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{{otheruses||前身の国家|ガンビア (1965年 - 1970年)}}
{{基礎情報 国
| 略名 = ガンビア
| 日本語国名 = ガンビア共和国
| 公式国名 = '''{{
| 国旗画像 = Flag of
| 国章画像 = [[
| 国章リンク = ([[ガンビアの国章|国章]])
| 標語 = {{lang|en|Progress, Peace, Prosperity}}
<br/>( | 位置画像 =
| 公用語 = [[英語]]<ref>{{cite web|url=http://unterm.un.org/UNTERM/display/Record/UNHQ/the_Islamic_Republic_of_the_Gambia/c771168 |title=the Islamic Republic of the Gambia|publisher=The United Nations Terminology Database |accessdate=2016-06-13}}</ref>
| 首都 = [[バンジュール]]
| 最大都市 = [[セレクンダ]]
| 元首等肩書 = [[ガンビアの大統領|大統領]]
| 元首等氏名 = [[
| 首相等肩書 = {{ill2|ガンビアの副大統領|label=副大統領|en|Vice-President of the Gambia}}
| 首相等氏名 =
| 面積順位 = 159
| 面積大きさ = 1 E10
| 面積値 = 11,300<ref name=2021cia/>
| 水面積率 = 11.5%
| 人口統計年 =
| 人口順位 =
| 人口大きさ = 1 E6
| 人口値 = 241万7000<ref name=population>{{Cite web |url=https://data.un.org/en/iso/gm.html |title=UNdata |publisher=国連 |accessdate=2021-11-8}}</ref>
| 人口密度値 =
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| GDP
| GDP/人 = 2209.621<ref name="economy"/>
| 建国
| 建国年月日 = [[イギリス]]から<br />[[1965年]][[2月18日]]
| 通貨
| 通貨コード = GMD
|
| 夏時間 = なし
| 国歌 = [[わが祖国ガンビアのために|{{lang|en|For The Gambia Our Homeland}}]]{{en icon}}<br>わが祖国ガンビアのために<br>[[ファイル:For The Gambia Our Homeland (instrumental).ogg]]
| ISO 3166-1 = GM / GMB
| ccTLD = [[.gm]]
| 国際電話番号 = 220
| 注記 =
}}
'''ガンビア共和国'''(ガンビアきょうわこく、{{lang-en|Republic of the Gambia}})、通称'''ガンビア'''は、[[西アフリカ]]西岸に位置する[[共和制]][[国家]]。[[イギリス連邦]]加盟国であり(2018年に復帰<ref name="18TC">{{Cite web |url=http://thecommonwealth.org/media/news/gambia-rejoins-commonwealth |title=The Gambia rejoins the Commonwealth |publisher=イギリス連邦 |date=2018-02-08 |accessdate=2018-07-14}}</ref>)、西は[[ガンビア川]]の河口がある[[大西洋|北大西洋]]に面している。陸地部分の国境はすべて[[セネガル]]と接している。言い換えれば、海に面した西側以外でセネガルに取り囲まれている。首都は[[バンジュール]]で、最大の都市は[[セレクンダ]]である。
== 国名 ==
国名は[[ガンビア川]]に由来する。英語では正称・通称ともに国名の前に[[定冠詞]](The)を付けるが、これは15世紀にこの地にポルトガル人が入植したときに、川の名前を「Rio Gâmbia」と呼び、それを英語に直訳した「The Gambia river」に由来し、長年同地域を「The Gambia」と呼ぶのが一般的であったことからである。ガンビアがイギリスから独立した1965年ごろに、非常によく似た名前を持つ[[ザンビア]]も独立をしたことから、混同を避けるために定冠詞をつけた状態を正式名称とした<ref name="example">{{Cite news|title=Why do we put 'The' in front of Gambia?|newspaper=[[BBCニュース]]|date=2017-1-19|url=https://www.bbc.com/news/av/world-africa-38675804|accessdate=2021-9-1|language=en}}</ref>。英称で定冠詞をつける国は他に[[バハマ]]、[[スーダン]]、[[コンゴ民主共和国]]、[[コンゴ共和国]]、[[フィリピン]]、[[オランダ]]、[[アメリカ合衆国]]などがある。
[[2015年]][[12月10日]]に当時の大統領[[ヤヒヤ・ジャメ]]によって'''ガンビア・イスラム共和国'''({{lang|en|Islamic Republic of the Gambia}})に変更されたが<ref name=mofa />、ジャメの後任として大統領に就任した[[アダマ・バロウ]]は[[2017年]][[1月28日]]に「[[ムスリム|イスラム教徒]]は全体の90%であり、他に[[キリスト教徒]]や[[アニミズム]](土着宗教)がいるため、[[イスラム共和制|イスラム共和国]]ではない」と述べ、国名を元に戻した<ref>{{Cite news|url=https://www.legit.ng/1085177-adama-barrow-removes-islamic-gambias-name.html|title=Adama Barrow removes 'Islamic' title from Gambia's name|last=Adegun|first=Aanu|date=2017-1-29|newspaper=Legit.ng|language=en|accessdate=2021-9-1}}</ref><ref>{{Cite news|title=The Gambia: President Adama Barrow pledges reforms|newspaper=[[アルジャジーラ]]|date=2017-1-28|language=en|url=https://www.aljazeera.com/news/2017/1/28/the-gambia-president-adama-barrow-pledges-reforms|accessdate=2021-9-1}}</ref>。
