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{{別人|櫻井哲雄|櫻井哲男|桜井哲夫}}
{{Infobox Musician <!--Wikipedia:ウィキプロジェクト 音楽家を参照-->
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| Name = 櫻井哲夫
|存命人物の出典明記=2015-06
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{{Infobox Musician<!-- プロジェクト:音楽家を参照 -->
'''櫻井(桜井)哲夫'''(さくらい てつお、[[1957年]][[11月13日]] - )は、[[東京都]]出身の[[日本]]の[[ベーシスト]]。[[慶應義塾大学]]卒業。血液型A型。日本を代表する[[フュージョン (音楽)|フュージョン]]バンド、[[カシオペア (バンド)|カシオペア]]にかつて在籍していたオリジナルメンバー。脱退後は[[シャンバラ (バンド)|シャンバラ]]や[[ジンサク]]を経て、現在はソロ・アーティストとして活動している。
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|別名 = 桜井 哲夫<!-- ミュージシャン/グループの別名を記載。愛称や略称ではありません -->
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|公式サイト = [http://www.tetsuosakurai.com/ TETSUOSAKURAI.COM]
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'''櫻井 哲夫'''('''桜井 哲夫'''、さくらい てつお、[[1957年]][[11月13日]] - )は、[[東京都]]出身の、[[日本]]の[[ベーシスト]]。[[慶應義塾大学大学院商学研究科・商学部|慶應義塾大学商学部]]卒業。血液型A型。[[フュージョン (音楽)|フュージョン]]バンド、[[カシオペア (バンド)|カシオペア]]にかつて在籍していたオリジナルメンバー。脱退後は、[[シャンバラ (バンド)|シャンバラ]]や[[ジンサク]]を経て、現在はソロ・アーティストとフュージョンバンドの[[かつしかトリオ]]と並行して活動している。
 
== 人物・来歴 ==
=== 幼少期 - カシオペア結成まで ===
[[慶應義塾志木高等学校]]1年生の時に、[[野呂一生]]と出会い、その後カシオペアを結成。[[1976年]]、櫻井の提案で[[ヤマハ]]のアマチュア・バンド・コンテスト「EAST WEST '76」に出場。翌年にもカシオペアは出場し、最優秀グループ賞を獲得するなどしてプロへの足がかりを作る。[[1979年]][[5月25日]]、日本におけるフュージョンブームの真っ直中、カシオペアはアルバム『[[CASIOPEA (アルバム)|CASIOPEA]]』でレコードデビュー。
[[千代田区立番町小学校]]、[[千代田区立麹町中学校]]卒業<ref>{{Cite web|和書|title=ベーシスト 櫻井哲夫(1) |url=https://www.nikkei.com/article/DGKKZO75495010T21C23A0BE0P00/ |website=日本経済新聞 |date=2023-10-23 |access-date=2023-11-07 |language=ja}}</ref>。4歳でクラシック・ピアノを始め、小学校~中学校には[[柔道|柔道部]]に所属。中学生の時にベースを始めて、バンド活動も開始。[[慶應義塾志木高等学校]]在籍時における校内でのバンド活動は[[ハードロック]]を趣向としていた。また、学校以外の演奏活動の場として、後に[[プリズム (バンド)|プリズム]]を結成する[[和田アキラ]]、[[久米大作]]ら同年代の者たちもいた都内のロック演奏のコミュニティにも所属。そこで櫻井が高校二年生の時に高校三年生であった[[野呂一生]]と出会って意気投合し、[[ベック・ボガート & アピス]]を目標として都内の練習スタジオでセッションしだすようになる。これが後に結成するカシオペアの始まりとなる。この頃、野呂はすでに作曲活動し始めていて、カシオペアの初期アルバムにも収録される曲を次々と櫻井に披露し、櫻井は野呂の才能にいっそう惚れ込むようになった。野呂がいくつかのセミプロバンドを渡り歩いた後、その自作曲を元にした櫻井とのバンド活動にシフトが置かれるようになる。ボーカルを従える時期などもあったが、野呂と櫻井以外は常にメンバーは流動的で、次第にハードロックやファンクをベースとして、そこにジャズのエッセンスが加えられたインスト音楽にバンドの方向性は持って行かれた。
 
