削除された内容 追加された内容
m 現職の追加
 
(18人の利用者による、間の20版が非表示)
1行目:
{{Infobox Musician <!--Wikipedia:ウィキプロジェクト 音楽家を参照-->
| Name = 福村 芳一
| Img =
| Img_capt =
| Img_size = <!-- サイズが250ピクセルに満たない場合のみ記入 -->
| Landscape = <!-- 画像の横幅が広く、高さが小さい場合に“yes”を記入 -->
| Background = classic
| Born = {{生年月日|1946||}}
| Birth_name = <!-- 個人のみ --><!-- 出生時の名前が公表されている場合にのみ記入 -->
| Alias =
| Blood = <!-- 個人のみ -->
| School_background = [[桐朋女子中学校・高等学校|桐朋学園高校音楽科]]
| Died =
| Origin = {{JPN}} [[東京都]]
| Instrument =
| Genre = [[クラシック音楽]]
| Occupation = [[指揮者]]
| Years_active =
| Label =
| Production =
| Associated_acts =
| Influences =
| URL =
| Current_members = <!-- グループのみ -->
| Past_members = <!-- グループのみ -->
| Notable_instruments =
}}
{{Portal クラシック音楽}}
'''福村 芳一'''(ふくむら よしかず、[[1946年]] - )は、[[日本]]の[[指揮者]]。
 
==・人物==
1946年、[[東京都]]生まれ。[[桐朋女子中学校・高等学校|桐朋学園高校音楽科]]およイタリア国立ローマの[[サンタ・チェチリア音楽院国立アカデミア]]に学ぶ<ref>{{Cite web|url=http://www.thaiticketmajor.com/concert/sacd5_eng.php|title=Sony Super Audio CD Concert V To celebrate the 15th year of Sony Thailand|publisher=THAITICKETMAJOR|accessdate=2015-02-28}}</ref>。指揮法を[[岩城宏之]]、[[フランコ・フェラーラ]]、作曲をヤコボ・ナポリ、ピアノを[[本荘玲子]] に師事する
 
[[藤原歌劇団]]副指揮者、[[京都市交響楽団]]副指揮者を経て、1967年、[[京都市交響楽団]]118回定期演奏会を指揮して楽壇にデビューする(プログラムは[[ピョートル・チャイコフスキー|チャイコフスキー]]の[[交響曲第4番 (チャイコフスキー)|交響曲第4番]]など)。以後、東京を始めとする日本各地の主要オーケストラに招かれ、客演指揮活動をする。
 
1970年以降、[[京都市交響楽団]]主席指揮者、[[名古屋フィルハーモニー交響楽団]]常任指揮者、[[仙台フィルハーモニー管弦楽団]]常任指揮者、 [[日本放送協会|NHK]]世界の音楽レギュラー指揮者、[[東京シティ・バレエ団]]指揮者などを務める。
 
1976年、第2回[[ジョン・プレイヤー国際指揮者コンクール]](イギリス)にて第2位に入賞、併せてジョン・プレーヤー特別賞を受賞する。その後、[[ボーンマス交響楽団]]とのイギリス各地での公演を皮切りに、[[BBC交響楽団]]、[[ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団]]、ボーンマス・シンフォニエッタ、ローマ・[[サンタチェチリア国立アカデミー管弦楽団]]、[[RAI国立交響楽団|イタリア放送管弦交響楽団]]、シチリア交響楽団、[[ハンガリー国立放送管弦交響楽団]]、ブダペスト・ドホナーニ交響楽団、ベネズエラ国立交響楽団、コロンビア国立交響楽団、コスタリカ国立交響楽団、キューバ国立交響楽団、[[香港フィルハーモニー管弦楽団]]韓国[[KBS交響楽団]][[シンガポール交響楽団]][[フィリピン・フィルハーモニー管弦楽団]]、[[北京中央交響楽団]]、[[上海交響楽団]]、等などに招かれ、同時に日本国内の主要オーケストラへの客演、[[テレビ朝日]]『[[題名のない音楽会]]』、[[TBSテレビ|TBS]]『[[オーケストラがやって来た]]』を始めとするテレビ、ラジオへのレギュラー出演など、国内外での演奏活動を精力的に行う。
 
1987年、アジア最古のオーケストラとして伝統を誇る[[上海交響楽団]]席客演指揮者に就任し、北京国際芸術祭、香港アジア国際音楽祭、マカオ音楽祭、中国各地でのコンサートおよびレコーディング活動を行い、1989年10月には、[[上海交響楽団]]を率いて初の日本公演を行い、高い評価を受ける。 
 