日本語の表記は、'''ガンビア共和国'''。通称'''ガンビア'''。
== 歴史 ==
=== 独立以前 ===
ガンビアの地域が初めて歴史に登場するのは、9、10世紀のアラブの商人の記録である。13世紀には[[マリ帝国]]の勢力圏に入った。13世紀に[[マリンケ族]]の商人が[[イスラム教]]を広め、18世紀まで強い影響力を持っていた。1446年には[[ポルトガル人]]が[[ガンビア川]]下流域に到達し、数十年後には当時まだガンビア川流域に影響を及ぼしていた内陸のマリ帝国と接触している。しかし16世紀末にはマリはガンビア川流域を失い、サルムなどいくつかの王国がかわってこの地域に成立した<ref>「ユネスコ・アフリカの歴史 第4巻(上)一二世紀から一六世紀までのアフリカ」内第七章「マリ帝国の衰退」M.リータル p268 1992年9月20日第1版第1刷 同朋舎出版</ref>。また15世紀末以降、ガンビア川は内陸から[[金]]と[[奴隷]]を海岸部のヨーロッパ勢力へ輸出する主要ルートのひとつとなっていた<ref>「ユネスコ・アフリカの歴史 第4巻(上)一二世紀から一六世紀までのアフリカ」内第12章「海岸沿いの諸民族 カザマンスからコートジボアールの沼沢地方まで」Y.パーソン p463 1992年9月20日第1版第1刷 同朋舎出版</ref>。1678年には[[イギリス]]が進出、その後[[フランス]]と争った末、[[1783年]]の[[パリ条約 (1783年)|パリ条約]]によりイギリス植民地となる<ref name=":0">田辺裕、島田周平、柴田匡平、1998、『世界地理大百科事典2 アフリカ』p.137-138、朝倉書店 ISBN 4254166621 </ref>。
[[1816年]]には河口にバサースト市(現・バンジュール)が建設された<ref name=":0" />。[[奴隷貿易]]が行われていた植民地支配の痕跡をとどめる遺構の数々は、「[[クンタ・キンテ島と関連遺跡群]]」として[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の[[世界遺産]]に登録されている。ただしこのガンビア植民地は狭小であり、またフランスの一大拠点であるセネガルと隣接していることから、1866年から1876年にかけて両国はガンビアをフランスへ譲渡する領土交換の協議を行っていた。しかし代替地の折り合いがつかないままこの提案は立ち消えとなり、ガンビアはイギリス領のままとなった<ref>正木響「セネガルとガンビア」『セネガルとカーボベルデを知るための60章』小川了編著、明石書店〈エリア・スタディーズ78〉、東京、2010年3月31日、初版第1刷、112-113頁。</ref>。1902年にはバサーストのあるサントマリー島が植民地、残りのガンビア川流域が保護領となり、[[ガンビア植民地および保護領]]が成立した<ref name=":1">田辺裕、島田周平、柴田匡平、1998、『世界地理大百科事典2 アフリカ』p.138、朝倉書店 ISBN 4254166621 </ref>。
1950年代後半になるとガンビアでも政治運動が盛んとなり、直轄植民地において民主党(DP)や統一党(UP)など、いくつかの政党が結党された。1958年には[[ダウダ・ジャワラ]]が[[マンディンカ族|マリンケ人]]の支持により保護領地域を基盤とする初の政党である{{仮リンク|人民進歩党 (ガンビア)|en|People's Progressive Party (Gambia)|label=人民進歩党 (PPP) }}を結成した。1960年には普通選挙制と国会が設置され、統一党のピエール・サン・ヌジエが首相に就任した<ref>「世界現代史16 アフリカ現代史4」p214-215 中村弘光 山川出版社 昭和57年12月10日1版1刷発行</ref>。1962年の選挙ではPPPが勝利し、ジャワラが首相になり自治権を獲得した<ref name=":1" />。
=== 独立と国家連合 ===
1965年2月18日、[[イギリス君主一覧|英国女王]]を元首とする[[英連邦王国]]として独立した。1970年4月24日にはイギリス連邦内の共和国に移行し、ジャワラが初代大統領に就任した。ジャワラ政権は[[民主主義]]を堅持し、選挙では常に勝利して政権を維持した。1981年7月29日、ジャワラが外遊中、社会主義革命労働党と国軍内左派グループを中心とした国家革命評議会による[[クーデター]]が起こるが、ジャワラはただちに隣国セネガルに介入を要請、これを鎮圧した<ref>片山正人「現代アフリカ・クーデター全史」[[叢文社]] 2005年、348-349ページ ISBN 4-7947-0523-9</ref>。
これによって両国間の関係は緊密化し、1982年2月にはセネガルとの[[国家連合]]を形成、[[セネガンビア国家連合]]となったものの、ガンビアが自国よりはるかに巨大な勢力であるセネガルに飲み込まれて独立が失われることを恐れたため次第に関係は悪化し、1989年には国家連合を解消した<ref name=":2">正木響「セネガルとガンビア」『セネガルとカーボベルデを知るための60章』小川了編著、明石書店〈エリア・スタディーズ78〉、東京、2010年3月31日、初版第1刷、114頁。</ref>。ジャワラは民主主義と長期政権を維持し、1992年には6選を果たしたものの、長期政権による腐敗や経済の低迷によって国内の不満は高まりつつあった<ref>片山正人「現代アフリカ・クーデター全史」[[叢文社]] 2005年、511ページ ISBN 4-7947-0523-9</ref>。
