠ノ井線系統の運用に充当したが、1999年に2両を残して東海道本線系統に転用された。[[JR東海313系電車|313系]]3次車への置換えで2007年4月に617が廃車されJR東海からは消滅した<ref name="railfan20121137"/>。
 
* サハ115-6 - 8・1 - 4・9・13 - 16 → クハ115-607 - 619
 
==== クハ115形1500番台 ====
[[File:Tc115-1503.JPG|thumb|200px|right|クハ115-1503]]
国鉄時代の1983年からサハ115形1000番台を改造した番台区分。偶数向き<ref name="railj20120793">[[#国鉄車両|鉄道ジャーナル、鉄道ジャーナル社、2012年7月号、p.93]]</ref>。トイレは未設置。1983年・84年に新津車両管理所(現・[[総合車両製作所新津事業所]])で1501 - 1504の4両が、民営化後の1989年から1992年までに1505 - 1513の9両が改造された<ref name="series115-150">[[#series115ikaros|「形式115系」イカロス出版、p.150]]</ref>。最後まで残存した新潟車両センター所属の1501・1504が<ref name="JRR 2016S 39"/><ref name="rf100124"/><ref name="series115-151">[[#series115ikaros|「形式115系」イカロス出版、p.151]]</ref>2016年4月22日付で廃車され<ref>鉄道ジャーナル、鉄道ジャーナル社、2016年8月号、p.109</ref>、廃区分番台となった。
* サハ115-1012・1014・1011・1013・1015・1017・1020・1026・1005・1018・1001・1027・1028 → クハ115-1501 - 1513<ref name="series115-150"/>
 
==== クハ115形1600番台 ====
[[File:L25_Tc115-1601_600.jpg|thumb|200px|クハ115-1601<br />独特な窓配置とトイレ設置部]]
前述の1500番台と同じく1983年に登場したサハ115形1000番台からの改造車であるが、1500番台と異なり奇数向き<ref name="railj20120793"/>固定使用とトイレ設置による独特の窓配置が特徴である。1601の1両が新潟車両センターに在籍<ref name="rf100124"/><ref name="series115-151"/>したが、2016年8月18日に廃車された<ref name="JRR 2017W 356"/>。
* サハ115-1009 → クハ115-1601<ref name="series115-151"/>
 
==== クハ115形2000番台方向転換車 ====
1983年に越後線・弥彦線電化開業用として身延線用2000番台奇数向制御車に施工した偶数向に方向転換改造である。車両番号は既存番号の続番とされた。2016年12月18日までに廃車された<ref name="JRR 2017s 315">ジェー・アール・アール編『JR電車編成表』2017夏 ジェー・アール・アール、交通新聞社、2017年、p.315。ISBN 9784330787176。</ref>。
* クハ115-2122・2125・2127・2126・2128・2123・2124 → 2035 - 2041
 
==== クハ115形1200番台 ====
1984年にトイレ付奇数向きのクハ115-1148へ施工した偶数向き方向転換と改番である。分割民営化後にJR東日本が1991年と1992年に5両へ同様の工事を施工した。JR東日本にて施工された5両は2016年9月までに廃車されている。
 
* クハ115-1148・1142・1159・1144・1143・1158 → クハ115-1244 - 1249
 
==== クハ115形1400番台 ====
[[File:1988-4-10-kuha115-1403.JPG|thumb|200px|right|クハ115-1403]]
[[1986年]]に岡山配置の6両編成を短編成化する際に偶数向きのクハ115形が不足したことから、奇数向きのクハ115形1100番台車を偶数向きに方向転換を実施し、同時に1400番台への改番も実施した<ref name="kokutetsu69">[[#Kokutetsu|「国鉄車両形式集・4 直流系電車 近郊編」山と渓谷社、写真・広田尚敬 p.69]]</ref>。
 
同様な方向転換は、1984年にクハ115-1148→1244の事例があるほか、分割民営化後にJR西日本でも同様の方向転換改造が施工されているが、国鉄時代と異なり車番変更は実施されていない<ref name="railfan20121130"/>。
* クハ115-1145・1149・1154・1156・1157 → クハ115-1401 - 1405
 
=== JR東海の改造番台 ===
==== 5000・6000番台(JR東海) ====
C-AU711B形集約分散式冷房装置の搭載・クハ115形に冷房専用電源SCV(静止型コンバータ)の搭載・客扉のステンレス化・化粧板の交換などの改造施工をした車両にされた番台区分で現番号+5000<ref name="ikarosJNR24">[[#ikarosJNR vol.1|「現役国鉄型大研究」イカロスMOOK、p.24]]</ref>、SCV搭載クハ115形は+6000とされた。
*ただしモハ114形の制御電源用MGは存置。
老朽化により[[1999年]]までに全車廃車。
* クモハ115-513 - 515 → クモハ115-5513 - 5515
* モハ114-821・824・825 → モハ114-5821・5824・5825
* クハ115-116・156・200 → クハ115-6116・6156・6200
 
=== JR西日本の改造番台 ===
==== クモハ114・115形550番台 ====
[[File:West Japan Railway - Series 115-550 - 01.JPG|thumb|200px|right|クモハ115・114-551]]
JR移行後の1988・[[1989年]]にJR西日本でモハ115・114形を先頭車化改造したグループで、4ユニット8両が改造された<ref name="file201071">[[#file2010|鉄道ファン、交友社、2010年7月号、p.71]]</ref>。運転台ユニットは新製されず、廃車発生品が接合された<ref name="rp200907_p27">編集部「115系電車のプロフィール」『鉄道ピクトリアル』2009年7月号、p.27</ref>。前頭部分原形の白熱前照灯が残る編成も存在したが<ref name="railfan20121137"/>、2006年に全車シールドビーム化改造が施工された。
 
当初は湘南色で非冷房だったが、後に瀬戸内色となり全車冷房化改造も施工された。1988年に改造された2編成は1991年に、1989年に改造された2編成は改造当初からバス用冷房装置で改造された。当初はパワーユニットとコンデンシングユニットを車端機器室に搭載したが、1991年改造車では屋根上に移設され、1989年改造車も後に屋根上に移設された。
 
座席はバケットシート交換によりシートピッチが拡大された。そのため戸袋窓部分のロングシートは設置されず座席定員は減少する。側面行先表示器の設置準備工事を同時に施工しているが、他社の2両編成と異なりクモハ115・114形とも前位側に設置した。
 
なお8両全車が[[下関地域鉄道部#下関車両管理室|下関車両管理室]](現・[[下関総合車両所]])に所属し後述山陽本線6000・6500番台岩国 - 下関間で運用されていた。しかし[[2008年]]時点で使用年数最も長い本系列編成であることから老朽化が進み、特にWAU202形冷房装置の効きが悪いうえに故障も多く、トイレが未設置などの問題もあった。そのため、[[JR西日本223系電車#5500番台|223系5500番台]]の置換えで捻出され、他地区に転属とされているめ、経年等後述理由で6000・6500番台により置換対象になることとなった。2008えが進められ、同[[12月2日]]にT-01編成(クモハ115-551+クモハ114-551)が下関車両センターに[[回送]]された<ref name="6500start">「[httphttps://railf.jp/news/2008/12/12/085000.html 115系6500番台、山陽本線で営業運転を開始]」交友社『[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]]』- railf.jp 鉄道ニュース 2008ファン(2008年12月12日</ref>。これを含めたさらに3編成が2008年度内に廃車され、残ったT-04編成のみが残(クモハ115-554+クモハ114-554)も[[2010年]][[1月8日]]に廃車され、廃区分番台となているた<ref name="file201071"/>
* モハ115・114-13・21・27・77 → クモハ115・114-551 - 554
 
==== 6000モハ1156500114形3500番台(JR西日本) ====
{{Vertical_images_list
|幅= 200px
| 1=0903120517_JRW_M115-3500_side.jpg
| 1=WestJapanRailwayCompanyType115-6000.jpg
| 2=モハ11411560003500番台
| 3=115kei6000bandaisitsunaiRMoha115-3020 Inside.jpg
| 4=車内
| 4=クモハ114形6000番台 車内<br/>体質改善車だが転換クロスシートへは未改造
| 5=0903120533_JRW_KE96SJPC_btw_Tc111_M115-3500.jpg
| 6=3000番台(左)と3500番台(右)<br />ジャンパ栓周辺
}}
 
{{Sound|JRW sanyo line moha114-3514 kasaoka-daimon.ogg|モハ114-3500番台(モハ114-3514)走行音}}
[[舞鶴線]]の電化開業に伴い、[[国鉄115系電車#1000番台|1000番台]]のクモハ115形+モハ114形ユニットを種車に、モハ114形の先頭車化改造により2両編成とされた番台区分である。
[[1991年]](平成3年)に[[JR西日本221系電車|221系]]増備に伴い117系は[[JR京都線]]・[[JR神戸線]]での[[新快速]]運用が縮小された<ref name="福原2014_p151">福原俊一『115系物語』p.151</ref>。これにより一部編成は6両から4両に短縮し、山陽本線岡山地区の快速「[[サンライナー]]」や[[福知山線]](JR宝塚線)・[[奈良線]]へ転用し、余剰となった中間電動車ユニットを山陽地区に残存した非冷房車置換え名義で本系列に編入改造した番台区分である<ref name="railj20120793"/>。
 
当初11ユニット22両が、2001年(平成13年)には3ユニット6両が改造され、2007年現在14ユニット28両に施工された<ref name="railj20120793"/>。7ユニットが下関総合車両所の3000番台クハと、残る7ユニットは岡山電車区の3扉クハと編成を組成した<ref name="railfan20121137"/>。
新設の運転台は既存の先頭車と同一の形状とする事を止め、窓や灯具の配置を踏襲しつつ種車の構体を活用した切妻形状とされたのが特徴で、[[国鉄145系電車|クモヤ145形]]などに近い外観となった。3本は改造時に後述のブレーキ装置の高速化改造を受けて原番号+5000となり、残る2本はブレーキ装置のてこ比改良車が種車で、番号の下4ケタが引き継がれた「6500番台」となっている。反対側のクモハ115形には[[車椅子]]対応の洋式トイレが設置された。また、[[国鉄115系電車#リニューアル改造|体質改善40N]]及びワンマン運転対応化工事が施工されたが、通常の体質改善車と異なり座席構造は従来のセミクロスシートのまま(これは共通運用の113系にも共通する)である。
 
本系列と117系は補助電源電圧が異なり、ジャンパ連結器も本系列のKE76形3本に対して117系はKE96形1本であるなど互換性がない。このため、M'車からのサービス電源供給にはクハ115形に降圧装置を取り付け、ならびに車端部ツナギを改造したうえで、KE76形とKE96形を直接接続可能な特殊引き通し線を装備する<ref name="railfan20121137">[[#鉄道ファン|鉄道ファン、交友社、2012年11月号、p.37]]</ref><ref name="rp1992z">鉄道ピクトリアル増刊号、電気車研究会、1992年10月</ref>。
1999年(平成11年)に5本10両が改造された。「R編成」と命名されたが、既に[[福知山電車区]]に配置されていた113系5300・5800番台の2両編成(S編成)と共通で運用されており、[[山陰本線]]京都口(嵯峨野線)に乗り入れる事もある。[[2008年]][[8月]]の同区への[[223系]]投入により、経年の若い本車は他線区への転属の予定がある。
* 連結相手側の車両が非冷房車の場合に余ったジャンパケーブルを格納するため、KE76形用のジャンパ栓受も取り付けられた。引き通し線は変更されておらず、制御回路は117系と同一である。
* 元々CS15形とCS43形の制御回路に互換性があったため可能となった改造だが、[[1961年]](昭和36年)設計のCS15形と[[1979年]](昭和54年)設計のCS43形ではマスコン操作に対する応答速度に差があり、MM'ユニットに本区分番台とそれ以外の本系列を併結した場合、起動時にいわゆる「ドン突き衝動」が発生しやすい<ref group="注">電気ブレーキを使用して停止後に[[力行]]した場合、CS43Aでは電気ブレーキ段から前進(後進)[[力行]]段までカムを6段戻すため起動開始まで時間を要し、ブレーキオフ後すぐに力行可能状態になるCS15と比べると、タイムラグが大きいためと思われる。また、条件が整えばCS43Aでは並列段から力行可能になるが、CS15では常に直列段から起動を開始するため高速域でも加速力に差が発生する(ただし、速度検知を行っていない場合はCS43Aでも直列段から起動するため差はほとんど発生しない)。</ref><ref>「鉄路100万キロ走行記」[[グランプリ出版]]、宇田賢吉、2004年9月</ref>。
 
パンタグラフは種車の関係でモハ115形に搭載される<ref name="rp200907_p28">編集部「115系電車のプロフィール」『鉄道ピクトリアル』2009年7月号、p.28</ref>。側面行先表示器は本系列とは互換性がないため岡山電車区所属車は改造時点では使用停止とされ、広島運転所所属車は本系列用に交換。いずれも[[行先標]]受けが設置された。なお、車内側のドアはもともと白系の[[化粧板]]が張られていたが、体質改善工事施工時に本系列に合わせたステンレス無地に変更された。
[[2008年]][[11月]]、R4編成(クモハ115-6538+クモハ114-6625)とR5編成(クモハ115-6539+クモハ114-6627)の2本が下関車両管理室へ転属し、[[12月11日]]にT-13編成(旧R4編成)が営業運転を開始した。さらに2008年度内に4本が転属し、自動解結装置を撤去して番号が-5000された。[http://railf.jp/news/2008/11/10/111600.html][http://railf.jp/news/2008/12/12/085000.html]
* 岡山所属車は後にLED方式の表示器に交換し、扉間のクロスシートは4列分のみ残して117系300番台と同様にロングシート化された<ref name="railfan20121137"/>。
 
2005年(平成17年)より30N体質改善工事を開始し2009年(平成21年)度に全車施工が完了した。この工事で117系時代の新鮮外気導入装置は撤去され、外見上は3000番台と同一になった。内装面では、座席配置・フラット天井・冷房吹出口形状・照明灯カバーがいずれも種車のままであり、特に天井を見れば判別は容易である。
: モハ114-1106・1123・6621・6625・6627→クモハ114-6106・6123・6621・6625・6627
 
* モハ117・116-17・21・23・25・27・29・31・33・35・37・39・303・315・316 → モハ115・114-3501 - 3514
==== 1000番台(JR西日本) ====
[[画像:JRW 115 G formation.jpg|thumb|200px|クモハ115形+114形1000番台<br/>2008年5月4日 黒坂 - 根雨]]
前項の6000・6500番台と同様に、[[伯備線]][[新見駅|新見]]以北の閑散区間用にモハ114形1000番台への運転台設置により2両編成・ワンマン運転対応化された番台区分である。2001年に8本8両が改造された。
 
==== 高速化改造車(5000・6000番台) ====
改造工数の低減のため、6000・6500番台と異なり、連結運転時の[[貫通路]]の連結をしない前提で貫通路を持たない他、運転台の機器は同時期に廃車されたクハ115形の廃車発生品を使用。窓や灯具の配置も異なっており、[[国鉄103系電車#体質改善40N|103系低運転台車の体質改善40N]]に近い形状になっているのが特徴である。なお、6000・6500番台と共に前面窓に後退角は付いていない。改造時に6000・6500番台と同等の体質改善40Nやトイレの設置が行われたが、高速化改造はなされず番号下4桁はユニットを組むクモハ115形1500番台と共に改造前のものを引き継いでいる。
[[京阪神快速]]用に電動車ユニットの最高速度を110 [[キロメートル毎時|km/h]]としたものである<ref name="file201071"/>。JR京都線・神戸線で運用されていた117系の他線区への転出により車両が不足したため、[[1992年の鉄道|1992年(平成4年)]]より本系列の一部をJR京都線・神戸線などに転用することになり<ref name="railfan20121138"/>、対象車に以下の改造を施工した上で網干総合車両所などに配置した。
: モハ114-1098・1102・1117・1118・1173・1178・1194・1196→クモハ114同番号
* 車番を原番号+5000に改番<ref name="railfan20121138"/>
* [[ブレーキ]]装置を最高速度110 km/h対応化<ref name="railfan20121138"/>
* 先頭車の主幹制御器一部回路を短絡化
* 応荷重装置を搭載<ref name="railfan20121138"/>
* [[制輪子]]・ライニングを高速対応品に取替え<ref name="railfan20121138"/>
* [[蛇行動]]防止のため軸箱を[[皿ばね]]付きに取替え<ref name="railfan20121138"/>
* [[自動解結装置]]を取付<ref name="ikarosJNR 29">[[#ikarosJNR vol.1|「現役国鉄型大研究 vol.1」イカロスMOOK、p.28]]</ref>
 
6500番台を除く電動車ユニットは、ブレーキ装置の{{仮リンク|機械的倍率|en|Mechanical advantage|label=てこ比}}を2.56から4.19に改良し車番をさらに+500を加えている<ref name="railfan20121138"/>。
==== 1600番台(JR西日本) ====
 
平成6年頃から各路線から本系列の撤退により余剰となり、[[福知山電車区]]に残ったR1編成の2両を除いて岡山・下関地区などに転出し一般車と編成を組成した。両地区では最高速度が100 km/hであるため、順次車番が原番号に戻された<ref name="railfan20121138"/>。
 
==== サハ115形7000番台 ====
[[File:1996-8-12-saha115-7002.JPG|thumb|200px|right|サハ115-7002]]
岡山地区の115系非冷房車置き換えによる輸送改善のため、1994年(平成6年)に113系のサハ111形7000番台(2000番台の高速化改造車)2両へ客用扉を半自動対応のTK8A形に交換するなどの改造を施工した区分である<ref name="rp200907_p29">編集部「115系電車のプロフィール」『鉄道ピクトリアル』2009年7月号、p.29</ref>。[[1999年]](平成11年)までに全車廃車となった<ref name="railfan20121138">[[#鉄道ファン|鉄道ファン、交友社、2012年11月号、p.38]]</ref><ref name="series115-181">[[#series115ikaros|「形式115系」イカロス出版、p.181]]</ref>。
* サハ111-7023・7024 → サハ115-7001・7002<ref name="series115-181"/>
 
==== クモハ114形6000・6500番台 ====
{{Vertical_images_list
|幅= 200px
| 1=WestJapanRailwayCompanyType115-6000.jpg
| 1=JRW EC 115 series D28.jpg
| 3=115kei6000bandaisitsunaiR.jpg
| 2=クモハ115形1600番台
| 4=クモハ114形6000番台(上)<br />車内(下)
| 3=115kei1600bandaisitsunaiR.jpg
| 4=クモハ115形1600番台 車内<br/>運転台仕切窓を従来より拡大。
}}
1999年の[[舞鶴線]]の電化開業に伴いクモハ115形+モハ114形1000番台ユニットを種車に、モハ114形の先頭車化改造により2両編成とされた番台区分である<ref name="railfan20121139">[[#鉄道ファン|鉄道ファン、交友社、2012年11月号、p.39]]</ref>。
 
工事期間の短縮と簡素化の観点から新設運転台は既存の先頭車と同一の形状とすることを止め、窓や灯具の配置を踏襲しつつ種車の構体を活用した切妻形状とされたのが特徴で<ref name="railfan20121139"/>、[[国鉄145系電車|クモヤ145形]]などに近い外観となった。また廃車発生品の流用で工事費の低減も図られた<ref name="railfan20121139"/>。
岡山電車区受持の3両(D編成)運用増加のため、4両(A編成)を短縮するためにモハ115形に運転台が設置されて発生した番台区分である。2004年(平成16年)に4両が改造され、既存D編成の続番に編入された。
 
岡山電車区所属車から転用の2組は改造時に後述のブレーキ装置の高速化改造を受けて原番号+5000の区分<ref name="railfan20121140">[[#鉄道ファン|鉄道ファン、交友社、2012年11月号、p.40]]</ref>。網干電車区(現・網干総合車両所)所属のブレーキ装置のてこ比改良車が種車の3組は車両番号下4ケタが引き継がれた6500番台の区分とした。
前面形状は再び貫通扉付きのものとなったが、運転台位置は前項1000番台と同じくやや低めで、同時期に登場した[[国鉄103系電車#加古川線投入(3550番台)|103系3550番台]]に類似した形状となっている。運転台機器は余剰となる老朽化した下関所属の初期型クハ115形から発生した部品を流用された。全車改造時に30N体質改善工事がなされており、座席も通常の体質改善車と同じく転換クロスシートに交換されている。なお、編成反対側のクハ115形にトイレが設置されているため、本車にはトイレが無い。
: モハ115-6553・1059・1063・1111→クモハ115-1653・1659・1663・1711
 
クモハ115形には真空式和式トイレと[[車椅子スペース]]が設置された<ref name="R&M0712_27">[[#R&M0712|『Rolling stock & Machinery』第7巻第12号、p.27]]</ref>。霜害対応としてクモハ114-6106には2パンタが追加され、改造前から2パンタ車であるクモハ114-6123と合わせて2両が2パンタ車となった<ref name="R&M0712_27">[[#R&M0712|『Rolling stock & Machinery』第7巻第12号、p.27]]</ref>。体質改善40Nおよびワンマン運転対応化工事も施工されたが<ref name="railfan20121140"/>、通常の体質改善40N車と異なり客室は化粧板の張替えと戸閉機械を直動式 WTK113 への交換が主であり<ref name="R&M0712_24">[[#R&M0712|『Rolling stock & Machinery』第7巻第12号、p.2]]</ref>、座席配置は従来のセミクロスシートのまま(これは共通運用の113系にも共通する)である<ref name="R&M0712_27" />。
=== モハ115・モハ114形 ===
 
==== 3500番台(JR西日本) ====
ワンマン運転対応化工事改造の内容を以下に示す。
*[[運賃箱]]設置・[[緊急ブレーキ|EB]]の取付<ref name="railfan20121140"/>
*運用効率化のため[[嵯峨野線]]用113系と同様の自動解結装置を取付け<ref name="railfan20121140"/>
*側引戸を電気指令化<ref name="railfan20121140"/>
 
1999年(平成11年)に5本10両が改造された。「R編成」と命名されたが、すでに[[福知山運転所]]に配置されていた113系5300・5800番台の2両編成(S編成)と共通で運用された。
 
2008年8月の223系5500番台投入で経年の若い本車は他線区へ転属となり、同年11月にR4編成(クモハ115-6538+クモハ114-6625)・R5編成(クモハ115-6539+クモハ114-6627)の2本が下関車両管理室へ転出。12月11日に旧R4編成はT-13編成となり営業運転を開始した。さらに2008年度内に4本が転属し、自動解結装置を撤去して車両番号が-5000となる改番が実施された<ref name="6500start"/><ref>[https://railf.jp/news/2008/11/10/111600.html 115系6500番台が岩国へ] - railf.jp 鉄道ファン(2008年11月10日)</ref>。
* モハ114-1106・1123・6621・6625・6627 → クモハ114-6106・6123・6621・6625・6627
 
==== クモハ114形1000番台 ====
{{Vertical_images_list
|幅= 200px
| 1=0903120517_JRW_M115-3500_sideJRW EC 115 series G07.jpg
| 23=モハ115形3500系1000番台車内.jpg
| 4=クモハ115形+114形1000番台旧塗装<br />現在は全編成[[黄1号]]に塗替済<ref name="railfan20121140"/>(上)<br />車内(下)
| 3=0903120533_JRW_KE96SJPC_btw_Tc111_M115-3500.jpg
| 4=3000番台(左)と3500番台(右)<br/>ジャンパ栓周辺
}}
[[2001年]]7月の[[2000年代のJRダイヤ改正#7月7日|ダイヤ改正]]より伯備線・[[山陰本線]]の[[新見駅|新見]] - [[西出雲駅|西出雲]]間でワンマン運転が開始された。これに伴い岡山電車区配置の3両編成の一部を2両編成に短縮するため、上述の6000・6500番台と同様にモハ114形1000番台へ運転台設置<ref name="LCTA10-1142">「JR普通列車年鑑 2010-2011」イカロスMOOK、p.42</ref>・2両編成化・ワンマン運転対応を施工した区分である。2001年に[[西日本旅客鉄道吹田工場|吹田工場]]・後藤総合車両所・下関車両センターで8両が改造された<ref name="series115-107">[[#series115ikaros|「形式115系」イカロス出版、p.107]]</ref>。
<!--[[画像:07070002.jpg|thumb|200px|115系3500番台(117系改造車)の車内。かなり大がかりな改造がされている。]]-->
[[1991年]](平成3年)の[[JR西日本221系電車|221系]]増備に伴う[[国鉄117系電車|117系]]の[[JR京都線]]・[[JR神戸線]]での[[新快速]]運用の縮小<!--実際の撤退は1999年-->により一部編成は6両から4両に短縮し、山陽本線岡山地区の[[快速列車|快速]]「[[サンライナー]]」運用や[[福知山線]](JR宝塚線)・[[奈良線]]へ転用し、余剰となった中間車を山陽地区に残っていた115系非冷房車の置き換えのために115系に編入改造して登場した番台区分である。当初11ユニット22両が改造されたが、2001年(平成13年)に3ユニット6両が追加改造され、計28両が115系に編入された。2007年現在14ユニット28両が在籍しており、うち7ユニットが下関総合車両所の3000番台クハと、残る7ユニットは岡山電車区の3扉クハと編成を組んでいる。
 
モハ114形が先頭車化改造でクモハ114形となり、前面は切妻の非貫通構造となった<ref name="rp200907_p83" />。上り方先頭車は国鉄時代の先頭車化改造車であるクモハ115形1500番台である。改造と同時に40N体質改善工事を施工<ref name="JRR 2024s 190"/>されたが、座席の転換クロスシート化は行われていない<ref name="rp200907_p83" />。2両編成化で外されたクハ115形は廃車されず、初期型のクハの置き換えに転用された<ref name="rp200907_p83" />。
115系と117系は補助電源電圧が異なり、[[ジャンパ連結器]]についても115系のKE76形3本に対して117系はKE96形1本であるなど互換性が無い。このため、115系に電源を供するための降圧装置を取り付け、車端部ツナギを改造したうえで、KE76とKE96を直接接続可能な特殊両栓ジャンパ連結器を装備した<ref name="rp1992z">
{{cite book
|和書
|year=1992
|title=鉄道ピクトリアル増刊号
|publisher=電気車研究会
}}</ref>。また連結相手側の車両が非冷房車の場合に余ったジャンパケーブルを格納するため、KE76形用のジャンパ栓受も取り付けられた。したがって引き通し線は変更されておらず、制御回路は117系と同一である。{{要出典範囲|もともとCS15とCS43の制御回路に互換性があったために可能とした改造だが、[[1961年]]設計のCS15と、[[1979年]]設計のCS43では[[マスター・コントローラー|マスコン]]操作に対する応答速度に差があり、3500番台編成とそれ以外の115系編成を併結した場合、起動時にいわゆる「ドン突き衝動」が発生しやすい}}。
 
併結運転時に貫通路使用の取り止めを前提としたため正面貫通路の廃止<ref name="railfan20121141">[[#鉄道ファン|鉄道ファン、交友社、2012年11月号、p.41]]</ref>・運転台は先頭部ユニットの接合であり<ref name="series115-107"/>、運転台機器は同時期に廃車されたクハ115の廃車発生品の再用<ref name="railfan20121141"/>であるなど改造工数低減が実施されたほか<ref name="railfan20121130">[[#鉄道ファン|鉄道ファン、交友社、2012年11月号、p.30]]</ref>、窓や灯具の配置も異なり、103系低運転台車体質改善40Nに近い形状になっている<ref name="railj20120793"/>。またワンマン運転実施のため運賃箱や運賃表示機などを設置し、その際、視認性向上のため運転室前に小窓を新設<ref name="series115-108">[[#series115ikaros|「形式115系」イカロス出版、p.108]]</ref>。雪切室を廃止し主電動機冷却風の取入れ方法が運転室下からの吸気に変更<ref name="series115-107"/>。6000・6500番台とともに前面窓に後退角は付いていない。
また、種車の関係でこのグループのみパンタグラフはモハ115形に装備されている。{{要出典範囲|側面行先表示器は115系とは互換性がないため改造時点では使用停止とされ、[[行先票]]受けが設置された。後年それぞれの配置区所の115系の仕様に合わせて整備された}}。扉間のクロスシートは4列分のみ残してロングシート化された。
 
6000・6500番台と同等の体質改善40N・側[[扉#引き戸|引戸]]電気指令化も施工されたが<ref name="railfan20121140"/>、高速化改造および転換クロスシート交換は未施工。このため車内は座席定員58・総定員138のセミクロスシートとしたほかトイレはクモハ115形に設置。パンタグラフは1196のみ1基搭載であるが、1編成での運転や冬期運行条件等を考慮し霜取り用と集電用の2機を搭載した<ref name="JRR1985_78">[[#JRR1985|『復刻・増補 国鉄電車編成表1985年度版』p.78]]</ref>。塗装は当初京阪神更新色とされたが、後に全車濃黄色へ変更。
2006年より30N体質改善工事が開始され、2009年度に全車施工が完了した。この工事で117系時代の名残の新鮮外気導入装置は撤去されたが、座席配置は変わっていない。
新旧番号対応
: モハ117・116-17・21・23・25・27・29・31・33・35・37・39・303・315・316→モハ115・114-3501 - 3514
 
2017年現在も全車岡山電車区G編成<ref name="series115-108"/>で[[赤穂線]][[播州赤穂駅|播州赤穂]] - [[東岡山駅|東岡山]]間・山陽本線[[瀬戸駅|瀬戸]] - [[倉敷駅|倉敷]]間・伯備線・山陰本線[[伯耆大山駅|伯耆大山]] - 西出雲間で運用される<ref name="series115-107"/>。車両番号はモハ114形から変更されていない<ref name="railfan20121141"/>。
=== クハ115形 ===
* モハ114-1098・1102・1117・1118・1173・1178・1194・1196 → クモハ114同番号<ref name="series115-107"/>
クハ115形の改造車は500番台(偶数向の車両は600番台)とし、種車が1000番台のものについては1500・1600番台とする。これは113系クハ111形の115系への改造車も同一として統一した。また同じ運転台取付の車両でもモハ114・115形を電装解除してクハ115形化したものは、500・600番台の他に50を付加し、550・650番台として種車が電動車であることを判るようにしてある。これは台車が付随車用のTR62形台車でなく電動車用のDT21形台車を付随車用に改造したDT21T形を装着しているのを番号で判別できるようにしたためである。
 
==== 550クモハ115形1600番台・650番台(国鉄時代) ====
岡山電車区では[[2004年の鉄道|2004年]]に、輸送力見直しのため4両編成の運用の一部が3両編成に変更された<ref name="series115-88"/>。これに伴い3両のD編成の需要が増加したため、4両のA編成に組成されていたモハ115形に運転台を設置し対応させることになり<ref name="LCTA10-1143">「JR普通列車年鑑 2010-2011」イカロスMOOK、p.43</ref>、2004年に後藤総合車両所で4両が改造され発生した区分である。番号は原番号(6500番台は新製時の番号<ref name="series115-95"/>)に600を加えたものとなった<ref name="series115-88"/>。
[[画像:L25_Tc115-552_600.jpg|thumb|200px|クハ115-552]]
1983年に、越後線・弥彦線電化開業用の車両捻出と、山陽本線広島地区の短編成化頻発運転用の制御車増備のためにモハ115形・モハ114形(0番台)を電装解除し、前述の500番台と同様の運転台を取付けてクハ115形に改造されたグループ。
 
前面形状は再び貫通扉付きのものとなったが<ref name="series115-88">[[#series115ikaros|「形式115系」イカロス出版、p.88]]</ref>、運転台位置は上述1000番台と同じくやや低めで運転台仕切窓を従来より拡大したため、同時期に登場した103系3550番台に類似した形状となった。運転台機器は下関所属で老朽化により余剰廃車となったクハ115形初期車からの発生品を流用し、ブロックごとにユニット化するなどコスト低減が図られたため、運転室の仕切り壁は上側が切れている。また雪切室を廃止したため、主電動機の冷却風取り入れ口は運転室の下にある。なおワンマン運転に対応させるため、自動放送装置が取り付けられた<ref name="series115-88"/>。このため機器類を収める箱が設置され運転室後部の窓が埋められたが、ワンマン運転は行われていない<ref name="series115-96">[[#series115ikaros|「形式115系」イカロス出版、p.96]]</ref>。全車30N体質改善工事が同時施工されており、座席も通常の体質改善車と同じ転換クロスシートに交換された<ref name="railfan20121141"/>ため座席定員48・総定員124となった<ref name="series115-95">[[#series115ikaros|「形式115系」イカロス出版、p.95]]</ref>。なおトイレは編成にクハ115形が組み込まれているため未設置である。
550番台も650番台も奇数(上り)向きで種車の前位に運転台を取付け、650番台は偶数(下り)向きに方向転換させ、3位側隅にトイレを設備している。550番台のうち551 - 553は新潟地区用で耐寒耐雪装備を追加、554 - 556と650番台の全車は広島地区用で暖地向けである。基本的に550番台はモハ115形の、650番台はモハ114形の改造であるが、552はモハ114形からの改造で屋根上のパンタグラフ部の歩み板が残っている。番号の新旧対照は次のとおり。
 
塗装は当初京阪神更新色とされたが、2012年までに<ref name="series115-95"/>全車濃黄色へ変更された<ref name="series115-88"/>。
: モハ115・114-67・モハ115-69・15・18・91→クハ115-551 - 556
:* モハ114115-69655315105918106391→1111 → ハ115-6511653・1659・1663・1711<ref name="series115- 65488"/>
<gallery>
JRW EC 115 series D28.jpg|クモハ115形1600番台
115kei1600bandaisitsunaiR.jpg|車内
JRW 115 series D-31 20140329.jpg|濃黄色へ変更後のクモハ115形1600番台
</gallery>
 
==== クモハ114形1000・1500番台 ====
広島地区配属分のうち、554・556・652・654の4両は1985年の冷房化工事で分散式のAU13E形×6基を装備した。651・653の2両は1987年に試作[[分散式冷房装置]]WAU101形×3基により冷房化された。
[[ファイル:115系T-14.jpg|サムネイル|下関に転属後全編成下り側先頭車のタイフォンの形状が変更されている]]
[[JR西日本223系電車#5500番台|223系5500番台]]の導入に伴い福知山地区で115系6000・6500番台が余剰となり、下関地区への転用の際に[[#高速化改造|高速化]]解除されて発生した番台区分。2008年 - 2009年に吹田工場と下関車両センターで4両が改造された。種車が先頭車改造される前にてこ比が変更された車両が1500番台、変更されなかった車両が1000番台である。また高速化解除とともに自動解結装置が撤去され、ワンマン設備も使用停止となったため出入口表示器を不使用とした。下関総合車両所に配置され岩国 - 下関間で主に運用される<ref name="series115-109">[[#series115ikaros|「形式115系」イカロス出版、p.109]]</ref>。塗装は転属後は京阪神更新色だったが、2012年に濃黄色に塗り替えられた<ref name="series115-111">[[#series115ikaros|「形式115系」イカロス出版、p.111]]</ref>。なお1106にはモハ114時代に装着された霜取用パンタグラフが残存する<ref name="series115-110">[[#series115ikaros|「形式115系」イカロス出版、p.110]]</ref>。
* クモハ114-6106・6621・6625・6627 → クモハ114-1106・1621・1625・1627<ref name="series115-109"/>
 
==== クハ115形2500・2600番台 ====
1987年の国鉄分割民営化では、新潟地区用の550番台3両がJR東日本に、広島地区用の550番台3両と650番台4両がJR西日本に承継された。
[[File:JRW 115 series R-01 20140409.jpg|thumb|200px|クハ115-2517]]
広島・山口地区には車齢の高いクハ115形や、115系と混成でクハ111形が運用されていたが、老朽化が進んだことや、クハ111形混成編成では半自動ドアが使用できないなど、サービス上の問題があった<ref name="rp201512_p57">平石大貴「115系電車のあゆみ(II)」『鉄道ピクトリアル』2015年12月号、p.57</ref>。このため京阪神地区への新型車両投入により捻出された広島地区の113系を115系に改造し編入することになり、クハ115・111形初期車の置き換え用としてクハ111形2000番台を改造したクハ115形2500・2600番台が2012年度に登場した<ref name="rp201512_p58">平石大貴「115系電車のあゆみ(II)」『鉄道ピクトリアル』2015年12月号、p.58</ref>。
 
改造内容はMC54A形主幹制御器を115系用MC53形へ交換・ブレーキ弁のカム構造変更・ジャンパ連結器交換の編入改造である<ref name="rp201512_p58" />。相違点として運転台に抑速ブレーキ表示灯を設置した<ref name="series115-159">[[#series115ikaros|「形式115系」イカロス出版、p.159]]</ref>。
JR東日本承継車は、2007年現在も全車が健在でAU712形集約分散型冷房装置によって冷房化され、新潟車両センターの4両編成に組込のうえ、信越本線・[[白新線]]・越後線・弥彦線で運用されている。
 
2500番台が偶数向き、2600番台が奇数向きである。車両番号はクハ111形新製時のものに500を加えたものとしたが、クハ111形2500・2600番台は嵯峨野線時代に電気[[連結器]]取付工事を実施後に撤去したグループであり、改番前の元番号に500を加えたものとした<ref name="series115-159"/>。
JR西日本承継車は、非冷房の555が1994年に、651と653が2001年に、554が2004年に廃車されたが、556・652・654の3両が下関総合車両所に配置され山陽本線で運用されている。
 
*クハ111-2016・2017・2020・2606・2613→クハ115-2516・2517・2520・2515・2539<ref name="series115-159"/>
==== 600番台(国鉄・JR西日本) ====
*クハ111-2116・2120・2142・2513→クハ115-2616・2620・2642・2645<ref name="series115-159"/>
600番台は2種類存在する。
 
;==== クハ111115改造車750番台 ====
[[File:JRW Series 115 Kuha115-750.JPG|thumb|200px|クハ115-759]]
1983年、岡山地区の短編成化用に[[国鉄113系電車|113系(111系)]]のクハ111形300番台より改造編入されたものである。改造は、[[マスター・コントローラー|主幹制御器]]の交換と戸閉装置の交換による扉の半自動化程度で、グローブ型通風器や<!--戸閉装置、←戸閉装置はTK8系へ交換している-->床下の空気圧縮機(使用停止)など種車の特徴を残している。
老朽化したクハ115形初期形車置換えを目的に113系クハ111形750番台から本系列への改造を2013年に施工した。体質改善車ではなく座席はボックスシートである。
 
759の1両が下関総合車両所運用検修センターに所属<ref name="series115-133">[[#series115ikaros|「形式115系」イカロス出版、p.133]]</ref>していたが、[[JR西日本227系電車|227系]]の導入により2015年3月に廃車され、廃区分番台となった。
偶数(下り)向き固定使用で6両が改造された。
: *クハ111-365・373・379・380・381・397→759 → クハ115-601759<ref name="series115- 606133"/>
[[画像:JRW 115-622.jpg|thumb|200px|クハ115-622]]
国鉄分割民営化時には全車がJR西日本に引継がれ、604・605にはWAU102形×3基による冷房改造が施工された。1994年には非冷房の本グループを置き換えるため冷房改造済みの3両が追加改造され、サハ115形改造グループの続番の620 - 622に付番された。番号の新旧対照は次のとおり。それにともない602・603・606が廃車された。
: クハ111-5415・5431・5436→クハ115-620 - 622
 
== 他系列への改造車 ==
その後1999年に601が、2002年(平成14年)に620・621が廃車され、2007年4月現在604・605・622の3両が下関総合車両所に配置され、山陽本線で運用されている。604と622は延命工事Nが施行されているが、622は雨樋を張上式にしたものの側窓は原形のままの変型車となっている。
=== 113系への改造 ===
==== サハ111形300番台への改造 ====
房総各線で運用している113系6両編成の一部を4両編成とするにあたりサハ代用で組込まれていたクハ111形を捻出するために、中央東線の短編成化で余剰となったサハ115形300番台4両を[[1984年]]と[[1985年]]に編入改造を施工した<ref name="railfan20121131">[[#鉄道ファン|鉄道ファン、交友社、2012年11月号、p.31]]</ref><ref>[http://rail.hobidas.com/photo/archives/2007/01/111300111301.html 国鉄サハ111形300番代(サハ111-301)] 消えた車輌写真館:鉄道ホビダス</ref><ref name="rp201511_p38">平石大貴「115系電車のあゆみ(I)」『鉄道ピクトリアル』2015年11月号、p.38</ref>。
* サハ115-308・310 - 312 → サハ111-301 - 304
 
;==== 115111への改造 ====
前項同様に房総各線で運用している113系6両編成の一部を4両編成とするにあたり、余剰となっていたクハ115形基本番台を1988年に編入改造した。種車はすべて非冷房車で基本番台・300番台ともに従来車の続番とされた。1993年までに全車廃車<ref name="railfan20121134"/>。
1983年に、山陽本線広島地区の編成短縮による頻発運転に対応するため、中央東線で使用されていた115系の編成短縮(8両→6両)によって捻出されたサハ115形(0番台)を種車に、方向転換のうえ1000番台に準じた運転台を付加して偶数(下り)向きの制御車に改造したものである。
* クハ115-65・80・158・176・67 → クハ111-271 - 275
* クハ115-47・66・157・179・68 → クハ111-570 - 574(CP取付)
 
=== 401系への改造 ===
広島地区のほか、高崎地区・新潟地区・松本地区・静岡地区用にも追加投入され1985年までに13両が改造されたが、番号はクハ111形改造車(601 - 606)の追番(607 - 619)とされた。
常磐線の編成組み替えなどで先頭車が不足したため、[[1986年]]にクハ115形の1両が401系の[[国鉄415系電車|クハ401形]]に改造された<ref name="福原2014_p123" /><ref name="railfan20121131"/>。改造当初の車両番号はクハ401-901であったが、1987年1月にクハ401-101へ改番されている<ref name="rp201511_p38" />。
: サハ115-6 - 8・1 - 4・9・13 - 16→クハ115-607 - 619
* クハ115-612 → クハ401-901 → クハ401-101
 
== 各種改造工事 ==
当初の配置は、607 - 609が広島、610が新前橋、611・612が沼津、613が新潟、614 - 619が松本。沼津の2両は1985年3月に新前橋に転属し、松本の6両は国鉄分割民営化により中央西線中津川以北がJR東海の管轄になることから、1986年11月に神領へ転属となった。612は1986年11月に、[[交直流電車|交直両用]]の[[国鉄415系電車|401系]]用の制御車に転用され、クハ401-901(直後に101に再改番)となったが、非冷房車のため5年足らずの1991年で廃車された。
{{画像提供依頼|
# ロングシート改造を施工した車両の車内画像
# 前面強化車両の改造直後(無塗色)の画像
|date=2018年8月|cat=鉄道車両}}
=== 国鉄時代の各種改造 ===
==== 国鉄時代の冷房化改造 ====
[[File:JRE Kuha115-207.jpg|thumb|200px|クハ115-207<br />冷房改造車]]
非冷房で落成した基本番台は、300番台・113系0'番台が新製冷房車で落成したためサービス標準化の観点から以下に示す冷房化改造が1975年度より施工された<ref name="railfan20121132">[[#鉄道ファン|鉄道ファン、交友社、2012年11月号、p.32]]</ref><ref name="福原2014_p123">福原俊一『115系物語』p.123</ref>。
* AU75形集中式冷房装置を屋根上に搭載<ref group="注">途中からクーラーキセ(カバー)が[[ステンレス鋼|ステンレス]]製となったAU75G形に変更。</ref>
* 冷房装置搭載のため構体を補強<ref name="railfan20121132"/>
* モハ114形のMGを自車を含め最大4両に給電可能な冷房電源供給用MH135-DM92形・160 kVA電動発電機に換装<ref name="railfan20121132"/>
* 側面後位寄りには電動行先表示器の準備工事(後年に搭載)
* クハ115形は冷房電源用三相引き通しを追加したため片渡り構造に変更<ref name="railfan20121132"/>
* 制御回路用ジャンパ連結器をKE58形2基からKE76形3基に変更
 
冷房化改造を受けた車両は奇数番号車は奇数向き、偶数番号車は偶数向きに改造され、一部車両は方向転換も実施された。また1980年度以降には1000番台以降の冷房準備車にも取付工事が開始された。3000番台の冷房準備車は1984年に全車両が冷房化され、2年で工事完了となった<ref name="福原2014_p123" />。
1987年4月の分割民営化にあたっては、607 - 609がJR西日本、610・611・613がJR東日本、614 - 619がJR東海に継承された。
 
国鉄末期に広島地区クハ115形改造車の一部で施工された冷房化改造では、153系の廃車発生品のAU13形分散式冷房装置4基または6基が搭載された<ref name="railfan20121132"/><ref name="福原2014_p124">福原俊一『115系物語』p.124</ref>。
JR西日本の3両のうち607・608は、国鉄時代の1984年および1985年にAU13E形[[分散式冷房装置]]によって冷房化された。607は装置を4基のみ搭載した試作的要素の強い異端車で、これは本系列では初の集中式冷房装置(AU75系)によらない冷房化方式であり、149も同様の改造を受けている。608は6基を搭載した量産車というべきものであった。非冷房のまま引継がれた609は、集約分散式のWAU101形×3基によって冷房化され、3両が異なった形態を持つこととなった。609が2002年に廃車となり、2007年4月現在607と608の2両が下関総合車両所に配置され山陽本線で運用されている。
 
新製車に合わせて国鉄時代に施工された改造工事はAU75形集中式冷房装置の搭載を前提としていたが、分割民営化後のJR東日本・JR東海の両社では経費削減の観点から集約分散式を搭載する改造も施工された。民営化後の冷房化改造では補助電源装置も従来のMGに代わり屋根上搭載インバータや静止形コンバータ (SCV) が適用された<ref name="railfan20121132"/>。
JR東日本の3両のうち610は小山に転属し集中式のAU75系により冷房化され、同区の7両基本編成に組成されて東北本線などで使用され2001年に廃車となった。611は非冷房のまま1990年(平成2年)に長野に転属し訓練車のクモハ115-1+モヤ114-1(元モハ114-801)のユニットと組成されたが、2002年に廃車となった。2007年4月現在、613のみが新潟車両センターに配置され、信越本線などで使用されている。同車は、インバータ制御の集約分散式AU712形×2基によって冷房化されている。
 
==== 新潟地区向け耐寒耐雪強化改造 ====
JR東海の6両は、いずれも1000番台と組成されており集約分散式C-AU711A形×2基によって冷房化された。1988年に中央西線中津川以北の運用が165系に置き換えられたことから静岡に転属し、全車が飯田線 - 篠ノ井線系統の運用に充当したが、[[1999年]]に2両を残して東海道本線系統に転用されている。313系3次車への置き換えで廃車が進められ、2007年4月に最後まで残っていた617が廃車されJR東海からは消滅した。
[[ファイル:Kuha115-2129.jpg|サムネイル|新潟地区転用後のクハ115-2129]]
1976年度に東北・高崎線の115系300番台投入で115系0番台が新潟地区の旧性能車置き換えとして転用された際、寒冷地の走行を考慮して新潟地区の165系に相当する耐寒耐雪構造工事が行われた<ref name="rp201511_p38" />。改造内容は先頭車前面へのタイフォンカバー設置、客室内への主電動機冷却風取り入れ口の設置、前面窓へのデフロスタ設置などである<ref name="福原2014_p66">福原俊一『115系物語』p.66</ref>。1978年度に115系1000番台が新潟地区に新製投入されたため115系0番台の新潟地区での運用は終了し、タイフォンカバーの撤去などを行った上で岡山・広島地区へ転属した<ref name="rp201511_p38" />。
 
1984年の越後・弥彦線電化の際は沼津・岡山・広島から115系0番台・2000番台の一部が新潟地区に転用されることになり、寒冷地の走行を考慮した耐寒耐雪構造強化工事が行われた<ref name="rp201511_p39">平石大貴「115系電車のあゆみ(I)」『鉄道ピクトリアル』2015年11月号、p.39</ref>。改造内容は耐雪ブレーキの設置、客室内への主電動機冷却風取り入れ口の設置、乗務員室への温風暖房の設置などである<ref name="rp201511_p39" />。
==== 1400番台(国鉄時代) ====
岡山地区の6両編成を短編成化した際にクハ115形1100番台を方向転換した車両で、1986年改造。1984年改造のクハ115-1148→クハ115-1244の事例と異なり新規に番台が起こされた。
 
==== 前面強化と前照灯シールドビーム化 ====
JR西日本でも同様の改造、および1000番台を奇数向きに方向転換する改造が行われているが、国鉄時代と異なり番号は変更されていない。
115系は[[1973年]]の300番台より前面強化構造で新製されたが、0番台についても1978年度より前面強化改造が施工されることになった<ref name="rp201511_p38" />。0番台先頭車の前照灯は[[白熱電球|白熱灯]]2基を前面窓下に設置していたが、300番台以降は小型で耐久性に優れたシールドビームが採用されており、0番台車でも前面強化改造と同時にシールドビームへの交換が施工された<ref name="rp201511_p38" />。
: クハ115-1145・1149・1154・1156・1158→クハ115-1401 - 1405
 