=== カシオペアとしてデビュー ===
カシオペアでのバンド活動と平行して、櫻井は慶應義塾大学に進学。1979年暮れ、二足のわらじを履く日々を送っていたある日、在籍していた[[ゼミナール|ゼミ]](商学部[[佐野陽子]]研究会)の仲間のツテで同大学のジャズのビッグ・バンド[[慶應義塾大学ライトミュージックソサエティ]]から就職試験で出演出来ないベーシストの代役を頼まれてこれを受諾。そこで出会ったのがそのビッグ・バンドに在籍していたドラムの[[神保彰]]だった。神保に卓越した才能を見いだした櫻井は彼をカシオペアのドラマーに推薦し、カシオペアはメンバーとスタッフ総出で神保を口説き落としてメンバーに迎えた。
バンドの名称をカシオペアと改めた後、櫻井の提案で[[1976年]]にカシオペアは日本楽器製造([[ヤマハ]])東京支店主催のアマチュア・バンド・コンテスト「[[EastWest]] '76」に出場し、決勝大会まで進出したことでアマチュア・シーンに広く名前が知られるようになる。翌年、カシオペアは[[向谷実]]を入れて再出場。決勝大会に進出し、優秀グループ賞を獲得するなどしてこれがプロへの足がかりとなる。[[1979年]][[5月25日]]、日本におけるフュージョンブームの真っ直中、カシオペアはアルバム『[[CASIOPEA (アルバム)|CASIOPEA]]』でレコードデビューした。
 
当時流行だったこともあり、デビュー時から[[スラップ奏法]](チョッパー奏法)を多用。カシオペアはデビューアルバム『CASIOPEA』に付けられた[[キャッチコピー]]「スリル、スピード、スーパー・テクニック」の表現通り、超絶技巧でアクロバティックな演奏スタイルの中、リズムを支える櫻井はそれに加えてさらに安定感あるプレイでデビュー時から定評があった。派手さと安定感を両立させた演奏スタイル、さらにメイン・コンポーザーである野呂一生の作・編曲においてメロディ楽器と同等に目立つことができたベースは、多くのアマチュア・ベーシストの憧れとなり、[[須藤満]]、[[徳永暁人]]、[[日野賢二]]など後にプロ・ベーシストとなっていくフォロワーも生んだ。
[[1989年]]、カシオペアのメンバー同士だった神保と結成したボーカルユニット、[[シャンバラ (バンド)|シャンバラ]]の処遇をめぐってカシオペア内でリーダーの野呂、[[向谷実]]と対立。結果、神保と共にこの年限りでカシオペアを脱退してしまう。翌[[1990年]]に2人はインストルメンタル音楽のユニット、[[ジンサク]]を結成。活動当初は[[ラテン音楽]]をモチーフにフュージョンシーンでの活動を行い、その後はフュージョンのジャンルを超えて[[ベース (弦楽器)|ベース]]と[[ドラムセット|ドラム]]による多岐にわたった音楽性を提示しつつも[[1998年]]にユニットを解消。以降はソロアーティストとしてリーダープロジェクトでの活動の他に数々のセッションに参加している。多弦ベーシストの草分け的存在である。
 
=== カシオペア全盛期 ===
2009年[[5月27日]]、野呂とアコースティック・デュオ「PEGASUS」を結成し、7月から12月にかけてライブ活動を行った。2010年にライヴ・アルバムをリリース予定とし、アルバム・デビューする。
櫻井はカシオペアでのバンド活動と併行して、慶應義塾大学に進学。デビュー後の1979年秋、二足のわらじを履く日々を送っていたある日、在籍していた[[ゼミナール|ゼミ]](商学部[[佐野陽子]]研究会)の仲間のツテで同大学のジャズのビッグ・バンド、[[慶應義塾大学ライトミュージックソサエティ]]から就職試験でライブに出演出来ないベーシストの代役を頼まれて受諾。そこで出会ったのがそのビッグ・バンドに在籍していたドラマーの[[神保彰]]だった。当時のカシオペアはドラマー・[[佐々木隆 (ミュージシャン)|佐々木隆]]が脱退することが決定事項となっていて、神保に卓越した才能を見いだした櫻井はカシオペアの次期ドラマーに推薦し、カシオペアはメンバーとスタッフ総出で神保を口説き落としてメンバーに迎え入れた。
 