=== 軍政から民政移管へ ===
1994年7月、当時29歳の[[ヤヒヤ・ジャメ]]陸軍中尉による無血クーデターで、ジャワラ大統領はセネガルへ亡命、長期政権に終止符が打たれた<ref name=":3">片山正人「現代アフリカ・クーデター全史」[[叢文社]] 2005年、512ページ ISBN 4-7947-0523-9</ref>。その後はジャメを国家元首とする軍政が敷かれたものの、ヨーロッパ連合やアメリカ合衆国などから援助停止の通告を受けたため、数度のクーデター未遂を経ながら民政移管へと向かっていった<ref name=":3" />。
1996年には大統領選挙が行われてジャメが当選し、1997年には国民議会選挙が行われて民政移管を果たした<ref>片山正人「現代アフリカ・クーデター全史」[[叢文社]] 2005年、513ページ ISBN 4-7947-0523-9</ref>。ジャメはその後の選挙でも再選を重ねていったが、2008年には[[同性愛者]]に国外退去を求めたり<ref name=":4">{{Cite news|title=ガンビア大統領、「公用語から英語外す」と英語で発表|newspaper=[[AFP通信]]|date=2014-3-15|url=https://www.afpbb.com/articles/-/3010384|accessdate=2021-9-1}}</ref>、2009年には魔術師狩りを行って国内外から激しい非難を浴びたり<ref>{{Cite news|title=ガンビアで市民を拉致し魔術を強要、政府関与か|newspaper=AFP通信|date=2009-3-19|url=https://www.afpbb.com/articles/-/2583797|accessdate=2021-9-1}}</ref>、2013年には[[イギリス連邦]]から脱退し、2014年には突如英語を公用語から外すことを宣言するなど暴政や奇矯な行動が目立ち、[[人権]]や民主制の状況への懸念から欧米の主要援助国との関係は悪化の一途をたどっていた<ref name=":4" />。2014年にはクーデター未遂も勃発した<ref>{{Cite news|title=ガンビアでクーデター未遂、容疑者ら死亡|newspaper=AFP通信|date=2014-12-31|url=https://www.afpbb.com/articles/-/3035477|accessdate=2021-9-1}}</ref>。
2016年12月の大統領選挙では、長期政権を築いていたジャメを破り、野党連合統一候補の[[アダマ・バロウ]]が当選した<ref>{{Cite news|title=ガンビア大統領選、野党連合候補勝利 22年間のジャメ体制に終止符|newspaper=AFP通信|date=2016-12-3|first=Jennifer|last=O'Mahony|url=https://www.afpbb.com/articles/-/3110075|accessdate=2021-9-1}}</ref>。ジャメは当初は退任を受け入れたものの、のちに退任を拒否し首都に軍隊を配備した。そのため、バロウは2017年1月19日、隣国セネガルの首都ダカールにあるガンビア大使館で宣誓式を行った<ref>{{Cite news|title=ガンビア大統領、任期切れも退任拒否 新大統領は隣国で宣誓|newspaper=BBCニュース|date=2017-1-20|url=https://www.bbc.com/japanese/38686861|accessdate=2021-9-1}}</ref>。15か国で構成される[[西アフリカ諸国経済共同体]](ECOWAS)は、ジャメに対し20日正午までに権限移譲するよう要求し、セネガル、[[ナイジェリア]]、[[ガーナ]]が結成した連合軍は2017年1月19日にガンビアへの軍事介入を表明。これに対し21日、ジャメは退陣を宣言、[[赤道ギニア]]へと亡命した<ref>{{cite news|title=Gambia's Yahya Jammeh confirms he will step down|url=https://www.aljazeera.com/news/2017/1/21/gambias-yahya-jammeh-confirms-he-will-step-down|accessdate=2021-9-1|newspaper=アルジャジーラ|date=2017-1-21|language=en}}</ref><ref>{{cite news|title=Gambia's Jammeh, facing military pressure, says steps down|url=https://www.reuters.com/article/us-gambia-politics-idUSKBN15505N|accessdate=2021-9-1|date=2017-1-21|newspaper=[[ロイター通信]]|language=en|last=Cocks|first=Tim|first2=Lamin|last2=Jahateh}}</ref>。
バロウ政権はジャメ政権時代に悪化した国際関係の修復に努め<ref name="mofa" />、2018年2月にはイギリス連邦に復帰した。
== 政治 ==
ガンビアは[[共和制]]・[[大統領制]]を採用する立憲国家である。現行[[憲法]]は[[1970年]][[4月24日]]に制定され、幾度かの改正を経
=== 行政 ===
[[元首|国家元首]]である[[大統領]]は国民による直接選挙で選出され、任期は5年。再選制限はない。大統領の強大な権力は憲法により保障されている。[[副大統領]]職あり。{{See also|ガンビアの大統領}}[[行政府]]は[[内閣]]だが、実際の行政権は大統領が行使し、内閣はそれを補佐する執行機関にすぎない。首相職もなく、全閣僚は大統領が任免する。したがって内閣の権限はきわめて小さく、実質的には大統領の顧問団として機能している。
=== 立法 ===
[[立法府]]は[[一院制]]の[[国民議会 (ガンビア)|国民議会]]である。全58議席のうち、53議席は国民の直接選挙によって選ばれ、残りの5議席は大統領が任命する。任期は5年。
=== 政党 ===