改造内容は前面外板の補強と前照灯のシールドビーム化である<ref name="rp201511_p38" />。ライトの口径が異なることから通常は前面強化工事と同時施工でライトケースごと撤去し、外見上の違和感がなくなるように300番台以降の車両と同じ形状に整形されている。
==== 1500番台(国鉄・JR東日本) ====
国鉄時代の1983年からサハ115形1000番台を改造して登場した番台区分である。種車の関係でトイレは設置していない。1992年までに13両登場したが、現在は6両が新潟車両センターと長野総合車両センターに在籍している。
: サハ115-1012・1014・1011・1013・1015・1017・1020・1026・1005・1018・1001・1027・1028→クハ115-1501 - 1513
 
==== 1600番台(国鉄時代)特別保全工事 ====
車齢が15年以上経過した車両は老朽化や設備の陳腐化が深刻になったが、当時の国鉄は財政状況が厳しく、それらの車両を新車に置き換えることは難しかったため、延命のために特別保全工事が行われた。改造内容は主に[[構体 (鉄道車両)|屋根や腰板]]、窓まわりの外板の補修および空気[[配管]]や[[配線]]の取り替えであった。この工事は[[日本の鉄道車両検査#全般検査|全般検査]]2回分(約8年)分の寿命を延ばすことが目的だった<ref name="series115-30">[[#series115ikaros|「形式115系」イカロス出版、p.30]]</ref>。
[[画像:L25_Tc115-1601_600.jpg|thumb|200px|クハ115-1601<br/>独特な窓配置とトイレ設置部]]
前述の1500番台と同じく1983年に登場したサハ115形1000番台からの改造車であるが、1500番台と異なり偶数向き固定使用となり、トイレを設置していて、その部分が独特の窓配置になっているのが特徴である。1601の1両が新潟車両センターに在籍している。
: サハ115-1009→クハ115-1601
 
=== サハ115形JR各社共通の各種改造 ===
==== 前照灯簡易シールドビーム化改造 ====
==== 7000番台(JR西日本) ====
<gallery perrow="2" widths="180" style="float:right; font-size:90%;">
1994年(平成6年)、サハ111形2000番台の高速化改造車7000番台に、客用扉の半自動化などの115系編入改造を施工した車両である。2000年(平成12年)までに全車廃車となり現存しない。
Dekame-hiroshima-saijo1.jpg|クハ115-605(原型前照灯車)<br />現在はシールドビーム改造済
: サハ111-7023・7024 → サハ115-7001・7002
クハ115-604.jpg|クハ115-604<br />下関車両センター施工のシールドビーム化改造車
Series115-chikubeam.JPG|下関車両センター施工のシールドビーム化改造車の前照灯
Training Car.JPG|クハ115-108<br />ライトケース灰色塗装異端車
</gallery>
 
115系0番台は国鉄時代より前照灯のシールドビーム化が進められていたが、JR化後は改造費節減の観点から白熱灯用ライトケースに口径差を解消するリング状の枠を取付けシールドビームを設置する方式が開発された。枠の色は一般的に周囲と同色にされるが、豊田車両センター所属訓練車編成クハ115-108に見られる灰色という例外もある<ref name="series115-125">[[#series115ikaros|「形式115系」イカロス出版、p.125]]</ref>。
=== 5000番台(全形式共通) ===
5000番台はJR東海仕様とJR西日本仕様の2種類が存在するため、会社別に説明する。なお、JR西日本車については次項を参照。これは113系の5000番台についても同じ内容である。
 
2006年以降にJR西日本下関車両センターが施工した改造では、さらなる経費削減の観点からクハ105形100番台廃車発生品のシールドビームを流用し、枠で電灯部分をくり抜いた鉄板でライトケースを塞ぐ工法となった<ref name="series115-137">[[#series115ikaros|「形式115系」イカロス出版、p.137]]</ref>。2008年に最後の大型前照灯装備車クハ115-199がシールドビームに改造されたため、0番台の原型前照灯装備車は姿を消した<ref name="series115-126">[[#series115ikaros|「形式115系」イカロス出版、p.126]]</ref>。残存車はクハ111形改造の605のみとなったが、同車も2008年5月に改造され本系列から白熱灯車が消滅した<ref name="Tc115-605"/><ref name="series115-137"/>。
==== JR東海仕様 ====
集約分散型冷房装置C-AU711D形を搭載し、クハ115形に冷房専用電源SCV(静止型コンバータ)を搭載したもの。モハ114形の制御電源用MGは存置している。同時に客扉の[[ステンレス鋼|ステンレス]]化、化粧板の交換なども施工した。工事施工車は現番号+5000、SCV搭載クハ115形は+6000で識別されていた。老朽化により、1999年までに全車廃車されている。
: クモハ115-513 - 515→クモハ115-5513 - 5515
: モハ114-821・824・825→モハ114-5821・5824・5825
: クハ115-116・156・200→クハ115-6116・6156・6200
 
==== 他系列へのATS-P設置改造 ====
JR東日本では1988年の[[東中野駅列車追突事故]]を契機にATS-Pの設置が推進されることになり、115系でも首都圏の全車と長野・新潟地区の一部車両で設置された<ref name="rp201512_p59">平石大貴「115系電車のあゆみ(II)」『鉄道ピクトリアル』2015年12月号、p.59</ref>。後に長野・新潟地区ではATS-SNを基本としたATS-Psの設置が対象全車で完了している<ref name="rp201512_p59" />。ATS-P・Ps関連機器はクハでは床下に搭載されたが、クモハでは床下機器スペースが小さく搭載が困難なため、0番台では運転台後部の側窓を閉鎖して機器箱を設置、300番台・1000番台では運転台仕切壁の上側に機器箱が設置された<ref name="rp201512_p59" />。
=== 113系 ===
==== サハ111形300番台 ====
房総各線で運用している113系6両編成の一部を4両編成とするにあたりサハ代用で組込まれていたクハ111形を捻出するために、サハ115形300番台4両を1984年と1985年に編入したもの。詳細は[[国鉄113系電車#国鉄時代|サハ111-300]]を参照。
 
JR西日本では2005年の[[JR福知山線脱線事故]]を機にATS-Pの整備が進められ、115系にも順次搭載されている<ref name="rp201512_p59" />。
==== クハ111形 ====
前項同様に房総各線で運用している113系6両編成の一部を4両編成とするにあたり、余剰となっていたクハ115形0番台を1988年に編入したもの。種車はすべて非冷房車で、0番台・300番台ともに従来車の続番が付与された。
: クハ115-65・80・158・176・67→クハ111-271 - 275
: クハ115-47・66・157・179・68→クハ111-570 - 574(CP取付)
 
=== 401系JR東日本の各種改造 ===
==== クハ401AU712による冷房化改造 ====
[[File:Type200-izukyu.JPG|thumb|200px|AU712形集約分散式冷房装置<br />SC24形補助電源装置<br />搭載冷房改造車<br />(画像は伊豆急行譲渡後)]]
[[常磐線]]の編成組み替えなどで先頭車が不足したため、[[1986年]]に1両のみ改造。現存せず。詳細は[[国鉄415系電車#|クハ401-901→101]]を参照のこと。
非冷房車は冷房搭載を前提としていないため、構体の補強および電源用三相交流引き通し増設の工事が伴い、多額の費用と時間を要していた<ref name="railfan20121132"/>。早期の冷房化を図るため、JR東日本での非冷房車の冷房改造は分散式のAU712形で行われることになった<ref name="Fan2004-4">交友社『[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]]』2004年4月号「AU712形搭載車の現況」pp.99 - 105。</ref><ref name="rp201512_p60">平石大貴「115系電車のあゆみ(II)」『鉄道ピクトリアル』2015年12月号、p.60</ref>。1988年度から改造が実施され、豊田電車区・小山電車区・上沼垂運転区(現・新潟車両センター)所属の基本番台・800番台を対象に施工されている<ref name="Fan2004-4"/>。
: クハ115-612→クハ401-901→クハ401-101
 
冷房装置本体は重量分散化で補強を不要とするAU712形集約分散式冷房装置を搭載<ref name="railfan20121132"/><ref name="Fan2004-4"/>、室内の左右に冷気用ダクトを2本設置して冷房効率化の観点から一部の扇風機を残存した。電源は当初はモハ114形のMG換装で対応していたが、途中から工期・費用を削減するためSC24形インバータ(28 kVA・VVVF制御<ref group="注">SC24形インバータは容量可変制御(VVVF)であり、定電圧定周波数制御(CVCF ≒ SIV)ではない。</ref>)を屋根上搭載とした<ref name="Mitsumishi_198901">{{PDFlink|[https://www.giho.mitsubishielectric.co.jp/giho/pdf/1989/8901.pdf 「車両用1,500V DA空調システム」]}}三菱電機技報 1989年1月号([[1989年]])p.92、三菱電機。</ref><ref name="MITSUBISHI1991-6">三菱電機『三菱電機技報』1991年6月号特集論文「{{PDFlink|[https://www.giho.mitsubishielectric.co.jp/giho/pdf/backnumber/1991(vol65)/Vol65_06.pdf 車両空調制御システムのエレクトロニクス化」]}}」pp.49 - 52。DC1,500V単車用空調インバータはSC24形インバータによる空調システム。</ref><ref name="railfan20121132"/><ref name="Fan2004-4"/>。SC24形インバータ搭載の場合はクモハ・モハ114形のMGが20 KVAのまま存置されている<ref name="rp201512_p61">平石大貴「115系電車のあゆみ(II)」『鉄道ピクトリアル』2015年12月号、p.61</ref>。
== その他 ==
=== 冷房化改造 ===
==== 国鉄仕様 ====
{{節stub}}<!--AU75やAU13E搭載車の話-->
非冷房で登場した0番台であったが、115系300番台、[[113系]]0番台後期型が登場するとサービス向上のために冷房が取り付けられた。この際、モハ114形の電動発電機を160kVAのものに換装している。また、側面後位寄には電動行先表示器の準備工事が行なわれた。国鉄時代に改造された車両は[[集中式冷房装置]]のAU75形が基本だが、国鉄末期に広島地区で改造されたクハ115形の一部は[[国鉄165系電車|165系]]や[[国鉄457系電車|457系]]などと同じAU13形を4個または6個搭載している。冷房準備車で落成した1000番台、2000番台のうち、東日本地域配属車は一部を除いてAU75形で冷房化改造されている。途中からクーラーキセが[[ステンレス]]のAU75Gを採用している。
 
冷房準備車ではAU75C形の後継機種となるAU75F形を搭載<ref name="rf100125">[[#countdown|鉄道ファン、交友社、2010年1月号、p.25]]</ref>するのが基本であるが、上沼垂所属のクハ115-1502・1503・2035・2037・2039・2040・2129は編成を組成する電動車ユニットが非冷房車であったため、冷房準備車ながらAU712形冷房装置とSC24形インバータが搭載された。AU75形用塞ぎ板を一旦外した後に天井を再改造しており、[[ランボード]]を残存させているが、1981年以降の製造車は201系で採用された物と同タイプを装備する<ref name="rf100125"/>。
==== JR東日本仕様 ====
国鉄時代は新造車と同じAU75系冷房装置によって冷房改造を行なっていたが、非冷房車は冷房搭載を前提とした設計ではなかったため、搭載には構体の補強及び電源用三相交流引き通し増設の工事が伴い、多額の費用と時間を要していた。
 
115系のAU712形冷房改造車は施工車の大半が車齢の高い初期車であったため、早期に淘汰されている<ref name="rp200907_p61">中村剛「JR東日本115系電車の現状(付 しなの鉄道)」『鉄道ピクトリアル』2009年7月号、p.61</ref>。中央東線では[[2000年]][[12月]]の豊田電車区から松本電車区転属後に小山区からの115系転入車に置換され、東北・高崎線用はE231系への置換えで全廃となった。新潟地区では比較的遅くまで残っていたが、2015年12月までに全廃となっている。
そのためJR化後、非冷房車の冷房改造は屋根上に複数の冷房装置を搭載し、重量を分散することで補強を不要とするAU712形集約分散式冷房装置を使用しての冷房改造に移行した。豊田電車区・小山電車区・上沼垂運転区(現・新潟車両センター)の0・800番台が対象となったが、上沼垂区では編成を組むクハ115-1000・1500・2000・2100の各番台にも施工されている。室内の左右に冷気が出る細長いダクトが2本用意され、冷房効率化の観点から扇風機も残された。なお、1000・2000番台車でAU712形による冷房改造を行った車両は、AU75形用の塞ぎ板を一旦外した後、改めてその部分の天井を施工して冷房改造を行った。
 
2000年に松本運転所へ転属した編成の一部は伊豆急行200系となったが、すでに全廃となった。
冷房電源は当初はモハ114形のMG交換による容量増強で対応していたが、途中から工期・費用をさらに削減するために屋上別取付のSC24形補助電源装置(SIV)も同時に取付けたタイプも登場した。
 
==== 車両更新工事 ====
豊田車は2000年12月の松本電車区転属後に小山区からの転入車に置換され、一部は[[伊豆急行]][[伊豆急行200系電車|200系]]となったが、既に全車廃車となっている。また、小山車もE231系によって置き換えられたため、現在は新潟車両センター所属車両だけが残存。
国鉄時代の[[#特別保全工事|特別保全工事]]を発展させ、20年程度の延命を目的とした車両更新工事<ref name="series115-30"/>。外板や配管の交換、座席モケットや化粧板の交換、屋根の塗り屋根化、前照灯のシールドビーム化、方向幕準備工事車への方向幕設置などが行われた<ref name="series115-30"/>。
 
==== JR東海仕様弥彦線向けワンマン化改造 ====
[[ファイル:Jre115-yahikocolor-20070325.jpg|サムネイル|2代目弥彦色の弥彦線向けワンマン車(2007年)]]
インバータ方式の集約分散型C-AU711形を番台に関係なく非冷房車両(冷房準備車も含む)に搭載。1988年頃から改造工事<ref>当時の関係者の話では1両あたりの改造費用は約700万円とのこと。</ref>を開始。こちらもJR東日本と同様に扇風機を残した状態で、冷気が出る細長いダクトが車両の左右に設置された。ただ、JR東日本の場合とは異なり、運転室後部の大型通風器の一般型への交換などは行われておらず、冷房準備車のAU75形用塞ぎ板も残したまま改造された。
115系の2両編成で運転される弥彦線は、1988年10月からワンマン運転が実施されることになった<ref name="福原2014_p137">福原俊一『115系物語』p.137</ref>。これに伴い一部編成に放送装置や運賃箱の設置<ref name="rf100126">[[#countdown|鉄道ファン、交友社、2010年11月号、p.26]]</ref>、[[ドアチャイム]]、[[緊急列車停止装置|EB]]取り付けなどの改造が施工された。施工車両は白をベースに[[朱色3号]]と[[黄5号]]の[[ストライプ]]塗装に変更された<ref name="railfan20121134"/>。
 
弥彦線向けワンマン車は1995年度に塗装変更が行われ、白地に窓周りをライトイエローとしてグリーンとグレーの帯を配する配色となった<ref name="rp201512_p60" />。
==== JR西日本仕様 ====
{{節stub}}<!--AU712・C-AU711・WAU102やWAU203搭載車の話-->
クハ115-604・605・609・651・653には、[[大手民鉄]]で採用されているものに酷似したWAU101形・WAU102形集約分散式を3基搭載した。冷房搭載後も扇風機が備えられており、集中式とは天井意匠が異なる。部品提供のために3両が廃車され、604・605が現存している。クモハ115・114形550番台にはバス用冷房を応用したWAU202形が搭載された。
 
==== 高速ロングシート化改造 ====
JR東日本では東京都市圏の輸送力増強のため、1989年度から1990年度に小山電車区の300番台7両編成のうち、14編成98両にロングシート改造を施工した。
JR西日本において113系編成が不足したために115系の一部をJR京都・神戸線などに転用することになり、対象車を同線の113系と同じく[[ブレーキ]]装置を最高速度110km/hに対応する改造を施工した上で[[網干総合車両所]]などに配置したものである。先頭車については、主幹制御器([[マスター・コントローラー]])の一部回路を短絡することで113系との併結を可能としている。車番は原番号+5000。
 
長野地区では分割民営化直前の1987年3月に長野地区の1000番台1編成3両へ試験的にロングシート化改造を施工した<ref name="railfan20121134"/>。編成はクモハ115-1019+モハ114-1025+クハ115-1018の3両編成(後の長野総合車両センターN29編成<ref>[http://rail.hobidas.com/rmn/archives/2013/06/jr143-1115n29.html クモユニ143-1+115系N29編成が信越本線で試運転] - RM News 鉄道ホビダス(2013年6月28日)</ref>)で、トイレ対向部を除きすべてロングシート化された<ref name="rp200907_p71">中村剛「JR東日本115系電車の現状(付 しなの鉄道)」『鉄道ピクトリアル』2009年7月号、p.71</ref>。長野地区では寒冷地での冬期の暖房効果に難があるとして、2002年12月のリニューアル工事の際にセミクロスシートに戻されている<ref name="rp200907_p71" />。
その後、電動車についてはブレーキ装置のてこ比を改良する改造が行われ、車番がさらに+500化された(クモハ115形6500番台を除く)が、この各路線からの115系の撤退により余剰となり、現在は岡山・下関などに転出し、一般車と編成を組む車両も現れている。両地区では最高速度が100km/hであるため、一部では不要となった高速走行装置を外し原番号に戻した車両も存在する。
 
==== 体質改善前面強化工事 ====
[[1992年]][[9月14日]]に発生した[[日本の鉄道事故 (1950年から1999年)#成田線大菅踏切事故|成田線大菅踏切事故]]を受けて、JR東日本は113系電車と同様に1972年度以前に製造された車両に[[アンチクライマー]]付きのステンレス板を取り付ける前面強化工事を施工した<ref name="福原2014_p138">福原俊一『115系物語』p.138</ref>。当初板は無塗色のステンレスカラーだったが、やがて通常の塗色に戻された<ref name="railfan20121134"/>。初期車は前照灯のシールドビーム化改造も合わせて行われた<ref name="railj20120793"/>。
 
==== トイレ追設工事 ====
新潟・長野地区では先頭車化改造車増備によりクモハ114形・115形による2両編成で運行されていたが、2両編成にはトイレがないため1992年から新潟地区の車両に、1999年から長野地区の車両に大型トイレを設置する改造工事が施工された<ref name="railfan20121135"/>。
 
==== リニューアル工事 ====
{{Vertical_images_list
|幅= 200px
| 1=JRE 115kei renewal interior.JPG
| 2=リニューアル車 車内
| 3=JRE-EC-115-Kurumaisu-Space.jpg
| 4=車椅子スペース
}}
[[File:JNR 115 series Remodeling work record plate (Omiya workshop).jpg|thumb|200px|[[大宮総合車両センター|大宮工場]]で施工された工事の際に付されたプレート]]
 
アコモデーションの改善や故障防止、信頼性の向上などを目的としてJR東日本車所属の300番台・1000番台一部車両を対象に1998年度から2002年度にかけて、6両編成×7本、3両編成×53本、2両編成×4本の209両が施工された<ref name="railfan20121135">[[#鉄道ファン|鉄道ファン、交友社、2012年11月号、p.35]]</ref><ref name="series115-30"/>。
* 外板の取替・塗屋根化ならびに雨どいの[[繊維強化プラスチック|FRP]]化<ref name="railfan20121135"/><ref name="福原2014_p139">福原俊一『115系物語』p.139</ref>
* 座席の取替<ref name="railfan20121135"/>
* 台車の密封コロ軸受化<ref name="railfan20121135"/>、防振ゴムを交換<ref name="series115-30"/>
* 化粧板と床の更新(ローンテックス化)<ref name="railfan20121135"/>
* 補助電源装置をMG→SIVに交換・CPをスクロール式・除湿装置付きに取替(一部車両)<ref name="railfan20121135"/>
* クハ115形トイレ脇のロングシート撤去と車椅子スペースの設置(一部車両)
* [[自動空気ブレーキ]]をA制御弁からM制御弁に取替<ref name="railfan20121135"/>
* 空気配管や配線などを交換<ref name="series115-30"/>
* 側引戸と配管の修繕<ref name="railfan19990680">[[#renewal|鉄道ファン、交友社、1999年6月号、p.80]]</ref>
* 床貫通[[配管]]をステンレス化<ref name="railfan19990680"/>
* 前面の窓ガラスを交換<ref name="railfan19990680"/>
* 電動[[ワイパー]]化<ref name="railfan19990680"/>
* 主電動機の[[絶縁 (電気)|絶縁]]を更新<ref name="railfan19990680"/>、
* 客室内の窓ガラス・カーテン・荷棚を更新<ref name="railfan19990680"/>
* ドア横のロングシートの端に防寒仕切を新設<ref name="railfan19990680"/>
* 三角形抗菌タイプつり手に交換ならびにドア付近へ増設<ref name="railfan19990680"/>
* トイレの引戸・床敷物・ペーパーホルダーを更新<ref name="railfan19990680"/>
 
===== 長野車 =====
{| class="wikitable"
|+
!<small>編成</small>
!<small>クハ115</small>
!<small>モハ114</small>
!<small>モハ115</small>
!<small>モハ114</small>
!<small>モハ115</small>
!<small>クハ115</small>
!<small>竣工</small>
!<small>施工</small>
!<small>廃車</small>
!<small>備考</small>
|-
|<small>C5</small>
|<small>496</small>
|<small>420</small>
|<small>394</small>
|<small>443</small>
|<small>417</small>
|<small>443</small>
|<small>2001.9.25</small>
|<small>土崎</small>
|<small>2014.8.31</small>
| rowspan="7" |
|-
|<small>C6</small>
|<small>436</small>
|<small>385</small>
|<small>359</small>
|<small>366</small>
|<small>340</small>
|<small>365</small>
|<small>2001.10.11</small>
|<small>土崎</small>
|<small>2014.11.20</small>
|-
|<small>C7</small>
|<small>1221</small>
|<small>1097</small>
|<small>1036</small>
|<small>1115</small>
|<small>1052</small>
|<small>1116</small>
|<small>2001.11.8</small>
|<small>大宮</small>
|<small>2014.11.6</small>
|-
|<small>C8</small>
|<small>1005</small>
|<small>1140</small>
|<small>1076</small>
|<small>1042</small>
|<small>1011</small>
|<small>1512</small>
|<small>2002.1.24</small>
|<small>大宮</small>
|<small>2014.11.30</small>
|-
|<small>C9</small>
|<small>440</small>
|<small>388</small>
|<small>362</small>
|<small>387</small>
|<small>361</small>
|<small>387</small>
|<small>2002.3.4</small>
|<small>土崎</small>
|<small>2014.12.7</small>
|-
|<small>C10</small>
|<small>1076</small>
|<small>1114</small>
|<small>1051</small>
|<small>1113</small>
|<small>1050</small>
|<small>1115</small>
|<small>2002.3.4</small>
|<small>大宮</small>
|<small>2015.1.31</small>
|-
|<small>C11</small>
|<small>1095</small>
|<small>1141</small>
|<small>1077</small>
|<small>1138</small>
|<small>1074</small>
|<small>1136</small>
|<small>2002.5.14</small>
|<small>土崎</small>
|<small>2015.1.6</small>
|}
{| class="wikitable"
|+
!編成
!<small>クモハ115</small>
!<small>モハ114</small>
!<small>クハ115</small>
!<small>竣工</small>
!<small>施工</small>
!<small>廃車</small>
!<small>備考</small>
|-
|<small>N21</small>
|<small>1010</small>
|<small>1015</small>
|<small>1010</small>
|<small>1999.2.12</small>
| rowspan="18" |<small>長野</small>
| rowspan="4" |<small>2015.3.14</small>
| rowspan="4" |<small>しなの鉄道へ譲渡</small>
|-
|<small>N1</small>
|<small>1072</small>
|<small>1170</small>
|<small>1215</small>
|<small>1999.3.29</small>
|-
|<small>N13</small>
|<small>1015</small>
|<small>1020</small>
|<small>1014</small>
|<small>1999.3.31</small>
|-
|<small>N7</small>
|<small>1070</small>
|<small>1167</small>
|<small>1213</small>
|<small>1999.7.2</small>
|-
|<small>N24</small>
|<small>1021</small>
|<small>1029</small>
|<small>1020</small>
|<small>1999.9.22</small>
|<small>2015.4.2</small>
|
|-
|<small>N12</small>
|<small>1036</small>
|<small>1047</small>
|<small>1037</small>
|<small>1999.10.8</small>
|<small>2015.3.14</small>
|<small>しなの鉄道へ譲渡</small>
|-
|<small>N16</small>
|<small>1563</small>
|<small>1137</small>
|<small>1091</small>
|<small>2000.7.31</small>
| rowspan="2" |<small>2015.4.2</small>
| rowspan="2" |
|-
|<small>N28</small>
|<small>1003</small>
|<small>1005</small>
|<small>1003</small>
|<small>2000.10.12</small>
|-
|<small>N25</small>
|<small>1001</small>
|<small>1001</small>
|<small>1001</small>
|<small>2000.11.22</small>
|<small>2022.9.16</small>
|<small>新潟へ転属</small>
|-
|<small>N14</small>
|<small>1006</small>
|<small>1011</small>
|<small>1006</small>
|<small>2000.12.15</small>
|<small>2022.8.3</small>
|<small>新潟へ転属</small>
|-
|<small>N26</small>
|<small>1007</small>
|<small>1012</small>
|<small>1007</small>
|<small>2001.2.15</small>
|<small>2014.4.2</small>
|
|-
|<small>N31</small>
|<small>1008</small>
|<small>1013</small>
|<small>1008</small>
|<small>2001.5.30</small>
|<small>2022.6.22</small>
|<small>新潟へ転属</small>
|-
|<small>N32</small>
|<small>1009</small>
|<small>1014</small>
|<small>1009</small>
|<small>2001.7.30</small>
| rowspan="2" |<small>2015.4.2</small>
| rowspan="2" |
|-
|<small>N33</small>
|<small>1521</small>
|<small>1165</small>
|<small>1231</small>
|<small>2001.9.29</small>
|-
|<small>N6</small>
|<small>1068</small>
|<small>1164</small>
|<small>1211</small>
|<small>2001.11.29</small>
|<small>2022.8.3</small>
|<small>新潟へ転属</small>
|-
|<small>N5</small>
|<small>1071</small>
|<small>1168</small>
|<small>1214</small>
|<small>2002.2.1</small>
|<small>2015.4.2</small>
|
|-
|<small>N11</small>
|<small>1522</small>
|<small>1169</small>
|<small>1232</small>
|<small>2002.3.30</small>
|<small>2022.6.22</small>
|<small>新潟へ転属</small>
|-
|<small>N29</small>
|<small>1019</small>
|<small>1025</small>
|<small>1018</small>
|<small>2002.12.10</small>
|<small>2015.4.2</small>
|
|}
{| class="wikitable"
|+
!<small>編成</small>
!<small>クモハ114</small>
!<small>クモハ115</small>
!<small>竣工</small>
!<small>施工</small>
!<small>廃車</small>
!<small>備考</small>
|-
|<small>N51</small>
|<small>1528</small>
|<small>1508</small>
|<small>2000.2.1</small>
| rowspan="4" |<small>長野</small>
| rowspan="4" |<small>2013.6.1</small>
| rowspan="4" |<small>しなの鉄道へ譲渡</small>
|-
|<small>N52</small>
|<small>1037</small>
|<small>1509</small>
|<small>2000.3.4</small>
|-
|<small>N56</small>
|<small>1011</small>
|<small>1507</small>
|<small>2000.3.28</small>
|-
|<small>N57</small>
|<small>1005</small>
|<small>1510</small>
|<small>2000.6.23</small>
|}
 
===== 豊田車 =====
{| class="wikitable"
|+
!<small>編成</small>
!<small>クモハ115</small>
!<small>モハ114</small>
!<small>クハ115</small>
!<small>竣工</small>
!<small>施工</small>
!<small>廃車</small>
!<small>備考</small>
|-
|<small>M1</small>
|<small>304</small>
|<small>332</small>
|<small>354</small>
|<small>2000.1.28</small>
| rowspan="8" |<small>大宮</small>
|<small>2014.12.10</small>
| rowspan="8" |
|-
|<small>M2</small>
|<small>305</small>
|<small>333</small>
|<small>356</small>
|<small>2000.1.28</small>
|<small>2014.12.11</small>
|-
|<small>M3</small>
|<small>306</small>
|<small>334</small>
|<small>358</small>
|<small>2000.4.28</small>
|<small>2015.1.22</small>
|-
|<small>M4</small>
|<small>307</small>
|<small>335</small>
|<small>360</small>
|<small>2000.4.28</small>
|<small>2014.12.11</small>
|-
|<small>M5</small>
|<small>308</small>
|<small>342</small>
|<small>370</small>
|<small>2000.10.20</small>
|<small>2014.12.19</small>
|-
|<small>M6</small>
|<small>309</small>
|<small>343</small>
|<small>372</small>
|<small>2000.10.20</small>
|<small>2014.12.10</small>
|-
|<small>M10</small>
|<small>313</small>
|<small>347</small>
|<small>380</small>
|<small>2001.6.25</small>
|<small>2015.1.7</small>
|-
|<small>M12</small>
|<small>325</small>
|<small>361</small>
|<small>412</small>
|<small>2001.9.19</small>
|<small>2015.1.8</small>
|}
 
===== 高崎車 =====
{| class="wikitable"
|+
!<small>編成</small>
!<small>クモハ115</small>
!<small>モハ114</small>
!<small>クハ115</small>
!<small>竣工</small>
!<small>施工</small>
!<small>廃車</small>
!<small>備考</small>
|-
|<small>T1046</small>
|<small>1035</small>
|<small>1046</small>
|<small>1036</small>
|<small>1999.9.10</small>
| rowspan="9" |<small>大宮</small>
|<small>2018.7.10</small>
| rowspan="9" |
|-
|<small>T1037</small>
|<small>1027</small>
|<small>1037</small>
|<small>1027</small>
|<small>1999.12.9</small>
| rowspan="2" |<small>2018.7.1</small>
|-
|<small>T1043</small>
|<small>1032</small>
|<small>1043</small>
|<small>1038</small>
|<small>2000.3.23</small>
|-
|<small>T1039</small>
|<small>1029</small>
|<small>1039</small>
|<small>1029</small>
|<small>2000.8.3</small>
|<small>2018.4.16</small>
|-
|<small>T1032</small>
|<small>1022</small>
|<small>1032</small>
|<small>1022</small>
|<small>2000.12.5</small>
|<small>2018.7.19</small>
|-
|<small>T1038</small>
|<small>1028</small>
|<small>1038</small>
|<small>1028</small>
|<small>2001.3.15</small>
|<small>2018.4.16</small>
|-
|<small>T1036</small>
|<small>1026</small>
|<small>1036</small>
|<small>1026</small>
|<small>2001.7.18</small>
|<small>2018.7.1</small>
|-
|<small>T1022</small>
|<small>1017</small>
|<small>1022</small>
|<small>1016</small>
|<small>2001.11.20</small>
|<small>2018.7.10</small>
|-
|<small>T1041</small>
|<small>1031</small>
|<small>1041</small>
|<small>1031</small>
|<small>2002.2.28</small>
|<small>2018.7.19</small>
|}
 
===== 新潟車 =====
{| class="wikitable"
|+
!<small>編成</small>
!<small>クモハ115</small>
!<small>モハ114</small>
!<small>クハ115</small>
!<small>竣工</small>
!<small>施工</small>
!<small>廃車</small>
!<small>備考</small>
|-
|<small>N28</small>
|<small>1062</small>
|<small>1109</small>
|<small>1074</small>
|<small>1999.7.24</small>
| rowspan="15" |<small>大宮</small>
|<small>2016.12.17</small>
| rowspan="18" |
|-
|<small>N14</small>
|<small>1059</small>
|<small>1083</small>
|<small>1059</small>
|<small>1999.11.5</small>
|<small>2016.4.5</small>
|-
|<small>N30</small>
|<small>1552</small>
|<small>1101</small>
|<small>1062</small>
|<small>1999.12.10</small>
|<small>2018.4.10</small>
|-
|<small>N20</small>
|<small>1041</small>
|<small>1055</small>
|<small>1041</small>
|<small>2000.6.25</small>
| rowspan="2" |<small>2016.4.22</small>
|-
|<small>N25</small>
|<small>1025</small>
|<small>1035</small>
|<small>1245</small>
|<small>2000.9.4</small>
|-
|<small>N3</small>
|<small>1044</small>
|<small>1061</small>
|<small>1044</small>
|<small>2000.11.30</small>
|<small>2018.4.3</small>
|-
|<small>N21</small>
|<small>1046</small>
|<small>1064</small>
|<small>1049</small>
|<small>2001.2.5</small>
|<small>2017.4.8</small>
|-
|<small>N22</small>
|<small>1014</small>
|<small>1019</small>
|<small>1013</small>
|<small>2001.3.10</small>
|<small>2017.4.26</small>
|-
|<small>N5</small>
|<small>1047</small>
|<small>1065</small>
|<small>1047</small>
|<small>2001.3.30</small>
|<small>2017.4.19</small>
|-
|<small>N9</small>
|<small>1054</small>
|<small>1075</small>
|<small>1052</small>
|<small>2001.6.8</small>
| rowspan="2" |<small>2017.4.5</small>
|-
|<small>N2</small>
|<small>1043</small>
|<small>1059</small>
|<small>1043</small>
|<small>2001.7.31</small>
|-
|<small>N29</small>
|<small>1519</small>
|<small>1058</small>
|<small>1042</small>
|<small>2001.9.3</small>
|<small>2017.4.15</small>
|-
|<small>N24</small>
|<small>1023</small>
|<small>1033</small>
|<small>1023</small>
|<small>2001.10.23</small>
|<small>2017.4.12</small>
|-
|<small>N31</small>
|<small>1553</small>
|<small>1112</small>
|<small>1246</small>
|<small>2001.12.19</small>
|<small>2016.4.15</small>
|-
|<small>N7</small>
|<small>1050</small>
|<small>1070</small>
|<small>1050</small>
|<small>2002.2.19</small>
|<small>2017.4.5</small>
|-
|<small>N13</small>
|<small>1058</small>
|<small>1080</small>
|<small>1056</small>
|<small>2002.12.11</small>
| rowspan="3" |<small>酒田</small>
|<small>2018.4.6</small>
|-
|<small>N17</small>
|<small>1064</small>
|<small>1135</small>
|<small>1089</small>
|<small>2003.2.10</small>
| rowspan="2" |<small>2018.4.3</small>
|-
|<small>N18</small>
|<small>1530</small>
|<small>1086</small>
|<small>1060</small>
|<small>2003.3.20</small>
|}
 
==== 訓練車化改造 ====
{{vertical images list
|幅= 200px
|1=JR115RJNR kuha115-207.jpg
|2=訓練車編成
|2=「40N」車(左)と「30N」車(右)<br/>岡山A10編成<br/>外装の処理が異なる。<br/>40N車のグリルは1000番台雪切室の空気取込部。<br/>30N車の白い小窓はトイレ部分。
|3=JRWJRE number kumoha115Moya115-6.jpg
|4=モヤ115-6
|4=JR西日本新書体による車両番号<br/>2006年4月
|5=115kei1000bandaisitsunaiR.jpg
|6=1000番台岡山車の車端部座席<br/>2008年10月
|7=JRE-EC-115-Kurumaisu-Space.jpg
|8=リニューアル時に設置された車椅子スペース例
}}
1990年にJR東日本では、乗務員を対象に定期的に行う異常時の取扱いや応急処置等の教育訓練のため保留車を活用して訓練用編成の整備を行った<ref name="railfan20121134">[[#鉄道ファン|鉄道ファン、交友社、2012年11月号、p.34]]</ref><ref name="rp201512_p48">平石大貴「115系電車のあゆみ(II)」『鉄道ピクトリアル』2015年12月号、p.48</ref>。2016年までに全車廃車。
JR西日本では旧型車の延命と接客設備改善のための体質改善工事が行われている。1000・2000番台を中心に行われ、施工時期や地区によって内容が違っている。
 
クモヤ115・114ユニットは上沼垂運転所(現・新潟車両センター)で2000年に改造された。種車時代に冷房改造を施工したため屋根上にSC24形インバータを搭載する<ref name="series115-185"/>。2016年6月17日付で廃車された<ref>{{Cite web|和書|title=新潟車両センター115系編成表 - JR編成表、配置表|url=https://sirasagi683kei.wiki.fc2.com/wiki/%E6%96%B0%E6%BD%9F%E8%BB%8A%E4%B8%A1%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC115%E7%B3%BB%E7%B7%A8%E6%88%90%E8%A1%A8|website=sirasagi683kei.wiki.fc2.com|accessdate=2020-04-04}}</ref>。
 
当初の訓練車は改造時期の関係で全車非冷房だったためモヤ115-2 - 4は冷房車に置換えられた。その後小山車両センター所属のモヤ115-5と長野総合車両センター所属のモヤ114-1が廃車。残存した豊田車両センター所属のモヤ115-6は2014年に長野総合車両センターへ回送され廃車となった<ref name="series115-185"/>。
* 車内は乗客用座席の撤去とロッカー・テーブルの設置
* ミーティングルームや訓練用資材の設置<ref name="railfan20121134"/>
* 改造施工車両は『ハ』→『ヤ』の[[職用車]]に形式変更<ref name="series115-186">[[#series115ikaros|「形式115系」イカロス出版、p.186]]</ref>
** 一部車両は形式変更されなかった<ref name="series115-185"/>
*塗装は車両下部に2本の白線を引きその間に「訓練車」の表示<ref name="series115-185">[[#series115ikaros|「形式115系」イカロス出版、p.185]]</ref>
 
* クモハ115・114-506 → クモヤ115・114-1<ref name="series115-185"/>
* モハ114-801・802 → モヤ114-1・2
* モハ115-59・70・47・79・98・103 → モヤ115-1 - 6
 
=== JR東海の各種改造 ===
==== C-AU711形による冷房化改造 ====
[[File:Tc115-2031.jpg|thumb|200px|クハ115-2031<br />C-AU711A形冷房改造車]]
JR東海では1987年夏に、神領電車区所属のC4編成3両1本(クモハ115-1039 + モハ114-1053 + クハ115-1040)を集約分散式冷房装置(インバータによる容量可変制御、試作のため形式なし)の試作車として改造した<ref name="Denkisha1988-4">電気車研究会『電気車の科学』1988年7月号「JR東海の冷房改造 - インバータクーラーの採用 - 」pp.17 - 22。</ref><ref name="Fan1997-9">交友社『[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]]』1997年9月号「115系近郊形直流電車 - その歩みと現在の姿(2) - 」pp.58 - 63。</ref>。従来からの集中式AU75形(能力48.84 kW ≒ 42,000 kcal/h)では重量が約750 kg/1基 あり、冷房化には屋根構体と側構体の補強工事を必須項目とし、車内も天井機器を取り外して冷房風道取付けと艤装配線を行っていたが、C-AU711形の改造ではこれらの工程が不要となり、改造費用の低減と工期の大幅な短縮が可能となった<ref name="Denkisha1988-4"/><ref group="注">集中式AU75形による冷房改造を施工した415系の場合、改造費用は約2,400万円、工期は約2ヶ月半とされている(電気車研究会『電気車の科学』1988年4月号「JR九州交流専用冷房装置について」p.23 - 25)。</ref>。
 
C-AU711形試作機の重量は約270 kg/基で、能力18.6 kW ≒ 16,000 kcal/hの装置を2基搭載するものである<ref name="Denkisha1988-4"/><ref name="HITACHI1988-7">日立製作所『日立評論』1988年7月号「{{PDFlink|[https://www.hitachihyoron.com/jp/pdf/1988/07/1988_07_10.pdf 鉄道車両用の軽量・薄形・高効率空調装置」]}}」。</ref>。ただし、実際に動作試験を行うと能力は20.93 kW ≒ 18,000 kcal/hが確保できることが判明した<ref name="Denkisha1988-4"/>。電源は冷房準備車の160 kVA電動発電機(MG)からの[[三相交流]]440V,60Hzを使用した<ref name="Denkisha1988-4"/>(1000・2000番台)。
 
試作結果を踏まえ、1988年頃からC-AU711形集約分散式を番台に関係なく非冷房車両(冷房準備車も含む)に搭載する改造工事<ref group="注">当時の関係者の話では1両あたりの改造費用は約700万円とのこと。</ref>を施工<ref name="railfan20121133">[[#鉄道ファン|鉄道ファン、交友社、2012年11月号、p.33]]</ref>。C-AU711形量産機の重量は約280 kg/基で、能力20.93 kW ≒ 18,000 kcal/hの装置を2基搭載するもの。2分散冷房装置を正式に採用したのはJR東海のみである<ref name="rf100125"/>。
 
* JR東日本と同様に一部の扇風機を残し冷気用細長いダクトを天井の左右に設置
当初行われた「体質改善40N」と言われるものでは張上屋根化・通風器撤去・窓サッシ改造・運転台整備・室内の[[JR西日本223系電車|223系]]に準じたものへの更新・車端部戸袋窓の埋込などで、同時期の113系7000番台40N車との違いとしては、車端部戸袋窓を存置せず完全に埋込み、配電盤のために車端部の座席が転換可能になっているがスペースの関係で転換した状態で座ることはできない、などが挙げられる。これらは岡山電車区の1000番台に見られるもので、[[広島運転所]]の2000番台は雪切室がないために113系と同様の形態となっている。
** ただしJR東日本とは異なり運転室後部の大型通風器の一般型への交換などは未施工。
* 冷房準備車のAU75形用塞ぎ板は残存
ただし、[[1990年]]から改造が開始された基本番台の場合、MGの交換が必要となるが冷房装置がインバータ式であること、国鉄時代と異なり通常は固定編成で使用されることなどからモハ114形のMGを残存させ、新たに冷房電源用として偶数向きクハ115形に直流600Vを出力する静止形コンバータ (SCV) を搭載した<ref name="Fan1997-9"/><ref name="福原2014_p134">福原俊一『115系物語』p.134</ref>。車番は電動車が5000番台、制御車は6000番台に改番された<ref name="railj20120793"/>。
 
==== 身延線向け霜取りパンタグラフ増設 ====
[[2002年]]以降は「延命30N」というメニューに変更された。こちらは窓と屋根の改造を省き、コストを抑える一方、これまで除外されていた3000・3500番台などに対象車が拡大されている。同番台の場合、元々転換クロスシートを装備しているので、座席配置に大きな変更はない。しかし座席モケットや化粧板は変更されており、多少印象が変わった。
身延線では冬期の霜取りとして、3両編成に無動力のモハ114形を組み込んだクモハ115形+モハ114形+モハ114形(サハ代用)+クハ115形の4両編成で霜取り運用を実施していたが、編成変更の解消のため1998年度にモハ114-2608のパンタグラフを2基に増設する改造が行われた<ref name="rp201512_p64">平石大貴「115系電車のあゆみ(II)」『鉄道ピクトリアル』2015年12月号、p.64</ref>。パンタグラフ増設部の屋根高さが20 mm切り下げられ、PS23A形パンタグラフが設置されている<ref name="rp201512_p64" />。
 
=== JR西日本の各種改造 ===
閑散地区用車は、30Nとは逆に外装の更新のみで内装に変更はない。またクハ115-219・622のみは屋根部分の改造のみという変則的な改造を行っている。後者は113系にも例がない形態で、この2両のみの存在である。
==== WAU101・102形による冷房化改造 ====
クハ115-604・605・609・651・653には、WAU101形・WAU102形集約分散式を3基搭載した<ref name="railfan20121133"/>。冷房搭載後も扇風機を装備し、集中式とは天井意匠が異なる。
 
==== WAU202形による冷房化改造 ====
最初に行われた下関の「T編成(550番台の2両編成)」、「クハ115-218(C-16編成の下り方先頭車)」と「クハ115-165(C-41編成の上り方先頭車)は「試作車」という位置付けで、ロングシートが撤去された上で[[国鉄583系電車|583系]]並の大型クロスシートをシートピッチを拡大して設置され、内装化粧板も[[国鉄117系電車|117系]]のような焦茶色に張替られる改造が行われた。<!--が、コストがかかる割に「座席定員が減った」とあまり好評ではなく、他車に及ぶことはなかった。-->
クモハ115・114形550番台は105系冷房改造車と同じバス用冷房を応用したWAU202形を搭載したものの、全長20mの本形式では能力不足が露呈するようになり、晩年は過負荷稼働による故障が頻発する結果になった<ref name="railfan20121133"/><ref name="福原2014_p135">福原俊一『115系物語』p.135</ref>。
 
==== 延命N・NA工事 ====
塗装は岡山所属車がベージュを基本に、窓周りが茶、その下にコーポレートカラーである青帯が入るというもの、広島、下関所属車は白を基本に岡山同様の帯+車両裾部茶色(窓周りと同色)というものに統一されている。ただし、上記の「T編成」のみ従来の「瀬戸内色」から変更されないままとなっている。
[[ファイル:JRW Moha114-316 Inside.jpg|サムネイル|延命N工事施工車の車内]]
延命N工事は国鉄時代の特別保全工事の内容にアコモデーション改良を加えた工事、延命NA工事は国鉄時代に特別保全工事が施工された車両にアコモデーション改良を行った工事であり、115系では1988年度から1994年度にかけて0番台・300番台の計91両に施工された<ref name="rp201512_p65">平石大貴「115系電車のあゆみ(II)」『鉄道ピクトリアル』2015年12月号、p.65</ref>。
 
共通の改造内容として車内化粧板のクリーム色への変更が行われた<ref name="rp201512_p65" />が、岡山地区の300番台のように化粧板が従来の緑色のまま残された例もある<ref name="rp199907_p51" />。広島地区300番台の一部は側窓が上段下降・下段上昇式に交換されている<ref name="rp199907_p57">田中真一「115系電車の現況 JR西日本 広島運転所・下関地域鉄道部」『鉄道ピクトリアル』1999年7月号、p.57</ref><ref name="rp201512_p65" />。
103系・113系の体質改善工事は2004年で終了したが、115系については今後も継続される見込みである。
 
広島地区のクハ115-218・165の2両は、扉横のロングシートを撤去してバケットシートのクロスシートをシートピッチ拡大して設置した<ref name="rp200907_p86" />ほか、内装化粧板を117系風の焦茶色に張替えている。
JR東日本車も1000番台の一部車両を対象にリニューアル改造を行っているが、こちらは外板の整備と座席の取替・台車の密封ころ軸受化・化粧板と床の更新のほか、一部の編成ではさらにMGを[[静止形インバータ|SIV]]に交換・CPの取替などが行われている。また、一部のクハ115形ではトイレ脇のロングシートを撤去し、[[車椅子スペース]]を設置している。
 
延命N工事施工車の番号は以下の通り<ref name="rp201512_p64" />。
=== 訓練車化改造 ===
[[画像:JNR kuha115-207.jpg|thumb|200px|訓練車化改造車]]
1991年にJR東日本では、乗務員を対象に定期的に行う異常時の取扱いや応急処置等の教育訓練のため、保留車を活用して訓練用編成を整備することになった。
 
* クモハ115-320・321・323・324・551 - 554・5801・5802
車内は乗客用の座席が撤去され、代わりにロッカーやテーブルが設置されている。これらの改造が施工された車両は『ハ』→『ヤ』の職用車に形式を変更していたが、最近改造された一部の車両は形式変更されない場合も見受けられる。
* クモハ114-551 - 554
* モハ115-109・307・310 - 313・316・319・321 - 323
* モハ114-95・307・310 - 313・316・319・321 - 323・356・357・359・360・5829・5830
* クハ115-219・220・305・306・311・312・315 - 322・325・326・329 - 338・406・408・410・614・615・651・5348・5350
 
延命NA工事施工車の番号は以下の通り<ref name="rp201512_p64" />。
: クモハ115・114-506→クモヤ115・114-1
: モハ114-801・802→モヤ114-1・2
: モハ115-59・70・47・79・98・103→モヤ115-1 - 6
 
* モハ115-118・123・124
なお、クモヤ115・114ユニットとモヤ115-6を除いた車両は既に廃車となっている。
* モハ114-104・109・110
* クハ115-134・165・218
 
