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{{otheruses|唱歌|[[片仮名で「ホタルノヒカリ」と表記する]]の作品|ホタルノヒカリ}}
{{出典の明記|date=2011年12月}}
{{雑多な内容の箇条書き|date=2024年3月}}
[[File:Hotaru no Hikari(Auld lang syne in Japan).ogg|thumb|蛍の光の一番(全60秒)]]
{{sound|Auld Lang Syne - U.S. Army Band.ogg|原曲器楽奏|米陸軍軍楽隊}}
「'''蛍の光'''」(ほたるのひかり)は、日本の[[唱歌]]である。原曲は[[スコットランド]][[民謡]] 「[[オールド・ラング・サイン]]」であり、[[作詞]]は稲垣千頴による。
「'''蛍の光'''」(ほたるのひかり)<ref group="注釈">作詞時の曲名は『螢』、後に{{いつ|date=2024年3月}}『螢の光』となった。[[新字体]]では「蛍の光」となる。</ref> は、[[スコットランド]]の[[民謡]]「[[オールド・ラング・サイン]]」を原曲とした[[日本]]の[[編曲]][[文部省唱歌|唱歌]]である。日本語の訳詞は[[稲垣千頴]]による。
 
[[2006年]](平成18年)に[[文化庁]]と[[日本PTA全国協議会]]が「[[日本の歌百選]]」に選定した<ref>{{Cite web|url=https://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/hakusho_nenjihokokusho/archive/pdf/93732401_03.pdf |title=日本の歌百選 |format=PDF |publisher =文化庁 |accessdate=2024-03-24}}</ref>。
== タイトル ==
 
作詞時の曲名は『螢』、のちに『螢の光』となった。[[国語国字問題|漢字制限]]([[当用漢字]]、[[常用漢字]])により、現在の[[正書法]]では「蛍の光」となる。
本項では、原曲を三拍子にアレンジした「'''別れのワルツ'''」についても下記で記載する。
 
== 楽譜 ==
<score sound="1">
\relative c' {
\new PianoStaff <<
\new Staff { \key f \major \time 4/4 \partial 4
\new Voice {
c4 f4. f8 f4 a4 g4. f8 g4 a4 f4 f4 a4 c4 d2. \bar "" \break
d4 c4. a8 a4 f4 g4. f8 g4 a4 f4. d8 d4 c4 f2. \bar "" \break
d'4 c4. a8 a4 f4 g4. f8 g4 d'4 c4. a8 a4 c4 d2. \bar "" \break
d4 c4. a8 a4 f4 g4. f8 g4 a4 f4. d8 d4 c4 f2. \bar "|."
}
\addlyrics {
ほ た る の ひ か ー り ま ど の ゆ ー き
ふ み よ む つ き ー ひ か さ ね つ ー ゝ
い つ し か と し ー も す ぎ ー の と を
あ け て ぞ け さ ー は わ か れ ゆ ー く
}
}
>>
}
</score>
 
== 経緯 ==
[[オールド・ラング・サイン]]は、[[ヨーロッパ]]中に、さらには海を越えて[[アメリカ大陸]]へも普及していった。[[1881年]](明治1014代初頭日本で[[尋常小学校]]の[[文部省唱歌|唱歌]]として、[[小学唱歌集]]初編(小學唱歌集初編)が編纂するされたとき、[[稲垣千頴]]が作詞した[[今様]]形式の歌詞が、「蛍」の題名で採用され、「蛍の光」となった。
 
[[1941年]]12月、日本は[[第二次世界大戦]]へと突入。米英の音楽は禁止されたが、「蛍の光」は「[[夏の名残のばら|庭の千草]]」などと並んで日本化されているとして禁止対象から除外された<ref>「蛍の光」は差し支えない、英米音楽追放(『東京日日新聞』昭和16年12月31日)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p324 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年</ref>。
{{和暦|1881}}に[[尋常小学校]]の[[文部省唱歌|唱歌]]として小学唱歌集初編(小學唱歌集初編)に載せられた。
 