{{仮リンク|統一民主党 (ガンビア)|label=統一民主党 (UDP) |en|United Democratic Party (Gambia)}}と、2019年に大統領とその一派が分党した{{仮リンク|国民党 (ガンビア)|label=国民党 (NPP) |en|National People's Party (The Gambia)}}が二大政党となっている。
1996年にヤヒヤ・ジャメが自らの大統領選出馬と民政移管に備えて結成した[[愛国再建同盟]]は、国民議会で絶対安定多数を占めて強力な支配体制を敷いていたが、ジャメ失脚とともに党勢が衰え、2017年の選挙では大敗して野党となった<ref>{{Cite news|title=ガンビア前大統領、着服額は56億円 現政権が汚職追及|newspaper=AFP通信|date=2017-5-23|url=https://www.afpbb.com/articles/-/3129180|accessdate=2021-9-1}}</ref>。ダウダ・ジャワラの長期政権を支えた{{仮リンク|人民進歩党 (ガンビア)|en|People's Progressive Party (Gambia)|label=人民進歩党 (PPP) }}は、1994年のクーデターでジャワラが亡命するとその後の国政参加を禁止されて衰退、2005年に{{仮リンク|民主主義と発展のための国内連合|en|National Alliance for Democracy and Development}}に合流した。
{{See also|ガンビアの政党}}
=== 司法 ===
最高[[司法]]機関は[[最高裁判所]]である。
{{sectstub}}
== 国際関係 ==
{{main|{{仮リンク|ガンビアの国際関係|en|Foreign relations of the Gambia}}}}
隣国[[セネガル]]とは民族や文化の多くが共通し、両国を合わせてセネガンビアという地域名で呼ばれることもある。ガンビア国土のほとんどがセネガルに取り囲まれる形になっていることもあって両国の関係は深く、1982年から1989年まで[[セネガンビア|セネガンビア国家連合]]を形成していたが、ガンビア側の自立への危惧により解散した<ref name=":2" />。その後も良好な関係は続いたものの、1994年のジャメ政権成立によって両国関係は悪化し、2017年のジャメ政権崩壊までその関係は続いた。しかし現在は再び良好な関係にある。ガンビアは[[パレスチナ]]を国家承認しており、[[イスラエル]]の存在を認めていない。その背景には、ガンビア国民のほとんどがイスラム教徒であることから同じイスラム教徒の[[パレスチナ人]]に非常に同情的なことが挙げられる。またヤヒヤ・ジャメ大統領は厳格な[[イスラム主義]]者であるとともに、徹底した反米・反イスラエル主義者でもあり、このため同じ反米路線をとる[[イラン]]や[[シリア]]、そして[[ベネズエラ]]といった国との関係を強化していた。
旧イギリス植民地であったことから[[イギリス連邦]]に独立直後から加盟していたが、2013年に当時のジャメ大統領は連邦を「[[新植民地主義]]の組織」と批判し、離脱を表明した<ref>{{Cite news|url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASGM0301X_T01C13A0FF2000/|title=西アフリカのガンビア、英連邦から脱退|date=2013-10-3|accessdate=2021-9-1|newspaper=[[日本経済新聞]]|agency=[[共同通信]]}}</ref>。その後、2017年2月14日にバロウ大統領は連邦への復帰手続きを開始し<ref>{{cite news|url=https://www.bbc.com/news/world-africa-38968336|title=The Gambia: UK 'very pleased' about Commonwealth return|newspaper=BBCニュース|date=2017-2-14|language=en}}</ref>、2018年2月8日に復帰した<ref name=18TC />。
ジャメ大統領は1995年から[[台湾]]([[中華民国]])と国交回復していたが、中華人民共和国との貿易額が増大するにつれてその外交関係はぎくしゃくしたものとなり、ついに2013年11月15日には台湾との国交を「国家の戦略的利益のため」断絶したと発表した<ref>{{cite news|title=台湾にガンビアが断交通告 「国家の戦略的利益のため」|newspaper=[[産経新聞]]|date=2013-11-15|url=http://www.sankei.com/world/news/131115/wor1311150017-n1.html|accessdate=2021-9-1|archiveurl=https://web.archive.org/web/20171006161749/http://www.sankei.com/world/news/131115/wor1311150017-n1.html|archivedate=2017-10-6|last=吉村|first=剛史}}</ref>。
近隣諸国との友好関係の維持に努めるとともに、イスラム諸国圏との緊密なつながりを構築している。1994年の軍事クーデター発生以降、西側諸国より新規援助停止を含む厳しい措置をとられてきたが、1996年以降民主化プロセスの進展に伴い1990年代後半に援助は再開された。しかしジャメ大統領治下の人権状況の悪化に伴い再び援助停止などの措置がとられたが<ref name=":4" />、2017年のジャメ政権の崩壊により関係は改善した。
自国の中心を流れるガンビア川の開発を目指して、1978年にはガンビアとセネガル、ギニア、ギニアビサウの4カ国が加盟するガンビア川流域開発機構が設立されたものの、開発計画は停滞している<ref>「西部・中部アフリカ」(ベラン世界地理体系9)p108 田辺裕・竹内信夫監訳 朝倉書店 2017年1月15日初版第1刷</ref>。
=== 日本との関係 ===
{{Main|日本とガンビアの関係}}