==== 体質改善工事 ====
=== 前照灯シールドビーム化改造 ===
{{vertical images list
|幅= 200px
|1=Dekame-hiroshima-saijo1JRW EC 115 series D6.jpg
|2=一体化された雨樋や更新された窓が特徴の体質改善40N改造
|2=クハ115-199<br/>原型前照灯車<br/>(現在はシールドビーム改造済)
|3=クハ115-604JR115R.jpg
|4=「40N」車(左)と「30N」車(右)<br />岡山A-10編成<br />外装の処理が異なる<br />40N車のグリルは1000番台雪切室の空気取込部<br />30N車の白い小窓は[[列車便所|トイレ]]部分
|4=クハ115-604<br/>下関車両センター施工のシールドビーム化改造車
|5=JRW number kumoha115.jpg
|6=JR西日本新書体による車両番号
|7=Kuha115-1150 Inside.jpg
|8=体質改善工事車の車内
|9=EB reset switch 001.JPG
|10=体質改善工事とともに運転台にEB・TE装置も整備された。
}}
[[ファイル:West Japan Railway - Series 115-2000 - Hiroshima Renewal Color - 01.JPG|thumb|広島地区塗装の40N体質改善車(2007年)]]
当初、先頭車の[[前照灯]]は[[白熱電球]]2個を前面窓下に設置していた。しかし、[[1973年]]の300番台以降は小型で耐久性に優れた[[シールドビーム]]が採用され、それまで白熱灯を使用していた車両の一部もこれに取替られた。
[[ファイル:JRW 115series L19 Hiroshima Renewal Color.jpg|thumb|広島地区塗装の30N体質改善工事施工車(2007年)]]
特別保全工事を発展させた車両更新工事<ref name="series115-30"/>。国鉄時代から施工されていた延命工事の内容に加え、新型車両に合わせた接客設備の改善や新型車両との部品共通化によるコスト低減、検修の効率化を目的として<ref name="R&M0703_20">[[#R&M0703|『Rolling stock & Machinery』第7巻第3号、p.20]]</ref><ref name="R&M0703_22">[[#R&M0703|『Rolling stock & Machinery』第7巻第3号、p.22]]</ref>、[[1998年]]から施工が開始された<ref name="railfan20121139"/>。
 
2009年までに2000・3000・3500番台の全車および1000番台の大半<ref group="注">MM'ユニット5組10両のみ改造されず。</ref>に施工が終了した。115系の体質改善40N工事は1998年度から2001年度にかけて115系1000・2000番台計94両に<ref name="rp201512_p66" />、工事内容を簡略化した体質改善30N工事は2002年度から2009年度にかけて、1000・2000・3000番台の計261両に施工された<ref name="rp201512_p66">平石大貴「115系電車のあゆみ(II)」『鉄道ピクトリアル』2015年12月号、p.66</ref>。
改造車の場合、ライトの口径が異なることから通常は前面強化工事と同時施工でライトケースごと撤去し、外見上の違和感がなくなるように300番台以降の車両と同じ形状に整形された。しかし、改造費の節約のために原形のライトケースを存置したまま交換された車両も少数存在する。これは原形のライトケースに口径の差を解消するアダプターを取付け、そこにシールドビーム灯を設置するという方法で、リング状の枠で蓋がされる。この枠の色は一般的に周囲と同色にされるが、豊田車両センター所属訓練車編成のクハ115-108は灰色であるなど例外も存在する。
 
{| class="wikitable" style="text-align: center; font-size: smaller;"
また、[[2006年]](平成18年)以降下関車両センター(現・下関総合車両所)で始まった交換改造では、枠ではなくシールドビーム灯部分をくり抜いただけの鉄板で塞ぐという方法を採っている。
|+ 体質改善工事施工実績
|-
! rowspan="2" style="width:4em;" |施工年度
! colspan="3" |施工工場別<br />施工両数
! colspan="4" |番台別施工両数・<br />施工済み車輌割合
! rowspan="2" style="width:5em;" |合計
|-
! style="width:2em;" | 後藤
! style="width:2em;" | 下関
! style="width:2em;" | 吹田
! style="width:5em;" | 1000番台
! style="width:5em;" | 2000番台
! style="width:5em;" | 3000番台
! style="width:5em;" | 3500番台
|-
!1998年
|3
|8
|0
|3/171<br />1 %
|8/100<br />8 %
|0/66<br />0 %
|0/28<br />0 %
|11/365<br />3 %
|-
!1999年
|10
|12
|4
|17/171<br />9 %
|20/100<br />20 %
|0/66<br />0 %
|0/28<br />0 %
|37/365<br />10 %
|-
!2000年
|9
|20
|0
|26/171<br />15 %
|40/100<br />40 %
|0/66<br />0 %
|0/28<br />0 %
|66/365<br />18 %
|-
!2001年
|12
|14
|0
|42/171<br />24 %
|52/100<br />52 %
|0/66<br />0 %
|0/28<br />0 %
|94/365<br />25 %
|-
!2002年
|19
|17
|3
|75/171<br />43 %
|58/100<br />58 %
|0/66<br />0 %
|0/28<br />0 %
|133/365<br />36 %
|-
!2003年
|21
|20
|0
|97/171<br />56 %
|77/100<br />77 %
|0/66<br />0 %
|0/28<br />0 %
|174/365<br />47 %
|-
!2004年
|21
|20
|0
|118/171<br />69 %
|81/100<br />81 %
|14/66<br />21 %
|2/28<br />7 %
|215/365<br />58 %
|-
!2005年
|14
|24
|6
|132/171<br />77 %
|81/100<br />81 %
|34/66<br />51 %
|12/28<br />42 %
|259/365<br />70 %
|-
!2006年
|13
|20
|3
|142/171<br />83 %
|81/100<br />81 %
|48/66<br />72 %
|24/28<br />85 %
|295/365<br />80 %
|-
!2007年
|3
|23
|0
|147/171<br />85 %
|88/100<br />88 %
|62/66<br />93 %
|24/28<br />85 %
|321/365<br />87 %
|-
!2008年
|0
|16
|0
|152/171<br />88 %
|95/100<br />95 %
|64/66<br />96 %
|26/28<br />92 %
|337/365<br />92 %
|-
!2009年
|4
|11
|3
|161/171<br />94 %
|100/100<br />100 %
|66/66<br />100 %
|28/28<br />100 %
|355/365<br />97 %
|}
; 体質改善40N(想定寿命40年)<ref name="series115-30"/><ref group="注">体質改善工事施工が開始されたのは1998年、改造対象となる車両は1000番台および2000番台で1977年以降に落成した車両であり、文献には今後20年継続使用する車両と明記されていることから、想定寿命は40年であるとみなすことができる。</ref>
:; 車体
:* 外板は腐食対策から張り替えおよび一部ステンレス化を行い、側雨樋(一部ステンレス化)と外板を一体化<ref name="R&M0703_22" />。
:* 屋根布の全面ローン化(塗屋根化)<ref name="R&M0703_20" />および通風器の撤去<ref name="railfan20121139"/>。
:* 側窓は下部固定上部上昇式[[サッシ|ユニット窓]]とし、車端窓は固定式1枚窓に変更<ref name="R&M0703_20" />。
:* 側引き戸の窓は押え面方式、運転台および戸袋窓などのガラス支持方式も変更することでHゴム不使用化<ref name="R&M0703_20" />。
 
:; 主要機器
廃車もしくはシールドビーム化改造により0番台の原形前照灯車は[[2007年]]に消滅し、同年8月現在では、クハ111形からの改造車である600番台(I)の605に残存するのみとなっていたが、[[2008年]]に同車もシールドビーム化改造され、これにより115系から原型前照灯車が消滅した。
:* 戸閉機械は小型化を図った直動式に変更<ref name="R&M0703_22" />。
<br style="clear:both"/>
:* 電気指令式半自動装置を搭載し、半自動時の扉扱いが容易となる構造に変更<ref name="R&M0703_22" />。
:* 床下からの立ち上がり配管のステンレス化、老朽化した配線の引き直し<ref name="R&M0703_22" />。
 
:; 乗務員室
== 運用の変遷 ==
:* 前面窓を1枚のパノラミックウィンドウに変更し<ref name="railfan20121139"/>、視認性を向上<ref name="R&M0703_22" />。
=== 国鉄時代 ===
:* 運転台ワイパーを空気式から電気式に変更<ref name="R&M0703_22" />。
{{節stub}}
:* 放送装置の取り換えによる[[車内放送]]の容易化<ref name="R&M0703_22" />。
 
:; 客室
==== グリーン車と急行運用について ====
:* 座席を223系に準じた[[転換クロスシート]](シートピッチ910 mm<ref name="R&M0703_21">[[#R&M0703|『Rolling stock & Machinery』第7巻第3号、p.21]]</ref>)に変更<ref name="R&M0703_22" />。[[暖房]]器は腰掛け搭載とした<ref name="R&M0703_20" />。
本系列は同時期に製造された113系と異なり、すべて[[普通車 (鉄道車両)|普通車]]のみで製造されている。これは投入対象路線のほとんどが[[普通列車]]における[[一等車|1等車]](現・[[グリーン車]])需要の低い路線であったためである。
:* 客室化粧板を223系に準じたデザイン・材質への更新<ref name="railfan20121139"/><ref name="railfan20121138"/>。
:* パネル工法による室内天井の平面化<ref name="railfan20121139"/>、蛍光灯カバーの取り付けと直動式戸閉機械採用による[[鴨居]]の小型化<ref name="R&M0703_22" />。
:* 荷棚をパイプで構成されるものから前飾り付きに変更し、吊り革を車両全長にわたって増設<ref name="R&M0703_22" />。
:* 側引き戸の半自動用取っ手の撤去によりドア開閉幅を113系と同じ1300 mmに拡大<ref name="railfan20121139"/>
:* 半自動での扉扱い時に使用する開閉用押しボタンを設置<ref name="R&M0703_22" />。
:* 妻引き戸にドアチェックを設け、開いた際には自動的に復位する構造<ref name="R&M0703_22" />。
:* トイレ対面の座席を撤去し、車いすスペースを設置<ref name="R&M0703_22" />。
:* 床面の主電動機点検蓋を廃止して騒音低減、床面隅にRを設けて清掃の容易化を図った<ref name="R&M0703_22" />。
 
1000番台は同時期に施工された2000番台・113系7000番台40N施工車とは次の相違点がある。
投入対象となっていた路線のうち、東北本線([[宇都宮線]])・高崎線の一部ローカル列車には1等車が組込まれていた。このため、サロ111形に近い形態で戸閉機械も同一で全自動式となるサロ115形が計画されたことがあった。また、1980年(昭和55年)にはグリーン車を組込んでいた[[宇野線]]の[[快速列車]]を岡山電車区の本系列に置き換える際にもサロ115形が計画されたことがあり、同線で使用していた宮原電車区(現・[[宮原総合運転所]])のサロ113形を改造種車にする予定であった。しかし、これらはいずれも実現していない<ref>『鉄道ピクトリアル』1986年2月号(通巻459号)p23</ref>。
* 車端部戸袋窓を存置せず完全に埋込み<ref name="series115-32">[[#series115ikaros|「形式115系」イカロス出版、p.32]]</ref>
* 車端部座席は、配電盤スペースの関係で転換可能な座席としたが、転換した状態で着座すると、足元が狭くなる。以前は転換機能をロックしていたが、現在は転換可能な状態に戻されている。
 
体質改善40N工事は以下の車両へ施工した<ref name="rp201512_p64" />。また岡山電車区所属のモハ115-1086・1105は行先表示器の埋め込みを同時施工している<ref name="series115-32"/>。
[[1970年]]から約2年間、[[急行列車|急行]]「[[かいじ (列車)|かいじ]]」に本系列が投入された際には[[国鉄165系電車|165系]]のサロ165形を連結した実績がある。これは[[新前橋電車区]]所属のサロ165-14・15のジャンパ連結器を変更して三鷹電車区に貸出したもので、14は[[横須賀線|横須賀色]]に塗色変更したうえで運用された。<!--サロ165-14の引き通し線を変更し、[[横須賀線|横須賀色]]に塗色変更をした(15は湘南色のまま)三鷹電車区に配属して使用した。←三鷹電車区へのサロ165形の配属は1964年(昭和39年)6月から1965年(昭和40年)6月まで-27と-28の2両に過ぎない。-->なお、改造に伴う改番は行われなかった。
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%; margin:1em 1em 1em 3em;"
| colspan="10" |{{TrainDirection|下関・西出雲|姫路・播州赤穂}}
|- style="border-top:solid 5px #0072bc;"
!編成
! style="width:6em;" |クハ115
! style="width:6em;" |モハ114
! style="width:6em;" |モハ115
! style="width:6em;" |クハ115
! style="width:6em;" |竣工
!配置
!改造所
!廃車
! style="width:6em;" |備考
|-
|L-01
|2003
|2003
|2003
|2102
|1999.1.19
| rowspan="3" |下関
| rowspan="3" |下関
|2019.8.26
| rowspan="15" |
|-
|L-02
|2002
|2004
|2004
|2105
|1999.2.4
|2019.9.13
|-
|L-03
|2004
|2005
|2005
|2103
|1999.4.27
|2019.5.31
|-
|A-02
|1217
|1177
|1105
|1111
|1999.6.9
|岡山
|後藤
|
|-
|L-04
|2005
|2007
|2007
|2117
|1999.7.29
| rowspan="4" |下関
| rowspan="4" |下関
|2018.12.19
|-
|L-05
|2007
|2011
|2011
|2116
|1999.10.27
|2018.12.28
|-
|L-06
|2019
|2026
|2026
|2118
|2000.7.18
|2019.3.20
|-
|L-07
|2015
|2019
|2019
|2113
|2000.10.10
|2019.3.20
|-
|A-10
|
|1150
|1086
|1146
|2000.10.30
|岡山
|後藤
|
|-
|L-08
|2020
|2027
|2027
|2119
|2000.12.15
| rowspan="6" |下関
| rowspan="6" |下関
|2019.7.11
|-
|L-09
|2021
|2029
|2029
|2120
|2001.2.8
|2019.10.31
|-
|L-10
|2018
|2028
|2028
|2121
|2001.3.30
|2019.5.14
|-
|L-11
|2008
|2006
|2006
|2104
|2001.6.18
|2018.10.26
|-
|L-12
|2001
|2001
|2001
|2101
|2001.8.9
|2018.9.19
|-
|L-13
|2006
|2009
|2009
|2110
|2001.10.29
|2018.12.7
|}
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%; margin:1em 1em 1em 3em;"
| colspan="9" |{{TrainDirection|下関・西出雲|姫路・播州赤穂}}
|- style="border-top:solid 5px #0072bc;"
!編成
! style="width:6em;" |クハ115
! style="width:6em;" |モハ114
! style="width:6em;" |クモハ115
! style="width:6em;" |竣工
! style="width:6em;" |配置
!改造所
!廃車
! style="width:6em;" |備考
|-
|D-13
|1205
|1153
|1513
|1999.3.19
| rowspan="3" |岡山
| rowspan="3" |後藤
|
| rowspan="3" |
|-
|D-01
|1066
|1094
|1501
|2000.7.27
|
|-
|D-06
|1071
|1104
|1506
|2001.2.19
|
|}
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%; margin:1em 1em 1em 3em;"
| colspan="8" |{{TrainDirection|下関・西出雲|姫路・播州赤穂}}
|- style="border-top:solid 5px #0072bc;"
! style="width:6em;" |編成
! style="width:6em;" |クモハ114
! style="width:6em;" |クモハ115
! style="width:6em;" |竣工
!配置
! style="width:6em;" |改造所
!廃車
! style="width:6em;" |備考
|-
|R1
|6123
|6510
|1999.9.21
| rowspan="5" |福知山
| rowspan="2" |吹田
|2022.8.9
|
|-
|R2→T-11
|6106→1106
|6536→1536
|1999.10.8
|
| rowspan="4" |下関へ転属・原番復帰
|-
|R3→T-12
|6621→1621
|6537→1537
|1999.9.27
| rowspan="3" |後藤
|
|-
|R4→T-13
|6625→1625
|6538→1538
|1999.8.7
|
|-
|R5→T-14
|6627→1627
|6539→1539
|1999.8.29
|
|-
|G-01
|1098
|1503
|2001.5.31
| rowspan="8" |岡山
| rowspan="2" |後藤
|
| rowspan="8" |伯備線ワンマン仕様
|-
|G-02
|1102
|1505
|2001.6.29
|
|-
|G-03
|1117
|1508
|2001.5.22
|下関
|
|-
|G-04
|1173
|1515
|2001.5.21
| rowspan="4" |後藤
|
|-
|G-05
|1178
|1516
|2001.6.30
|
|-
|G-06
|1194
|1517
|2001.9.19
|
|-
|G-07
|1196
|1518
|2001.9.27
|
|-
|G-08
|1118
|1551
|2001.9.27
|下関
|
|}
塗装は113系体質改善車と共通で、ベージュをベースに窓周りをブラウン、窓周り下部に青帯を配した<ref name="福原2014_p153">福原俊一『115系物語』p.153</ref>。薄茶色15号を基本に窓周りを茶として下部に[[コーポレートカラー]]である[[青20号|青]]の帯が巻かれた。広島支社向けではベースカラーが白<ref name="福原2014_p153" />(オイスターホワイト)となり、車両裾部に茶色(窓周りと同色)が引かれている。
 
ローカル線向けの体質改善40N工事車(舞鶴線<ref name="rp200907_p81" />・伯備線向けワンマン車<ref name="rp200907_p83" />)は外装の更新のみを施工した内容となり、内装は化粧板の取替えと標記類の変更・車椅子スペースの設置のみ施工され、ボックスシートが存置された。
また、定期急行列車「[[日光 (列車)#国鉄・JR東日本日光線優等列車沿革|日光]]」・「[[水上 (列車)|ゆけむり]]」・「[[あかぎ (列車)|あかぎ]]」や[[1970年代]]の一時期に東北本線・高崎線・中央東線・房総西線(現・[[内房線]])の[[臨時列車|臨時]]急行(いわゆる[[遜色急行]])を本系列で運用したケースもある。
 
岡山電車区に所属していた0番台のクハ115-219・622は2000年・2001年に40N体質改善車に合わせた外観への簡易的な改造が行われ、通風器撤去と張上屋根化が施工された<ref name="rp201512_p66" />。同時に化粧板ならびに座席番号や車内案内標記を体質改善車と同品に交換されたが、[[網棚]]とセミクロスシートは未交換である。クハ115-622は後藤総合車両所で施工された。
=== JR東日本 ===
JR東日本が保有する車両は、2007年3月現在以下の車両基地に配置されている。また[[伊豆急行200系電車]]の第3編成以降としなの鉄道115系は、ともにJR東日本が保有していた115系を譲受・改装したものである。
 
; 体質改善30N
==== 小山車両センター(宮ヤマ) ====
[[2002年]]以降の施工メニュー。40Nでは行われていた窓・屋根部の改造を省略し、コストダウンを図った。想定寿命は30年<ref name="series115-30"/>。下関総合車両所運用研修センター所属クハ115-1151への施工を最後に[[2009年]]11月に終了した。
 
室内天井は平面化されておらず、車内スピーカーは原型のままである。ドアは半自動ドアボタンは設置されたがドアエンジンに変更はなく、手掛けも存置されている<ref name="rp201512_p66" />。3000番台・3500番台は当初から転換クロスシートのため座席配置に大きな変更はないが、モケットや化粧板の交換は実施された。
 
体質改善30N工事施工車は以下の通り<ref name="rp201512_p66" />。
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%; margin:1em 1em 1em 3em;"
| colspan="10" |{{TrainDirection|下関・西出雲|姫路・播州赤穂}}
|- style="border-top:solid 5px #0072bc;"
!編成
! style="width:6em;" |クハ115
! style="width:6em;" |モハ114
! style="width:6em;" |モハ115
! style="width:6em;" |クハ115
! style="width:6em;" |竣工
!配置
!改造所
!廃車
! style="width:6em;" |備考
|-
|A-01
|1219
|1093
|1032
|1107
|2002.4.18
|岡山
|後藤
|
| rowspan="2" |
|-
|L-14
|2011
|2012
|2012
|2108
|2002.6.4
| rowspan="2" |下関
| rowspan="2" |下関
|2019.3.20
|-
|L-15
|1072
|1120
|1057
|1119
|2002.8.16
|2019.3.20(クハ)
|モハはA-17へ転用
|-
|A-04
|1241
|1208
|1055
|1118
|2002.9.27
| rowspan="2" |岡山
| rowspan="2" |後藤
|
| rowspan="2" |
|-
|A-06
|1068
|1148
|1084
|1139
|2002.11.13
|
|-
|L-16
|1080
|1203
|1119
|1155
|2002.12.4
| rowspan="2" |下関
| rowspan="2" |下関
|2020.8.14(クハ)
|モハはA-14へ転用
|-
|C-24→R-06→L-16
|
|2024
|2024
|
|2003.2.18
|2020.8.14
|岡山へ転属
|-
|A-10
|1206
|
|
|
|2003.3.31
|岡山
|後藤
|
|
|-
|L-17
|1081
|2023
|2023
|2115
|2003.4.14
| rowspan="2" |下関
| rowspan="2" |下関
|2020.8.14
|岡山へ転属
|-
|L-18
|2013
|2015
|2015
|2111
|2003.6.20
|2018.9.19
| rowspan="30" |
|-
|A-07
|1236
|1157
|1093
|1152
|2003.7.4
|岡山
|後藤
|
|-
|L-19
|2009
|2010
|2010
|2107
|2003.9.16
|下関
|下関
|2018.11.15
|-
|A-03
|1244
|1103
|1042
|1112
|2003.10.17
|岡山
|後藤
|
|-
|L-20
|2016
|2017
|2017
|2112
|2003.12.12
|下関
|下関
|2018.6.21
|-
|A-12
|1082
|1199
|1115
|1083
|2004.2.10
|岡山
|後藤
|
|-
|L-21
|2014
|2022
|2022
|2109
|2004.2.26
| rowspan="6" |下関
| rowspan="6" |下関
|2019.6.20
|-
|L-22
|2010
|2008
|2008
|2106
|2004.5.7
|2019.2.9
|-
|N-10
|3010
|3010
|3010
|3110
|2004.8.31
|
|-
|N-12
|3012
|3012
|3012
|3112
|2004.11.9
|2022.8.22
|-
|N-19
|3019
|3503
|3503
|3119
|2005.1.14
|
|-
|N-11
|3011
|3011
|3011
|3111
|2005.3.8
|
|-
|K-03→A-16
|1234
|3510
|3510
|1122
|2005.5.23
|岡山
|後藤
|2015.6.5(モハ)
|-
|N-01
|3001
|3001
|3001
|3101
|2005.6.6
| rowspan="2" |下関
| rowspan="2" |下関
|
|-
|N-04
|3004
|3004
|3004
|3104
|2005.7.21
|
|-
|K-06
|
|3506
|3506
|
|2005.8.24
|岡山
|後藤
|2016.6.16
|-
|N-03
|3003
|3003
|3003
|3103
|2005.9.17
|下関
|下関
|
|-
|K-04
|
|3507
|3507
|
|2005.11.21
|岡山
|後藤
|2015.12.25
|-
|N-05
|3005
|3005
|3005
|3105
|2005.12.2
| rowspan="3" |下関
| rowspan="3" |下関
|
|-
|N-20
|3020
|3020
|3020
|3120
|2006.1.20
|
|-
|N-14
|3014
|3514
|3514
|3114
|2006.3.27
|
|-
|K-07→A-15
|1216
|3511
|3511
|1153
|2006.5.2
|岡山
|後藤
|2015.5.15(モハ)
|-
|N-09
|3009
|3009
|3009
|3109
|2006.5.8
| rowspan="5" |下関
| rowspan="5" |下関
|
|-
|N-16
|3016
|3016
|3016
|3116
|2006.7.14
|
|-
|N-17
|3017
|3513
|3513
|3117
|2006.9.5
|
|-
|N-08
|3008
|3008
|3008
|3108
|2006.12.4
|
|-
|N-18
|3018
|3502
|3502
|3118
|2007.1.11
|
|-
|K-05
|
|3505
|3505
|
|2007.1.16
| rowspan="2" |岡山
| rowspan="2" |後藤
|2015.12.25
|-
|K-02→A-14
|1150
|3504
|3504
|1121
|2007.3.29
|2015.4.30(モハ)
|-
|N-02
|3002
|3002
|3002
|3102
|2007.4.12
| rowspan="12" |下関
| rowspan="12" |下関
|
|-
|C-02→O-01
|3015
|2002
|2002
|3115
|2007.5.25
|2015.5.29(クハ)
2018.12.1(モハ)
|モハはO-04へ転用
|-
|C-14
|
|2014
|2014
|1113
|2007.9.13
|2015.10.7
| rowspan="4" |
|-
|N-06
|3006
|3006
|3006
|3106
|2007.11.16
|
|-
|C-25→O-03
|2017
|2025
|2025
|1120
|2008.1.18
|2018.11.15
|-
|N-07
|3007
|3007
|3007
|3107
|2008.3.31
|
|-
|C-16
|
|2016
|2016
|
|2008.6.13
|2019.3.20
|L-15へ転用
|-
|C-21
|
|2021
|2021
|2114
|2008.8.21
|2019.8.9
| rowspan="3" |
|-
|N-21
|3021
|3509
|3509
|3121
|2008.11.5
|
|-
|C-13
|
|2013
|2013
|1141
|2008.12.12
|2018.10.26
|-
|C-39→O-04
|1078
|1152
|1088
|1140
|2009.3.5
|2018.12.1(クハ)
|モハはA-16へ転用
|-
|C-20→O-02
|3013
|2020
|2020
|3113
|2009.4.30
|2015.4.27(クハ)
2019.2.20(モハ)
|モハはR-02へ転用
|-
|K-01→A-17
|1147
|3501
|3501
|1117
|2009.5.20
|岡山
|後藤
|2016.3.3(モハ)
|
|-
|C-43→R-02
|
|1095
|1034
|1108
|2009.8.4
| rowspan="3" |下関
| rowspan="3" |下関
|2019.2.20(クハ)
|モハはA-15へ転用
|-
|C-18→R-05
|2012
|2018
|2018
|
|2009.9.19
|2018.4.11(モハ)
2019.8.9(クハ)
|モハはR-05へ転用
|-
|C-24→R-06
|
|
|
|1151
|2009.11.25
|2015.3.27
|
|}
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%; margin:1em 1em 1em 3em;"
| colspan="9" |{{TrainDirection|下関・西出雲|姫路・播州赤穂}}
|- style="border-top:solid 5px #0072bc;"
!編成
! style="width:6em;" |クハ115
! style="width:6em;" |モハ114
! style="width:6em;" |クモハ115
! style="width:6em;" |竣工
! style="width:6em;" |配置
!改造所
!廃車
! style="width:6em;" |備考
|-
|D-08
|1404
|1206
|1549
|2002.7.31
| rowspan="22" |岡山
|後藤
|
| rowspan="7" |
|-
|D-02
|1067
|1096
|1502
|2002.9.25
|下関
|
|-
|D-07
|1073
|1108
|1507
|2003.2.19
|後藤
|
|-
|D-14
|1088
|1156
|1514
|2003.3.31
|吹田
|
|-
|D-19
|1233
|1192
|1544
|2003.4.25
| rowspan="11" |後藤
|
|-
|D-18
|1402
|1191
|1543
|2003.8.9
|
|-
|D-15
|1401
|1154
|1540
|2003.12.9
|
|-
|D-28
|1405
|1122
|1659
|2004.4.20
|
| rowspan="4" |クモハ平面顔
|-
|D-29
|1240
|1116
|1653
|2004.6.11
|
|-
|D-30
|1079
|1126
|1663
|2004.9.29
|
|-
|D-31
|1032
|1195
|1711
|2004.11.22
|
|-
|D-09
|1070
|1119
|1509
|2004.12.17
|
| rowspan="11" |
|-
|D-04
|1069
|1100
|1504
|2005.2.25
|
|-
|D-16
|1220
|1155
|1541
|2005.3.30
|
|-
|D-11
|1203
|1149
|1511
|2005.7.5
|
|-
|D-20
|1237
|1200
|1545
|2005.9.27
| rowspan="2" |吹田
|
|-
|D-17
|1207
|1158
|1542
|2006.1.17
|
|-
|D-12
|1204
|1151
|1512
|2006.2.24
| rowspan="2" |後藤
|
|-
|D-21
|1403
|1201
|1546
|2006.7.4
|
|-
|D-03
|1238
|1202
|1547
|2006.9.6
|吹田
|
|-
|D-10
|1235
|1207
|1550
|2007.6.28
|後藤
|
|-
|D-05
|1239
|1204
|1548
|2009.8.4
|吹田
|
|}
 
==== 半自動ドアスイッチ設置改造 ====
岡山電車区所属の300番台(D編成)は乗降ドアの半自動ドアスイッチがなく、半自動扱い時は従来同様の手動開閉となっていた。2017年4月に出場したD-26編成より、押しボタン式の半自動ドアスイッチの設置工事が進められている<ref>[https://rail.hobidas.com/rmnews/254142/ 115系D-27編成が出場] - 鉄道ホビダス RMニュース(2017年5月1日)</ref>。ドアスイッチの取り付け位置の関係から戸袋窓が小型化され、外観の印象が変わっている。
 
== 事故廃車 ==
老朽化・余剰を除いた事故による廃車は本系列では以下の6両が該当する。
;モハ115-34・クハ115-113
:1987年2月12日午前10時55分ごろ、[[両毛線]][[思川駅|思川]] - [[栃木駅|栃木]]間の第2高屋踏切で、立ち往生していた大型トレーラと高崎発小山行普通列車に投入されていた当該車両が衝突。先頭のクハ115-113が脱線転覆し大破。後続のモハ115・114-34も脱線した。同年3月13日付で廃車となった。モハ114-34はモハ114-41を廃車とし部品供出を受けた上でモハ115-41とユニットを組成して復旧した。
 
;クハ115-35
:1994年に赤穂線普通列車で運用中に遮断機のない踏切で大型ダンプカーと衝突し大破。非冷房で廃車対象であったことから修復せず同年7月4日付で廃車。
 
;クハ115-375
:2002年10月1日、[[平成14年台風第21号|台風21号]]による強風のため飛来してきた木片が前面に衝突し損傷。所属の小山車両センターではE231系へ置換え進行中であったことから修復せず同年11月2日付で廃車。
 
;クハ115-408・モハ114-359
:2015年2月13日、山陽本線[[西阿知駅|西阿知]] - [[新倉敷駅|新倉敷]]間の八人山踏切で侵入した大型トラックと当該車両が衝突。先頭車と2両目が大破し、2016年3月1日付で廃車となった<ref name="JRR 2016S 358"/>。モハ114-359ユニット相手方のクモハ115-323は、2015年9月9日付で廃車<ref name="JRR 2016W 359"/>となったA13編成のモハ114-316とユニットを組成<ref name="JRR 2016W 188"/>して復旧している。
 
== 運用 ==
国鉄時代・JR化後を通して線区単位で解説する。
 
=== 東北本線・高崎線上野口 ===
[[ファイル:Tōhoku Main Line (Shiraoka-Kuki)-04.jpg|thumb|国鉄時代の東北本線115系(白岡 - 久喜間、1978年)]]
[[ファイル:JRE 115 at Utsunomiya Station 198712.jpg|thumb|JR化後の東北本線115系([[宇都宮駅]]、1987年12月)]]
[[ファイル:JRE115 Y427.jpg|thumb|小山車両センターY427編成(2007年)]]
[[ファイル:Musashino Okutama 115kei.jpg|thumb|快速「むさしの奥多摩」(2006年)]]
 
東北本線上野口は本系列が最初に投入された線区であり、80系電車や電気機関車牽引による客車で運転されていた東北本線(宇都宮線)・高崎線普通列車の置換え・新性能化が目的である<ref name="railfan20121111"/>。
 
1963年(昭和38年)1月に登場した115系は東北本線上野口に初投入され、同年3月より上野 - 宇都宮・日光間で営業運転を開始した<ref name="福原2014_p35">福原俊一『115系物語』p.35</ref>。この115系投入で余剰となった80系電車は岡山 - 広島間[[準急行|準急]]「[[山陽本線優等列車沿革#新幹線開通以前の黄金時代|とも]]」などに転用された<ref name="railfan20121111"/>。高崎線には1964年(昭和39年)から投入され、115系による高崎線・東海道本線直通列車<ref name="福原2014_p35" />も設定された。当初は4両編成を基本に、最大12両編成を組成して運用された。
 
当初の配置車両区は宇都宮運転所・新前橋電車区とされたが、[[1966年]](昭和41年)7月から宇都宮配置車が新設された小山電車区へ順次移籍。新前橋電車区投入時から両毛線・日光線の運用も担当した<ref name="ikarosJNR19">[[#ikarosJNR vol.1|「現役国鉄型大研究 vol.1」イカロスMOOK、p.19]]</ref>。投入開始から2年後の[[1965年]](昭和40年)10月には、客車列車を除く東北・高崎線の普通列車新性能化が完了した<ref name="rp200907_p49">五十嵐六郎「東北・高崎線の115系」『鉄道ピクトリアル』2009年7月号、p.49</ref>。
 
行楽期には[[臨時列車]]として115系が[[秩父鉄道]]の[[三峰口駅|三峰口]]まで直通する運用も設定され、三峰口では[[東武鉄道]]からの乗り入れ列車とも並ぶ時期があった<ref name="rp200907_p35">「上野口の115系電車」『鉄道ピクトリアル』2009年7月号、p.35</ref>。[[上信電鉄]]でも115系が1963年(昭和38年)から1969年(昭和44年)にかけて行楽期の休日に[[荒船山]]登山客向けの臨時快速「あらふね」として[[下仁田駅|下仁田]]まで直通しており、上野発下仁田行きは[[夜行列車]]として運転された<ref name="rp202105_pp22-23">原田雅純「上信電鉄直通の夜行列車『あらふね』に乗る」『鉄道ピクトリアル』2021年5月号(通巻985号)、電気車研究会。pp.22-23</ref>。
 
1967年(昭和42年)には波動輸送対応として115系の低屋根・横軽対策車の投入が実施され、小山電車区に配置された<ref name="rp200907_p50">五十嵐六郎「東北・高崎線の115系」『鉄道ピクトリアル』2009年7月号、p.50</ref>。同年3月から2ヶ月間は土休日に[[京浜東北線]]用の103系を東北・高崎線の一部普通列車に投入し、115系を臨時快速で運用する措置が実施されていた<ref name="rp200907_p50" />。同年8月には[[郵便車]]の[[国鉄クモユ141形電車|クモユ141形]]が新前橋電車区に新製配置<ref name="rp200907_p52" />、同時期に[[荷物車]]の[[国鉄クモニ83形電車|クモニ83形]]0番台が長岡運転所に配置され、上越線の郵便・荷物列車として115系普通列車との併結もなされた。
 
[[ヨンサントオ|1968年(昭和43年)10月のダイヤ改正]](ヨンサントオ)では、[[赤羽駅|赤羽]] - [[大宮駅 (埼玉県)|大宮]]間の三複線が完成して京浜東北線、[[電車線・列車線|列車線]]、[[貨物線]]が分離され、東北・高崎線は列車線を走るようになった<ref name="rp200907_p50" />。客車列車から115系化されていた高崎線・東海道本線直通列車は運転区間が見直され、従来の[[前橋駅|前橋]] - [[東京駅|東京]] - [[富士駅|富士]]間から前橋 - 東京 - 沼津間に短縮された<ref name="rp200907_p50" />。
 
ヨンサントオでは運用の都合から115系による定期急行列車も登場しており、朝ラッシュ時の普通列車が[[上野駅]]に到着した後の折返しで下り列車のみが設定されていた<ref name="rp200907_p51">五十嵐六郎「東北・高崎線の115系」『鉄道ピクトリアル』2009年7月号、p.51</ref>。[[籠原駅|籠原]]発上野行き普通列車の折返しが「[[あかぎ (列車)#両毛線優等列車沿革|あかぎ]]1号」「[[水上 (列車)#沿革|ゆけむり]]2号」として、宇都宮発上野行き普通列車の折返しが「[[おはようとちぎ・ホームタウンとちぎ#急行「なすの」とその周辺列車群|なすの]]1号」として運転された<ref name="rp200907_p50" />。1970年(昭和45年)10月には「なすの1号」に[[日光駅|日光]]行きが設定され、[[ゴーマルサン|1975年(昭和50年)3月改正]](ゴーマルサン)で誤乗防止により「[[日光 (列車)#157系の撤退から急行「日光」の廃止まで|日光]]3号」に改称された<ref name="rp201511_p80">寺本光照「115系の遜色急行ものがたり」『鉄道ピクトリアル』2015年11月号、p.80</ref><ref>[[#shinchou3|日本鉄道旅行歴史地図帳3号 関東、新潮社、2010年7月、p.37・39・41・43]]</ref>。これらのいわゆる「遜色急行」4列車は1976年(昭和51年)11月に[[快速列車]]に格下げされている<ref name="rp201511_p80" />。
 
上越線・[[羽越本線]]経由の上野 - 秋田間[[長距離列車|長距離]]客車列車であった1821・1822列車はヨンサントオ改正で上野 - 長岡間の夜行列車に短縮され、115系電車に置き換えられた<ref name="rp200907_p52">五十嵐六郎「東北・高崎線の115系」『鉄道ピクトリアル』2009年7月号、p.52</ref>。高崎・上越線系統では115系に併結する郵便・荷物電車のうち、クモユ141形が新前橋電車区から長岡運転所へ転出した<ref name="rp200907_p52" />。東北・高崎線系統では115系列車に新前橋電車区の[[国鉄クモユニ74形電車|クモユニ74形]]を併結する運用も登場している<ref name="rp200907_p52" />。
 
1969年(昭和44年)からはサハ115形組み込みの7両編成が基本編成、4両が付属編成となり、最大15両による運用を開始した<ref name="ikarosJNR19"/>。
 
1973年(昭和48年)から冷房付きモデルチェンジ車である300番台の投入が開始された。製造開始と同時期に[[上尾事件]]が発生したため、通勤輸送の改善を目的に1977年(昭和52年)まで、113系1000'番台とともに、当初の予定数よりも大量に製造された。上野口への緊急対応用として運用投入できる1編成を常時滞留させる対策<ref name="railfan20121114"/>などを実施したほか、[[1975年]](昭和50年)10月には急行形車両による[[ラッシュ時]]の[[間合い運用]]を終了。通勤時間帯列車の115系15両化が完了した<ref name="railfan20121114"/>。高崎線・東海道本線直通列車は富士、沼津から[[熱海駅|熱海]]までの短縮を経て1973年に廃止された<ref name="rp200907_p34">「上野口の115系電車」『鉄道ピクトリアル』2009年7月号、p.34</ref>。
 
300番台の大量増備には地方に残る旧形国電置換えの名目もあり、1976年(昭和51年)から小山・新前橋両電車区の基本番台車は、長岡運転所・岡山運転区・広島運転所に転出する車両<ref name="railfan20121116">[[#鉄道ファン|鉄道ファン、交友社、2012年11月号、p.16]]</ref>と、冷房化改造を受けて引き続き運用される車両に分かれた。
 
[[ゴーサントオ|1978年(昭和53年)10月のダイヤ改正]]では高崎地区に残存していた旧形国電置換えと東北本線[[黒磯駅]]以南に残存していた普通客車列車の電車化、東北本線・高崎線規格ダイヤ化による増発のため1000番台も投入開始。1982年(昭和57年)には[[新幹線リレー号]]にも運用された<ref name="#1">[[#shinchou3|「日本鉄道旅行歴史地図帳3号 関東」新潮社、2010年7月、p.38・42]]</ref>。その後も増発が繰り返され、[[1984年2月1日国鉄ダイヤ改正|1984年(昭和59年)2月のダイヤ改正]]ではすでに新造車の製造が打ち切られたため、岡山・広島に一旦転出していた基本番台と1000番台が、長岡からはサハ115形1000番台が、[[1985年3月14日国鉄ダイヤ改正|1985年(昭和60年)3月のダイヤ改正]]では三鷹・松本・長岡・沼津から運用の見直しによる捻出車が転入。小山・新前橋区合計で859両{{refnest|group="注"|そのうち500両以上は小山に投入された<ref>「'82国鉄車両配置表」交友社、1982年</ref>。}}と、本系列のほぼ半分が投入された。
 
しかし、この頃が上野口における本系列のピークで、同年12月からは211系電車の投入が開始され、民営化直前の[[1986年11月1日国鉄ダイヤ改正|1986年(昭和61年)11月のダイヤ改正]]では、広島地区の111系置換えのため基本番台・300番台約60両が広島運転所と幡生車両所(いずれも当時)へ転出となり、状態の悪かった初期車の廃車も実施されたが、それでも分割民営化時には約700両がJR東日本に引き続がれ、運用された。
 
小山電車区・新前橋電車区所属車は、最大15両編成で東北本線・高崎線の上野口普通列車の主力として運用されていたほか、[[高崎線#上野東京ライン及び上野駅発着普通・快速列車|高崎線快速]]「タウン」「アーバン」や宇都宮線快速「スイフト」「ラビット」などの快速でも運用された<ref name="#1"/>。当時は基本編成7両・付属編成4両の11両<ref>[[#ssl10|鉄道ファン、交友社、2011年11月号、p.13]]</ref>のほか、4両編成2本を繋いだ8両を中心に運用された<ref>[[#ssl10|鉄道ファン、交友社、2011年11月号、p.45]]</ref>。編成番号はモハ114形の車両番号に小山電車区所属車は「Y」、新前橋電車区所属車は「T」を冠したものが付与されており、モハ114形を2両含む7両編成では編成中に2つの編成番号が付けられている<ref name="rp199907_p44">編集部「115系電車の現況 JR東日本 小山電車区・新前橋電車区」『鉄道ピクトリアル』1999年7月号、p.44</ref>。
 
[[2000年]](平成12年)からのE231系の増備により、2002年(平成14年)7月24日のダイヤ改正で[[湘南新宿ライン]]<ref name="rf111118">[[#ssl10|鉄道ファン、交友社、2011年11月号、p.18]]</ref>、2003年(平成15年)に高崎線での運用が終了<ref name="ikarosJNR 27">[[#ikarosJNR vol.1|「現役国鉄型車両大研究」イカロスMOOK、p.27]]</ref>。最後まで残存した東北本線の定期運用も[[2004年]]10月[[2000年代のJRダイヤ改正#10月16日|ダイヤ改正]]で終了し<ref group="注">これに伴いサハ115基本番台車は全車廃車・廃区分番台となった。</ref><ref group="注">定期運用終了直後の2004年11月 - 12月には水害で故障した[[幕張車両センター]]113系6両編成の修理期間中に、300番台7両編成(ロングシート改造車)1本を貸出。サハを抜いた6両編成で湘南色のまま千葉地区で運用されたが、113系との混結を行わない6両単独で[[総武本線]]・[[成田線]]限定運用とされた。</ref>、2005年(平成17年)1月15日に[[さよなら運転]]を実施した<ref name="ikarosJNR 27"/>。
 
その後、4両の小山車両センターY427編成のみが[[東日本旅客鉄道大宮支社|大宮支社]]管内の予備・[[職用車|訓練車]]兼用として使用するため残存した。訓練車として宇都宮運転所・黒磯駅・[[川越車両センター]]・[[大宮総合車両センター]]・[[東日本旅客鉄道東京支社|東京支社]]への貸出も行われたほか、営業運転では日光線や[[青梅線]]などホーム[[有効長]]が短い路線での臨時列車にも投入された。しかし最後まで残っていた大宮 - [[奥多摩駅|奥多摩]]間の快速「むさしの奥多摩」運用が201系「[[四季彩]]」に置換えられ、2007年3月にE231系付属編成(U-118編成)の増備により訓練には当日予備の車両を使用する体制となったため2007年(平成19年)12月1日付で廃車となり、小山車両センターの本系列配置は終了した。
 
=== 高崎地区 ===
{{vertical images list
|幅= 200px
|1=JRE115115 Y427kei T1040.jpgJPG
|2=T1040編成<br />(3両リニューアル未施工編成)
|2=Y427編成
|3=JNR_115_Shonan-color_Joetsu_line.jpg
|4=T1043編成<br />(3両リニューアル施工編成)
|5=115kei T1142.JPG
|6=T1142編成<br />(4両編成)
}}
115系の運転線区は高崎地区ローカルにも拡大した。両毛線は1968年10月のヨンサントオ改正で前橋 - 小山間が[[直流電化]]され、115系も使用されるようになった<ref name="rp200907_p51" /><ref name="rp198602_p43">五十嵐六郎「115系電車 運転のあゆみ」『鉄道ピクトリアル』1986年2月号、p.43</ref>。[[信越本線]][[高崎駅|高崎]] - [[横川駅 (群馬県)|横川]]間では1962年7月の電化時より40系が使用されていたが、1967年10月より一部列車が115系での運転となった<ref name="rp198602_p43" />。1978年には115系1000番台が新前橋電車区に新製投入され、両毛線、[[吾妻線]]の70系・40系など旧性能車が置き換えられた<ref name="rp198602_p43" />。1985年には高崎地区用115系の大半が上野口の輸送力増強用に転用され、上野口の急行廃止で余剰となった165系が普通列車用として高崎地区に転入している<ref name="rp198602_p44">五十嵐六郎「115系電車 運転のあゆみ」『鉄道ピクトリアル』1986年2月号、p.44</ref>。
[[1966年]](昭和41年)に宇都宮運転所より移管されて以来、新前橋電車区所属車と共に最大15両編成で東北本線・高崎線の上野口普通列車の主力として運用されていた。2000年頃から、当センターに在籍していたロングシート車には窓の下段を固定する(窓戸錠を撤去)工事が施工されたほか、[[湘南新宿ライン]]運用にも投入されたために先頭車前面の[[方向幕|種別表示器]]に「横須賀線直通」や「宇都宮線直通」のコマも追加された。E231系の増備により2001年12月のダイヤ改正で高崎線、2002年7月に湘南新宿ラインでの運用を終了した。最後まで残存した東北本線の運用は2004年10月のダイヤ改正で終了し、定期運用がすべてなくなった<ref>定期運用を終了した直後の2004年11月 - 12月には水害で故障した[[幕張車両センター]]113系6両編成の修理期間中に、300番台7両編成(ロングシート改造車)1本を貸出し、サハを抜いた6両編成で湘南色のまま千葉地区で運用されたが、113系との連結ができないため、6両単独運用のある[[総武本線]]・[[成田線]]限定運用で故障編成の復帰まで限定運用であった。</ref>。
 
上野口向けの115系運用はE231系投入で2005年までに置き換えられたが、その後も高崎地区向けには短編成の1000番台が残存した<ref name="rp200907_p73" />。塗装は湘南色であった。編成番号は識別記号『T』と編成に組み込まれるモハ114形の[[鉄道の車両番号|車両番号]]を組み合わせて付与された<ref name="rf100116">[[#countdown|鉄道ファン、交友社、2010年1月号、p.16]]</ref>。
その後は4両のY427編成のみが[[東日本旅客鉄道大宮支社|大宮支社]]管内の予備・訓練車兼用として使用するため残存した。訓練車としては宇都宮運転所・[[黒磯駅]]・[[川越車両センター]]・[[大宮総合車両センター]]ほか、[[東日本旅客鉄道東京支社|東京支社]]への貸出も行われた。一方、営業運転では[[日光線]]や[[青梅線]]など[[プラットホーム|ホーム]]有効長が短い路線での[[臨時列車]]にも投入された。しかし、大宮 - 奥多摩間の快速「むさしの奥多摩」が[[国鉄201系電車|201系]]「四季彩」に置き換えられ営業列車での運用も終了し、2007年3月にE231系付属編成(U-118編成)の増備により訓練には当日予備の車両を使用する体制となったため2007年12月1日付で廃車となり、当センターの本系列配置は終了した。
 
T1159編成のうちクモハ115-1065・モハ114-1159・クハ115-1208の3両は、三鷹電車区に横須賀色で新製配置された唯一の1000番台車4両のうちの3両であり、新前橋電車区転入後は湘南色となった<ref name="rp200907_p74">中村剛「JR東日本115系電車の現状(付 しなの鉄道)」『鉄道ピクトリアル』2009年7月号、p.74</ref>。同時に新製配置されたサハ115-1027は1992年にクハ115-1512へ改造され、2010年(平成22年)時点では長野総合車両センターC8編成に組み込まれ中央東線で運用されていた。
==== 高崎車両センター(&#39641;タカ) ====
[[画像:JNR_115_Shonan-color_Joetsu_line.jpg|thumb|200px|T1043編成<br/>上越線 [[新前橋駅|新前橋]] - [[井野駅 (群馬県)|井野]]]]
2005年の組織変更による統合で新前橋電車区から名称変更をされたが、1963年から小山所属車とともに高崎線普通列車の主力として最大15両編成で運用されていた。2001年度に高崎線での運用を終了し、現在は[[上越線]][[高崎駅|高崎]] - [[水上駅|水上]]間・[[信越本線]]高崎 - [[横川駅 (群馬県)|横川]]間・[[吾妻線]]・[[両毛線]]・東北本線(宇都宮線)[[小山駅|小山]] - 宇都宮間で3 - 6両編成から最大7両編成で使用される。同センター配置の[[JR東日本107系電車|107系]]100番台の両毛線の代走で黒磯まで乗り入れることもあるほか、訓練や日光線の107系代走名義で小山車両センターへの貸出も行われる。
 