1990年以降、ヴェトナム政府の要請により[[ヴェトナム国立交響楽団]]の再建・育成を手掛ける。この指導に奮闘する様子は931993年フジテレビで特集番組として取り上げられ、反響を呼んだ。
 
その傍ら、[[キューバ国立交響楽団]]およびチリ国立交響楽団の首席客演指揮者を兼任し、[[サンパウロ]]市立歌劇場管弦楽団、メキシコ・フィルハーモニー、アルゼンチン国立交響楽団、ブエノスアイレス・フィルハーモニー、[[メンドーサ州]]立交響楽団、[[SODRE交響楽団|ウルグアイ国立SODRE交響楽団]]、モンテヴィデオ・フィルハーモニー(ウルグアイ)、ボゴタ・フィルハーモニー(コロンビア)、シモン・ボリーバル交響楽団(ベネズエラ)、プエルトリコ交響楽団、エクアドル国立交響楽団、ペルー国立交響楽団、パナマ国立交響楽団、グアテマラ国立交響楽団、アスンシオン市立管弦楽団(パラグアイ)、ホンジュラス国立交響楽団、台湾国立交響楽団、香港フィルハーモニー管弦楽団[[ソウル・フィルハーモニック]]、インド・カルカッタ・ファンデーション管弦楽団、ニューデリー交響楽団など、アジア、ラテンアメリカのほぼ全域にわたる演奏活動を展開する。
 
1995年キューバ政府より、また1998年にはヴェトナム政府より、それぞれの国立交響楽団の長年にわたる育成、貢献により文化功労勲章”を授与される。
 
2000年9月、ヴェトナム国立交響楽団を率いて北京、上海を始め中国各地での演奏旅行を行い大成功を収める。また同年11月にはタイのバンコクに於いて、念願のアジア諸国から選定された演奏家90名のオーケストラ([[Pan(Pan Asian Philharmonic Orchestra]])Orchestra)を組織し、 SONY-Thaiのスポンサーによりコンサートを実現し、2006年まで毎年多くのコンサートを開催する。
 
これまで、[[キューバ国立交響楽団]]席名誉指揮者、および[[ヴェトナム国立ホーチミン市音楽院管弦楽団]] の音楽監督を務め、毎年ハバナとホーチミン市をそれぞれ訪問し、音楽指導および多くのソリストを招いてコンサートを行ってきた。
 
2010年10月末には、ベトナムの首都ハノイで開催された第17回[[ASEANサミット]]” で、[[ASEAN]] 加盟10カ国の音楽家で編成されたASEAN 交響楽団([[Asean(Asean Symphony Orchestra]])Orchestra)の初代首席指揮者に就任し、[[日本財団]]の助成により[[ASEANサミット]]に華を添える初のクラシック・コンサートをハノイ市とホーチミン市で計3回行い、大きな話題となった。
 
2011年9月、キューバ国立交響楽団のハバナでのコンサートに、NYニューヨークから[[五嶋龍]](ヴァイオリン奏者)、[[若尾圭介]]([[ボストン交響楽団]]準首席オーボエ奏者)を招き、[[在キューバ日本大使館|在キューバ日本大使館]]の後援のもと、“[[東日本大震災]]追悼コンサート”を開催した。同年10月上旬には、プノンペンで開催された“カンボジア盲人協会支援チャリティ・コンサート”に五嶋龍を独奏者に招き、カンボジア人演奏家を加えたASEAN交響楽団のメンバーと共に、[[カンボジア内戦]]後初の本格的なシンフォニー・コンサートを開催した
 
2016年5月より、[[フィリピン・フィルハーモニー管弦楽団]]の音楽監督・首席指揮者を務めた。
同年10 月上旬には、プノンペンで開催された”カンボジア盲人協会支援チャリティ・コンサート”に[[五嶋龍]]を独奏者に招き、カンボジア人演奏家を加えた ASEAN 交響楽団のメンバーと共に、カンボジア内戦後初の本格的なシンフォニー・コンサートを開催した。
 
== 脚注 ==
{{Reflist}}
 
{{Normdaten}}
{{Classic-stub}}
{{Music-bio-stub}}
 
{{DEFAULTSORT:ふくむら よしかす}}
[[Category:日本の指揮者]]
[[Category:存命人物]]
[[Category:東京都出身の人物]]
[[Category:1946年生]]
[[Category:存命人物]]
 
[[en:Yoshikazu Fukumura]]