ガンビアに日本の[[在外公館]]は設置されておらず、在ガンビア大使館は在セネガル大使館によって兼轄されている<ref>https://www.sn.emb-japan.go.jp/itpr_ja/00_000162.html 日本国在セネガル大使館 2018/4/16 2020年4月21日閲覧</ref>。2015年、[[名古屋]]でガンビア料理店を営むガンビア出身の女性を[[名誉総領事]]に任命し、在名古屋ガンビア共和国名誉総領事館を開設した<ref>[https://gambia.jp/home/ The Consulate of The Gambia to Nagoya, Japan]ガンビア共和国在名古屋領事館 2021年8月30日閲覧</ref><ref>{{Cite news|title=「名古屋いいとこだよ、めっちゃ好き」 食堂の名物おかみ、実はガンビア総領事|newspaper=[[Yahoo!ニュース]]|date=2021-8-30|last=室橋|first=裕和|accessdate=2021-9-1|url=https://news.yahoo.co.jp/articles/14ac84a08e7f515913ff96dfafc4829a8808c92e?page=1}}</ref>。
* 在留日本人数 - 6人(2023年10月現在)<ref name="mofa">{{Cite web|和書|url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/gambia/data.html|title=ガンビア共和国 基礎データ|accessdate=2025-07-09|publisher=[[外務省]]|date=2020-04-27}}</ref>
* 在日ガンビア人数 - 158人(2023年12月、法務省)<ref name=mofa />
{{sectstub}}
== 軍事 ==
{{Main|ガンビア軍}}
* 独立と同時期に設立
* 1994年 2度の軍事クーデター未遂
* 2014年 クーデター未遂
== 地方行政区分 ==
{{Main|ガンビアの行政区画}}
[[ファイル:Gambia divisions named.png|thumb|
ガンビアは5つの地方と1つの市に分かれる。
# [[バンジュール]]({{en|Banjul}})
# [[ガンビア川上流地方|上流地方]]({{en|Upper River}})
# [[ガンビア川中流地方|中流地方]]({{en|Central River}})
# [[ガンビア川下流地方|下流地方]]({{en|Lower River}})
# [[ノースバンク地方|北岸地方]]({{en|North Bank}})
# [[西海岸地方 (ガンビア)|西海岸地方]]({{en|West Coast}})
=== 主要都市 ===
国土の西端にある首都[[バンジュール]]には政府機能が集中しているものの、ガンビア川河口の中州島に存在しているために土地が狭く、首都圏の人口の多くは道路で結ばれたガンビア川南岸に居住しており、南岸にはガンビア最大の都市である[[セレクンダ]]をはじめとするいくつかの衛星都市が存在する。
== 地理 ==
[[ファイル:
{{main|{{仮リンク|ガンビアの地理|en|Geography of the Gambia}}}}
ガンビアはアフリカ大陸最小の国土面積を持つ国である。ガンビア川両側沿岸の細い部分が国土であるため、東西が320kmにわたるのに対しその最大幅は48kmにすぎず、非常に細長い国土となっている。ガンビア川沿岸は、下流には[[マングローブ]]が、それより上流には[[森林]]が広がり、河道から離れた国土の大部分は[[サバナ (植生)|サバンナ]]地帯となっている。国土の最高点でも標高73mにすぎないなど非常に平坦な地形である<ref name=":5">田辺裕、島田周平、柴田匡平、1998、『世界地理大百科事典2 アフリカ』p.136、朝倉書店 ISBN 4254166621 </ref>。
ガンビア川の河口にある島に首都バンジュールが存在し、河道に沿って都市が点在する。全土が[[サバナ気候]](Aw)に属し、6月から10月までは[[雨期]]であり、それ以外は[[乾期]]である<ref name=":5" />。
{{sectstub}}
== 経済 ==
[[農業]]が主産業で、主に自給農業が行われており、[[コメ]]やトウモロコシなどが栽培されている。換金作物としては[[ラッカセイ]]が主要生産品となっている。植民地時代は落花生輸出が輸出総額の90%を占めていたが<ref name=":9">「各国別 世界の現勢Ⅰ」(岩波講座 現代 別巻Ⅰ)p331 1964年9月14日第1刷 岩波書店</ref>、その後ガンビア経済に占める再輸出の割合が増加するにつれてラッカセイ関係の重要性は低落していき、1986年にはラッカセイ・ラッカセイ粉・ピーナッツオイルを合計しても総輸出の30%程度となり<ref>田辺裕、島田周平、柴田匡平、1998、『世界地理大百科事典2 アフリカ』p.141、朝倉書店 ISBN 4254166621 </ref>、2014年のデータでは輸出の上位品目から落花生関係が姿を消してしまうなど<ref name=":6">「データブック オブ・ザ・ワールド 2018年版 世界各国要覧と最新統計」p266 二宮書店 平成30年1月10日発行</ref>、輸出に占める割合はわずかなものとなっている。
[[1977年]]にアメリカで放映された[[テレビドラマ]]『[[ルーツ (テレビドラマ)|ルーツ]]』の主人公である{{仮リンク|クンタ・キンテ|en|Kunta Kinte}}がガンビア出身の黒人奴隷であったことから、1970年代後半にはその故郷である[[ジュフレ]]や[[クンタ・キンテ島|ジェームズ島]]に欧米の観光客が訪れるようになり、[[観光]]業が盛んとなった<ref>「週刊朝日百科世界の地理99 アフリカ西部諸国」p10-253 昭和60年9月15日発行 [[朝日新聞社]]</ref><ref>『アフリカを知る事典』、平凡社、ISBN 4-582-12623-5 1989年2月6日 初版第1刷 p.104-105</ref>。その後も英語が通じることもあって、ヨーロッパ諸国から気軽に行ける観光地として人気が高まり、1990年には落花生に変わって観光業が外貨の稼ぎ頭となった<ref>田辺裕、島田周平、柴田匡平、1998、『世界地理大百科事典2 アフリカ』p.140、朝倉書店 ISBN 4254166621 </ref>。