== 歌詞 ==
=== オリジナル ===
{{Lyric-safe}}
以下の歌詞は、小学唱歌集初編({{和暦|1881}}[[11月24日]]付)に掲載された時のものである。
以下の歌詞は、[[小学唱歌集]]初編([[1881年]](明治14年)[[11月24日]]付)に掲載されたものに基づき、現在通用の平仮名・句読点に統一したもの(左欄)と適宜に旧活字体の漢字を充てたもの(右欄)である。戦後は3番4番が歌われることは殆ど無い<ref>{{Cite web |title=蛍の光 歌詞の意味・現代語訳 唱歌・卒業ソング |url=https://www.worldfolksong.com/songbook/scotland/hotaru-hikari.html |website=世界の民謡・童謡 |access-date=2024-09-16 |language=ja}}</ref>。
 
{|class="wikitable"
! !! ほたる !! 漢字版
|-
|1
|ほたるのひかり、まどのゆき、<br />ふみよむつきひ、かさねつゝ、<br>いつしかとしも、すぎのとを、<br/>あけてぞけさは、わかれゆく。
|螢の光、窓の雪、<br />書む月日、重ねつゝ、<br/>何時しか年も、すぎの戸を、<br/>開けてぞ今朝は、別れ行く。
|-
|2
|とまるもゆくも、かぎりとて、<br />かたみにおもふ、ちよろづの、</br />こゝろのはしを、ひとことに、<br /br>さきくとばかり、うとうたふなり。
|止まるも行くも、限りとて、<br />互に思ふ、千萬の、<br />心の端を、一言に、<br />幸くと許り、歌なり。
|-
|3
|つくしのきみ、みちのおく、<br/>うみやまとほく、へだつとも、<br />そのまごろは、へだてなく、<br />ひとつにつくせ、くにのため。
|筑紫の極み、陸の奥、<br />海山遠く、隔つとも、<br />その心は、隔て無く、<br />一つにくせ、國の為。
|-
|4
|ちしまのおくも、おきなはも、<br />やしまのうちの、まもりなり。<br />いたらんくにに、いさをしく、<br />つとめよわがせ、つがなく。
|千島のも、沖繩も、<br />八洲の内の、護りなり<br />至らん國に、しく、<br />努めよ我が、恙無く。
|}
 
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歌詞の冒頭「蛍の光 窓の雪」とは、「[[蛍雪の功]]」と言われる、一途に学問に励む事を褒め称える[[中国]]の[[故事]]が由来である。
{{Cquote|[[東晋]]の時代の[[車胤]]は、家が貧乏で灯す油が買えなかったために蛍の光で勉強していた。同様に、同じ頃の[[孫康]]は、夜には窓の外に積もった雪に反射する月の光で勉強していた。そして、この2人はその重ねた学問により、長じて朝廷の高官に出世している。}}
 
=== 1番と2番のみが歌われる経緯 ===
現在は『蛍の光』は2番までしか歌われないことがほとんどだが、本来は4番まである。
 
3番と4番は、遠く離れ離れになっても、それがたとえ辺境の地であろうとも、国のために心をひとつにして元気にそれぞれの役割を果たそう、というような内容であった。戦後はこの[[国家主義]]的([[軍国主義]]、[[滅私奉公]])とも取れる歌詞が敬遠され{{who|date=2011年12月}}、また日本固有の領土である[[千島列島|千島]]や[[沖縄]]が他国の占領下に置かれたという事情もあり、教育現場への指導などによって歌われなくなっていったものと思われる。
 
なお、「至らん國に」の部分は様々な解釈が可能であり、日本の主権や正義が「至らぬ国(=敵国、蛮国)」、自身が「至らむ国(派遣される場所)」、「(いざ)至らん、国(故郷)に」など幾通りかの見解が存在する。
 
=== 文部省による改変 ===
3番は出版前の{{和暦|[[1881}}年]](明治14年)の段階では
{{Cquote|
つくしのきはみ みちのおく<br />
わかるゝみちは かはるとも<br />
かはらぬこころ ゆきかよひ<br />
ひとつにつくせ くにのため<br />
}}
という歌詞だった。これを文部省でチェックしたところ、普通学務局長の[[辻新次]]から「かはらぬこころ  ゆきかよひ」という部分が男女の間で交わす言葉だというクレーム指摘ついたために、翌年まで刊行が延びた。奥付は{{和暦|[[1881}}11年]](明治14年)11月であるが、実際に刊行されたのは{{和暦|[[1882}}4年]](明治15年)4月のことである。
 