[[1997年]](平成9年)には[[長野総合車両センター|長野総合車両所]](当時)所属の115系3両編成1本が新前橋電車区に転入し、T1030編成となった<ref name="rp199907_p45">編集部「115系電車の現況 JR東日本 小山電車区・新前橋電車区」『鉄道ピクトリアル』1999年7月号、p.45</ref>。この編成は[[北陸新幹線]]先行開業の前日に廃止となる信越本線横川 - 軽井沢間を通過した最終上り普通列車に充当されており、高崎到着後返却されずに転入した。この編成にはモハ115形1000番台改造のクモハ115-1566<ref name="rf100117"/>が組み込まれており、高崎地区の115系で唯一の先頭車化改造車となった<ref name="rp200907_p74" />。
小山配置車が廃車となったため、JR東日本が保有する営業運転用本系列として唯一の湘南色塗装を施されている同センター配置車の編成番号は、識別記号『T』と編成に組み込まれるモハ114形の車両番号の組み合わせとなっており、
1000番台3両編成11本(33両)1000番台4両編成11本(44両)計77両が配置されている。
 
[[1998年]](平成10年)の[[1998年長野オリンピック|長野オリンピック]]の際に当時の新前橋電車区から4両編成1本を長野総合車両所に貸し出し、信越本線(当時)小諸- [[直江津駅|直江津]]間で限定運用を行った事例がある。この貸し出しでは小諸で夜間滞留が採られたほか、側面方向幕は対応する駅名コマが無いため白表示とし、[[行先標|サボ]]による表示となった。
; 4両編成
TcMM'Tc'で組成されるT1090・T1091・T1133・T1142 - 1147編成とMcM'TTc'で組成されるT1044・T1159編成が在籍する。
* T1090編成は、訓練車兼用。
* T1133編成は小山・宇都宮などの駅名が緑色で表示される宇都宮線用の方向幕を搭載しており、壁面化粧板の色なども若干異なる。
* T1044・T1159編成はサハ115形を切り離し3両編成としても運用可能できる。
* T1159編成のサハ115形を除いた3両は、三鷹電車区に横須賀色で新製配置された唯一の1000番台車である<ref>同時に新製配置されたサハ115-1027は1992年にクハ115-1512へ改造され、現在は長野総合車両センターC8編成に組み込まれている。</ref>。
 
JR東日本では1998(平成10)年度より115系のリニューアル工事が行われ、高崎地区の115系にも施工された。リニューアル車は車内の腰掛・化粧板・[[つり革]]の交換、補助電源装置は電動発電機(MG)から[[静止形インバータ]](SIV)に更新、電動空気圧縮機はレシプロタイプから除湿機能付きスクリュータイプに変更、屋根上の集中式冷房装置はAU720B形に更新された<ref name="rp200907_p74" />。ドア横アクリル製袖仕切りの有無・暖房稼動時の高温対策用座席下金属部カバーの有無など、編成ごとに細かい施工内容が異なる。
; 3両編成リニューアル未施工車
T1030・T1040編成の2本。
* T1030編成は、元長野所属車で1997年の長野新幹線開業前日に廃止となる信越本線横川 - [[軽井沢駅|軽井沢]]を通過した最後の上り普通列車に充当され高崎到着後に返却されずにそのまま転入した編成であり、同センター唯一のモハ115形1000番台改造のクモハ115-1566が組み込まれている。
* T1040編成のクハ115-1030を除くモハ114-1040・クモハ115-1030は、すべての窓・ドア周辺が白Hゴムである最も原形を保有している車両である。
 
2005年(平成17年)12月の組織変更による統合で、新前橋電車区は高崎車両センターに名称変更された。保安装置はATS-P・S<small>N</small>を搭載。デジタル無線装置を装備し、機器は運転席後方の荷物棚に設置される<ref name="rf100117">[[#countdown|鉄道ファン、交友社、2010年1月号、p.17]]</ref>。客用扉は、2017年(平成29年)時点では通年で[[自動ドア#日本|半自動]]扱いとなっていた。
; 3両編成リニューアル施工車
T1022・T1032・T1036 - T1039・T1041・T1043・T1046編成の9本。
* リニューアル施工車は補助電源装置のSIV化・CPの除湿機能付きスクリュータイプへの更新・AU720B冷房装置・座席・つり革・内壁等の交換などが施工済。
** 2人掛けロングシート部分にドアの間にアクリル防風板や金属部分に身体が直接触れ暖房使用時の火傷を防止するためのカバーが装着された車両もある。
 
高崎車両センター所属の115系は、同センター所属211系の代走で黒磯までの入線や乗務員訓練などで小山車両センターへ貸出された経歴がある<ref>[https://railf.jp/news/2011/11/03/055900.html 115系が日光線・小山車両センターへ] - railf.jp 鉄道ファン(2011年11月3日)</ref>。かつては小山所属[[JR東日本107系電車|107系]]の代走運用にも充当された<ref>[https://railf.jp/news/2012/05/27/070000.html 115系が日光線運用に] ‐ railf.jp 鉄道ファン(2012年5月27日)</ref>。
==== 豊田車両センター(八トタ) ====
 
2010年(平成22年)7月にT1090・T1133編成には群馬[[デスティネーションキャンペーン]]のPRラッピング<ref group="注">[[ぐんまちゃん]]のイラストが描かれていた。</ref>や[[方向幕#ヘッドマーク|ヘッドマーク]]<ref>鉄道ファン、交友社、2011年10月、p.176</ref>が施されたが<ref name="taka115wrap">[http://rail.hobidas.com/news/info/article/118687.html 高崎車両センター115系にラッピング車] - RM News 鉄道ホビダス(2010年6月29日)</ref><ref>[http://rail.hobidas.com/rmn/archives/2010/07/jr115_11.html 高崎車両センター115系ラッピング車 運行開始] - RM News 鉄道ホビダス(2010年7月1日)</ref>、翌2011年(平成23年)9月末のキャンペーン終了に伴い同10月上旬までに剥離された。T1090編成は[[訓練車]]兼用であったが、他の編成が投入される場合もあった。T1133編成は小山・宇都宮などの駅名が緑色で表示される宇都宮線用の方向幕を搭載しており、壁面化粧板の色なども若干異なっていた。
 
2016年(平成28年)4月1日時点での4両編成は、両先頭車がクハ115形で組成されるT1090・T1091・T1133・T1142 - T1147編成と、クモハ115形とクハ115形で組成されるT1044・T1159編成の11編成が在籍していた<ref name="JRR 2016S 57">ジェー・アール・アール編『JR電車編成表』2016夏 ジェー・アール・アール、交通新聞社、2016年、p.57。ISBN 9784330682167。</ref>。T1044・T1159編成はサハ115形を切り離し3両編成で運用されることもあった。
 
2016年(平成28年)9月にT1143 - T1145・T1147編成、同年10月にT1090・T1091編成、同年11月にT1133・T1142編成が廃車され<ref name="JRR 2017S 356">ジェー・アール・アール編『JR電車編成表』2017夏 ジェー・アール・アール、交通新聞社、2017年、p.356-357。ISBN 9784330787176。</ref>、同年12月13日以降は4両編成運用の211系への置換えが実施された<ref name="JRR 2017W 356">ジェー・アール・アール編『JR電車編成表』2017冬 ジェー・アール・アール、交通新聞社、2016年、p.356。ISBN 9784330737164。</ref>。同年12月19日にT1146・T1159編成およびT1044編成に組込まれていたサハ115-1007が長野総合車両センターに廃車回送され、同月21日付で廃車<ref name="JRR 2017S 316">ジェー・アール・アール編『JR電車編成表』2017夏 ジェー・アール・アール、交通新聞社、2017年、p.316。ISBN 9784330787176。</ref><ref name="JRR 2017S 356"/>。サハ115形は廃形式となり<ref name="rf1704146">[[#countdown|鉄道ファン、交友社、2017年4月号、p.146]]</ref>、T1044編成が3両編成となったのをもって当センターから4両編成は全廃となった。2017年(平成29年)6月2日付でT1030・T1044編成の2本6両が廃車された<ref name="JRR 2018w 356">ジェー・アール・アール編『JR電車編成表』2018冬 ジェー・アール・アール、交通新聞社、2017年、p.356。ISBN 9784330841175。</ref>。
 
2017年(平成29年)では上越線高崎 - 水上間・信越本線高崎 - [[横川駅 (群馬県)|横川]]間・吾妻線<ref>{{Cite journal|和書 |title= |journal=普通列車編成両数表 |publisher=ジェー・アール・アール |volume=36 |year=2016 |month=6 |pages=p.38-45・p.74-79|isbn=978-4-3306-8916-6}}</ref>・両毛線で、吾妻線は3両、他は主に3両編成を2編成連結した6両編成で運用された。また2017年(平成29年)8月から正面行先方向幕の使用を停止しており、幕部分は車体と同じ緑色で埋められた。
 
[[ファイル:ThankYouForJNR115.jpg|サムネイル|引退に伴い一部編成にステッカーが貼られた(2018年)]]
2018年(平成30年)[[1月15日]]、JR東日本高崎支社は同支社管内の115系の定期運用を同年3月に終了することを発表した<ref>{{Cite press release |和書 |title=高崎支社管内を走る115系電車が本年3月に定期運行を終了します!|publisher=東日本旅客鉄道株式会社高崎支社 |date=2018-01-15|url=http://www.jreast.co.jp/takasaki/news/pdf/20180115_info.pdf|format=PDF |accessdate= 2018-01-15}}</ref>。[[2010年代のJRダイヤ改正#3月17日_2|2018年(平成30年)3月17日ダイヤ改正]]により、前日の同月16日ですべての定期運用を終了した<ref>[https://railf.jp/news/2018/03/17/194000.html 高崎車両センター所属の115系が定期運転を終える] - railf.jp 鉄道ファン(2018年3月17日)</ref>。その後同月21日にT1022・T1032編成を連結した6両編成が専用ヘッドマークを掲出した[[団体専用列車]]に充当され、信越本線高崎 - 横川間・上越線高崎 - 水上間で各1往復の運転(さよなら運転)が行われた<ref>[https://railf.jp/news/2018/03/21/203000.html 信越本線・上越線で115系団臨運転] - railf.jp 鉄道ファン(2018年3月21日)</ref>。
 
定期運用から撤退後の2018年(平成30年)4月1日時点では、1000番台3両編成10本30両が配置されていた<ref name="JRR 2018s 57">ジェー・アール・アール編『JR電車編成表』2018夏 ジェー・アール・アール、交通新聞社、2018年、p.57。ISBN 9784330884189。</ref>。リニューアル未施工車のT1040編成1本、リニューアル施工車のT1022・T1032・T1036 - T1039・T1041・T1043・T1046編成の9本が在籍していた<ref name="JRR 2018S 57">『JR電車編成表』2018夏 ジェー・アール・アール 交通新聞社 2018年 p.57 ISBN 9784330884189</ref>。同年4月にT1038・T1039の2本が、同年7月にT1022・T1032・T1036・T1037・T1041・T1043・T1046の7本が廃車され、リニューアル施工車は全廃となった<ref name="JRR 2019w 357">『JR電車編成表』2019冬 ジェー・アール・アール 交通新聞社 2018年 p.357 ISBN 9784330932187</ref>。
 
以降はT1040編成の3両のみが配置されていたが、[[2020年]]([[令和]]2年)3月1日付でモハ114-1040・クハ115-1030の2両が廃車<ref name="JRR 2020s 358">ジェー・アール・アール編『JR電車編成表』2020夏 ジェー・アール・アール、交通新聞社、2020年、p.358。ISBN 9784330050201。</ref>。残るクモハ115-1030も2025年1月17日付で廃車となり、JR東日本所属の115系が消滅した<ref name="JRR 2025s">ジェー・アール・アール編『JR電車編成表』2025夏 ジェー・アール・アール、交通新聞社、2025年、p.331。ISBN 9784330032252。</ref>。
 
=== 中央東線 ===
[[ファイル:JR East 115-Suka-color.jpg|thumb|300番台M7編成ほか6両(相模湖 - 高尾間、2008年)]]
[[ファイル:JRE-EC-115-0-Yamasuka.jpg|thumb|中央東線115系0番台(1991年頃)]]
[[ファイル:Jnr kumoni83 and115 series.JPG|thumb|[[国鉄72系電車#クモニ83形|クモニ83]]を連結した中央東線運用(1982年)]]
[[ファイル:Kamisuwa Yako 421M 19890322.jpg|thumb|115系の上諏訪行き夜行普通列車([[小淵沢駅]]、1989年)]]
[[ファイル:JNR 115 Series W2 Formation (Training Car).jpg|thumb|訓練車のW2編成(2013年)]]
[[ファイル:Musashino 115 Hachioji 20040303.JPG|thumb|M40編成の快速「むさしの」(2004年)]]
[[ファイル:JRE115HolidayRapidKamakura.JPG|thumb|M40編成の快速「ホリデー快速鎌倉」(2007年)]]
 
中央東線に115系が初投入されたのは1965年5月の松本電化から約1年半後、[[特別急行列車|特急]]「[[あずさ (列車)|あずさ]]」の運転が開始された1966年12月12日のダイヤ改正からである<ref name="rp201211_p64">進藤匡「中央本線115系電車の歩みと現状」『鉄道ピクトリアル』2012年11月号、p.64</ref>。客車列車<ref name="rf100114">[[#countdown|鉄道ファン、交友社、2010年1月号、p.14]]</ref>の一部電車化のため三鷹電車区に0番台66両が新製配置されたのが始まりで、編成はクモハ115形を含む3両編成2組でサハ115形2両を挟んだ変則8両編成、モハ114形は低屋根車の800番台であった<ref name="rp200907_p36">「中央東線のスカ色115系」『鉄道ピクトリアル』2009年7月号、p.36</ref><ref name="rp201211_p64" />。塗装は70系電車「山スカ」と同じく横須賀色が採用された<ref name="rf100114"/><ref name="rf111023">[[#JNR color|鉄道ファン、交友社、2011年10月号、p.23]]</ref>。
 
客車列車から置き換えられた115系では郵便・荷物電車の併結も行われており、72系から改造された[[国鉄クモユニ82形電車|クモユニ82形800番台]]・[[国鉄クモニ83形電車|クモニ83形800番台]]が115系と同じ三鷹電車区に配置された<ref name="rp201211_p65" />。115系の新宿発着列車では上り新宿方(クモハ115形側)にクモユニ82形・クモニ83形が連結される事が多く、高尾発着列車では連結されなかった<ref name="rp201211_p65" />。
 
[[1970年]]10月のダイヤ改正では、下り定期急行「[[かいじ (列車)|かいじ]]6号」と朝の甲府発立川行き快速に115系がグリーン車連結で運用されることになった<ref name="rp200907_p37">「中央東線のスカ色115系」『鉄道ピクトリアル』2009年7月号、p.38</ref><ref name="rp201211_p65">進藤匡「中央本線115系電車の歩みと現状」『鉄道ピクトリアル』2012年11月号、p.65</ref>。新前橋電車区所属の165系サロ165形サロ165-14・15が三鷹電車区に貸し出され、14は横須賀色に塗色変更、15は湘南色のままで運用された<ref name="ikarosJNR19"/>。サロ165形2両はジャンパ連結器を115系に合わせたものに変更する改造が行われたが、改造に伴う改番はない<ref name="railfan20121113">[[#鉄道ファン|鉄道ファン、交友社、2012年11月号、p.13]]</ref>。グリーン車の連結は開始2年後の1972年10月のダイヤ改正で廃止となっている<ref name="rp201211_p65" />。
 
1971年7月からは土休日運転の不定期急行「かいじ」・「[[ホリデー快速富士山#沿革|かわぐち]]」にも115系が投入され、富士急行線[[河口湖駅|河口湖]]まで乗り入れする運用にも対応した<ref>「国鉄の旅4 甲信越編」[[保育社]]、林順信・[[諸河久]]著 「甲州への二層列車」p.73</ref><ref>[[#shinchou3|日本鉄道旅行歴史地図帳3号 関東、新潮社、2010年7月、p.35-37、]]</ref>。「かいじ」「かわぐち」の運転日は車両が不足するため、小山電車区の湘南色115系低屋根車編成が三鷹電車区115系の代走運用に入ることもあった<ref name="rp200907_p37" />。中央東線115系の急行運用はいわゆる「遜色急行」の代表例の1つとなっている<ref name="rp200907_p37" />。
 
[[1975年3月10日国鉄ダイヤ改正|1975年3月10日のダイヤ改正]]では冷房車の300番台29両を新製投入し、一部残存していた客車普通列車を置き換えた<ref name="ikarosJNR19"/>。これに伴って三鷹電車区の115系が定期列車で篠ノ井線経由で長野まで乗り入れるようになった<ref name="rp200907_p38">「中央東線のスカ色115系」『鉄道ピクトリアル』2009年7月号、p.38</ref>。夜行普通客車列車の新宿発長野行き[[ムーンライト信州#戦後|425列車]]と長野発新宿行き426列車も115系に置き換えられ、[[列車番号]]は下り長野行きが441M、上り新宿行きが442Mとなった<ref name="rp201211_p56">寺本光照「中央本線 夜行列車のあゆみ」『鉄道ピクトリアル』2012年11月号、p.56</ref>。登山客の利用が多く「[[山男列車]]<ref name="rp201512_p21">山田亮「115系『夜行電車』『長距離電車』の記録」『鉄道ピクトリアル』2015年12月号、p.21</ref>」とも呼ばれた425列車の電車化を惜しむ声もあり、425列車を愛用していた登山客らにより「425列車を愛する会」が結成された<ref name="railfan20121115"/>。
 
115系300番台は1975年12月から1976年3月にかけても71両が増備され、主に高尾 - 甲府間で運転されていた70系「山スカ」と72系「山ゲタ」を置き換えての新性能化が実施された<ref name="rp201211_p65" />。70系・72系は4両編成が基本であったため、115系は300番台を変則8両編成で投入して0番台を捻出し、捻出された0番台が3両編成にサハ115形1両を組み込んだ4両編成に変更されている<ref name="rp200907_p38" /><ref name="rp201211_p65" />。捻出された70系電車は[[呉線]]に転用された<ref name="railfan20121116"/>。
 
115系300番台投入後は中央東線普通電車の大半が115系となったが、[[塩山駅|塩山]] - 甲府 - [[韮崎駅|韮崎]]間の山梨県内区間列車では身延線の旧性能電車が間合い運用されていた<ref name="rp201211_p66" />。1981年の身延線新性能化を前にこの区間列車を1980年3月に沼津機関区から三鷹電車区に移管して新性能化することになり、115系1000番台の冷房車4両編成1本が三鷹電車区に投入された<ref name="rp201211_p66" />。この編成は0番台4両編成と共通の運用に投入され、中央東線最後の115系新製車かつ横須賀色で新製された唯一の1000番台となった<ref name="rp201211_p66" />。
 
0番台は長らく非冷房車のままであったが、1982年にはクモハ115-11ほか4両編成1本が冷房化改造を受け、翌1983年にもクモハ115-13ほか4両編成1本が冷房化された<ref name="rp200907_p39">「中央東線のスカ色115系」『鉄道ピクトリアル』2009年7月号、p.39</ref>。三鷹電車区の0番台で国鉄時代にAU75形で冷房化改造されたのはこの4両編成2本に留まり、以後の冷房化はJR化後にAU712形を搭載する方式で進められた<ref name="rp200907_p39" />。
 
[[1984年2月1日国鉄ダイヤ改正|1984年2月1日]]のダイヤ改正で各地の短編成化が推進されるのに伴い、1983年度に三鷹電車区の115系4両編成6本の3両編成化で外されたサハ115形基本番台6両が先頭車化改造を受け、沼津機関区・新前橋電車区・広島運転所へ転出した<ref name="rp201211_p67" />。[[1985年3月14日国鉄ダイヤ改正|1985年3月14日]]のダイヤ改正では残るサハ全車が編成から外され、各番台とも3両または6両編成が主体となった<ref name="rp200907_p39" />。外されたサハ33両は三鷹電車区への配置が無くなり、22両は東北・高崎線へ転用、7両は先頭車化改造、4両は113系サハ111形への改造が行われた<ref name="rp201211_p67" />。
 
夜行列車は1985年3月改正で新宿 - 長野間夜行普通列車441M・442Mのうち上り長野発の442Mが廃止となり、新宿発の441Mも長野行きから上諏訪行きに短縮された<ref name="rp201211_p57">寺本光照「中央本線 夜行列車のあゆみ」『鉄道ピクトリアル』2012年11月号、p.57</ref>。
 
1986年には小山電車区・新前橋電車区よりモハ115・114形の中間電動車ユニット6組とサハ115形6両が転入し、6両貫通編成6本が組成された<ref name="rp199907_p22">編集部「115系電車の現況 JR東日本 豊田電車区」『鉄道ピクトリアル』1999年7月号、p.22</ref>。中間電動車ユニットは300番台5組に加えて1000番台が1組あったほか、サハは6両全車が1985年に三鷹電車区から転出した車両の再転入であった<ref name="rp201211_p67" />。捻出された300番台3両編成6本は岡山電車区へ転出している<ref name="rp200907_p39" />。[[1986年11月1日国鉄ダイヤ改正|1986年11月1日のダイヤ改正]]では、三鷹電車区の115系全車が豊田電車区へ転出した<ref name="rf100114"/><ref name="rp201211_p66">進藤匡「中央本線115系電車の歩みと現状」『鉄道ピクトリアル』2012年11月号、p.66</ref>。
 
JR化後の1988年からは非冷房0番台のAU712形による冷房化改造が開始され、車両更新工事も順次施工された<ref name="rp201211_p66" />。1990年3月には1000番台で唯一となった横須賀色新製車編成の3両も新前橋電車区へ転出した<ref name="rp201211_p66" />。
 
1992年には小山電車区より両端がクハ115形の4両編成が転入したが、短期間の営業運転を経て訓練車に転用された<ref name="rp200907_p40">「中央東線のスカ色115系」『鉄道ピクトリアル』2009年7月号、p.40</ref>。1993年からは踏切事故対策でステンレス板による前面強化工事が行われ、豊田電車区の115系初期車は営業車全車がシールドビーム前照灯となり、訓練車編成のみが原型大型前照灯枠を残すシールドビーム改造車として残存した<ref name="rp200907_p40" />。
 
上諏訪行き夜行普通列車は[[1980年代・1990年代のJRダイヤ改正#12月1日|1988年12月改正]]時点で列車番号が441Mから421Mへ変更されていたが、421Mは1992年3月14日より運転区間が甲府までに短縮され、同じ車両が列車番号を変えて早朝の甲府発松本行きとして運転される形となった<ref name="rp201512_p22">山田亮「115系『夜行電車』『長距離電車』の記録」『鉄道ピクトリアル』2015年12月号、p.22</ref>。甲府行き夜行普通列車は[[1980年代・1990年代のJRダイヤ改正#12月1日_3|1993年12月1日のダイヤ改正]]で廃止となり、[[大月駅|大月]]まで短縮の上201系に置き換えられた<ref name="rf100114"/>。
 
夜行普通列車廃止に伴って115系の新宿への定期列車乗り入れも終了し、首都圏への乗り入れは立川までとなった。立川までの運用は一部のみで大半は高尾発着となっている<ref name="rf100115"/>。
 
1993年から1995年にかけて、豊田電車区115系6両貫通編成の下り方モハ114形に霜取り用のパンタグラフが増設された<ref name="rp200907_p41" />。1998年からは雪害対策として豊田電車区のモハ114形全車の集電用パンタグラフが[[集電装置#Z型・シングルアーム型|シングルアーム]]式のPS35A・B形へ交換された<ref>[[#ikarosJNR vol.1|「現役国鉄型大研究 vol.1」イカロスMOOK、p.117]]</ref><ref name="rp199907_p23">編集部「115系電車の現況 JR東日本 豊田電車区」『鉄道ピクトリアル』1999年7月号、p.23</ref>。1998年度から300番台のリニューアル工事も開始されたが、1999年度の施工編成は工事内容を一部省略した簡易リニューアル車となっている<ref name="rp200907_p75">中村剛「JR東日本115系電車の現状(付 しなの鉄道)」『鉄道ピクトリアル』2009年7月号、p.75</ref>。
 
中央東線の横須賀色115系には首都圏と松本方面を結ぶ中央本線・篠ノ井線経由で長野までの広域運用が存在したが、[[2000年代のJRダイヤ改正#12月2日|2000年12月のダイヤ改正]]で[[東日本旅客鉄道長野支社|長野支社]]管内に入る運用が同支社に移管された<ref name="rf100114"/>。豊田電車区の115系は6両貫通編成8本と0番台3両編成12本が松本運転所へ転出し、残存車が[[東日本旅客鉄道八王子支社|八王子支社]]管内となる山梨県の小淵沢以東や富士急行乗り入れのみを受け持つ事になった<ref name="rp200907_p41">「中央東線のスカ色115系」『鉄道ピクトリアル』2009年7月号、p.41</ref>。これにより豊田電車区の115系は300番台3両編成12本(訓練車の0番台除く)のみが残存した<ref name="rp201211_p67">進藤匡「中央本線115系電車の歩みと現状」『鉄道ピクトリアル』2012年11月号、p.67</ref>。
 
2002年には松本運転所に転属していた6両貫通編成1本が再転入し、M40編成となった<ref name="rp201211_p67" />。クモハ115形を含む6両貫通編成で、モハ114-374には霜取用にPS23形パンタグラフを搭載<ref name="rf100115"/>、サハ115-319は最後まで残存した300番台サハ<ref name="railfan20121135"/>であったほか、中間のモハ115-348+モハ114-374のみが小山からの転入車で川重製、他は日本車輌製である。
 
豊田電車区は2007年11月に豊田車両センターへ改称された。2014年1月までは300番台による3両編成12本・6両編成1本<ref name="railj20120792"/>と基本番台4両による訓練車編成1本<ref name="rf100115"/>の計46両が配置されていた。
 
M1 - 12編成は立川方からクモハ115形+モハ114形+クハ115形の3両で組成され、全車日本車輌で製造された。またM9編成が車体更新工事を、M1 - M4編成が簡易リニューアル工事を、M5・6・10・12編成がリニューアル工事を施工していた。定期運用では3両編成単独または2本組合せの6両編成で中央本線立川<ref name="rf111017">[[#JNR color|鉄道ファン、交友社、2011年10月号、p.17]]</ref> - 小淵沢間ならびに富士急行線河口湖まで<ref group="注">以前にはダイヤの大幅な乱れにより運用変更が発生し[[松本駅|松本]]まで運用されたケースもあった。</ref><ref name="rf111023">[[#JNR color|鉄道ファン、交友社、2011年10月号、p.23]]</ref>、3両編成単独のみで塩山 - 甲府 - 韮崎の区間列車<ref name="rf100115"/>に充当された。
 
M40編成は他の編成と異なり中央本線運用には投入されず、三鷹電車区の波動用169系の運用終了に伴う代替として[[武蔵野線]]快速「[[むさしの号]]」(2010年12月3日で終了)<ref name="railfan201211144"/>用に投入された。土休日には「ホリデー快速鎌倉」<ref name="railfan201211144"/>(2013年9月23日で終了<ref>[http://rail.hobidas.com/rmn/archives/2013/09/jr115m40_11.html 〈ホリデー快速鎌倉号〉115系M40編成での運転終了] - RM News 鉄道ホビダス(2013年9月24日)</ref>)にも投入されたほか、長野総合車両センター所属車C編成定期運用の代走<ref>[http://rail.hobidas.com/rmn/archives/2013/09/jrhm.html 〈ホリデー快速〉のHMつけたまま中央本線代走] - RM News 鉄道ホビダス(2013年9月19日)</ref>・波動輸送<ref name="railfan201211144">[[#M40|鉄道ファン、交友社、2012年11月号、p.144]]</ref>・乗務員訓練<ref>[https://railf.jp/news/2012/02/11/155900.html 115系M40編成が、中央本線・山手貨物線で試運転](2012年2月11日)・[https://railf.jp/news/2013/02/27/172000.html 115系M40編成を使用した試運転](2013年2月27日) - railf.jp 鉄道ファン</ref>などのほか、波動輸送運用にも投入された。
 
W2編成は訓練車編成<ref>[http://rail.hobidas.com/rmn/archives/2011/04/jr115_15.html 115系訓練車回送](2011年4月4日)・[http://rail.hobidas.com/rmn/archives/2013/08/jr115_31.html 115系訓練車東京総合車両センターへ回送](2013年8月26日) - RM News 鉄道ホビダス</ref>でモヤ115形が組み込まれた4両編成である<ref name="rf111023"/>で、前照灯は白熱灯用大型ケーシングをそのまま流用したシールドビーム化改造が施工済である<ref name="rf100114"/>。
 
保安装置はATS-P・S<small>N</small>を搭載し、[[列車無線#JR在来線における方式の違い|デジタル無線]]および[[操縦席#鉄道車両の運転席・運転台|運転台]]への[[鉄道車両のモニタ装置|簡易モニター]]設置が施工済であった。このため運転台後部ロングシート上荷棚部に機器箱が設置されていた。近年では先頭車貫通幌を長野方クハ115形装着から、長野総合車両センター所属車に合わせて新宿方クモハ115形装着へ変更。多くの編成が[[鉄道のブレーキ#耐雪ブレーキ|耐雪ブレーキ]]を装備しており、列車番号表示機はLED式を助士席側に設置していた。車内の座席モケットは薄[[茶色]]を基調としていた<ref name="rf100115">[[#countdown|鉄道ファン、交友社、2010年1月号、p.15]]</ref>。
 
2014年1月27日にM40編成の中間のサハ115-319+モハ115-348+モハ114-374を訓練車のW2編成に組み込み長野総合車両センターへ廃車回送を実施<ref name="rf140128">[https://railf.jp/news/2014/01/28/120000.html 115系W2編成とM40編成の一部が長野へ] - railf.jp 鉄道ファン(2014年1月27日)</ref>、訓練車は2014年1月28日付で廃車となった<ref name="rf140128"/>。残存した3両も2014年7月26日付で廃車された<ref name="JRR 2015w 356"/>。これにより6両編成と訓練車編成が消滅となり、300番台3両編成12本の36両に減少した。2014年12月5日には、M2 - M5・M11編成が豊田車両センター武蔵小金井派出へ疎開回送された<ref>[https://railf.jp/news/2014/12/06/212000.html 豊田車両センター所属の115系5編成が疎開回送される] - railf.jp 鉄道ファン(2014年12月6日)</ref>。
 
2014年12月7日には長野総合車両センター所属の211系N編成に運用が移管されたため、豊田車両センターの115系の定期運用は前日の12月6日に終了した<ref name="rp201512_p77">日向旭「JR東日本 115系の現況」『鉄道ピクトリアル』2015年12月号、p.77</ref>。
 
長野総合車両センターへの廃車回送は、同月9日・10日にM1・M2・M4・M6編成<ref>[https://railf.jp/news/2014/12/12/130000.html 115系6両が長野総合車両センターへ] - railf.jp 鉄道ファン(2014年12月12日)</ref>(廃車日は同月10日・11日<ref name="JRR 2015s 357"/>)、同月24日にはM5・M11編成(廃車日は同月19日<ref name="JRR 2015s 357"/>)、2015年1月7日にはM10・M12編成へ<ref>[https://railf.jp/news/2015/01/08/160000.html 115系M10編成・M12編成が長野総合車両センターへ] - railf.jp 鉄道ファン(2015年1月8日)</ref>(廃車日は同月8日<ref name="JRR 2015s 357"/>)、同月14日にはM7・M8編成へ実施された(廃車日は同月15日<ref name="JRR 2015s 357"/>)。
 
2015年1月21日にはM3・M9編成が[[豊田駅|豊田]] - 松本間(辰野支線経由)で廃車回送を兼ねたさよなら団体列車「ありがとう八トタ115系号」として最後の営業運転が実施され、松本到着後に長野総合車両センターへ回送された<ref name="JREAST115Tota">{{PDFlink|[https://web.archive.org/web/20150418180102/http://www.jreast.co.jp/hachioji/view/pdf/20141224_hachitota/20141224_hachitota_all.pdf ありがとう八トタ115系の旅]}}(JR東日本びゅう・インターネットアーカイブ・2015年時点の版)。</ref><ref>[https://railf.jp/news/2015/01/22/150000.html 「ありがとう八トタ115系松本号」が運転される] - railf.jp 鉄道ファン(2015年1月22日)</ref>。翌日付で廃車<ref name="JRR 2015s 357"/>となり、豊田車両センターの115系は消滅した。
 
中央東線での115系の定期運用は2015年10月28日に終了となり、最終運用では長野総合車両センター所属の1000番台横須賀色6両編成のC1編成(2014年に信州色から横須賀色へ変更)が使用された<ref name="railf20151031" />。2015年11月22日に運転された団体臨時列車「中央本線開業110周年記念〜ありがとう115系C1編成」を最後に、長野総合車両センターの115系の営業運転も終了となった<ref name="railf20151123">[https://railf.jp/news/2015/11/23/204000.html 「中央本線開業110周年記念〜ありがとう115系C1編成」運転] - railf.jp 鉄道ファン(2015年11月23日)</ref>。
 
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%; margin:1em 1em 1em 3em;"
!colspan="7"|豊田車両センター配置車編成表
|-
|colspan="7"|{{TrainDirection|立川・河口湖|富士山・小淵沢}}
|-style="border-top:solid 5px #0072bc;"
!style="width:6em;"|編成番号
!style="width:6em;"|クモハ115
!style="width:6em;"|モハ114
!style="width:6em;"|クハ115
!style="width:6em;"|製造所
!style="width:6em;"|更新工事
!style="width:6em;"|廃車日
|-
!M1
|304||332||354||rowspan="12"|日本車輌||rowspan="4"|簡易<br />リニューアル||14.12.10
|-
!M2
|305||333||356||14.12.11
|-
!M3
|306||334||358||15.1.22
|-
!M4
|307||335||360||14.12.11
|-
!M5
|308||342||370||rowspan="2"|リニューアル||14.12.19
|-
!M6
|309||343||372||14.12.10
|-
!M7
|310||344||374||rowspan="2"|未施工||rowspan="2"|15.1.15
|-
!M8
|311||345||376
|-
!M9
|312||346||378||車体更新||15.1.22
|-
!M10
|313||347||380||リニューアル||15.1.8
|-
!M11
|315||349||384||未施工||14.12.19
|-
!M12
|325||361||412||リニューアル||15.1.8
|-style="border-top:solid 5px #0072bc;"
!style="width:6em;"|M40
|style="width:6em;"|クモハ115<br />-318
|style="width:6em;"|モハ114<br />-354
|style="width:6em;"|サハ115<br />-319
|style="width:6em;"|モハ115<br />-348
|style="width:6em;"|モハ114<br />-374
|style="width:6em;"|クハ115<br />-398
|-style="border-top:solid 5px #0072bc;"
!style="width:6em;"|W2
|style="width:6em;"|クハ115<br />-207
|style="width:6em;"|モヤ115<br />-6
|style="width:6em;"|モハ114<br />-827
|style="width:6em;"|クハ115<br />-108
|colspan="2" style="background-color:#ccc;"|&nbsp;
|}
 
=== 新潟地区 ===
{{画像提供依頼|新潟車の車内|cat=東日本旅客鉄道|cat2=新潟県|date=2024年3月}}
{{vertical images list
|幅= 200px
|1=JR East 115JRE-SukaEC115-color1000-Niigata.jpg
|2=1次新潟色
|2=M7編成ほか6両<br/>中央本線 [[相模湖駅|相模湖]] - [[高尾駅 (東京都)|高尾]]
|3=Musashino115Niigata 115kei L13.JPG
|4=2次新潟色
|4=M40編成<br/>快速「むさしの」
|5=JRE115HolidayRapidKamakuraJRE-115-nigata.JPG
|6=3次新潟色
|6=M40編成<br/>快速「ホリデー快速鎌倉」
|7=JRE 115 N-33 Nagaoka Station 20201031.jpg
|8=1次弥彦色(復刻色)
|9=Series-115-1000-N40.jpg
|10=懐かしの新潟色(復刻色)
}}
[[ファイル:JR East 115-1000 L99 and N3 Takasaki Line 20170119.jpg|サムネイル|伴走車L99編成]]
[[1986年11月1日国鉄ダイヤ改正|1986年11月1日のダイヤ改正]]で三鷹電車区から移管された。当センター所属車両は、本系列唯一の横須賀線色をまとう。かつては、[[中央本線]]・篠ノ井線運用で長野まで運用されており、1993年までは[[新宿駅|新宿]]まで乗り入れていた<ref>ただし晩年は下りの夜行列車のみ。</ref>ほか、2000年には小淵沢以遠の運用が[[東日本旅客鉄道長野支社|長野支社]]に移管されたため、大量に所属車が松本運転所に転出した経緯もある。現在は3両編成12本、6両編成1本、4両の訓練車編成の総数46両が配置されている。また、当センターの所属車は三鷹区時代から先頭車の貫通幌が長野方のクハ115形に装着されていたが、近年では長野総合車両センター所属車に合わせて新宿方のクモハ115形装着に変更されているほか、モハ114形では集電用パンタグラフがシングルアーム式のPS35A・B形に交換されている。
 
新潟地区に115系が初投入されたのは1976年で、東北・高崎線上野口への300番台投入で捻出された基本番台が70系電車の置き換えを目的に、長岡運転所へ投入が開始された<ref name="ikarosJNR19"/>。
; M1 - 12編成
3両編成で中央本線[[立川駅|立川]] - [[小淵沢駅|小淵沢]]([[東日本旅客鉄道八王子支社|八王子支社]]管内)と[[富士急行線]][[河口湖駅|河口湖]]まで乗り入れる運用に投入されている<ref>以前には、稀にダイヤの大幅な乱れにより運用変更が発生し松本まで運用されるケースもあったほか、一方で2007年秋に定期運用のなくなった長野支社管内の多客臨時列車「快速スイッチバック街道」で長野 - 聖高原、2008年9月に「115系大糸リレー」で松本 - 南小谷に、「惜別スイッチバック街道羽尾号」で長野 - 聖高原を長野総合車両センターの[[国鉄143系電車|クモユニ143]]-1・3と連結した5両編成で投入された。</ref>。
 
1978年からは1000番台6両編成が長岡運転所に新製投入され、捻出された基本番台は岡山地区に転出して80系を置き換えた<ref name="rf100122">[[#countdown|鉄道ファン、交友社、2010年1月号、p.22]]</ref>。1982年には水上以北での減車化(6連→5連へ変更)に伴う運用見直しで長岡運転所所属サハ115形1000番台19両が小山・新前橋の両電車区へ転出した。
; M40編成
6両貫通編成で他の編成と異なり本来の中央本線運用には投入されず、[[武蔵野線]]の快速「[[むさしの (列車)|むさしの]]」や「[[ホリデー快速鎌倉]]」運用にほぼ専従投入されている。また、この編成は2000年に松本へ転出したグループ内で唯一廃車を免れた営業用の編成であり、当センターへの復帰でもあること。モハ114-374には霜取用パンタグラフを設置していること(PS23形)。サハ115-319は現存する唯一の300番台サハであるなどの数々の特徴を持ち合わせている。
 
1984年の越後線・弥彦線電化開業により本系列が投入される事となり、一旦山陽地区に転出した基本番台(先頭車化改造車)や身延線用2000番台が転入したため、新潟地区は基本・1000・2000各番台が混在していた<ref name="rf100123">[[#countdown|鉄道ファン、交友社、2010年1月号、p.23]]</ref>。新潟地区に転入した0番台・2000番台には主電動機冷却風吸入口を客室内に設けるなどの耐寒耐雪強化改造が施工された<ref name="rp199907_p13">中村剛「115系電車の現況 JR東日本 上沼垂運転区・長岡運転区」『鉄道ピクトリアル』1999年7月号、p.13</ref>。クハ115形2000番台は7両すべてが奇数向きだったが、2129を除き方転された<ref name="rf100124"/>。
==== 長野総合車両センター(長ナノ) ====
 
JR化後も残る非冷房車・冷房準備車は1988年度からAU712形による冷房化改造が施工され、弥彦線用Y編成・非ワンマンS編成など0番台グループで冷房電源にSC24形インバータ<ref name="rf100123"/>を搭載した車両は制御電源としてモハ・クモハ114形に20 kVAのMGが引き続き搭載されている<ref name="rp200907_p67">中村剛「JR東日本115系電車の現状(付 しなの鉄道)」『鉄道ピクトリアル』2009年7月号、p.67</ref>。L1 - 6編成は電動車が基本番台であり<ref name="rf100123"/>、基本番台の電動車と組む1000番台・2000番台の冷房準備車はAU75系ではなくSC24形インバータ給電のAU712形が搭載された<ref name="rp199907_p13" />。
 
クモハ115-1023やクハ115-1023・1024など一部車両(N24・L12編成)は廃車発生品を利用してAU75形で冷房化改造されたため、車両中央部のみに冷房吹き出し口があり、扇風機や運転台上部の箱型通風器も残されるなど他編成と相違が目立っていた<ref name="rp200907_p67" />。後年のリニューアル改造後もそのままであったが、後に他のAU75形冷房装置搭載車と同じ仕様に改造され、扇風機や箱型通風器も撤去されている<ref name="rp201512_p110">「今注目の115系車両ピックアップ」『鉄道ピクトリアル』2015年12月号、p.110</ref>。
 
新潟地区115系の塗装は長らく湘南色であったが、国鉄末期より白地に青帯と赤の細い帯を巻く「1次新潟色」への塗装変更が開始された<ref name="rp199907_p16">中村剛「115系電車の現況 JR東日本 上沼垂運転区・長岡運転区」『鉄道ピクトリアル』1999年7月号、p.16</ref>。[[国鉄キハ40系気動車 (2代)|キハ40系]]ほか新潟地区の気動車にも1次新潟色の塗装が普及したが、115系ではJR化後に再び塗装変更が行われることになり、1993年には白地に緑と黄緑の帯を巻く「2次新潟色」が採用された<ref name="rp199907_p16" />。1次・2次新潟色には塗装の細部が異なる車両も存在した{{refnest|group=注|例として国鉄末期にクハ115-1090などへ施工した塗装(1次色より前面の青色部分の面積が増加した塗色)が存在する<ref>[[#newcolor|鉄道ピクトリアル、電気車研究会、1987年6月号、p.108]]</ref>。}}。先頭車両に施された帯は新潟の「N」をイメージしたものである<ref name="LCTA12-1350"/>。
 
1988年からは弥彦線でワンマン運転が行われることになり、クモハ115・114形500番台2両編成のうち3本にワンマン化改造が施工され、塗装は白地に赤と黄色のストライプを有する「1次弥彦色」に変更された<ref name="rp199907_p15" />。冷房装置はSC24形インバータ給電のAU712形で、MG交換は実施されなかった。後に弥彦線ワンマン車Y編成<ref name="ikarosJNR28"/>は塗色が[[白|ホワイト]]と[[黄色|イエロー]]のツートーンカラーに[[黄緑|ライトグリーン]]の帯を巻いたカラー<ref name="LCTA12-1350">[[#annual|「普通列車年鑑 2012 - 2013」イカロスMOOK、p.50]]</ref>「2次弥彦色」に変更されている。
 
民営化から間もない1988年より首都圏への211系投入で捻出された115系が新潟地区にも転入し、非冷房で大型前照灯の先頭車も順次消滅した<ref name="rp200907_p63">中村剛「JR東日本115系電車の現状(付 しなの鉄道)」『鉄道ピクトリアル』2009年7月号、p.63</ref>。この転用でサハ115形も転入しており、L12 - 14編成はMcM'TTc'で組成された<ref name="rp199907_p17" />。Tc'の一部は首都圏からの転入車でATS-Pを搭載、MM'ユニットの一部は小山からの転入車であった。N25編成のクハ115-1245は、改造前のクハ115-1142時代に小山および新前橋へ配置されていたためATS-Pを搭載する。
 
1991年にはモヤ115形を含む訓練車4両編成1本が長岡運転所に配置され、非冷房の4両編成(クハ115-111+モヤ115-1+モハ114-59+クモハ115-115<ref name="rp199907_p17" />)を組成した。初代は1次新潟色最後の車両で、1998年の2代目訓練車置き換えまで使用された。
 
信越本線・上越線の閑散区間では115系の短編成化改造車2両編成(S編成)が運用されていたが、短編成化以前に存在したトイレが無くサービス上問題となったため、1992年以降にS1 - 3・7・10 - 12編成のクモハ114形1500番台にトイレ設置改造が施工された<ref name="rf100124"/>。トイレ設置場所の側窓部分は埋められ、汚物処理装置も真空式となった<ref name="rp199907_p15" />。クモハ114形1500番台は5編成がトイレ無しで残されており、他のトイレ付き編成と組み合わせて運用されるよう配慮されていた<ref name="rp200907_p66">中村剛「JR東日本115系電車の現状(付 しなの鉄道)」『鉄道ピクトリアル』2009年7月号、p.66</ref>。
 
1996年2月より、JR東日本もスポンサーとなっているサッカー[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]・ジェフユナイテッド市原(現・[[ジェフユナイテッド市原・千葉]])の広告塗装が長岡運転所の115系N31編成に採用された<ref name="rp201511_p93" />。ジェフユナイテッド塗装には複数の塗り分けパターンがあり、時期により異なっていた<ref name="rp199907_p14" />。クハ115-41・151の2両は営業運転に入らず[[土崎工場]]への入場・出場車を[[機関車]]牽引する際の[[控車]]となり、赤と黄色の塗装に変更された<ref name="rp199907_p14">中村剛「115系電車の現況 JR東日本 上沼垂運転区・長岡運転区」『鉄道ピクトリアル』1999年7月号、p.14</ref>。
 
越後線と上越線における冬期の霜対策として、1995年度より1000番台3両編成のうち4本のモハ114形に霜取りパンタグラフが増設された<ref name="rp199907_p15">中村剛「115系電車の現況 JR東日本 上沼垂運転区・長岡運転区」『鉄道ピクトリアル』1999年7月号、p.15</ref>。N4・N6・N8・N14編成<ref name="rp199907_p17">中村剛「115系電車の現況 JR東日本 上沼垂運転区・長岡運転区」『鉄道ピクトリアル』1999年7月号、p.17</ref>のモハ114形でパンタグラフを2基搭載する。
 
1998年にクモハ115-506+クモハ114-506の1編成2両<ref name="rf99-06-131">[[#newtrain|鉄道ファン、交友社、1999年6月号、p.131]]</ref>が訓練車のクモヤ115-1+クモヤ114-1に改造され、従来の非冷房4両編成の訓練車を置き換えた<ref name="rp200907_p79">中村剛「JR東日本115系電車の現状(付 しなの鉄道)」『鉄道ピクトリアル』2009年7月号、p.79</ref>。訓練車の塗装は湘南色<ref name="rf111023"/>をベースに白帯が入れられたものとなっている<ref name="rp200907_p79" />。
 
1999年より新潟地区の115系にもリニューアル工事が開始された。施工内容はCPをスクリュー式へ交換・MGをメンテナンスフリーのSIVへの変更<ref name="rfN2">[https://railf.jp/news/2011/07/22/181900.html 115系N2編成も湘南色に] - railf.jp 鉄道ファン(2011年7月22日)</ref>・化粧板や座席モケットの張替・ロングシートとドアの間に新規にアクリル防風板を追加するなどである。リニューアル改造施工車はパンタグラフがシングルアーム式のPS35B形に交換されている<ref name="rf100124" />が、最初期にリニューアルを受けたN14編成のモハ114-1083とN28編成のモハ114-1109の2両は菱形のPS16形が存置された<ref name="rp200907_p67" />。
 
リニューアル工事施工車は白地に濃淡青の「3次新潟色」<ref name="LCTA12-1350"/><ref name="rf000466">[[#niigata|鉄道ファン、交友社、2000年4月号、p.66]]</ref>に変更された<ref name="rp200907_p64">中村剛「JR東日本115系電車の現状(付 しなの鉄道)」『鉄道ピクトリアル』2009年7月号、p.64</ref>。この塗装は新潟の水・米、海・川、水田のイメージで、地元の大学生によってデザインされた<ref name="rf000466"/>。初採用は1999年12月出場のN30編成で、それ以前にリニューアル出場したN28・N14編成は2次新潟色で出場後に3次新潟色に変更されている<ref name="rp201511_p93">「115系カラーバリエーション」『鉄道ピクトリアル』2015年11月号、p.93</ref>。新潟3次色車の運用区間は羽越本線、信越本線、上越線である<ref name="LCTA12-1350"/>。
 
新潟地区に新製投入された1000番台や転入車の2000番台は更新対象から外れたが、台車の枕ばねや軸ばねのエリゴばねへの交換や車両内外の低い位置にドアレールヒータに関する注意を促すステッカーが貼付されているほか、一部車両はアコモデーション改良工事を施工された<ref name="rf100124"/>。座席モケットをリニューアル工事施工車と類似したものに張替<ref name="rf100123"/>、化粧板や床仕上げ材を交換、トイレの改装が行われたほか、パンタグラフ増設工事を4両に施工した<ref name="rf100124"/>。
 