[[1982年]]、カシオペアは本格的な海外活動開始していく前に、当時の所属レコード会社、[[アルファレコード]]の計らいで、メンバーがバラバラで世界の好きなところに一人旅に出掛けて海外渡航経験を積むことにした。櫻井は[[ブラジル]]を選んだ。1980年代当時のカシオペアのメンバーは皆、普段聴く音楽に[[ラテン音楽]]の一ジャンルであるブラジル発祥の[[ムジカ・ポプラール・ブラジレイラ|MPB]]を趣向としていて、とくに櫻井は傾倒していたからである。ブラジル音楽好きのその熱意が買われて、[[1986年]]には音楽誌『ADLiB』のインタビューアーとして来日公演中だった[[ブラジル人]]歌手の[[ジャヴァン]]に対面。その際、櫻井は自身が制作中だった初のソロアルバム『DEWDROPS』のデモテープを聴かせたところ、収録曲の一つ「In The Distance」がジャヴァンに気に入られて、翌[[1987年]]発表のジャヴァンのアルバム『君の瞳は海』にもカバーされることになった。また、この年、カシオペアは[[ジルベルト・ジル]]の招きによってブラジルにライブツアーに出掛け、現地でジャヴァンと再会を果たし、この年に制作するアルバム『[[PLATINUM (カシオペアのアルバム)|PLATINUM]]』にゲスト参加することも約束されて適うことになった。この頃より[[ヤマハ]]より6弦ベースの「[[ヤマハ・TRB]]」をベースとしたシグニチャー・モデルが製作され、「ヤマハ・TRB-S」として市販される(現在は廃盤)。
 
=== カシオペア脱退 - ジンサク結成 ===
[[1989年]]、カシオペアのメンバー同士だった神保と結成したボーカルユニット、[[シャンバラ (バンド)|シャンバラ]]の処遇をめぐってカシオペア内でリーダーの野呂、[[向谷実]]と対立。結果、神保と共にこの年限りでカシオペアを脱退してしまう。翌[[1990年]]にふたりはインストルメンタル音楽のユニット、[[ジンサク]]を結成。活動当初はラテン音楽をモチーフにフュージョンシーンでの活動を行い、その後はフュージョンのジャンルを超えて[[ベース (弦楽器)|ベース]]と[[ドラムセット|ドラム]]による多岐にわたった音楽性を提示しつつも[[1998年]][[2月]]に解散した。
 
=== ジンサク解散 - ソロ活動へ ===
ジンサク解散以降はソロアーティストとしてリーダープロジェクトでの活動の他に数々のセッションに参加している。なかでも[[世良公則]]、[[野村義男]]らとは、[[1997年]]にジンサクが番組ホストを務めたスタジオライブセッション番組「THE MINT CLUB」([[ジャパンイメージコミュニケーションズ|JIC]]が運営する専門チャンネル、地球の声と後に[[MONDO TV|MONDO 21]]でも放送)でゲストに迎えて以来意気投合し、現在に至るまで頻繁に共演するようになっていく。
 
[[2009年]]、ソロアルバム『MY DEAR MUSICLIFE』の制作がきっかけとなり、野呂一生と共にデビュー30周年記念としてアコースティック・デュオ、'''PEGASUS'''が結成され、7月から12月にかけてライブ活動を行った。[[2012年]]、旧知の[[マーカス・ミラー]]をゲストに迎えるなどして、ベースをフィーチャリングしたソロアルバム『TALKING BASS』を制作。また近年は[[ジャコ・パストリアス]]の[[トリビュート]]・ライブを毎年のジャコの命日([[9月21日]])に行っており、2012年は全国ツアーも行われた。そして[[2013年]]にはライブの参加メンバーをバンド化させた'''櫻井哲夫JACOトリビュート・バンド'''としてアルバム『IT'S A JACO TIME!』が制作された。
 