4番の歌詞は、領土拡張により文部省の手によって何度か改変されている。
* [[千島列島|千島]]の奥も [[沖縄諸島|沖縄]]も [[八島|八洲]]の外の りなり(明治初期の案)
* 千島の奥も 沖縄も 八洲の内の りなり([[千島樺太交換条約]]・[[沖縄県の歴史#琉球処分|琉球処分]]による領土確定を受けて)
* 千島の奥も [[台湾]]も 八洲の内の りなり([[日清戦争]]による台湾割譲)
* 台湾の果ても [[樺太]]も 八洲の内の りなり([[日露戦争]]後)
 
== 歌われる場面使用例 ==
* 日本の学校における[[卒業式]]では、[[仰げば尊し]]と共に古くからよく演奏される曲の1つとして知られている。[[大日本帝国海軍]]では「告別行進曲」もしくは「ロングサイン」という題で[[海軍兵学校 (日本)|海軍兵学校]]の卒業式典曲として使われた。士官や特に戦功のある下士官等が、艦艇や航空隊等から離任する際にも、演奏もしくは再生された。
メロディのみの演奏については[[オールド・ラング・サイン#日本]]を参照。
* [[全国高等学校野球選手権大会]]の閉会式で最後に合唱される。
* [[NHK紅白歌合戦]]の最後に、この曲の全体合唱が行われる。かつては、2番まで歌われたことがあったが、最近は1番のみが歌われる。指揮は歴代順に、[[藤山一郎]]、[[宮川泰]]、[[平尾昌晃]]が担当している。
*『[[NHK紅白歌合戦]]』ではフィナーレでの結果発表の後に、エンディングとしてこの曲の大合唱が行われることが恒例となっている(『[[第4回NHK紅白歌合戦]]』以降。[[第14回NHK紅白歌合戦|第14回]]を除く)。かつては、2番まで歌われたことがあったが、後に1番のみとなった。詳細は[[NHK紅白歌合戦#放送の進行|当該項目]]を参照。
* [[東京ディズニーランド]]のカウントダウン・パーティにおいて、カウントダウンセレモニーの一環として3分前から2分から2分半の時間演奏される。
* [[1988年]]/[[1989年]]の年またぎまで放送されていた[[日本民間放送連盟|全民放版]][[ゆく年くる年# (テレビ)|ゆく年くる年]]では、[[一社提供]][[スポンサー]]・[[セイコーホールディングス|セイコー]]による午前0時の新年[[時報]]直前まで全国各地を[[生放送|生中継]]で結んで合唱されていた。
** [[1967年]]/[[1968年]]の回([[日本テレビ放送網|日本テレビ]]制作、司会:[[坂本九]]・[[吉永小百合]])では、[[ダークダックス]]が[[銀座|東京・銀座]]の[[和光 (商業施設)|和光]](セイコーの関連会社)の屋上で名物の時計台をバックに歌唱した(直後の新年時報は、同時計台の[[ウェストミンスターの鐘|ウェストミンスターチャイム]]による「生時報」)。なおこの場面はキネコ映像として現存している
** ただし[[1980年]]/[[1981年]]の回(日本テレビ制作、司会:[[徳光和夫]]・[[露木茂]]・[[金子勝彦]]他)では、生合唱どころか演奏も行わず、セイコーの[[コマーシャルメッセージ|CM]]内で流した(そのCM自体はこの時1回限りのオンエア。なお新年時報はそのCM明けに徳光が「皆様の時計セイコーが、0時お知らせします」とアナウンス放送した
* かつては[[阪神タイガース]][[阪神ファン|ファン]]が試合中、の名物応援であった。相手チームの[[投手]]が途中降板する際に「さよならさよなら○○(投手名)」と数回コールした後『蛍の光』の1番を応援団の指揮で演奏に合わせてファンが1番のみ、ペンライトの代わりに応援バットを左右に振って厳かにりながら合唱し、すぐさまテンションを上げ[[阪神タイガースの歌|六甲おろし]]大合唱に繋げるのが定番であった。これは、相手投手がグラウンドを去タイミングで別れの歌である『蛍の光』を歌い、手を振って「さようなら」のメッセージを伝えるという、挑発的な応援であったこのことに関他球団ファンを始め、阪神OBらも批判の声が多いことを受けて<ref>{{Cite web||2006url=https://www.j-cast.com/2019/02/12350180.html?p=all|title=相手への侮辱?伝統の応援? 阪神ファン「蛍の光」論争に球団は...|accessdate=2019-06-24|publisher=J-CASTニュース(2019年2月12日作成)}}</ref>、[[2006年]](平成18年)[[7月25日]]の対[[中日ドラゴンズ]]戦([[ナゴヤドーム]])から、阪神が優勢の時のみ歌う形に変更になった(同点・劣勢の時は新たに作られた[[オペレーションビクトリー]]という応援歌を歌うことになった。その後も『蛍の光』は2019年シーズンまで使用されたが、[[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|新型コロナウイルス感染症(COVID-19)]]流行に伴う鳴り物入り応援の休止を経て、再開以後も使用されなくなっている