[[1999年]]12月4日[[1987年から2000年のJRダイヤ改正#12月4日|ダイヤ改正]]で長岡運転所(現・長岡車両センター)配置車両が上沼垂運転区に移管され、新潟地区115系の配置が集約された<ref name="rf100123"/>。長岡運転所の所属車両は上沼垂運転区のS編成となった。S1 - 12編成は1500番台でAU75形冷房装置を搭載し、S13 - 15編成は500番台でAU712形冷房装置を搭載していた<ref name="rf100123"/>。N22 - 32編成は、1995年12月で[[JR東日本E127系電車|E127系]]の投入に伴い一旦長岡に転出したあと集約化で上沼垂に戻った編成である。
 
2007年[[7月16日]]に発生した[[新潟県中越沖地震]]では、S1編成が[[柏崎駅]]で脱線転覆したが、長野総合車両センターでの修復を受け運用復帰した<ref>[https://railf.jp/news/2007/12/27/172800.html 115系S1編成が出場] - railf.jp 鉄道ファン(2007年12月27日)</ref>。
 
[[2011年]]にL6編成4両およびN2編成3両が湘南色に復元された<ref>[https://railf.jp/news/2011/07/24/221000.html 115系湘南色7連が走る] - railf.jp 鉄道ファン(2011年7月24日) - 7/23,115系湘南色L6+N2併結運転([[#rf1111|2011年11月号]]、p.173)</ref>。N2編成はリニューアル工事を施した3次新潟色編成であったため<ref name="rf111017"/>、シングルアームパンタグラフとSIVを装備したまま湘南色に塗り替えられた。L6編成・N2編成ともにJRマークは貼られていない<ref name="rf111023" /><ref name="rfN2" />。2014年にはL9編成・N23編成も湘南色となっていた<ref name="JRR 2016S 39">ジェー・アール・アール編『JR電車編成表』2016夏 ジェー・アール・アール、交通新聞社、2016年、p.39-41。ISBN 9784330682167。</ref>。
 
2013年3月より長野総合車両センターへの211系転入で捻出された115系1000番台が新潟へ転出し、2014年6月までにN33 - N38編成の6編成が転入した<ref name="JRR 2015w 359" />。パンタグラフはシングルアーム式のPS35Aで、先頭車はATS-Pを搭載する<ref name="JRR 2016W 39" />。このうちN38編成はクモハ115-1001・モハ114-1001・クハ115-1001の1000番台トップナンバー編成である。2014年7月にはL3・S15編成の各車とL14編成のサハ115-1002が廃車となり<ref name="JRR 2015w 356" />、L14編成の残る3両がN39編成となった。2014年11月にS13・14編成が<ref name="JRR 2015s 357"/>、L1編成は同年12月に廃車された<ref name="JRR 2015s 357"/>。2015年12月に長野から転入した1編成はN40編成となった<ref name="JRR 2016S 359" />。
 
2015年度から新型の[[JR東日本E129系電車|E129系]]の投入による置き換えが開始され、115系は順次廃車となった。2015年8月にはL2・4編成が廃車となり、N19編成も2015年8月29日付で廃車となった<ref name="JRR 2016w 357" />。L5・6編成は2015年12月に廃車<ref name="JRR 2016S 356"/>、N1編成は2016年2月29日付で廃車された<ref name="JRR 2016S 356"/>。
 
2015年3月14日ダイヤ改正での北陸新幹線金沢延伸開業に伴う信越本線長野 - 妙高高原間のしなの鉄道移管に伴い、新潟車両センター所属車の検査担当工場が長野総合車両センターから大宮総合車両センターへ変更された<ref name="rp201512_p70" />。大宮への入出場にはATS-P搭載車が必要なため、長野総合車両センターの115系1000番台6両編成(旧C3編成)がATS-P非搭載車入出場時の「伴車」として新潟車両センターに転入し、L99編成となった<ref name="rp201512_p70" />。
 
L99編成の塗装は「新長野色」<ref name="JRR 2018s 40">ジェー・アール・アール編『JR電車編成表』2018夏 ジェー・アール・アール、交通新聞社、2018年、p.40-41。ISBN 9784330884189。</ref>のままとなり営業運転には充当されず、2015年5月に中間車2両が廃車となり、以降は4両編成で使用されている<ref name="rp201512_p70" />。新潟車両センターと大宮総合車両センターの間の入出場は上越線経由で行われた<ref name="rp201512_p81">日向旭「JR東日本 115系の現況」『鉄道ピクトリアル』2015年12月号、p.81</ref>。
 
Y編成は弥彦線弥彦 - [[吉田駅 (新潟県)|吉田]]の全列車<ref name="LCTA12-13141"/>・吉田 - [[東三条駅|東三条]]の一部列車・出入庫を兼ねた越後線吉田 - 新潟1往復で運用され、近年では同地区のE127系の代走で白新・羽越本線に入線することもあった。新潟地区のE127系0番台は北陸新幹線金沢延伸開業に伴い移管された[[えちごトキめき鉄道]]へ順次譲渡されたが、新潟車両センターに残った2両編成2本(V12・V13編成)が2015年3月14日改正から弥彦線に投入されたため115系Y編成は3編成とも運用を離脱した<ref name="rp201512_p70">日向旭「JR東日本 115系の現況」『鉄道ピクトリアル』2015年12月号、p.70</ref>。運用を離脱したY編成は同年7月15日に廃車されている<ref name="JRR 2016w 357" />。Y1編成には最後まで鋼製ドアが残っていた。
 
AU712形冷房装置を搭載していた車両は、2013年時点で新潟車両センター所属車のみであった<ref>[http://railf.jp/japan_railfan_magazine/point/631.html 鉄道ファン、交友社、2013年11月号]</ref>。2015年度まではL編成の一部に基本番台が残存し<ref name="JRR 2016W 39">『JR電車編成表』2016冬 ジェー・アール・アール、交通新聞社、2015年、p.39-41。ISBN 9784330623153。</ref>、鋼製ドアの車両もあった。L1 - 4編成にはクハ115 - 551・552・553・613などが組み込まれており<ref name="rf100124">[[#countdown|鉄道ファン、交友社、2010年1月号、p.24]]</ref>、クハ115-553は製造から50年以上経った後も運用された。0番台と同じく1984年の越後・弥彦線電化時に転入したクハ115形2000番台も在籍していたが、2016年12月に全廃となった。
 
2017年には1000番台3両編成1本が「懐かしの新潟色」に復刻され、N3編成が2017年1月18日付で<ref name="JRR 2018s 40"/>70系電車時代の赤2号と黄5号のツートンカラーに変更された<ref name="rf170474">[[#countdown|鉄道ファン、交友社、2017年4月号、p.74]]</ref>。N37編成は2017年に1次新潟色に変更され、同年9月24日より営業運行に復帰した<ref>[https://railf.jp/news/2017/09/23/201500.html 一次新潟色になった115系N37編成が新潟車両センターへ] - railf.jp 鉄道ファン(2017年9月23日)</ref><ref>[https://railf.jp/news/2017/09/25/180000.html 一次新潟色となった115系が営業運転に復帰] - railf.jp 鉄道ファン(2017年9月25日)</ref>。2017年12月にはN40編成もN3編成と同じ「懐かしの新潟色」となり、同年12月29日より営業運転に復帰している<ref>[https://railf.jp/news/2017/12/30/202500.html 115系N40編成が「懐かしの新潟色」になり運用復帰] - railf.jp 鉄道ファン(2017年12月30日)</ref>。
 
2016年3月にはL編成の残存全編成が運用を終了し、L7・9 - 13編成は同年4月に、L8編成は同年5月にそれぞれ廃車され<ref name="JRR 2017W 356"/>、L編成は全廃となった。L12・13編成の廃車で新潟地区のサハ115形は消滅し、高崎地区も含めてサハ115形は形式消滅した<ref name="rp201704_p122">日向旭「JR東日本115系の最新動向」『鉄道ピクトリアル』2017年4月号、p.122</ref>。S編成も2016年4月から5月にかけてS1・3・7・9 - 12編成が、同年6月にS2編成が廃車された<ref name="JRR 2017W 356"/>。同年7月には残るS編成が定期運用を終了、同年8月に残るS4 - 6・8編成も廃車され<ref name="JRR 2017W 356"/>、全廃となった。訓練車のクモヤ115-1+クモヤ114-1<ref>[https://railf.jp/news/2011/10/14/165500.html 新潟車両センター115系訓練車が走る] - railf.jp 鉄道ファン(2011年10月14日)</ref>は2016年6月17日付で廃車された<ref name="JRR 2017W 356"/>。
 
N編成は2016年4月にN6・8・14・20・25・31編成が、同年8月にはN4・11・26編成が、同年9月にはN10・32編成が、それぞれ廃車された<ref name="JRR 2017W 356"/>。2016年12月にはN12・16・23・27・28・39編成が廃車された<ref name="JRR 2017S 356"/>。2017年4月にはN2・5・7・9・15・21・22・24・29編成が廃車された(N15編成のクモハ115-1061の廃車は2017年6月24日付)<ref name="JRR 2018w 356"/>{{refnest|group=注|クモハ115-1043の廃車日については『JR電車編成表』2018冬p.310にて補正。}}。2017年に廃車となったN15編成のうち、クモハ115-1061は[[新津鉄道資料館]]に静態保存された<ref>[https://railf.jp/news/2017/07/16/201000.html 新津鉄道資料館で115系,E4系が展示される] - railf.jp 鉄道ファン(2018年11月8日)</ref>。
 
JR東日本[[東日本旅客鉄道新潟支社|新潟支社]]では、2018年2月に投票企画として「『私と通勤・通学電車』〜みんなで選ぼう 115系車両デザイン〜」を実施した<ref>[https://tetsudo-ch.com/33778.html 115系 どのデザインが好きですか? その色に塗っちゃいましょう!] 鉄道チャンネル、2018年2月23日</ref>。投票結果は「2次新潟色」が投票数252票で1位となり<ref>[https://trafficnews.jp/post/81031 新潟の115系電車、2編成が「二次新潟色」「弥彦色」に JR東日本] 乗りものニュース、2018年7月25日</ref>、2018年9月に3次新潟色であったN35編成が2次新潟色となって出場した<ref>[https://railf.jp/news/2018/09/14/163000.html 115系N35編成が二次新潟色となって出場] - railf.jp 鉄道ファン(2018年9月14日)</ref>。また投票数が1位と4票差で2位となった「2次弥彦色」も復刻されることになり、2018年10月にN36編成が2次弥彦色で出場し<ref>[https://rail.hobidas.com/rmnews/256688/ 【JR東】115系N36編成 弥彦色に] 鉄道ホビダス、2018年11月1日</ref>、11月5日より定期運用に復帰している<ref>[https://railf.jp/news/2018/11/08/153000.html 115系N36編成(弥彦色)が定期運用に復帰] - railf.jp 鉄道ファン(2018年11月8日)</ref>。
 
2018年春の[[新潟駅]]在来線[[プラットホーム|ホーム]]高架化に伴い、同駅構内でATS-Pの使用が開始された<ref>[https://dot.asahi.com/articles/-/102023?page=1 最強のカラフル電車!? 中央本線も走ったあの電車が、新潟で独自の進化を遂げている] AERA dot.、2019年8月14日</ref>。そのためATS-Pを搭載していない新潟地区生え抜きのN3・13・17・18・30編成が運用を離脱し、同年4月3日から10日にかけて廃車された<ref name="JRR 2019w 357"/>。L99編成は新潟車両センターに残存する115系がATS-P搭載車のみになったため伴走車が不要になり、2018年8月に長野総合車両センターに回送され<ref>鉄道ジャーナル、鉄道ジャーナル社、2018年12月号、p.103</ref>、同月2日付で廃車された<ref name="JRR 2019w 357"/>。
 
2018年3月以降<ref name="prjre">{{PDFlink|[https://web.archive.org/web/20130707203559/http://www.jreast.co.jp/press/2013/20130703.pdf 通勤形車両の新造計画について] - 東日本旅客鉄道 2013年7月2日}}</ref><ref name="JRR 2015s 38">『JR電車編成表』2015夏 ジェー・アール・アール 交通新聞社 2015年 p.38 ISBN 9784330569154</ref>は、N編成のみが越後線・弥彦線・信越本線の直江津 - 長岡 - 新潟間・[[えちごトキめき鉄道妙高はねうまライン]]の[[新井駅 (新潟県)|新井]] - 直江津間で定期運用に充当された<ref name="JRR201606-2">{{Cite journal|和書 |title= |journal=普通列車編成両数表 |publisher=ジェー・アール・アール |volume=36 |year=2016 |month=6 |pages=p.46-51・p.102|isbn=978-4-3306-8916-6}}</ref>。ただし[[2000年代]]後半以降は、北陸新幹線金沢延伸開業による並行在来線の移管まで、諏訪湖花火観客輸送のため通常は長野総合車両センターが担当する信越本線運用の一部を代走することがあった。
 
2019年9月には、N33編成が1次弥彦色に復刻された<ref>[https://rail.hobidas.com/rmnews/258778/ 【JR東】 115系N33編成が旧弥彦色となって大宮総合車両センターから出場] 鉄道ホビダス、2019年9月19日</ref>。これにより新潟の115系は残存7編成全てが異なるカラーリングとなった<ref>[https://getnavi.jp/vehicles/571217/ 残る車両はあとわずか - 国鉄近郊形電車「115系」を追う【東日本編】] Getnavi web、2021年2月8日</ref>。各編成の塗装バリエーションは以下の通り<ref name="JRR 2022s 37">ジェー・アール・アール編『JR電車編成表』2022夏 ジェー・アール・アール、交通新聞社、2022年、p.37。ISBN 9784330028224。</ref>。
 
* N33編成 - 1次弥彦色
* N34編成 - 3次新潟色
* N35編成 - 2次新潟色
* N36編成 - 2次弥彦色
* N37編成 - 1次新潟色
* N38編成 - 湘南色
* N40編成 - 懐かしの新潟色
 
以降この7編成21両が運用されていたが、E129系の増備による置き換えで2022年3月11日をもってすべての運用を終了した<ref>{{Cite news|url=https://www.niigata-nippo.co.jp/articles/-/36852|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220313034743/https://www.niigata-nippo.co.jp/articles/-/36852|title=JR東115系がラストラン 新潟駅でファンら惜しむ|newspaper=[[新潟日報]]|publisher=[[新潟日報社]]|date=2022-03-11|accessdate=2022-03-13|archivedate=2022-03-13}}</ref>。2022年6月22日にN33・N34・N36編成が、同年8月3日にN35・N37・N40編成がそれぞれ廃車され、最後まで残ったN38編成も同年9月16日付で廃車され<ref name="JRR 2023w 358">ジェー・アール・アール編『JR電車編成表』2023冬 ジェー・アール・アール、交通新聞社、2022年、p.358。ISBN 9784330067223。</ref>、配置が無くなっている。
 
=== 長野・松本地区 ===
{{vertical images list
|幅= 200px
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|2=初代長野色
|3=Model 115-1000 of JR East.JPG
|4=2代目長野色
|5=115kei usui.JPG
|6=かつては[[国鉄EF63形電気機関車|EF63形]]との推進・牽引され運転<br />碓氷峠越えする運用も存在。1997年9月
|7=JRE-EC115-1000.jpg
|8=コカ・コーラ広告電車(N12編成)
}}
{{vertical images list
1986年11月1日のダイヤ改正で松本運転所から、信越本線関係の運用を移管し配置車両基地となった。[[1997年]]の[[長野新幹線]]開通以前は[[碓氷峠]]を越えて高崎まで運用されていた実績もある。
|幅= 200px
|1=JRE 115 N13.jpg
|2=JR東海乗入れのN13編成<br />[[坂下駅|坂下]] - [[落合川駅|落合川]]
}}
{{vertical images list
|幅= 200px
|1=JRE115MusashinoNagano-color.JPG
|2=C1編成長野色<br />快速「むさしの」代走運用
|3=JRE 115 C1.JPG
|4=C1編成横須賀色
|5=JR East 115-Sinshu-color.jpg
|7=JNR 115 nagano-calor.JPG
|8=前面種別表示幕『普通』のバリエーション<br />白地に黒文字のC12編成(上)<br />青地に白文字のC3編成(上)
}}
{{vertical images list
|幅= 200px
|1=Echo Train Shinetsu 115 1987.jpg
|2=エコー電車<br />1987年4月 [[戸倉駅]]
|3=JRE-EC115-1000.jpg
|4=N12編成コカ・コーラ広告電車<br />1990年頃
}}
1977年から1978年にかけて信越本線・篠ノ井線・中央本線で運用されていた70系や80系の置換えを目的に松本運転所に1000番台122両(McM'MM'T'c、5両編成19本・McM'Tc、3両編成9本)が新製配置された。その後大糸線の旧形国電も置き換えられる事となり、36両(McM'T'c、3両編成12本)が[[1981年]]より松本運転所北松本支所に配置された。
 
1983年からは短編成化のため電動車に運転台を取り付ける改造も行われ、クモハ115形1500番台として投入された。その際反対向きの制御車が不足するため、三鷹電車区の0番台編成から外されたサハ115形6両に運転台を設置し、クハ115形600番台として投入された<ref name="rp201211_p69">進藤匡「中央本線115系電車の歩みと現状」『鉄道ピクトリアル』2012年11月号、p.69</ref>。
1987年 - 1993年の間には、当時のN12編成<ref>クモハ115-1020+モハ114-1027+クハ115-1019で、後に松本転属を経て現在はしなの鉄道S11編成として車籍を有する。</ref>が、[[コカ・コーラ]]の[[広告]]電車として運用された<ref>『JR電車編成表88夏号』 ジェイ・アール・アール(1988年)p45</ref>。
*車体は赤一色。
*ドア間窓下にコカ・コーラのロゴを貼付け車両番号表記は中央ドア下へ移設された。
*モハ114形にコカ・コーラ社製品の自動販売機を設置。
なお、契約終了後にすべて復元されている。
 
1985年3月14日に北松本支所は松本運転所に統合され、中央本線・篠ノ井線・信越本線で運用される117両(3両編成39本)と大糸線で運用される31両(3両編成7本、増結ユニットMcM'5組)の計148両が配置された<ref name="JRR1985_55">[[#JRR1985|『復刻・増補 国鉄電車編成表1985年度版』p.55]]</ref>。
2009年現在、2・3両編成のN編成(1000番台)と6両貫通のC編成(300番台・1000番台)及び訓練車が配置されており、いずれの車両が混用されることはない。長野配置車は、パンタグラフをシングルアーム式のPS35形への交換と[[自動列車停止装置|ATS]]-Psの搭載が行われている。また塗装も1989年から白地に緑色のラインで構成された初代「長野色」が採用されたが、1992年以降は開催が決定した[[長野オリンピック]]へ向けてイメージチェンジを図るため2代目「長野色」に変更され現在も引き続き採用されている。
 
国鉄時代の1986年11月1日ダイヤ改正で、信越本線と篠ノ井線の一部運用を長野運転所(現・長野総合車両センター)に移管するのに伴い75両(McM'Tc、3両編成25本)が転属となった。従来は松本運転所が長野鉄道管理局の全運用を担当していたが、ダイヤ改正後に伴う移管後は中央本線甲府以西・大糸線・篠ノ井線の運用を担当した。中央西線は分割民営化時にJR東海管轄となるため、松本運転所から3両編成7本が神領電車区に転出している<ref name="rp201211_p69" />。
; N51 -54・56 - 58編成
2両編成で黄色の編成番号札を装着しており、中央本線・[[篠ノ井線]][[富士見駅|富士見]] - [[岡谷駅|岡谷]] - [[松本駅|松本]] - [[長野駅|長野]]([[辰野駅|辰野]]支線の運用を含む)・[[大糸線]]松本 - [[信濃大町駅|信濃大町]]間での定期運用<ref>臨時快速「安曇野」へも投入されるが、この場合は辰野支線からの運用で松本に到着した編成がホームで待機し、時間になって客扱いを行う。臨時快速「はくば」は、この車両が折り返す形で充当され、増結の場合は松本で他の編成を連結する。</ref>があるほか、松本車両センター所属の[[国鉄123系電車|123系]]が検査・故障時の代走として投入される。また諏訪湖花火臨では、2両編成3本を連結したオールM編成も見られるほか、後述の3両N編成も含めて4・5・6両での運用も行われている。クモハ114形の車端部にはトイレが設置されているが、リニューアル工事を施工したN51・52・56・57編成はトイレの向かいを車いす設置スペースとした。この部分の側窓・戸袋窓は埋められているが、戸袋窓は、鉄板をボルト留めしたものである。
 
国鉄時代の長野地区配置車両はすべて1000番台新造車で、他地区からの転入車は皆無である。1986年の配置後数度にわたり松本車両センターからの運用移管ならびに車両交換・転入を実施し、後述する訓練車のほか2・3両のN編成と6両貫通のC編成も配置されていた。
; N1 - 14・16・21 - 33編成
同センターの最大勢力ともいえる3両編成で中央本線・篠ノ井線[[甲府駅|甲府]] - 松本 - [[篠ノ井駅|篠ノ井]](辰野支線も含む)・信越本線篠ノ井 - [[直江津駅|直江津]] - [[柿崎|柿崎]]・大糸線松本 - 信濃大町・JR東海管内の[[飯田線]]辰野 - [[飯田駅|飯田]]・中央本線塩尻 - [[中津川駅|中津川]]・[[しなの鉄道]]篠ノ井 - [[小諸駅|小諸]]間と比較的広域運用が行われている。N1 - 14・16編成までが緑色、N21 - 33編成が桃色の編成番号札となっている。これはN1 -14・16編成がJR東海・[[しなの鉄道線]]共に乗入れ対応編成であることを区別する措置で、JR東海のATS-S<small>T</small>区間乗入れに際して必要な[[速度照査]]機能を付加したATS-S<small>N<sup>●</sup></small><ref>非乗入れ車でもN21・24編成は搭載している。</ref>の搭載と対応する方向幕を装備している。なお、N29編成(クモハ115-1019+モハ114-1025+クハ115-1018)は1987年3月にトイレ対向部を除いて[[鉄道車両の座席|オールロングシート]]化されたが、2002年12月にリニューアル工事が施工されセミクロスシートに戻された。
 
塗装はJR化後も広告塗装以外はしばらくの間湘南色であったが、1989年より白を基調に緑のラインを組み合わせた旧長野色へ変更した<ref name="rp199907_p19">中村剛「115系電車の現況 JR東日本 長野総合車両所・松本運転所」『鉄道ピクトリアル』1999年7月号、p.19</ref>。1998年の[[長野オリンピック]]開催に合わせたイメージアップのため、1992年から新長野色(フォギーグレー+アルパインブルー+リフレッシュグリーン<ref group="注">「JR普通列車年鑑 2012 - 2013」イカロスMOOK p.49にはアドバンスブルー・フレッシュグリーンと記載。</ref>)への再変更が実施され<ref name="ikarosJNR28">[[#ikarosJNR vol.1|「現役国鉄型車両大研究」イカロスMOOK、p.28]]</ref>、1997年までに完了した<ref name="rp199907_p19" />。
{{vertical images list
|幅= 200px
|1=JRE115MusashinoNagano-color.JPG
|2=C1編成代走運用による快速「むさしの」
|3=JR East 115-Sinshu-color.jpg
|5=JNR 115 nagano-calor.JPG
|6=前面種別表示幕『普通』のバリエーション<br/>白地に黒文字のC12編成(上)<br/>青地に白文字のC3編成(上)
}}
; C1 - 14編成
2000年に中央本線長野支社管内の運用が豊田から松本に移管されたが、この時に転入した0番台・300番台初期車によるB編成を[[JR東日本E231系電車|E231系]]配置で余剰となった小山所属の300番台後期<ref>C5編成のクハ115-443・496・モハ115-417+モハ114-443は300番台最終製造ロッドである。</ref>・1000番台車でさらに置き換えた6両編成。[[2007年]][[3月18日]]に[[松本車両センター]]から再移管され、全車本センター所属となった。中央本線・篠ノ井線[[立川駅|立川]] - 松本 - 長野での定期運用のほかに、豊田車両センターM40編成の[[鉄道車両の検査|検査]]・故障時の際に快速「むさしの」の運用に投入されることもある<ref>側面方向幕に「むさしの」のコマがないために表示は「快速」のみとなる。</ref><ref>過去にN編成3+3で運用されたケースもある。</ref>。
 
JR発足直後の1987年5月には、クモハ115-1020+モハ114-1027+クハ115-1019の3両編成([[北長野運転所]]N12編成)が[[コカ・コーラ]]の[[広告]]電車として登場した<ref>「JR電車編成表88夏号」ジェイ・アール・アール、1988年、p45</ref><ref name="rp199907_p18">中村剛「115系電車の現況 JR東日本 長野総合車両所・松本運転所」『鉄道ピクトリアル』1999年7月号、p.18</ref>。車体は赤一色の塗装にコカ・コーラのロゴが貼られたものとなり、モハ114-1027車内には[[日本コカ・コーラ]]社製[[清涼飲料水]][[自動販売機]]が設置された<ref name="rp199907_p19" />。1993年の契約終了後に従来塗装の旧長野色に復元され、自動販売機も撤去された<ref name="rp199907_p19" />。N12編成は1997年に[[しなの鉄道]]に譲渡後S11編成となり、しなの鉄道の企画として2018年から2020年までコカ・コーラ塗装を復刻して運転された<ref>[https://trafficnews.jp/post/79875 自販機と同じ色「コカ・コーラ電車」登場! 「115系の動く博物館」完成 しなの鉄道] 乗りものニュース、2018年3月5日</ref><ref>[https://response.jp/article/2020/09/17/338551.html さよなら復刻「コカ・コーラ電車」…しなの鉄道線でラストラン 10月2日] レスポンス、2020年9月17日</ref>。
2009年現在、首都圏の[[列車無線]]のデジタル化に伴う新型[[無線機]]搭載工事を順次施工中であるが、本グループでは編成・車両ごとの形態がバラエティに富んでいる特徴がある。
* 1000番台車中心であるが、C5・6・9編成全車とC13編成の長野方MM'ユニット1組が300番台車。
* 1000番台車は以前に松本・北松本・長野・新前橋・小山・三鷹・岡山へのいずれかに配置経歴があるが、新潟地区に配置された経歴を持つ車両はない。
* C5 - 11編成はリニューアル工事が施工済。
* C9・10編成はTcMM'TMM'Tc'の7両が同一ロッドで製造され、松本転属時にサハ115形のみ抜き取られたのみで組成変更がない。
* C1・2編成はTcMM'MM'Tc'6両が同一ロッドで製造され、小山区時代には既存のサハ115形が組み込まれていた編成で組成変更がない。
* C8編成の長野方3両は冷房装置がAU720形を搭載。また、立川方先頭車クハ115-1512は唯一の形式間改造車で、種車のサハ115-1027時代の新製配置は三鷹区であったため横須賀色→湘南色→2代目長野色への塗装変更経歴を持つ。
* 前面種別表示幕の『普通』表示は白地の黒文字と青地に白文字の2種類が混在する。
* 一部車両を除いて列車番号表示器のLED化施工。
 
1991年には長野配置の初代訓練車が落成した。編成はクモハ115-1+モヤ114-1(元・モハ114-801)+クハ115-611(元・サハ115-1)<ref name="rf99-06-131"/>の湘南色非冷房3両編成で、モヤ114-1は元モハ114-801、クハ115-611は元サハ115-1である。
; 訓練車
* 初代
: 1991年に湘南色のクモハ115-1+モヤ114-1(元・モハ114-801)+クハ115-611(元・サハ115-1)の3両編成が配置されたが、2002年に老朽廃車。
* 2代目
: 初代と入れ替わる形で横須賀色のクモハ115-326+モハ114-362+クハ115-392<ref>松本に転入した元豊田所属の電動車ユニットと元小山所属のクハで廃車を免れた車両。</ref>によるN00編成が訓練車に改造された。[[2007年]]1月に3代目が落成したために廃車となった。
* 3代目
: クモハ115-1074+モハ114-1180+クハ115-1222のN15編成を湘南色に変更した上で新訓練車に改造した。N15編成は、乗務員室後部仕切の一部撤去、訓練用防護無線・車両用信号炎管の追加、一部席への机の設置、家庭用コンセントの配線などの改造が施工されている。
 
長野運転所では1997年の北陸新幹線長野開業以前は碓氷峠を越えて高崎までの運用が存在した。ATS-Pは1992年当時の長野配置編成には[[高崎駅]]構内での同装置の使用開始に伴い先に搭載されていたが、松本運転所配置車両でも2003年頃より順次すべての編成に搭載した。ATS-P設置前はATS-Psを搭載していた。
なお、1998年の長野オリンピックの際に小山電車区から7両編成1本からサハを抜いた6両を、新前橋電車区から4両編成1本を借り受け、6両編成は長野 - 直江津で、4両編成は小諸 - 直江津で限定運用されており、4両編成は夜間滞留が小諸というスタイルが採られた。また、側面方向幕は対応する駅名コマがないため白表示とし、サボによる運用となった。
 
1997年の[[新幹線]]長野開業では信越本線篠ノ井 - 軽井沢間がしなの鉄道に移管され、ATS-Pを設置しない松本運転所配置車両の一部が一旦長野総合車両所(当時)に転属した上でしなの鉄道へ譲渡された。[[しなの鉄道線]]にもJR東日本の115系が乗り入れる運用が設定されており、しなの鉄道に譲渡された115系とは運用が分けられている<ref name="rp199907_p20-21" />。
==== 新潟車両センター(新ニイ) ====
{{vertical images list
|幅= 200px
|1=JRE-EC115-1000-Niigata.jpg
|2=新潟1次色
|3=JNR EC115 Niigata 2nd color.jpg
|4=新潟2次色
|5=JRE-115-nigata.JPG
|6=新潟3次色
|7=Jre115-yahikocolor-20070325.jpg
|8=弥彦2次色
}}
長岡運転所に配置されていた1000番台と1984年の越後・弥彦線電化開業用に投入された0番台が中心の配置である。1999年12月4日のダイヤ改正で、長岡運転所に所属していた車両が移管され新潟地区の本系列は当センターに集約された。[[白新線]]・[[越後線]]・[[弥彦線]]・信越本線[[二本木駅|二本木]] - [[長岡駅|長岡]] - [[新潟駅|新潟]]・上越線水上 - 長岡駅・[[羽越本線]][[新津駅|新津]] - [[村上駅 (新潟県)|村上]]で運用されている。近年は諏訪湖花火関係で長野総合車両センターの信越本線運用の一部を代走することがある。ワンマン対応の2両Y編成・ワンマン非対応の2両S編成・3両のN編成・4両のL編成と訓練車が配置されている。
 
1998年12月ダイヤ改正では大糸線でE127系100番台の営業運転が開始され、松本運転所の169系による中央本線・篠ノ井線の普通列車が長野総合車両所の115系に置き換えられた<ref name="rp201211_p71">進藤匡「中央本線115系電車の歩みと現状」『鉄道ピクトリアル』2012年11月号、p.71</ref>。これによりJR東海管内の中央西線塩尻 - 中津川間で115系の運用が復活している。長野 - 飯田間快速「[[みすず (列車)|みすず]]」で使用されていた長野総合車両所の169系4両編成もこの改正で115系に置き換えられている<ref name="rp199907_p20-21">中村剛「115系電車の現況 JR東日本 長野総合車両所・松本運転所」『鉄道ピクトリアル』1999年7月号、pp.20-21</ref>。
; Y1 - 3編成
弥彦線のワンマン運転に対応した2両編成で[[運賃箱]]や自動放送装置・[[ドアチャイム]]などを取り付ける改造が施工済。弥彦線[[弥彦駅|弥彦]] - [[吉田駅 (新潟県)|吉田]]の全列車・吉田 - [[東三条駅|東三条]]の一部列車・出入区を兼ねた越後線吉田 - 新潟1往復で運用されており、近年では同地区の[[JR東日本E127系電車|E127系]]の代走で白新・羽越本線に入線することもある。
 
1998年度より長野支社管内の115系でリニューアル改造が開始され、1999年2月にクモハ115-1010ほか3両編成が初のリニューアル車として出場した<ref name="rp200907_p70">中村剛「JR東日本115系電車の現状(付 しなの鉄道)」『鉄道ピクトリアル』2009年7月号、p.70</ref>。長野地区向けのリニューアル工事ではパンタグラフのシングルアーム式PS35形への交換、ドア横座席端に風除け用透明仕切り板を設置する工事が施工されている<ref name="rf100120">[[#countdown|鉄道ファン、交友社、2010年1月号、p.20]]</ref>。リニューアル工事は約半数の車両に施工された。
全車0番台からの改造車でトイレはなく、冷房装置はSIVからの給電によるAU712形を搭載する。
 
2000年12月に中央本線・大糸線・篠ノ井線関係の運用を長野総合車両所に移管し、豊田電車区が担当していた中央本線小淵沢以西の長野支社管内運用が松本運転所に移管されることになった<ref name="rp201211_p71">進藤匡「中央本線115系電車の歩みと現状」『鉄道ピクトリアル』2012年11月号、p.71</ref>。これにより豊田区から転入した基本番台・300番台初期車が主体の6両固定または3両編成2本による6両のB編成が組成された<ref name="rp201211_p71" />。従来松本運転所に所属していた1000番台2両編成・3両編成は長野総合車両所へ転出した。
; S1 - 15編成
ワンマン非対応の2両編成で1999年の集約化により長岡運転所より転入した。S1 - 12編成は1000番台ベースの1500番台。S13 - 15編成は0番台ベースの500番台車でAU712形冷房装置を搭載。当初は全編成トイレなしであったが、サービス上問題となったため1992年以降にS1 - 3・7・10 - 12編成のクモハ114形にトイレを設置する改造が施工されている。このトイレ設置工事では側窓部分は埋められたことや汚物処理装置を真空式としたため外観が特徴的となった。トイレなし編成は、単独で長時間運転となる列車に投入されることは稀で他のトイレ付き編成と組み合わせて運用されるように配慮されている。
 
豊田電車区115系の転入から間もなくして、東北・高崎線へのE231系投入で余剰となった小山電車区の300番台後期・1000番台車が松本運転所に転入してC編成となり、従来のB編成が置き換えられた<ref name="rp201211_p75">進藤匡「中央本線115系電車の歩みと現状」『鉄道ピクトリアル』2012年11月号、p.75</ref>。3両編成のB編成のうちB36・B35編成{{Refnest|group=注|クハ115-126+モハ114-812+クモハ115-12 クハ115-183+モハ114-810+クモハ115-10 横須賀色でPS35形パンタグラフを搭載<ref name="rf0109148"/>。}}は伊豆急行に譲渡され同社の200系となった<ref name="rf0109148">[[#matsumoto transfer|鉄道ファン、交友社、2001年9月号、p.148]]</ref>。伊豆急行へは115系0番台から合計3両編成6本が譲渡されたほか、2002年からは300番台3両編成3本が追加譲渡されている。300番台6両貫通編成1本は2002年に豊田電車区へ再転出してM40編成となった。
; N1 - 32編成
3両編成。N22 - 32編成は、1995年12月日でE127系の投入に伴い一旦長岡に転出したあと集約化で本センターに出戻った編成である。N編成は全車1000番台・2000番台に統一されており、リニューアル工事も[[東日本旅客鉄道新潟支社|新潟支社]]独自の施工またはJR東日本全車標準のいずれかが過半数に施工された。施工車はCPを最のものへの交換・MGをメンテナンスフリーのSIVへの変更・化粧板や座席モケットの張替・ロングシートとドアの間に新規にアクリル防風板を追加するなどの改造が施工されている。全車標準工事施工車は前面窓に表示されている編成表記はN編成のままだが、現場では区別のためRN編成と呼ばれている。
 
小山電車区から転入したC編成はC1 - C14編成の6両貫通編成14本で、編成両端ともクハ115形である<ref name="rp201211_p71" />。大半が小山電車区または新前橋電車区へ新製配置された冷房車であるが、伯備線電化用として岡山電車区に新製配置されたのち関東に転用された車両、松本・北松本に新製配置されたのち他地区に転用されて松本へ戻った車両が存在する<ref name="rp201211_p75" />。パンタグラフは松本転入時にシングルアーム化、運行番号表示器は松本転入以前に一部の車両でLED化されていた。首都圏の[[列車無線]]デジタル化に伴う新型[[無線機]]搭載工事が全編成に施工されている。
N編成は編成・車両ごとの形態がバラエティに富んでおり以下の特徴がある。
* パンタグラフは、一部編成でシングルアーム式のPS35形に交換済。
** N4・N6・N8・RN14編成は冬季の霜取対策でPS23形パンタグラフが2基搭載されている。
** 原則として菱形パンタグラフ搭載車もPS23形に交換されているが、N28編成のモハ114-1109のみPS16形を搭載している。
* N25編成のクハ115-1245は、クハ115-1142時代に小山・新前橋配置であったためにATS-Pを搭載する。
 
C編成は1000番台車中心であるが、C5・6・9編成の全車とC13編成の長野方MM'ユニット1組は300番台車であった<ref name="JRR 2014s 105">『JR電車編成表』2014夏 ジェー・アール・アール、交通新聞社、2014年、p.105。ISBN 9784330466149。</ref>。C5編成のクハ115-443・496・モハ115-417+モハ114-443とC13編成の長野方電動車ユニットは300番台最終製造ロットで、車内は荷棚棒・蹴込板がステンレスとなっている<ref name="rp201211_p77">進藤匡「中央本線115系電車の歩みと現状」『鉄道ピクトリアル』2012年11月号、p.77</ref>。C9・10編成は新製時の7両編成からサハのみを抜いた6両編成、C1・C2編成は小山時代の既存のサハ以外は同一の6両編成で組成変更がなかった。C5 - 11編成は松本転入と同時期にリニューアル工事が施工された。
; L1 - 14編成
4両編成。0番台・1000番台・2000番台で組成されるために編成・車両ごとの形態がバラエティに富んでおり以下の特徴がある。
* L1 - 11編成はTcMM'Tc'、L12 - 14編成はMcM'TTc'で組成される。
* Tc'の一部がATS-Pを搭載。
* AU75形冷房装置搭載準備車でありながら、AU712形で冷房改造が施工された車両が存在する。
 
C18編成の立川方先頭車は先頭車化改造車のクハ115-1512で、種車は1000番台で唯一三鷹電車区に新製投入された4両の中の1両であるサハ115-1027である<ref name="rp201211_p76">進藤匡「中央本線115系電車の歩みと現状」『鉄道ピクトリアル』2012年11月号、p.76</ref>。同車は1984年の中央東線短編成化で三鷹から新前橋へ、1986年に再び三鷹へ戻ったのち小山、松本へと転出した経歴を持つ<ref name="rp201211_p76" />。塗装も横須賀色→湘南色→2代目長野色と変更されている。またC8編成の長野方3両はAU720形冷房装置を搭載していたが、2013年現在ではAU75型に再換装された。
; 訓練車編成(C1編成)
初代は4両編成であったが。2007年に改造された2代目編成は2両編成である。この編成は最後まで旧新潟色であったが、訓練車改造時に新潟地区唯一の湘南色へ変更した。
 
C12編成の上り方先頭クハ115-1104とC14編成の下り方先頭クハ115-1093では、前面種別表示幕の「普通」表示が白地に黒文字となっていた<ref name="rp201211_p76" />。C12編成の下り方先頭クハ115-1065は長野所属車で唯一転落防止幌を新前橋区所属時代に設置されており、転入時は他にも設置車両が存在したが撤去された。
本センターの特色として、塗装は最大で6タイプのが同時に存在していたことがある。かつては湘南色・「1次新潟色」(白地に赤の細い帯と青い帯で現在でも同地区のキハ40系・キハ52形気動車残存)・「1次弥彦色」・工場控車専用塗装(クハ2両のみ)が存在し、さらに小山からの借入車は横須賀色ということもあった。1次・2次新潟色には塗装の細部が異なる車両も存在したが、現在はすべて統一されている。また、JR東日本も出資する[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]・ジェフユナイテッド市原(現・[[ジェフユナイテッド市原・千葉]])の広告電車がRN31編成を使用して運転されていたこともあったが、同地区に本拠地を置き地元での人気を博している「[[アルビレックス新潟]]」が存在するため、更新時に他の編成と同じ3次新潟色に変更され消滅している。2006年現在は「2次弥彦色」(黄色系、Y編成)「2次新潟色」(白地に黄緑と緑帯、S・N・L編成)に加え、リニューアル工事を施し塗装を「3次新潟色(白地に淡い青と青の帯、2次新潟色のN編成が塗装変更対象)と呼ばれるものに変更した車両が登場3タイプが存在する。
 
300番台編成のクモハ115-326+モハ114-362+クハ115-392<ref name="rp201512_p48" />は、2代目の訓練車N00編成となった。塗装は横須賀色で、松本に転入した元豊田所属の電動車ユニットと元小山所属のクハで組成された。初代訓練車は2002年に老朽廃車となった。
また、首都圏で300番台などが大量廃車される一方で耐寒耐雪強化改造を受けた0番台(500番台も0番台の改造)がY編成全車とS・L編成の一部に未だ残存しており、鋼製ドアの車両もある。また新潟地区に新製投入された1000番台と首都圏や広島などから転入した0・2000番台全車が更新対象から外れており、近年では座席モケット張替が行われたものの一部の編成は老朽化がかなり進んでいる。
 
2007年1月にN55編成のクモハ115-1073+クモハ114-1513が余剰廃車となった<ref name="rp200907_p73">中村剛「JR東日本115系電車の現状(付 しなの鉄道)」『鉄道ピクトリアル』2009年7月号、p.73</ref>。この廃車で発生した[[スノープラウ]]付きのDT21B台車枠は、高崎車両センター所属[[国鉄クモヤ145形電車|クモヤ145-107]]へのスノープラウ装着改造用として流用された<ref name="rp200907_p73" /><ref>「クモヤ145-107の冬姿」『鉄道ファン』2020年4月号(通巻708号)、交友社、p.91</ref>。
=== JR東海 ===
99両が継承され静岡車両区に配置されたが、東海道本線の大部分の運用が[[2006年]][[10月10日]]から[[大垣車両区]]より転入した[[国鉄211系電車|211系5000番台]]に変更され[[静岡駅|静岡]]以西での運用を終了した。[[2007年]]には[[3月18日]]のダイヤ改正で[[JR東海313系電車|313系]]3次車に置き換えられることになり、[[2月13日]]には御殿場線、[[2月14日]]には東海道本線[[熱海駅|熱海]] - 沼津・富士 - 静岡、[[3月17日]]には東海道本線沼津 - 富士・身延線・飯田線での運用が終了し、[[1979年]](昭和54年)以来続いてきた同社での本系列による営業運転に終止符が打たれた。2008年4月に残存していた静岡車両区B1・7・8・11編成の4本12両が廃車され、同社からは本系列が消滅した。なお、中央本線塩尻 - 中津川と飯田線以北ではJR東日本長野総合車両センター所属車による運用は現在も残っている。
 
2007年1月には、N15編成のクモハ115-1074+モハ114-1180+クハ115-1222<ref name="rp201512_p48" />が長野総合車両センター3代目訓練車に転用された。塗装は湘南色に変更<ref>[https://railf.jp/news/2012/06/06/150000.html 115系訓練車が信越本線を走行] - railf.jp 鉄道ファン(2012年6月5日)</ref>した上で、乗務員室後部仕切の一部撤去・訓練用防護無線ならびに車両用[[信号炎管]]の追加・一部席への机の設置・家庭用コンセント配線設置などの改造を施工した。3代目落成により2代目訓練車は廃車となった。
==== 静岡車両区(静シス) ====
 
2006年4月1日時点で残存していたB編成13本とS編成8本(いずれも3両編成)について解説する。
松本車両センターの115系は、2007年3月18日に長野総合車両センターに運用移管される事となり、全車転出したため、配置が無くなった<ref name="rf100120"/>。長野総合車両センターの115系は長野地区全域・中央東線用3両編成がN編成、大糸線・篠ノ井線が主体の2両編成が同じくN編成、中央東線用の6両貫通編成がC編成に区分された<ref name="rp200907_p69">中村剛「JR東日本115系電車の現状(付 しなの鉄道)」『鉄道ピクトリアル』2009年7月号、p.69</ref>。N編成の編成番号札の色はN1 - 14・16編成が緑色でN21 - 33編成が桃色<ref name="rp201211_p77" />、N51 - 54・56 - 58編成が黄色となっていた<ref name="rp201211_p78">進藤匡「中央本線115系電車の歩みと現状」『鉄道ピクトリアル』2012年11月号、p.78</ref>。C編成は松本時代と変化なく6両編成14本が転入した<ref name="railj20120792"/>。
 
N編成はクモハ115形+クモハ114形で組成される2両編成とクモハ115形+モハ114形+クハ115形で組成される3両編成が存在した。2両編成はN51 - 58の8組16両が大糸線・篠ノ井線運用を主体に運用された。3両編成のうちN1 - 14・16編成はしなの鉄道線ならびにJR東海乗入対策施工車で、JR東海ATS-S<small>T</small>に対応する[[速度照査]]機能付加のATS-S<small>N<sup>●</sup></small><ref group="注">非乗入れ車でもN21・N24・N32編成は搭載。</ref>と対応方向幕を装備搭載する。1000番台の中間車側貫通扉は通常はステンレス無塗装であるが、N7編成のクモハ115-1070では300番台以前と同様の鋼製のものに交換されている<ref name="rp200907_p71" />。N21 - 33編成はJR東日本管内専従で運用された。
 
3両編成は中央本線甲府 - 松本 - 塩尻(辰野支線も含む)・篠ノ井線・信越本線篠ノ井 - 直江津 - [[柿崎駅|柿崎]]{{Refnest|group="注"|直江津 - 柿崎は1320Mのみ<ref name="LCTA12-13141">[[#annual|「JR普通列車年鑑2012-2013」イカロスMOOK、p.141]]</ref>。}}・大糸線松本 - [[信濃大町駅|信濃大町]]<ref name="railf20100705">[https://railf.jp/news/2010/07/05/111600.html 団臨「フォーク夢列車」、115系で運転] - railf.jp 鉄道ファン(2010年7月5日)</ref>のほか、しなの鉄道篠ノ井 - 小諸<ref name="rf100118">[[#countdown|鉄道ファン、交友社、2010年1月号、p.18]]</ref>・JR東海区間の飯田線[[辰野駅|辰野]] - 飯田・中央本線塩尻 - [[中津川駅|中津川]]への乗入れ運用に充当された。臨時列車では[[諏訪湖祭湖上花火大会]]に伴う増発<ref name="suwako">[https://railf.jp/news/2012/08/16/220000.html 『諏訪湖祭湖上花火大会』にともなう臨時列車運転] - railf.jp 鉄道ファン(2012年8月16日)</ref>、2008年・2009年4月の「高遠さくらまつり号」<ref>[https://railf.jp/news/2008/04/14/102300.html 臨時快速"高遠さくらまつり号"運行](2008年4月14日)・[https://railf.jp/news/2009/04/13/110400.html 快速"高遠さくらまつり号"運行](2009年4月13日) - railf.jp 鉄道ファン</ref>、2008年2月23日の「スワいち号」<ref>[https://railf.jp/news/2008/02/25/141800.html 115系長野車による団体列車"スワいち号"運転] - railf.jp 鉄道ファン(2008年2月25日)</ref>、2008年6月6日 - 8日の「木曽漆器まつり号」<ref>[https://railf.jp/news/2008/06/08/155400.html 快速"木曽漆器まつり号"運転される] - railf.jp 鉄道ファン(2008年6月8日)</ref>、2009年の「ほろよい上諏訪街道号」<ref>[https://railf.jp/news/2009/10/11/061100.html "ほろよい上諏訪街道"運転] - railf.jp 鉄道ファン(2009年10月11日)</ref>での運転実績がある。
 
C編成の定期運用は立川 - 松本ローカル列車専従で充当された。その他は出入庫を兼ねた松本 - 長野1往復・篠ノ井線松本→[[明科駅|明科]]区間列車<ref group="注">下りのみで上りは松本へ回送。</ref>のみのため松本・小淵沢・甲府・大月・高尾・豊田で夜間滞泊が続くのが特徴であった。代走や臨時列車としては大糸線代走運用<ref>[https://railf.jp/news/2009/08/03/123000.html 115系C編成が大糸線の定期列車を代走] - railf.jp 鉄道ファン(2009年8月3日)</ref>、豊田車両センターM40編成[[日本の鉄道車両検査|検査]]・故障時の快速「むさしの」代走運用<ref group="注">側面方向幕に「むさしの」のコマがないために表示は「快速」のみとなる。また過去にN編成3+3で運用されたケースもある。</ref><ref>[[鉄道ダイヤ情報]]、[[交通新聞社]]、2007年11月号</ref>、「[[ひまわり号 (列車)|ひまわり号]]」<ref>[https://railf.jp/news/2009/11/04/232500.html 115系長野車、「ひまわり号」で横須賀線へ] - railf.jp 鉄道ファン(2009年11月4日)・[https://railf.jp/news/2009/10/19/164900.html 115系長野車を使用した「ひまわり号」運転](2009年10月19日)・[https://railf.jp/news/2008/10/06/111900.html 115系使用の"ひまわり"号運転される](2008年10月6日) railf.jp 鉄道ファン</ref>へ投入された実績がある。
 