ガンビアの観光シーズンは冬の乾期であり、冬季とはいえ熱帯に属し気温は下がらないため、避寒のためにヨーロッパから多くの観光客が訪れる<ref name=":7">「アフリカの底流を読む」p210 福井聡 ちくま新書 1996年5月20日第1刷</ref>。ガンビア観光で人気があるのはビーチリゾートであり、大西洋岸にはリゾートホテルが多く存在する<ref name=":10">{{Cite web|和書|url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000467802.pdf|title=ガンビア|accessdate=2021-09-01|publisher=外務省|format=PDF|work=アフリカ各国トピックス}}</ref>。しかし1994年のクーデター時には観光客が大きく減少するなど、政情不安の影響を受けやすい<ref name=":7" />。
このほかガンビア経済の特徴として、再輸出貿易の割合の大きさがある。セネガルとガンビアの間の国境線は非常に長い上障害物がほとんどないため移動が容易であり、[[保護貿易]]主義をとるセネガルに対し[[自由貿易]]のガンビアは[[関税]]が安いため、ガンビアで輸入された商品がそのままセネガルへと再輸出されることが盛んに行われている<ref>正木響「セネガルとガンビア」『セネガルとカーボベルデを知るための60章』小川了編著、明石書店〈エリア・スタディーズ78〉、東京、2010年3月31日、初版第1刷、114-115頁。</ref>。この再輸出貿易はしばしば非公式貿易の形を取り、ガンビア経済の最も大きな柱となっている<ref>「西部・中部アフリカ」(ベラン世界地理体系9)p107 田辺裕・竹内信夫監訳 朝倉書店 2017年1月15日初版第1刷</ref>。
通貨は[[ダラシ]]。ガンビア中央銀行が発券銀行である。独立以前に用いられていた西アフリカ・ポンドが1968年に[[ガンビア・ポンド]]に置き換えられ、さらに1971年に新通貨としてダラシが導入された<ref>田辺裕、島田周平、柴田匡平、1998、『世界地理大百科事典2 アフリカ』p.136、朝倉書店 ISBN 4254166621 </ref>。
== 交通 ==
{{main|{{仮リンク|ガンビアの交通|en|Transport in the Gambia}}}}
===
[[バンジュール国際空港]]は、全長3,600メートル、幅員45メートルの滑走路を持つ。[[スペースシャトル]]の非常時代替着陸地として[[アメリカ航空宇宙局|NASA]]の資金および技術援助のもと1989年に改修された<ref name=":8">「ビジュアル データ・アトラス」p328 同朋舎出版 1995年4月26日初版第1刷</ref>。
=== 河川・港湾 ===
バンジュール港はアフリカ西海岸で有数の天然港である。そこからは、3,000トン級の船舶がガンビア川を遡行して内陸の[[ジャンジャンブレア]]まで航行が可能である<ref name=":8" />。その上流でも小型船の運航は可能で、ガンビア川は輸送の重要なルートとなっている。一方陸上輸送においては、ガンビア川にはかつて1本も[[橋]]がかかっておらず、両岸の移動は[[フェリー]]に頼っていたが、2019年1月に中流部の[[ファラフェニ]]においてファラフェニ橋が開通し、セネガル・ガンビア両国大統領が出席して開通式が挙行された<ref>https://www.sn.emb-japan.go.jp/files/000446676.pdf 「在セネガル日本国大使館月報」2019年1月 2019年10月8日閲覧</ref>。
== 国民 ==
[[ファイル:Gambia - mom baby1.jpg|thumb|ガンビアの女性とその子供]]
=== 人口 ===
{{main|{{仮リンク|ガンビアの人口統計|en|Demographics of the Gambia}}}}
ガンビアの人口は急速に増加しており、1963年に31万6,000人だった<ref name=":9" />人口は、1986年には66万人<ref>『アフリカを知る事典』、平凡社、ISBN 4-582-12623-5 1989年2月6日 初版第1刷 p.103</ref>、2017年には210万人にまで増加した<ref name=":6" />。2021年7月の推定人口は222万人である<ref name=2021cia/>。
=== 民族 ===
ガンビア国民の民族グループの内訳は、[[マンディンカ族|マンディンカ人]]が34%、[[フラニ族|フラ人]]が22.4%、[[ウォロフ族|ウォロフ人]]が12.6%、[[ジョラ族|ジョラ人]]が10.7%、[[セラフリ人]]が6.6%、[[セレール人]]が3.2%、{{仮リンク|マンジャク人|en|Manjak people}}が2.1%、[[バンバラ族|バンバラ人]]が1%、その他のアフリカ系民族が1.6%、非ガンビア人が5.2%となっている(2013年推定<ref name=2021cia/>)。居住地域としては、マンディンカ人が中西部、フラ人とセラフリ人が東部、ウォロフ人が首都バンジュールおよびその近郊、ジョラ人が南部を主な居住地としている<ref>『アフリカを知る事典』、平凡社、ISBN 4-582-12623-5 1989年2月6日 初版第1刷 p.103-104</ref>。[[アク (ガンビア)|アク]]と呼ばれる[[解放奴隷]]の[[クレオール]]人も少数だが存在する<ref> 「DATA ATLAS」同朋社出版 p328 1995年4月26日発行</ref>。
[[アレックス・ヘイリー]]著の[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[奴隷#欧米|黒人奴隷]]を描いた小説、およびそれをもとにしたテレビドラマ『[[ルーツ (テレビドラマ)|ルーツ]]』に登場する{{仮リンク|クンタ・キンテ|en|Kunta Kinte}}は、このガンビア出身の人物をモデルとしている<ref name=":10" />。
=== 言語 ===