=== ジンサク再結成、かつしかトリオ結成 - 近年の活動 ===
[[2019年の日本|2019年]]に神保彰が[[還暦]]記念ライブを開催し、そこに櫻井が出演し、JIMSAKU名義のステージが21年ぶりに行われて一夜限りの復活を果たした。それを機に、二人にとってかつてのメインとなる活動にはならないものの、JIMSAKUは再結成して、[[2021年]]には新作アルバム『JIMSAKU BEYOND』を発表した。この同時期、向谷実との交流と共演も以前より頻繁となり、櫻井のソロライブへもスケジュールの都合さえ付けば都内近郊だけではなく地方公演でもゲスト参加するなど、元カシオペアのメンバーどうしだった二人との距離は再び近くなっていった。
 
2021年、神保がメインとしている活動で、通常は神保が単身で演奏をするワンマンオーケストラの[[かつしかシンフォニーヒルズ]]公演には櫻井と向谷の両人をゲストで招くこととなり、三人の共演形態に名称を付けることとなって、ホール名に因んで'''[[かつしかトリオ]]'''とした。当初はそこでの一回限りを予定したものであったが、前評判の高さから複数個所のライブツアーに拡げて行った。ライブの演奏曲目は各々が在籍していた時代におけるカシオペアの自作曲が中心で詰めかけたファンを歓喜させた。その盛況ぶりから翌[[2022年の日本|2022年]]以降もかつしかトリオは活動を継続することとなり、その2022年は前年よりも拡大したライブツアーに加えて、書き下ろしの新曲三曲をレコーディングして配信でのリリースがなされた。
 
== エピソード ==
* 1980年代、アイドル的人気があったカシオペアのメンバーの中で最後の独身者であり、そのルックスと相まってとりわけ女性からの人気が高かった。当時、同じカシオペアのメンバーだった[[向谷実]]の著書『フュージョン狂時代』([[1995年]]刊)には、そんな熱狂的女性ファンの突飛な行動([[ウェディングドレス]]姿でライブ会場に現れたなど)の思い出話が綴られている。
* 1990年代前半のジンサクでの活動期、所属事務所がモデル事務所だったこともあり、“プロミュージシャン・櫻井哲夫”ではなく、単にモデルとして、[[メルセデス・ベンツ]]「[[メルセデス・ベンツ W201|190クラス]]」と[[シャープ]]の[[ワードプロセッサ|ワープロ]]「[[書院 (ワープロ)|書院]]」のCMやカタログ等に出演したことがある。最近ではサントラで参加した映画『[[さらば あぶない刑事]]』にホテルでウッドベースを弾くミュージシャンの役で出演した。
* アマチュア時代にカシオペアを見出し、後には櫻井の後任としてカシオペアに加入した[[鳴瀬喜博]]とは、誕生日が同じ[[11月13日]](鳴瀬の方が8歳上)である。また、櫻井の兄が初代ベーシストだったロックバンド、バッドシーンがメジャー・デビューすべく、メンバー強化した際に加入した三代目ベーシストが鳴瀬だったという縁もある。[[ベースマガジン]]Vol.3における対談では、櫻井が一方的に鳴瀬を知っていて、自分の兄の代わりに入ったベーシストがどんな人物だったか関心があったと語っていた。
 
== 使用楽器 ==
=== 近年 ===
[[ワーウィック (楽器メーカー)|ワーウィック]]の[[6弦ベース]]で、インフィニティのシグネイチャーモデルを使っている<ref>{{Facebook|@tetsuo_sakurai_bass|10155286231118532}}</ref>。その他に同社の[[5弦ベース]]で、インフィニティのシグネイチャーモデルである“Tetsuo Sakurai Custom Model”とストリーマーの特別仕様である“Rusty”をメインで使っている。
 
[[2012年]]に国内で販売されていたインフィニティの5弦ベースを自ら選定して使い出したことがきっかけとなり、その功績が認められてワーウィック社とエンドース契約した。[[2013年]]からはワーウィック社から提供された上述のものを使っている。2013年9月には[[ドイツ]]の本社で行われたWarwick Open Dayというイベントに、Warwick Familyとして招かれ、現地のステージでソロ演奏も披露した。
 