* [[1950年]]の[[黒澤明]]監督映画『[[醜聞]]』の中で、クリスマスパーティで浮かれるバーの酔客が「来年こそは頑張る」と言ってこの歌を歌い始めると、金のため不正を働き葛藤する主人公の弁護士も、来年こそは蛆虫から真人間に変わるのだと決しながら涙し歌い、その場にいた全員がそれぞれの思いを噛みしめながら合唱する。
*[[ネコ]]の5匹組コーラスグループ[[MUSASHI'S]]がカバー、{{和暦|2008}}3月3日から[[Music.jp]]配信。
* 現在の[[新宿ゴールデン街]]は、1958年の[[売春防止法]]施行により、それ以前の「[[青線]]」と呼ばれる売春街が廃業した後、飲食店として再生して誕生したものである。同法施行直前の夜には、あちこちの店で娼婦と客が「蛍の光」を合唱したとされる<ref>[[岡留安則]]・[[荒木経惟]]著『新宿よ! 』(青峰社、1984年)58頁</ref>。
*[[1964年]]に行われた[[東京オリンピック]]の[[東京オリンピックの閉会式|閉会式]]では、この曲の大合唱で式典を締めくくった。
* [[1963年]][[7月]]公開の映画『[[日本一の色男]]』(監督 - [[古澤憲吾]])のプロローグ、女学校の卒業式で光等([[植木等]])の弾くピアノによってこの曲が歌われるが、直後、光等が曲を「無責任経」に替えて歌い踊った事で校長([[清水元]])と教頭([[佐田豊]])を怒らせ、光等は首となる。
* [[大相撲]]の{{和暦|1984}} 9月場所は[[蔵前国技館]]で開催された最後の場所であり、千秋楽では当時の協会役員、全幕内力士が土俵下に集結し、観客と一緒にペンライトを振って、この曲とともにフィナーレを飾った。
*[[1964年]]に行われた[[1964年東京オリンピック|東京オリンピック]]の[[1964年東京オリンピックの閉会式|閉会式]]では、この曲の大合唱で式典を締めくくった。
*学校の[[卒業式]]シーズンでは、在校生がよく歌う曲の1つとして現在も知られている。
**2014年5月13日に行われた[[国立霞ヶ丘競技場陸上競技場|国立競技場]]建て替え前の最後のイベント[[国立霞ヶ丘競技場陸上競技場#閉鎖記念イベント「SAYONARA国立競技場プロジェクト」|「SAYONARA国立競技場プロジェクト」]]では、先述の東京オリンピック閉会式に倣ってこの曲の大合唱で最後を飾った。
*[[大相撲]]の[[1984年]](昭和59年) 9月場所は[[蔵前国技館]]で開催された最後の場所であり、千秋楽では当時の協会役員、全幕内力士が土俵下に集結し、観客と一緒にペンライトを振って、この曲とともにフィナーレを飾った。
*[[ネコ]]の5匹組コーラスグループ[[MUSASHI'S]]がカバー、[[2008年]](平成20年)3月3日から[[Music.jp]]配信。
* NHK総合テレビで2014年12月16日に生放送された音楽番組『[[わが心の大阪メロディー]]』のエンディングで、米国人女優・[[シャーロット・ケイト・フォックス]](2014年度後期の[[連続テレビ小説]]『[[マッサン]]』のヒロイン役)がオールド・ラング・サイン(蛍の光の原曲)を歌唱した後、出演者全員で1番を大合唱した。
* [[赤塚不二夫]]の漫画『[[天才バカボン]]』では、バカボンのパパたちが先生と一緒に卒業しようとした際に、先生がバカ田大学に残ることを決めると、パパたちが裏切り者として先生を[[火あぶり]]にして『蛍の光』を歌う描写があった。
*『[[マッサン]]』の第22週終盤に、登場人物の息子が出征する事になり、壮行会では自宅に張り込んでいる特高刑事の耳に入らないよう、ウイスキー庫の戸を厳重に締め切り、主人公一家・工場の工員たちとオールド・ラング・サイン(蛍の光の原曲)を合唱していた。
*日本基督教団出版局刊行の「讃美歌第2編」370番に「目覚めよ わが霊、心励み」という歌詞が付けられて歌われている。「讃美歌21」では外されている。
 