N編成の2両編成で残存したN51- 54・56 - 58編成は、2013年3月16日ダイヤ改正でしなの鉄道での運用に転用<ref>[https://railf.jp/news/2013/03/18/170000.html しなの鉄道で115系2両編成の定期運用開始] - railf.jp 鉄道ファン(2013年3月18日)</ref>され、同年6月1日付でしなの鉄道へ譲渡された<ref name="railj201306117">『鉄道ジャーナル』2013年6月号、鉄道ジャーナル出版、p.117</ref><ref name="JRR 2014w 107">『JR電車編成表』2014冬 ジェー・アール・アール 交通新聞社 2013年 p.107 ISBN 9784330424132</ref>。
 
211系の転入により置き換えが進められ、2014年3月15日ダイヤ改正でJR東海区間への運用を終了した。N編成はN27編成が新潟車両センターへ転出したため同年4月時点でN1 - 14・16・21 - 26・28 - 33の27編成が在籍したが、同年度上半期中にN8・22・23・26・28・30・31編成は廃車<ref name="JRR 2015w 356"/>、N3・6・11・14・25編成は新潟車両センターへ転出した<ref name="JRR 2015w 359">『JR電車編成表』2015冬 ジェー・アール・アール 交通新聞社 2014年 p.359 ISBN 9784330516141</ref>。
 
C1編成は2014年3月25日に信州色から横須賀色へ塗装変更され、翌26日から運用に復帰した<ref>[https://railf.jp/news/2014/03/30/163000.html 115系C1編成が横須賀色になり運用復帰] - railf.jp 鉄道ファン(2014年3月30日)</ref>。N9編成は2014年3月に湘南色へ塗装変更された<ref name="rp201512_p75">日向旭「JR東日本 115系の現況」『鉄道ピクトリアル』2015年12月号、p.75</ref>。
 
211系の転入により、N編成の3両編成は2015年3月14日改正で定期運用を終了した<ref name="JRR16w_105">[[#JRR 16w|『JR電車編成表2016冬』p.105]]</ref>。JR東日本115系のしなの鉄道乗り入れもこの改正で廃止となった。N1・7・12・13・21編成は北陸新幹線金沢延伸開業に伴う並行在来線区間の信越本線長野 - 直江津間第三セクター化に伴いしなの鉄道へ譲渡<ref name="JRR 2015s 357">『JR電車編成表』2015夏 ジェー・アール・アール 交通新聞社 2015年 p.357 ISBN 9784330569154</ref>、N2・4・5・10・16・24・29・32・33編成は廃車された<ref name="JRR 2016w 357" />。
 
6両編成のC編成は2014年4月時点ではC1 - 14の14編成が在籍したが、211系の転入により置き換えが進められ、N編成に続き2015年10月28日に定期運用を終了した<ref name="railf20151031">[https://railf.jp/news/2015/10/31/203000.html 115系C1編成が定期運用を終える] - 交友社 『鉄道ファン』 railf.jp 鉄道ニュース 2015年10月31日</ref>。C3編成は2015年に新潟車両センターへ転出<ref name="JRR 2015s 360">『JR電車編成表』2015夏 ジェー・アール・アール 交通新聞社 2015年 p.360 ISBN 9784330569154</ref>してL99編成となったが、それ以外の編成は2014年度上半期にC2・4・5編成<ref name="JRR 2015w 356">『JR電車編成表』2015冬 ジェー・アール・アール 交通新聞社 2014年 p.356 ISBN 9784330516141</ref>、2014年度下半期にC6 - 11編成<ref name="JRR 2015s 357"/>、2015年度上半期にC12・13編成 C14編成のクハ115-1106を除く5両<ref name="JRR 2016w 357" />、2015年10月にクハ115-1106<ref group="注">[[長野県]][[小県郡]][[長和町]]に譲渡。町内のスキー場休憩施設として利用。</ref>が廃車となった。
 
営業用として最後まで残った長野総合車両センターの115系は、湘南色復刻車のN9編成と横須賀色復刻車のC1編成であった。長野総合車両センターの115系の営業運転は、2015年11月22日に運転された団体臨時列車「中央本線開業110周年記念〜ありがとう115系C1編成」を最後に終了となった<ref name="railf20151123" />。C1編成は2015年11月25日に廃車<ref name="JRR 2016S 356">ジェー・アール・アール編『JR電車編成表』2016夏 ジェー・アール・アール 交通新聞社 2016年 p.356 ISBN 9784330682167</ref>、N9編成は同年12月17日付で新潟車両センターへ転出した<ref name="JRR 2016S 359">ジェー・アール・アール編『JR電車編成表』2016夏 ジェー・アール・アール 交通新聞社 2016年 p.359 ISBN 9784330682167</ref>。
 
訓練車のN15編成は営業用車両消滅後も残っていた最後の長野地区115系車両となっていた<ref name="JRR 2020w 105">ジェー・アール・アール編『JR電車編成表』2020冬 ジェー・アール・アール、交通新聞社、2019年、p.105。ISBN 9784330021195。</ref>が、2019年10月15日付で廃車となった<ref name="JRR 2020s 358"/>。これにより長野総合車両センター所属の長野・松本地区用115系はすべて消滅した<ref>『鉄道ダイヤ情報』2020年3月号 交通新聞社 2020年 p.100 B5型判雑誌コード:06513-12</ref>。
 
=== 御殿場線・身延線・中部地区 ===
[[ファイル:115 3000 gotenba.JPG|thumb|御殿場線の115系と[[小田急3000形電車 (初代)|小田急3000形SSE車]]([[御殿場駅]]、[[1991年]])]]
[[ファイル:JRC-EC115-2000-Minobu.jpg|thumb|身延線の115系2000番台身延色(1989年頃)]]
[[ファイル:JNR 115 at Shiojiri Station 19870104.jpg|thumb|国鉄末期の中央西線115系([[塩尻駅]]、1987年1月)]]
{{vertical images list
|幅= 200px
|1=115Tc115 sideviewwine-red minobucolor.png
|2=身延色<br />(赤2号・クリーム10号)
|3=115Tc115 sideviewbudo minobuerrorcolor.png
|4=2日間だけ存在した茶色が地色の身延色<br />(ぶどう色2号・クリーム10号)
|5=JRC-EC115-B5.jpg
|6=B5編成
}}
御殿場線で1968年の電化より運用されていた旧性能電車72系の置き換え用として、1979年に東北・高崎線への115系1000番台投入で捻出された基本番台4両編成11本計48両が小山電車区から沼津機関区へ転入した。身延線が新性能化された際に共用可能なよう低屋根車800番台を組み込んだ4両編成となり、1979年9月より御殿場線での営業運転を開始した<ref name="福原2014_p95">福原俊一『115系物語』p.95</ref>。御殿場線の72系は同年10月にさよなら運転が実施され、営業運転を終了した。
; B編成
クモハ・クハ115形2000番台と身延線低断面トンネル対応のモハ114形2600番台から組成される編成で[[東海道本線]]・[[御殿場線]]・[[身延線]]・[[飯田線]]で運用。新製投入時は赤2号地色にクリーム10号帯の通称「身延色」に塗装されたが、民営化後に順次湘南色へと塗替えられた
 
身延線に残る旧性能電車も置き換えの対象となり、2000・2600番台が新製投入されて1981年8月より営業運転を開始した<ref name="福原2014_p96">福原俊一『115系物語』p.96</ref>。編成はクモハ115形を含む4両編成が基本で、車体塗装は[[赤2号]]地色に[[クリーム10号]]帯の通称「身延色」が採用された。当初はクモハ115-モハ114+クハ115-クハ115とクハ同士を背中合わせにした変則編成で、編成中央部の乗務員室でのドア扱いが考慮されていたが、短期間でクハ115+クモハ115-モハ114-クハ115の編成に組み替えられて変則編成は消滅した<ref name="rp200907_p42">編集部「想い出はワインカラー 身延線の115系電車」『鉄道ピクトリアル』2009年7月号、p.42</ref>。
* 身延線では[[列車番号]]末尾がMの列車に限定運用されていた。昼間帯は同線のワンマン運転の関係で留置されていた。
 
[[国鉄32系電車|32系]]・[[国鉄42系電車|42系]]・[[国鉄40系電車|40系]]・[[国鉄51系電車|51系]]などの身延線旧形電車は、アコモデーション改造車の[[国鉄72系電車#モハ62形・クハ66形|モハ62系]]を除いて1981年8月に運用を終了した。郵便・荷物合造車の[[国鉄クモハユニ44形電車|クモハユニ44形]]も[[国鉄クモユニ143形電車|クモユニ143形]]の新製により置き換えられ、クモユニ143形は115系と同様の身延色に塗装されて運用された<ref name="福原2014_p96" />。
* B4編成(クモハ115-2004+モハ114-2604+クハ115-2025)は[[1998年]](平成10年)の身延線全通70周年記念で「身延色」が約1年間の限定で復活したが、[[東海旅客鉄道名古屋工場|名古屋工場]]担当者の手違いで2日間だけ茶色([[ぶどう色2号]])の地色で運転された<ref>リリース文では「ぶどう色の電車」として書かれていたが、「ワインレッド(赤2号)=ぶどうをイメージした色=ぶどう色」という意味で書かれたものを工場側で「ぶどう色=ぶどう色2号」と誤解したことによる。</ref><ref>同様の塗装ミスに1975年三鷹区へ最初に納入された300番台8両(クモハ115-301・302・モハ114-329・330・クハ115-348・350・サハ115-306・307)の事例がある。この8両は本来横須賀色で製造されるべきところを湘南色で落成させてしまい、製造元の[[日本車輌製造]]に一旦返却回送され再塗装の上で納入が行われた。なお、この8両のうちサハ115形を除いた6両は1986年の岡山転属後に、サハ115-306・307は小山転属後に再度湘南色に塗装されている。</ref>。
 
1984年2月のダイヤ改正では、御殿場線・身延線ともに4両編成から3両編成に短縮された<ref name="rp201511_p64">小榑宏明「115系電車の想い出と運用について」『鉄道ピクトリアル』2015年11月号、p.64</ref>。モハ115形が先頭車化改造でクモハ115形500番台になるとともに、捻出されたクハが越後・弥彦線電化用に転出している。この改正では岡山・広島地区の0番台も転入しており、低屋根車と通常屋根車が混在したことから、御殿場線と身延線の共通運用はできなかった。旧性能電車で唯一残っていた身延線のアコモデーション改造車モハ62系もこのダイヤ改正で運用を終了し、1986年に廃車となった<ref name="福原2014_p97" />。
* B5編成(クモハ115-2005+モハ114-2605+クハ115-2026)は飯田線で使用されていたS4編成が車両故障で運用を離脱したため代替として2006年12月に転用された。運用から外されたS4編成は復帰することなく2007年に廃車された。
 
1985年3月のダイヤ改正では三鷹電車区から低屋根車800番台ユニットが転入し、差し替えられた0番台ユニットが新前橋電車区へ転出した。これにより御殿場線・身延線の共通運用が可能となり、予備車1本削減による捻出車が増発列車に投入された<ref name="rp201511_p66">小榑宏明「115系電車の想い出と運用について」『鉄道ピクトリアル』2015年11月号、p.66</ref>。
* B8編成のモハ114-2608には冬季霜取対策としてJR東海所属のモハ114形中唯一パンタグラフを2基に増設された。以前はクモハ115形+モハ114形+モハ114形(サハ代用)+クハ115形の変則4両編成を組んで冬季の霜取を実施していたが、解消させるための改造であった。このため同編成は、冬期間は身延線限定運用となっていたほか、2007年の営業運転終了後も残存された。
 
1986年11月のダイヤ改正では、沼津機関区の配置車両が[[静岡運転所]]に移管された<ref name="rp200907_p43">編集部「想い出はワインカラー 身延線の115系電車」『鉄道ピクトリアル』2009年7月号、p.43</ref>。中央西線の中津川以北で運用される車両は松本運転所の受け持ちであったが、分割民営化を見据えて神領電車区(現・[[神領車両区]])に移管された<ref name="rp201211_p69" />。低屋根車を含むクモハ115-520+モハ114-831は岡山電車区へ転出した。国鉄最末期の1987年には静岡運転所の一部編成が豊橋機関区に転出し、飯田線での運用が開始されている。
; S編成
クモハ115形1000・1500番台・モハ114形1000番台・クハ115形0・600・1000番台から組成される編成で東海道本線・御殿場線・飯田線のほか、快速「[[みすず (列車)|みすず]]」でJR東日本中央本線・篠ノ井線を経由し[[長野駅|長野]]まで乗り入れる運用が1日1往復あった。<!--なお、「みすず」は上記のほかにJR東日本の長野総合車両センター所属の115系3両編成での運用があり、長野車は[[碓氷峠]]越えの時、重量のあるクモハ(Mc)を[[横川駅 (群馬県)|横川]]方にしたため向きが逆の編成がある。-->また、S編成のクハの0・600番台は室内化粧板・鋼製ドア・背もたれの手摺が未更新の車両中心で、S2編成のクハ115-616のみ室内化粧板・ドアをクリーム系色に交換・塗装変更されている。
 
*国鉄分割でJR東海に継承された115系は、1988年度より湘南色への塗装変更が行われ、身延色は消滅した<ref name="railfan20121137"/>。同年度からはC-AU711系集約分散式冷房装置による冷房化も開始され、0番台車は補助電源装置を設置して5000・6000番台に改番、冷房準備車の1000・2600番台はAU75系用の塞ぎ板を残したままC-AU711形が搭載された<ref name="rp199907_p47">西部敏郎「115系電車の現況 JR東海 静岡運転所」『鉄道ピクトリアル』1999年7月号、p.47</ref>。S1編成(クモハ115-1039+モハ114-1053+クハ115-1040)はC-AU711系集約分散式冷房装置の試作改造車で(前述)<ref name="Denkisha1988-4"/>、室内冷房風道形状が量産改造車では室内灯と一体化されているのに対し、単独であるなどの相違が見られた。同編成は2006年9月に廃車解体された。
 
1989年には211系の増備で115系0番台の廃車が発生するとともに、JR東海の115系は静岡運転所への集中配置となった<ref name="rp199907_p46">西部敏郎「115系電車の現況 JR東海 静岡運転所」『鉄道ピクトリアル』1999年7月号、p.46</ref>。編成は0番台の補助電源付き冷房改造車5000番台の編成がN編成、身延線用低屋根車2600番台を含む編成がB編成、元松本運転所所属の1000番台を主体とする編成がS編成に区分された<ref name="rp199907_p46" />。身延線と沼津・静岡方面の直通列車や入出区・検査回送などで東海道本線を走行することもあった。
* S1 - 7編成は、かつて神領電車区(現・[[神領車両区]])に所属していた編成で、中央本線の中津川以北で運用されていたが、飯田線で運用されていた165系が2扉のため通勤・通学輸送時の運用に障害があったことから、入替わる形で転属して来た編成である。国鉄時代は松本運転所に所属していた編成で、国鉄の分割・民営化の際に中央西線がJR東海に移管されたことから、中央西線運用分の編成が神領電車区に移って来た編成である。
 
B編成はクモハ・クハ115形2000番台と身延線低断面トンネル対応のモハ114形2600番台から組成される編成で、東海道本線・御殿場線・身延線・飯田線で運用された。S編成は1000番台主体の編成で、大半が国鉄時代に松本運転所から神領電車区に転入した経歴を持つ。クモハ・モハのユニットは全車が1000番台グループであるが、クモハ115形の8両中5両は国鉄時代に先頭車化改造された1500番台であった。
* S8編成は異端車同士によって組成された編成。
** クモハ115-1523+モハ114-1171は、1986年11月改正までは松本運転所所属で主に[[大糸線]]で運用されていた電動車ユニット。同ユニットと入れ替る形でクモハ115-520+モハ114-831が岡山電車区へ転出している。
** クハ115-188は、1985年の三鷹電車区からの転入車。2006年11月廃車、同年12月2日に浜松工場で解体されたが、最後まで原型前照灯で残った車両である。
 
S編成のクハ115形はサハ115形0番台の先頭車化改造車600番台が8両中6両、1000番台と大型前照灯の0番台が各1両となっている。S8編成の大型前照灯車クハ115-188は1985年に三鷹電車区から転入した。車内は大半が未更新であるが、S2編成のクハ115-616のみ室内[[化粧合板|化粧板]]・ドアをクリーム系色に交換・塗装変更が施工された。
=== JR西日本 ===
2009年(平成21年)6月現在、福知山電車区・岡山電車区・広島運転所・下関総合車両所に配置される。
 
飯田線で運用されていた165系が2扉のため通勤・通学輸送時の運用に障害があったことから、中央西線用の115系が165系と入れ替わる形で飯田線に転用された。飯田線では豊橋 - [[茅野駅|茅野]]・長野間と広範囲で運転された<ref name="rp199907_p48">西部敏郎「115系電車の現況 JR東海 静岡運転所」『鉄道ピクトリアル』1999年7月号、p.48</ref>。
{{vertical images list
|幅= 200px
|1=EB reset switch 001.JPG
|2=EB・TE整備車
|3=Sho-nan-hiroshima-saijo.jpg
|4=広島地区のラッシュ輸送に対応する岡山所属車
}}
 
[[1998年]](平成10年)の身延線全通70周年記念として、B4編成(クモハ115-2004+モハ114-2604+クハ115-2025)が約1年間限定で「身延色」に復元された<ref name="railfan20121137"/>。ただし[[東海旅客鉄道名古屋工場|名古屋工場]]担当者の手違いで2日間だけ[[ワインレッド]]([[赤2号]])ではなく茶色([[ぶどう色2号]])の地色で運転された。これはリリース文で「ぶどう色の電車」が「[[ブドウ|ぶどう]]をイメージした色」の意味合いで書かれたものを工場側で[[国鉄色]]の色名である「ぶどう色」と誤解したことによる<ref group="注">同様の塗装ミスに1975年三鷹区へ最初に納入された300番台8両(クモハ115-301・302・モハ114-329・330・クハ115-348・350・サハ115-306・307)の事例がある。この8両は本来横須賀色で製造されるべきところを湘南色で落成させてしまい、製造元の[[日本車輌製造]]に一旦返却回送され再塗装の上で納入が行われた。この8両のうちサハ115形を除いた6両は1986年の岡山転属後に、サハ115-306・307は小山転属後に再度湘南色に塗装されている。</ref>。
同社の車両の特徴として半数以上の編成が40N車もしくは30Nの体質改善工事を施工されており、EBリセットスイッチなどの機器類更新は勿論のこと、内装も223系並に換装されており転換クロスシート車の比率も増加している。他社では運用撤退が続いているが、経年車を淘汰した上で今後も継続して使用される予定である。
 
中央西線は165系への置き換え以降は長らく115系の走らない線区となっていたが、1998年12月のダイヤ改正でJR東日本からの乗り入れ列車が中央西線・飯田線ともに従来の169系から115系に変更され、中央西線での115系の走行が復活した<ref name="rp199907_p48" />。飯田線快速「みすず」ではJR東海の115系がJR東日本管内に中央本線・篠ノ井線を経由し長野まで乗り入れる運用が1日1往復あった。
運用面では、岡山・広島・下関の各[[車両基地]]では[[山陽本線]]での長距離運用や広島地区のラッシュ時運用で相互乗り入れ・併結などの旅客需要に応じた柔軟な対応が行われている。
 
身延線での冬期の霜取りは3両編成に無動力のモハ114形を組み込んだ変則4両編成で行われていたが、1998年にB8編成のモハ114-2608<ref name="rm115"/>に霜取りパンタグラフが搭載されたため、編成の変更が解消された<ref name="railfan20121137"/>。このため同編成は、冬期間は身延線限定運用としたほか、2007年の営業運転終了後も残存した。
==== 福知山電車区(&#64027;フチ) ====
; R編成(2両編成)
舞鶴線電化時に6000番台に改造され転属してきた車両が所属する。40N体質改善工事も施工されており、車内は[[鉄道車両の座席#セミクロスシート|セミクロスシート]]を装備する。 [[舞鶴線]]・[[山陰本線]][[京都駅|京都]]([[嵯峨野線]])・[[福知山駅|福知山]]口のほか、[[北近畿タンゴ鉄道]][[北近畿タンゴ鉄道宮福線|宮福線]]にも入線する。 ワンマン運転対応でクモハ115形は国鉄時代にモハ115形を先頭車化改造した車両でクモハ114形はモハ114形の先頭車化改造車で切妻型。クモハ115形にトイレを設置している。2008年より223系5500番台導入で一部は下関総合車両所に移籍した。
 
C-AU711系冷房試作車のS1編成は2006年9月に廃車解体された。クハ115-188は原型前照灯のまま2006年11月に廃車となり、同年12月2日に浜松工場で解体された。B5編成(クモハ115-2005+モハ114-2605+クハ115-2026)は車両故障で運用を離脱したS4編成の代替として2006年12月にS編成運用に転用され、運用から外れたS4編成は修復されないまま2007年に廃車となった。
==== 岡山電車区電車センター(岡オカ) ====
173両が配置されている。1990年代中期までは、0・800番台の非冷房車も所属しており、非冷房のまま[[1992年]]に廃車されたモハ・クハのトップナンバーの最終配置も当区であった。最後まで残っていた非冷房車のクハ115-75は[[1999年]]に下関地域鉄道部下関車両管理室へ転属後、約2か月運用されただけで廃車された。
{{vertical images list
|幅= 200px
|1=JNR kuha115-300 suka.jpg
|2=三鷹区から転入直後の横須賀色車<br/>1987年 岡山
|3=JRW115 syounan.jpg
|4=A13編成
|5=JRW EC 115 series D6.jpg
|6=D06編成<br/>40N体質改善工事施工車
|7=JRW EC 115 series D7.jpg
|8=D07編成<br/>30N体質改善工事施工車
|9=JRW-EC115-konpira.JPG
|10=D27編成<br/>「こんぴら号」時代
}}
300番台は、1986年に三鷹電車区から転属してきたMcM'Tcの元横須賀色車<ref>後に高速化対応改造がされ5300・5800番台に区分されていた時期もある。</ref>と同じく1986年に小山電車区から下関運転所に転属後の1993年に岡山へ再転属してきた車両で、当センターに新製配置された車両は1000番台のみである。2007年よりATS-P形の取付を開始し、2009年度にG編成を除き完了した。
 
2006年4月1日時点では[[静岡車両区]]にB編成13本とS編成8本(いずれも3両編成)が残存していた。313系の増備により2007年3月で運用を終了し、全廃となった。
; A編成(4両編成9本36両)
300番台で組成されるA13編成を除いてはすべて1000番台で構成。1000番台は全車が体質改善工事を完了しており、A02編成の全車とA10編成のクハ115-1206を除く3両が40Nを、A01・A03・A04・A06・A07・A12編成の全車とA10編成のクハ115-1206が30Nを施工されている。
 
=== 東海道・山陽本線京阪神地区 ===
; D編成(3両編成31本93両)
民営化後のJR西日本近畿地区[[アーバンネットワーク]]各線は利用客が増加し、京阪神地区の新快速で運用されていた117系は2扉で乗客増加への対応が困難となったことから、新快速には1989年より3扉転換クロスシートの221系の投入が開始された<ref name="rp199907_p49">平野修一「115系電車の現況 JR西日本 網干電車区・福知山運転所」『鉄道ピクトリアル』1999年7月号、p.49</ref>。近畿地区の近郊形電車3扉化を進めるため、[[1992年]]に宮原電車区(現・網干総合車両所宮原支所)から岡山電車区(現・下関総合車両所岡山電車支所)に転出した117系と入れ替わる形で115系300番台・1000番台の計31両が岡山電車区から網干電車区(当時)に転出した<ref name="rp199907_p49" />。
1000番台車は全車が体質改善工事を完了しており、D02 -05・07 - 12・14 - 21・28 - 31編成が30Nを、D01・06・13編成が40Nを施工されている。D28 - 31編成は4両編成のA編成だったものをモハ115形1000番台に先頭車化改造を実施した切妻型のクモハ115形1600番台が入っている編成である。
 
115系は網干電車区転入に際して高速化改造が行われ、所属する113系と同様に京阪神快速で共通運用された。JR東海管内の[[大垣駅|大垣]]まで乗り入れる運用も存在した<ref name="rp199907_p50" />。7両編成および4両編成を組んだが、7両編成ではクモハ115形を含む6M1T(Mc+M'+M+M'+M+M'+Tc)と電動車比率が高い編成も存在した。1994年には岡山地区の冷房化推進のため一部編成が岡山電車区へ転出し、高速化仕様のまま岡山地区で運用された<ref name="rp199907_p49" />。
体質改善工事対象外のD22 - 27編成は300番台で湘南色。
* D22・23編成は高速化対応車の5300・5800番台車から、2008年度に対応が解除され原番号に復帰。
* D22-27とD28-31編成を除くクモハ115形はモハ115形の先頭車化改造車の1500番台。
* D27編成2003年10月より車体全体が黄色に塗装されていた通称「こんぴら編成」で、2006年12月に網干総合車両所で湘南色に戻された。
* D18編成は、2004年の台風16号による[[高潮]]のため[[宇野線]][[宇野駅]]構内で留置中に[[高潮]]に水没。使用不能となったが、網干総合車両所で長期にわたる修理の後に復帰している。
* D31編成は網干総合車両所で濃黄色に塗り替えられ、2010年3月29日に出場した<ref>[http://railf.jp/news/2010/03/30/183900.html 115系D31編成が黄色に] - [[交友社]]『[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]]』 railf.jp 鉄道ニュース、2010年3月30日</ref>。切妻型が濃黄色に塗り替えられるのはD31編成が初めてである。
 
1995年1月17日に発生した[[阪神・淡路大震災]]では東海道・山陽本線が寸断され、岡山電車区に転出していた高速仕様車が西側区間の復旧輸送に貸し出し運用された<ref name="rp199907_p49" />。復旧後も新快速増発用221系の補充として快速で運用されるなど、車両受給が安定するまで貸し出しが続けられた<ref name="rp199907_p49" />。
; G編成(2両編成8本16両)
40N体質改善工事が施工されており、車内はセミクロスシート。[[赤穂線]]・[[伯備線]]・山陰本線[[西日本旅客鉄道米子支社|米子]]地区乗り入れ用でワンマン運転に対応する。
 
6M1Tの編成は1999年[[5月10日]]の[[1980年代・1990年代のJRダイヤ改正#5月10日|ダイヤ改正]]で運用を終了し<ref>[[#jrtozai|鉄道ファン、交友社、2012年11月号、p.48]]</ref>、クモハ115形+モハ114形ユニット計6両は舞鶴線電化用として転用された。
クモハ115形は国鉄時代にモハ115形を先頭車化改造した車で、G07編成のクモハ114-1196([[#1000番台(JR西日本)]]の画像車)を除いてパンタグラフは2基装備する。一方クモハ114形はモハ114形の先頭車化改造車で切妻型・非貫通。クモハ115形にトイレを設置。
 
以後はクハ111形およびサハ111形と4両および7両編成を組成したが、2004年10月16日ダイヤ改正で運用を終了し、下関地区に転出した。これにより京阪神地区の配置が無くなった。
 
=== 福知山線・山陰本線・舞鶴線 ===
[[ファイル:Futi115.jpg|thumb|福知山線の115系旧福知山色]]
国鉄時代の1986年の福知山線電化開業により113系800番台が福知山運転所(当時)に配置されたが、運用数増加に伴ってJR化後の1987年に115系が岡山電車区から4両編成1本、続けて3両が転入した<ref name="rp199907_p50" />。いずれも非冷房車で、4両編成1本は黄色に青帯の旧福知山色に塗装された<ref name="rp199907_p50" />。非冷房編成1本は1991年に廃車となった<ref name="rp199907_p50" />。
 
1988年11月には岡山電車区から冷房車の115系1000番台4両編成2本が転入し<ref name="ikarosJNR 27"/>、K13・K14編成となった。下り方先頭車はクハ111形300番台からの改造編入車であるクハ115-604・605であり、この2両はWAU102形冷房装置の搭載車で前照灯も大型白熱灯であった<ref name="rp199907_p50" />。1991年度にはモハ114形に霜取り用パンタグラフが増設され2基搭載となった<ref name="rp199907_p50" />。
 
K14編成<ref group="注">クハ115-1118+モハ115-1055+モハ114-1118+クハ115-605。</ref>は1993年に組成変更され、3両のY1編成となった<ref name="rp199907_p50">平野修一「115系電車の現況 JR西日本 網干電車区・福知山運転所」『鉄道ピクトリアル』1999年7月号、p.50</ref>。同編成からクハ115-1118+モハ115-1055が岡山区に転出し、車両交換をする形でクモハ115-1551が転入し組成された<ref name="rp199907_p50" />。
 
1999年10月の舞鶴線電化開業により、モハ114形のクモハ114形化・ワンマン運転対応などの6000番台化改造工事を施工されR編成5本(R1 - R5)として転入した。網干区および岡山区所属のクモハ115形+モハ114形ユニット5組10両より改造されたもので、山陰本線京都 - 城崎間と舞鶴線で113系5300・5800番台S編成と共通運用された。[[京都駅|京都]] - [[園部駅|園部]]間では京都総合運転所所属113系との併結運用も存在した。
 
3両編成のY1編成は1999年5月に消滅した。福知山運転所の115系配置両数は、2両編成のR編成5本と4両編成のK13編成1本を合わせて計14両の配置となった。
 
K13編成<ref group="注">クハ115-1108+モハ115-1034+モハ114-1095+クハ115-604</ref><ref name="jrr 2003 sum 181">「JR電車編成表」'03夏、ジェー・アール・アール編、2003年、p.181、ISBN 4-88283-039-6</ref>は福知山線全線で113系K編成と共通運用されたが、2004年6月に運用を離脱、下関地域鉄道部に転出しC43編成となる。K・S編成による福知山線運用は同年10月16日ダイヤ改正で消滅した。
 
2008年から223系5500番台が投入されたため、R編成は5編成中4編成が下関総合車両所に転出し<ref>[https://railf.jp/news/2008/12/19/121000.html 113系と115系が広島へ](2008年12月19日)・[https://railf.jp/news/2009/02/21/072900.html 113系と115系が広島へ](2009年2月21日) - railf.jp 鉄道ファン</ref>、老朽化したクモハ115・114形550番台を置き換えた。この結果、福知山電車区の115系の配置はR1編成の1本のみとなった<ref name="rp200907_p81">編集部「JR西日本 115系電車の現況」『鉄道ピクトリアル』2009年7月号、p.81</ref>。
 
2010年3月13日ダイヤ改正で山陰本線京都 - 綾部間での運用を終了し、その後は113系2両編成と共通で、舞鶴線・山陰本線[[綾部駅|綾部]] - [[城崎温泉駅|城崎温泉]]間<ref name="JRR201711-1">{{Cite journal|和書 |title= |journal=普通列車編成両数表 |publisher=ジェー・アール・アール |volume=38 |year=2017 |month=11 |pages=p.198-199・p.206|isbn=978-4-3308-4217-2}}</ref>で運用された。
R1編成は2012年8月30日付で京都地域色となる緑色の単色に塗装変更された。
 
2022年8月9日付でR1編成の2両(クモハ115-6510+クモハ114-6123)が廃車され<ref name="JRR 2023w 360">ジェー・アール・アール編『JR電車編成表』2023冬 ジェー・アール・アール、交通新聞社、2022年、p.360。ISBN 9784330067223。</ref>、福知山地区の配置が無くなった。
 
=== 岡山地区 ===
[[ファイル:JNR kuha115-300 suka.jpg|thumb|三鷹区から転入直後の横須賀色車<br />1987年 岡山]]
[[ファイル:JR West 115series kuha115-161 Sun Liner okayama.jpg|thumb|115系運用時代の快速「サンライナー」(1992年)]]
[[ファイル:JR West 115 3500 superrabbit.jpg|thumb|200px|臨時快速「[[スーパーラビット]]」運用のK02編成(2000年)]]
[[ファイル:JRW 115 series A-04 20140525.jpg|thumb|30N体質改善車A-04編成<br />関西更新色塗装]]
[[ファイル:JRW 115series A13 Shonan color.jpg|thumb|300番台4両編成のA-13編成]]
{{Double image aside|right|JRW EC 115 series D6.jpg|165|JRW EC 115 series D7.jpg|193|40N体質改善車D06編成|30N体質改善車D07編成}}
[[ファイル:JRW 115 series D-01 20220102.jpg|thumb|パンタグラフを2基搭載するD1編成]]
[[ファイル:JRW Series115-1000 G-01.jpg|thumb|G01編成]]
[[ファイル:115 series D-26 D-27 Mihara Station 20170504.jpg|thumb|200px|湘南色が維持されたD26・D27編成([[三原駅]]、2017年5月4日)]]
[[ファイル:JRW 115 series D-07 20210214.jpg|thumb|200px|right|「Setouchi Train」仕様のD07編成]]
岡山電車区への115系の配置は1976年の在来車転入からで、80系電車置き換えのため北関東地区より0番台44両が転入したのが最初である<ref name="rp199907_p51">平野修一「115系電車の現況 JR西日本 岡山電車区」『鉄道ピクトリアル』1999年7月号、p.51</ref>。1978年からは1000番台も新製配置された<ref name="rp200907_p82">編集部「JR西日本 115系電車の現況」『鉄道ピクトリアル』2009年7月号、p.82</ref>。
 
1984年の越後線・弥彦線電化開業、1985年の御殿場線短編成化をはじめ関東地区との車両転配も数多く実施されており、分割民営化直前には211系投入により捻出された300番台も転入した。300番台は1986年に三鷹電車区から転入のMc+M'+Tc元横須賀色車と小山電車区から下関運転所転出後の1993年に岡山電車区へ再転入してきた車両で、当区新製配置車両は1000番台のみである。
 
[[宇高連絡船]]に接続する宇野線の快速は、1980年12月に宮原電車区の113系から岡山電車区の115系へ置き換えられた<ref name="rp201511_p6">「大いなるバイプレーヤー ―115系 国鉄時代の足跡―」『鉄道ピクトリアル』2015年11月号、p.6</ref>。113系時代に有ったグリーン車の連結は無くなったが、最長12両編成での運転も行われた<ref name="rp201511_p6" />。
 
1982年7月1日に伯備線と山陰本線伯耆大山 - 知井宮(後の西出雲)間が電化開業となり、115系1000番台6両編成が岡山電車区に追加投入された<ref name="福原2014_p97">福原俊一『115系物語』p.97</ref><ref name="rp201511_p8">「大いなるバイプレーヤー ―115系 国鉄時代の足跡―」『鉄道ピクトリアル』2015年11月号、p.8</ref><ref name="rp201511_p60">小榑宏明「115系電車の想い出と運用について」『鉄道ピクトリアル』2015年11月号、p.60</ref>。電化開業時の1982年7月現在で6両編成61本の306両(0番台非冷房車が20編成120両、1000番台冷房車が31編成186両)が配置された。伯備線電化開業では荷物電車[[国鉄クモニ143形電車|クモニ143形]]も新製投入されており、115系と連結しての運転も行われた<ref name="rp201511_p8" />。
 
広島地区で1982年に試行された短編成高頻度運転「シティ電車」が好成績であったため、同様の施策が1984年に岡山地区にも導入された。6両編成を3・4両編成に短縮し、奇数向きクハ115形が余剰となって首都圏に転出し、不足する偶数向きクハ115形が新前橋から転入した。山陽本線等は4両編成が、伯備線は3両編成が主体となった<ref name="rp201511_p64" />。
 
4両編成に短縮するにあたり、新製配置された1000番台6両編成 (TcMM'MM'Tc) を編成中間で分割し上り方3両 (TcMM') に制御車 (Tc)を組み込んだが、3両編成化による奇数向き制御電動車(クモハ115形1500番台)の増加に対して岡山区全体で偶数向き制御車が不足したため0番台やクハ111形改造編入車の600番台(ともに非冷房車)が充当された。0番台非冷房車で組成された6両編成(TcMM'MM'Tc)の短編成化により、1985年3月ダイヤ改正でMM'ユニット1組を減車して組成された4両編成も組成された。
 
B編成となる0番台非冷房車4両編成は1985年4月時点で14編成<ref name="jrr1985 78" />、1986年11月時点で12編成が在籍した<ref name="jrr1986 88" />。編成バリエーションには中間にクモハ115形を組み込む編成(TcMcM'Tc)も存在した。K編成は岡山地区短編成化に伴い組成された4両編成が祖であり<ref name="jrr1985 78" />。当初は下り方先頭車が非冷房のクハ115形0・600番台、そのほか3両が1000番台で組成された。
 
D編成となる3両編成は岡山地区短編成化に伴い組成された3両編成グループが元である<ref name="jrr1985 78">『復刻・増補 国鉄電車編成表1985年度版』ジェー・アール・アール、交通新聞社、2010年、p.78。ISBN 978-4-330-17610-9。</ref>。1985年4月の時点で18本、1986年10月の時点で40本が存在した<ref name="jrr1985 78" /><ref name="jrr1986 88">『復刻版 国鉄電車編成表1986.11 ダイヤ改正』ジェー・アール・アール、交通新聞社、2009年、p.88。ISBN 978-4-330-10609-0。</ref>。当時は1000番台で構成されたD1 - 34編成<ref group="注">1983年8月から1984年2月までに改造されたD1 - D18編成は、クモハ115形車両番号下2桁と編成番号が一致する。1986年6月から12月までに改造されたD19 - D34編成はクモハ115形車両番号下2桁から17引いた数と編成番号が一致する(当時)。後年に他区への転出に伴い編成番号整理が行われたため現在の編成番号との整合性がない編成もある。</ref>と後述する三鷹電車区から転入の300番台(当初はF編成)で組成された。
 
国鉄最後の1986年11月ダイヤ改正では、中央東線用であった300番台3両編成6本が三鷹電車区から岡山電車区へ転出した。F1 - F6編成に区分され、F編成は当初の「山スカ色」から「湘南色」への塗装変更が施工された。この編成は後のD22 - D27編成となるグループである<ref name="rp200907_p83" />。
 
[[1990年代]]中期までは基本番台・800番台の非冷房車も所属しており、非冷房のまま[[1992年]]に廃車されたモハユニット・クハ115形トップナンバーの最終配置も当区所属であった。このうちクハ115-1は1963年1月31日の落成で宇都宮運転所に新製配置、1977年に小山電車区から岡山電車区へ転出、非冷房のまま1992年8月に廃車となり保存されることなく解体された<ref name="rp200907_p44">編集部「JR西日本エリアの115系」『鉄道ピクトリアル』2009年7月号、p.44</ref>。
 
1992年には関西地区新快速の221系増備で捻出された117系が宮原電車区から岡山電車区へ転出し、交換で115系の一部が京阪神快速増発用として網干電車区へ転出した<ref name="rp199907_p51" />。岡山地区に転用された117系は山陽本線快速「サンライナー」で運用された他、中間電動車ユニットの一部が115系に編入され、モハ115・114形3500番台となった<ref name="rp199907_p51" />。3500番台は4両編成のうち1000番台冷房車3両と非冷房クハ1両の4両編成であったK編成に組成され、捻出された電動車ユニットが3両編成グループ5本とともに網干電車区に転出した。
 
非冷房車の置き換えも順次行われ、4両編成全車が非冷房のB編成は下関運転所の115系300番台や関西地区の103系転入で、4両編成中1両が非冷房のK編成は網干電車区の113系・115系、[[日根野電車区]]の113系クハ111形転入と115系編入改造により冷房化が推進された<ref name="rp199907_p51" />。網干区からの転入車は高速化仕様のまま岡山地区で運用された<ref name="rp199907_p51" />。K編成は1994年から非冷房の下り方先頭車を冷房車のクハ115形300・600・1000番台に組み替え全車冷房化された。
 
1995年1月17日に[[阪神・淡路大震災]]が発生した際は、復興輸送として岡山電車区の115系が関西地区に貸し出された<ref name="rp199907_p51" />。貸出期間中の岡山地区では115系非冷房車が運用されたほか、113系が関西地区から貸し出されP編成となるなどの対応が行われた<ref name="rp199907_p51" />。復興とともに貸し出し車両は返却され、非冷房車も大部分が廃車となった<ref name="rp199907_p51" />。1997年までに0番台非冷房車のB編成は消滅し、最後まで残存した非冷房車のクハ115-75は1999年に下関地域鉄道部下関車両管理室へ転出後、約2か月運用されただけで廃車された。
 
1999年の舞鶴線電化用としてD編成2本が福知山電車区に転出し、モハ114形は先頭車化改造車の6500番台となった。舞鶴線ではクモハ115・114形の2両編成となった。
 
2000年より体質改善工事が開始され、1000番台以降の車両を対象に施工された。このうち2000年に40N体質改善工事を施工されたA10編成はクハ115-1146+モハ115-1086+モハ114-1150+クハ115-219の4両編成であり、0番台であったクハ115-219は体質改善車に合わせた張り上げ屋根化と通風器撤去が行われたが、窓枠や座席などの交換は行われず存置された<ref name="rp201512_p29">「115系電車 形式集(II)」『鉄道ピクトリアル』2015年12月号、p.29</ref>。K編成に組み込まれたクハ115-622でも同様の通風器撤去と張り上げ屋根化の改造が2001年に施工されている<ref name="rp201512_p32">「115系電車 形式集(II)」『鉄道ピクトリアル』2015年12月号、p.32</ref>。
 
2001年の伯備線・山陰本線ワンマン化に対応するため、当時の115系1000番台3両編成のD編成を種車に8編成が2両編成化され、前面切妻非貫通のクモハ114形を含むG編成となった<ref name="rp200907_p83">編集部「JR西日本 115系電車の現況」『鉄道ピクトリアル』2009年7月号、p.83</ref>。2両編成化で捻出されたクハ115形1000番台はK編成のクハ115形600番台の置き換えに転用された。
 
A10編成の張り上げ屋根車クハ115-219は、D編成の2両編成化で捻出されたクハ115-1206に差し替えられた。クハ115-1206は2003年に30N体質改善工事を施工されたため、A10編成は40N車と30N車が混在する編成となった。張り上げ屋根車のクハ115-219とクハ115-622はいずれも2001年に下関地域鉄道部へ転出している<ref name="rp200907_p85" /><ref name="rp200907_p88" />。
 
早朝深夜には岡山電車区の115系が山陽本線の[[西明石駅|西明石]]まで乗り入れる運用が存在したが、2002年3月23日のダイヤ改正で姫路発着に短縮されたため、115系岡山車の姫路以東への乗り入れは消滅した<ref>「2002.3.23 JRダイヤ改正の周辺」『鉄道ピクトリアル』2002年7月号(通巻719号)、p.96</ref>。
 
香川県の[[金刀比羅宮]]の観光キャンペーンとして、2003年10月に115系D27編成3両が全面広告の黄色塗装となり、「こんぴら編成」と通称された<ref name="rp200907_p45">編集部「JR西日本エリアの115系」『鉄道ピクトリアル』2009年7月号、p.45</ref>。2006年12月までこの塗装で運転されたのち、網干総合車両所で湘南色に復元されている。
 
2004年には4両編成のA編成のうち4本(A05・08・09・11編成)で、クハ1両を外した3両編成に改造され、モハ115形の先頭車化改造車で貫通型切妻の運転台を有するクモハ115形1600番台が登場した。編成はD28 - D31編成となった<ref name="rp200907_p83" />。この関係でA編成の編成番号に欠番が生じている<ref name="rp200907_p83" />。
 
2004年の[[平成16年台風第16号|台風16号]]による[[高潮]]のため、宇野線[[宇野駅]]構内で留置中のD18編成が[[水害|水没]]した。一時使用不能となったが網干総合車両所で長期にわたる修理の後に復帰した。
 
ATS-P(拠点P)が設置された山陽本線[[上郡駅]]以東へ営業列車として入線するため、2007年よりATS-P搭載工事が施工開始され、2009年度に{{要出典範囲|G編成を除き|date=2013年10月|title=鉄道ファンの2012年1月号p.176にはG08編成が有年 - 上郡で試験をしたとあります。}}完了した。
 
300番台3両編成のD22・23編成は網干電車区転出後に高速化対応車の5300・5800番台となっており、1997年の岡山電車区再転入後も高速化解除されていなかったが、2008年までに高速化が解除され原番号に復帰している<ref name="rp200907_p83" /><ref name="JRR 2012W 185">[[#JRR 12w|「JR電車編成表」2012冬、ジェー・アール・アール編、交通新聞社、2011年、p.185]]</ref>。
 
JR西日本で2009年より行われている単色化により、岡山地区の電車は山陽地区の濃黄色が採用された。G編成は2011年10月3日までに全編成が濃黄色塗装に変更済み<ref>[[#Gdone|鉄道ファン、交友社、2012年1月号、p.176]]</ref><ref name="JRR 2024s 190"/>。A編成は2011年までに全編成とも濃黄色への塗装変更を施工した<ref>[http://rail.hobidas.com/rmn/archives/2011/12/jr115a06.html 岡山電車区115系A06編成 濃黄色塗装に] - RM News 鉄道ホビダス(2011年12月1日)</ref>。D編成の切妻先頭車グループは2012年4月24日までに濃黄色塗装へ変更された<ref>[https://railf.jp/news/2012/04/25/190000.html 岡山電車区115系D-30編成が黄色一色に](2012年4月25日)・[https://railf.jp/news/2010/03/30/183900.html 岡山電車区115系D31編成が黄色一色に] - railf.jp 鉄道ファン(2010年3月30日)</ref>。
 
2015年2月13日に山陽本線西阿知 - 新倉敷間の踏切で発生したトラックとの衝突事故により、被災した115系D24編成3両のうちクハ115-408とモハ114-359が大破した<ref name="rp201511_p71">日向旭「JR西日本 115系の現況」『鉄道ピクトリアル』2015年11月号、p.71</ref><ref name="railf20160119" />。残ったクモハ115-323は損傷が軽微なため、湘南色4両編成のA13編成のうちクハ115-326とモハ114-316を組み合わせ<ref name="JRR 2016W 188"/>、新たなD24編成として2015年8月13日に運用復帰した<ref name="rp201512_p112">「115系岡山車 D24編成復活とA13編成消滅」『鉄道ピクトリアル』2015年12月号、p.112</ref>。D24編成は2016年1月に湘南色から濃黄色へ塗装変更されている<ref name="railf20160119">[https://railf.jp/news/2016/01/19/174000.html 岡山電車区115系D24編成が黄色一色に] 鉄道ニュース(railf.jp)、2016年1月19日</ref>。
 
D24編成への転用で余剰となったA13編成の2両(クハ115-325・モハ115-316)は、2015年8月27日に[[国鉄クモヤ145形電車|クモヤ145形]]に挟まれて[[吹田総合車両所]]へ回送され<ref name="railf20150828">[https://railf.jp/news/2015/08/28/140000.html 115系A-13編成の2両が吹田総合車両所へ] 鉄道ニュース(railf.jp)、2015年8月28日</ref>、2015年9月9日付で廃車となった<ref name="JRR 2016W 359">『JR電車編成表』2016冬 ジェー・アール・アール、交通新聞社、2015年、p.359。ISBN 9784330623153。</ref>。大破したクハ115-408、モハ114-359の2両も2016年3月1日付で廃車となっている<ref name="JRR 2016S 358">ジェー・アール・アール編『JR電車編成表』2016夏 ジェー・アール・アール、交通新聞社、2016年、p.358。ISBN 9784330682167。</ref>。これによりJR西日本最後の湘南色4両編成であったA13編成が消滅した<ref name="rp201512_p6">「いつもそこに ―115系の現況―」『鉄道ピクトリアル』2015年12月号、p.6</ref>。
 
2015年に、K02・03・07編成の先頭車と下関総合車両所広島支所のL16編成、および下関総合車両所運用検修センターの旧O04・R02編成から転用の上転入した<ref name="JRR 2016W 360">『JR電車編成表』2016冬 ジェー・アール・アール、交通新聞社、2015年、p.360。ISBN 9784330623153。</ref>1000番台中間車で、A14 - 16編成が組成された<ref name="JRR 2016W 188">『JR電車編成表』2016冬 ジェー・アール・アール、交通新聞社、2015年、p.188-189。ISBN 9784330623153。</ref>。K02・03・07編成の3500番台中間車6両は2015年4月から6月にかけて廃車された<ref name="JRR 2016W 359" />。同年12月にK04・05編成の2本も廃車された<ref name="JRR 2016S 358"/>。
 