意欲的に取り組んでいる[[ジャコ・パストリアス]]の曲を弾く場合は[[フェンダー (楽器メーカー)#フェンダー・カスタムショップ|フェンダー・カスタムショップ]]製のジャコ・パストリアス・トリビュート・[[フェンダー・ジャズベース|ジャズベース]]という拘りも見せている。また、ジャズのセッションなどには[[エレクトリック・アップライト・ベース]]も使っている。
 
=== 過去 ===
カシオペアでのデビュー時は[[フェンダー (楽器メーカー)|フェンダー]]の[[フェンダー・ジャズベース|ジャズベース]]を使っていた。[[1979年]]発表のカシオペアのセカンドアルバム『[[SUPER FLIGHT]]』レコーディング時に自作曲「Sailing Alone」を[[フレットレスベース]]で演奏する際、初めて[[ヤマハ]]のベース、BB-2000を使う。翌[[1980年]]にはメインで使っていたフレッテッドの方もヤマハBB-2000となり、以降も市販に先駆けて作られたBBのプロトタイプを使っていき、[[1980年代]]における代表的な[[ヤマハ・BB]]ユーザーとなっていった。なお、[[2009年]]に発表した教則DVD『SAKURAI STYLE SLAP BASS』では、[[1982年]]発表のカシオペアの名作アルバム『[[MINT JAMS]]』で使っていた白いBBのオリジナルモデル(ライナーノーツ記載の名称は“BB-2000 MILK BASS”で、BB-3000のプロトタイプ)が久々に使われ、同時期に発表したソロアルバム『MY DEAR MUSICLIFE』にてセルフカバーで取り上げ、『MINT JAMS』にも収録されてある「DOMINO LINE」を題材にし、得意の[[スラップ奏法]](チョッパー奏法)の極意が伝授されている。
 
日本人における多弦ベースプレーヤーの草分けでもあり、ヤマハがまだ5弦ベースの市販に乗り出す前の[[1984年]]夏からBB-3000の5弦仕様(いわゆるBB-5000のプロトタイプ)を使い始めた。以降も櫻井自ら考案したオリジナルデザインのボディシェイプを持つヘッドレス仕様やBB-5000市販モデルなどを使っていき、やはりヤマハがまだ[[6弦ベース]]の市販に乗り出す前の[[1988年]]春からはTRBモデルの6弦仕様のプロトタイプを使うようにもなる。カシオペアがその1988年に収録した映像作品『JOIA』([[1989年]]発表)にはほぼ全編にわたってそれを弾く姿が収められている。翌1989年にそのプロトタイプを元にシグネイチャー・モデルのTRB-Sが製作されて同年に市販もなされた。[[1990年代]]、カシオペア脱退後のジンサクにおける活動期でも6弦ベースを中心に使っていき、TRB-SからTRBのオリジナル仕様となるプロトタイプを経て、初代のTRB-Sとは大幅に仕様が異なる二代目のTRB-S2が製作されて[[2000年]]に市販もなされた。ジンサクのユニット解消後の[[2000年代]]は、それまでのフュージョン中心ではなく、さまざまなフィールドの音楽シーンにおいて活動するようになったのもあって、ヤマハとの契約が終了した後に再びフェンダーのジャズベースや[[フォデラ・ギターズ]]のものを使っていくようになった。
 