[[公用語]]は[[英語]]である。2014年3月に当時のジャメ大統領が英語を公用語から外すと発表したことがあるものの<ref name=":4" />、その後具体的な動きはないままジャメ大統領は失脚し、英語はそのまま公用語として使用されている。日常生活においては、[[マンディンカ語]]、[[フラニ語]]、[[ウォロフ語]]などの各民族語が使用されている<ref>「データブック オブ・ザ・ワールド 2016年版 世界各国要覧と最新統計」p266 二宮書店 平成28年1月10日発行</ref>。
=== 宗教 ===
{{main|{{仮リンク|ガンビアの宗教|en|Religion in the Gambia}}}}
[[イスラム教]]が95.7%、[[キリスト教]]が4.2%である<ref name=2021cia/>。
=== 教育 ===
{{main|{{仮リンク|ガンビアの教育|en|Education in the Gambia}}}}
教育制度は[[イギリスの教育|イギリスの制度]]を基にしている。2015年の推計によれば、15歳以上の国民の識字率は50.8%(男性:61.8%、女性:41.6%)である<ref name=2021cia/>。2018年の教育支出はGDPの2.4%であった<ref name=2021cia/>。
[[高等教育]]機関として、バンジュール郊外の[[カニフィング]]に1999年設立の[[ガンビア大学]]がある。
=== 保健 ===
{{main|{{仮リンク|ガンビアの保健|en|Health in the Gambia}}}}
[[後天性免疫不全症候群|エイズ]]の感染率は2%(2019年推定<ref name=2021cia />)で、2007年に当時のジャメ大統領が夢にて先祖が告げたとされるエイズ治療薬(実際には[[ハーブ]]や[[香辛料]]からなる薬湯)を制作。エイズ患者に[[抗ウイルス薬]]治療を止め自身が作った「治療薬」を服用するように命令し<ref>{{Cite news|title=Gambian president's claim of AIDS cure causes alarm|newspaper=[[USAトゥデイ]]|date=2007-2-20|language=en|url=https://usatoday30.usatoday.com/news/health/2007-02-20-gambia_x.htm|agency=[[AP通信]]|accessdate=2021-9-1}}</ref><ref>Dibba, L. M., [http://allafrica.com/stories/200701190658.html Jammeh starts curing HIV/AIDS patients today], ''The Daily Observer'' (Banjul), 18 January 2007.</ref>、医療専門家らの間では「患者たちに誤った希望を抱かせる」と非難されたことがある<ref>{{Cite news|url=https://jp.reuters.com/article/idJPTYE90K01S20130121/|title=ガンビアで公務員が週休3日に、「祈りの時間増やす」|date=2014-1-21|accessdate=2021-9-1|newspaper=ロイター通信}}</ref>。
{{sectstub}}
== 治安 ==
{{sectstub}}
=== 人権 ===
{{main|{{仮リンク|ガンビアの人権|en|Human rights in the Gambia}}}}
{{sectstub}}
{{See also|{{仮リンク|ガンビアにおける人身売買|en|Human trafficking in the Gambia}}}}
== マスコミ ==
{{main|ガンビアのメディア}}
国営の[[:en:Gambia Radio & Television Service|GRTS]]はガンビアで唯一の[[放送局]]である。2014年現在、日刊紙は政府系の新聞社である『{{仮リンク|Daily Observer|en|The Daily Observer}}』と独立した新聞社である『{{仮リンク|The Point|en|The Point (the Gambia)}}』の2社に加え{{sfn|林|2014|p=9}}、2008年からは『Today<small>([[:en:Today Newspaper (Gambia)|英語版]])</small>』が日刊紙となった{{sfn|林|2014|p=30}}。それ以外には独立系の『{{仮リンク|Foroyaa|en|Foroyaa}}』が週に2、3度発行される{{sfn|林|2014|p=9}}。
ガンビアの憲法は言論・思想・報道の自由を定めている{{sfn|林|2014|p=8}}。しかしジャメの軍政下では軍政の方針から外れる意見を述べたジャーナリストが逮捕、拘束、国外追放される状態にあり、2005年にはNGOの[[国境なき記者団]]のブラックリストにジャメの名前が掲載された{{sfn|林|2014|pp=8-9}}。
== 文化 ==
{{main|ガンビアの文化}}
{{sectstub}}
=== 食文化 ===
{{main|[[ガンビア料理]]}}
=== 音楽 ===
{{main|{{仮リンク|ガンビアの音楽|en|Music of the Gambia}}}}
=== 世界遺産 ===
{{Main|ガンビアの世界遺産}}
ガンビア国内には、[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の[[世界遺産]]リストに登録された[[文化遺産 (世界遺産)|文化遺産]]が2件登録されている ファイル:River gambia galleryfull.jpg|[[
ファイル:1014097-Wassu stone circles-The Gambia.jpg|[[セネガンビアの環状列石]](セネガルと共有
</gallery
=== 祝祭日 ===
{{main|{{仮リンク|ガンビアの祝日|en|Public holidays in the Gambia}}}}
{| class="wikitable"
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!日付
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|[[1月1日]]
|元日
|{{en|New Year's