=== メロディーのみの使用例 ===
==日本で演奏・使用される場面==
* かつて[[青函連絡船]]では、出港の際に放送されていた。[[青森駅]]と[[函館駅]]<!--国鉄・JRの場合、[[鉄道連絡船]]は鉄道駅の扱いのため。-->を結んだ[[青函連絡船]]において、毎回の出港時にメロディが流れた。米英との戦争が不可避といわれた1941年、乗客の船出の不安を取り除こうと飛鸞丸の事務掛だった大場良平が出航時にレコードで音楽を流していた。主に当時の流行歌を選曲していたが、5月のある日の午後遅くの出港時に何気なくかけた曲が「蛍の光」だった。それを耳にした乗客がすすり泣いたことから流すようになった。戦時中は軍部からの「出征兵士の見送りに相応しくない」との指示により一時中断したものの、戦後洞爺丸の就航時期に復活し、1970年代若年者が気に入る軽快な曲を」との意見もあったが終航まで続けられてきた<ref>{{Cite book|和書|author=原田伸一|title=海峡の鉄路 青函連絡船 110年の軌跡と記憶|publisher=北海道新聞社|date=2018-09-22|pages=41-42|isbn=978-4-89453-921-1}}</ref>。
** 現在では、[[東海汽船]]の貨客船が東京および各島を出港するときにBGMとして放送されている。
* [[東京ディズニーランド]]の[[カウントダウン・パーティー|カウントダウン・パーティ]]において、カウントダウンセレモニーの一環として3分前から2分から2分半の時間演奏される。
* [[日本プロ野球|プロ野球]]においてはその年限りで現役を引退する選手の引退セレモニーの際に演奏される場合があった。
** [[長嶋茂雄]]([[読売ジャイアンツ|巨人]]、[[1974年]][[10月14日]][[後楽園球場]]での対[[中日ドラゴンズ|中日]]戦)
** [[原辰徳]](巨人、[[1995年]][[10月8日]][[東京ドーム]]での対[[広島東洋カープ|広島]]戦)。「[[巨人の星 (アニメ)|巨人の星]]」(作曲:[[渡辺岳夫]])に 「オールド・ラング・サイン」を[[コラージュ]]した演奏曲に編曲されていた。
* [[北大阪急行]][[箕面萱野駅]]([[2024年]][[3月22日]]までは[[千里中央駅]])では、終電専用の発車メロディとして採用されている<ref>{{Citation|title=北大阪急行 千里中央駅 最終電車専用発車メロディ「蛍の光」|last=全国駅メロチャンネル|date=2021-03-16|url=https://www.youtube.com/watch?v=joiqUbWBgd8|access-date=2024-09-16}}</ref>。
** かつては[[1996年]](平成8年)まで[[阪急電鉄]][[大阪梅田駅 (阪急)|大阪梅田駅]]でも、[[第二次世界大戦]]後から長期に渡り、[[終電]]の発車メロディとして使用されていたが、「(蛍の光は別れの曲というイメージが強いため)暗い」「明日への元気を感じさせる元気な曲にしてほしい」という意見を受け、『[[第三の男]]』のテーマに変更された。
** 作詞:[[新沢としひこ]]、作曲:[[中川ひろたか]]、スコットランド民謡の歌曲「空より高く」。後半部分に「オールド・ラング・サイン」(蛍の光)のメロディが使用されている<ref>『PriPri 2016年特別号 卒園ソング大特集22曲 ピアノ譜』[[世界文化社]]、2015年、45頁。ISBN 978-4-418-16700-5</ref>。
 