== ディスコグラフィ ==
=== ソロアルバム ===
{| class="wikitable"
! タイトル !! 発売年 !! レーベル
|-
| ''DEWDROPS'' || 1986年 || [[ビクターエンタテインメント]]
|-
| ''A GATE OF THE 21st CENTURY'' - 21世紀の扉 - || 1999年 || [[日本クラウン]]
|-
| ''TLM 20 - Live Memories of 20 years -'' || 2000年 || ビクターエンタテインメント
|-
| ''GENTLE HEARTS'' || 2001年 || ビクターエンタテインメント
|-
| ''Cartas do Brasil'' - ブラジルからの手紙 - || 2003年 || ビクターエンタテインメント
|-
| ''GENTLE HEARTS TOUR 2004'' || 2004年 || ビクターエンタテインメント
|-
| ''Brasil Connection: Vol.1'' || 2006年 || Sakuravibe
|-
| ''Brasil Connection: Vol.2'' || 2006年 || Sakuravibe
|-
| ''My Dear Musiclife'' || 2009年 || [[キングレコード]]
|-
| ''[[VITAL WORLD]]'' || 2010年 || [[キングレコード]]
|-
| ''[[Talking Bass]]'' || 2012年 || [[キングレコード]]
|-
|''[[IT'S A JACO TIME!]]''||2013年||[[キングレコード]]
|-
|''[[Nothin' but the Bass]]''||2015年||[[キングレコード]]
|}
 
== 参加作品 ==
{{節スタブ}}
* [[田原俊彦]]
** [[MY FAVORITE SONGS (田原俊彦のアルバム)|MY FAVORITE SONGS]]
* [[TM NETWORK]]
** [[humansystem|Children of the New Century]]
 
=== サウンドトラック ===
* [[愛しの刑事]]
* [[七曲署捜査一係]]
* [[名探偵コナン 14番目の標的]] オリジナル・サウンドトラック
: 「コナンが通る」
: 「アクアクリスタル」
: 「アクアクリスタル内へ」
: 「Aの予感」
 
== 参考文献 ==
* 『櫻井哲夫/サクライ・スタイル・スラップ・ベース』[DVD] [[2009年]][[12月24日]] リットーミュージック発行 ISBN 978-4845617586
*『櫻井哲夫 密着365日 〜国境を越えて音世界を旅するベーシストの日々〜』[DVD][[2017年の日本|2017年]][[5月28日|5月28]]日 アルファノート発行 ISBN 978-4906954629
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
 
=== 注釈・出典 ===
{{Reflist}}
 
== 外部リンク ==
; 公式サイト
* [http://www.tetsuosakurai.com/ TETSUOSAKURAI.COM]
* [https://web.archive.org/web/20011004234743/http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/8413/index.html CATASTROPHE OF THE RHYTHM SUITE]
* [http://www.jvcmusic.co.jp/-/Discography/A000923/-.html @Victor Entertainment レコード会社ディスコグラフィ]
 
; [[ソーシャル・ネットワーキング・サービス|SNS]]
* {{Twitter|tetsuo_sakurai|Tetsuo Sakurai}}
* {{Instagram|tetsuo.sakurai.bass|Tetsuo Sakurai}}
* {{Facebook|TetsuoSakuraiOfficial|櫻井哲夫}}
 
; [[動画共有サービス]]
* {{YouTube|channel=UCkDTm2UqvZwZIyZ1z5pVzoQ|tetsuo sakurai}}
 
; 所属レーベル
* [https://www.jvcmusic.co.jp/-/Artist/A000923.html @Victor Entertainment レコード会社ディスコグラフィ]
* [https://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=39588 櫻井哲夫 サクライテツオ KING RECORDS OFFICIAL SITE]
 
; データベース
* {{discogs artist |artist=639934-Tetsuo-Sakurai |name=Tetsuo Sakurai}}
* {{MusicBrainz artist|id=d044add8-4fd2-4c8a-8c13-0aef18fdfe01|name=櫻井哲夫}}
* [https://vgmdb.net/artist/3200 Tetsuo Sakurai discography on VGMdb]{{En icon}}
 
{{Music-bio-stub}}
{{カシオペア (バンド)}}
{{Normdaten}}

{{DEFAULTSORT:さくらい てつお}}
[[Category:1957年生日本のロック・ミュージシャン]]
[[Category:存命人物]]
[[Category:日本のミュージシャン]]
[[Category:日本のフュージョン・ミュージシャン]]
[[Category:日本のベーシスト]]
[[Category:慶應義塾志木高等学校出身の人物]]
[[Category:慶應義塾大学出身の人物]]
[[Category:東京都出身の人物]]
[[Category:1957年生]]
[[Category:存命人物]]