2016年に、K01編成の先頭車と下関総合車両所運用検修センター(旧L15編成)から転入<ref name="JRR 2016S 360">ジェー・アール・アール編『JR電車編成表』2016夏 ジェー・アール・アール、交通新聞社、2016年、p.360。ISBN 9784330682167。</ref>した1000番台中間車で、A17編成が組成された<ref name="JRR 2017s 188">ジェー・アール・アール編『JR電車編成表』2017夏 ジェー・アール・アール、交通新聞社、2017年、p.188-189。ISBN 9784330787176。</ref>。K01編成の3500番台中間車は2016年3月に廃車された<ref name="JRR 2016S 358"/>。同年6月に、クハ115形が300番台で電動車ユニットの3500番台のみ30N体質改善工事を施工されていた<ref name="JRR 2016S 188">ジェー・アール・アール編『JR電車編成表』2016夏 ジェー・アール・アール、交通新聞社、2016年、p.188-189。ISBN 9784330682167。</ref>K06編成も廃車され<ref name="JRR 2017W 357">ジェー・アール・アール編『JR電車編成表』2017冬 ジェー・アール・アール、交通新聞社、2016年、p.357。ISBN 9784330737164。</ref>、K編成は消滅した。
 
2017年3月には[[倉敷市]]下津井地区を舞台にしたアニメ映画「[[ひるね姫 〜知らないワタシの物語〜]]」のラッピングが115系1000番台3両編成のD14編成に施工され、2017年3月1日の宇野線普通列車より運転を開始した<ref>[https://www.westjr.co.jp/press/article/2017/02/page_9928.html 〜映画「ひるね姫」の世界観&児島・下津井エリアの魅力が満載〜 「ひるね姫×くらしきラッピングトレイン」を運行します!!] - 西日本旅客鉄道ニュースリリース 2017年2月10日</ref><ref>[https://railf.jp/news/2017/03/02/163000.html 115系D14編成が映画「ひるね姫」PRラッピングに] - railf.jp 鉄道ファン(2017年3月2日)</ref>。
 
岡山電車区の115系で最後まで湘南色で残っていた3両編成2本6両も濃黄色となる予定であったが、利用者からの要望などを受けて湘南色が維持されることが2017年4月に発表された<ref>[https://travel.watch.impress.co.jp/docs/news/1056013.html JR西日本、115系車両の「湘南色」を継続。5月3日~6日に6両編成で山陽線などを運行] トラベルWatch、2017年4月20日</ref>。300番台3両編成のD26・27編成が湘南色で再塗装され、2017年5月3日 - 6日には湘南色の2編成を併結した6両編成での特別運行<ref>[https://news.mynavi.jp/article/20170503-a195/ JR西日本115系300番台「湘南色」6両編成で山陽本線走行 - 5/6まで特別運行] マイナビニュース、2017年5月3日</ref>が行われた。以後は3両編成2本が個別に通常運用されている。
 
2019年3月のダイヤ改正をもって、岡山電車区の115系は広島地区及び四国島内([[土讃線]][[琴平駅]]まで)への乗り入れを終了した。
 
2019年6月5日付で、下関総合車両所運用検修センターに所属していた115系L編成のうちL16・17編成の4両編成2本計8両<ref name="JRR 2020s 192">ジェー・アール・アール編『JR電車編成表』2020夏 ジェー・アール・アール、交通新聞社、2020年、p.192-193。ISBN 9784330050201。</ref>が、岡山電車区へ転出した<ref name="JRR 2020w 362">ジェー・アール・アール編『JR電車編成表』2020冬 ジェー・アール・アール、交通新聞社、2019年、p.362。ISBN 9784330021195。</ref>。中間車とL17編成岡山方クハ115形は2000番台車、L16編成の先頭車2両とL17編成三原方クハ115形は1000番台車<ref name="JRR 2020s 192" />であり、30N体質改善車で全編成が濃黄色塗装変更済みである<ref name="JRR 2020s 192" />。両編成は[[福塩線]]の115系D編成運用を代走した実績がある<ref>[https://railf.jp/news/2020/01/06/150000.html 岡山電車区115系L編成が福塩線運用に入る] - railf.jp 鉄道ファン(2020年1月6日)</ref>。
 
2020年2月16日から2023年8月まで、D-07編成が「SETOUCHI TRAIN」として、[[鈴木マサル]]が手掛けたデザインのラッピング・内装で運行されていた。
 
2019年に広島地区より転入したL編成は、2020年8月3日にL16編成が、8月6日にL17編成がそれぞれ下関総合車両所本所に廃車回送され<ref>[https://railf.jp/news/2020/08/08/201500.html 115系L-17編成が下関総合車両所へ] - railf.jp 鉄道ファン(2020年8月8日)</ref>、いずれも2020年8月14日付で廃車された<ref name="JR編成2021冬_p360">ジェー・アール・アール編『JR電車編成表』2021冬 ジェー・アール・アール、交通新聞社、2020年、p.360。ISBN 9784330082202。</ref>。8月6日のL17編成廃車回送では、前面に「さようならJR115系L編成」の張り紙が掲出された。この廃車により115系2000番台は消滅した。
 
2024年以降227系の導入により順次淘汰される計画であり<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/items/211118_06_new.pdf|format=PDF|title=岡山・備後エリアへの新型車両導入について|publisher=西日本旅客鉄道|date=2021-11-18|accessdate=2021-11-18}}</ref>、2024年2月15日付で体質改善工事未施工の300番台であったD24編成3両が廃車された<ref name="JRR 2024s 360">ジェー・アール・アール編『JR電車編成表』2024夏 交通新聞社、2024年、p.360。ISBN 9784330028248。</ref>。
 
2024年4月1日現在、下関総合車両所岡山電車支所(旧岡山電車区)の115系は300番台・1000番台を中心に154両が配置され<ref name="JRR 2024s 190">ジェー・アール・アール編『JR電車編成表』2024夏 交通新聞社、2024年、p.190-191。ISBN 9784330028248。</ref>、山陽本線姫路 - 三原間、伯備線<ref group="注">[[新郷駅 (岡山県)|新郷]] - [[伯耆大山駅|伯耆大山]]間はG編成のみ。ただし、新郷 - [[上石見駅|上石見]]間は、D編成が[[回送]]で乗り入れている。</ref>、山陰本線伯耆大山 - 西出雲間<ref group="注">G編成のみ。</ref><ref group="注">[[米子駅|米子]] - [[出雲市駅|出雲市]]・西出雲間は3往復(うち3本は出雲市発着)のみ</ref>、福塩線[[福山駅|福山]] - [[府中駅 (広島県)|府中]]間<ref group="注">朝夕の6往復のみ。</ref>、赤穂線播州赤穂 - 東岡山間、宇野線{{refnest|group=注|赤穂線・宇野線[[茶屋町駅|茶屋町]] - 宇野間は、[[2010年代のJRダイヤ改正#3月17日|2012年3月17日ダイヤ改正]]時点では固定クロスシート車のみが投入されていたが<ref name="LCTA12-13144">[[#annual|「JR普通列車年鑑 2012-2013」イカロスMOOK、p.144]]</ref>、同年9月には転換クロスシート車の充当も確認された<ref>鉄道ファン、交友社、2012年12月号、p.153「岡山区115系にも「赤穂線全線開業〜」HM」</ref>。}}で運用される<ref>ジェー・アール・アール編『普通列車編成両数表』Vol.45 交通新聞社、2024年。ISBN 9784330030241。</ref>。
 
4両編成のA編成はA01 - 04・06・07・10・12・14 - 17編成の12本計48両<ref name="JRR 2024s 190"/>が在籍しており、すべて1000番台体質改善車で構成される。A02編成は全車40N車、A10編成はクハ115-1206が30N車でそれ以外の3両が40N車、A01・03・04・06・07・12・14 - 17編成は全車が30N車である<ref name="JRR 2024s 190"/>。
 
3両編成のD編成はD01 - 23・25 - 31編成の3両編成30本計90両のグループ<ref name="JRR 2024s 190"/>であり、D01 - 21編成とD28 - 31編成は1000番台で、D01・06・13編成が40N、D02 - 05・07 - 12・14 - 21・28 - 31編成が30Nである<ref name="JRR 2024s 190"/>。D01 - 21編成のクモハ115形は、国鉄時代に先頭車化改造された1500番台である<ref name="JRR 2024s 190"/>。D01・06編成のモハ114形はパンタグラフを2基搭載する<ref name="JRR 2024s 190"/>。D28 - 31編成は2004年に1000番台のA編成を3両化した編成<ref name="rf100134">[[#countdown|鉄道ファン、交友社、2010年1月号、p.34]]</ref>で、クモハ115形は切妻前面の1600番台となっている<ref name="JRR 2024s 190"/>。
 
D編成のうちD22・25 - 27編成は体質改善工事未施工の300番台である<ref name="JRR 2024s 190"/>。塗装はD22・23・25編成が濃黄色、D26・27編成は単色化されず2017年に湘南色で再塗装された<ref>[https://www.westjr.co.jp/press/article/2017/04/page_10329.html 115系車両「湘南色」での運行について] - 西日本旅客鉄道ニュースリリース 2017年4月17日</ref>。D25 - 27編成は耐雪ブレーキを装備しない<ref name="JRR 2024s 190"/>。
 
G編成は2両編成のワンマン運転対応車で、G01 - 08編成の2両編成8本計16両が在籍する<ref name="JRR 2024s 190"/>。山陽本線瀬戸 - 倉敷間<ref group="注">瀬戸発着は平日・土曜朝の1往復のみ。</ref>、伯備線・山陰本線倉敷 - 西出雲間、赤穂線播州赤穂 - 東岡山間<ref group="注">3往復(うち1往復は[[長船駅|長船]]発着)のみ。</ref>で運用される。
 
湘南色を維持していた300番台D26・D27編成は2025年2月1日に岡山から下関まで廃車回送され、このうち[[徳山駅]] - 下関駅間では団体臨時列車として最終営業運転が行われた<ref>[https://railf.jp/news/2025/02/02/003000.html 湘南色の115系が下関へ] 鉄道ニュース(railf.jp)、2025年2月2日(2025年2月13日閲覧)</ref>。これにより115系300番台の運用は全廃となり、JRグループ最後の湘南色塗装及び、JR西日本から体質改善工事未施工車も消滅した<ref>[https://trafficnews.jp/post/519398 「かぼちゃ電車」JRから絶滅! 最後の「湘南色115系」快速、山陽路に消える 「あれ、ちょっとヘンだぞ」] 乗りものニュース、2025年2月11日(2025年2月13日閲覧)</ref>。
 
=== 広島・山口地区 ===
[[ファイル:JNR 115 series Hiroshima City train kuha115-70.jpg|thumb|200px|115系0番台の「ひろしまシティ電車」([[横川駅 (広島県)|横川駅]]、1984年)]]
[[ファイル:Tc115 setouchi color.png|thumb|200px|瀬戸内色([[クリーム1号]]と[[青20号]]<ref name="rf111023">[[#JNR color|鉄道ファン、交友社、2011年10月号、p.23]]</ref>)]]
[[ファイル:Hiroshima New Rapid Collar.JPG|thumb|200px|広島快速色の3000番台(2008年)]]
[[ファイル:JRW 115kei C43 hensei.jpg|thumb|200px|福知山から転入したC43編成(2006年)]]
[[ファイル:JR-WEST-115series-N-06-Hanamoyu.JPG|thumb|200px|『[[花燃ゆ]]』ラッピング車(2015年)]]
[[ファイル:115 series L-16 Hiroshima Toyo Carp 2017 train 20170922.jpg|thumb|200px|L16編成「カープ応援ラッピングトレイン」(2017年)]]
{{vertical images list
|幅= 200px
|1=JNR115-SekiN19.JPG
|1=JR West 115 3500 superrabbit.jpg
|2=K02N19編成<br />広島更新色
|3=JRW EC 115 series shimonoseki N5.jpg
|4=N05編成<br />黄色単色塗装
}}
; K編成(4両編成7本28両)
電動車ユニットは117系改造の3500番台。クハは300番台(K04 - 06編成)・1000番台(K01 -03・07編成)で組成される。K01・02・03・07編成は全車両、K04 - 06編成は電動車ユニットのみ30N体質改善工事を施工。
<br style="clear:both"/>
 
==== 広島運転所(広ヒロ) ====
{{vertical images list
|幅= 200px
|1=115 series formation T-13.JPG
|1=West Japan Railway - Series 115-2000 - Hiroshima Renewal Color - 01.JPG
|2=T13編成
|2=L02編成<br/>40N体質改善工事施工車
|3=JRW 115 hiroshima L hensei.jpg
|4=L19編成<br/>30N体質改善工事施工車
}}
; L編成(4両編成22本88両)
2000番台中心の配置でL15・16編成のみ1000番台で組成される。L1 - 13編成は40N、L14編成以降は30N体質改善工事が施工されている。
 
体質改善工事施工直後は[[呉線]]の快速「安芸路ライナー」用として運用されていたが、[[広島シティネットワーク]]での快速列車本格導入に伴い、山陽本線での運用が中心となった。
* 山陽本線運用開始当初は「[[シティライナー (列車)|快速・シティライナー]]」・「[[通勤ライナー (列車)|快速・通勤ライナー]]」の限定運用に近い形態であったが、最近では普通列車にも多く運用されている。
** そのため快速運用には、下関所のC・N編成の充当もされる。
 
==== 下関総合車両所(広セキ) ====
{{vertical images list
|幅= 300px
|1=115 sideview setouchi.png
|2=瀬戸内色(クリーム1号・青20号)
}}
184両が所属しており広島シティネットワーク内の普通列車や快速列車などで運用されるほか、T編成は山陽本線岩国 - 下関のみの限定運用となっている。
 
[[広島運転所]]を含み当初所属車では、以下の特徴がある。
* 3000番台車やリニューアル車と編成を組む一般車は、新快速色またはリニューアル色に塗装変更されている場合がある。
* 原形前照灯を存置する車両も多数在籍していたが、前照灯交換により全て消滅した。
** T編成の原形前照灯を持つクモハは、廃車されたクハの運転台部分を再利用して制御車化改造されたものであるが、これも2006年から再開したシールドビーム化工事で消滅した。
{{vertical images list
|幅= 200px
|1=JNR115-HiroL09-Yellow.JPG
|1=JRW 115kei C hensei.jpg
|2=L09編成<br />40N体質改善工事施工車<br />黄色単色塗装
|2=C13編成
|3=JRW 115kei115series C43C13 henseisetouchi color.jpg
|4=C43C13編成 福知山瀬戸内<br/>
|5=Hiroseki C-18 08-0.jpg
|6=C18編成 瀬戸内色<br />クハ115-556<br />AU13形分散式冷房装置6基搭載車
|7=JRW 115-R04 at Mihara Station.jpg
|8=R04編成
|9=JRw115Series SekiG01.JPG
|10=G01編成
|11=JRW115Series SekiG-02.JPG
|12=G02編成<br />黄色単色塗装
|13=Hisoseki H-01 08-06-28.jpg
|14=H01編成
}}
広島地区の115系は1976年より首都圏からの転入車が配置され、1978年から2000番台(山陽本線姫路以西の旧形車置き換え名目)の新製配置が行われた。これらは主に6両編成で、一部が4両編成とされた。
; C編成(4両編成21本84両)
0(クハのみ)・300・1000・2000・3000(クハのみ)・6000(電動車ユニットのみ)番台で組成される。
* 0・300番台の大半の車両は、小山電車区からの転属車である。
* 上り方のクハ115形はトイレが撤去され[[自動販売機]]を設置していたが、現在は自動販売機も撤去済である。
* 2009年現在リニューアル工事がC02・13・14・16・20・21・24・25編成に行われている。
 
1982年には広島地区旧形車置き換えおよび列車増発目的(ひろしまシティ電車)として4両編成2扉転換クロスシートの3000番台の投入が行われ、下関運転所に新製配置された<ref name="rp199907_p54">田中真一「115系電車の現況 JR西日本 広島運転所・下関地域鉄道部」『鉄道ピクトリアル』1999年7月号、p.54</ref>。「ひろしまシティ電車」は乗客数6[[パーセント|%]]増と成功を収めたため、日本各地で同様の施策が拡大された。
; G編成(4両編成3本12両)
電動車ユニットは300・6000番台、下り方先頭車は改造車もしくは0番台初期車。上り方先頭車はクハ111形で組成される。
* クハ111形は主幹制御器の交換をはじめとする抑速ブレーキ対応の改造工事が施工されているが、客用扉の半自動回路は装備されていない。
: G02編成のクハ115-622は簡易リニューアル工事施工車である。
** 屋根が張り上げられ、化粧板と座席番号が広島運転所L編成と同じものに交換されている。ただし網棚とセミクロスシートの座席は未交換である。
 
1985年からの首都圏への211系投入に伴って、小山電車区の115系300番台が下関運転所へ転入した<ref name="rp201511_p67">小榑宏明「115系電車の想い出と運用について」『鉄道ピクトリアル』2015年11月号、p.67</ref>。115系の転入で111系残存車の老朽廃車や静岡運転所等への転出が実施され、下関運転所の電車は115系に統一された<ref name="rp201511_p67" />。
{{vertical images list
|幅= 200px
|1=Hisoseki H-01 08-06-28.jpg
|2=H01編成
|3=JRW 115kei N hensei.jpg
|4=N編成<br/>広島リニューアル色
|5=JRW EC 115 series shimonoseki N5.jpg
|6=N05編成<br/>黄色モノカラー
}}
; H編成(4両編成1本4両)
電動車ユニットは網干運転所から転属の6000番台、両先頭車はクハ111形800番台で組成。
* クハ111形は、G編成車と同様に抑速ブレーキ対応の改造工事が施工されている。ただし、寒冷地対応で客用扉の半自動回路が装備されている。
 
1989年には先頭車化改造による2両編成のクモハ115・114形550番台が投入された。運転台は廃車発生品の流用、車内はバケットタイプのオールクロスシートに木目化粧板の仕様とされ、[[国鉄105系電車|105系]]冷房改造車と同じ直流1,500V直接駆動によるWAU202形を搭載した。
; N編成(4両編成19本76両)
N14・16 - 21編成の電動車ユニットが3500番台のほかは、3000番台で組成される。全車30N体質改善工事施工済みである。
* L編成が広島運転所に配置されることになったため、当初に入れ替わる形で転属となった編成である。
* 2010年1月20日に出場したN05編成は黄色一色に変更されている<ref> [http://railf.jp/news/2010/01/21/173600.html 「115系セキN05編成が黄色となって出場」]交友社『[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]]』railf.jp 鉄道ニュース 2010年1月21日</ref>。
 
115系の一部編成では、クハ115形奇数向き車(神戸方先頭車)のトイレ撤去跡に飲料用[[自動販売機]]を設置した車両が存在した<ref name="rp199907_p56">田中真一「115系電車の現況 JR西日本 広島運転所・下関地域鉄道部」『鉄道ピクトリアル』1999年7月号、p.56</ref>。自動販売機の設置は300番台と0番台の一部で行われており、トイレ用小窓の跡に「自動販売機コーナー」の看板が設置されていた<ref name="rp199907_p56" />。
; T編成(2両編成4本8両)
: 0番台電動車ユニットからの先頭改造車550番台で組成される。
* 車内はバケットシートのオールクロスに木目化粧板仕様で、[[国鉄105系電車|105系]]冷房改造車と同じ直流1,500V直接駆動によるWAU202形クーラーを搭載する。
** 0番台からの改造車には、先頭車の一部に165系などと同じ分散型AU13E形クーラーや[[国鉄103系電車|103系]]冷房改造車と同じ分散型インバータクーラーWAU102形クーラーを搭載する車両が存在する。
 
1993年の新広島空港開業を機に広島地区の快速列車網が整備される事となり、115系3000番台の編成が従来の瀬戸内色から広島快速色に塗装変更された<ref name="rp199907_p54" />。3000番台は広島運転所へ転出し、快速を主体に運用された。
 
1995年の[[下関地域鉄道部]]発足に伴い、下関運転所の検修部門は下関地域鉄道部下関車両管理室となった。
 
1997年には113系のクハ111形2両が[[奈良電車区]]から広島運転所に転入し、115系編成の神戸方に組成の上でG01・G02編成となった<ref name="rp199907_p56" />。G01編成にはクハ111-268が<ref>[https://rail.hobidas.com/photo/archives/2013/11/111-268.html クハ111-268] 随時アップ:消えた車輌写真館(鉄道ホビダス)、2013年11月8日</ref>、G02編成にはクハ111-139が連結されている<ref name="rp200907_p87" />。同時に福知山運転所から福知山色の113系4両編成1本が転入してH01編成となっている。G02編成の電動車ユニットは元岡山電車区所属の300番台未更新車である。
 
1999年にはG01・G02編成、H01編成とも下関へ転出し、後に両端がクハ115形のG03編成が登場している<ref name="rp199907_p56" />。G01 - 03編成とも抑速ブレーキの無い113系に合わせて岩国以西の限定運用であったが、マスコンハンドルの交換で抑速ブレーキが使用可能になったため、以後は他の115系と同様の線区で運用されている<ref name="rp200805_p77">編集部「JR西日本 113系の現況」『鉄道ピクトリアル』2008年5月号(通巻803号)、p.77</ref>。113系H01編成は1997年転入の編成が1999年に福知山へ再転出し、同じ1999年に113系800番台のうち[[草津線]]に転用されていた[[京都総合運転所]]の4両編成<ref name="rp200805_p77" />が下関に転入して新たなH01編成となった。
 
広島運転所の2000番台4両編成は1997年に下関へ転出してC編成に編入されたが、1999年より広島運転所に再転入した2000番台はL編成となり、体質改善工事が順次施工された<ref name="rp199907_p55">田中真一「115系電車の現況 JR西日本 広島運転所・下関地域鉄道部」『鉄道ピクトリアル』1999年7月号、p.55</ref>。体質改善工事は1999年 - 2001年10月施工のL01 - 13編成は40N、2002年 - 2004年施工のL14 - 22編成は30Nで施工された<ref name="JRR 2016S 196" />。下関のC編成で一部車両が体質改善車となる編成は、0番台等の非体質改善車においても体質改善車に合わせた塗装に変更されている<ref name="rp200907_p85">編集部「JR西日本 115系電車の現況」『鉄道ピクトリアル』2009年7月号、p.85</ref>。
 
体質改善工事施工直後のL編成は呉線快速「[[安芸路ライナー]]」で運用されていたが、[[広島シティネットワーク]]での快速列車本格導入に伴い快速「シティライナー」「通勤ライナー」などほぼ山陽本線限定運用に近い形態となった。その後快速列車の激減により、普通列車を中心に運用された。
 
1999年5月1日に開業した[[西瀬戸自動車道|しまなみ海道]]のPRのため、3000番台のN12編成に「しまなみ海道'99」特別塗装が施され、岩国 - 岡山間・呉線・小郡 - 和気間で重点的に運用された<ref>[[#shimanami|鉄道ファン、交友社、1999年8月号、p.129]]</ref>。
 
2000年にはG03編成のクハ115形のうち非冷房車が置き換えられ、網干電車区(後の網干総合車両所)から転入のクハ111-5091<ref name="rp200907_p87" />が組み込まれた。H01編成の中間電動車ユニットは2002年に113系800番台から115系に差し替えられ、両端がクハ111形のクハ111-811・812で残る編成となった<ref name="rp200907_p87" />。クハ111-811・812は耐寒耐雪改造車の113系800番台であるため、客用扉半自動回路も装備していた。
 
岡山電車区に所属していた張り上げ屋根車のクハ115-219とクハ115-622は、2001年に下関車両管理室へ転出した。クハ115-219はC14編成<ref name="rp200907_p85" />の、クハ115-622は2002年よりG02編成<ref name="rp200907_p88" />の下関方先頭車として運用された。G02編成は岡山方先頭車が前照灯シールドビーム改造車のクハ111-139、下関方先頭車が張り上げ屋根化改造車のクハ115-622となった。
 
3000番台は2003年までに下関へ再転出した。2004年から2008年にかけて体質改善30N工事が施工され<ref name="rp200907_p88">編集部「JR西日本 115系電車の現況」『鉄道ピクトリアル』2009年7月号、p.88</ref>、広島快速色は消滅した。最後まで広島快速色で残ったのはN21編成であった<ref>[https://railf.jp/news/2008/07/13/115100.html 下関車両管理室115系N-21編成が入場] - railf.jp 鉄道ファン(2008年7月13日)</ref>。
 
2004年6月には福知山運転所の115系4両編成1本が下関車両管理室に転入し、C43編成となった<ref name="rp200907_p86">編集部「JR西日本 115系電車の現況」『鉄道ピクトリアル』2009年7月号、p.86</ref>。C43編成は1000番台3両とクハ115-604による4両編成で、転入後しばらくは新福知山色で運用されていたが、2007年度に瀬戸内色へ塗装変更されている<ref name="rp200907_p86" />。
 
G01・G03・H01編成の115系中間電動車ユニットは、2004年より網干総合車両所から下関車両管理室に転入した1000番台高速化改造車に差し替えられた。高速化はクハ111形を含めて2009年までに解除され、原番号に復帰している<ref name="rp200907_p87">編集部「JR西日本 115系電車の現況」『鉄道ピクトリアル』2009年7月号、p.87</ref>。G01編成は最も遅くまで前照灯が原形のままであったが、2008年5月にシールドビーム化された<ref name="Tc115-605" /><ref>[https://railf.jp/news/2008/07/13/115000.html 下関車両管理室115系G-01編成がシールドビームに] - railf.jp 鉄道ファン(2008年7月13日)</ref>。
 
下関のC編成のうち、先頭車のみ3000番台の2編成を含む4編成は2008年以降O編成に区分され、編成全車に30N体質改善工事が施工された。O編成の区分は応荷重装置の搭載を意味するものとされている<ref name="hobidas20181127" />。
 
* O01編成 - 元C02編成(2009年4月上旬)
* O02編成 - 元C20編成(2009年5月上旬)
* O03編成 - 元C25編成(2008年10月中旬)
* O04編成 - 元C39編成(2009年3月上旬)
 
クモハ115・114形550番台2両編成のT01 - 04編成は老朽化が進んでいたため、2008年の福知山電車区への223系5500番台導入で捻出された115系6000番台が1編成を除いて転入し、高速化解除と1000番台への改番が行われた。福知山時代と異なりワンマン運転は行われていない。クモハ115・114形550番台は2010年に全廃となった<ref name="rp201511_p73">日向旭「JR西日本 115系の現況」『鉄道ピクトリアル』2015年11月号、p.73</ref>。2008年12月にT01編成が、2009年にT02・03編成が、最後まで残っていたT04編成が2010年1月に廃車となった<ref>[https://railf.jp/news/2010/01/08/161000.html 115系550番台T04編成が入場] - railf.jp 鉄道ファン(2010年1月8日)</ref>。
 
2009年の組織改編による下関総合車両所の発足に伴い、下関地域鉄道部下関車両管理室は下関総合車両所運用検修センターとなった。2012年の組織改編では広島運転所の検修部門が下関総合車両所に統合され、下関総合車両所広島支所となった。
 
JR西日本では国鉄形車両の地域別単色化を進めることになり、山陽地区の地域色には濃黄色が採用された。2010年1月20日に出場した3000番台N05編成から濃黄色に塗装変更された<ref>[https://railf.jp/news/2010/01/21/173600.html 115系セキN05編成が黄色となって出場] - railf.jp 鉄道ファン(2010年1月21日)</ref>。G編成はG-02編成が2010年6月3日に黄色一色に塗装変更<ref>[https://railf.jp/news/2010/06/12/115900.html 115系G-02編成が黄色塗装に] - railf.jp 鉄道ファン(2010年6月12日)</ref>、O編成は2012年3月にO03編成が濃黄色に塗装変更された<ref name="JRR 2019w 196" />。T編成は2012年10月1日に出場したT14編成を皮切りに<ref>[https://railf.jp/news/2012/10/02/170000.html 115系T14編成が黄色一色で出場] - railf.jp 鉄道ファン(2012年10月2日)</ref>全車両とも濃黄色に塗装変更された<ref name="JRR 2024s 180">ジェー・アール・アール編『JR電車編成表』2024夏 交通新聞社、2024年、p.180-181。ISBN 9784330028248。</ref>。2024年4月現在全編成が濃黄色に塗装変更されている<ref name="JRR 2024s 180" />。
 
2012年より、115系2000番台の4両編成1本でプロ野球チーム「[[広島東洋カープ]]」のラッピングを施工した「カープ応援ラッピングトレイン」が登場し、各年3月頃から[[プロ野球]]シーズン終了の10月頃まで運転された。2012年は体質改善40N車のL02編成が使用され、2012年3月25日から運転を開始した<ref>[https://railf.jp/news/2012/03/28/203500.html 115系L-02編成が「カープ応援ラッピングトレイン」に] - railf.jp 鉄道ファン(2012年3月28日)</ref>。
 
「カープ応援ラッピングトレイン」は翌年以降も運転され、2013年はL13編成<ref>[https://railf.jp/news/2013/03/25/170000.html 「カープ応援ラッピングトレイン」運転開始] - railf.jp 鉄道ファン(2013年3月25日)</ref>、2014年は3月23日からL01編成が、2015年は3月22日からL11編成が<ref name="JRR 2016W 200" />、2016年は3月21日からL08編成が<ref name="JRR 2017W 196">ジェー・アール・アール編『JR電車編成表』2017冬 ジェー・アール・アール、交通新聞社、2016年、p.196-198。ISBN 9784330737164。</ref>、2017年は3月26日から同年12月までL16編成が<ref name="JRR 2018w 196">ジェー・アール・アール編『JR電車編成表』2018冬 ジェー・アール・アール、交通新聞社、2017年、p.196-198。ISBN 9784330841175。</ref>、2018年は3月24日からL05編成が使用された<ref name="JRR 2019w 196" />。115系での運転は2018年までとなり、2019年は227系での運転となった<ref>[https://railf.jp/news/2019/03/25/161000.html 「カープ応援ラッピングトレイン2019」が登場] - railf.jp 鉄道ファン(2019年3月25日)</ref>。
 
C編成・G編成の初期型クハの老朽化等に伴い、2012年より車齢の浅いクハ111形の115系化改造車で置き換えることになり、クハ115形2500・2600・750番台を組成した編成がR編成に区分された<ref name="rp201511_p73" />。これによりG編成が消滅したほか、C編成も組成変更により編成数が減少した<ref name="rp201511_p73" />。組成変更の推移は以下の通り<ref name="rp201511_p72">日向旭「JR西日本 115系の現況」『鉄道ピクトリアル』2015年11月号、p.72</ref>。
 
* R01編成 - G01編成のクハ111-268・クハ115-605をクハ115-2620・2517(元F14編成)に置き換え、濃黄色<ref>[https://rail.hobidas.com/rmnews/240471/ 115系R編成登場] - RM News 鉄道ホビダス(2012年7月10日)</ref>
* R02編成 - C43編成のクハ115-604をクハ115-2515(元F16編成)に置き換え
* R03編成 - G02編成のクハ111-139・クハ115-622をクハ115-2642・2516(元F03編成)に置き換え
* R04編成 - G03編成のクハ111-91・クハ115-607をクハ115-2616・2520(元F07編成)に置き換え、瀬戸内色<ref>[https://railf.jp/news/2012/11/08/170000.html 下関総合車両所から115系瀬戸内色編成が出場] - railf.jp 鉄道ファン(2012年11月8日)</ref>
* R05編成 - C18編成のクハ115-556をクハ115-2645(元F04編成)に置き換え
* R06編成 - C24編成のクハ115-654をクハ115-759(元F09編成)に置き換え
* R07編成 - C42編成のクハ115-652をクハ115-2539(元F04編成)に置き換え
 
2013年の広島県[[デスティネーションキャンペーン]]の一環として、L12編成がラッピング列車「まんぷく宝しま号」として7月5日より運転を開始した<ref>[https://railf.jp/news/2013/07/07/080600.html 115系L-12編成が「まんぷく宝しま号」に] - railf.jp 鉄道ニュース(2013年7月7日)</ref>。
 
山口県を主要な舞台とする2015年の[[日本放送協会|NHK]][[大河ドラマ]]『[[花燃ゆ]]』の放送に合わせた観光客誘致のため、115系3000番台N06編成にメインビジュアルと山口県内の[[幕末]][[明治維新|維新]]ゆかりの地などをデザインしたラッピングが施工され、2015年3月28日に運行を開始した<ref>[https://railf.jp/news/2015/03/29/172500.html 115系N-06編成に「花燃ゆ」ラッピング] - railf.jp 鉄道ニュース(2015年3月29日)</ref>。
 
2015年より広島地区への227系の新製投入が開始され、従来の115系の置き換えが開始された。広島支所から他区所への転出も行われており、2015年3月にL02・03・12編成とL16編成の先頭車が同所の運用検修センターへ、翌月にL16編成の中間車が岡山電車区へ転出した。L16編成は中間車2両がR06編成の両先頭車が廃車され、残った電動車ユニット2両に差し替えられた。同年7月にL01・14・17・18・20編成、同年10月にL04・13・15・19・21・22編成が運用検修センターに転出した。2015年10月4日時点では下関総合車両所広島支所に4両のL編成2000番台7本(L05 - 11編成)28両が在籍し<ref name="JRR 2016W 200">『JR電車編成表』2016冬 ジェー・アール・アール、交通新聞社、2015年、p.200。ISBN 9784330623153。</ref>、[[山陽本線]]<ref name="LCTA12-13143">[[国鉄115系電車#annual|「JR普通列車年鑑2012-2013」イカロスMOOK、p.143]]</ref>・呉線<ref name="LCTA12-13145">[[#annual|「JR普通列車年鑑 2012-2013」イカロスMOOK、p.145]]</ref>で運用されていたが、2016年3月に運用検修センターへ転出して広島支所の配置が無くなった<ref name="JRR 2015s 361">『JR電車編成表』2015夏 ジェー・アール・アール、交通新聞社、2015年、p.361。ISBN 9784330569154。</ref><ref name="JRR 2016W 360" /><ref name="JRR 2016S 360"/>。
 
下関のC編成は、2015年度上半期にC30・32 - 34・41編成の5本20両が廃車となった。C41編成は先頭車が0番台で、MM'ユニットが網干区から転入の1000番台であった。2015年度下半期にC14・35編成とC16編成の0番台先頭車2両、C21編成の0番台先頭車1両を廃車<ref name="JRR 2016S 358"/>。C16編成の2000番台中間車はL15編成に組み込まれ、C21編成には旧R05編成の2000番台先頭車が組み込まれた<ref name="JRR 2016S 196" />。C21編成はこの組替で全車2000番台かつ体質改善工事施工済みとなったが、L編成への変更はされずにC編成のままとされた<ref name="JRR 2019s 194"/>。L15編成は下関転属後の2016年に、中間車1000番台2両が岡山電車区へ転出し<ref name="JRR 2016S 360"/>、旧C16編成の2000番台中間車に置き換えた<ref name="JRR 2016S 196"/>。
 
R編成は2015年度上半期にR02編成の中間車2両を(旧)O02編成の中間車に差替え、R07編成は廃車された<ref name="JRR 2016W 359" />。O編成は2015年度上半期にO01・02編成の2本の3000番台の先頭車4両が廃車され<ref name="JRR 2016W 359" />、2000番台の中間車は(旧)O01編成の2両が(新)O04編成に、(旧)O02編成の2両が(新)R02編成に組み込まれた。なお(旧)O04編成および(旧)R02編成の中間車各2両は、岡山電車区へ転出しA編成に組成された。
 
2015年度下半期にR05編成の2000番台の電動車ユニットはR03編成に組み込まれ、従来R03編成を組成していた0番台電動車ユニットは廃車された。2600番台先頭車1両は廃車され、2000番台先頭車1両はC21編成先頭車を置き換えた<ref name="JRR 2016S 196">ジェー・アール・アール編『JR電車編成表』2016夏 ジェー・アール・アール、交通新聞社、2016年、p.196-198。ISBN 9784330682167。</ref><ref name="JRR 2016S 358" />。
 
両端の先頭車が113系800番台のクハ111-811・812で組成されていたH01編成は、2013年10月15日付で車体塗装を濃黄色に変更したが<ref name="JRR 2016W 196">『JR電車編成表』2016冬 ジェー・アール・アール、交通新聞社、2015年、p.196-198。ISBN 9784330623153。</ref>、2016年1月に編成全車が廃車となり、H編成は消滅した<ref name="rp201812_p93">日向旭「JR西日本・JR四国の113系」『鉄道ピクトリアル』2018年12月号(通巻953号)、p.93</ref>。廃車は2016年1月9日付であった<ref name="JRR 2016S 358" />。
 
2016年3月26日のダイヤ改正で広島地区の電車が3扉車に統一されるとともに、2010年に廃止されていた快速「シティライナー」が227系により土休日の定期列車で復活した<ref name="151218_06_hiroshima">{{Cite press release|和書|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/items/151218_06_hiroshima.pdf|format=PDF|publisher=JR西日本|title=平成28年春ダイヤ改正について(広島支社)|date=2015-12-18|accessdate=2016-01-17}}</ref>。改正前の3月19日 - 21日の3日間は115系による臨時快速「115系シティライナー」が西条・広島 - 岩国間で運転された。使用されたのはO04編成とL19編成の2編成で、前面方向幕を「快速」表示とするとともに、各編成の前頭部には国鉄時代のシティ電車導入時に採用の「ひろしまCity」ヘッドマークが掲出された<ref>[https://railf.jp/news/2016/03/20/203000.html 臨時快速“115系シティライナー”運転] - railf.jp 鉄道ファン(2016年3月20日)</ref><ref>[https://rail.hobidas.com/rmnews/251326/ 【JR西】〈115系シティーライナー〉運転] - RM News 鉄道ホビダス(2016年3月23日)</ref>。2扉車の3000番台は従来は山陽本線[[三石駅|三石]] - 下関間と呉線・[[可部線]]で運用されていたが、同改正以降は山陽本線岩国以西限定での運用となった。
 
2016年度上半期にはC36・37編成(体質改善工事未施工の300番台)の2本8両を廃車<ref name="JRR 2017W 357"/>、2016年10月6日にC31編成(体質改善工事未施工の300番台)の4両が廃車となった<ref name="JRR 2017s 357">ジェー・アール・アール編『JR電車編成表』2017夏 ジェー・アール・アール、交通新聞社、2017年、p.357。ISBN 9784330787176。</ref>。これによりC編成の体質改善工事未施工車のみの編成は消滅した。
 
2016年には「JR西日本 せとうち GOLD RALLY 2016」の一環として映画「[[ONE PIECE FILM GOLD]]」のラッピングがL22編成に施工され、7月23日から運転を開始した<ref>[https://railf.jp/news/2016/07/25/160000.html 115系に映画「ONE PIECE FILM GOLD」のラッピング車] - railf.jp 鉄道ニュース(2016年7月25日)</ref>。
 
2017年4月1日時点でL編成は4両編成22本の計88両が在籍しており<ref name="JRR 2017S 196">ジェー・アール・アール編『JR電車編成表』2017夏 ジェー・アール・アール、交通新聞社、2017年、p.196。ISBN 9784330787176。</ref>、L01 - 13編成は40N体質改善工事施工車、L14 - 22編成は30N体質改善工事施工車であった<ref name="JRR 2017S 196"/>。各編成とも濃黄色へ塗装変更済みであった<ref name="JRR 2020w 194">ジェー・アール・アール編『JR電車編成表』2020冬 ジェー・アール・アール、交通新聞社、2019年、p.194-196。ISBN 9784330021195。</ref>。
 
2017年にはサッカーチーム「[[サンフレッチェ広島]]」のラッピングを施工した「サンフレッチェ応援ラッピングトレイン」が115系1編成で登場し<ref name="JRR 2018w 196" />、L17編成により2017年2月20日から2018年1月まで運転された。2018年はL04編成に同ラッピングが施工され、2月16日から運転された<ref name="JRR 2019w 196" />。
 
L編成は2018年6月21日付でL20編成が、2018年9月19日付でL11編成とL18編成が廃車となった<ref name="JRR 2019w 358"/>。2018年10月26日付でL12編成が、2018年11月15日付でL19編成が、2018年12月7日付でL13編成が、2018年12月19日付でL04編成が、2018年12月28日付でL05編成が、2019年2月9日付でL22編成が、2019年3月20日付でL06・07・14・15編成が、それぞれ廃車となった<ref name="JRR 2019s 358"/>。
 
C編成は2018年10月26日にC13編成(先頭車が600番台と1000番台)の4両が廃車され<ref name="JRR 2019s 358">ジェー・アール・アール編『JR電車編成表』2019夏 ジェー・アール・アール、交通新聞社、2019年、p.358。ISBN 9784330972190。</ref>、600番台は廃区分番台となった。O編成は2018年10月1日時点では4両編成2本(O03・04編成)計8両が在籍していた<ref name="JRR 2019w 196">ジェー・アール・アール編『JR電車編成表』2019冬 ジェー・アール・アール、交通新聞社、2018年、p.196-198。ISBN 9784330932187。</ref>が、2018年11月15日にO03編成が、2018年12月1日にO04編成が廃車され、全廃となった<ref name="JRR 2019s 358"/>。広島更新色のO04編成は2018年の[[平成30年7月豪雨|西日本豪雨]]による山陽本線被災のため岡山地区に取り残された編成であり、運転再開後も留置されていた岡山電車区から2018年11月26日に伯備線経由で後藤総合車両所へ廃車回送されている<ref name="hobidas20181127">[https://rail.hobidas.com/rmnews/256842/ 【JR西】115系O-04編成 後藤総合車両所へ] 鉄道ホビダス(鉄道投稿情報局)、2018年11月27日</ref>。
 
R編成は2018年4月11日付でR03編成が、2019年2月20日付でR02編成がそれぞれ廃車となった<ref name="JRR 2019w 358">『JR電車編成表』2019冬 ジェー・アール・アール 交通新聞社 2018年 p.358 ISBN 9784330932187</ref>。R02編成は廃車まで濃黄色に変更されず、最後まで広島更新色で残されていた編成であった<ref>[https://rail.hobidas.com/rmnews/257335/ 【JR西】115系R-02編成 廃車回送] - RM News 鉄道ホビダス(2019年2月15日)</ref>。
 
2018年の宇部市花火大会における企画電車として、115系による「はなびーる電車」が[[宇部線]][[新山口駅]]→[[琴芝駅]]の片道で運行されていた。「はなびーる電車」は2019年夏も運転されたが、2020年は[[新型コロナウイルス感染症]]の影響による花火大会中止のため運転されなかった。
 
2019年3月16日ダイヤ改正をもって広島地区の電車は227系に統一となり、[[糸崎駅|糸崎]]・三原以東の岡山地区や岩国以西の山口地区からの115系乗り入れも終了した。
 
2019年4月1日時点でC編成は2000番台で組成される濃黄色塗装4両編成1本4両(C21編成)が在籍していた<ref name="JRR 2019s 194">ジェー・アール・アール編『JR電車編成表』2019夏 ジェー・アール・アール、交通新聞社、2019年、p.194-196。ISBN 9784330972190。</ref>が、2019年8月9日にC21編成の4両が廃車され<ref name="JRR 2020w 359"/>、C編成の配置は無くなった。2019年4月1日時点でR編成は濃黄色塗装4両編成2本計8両(R01・04編成)が在籍していた<ref name="JRR 2019s 194" />が、2019年5月2日にR01・04編成が廃車され<ref name="JRR 2020w 359"/>、R編成の配置は無くなった。
 
2019年5月14日付でL09編成が、2019年5月31日付でL03編成が、2019年6月20日付でL21編成が、2019年7月11日付でL08編成が、2019年8月26日付でL01編成が、2019年9月13日付でL02編成が、それぞれ廃車となった<ref name="JRR 2020w 359">ジェー・アール・アール編『JR電車編成表』2020冬 ジェー・アール・アール、交通新聞社、2019年、p.359。ISBN 9784330021195。</ref>。2019年6月5日付でL16・17編成の2本が岡山電車区に転出した<ref name="JRR 2020w 362"/>。2019年10月31日付でL10編成が廃車され、広島・山口地区のL編成は消滅した<ref name="JRR 2020s 359">ジェー・アール・アール編『JR電車編成表』2020夏 ジェー・アール・アール、交通新聞社、2020年、p.359。ISBN 9784330050201。</ref>。
 
また2020年からはN・T編成にワンマン化改造と227系0番台と同色のモケットへの交換が行われている。ワンマン化改造はN06・N12編成を除くN編成全車とT編成全車に施工されている。またモケット交換はN14編成を除くワンマン化改造車に施工されている<ref name="JRR 2024s 180" />。
 
2022年8月にN12編成が幡生に廃車回送され、同月22日付で廃車された<ref name="JRR 2023w 360"/>。
 
2024年4月1日現在、下関総合車両所運用検修センターには80両が所属<ref name="JRR 2024s 180" />。N編成は2扉車両の3000・3500番台で、N01 - 11・14・16 - 21編成4両編成18本計72両が在籍<ref name="JRR 2024s 180" />、T編成はクモハ115・114形によるT11 - 14編成の2両編成4本計8両が在籍する<ref name="JRR 2024s 180" />。山陽本線岩国 - 下関間<ref name="JRR 2024s 180" />で運用される。
 
3000・3500番台のN編成のMM'ユニットはN01 - 11編成が3000番台、N14・16 - 21編成が3500番台で組成されている<ref name="JRR 2024s 180" />。編成番号はクハ115形の車両番号下2桁と一致させているため、N13・15は欠番である。
 
=== 試験運用 ===
==== 碓氷峠自走通過試験 ====
{{JNR 115 Usui 1963}}
1963年に粘着運転化された信越本線横川 - 軽井沢間では、電車列車はEF63形補機により無動力で推進・牽引されるため、最大編成長は8両に制限されていた。将来的な輸送力増強やスピードアップを狙い電車の自力走行が計画され、試験用車両として当時落成直後の115系0番台が充当された。
 
走行試験はMT54形主電動機の試験も兼ねて1963年9月19・20日に行われた。停電のリスクを回避するためディーゼルエンジン式空気圧縮機が搭載された。
 
試験の結果、MT54形主電動機は碓氷峠の自走では[[熱容量]]に問題があることが確認された。
 
自走車両はその後1980年代に特急「あさま」用の[[国鉄183系電車#187系開発計画|187系]]が計画されたが、予算や情勢の変化から実現せずに1997年の横川 - 軽井沢間の廃止を迎えている。<ref name="railfan20121112" />。
 
== 編成表 ==
'''新潟車両センター'''
 
2012年4月1日<ref>{{Cite book|和書 |title=JR電車編成表2012夏 |date=2012-05-25 |publisher=交通新聞社 |pages=37-39 |isbn=9784330286129}}</ref>
{| class="wikitable" style="font-size:80%; text-align:center; margin:1em 0em 2em 3em;"
|+L編成
! rowspan="2" |編成番号
| colspan="4" |{{TrainDirection|柏崎・新潟 |東三条・村上・長岡}}
|-
|クハ115
|モハ115
|モハ114
|クハ115
|-
!L1
|552
|113
|99
|1051
|-
!L2
|553
|116
|102
|2040
|-
!L3
|551
|119
|105
|2037
|-
!L4
|1502
|128
|114
|613
|-
!L5
|2129
|130
|116
|2039
|-
!L6
|1509
|133
|119
|2035
|-
!L7
|1130
|1004
|1008
|1218
|-
!L8
|1129
|1006
|1024
|1025
|-
!L9
|1501
|1003
|1175
|1057
|-
!L10
|1504
|1113
|1197
|1033
|-
!L11
|1103
|1127
|1211
|1243
|-
!L12
|1024
|1034
|1006
|1024
|-
!L13
|1034
|1045
|1008
|1035
|-
!L14
|1049
|1068
|1002
|1090
|}
 
{| class="wikitable" style="font-size:80%; text-align:center; margin:1em 0em 2em 3em;"
|+N編成
! rowspan="2" |編成番号
| colspan="3" |{{TrainDirection|柏崎・新潟 |村上・直江津・水上}}
|-
|クモハ115
|モハ114
|クハ115
|-
!N1
|1042
|1057
|2036
|-
!N2
|1043
|1059
|1043
|-
!N3
|1044
|1061
|1044
|-
!N4
|1045
|1062
|1045
|-
!N5
|1047
|1065
|1047
|-
!N6
|1048
|1067
|1048
|-
!N7
|1050
|1070
|1050
|-
!N8
|1052
|1072
|1046
|-
!N9
|1054
|1075
|1052
|-
!N10
|1055
|1076
|1053
|-
!N11
|1056
|1077
|1054
|-
!N12
|1057
|1078
|1055
|-
!N13
|1058
|1080
|1056
|-
!N14
|1059
|1083
|1059
|-
!N15
|1061
|1087
|1061
|-
!N16
|1063
|1111
|1075
|-
!N17
|1064
|1135
|1089
|-
!N18
|1530
|1086
|1060
|-
!N19
|1554
|1161
|2038
|-
!N20
|1041
|1055
|1041
|-
!N21
|1046
|1064
|1049
|-
!N22
|1014
|1019
|1013
|-
!N23
|1016
|1021
|1015
|-
!N24
|1023
|1033
|1023
|-
!N25
|1025
|1035
|1245
|-
!N26
|1051
|1071
|1601
|-
!N27
|1053
|1073
|2041
|-
!N28
|1062
|1109
|1074
|-
!N29
|1519
|1058
|1042
|-
!N30
|1552
|1101
|1062
|-
!N31
|1553
|1112
|1246
|}
 