== 別れのワルツ ==
大日本帝国海軍では「告別行進曲」もしくは「ロングサイン」という題で海軍兵学校や海軍機関学校等の卒業式典曲として使われた。士官や特に戦功のある下士官等が艦艇や航空隊等から離任する際にも演奏もしくは再生された。現在でも日本全国で卒業式の定番唱歌であるなど、別れの曲としてよく知られている。
{{main|オールド・ラング・サイン#別れのワルツ}}
 
== 録音ディスク ==
[[図書館]]・[[博物館]]などの[[公共施設]]や、[[商業施設]]で、閉館・閉店時間直前のBGMとして鳴らす。暗黙に客の退出を促している。又、一部の公共交通機関で終着地に到着する時に流れる場合も有る。
アナログレコードとしては、初出のユージン・コスマン楽団演奏のSP盤『別れのワルツ/アニー・ローリー』([[日本コロムビア]]L-10)、モノラルEP盤(日本コロムビアPP-7)、モノラルEPシングル盤(日本コロムビアLL-10)、疑似ステレオEP盤(日本コロムビア45S-10)、同一原盤による移行再発EP盤(日本コロムビアYK-10)がロングセラーとなり、クリスマス<ref name=YOMIURI>{{Cite news|和書|title=前年の旧盤が売れる クリスマス・レコード|newspaper=讀賣新聞|edition=夕刊|date=1954-11-05|page=2}}</ref>
や閉店などの場面で広く使用された。また録音劣化に伴い、学芸規格として実用レコードシリーズ『別れのワルツ-蛍の光-/家路-「新世界」より-(編曲:[[若松正司]]演奏:[[コロムビア・オーケストラ]] [[日本コロムビア]]GA-8)、『蛍の光/仰げば尊し』(編曲:[[岩窪ささを]]演奏:コロムビア・オーケストラ 日本コロムビアGA-10)も発売された。
 
世界中の音源から「蛍の光」に関する楽曲をオムニバス形式で集成し、詳細な解説と年譜を付したもの。
[[東京ディズニーランド]]のカウントダウン・パーティにおいて、カウントダウンセレモニーの一環として3分前から2分半演奏される。
*『螢の光のすべて』[[キングレコード]] [[2002年]]([[平成]]14年) KICG-3075
改定版も発売された。
*『螢の光のすべて 改定版』キングレコード [[2014年]] KICG-3263
 
== 別れのワルツ ==
日本では、多くの公共施設や商業施設において、閉館・閉店直前のBGMとして流されるという認識が多い「蛍の光」だが、実際は「蛍の光」ではなく、[[古関裕而]]編曲の「別れのワルツ」である。
 
4番まで歌っているCDとして、以下のものがある。
この「別れのワルツ」の初出は、[[メトロ・ゴールドウィン・メイヤー|MGM]]映画の「[[哀愁]]」で主役の二人がクラブで踊るシーンだった。この映画が日本で公開されたのは1949年で、映画とともに「別れのワルツ」も大ヒットした。そこでコロムビアレコードは「別れのワルツ」をレコード化しようとしたが、音源がなかったため、古関裕而に採譜と編曲を依頼。古関はこの仕事を完遂し、「別れのワルツ」はレコード化され、大ヒットした。そしてこの際、「編曲:ユージン・コスマン(EUGENE COSSMANN) 演奏:ユージン・コスマン管弦楽団」とレコードに表記されていた上、洋楽規格のレコードで発売されたため、人々はこれを外国録音の演奏だと思い込んでいた。実際には「ユージン・コスマン」なる人物は存在せず、「古関裕而」の名前をもじったものである。
 