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|1月13日<sup>†</sup>
|[[
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|<sup>†</sup>[[ヒジュラ暦|イスラム暦]]第3月の12日
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|[[2月18日]]
|独立記念日
|{{en|Independence Day}}
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|[[聖金曜日]]
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|[[復活祭]]
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|[[5月1日]]
|[[メーデー]]
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|[[7月22日]]
|共和国の日
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|7月28〜30日(2014年)<sup>†</sup>
|コリテ
([[ラマダーン]]明けの祝日)
([[イド・アル=フィトル|イード・アル・フィトル]])
|korite
|<sup>†</sup>[[ヒジュラ暦|イスラム暦]]第10月の1日~3日
|-
|[[8月15日]]
|[[聖母の被昇天|聖母被昇天]]
|
|
|-
|10月4日(2014年)<sup>†</sup>
|[[イード・アル=
|Tobaski
|<sup>†</sup>[[ヒジュラ暦|イスラム暦]]第12月の10日
|-
|[[12月25日]]
|[[クリスマス]]
|
|
|}
===
{{main|{{仮リンク|ガンビアのスポーツ|en|Sport in the Gambia}}}}
ガンビア国内でも他の[[アフリカ]]諸国同様に、[[サッカー]]が圧倒的に1番人気の[[スポーツ]]となっている。[[1965年]]にサッカーリーグの{{仮リンク|GFAリーグ・ファーストディビジョン|en|GFA League First Division}}が創設された。[[ガンビアサッカー連盟]](GFA)によって構成される[[サッカーガンビア代表]]は、[[FIFAワールドカップ]]には未出場である。しかし、[[アフリカネイションズカップ]]には[[アフリカネイションズカップ2021|2021年大会]]で初出場し、グループリーグでは[[サッカーチュニジア代表|チュニジア代表]]を破るなど快進撃をみせベスト8の成績を収めた。
{{See also|{{仮リンク|ガンビアのサッカー|en|Football in the Gambia}}}}
== 出典 ==
{{Reflist|2|refs=
<ref name=2021cia>{{CIA World Factbook link|countries|Gambia, The|access-date=2020-02-25}}</ref>
}}
== 参考文献 ==
* {{Citation|和書|last=林|first=典子|title=人間の尊厳 いま、この世界の片隅で: フォト・ドキュメンタリー|publisher=岩波書店|series=岩波新書 新赤版|volume=1471|date=2014-02-20|isbn=978-4-00-431471-4|ncid=BB14861135}}
== 関連項目 ==
* [[ガンビア関係記事の一覧]] - 英語版{{enlink|Index of Gambia-related articles}}
* [[ガンビアの都市の一覧]]<!--
* [[ガンビアの通信]]
210 ⟶ 323行目:
* [[ガンビアの軍事]]
* [[ガンビアの国際関係]]
* [[セネガル]]
* [[ルーツ (テレビドラマ)]]
* [[アレックス・ヘイリー]]-->
== 外部リンク ==
{{Commons&cat|The Gambia|Gambia|ガンビア}}
* 政府
** [http://www.gambia.com/ ガンビア共和国政府] {{en icon}}
** [http://www.statehouse.gm/ ガンビア大統領府] {{en icon}}
* 日本政府
** [
* 観光
** [http://www.gambiatourism.info/ ガンビア政府観光局] {{en icon}}
** {{Wikivoyage-inline|en:Gambia|ガンビア{{en icon}}}}
* その他
** {{CIA World Factbook link|countries|Gambia, The}}
** {{Curlie|Regional/Africa/Gambia}}
** {{Osmrelation|192774}}
** {{Wikiatlas|Gambia}} {{en icon}}
** {{Googlemap|ガンビア}}
** {{Kotobank}}
** [https://library.columbia.edu/libraries/global/virtual-libraries/african_studies/countries/gambia/gen.html コロンビア大学図書館によるガンビア研究用ポータル] {{en icon}}
{{GM-stub}}
{{アフリカ}}
{{イギリス連邦}}
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{{Normdaten}}
{{デフォルトソート:かんひあ}}
[[Category:ガンビア|*]]
[[Category:アフリカの国]]
[[Category:共和国]]
[[Category:イギリス連邦加盟国]]
[[Category:国際連合加盟国]]
[[Category:アフリカ連合加盟国]]
[[Category:イスラム協力機構加盟国]]
[[Category:後発開発途上国]]
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