{| class="wikitable" style="font-size:80%; text-align:center; margin:1em 0em 2em 3em;"
|+S編成
! rowspan="2" |編成番号
| colspan="2" |{{TrainDirection|柏崎・新潟 |東三条・村上・水上}}
|-
|クモハ115
|クモハ114
|-
!S1
|1060
|1501
|-
!S2
|1531
|1502
|-
!S3
|1532
|1503
|-
!S4
|1533
|1504
|-
!S5
|1534
|1505
|-
!S6
|1535
|1506
|-
!S7
|1556
|1515
|-
!S8
|1557
|1516
|-
!S9
|1558
|1517
|-
!S10
|1559
|1518
|-
!S11
|1560
|1519
|-
!S12
|1561
|1520
|-
!S13
|502
|502
|-
!S14
|505
|505
|-
!S15
|507
|507
|}
 
{| class="wikitable" style="font-size:80%; text-align:center; margin:1em 0em 2em 3em;"
|+Y編成
! rowspan="2" |編成番号
| colspan="2" |{{TrainDirection|弥彦 |東三条・新潟}}
|-
|クモハ115
|クモハ114
|-
!Y1
|501
|501
|-
!Y2
|503
|503
|-
!Y3
|504
|504
|}
 
{| class="wikitable" style="font-size:80%; text-align:center; margin:1em 0em 2em 3em;"
|+訓練車
! rowspan="2" |編成番号
| colspan="2" |{{TrainDirection|柏崎・新潟 |村上・長岡}}
|-
|クモヤ115
|クモヤ114
|-
!
|1
|1
|}
 
'''高崎車両センター'''
 
2006年3月18日<ref>ザ・ラストモーメント『115系と国鉄近郊型電車』p.20</ref>
{| class="wikitable" summary="方面別編成表" style="text-align:center; font-size:80%; margin-left:3em;"
|+T編成
!編成番号
|クハ115
|モハ115
|モハ114
|クハ115
|-
!T1090
|1114
|1029
|1090
|1063
|-
!T1091
|1105
|1030
|1091
|1064
|-
!T1133
|1126
|1070
|1133
|1087
|-
!T1142
|1133
|1078
|1142
|1096
|-
!T1143
|1134
|1079
|1143
|1097
|-
!T1144
|1135
|1080
|1144
|1098
|-
!T1145
|1101
|1081
|1145
|1099
|-
!T1146
|1137
|1082
|1146
|1201
|-
!T1147
|1138
|1083
|1147
|1202
|}
 
{| class="wikitable" summary="方面別編成表" style="text-align:center; font-size:80%; margin-left:3em;"
|+T編成
!編成番号
|クモハ115
|モハ114
|サハ115
|クハ115
|-
!T1044
|1033
|1044
|1007
|1034
|-
!T1159
|1065
|1159
|1019
|1208
|}
 
{| class="wikitable" summary="方面別編成表" style="text-align:center; font-size:80%; margin-left:3em;"
|+T編成
!編成番号
|クモハ115
|モハ114
|クハ115
|-
!T1022※
|1017
|1022
|1016
|-
!T1030
|1566
|1030
|1094
|-
!T1032※
|1022
|1032
|1022
|-
!T1036※
|1026
|1036
|1026
|-
!T1037※
|1027
|1037
|1027
|-
!T1038※
|1028
|1038
|1028
|-
!T1039※
|1029
|1039
|1029
|-
!T1040
|1030
|1040
|1030
|-
!T1041※
|1031
|1041
|1031
|-
!T1043※
|1032
|1043
|1038
|-
!T1046※
|1035
|1046
|1036
|}
 
※リニューアル車の編成
 
2017年9月<ref>ザ・ラストモーメント『115系と国鉄近郊型電車』p.80</ref>
 
{| class="wikitable" summary="方面別編成表" style="text-align:center; font-size:80%; margin-left:3em;"
|+T編成
!編成番号
|クモハ115
|モハ114
|クハ115
|-
!T1022
|1017
|1022
|1046
|-
!T1032
|1022
|1032
|1022
|-
!T1036
|1026
|1036
|1026
|-
!T1037
|1027
|1037
|1027
|-
!T1038
|1028
|1038
|1028
|-
!T1039
|1029
|1039
|1029
|-
!T1040
|1030
|1040
|1030
|-
!T1041
|1031
|1041
|1031
|-
!T1043
|1032
|1043
|1038
|-
!T1046
|1035
|1046
|1036
|}
 
'''豊田電車区'''
 
2006年3月18日<ref>ザ・ラストモーメント『115系と国鉄近郊型電車』p.21</ref>
{| class="wikitable" style="text-align: center; font-size:80%; margin:1em 0em 2em 2em;"
|+M編成
!編成番号
|クモハ115
|モハ114※1
|サハ115
|モハ115
|モハ114※1
|クハ115
|-
!M40
|318
|354
|319
|348
|374
|398
|}
 
{| class="wikitable" style="text-align: center; font-size:80%; margin:1em 0em 2em 2em;"
|+M編成
!編成番号
|クモハ115
|モハ114※1
|クハ115
|-
!M1
|304
|332
|354
|-
!M2※2
|305
|333
|356
|-
!M3※2
|306
|334
|358
|-
!M4※2
|307
|335
|360
|-
!M5※2
|308
|342
|370
|-
!M6※2
|309
|343
|372
|-
!M7
|310
|344
|374
|-
!M8
|311
|345
|376
|-
!M9
|312
|346
|378
|-
!M10※2
|313
|347
|380
|-
!M11
|315
|349
|384
|-
!M12※2
|325
|361
|412
|}
 
※1 モハ114のパンタはシングルアーム式
 
※2 リニューアル車の編成。モハ114はSIV・スクリューCP化
 
'''静岡運転所'''
 
2006年3月18日<ref>ザ・ラストモーメント『115系と国鉄近郊型電車』p.25</ref>
 
{| class="wikitable" style="text-align: center; font-size:80%; margin:1em 0em 2em 2em;"
|+B編成
!編成番号
|クモハ115
|モハ114
|クハ115
|-
!B1
|2001
|2601
|2022
|-
!B2
|2002
|2602
|2023
|-
!B3
|2003
|2603
|2024
|-
!B4
|2004
|2604
|2025
|-
!B5
|2005
|2605
|2026
|-
!B6
|2006
|2606
|2027
|-
!B7
|2007
|2607
|2028
|-
!B8
|2008
|2608
|2029
|-
!B9
|2009
|2609
|2030
|-
!B10
|2010
|2610
|2031
|-
!B11
|2011
|2611
|2032
|-
!B12
|2012
|2612
|2033
|-
!B13
|2013
|2613
|2034
|}
 
{| class="wikitable" style="text-align: center; font-size:80%; margin:1em 0em 2em 2em;"
|+S編成
!編成番号
|クモハ115
|モハ114
|クハ115
|-
!S1
|1039
|1053
|1040
|-
!S2
|1080
|1186
|616
|-
!S3
|1082
|1188
|617
|-
!S4
|1520
|1163
|614
|-
!S5
|1524
|1006
|619
|-
!S6
|1525
|1010
|615
|-
!S7
|1526
|1031
|618
|-
!S8
|1523
|1171
|188
|}
 
'''岡山電車区'''
 
1983年4月1日<ref name="名前なし-20250106191750">ザ・ラストモーメント『115系と国鉄近郊型電車』p.89</ref>
 
{| class="wikitable" style="font-size:80%; text-align:center; margin:1em 0em 2em 3em;"
|+A編成
! rowspan="2" |編成番号
| colspan="6" |{{列車方向|西明石・姫路・岡山|米子・知井宮・宇野・糸崎・広島}}
|-
|クハ115
|モハ115
|モハ114
|モハ115
|モハ114
|クハ115
|-
!A1
|1
|1
|1
|73
|73
|124
|-
!A2
|5
|128
|114
|130
|116
|6
|-
!A3
|7
|60
|60
|50
|50
|98
|-
!A4
|13
|5
|5
|7
|7
|10
|-
!A5
|17
|9
|9
|16
|16
|32
|-
!A6
|33
|17
|17
|93
|93
|34
|-
!A7
|35
|18
|18
|92
|92
|36
|-
!A8
|45
|23
|23
|8
|8
|16
|-
!A9
|57
|29
|29
|86
|86
|58
|-
!A10
|71
|36
|36
|25
|25
|2
|-
!A11
|73
|37
|37
|129
|115
|74
|-
!A12
|75
|38
|38
|3
|3
|76
|-
!A13
|81
|33
|33
|116
|102
|82
|-
!A14
|93
|4
|4
|48
|48
|94
|-
!A15
|101
|46
|46
|15
|15
|30
|-
!A16
|127
|127
|113
|66
|66
|128
|-
!A17
|131
|68
|68
|119
|105
|132
|-
!A18
|141
|133
|119
|87
|87
|50
|-
!A19
|161
|83
|83
|134
|120
|162
|-
!A20
|219
|110
|96
|113
|99
|220
|}
 
{| class="wikitable" style="font-size:80%; text-align:center; margin:1em 0em 2em 3em;"
|+B編成
! rowspan="2" |編成番号
| colspan="6" |{{列車方向|西明石・姫路・岡山|米子・知井宮・宇野・糸崎・広島}}
|-
|クハ115
|モハ115
|モハ114
|モハ115
|モハ114
|クハ115
|-
!B1
|1107
|1032
|1093
|1033
|1094
|1066
|-
!B2
|1108
|1034
|1095
|1035
|1096
|1067
|-
!B3
|1109
|1036
|1097
|1037
|1098
|1068
|-
!B4
|1110
|1038
|1099
|1039
|1100
|1069
|-
!B5
|1111
|1040
|1101
|1041
|1102
|1070
|-
!B6
|1112
|1042
|1103
|1043
|1104
|1071
|-
!B7
|1113
|1044
|1105
|1045
|1106
|1072
|-
!B8
|1114
|1046
|1107
|1047
|1108
|1073
|-
!B9
|1117
|1053
|1116
|1054
|1117
|1078
|-
!B10
|1118
|1055
|1118
|1056
|1119
|1079
|-
!B11
|1119
|1057
|1120
|1058
|1121
|1080
|-
!B12
|1120
|1059
|1122
|1060
|1123
|1081
|-
!B13
|1121
|1061
|1124
|1062
|1125
|1082
|-
!B14
|1122
|1063
|1126
|1064
|1127
|1083
|-
!B15
|1127
|1071
|1134
|1092
|1156
|1088
|-
!B16
|1139
|1084
|1148
|1085
|1149
|1203
|-
!B17
|1140
|1088
|1152
|1089
|1153
|1205
|-
!B18
|1141
|1100
|1172
|1101
|1173
|1216
|-
!B19
|1145
|1090
|1154
|1091
|1155
|1206
|-
!B20
|1146
|1086
|1150
|1087
|1151
|1204
|-
!B21
|1147
|1093
|1157
|1094
|1158
|1207
|-
!B22
|1148
|1105
|1177
|1106
|1178
|1220
|-
!B23
|1149
|1107
|1191
|1108
|1192
|1233
|-
!B24
|1150
|1109
|1193
|1110
|1194
|1234
|-
!B25
|1151
|1111
|1195
|1112
|1196
|1235
|-
!B26
|1152
|1113
|1197
|1114
|1198
|1236
|-
!B27
|1153
|1115
|1199
|1116
|1200
|1237
|-
!B28
|1154
|1117
|1201
|1118
|1202
|1238
|-
!B29
|1155
|1119
|1203
|1120
|1204
|1239
|-
!B30
|1156
|1121
|1205
|1122
|1206
|1240
|-
!B31
|1157
|1123
|1207
|1124
|1208
|1241
|}
 
1984年4月1日<ref name="名前なし_2-20250106191750">ザ・ラストモーメント『115系と国鉄近郊型電車』p.90</ref>
 
{| class="wikitable" style="font-size:80%; text-align:center; margin:1em 0em 2em 3em;"
|+A編成
! rowspan="2" |編成番号
| colspan="6" |{{列車方向|西明石・姫路・岡山|宇野・広島}}
|-
|クハ115
|モハ115
|モハ114
|モハ115
|モハ114
|クハ115
|-
!A1
|1113
|1044
|1105
|1045
|1106
|1072
|-
!A2
|1119
|1057
|1120
|1058
|1121
|1080
|-
!A3
|1121
|1061
|1124
|1062
|1125
|1082
|-
!A4
|1122
|1063
|1126
|1064
|1127
|1083
|-
!A5
|1145
|1090
|1154
|1091
|1155
|1206
|-
!A6
|1147
|1093
|1157
|1094
|1158
|1207
|-
!A7
|1149
|1107
|1191
|1108
|1192
|1233
|-
!A8
|1153
|1115
|1199
|1116
|1200
|1237
|-
!A9
|1154
|1117
|1201
|1118
|1202
|1238
|-
!A10
|1155
|1119
|1203
|1120
|1204
|1239
|-
!A11
|1157
|1123
|1207
|1124
|1208
|1241
|}
 
{| class="wikitable" style="font-size:80%; text-align:center; margin:1em 0em 2em 3em;"
|+B編成
! rowspan="2" |編成番号
| colspan="4" |{{列車方向|西明石・姫路・岡山|宇野・広島}}
|-
|クハ115
|モハ115
|モハ114
|クハ115
|-
!B1
|1
|1
|1
|124
|-
!B2
|5
|4
|4
|6
|-
!B3
|13
|7
|7
|10
|-
!B4
|17
|9
|9
|32
|-
!B5
|33
|17
|17
|34
|-
!B6
|35
|5
|5
|36
|-
!B7
|45
|60
|60
|16
|-
!B8
|57
|16
|16
|58
|-
!B9
|71
|25
|25
|2
|-
!B10
|73
|37
|37
|74
|-
!B11
|75
|3
|3
|76
|-
!B12
|81
|33
|33
|82
|-
!B13
|93
|48
|48
|94
|-
!B14
|127
|66
|66
|128
|-
!B15
|131
|68
|68
|132
|-
!B16
|141
|36
|36
|50
|-
!B17
|161
|83
|83
|162
|-
!B18
|219
|50
|50
|98
|}
 
{| class="wikitable" style="font-size:80%; text-align:center; margin:1em 0em 2em 3em;"
|+C編成
! rowspan="2" |編成番号
| colspan="4" |{{列車方向|西明石・姫路・岡山|宇野・広島}}
|-
|クハ115
|モハ115
|モハ114
|クハ115
|-
!C1
|1107
|1032
|1093
|1219
|-
!C2
|1111
|1105
|1177
|1217
|-
!C3
|1112
|1012
|1103
|1244
|-
!C4
|1120
|1059
|1122
|142
|-
!C5
|1151
|1111
|1195
|1032
|-
!C6
|1152
|1114
|1198
|1236
|-
!C7
|1156
|1122
|1206
|1240
|}
 
{| class="wikitable" style="font-size:80%; text-align:center; margin:1em 0em 2em 3em;"
|+K編成
! rowspan="2" |編成番号
| colspan="4" |{{列車方向|西明石・姫路・岡山|宇野・広島}}
|-
|クハ115
|モハ115
|モハ114
|クハ115
|-
!K1
|1108
|1034
|1095
|604
|-
!K2
|1117
|1053
|1116
|603
|-
!K3
|1118
|1055
|1118
|605
|-
!K4
|1139
|1084
|1148
|220
|-
!K5
|1140
|1088
|1152
|601
|-
!K6
|1141
|1100
|1172
|602
|-
!K7
|1146
|1086
|1150
|30
|-
!K8
|1150
|1109
|1193
|606
|}
 
{| class="wikitable" style="font-size:80%; text-align:center; margin:1em 0em 2em 3em;"
|+D編成
! rowspan="2" |編成番号
| colspan="3" |{{列車方向|岡山|米子・知井宮}}
|-
|クモハ115
|モハ114
|クハ115
|-
!D1
|1501
|1094
|1066
|-
!D2
|1502
|1096
|1067
|-
!D3
|1503
|1098
|1068
|-
!D4
|1504
|1100
|1069
|-
!D5
|1505
|1102
|1070
|-
!D6
|1506
|1104
|1071
|-
!D7
|1507
|1108
|1073
|-
!D8
|1508
|1117
|1078
|-
!D9
|1509
|1119
|1079
|-
!D10
|1510
|1123
|1081
|-
!D11
|1511
|1149
|1203
|-
!D12
|1512
|1151
|1204
|-
!D13
|1513
|1153
|1205
|-
!D14
|1514
|1156
|1088
|-
!D15
|1515
|1173
|1216
|-
!D16
|1516
|1178
|1220
|-
!D17
|1517
|1194
|1234
|-
!D18
|1518
|1196
|1235
|}
 
1986年11月<ref name="名前なし_3-20250106191750">ザ・ラストモーメント『115系と国鉄近郊型電車』p.91</ref>
 
{| class="wikitable" style="font-size:80%; text-align:center; margin:1em 0em 2em 3em;"
|+A編成
! rowspan="2" |編成番号
| colspan="4" |{{列車方向|西明石・姫路・岡山|米子・知井宮・宇野・広島}}
|-
|クハ115
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1992年4月1日<ref name="名前なし_4-20250106191750">ザ・ラストモーメント『115系と国鉄近郊型電車』p.111</ref>
 
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1992年10月1日<ref name="名前なし_4-20250106191750"/>
 
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|-
!D4
|1504
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|1069
|-
!D7
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|-
!D9
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|-
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|-
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|-
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|-
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|-
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|-
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|-
!D20
|320
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|-
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|-
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|-
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|-
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|-
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|-
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|-
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|-
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|-
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|-
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|-
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|-
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|-
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|-
!D34
|324
|360
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|}
 
1999年4月1日<ref name="名前なし_4-20250106191750"/>
 
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|+A編成
! rowspan="2" |編成番号
| colspan="4" |{{列車方向|西明石・姫路・岡山|米子・西出雲・宇野・広島}}
|-
|クハ115
|モハ115
|モハ114
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|-
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|1032
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|-
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|-
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|-
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|-
!A5
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|1059
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|-
!A6
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|-
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|-
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|-
!A9
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|-
!A10
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|1150
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|-
!A11
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|-
!A13
|325
|316
|316
|326
|}
 
{| class="wikitable" style="font-size:80%; text-align:center; margin:1em 0em 2em 3em;"
|+K編成
! rowspan="2" |編成番号
| colspan="4" |{{列車方向|西明石・姫路・岡山|米子・西出雲・宇野・広島}}
|-
|クハ115
|モハ115
|モハ114
|クハ115
|-
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|3501
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|3504
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|3510
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|-
!K4
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|3507
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|-
!K5
|331
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|3505
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|-
!K6
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|3506
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|-
!K7
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|3511
|3511
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|}
 
{| class="wikitable" style="font-size:80%; text-align:center; margin:1em 0em 2em 3em;"
|+D編成
! rowspan="2" |編成番号
| colspan="3" |{{列車方向|西明石・姫路・岡山|米子・西出雲・宇野・広島}}
|-
|クモハ115
|モハ114
|クハ115
|-
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|1094
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|-
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|-
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|-
!D8
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|-
!D10
|1510
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|-
!D15
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|-
!D16
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|-
!D17
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|1194
|1234
|}
 
{| class="wikitable" style="font-size:80%; text-align:center; margin:1em 0em 2em 3em;"
|+D編成
! rowspan="2" |編成番号
| colspan="3" |{{列車方向|西明石・姫路・岡山|米子・西出雲・宇野・広島}}
|-
|クモハ115
|モハ114
|クハ115
|-
!D2
|1502
|1096
|1067
|-
!D4
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|-
!D7
|1507
|1108
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|-
!D9
|1509
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|1079
|-
!D11
|1511
|1149
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|-
!D12
|1512
|1151
|1204
|-
!D13
|1513
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|-
!D14
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|-
!D18
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|-
!D19
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|-
!D20
|320
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|-
!D21
|321
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|-
!D22
|323
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|-
!D23
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|1154
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|-
!D24
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|-
!D25
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|-
!D26
|1543
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|1402
|-
!D27
|1544
|1192
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|-
!D28
|1545
|1200
|1237
|-
!D29
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|1201
|1403
|-
!D30
|1547
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|1238
|-
!D31
|1548
|1204
|1239
|-
!D32
|1549
|1206
|1404
|-
!D33
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|1207
|1405
|-
!D34
|324
|360
|410
|-
!D35
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|-
!D36
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|5350
|}
 
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|-
! rowspan="2" |編成番号
|
|-
|クハ115
|-
!
|75
|}
 
{| class="wikitable" style="font-size:80%; text-align:center; margin:1em 0em 2em 3em;"
|-
! rowspan="2" |編成番号
|
|-
|サハ115
|-
!
|7001
|-
!
|7002
|}
 
2006年4月1日<ref>ザ・ラストモーメント『115系と国鉄近郊型電車』p.33</ref>
 
{| class="wikitable" style="text-align: center; font-size:80%; margin:1em 0em 2em 2em;"
|+A編成
!編成番号
|クハ115
|モハ115
|モハ114
|クハ115
|-
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|316
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|}
 
{| class="wikitable" style="text-align: center; font-size:80%; margin:1em 0em 2em 2em;"
|+K編成
!編成番号
|クハ115
|モハ115
|モハ114
|クハ115
|-
!K1
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|3501
|3501
|1147
|-
!K2
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|3504
|3504
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|-
!K4
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|3507
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|-
!K5
|331
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|3505
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|}
 
{| class="wikitable" style="text-align: center; font-size:80%; margin:1em 0em 2em 2em;"
|+D編成
!編成番号
|クモハ115
|モハ114
|クハ115
|-
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|1547
|1202
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|-
!D5
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|-
!D10
|1550
|1207
|1235
|-
!D12
|1512
|1151
|1204
|-
!D17
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|1158
|1207
|-
!D21
|1546
|1201
|1403
|-
!D22
|5801
|5829
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|-
!D23
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|-
!D24
|323
|359
|408
|-
!D25
|320
|356
|406
|-
!D26
|321
|357
|404
|}
 
'''広島運転所'''
 
1983年4月1日<ref name="名前なし-20250106191750"/>
 
{| class="wikitable" style="font-size:80%; text-align:center; margin:1em 0em 2em 3em;"
|-
! rowspan="2" |編成番号
| colspan="6" |{{列車方向|岡山|広島}}
|-
|クハ115
|モハ115
|モハ114
|モハ115
|モハ114
|クハ115
|-
!
|3
|10
|10
|70
|70
|136
|-
!
|23
|64
|64
|55
|55
|166
|-
!
|25
|13
|13
|24
|24
|48
|-
!
|27
|14
|14
|78
|78
|24
|-
!
|61
|2
|2
|84
|84
|26
|-
!
|69
|69
|69
|35
|35
|70
|-
!
|109
|124
|110
|2002
|2002
|2001
|-
!
|121
|12
|12
|89
|89
|164
|-
!
|133
|67
|67
|21
|21
|42
|-
!
|135
|19
|19
|27
|27
|150
|-
!
|217
|114
|100
|2018
|2018
|2012
|-
!
|2102
|2003
|2003
|2019
|2019
|2021
|-
!
|2103
|2005
|2005
|2020
|2020
|2013
|-
!
|2104
|2006
|2006
|2025
|2025
|2017
|-
!
|2105
|118
|104
|2014
|2014
|2010
|-
!
|2106
|2008
|2008
|109
|95
|2003
|-
!
|2107
|2010
|2010
|115
|101
|192
|-
!
|2109
|2013
|2013
|2011
|2011
|2007
|-
!
|2110
|108
|94
|2009
|2009
|2006
|-
!
|2111
|2015
|2015
|2024
|2024
|2016
|-
!
|2114
|2021
|2021
|2004
|2004
|134
|-
!
|2115
|2023
|2023
|63
|63
|2020
|-
!
|2121
|2028
|2028
|2007
|2007
|2005
|}
 
{| class="wikitable" style="font-size:80%; text-align:center; margin:1em 0em 2em 3em;"
|-
! rowspan="2" |編成番号
| colspan="4" |{{列車方向|岡山|広島}}
|-
|クハ115
|モハ115
|モハ114
|クハ115
|-
!
|19
|111
|97
|20
|-
!
|39
|20
|20
|64
|-
!
|43
|32
|32
|56
|-
!
|149
|28
|28
|62
|-
!
|165
|2016
|2016
|2011
|-
!
|2101
|2001
|2001
|2019
|-
!
|2108
|2012
|2012
|2015
|-
!
|2113
|2019
|2019
|2004
|-
!
|2117
|85
|85
|2002
|-
!
|2118
|2026
|2026
|2009
|-
!
|2119
|2027
|2027
|2018
|-
!
|2120
|123
|109
|2008
|}
 
1984年4月1日<ref name="名前なし_2-20250106191750"/>
 
{| class="wikitable" style="font-size:80%; text-align:center; margin:1em 0em 2em 3em;"
|-
! rowspan="2" |編成番号
| colspan="4" |{{列車方向|岡山|下関}}
|-
|クハ115
|モハ115
|モハ114
|クハ115
|-
!
|3
|35
|35
|166
|-
!
|7
|28
|28
|62
|-
!
|19
|90
|90
|4
|-
!
|23
|64
|64
|20
|-
!
|25
|13
|13
|607
|-
!
|27
|14
|14
|26
|-
!
|39
|20
|20
|652
|-
!
|43
|2011
|2011
|2007
|-
!
|53
|78
|78
|24
|-
!
|61
|27
|27
|150
|-
!
|63
|32
|32
|56
|-
!
|69
|2009
|2009
|2006
|-
!
|101
|2020
|2020
|2013
|-
!
|107
|22
|22
|64
|-
!
|109
|2016
|2016
|2011
|-
!
|121
|55
|55
|110
|-
!
|133
|19
|19
|164
|-
!
|135
|111
|97
|653
|-
!
|149
|24
|24
|70
|-
!
|163
|2022
|2022
|2015
|-
!
|165
|2027
|2027
|134
|-
!
|191
|2025
|2025
|2017
|-
!
|199
|2018
|2018
|2012
|-
!
|217
|2007
|2007
|2005
|-
!
|554
|12
|12
|608
|-
!
|555
|21
|21
|42
|-
!
|556
|31
|31
|136
|-
!
|2101
|2001
|2001
|651
|-
!
|2102
|2003
|2003
|2003
|-
!
|2103
|2005
|2005
|654
|-
!
|2104
|2006
|2006
|609
|-
!
|2105
|2002
|2002
|2001
|-
!
|2106
|2008
|2008
|2004
|-
!
|2107
|2010
|2010
|48
|-
!
|2108
|2012
|2012
|2019
|-
!
|2109
|2013
|2013
|192
|-
!
|2110
|2021
|2021
|2014
|-
!
|2111
|2004
|2004
|2002
|-
!
|2112
|2017
|2017
|2018
|-
!
|2113
|2019
|2019
|2008
|-
!
|2114
|
|
|
|-
!
|2115
|2023
|2023
|152
|-
!
|2116
|2029
|2029
|2021
|-
!
|2117
|2014
|2014
|2010
|-
!
|2118
|2026
|2026
|2009
|-
!
|2119
|2024
|2024
|2016
|-
!
|2120
|2015
|2015
|2020
|-
!
|2121
|2028
|2028
|218
|-
!
|
|77
|77
|38
|}
 
{| class="wikitable" style="font-size:80%; text-align:center; margin:1em 0em 2em 3em;"
|+広島運転所(1986年11月)
! rowspan="2" |編成番号
| colspan="4" |{{列車方向|岡山|下関}}
|-
|クハ115
|モハ115
|モハ114
|クハ115
|-
!H14
|315
|310
|310
|316
|-
!H15
|317
|311
|311
|318
|-
!H16
|331
|320
|320
|332
|-
!H17
|333
|321
|321
|334
|-
!H18
|335
|322
|322
|336
|-
!H19
|337
|323
|323
|338
|}
 
1986年11月<ref name="名前なし_3-20250106191750"/>
 
{| class="wikitable" style="font-size:80%; text-align:center; margin:1em 0em 2em 3em;"
|+N編成
! rowspan="2" |編成番号
| colspan="4" |{{列車方向|岡山|下関}}
|-
|クハ115
|モハ115
|モハ114
|クハ115
|-
!N1
|2101
|2001
|2001
|2001
|-
!N2
|199
|2002
|2002
|652
|-
!N3
|2102
|2003
|2003
|2003
|-
!N4
|2105
|2004
|2004
|2002
|-
!N5
|2103
|2005
|2005
|2004
|-
!N6
|2104
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|2006
|2008
|-
!N7
|2117
|2007
|2007
|2005
|-
!N8
|2106
|2008
|2008
|134
|-
!N9
|2110
|2009
|2009
|2006
|-
!N10
|2107
|2010
|2010
|2009
|-
!N11
|2116
|2011
|2011
|2007
|-
!N12
|2108
|2012
|2012
|218
|-
!N13
|554
|2013
|2013
|608
|-
!N14
|217
|2014
|2014
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!N29
|2120
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|}
 
{| class="wikitable" style="font-size:80%; text-align:center; margin:1em 0em 2em 3em;"
|-
! rowspan="2" |編成番号
| colspan="4" |{{列車方向|岡山|下関}}
|-
|クハ115
|モハ115
|モハ114
|クハ115
|-
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|31
|31
|4
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|7
|78
|78
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|20
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!
|133
|24
|24
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|-
!
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|28
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|-
!
|555
|19
|19
|653
|}
 
== 譲渡車 ==
=== しなの鉄道 ===
[[ファイル:Shinano-Railway-115-S4.jpg|thumb|しなの鉄道115系([[小諸駅]]、2008年)]]
{{vertical images list
{{Main|しなの鉄道115系電車}}
|幅= 200px
[[北陸新幹線]]の開業による並行在来線の経営分離で開業した[[しなの鉄道]]に対し、3回に分けて本形式の譲渡が行われている。全車ともJR東日本からの車両番号は変更されていない<ref name="railfan20121136">[[#鉄道ファン|鉄道ファン、交友社、2012年11月号、p.36]]</ref>。
|1=Shinano-Railway-Kumoha-115-1020.jpg
|3=Shinano-Railway-Moha114-1027.jpg
|5=Shinano-Railway-Kuha-115-1019.jpg
|6=しなの鉄道S11編成<br/>クモハ115-1020(上)<br/>モハ114-1020(中)<br/>クハ115-1019(下)
}}
[[長野新幹線]]の開業で信越本線の[[軽井沢駅|軽井沢]] - 篠ノ井が移管されたことに伴い、JR東日本から[[国鉄165系電車|169系]]とともに譲渡された。系列は115系のままで車号も変更されていない。
 
譲渡編成はいずれも1000番台で、1997年の[[しなの鉄道線]]開業時に3両編成11本が、2013年に[[しなの鉄道169系電車|169系]]の代替で2両編成7本14両が、2015年の[[しなの鉄道北しなの線|北しなの線]]開業時に3両編成5本15両が譲渡されている<ref name="railj201306117">『鉄道ジャーナル』2013年6月号、鉄道ジャーナル出版、p.117</ref><ref name="rp201512_p67">平石大貴「115系電車のあゆみ(II)」『鉄道ピクトリアル』2015年12月号、p.67</ref><ref name="JRR 2018w 106">ジェー・アール・アール編『JR電車編成表』2018冬 ジェー・アール・アール、交通新聞社、2017年、p.106。ISBN 9784330841175。</ref>。2014年には3両編成のうち1本 (S8編成) が観光列車「[[ろくもん]]」に改造された<ref name="rp201511_p120">斎藤幹雄「しなの鉄道で活躍する115系」『鉄道ピクトリアル』2015年11月号、p.120</ref>。
移管前の上記区間は長野総合車両所所属の編成が用いられていたが、同所の編成は高崎まで運用されることからATS-P形を装備されていた。一方で移管区間はATS-S<small>N</small>形のため、長野所属車と松本運転所のATS-P形未搭載編成と交換後に譲渡が行われている。
 
2020年より[[しなの鉄道SR1系電車|SR1系]]の投入による置き換えが進められている。
; S編成(3両編成11本33両)
全車1000番台で組成されているが、S8・9編成のクモハ115形は先頭化改造車の1500番台である。
* 全編成ドア上部に広告用[[液晶ディスプレイ]]とドアチャイムを搭載。
* 車外スピーカーを設置し、列車番号表示機を撤去。
* 軽井沢 - [[戸倉駅|戸倉]]でのワンマン運転に対応している。
* S8編成はバイオトイレを搭載しているが、他の編成のトイレは閉鎖で使用不可となっている。
* 床・窓・カーテン・CPなどの取替、ならびにMGのSIVへ交換などの更新改造工事が進行中である。
* 諏訪湖花火大会の際には、長野総合車両センターのしなの鉄道乗入れ運用の一部(列車番号3600番台)を代走する。
 
=== 伊豆急行 ===
[[ファイル:Izukyu200blue.JPG|thumb|伊豆急行200系([[熱海駅]]、2004年)]]
詳細は『'''[[伊豆急行200系電車]]'''』も参照のこと。
{{Main|伊豆急行200系電車}}
{{vertical images list
113系と本形式からの改造車が存在しており、以下の2種類が本系列からの改造車である。
|幅= 200px
|1=Izukyu200Red.JPG
|2=伊豆急行200系タイプIII
}}
[[伊豆急行]]では、2000年に開業当初からの[[伊豆急100系電車|100系・1000系]]の代替として[[東京急行電鉄|東急]][[東急8000系電車|8000系]]を購入して運用に充てる予定であったが、当時は余剰車が無かったため、中継ぎとしてJR東日本から113系ならびに本系列を購入し、200系としたもので、本系列は2001年・2002年に入線したタイプII 、2002年・2003年に入線したタイプIIIが該当する。
 
; タイプII
: 2001年・2002年に入線。松本運転所を廃車になった0の基本番台・800番台の3両編成6本18両で、F3 - 8編成となった<ref name="railfan20121136"/>
 
; タイプIII
: 2002年・2003年に入線。松本運転所を廃車になった300番台の3両編成3本9両で、F9 - 11編成となった<ref name="railfan20121136"/>
 
なお、譲渡に際し自力走行で[[伊豆急行線]]に入線し、塗装変更ならびに仕様変更されるなどの改造工事を[[伊豆急行高原駅|伊豆高原電車区]]で施工している
 
2005年から[[伊豆急行8000系電車|8000系]]の増備により順次換えが開始され、2007年までにタイプII全編成が廃車となり、続いてタイプIIIも2008年7月までに定期運用を終了。同年12月14日にF11編成による2008年12月14日の「伊豆急200系さよなら運転」をもってすべてのを終了し<ref name="railfan20121136"/><ref>{{PDFlink|[https://web.archive.org/web/20081203025815if_/http://www.izukyu.co.jp:80/ir/newsletter/201114.pdf 12月14日(日)、「伊豆急200系さよなら運転」を実施!]}}( - 伊豆急行公式サ 2008年11月14日(ンターネッアーカイブ)</ref>。
 
<br style="clear:both"/>
== 保存車 ==
; クモハ115-1061
: 新潟車両センター所属N15編成の先頭車で2017年6月24日の廃車後、[[新潟県]][[新潟市]][[秋葉区]]の「[[新潟市新津鉄道資料館]]」にて2次新潟色で保存されている<ref>{{Cite web|和書|title=屋外常設展示|publisher=新津鉄道資料館|url=http://www.ncnrm.com/exhibition/outdoor/|accessdate=2021-12-17}}</ref>。車内は通常非公開である。
; クハ115-1106
: 2015年10月17日の廃車後、[[長野県]][[小県郡]][[長和町]]の[[スキー場]]「[[ブランシュたかやまスキーリゾート]]」に譲渡の上で休憩所として利用されていた<ref name="shinmai2015">{{Cite news |title=長和のスキー場に「電車」 カフェや催しで活用構想 |newspaper=信濃毎日新聞 |date=2015-10-20 |language=ja |url=https://www.hokurikushinkansen-navi.jp/pc/news/article.php?id=NEWS0000004591 |accessdate=2021-12-17}}</ref><ref name="shinmai2022" /><ref>{{Cite web|和書|title=わんぱーく|website=ブランシュたかやまスキーリゾート |publisher=マウント長和 |url=https://blanche-ski.com/kids/ |accessdate=2021-12-17}}</ref>。
: 2022年7月25日に同県[[千曲市]]の日帰り温泉施設「[[戸倉上山田温泉|万葉超音波温泉]]」へ陸送後、修繕が行われた<ref name="shinmai2022">{{Cite news |title=115系車両「長野色」が到着 千曲の温泉施設 |newspaper=信濃毎日新聞 |date=2022-07-27 |language=ja |url=https://www.hokurikushinkansen-navi.jp/pc/news/article.php?id=NEWS0000031289 |accessdate=2022-12-08}}</ref><ref>{{Cite news |author=金井かおる |title=「電車買いました!」鉄道愛する29歳男性、購入価格は4桁万円超 ネットも応援「趣味に生きるのは悪くない」 |newspaper=まいどなニュース |publisher=神戸新聞社 |date=2022-12-08 |language=ja |url=https://maidonanews.jp/article/14783819 |accessdate=2022-12-08}}</ref><ref name="nr2022">{{Cite press release |和書 |title=鉄道車両115系クハ115-1106号の譲渡について |publisher=翠明荘 |date=2022-07-13 |language=ja |url=https://twitter.com/manyoonsen/status/1547137594667872259 |accessdate=2022-07-13}}</ref>。2023年9月10日には修繕完了によるお披露目展示会が開催され、車内の一般公開が開始した。
: 車体色は一貫して新長野色である{{R|shinmai2015|nr2022}}。
 
<gallery widths="180">
ファイル:Series115 kumoha115-1061 Niitsu.jpg|クモハ115-1061
ファイル:Series115 Kuha115-1106 Manyo ultrasound hot spring.jpg|クハ115-1106
</gallery>
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
<div class="references-small"><references/></div>
{{Reflist|group="注"|2}}
 
=== 出典 ===
{{Reflist|3}}
== 参考文献 ==
=== 書籍・DVD ===
<!--* 福原俊一 『115系近郊形直流電車(1) - (4)』 交友社「[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]]」1997年6月号 - 9月号 No.434 - 437-->
* [[福原俊一 (電車発達史研究家)|福原俊一]]『115系物語』[[JTBパブリッシング]](キャンブックス)、2014年。ISBN 978-4533099236。
<!--* 北川 勝(福原俊一) 『115系近郊形直流電車<small>~その歩みと現在の姿 (1) ・ (2) ~』</small> 交友社 「鉄道ファン」 1997年11月号 No.439、1998年1月号 No.441-->
* {{Cite book|和書|title=直流系電車 近郊編|others=写真・[[広田尚敬]]|publisher=[[山と渓谷社]]|date=1987年9月25日|series=国鉄車両形式集|volume=4|isbn=4-635-06174-4|pages=53-90|chapter=115系|ref=Kokutetsu}}
<!--* 電気車研究会 『[[鉄道ピクトリアル]]』 1986年2月号 No.459 特集 : 115系電車-->
* {{Cite book | 和書 | title = 「現役国鉄型大研究」vol.1 | editor = |date = 2005年|publisher=[[イカロス出版|イカロスMOOK]]|isbn=4-87149-648-1|ref=ikarosJNR vol.1}}
<!--* 電気車研究会 『鉄道ピクトリアル』 1999年7月号 No.671 特集 : 115系電車の現状-->
* テラダプロジェクト [[DVD]] 「旧国鉄形車両集1 113系・115系近郊形直流電車」 (2005年7月)
<!--* 浅原信彦 『ガイドブック最盛期の国鉄車輌3<small>新性能直流電車 上</small>』 ([[ネコ・パブリッシング]] 2007年)-->
* 浅原信彦 『ガイドブック最盛期の国鉄車輌3<small>新性能直流電車 上</small>』 ([[ネコ・パブリッシング]] 2007年)
<!--* テラダプロジェクト [[DVD]] 「旧国鉄形車両集1 113系・115系近郊形直流電車」 (2005年7月)-->
* {{Cite book|和書|title=JR普通列車年鑑 2008-2009|publisher=イカロスMOOK|date=2008年5月20日|isbn=978-4-86320-044-9|ref=LCTA08-09}}
* {{Cite book|和書|title=[[日本鉄道旅行地図帳|日本鉄道旅行歴史地図帳]] 3号 関東|author=今尾恵介|authorlink=今尾恵介|coauthors=[[原武史]]|publisher=[[新潮社]]|date=2010年[[7月17日]]|isbn=978-4-10-790037-1|ref=shinchou3}}
* {{Cite book|和書|title=復刻・増補 国鉄電車編成表1985年版|editor=ジェー・アール・アール|publisher=[[交通新聞社]]|year=2010|isbn=978-4-330-17610-9|ref=JRR1985}}
* {{Cite book|和書|title=JR電車編成表 2012冬|editor=ジェー・アール・アール|publisher=交通新聞社|year=2011|isbn=978-4-330-25611-5|ref=JRR 12w}}
* {{Cite book|和書|title=JR電車編成表 2016冬|editor=ジェー・アール・アール|publisher=交通新聞社|year=2015|isbn=978-4-330-62315-3|ref=JRR 16w}}
* {{Cite book|和書|title=JR普通列車年鑑 2012-2013|publisher=イカロスMOOK|date=2012年9月20日|isbn=978-4-86320-625-0|ref=annual}}
* {{Cite book|和書|title=形式115系|publisher=イカロス出版|year=2014|isbn=978-4-86320-816-2|ref=series115ikaros}}
* <!--115系にも同様の内容で施工予定と記載されているため、参考文献として掲載。-->{{Cite journal|和書|author=城戸宏之・岡本祐次(JR西日本鉄道本部車両部) |year=1999 |month=3 |title=JR西日本113系体質改善工事の概要 |journal=Rolling stock & Machinery |volume = 7 |issue = 3 |pages= 20 - 22 |publisher=日本鉄道車両機械技術協会 |ref = R&M0703}}
* {{Cite journal|和書|author=城戸宏之・岡本祐次(JR西日本鉄道本部車両部) |year=1999 |month=12 |title=舞鶴線電化開業用車両の概要 |journal=Rolling stock & Machinery |volume = 7 |issue = 12 |pages= 24 - 28 |publisher=日本鉄道車両機械技術協会 |ref = R&M0712}}
 
=== 関連項目雑誌 ===
;[[交友社]]「[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]]」
{{commonscat|JNR 115|<br/>国鉄115系電車}}
* {{Cite journal|和書|date=1997年6-9月|author=福原俊一 |title=115系近郊形直流電車(1) - (4)|issue=434号 - 437号|ref=}}
{{国鉄の直流用新性能電車リスト}}
* {{Cite journal|和書|author=北川勝|coauthors=福原俊一|title=115系近郊形直流電車<small> 〜その歩みと現在の姿 (1)・(2) 〜</small>|date=1997年11月・1998年1月|issue=439号・441号|ref=}}
* [[JR東日本107系電車]]
* {{Cite journal|和書|date=1999年6月|volume=39|issue=6}}
* [[JR東日本E231系電車]]
** {{Cite journal|和書|title=長野支社 115系リニューアル車|page=80|ref=renewal}}
* [[JR西日本223系電車]]
** {{Cite journal|和書|title=長岡運転区に115系新訓練車登場|page=131|ref=newtrain}}
* [[JR東海313系電車]]
* {{Cite journal|和書|date=1999年8月|title=115系3000番台にPR塗装編成 "しまなみ海道'99"カラー|volume=39|issue=8|page=129|ref=shimanami}}
<!-- == 外部リンク ==
* {{Cite journal|和書|date=2000年4月|title=新潟支社115系・キハ40系にもリニューアル車登場!|volume=40|issue=4|page=66|ref=niigata}}
* [http://homepage2.nifty.com/115kureline/ 115系形式写真集] -->
* {{Cite journal|和書|date=2001年2月|title=短絡線ミステリー4 〜複々線を探る〜|volume=41|issue=2|page=56|ref=shortcut}}
* {{Cite journal|和書|date=2001年9月|title=松本運転所の115系6両、伊豆急行へ譲渡される|volume=41|issue=9|page=148|ref=matsumoto transfer}}
* {{Cite journal|和書|date=2010年1月|issue=1|volume=50}}
** {{Cite journal|和書|author=[[鉄道友の会]] [[鉄道友の会#支部|東京支部]] JR電車部会|title=113・115系カウントダウン|pages=8-41|ref=countdown}}
* {{Cite journal|和書|date=2010年7月|issue=7|volume=50}}
** {{Cite journal|和書|title=JR車両ファイル2010 車両のうごき 2009-2010|page=71|ref=file2010}}
** {{Cite journal|和書|title=「幸せの黄色い電車」に巡り会えたダイヤ改正日|page=176|ref=happyyellow}}
* {{Cite journal|和書|date=2011年10月|issue=10|volume=51|ref=rf1110}}
** {{Cite journal|和書|author=[[岡田誠一 (鉄道研究家)|岡田誠一]]|title=JNR COLOR|pages=10-48|ref=JNR color}}
** {{Cite journal|和書|title=出来事 2011.6〜8|page=195|ref=event}}
* {{Cite journal|和書|date=2011年11月|issue=11|volume=51|ref=rf1111}}
** {{Cite journal|和書|author=草町義和|title=湘南新宿ライン10周年|pages=7-47|ref=ssl10}}
** {{Cite journal|和書|author=来住憲司|title=<検証>JR東西線開業以降の大阪中心部の鉄道|page=48|ref=jrtozai}}
* {{Cite journal|和書|date=2012年1月|title=10/3、岡山区115系G編成、黄色化を完了|volume=52|issue=1|page=176|ref=Gdone}}
* {{Cite journal|和書|date=2012年7月|title=JR車両ファイル2012 車両のうごき 2011-2012|volume=52|issue=7|page=91|ref=file}}
* {{Cite journal|和書|date=2012年11月|issue=11|volume=52}}
** {{Cite journal|和書|author=福原俊一|title=115系近郊形直流電車のあゆみ|pages=8-41|ref=鉄道ファン}}
** {{Cite journal|和書|author=宮本康宏|title="ホリデー快速鎌倉"と115系M40編成 その後|pages=144-146|ref=M40}}
** {{Cite journal|和書|author=<!--一般人のため記載せず-->|title=しなの鉄道S2編成「あの夏で待ってる」電車に|page=166|ref=S2}}
; 鉄道ジャーナル社 「[[鉄道ジャーナル]]」
* {{Cite journal|和書|date=2012年7月|title=国鉄車両の現在 3.115系|author=杉本聖一|ref=国鉄車両}}
;[[電気車研究会]] 「[[鉄道ピクトリアル]]」
* {{Cite journal|和書|date=1986年2月|volume=37|issue=2|title=115系電車|ref=pict1986-2}}
* {{Cite journal|和書|date=1986年6月|volume=37|issue=6|title=新鉄局115系に新色|ref=newcolor}}
* {{Cite journal|和書|date=1999年7月|issue=671|title=115系電車の現状|ref=pict1999-7}}
* 2009年7月号(通巻820号)「特集:115系電車」
* 2012年11月号(通巻869号)「特集:中央本線」
* 2015年11月号(通巻910号)「特集:115系電車 (I)」
* 2015年12月号(通巻911号)「特集:115系電車 (II)」
 
== 外部リンク ==
* [https://web.archive.org/web/20210830044258/https://www.jreast.co.jp/train/local/115.html JR東日本:車両図鑑&gt;在来線 115系] - 東日本旅客鉄道(ウェブアーカイブ)
{{Commonscat|JNR 115|国鉄115系電車}}
{{国鉄の新性能電車}}
{{JR東日本の車両リスト}}
{{JR東海の車両リスト}}
{{JR西日本の車両リスト}}
{{伊豆急行の車両}}
 
{{DEFAULTSORT:こくてつ115けいてんしや}}
[[Category:日本国有鉄道の新性能電車|115]]
[[Category:東日本旅客鉄道の電車|115]]
[[Category:東海旅客鉄道の電車|115]]
[[Category:西日本旅客鉄道の電車|115]]
[[Category:1963年製の鉄道車両|こくてつ電115]]
 
[[Category:東急車輛製造製の電車]]
[[de:JNR-Klasse 115]]
[[Category:日本車輌製造製の電車]]
[[en:115 series]]
[[Category:川崎重工業製の電車]]
[[Category:近畿車輛製の電車]]
[[Category:日立製作所製の電車]]
[[Category:汽車製造製の電車]]
[[Category:鉄道車両関連]]