== 録音ディスク ==
旧詩4番まで歌っているCDとして、以下のものがある。
*翻訳唱歌集『故郷を離るる歌』 歌手:[[藍川由美]]、チェンバロ: [[中野振一郎]] 日本コロムビア [[1998年]] COCO-80861
*最新実用シリクダックス愛唱歌全集~心ズ『式典・儀式うた~ 歌手:[[ダークダックス]]音楽』 キングレコード {{和暦|2005}}2002年 KICSKICG-62288175
*ダークダックス愛唱歌全集〜心のうた〜 歌手:[[ダークダックス]] キングレコード [[2005年]](平成17年) KICS-6228
 
[[ザ・ピーナッツ]]は、「オールド・ラング・サイン」のインストアレンジ「別れのワルツ」に「蛍の光」の歌詞を乗せた歌を歌っている(曲名は「別れのワルツ」)。{{jdate|[[2004}}年]]([[平成]]16年)発売の[[CD-BOX]]、ザ・ピーナッツ メモリーズBOXに収録している。
 
クラシック風のものとしては、ウィンナ・ワルツ演奏の巨匠として知られた[[ロベルト・シュトルツ]]が1960年代に[[ベルリン交響楽団]]を指揮してウイーン風ワルツ以外の作品を集めた「世界のワルツ」に「別れのワルツ」が収録されている。
アナログレコードとしては、実用レコードシリーズ『蛍の光/仰げば尊し』(編曲:[[岩窪ささを]]演奏:[[コロムビア・オーケストラ]] [[日本コロムビア]]GA-10)がロングセラーとなった。
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{reflist}}
 
== 参考文献 ==
* 文部省音楽取調掛編纂『小学唱歌集 初編』小学校師範学校中学校教科用書, 明治14年11月24日付, 高等師範学校付属音楽学校発行
* [[中西光雄]]『「'''蛍の光'''」と稲垣千頴-国民的唱歌と作詞者の数奇な運命-』(ぎょうせい)2012年2月29日 ISBN 978-4-324-09422-8
* 海峡の鉄路 青函連絡船 原田伸一 北海道新聞社 2018年
* [[大日方純夫]]著『唱歌「蛍の光」と[[大日本帝国|帝国日本]]』[https://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b608833.html]〈[[歴史文化ライブラリー]] 558〉、[[吉川弘文館]]、2022年10月、ISBN 9784642059589
 
== 外部リンク ==
{{Wikisource|蛍の光}}
*[http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=53012229&VOL_NUM=00001&KOMA=20&ITYPE=0 小学唱歌集 初編「第二十 螢」]
{{commonscat|Auld Lang Syne|オールド・ラング・サイン}}
*[http://www.geocities.jp/sybrma/254hotaru.aogebatoutoshi.html 唱歌「蛍の光」「あおげば尊し」]
*[{{NDLDC|992051/20}} 小学唱歌集 初編「第二十 螢」]
*[https://sybrma.sakura.ne.jp/254hotaru.aogebatoutoshi.html 唱歌「蛍の光」「あおげば尊し」]
*[https://sites.google.com/view/hotarunohikari/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0 「蛍の光」研究資料集]
*[https://www.youtube.com/watch?v=5eSqSPpJkAI 青函連絡船 最終日 出港時の「蛍の光」]
<!-- 構成その他再考要。編集の際はノートも参照 -->
{{紅白歌合戦}}
{{Normdaten}}
 
{{デフォルトソート:ほたるのひかり}}
[[Category:スコットランドの楽曲]]
[[Category:学校唱歌]]
[[Category:翻訳唱歌]]
[[Category:18801881]]
[[Category:卒業ソング]]
[[Category:日本の歌百選]]
[[Category:NHK紅白歌合戦歌唱楽曲]]
 
[[Category:ホタルを題材とした楽曲]]
[[en:Auld Lang Syne#In non-English speaking countries]]
[[Category:楽曲 ほ|たるのひかり]]
[[zh:螢之光]]
[[Category:光を題材とした楽曲]]